【これは未校正のデータです。】 幸田露伴「あやしやな」 其一  死にました死にました、あの|朴訥爺《ぼくとつおやぢ》のばあど るふは死にました、あの美しい若い妻を持つて 居たはあどるふは死にました、其死に方が少し |怪《あやし》いといふ|噂《うはさ》、|一昨日《をとしひ》の晩から熱病をやむで早 くも|今日《けふ》の|往生《わうじやう》、めでたくもない苦しみやう、 驤者もかくまでとは思はなかつた人の|命《いのち》のもろ さ、露ちりか、るろさりんの花の顏も|萎《しを》れて、 泣くく|野邊《のべ》の邊りといふ|段取《だんど》りになつて、醫 者のくれんどわあが病死の|證明欣《しようめいじやう》を作らぬと いふ騷ぎ、どうやら譯のありそうなこと、と|探 偵《たんてき》だんきゃんの告〜るを聞いて、|油断《ゆだん》のならぬ 恐ろしの世の中、そなたは|尚《なま》も氣を付けろ、う ゐるりやむも出てゆけ、ちゃあれすも|聞糺《きヨたど》して 來いと、署長のへんりい、ぶらいとの差圖に、 心得たりと走り|去《さり》しが、やがてうゐるりやむは 諦り來て、醫者は三|里《り》程|隔《へだ》たりし近在に住み、 |夫婦暮《ふうふぐら》しの|信實者《しんじつもの》、|村中《むらちゆう》にて善い人との|評到高《ひやうぱん》 き男なれば疑ふべき|方《かた》もなし、若き妻こそ心得 難し、とさ、やく|横合《よこあひ》より、いやくあの美し い女、|面計《かほぱか》りにてはあらぬぞかし、|亡《な》き|夫《をつと》の|傍《そば》 に坐りて、一心に|斫檮《きとう》する聾も枯るLまで|惜《をし》ま ぬ涙、立ち聞きする身さへ悲しさにつれられ て、|不信瀞《ふしんじん》の我ながら口の|中《うち》で「あ三めん」と |唱《とたへ》たる程なるに、呑み込めぬは毆颪者のそぶり、 とちゃあれすの云ひ状。  いづれをいづれとも別ち難き處へ、思案に首 をかしげてもどりしだんきゃんが、さてもふし ぎやばあどるふと云ふ男、生れてから|今日《けふ》の先 程までも遽に一度口論したことなく、|兀頭《はげあたま》た、 かれても|御《お》手は御痛みなさらぬかといふやうな 結構な性質、|賭博《ぱくち》もせず酒も歓まず、恨みを受 くる筈もなきたしかな|品行《みもち》、殊更|身髏《からだ》も|丈夫《ぢやうぷ》に て、かねて行く道も|昨日今日《きのふけふ》とは|思《おもは》ざりし、と 話すを|聞《きい》て署長は|暫時《しばらく》考へしが、ろざりんは |何歳《いくつ》ぞ、|何《なに》今を盛りの二十三歳、ばあどるふ は、はて|僅《わづか》に捜る山の|端《は》の月影は五十八歳と   ふたり  こんれヤ                      はくしゃ< や、二人の婚磴は去年の春、女の身元は伯爵        へいぜい        しゃいろッく、平生交際するものは、なにはあ どるふは交際きらひにて、|日曜毎《にちえうごと》に會堂へ行く |計《ぱか》りか、伯爵がたゞηに一二度|往復《ゆきき》するか、|年《と》 |齢《し》は三十七歳か、容貌は|荘厳《りつぱ》、辮舌はさはやか に、む、そうか|頃日《このごろ》來たか、なに熱病になつた 日はからず來たといふか、して|使《つかひ》も來たか、何 の用だ、むゝ其使は|直接《ぢか》にろざりんに逢つて蹄 つたのか、よしくそれでよし、ばあどるふの 家に|下碑《げちょ》は居ないか、りうしといふのが居ると か、よしくそれをろざりんに|知《しれ》ぬやうに|拘引《こういん》         いひっげ  たんさく して來い、といふ命令。探索の爲めとは云ひな がら|警察署《げいさつしよ》の|下碑《げぢよ 》とはならぬものを迷惑なこと なり。 其二  あ」|是《これ》おゆるしなされて下さりませ、悪いこ とはたつた一度、買物に出た戻り道の夕暮が た、|燈壷下《とうだいもと》嗜く|瓦斯《ガス》の光りも届かぬところに落 ちて居た、奇麗な「ないふ」を拾つて届けなか つた|計《ばつかり》で御座ります、それも唯今さしあげま する、と泣顔してのりうし力申し謬は、署長よ   たつと、           一   かはゆ りも尊き良心に責められての白状、誠に可愛き ものなり。いやく、そちが心の|正直《しやうぢき》なは其言 葉でも分つて居る程に、も一つ正直に|御上《おかみ》のご 用を勤めたらご|褒美《ほうび》の出ることであろう、と《り》|ぶ らいとのすかすを聞いてのこくと|頭《かしら》をあげ、 ご用とは何でござりますか、お買物なら|棒先《ぽうさき》は 切りませぬ、|御牽所《おだいどニろ》の|煮焼《にたき》なら|摘《っま》み|喰《ぐ》ひも致し ませぬ、とまじめに云ひたるは慾にひかるゝ習 ひとておかしきを忍び、そんな事ではないが、 ばあどるふが病氣になつた時からのありさまを 正直に話しさへすれば|宜《よ》いのだ、といへば、そ んな事でご褒美が出ますか、と問ふけゞん|顔《がほ》。 あ、|私《わた》しが|悪《わ》るかつた、お前は正直に話してく れるに相違ないものをご褒美を|後《あと》にすることも なかつた、と|光《ひかる》ものをちやらくと鼻の先につ きつければ、もじくしながら、|一昨日《をとまひ》の晩。 これりうし、二月|七日《なのか》だな。はいその二月七日 の夜、ばあどるふ様は|聖書《せいしよ》をお讃みなすつた り、涙を流して所薦なすったりして夜のふける までもお|休《やすみ》なさらぬを奥様が、寒いに夜ふかし はお年寄の|御身《おみ》に毒、お休みあそばせとお|止《と》め なさるをも構はず、|貴様《きキぐま》もりうしも寝るが宜 い、おれは今夜はまだ寝られぬからとのこと で、仕方なく奥様も|私《わたく》しも|臥《ふせ》りました、|其《その》あと |石炭《せきたん》もつき|暖櫨《だんろ》の火も絶え|石造《せきざう》の家のうら塞き に、夜の明くる時分とろくとなすつたやら、 お眼がさむるや|否《いへは》や御顔の色も|大分《だバハホ》わるく、|一 昨日《ン とヨひ》の書頃は大層熱が出まして。