小説『エイルウィン』の批評 夏目漱石  子規も唐子も病気で健筆をふるうことができぬというので、例のごとく漱石になんでも書けとの注文であるから、何か書かずばなるまい。元来、英文学の評判を俳句の雑誌に載せても、興味に乏しいのみならず、多数の読者には嫌厭をきたすの恐れあるばかりとは思うが、これも主筆が病気である以上はぃ朋友への義理だとあきらめて、黙っておりたまえ。  目下英国でやかましく評判の高い、『エイルウィン』という小説がある。これは出坂になってからまだ一年たたないように記憶しているが、非常な速力で流行の度を進めつつある。漱石の注文したのは、つい二、三版のころであったに、日本へ到着したのは、十三版のものである。このあいたある雑誌を見たら、すでに十八坂に上っていたから、今ではもう二十坂を越しているだろう。実にこの五、六ヵ月間、週刊雑誌の来るたびに、・『エイルウィン』新版の広告の出ていない 号は少ないくらいだ。そこで、西洋の小説は、たいてい一版に千部ずつするのだから、かりに二十版と見れば、この七、八ヵ月間に、二万部売れたわけである。これに米国(版権所有者がちがう)で今まで売った一万三千部を加丸ると、ずいふんな真になる。単に二、三万というと、広い英米の読書社会に対して、すこぶる僅少のように思われるかしれぬが、いくら西洋でも、モうむぞうさにさばけるものではない。キプジングの小説には、四万、五万などというのがあるようだが、そのほかにこれほど売れるのは珍しい。  著者はウォッツ・ダントンという男だ。別段有名な人でもない。一昨年出版になった『ファーカーソン・シャープ』の文学者宇彙には、一八三二年生まれとあるから、もうよい年齢である。今までは雑誌記者をしたり、批評家になったり、またあるときは『アセニーアム』へ詩稿を寄送したりなどしておったようにみえる。かつてロゼッチが、この人の詩を賞賛したという話もあるが、とにかく『エイルウィン』を出すまでは、さのみ有名ではなかった。   『エイルウィン』がどのくらい世間に歓迎されつつあるかは、ま丸に述べた売り真でもわかるが、他の雑誌の評論も、いくぶんか参考になろうと思う。ある雑誌では、沙翁のオフェジヤ以後、 ウィニー(巻中の少女)のごとき悽絶なるものなし、というてかる。また、他の雑誌には、『エイ ルウィン』は散文にして詩なるものなり。単に小説中の白眉なるのみならず、また文章として上乗なるものなりとある。あるいは詩人にあらずんばこの結構なしといい、あるいはこの書をひもとけば現時における驚くべき天才と席を同じゅうするに異ならずとまで賞している。  世間はもとより気の変わりやすきものだ。新奇を好むものだ。かつ、具眼者のすくないものだ。この世間を相手にして博し丸たる名誉は、いつとり上げらるるかもしれぬ。小作人たる文学者どもは、喜怒常ならぬ文壇の地頭の前に平伏して、一日も借地期限の長がらんことを希望するとも、無慈悲なる庄屋は、刻心到骨の辛苦を顧みず、卒然として退去を命ずることがある。アン ステーの『バイスバーサ』はあれほど一世を風廃したものであるが、今日ではたいていの人に忘れられてい心。ベーフミーの『ルッキング・バアクワード』もむろん当日の勢いはない。『エイルウィン』もこの種の現象かもしれぬ。あるいは、これよりもなおはがなき最期を遂げるかもしれぬ。しかし、百年の大作も、千年めには公魚の腹中に成仏するものてある。千年の文章も万年めには軽塵断煙に帰するものである。と同時に、一年の寿命あるは、一年の好著述である。十年の価声を保つは、十年の良詩史である。過ぎ去った一年間において、またぎたるべき?年間にかいて、『エイルウィン』が現時の地位を失墜せざるかぎりは、これを非凡の作とみなしてよろし い。この非凡なる小説中には、いかかる人物が出現して、いかかる事件が発展しきたるか知らん。  筋書きを述べるのは、長くなりすぎる恐れがあるが、原書を読んでからぬ人に議論ばかりしては、なおさらかもしろくないから、話の続きをざっと述べることにいたそう。  