両面競牡丹 酒井嘉七 奈良坂やさゆり姫百合にりん咲き            ——常磐津《ときわず》『両面月姿絵《ふたおもてつきのすがたえ》』 一  港の街とは申しますものの、あの辺りは、昔から代々うち続いた旧家《きゆうか》が軒をならべた、静か な一角でございまして、ご商売屋さんと申しますれば、三河屋《みかわや》さんとか、駒屋《こまや》さん、さては、 井筒屋《いづつや》さんというような、表看板はごく、ひっそりと、格子戸の奥で商売《あきない》をされている様なお 宅ばかり——それも、ご商売と申すのは、看板だけ、多くは、家代々からうけついだ、財産や 家宅をもって、のんびりと気楽にお暮しになっている方々が住んでいられる一角でございまし た。私の家は、そうした町のかたすみにございまして、別に、これと申すほどの資産もござい ませんでしたが、それにしても、住んでいる家だけは自分のもの  と、こういった気持ちが、 いくらか、私たち母娘《おやこ》の生活を気安くさせていたのでございましょう。  母は小唄と踊りの師匠でございました。しかし、ただ今で申す、新しい唄とか、踊とかの類 ではなく、昔のままの、古い三味線唄、いわば、春雨《はるさめ》、御所車《ごしよぐるま》、さては、かっぽれ、と申し ますような唄や、そうしたものの踊りの師匠だったのでございます。母は別に、私を師匠にし て、自分のあとをつがせる、という様な考えをもっていた訳でもございますまいが、子の私は、 見まね、聞き憶《おぼ》えで、四つの年には、もう、春雨なんかを踊っていたそうでございます。その ころから、ずっと、母の手すきには、何かと教わっていたのでございますが、私が母の替りに お弟子さんを取るようになりましたのは、丁度、私が十七の春、とても、気候の不順な年でご ざいましたが、ふとした事から、母が二、三ケ月|臥《ふせ》った事が、きっかけになったのでございま す。それからは母がよくなりましても、お子供衆のお稽古は私がいたしていたのでございます。 その内に、何時《いつ》の間にか、母親は楽隠居、そして、私が全部お稽古をいたす様になったのでご ざいました。しかし、何分にも、お稽古人はほとんど全部がお子供衆、月々の収入はたいした 事もございませんでしたが、それにいたしましてもお子供がたのお稽古人は、いつも十四、五 人もございましたので、私たち親娘は、ごく気楽に暮していたのでございます。  丁度、私がお稽古をする様になりましてから、半年あまりも経った頃でございましたでしょ うか、私は、あの恐怖にも似た気もちを、今だに、忘れることが出来ないのでございます。そ れは、お稽古やすみの、ある霧の深い午後でございました。その二、三日も前から、お天気は、 毎日のようにどんよりと曇って、低くたれ下った陰欝な空が、私たちの頭を狂わさずにはおか ない、というほどに、いつまでも、何時までも、じっと、気味悪く、地上の総《すべ》てを覆《おお》いかぶせ ていたのでございました。ところが、その日の、お昼すぎからは、思いもかけぬ濃霧が、この 港の街を襲うて参ったのでございました。まだ、日は高いのでございますが、重くるしく、ず っしりと、空いっばいに、たれこめた鼠色《ねずみいろ》 の雲の堆積から、さながら、にじみ出るかの ように、濃い、乳色の気体《きたい》が立ちならんだ人 家の上を、通りの中を、徐々に、流れはじめ たのでございました。私は、その頃、少しば かり買物がございましたので、三《さん》の宮《みや》の『で ぱあと』まで出むいていたのでございます。 買物と申しましても、別に、あの辺りまでわ ざわざ行かねばならぬ訳もなかったのでござ いますが、今になって考えますれば、たとえ、 何の理由がなくとも、あの日、ああした場所 まで、出かけるように、前の世から定められ ていたのでもございましょうか。  私は、 『でぱあと』で、新柄の京染や、帯地の陳列 を見せて頂き、かえりには、お母さんのお好きな金つばでも買ってあげましょうと、かよ うに考えまして、参ったので、ございました。  あのような日和《ひより》でございましたので、さすがに、繁華街にある、『でぱあと』の中も、人は まばらでございました。私は、まず、ハ階まで昇り、京染と帯地の陳列を見せて頂き、それか ら、七階、六階と歩いては、階段から降りて行ったのでございます。