と|饒舌《しやべ》り立て る|中《うち》、|何故《なにゆゑ》ばあどるふは其夜に限り寝なかつた のだ、と問はれて、何ゆゑかは存じませねど、 |私《わたく》しは三年|計《ぱか》り以前から此|家《や》に使はれて居りま すが、たしか去年もをと、しも一,一月七日の夜は、 ばあどるふ様のよく|御寝《ぎよしん》なつたことはなかつた やうです、それから段ζと熱は強くなりますし、 御馨者様と伯爵様の|御出《おいで》になつた頃は色ζの|講《うよ》 |語《ゴ しし》をおつしやりますし、夜へかけても一層はげ しくなりましたが、|今朝《けさ》になつて|御藥《おくすり》をあがる と直ぐにたつての苦しみ、とうく|情深《なさけぷか》い|旦那 様《だんたさま》に御別れ申すこととなり、奥檬も狂胤なさる 程のおなげきのあまり、あの馨者の藥を飲まれ ずば斯うはなられまいと|燭《ひと》り|言《ごと》なすつたが、運 わるくぐれんどわあの耳に|入《はひ》つて、病死の讃明 欣作ることはいやで御座るとの言ひ|草《ぐさ》、ぐれん どわあの藥飲んで亡くなられたと云はれては名 碁にも|拘《カし》はるぼれば、藥の|盛《も》りやうの善かつた か悪かつたかは|外《ほか》の馨者どもに問ひ|糺《たど》してご覧 なすつて、|得《とく》と|御合鮎《ごがてん》の行つた上でならでは讃 明欣は|作《つくり》ませぬとの言葉も|尤《もつと》もにはあれど、奥 様とてわる|氣《りで》で云ふたではなしと云ひ鐸しても 首振つて|頑固《ぐわんこ》な同じ|挨拶《あいさつ》、|世智賢《せも かしこ》き|女《ひ  こ》でさへ連 添ふ|夫《をつと》の死に別れには|顧倒《てんたう》するならひ、まして 御年も若いに馨者の|片意地《かたいぢ》、かなしみの|中《うち》に苦 努の|調合《てうがふ》、あんまりなお馨者さまと|私《わたく》しらまで 檜うてなりませぬ、と涙ぐんでの|少女《をとめ》の返答、 |嘘《うそ》らしくはなけれどぶらいとはぬけ目なく、其 ナ《ノ 》|き の檜い馨者は誰れが頼んで來た、と問へばりう しは|眞青《オまつさを》になりがたく|傑《ふるへ》て言葉なき|様子《ぶ うす》をじ つと見ながら、少しも|怖《こは》いことはない、正直の |少女《むすめ》は紳も|護《まも》れば人も|憐《あは》れむ、なんでも正直に 限るぞや、|其方《そなた》が頼んで來たのか、といへば|詮 方《せんかた》なく、はい|私《わたく》しが頼んで、とおろく泣き。 よしく、そなたに罪はない、そして伯爵もそ なたが|喚《よ》んで來たのか、其時の模様を|委《くは》しく正 直に話しさへすれば、それで|其方《そたた》は|用濟《ようず》みたの だ、とやさしきに|勢付《いきほひづ》いて、い、へ伯爵様は|私《わたく》 しの呼んだのではありませんが、はからずお出 でになり、ばあどるふ様の熱病となられたを 見てびつくりなすつた御様子、しきりに奥様 とお馨者様に|御容麗《ごようだい》をお聞きなすつて|居《 》らしつ たが、お馨者様のお蹄りになつた跡で、熱病の |講言《うはごと》は人に聞こえて|外聞《ぐわいぷん》のよくないこともある ものなれば、よく注意なすつて外へ|漏《も》れぬやう になさいと云つてお蹄りになりましたが、日暮 れ|方《がた》にお使にて又わざくお|見舞《みまひ》を下されまし た、誠に御慈悲|深《ぷか》いよいお方です、といへば、 |小首《こくび》かたぶけ暫らく思案せしが、はたと手を|拍《う》 ちて、どんな|譜語《うはごと》を|云《 》つたか、と問へばりうし は笑ひなから、|譜語《うはごと》ですから分りませんが、 「くいッぐりい」といふ|丈《だ 》けは聞きとれまし た。 ・其 三  さあ拘引状は出來た、馨師ぐれんどわあ、|後 家《ごけ》ろさりん、伯爵しゃいろッくを呼んで來い、 容易ならぬ|謀殺《ぽうさつ》の|嫌疑《けんぎ》、されど伯爵は|貴族院《きぞくゐん》の |議員《ぎゐん》にもならんとする人、|鄭重《ていちよう》に扱ふべし、疑 はしき|品物《したもの》はみな持ち來たれ、と署長の|下知《げぢ》 に、暫らくして三人共|巡査《じゆんさ》に引出されたるを見 るに、ろさりんは美しくはあれどあだめいて|狼《みだ》 らなるにはあらず、泣き|腫《は》らしたる|瞼《まぷた》の|重《おも》げな るにも其|行《おこな》ひのかるハ\しからぬは見えたり。 くれんとわあは容貌|端正《たんせい》にて人をも恐れず天を も恐れず、吾は|自《みづか》ら信ずる所を|侍《たの》むといふ|風 情《ふピい》。伯爵は貴族育ちの|鷹揚《お りやう》なる|中《うち》に深き思慮分 別を養ひ得たるといふべき所の見ゆる|人品《じんびん》な りo  ぶらいとは先つ馨師に向ひ、何とてそなた は、そなたの|預《あづか》りし病人の病死に讃明状を作る を|揖《こま》みしや、必ず其|仔細《しさい》あるべしとは存ずれど も、ばあどるふ一家の者の言葉によれは、そな たの藥を飲むと|等《ひと》しくばあどるふは苦しみ出し て途にはかなくなりたりといへば、まづこれを 云ひわけすべし、と問ふに、ぐれんどわあは、 |拙者《せつしや》の|用《もち》ひたる藥は決してばあどるふの死を致 すべきものにてもなく、又ばあどるふの|病《やまひ》も|左 程急《さほどにはか》に死すべきものにもあらざるに、心得難き |頓死《とんし》ゆゑ讃明状を作らざりしが、拙者の與へた る藥を御疑ひあらはろさりん|殿《どの》の家には|尚《なほ》鯨り のあるべければ、それを|化學師《くわがくし》になり馨師にな り誹蹴致させて見らるべし。さあそれにて蹴鄭 は明白なれど、|只今《たマいま》心得難き頓死と云はれしは 何の意味。されば萬一|中毒《ちゆうどく》なりやと疑へども。 疑はれしな。|如何《いか》にも。さてはそなたの與へし 薬の中毒。いや|怪《け》しからぬこと、恐らくは他人 の與へし物の中毒ならんと疑ふまでなり。む」 |毒殺《どくさつ》したるものあらんかと疑はれしな。誠に仰 せの通りなれども、疑ふまでにて必ずと申すに はあらず、心得難き頓死とは|即《すなは》ち|是《これ》ゆゑ中せし なり。と、此間答の|聞伯《あひだ》爵は|彫刻像《てうこくざう》の如く身動 きもせず、ろざりんは赤くなり青くなり途に|柳 眉《りよノび》をさかだて|星眼《せいがん》を|暉《みひら》きて、|吾《わ》が|夫《つま》を毒殺と聞 いてはゆるがせならず、吾が|夫《つま》はぐれんどわあ の與へたる藥の外には誰の藥も飲まざれば。さ ては拙者を疑ひ給ふか。|如《いか》何にも仰せの通りな れど疑ふまでなり、必ずと申すにはあらず、|元《もと》 より女のことなれば馨藥の道は知らざれど、|若《も》 しやそなたの誤りかと。それ程までに疑はれて は馨者の|一分《いちぷん》立ち申さず、拙者の疑ひはさて置 きて、いざまづ拙者の藥をば試験あるやう署長 に御願ひ申します、と怒りをなして云ひ立つれ ば、そなたの與へし藥といふは|是《これ》なるや、と《さ》|ぶ らいとの|出《いだ 》す|罎《びん》を見て|忽《たちま》ち|急《にはか》に|頭《かしら》を打ちふり、 |否《いたく》ζ、はてさて|怪《あや》しき其罎かな、拙者の與へし 藥といふは紙に包みし|散藥《さんやく》なり。