ホイットマンの詩について 文壇にかける平等主義の代表者  『ウォルト・ホイットマン』の詩について  革命主義を政治上に実行せんと企てたるは仏人なり。これを文学上に発揮したるは英人なり。バーンスを読むものは通観一過して、その平等論にかぶれたるを知るべし。シェレーのごときは多言をまたず0 "Prometheus Unbound"の一編これを証して余りあらん。バイロノにいたっては、満腔の不平一発して『チャイルドハロルド』となり、再発して『ドンジュアン』となり、 余憤怫々然、常にその毛孔より溢出すというも可なり。沈着にして旧慣を重んずる英国の詩人 が、従来の面目を一洗してこの思想を唱道し、中には身を挺んでてこの主義のために討ち死にせしくらいなるに、不思議なるかな、共和の政を実行し、四海同胞の教えを奉ずるアメリカにては、一人の、われは共和国の詩人なりと大呼して名のりいでたる者なし。ロングフェローは詩人なるべし、されどその思想は常に中世紀にさかのぼってアメザカの新開地にあらず。アービング は文章家ならん。しかし、その嗜好はやはり故郷におちつかずして、また欧州大陸に向か光り。これらの匹敵を英国に求めげ、たとい升をもって量るくらいはたきにもせよ、尋ねて見あたらぬというほどのことはあるまじ。その他ブーフイアントにせよ、ホーソーyにせよ、自家一流の特色を備えたるには相違ながるべきも、いかんせん合衆国という前代未聞の共和国を代表するに連したる新詩人は、とんと出現せざりしなり。しかるところ、天ここに一偉人をくだし、大いに合衆連邦のために気炎を吐かんとにや、この偉人に命じて雄大奔放の詩を作らしめ、勢いは高原を横行するバファローのごとく、声は洪濤をかすめて遠く大西洋の彼岸に達し、説くところの平等主義はシェレー、パイロンをも圧倒せんとしたるは、実に近来の一快事と言わざるべからず。  この詩人名を、ウォルト・ホイットマンといい、百姓の子なり。千八百十九年、ポーマノノクに生まる。幼にして活版屋の小僧となり、それより雑誌の編集人となり、二十歳のときニューヨークに移り、千八百五十五年はじめて"Leaves of Grass"を著わす。されど盲目千人の世の中 たるうえ旧来の詩法に拘泥せざる一種異様の風調なりしかば、これを購読する者はむろんのこと その書名をだに知る者ながりしがゆえに、出版せる千部のうち、覆瓶の災を免れたるはわずかなれど、そのわずがなる中の数冊が古道具屋の雑貨とともに英国に渡り、後年ロゼッチのSelected poems by W. Whitmanとなって現われたるは、著者のため、かつ出版者のためはなはだ賀すべきことというべし。かく米人は冷淡にも、かかる書には手をだに触れざりしが、エマーソンの 慧眼は早くもその真価を看破し、一編の書翰を送って大いに著者を祝せり。その略にいわく:: 小生はじゅうぶん貴著の価値を認識する者にどざ候。才識双方の点より観察いたし候も、わが 合衆国の書中得やすからざるの好著と存じ侯::かく雄大なる思想を有せらるる段、欣羨のいた りにたえず ・初陣のおでぎわとしては、はなはだできよろしく、まったく平素ご涵養の功、ただいまあらわれ侯儀と祝着にぞんじたてまつり候、うんぬん。思うに"Leaves of Grass" にさきだつこと二十年"Sartor Resartus"のはじめて世に出るや満天下の広きだれあってこれを理解する者ながりしに、ひとりエマーソンは書を出版者に寄せでしきりにこれを賞し、かかる論文を続々公にせんことを望めりとか。あしたには一人を取ってその尤を抜き、暮れには一人を取ってその尤を抜くとは、かかる人のことなるべし。南北戦争の起こるや、ホイットマンただちに立って軍に従い、看病卒となって戎馬の間に往来しけるが、櫛風沐雨の苦しみを閲し、肝脳塗地の惨状を目撃したるためにや、これよりいたく健康をそこない、荏冉歳月を経てついに不治の症に陥れり。集中戦争を叙したる詩あまたあり、思うに当時の実況ならん。  ホイットマンの詩に関しては世評一ならず。あるいはその詩体の一生面を開いて、前人の旧路を踏襲せざるをもってこれ韻文にあらずとそしる者あり。あるいはその肉体の快楽を叙して顧み ず、ときに卑摂に陥り、風教を害するの恐れあるをもって、いたくこれを排撃し、百方これを傷つけんとするものあり。されども、その詩法に拘泥せざるところ、劣情を写して平気なるとこ ろが、すなわちホイットマンのホイットマンたり。共和国の詩人たり。平等主義を代表するとこ ろなるべし。元来、共和国の人民に何がもっとも必要なる資格なりやと問わば、独立の精神にほ かたらずと答うるが適当なるべし。独立の精神なきときは、平等の自由のとさわぎ立つるも、ひ 4っきょう机上の空論に流れてこれを政治上に運用せんことおばつかなくヽこれを社会上に融通せ 1んことますます難がらん。人はいかにいうともかってしだい、われにはわが信ずるところあれ ば、他人のか世話はいっさい断わるなり。天上天下われを束縛ナるものはただ一の良心あるのみ と澄ましきって、険悪なる世波の中をくぐり抜け、はねまわる。これ共和国民の気風なるべし。 その共和国に生まれたるホイットマンが、おのれの言いたきことをおのれの書きたき体裁に叙 述したるは、アメジカ人に恥じざる独立の気象を示したるものにして、あっぱれ一個の快男児と も、偉丈夫とも称してよがるべし。けだし、ホイットマンあってはじめてアメリカを代表し、ア メリカあってはじめてホイットマンを産す。一フyは幽谷に生じ、剣は烈士に帰し、鬼は鉄棒を振りまわすが古来よりの約束ならば、ホイットマンの合衆国にいでたるもまた前世の約束なるべし。  さらば、ホイットマンの平和主義はいかにしてその詩中に出現するかというに、第一、かれの 詩は時間的に平等なり。次に空間的に平等なり。人間を見ること平等に山河禽獣を遇すること平 等なり。平等の二字全巻をおおうて、のこすところなし。  時間的に平等なりとは、古人において崇拝するところなく、また無上に前代をありかたかる癖なきをいう。その言いわく。古人も人間なり、われも人間なり。余は古人について学べり。うら むらくけ、古人を九原に呼び起こして余を学ばしむるあたわざるを、合衆の連邦あに古代を蔑視 せんや。その功績を認識するにおいては、あえて人に遅れざるを期する者なりと。しばらく固結を転じて他の詩人の思想をうかがい、ホイットマンのこの言と比較するときは、その差ただに三舎のみにあらざるを見る。華麗なる甲冑を着け、大いなる剣をぶらさげ、くりげの馬に乗って、しこうして美人の前に試合をせざれば詩中の人物にあらずと思えるスコ?\トはいかん。少女はnymphと名づけざるべからず。朝はauroraと呼ばざるべからず。晩はnesper と唱えざるべ からず。原野のけしきには必ず羊飼いを出し、英国はずいぶん気候の寒き国がらなれど、そこはぜひ南方大陸をまねて草頭樹下必ず寒風に吹きさらされて笛を吹かねばならぬとかってな制限を立てたるポープー派の詩人はいかん、バイロy、シェレーは革命の詩人なり。されども、十九世紀を改良し、数百年来の旧弊を一掃したるうえにギジシ″古代の分子を注入せざれば、その理想を満足せしむるあたわざらん。かれらをしてホイットマンを見せしめげ、また必ず愕然としてその放胆なるを怪しまん。けだし、ホイットマンは封建時代の詩人にあらず、classicismの詩人にあらず、ギリシャ風を恋う詩人にあらず、その歌うところは過去にあらずして現在にあり。これ過去をいやしむにあらず、ただこれを尊奉せざればなり。望みを未来に嘱するものなり。これ現在に不満なるにあらず、世界の大勢は古今を一貫し、前後を通徹して円満の域に進行すればな   Poets to come! orators, singers, musicians to come!    Not to-day is to justify me and answer what I am for,    But you, a new brood, native, athletic, continental, greater than before known,    Arouse! for you must justify me.  