脳波操縦士 蘭 郁二郎 森源の温室  奥伊豆1と呼ばれているこのあたりは、東京からいっ て、地理的にはほんの僅かな距離にあるのに、まるで別天 地といってもよいほど、南国のような、澄み切った紺碧の 空と、そして暖かい光線に充ち満ちていた。  こんもりと円やかに波うっている豊かな土地は、何かし らこの私にさえ希望を持たせてくれるような気がしてなら ない。  私は眼を上げて、生々しい空気を吸いこんだ。この、塵 一つ浮いていたい大気の中で、思う存分に荒々しく呼吸を し、手を振りまわして見たいような気がした。  病後を、この奥伊豆に養いに来た私は、体温表の熱も、 どうやらサインカーヴに落着いて来たし、それに何よりも 『希望』というものを持つようになって来たことが、偉大 な収穫であった。  土挨りの、どんよりと濁った層を通してのみ太陽を見、 そして都会特有のねっとりとした羊嚢色の夜空を|悪《にく》んでい た私には、ここに移って来ると共に、南国の空とはこんな にも蒼いものであるか、と半ばあきれてしまった位であり、 其処に飛ぶ、純潔な綿雲に、健康た幻想を覚えるからであ った。  だが、そうして病気の方がよくなって来るにつれて、今 度は、思いがけたかった、激しい無柳に襲われて来た。あ たりはまるで太陽からの光線が、一つ一つ地面に沁入る音 が聴えるほどの、俄つんぼのように静まりかえった眺めで あるし、吹く風すらも私の耳に柔かいのだ。自分自身を持 てあました私は、許すかぎりの時間を散歩にまぎらわし、 なおその上、話し相手ほしさに、飢えて居たのであった。  その頃だ、奇人、森源を知ったのはー。いささか前置 きが長すぎたようであるが、その頃の私の退屈を知って置 いて頂かないと、当時、誰一人として相手にしなかった森 源と知り合いになったということが、どうも不自然のよう に思われはしまいかと倶れるからである。  森源iというのは綽名で、実は森田源一郎というレッ キとした名があるのだが、村人は誰も森源、森源、といっ ていたし、たんだかその方が彼の風貌をしっくりと表現す るような気がし、私も口馴れたその名を呼ぶことにする。  奇人森源についての、村人の噂は、或は隠れた大学者だ ともいい、或はただの、寧ろ狂人に近い変人なのだともい うけれど、いずれにしても、村人とは絶えて交際しない 『変り者』であるということだけは一致していた。  その、森源の家は私の借りていた家から四五丁はなれた、 低い谷合にあって、この辺では珍らしい洋式を取り入れた 建て方のものであった。そこに行くまでには、自然の温泉 を利用した温室が幾棟か並んでい、その温室の中には、|蔓《つる》 もたわわに、マスクメロンが行儀よくぶら下っているのが 眺められた。  これは森源が考案したものだそうだけれど、今ではこの 村のあちこちに、これを真似た自然温室が出来ていて、有 力な副業になっているそうである。この点、森源は相当感 謝されてもいい筈なのだが、しかし村人は彼に『変り者』 という肩書をつけて、強いて交際しようとはLたい1  私が、最初に森源に逢ったのは、散歩の途中、その温室 でであった。  森源は力ーキ色の仕事服を着て、せっせとマスクメロン を藁で作った小さい蒲団にのせ、それを支柱に吊り下げて いるところであった。私も、若しもこの男が人々のいう 『変り者』ということを聞いていなかったならば、別に話 しかけもしなかったであろうが、なまじ、予備知識を与え られていただけに、それに前いったような退屈さからの好 奇心も手伝って、 「ほう、すばらしいものですね、これなら輸入ものに負け ませんね」  といったものである。ところが、森源は、白い眼をあげ て私を一瞥すると、 「ふん、輸入ものがいいと思ってるなア素人さ」  そう、ぺっとはきすてるようにいうと、知らん顔をして 仕事の手を続けていた。 「ふーん、輸入ものは駄目かね」 「そうさ、当り前じゃねえか、このマスクメロンてものは な、時期が大切なんだ、蔓を切って船へ積んで、のこのこ と海を渡ってくるようじゃほんとの味は時期外れさ」  やっとこちらを向きなおった森源は、はじめて見馴れぬ 私の姿に気づいたように、手を休めた。 「なるほど、そういえばそうに違いないー、このメロン は年に何回位採れるんかね、一体」 「他じゃ順ぐり順ぐりにやってもいいとこ三回だろう、俺 んとこじゃ、まずその倍だよ……」 「倍って、六回も採れるかね」 「そうさ、もっと採れるようになる筈だ」 「ほほお、何かそういう方法があるんかね」 「他の奴等みたいに、ただ温室は暖めればいいと思ってい るんじゃせいぜい三回が関の山さ。それが猿真似だ、温室 の湯をスチームがわりにする位、子供だってするだろうさ ……ふっふっふっ、方法? 方法があるのさ」  そういうと、もう一度私を確かめるように見なおすと、 「それは、この建て方だ、温室の建て方だよ、他の奴みた いに空地がありさえすれば、構わず建てたのとは違うね、 それからアンテナだ」 「へえ、温室にアンテナがいるのかね、……なるほど、そ ういわれるとみんなついているようだ」  私は、そろそろ変な話になって来た、と思いながら、そ のアンテナという温室上の、数条の空中線を見上げた。 「この温室は全部東西に縦に建っているんだ、その上アン テナを張ってある、というのは地球の磁力を利用している んだよ。正確な測量で磁計の示す南北に、正しく直角の方 向なんだ。尤も極の移動から来る誤差は、どうも仕様がな い。それがハッキリ捉えることが出来たらもっと能率が挙 るに相違ないんだが」 「磁力が肥料になるとでもいうのかね」 「というのは、磁力というものが鉄にのみ作用すると考え ると同様な認識不足さ、それが一般の考えたろうー。君 は『死人の北枕』というのを知っているかね。尤もこれは 釈迦が死んだ時に北を枕にしていた、という伝説から来た ものといわれているが、然し時々伝説という奴は真理をも っているもんだ。磁力線と並行の北枕というのが、理論上 最も静かなる位置なんだからね。その磁力線を直角に戴る 方向に置き、それをアンテナと地中線を張って有効に捉え たとすれば、その僕の企てた増穫が不思議でもなんでもな いじゃないか。事実が最高の理論だよ、それは総ての方面 に応用されていいんだ。地球上に無駄に放射されているエ ネルギーを、誰がどんなに利用しようと一向差支えもない からね」  私にはどうも正確には呑込めなかったけれど、どうやら この森源は、ただの『変り者』ではないように思われて来 た。この空中エネルギーの利用法だって、ただにアンテナ を張ったばかりでなく、何かもっと新装置がしてあるに相 違ないのだが、若しこの方法が、彼のいう通り甚だ効果的 であるならば、広く一般に利用し、たちまち食糧問題など も解決されるほどの大発見に違いないのだ。  森源の言葉に、砂からず興味を覚えた私は、それでなく とも一日の長さを持てあましていたこの際、いい相手が出 来たとばかりその温室に腰を落着けてしまったのである。  ガラス張りの室内は、太陽の光りを充分に受けているし、 温泉の暖房が縦横に通っているし、しかもあたりには香の 高い南国の植物が、青々と葉を張っているので、ひどく浮 世離れのしたいい気持になってその初対面の森源と話しこ んでしまったのだ。  森源も、噂とは違って決して話ぎらいではなかった、寧 ろ私以上に話好きであるらしいことは、いつか仕事をすっ かりほうり出してしまって、さあ、さあと土によごれ、少 少しまりのゆるんだ円椅子を奨めて、ゆっくりとタバコな どを喫いはじめたことでもよくわかった。 「あなたは東京? ああそうでしょう、どうもこの辺の奴 は、アンテナの話をすると逃げ出すんでね、はっははは」  ガラスを通して、直接太陽の光りの下に浮き出した森源 の容貌は、美青年という訳にはゆかなかったけれど、さし て不愉快なものでもなかった。寧ろ、時に労働者に見える ような、凹んだ頬と、四角な邊しい顎とは、一種の精桿さ を見せていた1光線のせいか、額に刻込まれた深い搬と、 太い眉が余計にそうと見せたのかも知れない。 電気屋敷 「地球磁力を肥料にするーというのは、相当面白いテー マだと思いますね、どうしてそれを発表しないのですか。 而も実地に応用して二倍の成績をあげている、というんで すからー」  彼は、小鼻に鐵を寄せて笑うと、 「……まだ、発表するたどというところまでは行っていま せんね。一つのデータとはいえるかも知れないが、時機尚 早、というところでしょう。勿論アンテナと地中線ばかり ではないので、それに附属した装置が、まだ未完成だ、と いうんですよ」 「成程、それで、まだ発表出来ない、というんですねI I」  私は、これについては、もう追求しても無駄なことがわ かったので、何かほかに話題を見つけようと、眼をあげた。  すると、丁度その時、温室のドアを排して、一人の女性 が這入って来た。  途端に、この温室に、パッと花が咲いたように幻覚した ほど、美しい女性であった。  あたりが南国的た雰囲気にあったせいか、その美少女の 色鮮やかな原色の紅と黄と青との大胆な洋装が、いかにも しっくりと合って、銀座などで相当行き交う美少女には見 馴れていた筈の私が、はあっと眼を見張った位であった。 断髪であった、それが又美しかった。濡れたような瞳であ った、それが亦美しかった。  