【これは未校正のデータです。】 黒岩涙香「無惨」 無惨序 日本探偵小説の嚆矢とは此無惨を云ふなり無 惨とは面白し如何なること柄(がら)を書しものを無惨 と云ふか是れは此れ常時都新聞の主筆者涙香小 史君が得意の怪筆を染め去年築地河岸海軍原に 於て人殺のありしことを作り設け之れに探偵の 事項を附會して著作せし小論なり予本書を讃む に始めに探偵談を設けて夫より犯罪の事柄に移 りお紺と云ふ一婦人を捜索して証櫨人に宛て之 れが口供より途ひに犯罪者を知るを得るに至る 始末老練の探偵が自慢天狗若年の探偵が理璽的 論理的を以て一々警部に…封(むか)つて答辮するごとき 皆た意表に出(ハで)て人の膿を冷し人の心を塞(ぎむか)らしむ ろ等實に奇々怪々として讃者の心裡を娯ましむ 此書や涙香君事情ありて予に賜ふ予印刷して以 て襲布せしむ世評尤も涙香君の奇筆を喜び之を 菓ひて其著書課述(ぐくじゆつ)に係る小読とを求めんと欲し 績々投書山を爲す之をもつて之を見れば君が文 事に於ける亦た羨むべし鳴呼涙香君は如何なる 才を持て筆を採るや如何なる技を持つて小論を 作るや余は敢て知らず知らざる故(ゆゑ)に之れを慕ふ 慕ふと雛も亦た及ばず是れ即ち天賦の女才にし て到底追慕するも亦書餅に圏すればなりと予は 筆を投じて嵯嘆(さたん)して止みぬ   明治廿二年十月中旬     香夢棲に坐して梅廼家かほる識す 無惨 上篇(疑(ぎ) 團(ピん)) 世に無惨(むざん)なる話しは敏々あれど木年七月五日 の朝築地字海(あざたハ)寛原の傍らなる川中に投込(なげニみ)ありし 死骸ほど無惨なる有様は稀なり書(かく)さへも身の毛 逆立(よだ)つ翌六日府下の各新聞紙皆左の如く記した り   ◎無惨の死骸 昨朝六時頃、築地三丁目の川   中にて襲見したる年の頃三十四五歳と見受   けらる!男の死骸は何者の所爲(しわ エ  )にや縮身に   敷多(あまた)の創傷、敏多の擦剥(すつむムにエ )、数多の打傷あり   背(せな)などは胤暴に殴打せし者と見え一面に膨(はれ)   揚(あが)り其間に切傷ありて傷口開き中より血に   染みし肉の見ゆるさへあるに頭部( あたま)には一ケ   所太き錐にて突きたるかと思はる、深さ二   寸除の穴あり其ヒ槌D項にて恨く設打した   りと見え頭はニッに卦け脳骨砕けて脂味囎   散胤したる有様實κ目も當られぬ程なり儘   師の診断に由れば北れも午前二三時頃に受   けし傷なりと同人の清服は紺茶堅縞(セギ じまミ)の里物(もハミノ)   にて職業も更に見込附かず且つ所持品等は   一鮎もなし其筋の鑑、定に檬れば殺害したる   者が露見を防がんが爲めに殊更奪ひ隠した   る者ならん故に何所( づニ)の者が何の焉めに斯く   淺ましき死を逐げしや又殺害したる者は軌   れの者か更に知る由なければ目下般垂に探   偵中なり(以上は某の新聞の記事を其儘に   榑載したる者なり) 猴ほ此無惨たる人殺に附き其筋の識だる所を 聞くに死骸は川中より上げたれど流れ來りし者 には非ず別に溺れ漂ひたりと認むる箇條は無く 殊に水の來らざる岸の根に捨て、有りたり、猫  あたり               ほか ほ周遇に血の痕の無きを見れば外にて殺せし者 を畢來りて投込みし套ろ可し又療ポ一 町はかり離れし或家の塀に血の附きたる痕あれ ど之も殺し孔る所には非ず多分は血に塗(モトみ)れたる 死骸を昇ぎ來る途中事故ありて暫し其塀に立掛 し者なる可し 殺せしは何者か殺されしは何者か更に手掛り 無しとは云へ七月の炎天、腐敗り易き盛りと云 ひ殊義國に擁畢昇†・モルグに在る 如き死骸陳列所の設けも無きゆゑ何時までも此 倦に捨置く可きに非ず、只寄(イ しいり) 匠役所は取敢へず溺死深茄人 と見倣(みた)して仮に埋葬し新聞紙 へ左の如く廣告したり  溺死人男年齢三十歳より四  十歳の間當(たう)二十二年七月五  日匠内築地三丁目十五番地  先川中へ漂着仮埋葬濟○人  相○顔面長(おゴリたドが)き方(ゴた)○口細き方  眉黒き方目耳尋常左りの頬  に黒痔(とリピさム)一ッあり頭散髪身長(ふしらさんぱつみりたり)  五尺三寸位中肉○傷所赦知  れず其内大傷は眉同に一ケ  所背に戴割たる如き切傷ニ  ケ所且肩より腰の湿りへ桝  け穂体に打のめさ几し加!・  膨上れり左の手に三レ〜所、  百に一ケ所頭の眞中に丈傷  其喧此唯こ漂傷等(かすにコち)敷多あ  り、咽(わど)に櫻(つか)ム潰せし如き侮  ○衣類大名縞填物(ハいレしへ  せハし)、ニタ子( り)  厭桟羽繊値紐附、紺博多  帯、肉シヤツ、   白足  袈、駒下駄○持物史に礁し  ○心當りの者は中出づ可し    明治二十二年七月六日        最寄匠役所     (右某新聞より碑載) 人殺しは折々あれど折くも無傍な、斯くも不思 議な、斯くも手掛なき人殺しは廿ハ類少し去れは 其口一日は到る所ろ此人殺しの噂たら心ほ無 りしも都曾は噂の征●製迭所なり翌日は池○事 の噂に口を葺はれ全く忘れたる如し獲り忘れぬ は最寄警穴一トの刑享巡査なり死核9、餅見せし朝の 猜ほ曙き頃より心を此事にのみ委ね身を此事に のみ使へり、心を委ね身を使へど.更に手樹りの 無きぞ悲しき 刑事巡査、下世話(げせわ)に謂ふ撲偵、世に是ほど忌( いま  )は しき職務は無く又之れほど立派∴る職務は無 し、忌はしき所を言へば介ハ身の鬼々しき心を.隠 し友}一之顛を作りて人に交り、信切菰をしイ、其人 の秘密を岡き出し廿へれを亘様官に責附けで.世を 渡る、外面加#薩内心川仁又とに女に非ず探偵 なり、切取張江人殺牢被り∴ど云へろ悪人多か らずば其職婆昌せず、悪人を採+πに善人を迄 も猛ひ、見ぬ振をして厭(へ ハそ )∴祀、聞かね様をして 楡み聴(きく)、人を見れば益(ど  いう)サ∵.し思へてふ悲(お  ニ し)き誠め を職業の虎の雀とし果は疑ふに止らで、人を見 れば盗坊で有れかし罪人で有れかしと研るにも 至bあり、此人若し謀反人ならば吾れ捕へて我 手柄にせん者を、此男若し罪人ならば我れ搭告 して酒の代(しへ)に有附(あり リい)ん者士、預に蝋燗は戴かねど 見る人㍍を呪ふとけ恐∴.しくも忌はしキ.職茱な り立派と云ふ所を云へば斯くまで人に槍まる、 を厭はず悪人を看破(みやぶ)りて其種を蕃し以て世の人 の安きを計る所謂身を殺して仁を爲す者、是ほ ど立派なる者あらんや 五日の朝八時頃の事最寄警察署の刑事巡査詰 所に二人の探偵打語らへり一人は年四十頃デツ プリと太りて顔には絶えず笑(ゑみ)を含めη此笑見る 人に由りて評(うはさ)を異にし愛矯ある顔と褒めるも有 り人を茶(ちや)かした顔と既(そし)るも有り公丞-の到断は上 向けば愛矯顔、下へ向ては茶かし顔なる可し、 名前は谷間田(たにまだ)と人に呼ばる紺飛白(こんがすり)の軍物に博多 の角帯、敷寄屋(すきや)の羽織は脱ぎて鴨居の帽子掛に 釣しあり無論官吏とは見えねど商人とも受取り 難し、今一人は年廿五六小作りにして如才(じよさい)なき 顔附なり白き棒縞の軍物金巾(かなきん)のヘコ帯、何(ど)う見 ても一個の書生なれど厳に詰居る所を見れば此 頃谷間田の下役に拝命せし者なる可し此男テー ブル越(ごし)に谷間田の顔を見上げて「實に不思議 だ、何う云ふ謬で誰に殺されたか少しも手掛り が無い」谷間田は例の茶かし顔にて「ナニ手掛 は有るけれど君の目には入らぬのだ何しろ東京 の内で何家(どこ)にか一人足らぬ人が出來たのだから 分らぬと云ふ筈は無い早い讐へが戸籍帳を借り て來て一人く調べて廻れば何所にか一人不足 して居るのが殺された男と先斯(まこ)う云ふ様な者サ 大靹君(おほともくん)、君は是が初めての事件だから充分働い て見る可しだ、斯う云ふ六(むづ)ケしい事件を引受け ねば昇等(しようとう)は出來ないぜ(大靹)夫(そ)りや分(めか)ッ居る盤(ぱん) 根錯節(こんさくせつ)を切(さら)んければ以て利器を知る無しだから 六(むづ)かしいは些(らっ)とも厭(いと)ヤせんサ、けどが何か手 掛りが無い事にや1先(ま)ア君の見た所で何(ど)の様な 事を手掛と仕給ふか(谷)何(ど)の様な事と、何か ら何まで皆手掛りでは無いか第一顔の面長いの も一ツの手掛り左の頬に癒(あざ)の有るのも亦手掛り 背中(せたか)の傷も矢張り手掛り先づ傷が有るからには 鋭い匁物(はもの)で切(きつ)たには違ひ無い左すれば差當り匁 物を所持して居る者に目を附けると先(ま)ア云ふ様 な具合で其目の附所(つけどころ)は當人の才不才と云ふ者君 -は日頃から佛國(ふらんす)の探偵が何うだの英國(いぎりす)の理學は 斯(かう)だのと洋書を凋りで讃んだ様な理屈を並べる から是も得意の論理學とか云ふ者で割出して見 るが好いアハ・・何と爾(まら つ)では無いかL大靹は心 中に己れ見ろと云ふ如き笑(ゑみ)を隠して故(わざ)と頭を掻 き「夫(それ)は爾(さう)だけどが書物で讃むのと實際とは少 し違ふからナア小読などに在る曲者は足痕が残 ツて居るとか兇器を遺(わす)れて置くとか必ず三ツ四 ツは手掛りを存(のこ)して有るけどが是ばかりは爾(さう)で 無い、天(てん)きり殺された奴の名前からして世間に 知て居る人が無い夫(それ)だから君何所から手を附け ると云ふ取附(とつつき)だけは知(しら)せて呉れねば僕だツて困 るじや無いか、(谷)其取附と云ふのが銘々の腹 に有る事で君の能く云ふ機密とやらだ互ひに深 く隠して、サアと成る迄は仮令(たと)へ長官にも知(しら)さ ぬ程だけれど君は先づ私(わし)が周旋で此署へも入(いれ)て 