この大世界、なんとて不浄のあらざるべき。ただこの不浄中円満の種子を含むとは、ホイットマンがSong of the Universal"中に述べたる言なり。この一言にても、その一種の進化論をいだいて科学的の世界観を有せるを証するに足れど、もしそのWith Antecedents"を読むときは、その主義いっそうめいりょうなりとす。その詩にいわく、わが今日あるは皆祖先のたまもの、過去の報いなり。エジプト、インド、ギリシャ、ローマ皆吾人をしてこの域に遠せしめたるものなり。ケルト、スカyジネービアy、サクソン、アーフビア人、皆今日の境界を補益したる者なり。航海、法律、工業、戦争、詩人、ト 者、どれいの売買、十字軍の遠征、僧侶、旧大陸、列国の興廃、宗教の盛衰皆あずかって力あらざるなし::余は百般の思想を有し、百般の事物を信ず。唯物論も真ならん、唯心論も偽と言わじ::過去はかくのどとくならざるべからざるがゆえに、かくのどとし。現在もしからざるべからざる理由あってしかり::過去は広大なり、未来もまた広大ならん。奇なるかな、この広大なる過去と未来とは、現世一代にせばまるゆえに、われらいずこの果てに生息するとも、その生息するところすなわち万民の中心なり。百代の中心なりと・かのサーフミスの巌頭に箕坐して。ror Lrreece a blush—for Greece a tear"と叫び、世のあじけなきを嘆じてuut or tne day and night/A joy has taken flight"と悲しんだる詩人ら 浮き世を観ずることホイットマンのどと色あたわず。四民同権の主義実行し難色を憤り、一は白 眼嫉視のつむじ曲がりとなり、あらゆる厭世の分子を一身に引き受け、『ドyジュアy』を公にし て天下を愚弄し、余憤漏らすところなくついに南欧に客死し一は"Prometheus Unbound"を作って望みを後世に嘱したりとい丸ども、かれ三十年の生涯を三分して、一分は読書世界に没し、一分は空想世界に住し、残る一分をあげては醜悪ふらちの世界にゆだね不幸薄命を悲しんで客土におぼれぬ。このふたり説くところの主義、ホイットマンをさること遠からず、しかるにその世 界観なんとてかくのどとく異なるや。居気を移すがためか、養体を移すがためか、そもそも天稟 の気質に強弱あるがためか、時の先後人心に感ずることこのごとくはなはだしきか、余はただバイロンの厭世主義を悲しんで、ホイットマンの楽天赦を壮とするのみ。またその『へーゲル』を読んで、    Roaming in thought over the Universe, I saw the little that is Good steadily has-   tening towards immortality,    And the vast all that is call'd Evil I saw hastening tn merge itself and become lost   and dead. と詠じいだせるをよみするものなり。  空間的に平等なりとは、場所によって好悪を異にするこえなく、アフリカの砂漠もロンドンの繁華も皆同等の権利を有して、その詩中に出現しきたるをいう。もちろん、ホイットマンはしき りに自国を称揚し、合衆共和国の文字常にその唇頭を離れざるがどとくなれど屯、こは頑階たる文盲漢のむやみにおのれに誇って非を顧みざる執拗心と同一視すべきにあらず。アメリカの四字絶えず詩上にはいりくるも、その故郷なるがためにあらず。財源富附旧大陸の向こうを張るがた めにあらず。殖産の利興業の隆宇内を圧するがためにあらず。ただ建国の風その奉ずるところの主義と相近く、制度文物またその理想に遠からざればなり。