先方でも、思いがけぬ私のいることに、よほどそばへ来 てから、あっといったように立止って何か言葉を待つよう に、薄く口を開けたまま、森源の方を見かえした。  その、紅い唇の間から、ガラスの反射を受けた皓歯が、 きらりと光った。 「うん、友達だよ」  森源は、何か弁解するように、そういうと 「ルミです:…・」  それっきり妻とも妹ともいわなかった。 「遠藤です、よろしく……」  と腰をあげていいながらも、私は、はげしい興味を覚え て来た。  彼女は何か二こと三こと、森源の耳に曝くと、又温室を 出て行ってしまったけれど、その、焼きつくような印象的 な姿体は、しばらく私の網膜から消えようともしなかった。 「実に美しいですね……|鄙《ひな》には稀れ、というけれど、勿論 この土地の人でも准かろうし、都会でも稀れですね」  森源は、嬉しそうに、又小鼻に鐵を寄廿、 「いや、田舎者ですよ、ただ僕の、いわば趣味であんな恰 好をさせているんですよ」 「ほほお、驚きましたね、そんな芸当もするんですか、私 はまたただの変人1」  といいかけて、あわててあとを呑んでしまったけれど、 森源は、苦笑して、 「あなたも聞かされて来ましたか、変人というのは交際ぎ らいの僕には、いい肩書ですよー」  森源は、自分で自分を変人にしているのだ。成るほど、 これは頭のいい方法に違いない。 「どうです、ここは暑いから家へ行ってお茶でもー」 「ええ、私だけは交際してくれるんですか」 「皮肉ですね」 「いやいや、そういう訳じゃないんです。交際を、お願い しているんです……」  私は、少ししどろもどろだった。家へ行けば、あのル、、、 という美少女がいるであろう、という期待を、見透かされ まいとする気持が、逆に妙なことをいってしまったらしい。  森源は、先きに立って、温室を通り抜けた。そして、玄 関にかかると、自然にドアが開いて、我々はポケットに手 を入れたまま這入ることが出来た。 (ルミがドアを開けてくれたのか)  と思って、つッと振返ってみたが、ルミの姿はなく、而 も、ドアは元通りぴったりと閉っているのだ。  廊下を通って、書斎らしい部屋に行った。その時も我々 はドアに手をふれなかった。そればかりではない、そのド アには|把手《ハンドル》が附いていないのだ。 「自動開閉ですよ」  森源は、私の不審そうな眼に答えた。  それから気をつけてみると、どうやらこの家は、あらゆ る面に、極度に電化されているらしいことがわかった。気 温が一定度より降れば暖房装置が働き、昇ればすぐ冷房機 が調節する、|釦一《ボタン》つで折畳の椅子テーブルが壁から出て来 るといった有様で、まるで話に聞く電気屋敷そのままであ った。  おそらく、森源自身が手を煩わさなくてはならんのは、 ネクタイを結ぶこと位であろう。顔を洗うのでさえ、洗面 台に顔を出せば定温水が噴出して来て、具合よく洗い流し てくれるというのだからー。 「どうも、まるで科学小説の中の人物みたいですね」  何時か私は「そうかね」式の言葉から「ですね」に改っ てしまった。そして、壁から飛出して来た一つの椅子に腰 をかけ、テーブルの上のタバコ盆の蓋を取った。すると、 バネ仕掛けのように最初の一本が浮き上って来たけれど、 手を伸してみると、それには、ちゃんと火が点いているの であった。  私は、果してそれを、口に唾えて吸うのかしら、と錯覚 した位で.ある。 「科学小説  」  聞きとがめたように、森源がそう咳くと、続けて 「遠藤さん、といいましたね、-その科学小説というも のを愛読されているんですか。そして、どう思います?」 「愛読、というわけでもないのですが、勿論きらいでもあ りません」 「そのきらいでもない、というのは所謂科学小説の架空性 を好まれるーというのではないですか。いいかえれば、 僕は、科学小説とは架空小説と同義語だといえると思うの です。一種の空想小説だともいえると思うのです。ひどい 言葉のようですけれど、今迄のは、殆んどそういっていい と思うのですよ。例えば月世界旅行記、火星征服記、とい ったようなものはその興味あるテーマでしょう。然し又、 その空想も『科学的にあり得ること、いつか為し得るこ と』という所が大切なのです。例えば永久動力などという のは、それが出来ない証明があるのですから、一寸科学小 説とはいえませんねーおや、すると、矢ッ張り科学小説 と空想小説とは違うかな……」  森源は、一寸頸をかしげたけれど、すぐ又 「……いや、いいのだ、ただ科学小説とは出来そうな空想 をテーマにした小説、現在の科学でもってあり得そうな小 説だ。そうでしょう?」  彼は一息ついて、私にはその科学小説の定義を呑込ませ ようとした。 