足にさわった女 澤田撫松(1871〜1927) 一  かゞめていた足を、少しばかり伸ばしたと思うと、足の先に、ふうわりと、柔かい、 温かい、肉体が触った。  汽車に乗る時、窓から風に吹き込まれることの嫌いな私は、客車の中で、前の端に陣 取ることにきめていた。其所《そこ》にさえ座席を取っていれば、窓を開けようと閉めようと、 自分の思う様になるからであった。午後一時に上野を出た青森急行に乗った私は、二等 がすいていたので、広い座席を取っていた。それをよいことにして、白石あたりから、 横になると、足を長々と伸ばして眠《ね》た。 「すみませんが、一人かけさしてあげてください」  列車ボーイに揺り起された時は、寝入端《ねいりばな》であったから、夢中で足を屈めた。そこへ何 人が腰を下したか、無論知るはずがない。然《しか》し、今、足の先に触った肉体の様子では、 どうも女らしいので、私はハッと思った。その時、汽車が止まって、小牛田《こごだ》小牛田とい う声が、窓の外に聞えた。起きあがって、肉体の主を見ようかとも思ったが、相手が眼 でも開いていると、おかしなもんだから、そのま丶うとうとしていると、又も温かい、 柔かい、肉体が触った。今度は、相手が足を伸ばしたので、私の裾《すそ》へ侵入したものらし い。私は思わず起きあがった。頭を七三にした若い女が、お召のコートで顔を半分かく して寝ているのが直《す》ぐ眼につくと肉体の主はこれだなと思った。予期以上に艶な寝姿を 見せつけられたので、櫟《くす》ぐったい様な気がした。  一度起きあがった為め、再び横になるのに困難を感じた。前と同じ様に、肉体の主の 方を足にして寝ようものなら、足と足と接触する虞《おそ》れがあるし、それかといって、女の 足の方を頭にして寝る訳にも行かないので、一寸《ちよつと》困ったが、仕方なしに、空気枕を窓に あて、胡坐《あぐら》をかいて居眠りをすることにした。 「尻内、尻内」  眠そうな声が窓のそとにした。眠りきれなかった私の耳にそれが這入《はい》ると腕時計を眺 めた。四時二十分だから、あと二時間で青森へ着くのだと思うともう眠る気になれなか った。脱いでいた足袋《たび》をはいたり、空気枕の空気を出したりして、下車する用意にか丶 った。身につける物はつけ、鞄《かばん》に入れる物は入れ、総ての仕度が出来てから洗面室へ這 入った。顔を洗ってから扉を開けると、目の覚めるほど美しい女が其所に立っていた。 「お先……」  声をかけて私が出ると、女は笑顔を見せながら洗面室ヘ這入った。座席に戻ると、隣 は空席になっていたので、今の女が肉体の主であることが分った。夜中に寝姿を見た時 でさえも、その美しさに引きつけられる様な気がしていたのに、目前《まのあたり》妖艶極まる笑顔を 見せられると、何だか電気にでも打たれた様な気持がした。 「青森まではもう停車しないのでしょうか」  洗面室で化粧をして来た女は、私の方を向いて、こうした事を尋ねた。その顔は、洗 面室へ這入る前とは一層美しくなっていた。その汽車は急行で、尻内から青森までの間 には停車しないのだから、次ぎで止まれば青森だと言うことを答えると、 「マア、眠てる間に来た様な気がします」  女はこんな事をいいながら、化粧道具をオペラバッグの中へ入れていた。間もなく青 森駅へ着くと、 「誠にすみませんが、これを一つ持ってくださいませんでしょうか」  オペラバッグと洋傘《パラソル》とを右の手に持って左の手に鞄を提げていた女は、今一つの風呂 敷包を持ってくれと私に頼んだ。私は小さな鞄を提げているだけであったから、いわれ るま丶に風呂敷包を持った。多くの人に押されながら改札口を出ると、女は私の側に寄 り添って、連絡船に乗るかと聞くから、矢張り北海道へ行くのだといったら、 「では御迷惑でしょうが御一緒に……」  こういいながら、女は船乗場の方へ歩いた。風呂敷包を持たされているのと、相手が 美しい女であるのとで、私はいやともいわずについて行った。 