ただし、近しといい、遠からずというは、いまだまったくその理想を満足せしめざるの謂にして、詩人みずからもかつてニューヨークの紅塵中を徘徊して、人間の下等なるに驚きしくらいなれど、つらつら観ずれば、無限の歳月は無限の歳月を迎えて世事流水のどとく、ゆく者はまたかえらず、来たる者はしばらくもとどまらず、転変無常の理を示す中におのずから一定不変の規律ありて、世界の大勢は日に日に悪より善に移り、酸より美におもむき、圧制主義より自由主義にうつるを看破せしとたん、自国の政体を見れば共和なり、その制度を見れば平等なりしかば、これこそ今後福徳円満の極境に達すべき 世界の通路ならんと自信し、すなわちアメジカという四宇の呪文を唱えて一世を切りなびけんと 欲したるなり。    I heard that you ask'd for something to prove this puzzle the New World,    A乱to define America, her athletic Democracy,    Therefore I send you my poems that you behold in them what you wanted. というが精神なれば、けっして他国を度外視したるにあらず。独仏伊西はおろか、遠く海山を隔てたる支那にせよ、日本にせよ、わがアメリカ大のごとく親愛すべき人物は幾多もあらん。この人人と同胞のまじわりを締して、互いに往来するをえば、その幸いかんぞやとみずからその詩中に明言せしを見ても、その意は瞭然たらん。さるにても、ドクイyセーが8onfession"中に、われもしやむをえざることのために故郷なる英国を捨てて支那または支那ふうの生活をなすところに移住する段にならば、嫌悪のあまり必ず発狂すべしとしるしかけるは、なんたる狭量ぞや。この男をして一介の詩人ながら歌うところはWorld Democratic"なり"the world en-masse"なりと名のりいでたるホイットマンにまみ丸しめざりしこそ残念のいたりなれ。  ホイットマンは共和国の詩人なり。共和国に門閥なく、上下なく、華士族新平民の区別なし。 貧富なにものそと問わば、これaccidentのみと答丸ん。黄白の礦塊ある機会によりがれを去ってここに付着したるのみと言わん。地位何者そと問わば、一片の肩書き甲より飛びきたって乙に 落ちたるのみと言わん。組紳は虎皮に座し、匹夫は敵抱をまとうも、虎皮を取り上げて敞抱を脱 ぎ替えさえすれば、両者の地を替うること朝夕を待たざるべし、大統領に面会するに非礼の挙 動あるべからずとすれば、巧者に対しても相当のあいさつなかるべからず。人間という点より観 察すれば、金殿玉楼の客屠肆鼓刀の人とわれにおいてなんぞ選ばん。すべて形体上の懸隔によって人間の取り扱いに階級を設くるは、ホイットマンの大いにふらちとするところなり。さればと て、横目竪鼻の動物なれば、ことごとく一様なりというにあらず。ただその差違は身外を囲続す る所有物にあらずして、他人の奪うべからざる身体なり、精神なりに存するというのみ。長幹緑 借これを有する者が、土方にせょ、学者にせよ、ホイットマンのこれを嘆賞するはーなり。明眸皓歯これを美なりとせば、閑人にあっても美なり、青衣にあっても等しく美なり。知は不知にま さり、徳は不徳にまさる。ホイットマンはあきらかにこれを認識するものなり。これを認識すると同時に、表面上の尺度を撒去せんと欲するものなり。族籍に貴賤なく、貧富に貴賤なく、これあらばただ人間たるの点において存す。これホイットマンの主義なり。  空言は実行にしかず、"How beeerarlv aooear arguments before a defiant deed!"家庭は大道にしかず、一家に恋々たる者はタニシのわび住まいを喜ぶがごとく、カタツムジの宅を負うてのたりのたりたるがごとく、カキの口堅く閉ざして生涯蒼海を知らざるがごとし。この世界は競争の世界なり。安逸して人に遅るるなかれ。立て、立って働け、倒るるまで働け、旅に病まば夢に枯れ野を駆けまわれ。勝利を説くなかれ。一戦わずかにやむは、大戦まさにきたらんとするの徴なり。銭なきを恨むな、衣食足らざるを嘆くな。大敵と見て恐るるな、味方少なしとてあやぶむな。知をみがくけ学校なり。これを試みんとならば、大道にいでよ。われ無形の知者を証するあたわざるも、知おのずからこれを証せん。