愛の極は唯物論に満足するあたわずして、必ず神秘説に入るべし。とはフィリップ・エイルウィンの持論であった。ある日その子のヘンリー・エイルウィンを呼んで、おのれが先妻の記念どして、はた身を離さぬ金剛石入りの十字架を示して、自分が死んだらきっとこの十字架をしかばねとともに棺に収めてくれと頼んだ。それのみではない。「もしわが棺をあばいてこの十字架を奪うものあらば、当人にたたるはもちろん、その児女または家を失い、食を路傍に乞うにいたるべし」という自筆の呪文を添えて、これもいっしょに葬ってくれと命じた。  へンリー・エイルウィンは普通の人間であるから、ばかばかしき命令もあったものだと、ひそかに不承知であったが、さて親の遺言にそむくも異なことと心づいて、仰せのごとく葬式を執行した。葬式のあった晩に、寺の堂番がひそかに棺を開いて、この十字架を盗んだ。この寺は海岸のがけの上に建てた古刹であって、そのがけは、なんぞというとくずれる。すこぶる危険な場所である。ちょうど堂番が仕事を終えてこのがけぎわまて来たときに、例の崩壊が始まって、盗賊 はむざんの最期を遂げた。この寺番の娘にウィニーという少女がいる。その晩は父の命令で海岸を散歩しておったが、がけのくずれた物音に驚いて来てみると、ちょうど目に止まったが例の呪文である。親が悪事を働いているうちに、風でここまで飛んで来たものとみえる。  ウィニーは親の行く丸を尋ねたが、どうも手ががりがない。現在おのれの父がこの恐るべき 呪阻を受くる当人であるということは、一週間ののちはじめて知り得たのである。岩と岩との間 にしゃちこばったるおのれの父が、かの十字架を頭にかけて、恐ろしき喜色をして突っ立っているのを発見したものは、ウィニー自身であった。非常な発作を起こして、モれぎり気が狂ったのも無理はない。親のない気の狂ったこの少女を連れて、遠隔の地にいるおばの在所へ送り届けょ うとした隣人は、ウェールスの山中でついにその人を見失ったぎり、ついにその踪跡をたずねえない。  エイルウィンはウィニーを愛している。ウィニーもまたエイルウィンを慕っている。可憐なる 少女の行くえが知れぬという話を聞いたときに、エイルウィンが心のうちに誓ったのは、あまかける鳥、水潜る魚に化しても、必ずウィニーを捜し出してめぐり合うという決心であった。チャーレス・キングズレーの『ウエストワード・ホー』という小説にも、さる兄弟が女の行く丸をた ずねてアフリカの果てまで行くという趣向があったように記憶しているが、ここらは別に感心するほどのしくみでもない。 エイルウィンが少女のあとを追いかけて、はからずも遡廻しだのが、ウィニーと幼なじみのあ るシンファイというジプシーだ。この女は、ジプシー専売の幽冥術を信じており、また心得ている。そこで、このジプシーがエイルウィンをスノードンという高山の上へ連れていって、占いをたてた。この山の頂で、クルスという胡弓のようなジプシー特有の楽器を弾ずると、山神の威霊で、たずぬる人の生霊が現わるる、というが古来からの言い伝えである。四方は皆翠障青柳で何十里となく続いている。今上った太陽は、夜来のもやに映じて、瑠璃、瑞瑞、琥珀、いろいろな光を放っている。この時シンファイは推重たる岩角に座して、例の胡弓をずり始める。エイルウィン は湖水の対岸の巌窟に潜んで、結果いかにと待っている。しばらくすると、労侃としてウィニー の姿が濃霧の裏から現われた。シンファイは手を上げて、両人の頭上にかすかにだなびく、こぶしのごとき輝いている片雲を指さした。これはふたりが必ず添い遂げるという前兆である。この時エイルウィンは唯物論を一歩離れた。  ウィニーはもとより真のウィニーである。ただ喪心して赤子の愚に帰っているばかりだ。天も し余にこのむじゃきなるウィニーを与丸ば、余はそれにて満足すべしとは、この時エイルウィンのつぶやいたひとりごとである。