鸚鵡石 (序に代ふる対話)   人物  主人。著述家。五十歳許の男子。銘撰の不断着。兵児帯。  客。出板人。三十歳許の男子。洋服。金縁目金。   場所  著述家の部屋。八畳。床の間に掛物を掛けず、和洋の書を乱雑に積  上げあり。机一つの外に家財なし。その前後左右には書籍取り散ら  しあり。大なる紙屑籠は机の附属品なるかと見ゆばかりに据ゑあり。  ○主人机の前に破れたる座蒲団を敷き胡坐をかきゐる。客なる出板  人の前には灰皿にマツチを出しあり。 客。 先刻は電話で|直《すぐ》に伺ふやうにといふ事でしたから参つたのですが。 主人。 君の来るのを待つてゐた。鸚鵡石の一件でね。 客。 もう大分運ぴましたでせう。表紙や扉をどうなさるお積ですか。  そろ/\誂へて置きたいのですが。 主人。 ところが表紙どころでは無いよ。|中実《なかみ》がだめだ。 客。 どうしたのですか。 主人。 ゆうぺ電話で印刷所へことわつて遣つた。僕は鸚鵡石は出板しな  い事にした。 客。 はゝゝゝ。笑談云つちやあ行けません。もう二百ペエジ位組み上げ  てある筈ぢやありませんか。一体どうしたと云ふのです。 主人。 どうもしない。僕は初からあんな物は出板したくはなかつたのだ。  鸚鵡石の内容は何だ。弟の生きてゐる間、一しよう懸命で遣つてゐ  た雑誌に応援しなければならないといふ義理で、そこいらに来てゐ  る西洋の新しい脚本を、ロから出まかせに訳して、秋汀君に筆記を  して貰つたのではないか。雑誌の賑やかしになつてしまへば、あの  翻訳のmissionは果されたといふものだ。何も本にして二度の勤を  させるには及ばないではないか。勿論口から出まかせとはいふが、  僕は原作者に対して申わけのないやうな乱暴はしない。口訳をする  瞬間には、僕はそれに全力を傾注してゐる。僕は何をするにでもさ  うなのだ。それだから、世間の人が冷かすやうに、僕が口訳物を公  にしてゐるのが、情ないといふのは分らない。僕は一箇月に四時間  位も口訳をするだらう。さうして見ると、口訳といふものは僕の生  活の百八十分の一に当つてゐて、僕の精力の正味百八十分の一を費  した貨物《しろもの》なのだ。これが情なけれぱ、僕の生活の他の百八十分の百  七十九も情ないのだ。僕の生きてゐるのも情ないのだ。そりやあ実  際僕の生きてゐるのなんぞは情ないかも知れない。時々はそんなや  うな心持のする事もある。併し僕が口訳をするといふのは、よその  著述家と違つて、自分で筆を持つて訳する丈の時間が得られないの  だから為方《しかた》が無い。譬へて見れば、恋なんぞのやうな時間を費す生  活の出来ない情天地の貧乏人は、電車に乗つてゐる瞬間に、向ひに  据わつてゐる女の膝の上に置いてある、細い白い手を見て、その女  の生立《おひたち》、性質、境遇、何から何まで打明けて聞せて貰つたやうな心  持をすることもある。その女は次の停留揚で|降《お》りてしまつても、そ  の男の記憶には、女の手の皮下静脈の網がいつでも筆を取つて画か  れるやうに刻み附けられてゐるのである。世には三年連れ添うた女  房が死んで、一年も立たない内に、顔の黶《ほくろ》が右の目の下にあつたか、  左の目の下にあつたか忘れてしまふやうな人もあるのだから、そん  な人の三年の生活よりは、電車で女の手を見た男の二三分間の生活  の方がintensivであると云つても好からう。僕は此意味に於いては、  僕の口訳を尊重する。それと同時に、僕は彼の電車に乗つてゐた男  が、女の跡を附けて行つて、戸籍を調ぺて萋に持たうとはしないと  同じわけで、僕の口訳物を立派な本にしようとは思はないのだ。そ  れなのに君が立つて勧めるから、兎に角一冊に纏めても好いと受け  合つた。そこで雑誌の切抜が楽文館の印刷所の手に渡つて、校正刷  が廻つて来るやうになつた。