造家衛生の要旨   此涜説は造家学会にてなしたるものなり。初段の  建築と美術との関係といふ論を評したるところは。  前席演説を聴かず、又読まざる人には、解し難から  むことを恐る、論者は某文学士にて、其論の娶は。  建築を美術なりとし、建築半小星がけの如く卑しき  もののみを美術にあらずとし、建築非美術論を駁し  たるものなりき。  諸君、今日は造家衛生に付いて御話を致す穣でござります、其前に少々只今承はりました建築と美術との関係のことに付いて、私の平生懐いて居る意見をざつと、此好機会に臨んで、御話を致したう存じます  只今承はりました御話には、至極御同意中す点が多うござりまして、私の憧く所の意見と違つて居る点は 1 少い様でござりまするが、私は少し技術と云ふことの根底を別にして居りまするので、其所を少し御話を致したいと思ひます  美術と秀ふ言葉は、只今承はりました所では、日本の近頃の言葉で、独逸語の「シヨオネ、クンスト」と秀ふ語から参つたと云ふ御話もありましたが、併しこれは槙逸語よりは寧ろ仏蘭西の「ボオザアル」の方が語原に成つて居やうかと思はれます、夫を独逸では一般に「クンスト」というて居る、即ち術、藝術と云ふことでござります、拠美しい術と聯ねた言葉は極く稀に用ゐて居ります、私の平常考へて居りまする所では、藝術と云ふものと、美術と云ふものとの間に、限界を立てやうと思ひますると、甚しき困難に出会ひます、それを避けるには、美術と云ふことを特に立てないのが、一番便利と思ひます、何ぜと表ふに、藝術と云はれる程のものは、一つとして美の含まれて居らぬものはない、さうして見ると、総ての勢術が、先程も中されました小屋作りと云ふもの迄も、美術と云はれなければならぬ様に、詩りなつて来ます、夫よりも、藝術と云ふものを一体に立てゝ置て、其内に幾らも区分の仕様がござりませう、先づ鳥渡自由な藝術、夫から覇絆せられて居つて不自由な藝術と分けますると、頗る便利でござります、そこで建築の如きものは、確かに覇絆せられて居ります、其訳は、枝葉に渉つて考へたらば、非常にむづかしくなりまするかも知れませぬが、大体を取つて、其大目的を眼中に置いて考へますれば、少しも疑ひはありますまい、総て世の中で、美と云ふことを目的にして、仕事をしますれば、実相とか、実用とか云ふやうなことは、度外視せらるゝ場合がござります、例へば絵画の如き、又彫刻の如きは、実の方の側をば、度外にして居られます、夫に反して建築はどんな上等な建築でも、住居会合などの実用を離れて唯美ばかりを本尊として、立つて置く訳には往きませぬ、其実にからまつて厨る所を、覇絆せられて居ると中します、併し決して其自由な所と、覇絆せられて居る所との間に、優劣だの、高卑だのを設ける必要はありませぬ、又決して設けてはなるまいと考へます、例へて中しますると、芝暦で役者が上手に台詞を使ふ、是れは自由な藝術の一つ、又国会に出でゝ政治家が何か政治論を致します、是れは何処迄も実にからまれて居る、覇絆せられて屠る藝術であります、役者にも、上等役者と下等役者とがあります、又演説家にも、雄辯な人と調辯な人と厨ります、併し役者と演説者とを較べて、何れを高いもの、卑いものと、比例上から言ふ訳にはゆきませぬ、唯役者の方から云へば、実は後にして、美を本尊として居ります、演説家に於ては、美を貴みまするけれども、実の方が本尊になつて居ります、其点で分けて往きますれば、如何なる藝術と雖も、此区劃の出来ないことはありませぬ  扱建築は美術でないとした論者を、三段に分けて、御駁撃になりました  其第一の点は、建築に於て、幾らか自由の利かない所があると云ふ点でござります、是は先程私の中した自由と覇絆との別から云ひますれば、確かに建築は、幾分か実のために自由を利かなくせられて居ります、詩り既に私は総ての藝術を一体として、美術だの、美術でないのと云ふ争を止めて居りまするから、彼の自由が利かないから美術でない、などゝ申す点には、頓着いたしませぬ  