しかし、エイルウィンの希望はまったく画餅に帰して、再びこの狂女を追跡せねばならぬようになったのは、ウィニーが突然発作を起こして飛鳥のごとく岩かどをかすめて、行くえ知れずになったからである。  シンファイはなお信じて疑わない。金色の雲が出た以上は、必ず再会する、必ず結婚すると主 張している。しかし、呪阻にたたられている間は、疸癩病にかかってそで請いをしなければなら ぬ。もしこの呪阻をはらおうと思うなら、十字架を父の棺中に帰すよりほかに道はない。これもシンファイの意見である。エイルウィンはなお半信半疑でいる。かつ、高貴な品物を埋めたことが世間へ知れれば、必ず他の盗賊に盗まれるにちがいないと、ちゅうちょはしたが気がすまない。そこでついに決心をして、人の知らぬように再び十字架を墓中に収めた。その翌日から不思議にも安眠することができる。これがエイルウィンのスピリチュアリズムに近づいた第二段である。  「あそこに美しい女こじきがいる。この雨の降るのに、ずぶぬれでガス灯の下に立っている。手に持っている小さなかごを売るつもりかしら。たぶん気ちがいだろう」血眼になってエイルウィンが馬車から首を出したときには、その人はすでに見えなかった。「この歌ですか、これはこのあ いだじゅうここらをぶらついていたマッチ売りの娘の歌ってたのを聞きかぼえにかぼえたので、たに理屈はわからないが、調子がおもしろいから歌ってるんだ」よく尋ねてみると、そのマッチ売りは近ごろどこへか姿を隠して、とんと手かかりがない。  ここに当時の画家でウィルダースピンというものがある。『愛と信』と題する理想画の書き手というので、すこぶる評判の高い男だ。エイルウィンがある日招かれて、この大作を見に行って驚いた。愛と信との二天使が左右にうずくまる中央に、軽羅の復原をして屹立している女を、だれかと思って見れば、おのれが平素身命を賭して捜索しているウィニー自身の肖順にほかたらない。このモデルは、さるコーヒー売りの娘であった。少し脳の作用に異状はあったが、写生にさしつかえるほどでもなかった。が、ある日偶然父親のことを尋ねたとき、恐るべき権相をして卒倒をした。それがこの娘の最後の発作である。今ではすでにこの浮き世の人でない。というてんまつを逐一絵師より聞いたときのエイルウィンの驚きと、悲しみと、失望と、残念とは、もとより想像するにあまりある。原書には、落胆の栃、日本へ漫遊に出かけようとまで決心したと書いてある。静かところへ引き合いに出された日本はありかたいしあわせだ。  エイルウィンは再びシンファイをたずねて、また胡弓を鳴らしてウィニーを幻出させてくれと せまった。画家すでに死せりといい、コーヒー売りすでに死せりといい、同住の少婢すでに死せりといいて、その葬られたる墓地まで目撃したるエイルウィンが、なにゆえに万一の望みを胡弓 の哀糸につないで、瞬時の幻影をスノードンの山嶺にかいま見んとするのであろう。エイルウィ ンはますます唯物主義を離れてくる。  シンファイけなお信じて疑わない。金色の雲がたなびいた以上は、クルスを弾じて生霊が出た以上は、十字架を棺に収めた以上は、ウィニーは必ず生きておらねばならぬ。ふたりは必ず結婚せねばならぬ。と思うておる。その思うておることが命中したから妙だ。ウィルダースピンの朋友にダーシーという絵師がある。平生からウィニーとコービー売りの老婆とは真の親子でないという鑑定をつけておった。ウィニーの死を聞くと、すぐコーヒー売りの住んでいる裏長屋へ駆けつけたものがこのダーシーである。見るとばあさんは酒をくらって前後正体なく寝込んでいる。その向こうにウィニーの死骸が寝台の上にころがっている。しかし、ウィニーの容貌をよく見ると、どうも死んだらしくない。もしや発作の激しいのではあるまいかと疑っていると、ウィニーは不意に目をあけて正気にもどった。今ウィニーを連れ出しても、自分の子でないにきまっているから、このばあさまが事をあらだてる恐れはない。もし親類縁者がたずねてきて救い出したと 思えば、それなり泣き寝入りになるに相違ない。