階段に面した側は、丁度、 山手とは反対になりまして、天井から、足もとまでがずっと、がらすの窓になり、そこを透し て、ほど遠からぬ港の船のいくつかが、段階子《だんぱしご》を降りて行く目の前に、朧《おぽろ》げながら浮んでくる のでございます。窓の向うには、なおも、魔物のような濃霧が、濠《もでつもう》々と、何かしら不可思議な ものとともに、流れて行くようでございます。漠然《ぱくぜん》とした不気味《ぶきみ》さに小さな標《ふる》えを感じながら、 私は階段を静かに降りていたのでございました。と、七階から六階へ通じるところでございま したか、誰も人影はございません。階段の半分を降りきった、折り返しのところで、突然、下 から、音もなく昇って来られた方と、危うく衝突する様になって、立ち侍《どま》ったのでございます。 そして、ふと、対手《あいて》の方を見上げたのでございますが、その瞬間、われにもあらず、あっと、 口の中で叫んだのでございました。それと、申しますのも対手は誰でもございません。私 ええ、間違いなく、私ではございませんか——。 かようなことを申しますと、何を阿房《あほう》なことを、どうして、お前の他に、お前さんがありま しょう。それは、他人のそら似というものーと、お笑いになるかも存じません。それは、世 間には、よく似た方がございましょうー私によく似たお方も、また、私が似ている方もおあ りになるでございましょう。しかし、似たと言うのは、あの場合、決して、正しい言葉ではご ざいません。まさしく私が朝《あした》に夕《ゆうべ》に、鏡の中で見なれている、私自身に、相違ないではござ いませんか。私は、その瞬間、ぞっとして、背筋を冷たいものが走った様に感じたのでござい ます1瘧《おこり》の発作《ほつさ》にでもとらわれたような慄《ふる》えを感じて参りました。私でない私、そうした もので、どうして、目に見えたのでございましょう。窓の向うには、『おりえんたる・ほてる』 でございますか、巨大な、白亜の建物が、霧の海を背景に、朧げに浮んでおります。魔物のよ うな濃霧は、窓がらすの上を后一旭うように流れております。何か不思議なものが、いまさらのよ うに、その中に見えるようでございます。そうした神秘的な、不気味な霧が、私の頭をか椿乱 していたのでもございましょうか。漠とした、しかし、たえ難いまでの恐怖におののき、烈し く鼓動する胸を抱きながら、大きく目を見張っている私を振りむきもせず、その第二の私は、 階段を音もなく昇り、かき消すように、姿を消してしまったのでございます。      二  恐怖にうちのめされ、慄然《りつぜん》たる悪寒《おかん》に身体を震わせながら、それからの四、五日間を、私は、 自分の前に現われた自分の姿のことばかし考え乍《なカ》ら、過ごしたのでございました。ご存じでも ございましょう、常磐津の浄瑠璃《じようるり》に、両面月姿絵《ふたおもてつきのすがたえ》、俗に葱売《ねぎうり》という、名高い曲でごさいまして、その中に、おくみという女が二人現れ、常へもし、お前の名は何と申しますえ   あい、私や、くみというわいな 常 して、お前の名は   あい、わたしゃくみと言うわいな 常 ほんにまあ、こちらにもおくみさん。こちらにもおくみさん。こりゃまあ、どうじゃ。 と、驚くところがございます。この天は、実在の人物、そしていま天の方は、怨霊なの でございます。これと、同じ様に、私が見ました自分の姿も、怨霊《おんりよう》ではありはすまいか—— 私は、かようなことをも考えながら、おののいていたのでございます。それと申しますのも、 私たちの土地では、昔からのいい伝えがございまして、自分の姿が見えると、それは、近いう ちに死ぬるしらせであるというのでございます。私は、こうした、いい伝えが、私の場合には、 言葉の通りに、実現される様な気がいたしまして、何とも言いようのない恐怖に似たものを感 じつづけていたのでございます。そうした訳で、お稽古は少しも手につきません、お弟子さん 方のお稽古はお母さんに、お頼みいたしまして、私は気分が悪うございますのでとかように申 し、四、五日も、床についていたのでございます。  しかし、五日と経ち、十日と暮しておりますうちに、こうした事も、つい忘れてしまいまし て、二週間余りの後には、悪夢から覚めきったように、私の頭からは、もう、すっかり、あの、 私の影も姿も消えさってしまったのでございました。時として、あの不気味な瞬問を思い出す 事がございましても、 (あの時は、お天気の加減で、頭が変になっていたのではないのかしら)  なぞと、考える様になっていたのでございます。