第二は模倣の点でござります、こゝでは、色々の藝術は模倣をするのであるが、建築には粉本がない、夫故美術ではないと云ふ論を御駁しになりました、私の見る所では、総ての藝術は、模倣を貴とんで居ては、逸も立派な域にまで発育しますまい、自然の粉本、手本といふことを検して見まするに、成程種々の勢術に於ては、確かに其粉本が存在して居ります、絵画に於て、松の木を画けば、松と云ふ自然物が、其処に屠つて、御手本らしい顔をします、又彫刻に於て、人物の像を造れば、実世界の人間が居1つて、御手本らしい様子をする、併し藝術家と云ふものは、決して共松の木を手本にする訳ではなく、其人物を模型にする訳ではありませぬ、藝術者は先づ色々な手段を以て、自然物の不完全な所を、理想的に補ひます、又一草木一人物の備へて居らない方の点、即ち欠点が有るときは、別にこれを備へて居る、即ち長処のある自然物を引き出して、これと結び合はして、聯合に依つて補ひます、かく手本を左右致すのみならず、真の名画若くは真の立派な彫刻をなす人は、自分で生み出すもので御坐ります、「クリエエト」即ち製作と云ふ字を、先程も御使ひになりましたが、是は至極宜しい字と思はれます、其証拠には、既に御話があつた通に、藝術の作り出したものゝ中には、丸で宇宙間に標本のないものがあります、粉本のないものがあります、私はこゝで新に著明なる例を挙げませう、音楽の如きものが即ちさうであります、音楽は烏の声の模倣とも思はれず、又人の声の模倣とも思はれず、是れは人間の智恵で製作したものであります、縦ひ絵画彫刻等では、偶々其松の木又は人物の良い粉本が甲こざりますとしても、其物が幾許か土台になるとしても、藝術の神に入つた人は、其粉本を採つたのではなく、丁度造物主と云ふもの松、若し此語を使ふことを許されまするなら、造物圭が実世界の草木、若くは実世界の人間を椿へたやうに、藝術家は共腕前を以て、草木を画き、人物を彫刻しますることゝ、私は考へて居ります  次の第三の点は、独立と独立せざるとの論で、建築の独立して屠ない為に、美術に入らない生云ふことを、御駁しになりました、是れは一々御尤なことで、独立して唐ない藝術と云つては、平仄ばかりの詩か、意味のない音楽かより外はありませぬ、建築が独立しないと云ふことは、どの方角から見ても、云はれないことと考へます  是托丈けは、前に承はつた御演説の中で、かねて考へて居る所と一致した点と、又多少土台の為に、すれ遠つた点とを述べたのでござります  是から建築衛生の事について、少々御語を致します  我々は大都会に住つて居ります、併し余多の人間は田舎に住つて居ります、此都と郡との別を思ひまするに、生活上無数の異なつた点がござります、従つて其影響も大層遠つて参ります、何処の国の病人の数、死人の数などを較べて見ても、都は病人多く、死人多く、国舎は之に反して居ります、其原因を考へて見まするに、閏含の生活は、吾々都会の人の生活とは、甚だしう遠つて居ります、人間が生きて居るには、太陽の光を受け、空気を呼吸し、土地の上に住ひ、水を飲みます、固舎に於ては、太陽の光線を受けるに、何の不自由もござりません、金持も貧乏な人も、夫々家を持つて、其家と家との距離が、大層大きうござります、既に光線がこれがために善く這入る位ですから、風も善く通ります、空気にも不自由はありませぬ、又住つて居る土地は、成程田舎の人も都の人と同じやうに演します、大小便の如きものを以て涜します、台所の水、湯を使つた水などを以ても涜します、併ながら、土地には自浄作用と云つて、自ら浄める働があります、其働で這入つて来る強を清めます、元来此働は「バクテリヤ」の所為で、即ち細かい植物的のものゝ所為で、是れが強を自分に引受けて、分析して、変化して、遂に水を清浄にして仕舞ひます、例へば人畜の小便の内にある、尿索と云ふ不潔なものを、「バクテリヤ」が分解して、仕舞には硝酸塩類に致します、硝酸塩類になりますると、何の害をもなしませぬ、夫と同じく、水も土地から漬されまするけれども、是れも矢張自ら浄める働を持つて居ります、水に入る塵も「バクテリヤ」の働を受け、分析せられ、又流れるとき、表面の空気に触れて、自然に清くなります、此田舎の有様とは、都会の景況はちがつて参ります、都会では家が段々密接して出来ます、某為に光線は遮ぎられます、暗い所が出来ます、其通に空気も幾らか遮られます、風の通らない場所が出来ます、土地の中へ穣ないものが這入ることが田舎よりも多いので、仕舞には土地が之を清めることを得ない様になります、土地の白浄作用も追付かなくなります、土地が穣に飽いて来ます、水も矢張同じ様で、家々に掘つてある井戸は、夫に密接して居る卿なんぞの為に、大に涜されて、詰り先程御話した硝酸塩と云ふ様なものに変化しない内に、「アンモニヤ」の如きものになつて現れるやうになります、其「アンモニヤ」がもう一歩進んで、硝酸塩になる迄の働をする「バクテリヤ」が共力を施すことが出来なくなつて来るのです、斯様に人の生活に必要な光線も、空気も、土地も、水も、皆都では悪くなります、夫故に人の住つて居りまする家にも光線を態と入れなければならず、風も態と通さなければなりませぬ、又其家から生じて来る穣は、態と遠ざけて、又悪い水を飲まない様に、態と遠方から水を引いて来て飲む様になります、此色々の衛生的の事業の中にも、造家衛生と秀ふものに重もに関係するは、光線の事、空気の事、この二つでござります、此外に上水及下水事業の様なものもござりまするが、これは別にひと塊まりをなして居りまするから、狭い意味で造家の衛生とは申しませぬ  今晩御語を致しまするのは、重もに造家衛生の事でござります、扱此造家衛生を実行致しまするには、唯一つの方便がござります、夫は法倖の力を仮ることでござります、世の人は生活に必娶なものを、衣食住と申します、この衣と食とも、幾らか法律上に制裁せられまするが、建築が最も此点に於て深い関係を持つて居ります、欧羅巴では、昔から土地の買上に対する定、又はエキスプロリヤチオンと申しまして、健康を害する土地でもあると、そこの家を壊し、又其土地を取上げる、幾らか辮償して取上げる様な定などがござりました、市区改正及拡張の制度の様なものもござります、日本にも色々さう云ふ制度が立ちました、併し是のみでは、決して造家衛生は行はれませぬ、造家衛生には、建築条例と云ふ様なものが出来ませぬければなりませぬ、其建築条例の中には衛生の外に許多の分子が這入つて居ります、即ち第一にば交通の事、第二には家星の堅牢なこと、第三には火の要慎の事、第四には例の美観の事、第五には衛生のこと、。先づ新んなものでござりませう  我国でも、追々造家の事に対する法偉が出来るでござりませう、私共衛生学者は、其際衛生と香ふものが度外視せられる事のないやうに、と希望して居ります、造家衛生上の希望に付ては、今迄我国の人が種々の談論を致して居ります、併し共論の内には、随分偏頗な考もあります、凡そ十年許り前、熾に衛生に関する演説などがありました頃、造家衛生に付て、人の希塾した所は、重もに東京の如き都会を、貧乏人のない土地にしやうといふことでござります、金特ばかりで都府を固め、楽土にしやうと云ふことを、人が屡々演説しました、其筆記も、現に印刷になつて残つて居ります、是は間遠つた了簡で、広大なる衛生上の菜を為さうと云ふ人の思はぬ事でござります、我等は冨人許りではなく、貧乏人をも日中におかなければなりませぬ、若し学問上で中しますれば、都会の内に三種の人民が居ります、其三種の人民が、各ξ適当な所を特るやうにせねばなりませぬ、夫は何だと云ふと、第一類には仕事場、工場の事に関する人民、此人民には粕当した建物もいります、此建物は衛生上成るべく都会の外廻りの方へ遺る方針に致します、又外廻りの中でも、交通の便利は暫く間顧外において、風上には置けませぬ、風はいつも変つて吹きまするが、たとへば東京の土地で、一番多く吹く風は、確かに分ります、夫は気象台の風位の報告で調べます、そこで此一類は風下に置きます、第二類の人間は、重に唐を開いて居る商人、又は小さな細工などするものです、是等は衡を限る訳には往きませぬ、方々に拡がつて繁殖する様致させる方針でなくてはなりませぬ、第三類の人間は、重もに精神的の仕事をして居ます、賞本を以て居る商人、若くは役人、学者、抜術家などです、斯う云ふものをば、矢張街の外廻りにおきます、併ながら風上の宜しい所へ住はせる様に致します、此三つの類のものに、悉く目を着けて、どの類が多くなるとか、減ずるとか云ふことを考へて、市区を改め、又は拡げます、其位なもので、広く見渡して事業をせねばなりませぬから、貧乏人をなくし、貧乏人を都府から追払はうといふ様な感じを懐いて、富人の為に計画するは、誤つて居ります。  