僕は楽文館といふ内のお世話になるの  は、今度が始だが、僕にはとても楽文館の|遣方《やりかた》には服従することが  出来ない。僕は僕の書いたものを楽文館に印刷して貰ふことは断然  止《やめ》にした。けふ君に来て貰つたのはその跡始末を附けて貰ふ為めな  のだ。 客。 なる程。何にしろさういふ故障が出来ては、出板業をするものの  身に取つては非道く迷惑なのですが、一体その楽文館の遣方といふ  のはどういふ遣方なのですか。 主人。 それは是非君に話さなけりやあならないのだ。面倒な事で、甚  だお気の毒だが聞いてくれ給へ。僕と楽文館との衝突はかうだ。雑  誌に出た原稿は、秋汀君が僕の饒舌《しやべ》るのを書いて帰つて、好い加減  に手を入れて、すぐに活板に廻したものなのだ。そこで僕は雑誌の  初校を一遍見る。その時に僕は只人に読めて分れば好いといふ標準  で直すのだ。仮名も真名《まな》も僕の平生の使方《つかひかた》とは大いに違つてゐる。  今それを本《ほん》にするとなると、其儘にして置くのは心持が悪い。そこ  で僕は雑誌を切り抜いて、それに一々朱で手を入れて、随分赤くな  つた|奴《やつ》を楽文館に廻したのだ。それだのに初校の来たのを見ると、  一部分は朱で直した方に拠つて植字がしてあるが、一部分は元の雑  誌の活字の方に拠つて、黒の方に拠つて植字がしてあるのだ。僕は  黒に拠つたのは見違だらうと思つて、又直して遣つて再校を取つて  見た。すると矢張元の黒の儘にしてあつて、お負に黒の方が好いの  だといふ朱書が附いてゐるのだ。其時僕は始て印刷所が最初から僕  の手入に反対してゐたといふ事が分つた。皆では無い。僕の手入の  一部分を印刷所が首肯しないのだ。僕は実に驚いた。僕はこれ迄随  分方々で印刷をして貰つたが、まだかういふ遣方に出合つたことは  無いよ。 客。 へえ。妙な事が起つたものですなあ。さうして見ると秋汀[君]と楽文  館とが同じ文字の使ひやうをしてゐて、先生丈が違ふといふ事にな  るやうですが、さうなのですか。 主人。 まあさうなのだ。 客。 一体どんな字が、さういふ風に違つてゐるのですか。 主人。 (校正刷を机の側に積んである書籍の間より出す。)これを見てくれ給へ。  一番沢山ある此の「申す」といふ字なんぞを見給へ。これが雑誌には  皆「まをす」とルピを振つてあるのを、僕が「まうす」と直して遣つた  のだ。それを初校に皆「まをす」にしてゐる。又直して遣つても、再  校にも直つてゐないで、この通《とほり》「まうすは聊へんなる様存侯」と冷か  して書いてあるのだ。 客。 はゝゝゝ。成程これは妙ですなあ。併し先生が「まうす」に[お]直しな  すつたのは、どういふわけですか。 主人。 どういふわけも何もない。僕だつて「まをす」が誤でない事は知  つてゐる。知ってゐるどころではない。明治になつてから「まをす」  を不断使ふやうに復活させたのは、多分僕だらうと思ふ位だ。国民  新聞なんぞへ、和文らしい文章でいろんなものを書いた頃は、友達  が「まをす」は可笑しいと云つて冷かしたものだ。併し談話体のもの  に「まをす」と書かれると、どうも心持が悪い。祝詞《のりと》を読むときは、  今でも「まーをーす」とはつきり読むのだ。僕はあれを思ひ出す。談  話には誰だつてあんな事を言ふものはない。「もおす」と発音するで  はないか。音便で「まうす」と書くのが当前だ。他の例を考へて見給  へ。箒は「ははき」だ。併し談話体には「はうき」と書いてもらひたい  のだ。「ほうかむり」(頬冠)を「ほほかぷり」と書かれては溜らない。  果して楽文館が一切の音便を排斥するのなら、何故《なぜ》「いうて聞せて  下さりませ」といふ白《せりふ》を其儘植字するのだ。