しかし、そうは申しますものの、次の瞬間 には、 (いや、確かに——)  と、こう思いまして、さて、われと自分の頭を、大きく振り、  (思うまい、思うまい、早く忘れてしまいましょう)  と、独白《ひとりごと》していたのでございます。  昔から、よく、一度あることは二度あるとか申しますが、私の場合では、一度ならず、二度 三度と、思いもかけぬ出来ごとがつづいていたのでございました。  この第二の出来ごとと申しますのは、お部屋をお掃除いたしておりますとき、片隅から、小 さな石のはいった指差が出て来たことでございました。いつの頃から、そうしたところに、こ ろがり込んでいましたものやら、見ると、私のものではございません。もしかすると、お母さ んがもっていられるものでもあろう、と、かように考えまして、おたずねいたしましたが、そ うでもございません。 「お子供衆のうちの、どなたかが落されたのではないのかい」  お母さんは、こんなにも申されましたが、そのお部屋は、私の居間でございますので、そう したところまで、お弟子さんがはいって来られる筈もございません。それに、見た目にも、お 子供衆のお持ちになるものでもございません。私は不思議なことがあるもの、とは考えました ものの、まさか、家の中にあったものを、警察へおとどけするのも、どうかと存じましたし、 それに、あれほども高価なものとはゆめにも考えませんでしたので、箪笥《たんす》の小引出しに、入れ たまま、忘れるともなく、忘れていたのでございました。  こうした出来ごとがございましてから、二、三日も過ぎた頃でございましたか、何も、これ ほどのことを、出来ごとなぞと申すのも変でございますが、新しい、お弟子いりがあったので ございます。これが、いつもの様に、お子供衆でございましたら、別に、変わったことではな いのでございますが、何分にも、相手がお年をめされた方それも、大家の御隠居さまとも、お 見うけするような御仁《ごじん》でございましたので、私たちにいたしますれば、正《まさ》しく、一つの事件に は相違なかったのでございます。  それは、二、三日もの間、降りつづいた、梅雨《つゆ》のように、 て、身も心も晴々とするような午後のことでございました。 ほっと、大きな息をしたところでございました。 「ごめんくださいませ」 うっとうしい雨が、からりと晴れ お稽古も、一と通りすみまして、  と、いう丁重《ていちよう》に訪れて来られた方が、こざいました。年の頃は五二、三、着物の好みは、あ くまで、渋い、おかしがたい気品あるうちにも、何かしら昔を思わせる色と香のまだ消えやら ぬ、どこか大家の御隠居さま、と感じられるお方でございました。 「御都合がおよろしい様でございましたら、しばらく、お稽古して頂きたいと存じますが」  と、かように申されたのでございます。私にいたしましては、もとより、異存《いぞん》のある筈はご ざいません。 「お稽古と申しましても、ほんの、お子供衆のお手ほどき、それでもおよろしい様でございま すれば」  と、お受けしたのでございました。私は最初の内、そうした身分の方で、こざいますれば、わ ざわざ私たちの様なところへお越しになるのも、不審といえば、不審なこと、何故にまた、お 宅へ名ある師匠をお呼びよせにはならないのであろう、と考えたのでございました。しかし、 段々と、お話を承《うけたま》わっていますと、それにも道理のあること、と合点《がてん》したのでございます。 この方は、私が最初に推量いたしましたように、名ある資産家の御隠居さまでございました。 お宅は芦屋《あしや》の浜にございましたが、お若い時からの、ご陽気すぎ、それも、奥様、ご寮人《りようにん》さ まで、下男、下女にかしずかれていられる間は、下の者の手前、こうしたお稽古ごとなぞ思い もよらぬことでございましたもの、御隠居さまで、御自由なお身体になられますと、時間の御 都合もでき、せめてもの楽しみに、と、お買物の風を装われては、街までお出ましにをり、そ れも、名のある師匠ではお知合いのお方にお会いになるけねんもございますこととて、わざと、 ああした旧家町。私たちの様な、お稽古所へ尋ねて来られたのでございました。