さらば|是《これ》か。 |如何《いか》にもそれなり、化學師に仰せて|分析《ぷんせき》なさし め、馨師に|紅《たゴ》して拙者の庭方の當否を|篤《とく》と|御合 鮎《ごがてん》あれ、それにしても怪しきは今の罎。だまれ |其《ぞれ》をば問ひはせぬ、そなたに用は濟みたれば勝 手に蹄れ。蹄れとあれば蹄りもしませうが、も はや拙者に疑ひは御座らぬか。疑ひは|解《と》けねど |訊問《じんもん》は濟みたれば蹄れ、と云はれて是非に及ば ず|不丞《ふへい》-|顔《がほ》して立ちさるを見迭りて、ぶらいとは ろざりんに向ひ、此罎は見畳えあるべし、|如何《い か》 にもそれは伯爵さまより吾が|夫《つま》へ病氣見舞とて 給はりたりもの。そなたが手箱に入れてありし |此《この》百五十|弗《ドル》は何とせしものぞ。それも同じく伯 爵さまより賜はりしもの。何ゆゑ。病氣見舞 に。病氣見舞とて|是程《これほど》の|大金《たいきん》を貰ひ受くること 世の常にはあらず。|素《もと》より世の常にはあらず、伯 爵さまは人も知りたる非常の慈善家、|且《かつ》は|一慮 再鷹《いちおうさいおう》辮退したれど許し給はず強ひて與へられし ゆゑ、御厚意|背《そむ》くこともなしと受取り置きしま でなり。此大金と此罎は伯爵より|直《ちか》に頂きしか。 |否《 いな》、|御使《おつかひ》にて給はりぬ。此罎の|中《うち》の物は何と思 ふか。伯爵様より御使の|口上《こうじやう》に、熱病の人は|喉《のど》 の|渇《かわ》くもの、其渇きを|休《と》むる|飲物《りみもの》と申されしか ば左様承知したり。そなたは伯爵を疑はぬか、 と|煽《あふ》りて見ても憂らぬ調子にて、とんでもない こと、|貴《たつと》き伯爵様を何で疑ひ申すべき、と答へ たり。病人は|他《た》に|飲食《のみくひ》したか。他には少しも飲 食致さず、此罎の|中《うち》の物は飲みました。さては 露者の藥の疑はしき|丈《だけ》此罎の中の物も疑はし、 と云ふ|語《ことぱ》の終らぬうち、伯爵は言葉|急《せは》しく、そ れがしが與へたる此罎の中の物を|怪《あや》しと云ひ給 ふか。さればなり、馨者の藥も怪しければ此罎 の中の物も疑はし、と卒氣にて答へながら伯爵 の顔色をじつと見れば、伯爵は|動氣《どうき》を|抑《おユ》へて|静《しづか》 に、ぶらいと殿はたしかに疑はる」か。|素《もと》より 疑ひます、と云ふを聞くより烈火の如く怒りを なし、|飛鳥《ひてう》の如く身を躍らせてぶらいとの手に 持ちたる罎を取るより早く|栓《せん》を抜き、|仰向《あふむ》けに してごくくと飲み|下《くだ》し、罎をうしろの壁に打 ちつけ、それがし此世に生れてより|非道《ひだう》をせし ことさらに無く、|正理《せいり》に|循《したが》ひ義に進み慈善を爲 せしに、はからずも容易ならぬ謀殺につきて|足 下《そつか》よりかゝる|恥辱《ちじよく》を受くること、|憤怒《ふんど》誠に限り なし、疑ひ給ひし|罎中《びんちゆう》のものをそれがし|此《かく》の如 く飲み|干《ほ》したれども仔細なし、|是《これ》にても尚それ がしを疑はる」といふ上は、相手にとりて不足 なれど、と|名刺《なふだ》を|足下《あしもと》にたゝきつけ、|直《たどち》に|決闘《けつとう》 致すべし、と|威樺烈《ゐげんはげ》しく云ひ立つれば、ぶら《 》|い と|壇《ごだん》を飛び|下《お》りて身を|平蜘蛛《ひらぐも》の如くなし、伯爵 殿下ゆるし給へ、それがしも亦|眼《まなこ》あり、などて|正 邪《せいじや》を知らざらん、怒らせ申し|奉《たてま》つりしは恐れ入 りたることなれど、尚|明《あきら》かに伯爵の少しも曇り なき御胸中を伺はんためのみなりしが、今は|全《まつた》 く疑ひなし、既に|自《みづか》ら罎中の物を目前飲み給ひ て更に愛りもあらざれば疑ひ申す所もなし、い ざ御自由に|御露宅《おかへり》あれ、差し押へたるお手箱四 つも|直《たソち》に當方より邊りまゐらすべし、と|詫《わ》ぶれ ぱ、疑念晴るればそれまでなり、|足下《そつか》も御役目 御苦螢なり、さらばそれがしは蹄らん、と立ち 去り行く。跡には|怪《あや》しむべき人も無きに、ば《き》|あ どるふの憂死あら怪しやな。 其 四  ちヤあれすは手箱を|宰領《さいりやう》して伯爵の|邸《やしき》に途り 返せ、だんきゃんは伯爵の|邸内《ていない》に忍び込んで伯 爵の|墨動《ふるまひ》に氣を|注《つ》けろ、伯爵が|下剤《げざい》か|吐剤《とざい》を用 ひて毒を消すかも知れぬ、馨者が|出入《でいり》するかも 知れぬ、それッ、とぶらいとの|火急《くわきふ》の差圖に|二 人《ふたり》は|麗風《つむじ》の如く立去りぬる跡にて、ろざりんは |拘留《さヱフりう》して置くには及ばぬから蹄してやれ、ば《ご》|あ どるふの死膿は三人まで馨師が|検覗《けんし》して毒死と |極《き》まつた者なら、それでよいから|埋葬《まいさう》させるが 宜い、と命令すれば、畏まつたとうゐるりやむ は出て行きかけて振りかへり、|是《これ》は|私《わたく》しの|手 柄《てがら》、とさし出す|一片《ひとひら》の|書付《かきつけ》、ろくに見もせず 「ぽッけッと」に入れ、寓しだらうな。さやう です、|眞物《ほんもの》は油断させるために返してやりまし た、それから|是《これ》は又ちゃあれすの手柄、と出す ものをも受取りて同じく「ぽッけッと」に入る れば、日もたツぷりと暮れて火|鮎《とも》す頃とはなり ぬ。ぶらいとは|官全《くわんしや》に蹄りて三十分|計《ぱか》りの|膿操《たいさう》 に|身《からだ》を疲らし、|葡萄酒《ぷだうしゆ》三|蓋《さん》に心をやすめ、|二皿 三皿《ふたさらみさら》の食事|了《をは》りて|心地《こトち》よく|辣入《ねい》りたるぞ|素人眼《しろうとめ》 にはふしぎなれど、か三る|怪《あや》しく入り込みたる |事柄《ことがら》を到断するには、室氣も澄み渡り心氣も|痘《さ》 えノハ\しき|夜明方《よあけがた》こそよけれと、翌日を心にか けての庭置、淺からぬ注意と知られたり。  |鶏《とり》しば鳴きて星の影まばらになりゆく頃、|冷《つめた》 き水に口をそゝぎ|身艘《からだ》を|拭《ふ》きて、一杯の|珈排《コ ヒ》に |名残《な こり》の夢を洗ひ去り、役所に|赴《おムむ》きて|端然《たんぜん》と|椅子《いす》 に坐し、はつきりと雨眼を|開《ひら》けば、|卓子《つくゑ》の上に 敷通の|文《ふみ》あり。