「いひて聞せて」と直さ  なければならない筈ではないか。 客。 成程。さう云はれればそんなものですが、「まをす」と書いてあつた  つて、読めないことはありませんなあ。 主人。 勿論さ。読めない事はないから、雑誌の時は僕も直さずに置い  たのだ。併し読めない事はないから好いなんと云ふのは、藝術的良  心の弛廃だからねえ。 客。 いやはや。大変なわけですなあ。(間。)そして真名《まな》の違ふといふ  のはどんなのですか。 主人。 嘘字《うそじ》は雑誌の時に大抵直してあるから、これも読めないことは  ないといふ程度の間違なのだ。「身に染《し》む」といふ時に、「沁」の字を  どこかの漢学の素養のある人が使つたのを見て、今では誰も彼も  「泌」の字を使ふ。お医者さんが「分泌」などと云ふ時使ふ字が、飛ん  だ処に濫用せられてゐるのだ。こんなのは、僕は雑誌でも容赦はし  ない。其外「中有に迷ふ」といふのを「宙宇に迷ふ」なんと書くのが普  通だ。仏説の三有なんぞを知つてゐるものは少いのだから為方《しかた》が無  い。こんなのも雑誌の時から無いやうにしてある。(校正刷を指さす。)  一寸これを見給へ。これは博奕の「さい」なのだ。雑誌にはウ冠の  「賽」といふ字が書いてあつた。それを僕は采色の「采」に直して遣  つた。秋汀君の書いた方が、無論世間普通の字だ。誤りではないかも  知れない。併し僕は采色の「采」の字の方の由来を知つてゐて、ウ冠の  「賽」の字の方は、何故《なゼ》博奕の「さい」に使はれることになつたのか知  らない。由来を知つてゐる字の方が心持が好いから直して遣つたの  だ。これも朱書が附いてゐる。「采は何かの間違と存候」といふのだ。  これなんぞは最も驚くよ。采色の「采」といふ字が何も僻字といふわ  けではない。言海にだってウ冠の「賽」と並ベて出してあるのだ。僕  は漢字に対する専門の智識は有してゐないのに、此頃は忙しくてな  か/\文字なんぞを調べてゐる暇はない。それだから人の書いた字  を直さうとは思はない。楽文館は僕の書く字を直さうとするのだか  ら言海位は開《あ》けて見たつて好いではないか。(又校正刷を指さす。)それ  からこれを見てくれ給へ。雑誌には「わけ」といふ字が皆翻譯の「譯」  といふ字になつてゐた。これは世間普通には相違ない。併し僕には  翻譯の「譯」の字に、何故《なぜ》「わけ」といふ義があるか分らない。そこで  こんな字はなる丈仮名で書きたいのだ。併し仮名にするのが煩はし  い処は、為方《しかた》がないから要訣の「訣」の字に直して置いた。誰の説だ  つたか覚えてはゐないが「わけ」といふ詞は、もと真名で「訣《けつ》」と書いた  ものらしい。それを伝譯の「譯」の字の省文で、言扁《ごんべん》に「尺」といふ字  を書く「譯《やく》」の字と見違へて、それを又正字の「譯」にしたのだらうと  云つた人が有る。何にしろ説文に訣は法なりと云つてある「訣」の字  には、多少「わけ」といふ詞に当つた処がある。これに反して「譯《やく》」とい  ふ字がどうして「わけ」といふ詞の真名になるのだか、僕には少しも  分らない。僕は分らない字は使ひたくないのだ。それを楽文館では  どうしても翻譯の「譯」の字が本当だから、それを使はなけれぱ承知  しないといふので、此通に朱書をしてよこすのだ。僕が仮名にして  置いた処まで、此通に「譯《やく》」の字に直してよこすのだ。まあ、ここい  らが最も楽文館のお気に入らない処なのだよ。 客。 なる程。承ればそんな理窟もあるのでせう。併し先生のやうなね  ぢくれた考が、楽文館に分らないのは無理はありませんねえ。 主人。 それは無理だとは僕も思はないのさ。併し僕は活板屋に対して  は、僕の書いたものを分らして貰はうとは思はないのだ。