ところが、 「では、そちらさまのご都合が、およろしいようでもございましたら、お稽古は今日からでも いたしましょう」  と、申しまして、 「唄をなさいますか、それとも、踊りのお稽古でございましょうか」  と、お伺いいたしますと、 「唄を、どうぞ」  と申されたのでございます。お年寄り衆でございますれば、大抵《たいてい》は踊りか、さもなくば、三 味線のお稽古をなさるものでございますので、こうしたお言葉に、私は、少し意外に感じたの でございました。それで、 「唄でございますね」  と、念を押し、 「何か、ご注文でも  」  と、重ねて、おたずねしたのでございました。すると、 「それでは、春雨と、梅にも春を、お歌いいたしたいと存じますが最初は春雨を、お稽古して 頂きます様に——」  と申されました。私は、糸の調子を下げまして、 「では、お稽古いたしましょう」  と、三味線を取り上げ、  へ春雨に、しっぽり濡れる、鶯《うぐいす》の 。  と、うたい始めたのでございました。が、お稽古にかかりますとすぐに、 「もう、今日はこれで結構でございます」  と、頭をお下げになったのでございます。私は、初めのうちで遠慮なされている事と存じま して、 「どうか、ご遠慮なく、ごゆるりと、お稽古なさいます様に——」  と、申しましたが、 「いいえ、今日はこれで結構でございます。別に、急ぐお稽古でもございませんし、ぜひ憶え ねばならぬ訳でもございません、これから、遊び半分に、ゆっくりと、お稽古させて頂きたい と存じます」  と、かように申されたのでございました。そして言葉を改め、 「これは、ほんの少しでございますが、おひざ付きに、そして、これは御連中さまへのお近づ きの印に、皆様で一杯お上がり下さいます様に  」  と、紙の包みを二つ出されたのでございました。私は、おひざ付き、と申された紙包みは、 有難く頂いたのでございますが、も一つの方は、 「連中さんと申しましても、実は、お子供衆ばかりでございますから、皆様に一杯さし上げる 訳にも参りませぬ」  と微笑みながら、ご辞退いたしますと、この方も、お上品に、お笑いになりまして、 「なる程、お子供衆でございましたら、ご酒《しゆ》を上がって頂く訳にも参りますまい。では、何か、 お菓子でも買って、おあげ下さいませ」  と、仰有《おつしや》ったのでございました。 三  この方が、お稽古に来られる様になりましてから、二週間目のことでございました。もう、 その頃は、春雨と、御所車を上がっていられたので、こざいますが、 「実は、近い内に、どこかの温泉へ、保養がてら、一、二週間ほど行きたいと思っているので ございますが、どうも、一人で行くのは話し相手がなく、淋しいもので  」  と、こう、仰有るのでございます。そして、 「——若《も》し、お師匠さまのご都合がおよろしい様でございましたらお供をさせて頂きたいと存 じます」  と、こんなに、申されたのでございました。 師匠をいたしておりますと、こうしたお誘 いをよく受けるのでございます。どなた様も、きまった様に、 (師匠のお供  )  とは申されますものの、当然、こちらの方が、おともでございまして、お風呂からお上りに なりますと、紺の香も新しい、仕立おろしの宿の浴衣《ゆかた》に着かえまして、さて、 「お師匠さま、こうしていましてもご退屈でございますから、時間つぶしに、何か一っおさら いして頂きましょうかしら」  と、いわれるのでございます。すると、 「ほんに、そういたしましょう」  と、三味線を宿のお女中さんに、おかりいたしまして、お稽古人の機嫌を取りながら、お稽 古するのでございます。こうした事は、分限者《ぶんげんしや》の御新造《ごしんぞう》さんで隠居さまがたを、お稽古人にも っていられる長唄や清元のお師匠がたには、ありがちの事ではございますもののわたくし風情《ふぜい》 の、小唄の師匠にとっては、ほんに、めずらしいことでございました。丁度、それからの、一、 二週間は、お稽古は休みでございましたし、母もすすめて呉れましたので、私は、このご親切 な申出を、お受けいたしたのでございます。ところが、そうと定《きま》りますと、私への御祝儀《ごしゆうぎ》とし てでございましょうか、美しい島原模様に染め上げた、絞縮緬《しぼりちりめん》の振袖と、絵羽《えば》模様の長儒神、 それに、絞塩瀬《しぼりしおせ》の丸帯から、帯じめ、草履にいたるまで、すっかり揃えて下さったのでござ いました。-かように申しますれば、どれほど私が喜んで御隠居さまの、お供をいたしまし たことか、お分りでございましょう。  