「なるほど、そうですね、月世界旅行というのは面白い考 えです11が、地球から出て、果して月にまで行けますか ね。というのは地球から月までの距離を一とするとですね、 地球の引力は月の引力の六倍だそうですから、その距離の 六分の五まで行った時には、つまり月ともう六分の一だ、 という所で、両方の引力が零になるわけで、宙ぶらりんに なってしまうことはないですかね。寧ろ、その点に太陽か、 さもなくば他の星の引力が働いているとしたら、折角、月 に向って行ったのに、とんでもない宇宙旅行がはじまって しまうんじゃないですかね」 「そんなことはないさ。地球から月へ向って行く慣性の方 が大きいだろうから、月へ寧ろ激突するだろうーそんな ことの興味よりも、僕は『大きさ』というものの方が、も っともっと深刻な興味があると思うね。大体ものの『大き さ』というのがすべて相対的のもので、絶対的ではないん だからね。人間が『仮り』に定めた尺度でもって、それと 相対して僕が五尺三寸あるとか、あの木は四米の高さだと か、このタバコ盆は厚みが四分の一吋だとか、そう唱えて いるに過ぎないのだからね。例えば太陽の周りを地球や火 星が廻っている、それは原子の周りをいくつかの電子が廻 っているのとソックリ同じじゃないか。ただ大きさが違う というが、それならば、その大きさとは何か、とたると、 一体なんといったらいいのかね。iこう考えると、この 太陽系を包含する宇宙も、それを一つの元素と見なしてい る超大世界があるのかも知れない。逆に、この我々の超顕 微鏡下にある原子の、その周りを廻っている電子の一つに、 我々と同じような生活を営んでいる『人間』がい、木があ り、川があり地球と称しているかも知れない-1要するに、 大きさという絶対でないものの悪戯なのさll」  私は、なまじ相槌をうったばかりに森源の話に圧倒され てしまって、どうやら自分の方が頭が変になって来てしま ったようだ。  彼の話なかばから、なるほど少し変り者のようだ、とは 思ったのだけれど、実をいうと私はあのルミという温室で 見かけた美少女のことがどうも頭を去らず、又此処に来は しまいかと、そればかりを心まちにしていたのだが、遂に その姿を重ねて見ることは出来なかった。私は、森源の話 が一段落ついたのを幸い、ほうほうの態で、引上げて来た。 美少女ルミ  私が、再び森源の家を訪ねたことについては、前にいっ たように、ひどく退屈であったせいは勿論なのだが、然し、 二三日して散歩の途中、森源の家のそばを通った時に窓越 しにルミの姿を認めたからであることも否めないことだ。 その時の彼女は、気のせいか、ただ荘然と部屋の中に突立 ち、うつろな、視線のない眼をあげて、私を見ていた。い や私ではないかも知れない、だがそんなことは構わないで はないか。  私は、森源が、少し離れた温室の中にいるのを知ってい ながら、わざとそっちを向かないで、真直ぐに家の方に行 き、彼女に聞えるように、 「ご免下さい、ご免下さいー」  と呼んだ。そしてドアを押した。  同時に、おやっ、と気づいたのは、この前森源と一緒に 来た時は、声もかけず、ドアを押しもしたかったのに、自 然に開いた筈であったドアが、相当強く押して見たのに今 日はびくともしないのであった。  而も、充分聞えた筈なのに、ルミは、身動き一つしたよ うな気配もない。私は柳かがっかりして、帰ろうか、と思 った時だ。  いつの間にか、後に来ていた森源に、ぽんと肩を叩かれ てしまったのだo 「やあ、この間は失敬、ま、這入って下さい、まあまあ1 1」  そういわれて、もう一度振りかえると、ドアは、ちゃん と大きな口をあけている。  私は小馬鹿にされたような気もしたけれど、今更帰るわ けにもゆかず、森源の後に続いて行った。 「いらっしゃいませー」  その声! 歌に乗るような美しい声で、私を迎えてくれ たのは、窓越しに見た時とは見違えるように澄刺としたル ミであった。 「さあさあお前の好きな加客様だ、お茶をもって来ておく れー」  実のところ、私はルミにお茶をとりになど行って貰いた くはない位であった。  だが、ルミは従順に頷いて、部屋を出て行ってしまった。 そして、なかなか帰っては来なかった。  森源は、例の癖である小鼻に鐵を寄せて、にやにやと笑 うと、 「ルミは、非常にあなたが好きらしいですよー」 「……」  私は一寸返事に困って、唯無意味なにやにや笑いをかえ した。 「実際、ルミはあなたが好きらしいのだが、1不幸なこ とにあれは僕なしには、一日も、いや一時間も生きてゆけ ないのだしね。それに、僕もあれを手離したくはないのだ、 といって、誤解はしないで下さいー」  私はその森源の言葉を了解することが出来なかった。