二  私と女の乗込んだ連絡船の一等室は二人きりであった。一等室はいくつにも室が切れ ているのだから、外の室には人がいたかも知れぬが、私等のいる室には二人の外に乗客 はいなかった。汽車の中では、眠っている時間が多かったのと、ほかに乗客があったの とで、女と口を利く機会が尠《すくな》かったが、船へ移ってからは、もう路連れになっていたの と、ほかに乗客がないのと、今一ツ、足の接触の記憶とが、一面識という隔てを取払っ て、互に親しい口を利く様になっていた。 「北海道はどちらへいらっしゃるんです」  女は、金紗《きんしや》の着物の裾から、燃立つ様な緋縮緬《ひぢりめん》の蹴出《けだ》しをちらりと見せて艶《なま》めかしい 視線を投げた。 「北海道という所を、見て歩こうと思っているのですから、網走《あばしり》へも根室へも、稚内《わつかない》へ も行って見ようと思います」  こういいながら、私は相手の女を、今更の如く眺めた。女の妖艶なことは、繰返すま でもないが、年齢《とし》は何歳《いくつ》であろうか、見たところ二十一二としか見えないけれど、美し さで年齢をかくしていそうだから、ほんとうは二十五六か、ことによれば二十七八にな っているかも知れない。そうした年輩《としごろ》の女が、こういう派手な若々しい姿《なり》をしているの は何者であろう。女優か芸者か妾か旅芸人か、ともかく堅気の女でないことは明かだ。 然《しか》し、そうした種類の女にしては、どことなく品があり、艶めかしいうちに侵し難い威 厳のあるのが不思議だ。一体何者であろう。私はそれが知りたかったので、 「あなたは、北海道へ、おいでになるのですか、それとも、お帰りになるのですか」  こういって、相手の口振を窺《うかご》うた。 「そうですね、行くといえば行く、帰るといえば帰る、どちらともいえますわ」  女の言葉は曖昧であったが、何となく調子が沈んでいた。 「では、御良人《こしゆじん》は北海道においでになるのじゃないのですか」  私は更に追撃したが、それがあまりに短兵急《たんべいきゆう》であったので、女は巧に外した。 「御串戯《ごじようだん》もんですよ、私の様子を御覧になったって、そんな者があるかないか分るじ ゃありませんか」  意外にも、女は伝法な言葉づかいをした。相手がこうくだけて来ると、此方も話がし よいので、今一歩話を進めようとしたが、女の眼に嶮《けん》があって、どことなしに侵し難い 威厳があるので伝法な言葉に調子を合わすことを躊躇した。 「函館へ着いてから、どうなさいます、直ぐ汽車にお乗りになりますか」  今度は、言葉づかいが慇懃《いんぎん》だ。 「急ぐ旅でもなし、それに疲れてもいますから、湯の川の温泉で、一晩骨休めをしよう と思っています」  私も、丁寧な言葉を使った。 「い丶わね、じゃ私もそうするわ、同行二人ていうことにしてくださいね、かまわない でしょう」  女の態度は又変った。色っぽい目つきでじろりと眺めて、莞爾《につこり》笑った。 「私はかまいませんが……」  変化の烈しい女の態度は、どんなふうに遇《あしら》ってよいか、てんで見当がつかなかったの で、私も瞹昧な返事をした。 「まあよかった、嫌われなかったから。ではお願いいたします」、  此方は返事を曖昧にして置いたつもりだったのに、女の方では、私が承知したものと 決めてしまっていた。そうしている中に船が函館に着いて、桟橋から函館駅の構内へ来 ると、 「私、預けますわ、持って歩くのは面倒だから」  女は自分の提げていた鞄と、私に持たしていた風呂敷包とを、駅へ一時預けに預けた。 そして身軽になると、駅前の自動車を呼んで、湯の川へ行くことを命じていた。私は北 海道が始めてであるし、女は勝手を知っている様子であったから、万事女任せにして置 いた。 