次に衛生の論をする人が、屡々日本家屋を、西洋家屋に及ばないものとして、煉瓦造若くは石造の高い家を造ることを勧めます、如何にも日本の今迄の椿子作の家に較べますると、煉瓦造石造なんどは、種々の長旭を持つて居ます、併し衛生の点に於ては、夫れ程目本家展が悪くは守こざりませぬ、人の死ぬる数に影響するのは家屋の性質でござりまするが、日本人の死ぬる数は外よりも多くはありませぬ、私が数年前に勘定して見ましたが、東京人の死する数は、毎年二十四「プロミルレ」即ち千人中の二十四人でござります、夫から欧羅巴総体に於きましては、千人中の二十六人位で甲こざります、又小児の死ぬる数は、何処でも実験上家星の宜しいと悪いとに関係すると表事松分つて唐りまするが、東京で毎年死ぬる小児の数は総ての死人の数の二十六、五「プロセント」即ち百人中の二十六、五でござります、西洋ではどうかと云ひますると、如何も倫敦などでは、小児の死するものが、東京より少なうござります、十五、五「プロセント」でござります、併し他の都会に於ては、東京よりも沢山あります、伯林などでは三十乃至三十五「プロセント」と秀ふ位であります、ミュンヘンなどは、四十「プロセント」乃至四十五「プロセント」に登つて厨ります、此事は私が伯林の人類学会で報告しました中に、尚ほ委しく書いてあります、勿論人の死ぬる原因は、家屋許りに関係しては居りませぬ、食物にも、着物にも関係しませう、併ながら家屋が共関係の頗る大いものだと云ふことは、何処の国でも確かに分つて唐ります、然るに日本の国、日本の都会に於ては、此通に大人の死数と小児の死数とが少うござります、併し細かに日本造の家の衛生上の有様を調べることは、大抵未来に属して居ります、今迄は余り成綬も挙つて居りませぬ、私共は友人と力を含して、始終共取調を致して居ります、既に日本造の家の壁の事に付て研究して公けにしたものがござります、又友人の中で、小池と云ふものが、重もに障子のことを研究致しました、これを近頃報告になりませうと思ひます、併し共事は暫く措いて、今日講究すべきは、日木の都会に建てる西洋造即ち煉瓦造石造の家に就ての衛生上の得失であります  西洋には煉瓦造石造の家屋が久しくありまするので、其利害得失を研究するには、余程の時間がござりました、我国では新に西洋造の家星が出来る事故、成るべくは西洋人の既に研究した結果を利用しなければなりますまい、若し左様致さぬと、日本では今迄衛生上にあまり家星の弊害を受けて居らぬところへ、西洋造と共に許多の害を招き入るゝやうになりませう、所謂精果は沢山ござります、先づ都府の内の街路でござります、街踏を付けまするには、勿論交通の便利を考へなければなりませぬ、又道路の階級などと云ふものは、大抵車の幅から割山すのは、御承知の通でありませう、車を何靹井べられる道と云ふので、広い道も出来、狭い道も出来ます、又さう云ふ広さを定めるには、実際の交通の凍密を計る方法もござります、方々の街に見張人を置て、交通人を計算することが出来ます、併し是等の外、衛生の方から見ますると、既に衛の椿へ方のみに依つて、人が十分に光線を得、十分に風を得ることも出来、又共反対の事も出来ます、こゝで中す日の光とは、一体の空に散じて居る光でござります、一体の空の明を受けるには、衛生上の注意がいります、即ち街幅と家の高さとの関係が生じます、家の高さと秀ふものを計るには、場合に依つて色々の法もござります、併し先づ地平両から家の一番高い層、二階、三階、四階等の一番高い屑の天井迄が、先づ当然の高さであります、是と街の広さとの関係であります、若しも巷の広さが家の高さと同じであつたならば、空の明りが丁度四十五度の角度で落ちて参りませう、若しも街が狭くて、其割含に家の高さが高かつたならば、段々共地平に対する角度が、四十五度より大くなります、衛生上若し四十五度の光を受けさせたならば、娃に越すことはござりますまい、併し夫は尚来ずとも、幾らかそこに制限がなくてはなりませぬ、