ダーシーはこう考えたから、ひそかにウィニーを連れ出して長い間自分の寓居へ隠しておいた。それから、ある医者に、ウィニーの病気を直すくふうはあるまいかと相談をかけた。それはある。発作の激しく起こったとき、磁力を用いて病を他人のからだに移せばよい。もっとも、健康体であればさしたる害もないが、だれも進んで人の病気を引き受けるものはあるまいから、よほどむずかしい治療法だとは、その医者の答えであった。この時みすから進んでウィニーの病を自己に感染せしめて、この少女を本復させたのがシンファイである。それから、シンファイはエイルウィンをスノーピンの頂上へ連れていった。ウィニーも連れていった。その昔ふたりが会合した場所で、再びふたりを会合せしめた。自分は例の胡弓を取って最後の一曲を奏して、ふたりに別れたぎり姿を隠して再び見せなかった。(入の病気を磁力の力で伝染させるなどは、この場合にはすこぶるおもしろい思いつきだが。よく覚えておらんが、たしかコジンスの『ムーンストーン』か、『ウーマン・イン・ホワイト』にも同じような斬新の趣向があったように思う。これはある入が夢中不意識の際にいろいろ事をする(英語でソムナンブュジズムという)病気にかかって、貴重な宝石を盗んだことから騒動が起こって、いよいよ病気で盗んだのか、または悪意があって取ったのかということを確かめるため、同一の 場所、同一の時、すべて同一の事情のもとに、本人を試験にかけてみた。ただし宝石のかわりに三文の価値もない石かなにがを入れておいたところが、やはりそれを盗んで宝石を盗んだと同様のところへ隠したので、いよいよ病気であることが判然して騒動が落着したという趣向である。単に巧という点から見ると、コジyスのほうがまさっているようだ。)  以上はざっとした話の筋道である。巻中の人物で第一に目につくは、シンファイだ。これはただの女ではない、ジプシーである。単にジプシーというだけで、すでに詩趣を帯びている。古代インドより移住して欧州に藤延し、現今にいたるまで諸方を漂流して、いたるところにて幕を張って生活しているジプシーである。人相、手相、身の上判断を特有の技術とするジプシーである。次に、喪心狂気せるウィニーがいる。富貴を賭し、身命を賭してウィニーを追跡するエイルウィンがいる。エイルウィンの父にシュエデンボルグよろしくという神秘学者がいる。次に出て くるのは三名の画家だ。画家であるが、いたずらに潤筆料をむさぼって金粉紺泥を塗抹するやか らではない。ひとりは世め拘束をのがれんがために身を丹青にゆだねるボヘミヤン、ひとりは亡母在天の霊の庇護によりわが理想にかなうモデルを発見しえたりと信ずる奇人、残るひとりは失恋の極現世の物質主義を捨てて唯神論に傾いたる思想家でご二人とも多少超然たるところがあ る。この数人を除いてはほとんど他の人物は出てこない。言を換えて申せば、エイルウィン中の人物は皆雅である。俗気がない。銅臭がない。皆一拍子変わっている。  この数人の活動する場所がまたおもしろい。かのウエールスーの高山と呼ばるるスノードン が、岸糧として地を抜く三千五百尺の山嶺か、もしくは山腹、もしくは山下の小村が重なる舞台 である。ときに現時のバビロンと言わるるロンドンの光景に接せざることもないが、十字街頭車 馬範琉の音を聞かせらるることはない。高楼の夜宴電光青煙のもとに、燕姫趙女の舞踏を拝ませ られることもない。ロンドyといえば俗であるが、絵師の画室はロンドンでも格別風流なものである。カンバスや、イーズルや、愛と信仰という画題の説明を承るだけなれば、ロンドンといえ ども煤煙濃霧俗気罪悪と連想する必要がない、のみならず、かえって鏝湯冷所ありの趣がある。  次に一編の結構がおもしろい。事の起こりが呪阻すなわちカースだから奇だ。日本で呪阻というと、法印か修験者、あるいは丑の時参りの専売のようであるが、西洋ではだれにでr£>できることになっている。かの人に災難の降れかしと念ずる一心は、必ず応報のあるものとの考えが通俗にある。