「一番静かな宿屋へ着けてくださいL  運転手に、女がこういっているところを見ると、湯の川の方は勝手を知らぬらしい、 事々に得体の知れぬ女だと思った。こんな得体の知れぬ女と、路連れになってもよいの かという、多少の不安はないではなかったが、狙われる様な大金も持っていないし、女 にたらし込まれる様なおぼっちゃんでもなし、女に因縁をつけられる様な地位のある身 分でもないから、此方から逃げ出すこともなかろうと思って、女のいうま丶に従うてい た。 三  軈《やが》て自動車の横づけされたのはニコ/\館という温泉宿で、通された二階の八畳は建 ったばかりの新らしい座敷であった。始めは別々の座敷で泊るつもりでいたのだが宿屋 の方で夫婦者扱いにするのと、女がそれをよいことにして、女房らしい態度をしている もんだから、今更途中で路連れになった者だともいえず、仕方なしに、同じ座敷に落ち つくことにした。 「直ぐ御飯の仕度をいたしましょうか、それともお湯を先になさいますか」  女中にこういわれて昼飯も早く食いたかったけれど、湯に入ってからの方が気持がよ いと思って食事は湯からあがってからの事にした。そういっている間に、女はもう湯に 行くつもりで手拭《てぬぐい》を提げていた。 「御大切の物は、お帳場の方でお預かりをいたしますから」  女の脱いだコートをた丶んでいた女中はこうしたことをいっていた。 「では、これをお願いします」  オペラバッグを女中に渡しながら、女が私の方へ顔を向けると、 「あなたも預かってお貰いなさいね」  自分と同じ様に、大事な物を預けよといった。なるほど、素姓の知れない者同士が、 一つ座敷で泊るのだから、そうした方がお互いに安心だと思ったので、私も紙入を女中 に渡した。女は一緒に行こうといったけれど、並んで行くのもきまりが悪いから、女を 先へやって、湯からあがって来そうなころに、私は出かけて行った。もう着物を着て、 髪でも直しているのであろうと思っていたのに、そうではなかった。浴室の硝子《ガラス》戸を開 けて中へ這入ると、白雲|靉靆《あいたい》の中に女神を眺める様に、身に一糸を纏《まと》わない、白い女の 立姿を見たのであった。ハッと思って立ち竦《すく》むと、白い肌は緋縮緬の長襦袢に包まれ、 あでやかな女の笑顔は此方を向いたのであった。 「待っていても、いらっしゃらないから、私、もうあがってしまったの」  女は、まるで十七八の処女の様な嬌態《しな》をして着物を着た。女の出て行ってしまった後 で、のんびりした気持になって私は湯に入ることが出来た。 「早くあがっていらっしゃい」  硝子戸の外で、女の若々しい声がしたと思うと、スリッパの音が、廊下へ消えて行っ た。  浴槽の角へ躯《からだ》をやって両手で框《かまち》を握り、足を伸ばすと、全身が湯の上へ浮きあがる。 私はそんな事をしながら昨日からの出来事を考えると、狐にでも魅《ばか》されているのではな いかとも思った。震い附くほど美しい女の路連れが出来て、その女がまるで自分の情婦《いろ》 の様に馴々《なれなれ》しい態度を見せるばかりでなく外に客もなさ相な静かな温泉宿で泊ろうとい うのだから、話があまりにうますぎる。明朝《あす》の朝目が覚めた時、田圃《たんぼ》の中にでも寝てい るのではないかと想うと、気持のよいこの温泉も、ことによると肥壺《こえつぼ》かも知れないと、 湯の匂いを嗅いで見たりした。そんなことを考えていたので、長湯をしたと見え、体が |火照《ほて》るほど熱くなったから、湯からあがって、着物を着ると、自分の座敷へ戻って来た。 鏡台が縁側の方に向けてあるから、化粧をしていたには違いないが、女の姿は見えない。 どうしたのかと思いながら、女の戻って来るのを待っていると、女は帰らないで、宿屋 の女中が出て来た。 「御飯の仕度が出来ておりますが、奥様のお帰りになってからに致しましょうか」  女を奥様扱いにしているのが可笑《おか》しかったが、お帰りになってからというのが腑に落 ちなかった。