何 か奥歯に、ものの挾まったようないい方が、どうも私には ピンと来ないのだ。  丁度その時、やっとルミがお茶を運んで来たので、一寸 言葉のとぎれた、まずい空気がほっと救われたように思っ た。  ルミは、銀盆の上に、紅茶を二つのせて来た。 「まあお前もそこへお掛けー」  森源の、口で指した椅子に、ルミは無言で腰を下した。  そして思い出したように、私の方に向けた瞳i。  ああその瞳を、なんと形容したらいいであろうか。ほん とに、黒耀石の瞳とは、これのことをいうのではないかと 思われた。しかも、瞬きを忘れた、|円《つぶ》らた瞳は、じっと私 に向けられ、何か胸の中を掻きみだすような、激しい視線 を注ぎかけて来る。  却って、私の方が、ぽーっと顔の報らむのを意識し、少 年のようにおどおどとしてしまった位であった。 「しばらくお見えになりませんでしたのね」  彼女は、大きく瞬きをすると、流れ出すような声で、そ ういい、そうして片頬を微笑に崩した。 「いえ、そのー、その記邪魔だと思って」 「まあ、そんなことありませんわ。ぜひ毎日でも来て下さ いません、どうせ退屈なのですから」 「え、それはもう、私こそ退屈で閉口しているんですから ll、これからちょいちょいお邪魔します」  それは、叫ぶような、思わず上滑った声であったと見え て、森源は、 「はははは」  と遠慮なく笑うと、鐵の寄った小鼻を見せながら、 「ほんとに、是非来て下さい、僕は『変人』で話し相手が たいんですからー」 「綺麗なお友達が出来て、大変光栄です」  少しキザないい方だけれど、どうやら有頂天になってい た私には、寧ろ、それが実感であったのだ。私は、今日は そばにルミがいるので、三人|鼎《てい》座のまま、すっかり腰を落 着けてしまった。  その中に、いつとはなく気づき、詔かしく思われて来た のは、外でもないルミのことだった。  というのは、彼女は、実に美しい少女であったし、又そ の話しっぷりから、高等な教育を受けたらしいことも、よ くわかっているのだが、時に、ふっと黙った時の横顔は、 まるで彫刻のようにひえびえとする冷めたい、固い表情を 見せるのだ。そして、瞬きを忘れていることが虞々ある1 110  私はそんな時に、一寸森源を楡見た。すると、森源も、 疲れたような、ゆるんだ顔をして、ぼんやり天井を見詰め ているのだ。 (私が図に乗って、あんまり長居をしたせいであろうか) 「やあ、どうも大変お邪魔しまして……、又伺わせてもら いますー」 「えっー」  あまり突然だったので、びっくりしたように眼をあげた 森源は、何か口の端まで出かかった言葉を、もぐもぐと呑 込んでしまうと、 「そうですか、では、ぜひ来て下さい」  そういってルミに眼くばせをし、玄関の自動開閉ドアの ところまで送って来た。 「ああ、そうそう、こんど伺ったら、一度あなたの研究室 を見せて頂きたいと思っていますよ」 「そうですね、なアにたいした設備もないけれど、そのう ち見て下さい」  なぜか、森源は、淋しそうに相槌を打って私を送り出し た。 脳波操縦  その翌日だった。  午後にでもなったら、又森源のところでも行ってみよう か、と思いながら、ぼんやり二階の手すりに手をもたせて、 澄み切った奥伊豆の蒼空を眺めていると、ふと視界のはし に、華やかなものを感じ、眼を凝らしてみると、どうやら ルミが、それも私の家の方に向って、親々と歩いて来るの であった。モダン娘ルミの歩きっぷりを、瓢々などと形容 するのは妙なようだけれど)事実その姿は、まるで風に送 られて来るかのように、変に緩慢な、それでいて、一刻も 早く此処へ着こうとする激しい気力を感ずるような足取り なのであった。  私は、すぐに二階から駈下りた。そして、庭下駄を突か け、道の中途までルミを出迎えた。 「まあー」  彼女は、そういうと、頬を、はげしく痙箪させて、倒れ かかるように、私の胸に葬れたのだ。私は、田舎道だとは いえ(或は人通りの勘い田舎道だったから余計に)不意を 打たれたルミの大胆さに狼狽しながら、 「ま、ここではーさあさあ」  と家に、引ずるようにして連れて来た。  その時、集れかかったルミを、全身に受けたがら、私は、 奇妙な触感に一寸ばかり語かしく思いながらも、兎も角家 へ帰って、椅子にかけさせ、 「よく、来てくれましたね」  やっと、ほっとしながらいった。 「……」  無言であげた彼女の顔は、何か非常な精神の混乱を示し ている泣き顔なのであった。それなのに、泪は一滴も出て いなかった。泪のない、|真面《まとも》に見上げた泣弐顔というのは、 ひどく荒涼としたものであった。 「どうしました。