文壇のこのごろ 夏目漱石  文壇にあらわれる諸家の作物は、つとめて読むようにしているが、このごろ読んだものの中 に、徳田秋声氏の『あらくれ』がある。 『あらくれ』はどこをつかまえてもうそらしくない。こ のうそらしくないのは、この人の作物を通じての特色だろうと思うが、世の中は苦しいとか、け がらわしいとかーけがらわしいではあたらないかもしれない、女学生などの用いることばに、 「ずいぶんね」というのがある。わたくしはそのことばをここに引用するが、つまり世の中はず いぶんなものだというような意味で、どこからどこまでうそがない。  もっとも、他の意味で「まこと」の書いてあるのとはちがう。したがって、読んでしまうと、 コこもっともです」というようなことばはすぐ出るが、「おかげさまで」ということばは出ない。 「おかげさまで」ということばは普通「おかげさまでありがとうございました」とか、 「おかげ さまで利益を得ました」とか、 「おかげさまでおもしろうございました」とかいう場合に多く用 いられるようである。わたくしのここでいう「おかげさまで」も、やはり同じような意味である ことは、断わるまでもないであろう。  どうも徳田氏の作物を読むと、いつも現実味はこれかと思わせられるが、ただそれだけで、あ りがたみが出ない。読んだあとで、感激を受けるとか、高尚な向上の道に向かわせられるとか、 何かある|慰藉《いしや》を与えられるとか、悲しい中に一種のレリーフを感ずるとか、ただの圧迫でなく、 圧迫に対する反動を感ずるような、悲しみに対する喜びというような心持ちを得させられない。 「人生とはなるほどこんなだろうと思います。あなたはよく人生を観察しえて、描写し尽くしま したね。その点においてあなたのものは極度まで行っている。これより先に、だれが書いても書 くことはできますまい」こうは言えるが、しかしただそれだけである、つまり、 「ごもっともで す」で止まっていて、それ以上に踏み出さない。  まして、人生がはたしてそこに尽きているだろうか、という疑いが起こる。読んでみると、一 応は尽きているように思われながら、どうもそれだけでは済まないような気もする。ここに一つ の不満がある、徳田氏のように、うそ一点もないように書いていても、どこかに物足りないとこ ろが出てくるのは、このためである。  他の諸家ー徳田氏ほど深く人生を見ていない人々のほうに、かえって徳田氏の作物の中に見 いだしえないほどの満足をもって、徳田氏以上の感動を読者に与えるものがあるように思われ る。  つまり、徳田氏の作物は現実そのままを書いているが、その裏にフィロソフィーがない。もっ とも、現実そのものがフィロソフィーならそれまでであるが、目の前に見せられた材料を|圧搾《あつさく》す るときは、こケいうフィロソフィーになるというような点は認めることができぬ。フィロソフィ ーがあるとしても、それはきわめて散漫である。しかしわたくしは、フィロソフィーがなければ 小説ではないというのではない。また、徳田氏自身はそういうフィロソフィーをきらっているの かもしれないが、そういうアイデアが氏の作物には欠けていることは事実である。初めからある アイデアがあって、それにあてはめていくような書き方では、不自然のものとなろうが、事実そ のままを書いて、それがあるアイデアに自然に帰着していくというようなものが、いわゆる深さ のある作物であると考える。徳田氏にはこれがない。  徳田氏の作物が、 『あらくれ』のみにはかぎらぬが、どうも書きっぱなしのように思われるの は、このためであろう。その点にいくと、武者小路氏などのほうが、意味のあるものを書いてい る。武者小路氏は若い人で、世間に対しては知識も乏しいし、自然に書けば狭い範囲より出ない し、広げれば不自然になるかもしれぬが、しかし徳田氏に見ることのできぬような、ある意味を 書いている。もっとも、それは手ぎわの問題ではない。作風の問題である。  手ぎわからいえば、徳田氏の作物には、まじめで、おちつきがあって、むだがなくて、老練で ある。どんなものを書いてもできそこないがない。しかし、徳田氏に類似した作風の人は、今の 文壇に珍しくはない。  |志賀直哉《しがなおや》氏の『|范《はん》の犯罪』は他の人には書けぬものである。さきごろ東京朝日に小説を頼んだ とき、五十回ばかり書いてよこしてくれたが、自分はどうしても主観と客観の間に立って迷って いる。どちらかに突き抜けなければ書けなくなったといって、やめてしまった。徳義上は別とし て、芸術上には忠実である。自信のある作物でなければ公にしないという信念があるためであろ う。その点にいくと、|長田幹彦《おさだみきひこ》氏などはすこぶる達筆家である。|三宅雪嶺《みやけせつれい》博士が、このごろよく 演説の頼み手があると、どこへでもすぐ出かけていって演説する。長田氏の精力的な点も、ちょ うど雪嶺博士と同じようなものである。  |有島生馬《ありしまいくま》氏は特色のある作家である。『|蝙蠣《こうもり》のごとく』などはわたくしの愛読した一つである。 この作などは、だれでも書けるというような種類のものではない。有島氏でなくてはできぬもの である。  太陽に出た北村清六と名のる人の『少年の死』も、やはり特色のあるもので、ありふれたもの ではない。今日までしじゅう繰り返されてきたような種類のものではない。しかし、作物の価値 としては、特に取りたてて賞賛するほどのものだとは思わない。  |森鴎外《もりおうがい》氏のこのごろの作物、たとえば『|栗山大膳《くりやまだいぜん》』とか『堺事件』とかいうような、昔の歴史 を取り扱ったものを、世間では高等講談などといって悪くいうが、わたくしはおもしろいものだ と考える。物そのものがおもしろいのみならず、目先が変わっているだけでもおもしろい。高等 講談などといって、一笑に付すベきものではない。もっとも、高等の文字が付いているから、必 ずしも冷笑の意味ではないというなら、それでもよい。                           (大正四年十月十一日『大阪朝日新聞』)