便所へでも行っているのだと思っていたのに、女中にそういわれると一寸 気になる。 「どこかへ行きましたか」  いきおい斯《こ》うした事を問わねばならなかった。女中のいうところによると、女は買物 に行くといって、預けて置いたオペラバッグを受取る時、旦那のもと、私の紙入も一緒 に持って出たというのであった。  さてはと思った。女は狐でも狸でもなく道中荒す大正の護摩《ごま》の灰だと分ると、余りの 馬鹿々々しさに、腹を立てることも出来なかった。元々こういうことを、予期しないで はなかったのだから、女に金を持って行かれたところで、騒ぎ立てることもない、今更、 女を護摩の灰だといって騒ごうものなら、自分の恥晒《はじさら》しになるし、またあ丶いう美しい 女を罪に落すのも可哀そうだと思ったので、私は女を女房らしく見せかけていた。 「函館に親戚があるので、そこへでも行ったのだろうから、帰りは遅くなろうも知れ ん」  こんな体裁を作って、淋しく、一人で飯を食った。女が、鞄と風呂敷包を函館駅に一 時預けをしたから、駅へ行って、それを受取ったかどうかを調べて見ようかとも考えた が、荷物を駅へ預けたのも、オペラバッグを帳場へ預けたのも、始めから仕組んでか丶 った事だもの、直ぐ足のつく様なへまもしていまいと思って、調べることは一切やめた。 四  女に金を持って行かれたけれど、函館にも札幌にも友人がいるから、旅費はどこから でも借れるので、金のことは心配しなかった。けれども、今まで側にいて、私の心持を 明るくしてくれた女が、俄《にわか》に消えてしまったので、その方がよっぽど私の心を暗くした。 始めから一人であったのなら、それほど淋しいとも思わないのだが、生半《なまなか》美しい女の路 連れなんか出来たもんだからそれがいなくなると急に寂寞を感じるのであった。一人ぽ ちの徒然《つれづれ》に、欄干に凭《もた》れて下を眺めていると、松倉川を隔て丶湯の川一帯が一目に見渡 せる。どこからともなく、三味線の音が聞えて、松倉橋の上を、艶《なま》めかしい女が通る。 土地の芸妓らしい、無論あの女ではないが、もしやと思って、それを見入ったりしてい る中に、日暮れになった。 「奥様はどうなさいましたのでしょう」  タ飯の給仕に来た女中に女のことを聞かれて、私も返辞に困ったが、例の函館の親戚 を振り廻して、お茶をにごして置いた。それにしても、女のいないのが淋しかったから、 ビールを二本もあけた。 「干人風呂へでもいらっしゃいませんか」  湯の川の名物千人風呂の大きいことやら、成金風呂や蝦夷《えぞ》風呂の話を、女中が面白そ うに喋べっていたけれど私の耳には殆ど這入らなかった。 「お眠ければお床を取りましょう」  千人風呂へ行くことを勧めていた女中も私が眠そうにしているので、床を取ってくれ た。汽車の中で十分|眠《ね》なかったのと、ビールが利いて来たのとで、床へ這入るとぐっす り熟睡《ねこ》んでしまった。  かなり眠ったと思うころ、枕頭《まくらもと》に人の気配がする。それを夢現《ゆめうつし》の間に、ぼんやりと 意識した私は、半無意識に伸《のび》をしながら、両手を布団の外へ出すと右の手をグッと握る 者がある。ハッと思って握りかえすと、相手の手は柔かい、確に女性だ。 「起きて頂戴」  優しい声を聞くまでもなく、起きあがろうと思って首をあげると、相手は向うをむい て、後を見せていた。大|丸髷《まるまげ》に赤い手絡《てがら》、すらりとした撫肩の、品のよい若奥様。私は 夢でないかと眼を擦《こす》った。 「驚いたでしょう」  くるりと振り向いた顔を見ると、道中荒しの護摩の灰と思っていた路連れの女であっ た。私は思わず蒲団《ふとん》の上に坐って、じっと女の顔を凝視《みつ》めた。 「私が、あなたの紙入を持って行ったので、てっきり護摩の灰だと思ったでしょう。で も仕方がないわ、そう思われたって、中のものを皆|遣《や》ってしまったんですもの、然し、 それはお金じゃないの、あなたの名刺よ。