遣(やつ)た者では有(ある)し殊に是が軍(いくさ)で言へば初陣の事 だから人に云はれぬ機密を分けて遣る其所の入 口を閉(しめ)て來たまへ(大)夫や實に難有(ありがた)い畢生の鴻 恩だ」谷間田は卓子(ていぷる)の上の團扇を取り徐(しづく)々と煽 ぎながら少し聲を低くして「君先づ此人殺しを 何と思ふ慾徳墨(よくとくづく)の追剥と思ふか但しは又ー(大) 左様サ持物の一ツも無い所を見れば追剥かとも 思はれるし死様の無惨な所を見れば何かの遺恨 だらうかとも思ふし兎に角佛國(ふらんす)の探偵秘傳に分 り難き犯罪の底には必ず女ありと云ツて有るか ら女に關係した事柄かとも思ふ(谷)サ、爾先(さうさき) ツ潜りをするから困る静(しづか)に聞(きも)たまへな、持物の 無いのは誰が見ても曲者が手掛りを無くする爲 に隠した事だから追剥の証嫁には成らぬが、第 一傷に目を留たまへ傷は背(せな)に刀で切(きつ)たかと思へ ば頭には槌で砕いた傷も有る既に…脳天などは槌 だけ丸く肉が凹込(めりこ)んで居る爾かと思へば又所々 には孤投(かなくつ)た様な痕も有る(大)成るほどー (谷)未だ不思議なのは頭にへばり附て居る血 を洗ひ落して見た所頭の凹込んで砕けた所に太 い錐でも叩き込んだ様な穴も有るぜー君は氣が 附くまいけれど(大)ナニ氣が附て居るよ二寸 も深く突込んだ様に(谷)夫なら君アレを何で 附けた傷と思ふ(大)夫は未だ思考(かんがへ)中だ(谷) ソレ分るまい分らぬならば獣ツて聞く可しだ、 私(わし)はアレを此頃流行るアノ太い鉄の頭挿(かんざし)を突込 んだ者と鑑定するが何(ど)うだ」大靹は思はずも笑 はんとして辛(やつ)と食留(くひと)め「女がかへ(谷)頭挿(かんざし)だ から何うせ女サ、女が自分で 仕なくても曲者が、傍に落て 居るとか何うとかする女の頭 挿を取て突(つい)たのだ敦れにして も殺す傍(そぱ)には女びれが居たは 之で分る(大)でも頭挿の脚 は一,一ツだから穴がニツ開(あ)く筈 だらう(谷)馬鹿を言ひ給 へ、二寸も突込(つきこま)うと云ふには 非常の力を入れて握るから二 ツの脚が一ツに成(な)るのサ(大)  一ツに成(なつ)ても穴は横に扁(ひら)たく 開く筈だ、アノ穴は少しも扁 -たく無い満丸(まんまる)だよシテ見れば 頭挿で無い外の者だL谷間田 は又茶かす如く笑ひて「爾(さう)氣 が附くは仲々感心是(これ)だけは實 の所ろ一寸(ちよつ)と君の智悪を試し て見たのだ」大靹は心の底に て「ナニ生意氣な、人を試す などと其手に乗る者か」と廟 り畢(をは)ツて「夫(そん)なら本統の所ろ アレは何の傷だ(谷)夫は未だ 僕にも少し見込が附かぬが先(まあ) 静かに聞く可し、兎に角斯う 種々様々の傷の有る所を見れ ば、好(よい)かへ能く聞(きし)たまへ、一 人で殺した者では無い大勢で寄て襲(たか)ツて殺し た者だ(大)成る程1(谷)シテ見れば先づ曲 者は幾人(いくたり)も有るのだが、併し寄て襲ツて殺すに は何うしても往來では出來ぬ事だ(大)夫(そり)や何(ど) う云ふ課で(谷)何う云ふ謬ツて君、聞たまへ よ(大)又聞たまへか(谷)イヤ先(まあ)聞たまへ、 往來なら逃廻るから夫を追掛ける中には人殺し 人殺しと必ず聲を立(たて)る其中(そのうち)には近所で目を醒す とか巡査が聞附るとかするに極つて居る(大) 夫では野原か(谷)サア野原と云ふ考へも起る 併し差當り野原と云へば日比野(ひどや)か海軍原だ、日 比谷から死骸をアノ河岸まで携いで來る筈は無 し、又海軍原でも無い、と云ふ者は海軍原へは 矢鱈に這入(はひら)れもせず、叉隅から隅まで探しても 殺した様な跡は無し夫に一町ばかり離れた或家 の塀に血の附て居る所を見ても海軍原で殺して 築地三丁目の河岸へ捨るに一町も外(ほか)へ昇(かつい)で行く 筈も無(なし)(大)夫ては家の内で殺したのか(谷) 先(まあ)聞たまへと云ふのに、爾(さう)サ家の内とも、家の 内で殺したのだ、(大)家の中でも矢張り騒し いから近所で目を醒すだらう(谷)ソオレ爾(さう)思 ふだらう素徒(しろうと)は兎角爾(キごう)云ふ所へ目を附けるから 仕方が無い成るほど家の中でも大勢で人一人殺 すには騒ぎ廻るに違ひ無い、從ツて又隣近所で 目を醒すに違ひ無い、其所だテ隣近所で目を醒 してもア・又例の喧嘩かと別に氣にも留(ヒめ)ずに居 る様な所が何所にか有るだらう(大)夫では屡々 大喧嘩の有る家かネ(谷)爾サ、屡々大勢劫払 も集り又屡々大喧嘩も有ると云ふ家が有る其様 な家で殺されたから隣近所の人も目を醒したけ れど丞-氣で居たのだ別に答めもせずに捨て置(おい)て 又眠ツて仕舞ツたのだ(大)併し其様な大勢集 ツて喧嘩を再々する家が何所に在る(谷)是ほ どいッても未だ分らぬから素徒(しろうと)は夫で困る先(まあ)少 し考へて見たまへな(大)考へても僕には分ら んよ(谷)刑事巡査とも云はれる者が是位ゐの 事が州(つか)らんでは仕方が無いよ、賭(どま)場だアネ(大) 工、月、H刈なら知て居る佛英の聞の海峡 (谷)困るなア冗談ぢや無いぜ賭場とは賭博場(ばくちば) だアネ(大)成るほど賭場は博爽場(ばくちぱ)か夫なら博 爽場の喧嘩だネ(谷)爾サ博突場の喧嘩で殺さ れたのよ博突場だから誰も財布の外は何も持(もつ)て 行ぬがサア喧嘩と云へば直(すぐ)に自分の前に在る金 を懐中(ふところ)へ掻込んで立ち其上で相手に成るのが博 爽など打つ奴の常だ其所には仲々抜目は無い ワ、アノ死骸の當人も矢張り夫(それ)だぜ詳しい所ま では分らぬけれど何でも傍に喧嘩が有(あつ)たので手 早く側中(かはぢゆう)の有金を引俊ツて立(たヨ)うとすると居合せ た者共が銘々に其一人に飛掛り初の喧嘩は扱置 て己の金を何うしやがると云ふ様な具合に手ソ 手(おいで)ンに奪ひ返す所から一人と大勢との入蹴れと 爲り踏れるやら打(うた)れるやら何時(いつ)の間にか死(しん)で仕 舞ツたンだ、夫だから持物や懐中物は一個(ひとつ)も無 いのだ、工何うだ恐れ入(いっ)たか」大靹は暫し獣考(かんが) へて「成る程旨く考へたよ、けどが是は未だ蹄(き) たふは㌫ 納法で云ふ「ハイポセシス」だ仮定読だ事實と は云はれぬテ之から未だ「ヴニリフヰケーシヨ ソ」(証檬試験)を仕て見ん事にや(谷)サ夫が 生意氣だと云ふのだ自分で分らぬ癖に人の云ふ 事に批を打(うち)たがる(大)けどが君、君が根糠と するのは唯様々の傷が有(ある)と云ふだけの事で傷か らして大勢と云ふ事を考へ大勢からして博突場 と云ふ事を考へた丈じや無いか詰り証檬と云ふ のは様々の傷だけだ外に何も無い、第一此開明 世界に果して其様な博突場が有る筈も無しー (谷)イヤ有るから云ふのだ築地へ行ツて見ろ 支那人が七八(チ パ )も遣るし博突宿もあるし宿ツても ナニ支那人が自分では遣らぬ皆日本の博徒に宿 を借して自分は知らぬ顔で場銭(ぱせん)を取るのだ場銭 を、だから最(も)うスツカリ日本の賓轄(さいころ)で狐だの長 牛などを遣(やつ)て居るワ(大)けどが博突打にして は衣服(みなり)が憂だよ博多の帯に羽織などはー(谷) ナアニ支那人の博突宿へ入込む連中には黒い高 帽を冠ツた人も有るし様々だ、夫に又アノ死骸 を詳しく見るに手の皮足の皮などの柔な所は荒 仕事をした事の有る人間でも無し、かと云(いつ)て生 眞面目(きまじめ)の町人でも無い何うしても博突など打つ 様な惰(なま)け者だ」大靹は眞實感心せしか或は浮立(うきたし) せて猫ほ其奥を聞(きか)んとの巧計(たくみ)なるか急に打開け し言葉の調子と爲り「イヤ何うも感心した、何 にも手掛りの無いのを是まで見破ぶるとは、成 る程築地には支那人が日本の法権の及ばぬを奇 貨として其様な決敬な事を仕て居るかナア、實 に卓眼には恐れ入(しつ)た」谷間田は笑壷に入り「フ ム恐れ入たか、爾折(さうをれ)て出れば未だ聞(ユごか)せて遣る事 が有る實はナ」と云ひながら又も聲を低くし 「現場に立曾た豫審到事を初め刑部(けいぷ)に至るまで 丸ッきり手掛が無い様に思つて居るけれど未だ 目が利(きか)ぬと云ふ者だ己は一ツ非常な証檬者(しようこもの)を見 出して人知(しれ)ず取て置(おい)た(大)工、何か証檬品が 落て居たのか夫は實に驚いたナ(谷)ナニ斯う 抜目なく立廻らねば駄目だよ夫も君達の目で見 ては何.