処女作天魔談 附、推敲と口正 明治40年5月号掲載 幸田露伴 文壇では私の処女作を知つて居つたものは殆んどない。紅 葉が知つて居つただけであるが、それすら故人となつたか ら、今では闇から闇に葬れるものとなつた。 処女作は『天魔』といふので、二十一年頃であつたと記臆 する。穿ち専門の、極めて酒落た畑で、、其頃京伝あたりの鋭 い軽い筆つきを、面白いと思つて連りと愛読して居つたもの であるから、自然其調子が乗つて居つた。五十枚ばかりの短 篇払品6で、其内容は変に厳格らしい人が婦人に対して至つて 頑固な、何となく釈迦を真似たやうなをかしさを写したもの であ乙。 これは今日現存して居る人の影でもあり、固より世に問は んが為めの作でもなかつたのであるから、何時かしらん反古 になつてしまつた。 私がこの『天魔』を持つて、さる人の所へ行つて居ると、 丁度そこへ紅葉が来合はして、紅葉も読んで見る、お互に笑 つたといふやうな訳で、紅葉と顔を合したのも、この時が始 めてfあつたので、妙な縁になつて居る。 それから始めて世に出た『露団々』とこの『天魔』との間 に「和想兵衛」「夢想兵衛」風のものを二つ三つ書いた。別 に名前もない短い読切物で、これも何時しか反古になつた。 近頃では小説を書くにも、先づ名前を作る、段取をする、 それからそこへ持つて行つて、それくに充て墳めるものを 椿へるといつたやうな順序で、どちかといふと専門的な、寧 ろ実業的なやり方で、感興的といふ風でないが、自分等が小 説を書き始めた頃は、感興によつて筆を起すといふ風で、全 く今日とは其趣が異つて居る。だものだからこの当時の作物 には名前のないのなぞも往々にしてある。 主張、そんなものはない。主張だとか覚悟だとかいふこと は近頃盛んに流行するやうであるが、小説は何処までも小説 で、自分の感興を写す外に小説の目的はない。主張といつた やうな事を、発表したいとならば、他になほ幾等も適当な方 法があるだらう。『露団々』を世に出したのは唯あゝいふ感 興をあゝして書物にしたといふ迄である。 然し感興といつても、私共は感興が湧いたから書く。面白 い想が浮んだから、それを直ぐ筆にするといふのではない。 種を裸かすといふことをする。どうもこれは一般の作物の上 に必要な事であらうと思ふ。 こゝに一つ面白い想が浮んだとする。すると暫くこれを裸 かして置く。裸かして置いても、それが真に面自い想である と、何時かしらん又頭を擾げる。それでも構はず、又繰か す。裸かしても裸かしても、それが良い種であると、必ず幾 度でも又幾年の後でも、芽を萌き出す。其時これを筆にして 決して遅くないのである。然るにそれが良くない種であると いふと、遂に秀でずに終る。即ち枇である。 誰であつたか、何処かの雑誌に、宵に書いた時は馬鹿に巧 いやうに思つたものが、朝になつて見ると誠に拙いのに驚く といつたやうな事を話して居つたが、これは誰しもある経験 であらうと思ふ。故人も、文章初めて稿を脱するとき、弊病 多く自ら覚らず、数月を過ぎて後、始めて能く改窟すベしと いふやうな事を言つて居るが、どうも浮んで来た感興を直に 捉へて、これを筆に写すといふやうな場合には屡々斯ういふ ことがある。 然し世の所謂達者側の人は、多くが|第一想《フホルストゾ ト》を取るやり方 で、私は必ずしもこれを不可としないけれど、それと同時に 又唯達者にのみ走つて、選種しないといふ事も感心せられぬ ことである。 故人森田思軒なぞは第一想、第二想、第三想といつたやう に、幾つもの想を並べて見て、其中から一番良い想を選ぶと いふことをした。例へば、「花は」といふのと、「花が」とい ふのと、「花や」といふのとがあるとすると、これを「は」 にしたものであらうか、それとも「が」にしたものであらう か、又「や」にしたものであらうかといふやうに工夫する。 即ち選ぶので、この選ぶ事も亦必要である。 思軒の如きは又推敲改窟非常に力めたもので、選んだ種を rんどは大に練るといふことをした。