水でも持って来ましようか」  さっばり様子の呑込めぬ私は(森源と、喧嘩でもして来 たのであろうか)と思いながら、ぽかんと突立っていた。  ルミは、激しくかぶりを振ると、 「あたし、おまえが好きなの、好きたの、好きなの-…・」  そういって、キともクともつかぬ、母音のない奇妙な叫 びをあげ、椅子から立上って、手を伸して来た。  私は、思わず二三歩たじろいで、 「ど、どうしたんですルミさん?」  気を確かに、しっかりして下さい、と言おうとした時、 案内も乞わずに飛込んで来た森源が、私の方には眼もくれ ず、 「ルミ、バカ!」  そういって一生懸命に駈けて来たらしく、まだ息をはず ませたがら、睨みつけた。  とル、・、は、そのまま硬直したように、床の上に、ガタン と倒れてしまった。その倒れた音はまるで椅子が倒れたよ うに、ガタンという音だったのである。  ルミは、それっきり、微動もしなかった。  私は、怖る怖る森源の、血走った眼を見上げた。 「どうしたのです。一体1」 「:…・」  やっと私の方を振り向いた森源は、 「いやあ、失礼しました。お騒がせして済みません、とん だ騒ぎをしてしまって……」 「そんなことは一向に構いませんよ、だが、ひどい音をた てて倒れたようですがー」 「そうです、丁度、電気が切れたのです」 「えッ、電気が切れた?」 「おや、まだ気づかれなかったんですか、ルミ、このルミ は私が半生の苦心を払って、やっと造りあげた電気人間な んですよー」 「電気人間!」 「そうです、私が命よりも大切にしている電気人間なんで す」  私は、この時ほど驚いた事はなかった。たった今の今ま で、私に好意をもってくれる美少女として、かすかたがら 好もしさを、いや、恋を覚えていた相手が、なんと電気人 間であったとはIl。文字通り愕然として、床に伸びてい るルミを見なおした。  然し、そう聞いても、まだルミが人造人間だとは肯けな かった。  なんという精巧品であろう、本物の人間の中にすら、ル ミよりも粗悪品がかなりいるに相違ない。 「この美しい皮膚、瞳、これが人造でしょうか?」 「:…・」  森源は、そうです、というように、こっくりと頷くと、 鰭て思いきったように話し出した。一旦、口をきると彼の 言葉は次第に熱を帯びて、想像もしなかったような、奇妙 た事柄が、科学者らしいハッキリとした断定的な響きをも って、くり拡げられて行った。 「そうです、この皮膚は、極めて精巧なラバー・スキンで す、恐らくこれだけでも一般に知れたならば、整形外科の 大革命だといってもいいかも知れません。癒や火傷のひっ つりは見事に修覆されるでしょうし、その他の顔に搬痕の ある人、ひどく顔色の悪い人なども、このラバー・スキン をつけることによって、見違えるような澄刺とした美しい 容貌とたることが出来るんです。つまり化粧法も一大革命 を受けるわけですね。このラバー・スキンという一種の肉 面をつけることによって、顔色でも、髪の生え具合でも自 由自在なのですからね。しかも、これは毛穴の営む生理作 用にも、たんの障害もないのです。  早い話が、旧式医学によって、腿の皮膚を剥して顔の傷 口を繕ったなどということは、真っ先に、後を断つに違い ありませんよ。  瞳にしたって、その奥につけられてある光電子管の作用 で、虹彩の絞りまで生理的にやってのけるんです。その他 ラバー・スキンを張られた義手、義足等、皆丁度人間の場 合の神経のようにここでは電線が張りめぐらされていて、 それに作用する電流で、御承知のような、完壁な動作をし ますし、ジャイロスコープによって、彼女は、立つことは 我々以上に安定しているんです……」  そういえば、私にも思いあたることがあった。というの は、さっき私の胸に葬れかかったルミの体は、少女のよう に柔かく、温かではなく、然も、心臓の鼓動とは違った響 きを、たしかに感じたのであった。あの時の、奇妙な触感 は、これであったのだ。 「-…而も、この電気人間ルミについて僕が第一に自慢し たいのは、僕からルミヘの命令伝達方法です。これは彼女 の生命ともいうべきもので、昔の、玩具みたいな人造人間 のように、ちゃんと一個所に立ったままで、このスイッチ を押せば右手を挙げ、このスイッチを押せば声を出す、と いったような、有線操縦ではなく、無線操縦よりも、更に もう一歩進んだ、寧ろ、神秘的なといった方がいいかも知 れないが、 『脳波操縦』という斬新な方法を採ったことで すよ」  森源は、昂然と眼を挙げた。 「脳波操縦1?」  私は、思わず森源の眼を見かえした。 「そうです、脳波操縦です、恐らく、こんな言葉を、聞か れたことはないでしょうi1無理もないですよ、これは私 の作ですからね。これは、一言でいえば、人間が脳を働か すと、そこに一種の電気が起るんです。