イギリスの園芸 夏目漱石   花  ロンドンで二、三度菊の展覧会をのぞいてみた。たいていは葉のない切り花で、それをほおり こんだようにむぞうさに竹筒へさしてある。まま、葉のついた切り花や、はち植えのを陳列して 見せたこともある。はちものを陳列するのは日本の|窖《むろ》のようなところで、おひなさまを飾るよう に行儀よく段々に並べる。種類はずいぶん多い。それにいろいろな名があって、人名を付けたの がかなりある。いずれも妙な名ばかりで、日本のように風流なのはいっこうない。元来、イギリ スの菊は日本から渡ったものであろうかどうだか、そのへんはこの道のしろうとたるわれわれに ははっきりレないが、とにかく非常な梳行である。スコットランドへんへゆくと、たいがいな百 姓家にでも培養されている。  市中の花屋に売っている花も、たいてい葉はむしってしまってある。菊でも|水仙《ナいせん》でも葉なしで あるから、とんと妙がない。しかし、日本のように枝ぶりがどうのこうのというのではなくって、 ただむちゃくちゃに花びんへほおり込むのであるから、これでよいのかもしれぬ。  花びんは普通一対である。対といえば人聞きがよいが、二つなのである。どう見ても神前のみ きどくりのようで、いっこうたわいがない。  ちょっと驚いたのはクリの花見である。われわれの了見では、なんだつまらない、あんなみす ぼらしい花なんぞ…-と思われざるをえないのであるが、イギリス人は大騒ぎでクリのお花見に 出かける。   庭  地質学者ならぬわれわれの土質調べはいささかおこがましいしだいであるが、全体イギリスの 土地は多く石灰質の貝がら交じりである。公園もそのとおりで、きれいな花が植えてあっても、 |向島《むこうじま》の百花園のようないい感じが起こらない。  イギリスの庭にはまったくコケがない。ないばかりならそれほど怪しむに足らぬのであるが、 あればかき落としてしまうというごあいさつには、いささか驚き入らざるをえない。  イギリスの庭を飾るものは芝である。普通十坪か二十坪の庭にでも、必ず芝ふがある。おかみ さんがしじゅう機械で刈り込んできれいにしておく。いったい、イギリスの芝は一種特別で、常 に青い。しかも、日本のよりはきめが|細《フ 》かいから、よほど美しい。  公園の芝地は、刈った跡を火のしでもかけるように丸い大石でならす。初めは向こうからこち らへころがす。次はこちらから向こうへころがす。ころがしころがししているうちに、畳の目の ように一方は向こうへ、一方はこちらへと筋目が立って見えるようになる。それはまことにみご とである。  ある時ある人に、イギリスの庭には石がないようですが・:・と尋ねたことがある。すると、そ の人は平気な顔をしてこう答えた。あればほおり出してしまう川                         (明治三十八年八月十三日『日本園芸雑誌』)