炭と灰と 露伴  天理農法の説一たび出てより、是非紛々、毀誉囂々たり。予は農事を知らず、又化学に|精《くわ》しからず、 故に小柳津氏の所謂燻炭肥料の利害如何に就いては言をなす能はず。しかれどもたま/\同氏著はすと ころの『二倍収穫天理農法』を読みしに、佐藤信淵氏の農書説くところの|灰《○》は今の|炭《○》ならずんばあらずと いへる小柳津氏の言に興味を感じて、炭と灰とに就いて試みに考察を下すこと左の如し。  灰の字は火に从ひ、厂に从ふ。厂は手なり。今の文、厂に作るも、火上の厂は、本は厂にあらずし て厂なり。厂は篆文ヨにして手の象なり。火既に滅して、手以て執持す可きに至れるもの、即ち灰に して、説文には死火余燼なりと註せり。されば成字の上より説けば、火の一たび燃えて後、手を以て 執持す可きに至れるもの、これ即ち灰なり。  炭は灰に从ひ、山に从ふ。説文には焼木餘也とあり。おもふに灰の上に山を置く、山は即ち積土な り。其の炭を為すの状、想見すべし。  以上は単に灰炭二字の形によりて義を求め、成字の所以に徴して意を酌みたるに過ぎず。更に灰炭 二語に就いて、其の古よりの用語の例に照らして考へむ。まづ周礼地官に掌炭《○○》の官あり。掌炭、下士二 人、史二人、徒二十人とあり。又掌炭は灰物炭物の徴令を掌る、時を以てこれを入れしむとあれば、掌 炭の職はおよそ炭灰の事を掌るなり。ここに灰物炭物といへるは何々を指すや、詳らかに推知するに難 し。されども炭と灰と物相近く、用又似たる有るは知る可きなり。周礼の文を考ふるに、掌炭の職の事を記する前には掌染草・掌葛・羽人・角人等を列し、其の後には掌茶・掌蜃・囿人等を列せり。角 人は歯角骨牙の類を徴する也。羽人は羽翻栩毛の類を徴する也。掌葛は稀絡の類を徴する也。掌染草 は藍、偖、象斗の類の染草を徴する也。掌茶は茅莠の類を徴し、喪事の用に充つる也。されば此等諸 職の間に挙げられたる掌炭の官の、薪炭の炭を掌るものなるや否や、疑はし。灰物炭物の徴令を掌る と云へるも思ふべし。掌炭の職の、火炭、薪炭の炭を掌るに専なるにあらざるは、猜破す可き也。漢 の鄭氏の註には、炭灰は皆山沢の農の出す所也、灰は澣練に給す、炭の共にする所多し、とあれば、 掌炭といひて其の実は掌炭灰の事をさすなり。すなはち炭一字に灰の意を兼ね有すること、知るべし。  又周礼に、赤友氏下士一人徒二人とあり。又赤友氏は牆屋を除し、蜃炭を以て之を攻め、灰を以て 洒いで之を毒すとあり。赤友氏は虫豸の牆屋に逃れ蔵るるものを掃除し、蜃炭を以て攻め、灰を洒い でこれを殺すことを掌るをいふ。蜃炭は地官に見えたる掌炭の供給するものにして、蛤の大なるものを 蜃といひ、其の炭を|蜃炭《○○》といふ。およそ牆屋の罅隙は、麌肌球の属、すなはち貍虫といふもの、今の南京虫、 黄金虫の類の居るものなれば、これを播蹴攻殺するを職とする赤友氏といふもの古においてこれ有りしなり。 蟹炭は廣灰也と|賈公《かこう》 彦の疏に見えたれば、蟹灰はすなはち蚌蛤の属を焼きて得たる灰、すなはち今のいはゆる蠣灰 にして、其の石灰なることはおのづから明らかなり。牆屋を掃除し、石灰を撒布し、石灰乳を 酒ぐがごときは、今の人の見て以て可なりとするところなるが、かくの如きの事はすでに 周の代より行はれたる古代的掃除法にして、今人のいはゆる進歩も又|幾干《いくばく》里程を進歩したる を言ふか、甚だ驚歎す可き進歩を|做《な》し|了《おお》せるを感ぜずんばあらず。余談は|姑《しばら》く|措《お》きて論ぜず、 ここに蟹炭とあるものは、事実に徴し、公彦の註に照らして、屡灰なることは疑ふべからず。 