故人にも文を為りて成 ると、書して壁に貼り朝夕観覧して幾度か改め、僅に其半を 存するもあれば、改め復改めて原本の一字を存せざるに至る 込のもあつたといふが、思軒の如きは恰もそれで、紅葉あた りにも同様の傾向があつた。 芭蕉の如きも、十分に選び、十分に練つた一人である。若 い間はそうでもなかつたらうが、彼が晩年の句に至つては、 尽くこれ腐心槌練の余に成つたものである。彼が句の破々す べて諦すべきものゝみなるは、実にこれが為めで、仮令それ がさまでにないものでも、噛みしめて味のないものはない。 其角の如きも、あゝ見えてゐて、なかく推敲したものであ る。併し其角の句の尽くが改潤の余になつたものばかりでは 左く、第一想を取つてこれを置いたものも少くないことは云 ふ迄もない。 周より第一想、第二想、第三想と工夫して行くうちに、其 選びに選んだ末が、最初の第一想に帰るといふやうな事は敢 て珍らしくないことで、前言つたやうに、決して第一想を斥 くべき理由はない。一筆に写し成して点綴を加へざるものに 神来の妙がないでもないが、然しながら第一想常に神到の文 字ではない。 又西鶴の如きは発句にはこれぞといふやうな句もないが、 附句の技禰に至つては古今独歩で、人の句を巧に運用して之 を働かす才は恐るべきものがあつた。それであるから西鶴の 附合を見ると、西鶴の附句があつて後、発句なり、第三の句 なりが、これに従つて出来たのではあるまいか、西鶴の句の 為めに他の句が置かれてあるのではあるまいかと思はれるや うな事も屡々である。この物に応ずる才といふものも、決し て侮る可からざるものであつて、人の平凡な想からして、更 に白分の高遭な想を生み出すといふやうな事も、往々にして ある{、のである。されぱ人各々其独特の才に応じて動くとい ふ事も亦必要で、必ずしも何人を問はず同一規矩のうちに入 れやうといふのではない。 私は大に練り大に選ぶ方であるが、さればとて、それが決 して.様ではない。酒々落々たる淡白水の如き人を描くに は、自分の筆も自ら国達簡明に、些の渋滞がないやう、初め から多くの潤削を加へぬやうに書く。又物を話すにも考へ考 へ語るといふやうな人を描くには、筆も粗策を戒めて、考一 考しながら落さねばならぬ。学校や会堂のやうな、がらつと した大きな建物を書くには、筆自ら紙を走つて、奔放といつ たやうな形にならうが、さて利休の茶室のやうなものを書く にけ、書くもの先づ一思案してかゝるのであれば、筆自ら精 緻に、変化もあり、烹煉もあるといつたやうなもので、.文 の頭より尾に至るまで、剛潤必ずしも平等ではない、、 それ故、私の原稿には所謂一気呵成に成つて、全く改窟を 加へぬ処もあれば、句々窟易し去つて、初造意の時の文字は 全く見るべからざるものもある。要は事と物とに応じて筆致 を異にすることはあるが、然しながら一時濠草し去つたまゝ で、亦顧みないといふやうな天才肌の事はしないのである。 近時小説に筆を執るものゝ傾向のうちに、真といふ側ばか りを究めやうといふものと、美といふ側を主として書かうと いふものと、即ち写実にのみ走る者と、趣味にのみ赴くもの と、二つがあるやうであるが、何れも偏したものは喜ぶベき ことでないと思ふ。 泰西の学問が入り込んで、智の眼は大に開かれた。それが 為め兎角何事も解剖に傾いて、小説の如きもどうかすると、 科学の範囲内に踏み込みさうなこともある。智は警へば燭火 の如きもので、それを以て照らす所は明かに見ることが出来 る。既に見えれば見えたfけの所は自ら筆にも上る道理であ るが、さればとて自分はこ\に燭火を持つて斯う照らして居 るぞといふやうな書き方は、面白くないと思ふ。 何も見えるものを眼かくしゝて、強ひて、見ないにも及ぶ まいが、其上それを説明するのは愚たるを免れない。世問で は漱石といふ人の小説を、悪罵する人も多いが、私はそんな に批難すべきものでないと思ふ。 私が小説を作るのは前言つたやうに感興によつて筆を執る のであつて、或特種専門の事に渉つた研究の外、斯ういふ事 を書かうといふので、特別に感興を作るべき道具立をすると いふやうな事はしない。 (了)