現に、聖書の一巻めからカースという宇が出ている。ジェーコッブが父を欺いて滋味を勧めたる罪により、父のために呪阻を受けはせぬかと懸念したという話がある。デクインセーが アンの行くえを捜索して、ついに再会の機を得なかったときに、古昔父の脱阻が必然の運命をもって子に及ぶと信ぜられたるがごとく、余がこの女に対する幸福の祈念も、山を越え海を越え、もしくは十囲二十囲の重関を越えて、ロンドンの鬼窟裏に入れ、もし鬼窟裏にはいってたずねえずんば、三尺の墓標の下を潜りて、九泉の底に彼女を教えがしと、書いてある。カースに対する観念はがようなものであるが、十九世紀の今日に、呪阻を骨子にして小説を作ろうと思うものはひとりもあるまい。コルジズンの三人の墓という詩に、母の脱出が娘に及び、娘の夫におよび、また夫婦の媒介をした女にむよんで、この三人が快活から幽誓に、幽貨から沈衰におもむくところが叙してあるが、これは詩である。しかもコルリズンの詩であるから、例外と見なければならぬ。いやしくも物質主義進化主義の横行する今日に、古昔の迷信たる脱岨を種にして小説を書いたものはこの男ばかりだろう。種にしようと思っても、種にならなければそれまでであるが、種になればはなはだ愉快にちがいない。灰吹きからヘビというて入が笑うが、笑うのは出ないということを仮定したうえの話である。出た日にはかもしろかろう、愉快だろう。ダントンは首尾よく灰吹きからヘビを出したのである。理に凝るときは人情を没却すると同じく、情のせつなるときは理を忘るるものである。古今の名画名文には不理屈千万なるものが多い。北宗派の人物には口から 仙人を吹き出したり、コイの背にまたがって天上するところなどがある。カジバンもエジエルも退いて考えれば、ばからしい空想にすぎない。しかし、その絵その文を翫味する際には、少なく ともその不条理なることを忘れている。すなわち、満身が情化して、理のつけいるべき寸隙がない。展覧通読の際、理が頭をもたげて、ややともすると冷笑したがるのは、作それ白身が不理なるためてはなくて、情に訴うる力が足りないからである。もとより、両方を満足さそうおばそれがよかろう。しかし、二者その一を選ばねばならぬときには、ヘビを出そうとも、脱誤を種にしようとも、ふつごうだと思う余地がないくらいに、読者の情を動かしうればそれで成功したと言わなければならぬ。  次にはこの小説の長短である。英国の小説を読んで第一に驚かされるのは、非常に長たらしいということである。むろん短いのもあるが、十八世紀より今世紀へかけて出版になった大部分の小説は、皆冗漫なものだ。少なくとも無用の編を省いて、この半分につづめたらよかろうと思うくらいである。もっとも、前方は三巻小説といって、小説は必ず三巻で出版するものと書肆も読者も予想しておったのだから、あながち著者を責むるわけにはいかないが、その弊は単に興味をそぐにすぎない。十のものをーから十まで書くのはめいりょうにちがいないが、いわば教科書的で ある。自然の勢いとして、趣味に乏しくなる。著作を翫味せしむるという以上は、十の中を八分どおり叙して、残る二分を読者が想像力を用うる余地として存しておかねばならぬ。小学校の児童ですらかのれの脳力を用いて問題を解釈することを喜ぶ。詩歌美文を手にする、少しでも想像力のある者は、読唱の際このガを使用するがため、いっそうの興味を感ずるにちがいない。現に修辞学で擬人法比喩法その他いっさいの手品を発明したのは、皆読者の想像力を働かしむる道具にすぎない。なかんずく、叙述の際いくぶんの空間をさいて読者の情解に一任するのは、作詩作歌に必要なる方法である。したがって、詩は散文よりも短い。ミルトンの『失楽園』などは、ずいふん長いには相違ないが、これを散文に直したら、少なくとも二ご二倍長いものになるだろう。ゆえに散文を詩化するには、無用の叙事を省かねばならぬ。有用の叙事も読者の想像力に訴えて解釈しうると思惟するかぎりは、省かねばならぬ。