思いを哲理にひそめ、深く宗教をきわめ、講堂に立っ てその真理なるを説くとも、なんの益あらん。白雲の下激温のかたわら無辺の天然界におどりい でて、その真なるを証明せよ。       Have the elder races halted ?    1JO they droop and end their lesson, wearied over there beyond the seas?   We take up the task eternal and the burden and the lesson,       Pioneers ! O pioneers !  ホイットマンの処世の方法おおむねかくのどとし。この方法に従って生活を送るものは、ホイットマンの気に入るものなり。必ずしも長幼の序を論ぜず。男女の性を問わず、かくその愛に偏するところなく、その情の傾くところなければ、一種の人物を描出してこれを崇拝するなどとは、かれの夢にだも見ざるところなり。ゆえに、その詩を読めば種々雑多の入開放然として入りきたり、忽然として澄し去ることあたかも走馬灯の回転して瞬時も止まざるがごとし、相人を一幅中に収め、そのうち、ただまんなかの一人に金色の毫光を着くるが画家の慣手段なれど、余は無数の頭を描いてあらゆる善男善女より永代不滅の毫光を放たしめんとすと言いしは、みずからおのれをたと丸てはなはだ巧みなるものというべし。されば、そのj\ Song of Joys"を見てもまず土木家の快楽を叙し、次に馬乗りの快楽に移り、転じて消防夫の楽しみとなり、剣術使い の楽しみとなり、捕鯨者の楽しみとなり、坑夫兵卒の豪飲健啖の楽しみょり進んで至大なる精神 の快楽に入り、終わりに死亡の楽しみを述べr The beautiful touch of Deathと称して、ついにその局を結べり。もとより雅俗高下の差別はなく、見る者聞く者ことごとくその詩料にいけどらるるしだいなれば、漢人のいわゆる風流、邦人の唱うる都雅の思想などは、一棒に抹殺して顧慮するところなく、教育を受けたる上等社会にのみ行なわるるテニソンなどの詩と比較するとき は、実に天地の差というべし。かく平等の取り扱いをなすこと、人間にかぎるかと思えばさにあらず。人外の事物もまた一様の権利をもってその詩中を往来す。入り替わり立ち替わり。ゆえ に今水禽の虚空に飛翔するさまを叙するかと思えば、たちまち若宮水に映ずるけしきとなり、列邦の旗族晩風に翻って落日に輝くなどと唐詩めきたる言を発する。その次に製造所の煙突より石 炭の煙が黒々と立ち上るなどと、わが朝の思想にては俗気鼻をつくほどのことをこともなげに言い放つは、奇といゲのほかなし。詩人みずからもこれを詠じていわく、わが詩を見よ、輪船あって詩中を横行し、一方に東海あり、一方に西海ありて、潮流わが詩上に進退し、宗あり、舟あ り、村落あって余が詩嚢をぢ彫す。その他牧場あり、森林あり、都会あり。この都会に社鉄製の 家もあり、石造の屋もあり、貿易は不断に繁盛し、車馬は日夜に絡祥たり。しかのみならず蒸気活版所あり、電信機あり、鉄道は汽笛を鳴らして走り、坑夫は金を掘り、百姓は畑を耕し、職人はべyチに腰を掛けて家業に暇なし。この半天社会より裁判官いで、哲学者いで、大統領いずと、あたかも手術使いの口上のごとし。  ホイットマンはテニソンのどとく義理の精神を鼓舞し、自重克己の風を養って社会の秩序を保たんと欲する者にあらず。また、ウォーズウォースのごとく退いて生を山林に寄せ、眼目潜心し て天地の霊気と冥合し、もって天賦の徳性を涵養せんとする者にあらず。中古任侠の風を写し、 然諾を重んずるの気象を奨励して、世道を維持せんと欲することスコ″トに及ばず。忠臣孝子節婦義僕を写して一世を感泣せしむること日本支那の詩人に及ばず。しからば、かれ何をもってこの個々独立の人と連合し、各自不振の民を連結して衝突の憂いを絶たんとするそと問わば、おのれホイットマンに代わって答丸ん。別に手数のかかる道具を用うるにおよばず。