文壇の変移 夏目漱石  日本の文壇が将来どうなるだろうか? それはなかなか複雑な問題で、とうてい一口には話せ ない。だいいち、予知するということがすでに困難な問題なのだから、事実によって表われてく るのを待つよりほかない。で、ざっと言ってみれば、国や、時代によってある種類のものが非常 に流行する。ところが、この流行というものはとうてい続けて長く一つところにとどまることは できないものだ。これはどれもその作物に価値がないというのじゃないが、ある一定の時期を過 ぎると新しい刺激を失う。そうすると、今まではいっこう気がつかなかった点が、これはもちろ ん作物のはじめっからついていた点であるが、それがおのずからめいりょうになってくる。つま り、ほとぼりがさめてくると冷静な観察を始める。すると、たとえその流行の作物がいかなる種 類の作物でも、またいかなる程度の高い作物でも、人がそれに満足せられなくなる。そうして、 何か変化をしたものを要求する。その変化はどう変化してよいかということはわからないでも、. ただ何か変化発展してもらいたい気がする。これは読者側のほうからいった話だが、作家のほう はむしろ読者のほうよりもまえにこのことを感ずるのが順序だ。で、人々はある意味において変 化をするのだが、その時に突然衆人の予期したものに当たる作家がある。これは作家自身も全然 知らずにいて、その人は衆人からえらく歓迎される。これが一っである。それからもう'っは、 それほど衆人の予期しない、ただ一部の人の待っものに新しい領分を見いだす作家もある。で、 まえのほうの場合は概しておもに今までの作家とは反対の性質を持っているものが多いように思 う。それから、今までの作物がだいぶ書き尽くされたような場合に多い。そうして、後者のほ うの場合には反対でなくって変化になる。これはまだ今まで書くことをあさり尽くされぬときの 場合に多い。まあ、大勢はこうであると思う。  で、今の日本の文壇のありさまはどうだというに、ある一種の傾向、たとえば人が認めて自然 主義というような、まあ一つの団体があるのであるが、これがちょうどカキのように、自然に熟 して自然に地に落ちる。こういうぐあいに、自然の経過にしたがって、一種類のものをやり尽く して他に移るかどうかというのに、けっしてそんな余裕のある場合でない。文壇の連中はみんな 急激党ばかりで、とても待ってなぞはいない。では、なぜ待っていないのかというに、その原因は 頭が忙しい、少しもおちついていない、世の中に連れてしじゅう動揺している。これが一っ。そ れからもう一つは、自分が他の者より先へ出よう出ようという心持ちから起こってくる。最後の 一つは、人間の自然の傾向からくるのだが、作物のうえにおいて格段なる反抗が盛んに起こる。 つまり、人の反対に出かけようとする。で、こういうぐあいに、まねるものが一団をなしてたた かう。ちょうどまだカキの熟して落ちないうちに、ほかの新しいヵキが熟してくる。したがって、 一部分の満足を得るようなものよりほかできなくなってくる。一般の者を|統《す》べるということは、 とうていできないことである。すべてが相対的のものになって、反対の傾向を帯びるというより も、局部の変化したものになって進んでいく。いつの間に変わってきたかと思うようにぐらつい て変わっていく。ゆえに、今までは何派だか、明日からは何派に変るというようなことはない。 名まえはどうでもつけられるが、事実はそう明らかなものではないのだ。つまり、互いが互いに 影響する。そこで、そういうふうに互いにあさり尽くされないうちに押し押されてお互いの影響 を受けるから、互いに異をたてるにもかかわらず、互いに共通の分子を持ってくる。したがって、 その性質は、どうかというに、どこまでもわが特色を有していくうちに、すなわちわが異をた てるうちに、人の特色も認めることができるようになる。すなわち、共通性が生じるにつれて、 特殊性も発達してくる。それで、いくつもある団体がこの過程を踏んで一方には互いに衝奕して 分かれていく。また一方には衝突するたびに、縁が近くなって、お互いを了解するの結果、ある 意味において共通性を帯びてくる。かように団体が割れていくと、それが進んで同団体内の個人 と個人が同じ過程を踏むようになってくる。こうなってきた極は、大きな団体は自然に忘れられ て、ほんとうの差違は個人間の差違だけになってくるというような状態になるのが大勢であると 思う。  これを要していうと、今の日本の文壇には自然主義と称するような一つの団体があるようだ が、これは必ずしも長く天下を保ってはいられない。きっとわかれわかれになってくる。個人と 個人になることであるに相違ない。  だいいち、考えてみても天下というものはそう無事のものではない。それからまだこのほかに 生活問題からくる影響や、外国文学からくる影響だの、とうてい短いことにはじゅうぶんに話を することはできないのだ。                            (明治四十二年一月一日『秀才文壇』)