文学者たるべき青年 夏目漱石  わが国に大文学の出るのは次の時代である。すなわち、今の青年およびこれから生まれる人と によって作られるだろうと思う。今までは古来の文学を復起し、そして西洋文学を模倣するにと どまったので、真の日本文学の起こるのはどうしてもこれからあとでなければならぬ。従来にお ける文学者は、徳川時代の文学を再興したというにすぎぬので、さらになんらの特色もなく、ま た大作物も出なかった。そして、少し進んだ人々が西洋文学の模倣をしたくらいであるから、自 家独得の作物がない。けれども、だんだん進んでいくにしたがって、日本在来の文学も読み、なお 西洋の文学もじゅうぶん|咀嚼《そしやく》しえられるようになれば、在来の文学に大作物としてそれほど尊重 すべきもののないこともわかり、かつは西洋のものといっても驚くべきものでないことをおぼえ るだろうから、その時は自分の目も開いて自家独得の考えも出てくる。自分で自分の思うことをい ってみたくなる。ここにナショナリティーを基礎とした独得の文学が生まれるので、それは模敝 でもなければ追徙でもなく、虚偽の加わらない真の声である。しこうして、現在はその時代の来 るのを待っている準備時代である、だから、今の文学者は将来立つべき青年のためにその道を開 いているので、いわば開墾地の石を運んでイバラを刈っていると少しもちがわない。自分らもま たその考えで、将来大文学が興るためにいくらでもその助けとなり、なんらかの準備となれば、 自分のしたことはその目的を達したものとして満足することができる。在来の文学の跡をたどっ たら、あるいは外国文学の模倣をしようとはけっして思わない。ただ、自分らのしたことがきた るべき時代の準備となればいいのである。しかし、将来興るべき文学はどんなものかということ は断言できぬので、それはずいぶんむずかしい問題である。リシアのごとく圧制された国民の文 学はおのずから|沈欝《ちんうつ》になり、英国のごとく形式的な国の文学はどこまでも表面は気のきいたもの になる。また、フランスのごときはその文学も自然露骨であるが、すベて文学はその国のナショ ナリティーが表われるので、わが国の文学にもまたそれが表われるであろう。  要するに、新時代を作るべき人々は今の青年である。今の青年によって、わが国における将来 の大文学は生まれるのだから、最も有望なるものは今の青年で、おのずからその責任屯重大であ る。されば、将来の文壇に立つベき人、すなわち今の青年は、じゅうぶんなる修養を要すること はいうまでもないが、新時代の文学者たるに最も必要なる資格は何であるか、そしていかなる方 面の修養に最も力を尽くさねばならぬかを研究するのは、将来文学者たらんとする青年のきわめ て慎重なる態度をもってすべき問題であろうと思う。もし人が自分に向かって将来文学者たらん とする青年の資格を問うならば、自分はまず第一に高くしてかつひろい見識を養えと答える。い うまでもなく、文学者として備えるべき資格、修養すベきことは、はなはだたくさんあるにち がいないけれど、見識を養うことは少なくともその中の最も必要なるものの一つである。評論家 にしても、創作家にしても、従来のような不見識では、とうてい将来の文学者として立つことは できぬので、ものを観察したり、批評したりする目を高く鋭くし、かつ自家独得の博大な識見か らものを批判し、筆を執っていくにあらざれば、新時代の文学者たる資格はないものといってよ い。しからば、いかにしたらその見識を養うことができるかというに、これは多少その人の|天稟《てんぴん》 によるべけれど、ある程度までは平生の心がけおよび修養によって養うことができるので、大な る修養はおのずから大なる見識を作りうるにちがいない。多くの経験も修養である。|精緻《せいち》な観察 も修養である。深い学問4修養である。これらはことごとく見識を養うべき修養であるが、そ のうち最も|捷径《しようけい》はひろく学問をすることで、見識なるものの多くはたしかに学問の力で作りう ることができるだろうと思う。わが国における在来の文学者には無学のものが多かった。したが って見識がない。作物もおのずから浮薄である。他人の説によってわが主張を動揺させるような 人が多かったから、その作物に真の生命がないのも無理がないので、たとえば批評にしても、観 察にしても、描写にしても、独得な、そして透徹な見地がなかったのである。ただ一概に学問が ないからだということはできないかもしれないが、とにかく見識のないということは学問がなか ったからだといういうことにその大部分は帰するので、西洋などには学問のない有名な作家も少 なくないが、これらは社会的の経歴やその他によって、学問以上の学問をしておる。たとえばゴ ルキ;のごとき人はたしかにそのひとりで、かれはさらに学校における教育を受けず、また書斎 における勉強もしなかったけれど、かれは社会をただちに大学校として人以上の勉強をし、そし てまたじゅうぶんなる見識をも養いえたのである。また、英国やフランスやドイツのごとき国に あっては、一般の国状が進歩しているために、わが国のように特殊な学校の教育は受けなくと も、普通の生活がすでに普通の教育を受けえられるような国には、学問をしない人の中にもりっ ぱな見識のある作家を出すことができるので、これらはまったくその国の文明の程度にょるので ある。社会的閲歴あるいは経験といっても、これによってじゅうぶんりっぱな見識を作りえれら るほどの閲歴や経験はなかなかひととおりではできないのだから、まずひろく学問するのが見識 を養うに最も捷径である。 (明治三十九年十一月一日『中学雑誌』)