の証檬にも成らぬが苦螢人の活(いき)た目で見 れば夫が非常な証檬に成る(大)工其品は何 だ、見せたまへ、工君賓縛(さいころ)の類でも有るか(谷) 馬鹿を云ふな審輻などなら誰が見ても証檬品と 思ふワな己の目附(めつけ)たのは未だズツト小さい者(もの)だ 細い者だ」大靹は盆々詰(つめよ)寄り「工何だ何(ど)れ程細 い者だ(谷)聞(キしか)せるのじや無いけれど君だから 打明けるが實は髪の毛だ、夫も唯一本アノ握 ツた手に附て居たから誰も知らぬ先に己がコツ ソリ取ツて置た」大靹は心の中にて私(ひそか)に笑を催 ほし、「ナニ其髪の毛なら手前より己様(おれさま)の方が 先に見附たのだ實は四本握つて居たのをソツと 三本だけ取て置た、夫を知らずに残りの一本を 取て好い氣に成て居やがる老毫(おいぽれ)め、併し己の方 は若しも証檬隠憲(いんヒく)の罪に落ては成らぬと一本残 して置たのに彼奴(きやつ)其一本を取れば後に残りが無 い拡ら取(とり)も直さず犯罪の証糠を隠したに當る夫 を知ないでヘンなにを自慢仕やがるんだLと笑    お江かく                     つけどころ ふ心を推隠して「へ・工、君の目の附所は實に 違ふナル程僕も髪の毛を一本握ッて居るのをば 見たけれど夫が証擦に成(たら)うとは思はず、實に後 悔だ君より先へ取て置(おけ)ば好つたのに(谷)ナア ニ君などが取たつて仕方が無いワネ、若し君な らば一本の髪の毛を何うして証擦にする天きり 証糠にする術(すべ)さへ知らぬ癖に(大)知(しら)なくても 先へ取れば後で君に問ふのサ何うすれば証檬 に成るだらうと、工ー君、何うか聞せて呉れた まへ極内(ごくない)で、工一本の髪の毛が何うして証檬に 成ゑ下から傭げば瑛と谷間田は誇り裂ける ほどに顔を接げて「先(ムま)ア見たまへ此髪の毛を」 と云ひながら首に掛たる黒皮の懐中(ふところ)墓口より長 さ一尺強も有る唯一本の髪の毛を取出し窓の硝 子に透(すか)し見て「コレ是だ、先づ考へ可し、此通 り幾曲りも揺(ゆつ)て居るのは縮れツ毛だぜ、長さが 一尺ばかりだから男でもチョン髭に結(いつ)て居る髪 の毛は是だけの長(たけ)は有るが今時の事だから男は 縮毛なら勇(かつ)て仕舞ふ勇(から)ないのは幾等(いくら)か髪の毛自 慢の心が有る奴だ男で縮れつ毛のチヨン髭と云 ふのは無い(大)爾(さうく)々縮れツ毛は殊に散髪に持(もつ) て來いだから縮れツ毛なら必ず勇て仕舞ふ本 統に君の目は凄いネ(谷)爾すれば是は女の毛 だ、此人殺の傍には縮れツ毛の女が居たのだ (大)成る程(谷)居たドコロでは無い女も幾 分か手を下したのだ(大)成るー(谷)手を下さ無ければ髪の毛を握まれる筈が無い是は必ず男が死物狂(ぐるひ)に成り手に當る頭を夢中で握(つか)んだ者だ夫で實は先ほどもアノ錐の様な傷を若しや頭(かん)挿で突たのでは無いかと思ひ一寸と君の心を試して見たのだ素徒(しろうと)の目でさへ無論讐(かんざし)の傷で無いと分る位だから其考へは慶したが兎に角、縮れツ毛の女が傍に居て其髪を握(つか)まれた事は君にも分るだらう(大)ア・分るよ(谷)其所で又己が思ひ出す事が有る、最(も)うズツと以前だが博(まく)賭徒(ちうち)を探偵する事が有て己が自分で博賭徒(ぱくちうち)に見せ掛け二月(ふたつき)ほど築地の博徒宿に入込んだ事が有  の事だから連て來て少し礎し附ればベラく( )と  皆白状する、何うだ剛い者だらう(大)實に恐  入つたナア、けどが其宿は何所に在るのだ築地  の何所いらに、夫さへ教へて呉れゝば僕が行て  踏縛て來る、工何所だ直に僕を遣て呉たまへL  谷間田は俄に又茶かし顔に復り「馬鹿を言へ是  まで煎じ詰めた手柄を君に取られて堪る者か   (大)でも君は、僕の爲に教へて遣ると云ツた  では無いか、夫で僕を遣て呉れ無いならば教へ  て呉れたでは無い唯だ自慢を僕に聞せた丈の事  だ(谷)夫れほど己の手柄を奪ひ度きや遣てや  らうよ(大)ナニ手柄を奪ふなどと其様な野心                 はつ                           やら る其頃丁度築地カイワイに支那人の張て居る宿がニケ所あつた、其一ケ所に恐しいアバズレの、爾サ宿場女郎のあがりでも鶴うよ・でも顔は一寸と好い二十四五でも有うか或は三十位でも有うかと云ふ女が居た、今思へば夫が恰度此通りの縮れツ毛だ(大)夫は奇妙だナ(谷)サア博賭宿と云ひ縮れツ毛の女と云ひ此ニツ揃ツた所は外に無い、爾思ふと心の所爲(せゐ)かアノ死顔も何だか其頃見た事の有る様な気がするテ、だからして何は兎も有れ己は先づ其女を捕へようと思ふのだ「名前は何とか云たツけ、之も手帳を見れば分る爾々お紺と云ッた、お紺く餓り類の無い名前だから思ひ出した、お紺く、尤も今未(ま)だ其女が居るか居無いか夫も分らぬけれど、旨く居て呉れさへすれば此方の者だ、女 は無い僕は唯だー(谷)イヤサ遣ても遣うが第一君は何うして行く(大)何うしてツて外に仕方は無いのサ君に其町名番地を聞けば後は出た  上で巡査にでも郵便配達にでも聞くから謬は無  い、其家へ行て此家にお紺と云ふ者は居無いか  と問ふのサ」.谷間田は聲を放ツて打笑ひ「夫だ  から仕方が無い、夜前人殺と云ふ大罪を犯した  もの、多分は何所かへ逃たゞらう、好(よし)や居るに  しても居るとは言(もま)ぬよ、事に由れば餓温(まとヱり)の冷る  まで當分博賭(ぱくち)も止(やめ)るかも知れぬ何うして其楳な  未熟な事で了(いげ)る者か、差當り其家へは行かずに さセつくむ(ヰわモ)カ  外の所で探偵するのが探偵のいろはだよ、外の  所で愈々突留めた上は、此方の者だ、先が逃(にげ)よ  うとも隠れようとも其ンな事は卒氣だ、隠れた  ら公然と御用で以て踏込む事も出來る、支那人 なら一旦隠れた日にや日本の刑事巡査が何とも する事は出來ぬけれどお紺は日本の女だから (大)併し君、外(ほか)で聞(きくノ)とは何所で聞くのだ(谷) 夫を知らない様で此事件の探偵が出來る者か夫 は最う君の常に謂ふ臨機慮慶だから己の様に何 所を推せば何(どん)な音が出ると云ふ事をチヤーソと 知た者で無くては了(いけ)ない是ばかりは教へ度(たい)にも 教へ様が無いから誠に困るテ」斯く云ふ折しも 先ほど閉置(しめお)きたる入口の戸を開き「谷間田、何 うした略ぽ見當が附(つい)たかへ」とて入來るは此事 件を監督する荻澤(をぎさは)警部なり谷間田は悪事でも見 附られしが如く忽ち椅子より飛退(とびの)きて「ヘイヘ イ凡そ見當は附きました是から直(すぐ)に探りを初め ましてナニニ三日の中には必ず下手人を捕へま す」と長官を見上たる谷間田の笑顔、成るほど 此時は愛矯顔なりきー上向けば毎(いつ)でも、 谷間田は直(すぐ)帽子を取り羽織を着てさもく拙者 は時間を無駄には捨(すて)ぬと云ふ見榮で、長官より 先に出去(いでさり)たり、後に長官荻澤は彼(か)の取残されし 大靹に向ひ「何(ど)うだ貴公も何か見込を附けた か、今朝死儀を検めて頭の血を洗つたり手の握 具合(にぎりぐあひ)に目を留めたりする注意は仲々素徒(しろうと)とは見 えんだツたが」大靹は頭に手を置き「イヤ何う も實地に當ると、思ツた様に行きませんワ、何 うしても谷間田は経験が詰んで居るだけ違いま す今其意見の大略(あらまし)を聞てほとく感心しました (荻)夫(そり)やなア何うしても永年此道で苦勢して 居るから一寸(ちよつ)と感心させる様な事を言うテけれ ども夫に感心しては了(いけ)ん、他人の云ふ事に感心 してはツイ雷同と云ふ事に成て自分の意見を能(よ) う立(たて)ん、間違(まちがつ)ても好(よい)から自分は自分だけの見込 を附け見込通り探偵するサ外の事と違ひ探偵ほ ど間違ひの多い者は無いから何うかすると老練 な谷間田の様な者の見込に存外間違ひが有て貴 公の様な初心の意見が嘗る事も有る貴公は貴公 だけに遣(やつ)て見たまへ(大)ヘイ私(わた)しも是から遣 て見ます(荻)遣るべしく」と働す如き言葉 を残して荻澤は立去れり、大靹は濁り手を組で 「旨い長官は長官だけに、一寸(ちよい)と働まして呉れ たぞ、けどが貴公の様な初心とは少し癩に障る ナ、初心でも谷間田の様な無學には未だ負けん ぞ、ナニ感心する者か、併し長官さへ彼(あ)れ程に 賞(ほめ)る位だから谷間田は上手は上手だ自惚(うぬぽれ)るも無 理は無い、けどが己は己だけの見込が有るワ、 見込が有るに依て實は彼奴の意見の底を探りた いと下から出て煽起(おだて)れば圖(づ)に乗てペラノ\と多 舌(しゃべ)りやがる、ヘン人(ひと)、彼奴が経験くと経験で 以て探偵すれば此方は理學的と論理的で探偵す るワ、探偵が道樂で退校された己様だ無學の老 竈(おいぼれ)に負て堪る者か、彼奴め頭の傷を論明する事 が出來んで頭挿(かんざし)で突たなどと苦(くるし)がりやがるぞ此 方は一目見た時からチヤアンと見抜てある所持 品の無い澤も分つて居るは、彼奴が博爽場と目 を附たのも旨い事は旨いけどがナニ、博突場の 喧嘩に女が居る者か、成る程ソリヤ敷年前に縮 れツ毛の女が居たかも知れぬ、けどが女が人殺 の直接のエジェンシー(働き人(て))と云ふ事は無 い、と云つて己も是だけは少し明解し兼(うね)るけれ どナニ失望するには及ばぬ、先づ彼奴(きりつ)の蹄るま で宿へ鑑つてアノ髪の毛を理學的に試験する だ、夕方に成つて又舷(こらハ)へ來りや彼奴必ず露つて 居るから其所で又少し煽起(おだて)て遣れば、爾(さう)だ僕は 汗水に成て築地を聞合せたけどが博変宿の有る 所さへ分らなんだと斯う云へば彼奴必ず又圖に 乗て、手柄顔に自分の探偵した事も悉皆(すつか)り多舌(しやべつ) て仕舞うテ無學な奴は煽起(おだて)が利くから有難いナ ア、好い年を仕て居る癖にL 濁言(ひとりごち)つ〜大靹は此署を立去りしが定めし宿所に や婦(かへり)けん扱も此日の將(まさ)に暮んとする頃彼の谷間 田は手拭にて太き首の汗を拭きながら蹄り來り 直(すぐ)に以前の詰所に入り「オヤ大靹は、フム彼奴 何か思ひ附(つい)て何所かへ行たと見えるな」云ひつ つ先づ手帳紙入など握( つか)み出して卓子(ていぷる)に置き其上 へ羽織を脱ぎ其又上へ帽子を伏せ雨肌腕ぎて 突(づかく)々と薪水室(まかなべや)に歩み入りつ手桶の水を手拭に受 け絞り切ツて胸の當りを拭きながら斜に小使を 見て例の茶かし顔「お前(めえ)アノ大靹が何時出て 行たか知ないか(小)何でもお前(めや)様が出爲(でさしつ)てか ら牛時も経たんべい、濁りブツクリく言(こき)なが ら出て行ツたアだ(谷)フーム何所へ行たか、 目當も無い癖に(小)何だかお前様の事を言ツ たアだぜ、私(わし)が廊下を掃(はい)て居 ると控所の内で谷間田は好年(いしとし) イして煽起(おだて)工利くツて、彼奴 