取りて|静《しづふ》に見るに、   伯爵は吐剤下剤等の何の|藥餌《やくじ》をも用ひられ   ず、馨者の出入するをも見かけ申さず、   ろさりん|方《かた》に行きし|僕《しもぺ》は使の口上足らざり   しとて|放逐《はうちく》され|申泳《まをしさふら》ふ。|夜牛頃臥床《やはんごろふしど》に入   らるゝ前に手箱を|開閉《あけたて》する音などして、途   に一語を襲せられたり。其一語とは即ち、   ぶらいとは馬鹿な|奴《やつ》と云はれしなり。尚伯   爵のことに付きては當分|鯖署《きしよ》致さずに探索   致すべき手掛りある故、|悦《よろこ》び居り申し泳   ふ。だんきゃん。」   ろざりんの|悲《かなし》みは信實にて愈三|怪《あやし》むべき所   なく、|品行《みもち》もかねλ\正直にて|堅固《けんご》なるも   のに泳ふ。|下脾《げちよ》は卒凡の女子にて、馨師   ぐれんどわあは|自己《おのれ》の與へたる藥を疑はれ   休ふを|憤《いきどほ》り居り仏ふ様子なれば、|是等《これら》の   人に付きては疑ひなく祢ふ。差し押へ置き   たる書面の|趣《おもむ》きもあり、かたλ、七年以前   よりばあどるふは此地に移り住み祢ふよし   なれば、愈主疑はしきは遠き原因と存ぜら   れ瓜ふ虚、ばあどるふの故郷を聞き|出《いだ》し泳   ふ|間《あひだ》、|該地《そのち》へ立越え申し仏ふて取り調べ致   すべくと出襲|仕《つかまつ》り仏ふ。ちゃあれす。」 一 ばあどるふは|無財産《むざいさん》無職業にて、生活 の模様は|困窮《こんきう》とも見えざりし事。 一 二月七日と|云《いふ》日は何か仔細あるべき日. なる事。 一 はあとるふは|自己《おのれ》の故郷に在りし時の 事を少しも口外せざりしが、當地に移り 住まざる前に|先妻《せんさい》をば何故か離別致し泳 ふ事。 一 伯爵とは主從の如き關係にて、此地に 來らざりし以前より其關係はありしと思 はる、事。 一 先妻の行くへ不分明なれども、|敷月前《すうげつぜん》 年老いたる貧女一名ばあどるふに逢ひ  て、途に幾分かの|恵《めぐ》み|金《きん》を受け立去りし  事。(恐らくは先妻か。) 一 ばあとるふの最初召し使ひたる|下碑《げぢよ》  も、ばあどるふの|嘆語《ねゴと》にくいッくりいと  さけびしを三度ほど聞きたる事ありし|由《よし》  なれど、くいッくりいと云ふ人名地名等  は此蓬になき事。(恐らくは先妻の名か。) 探り得仏庭の右の|件《けんく》ζにより推測する時 は、先妻及びくいッくりいといふ者に付き て二月七日は仔細あるべき日にして、差し 上げ置き泳ふ書面の趣きもあれば、事の原 因は七年以前より伯爵に關係して起りたる 事と考へられ泳ふゆゑ、先妻を尋ね弥ふた め|何庭《いづく》ともなく立出で弥ふ。うゐるりやむ。」  御依頼になりし|瓶《ぴん》の|碑片《さいへん》に附き居り外ふ|流《りう》  |動物《どうぷつ》を|検査《けんさ》致し泳ふ庭、|稀璽酸《きナ んさん》「れもなア   ど」にて更に毒物にては御座なく外ふ。|化《くわ》   |學分析所《がくぷんせきじよ》。」                   かんにう   御依頼になりし散藥検査致し泳ふ盧、甘宋   十五|氏乳糖《ゲレエンにうたう》十五|氏《ゲレエン》にて、熱病者に最初   用ひたるは尤も適當にて當時流行の新療法   に相違なく、|竜《がう》も|不都合《ふつがふ》の物にはなく泳   ふ。|官立馨院《くわんりついゐん》。 と讃み|終《をはり》て、さてもふしぎや飲みたるものは二 つとも毒ならぬに、ばあどるふの死せしは中毒 止三人の馨師の云ひしこそ|怪《あヤ》しけれ、吾が|夫《つま》の |仇取《カオき》つて給はれと泣く程のろざりんが毒を|飼《カ》ひ しとも思へず、七年以前の原因はさて置き、今 が今の死亡の澤が分らずばと思案せしが、忽ち |悟《さと》りて何か手紙を|認《したミ》め|呼鐘《よびがね》ならして、返僻をと 云ひ附けて後、又|咋日《きのふ》受取りし|書付《かきつけ》を取り|出《いだ》し 見るに、   貴殿大切の|重賓《たから》それがしの爲めに紛失致さ   れ祢ふに付いては、毎月百五十|弗《ドル》づ、必ず   それがしが身を終るまで其|償《つぐな》ひとして|呈上《ていじやう》   すべく仏ふなり。            伯爵しヤいろッくL    ばあどるふ様   拙者大切の賓貴殿の爲めに紛失致し泳へ   |共《ども》、其償ひとして毎月百五十|弗《ドル》づゝ給はる   べき|旨御契約《むねごけいやく》下され泳ふに付いては、決し   て|爾後《じご》費の事につき|紛紙《ふんうん》申すまじく広ふ。   其爲め|一札件《いつさつくだん》の如し。              ばあどるふ    伯爵しヤいろッく様  はてさて|怪《あや》しき契約欣、失ひし費とは何程の 物か知らねど七年前より毎月百五十|弗《ドレ》づ、、ざ つと積つても一萬二千|弗《ドル》許りと首を|傾《かたぷ》くる所 へ、|小使《こづかひ》の出す返辮、   |御訊問通《おたづねどほ》り甘乗と|璽酸類《えんさんるゐ》を|合《あは》すれば|昇禾《しょうこう》と   なりて大毒なり。化畢分析所。」   御尋ねの如く甘表と璽酸類を同時に服すれ   ば腹中にて昇禾を生ずる故に|驚《へいし》死す。官立   馨院。    くだ                あや と讃み下して、さてはあの伯爵め怪しいな。 其 五  行きし人は追へども蹄らず、|落《おつ》る涙は梯へど もつきぬ恨みもあだなりく。ばあどるふの|葬《レ も》 らぴけふ  &た 式今日と沙汰ありて、うら若き後家のなよく としたるを助けて、|隣家《となり》の誰、向ふの誰が差圖 に萬事漸く片附きて、愈云何がし|上人《しゃうにん》の|讃経《どきやう》、 あり難くはあれど|極樂《どくらく》か|地獄《ぢごく》か|誰《た》れも知らぬ所 に邊られたるあはれさ、吏してや毒死との評 判、|仇《かたき》も分らず澤もわからず、|佛《ほとけ》さまはさて置 きあの美しいろさりんが胸には|妄執《まうしふ》の雲晴れや るまい、頬には悲歎の雨ふつて|沸《わき》たる御氣の毒 なこと、と|鬼《おに》はなき世の中、|會葬者《くわいさうしゃ》もいと多き に、しゃいろッく伯爵さま、警察署長のぶらい とさま、馨師のぐれんどわあまで加はり給ひし は、せめてもの名審といはれても何嬉しかるべ き。ろざりんは眼をふさぎて口には「あゝめ ん」と唱へても、心にはあやしやとや|卿《かこ》ちけん。 |怪《あや》しやくと人の噂も無理ならず、此事八方に ひろがりて當時の語りぐさとはなりぬ。  