『エイルウィン』は四百七十余ページの大冊子である。むろん、現時流行する短編小説のごときものではない。しかし、その内容の複雑なるに比してどうも冗漫の弊がない。読み去り読みきたって、一編も無用だと思うべきところがない。  巻中の人物がかくのどとく、人物の働く舞台がかくのごとく、一編の結構がかくのごとく、繁 簡の程度かくのごとくなるゆえに、『エイルウィン』は小説にしてもっとも詩に近きものである。この数者を兼ねざれば小説にならぬ、とは言わぬ。また、よき小説にならぬとも言わぬ。しかし、もっとも趣味ある小説にはならぬと断言してもよかろう。  まえに述べたごとく、この小説はまったくフィ*-s ^プ・エイルウィンの呪岨が発展したものと見てさしつかえない。しかし、これを説明するのに二つの解釈がある。第一は呪岨そのものの功力で、これだけの結果が生じたと解釈する。すなわち、シンファイの固執するところである。第二には、まったく幽冥世界と関係なく、ただ外界の因果物質的変化とみなす。すなわち、主人公エイルウィンの観察法である。二者のうちいずれが正当なる解釈であろうか。理よりいえばエイルウィン正しがるべく、情より入ればシンファイがまさっている。そもそも愛は情の熱塊である。理をもって伏しうるの愛は、単にその度の高からざるを示すにすぎぬ。今エイルウィンのウィニーに対する愛は合理的の解釈に満足してあきらめうるほど冷淡なものでない。エイルウィンはしいて理屈上の説明を求めて一歩ごとに理屈に遠ざかる。あたかも水に・ftぼれたる者が、なめらがなる岩の上に立たんと試むるごとに、深きかたへと流さるるようなものである。エイルウィンの解釈が事実のうえにかいて誤ったといわんより、シンファイが精神的にエイルウィンを屈伏 せしめたのである。あるいは理博の戦争に理が敗北して博が勝ちを制したといってもょい。  エイルウィンは愛に耽溺したる結果、ついに迷信家に変じたので、局外から見ればーつの愚物にすぎない、という人もあるだろう。なるほど、エイルウィンの愛は理を没却するだけ、それだけ過度のものかもしれぬ。しかし、愛の観念を取り去って考えたところで、エイルウィンはやはりシンファイの奴僕となりはすまいか。理は進むものである。博も変造するにちがいない。しかし、理と手を携えて並行に進むものではない。太古結締の民と汽車汽船に乗るわれわれとは、理において非常な差があるかもしれぬが、博より論ずればそれほどの差はあるまい。近い例が、十四、五年まえに言文一致の議論がだいぶ盛んなことがあったが、議論ばかりで、まじめに試みた 者はあまりなかった。もっとも、中には「発矢! 空蝉の命、ど覧なさい、かまれている乱髪の 末一、二本」というようなるが出はしたが、そのくらいであまり世間に流行はしなかったようだ。これは理論上言文一致に反対しない者でも、感情のうえから在来の習慣を破るのがなんとなくいやであったのだろうと思う。しかるに、当時の理論が、昨今にいたってようやく感情と融和したものとみえて、近ごろでは言文一致と出かけてもあまり攻撃者もないようだし、またずいふんこの文賑いを用うる人もあるようだ。これがすなわち感情が理に遅れる一例である。人々別々の 場合でもこのとおりだと思う。われわれ世の中に幽霊はないものと承知はしているが、化け物屋敷へ好んで住む人は容易にない。生死は意に介するにたらすと推論断定したところで、地震のときにはいちばん早く逃げ出したくなる。心の欲するところにしたがって規矩を脱せんというのは聖人のことで、理情がひたと合したありかたい境界である。われわれ凡夫の理と、凡夫の情け、常にけち合わせをしている。けち合わせをしないまでが、同様の速力で進行してはいない。理は馬のどとく先へ行き、情け牛のどとくむちうてども動かない。  さて、人の言語動作は、おのれの知りえたる理に基づかずして、かのれの養いえたる情に基づくものである。日清戦争の当時いかにお札か守りの類が流行したかを知れば、いかに吾人の感情が幼稚にして、また勢力あるかを知るに足るだろう。