文章の混乱時代 夏目漱石  明治初年以来の文体の変遷をおおまかに観察してみると、最初はかの馬琴調の余炎がすさまじ かったが、それが衰えて|西鶴《さいかく》ばりが流行し、次には雅俗折衷文となった。ところが、今日ではそ の折衷文もすでに飽きられて、馬琴西鶴などをいまさら柤述する人はほとんどなくなってしまっ た。  それでは今日の文章の傾向は? いうまでもなく通俗になりつつあるということである。雅文 もないではないが、それはきわめて少数の人が作るのみで、一般の文章家は通俗文、すなわち日 常の言語に接近した文体のほうに走っているようだ。かくのごとき傾向は何に原因して現われた かと考えてみるに、日常のことばを使えば思う存分のことが言えて便利であるということに気が ついたからである。料理屋の勘定書きとか、電信の文とかいう正確簡明を尊ぶ実用的の文はもち ろんのこと、文学的の文章も社会が文学者や文学的頭脳を持った人のみの集合ではなく、むしろ 生活を必要とする人間が集まっている社会である以上ーよしまた文学的頭脳を持った人にせ よ、一日のうちで文学を思い浮かべるのはほんのちょっとの間で、あとは経済のやりくりを心配 するとか、要務の手紙を書くとか、人を訪問するとかいったようなぐあいで、何の方面からみて も実用向きのことが大部分を占めておる以上、おのずから実用的の文章が一世の勢力を占めるの は自然の勢いであろう。それから、文学の方面のみといっても、その昔どんなに詩的なことばが あったにせよ、それは今人にとっては耳遠く、切実に胸に響かぬすたりものとなってしまってい るし、他面からみても現代の人自身がすでに古語を知っておらぬからだめである。それは漢書な どを読めば、一語にして複雑なる意味を現わす便利な字もたくさんあるが、それらの字の応用の できるのはまことに狭い範囲であって、一般にはやはり耳遠いこととなるから、やむをえずかな を混ぜて通俗平易に書くようなわけとなる。  が、以上のは|些《さ》々たる理由であって、通俗文が勢力を得たについては、他に一大原因があるの だ。  それは時代というものと言語との関係上からきたものである。まず人間の頭脳は時代時代にょ ってちがってくる。すなわち、簡単から複雑に変わってくる。したがって、簡単の時代にできた 簡単の言語は、複雑の時代における複雑の思想、感興を現わすにはふじゅうぶんとなるのであ る。これは文学のほうでも実用のほうでも同様であるが、実用向きのほうでも通俗の言語さえ使 用すればさほどの困難は感じない。よって、文学的文章のほうでも、やむをえずその比較的実用 向きな通俗語を借り、現代の要求に応じてできた言語を使って、この欠陥を補うしだいである。  しかし、ここに困るのは、現代の通俗語には歴史的の意味が含まれてないことである。という のは、たとえば同じ寺というものに対するわれわれの心でも、今日新しく建てられた寺と、京都 の知恩院のごとき古寺とでは感想がちがうー木地の新しい、今ふうの寺などはなんのありがた みもないが、|輪奥《りんかん》の美|物古《ものふ》りたる知恩院にもうずればおのずから|敬虔《けいけん》の念が生じてくるーと同 様で、文学も歴史的連想と離れぬところに多くの価値があるのに、それが通俗語でものされて は、なるほど適切に響くことはあろうが、古来の書籍に目をさらしている人などにとっては、ど うも歴史上の美的な、おくゆかしい感は起こらぬ。文学者の中でも、昔の趣味を慕う人々は、い わゆる今の言文一致体をきらって、つとめて古語古調を使うかたむきがあるのは無理もないこと である。  最も顕著な例は、今の新体詩人といわれる人々だ。あの人々の頭はたしかに普通の人よりも高 いところにあこがれ、清新な趣味をむすぼうとしている。ところで、その作詩のうえに現代の通 俗語を使うのはなんとなくげびたような感じがするから、いきおい古語を用いるようになる。す ると、批評家も読者も、かれはわざと不可解の古語をつらね、古調を帯ばせて幽遠がっているな どと攻撃するが、これはまったく立脚地のちがった批評である。