活板屋は  僕の書くとほりに植字をしてくれれぱ好いのだ。譬へて見れば、畫  家や彫刻家に物を頼むのなら、先方に製作の自由を與へねばならな  い。それでさへRodinの拵へたBalzacのやうに、注文した方で  嫌だと云へばそれ迄だ。職人に物を頼むのに、注文どほりに遣らな  けりやあ、其品物を引き取らないと云つても差支あるまい。もう少  し進んで考へて見れぱ、活板屋といふものは著述家の書いて遣ると  ほりに植字をしなけりやならないのではあるまいか。それが活板屋  の義務ではあるまいか。 客。 (微笑して頭を傾く。)先生のやうに考へると、活板屋は著述家に服従せ  ねぱならないやうに聞えるのです。活板屋は著述家の奴隷でなけれ  ぱならないやうに聞えるのです。甚だ失礼ですが、其辺はどうでせ  うか。余りお話が抽象的になりますから、具体的に楽文館の事を言  つて見ませう。楽文館は活板業はしてゐますが、同時に書肆ですよ。  今日事実の上では、書肆が著述家の奴隷でせうか、著述家が書肆の  奴隷でせうか。(客の顔はIronyの色を帯びてゐる。) 主人。 はゝゝゝ。君はなかなか辯論家だなあ。僕のさつきのやうに云  つたのは著述家としての立揚から極言したのさ。僕だつて世間に対  して丸で盲《めくら》ではないよ。世間はさう窮屈なものではないから{なあ}。  勿論楽文館はえらいよい。併し僕が若し書肆になつたり、活板屋にな  つたりしたら、もつとえらいかも知れない、活板屋のSklavenauf  standを遣るかも知れない。資本でもありやあ実際遣って見たいな  あ。僕は天国の鍵を握つてゐる聖Petrusのやうな活板屋になる。  嫌な著述家の書くものは一切印刷して遣らないのだ。著述家がいく  らあせつても、僕の手を経ずに世間に出ることは出来まい。恋は〓《おし》  でも目で出来よう。盲《めくら》でも触覚で出来よう。publicationは僕の手を  経ずには出来まいといふ風に息張つて遣るよ。 客。 実際さういふ心持は、活板業ばかりしてゐる処は違ふが、書肆に  は慥にありますよ。(間。)さてわたくしの方の実際問題ですが、此の  一件の落着はどう附けて下さるのですか。わたくしの方から印刷所へ  掛け合つて、これからは誤植は十分直すといふことにさせれば好い  でせう。 主人。 いや、僕はもう御免だよ。君はまだ誤植だなんと云ふが、それ  では君には僕の説明が好く分つてゐないといふものだ。誤植といふも  のは過誤なのだ。誤植の事は僕は言つてはゐない。(校正刷を指さす。)  これを見給へ。ここに「ぢつとしてゐらつしやいよ」とわ行のゐが植  わつてゐる。こんなのは僕は雑誌の時容赦なく直したから、初から  あ行のいになつてゐる。それを印刷所でも大抵あ行のいに植ゑてゐ  るが、ふいとここ丈間違つたのだ。こんなのは誤植だ。それだから  こつちの再校の方を見給へ。先方でも直してゐる。 客。 (校正刷を覗き込む。)なる程。皆いろはのいになつてゐますな。何故《なぜ》い  らつしやいといふ時、わゐうゑをのゐでは行けないのですか。 主人。 知れ切つた話ぢやあないか。いらつしやいといふのは「入らせ  られい」から転じたのだ。真名に書けば「入《にふ》」の字だ。「居《きよ》」の字の筈  がない。 客。 それでも誰の小説を見ても、皆わゐうゑをのゐを書くか、「居《きよ》」の  字を書くかしてゐるぢやあありませんか。 主人。 それはさうなつてゐるよ。「おいでなさい」も同じ事だ。「御出《おんいで》な  されい」だから、真名に書けば「出《しゆつ》」の字で「居《きよ》」の字ではない。それ  を大抵皆わ行のゐや「|居《きよ》」の字を書いてゐるのだ。 客。 |何故《なぜ》さういふ風になつたのでせう。 主人。 それは知れてゐるさ。