旅だちの日が参りますと、私は、頭の先から足の先まで、御隠居さまから贈っていただいた 品物で装いまして、家を出たのでございます。ところが、御隠居さまは、家を離れるとすぐに、 こんな事を申されたのでございます。 「旅をいたしている間、私がお師匠、とお呼びするのも、何んだか人の気を引き易くて、変で ございますし、私も、御隠居さまと呼ばれますと、何だか改まりまして、保養をする気がいた しませぬ。でこういたしましょう。私は、あなたを、娘か何かの様に、お千代と呼ぶことにい たしましょう。師匠は、私を  お母さん、では、余り芝居がかる様でございますから、伯母 さんと言って下さいませ。これでは不自然でなく、いいでございましょう」  と、かように申されたのでございます。汽船は、新しい『別府丸《べつぷまる》』でございました。中桟橋《なかさんぱし》 に着きますと、船は、もう横づけになっております。切符の用意はしてございましたので、私 達はすぐ船に乗ったのでございます。ところが、船の入口で、御隠居さまは、お知り合いの方 にお逢いになったのでございました。背広服を着た、いかめしい、お方で御座いました。御隠 居さまは、丁寧に御挨拶をなさいました。私も、軽く会釈をいたしましたが、お話の邪魔をす るのは失礼と存じまして、少し離れて立っておりました。男の方のお声は少しも聞きとれませ んでしたが、御隠居さまの、 「  しばらく、別府で保養をいたしたいと存じます。千代もつれまして」  と、言っていられるのが、かすかに、聞きとれたのでございました。私は、その方の事は、 何もお訊《たず》ねいたしませんでした。勿論《もちろん》、そうした事は失礼と、存じていたからでございます。 しかし、 「千代を連れまして」  と言われた言葉が気になりましたので、それとなく、お聞きいたしますと、御隠居は、笑い ながら、 「いいえ、違いますよ、お師匠のお話をいたしまして、千代と思って、お連れ申して行く、と お話いたしていたのでございます。実はあれは、親戚にあたる者でございまして、私の姪に、 師匠ほどな手頃の、千代という娘のあった事を知っているのでございます」  と、こう申されたのでございました。それから、幾度《いくたび》も、あの千代が生きていましたら、ほ んとに師匠ほどでございます。そういたしましたら、私も生き甲斐《がい》があるのでございますが、 三年前に死にましてからは、ほんとに、世を味気《あじき》なく暮して参りました。しかし師匠にお稽古 して頂く様になりましてからは、すっかり、この世が明るくなった様に感じまして、自分なが らに、大変、喜んでおります。と、こんなことを申されたのでございます。  温泉宿の生活と申しますれば、どこでも、そうでございましょうが私たちも、ただ、御飯を いただいて、お湯に入ることだけが、一日の仕事でございました。もっとも、日の光が、お部 屋いっぱいに差しこむ、うららかな朝、かおりの高い、いで湯に、ほてった身体を宿のお部屋 着につつんで、ほっとしています時など、伯母さまは、よく、 「では、千代ちゃん。何か、おさらいして頂きましょう」  と、いつも、きまったように、春雨か、または御所車を弾きまして、御隠居さまは、小さな 声でおうたいになりながら、 「ねえ、千代ちゃん、あなたに教わって、すっかり上手になったでございましょう」 と、静かに、お笑いになるのでございました。  御隠居さまは、いつも私を、千代ちゃん、千代ちゃんと、それはそれは、親身の伯母であっ ても、こうまではいって下さるまい、してくださるまい、と思うほど、私を大切にして下さい ました。私も心から伯母さまと呼びまして、部屋の女中までが、 「ほんに、お睦《むつま》じいことで、お羨ましく存じます」  と、一度ならず、二度までも、私達を前にして、さも、うらやましげに、申した程でござい ました。 四  私たちのお部屋は、静かな離れ座敷でございまして、三方には中庭を控え、夜なぞ、本館の 方から洩れてくる部屋部屋の火影《ほかげ》が、植込の間にちらちらと見えるかと思えば、庭の木立の上 からは、まっ白いお月さまが、そっと、のぞき込むのでございました。  のぞきこむ、と申 しますれば、私たちのお部屋は、いま申しましたように、ほとんど中庭にあるのでございます から、お部屋の障子《しようじ》を明けておりますれば、時折、お庭掃除の男衆が、箒《ほうき》や熊手などを手に、 そっと頭を下げて通りすぎるようなことは、別に不思議でもないのでございますが、そうした 下男のお一入に、いかにも、何か目的あるかのように、そっと、お部屋をのぞいては通りすぎ るお方があったのでございます。