これは極く微細な ものですけれど、鋭敏な電極をもって、その確かに存在し ていることが確かめられるばかりでなく、それを増幅して、 オッシログラフに取ることも出来るのですー-。ところが、 そのオッシログラフによって見ると、脳の発する電磁波つ まり脳波は、声波と同様に変化するのを知ったのです。  早い話が『よし』というのと『いた』というのでは、瞭 らかに声波が違います1違わなければ、判別出来ないわ けですからねーと同じで『よし』と思い『いな』と思う と、その思うことによって生じた脳波は違って来るんです。 その放射される脳波を、無線操縦と同じように、彼女がそ の頭の中にある受波装置で受けて増幅し、各機関を操縦す るー、これが、脳波操縦たんですよ」  森源は、一寸言葉を切って、私が、その話を了解してい るかどうかを確かめ、 「だから、彼女ルミを操縦するには、私が、頭の中で『立 て』と思えば立ち、 『右手を挙げ』と思えば、右手を挙げ るのです。私は、命令を口に出す必要はない、ただ、頭の 中で、命令を考えればいいのです」 「ほうー」  私は思わず感嘆の声を挙げてしまった。  なんという精巧な電気人間であろう。  問わず語らず、謂わば『以心伝心』で操縦することが出 来るとはー。  これこそ、全く人間以上! のものである。  …私は、新たな眼をもって、さっきから足元に倒れて いるルミを見下した。 遺書『7』 「ところが……」  森源は、悲痛に、口元を歪めて居るのであった。 「ところが、このルミが、余り精巧であった為でしょう、 あなたは、このルミに、人並み以上の好意を持たれたよう ですi」 「……」  面映くはあったが、私はそれを否定することは出来なか った。かすかに頷く私を見て、森源は尚もいうのだ。 「そして、それ以上に不幸なことは、どうやらルミも亦、 あなたに恋を感じているらしいのです」 「えっー」  私は、思わず森源を見上げた。 「でも……私がルミさんを、いや、ルミさんがまさか電気 人間だとは知らなかったから、美しい女として、恋めいた ものを感じたのは認めますけど、然し、それにしても、哀 しい機械である筈の彼女が、私に恋をするなどということ が出来るのでしょうか、1いかに貴方の天才的技術で造 られているかは知りませんけれど、でも、機械が、人造人 間が恋をするという『意志』を持てるのでしょうか」  半信半疑ながらも私は、人造人間に恋し、恋された男と して、心中激しく狼狽せざるを得なかった。 (森源は、冗談をいっているのではないか?)  然し、彼は、相変らず悲痛な顔をして、 「いや、事実です、第一僕の意志にないことだのに、ルミ は、独りであなたの家まで来ました。ここまで来たのは瞭 らかに、ルミの個人の意志なんです」  そういえば、私にも一つ、思いあたることがあった。と いうのは、ここに来たときのルミの言葉だ、あの「あたし おまえが好きなの、好きなの、好きなの」といった言葉で、 実に奇妙な響きであったけれど、その変な響きというのは、 丁度レコードの同じ溝の上を、針が何回も廻っている時の ような、不自然な繰返しとそっくりであった。1恐らく、 彼女の愛の言葉は、これ以外に記録されていないのであろ う、彼女の懸命な発音は、その記録の上を、必死に反復繰 返したのに相違ないー。私は、藻然としたものを感じて 来た。  世にも奇怪な、人造人間との恋愛という、未だ曽て聞い たこともない事実を、私は身をもって演じていたのである。  それにしても、どう考えても私に呑込めぬのは、ルミの 有する感情-意志であった。如何に精巧な電気人間であ るかはしらないけれど、それがすでに自己の意志を持つと いうことは、とても、森源の科学でも説明することは出来 ぬのではないか、と思われた。 (森源は、それを、どう説明するのであろうll)私は無 言で、足もとの彼女を見詰めていた。  彼も無言であった。既に、必要な言葉全部を吐出してし まった人間のように、ただ荘然と、しどけなく床に伸びた ルミを、見下しているのであった。  その横顔、小髪のあたりに、私は、思いがけぬ白いもの を見、森源は、すでに、そんな齢なのであるか、と気づき、 その落ちた肩をそっと抱いてやりたいような気もしたので あった。 *  森源は、やがて、ルミを抱えて去った。  私はわざとそれを送ろうとはせず、二階の手すりから、 科学者森源が、それこそ半生の精魂を軍めて産んだル、、、を、 半ば引ずるようにして去って行く後姿を、泪ぐましい気持 で見詰めていたのであった。  森源にとっては、実子にも増す、かけがえのないルミが、 路傍の人であった私の為に、科学の常識を無視して、彼を 棄ててしまったのである。