二百里ほど|隔《へだし》りて何とか云ふ山の下の村はづ れに、春なほ塞き風にまかせて、枯れ|木《く》朽ち|木《ムゴ》 を|焼火《たきび》する|乞食《こつじき》も、暖まるにつれての|層上物語《せんじやうものがた》 り。野の申に暖櫨は伯爵の身分でも持つまい、 と|一人《ひとり》が云へば、それで思ひ出したが伯爵の、 ゑゝなんとやらいふ人がばあどるふといふ男を 毒殺した嫌疑を|受《うけ》たに|付《つい》て、警察署長の|油《あぶら》を取 られたといふ話し、きびがよいではないか、と 答ふる|傍《かたへ》にきゝ居たる老婆が、|其《ぞの》ばあどるふと いふ男は|何庭《どこ》の者、と問ふを笑ひながら、なん でも東の方に|大分《だいぷ》離れた所だそうだが、其又後 家がめつぽう若くて美しいそうな。それは結 構、どうぞや頂戴致したいもの、とまぜるを|打《うち》 けし、それではもしや伯爵の名はしゃいろッく ・と云ひはせぬか、と老婆の言葉。お、それく、 そのしゃいろッくがもしや毒殺したのではある まいかと警察の眼で見たそうだが、ねらひはは づれてあべこべに|捻《ひね》られたとの|風聞《ふうぷん》、|婆《ばあ》さんお まへの知り|人《ぴシ 》か、と云はれて、いゝへ、と|答《こたへ》を 短かくしたるは、何やら隠したらしいそぶり。 のみこめぬと|二人《ふたり 》の|乞食《こつじき》の疑ふを餓談にまぎら して顔そむけたる、これもあやしや。|一人《ひとり》の|乞 食《こつじき》のずいと立つて|婆《ぱど》を|捕《とら》へしもあやしや。 其 六  ぽなといふ者を引き連れて蹄りたるうゐるり 劃はぶらいとの前に出で、敷月前ばあどるふ の家をおとづれて何程かの金をめぐまれたる者 こそ手掛りなれと身を|乞食《こつじき》にして族行中、此老 婆に運よくめぐりあひて、くいッくりいの|所以《いはれ》 もあらかたは分りました、これぽなよ、かくさ ず云ふがよい、とさとされて涙をこぼしなが ら、はづかしのありさまに|落魂《おちぷれ》たるもばあどる ぷの爲めなれば、|悪《こく》しとは思ひたれど死なれて は恨みもなし、昔は其人とふたり|暮《ぐ し》し、・伯爵 しゃいろッく様の御別荘の|花園守《はたぞのも》り、|貧《まづし》くはあ れど夫婦の中も|深見草《ふかみぐさ》、いひかはす言葉に|薔薇《ぱら》 のとげもなかりしかば、くいッくりいといふ子 までまうけて|睦《むつま》じく暮らし、|掌中《しやうちゆう》の玉、かざ しの花さく|行末《ゆくすゑ》をたのしみに、よき|姫百合《ひめゆり》とな れかしと育つれば、日にまし光りも照り添ふ|計《ぱか》 り、ぽなの|子《ユ》にはすぎ者と|我身《わがみ》をわるく云はれ ても、娘のほめらる、を嬉しく、|種萢瘡《うさ ハぽうさう》のよく つけと氣をもみ、歯ならびが悪うなつてはと|乳《ちミ》 |歯《ぎ》の抜けるにも|苦《 》勢し、|肌《はだ》があれてはとあらき ぷ醗もつかはせず、逐に色盛りの十八の春を迎 へし時、あゝ思ひ出しても胸の痛くなる事、あ の伯爵様のお眼にとまり、|度《たぴく》ζめされては|御《おに》 讐鯨り、.「おるがん」やら「ぴやの」やら未 熟な藝を却つてほめられ、其度毎に莫大の|賜《たま》も のはありがたけれど、或夜の雨さへ降りたる 折、遅く蹄りて顔色わるく、どうしたこととた     、らへ   ふしど        よくあ、ご づねても慮答せず臥床にス力たる其翌朝、夫婦 が目さめて見れば|室蝉《うつせみ》の|殻計《カらぱカ》り、あきれて言葉       こなた  むすめご  ピゆすゐ         さとびと もなき所へ、此方の娘御が入水なされたと里人 のかついで來たる|亡骸《なきがら》、分別は出ねど涙が先走 り、惜しや夜あらしに色も|香《か》も|失《う》せたるを|抱《いだ》き   ,  これ  な ごり     ふ とん           ゝ しめて、是も名残の娘の蒲團に見にくきを力く すとて、手に|燭《さば》りしは|一《ひ》とひらのかきお渚、今 も離さず持つて居りまする、・と|懐《ふとニろ》より|出《いだ》すを 見ればやさしき手、   先だつ不孝の罪の|軽《かろ》からぬ事は申すまでも 、 なく存じ居り祢へども、さりとて惜しから      かひ              おもぷせ   ぬ命、甲斐もなくながら、へ居り泳ふも面伏   なる事と思ひあまりて|入水《じゆすゐ》いたし泳ふ。.父   上母上には御存じなく泳へ|共《ども》、ぴいたあと   申す人尋ねられ泳はゞ、吾が身事|紅費石入《こうはうせきい》   りの指環確かに身を離さず亡くなり申し"   ふ故あはれとも|御思召《おぽしめ》し、「さふイや」の   指環御鷺の|節《をり》は|一遍《いつぺん》の|御回向《ごゑかう》たのみあげ申   し仏ふと御言ひ博へ下され|度広《たくさふら》ふ。別封は   父上より伯爵に渡され仏はゞ、父上母上と   も老後の|御生活《おくらし》御心易かるべしと存じ泳   ふ。申しあげたき|事山《やまく》ζなれど惜しき筆と   め仏ふ。トσ。     -     返すぐも父上母上とも、かくなり体     ふも紳様の|御思召《おぽしめ》しと御あきらめ下さ     れ、|萬《ばんく》ζ御歎きあそばされぬやう、大     事の|御身髄《おからだ》の爲に所り申し瓜ふ。      二月七日夜    くいッくりい とあるこそ愈よあやしき事なれと、ぶらいとは (同|物静《ものしづか》にそれより|後《あと》を問へば、老婆はますく 泣きながら、其時夫婦は此|書置《かきおき》をよめどもさら に分らばこそ、其別封を|披《ひら》いたらもしや仔細の        わた      乏つと 知る、事もと、私しは云へど夫は許さず、伯爵 様へ持つてまゐれば、それより月ζに|大金《たいきん》を給 はるといふあやしさ、わたしは娘が何故に死ん だと夫にきいても、|曖味《あいまい》に知らぬと|計《ぱかり》の挨拶、 うるさく聞けば|果《はて》は怒りて、遂に物争ひするこ とも度ζの末はつれなき別れ|話《ぱた》し、去られて今 の|此《この》ありさま、|何庭《いづく》ともなくさまよふて敷月以 前に|此地《こミ》へ來り、ふと|避遁《めぐりあ》つた時、夫は|私《わた》しの 姿をば見るとひとしく涙ぐみて三十|弗《ドル》をめぐ み、再び|此地《こち》へは來てくれるなとの頼み、思へ ば逢ふが別れにて、娘|計《ぱか》りか夫までが疑はしい 死にやう、と身をふるはして泣くを|道理《もつとも》となぐ さめながら、それにしてもぴいたあといふ男は 尋ねて|來《ニ》なんだかと云へば、尋ねても來ませね ば「さふイや」の指環もどういふことか知らね ど、紅賓石は娘の指に在りました、との答へ。 