次に街幅と家の肯同さとの関係と同じことで、家の後面に於ても、矢張注意が入ります、家は既に巷に面して唐りまするが、又後ろの方にも向つて居ります、夫で中庭の制度と云ふものが極く大事になります、街ほどに広く中庭を明けることは容易には出来ませぬ、併し成るべく例の地平に対する四十五度の光線を得られる様に務めなければならぬ、伯林の新しい建築条例を見ましても、夫れ程立派な中庭は出来ておりませぬが、六十三度より大な地平に対する光線の角度は出来ぬ様に成つて居ります、それ敬中庭の幅は極めておかなければなりませぬ、次に日から直に来る光と風とに逆はぬ様に、矢張一番多く吹く風を調べて置て、東西南北いづれがおもなる衛賂になるか決完することもござります、次に必要なのは巷から塵の立たぬ様にする事です、大凡巷の両が広いだけ、塵が多く立ちます、若し十分に道賂の工事が出来て、土渥青が布いてあるとか、或は石、或は煉瓦、或は木が敷いてありますれば、広くても夫れ程恐ろしく塵は立ちませぬ、併し巷に物を布くことが行き渡つて居りませぬと、広ければ広い丈け、塵が無闇に殖えます、今日の様な大風の時には、市区改正で道路が広がる丈け塵が殖えて、人の目を損じ肺を傷ひ恐ろしい害をなします、この塵のことを考へぬと、無益に衛を広くする様になります  次に人の宅地に家を作る時でも、衛生上の制限を要します、己れの宅地の中へ家を建てるには、どんなに広く建てゝも自由な様には思はれまするが、若し衛生を顧慮すると云ふと、そこに制限がなくてはならぬ、宅地の面積の二十「プロセント」即ち五分の一丈けは家を作らずに置くが宜しか参うと、学者は中します  次に家の井びの工合を定めねばなりませぬ、家を粁べて往くには、二た通ござります、隣と隣との間を密接せしむる建て方と、離しておく建て方とは、自らちがひます、衡生上に其別を申しますれば、家の側面に+分に光1と風とを受けらるゝ限は、離して立てゝ差間はありませぬが、若し夫れ丈の自由が利かなければ、寧ろぴつたり着けて建てた方が宜しうござります、何故と云ふに、間を広げれば、自然窓を付けて、人を住はせます、そこで光線も入用になり、風も入用になります、これに反して、ぴツたり間を塞げば、其間に向いた部屋などは、自然出来ませぬから、人が強ひて暗い所に居り、又は風の通しの悪い所に居るやうな虞もありませぬ、悪いのは、どちら付かずの揚合で、家と家との間が透いて居て、光も風も充分に通はぬことです、これをば吃度禁じます  次には人の住つて居る部匿に対する、色々な衛生上の要求がござります、一番簡単な、一番大事な要求は、人の住つて居る都墨は、必ず外に向いた窓がなければならぬといふ事です、飼れ切つたことの様です、併し此約束を西洋造では折々背いて居ります、貧乏な人などは直接に外に向いた窓のない処に居ります、夫をば禁じなければなりませぬ、夫から人の住つて居りまする都屋の高さにも、極りがなければならぬ、これは余り低いことを嫌ひます、西洋造で若し三「メエトル」以上ならば充分としてあります、二、七「メエトル」よりも低い都屋は、自然に光線や空釘の不足を来します、又家屋の中で、余り高い所に住ふにも、又余り低い所に住ふにも、夫々衛生上の極りがあります、高い所と申すと、星根裏の都屋、即ち「マンサアド」です、こゝでは屋根裏に窓を明けてあります、斯う看ふ所は余り低く作らない様に致したい、即ち先刻中しました三「メエトル」若くは二、七「メエトル」の高さを応用しなければならぬ、斯く規定があれば、慶根裏住居を作る折に、好商などが、貧乏人の為に、悪く造つて置かふと思ひましても、夫が出来ませぬ、原来家の高さの制限を極めて置いて、即ち家の高さの最小限を極めて置いて、家は何階以上はならぬと云ふ事迄極めてありますから、其法で屋棋裏も矢張一階と見做され、一層と見做されて、悪い所は捺へられなくなつて来ます、夫れから低い所に住むと看ふのは何かと云ふと、穴蔵の様な構道です、此穴蔵に対しての、衛生家の請求は、そこに二戸をば置かせない、併し家の一室ならば置かせると云ふ虐めであります、どう看ふ訳かと云ふと、そこに一室が園いてあるには、穴蔵よりは高い所にも部屋を持ち、又穴蔵にも部屋を持て居なければならぬ、夫なら借許すのである、若し穴蔵許りの二戸であつて、夫より外に都屋がなかつたならば、是れは許さぬのである、さうすれば自然に穴蔵許りに蘇起をする必要がなくなる、貧乏人などが穴蔵のみに住つて居ることが出来なくなる、これが穴蔵に対する制限でござります  