ただ "manly                                                                                 はS-&4love of comrades" ・&れば足れりと。けだし西洋にて愛の宇の普通なることはおのが和歌俳諧に て物のあわれとか情けとかいうと同じく、詩人中一人としてこの宇を使わざる者はあるまじく、なかんずくテニソyのどときはIn Memoriam"の冒頭に、    Strong son of God, immortal Love,    Whom we, that have not seen thy face,    By faith, and faith alone, embrace,    Believing where we cannot prove; といい、コレリッジは、    All thoughts, all passions, all delights,    Whatever stirs this mortal frame,    All are but ministers of '.[/ove,    And feed his sacred flame. と言いたるくらいたれば、今ホイットマンが愛の宇を用いたりとて、あながち怪しむに足らねどmanly love of comr乱esという斬新なる言を使いたるは、詩人あってより以来はじめて なるべく、ただこの一新熟語を敷行すれば " Calamus"の全編をおおうに足り、しこうして  Calamus"を敷行すればまた全集をおおうに足るくらいなるゆえ、この一語なかなか軽率に看過すぺからず。もともとCalamusとはアメリカに産する草の名なるが、ホイットマンこれを取って友愛の記章となし、愛に関する数十首を収めてー編となし、かむらすにこの草名をもってしたるなり。この編を通観するときは、まことに作者の愛情の純潔にして寸毫も脂粉の体なく、実 にmanlyの名にそむかざるを見る。けだし、ホイットマンは社会的の人物なり(俗物の謂にあ らず)。みずから社会の一分子となり、天下の公衆を助け、また天下の公衆に助けられんことをねがう者なり。ゆ丸に、そのもっとも意を傾くるところのものは、山水花鳥にあらず、紅灯緑酒にあらず、キジギジスの音十五夜の月にあらずして、やはりおのれと同類の人間にあり。され ぱ、この編にては第一に人間交際の精神上に必要なるを説き、次にすべての哲学の基礎はこの種の愛にほがならざるを論じていねく、余はギリシャ、ドイツ等古今の哲学を講究せり。カyト、フィビテ、シェリyグ、へーゲルを読み、プーフトーに入り、プフトーより大なるソクーフテスをも きわめ、ソクーフテスより大なるクーフイストをも研鍵せり。しかし、ソクーフテスの裏クーフイストの 中に伏する者は、人と人との愛、友と友との愛、夫と婦との愛、親と子の愛、市と市との愛、国と国との愛にすぎずと。愛には相手なかるべからず。相手なきの愛は、軟風おもむろに吹いて春風の応ぜざるがどとし。ゆえにいわく、かつてルイシヤナを通りしに野中に一本のカシあり、その古幹天をかすめてほしいままに蜻屈するを見て、そぞろにわが身の上になぞらえしが、=ケのつきたる枝を動かしてただぴとり風に吟ずるさまのさもここちよげなるに気がつけば、不審の念やみがたし。つらつら考うれば、知己なく、朋友なきに、おのれひとり愉快の声をあげんこと余にあっては思いもよらずと。かかる人の親友を求むるにせつなるは言うまでもなし。「名目海に震い、功一世をおおうという英雄もうらやましからず。大統領の栄誉も、奇楼傑閣の富もうら やましからず。うらやましきは締契の士危雑報苦を経てまじわりも変ぜず、少より壮にいたり、 壮より老にいたり、老より死にいたって信義に変わるところなきにあり。かかる人を見もし、聞 きもするときは、嫉妬の念禁じがたし」と嘆じ、また「筆を執ってなにごとをか書かん。真帆に風をはらんで沿海を走る軍艦を詠ぜんか、古代隆盛のさまを写さんか、今夜の光景にせんか、はた余が周囲を包む大都の繁華を叙せんか。やむべし、やむべし、ただやまんと欲してやむあたわざごは、今日群集の中にて見たる二客の尉鴉なり。