お金はそのま丶ですから、検《あら》ためてください ね」  女はこういいながら紙入をそこへ出した。女が戻って来た以上、紙入を検ためるまで もないと思って、私は中を見ようとしなかったが、腑に落ちないのは名刺を皆遣ったと いうことであった。 「あれから髪結さん所へ行って、髪を結い直し、停車場へ預けて置いた荷物から着物を 出して、御覧の通りの早変りをしてからが本舞台なのよ」  女は品のよい笑顔を見せながら話を続ける。 「私達を犬猫の様に軽蔑した親戚やお友達の家を、あなたの名刺を持ってハイ今日はと いって歩いたの、長い間御無沙汰をしましたが、私も今ではこういう者の家内になって おりますので、夫と二人で父の七回忌を営みに戻ってまいりました。明日お正午《ひる》から谷 地頭《やちかしら》の高野寺まで御足労を願いますと切り口上をいって廻ったのよ。御迷惑でも明日一 日だけ、私の御亭主になって戴くの、い丶でしょう」  女は独りぎめなことを喋べっていた。あまりのことに、返事もしないで黙っていると、 女は自分の素姓を語り出した。女の名は春日井浜子《かすがいはまこ》といって、父親は函館で海産物問屋 をしていたが、七年前、浜子が女学校を卒業した年、商売上の手違いで店を閉めねばな らぬ事になった。それも只《ただ》の破産でなく、債権者に因業な奴があって、帳簿が不整理だ といって詐欺破産の申請をした。法廷で争えば、詐欺破産にならずにすんだかも知れな いものを、法律に暗い父親は、それを苦にして自殺をした。その時十九になったばかり の浜子は、母親と二人でどうしようもないので、親戚に縋《すが》ったり、知合に頼ったりして 見たが、詐欺をして自殺する様な人間の妻子を世話しては、どんな連坐《かエりあ》いになるかも知 れないといって、誰一人力になってくれるものがなかった。浜子親子がこんな破目に陥 ちたもんだから、浜子と婚約のあった男までが、浜子を棄て丶、浜子の友達と結婚して しまった。こんなふうに、浜子親子は散々の目に逢わされたので、とても函館に住んで 居ることが出来なかったから二人は何を当ともなく東京へ出て来た。勝気な浜子は、仮 令《たとえ》女でも一心になれば、馬鹿にされた郷里の人達を見かえしてやることが出来ると思っ て、職業婦人となって働いていた。そうしているうちに母親も歿《な》くなり、自分の身にも 変化があったがやっと父親の七回忌を営むだけの金が出来たから、故郷の人達の鼻をあ かしてやるつもりで、花々しい法会《ほうえ》をしようと思って函館へ戻って来た。それにしても 婚約の夫を横取りにした友達への面当もあるので、私を臨時雇いの夫にしようというの であった。 「後生ですから、一日だけそうしてくださいね、御迷惑をかける様なことはしませんか ら」  女は涙ぐんでいた。余りに突飛な仕事だとは思ったけれど、この場合いやだともいわ れなかったので私は女の請いを容れた。  その翌日、集って来た人達も舌を巻いて驚くほど盛んな法会の席上で、私は女の夫と して親戚の人々に挨拶した。女はそれを誇り顔に眺めていたが、法会を済まして宿へ引 揚げて来ると、嬉しくて堪《たま》らないといった様子をしながら、女は私の前に両手を突いて、 改めて礼をいった。そして立ちあがると、 「これで私も気が済んだ。いつ監獄行きをしても、思い残すことはない」 女はこうした独語《ひとりごと》をいった。監獄という言葉が私の耳へ爆弾の様に響いた。 「監獄とは」 私が聞き咎《とが》めると、女はそこへ坐って、 「私が、紙入を持って出て行ったあとで、あなたの胸に浮んだ女が、ほんとうの私なの です。ですけれど、棘《とげ》を抜いてくれた人には、ライオンだって噛《か》みつきませんわ」  こういいながら、私の方へ顔を向けたが、その眼には涙が一杯たまっていた。                                (一九二六年七月)