キプジングの『先祖の墳墓』と題する小説中に、インドのビルという種族が、英国の一士官を神と信仰するのみならず、この士官が夜々トラにのって村じゅうを練り歩く、と言いふらすので、その士官が大いに迷惑した、ということが書いてある。吾人の情は遺伝修養の結果として、このビルにほど速からぬものである。吾人感情の程度かくのどとく、吾人感情の有力なるかれがごとくんば、エイルウィンがしだいしだいにシンファイに感化せられるのは、もとより自然の数である。  もし理をもって論ずれば、堂守が落ちたというがけは、しじゅう崩壊の恐れのある場所であるから、別段の不思議はない。迷信のある娘が、親の罪悪と変死をいちじに発見して、これを呪文と連想する以上は、気違いになるのも不思議はない。ウェールスの山中に彷徨しておったものが、おのれの好きな音楽を聞いて、そのかたわらに出てくるのも不思議はない。空にはいろいろの雲が出る。・金色の手の形をした雲があらわれたとて不思議はない。父を失い、家を失い、朋友 を持たぬ狂女が、そで請いをして歩くことも不思議はない。欲斬死里が全癒したのも、医者が科 学的治療を加丸だのだから不思議はない。この数者は皆呪岨と関係はない。読者はさだめてこう解釈するだろう。エイルウィン自身もこう解釈したのである。解釈はしたが、安心ができなかったのである。しいて安心しようとして失敗したのである。読者もしエイルウィンの地位に立たば、たとい主人公のごとく遠くジプシーの血統を引かずとするも、この理屈的解釈で満足し丸たであろうか。理の勝つときには情の勢力を無視しやすきものである。また、情の理に遅るることを忘却しやすきものである。一概には申されまい。  かの『ダーウィン伝』を草したる進化論者グーフント・アレンの小説に、『りっぱなる罪業』というのがある。これはおのれの意志にそむいて見込みのたたぬ夫にとついだ婦人が離婚すること のできぬ場合には、才識ある男子に情を通じてその子孫を世にのこすのが女子たるものの義務本分である、という主意を発揮した驚くべき小説である。日本でかような書物を著わそうものなら、すぐ発売禁止になるか、または非常な攻撃を受けるにきまっている。なるほど、進化主義から論ずると、アレンの考えは不理屈とはいえぬ。人類の発達がはたして進化主義に支配せられるならば、吾人の道徳に対する理論もここに帰着するかもしれぬ。いな、今日でも一部の人にはこれが 正理であるかもしれぬ。しかし、吾人の感情がこの議論と湊釈一致してどうも抒格なきにいたる は、千年ののちであろう、万年ののちであろう、いつまで待って馮、ついにきたらぬかもしれぬ。  理の強いときに考えると、アレンのほうは奇を好んではいるが、まったく不条理ではない。ダントンのほうは不思議なだけ、それだけばかばがしいところがある。しかし、文学は情に訴うるものであるということを思い、吾人の情はいかに幼稚であるかを思い、また情の極すなわち愛の前にはいかなる条理も頭の上がらぬことを思えば、アレンは失敗して、ダントンは成功したと言わねばならぬ。  冥々のうちにエイルウィンを束縛して、これを迷信的に感化したるシンファイは、もとより無学無教育の一少女である。軟草を荷席とし、星斗を屋梁とする流浪組のひとりである。ジプシー の遺伝と、ジプシーの習慣を継ぐ彼女の思想は、すこぶる迷信的なると同時に、大いに詩趣に富 んでいる。蕭認たる秋風は一種の言語となって彼女の鼓膜に響き、運動たる行雲は有意の誠兆として彼女の眸底に映ずるくらいだ。「この菖の上にはスミレが咲いているから、これは子ども か娘の墓にちがいない。子どもか娘でなければ、なかなか死んでから春の花にはなれない」これがシンファイの語である。「良心?良心などというものは知らない。ただ胸の中のヘどかかむので痛むのだ」これもまたシンファイの語である,それだから、スノードンの山嶺に、金色の雲影を認めて以来、エイルウィンとウィニーとは必ず結婚するものと信じて疑わない。