あやしきことは此老婆を得て既に大抵墨きたれ ど、またぞろ一つ湧き出でたり。ちゃあれすが 蹄り來ても別段何も|解《わか》らざるこそ、さてもあや しけれ。 其 七  |一月《ひとつき》ばかりは夢の如くすぎて何のことも分ら ず。ばあどるふの頓死は心ありて伯爵の|謀《はか》りし 事か、心なくして藥の|喰合《くひあは》せかと疑ひも晴れぬ 曇り|室《ぞら》に、月の光りもはつきりとせぬ眞夜中 頃、ぶらいとは何の氣もなく何力し|寺《でら》の|埋葬地《まいさラち》 の|傍《かたは》らなる|木《こ》だち生ひ茂りて唯さへ暗き所を通 り|掛《かし》る時しも、|浮雲《うきぐも》に|吼《ほ》えつくやうな犬の聲遠 く聞え、|陰《いんく》ζと薄気味わろく、思はずもぞつと 身の毛よだつて、風も|腫《なまぐ》さきかと心迷ひのせら れながらそつとふりかへれば、古き|石塔《せきたふ》のさび しげに黒ずみて立てるもあれば、|大理石《だいりせき》にやあ らん新らしき|墓《はか》じるしの|騰《おぽろ》ながら青白きも、|誰 人《たれ》の名ごりの|悌《おもかげ》かとすさまじく見ゆるけし き、|流石《さすが》に心弱く物驚きするとたんに、ごそり ごそりと聞ゆる|響《ひどき》、|其《その》まゝかけ|出《いだ》さんとはした れども役目がらそうもされず、こわさを忍びて うかゞへば、|白銀《はくぎん》の|針《はり》をあざむく長き髪おどろ にふり胤し、|潮《うしほ》にしやれたる|木佛《きぽとけ》の如くなる|骨《ほね》 |立《だち》し|猿胃《ゑんび》を伸ばして、今や掘り|出《いだ》したる|棺桶《くわルをげ》の |蓋開《ふたひら》かんとする|意氣組《いきぐみ》はぎらつく|眼《まなこ》にあらはれ て、|人喰《ひとく》ひ|婆《ぱゴ》の物語りむかしにあらず、|霜《しも》の如 き息ほつとつき、博へ聞く、毒に死したる|亡骸《なきがら》 には|魂晩《こんぱく》長くとゞまりて、恨みの晴るゝそれま では|皮肉《ひにく》も破れ朽ちずとかや、我も昔は|御身《おんみ》の 妻、たとへ|一度《ひとたび》去られても子までなしたる中な れば、毒死と聞きて|其《ニの》まゝに|仇《あだ》も|報《むく》はず仔細も 分らず、よそに|見過《みすご》し置くべきや、愈主毒死か さもなきか|實否《じつぴ》を見むと此始末、ゆるし給へ、 と云ひながら、|拳《こぷし》をあげて|丁《ちやう》と打つ。腐りし棺 はいともろく四方にばらりと|擢《くだ》くる|拍子《ひやうし》、ぱつ ともえ立つ|陰火《おにび》の蔭に、すッくとたちたるば《ニ》|あ とるふ、|眼《まへ ハこ》は|凹《くぽ》み肉|落《おち》て、口の|端《はし》に|滴《したヨ》る血しほ も|生《たまく》ζしく、聲もあやしくうらがれて、よくこ そ尋ねくれたるかな、思ひまはせば七年前、あ の伯爵めに|吾《わ》が娘くいッくりいは|無《 こ》理無髄、|遁《のカ》 る方なく一生の恥辱を|負《お》はせられたれば、懸し と思ふ男には添ふことならぬを恨み怒りて、途 にはかなくなりしなり、手を|下《くだ》さずも伯爵は|可 愛《かはゆ》き娘の|當《たう》の|仇《あだ》、おのれやれとは腹|立《だ》てど、や さしき娘の書置に、憎しと思ふ伯爵の罪を忘る るその代り、子のなき夫婦をはごくむやうと、道 理をせめて雨方を丸く治めし利襲さに、恨みは さらに|墨《つき》せねど、百五十|弗《ドル》月ζによこすといふ 故ふツつりと娘の事は云ひ出さず、|住居《すまひ》も|換《か》へ て摺たりしが、うらめしや伯爵め、吾が身が熱に |浮《ムノか》されてもしや|大事《だいじ》を口走らば、名碁を|魯《う》つて |上院《じやうゐん》の議員にもならんと思ふ矢先にさまたげ と、法律を遁る、|工夫《くふう》をなし、馨者の與へし藥 と共に飲めば忽ち腹中にて大毒となる|飲料《のみもの》を與 へて我を殺せしなり、あらうらめしやく、ま さしく我は|謀《はか》られて殺されたれど、伯爵の與へ し物は毒ならず、よし裁到に訴へてもあの伯爵 は無罪にて、却つてそれを訴へし者は人を|証《し》ふ るの罪に|落《おち》るべし、あらうらめしやうらめし や、娘も殺され我もまた全く彼に殺されても、恨 を報ゆる道もなし、たのみにならぬ人の世の法 律こそは|償直《ねうち》なき、あら口惜しのものなれや、 |遺恨《ゐこん》は深き|黄泉《くわうせん》のながれに|漂《たどよ》ふ|吾《わ》が|魂《たま》のうかむ 瀬さらにあらぬぞよC 其 八  あまりの|怖《おそろ》しさに聲も|出《で》ず、苦しみてかたへ を向けば、ありくと|此方《こたた》にも座り居る老婆の ぽなが、何とてあれ程にうなされ給ひし、と親 切の介抱。さて.は思ひ|殊《ね》の夢、たのみにならぬ 法律を|尊《たつと》ぶ人の世の|現《うつち》に締りしかと、|醒《さめ》ても|鈍《おぞ》 ましく我ながら荘然たりしが、|不圖《ふと》身を起して 衣服をあらため、忽ち|下碑《げぢよ》として養ひ置きし《 》|ぼ なを|引《オ》き蓮れ、|貧民院《ひんみんゐん》に|行《ゆき》しぶらいとの心の内 こそあやしけれ。其|後《のち》は事もなくて|三日計《みつかぱか》り過 ぎしが、幽璽の物語り|眞《まこと》にしても|讃櫨《しようこ》にはなら ず、ましてや|當《かで》にならぬ|五臓《ごさう》の疲れより起りし 事取るに足らずと、途には決断やなしたりけ ん、ろざりんの|許《もと》、馨師の許、伯爵の許へ|各《おのく》 一通|宛《づし》の手紙を出して、ばあどるふの頓死につ きては十分探索の力を|蓋《つくし》たれば、全く謀殺者あ りしに|非《あら》ざること到然として、偶然の事憂に相 違なき事|明《あきら》かなれば、|各位《おのノち》を疑ひ申せしは却つ て|此方《こなた》のあやまりなれば、失橿を|謝《しゃ》し|併《あは》せて|各 位《おのおの》の御潔白なることを讃明致し弥ふ、と云ひ迭 りければ、世間のやかましき評判もやみて、へ んりい、ぶらいとの|軽忽《そトう》なりしを笑ふ噂ばかり となり、伯爵が藥を飲みしは正直勇猛とほめた たへられて|人氣《にんき》付きければ、|撰畢《せんきよ》にも|預《あづか》りてか ねて望みの貴族院にも入り、|蟹《とよ》さか登る朝日の 勢ひよく、温和の光りは草の如き者にまで及び て慈善家の|審《ほま》れも高く、あすこの令嬢|此庭《こし》の後 家にも|慕《した》はれて時めきたりしが、世の法律をこ そくゞるベけれ、天の道をば何の|免《まぬか》るべき。