顔をなるべく、見せないようにしていられますものの、どこ かでお目にかかったような気がいたしまして仕方なかったので、こざいました。 「たしかに、どこかでお目にかかった方」  私は、かように、考えつづけて、おりましたが、ふと、思い出すと、 「おお、そう」  と、御隠居さまの方に向き直り、声を低めて、 し[舶栂さま。今、通って行きました、男衆に、お気づきになりましたか、あの人は、私たちが、 出帆いたします時、伯母さまと話していられた、ご親類の方に、そっくりでございます」  と、こんなに申しまして、口の中で、いくら似ているとは言え、あれほど、似ている方があ ろうことか、と独白いたしました。が、それと同時に、長い間、すっかり忘れておりました、 あの私自身の姿を思い出しまして、思わず、ぞっとしたのでございました。御隠居は、 「そうでございますか、そんなに、あの親類の人に似ていましたか」  と、小さな声で申されまして、何か意味ありげに、微笑《ほほえ》まれたのでございました。  単調な、温泉宿の日々ではございますものの、時のたつのは早いもので"こざいまして、私た ちが、この温泉町へ参りましてから、はや、二週間の日が過ぎたのでございます。あすは、い よいよ、かえりましょう、と、御隠居さまが申された、その夜のことで、ございます。 「あす、お土産を買うといっておりましても、何やかやと慌ただしいでしょうから、今夜のう ちに、何か買っておかれましたらいいでございましょう。私が行ってもよろしいけれど、少し 頭痛がするようでございますから、宿のお女中さんをお連れに、何か買っていらっしゃいませ、 お勘定は、宿の方へとりに来るように申されるとよろしいでございましょう」  御隠居さまは、かように申されたのでございました。 「では、やっていただきましょう」  私は、かように答えまして、身じたくを、ととのえたのでございます。買いものと申しまし ても、温泉町のことでございますから、宿の部屋着のままで、およろしいではございませんか、 と、宿のお女中も申したのでございますが、それにいたしましても、若い娘の身で、そうした ことは、あまりにも、はしたないと考えまして、旅だちの前に御隠居さまに買っていただきま した、島原模様の振袖に絵羽模様の長儒神、それに、塩瀬の丸帯まで、すっかり、来たときそ のままの身仕度をととのえまして、 「では、伯母さま、ちょっと行かせていただきます」  と、、こ挨拶いたし、お部屋を出たのでございます。ところが、私といたしましたことが、宿 を出て、道の一、二丁も参りましたとき、思いついたのでございますが、御隠居さまの御用を |承《うけたま》わって来ることを、失念いたしていたのでございます。 (これは、大変なことを、御隠居さまとても、お土産を買っておかえりにならねばなるまいに、 自分のことだけを考えて、御隠居さまのご用事を、つい忘れてしまいました)  私は、こんなに自分で申しながら、そして、われと我が粗忽《そこつ》さに、思わず、顔を赤らめなが ら、宿のお女中には、表で待っていただき、お部屋にとってかえしたのでございます。しかし、 表玄関から、廊下をつたって行きましては、時間もかかりますこととて、お庭づたいに、離れ のお部屋へ急いだのでございます。ところが、いつもは、障子も開けたままでいられる御隠居 さまが、ぴったりと、障子をたて切り、電灯も消されまして、薄明るい、まくら雪洞《ぽんぼり》にしつら えました、小さなあかりをつけていられるのみでございます。私は、飛び石をつたいながら、 はて、不思議なこと、と思わず、立ちどまったことでございました。中には、たしかに御隠居 さまがいられます。しかし、障子にうっすらと、さした影から考えますと、おひとりではござ いませぬ。誰か、も一人の方と、向い合って、じっと、していられるご様子でございます。私 は、あまりにも、そのご様子に、常ならぬものを感じたのでございました。はしたないとも、 無作法とも、そうしたことを考える余裕もございませぬ。音をたてぬよう、静かに、縁側に上 がって、障子を細目にひらき、そっと中をのぞいたのでございます。