彼の悲痛さは、私にも充分想像 することが出来た。それだけに、尚さら、森源の重たげな 足どりが、よろめくように私の視界を去っても、私の暗然 たる気持は、長く拭い去ることが出来なかった。  1その夜、私はここへ来ては唯一の慰安であるラジオ を聞こうとして、ダイヤルを廻しながら、不図、愕然とし て思いあたることがあった。  というのは、ルミの意志1についてである。あれは、 ルミの意志ではたいのだ、私の意志なのである。  森源は、脳波操縦ということをいっていた。私はラジオ をいじり乍ら、その脳波と電波というものを合せて考えつ いたのであった。つまり、森源の脳波とは、同一波長では たいのかということである。ラジオにしたって、沢山ある 放送局が、完全に分離することが出来るというのは、波長 が違うからだ、と聞いていた。若し、同じ波長の放送局が 二つあったとしたら、必ず受信器は、両方の局のを受信す るに違いないのだo  そうだ、森源と私とは、偶然にも脳波が一致しているに 違いない。  私が、ルミに遊びに来て貰えまいか、と思ったことがル ミに受信されて、彼女は、その通り動いて来たのだし、私 の彼女を密かに愛することを写して、ルミは、あのような ことをいったに違いない。そうだ、それ以外になんとも説 明の仕様がないのではないか。  それにしても、なんという致命的な偶然であろう。私は、 最早、二度と森源を尋ねることも、ルミのことを考えるこ とも、断念しなければならないのだ。  私は、この意見を、わざと手紙で、森源に書き送った。 密かに、彼の否定の返事を待ちつつもー。  ところが、折かえし森源から来たハガキには、裏面にた だ一つ、大きく『π』と書かれてあるきりだった。  π1一体、それは何を意味するのであろう。謎のよう な一字を前に、私は、この字に関連するようなものを、一 つ一つ思い浮べてみた。  然し、落着くところは、矢張り『円周率』であった。π などという字は、円周率を表わす時以外に、一向使った憶 えがないのであった。それにしても『円周率』とは、何を 意味しているのであろう、ω・に……という無理数であるπ は、何んた意志表示なのであろう。  無理1という言葉に、何か意味をもたせたのかも知れ ぬ、とは思ったが、結局、そうでもなさそうである。  私は、仕方なしに、東京から、数日を費して、円周率に 関する書籍を取り寄せて見た。  然し、矢張り隠されたような意味を、発見することは出 来なかった。 3.14159265358979 323846と書かれた数字の行 列を眺めながら、私は、腕を撲いてしまったのである。  と、その数字を拾いよみして行くうちに、口の中で読み 上げられた音は、妙な、歌をなしているようであった。は っとした私は、もう一度、気をつけて読みなおして見た。  すると、それは、 「みひとつよひとついくにむいみいわくなくみふみやよむ …・」となって、強いて漢字をあてはめて見ると、 「身一つ、世一つ、生くに無意味、曰くたく御文や読む・- :・」  となるではないか。  それは、何かしら、思いあたるような『意味』を持って いるではないかlO *  私は雲のように、湧き上る不安を感じつつ、二度と行く まい、と決めていた森源の家にいそいだ。  温室にも、森源の姿は見えなかった。自動開閉ドアは、 ぴったりと閉されていたが、私は、躊路なく窓ガラスを破 って、這入って見た。1私の、不吉な予想はあたってい た。  その部屋の中はは、ルミが、一撃の下に、打ち殿されて いたのだ。  赤い血はなかった。しかし、玩具箱を、ひっくり返した ように、彼女の臓脇が四散していた。哀れな森源! しか し、森源の姿は其処にはなかった。  半生の希望と結晶を、一撃の下に粉砕しなければならな かった彼の、悲惨な姿を、私は長いことうろうろと探し求 めた。  はからずも、同じ脳波を持った男の出現で、たとえ僅か な間とはいえ、ルミを奪われた森源は既に、 「生くに無意 味」を実行したのではなかろうかー。  探しつかれた私が、無意識な一服を点けながら、最後の 温室に重い足を引ずって這入った時名も知らぬ熱帯の珍花 が咲き乱れ、そして頽郁としたメロンの香の中に、長々と 天井の支柱からぶら下って首を吊った森源の死体に、イキ ナリ突当った。  と同時に、私は、標っとして一目散に、その温室を飛出 してしまったのだ。 *  私が悪夢に愚かされたように、よろめき帰ったその夜、 どうした原因か、森源の温室から出た火は、またたく問に、 全建物を、炎上させてしまった。若しや狼狽のあまり、私 がその取り落したタバコの火からではなかろうかー。そ う思うと、今なお自責の念に襲われるのだ。