か りそめの|風邪《かぜ》の|心地《こミち》と|打《うち》ふせしが、頭あがらず 次第ζζに衰へ弱りて、別段の苦しみはなけれ ど馨藥の|致見《しるし》えず、|十日《とをか》あまりにめつきり痩せ て心|細《ぽそ》き|床《とこ》の上、殊られぬま、にさまλ\の昔 の事|胸先《むなさき》に浮ぶ眞夜中頃、しヤいろッくめ。 其 九 |薔薇《ぱら》の|花《 》も|萎《しぽ》み枯れて後は|香《にほひ》なければ、人の ト与だ          いうこん         いばれ 形髄の腐れて尚幽魂のあるべき所以なしとは知 れど、現在|此頃毎夜《このごろまいよく》ζζ、しゃいろッくめと責 むるは、たしかにばあどるふの聲、伯爵さまと 恨むはくいッくりいの音調、姿の見えぬはまだ しもなれど、紳経病となりしは我ながら残念。 さりとてまざくと聞ゆるあやしさ。|今日《けふ》は氣     しもへ  わかたへ   て に入りの奴僕てにいを吾が傍に置かんと、其手 ばず                  うらめ 筈しての夜も十二時すぐる時分、恨しや伯爵さ ま、おのれしゃいろッく、と云はれてぞツと驚 きながら氣を取り直し、てにいを見れば平氣な 顔付、.何か聞こえはせなかつたか、と問へば、 いゝへと答ふるあやしさ。|倦《さて》は愈主幽璽にはあ    わ                 これ   のち らず、吾が心のまよひと悟りても、是より後は 一夜に|三度《みたび》も|魔《おそは》るれば|強情《がうじやう》の男もたまらず、烈 しくならぬ内|静《しづか》なる所を見立てゝ|鑛泉冷浴《くわうせんれいよく》よろ しからんと馨者のすゝめに、さらば貴殿も同行 をと頼めば、頭かきながら、愚老はしばらく手 の離せぬ病人を受合ひ居れば、ぐれんどわあと いふものを御連れ下され、愚老の友人にて馨道 も巧者に親切な男で御座ると聞いて、少し|快《こミろよ》 からぬ|方《かた》もあれど、それを頼むことに|極《きは》め、|騒《さわが》 しきはよろしからずとの差圖、途にてにいと料 理人を合せて僅かに四人、何とかいふ|山中《やまなか》へ行 き|湯治《たうぢ》したり。  こ三は都と違ひ、よろづいぶせく物さびしさ も|一《ひと》しほにて、しんくとふけ渡る二時頃、 「らんぷ」の光りも何となく暗くなれば、忠義 のてにいは心得てねぢを動かし|心《しん》を出せど、一 しきりは明るくて、やがて又消ゆる如く腺鵬と なり、例の如く、おのれしゃいろッくめ、恨め しや伯爵さまと聞ゆれば、むつくと起きて雨眼 を|活《くわつ》と見ひらき、はつたと睨む鼻の先にあらは れたるくいッくりいの姿の、髪は蹴れて濡れこ ろも、しよんぼりと立つ|傍《かたはら》に、ばあどるふ口        かわ           まなじり       上ψ のあたりに血も乾かず、遺恨の眠恐ろしく飛 か、らんとする勢ひにたまらばこそ、|枕元《まくらもとく》の|薬 罎《すりびん》取るより早く打付けたり。 其 十  |宿《やど》の|手代《てだい》は|大《おほい》に驚き|馳《は》せ來りて、けしからぬ 物音、|是《これ》はまあどうしたこと、|臆《まど》かけは藥にそ まり|硝子《ガラス》はこなλ\に飛び散りました、といぶ かるに、てにいは捨てLも置かれず、前にも云 ふた通り旦那は精紳病、御心配には及ばず、損 じ物は|償《つぐた》ひまする、と挨拶してことは濟みたれ ど、|是《これ》より|毎夜《まいよく》ζζ姿さへ眼に見えて責めらる・ るしゃいろッくの苦しさ。ぐれんどわあも|匙《さじ》を なげたる様子と、氣は|槌《たしか》なれば察して知るだけ |猶《たほ》心細く、紳の|罰《ぱち》かと|自《みづか》ら責むる折さへあり て、本來の|善性《ぜんせい》に蹄る時は伯爵の|位《くらゐ》に高ぶりし 行ひもうらはづかしく、議員となりし名審も何 のいらぬこととさとり、忠義|一圏《いちづ》のてにいが一 生懸命我身の平安を|涙聲《なみだごゑ》になりて所るを|壁越《かぺごし》に 聞いては、天の道に|背《そむ》きし昔を悔い、紳にも今 は見放されてかと歯をくひしばるも|敷主《しばく》なりし が|後悔《こうくわい》は先に立たず、幽璽は常にあらはれて一 夜に二度三度まで|魔《おそ》はる、せつなさ、悪人なが ら哀れなり。  或日手代御機嫌を|伺《うかモ ひ》ながら、此里の山つゞ き奥深く、|白雲《しらくも》常にたゞよふて|仙禽《せんきん》の|噸《さへづ》り耳に 新らしき|高嶺《たかね》の|洞穴《ほらあな》に、|座暉《ざぜん》の膝を組みて|五官《ごくわん》 の慾を抑へ、観念の|眼《またこ》を|開《ひら》きて|一雀《いつくわんせ》の|聖経《いきやうし》を|諦《よう》 し、心を松風に澄まし|喉《のど》を|漢川《たにがは》に|潤《うるほ》して、人と いふもの相手にせず、唯ζ神様を師とも|主《しゆ》とも       いのちいけにへ 熔、  しゆさうじやー なし、大事の命を犠牲に捧げての修行者、きい と申さる、|方《かた》あり、道力いみじく|御座《おは》せども、 みだりに|麓《ふもと》へは|下《くだ》られざりしが、十年ほど以前 |侯爵《こうしやく》の何がしさま、|是《これ》も|御前《ごぜん》と同じ精紳病にて 助かり難くありし時、|御駕籠《おかご》にめして|分《わげ》のぼら れ、山の牛腹まで行きて一心に|憐《あはれみ》を乞はれし かば、|瓢《へうく》々として來り給ひ、|繊悔状《えモやう》と|恨《うま》をなす べき心あたりの人の品物と|二《ふた》くさを受け取り   た一、ち     ほろぽ            き ねW て、直に焼き滅し、天に向ひて所念ありしが、 侯爵の|殿《との》はそれより心すがくしく、途に丞-癒 あそばしめでたく御蹄家なされしことあり、|夫《そき》 も今は頼みにならず、木こり山がつも|此頃《このごろ》は《ぜ》|き い|行者《ルザごやうじや》をお見かけ申さぬとのこと、と歎息して の物がたりに聞き惚れたるしゃいろッくは、て にいそなた|太義《 たいぎ》でも案内者|雇《ぬちと》ふて山深く分け入 り、剖W行者のあるなし|糺《たいユ》して來て呉れ、と、 伯爵の|貴《たつと》き|方《かた》が|奴僕《しもべ》にいひつくるさへ丁寧にな りしお胸の|中《うち》いたはしやと、てにいは|直《すく》に出て 行きけるが、其夜は殊に淋しく四五度までも|魔《おそ》 はれ苦しみし|翌朝《よくあさ》、|蔦《つた》かづらよぢ登りて漸く尋 ね逢ひは逢ひましたが、きい行者は以ての外の |氣色《けしき》にて、しゃいろッくは驕慢の心まだ抜けね ばとても助くる謬にはゆかず、いよく罪を悔 みて|眞心《まごヨろ》に蹄りなば臓悔欣自身に作り、心當り の恨む人の品物何にてもひとくさ持参し、正直 になりて山の孚腹まで來との言葉、とてにいが 話すに、昨夜の|苦《くるしみ》を思へば我慢の|角《つの》も折れ、 きい|行《じ》者の|見透《みとほ》しには|謄《きも》も|落《おち》る|計《ぱか》りに|驚《おど》ろき、 |流石《さすが》のしゃいろッく力なき手に「へん」を取り て、ひそかに戯悔状|認《したム》め、てにいを從へて|山駕 籠《やまカご》に痩せし身を載せ段ζ行けば、|松柏《まつかしは》の|梢《こずゑ》そら にそびえてこうくと|吹風《ふくかぜ》の音すごく、 |濃《みなぎり》な がる三|漢川《たにがは》のけしきすさまじ。