別るるとき、送る者は行人の肩によってこれに接吻し、行く者は手を伸べてとどまる人を擁せり」と賞せり。かく訳しいだせば、かれもこれも訳したくなれど、さようはいかねば、終わりに原詩一首を載せて、余は預かりおくなり。原詩にいわく、    Oyou whom 1 often and silently come where you are that I may be with you,    /vs l walk by your side or sit near, or remain in the same room with you.    Little you know二he subtle electric fire that for your sake is playing within me.  この境界を知らぬ者は、ホイットマンの詩を理解するあたわざる者なり。ついでに言わん。この原作はあえて女性に関して詠出せるものにあらず。女を恋うて男を愛せずなどというは、ホイットマンの主義に反するものなり。  人は愛情を待って結合し、これを待゛って進化し、これを待って円満の境界にいたるとはホイッ トマyの持説なり。しからば、その愛情の発するところはというと、まったく霊魂の作用なり。 余は何がゆ丸に憐愛の情を起こすや。人間わがかたわらにあるときは、血脈何がゆえに膨張し、かれらの去るときはまた何がゆ丸に悄然自失するがごとくなるやと自問を提出して自答を得んと欲するは、まったく霊気の忿涌して浸出するに異ならず。ゆ丸に、愛情の扁絆よく不扁の民を制し、鞭穏してこれを疾駆せざるも、みずから天下の大勢に従って善美の方向に進行するなり。 されば、宇宙の歴史はまったく霊魂の歴史なり。ただし、霊魂に形なし。ゆ丸に、形体を有せる事物を借って世界に出現す。ホイットマンは霊魂説を説く者なり。霊魂に形なし。ゆえに、形体を有せる事物を借ってこれを詩に詠ず。その言にいわく。    I will make the poems of materials, for I think they are to be the most spiritual    poems,    And I will make the poems of my body and of mortality,    For I think I shall then supply myself with the poems of my soul and of immortality.霊魂の進行するや宗教もこれを避け、技芸もこれを避け、政府もこれを遍く。他物の進行は皆まねどとなり。記号のみひとり霊魂は進んで止まるところを知らず。常在にして減することなし。 その之くやいずこに之くを知らず。最善に向かって行くのみ。これをホイットマンの霊魂説となナ。ゆえに、ホイットマンは形質上の開化を喜んで精神上の発達にむとんじゃくなるものにあらず。肉体のみ知ってほしいままに劣情を写す者にあらず。すでに死をもって快楽の一に数え、魂 は冥漠に帰し、屍は化して長く下界の用をなさんといい、またHow the floridness of the materials of cities shrivels before a man's or woman's look!と言えるくらいなれど、なお下に訳出する一編を読まぱ、その愛ますます明らかならん。その詩にいわく(ただし、訳は詩にあ らず。以上ことどとくしがり)、「通邑大部とはいがなるところぞ。埠頭長く突出して船渠深く、 製造盛んにして百貨幅湊するの地か、大厦高楼蔓を並べ、五州の物産ことごとく集まるの地か、 蔵書むねに満ち岸序の教え行き渡るの地か、これらのものいまだ大都をなすに足らず。大都とは、壮快なる弁士と、雄大なる詩人の生息するところなり。この弁士と詩人とは広く公衆を愛し、公衆はまたがれらを敬愛し、かれらを理解するところなり。個人のために記念碑を建てず。これを建つれば必ず公共の事業と公共の文字を尉す。これ大都のあるところなり。人は経済に長じ、先見の明あって、無謀の行を慎む。