文章の変遷 夏目漱石  いかなる文章が日本文学の骨髓となるかといえば、従来のごとき乱雑紛雑なる文章にては不可 なり。すなわち、漢文の素養あるものは、漢文流の文体を用い、国文の素養あるものは、国文流 の文体を用い、また漢文や国文の素養なき翻訳者流は、一種の翻訳流の文体を用う。かくのごと くば文章の統一する時なかるべし。思うに、今日のままに推移せば、わが国の文明を代表する威 厳ある文章は、どれを採るベきに迷いて、文化の進路を妨害するは疑いなきことなり。されば、 今日より東京語をもって本位とする言文一致体をもって、かなり簡潔に書き示すことが最も必要 のことなり。各派各長短あれど、文明の開発に最も便利なるものを選ぶこそ第ー要義なるベし。                              (明治四十一年八月三日『江湖』)