見上ぐれば岩山 |峨《がゴ》ζとして|牛《なかぱ》は雲にかくれ、悲し|氣《げ》なる鳥の馨 ひや三かに襟元に|落《おち》くれば、此世から生れかは りし如く、しヤいろッくは荘然としてあり難さ 身にしみ、何の課ともなく雨眼に涙こぼれけ る。  やがて|駕籠《かご》を|下《お》り、よろくと地に|脆《ひざま》づき|首《かうべ》 を低くして一心に、きい行者救ひたまへと念ず れば、てにいはじめ|人足共《にんそくども》は|片《かた》への岩蔭に隠れ 休みたり。十|分《ぷん》も|過《すざ》し頃、しゃいろッく|頭《さしら》をあ げいと|嚴《おごそか》なる|詞《ことぱ》に、伯爵は|起《おき》んとすれど|病疲《やみつか》 れたる身の自由ならず、漸く|首《かしら》だけもたげて恐 るく見れば、|后髭《しらひげ》胸を|覆《おほ》ひて眼の光りすゞし く、廣き袖の|麻《あさ》の服をゆたかに着なしたるあり さま、紳の|使《つかひ》かと思はれて|切《しき》りにわな、くを行 者は見給ひ、しヤいろッくは|此山《こし》にて|生《うまれ》かはる べし、|汚《けが》れたる今までの行ひを捨て清き身とな るべし、繊悔状いざ受取らん、天に所りてつか はすべし、とさし|出《いた》し給ふ手に繊悔状及び一ひ らの書き|付《つけ》を|捧《さし》ぐれば、取るより早く|掌《てのひら》に置 きて高く捧げ、|呪文《じゅもん》を|唱《とた》へて|天火《てんくわ》をもつて焼き 給へば、|炎《えんく》ζとして|焚《もえ》たりけり。伯爵は|感偲肝《えぱいきも》 に|銘《めい》じて伏し|拝《をがみ》くする|間《ま》に、時ζ行者の所薦 の聲いと古き|語《ことぱ》にもやと畳えて、耳にほの聞ゆ る|尊《たふ》とさ。やがて仰ぎ見れば|行《 》者ははや影も形 もなく、|是《これ》はと驚く所へ、しヤいろッくは生れ かはるべし、と|何庭《いづく》よりか響きたり。 其十一  生れかはるべしとの|一言《いちごん》耳に残りてあり難さ 忘られず、|是《これ》より幽璽も|出《いで》ずなりければ、別に |病《へまひ》もなき事ぐれんどわあの|藥力見《やくりよく》えてめきく と肉づき再び|奮《もと》の姿に|復《ふく》し、都へ|蹄《か》へり|花《ぱな》さく 身となり、親しき|朋友《ともだち》知る|人共《ひとども》を招きて|床上《とこあ》げ の覗宴、てにい料理人までも|慰螢金《ゐらうきん》貰ふたるよ ろこびのあまり、|道化踊可笑《どうけをどりをかし》く「ぴやの」の|音《ね》 て力を協せ、ばあどるふ、くいッくりいに聲色 の似たりとぽなの|認《きみと》めし貧民の|男女《なんによ》を忍ばせ て、あやしき言葉をひゞかせ、油に水をまぜ置 きて眞夜中に暗くならせ、精良の|小幻燈《せうげんとう》、|白壁 窓掛《しらかべまどかけ》にあやしき姿を見せ、きい|行《と》者の|手品《てじな》一杯 食はされしも|一罎《ひとびん》の毒の|返報《へんぱう》。自筆でばあどる ふを殺したとの俄悔状には辮護人の口もひらけ ず、殊更くいッくりいの書き置きもきい行者の 手に残りたれば、二罪|倶襲《くはつ》、あゝ恐ろしきし《き》|ヤ いろッくの圷み、毒を用ゐで毒で殺せば、|憶《あコ》お そろしきぶらいとの智恵、法律にのらぬを法律 で罰すると、聞く人舌を捲くは|是《これ》のみならず、 忠義|無双《ぷさう》のてにいは探偵だんきゃんなりしと ぞ。其|後《のち》はこれにて|凡《す》べての|怪《あやし》きこと、怪しく もなきに、ぐれんどわあは或時ぶらいとを|訪《と》ふ てくいッくりいの書き置きをひらき、   {|筆《ひとふで》かき残し申し泳。我身こと|御前様《おんまへさま》の爲   めに此世の望みも絶え果て泳ふ所の大恥辱   をうけ申し泳ふに付いては、|最早惜《もはやをし》からぬ   身を捨て仏ふて、|自《みづか》ら心の潔白なるを或人   に向ひてあらはし外ふより外に|樂《ためオし》みも御座 もさ心めき渡りし其夜忽ち拘引せられて、|三日《みつか》 た、ぬ内に死罪の|宣告《せんこく》、さても世は無常なり。  其事にたづさはりし代言人につきて仔細を|問《とへ》 ば、料理人を初め宿屋の手代、きい行者は皆探 偵にて、馨師のぐれんどわあも|内《ないく》ζ依頼を受け    あは                       こわ、ろ   なく仏ふ。まことに御前様の御ふるまひ|骨《ほね》   |身《み》に答へて|口惜《くちをし》くはぞんじあげ外へ|共《ども》、|畢《ひつ》   |寛我《きやう》身を深く|思召《おぼしめ》し餓りての事と恨むばか   りにはあらず、嬉しき|方《かた》も御座弥へば陰な  がら御前様あしかれとは存じ申さず仏ふ   |間《あひだ》、|何卒《なにとぞ》御心正しく持たれ泳ふて|行末《ゆくすゑ》なが   く|御榮《おんさか》えなされ仏ふやう念じあげ申し仏   ふ。たよりなき|父母《ちさはし》わたくし亡くなり申し   仏ふ上は、老後定めし|難澁《なんじふ》のことと思ひや   られ、一層御前さま恨めしくは泳へども、   なにとぞ父母の行末相慮に|御扶《おんたす》け下された   く、さすればわたくし事一生の恨を忘れ、   却つて御前様をありがたく存じ申すべく外   ふ。又父母ともゆめく御前様御所行に付   いて口外致すまじく、つまり御前さま御爲   めにも父母の爲めにもよろしくと考へ申し   仏ふ。申しあげたき事は|澤《さに》なれど、まづは   |御暇仕《おんいとまつかまつ》り.泳ふ。     二月七日      くいッくりい       伯爵しヤいろッく様    愚父立合にて御開封下され|度瓜《たくさふら》ふ。 と讃みてわつと男泣きに泣きたるは|怪《あや》しと見れ ば、其筈の事、ぐれんどわあの指には「さふイ や」ぞ|輝《かじや》ける。             (明治二十二年十月作)