しからばすなはち炭といふに灰の義ありしこと、おのづから明らかなり。 00*とうじたんきわ、、 古の候気の法に懸炭の事あり。『史記』天官書に、冬至短極まる土炭を懸くるに、炭動く 膨餓解け、轍楓出で、泉水躍る、ほぼ以て日の至るを知る、とあり。これ炭の陽気に応じて 軽きに至るをいへるなり。冬至には陽|気黄鐘《こうしよう》に応じて通じ、土炭軽くして|衡《こう》仰ぎ、|夏至《げし》には陰 気|菱賓《すいひん》に応じて通じ、土炭重くして衡低し、といへるもこれなり。衡の一方に土を懸け、一方 に炭を懸くるに、冬至には炭軽く、夏至には炭重し。これを以て気を|候《うかが》ふ。故に|土炭《りり》の名あ り。又炭を懸くるを以て、懸炭の名あり。又あるいは土に|易《か》ふるに、鉄を以てするこ とあり。故に又|鉄炭《りり》の名あり。およそこれらの炭といふものは、今のいはゆる炭か、あるい は又今のいはゆる灰か。『|後漢書《ごかんじよ》』|律暦志《りつれきし》に説ける候気の法は、|葭孳《かふ》の灰の動くを見て|律《りつ》の 応を知るなり。又同書候気の事を記するに|土灰《りり》の|権《けん》あり。炭の灰なるか、灰の炭なるか、は た又灰はおのづからこれ灰にして、炭はおのづからこれ炭なるか、今詳しく徴すべからずと いへども、灰を指して炭とし、炭を指して灰とするがごとく、灰炭相通ずるあるに似たるを覚 ゆ。|葭灰《りり》の語、|管灰《りり》の語は、詩人多く用ふ。ただ懸炭と|飛灰《りり》と、事おのづから別なるか、非か。 何ぞ土灰の語ありて、又土炭の語あるや。律を調する者は、竹を|度《はか》つて管となし、|蘆孳《ろふ》を灰 となし、これを九閉《きゆうへい》の中に列す、漠然動く無く、|寂然《じやくぜん》声無く、微風起らず、|繊塵形《はんじんあら》はれざらし む、冬至の夜半、黄鐘以て応ず、とあり。葭灰の事と懸炭の事とは今詳しく知るべからず、 ただ土灰土炭の二語、一事を指すに似たるを|異《あやし》むのみ。 |予譲《よじよう》身に|漆《しつ》して|腐《らい》となり、炭を呑んで|唖《あ》となる。古史これを|載《の》す。今小児の病あるものの時 に炭を|嗜《く》ふあるを見るに、|竟《つい》に唖とならず。又家鶏の病むもの、炭を食ふを|嗜《たしな》むあり。呑炭 もし唖とならば世まさに唖鶏多かるべし。炭にしてもし真炭ならば、炭は化学上不変性物の|尤《ゆう》 なるものなり、これを呑むも炭の人身に及ぼすや甚だ|勘少《せんしよう》ならむ。けだし唖となるに至らざる なり。予譲の事疑ふべし。しかも|高聡《こうそう》の死に臨むや|寵妓《ちようぎ》をして炭を呑み指を焼きて、又他に |適《ゆ》く能はざらしめたるの談あり。呑炭の事いよいよ疑ふ可きなり。あるいはいふ、炭は炭にあ らず、|東坡酔墨堂《とうばホすいぽくどう》の詩に、|柳宗元《りゆうそうげんネ》の|崔瀦《さいあん》に報ずるの書に|拠《よ》りて「すなはち知る柳子の語の妄な らざるを、病んで土炭を嗜んで|珍羞《ちんしゆう》の如し」の句あり、炭のこれを食ひて害無き|実《じつ》に明らか なり、予譲の伝にいふ所の炭は必らず今のいはゆる炭ならざらむと。この事詳知すべからず、 いまだ|逮《にわか》に炭けだし灰ならんのみと言ふ能はざるなり。 |史、又記す。秦の法、灰を棄つる老を刑すと。何の故に灰を惜むかくの如きに至るや。 あにそれ灰の農事に益あるを以てか。 たまたま『天理農法』を読みて、炭灰二字の古に通用の痕あるを考へ、余考雑事に及ぶ。 (明治四十五年六月)