浮(うかく)々と悉皆(すつか)り多舌(しミつ)て仕舞たと 言(こ )きやがツて、工お前様煽起(おだて) が利きますか谷間田は眼を圓 くし「工彼奴が己の事を煽起 が利くツて失敬な奴だ好(よしく)々是 から見ろ何も教へて遣(やら)ぬから 好いワ、生意氣な」と打眩(つぷカ )き つ」早々拭終り又も詰所に鯖 りて帽子は鴨居に掛け羽織は 着、手帳紙入は懐中に入れ叉 「フ失敬なーフ小癩なーフ生 意気な」と績け乍ら長官荻澤 警部の控所に行(ゆき)たり長官に向 ひ谷間田は(無論愛矯頻で) 先ほど大靹に語りし如く傷の 様々なる所より博亦大場の事を 告げ頓(やが)て縮れたる髪筋を出し て差當りお紺と云へる素性(すじやラ)不 明の者こそ手掛りなれと論き 終りて更に又手帳を出し「斯 う見込を附たから打附(ぷつつ)けに先 づ築地の吉(きち)の所へ行きまし た、吉に探らせて見るとお紺 は昨年の春あたり築地を越し て何所へか行き今でも何うかすると築地へ來る と云ふ噂サも有るが多分淺草邊だらうとも云ひ 又牛込だとも云ふのです實に雲を握(つか)む様な話し さ、でも先差當(まづさしあた)り牛込と淺草とを目差して先づ 牛込へ行き夫(それぐ)々探りを入て置て直叉(すぐまた)車で淺草へ 引返しました、何うも汗水垢(あせみづく)に成て働きました ぜ、車代ばかり一圓五十銭から使ひました夫是(それこれ) の費用がザツと三圓サ、でも先(ま)アヤツとの事に 淺草で見當が附(つき)ました(警部は腹の中でフム牛 込だけはお負(まけ)だナ、手當を鯨計せしめようと思 ツて)實は斯うなんですお紺の年頃から人相 を私の畳えて居るだけの事を云て自分でも聞き 又兼(へね)て頼み附(つけ)の者にも捜らせた所、何だか馬道 の氷屋に髪の毛の縮れた雇女が居たと云ふ者が 有るんです今度は直(すぐ)自分で馳附(かけつけ)ました、馳附て 馬道の氷屋を片ツぱしから尋ねました所が居無 い又掃つて能く聞くとー(荻)爾(まヤつ)長たらし.`、て は困るズツと端折(はしよつ)てく、全髄お紺が居たか居 ぬか夫(それ)を先に云はんけりや(谷)居ました居ま したけれど昨夜三十四五の男が呼(よび)に來て夫(それ)に連 られ直蹄るとて出たツ切り今以て蹄らず今朝か ら探して居るけれど行衛も知れぬと申ます、工 怪いじや有ませんか的切(てつき)り爾ですぜ三十四五の 男と云ふのがアノ死骸ですぜ、夫も詳しくは畳 えぬと云ひますけれど何(どう)だか顔が面長くて別に 是と云ふ癖も無く一寸(ちよつ)と見畳えの出來にくい恰 好だツたと申ます、左の頬に黒癒(あざ)はと聞きまし  たら夫は確かに畳えぬが何でも大名縞の軍物(ひとへもの)の  上へ羽織を着て居たと云ふ事です、コレは最(も)う  漏鼠の主人も雇人も云ふ事ですから確かです   (荻)併し淺草の者が築地までー(谷)夫も課  が有ますよお紺は氷屋などの渡り者です是まで  も折々築地に母とかの有る様な話をした事も有  り、又店の急(いそが)しい最中に店を室(あけ)た事も有ます相  で(荻)夫では最(も)う何(ど)うしてもお紺を召捕らね  ば(谷)爾ですとも爾だから締つたのです何で  も未だ此府下に隠れて居ると思ひますから貴方   に願つて各警察へ夫(それムち)々人相なども廻し其外の手  配も仕て戴き度いので、私(わた)しは是より直(すぐ)に又其  淺草の氷屋で何う云ふ通博(つて)を以てお紺を雇入た   か、誰が受人だか夫を探し又捻々築地に居る母   とか何とか云ふ者が有るなら夫も探し又、先勿   博変宿が未だ有るか無いか若し有るなら咋夜何   の様な者が集ツたか、其所(そのところ)へお紺が來たか來な   いか、と夫から夫へ段々と探し詰ればナニお紺   が何所に隠れて居ようと直に突留めますお紺さ   へ手に入れば殺した者は誰、殺された者は誰、   其謬は是々と直(すぐ)に分ツて仕舞ひますL何の手掛   も無き事を僅か一日に足らぬ間に早や斯くまで  も調べ蜻しは流石老功の探偵と云ふ可し、荻澤   への読咀終りて又も警察署を出て行く、其門前   にて「イヨ谷間田君、手掛りが有(あつ)たら聞(ラムふ)せて呉   れ」と嚇鶴たるは彼の大靹なり大靹は先刻宿に  蹄りてより所謂理學的論理的に如何なる事を調(しらぺ) しや知らねど今又谷間田に煽起(おだて)を利(きか)せて彼れが 探り得たる所を探り得んと舷に來りし者なる可 し去れど谷間田は小使ひより聞得し事ありて再 び大靹に胸中の秘密を語らじと思へる者なれば 一寸(べちよつ)と大靹の顔を見向き「今に見ろ」と云ひし 儘、後は口の中にて「フ失敬なーフ小癩なーフ生 意氣な」と咳きながら彼の石の橋をも蹟抜(ふみぬ)く決 心かと思はるゝばかりに足蹟鳴して渡り去れり 大靹は其後姿を眺めて「ハテナ、彼(きやつ)奴何を立腹 したか今に見ろと言ふアノロ振(くちぷ)ではお紺とやら の居所でも突留たかなナニ構ふ者かお紺が罪人 で無い事は分ツて居る彼奴夫(きやつそれ)と知らずに、フ今 に後悔する事も知らずに1夫にしても理學論理 學の力は剛(えら)い者だ、タツた三本の髪の毛を宿所 の二階で試験して是だけの手掛りが出來たから 實に考へれば我ながら恐しいナア、恐らく此廣 い世界で略(ま)ぼ實(まニと)の罪人を知(しつ)たのは己一人だら う、是まで分ツたから後は明日の書迄には分る、 面白いく、悉皆(すつかり)罪人の姓名と番地が分るまで は先づ荻澤警部にも獣ツて居て、少しも私(わた)しに は見當が附ませんと云ふ様な顔をして散々谷間 田に誇らせて置て爾(さう)だ明日の正午十二時にはサ ア罪人は何町何番地の何の誰ですと明了(めいれう)に言切 ツて遣る楡快く併し待(まて)よ唯一通りの犯罪と思 ツては少し違ふ、罪人が何うも意外な所に在る から愈々其名前を打明る日にや杜會を騒がせる テ、輿論を動かすテ、條約改正の様に諸方で之 が爲に、演読を開く様になれば差當り己が辮士 先づ大井憲太郎君と云ふ顔だナー故郷へ錦、楡 快く」大靹は濁り頬笑み警察署へは入らずし て其儘又も我宿ヘブラくと蹄り去れり ア・大靹は如何なる試験を爲し如何なる事を襲 明せしや僅か三本の髪の毛、如何なる理學的ぞ 如何なる論理的ぞ谷間田の疑へるお紺は果して 全くの無關係なるや、疑團又疑團、明日の午後(ひるすぎ) には此疑團如何に氷解するや 中篇(付度(そんたく)) 翌六日の正午、大靹は三筋の髪の毛を恭しく紙 に包み水引を掛けぬばかりにして警察署に出頭 し先づ荻澤警部の控所に入れり、折柄警部は次 の室(ま)にて食事中なりしかば其終りて出來(いできた)るを待 ち突如(だしぬけ)に「長官大憂です」荻澤は牛拭(はんサきっ)にて髭の 汚(よご)れを拭取りながら椅子に糧(よ)り「唯だ大一憂とば かりでは分らぬが手掛でも有たのか(大)工手 掛、手掛は最初の事です最う悉皆(すつかり)分りました實(まこと) の罪人がi何町何番地の何の誰と云ふ事まで」 荻澤は怪しみて「何うして分つた(大)理學的諭 理的で分りました而も非常な罪人です實に大事 件です」荻澤は殆ど大靹が俄に獲狂せしかと迄 に怪しみながら「非常な罪人とは誰だ、名前が 分つて居るなら先づ其名前を聞(ギ マか)う(大)素(もと)より 名前を言(いさ)ますが夫より前に私(ハた)しの襲見した手績 ぎを申ます、けどが長官、私しが読明して仕舞 ふ迄は此室(ま)へ誰れも入れぬ事に仕て下さい小使 其他は申すに及ばず帳令(たと)ひ谷間田が婦つて來る とも決して無断では入れぬ事に(荻)好(よしく)々谷間 田はお紺の隠伏(かくれ)て居る所が分つたゆゑ午後二時 までには拘引して來るとて今方出て行たから安 心して話すが好いL荻澤は固より心から大靹の 言葉を信ずるに非ず今は恰も外に用も無し且は 全く初陣なる大靹の技量を試さんとも思ふによ り彦々其言ふ儘に從へるなり(大)では長官少 し暑いけどが舷等(こちら)を締(しめ)ますよ昨日も油漸して濁 言を吐(いつ)て居た所ろ後で見れば小使が廊下を掃除 しながら聞て居ました、壁に耳の讐へだから聲 の洩れぬ様にして置(おか)ねば安心が出來ません」と 云ひつゝ四遅の硝子戸を鎖(とざ)して荻澤の前に居直 り、紙包みより彼の三筋の髪毛(がみのけ)を取出しつ細語(さしゃ) く程の低き聲にて「長官此髪(このけ)を御鷺.