読書と創作 夏目漱石  どうも暇がなくて、読書がされなくて困っている。新聞社の小説を書いている間は、忙しくて、 もちろん読んでおられず、それをやっと書いてしまうと、今度は、それまでさらに手を着けずに うっちゃっておいた西洋の雑誌三、四種に、日本の雑誌もあり、その他外国に注文しておいた書 物も来ているから、それも読んでみたいと思うし、その間には若い人たちが書いたものを持って きて、これを読んでくれよとか、批評せよとか言ってくるし、書信の往復もしなければならず、 かつ来客への応対もあり、それはずいぶん忙しい。  人は、ああして家にばかり閉じこもっているのだから、さだめし暇だろうと思うかもしれない が、どうしてそんなわけではない。わたしは、学校に出ているときのほうが、今より来客も少な いし、よほど暇であった。  とにかくこんなふうで、いたしかたがないから、その間々の暇を利用して読書するようにはし ているが、実際あまり読めなくって困っている。  それで、近ごろ読んでいるものは、むろん西洋物ばかりであるが、それも小説のみに限らず、 いったいわたしは何種の書物でも、読むということは好きであるから、倫理、心理、社会学、哲 学、絵画に関する書物なども好んで読むようにはしているが、いずれかといえば、わたしは朝は おそいし、夜は早く床につくほうであるから、ちょうど来客もなく、読書するに最もつごうのよ いーそんな夜は、今度は自分のからだが許さぬというようなわけで、むろん横になればすぐ眠 ってしまうから、床の中で本を見るというようなこともさらになく、まったくわたしは読書する 暇はわずかしかない。  創作のほうは、書かなければならぬという義務があれば、筆を執る気にもなるが、筆をとれば 多少の感興もわいてくるというだけで、非常に興味も感じなければ、また特に非常な苦しみも感 じない。  書き始むると、筆は早くもなし、おそくもなし、まず普通というところであろう。原稿は一度 書いたままであとにテニヲハの訂正をするくらいのもの、時間は、夜でも朝でも昼でも別に制限 はないが、何時にしても、筆を執っている間は、相応な苦しみはある。しかし、わたしは書き始 めると、ことさらもったいをつけて、わざと筆を遅らすというようなことは断じてしない。           (明治四十二年二月十日『中学世界』)