と、雪洞のうす明るい、 真白い光にてらされて、御隠居さまの、無言で、じっと、坐っていられる姿が見えたのでござ います。前には、どなたが、  こう考えまして、ひとみをこらしました時、私は、われにも あらず、 「あっ——」  と、声を上げたのでごさいます。私の目にうつりました人影、それこそ、誰の姿でもござい ません。私ではございませんか。——まくら雪洞の、蒼白い、にぶい光の中に、じっと坐った まま消えいりそうな女の姿、顔から、あたま、着ている着物、島原模様に染め上げた、絞縮緬 の振袖と、白く細い手くびに見える絵羽模様の長禰神それに、絞塩瀬の丸帯から、大きく結ん だしごきまで、何からなにまで、わたくしに相違はございません。御隠居さまは、それが、ほ んとの私とお考えになって話していられたのでございましょう。背を、つめたいものがさっと 流れました。身体が、がたがたと、頭《ふる》えて参りまして、後から、大きな、まっくろな手が、私 に襲いかかったように感じました。と、そのまま、私は、深い、ふかい谷底へ気がとおくなっ てしまったのでございました。      X  あれから、もう、まる一年、分限者《ぷんげんしや》の御隠居さまとは、表かんばん、よからぬ生業《なりわい》で、その 日その日をお暮しになっていたとは言いながらも、私には親身のように、おつくし下さった御 隠居さま、それに、あの、私と生き写しのお千代さま、いま頃は、どこでどうしていられます ことやら。今にして思いますれば、お千代さまと『でぱあと』でお逢いいたしました時iも うあの時分、あの方々は、私のことをご存じであったのでございましょう。——さては、話に 聞いていたのは、この娘さんのことでもあろうか、真実《ほんとう》にわたしによく似た方もあるもの、こ の人なれば、仲間うちのものが、下町風に身を伯《やつ》した自分とも思い違えて、こちらの袖に物を かくすほどのことは無理からぬこと、さぞや、おかえりになって、立派な指差がころげ落ち、 驚かれたことでもあろう。こんなことをも、お考えになったでございましょう。それと同時に、 あのような1私をご自分の傀儡《かいらい》にして、御隠居さまともどもに港の街をはなれさせ、お上の 注意をそちらへむけた内に大きなお仕事をなさる計画も、おたてになったのでございましょう。 御隠居さまや、お千代さまがお考えになりましたように、お上の方は、御隠居さまにつれられ た私を、ほんもののお千代さまとお考えになったのでございましょう。それがために、わざわ ざあの遠い湯の町まで、後を追ってお越しになり、私たちの様子を見まもっていられたのです。 しかし、これはお二人さまの予期されていましたこと、それでこそ、必要な場合には——犯罪 の行われました当時、千代とわたくしは、あの湯の町にいたのに相違ございません、私たちを 監視なされていたお役人さまがご証明くださるでございましょう——と、いったことがいい得 る訳でございました。  お千代さまのお仕事が、難なく運んでおりますれば、ああした手違いも起こらなかったでご ざいましょう。が、もくろんだお仕事に失敗なされましたことと、その報告のため、私たちの 宿に姿をお見せになったことが、すべてに破綻《はたん》をきたしたのでございましょう。よい頃を見は からって、私とお千代さまを入れかえるために、二組をおつくりになり、その一つをわたくし に下さった、あの立派な衣裳も、結果は、ただ、私を驚かせるに役立つにすぎないのでござい ますーわたくしの、夜の静寂《しじま》を破った叫び声、それが、すべての終りであったのでございま した。かけつけられた、お上の方  あの、お庭そうじの男衆に姿をやつしていられました警 察の方も、初めのうちは、さぞ、 常 こちらにもおくみさん。こちらにもお組さん。こりゃまあ、どうじゃ。  という唄の文句にございますように、仰天なさったことでございましょう。それにいたしま しても、時おり、三味線とり上げ、常磐津『両面月姿絵』なぞ、おさらいいたしますとき、   奈良坂やさゆり姫百合にりん咲き  と、思わず唄いすぎましては——もし、わたくしを、このさゆりにでもたとえていただけば、 あの姫百合にも見まほしい、いま一人の私、お千代さまは、いまは、どうしていられることや ら、と、かようなことを、つい思い浮べては、三味ひく手をしばし止め、あらぬ方をじっとみ つめるのでございます。                                (一九三六年十二月号)