なさい是は アノ死人が右の手に握つて居たのですよ(荻) オヤ貴公も夫(それ)を持て居るか谷間田も昨日一本の 髪を持て居たが(大)イエ了(いけ)ません谷間田より 私しが先へ見附たのです、實は四本握つて居た のを私しが先へ廻つて三本だけソツと抜て置き ましたハイ谷間田は夫に氣が附きません初めか ら唯一本しか無い者と思つて居ます」荻澤は心 の中にて(個奴(こやつ)馬鹿の様でも仲々抜目が無いワ へ)と少し驚きながら「夫(モれ)から何(ど)うした(大) 谷間田は之を縮れ毛と思つてお紺に目を附まし た、夫が間違ひです若し谷間田の疑ひが當れ ば夫は偶中(まぐれあた)りです論理に叶つた中方(あたりかた)では在ませ ん、私しは一生懸命に成て種々の書籍を取出し ヤツと髪の毛の性質だけ調べ上げました(荻)無 駄事は成る可く省いて簡軍に述(のぷ)るが好いぜ(大) ハイ無駄事は申しません先づ肝腎な縮れ毛の澤 から云ひませう髪の毛の縮れるには夫だけの原 因が無くては成(なら)ぬ、何が原因か全体髪の毛は先 づ大方圓いとした者で、夫が根(もと)から梢(すゑ)まで一様 に圓いなら決して縮れません何(ど)うかすると中程 に摘(つか)み挫(ひし)いだ様に薄ツぴらたい所が有る其扁(ひら)た い所が縮れるのです、ですから生れ附の縮毛に は必ず何所かに扁い所が有る、若し夫が無けれ ば本統の縮毛では無い、所で私しが此毛を疏末 な顯微鏡に掛けて熟(よ)つく覗ました所根(もと)から梢(すゑ)ま で満遍なく圓い、薄ツぴらたい所は一ツも無 い、左すれば是は本統の縮毛で有ません、分り ましたか、夫だのに丁度縮毛の様に揺れくし て居るのは何う云ふ課だ、是は結(むす)んで居るうち 附た癖です讐へば眞直な髪の毛でもチョン髭に 結べは其髭の所だけは解(とい)た後でも揺れて居ませ う、夫と同じ事で此髪も縮れ毛では無い結んで 居た爲に斯様(かやう)に癖が附たのです、ですからお紺 の毛では有りません、分りましたか」荻澤は少し で無いからお紺の毛では無いと云ふのだナ(大) サァ夫が分れば追々云ひませう、僅三(わずか)本の髪 の毛ですけれど斯う云ふ具合に段々と詮議し て行くと色々の証檬が上つて來ます貴方先(ま)ア御 自身の髪の毛を一本お抜なさい奇妙な証撮を見 せますから、此証檬ばかりは自分に試験して見 ねば誰も誠と思ひません先ア欺されたと思つて 一本お抜なさい、抜て私しの云ふ通りにすれば 期(きつ)と實(まこと)の罪人が分ります」荻澤警部は馬鹿く しく思へど物は試験(ためし)と自ら我頭より長サ三四寸 の髪の毛を一本抜き取り「是を何うするのだ (大)其髪の根(もと)を右向け梢(すゑ)を左り向けて人差指 と親指のニツで中程をお摘みなさい(荻)斯う か(大)爾(さう)ですく、次に又最(もう)一本同じ位の毛 をお抜なさい、イエナニ何本も抜には及びませ ん唯二本で試験の出來る事ですから僅に最(もう)一本 です、爾(さうく)々、今度は其毛を前の毛とは反封(まミ)に根 を左り向け末を右向て、今の毛と重ね、爾(さうく)々其 通り後前互違(あとさきたがひちがひ)に二本の毛を重ね一緒に二本の指 で摘(つまん)で、イヤ違ます人差指を下にして其親指を 上にして爾う摘むのです、夫で其人差指を前へ つきだし             さうくつま              より 突出たり後へ引たり爾々詰り二本一緒の毛へ捻 を掛たり戻したりするのですソレ奇妙でせう二 本の毛が次第くに右と左ヘズリ抜るでせう丁 度二尾(ひき)の鰻を打違(うちちが)へに握つた様に一ツは右へ抜 け一ツは左りへ抜(ぬけ)て段々とソレ捻れば捻るほ ど、ネエ、奇妙でせう(荻)成る程奇妙だチヤ ソと重さねて摘んだのが次第くに此通り最う 雨方とも一寸ほどズリ抜(ぬけ)た(大)夫(それ)は皆根(もと)の方 へずり抜るのですよ、根が右に向(むかつ)て居るのは右 へ抜け根が左へ向(むい)て居るのは左へ抜けて行くの です(荻)成る程爾(きう)だ何(ど)う云ふ謬だらう(大) 是が大鍵な証檬に成るから先づ氣永くお聞なさ い、斯様にズリ抜ると云ふ者は詰り髪の毛の持 前です、極(ごくく)々度の強い顯微鏡で見ますと紹て毛 の類には細かな鱗が有ります、鱗(うろこ)が重なり重 なツて髪の外面(うわべ)を包んで居ます丁度笥の皮の様 な按排式(あんぱいしき)に鱗は皆根から梢(すゑ)へ向て居るのです、 ですから捻(より)を掛たり戻したりする内に鱗と鱗が 突張り合てズリ抜(ぬけ)るのです(荻)成る程爾(さう)かな (大)未だ一ッ其鱗の早く分る事は髪の毛を摘 んで、スーッと素扱(すご)いて御魔 なさい、根(もと)から梢(すゑ)へ扱(こ)く時に は鱗の順ですから極滑(ごくなめら)かでサ ラくと抜けるけれど梢より 根へ扱く時は鱗が逆ですから 何と無く指に腐(こた)へる様な具合 が有て何(ど)うかするとブルく と軽(きし)る様な音がします(荻) 成る程爾(きう)だ順に扱けば手腐(てごた)は 少しも無いが逆に扱け砥微か に手庸へが有る(大)サア是で 追々に分ります私しは此三筋 の髪の毛を其通りして幾度も 試してみましたが一本は逆毛 ですよ、是は最(も)う死骸の握つ て居る所を其儘取ッて堅く手帳の間へ挿み大事 にして婦ツたのだから途中で向(むき)の違ふ事は有ま せん此三筋を斯う握つて居たのです、其中でへ イ此一本が逆髪(さかげ)です外の二本とは反封に向て居 ます(荻)成る程(大)サァ何うです大璽な証 檬でせう(荻)何故1(大)何故だツて貴方、 人間の頭へは決して鱗の逆に向た毛の生(はえ)る者で は有りません、何(ど)の様な事が有(あつ)ても生(はえ)た儘の毛 に逆髪(さかげ)は有ません、然るに此三本の内に一本逆 毛(さかげ)が有るとは何故でせう帥ち此一本は入毛(いれぽ)で す、入毛や暇髭(かもじ)などには能く逆毛の在る者で女 が蝦髪を洗ッて何うかするとコγガラかすのも 矢張(やつぱ)り逆毛が交ッて居るからの事です逆毛と順 の毛と鱗が掛り合ふからコンガラかツて解(とけ)ぬの です頭の毛ならば順毛ばかりですから好(よし)んばコ ソガラかツても終には解(とげ)ます夫(それ)や最(も)う女髪結に 聞(きい)ても分る事(荻)夫が何の証檬に成る(大) サア此三本の中に逆毛が有て見れば是は必ず入 毛です此罪人は頭へ入毛を仕て居る者です(荻) 夫(それ)なら矢ツ張り女では無いか女より外に入毛な どする奴は無いから(大)爾(さう)です私しも初は爾(さう) 思ひましたけれど何(ど)うも女が斯う無惨(むざ)くと男 を殺すとは些(ち)と受取檜いから色々考へて見ます と、男でも一ッ逆毛の有る場合が有ますよ、夫(それ) は何かと云ふに髪(かつら)です髪や假面(めん)には随分逆毛が 澤山交ツて居ます夫(モれ)だから私しは若しや茶番師 が催ほしの蹄りとか或は又暇粧蹟舞(フアンシ ボ ル)に出た人が 殺したでは無いかと一時は斯も疑ツて見ました 併し大隈伯が強硬主義を取てから侵粧蹟舞は悉 皆(すつかり)無くなるし夫(それ)かとて立茶番(たらちやばん)も此頃は餓り無 い、夫に逆毛で無い後の二本を熟(よ)く検めて見る と其根の所が恨面(めん)や髪から抜(ぬけ)た者で無く全く生(はえ) た頭から抜た者です夫は根の附て居る所で分り ます殊に又合鮎の行かぬのは此縮(このちど)れ具合です、 既に天然(うまれつき)の縮毛では無く全く結癖(ゆひぐせ)で斯う曲ツて 居るのですから何(ど)う云ふ髪を結べば此様な癖が 附ませう、私しは宿所へ來る髪結にも聞きまし たが何(ど)うも分らぬと云ひました、爾(さう)すれば最(も )う 全然(すつかり)分らん、分らんのを能くく考へて見ると 有りますワヘ此通り髪の毛に癖の附く結ひ方 が、工貴方何うです、此癖は決して外では無い 支那人ですハイ確に支那人の頭の毛です 荻澤警部は暫し呆れて目を見張りしが又暫し考 へて「夫(それ)では支那人が殺したと云ふのか(大) ハイ支那人が殺したから非常な事件と云ふので す、固より軍に人殺しと云ふだけの罪ですけれ ど支那人と有(あつ)て見れば國と國との問題にも成兼(なりかね) ません事に由ては日本政府から支那政府へー (荻)併し未だ支那人と云ふ証檬が充分に立(たヨ)ぬ では無いか(大)是で未だ証檬が立ぬと云ふは 夫(それ)や無理です、第一此罪人を男か女かとお考へ なさい、アノ傷で見れば死(しぬ)る迄に餓ほど闘つた 者ですが女ならアレほど闘ふ中に早く男に匁物 を奪取(うぱひとら)れて反封(あべこべ)に殺されます、又背中の傷は逃(にげ) た証檬です、相手が女なら容易の事では逃げま せん、夫に又女はー(荻)イヤ女で無い事は 理屈に及ばぬ箱屋殺しの様な例(はなし)も有るけれど夫 は不意打、アノ傷は決して不意打で無く随分闘 つた者だから夫は最(も)う男には違ひ無い(大)サ ア既に男とすれば誰が一尺餓りの髪(け)を延(のぱ)して居 ますか代言人の中には有(ある)とか言ひますけれど夫 は論外、又随分チヨン髭も有りますが此髪の癖 を御覧なさい揺れて居る癖を、代言人や肚士の 様な散(ちら)し髪(け)では無論、此癖は附かず、チヨン髭 でも同じ事、唯だ此癖の附くのは支那人に限り ます、支那人の頭は御存(ごぞんじ)でせう、三ツに分て紐 に組ます、解(とい)ても癖直しをせぬ中は此通りの曲(くせ) が有ます根(もと)から梢(すゑ)まで規則正しくクネッて居る 所を御魔なさい夫に又支那人の外には男で入毛 する者は決して有りません支那人は入毛をする のみならず夫(それ)で足(たら)ねば糸を入れます、此入毛と 云ひ此縮れ具合と云ひ是が支那人で無ければ私 しは辞職します、工支那人と思ひませんかL荻 澤は一鷹其道理あるに感じ猫ほ彼(カ)の髪の毛を検 めるに如何にも大靹の云ふ通りなり「成るほど 一理屈あるテ(大)サア一理屈あると仰有る柄(から) は貴方も最(も)う牛信牛疑と云ふ所まで漕(こぎ)つけまし た貴方が牛信牛疑と來れば此方の者です私しも 是だけ襲明した時は尚(ま)だ牛信坐-疑で有たので す、所が後から段々と確な証檬が立(たつ)て來るから 途に何(ど)うしても支那人だと思ひ詰め今では其住 居其姓名まで知て居ます、其上殺した原因から 其時の様子まで略ぽ分って居ます、夫も宿所の 二階から一足も外へ蹟出さずに探り究めたので す(荻)夫ては先づ名前から云ふが好い(大) イエ名前を先云(さきい)て仕舞ては貴方が終りまで聞(きか)ぬ から了(いけ)ません先づお聞なさい、今度は傷の事か ら申します、第γはアノ背中に在る匁物の傷で すが是は怪(あやし)むに足りません、大抵人殺は匁物が 多いから先づ當前(あたりまへ)の事と見逃して拐て.