詩人自身から見れば、あのよう な古語を使うのは詩的であって、非常に愉快をおぼえるところであろう。ことに、詩には「自然」 そのものから得る興と、書籍から感ずる興とがある。後者の場合などにはことに古語を使うのが 一種の愉快と満足とを与えることともなる。  この点は西洋の詩でも同様である。よく世人は西洋は言文一致だ言文一致だというが、けっし てそうではない。メレディスの作中の文章などには、すこしも日常の言語がはいっておらぬ。か れはいったい日常の言語をけぎらいして、なにも言文一致でなくば文章の書けぬこともあるま い、ひとつ自分独得の文で書いてやろう、と力んで書いたのだ。ペーターのごときもそうであ る。かれらのはある程度までは言文一致であるが、全然口語体ではけっしてない。かれのトラジ ション(伝説)のごときものも、世が文明開化になると人の頭にはいらぬばかりか、あるいはきら われるかもしれぬ。しかし、いかなる時代にせよ、まったくトラジションの勢力の下から脱けよ うとするのは不可能のことで、その空気は知らず知らずに人の頭に浸潤している。すなわち、詩 人は自分はあくまでもそれに制せられまいと思っても、いつか知らずに制せられているので、し たがって古語などを使うことともなる。  かかる現在のありさまであるから、まず文章界には一種のストラッグル(争關)が行なわれて おるといってよい.大勢を占めつつあるのは通俗文であるが、他方には例の特殊の趣味感情を 現わそうとする人々によって、文章体が保たれておるようなわけである。けれど、いかに奮闘し ても、時世の趨向には勝たれぬ道理で、そういう方面には読者が少ない。したがって、狭い範囲 で細く長く保たれてはおっても、大勢力は通俗文に帰してゆくのである。  元来この社会は、国民の気風を代表するという点から見れば、中等社会が最も勢力がある。と 同じく、文学においてもアベレージ(通常)の人に投ずる文が勝利を得ていくのはむろんのこと である。しかし、広く読まれるということと、文学上真価があるということとはちがう。傑作必 ずしも勢力を得ず、勢力を得たもの必ずしも傑作ではない。あるいは意外に趣味の下劣なもの が、かえって一般の歓迎を受くることがある。こういうときには、社会教育上から論じて、一世 の趣味を教育の力をかりて|匡済《きようさい》するようなことともなり、その結果、いかなる文章が最もよいか ら一般に普及せしめねばならぬという研究にもなるだろうが、自分はまだそこまでは考えておら ぬ。  まえに現今の文章界には闘争が行なわれていると言ったが、そのストラッグルは一般ばかりで はなく、個人の頭脳中にもうずまいている。だから、現今の文筆の士が激しく|煩悶《はんもん》しているのは もっともだ。従来の和漢の書籍のみ見て、それに満足している人々ならば知らず、少しでも泰西 の文学でも鑑賞する人は、頭は自然とその趣味と一致しておるのに、さてそれを形に現わそうと すると文字が足りぬ。すなわち、頭と文字との間には非常な高低ができてくる、あがく、階子を 掛けようとする、西洋の文字は豊富だから、そのまま使おうか? 否、否、ギリシャやラテンを むやみやたらにかつぎまわれば、あいつ|街学者《げんがくしや》だとくる、しかたがないから、たいていにわかる 英語ぐらいを入れておく。それも数があっては困ることとなる。よって、新熟語をこしらえる必 要に迫られる。イ|偏《にんべん》に車を書いて |俥《じんりきしや》 と読ませるとか、三銭と均一とを続けて三銭均一とする とか(天保のおやじには三銭はわかるが、三銭均一とはなんのことやら!)象徴だの観念だのと いう字が新しい意味で復活するとかー種々な芸当をやらねばならぬ。  これはしかし時世につれてやむをえぬことで、不自然でないかぎり、文の組織を変え、新熟語 を作っていくのは、文章発達のうえに必要なることであろう。                              (明治三十九年八月十五日『文章世界』)