ウィルダースピンの証言にかかわらず、ガズンョンの主張にかかわらず、四百七十全ページを通じて、この信力 はごうもたわんだことはない。幾多の小理屈小議論を誄詞し去り、賜翻しきたって、…疑然として 一尺も動かぬありさまは、あたか玉二千五百尺のスノードンが高く雲表に屹立して、岳麓に風雨 の咆吼するを意に介せざるの観がある。この女丈夫に対すれば、エイルウィンの心身は、まさに浮標の春潮に漂うに異ならない。細長いヘチマの朝あらしに揺蕩するようなものである。この信力は学問の結果てあろうか。シンファイは無学文盲の女である。教育の結果であろうか。シンファイは雄一教育の女である。無学無教育のジプシーであるから、学者紳士貴女令嬢の夢にも見るあ 穴わざる信力を有しているのだ。  この信力あるがゆえに、一事に会うごとに截然と処理して、どうも遅疑するところがない。人のために奔走するも尽力するも、皆肺俯中より退出するので、けっして深思熟慮の結果てはない。一円や二円の金を貸すのに、とくと勘考いたしたうえでなどというのとは雲泥の差である。ウィニーの病をかのれに移して、可憐なる少女を病魔の暗窟中より救い出したとき、エイルウィンに対する自己の恋情を殺して、ふたりの相思をまったからしめたときに、理屈好きの読者は必ず疑うだろう。シンファイはふたりに対してかほどの親切を尽くすべき義務があろうかと。義務? 義務などはシンファイの知らぬことだ。また、知る必要のないことだ。先祖代々の厚禄をちょうだいしているから、ご恩報じのため、ご馬前で討ち死にせずばなるまい。これが校務的の善行である。隣から菓子折りをもらったから、返礼に卵の箱をやらずばなるまい。これが義務的善行であ右。シンファイの胸中には損得をはかるますめはない。軽重をはかるてんびんはない。利害を標準にして親切を出したり引っ込ましたりするさもしい根性は持たぬ。  「異日白人あって、きたってなんじを悩殺することあらん」とは、シンファイの母がシンファイにのこしたる予言である。「白人に悩殺せらるるま丸に、みずから脳蓋を砕いてやまん」とは、 その時シンファイの答えであった。スノーピンの山下に澄迢してより山嶺に永訣するまで、彼女 はかつてーたびもその愛情をエイルウィンにほのめかしたることはない。顔色にすら出さなかった。エイルウィン自身も、最期の離別を叙するまぎわまでは、露ほどもこの女の心情を察しえなかった。富貴爵位に誇るものはもとより言うにたらない。がれの学問に誇り、経験に誇り、才知に誇るものに、この少女のまねができようか。教育あるひげ男も、ここにいたってついにシンフ ァイの後塵を拝せざるをえない。  エイルウィンとシンファイは巻中主要の人物であるから、その性格についていささか妄評を加えた。その他の人物についても、評すれば評すべき材料はあるが、つまらぬことをこのくらい書けばたくさんだから、これで結末とする。  著者の考えと評者の考えとは、必ず一致するものではない。評論そのものが精確であれば、著 老けこれに対して郵書燕説の不平を持ち込むべきしだいのものでない。鳴雪や子規がしきりに蕪 村の句を評しているが、銘々区々である。ときとしてはいずれも蕪村の意を得てからぬかもしれぬ。しかし、批評さえかもしろければ、解釈が二とおりあろうと玉二とかりあろうともがまわない。もし蕪村が不承知なら、自分の句にして文字は同じいが意味はちがいます、とすましておれ ばよい。漱石の批評ももとより著者と相談したのでないから、当たっておるか、当たっておらぬかは保証しない。ただし、批評そのものが賭先生の俳句におけるごとくうまくいかないから、あ まりいばれない。媚々数百百ついにこれ一場の暗礁にすぎない。著者もとんだものにつかまっ て、さだめし迷惑だろう。著者へはきのどくだが、子規と唐子へは申しわけがたつ。(七月二十七日稿)                             (明治三十二年八月十日『ホトトギス』)