不審儀(ふしぎ)な のは脳天の傷です、馨者は槌で叩いたと云ひま すし、谷間田は其前に頭挿でゞも突ただらうか と怪んで居ますが雨方とも間違ひです、何より 前(さき)に丸く凹込(めりこ)んで居る所に眼を留(とめ)ねば成ませ ん、槌で叩たなら頭が砕けるにもしろ必ず膨揚(はれあが) ります決して何日(いつ)までも凹込で居ると云ふ筈は 無い、夫(それ)だのにアノ傷が實際凹込で居るのは何(ど) う云ふ課でせう、是は外でも無いアレ丈の丸い 者が頭へ當つて當ツた儘で四五分間も其所を屋(おし) .附(つけ)て居たのです、其中に命は無くなるし血は出 て仕舞ひ膨上(はれあが)るだけの精が無く成(なつ)た、サア精の. 無く成た後で其丸い者を取たから凹込切(めりこみぎり)に成た のです、夫なら其丸の者は何か、何うして爾(ムごう)長 い間頭を歴附けて居たのか是が一寸(ちよつ)と合鮎の行 きにくい箇條、併しナニ考へれば謬も無い事で す、其読明は先づ論理學の蹄納法に從つて暇定 読から先に言(いは)ねば分らぬ、此闘ひは支那人の家 の高い二階ですぜ、一方が逃る所を背後(うしろ)から二 刀三(ふたかたな)刀追打に浴せ掛たが、静かに坐つて居るの と違ひ何分にも旨(よ)く切れぬ夫(それ)だから背中に縦の 傷が幾個(いくつ)も有る一方は逃げ一方は追ふ内に梯子 段の所まで追詰た、斯うなると死物狂ひ、窮鼠 却て猫を食むの讐へで振向いて頭の髪を取(とら)うと した、所が悲しい事には支那人の頭は前の亦を 剃(すつ)て居るから旨く届かぬ僅に指先で四五本握(つカん)だ が其中に早や支那人の長い爪で咽笛(のどぷえ)をグツと握 まれ且つ眉間を一ツ切砕(きりくだ)かれウンと云つて仰向 に脊(うしろ)へ倒れる、機(はず)みに四五本の毛は指に掛つた 儘で抜けスラくと尻尾の様な紐が障(さは)る其途炭(とたん) 入毛だけは根が無いから謬も無く抜けて手に掛 る。倒れた下は梯子段ゆゑドシソくと頭から 背(せな)から腰の邊(あたり)を強く叩きながら頭が先に成(たつ)て韓 げ落(おち)る、落た下に丁度丸い物が有(あつ)たから其上ヘ ヅシソと頭を突く、身体の重サと落て來る勢ひ でメリくと凹込(めりこ)む、上から血眼で降(おり)て來て抱 起すまでには幾等(いくら)かの手間が有る其中に血が蓋 きて、膨上(ふくれあが)るだけの勢が消(きえ)たのです、背中から 腰へ掛け紫色に叩かれた痕や擦剥(すりむい)た傷の有るの は梯子段の所(せゐ),爲、頭の凹込は丸い物の仕業、決し て殺した支那人が自分の手で斯う無惨な事をし たのでは有(あり)ません、何うです、是でも未だ分り ませんか(荻)フム仲々感心だ、當る當らんは 籾置いて初心の貴公が斯う詳しく意見を立(たて)るは 兎に角感心する、けれど其丸い者と云ふのは何 だへ(大)色々と考へましたが外の品では有ま せん童子(こども)の旋(まは)す凋樂(こま)であります、濁樂だから鉄 の心棒が斜に上へ向(むかつ)て居ました其証檬は錐を叩 き込だ様な深い穴が凹込の眞中に有ます(荻) 併し頭が其心棒の穴から砕(くだけ)る筈だのに(大)イ ヤ彼(あ)の頭は凋樂の爲に砕(くだげ)たのでは無く其實、下 まで落着かぬ前に梯子の段で砕けたのです濁樂 は唯アノ凹込を桁へただけの事です(荻)フム 成る程爾(さう)かなア(大)全く爾です既に濁樂が有 たとして見れば此支那人には七八歳以上十二三 以下の見(ニ)が有ます(荻)成る程爾だ(大)此証 檬は是だけで先づ留(とめ)て置きまして再び髪の毛の 事へ臨ります、私しは初め天然の縮毛で無い事 を知(しつ)た時、猶ほ念の爲め湯気で伸して見ようと 思ひ此一本を鉄瓶の口へ當(あて)て、出る湯氣にかざ しました、すると意外千萬な獲明をしたのです 實は罪人の名前まで分つたと云ふも全く其襲明 の鴻恩です、其襲明さへ無けりや何(ど)うして貴方、 名前まで分りますものか」荻澤も今は熱心に聞 く事と爲り少し迫込(せヤ もこ)みて「何(ど)、何う云ふ襲明だ (大)斯です鉄瓶の口へ當ると此毛から黒い汁 が出ました、ハテなと思ひ能(よくノヘ)々見ると、何うで せう貴方、此毛は實は白髪(しらが)ですぜ白髪を此様に 染めたのですぜ、染てから一週聞も経つと見え 其間(そのあひだ)に五厘ばかり延びてコレ根の方は延びた丈 け又白髪に成て居ます(荻)成る程白髪だ、熟(よ) く見れば白髪を染(そめ)た者だ、シテ見ると老人だナ (大)ハイ私しも初めは老人と見込を附(つけ)ました が猫ほ考へ直して見ると第一老人は身艘も衰 へ、從つては一切の情慾が弱くなり其代り堪辮(かんべん) と云ふ者が強く爲(なつ)て居(をり)ますから人を殺すほどの 立腹は致しませず好(よし)や立腹し'た所で力が足らぬ から若い者を室中追廻(へやぢゆうおひまは)る事は出來ません(荻) 夫(それ)も爾(さう)だな(大)爾ですから是は左ほどの老人 では有りません随分四十に足らぬ中に白髪ばか りに成る人は有ますよ是も其類です、年が若く 無ければアノ吝薔(しわんぼう)な支那人ですもの何うして白 髪を染めますものか、年に似合ず白髪が有て能(よ) くノ\見ツとも無いから止(やむ)を得ず染たのです (荻)是は感服だ實に感服(大)サア是から後 は直(じき)に分りませう支那人の中で濁樂を弄ぶ位の 子供が有(あつ)て、年に似合はず白髪が有て、夫で其 白髪を染て居る、此様な支那人は決して二人と は有ません(荻)爾(さう)ともく、だが君は兼て其 支那人を知て居たのだな(大)イエ知りません、 全く髪の毛で推理したのです(荻)でも髪の毛 で名前の分る筈が無い(大)ハイ髪の毛ばかり では分りません名前は又外に計略を廻らせたの です(荻)何(ど)の様な計略を(大)イヤ夫(それ)が話し の種ですから、夫を申上る前に先づ貴方に聞て 置く事が有ります今まで私しの詮明した所に何 か不審は有ませんか、若し有れば夫を残らず説 明した上で無ければ其計略と其名前は申されま せん(荻)爾かな今までの所には別に不審も無 いがイヤ待て己は此人殺しの原因が分らぬテ谷 間田の云ふ通り喧嘩から起つた事か夫(それ)とも又 1(大)イヤ喧嘩では有ません全く遺恨です、 遺恨に相違ありません谷間田はアノ、傷の澤山 有ると云ふ一鮎に目が暗(くれ)て第一に大勢で殺した と考へたから夫が間違ひの初です成る程、大勢 で附けた傷とすれば喧嘩と云ふより外に読明の 仕やうが有りません、併し是は決して大勢では 無く今も云ふ通り當人が、逃廻つたのと梯子段 から落た爲に様々の傷が附たのです矢張り一 人と一人の闘ひです一ッも大勢を封手と云ふ 証掻は有ません(荻)併し遺恨と云ふ証檬は (大)其証振が仲々入組(いりくん)だ議論です鼠永くお聞(きト) を願ひます尤とも是ばかりは私しにも充分には 分りません唯遺恨と云ふ事丈が分つたので其外 の詳しい所は到底本人に聞く外は仕方が有ませ ん、先づ其遺恨と云ふ丈の道理を申ませうLと て掌裏(てのひら)にて汗を拭ひたり 大靹は一汗拭ひて言葉を績け「第一に目を附け 可き所は殺された男が一ツも所持品を持て居無(ゐな) い一條です、貴方を初め大概の人が是は殺した 奴が露見を防ぐ爲めに奪ひ隠して仕舞ツたのだ と申ますが決して爾(さう)では有りません、若し夫(それ)ほ ど抜目なく気の附く曲者なら自分の髪の毛を握 られて居る事にも必ず氣が附く筈です然るに髪 の毛に氣が附かず其儘握らせて有たのは唯(も)最う 死廠さへ捨れば好いとドギマギして死駁を捨ぎ 出したのです(荻)フム爾だ所持品を隠す位な ら成る程髪の毛も取捨る筈だシテ見ると初(はじめ)から 持物は持て居無(ゐなか)つたのかナ(大)イエ爾でも 有まモん持て居たのです、極々下等の衣服(みなり)でも 有ませんから財布か紙入の類は是非持て居たの です(荻)併し夫は君の想像だらう(大)何う して想像では有ません演繹法(えんええ ごはふ)の推理です、好(よ)し 叉紙入を持ぬにしても煙草入は是非持て居まし た彼れは非常な煙草好ですから(荻)夫(それ)が何(どう)に して分る(大)夫は誰にも分る事です私しは死 骸の口を引開て歯の裏を見ましたが煙脂(やに)で眞黒 ・に染つて居ます何(ど)うしても餓程の姻草好(ずき)です煙 草入を持て居ない筈は有ません、是が書生上り とか何(なん)とか云ふなら随分お先煙草(さきたぱこ)と云ふ事も有 ますけれど彼れは爾で有ません、安物ながら博 多の帯でも〆て居(しめ)れば是非最(も)う腰の廻りに煙草 入が有る者です(荻)夫(それ)なら其煙草入や財布杯(など) ナ (ミ)(たく)く が何うして無なッた(大)夫が遺恨だから無な つたのです遺恨とせねば外に論明の仕様が有ま せん、遺恨も唯の遺恨では無い自分の身に恨(うらま)れ る様な悪い事が有て常に先の奴を恐れて居たの です、何でも私しの考へでは彼れ鯨程緩(ゆつ)くりし て紙入も取出し煙草入も傍に置き、打寛ろいで 誰かと話でも仕て居たのです其所へ不意に恐し い奴が遣(やつ)て來た者だから取る者も取合へず逃出 したのです夫だから持物は何も無いのです(荻) 而し夫だけでは何うも充分の道理とも思はれん が(大)何故充分と思はれません第一背の傷が 逃た証糠です自分の身に悪い畳えが無くて何故 逃ます、必ず逃る丈の悪い事が有る柄(かう)です、既 に悪い事があれば恨まれるのは當前(あたりまへ)です、自分 でさへ悪いと思つて逃出す程の事柄を先方が恨 まぬ筈は有ません(荻)夫(それ)は爾(さう)だ、左すれは貴 公の鑑定では先づ好夫(まをとこ)と見たのだナ好夫(かんぶ)が好婦 と密(しの)び逢て話しでも仕て居る所へ本統の所天(をつと)の 不意に蹄つて來たとか云ふ様な謡柄(わけがら)で(大)爾 です全く爾です、私しも初から好夫(まをとこ)に違い無い と目を附けて居りましたが誠の罪人が分つてか