これ大都のあるところなり。市に奴隷なく、奴隷あれどもこれを使役する者なく、男女重きを法律に置かず。これ大都のあるところなり。その他の要件をあ ぐれば、公民は常に首たり。市長役人は単に傭人たるのところなり。外部の制裁良心の制裁にさきだってくることなきところなり。公平の実行せらるところなり。霊魂上の研究を奨励するところなり。女子は行列を組んで市中を練り行くこと男子のどとくせざるべからざるのところなり。女子も公会に出入し、男子とともに列座せざるべからざるところなり。朋友は信義を重んじ、男女に醜行なく、父は丈夫に、母は健康なるところなり」これけだしホイットマンが理想上の国ならん。この条件中には、一千年来儒教の空気を呼吸して生活したるわれわれより見れば、少しも感心しがたき点もあり。ことに、女子の行列うんぬんにいたっては、聞くもおかしき話ながら、国体の異なるアメリカに生長したる詩人ゆ丸自然その理想のある点においては東洋主義と衝突するを免れざらん。とにかく、その形質上の進歩よりも精神の進歩を重んじたるは歴然としで疑うべくもあらず。  余は以上に述べたるところをもって満足なりとする者にあらず。ホイットマンの精神を発揮し て余薙なしというものにあらざれど、その懐抱せる主義のだいたいを解剖したるにおいては、あ 丸て糾潔なきを信ずる者なり。けだし、その博愛説はこれをキジストに得、霊魂進化の説はこれをヘーゲルに得たるに似たり。因果の大法を信じ、共和をもって最良の政体となすにいたって は、別に科学的の眼光あり、尋常一般のョー序にあらざるを見る。その知らんと欲するところは、人と人との関係なり、人と物との関係なり。向後科学ますます開けて人を植物を察するの方向一変して、未聞の新思想現わるるにいたらば、詩人の歌うところまた必ずー変せん。これホイットマンがJVfter the chemist, geologist, ethnologist, finally shall come the poet worthyof that name; the true son of(jod shall come singing his song"と言丸るゆ丸んなり。  レスジー・スチーヴyかつてウォーズウォースの道徳を論じて思えらく、詩人は哲学者なり。哲学者にあって考うるところのものは詩人これを感じ、哲学者にあって論ずるところのものは詩人これを悟る。一は論理によって系統を立て、一は記号を用いて世界を説明す。帰着するところ は同じくして、採るところの法は異なり。鴻天首に飛ぶ、超人はもって苑となし、楚人はもって鴎となす。詩人は超人にして、哲学者は楚人なるべし、夏山の形右より見れば峰となり、左より 見れば恒となる。詩人は右より望むもの、哲学者は左よりながむるものならんと。両者の関係はたしてかくのどとくなるか。余はこの疑案を断定せんとするものにあらず。また、断定せんと欲してあたわざるものながら、その説を取ってマコーレーの詩論と比較するときは、高尚なることけだし数等の上にあらん。今かりに、スチーヴy的の読詩眼をもって、"Leaves of Grass"を 通読するときは、作者はこれ宛然たる一個の好詩人なるべし。けだし、その文学史上に占むべき地位にいたっては、百世ののちおのずから定論あり。余のどとき外国人がいらざる品評を試むるの要なきなり。ただし、ここに述べたるはその詩上の出現せる主義、人となり、他の詩人と異な るゆえん等にすぎず。それすら品評の月旦のというわけにあらず。おおざっぱいにこ九を解剖し て排列してみたというくらいなことなり。ついでに記す。この編はもとより倉卒の際になりしものゆえ、むろん諸家を商量するのいとまはなかりしかど、舶載の書に乏しきをもって参考せんと欲して参考するあたわざりしものもまた少なからずSpecimen Days and Collect"のごとき、ロゼ″チの詩選のどとき、バ″クの伝のどとき、皆読まんと欲して手に入らざりしものなり。さ いわいにダウデンの論文を見ることをえて、稿を草するの際稗益を受けたること多し。 (明治二十五年十月五日『哲学雑誌』)