入らつしやいもお出なさいも|居《ゐ》ろといふ  事だと思つて「|居《きよ》」の字にしたのだ。言語の上の猿智恵なのだ。言語  の感情といふものを失つてゐるのだ。 客。 いつからさうなつたのでせう。 主人。 たつた此間《こなひだ》からだよ。僕が始て気の附いたのは硯友社の人の小  説であつた。それから一人殖え二人殖えして、「うゐらつしやい」、  「おうゐでなさい」流が天下を取つたのだ。 客。 はゝゝゝ。先生は随分馬鹿気た事を気にしてゐるのですねえ。 主人。 (微笑。)失敬千万な。何の馬鹿気た事があるものか。真面目に文  藝を遣つてゐる以上は、言語はいたはつて使はなけりやならない。  僕なんぞは人の著述を開《あ》けて見て、「うゐらつしやい」のやうな猿智  恵の化身がうようよしてゐるのを見ると、体がむづ痒くなるのだ。  (間。)そこで君の云つた誤植だが、鸚鵡石には入らつしやいもお出な  さいも、あ行の「い」になつてゐるのを印刷所では別に気にもしない  で植字をしてゐて、ふいと一箇所位わ行の「ゐ」を植ゑたのだ。かう  いふのは誤植だ。それとは違つて、僕が原稿の時から直して遣つて  ゐるものを、故意に其通にしないで、お負に朱書で反対の意志を表  白して来るのは誤植といふものではない。変植とでもいふのだらう。  僕は忙しい体で活板屋と筆戦をしてはゐられないから、変植に対し  て何の手段を取ることも出来ないのだ。一体こんな事を遣るのは古  今耒曾有の遣方なのだ。僕はさういふ遣方をする印刷所には印刷を  させたくないのだ。 客。 どうも困りますねえ。 主人。 それは君の方では少しは困るだらう。僕だつて君の方で多少迷  惑するといふことは知つてゐる。併し僕もいやいやながら鸚鵡石を  一旦本にするといふことを承知して、忙しい中で随分手数を掛けた  のをむだにするのだ。君も我慢して止めてくれ給へ。 (間。)事によれ  ば楽文館は損害要償の訴でも起すかも知れない。起すなら起させる  が好いさ。活板屋が故意に原稿と違つたものを植字をして注文した  ものに押し附けるといふやうな遣方が、正当な遣方だかどうだかと  いふ事を、一度世間の問題にして見るのも、後の為めに好からうよ。  (間《ま》。○客は迷惑らしい顔をして黙つてゐる。)同時に君は僕に対して損害要償  の訴を起すなんぞも面白からう。さうすれば、僕は法廷で、書肆や  活板屋の不都合を大いに鳴らして遣るのだ。はゝゝゝ。 客。 先生。それは悪い笑談といふものです。(間。)そんな馬鹿な事を 言はないで、何とか始末の附けやうがありさうなものですねえ。 主人。 (Ironyの調子。)さうさなあ。君が立つて困るといふなら、僕に考  がないこともないよ。 客。 (膝をすゝむ。)どうするのです。 主人。 先づかうだ。君は楽文館へ往つてかう云ふのだ。さて此度は意外  な事で、御迷惑を掛けて相済まない。併しわたくしも鸚鵡石を出板  することを受け合つたときには、その中に博奕の「さい」を采色の  「采」に書いたり、「わけ」といふ字に「訣《けつ》」の字が当てゝあつたりする  やうな、へんてこな書物だといふことは夢にも知らなかつたのだ。  そんなへんてこな書物を出板しようと受け合つたのはわたくしの災  難だ。そこで著者の方へも、十分掛け合つて、出来る事なら、ウ冠  の「賽」の字と翻譯の「諍」の字とにして貰ひたいと云つて見ました  が、著者が分らず屋で、どうしても納得しない。わたくしもこれで  てこずつたから、二度とふたたぴあんな男の書いた物を出板しよう  とは思はない。馬鹿に附ける薬はない。どうぞあなたの方でも我慢  して、此度は著者のいふ通に、間違つた字でも構はないから、植ゑ  て遣つて下さいとかう云ふのだ。はゝゝゝ。 客。 はゝゝゝ。好うございます。今から往つて、何とか云つて纏めて  来ませう。左様なら。