ら初て好夫では無かつたのかナと疑ひを起す事 に成りました(荻)夫(それ)は何う云ふ澤で(大)別 に深い課とても有ませんが實(まこと)の罪人は妻が無い のです知は後で分りました(荻)併し掲樂を廻 す位の子が有れば妻が有る筈だが(大)イエ、 鷲でも妻は無いのです或は昔し有たけれど死だ のか離縁したのか、殊に又其の子と云ふのも貰 ひ子だと申します(荻)貰ひ子か夫(それ)なら妻の無 いのも無理ではないが、併しi若し又羅紗緬(らしやめん)で も有はせんか(大)私しも爾(さう)思つて其所(そこ)も探り ましたが、兎に角自分の宅(うち)には羅紗緬類似の女 は一人も居ません(荻)イヤサ家に居無くと も外へ騨つて有れば同じ事では無いか(大)イ エ外へ園つて有れば決して此通りの犯罪は出來 ません何故と云(いふ)に先外妾(まづかこひもの)ならば其密夫(みつぷ)と何所で 逢ひます(荻)何所とも極らぬサれど爾(さ つ)サ、先 づ待合其他の曖昧な家か或は其園(そのガニ)はれて居る自 分の家だナ(大)サ夫だから團ひ者で無いと云 ふのです、第一、待合とか曖昧の家とか云ふ所 だと是程の人殺しが有(あつ)て御魔なさい、當人達は 隠す積(るをド  )でも其家の者が獣つて居ません、警察へ 馳附るとか隣近所を起すとか左も無くば後で警 察へ訴へるとか何とか其様な事を致します、で すから他人の家で在つた事なら此様な大罪が今 まで手掛りの出ぬ筈は有ません(荻)若し其圏 はれて居る家へ好夫(まをとこ)を引込で居たとすれば何(ど)う だ(大)爾(さう)すれば論理に叶ひません先づ自分の 園はれて居る家へ引込む位なら必ず初から用心 して戸締を充分に附けて置きます、殊に此犯罪 は馨者の見立で夜の二時から三時の間と分つて 居ますから戸締をして有(あつ)た事は重々確(たしか)です、唯 に戸締りばかりでは無い外妾(かこひもの)の腹では不意に旦 那が戸を叩けば何所から逃(にが)すと云ふ事までも前 以て見込を附て有るのです夫(それ)位の見込の附く女 で無ければ決して我園(わがかこ)はれて居る所へ男を引込 むなど左様な大謄な事は出來ませんサア既に斯(かう) まで手配(てくぱり)が附て居れば旦那が外から戸を叩く、 ハイ今開ますと返事して手燭を鮎(つけ)るとか燐寸(まツち)を 探すとかに紛らせて男を逃します逃した上で無 ければ決して旦那を入れません(荻)夫(それ)は爾(さう) だ、ハテナ外妾(かこひもの)で無し、夫(それ)かと云つて羅紗緬(らしやめん)で も妻でも無いとして見れば君の云ふ好夫(まをとこ)では無 いじや無いか(大)ハイ夫(それ)だから好夫とは云ひ ません唯だ好夫の様な種類の遺恨で、卸ち殺さ れた奴が自分の悪い事を知り兼々恐れて居(ゐる)と云 ふだけしか分らぬと申ました、(荻)でも好夫よ り外に一寸(ちよつ)と其様な遺恨は有るまい,(大)ハイ 外には一寸と思ひ附ません併し六ケしい犯罪に は必ず一のミステリイ(不可思議)と云ふ者が 有ますミステリイは到底罪人を捕へて白歌させ ・た上で無ければ何(ど)の様な探偵にも分りません是 が分れば探偵では無い神様です、此事件では舷 が帥ち、・・ステリイです、斯様に好夫騒ぎで無く ては成らぬ道理が分つて居な がら其本人に妻が無い是が不 思議の不思議たる所です、決 して當人の外には此不思議を 解く者は有ません(荻)爾(さう)ま で分れば夫(それ)で能い最(も)う其本人 の名前と貴公の講ふ、計略を 聞(きか)う(大)併し是だけで外に疑 ひは有ませんか(荻)ーフム無 い唯だ今謂(いツ)たミステリイとか の一鮎より外に疑はしい所は 無い(大)夫(それ)なら申ますが斯云(かうい) ふ次第です」と又も額の汗を 拭きたり 扱大靹は言出(いひいづ)るやう「私しは 全く昨日の中に是だけの推理をして罪人は必ず. 年に似合ぬ白髪が有て夫(それ)を旨く染て居る支那人 だと見て取(とり)ました、夫(それ)に由り先づ谷聞田に逢ひ 彼れが何(ど)う云ふ獲明をしたか夫を聞た上で自分 の意見も陳(のべ)て見ようと此署を指して宿所を出ま- した所宿所の前で兼て筆墨初め種々の小間物を 費(しりり)に來る支那人に逢(あつ)たのです何より先に個奴(き ムヤつ)に 問ふが一番だと思ひましたから明朝澤山に筆を 買ふから己の宿へ來て呉れと言附て置ました、 夫より此署へ來た所丁度谷間田が出て行く所で 私しは呼留たれど彼れ何か立腹の体で返事もせ ず去て仕舞ひました夫(それ)ゆゑ止(やむ)を得ず私しは又宿 所へ引返しましたが、今朝に成て案の如く其支 那人が参σました、夫(モれ)を相手に種々の話をしな がら實は己の親類に年の若いのに白髪の有て困 つて居る者が有(ある)がお前は白髪染粉の類を費はせ ぬかと問ますと其様な者は費(うら)ぬと云ひます夫(それ)な ら若し其製法でも知ては居ぬかと問ましたら自 分は知らぬが自分の親友で居留地三號の二番館 に居る同國人が今年未だ四十四五だのに白髪だ らけで毎(いつ)も自分で染粉(そめこ)を調合し湯に行く度に頭 へ塗るが仲々能く染るから金を呉れ」ば其製法 を聞て來て遣(やら)うと云ひます扱は是こそと思ひお 前居留地三號の二番と云へば昨日も己は三號の 邊を通つたが何でも子供が濁樂を廻して居た彼(あ) の家が二番だらケと云ひました所ア・子供が濁 樂を廻して居たなら夫(それ)に違ひは有ません其子供 は即ち今云つた白髪のある人の貰ひ子だと云ひ ました夫(それ)より色々と問ひますと第一其白髪頭の 名前は陳施寧(ちんしねい)と云ひ長く長崎に居て明治二十年 の春、東京へ上り今では重(おも)に横濱と東京の間を 行通(ゆきかよ)ひして居ると云ひます夫(モれ)に其氣象は支那人 に似合ぬ立腹易(はらだちやす)くて折々人と喧嘩をした事も有 ると云ひましたサア是が即ち罪人です三號の二 番館に居る支那人陳施寧が全く遺恨の爲に殺し たのですL荻澤は暫し獣然として考へしが「成 る程貴公の云ふ事は重々尤も髪の毛の試験から 推て見れば何うしても支那人で無くては成らず 又同じ支那人が決して二人まで有(あら)うとは思はれ ぬ併し果して陳施寧として見れば先づ清國領事 に掛合も附けねばならず兎に角日本人が支那人 に殺された事で有るゆゑ實に容易ならぬ事件で 有る(大)私しも夫(それ)を心配するのです新聞屋に でも之が知れたら一ツの輿諭を起しますよ何し ろ陳施寧と云ふは檜い奴だ、併し谷間田は爾(さう)と は知らず未だお紺とかを探して居るだらうナ 斯く云ふ折しも入口の戸を遽だしく引開けて 入來るは彼の谷間田なり「今陳施寧と云ふ聲が 聞えたが何うして此罪人が分ツたかー(荻) ヤ・、谷間田貴公も陳施寧と見込を附けたか (谷)見込所では無い最(も)うお紺を捕へて参りま した、お紺の証言で陳施寧が罪人と云ふ事から 殺された本人の身分殺された原因残らず分りま した(荻)夫(それ)は實に感心だ谷間田も剛(えら)いが、大 靹も剛い者だ(谷) 工大靹が何故剛いー 下篇(氷解) 全く谷間田の云ひし如くお紺の言立にも此事件 の大疑團は氷解したり今お紺が荻澤警部の尋問 に答へたる事の荒増(あらまし)を舷に記さん 妾(わらは)(お紺)は長崎の生れにて十七歳の時遊廓に身 を沈め多く西洋人支那人などを客とせしが間も なく或人に買取られ上海(しやんはい)に邊られたり上海にて 同じ勤めをするうちに深く妾(わらは)を愛し初めしは陳 施寧と呼ぶ支那人なり施寧は可なりの雑貨商に して兼てより長崎にも支店を開き弟の陳金起(ちんきんき)と 言へる者を其支店に出張させ日本の雑貨買入な どの事を任(まか)せ置きたるに弟金起は兎角放将にし て悪しき行ひ多く殊に支店の金圓を遣ひ込みて 施寧の許へとては一銭も邊らざる故施寧は自ら .長崎に渡らんとの心を起し夫(それ)にしてはお紺こそ 長崎の者なれば引連れ行きて都合好きこと多か らんと終(つひ)に妾を購(あがな)ひて長崎に連れ來れり施寧は 生れ附き甚だ醜き男にして頭には年に似合ぬ白 髪多く妾は彼れを好まざれど唯故郷に饒る嬉さ にて其言葉に從ひしなり頓(やが)て連(つれ)られて長崎に 來り見れば其弟の金起と云へるは初め妾が長崎 の廓にて勤めせしころ馴染を重ねし支那人にて 施寧には似ぬ好男子なれば妾は何時しかに施寧 の目を掠めて又も金起と割無(わりな)き仲と無(た)れり去れ ど施寧は其事を知らず盆々妾を愛し唯一人なる 妾の母まで引取りて妾と共に住はしめたり母は 早くも妾が金起と密會する事を知りたれど別に 答むる様子も無く殊に金起は兄施寧より心廣く してしばく母に金など贈ることありければ母 は反(かへ)つて好き事に思ひ妾と金起の爲めに首尾を 作る事もある程なりき其内に妾は敦(たれ)かの種を宿 し男の子を儲(もう)けしが固より施寧の子と云ひなし 蹴騨讐鶴けて育てたり是より奪餓も経たる 頃風(ふ)とせしことより施寧は妾と金起との間を疑 ひ痛(いた)く怒りて妾を打梛(ちぬ うちやく)し且つ金起を殺さんと 迄に猛りたれど妾巧(たく)みに其疑ひを言解(いひと)きたり斯 くても妾は何故か金起を思ひ切る心なく金起も 妾を捨(すて)るに忍びずとて猫ほ懲りずまに不義の働 きを爲し居たり、寧見が四歳の時なりき金起は 悪事を働き長崎に居ること出來ぬ身と爲りたれ ば妾に向ひて共に紳戸に逃行(にげゆ)かんと勧めたり妾 は早くより施寧には愛想墨き只管(ひたす)ら金起を愛し たるゆゑ左(さ)らば寧兜を屯浬れて共に行かんと云 ひたるに升(そ)は足手纏ひなりとて聞入る」様子な ければ詮方(せんかた)なく寧見を残す事とし母にも告げず 