予の描かんと欲する作品 夏目漱石  いかなるものを描かんと欲するかとのご質問であるが、わたレは、いかなるものをも書きたい と思う。自分の能力の許すかぎりは、いろいろ種類の変化したものを書きたい。自分の性情に適 したものは、なるべく多方面にわたって書きたい。しかし、わたしのような人間であるから、そ れは単に希望だけで、その希望どおりに書くことはできないかもしれぬ。で、ご質問に対してば くぜんとしたお答えではあるが、たいてい以上に尽きている。わたしは、ある主義主張があっ て、その主義主張を創作によって世に示しているのではない。であるから、こういうものを書い てこうしたいという、局部的な考えは別にない。したがって、社会一般に及ぼす影響とか、感化 とかいうけれども、それも、作物の種類、性質によっておのずから生じてくるものであるから、 こういう方面の人を、こういうふうに、こういう点で影響しようというのは、ここに判然と具象 的にでき上がったものについていうことで、それを、作物のまだでき上がっていない未来のこと かということについて述べたいが、今は時間がないから略する。 もっとも、これは今度出版する『文学評論』の中に詳しく書いておいた。 (明治四十二年二月一日『新潮』)