仕度を爲し翌日二人にて長崎より舩に乗りたり 後にて聞けば金起は出足に臨(のぞ)み兄の金を千圓近 く盗み來たりしとの事なり頓(やが)て紳戸に上陸し一 年餓り遊び暮すうち、金起の懐中も残り少くな りたれば今のうち東京に往き相慮の商費を初め んと又も稗戸を去り東京に上り來たるが當時築 地に支那人の開ける博変宿あり金起は日頃嗜(たしな)め る道とて直( たどち)に其宿に入込みしも運悪くして僅に 残れる金子(きんす)さへ忽ち失ひ蓋したれば如何に相談 せしか金起は妾を其宿の下女に住込ませ己れは 「七八(チ パ )」の小使に雇れたり此後一年を経て明治 二十年の春となり妾も金起も築地に住ひ難きこ と出來たり其因由(わけ)は他ならず彼の金起の兄なる 陳施寧商業(しぺうばい)の都合にて長崎を引榔ひ東京に來り て築地に店を開きしと或人より聞たれば當分の 中(うち)分れくに住む事とし妾は口を求めて本郷の 或る下等料理屋へ住込み金起は横濱の博変宿へ 移りたり或日妾は一日の暇を得たれば久し振に 金起の顔を見んと横濱より呼び寄せて共に手を 引き此虚彼虎見物するうち淺草観音に入りたる に思ひも掛けず見世物小屋の逢(ほと)りにて後より 「お紺く」と呼ぶものあり振向き見れば妾の母 なり寧見も其傍にあり見違るほど成長したり 「オヤ貴女は(母)お前は先(ま)ア私にも云はずに居 無く成て夫切(それぎ)り便りが無いから何慮へ行(いつ)たかと 思つたら先(ま)ア東京へ先(ま)ア、而(そ)して先ア金起さん も先(ま)ア、寧見畳えて居るだらう是が毎(いつ)も云ふお 前のお母さんだよ、お父さんはお前を貰ひ子だ と云ふ筈だ此れがお前の本統のお父さん、私は 先ア前(さき)へ云はねば成らん事を忘れてサ、お紺や 未だ知る舞(ま)いが用心せねば了(いけ)ないよ東京へ來た よ、親指が、私もアノ儘世話に成て居て此通り東 京まで連(つれ)られて來たがの、今でもお前に大残り に残て居るよ未練がサ、親指は、お前が居無(ゐなく)な ッた時何(ど)の様に怒ツたゞろう、私まで叩き出す ツて、チイくパアく言たがネ、腹立(はらたつ)た時やア 少(すこし)も分らんネ、言(いふ)ことが、でも後で私しを世話 して置けば早晩(いつか)お前が逢ひ度く成て婦ツて來る だらうツて、惚(のろ)い事は籍(わ)を掛てるネ日本人に爾(さう) して今は何所に、ア爾(さ)う本郷に奉公、ア爾う可. 愛相に、金起さんも一緒かへ、ア爾う金起さん は横濱に、ア爾う別々で逢ふ事も出來ない、ア 爾う可愛相に、ア爾う親指の來た事を聞いて、 ア爾う可愛相に用心の爲め分れてか、ア爾う今 日久ぶりに逢ツて、ア爾う可愛相に、失(それ)ではお 前斯うお仕な今夜はネ家へ來てお宿りな金起さ んと二人で、ナニ浮雲(あぷな)い者か咋日横濱へ行て明 後日で無ければ鯖らんよイエ本統に恐い事が有 る者かイエお泊りなお泊りよ若し何だアネ蹄ツ て來れば三人で裏口から馳出さアネ、ナニ寧見 だツて大丈夫だよ、多舌(しやべり)や仕無(しない)よ本統のお父さ んとお母さんが泊るのだもの多舌するものか、 ネエ寧見、此子の名前は日本人の様で呼び易 くツて好い事ネ隣館(おとたり)の子は矢ツ張り合の子で珍 竹林と云ふのだよ可笑(をかし)いじや無いかネエ、だか ら私が一層の事寧次郎とするが好と云ふんだ よ、來てお泊りな裏から三人で逃出さアネ、イエ 正直な所は私しも最う彼虚(あすこ)に居るのは厭でく 成(なら)ないのお前達と一緒に逃げれば好かツた、 ア・時々爾(さう)思ふよ今でも連れて逃げて呉(くれ)れば好 いと、イ・工口(くち)には云(いは)ぬけれど本統だよ、來て お泊りな、エ、お前今夜も明(あす)の晩も大丈夫、イ エ月の中に≡二度は家を開るよ横濱へ行てサ、 其留守は何(どん)なに静で好だらう是からネ其様(そんな)時に は逃(のが)さず手紙を遣るから來てお泊りよ、二階が 廣々として、工お出なネお出よお出なね、お出よ う」母は掲りで多舌立(しやべりた)て放す氣色も見えざる故、 妾も金起もッイ其氣になり此夜は大膿にも築地 陳施寧の家に行き廣々と二階に殊ね次の夜も 又泊り翌々日の朝に成り寧見には堅く口留して 蹄りたり此後も施寧の留守と爲ること分るたび に必ず母より前日に妾の許へ知らせ來る故、妾 は横濱より金起を迎へ泊り掛けに行きたり、若 し母と寧児さへ無くば妾斯(わらはかヨ)る危き所へ足踏もす る筈なけれど妾の如き薄情の女にも母は懐しく 見は愛らしゝ一ツは母の懐しさに引(ひい)され一ツは 子の愛らしさに引されしなり、去れば其留守前 日より分らずして金起を呼び迎へる暇なき時は 妾唯一人(ひと)り行きたる事も有り明治二十年の秋頃 よりして今年の春までに行きて泊りし事凡そ十 五度も有る程なり、今年夏の初め妾は餓り屡々 奉公先を室ける故暇を出されて馬道の氷屋へ住 込しが七月四日の朝母より「親指は今日午後五 時の汽車で横濱へ行き明後日(あさつて)まで確かに蹄らぬ からきツとお出待(いでギパムつ)て居る」との手紙來れり妾 は暫く金起に逢ぬ事とて懸しさに堪へざれば早 速横濱へ端書を出したるに午後四時頃金起來り ければ直に家を出で少し時刻早きゆゑ或虞にて 夕飯を喫(た)べ酒など飲みて時を邊り漸やく築地に 着きたるは夜も早や十時頃なり直ちに施寧の家 に入り母と少しばかり話しせし末例の如く金起 と共に二階に上り一眠りして妾は二時頃一度目 を毘(さま)したり、見れば金起も目を畳し居て「お 紺、今夜は何と無く氣味の悪い事が在る己は最(も) う婦る」と云ひながら早や裸衣(ねまき)を脱ぎて衣物(きもの)に 更(あらた)め羽織など着て枕頭(まくらもと)に居直るゆゑ妾は不審に 思ひ「何が其様に氣味が悪いのです蹄るとて 今時分何庭へ蹄ります(金)何虚でも能い、此 家には寐て居れぬ(妾)何故ですへ(金)先程 から目を醒して居るのに賊でも這入て居るのか 押入の中で憂な昔がする、ドレ其方(モつち)の床の間に 在る其煙草入と紙入を取ツて寄越せ(妾)なに 貴方賊なぎ一(は).疋入(ひり)ますものか念の爲めに見て上(あげ)ま せう」と云ひながら妾は起きて後なる押入の 戸を閑けしに個(こナ)は如何に中には一人り眠れる人 あり妾驚きて「アレi」と云ひながら其戸を閉 切れば眠れる人は此昔に目を憂せしか戸を跳開(はねひら) きて暴出(あれいで)たり能く見れば是れ金起の兄なる陳施 寧なり、今より考へ想ひ見るに施寧は其子寧見 より此頃妾が金起と共に其留守を見て泊りに來 ることを聞出し半ば疑ひ牛ば信じ今宵は其實否 を試さんとて二日泊りにて横濱へ行くと云ひな し家を出たる体に見せかけ明るき中より此押入 に隠れ居たるも十時頃まで妾と金起が來らざり し故待草臥(まちくたび)れて眠りたるなり、殊に西洋戸前(とまへ)あ る押入の中に堅く閉籠りし事なれば其戸を開く 迄物音充分聞えずして目を覧さずに居たる者な り夫(それ)は擁置き妾は施寧が躍出るを見て韓(ころが)る如く に二階を降しが、金起は流石に男だけ、徒に逃 たりとて後にて証糠と爲る可き懐中物などを遺 しては何んの甲斐も無しと思ひしか床の間の方 に飛び行かんとするに其うち早や後より背の邊 りを切り附けられたり妾是まではチラと見たれ ど其後の事は知らず唯斯く露見する上は母は手 引せし廉(かど)あれば後にて妾よりも猶ほ酷(ひど)き目に逢 ふならんと、驚き騒ぎて止まざるゆゑ妾は直に ,其手を取り裏口より一散に逃出せり、夜更なれ ども麻布の果には兼て、一緒に奉公せし女安宿 の女房と爲れるを知るに由り通り合す車.に乗り て、其許に便(たよ)り行きつ上謬は少しも明さずに  一泊を乞ひたるが夜明けて後(の)ちも此邊りへは人 殺しの評(うはさ)も達せず妾は唯金起が殺された昏や如 何にと其身の上を氣遣ふのみ去れども別に詮方 あらざれば何とかして此後の身の振方を定めん と思案しつ又も一夜を泊りたるに今日午後一時 過ぎに谷間由探偵入來り種々の事を問はれたり 固(もと)より我身には罪と云ふ程の罪ありと思はねば 在りの儘を打明けしに斯くは母と共に引致せら れたる次第なり 以上の物語りを聞了(きトをは)りて荻澤警部は少し考へ夫(それ) では誰が殺されたのか(紺)誰が殺されたか夫(それ) までは認めませんが多分金起かと思ひます(荻) ハテ金起がー併し金起は何(ど)の様な身姿(みたリ)をして居 た(紺)金起は長崎に居る時から日本人の通 りです一昨夜は紺と茶の大名縞の軍物にニタ子 唐桟の羽織を着て博多の帯を〆て居ました(荻) ハテ奇妙だナ、頭は(紺)頭は貴方の様な散髪 で(荻)顔に何か目印があるか(紺)左の目の 下に黒癒(にくろ)が ア、是にて疑團氷解(ぎだんひようかい)せり殺せしは支那人陳施寧 殺されしは其弟の陳金起少も日本警察の關係 に非ず唯念の爲めに清國領事まで通知し領事廉 にて調(しらべ)たるに施寧は俄に店を仕舞ひ七月六日午 後横濱解縄の英國船にて上海に向け出帆したる 後の祭にて有たれば大靹の氣遣ひし如く一大輿 論を引起すにも至らずしてお紺まで放免と爲れ り去れど大靹は谷間田を評して「君の探偵は偶(まぐ) れ中(あた)りだ今度の事でも偶(たまく)々お紺の髪の毛が縮れ て居たから旨く行た様な者の若しお紺の毛が眞 直だツたら無罪の人を幾等(いくら)捕へるかも知( )れぬ所 だ」と云ひ谷間田は又茶かし顔にて「フ失敬 なツ、フ小癩な、フ生意氣な」と咳き居る由濁 り荻澤警部のみは此少年探偵に後來の望みを腐 し「貴公は毎(いつ)も云ふ東洋のレコヅクになる可し なる可し」と厚く奨働すると云ふ             (明治二十二年九月作)