家の中で、高い所と低い所とが、袴に人の為めに危険だと云ふことは、矢張人の死ぬる数で、経験上分ります、例へば伯林の統計によつて見ますると、穴蔵住居では、人が二十五、三「プロミルレ」死にます、即ち千人中二十五人三分の比例であります、次に其上の層では、二十二「プロミルレ」死にます、其上の眉即ち日本の二階の所になりますると二十一、八の数になります、其上の層になりますると二十二、六となります、其上の層になりますると二十八、二「プロミルし」となります、即ち一番下が死人多く、夫から上が一旦死人が少くなつて、又一番上になると、死人が多くなります、夫であるから一番下と上とが、衛生上に悪いのです、勿論是れには色々な事が影響する、家の様予の外に、其高い所と低い所とに住つて居る人間は、食物や着物等も、貧乏のために充分に致すことが出来ませぬ、それも健購を害しませう、併ながら家の影響も頗る大きいに遠ひありませぬ。  次に注意しなければならぬのは、壁の事です、壁に付ての衛生上の注意は、壁の乾かない中に、其家に這入つて住つてはならぬと云ふことです、併し壁が乾いたか、乾かないかと云ふことを調べることは、漸く近頃に為て、精確に出来ることになりました、よく槌の如きもので壁を打つて見て、其音を聞いて判断する二とがあります、併しさう云ふ様な標準は、間遠ひ易いもので、則とるべきではありませぬ、壁の乾湿を確かに調べるには、化学上で水の分量を極めなければならぬ、某方法は種々の沿革を経て来ましたが、グレスゲンと舌ふ人の方法か出てから、始めて纏かに水の量が分りました、其方法に従つて、私と小池と云ふものと二人で、日本の種々の家に付て、乾湿を験しました、其結果に依りますると、従来の家の材料、家の建て方等で、日本造は平常三、五「プロセント」即ち百重量中の三重量半の水を壁が含んで居ります、煉瓦造の家の壁を見ましたら共湿りが二「プロセント」であります、是れが常の湿の分量、即ち年限を経つても、保存して居る壁の湿であります、此湿の皮迄になれは、人が引き越して住つても、衛生上害がござりませぬ、併し夫れ迄待たれない場含がありまするなら、日本造で五「プロセント」の水になつた時、転住を許しても宜うござります、夫から煉瓦造であれば、四「プロセント」になりました時、已ことを特ざる場合に、転住を許しても宜うござります、是れは頗る精密な方法で計つたものです、譬へば壁の表面許り計つたのではなく、表面と深い処とを採つて見て、試験したのでござります、此事を例の建築条例などで利用しやうと云ふときは、新築の際、必ず検査を経て転住せしめる様にいたすと宜うござります、湿つた壁の家に引越した害は、非常なものであります、軽い時は咽候加答児位で済みまするが、重くなると腎臓炎と云ふもの迄になるといひます、又風邪と云ふものは、余病を引くものでありまするから、意外に恐ろしい結果になります  其外にも造家衛生の論点は限りもなくござりまするが、今は唯一部分を摘んで御話を致しました、是れで御免を蒙ります    質間応答 妻木頼黄君 只今御話の湿気を計る方法には、何か早分りのものはありますまいか、グレスゲンの方法と云ふのは、どう表ふ方法でござりませうか、我々に直に分る方法を伺ひたいのです 森林太郎君私が枚査した方法は、グレスゲンと云ふ人の方法でござりまするが、今日になつて、どう秀ふ方法が一番宜いかと云ふと、グレスゲンよりも後に…て、試験をしたものに、宜い方法を立てたものがござります、夫はミュンヘンのソクスレツトと云ふ人が静へた、新らしい機械を使ふことであります、其機械は極めて簡便なもので、即ち空気を抜いて物を乾燥する箱です、これに壁土をいれて、目方の減つた所で、水分を見ます、其手つゞきは、エンメリヒとトリルリヒと云ふ二人の人が著はしました衛生試験法の書物の中に、精しく出て居ります、私が小池と共に験した時も、若し其方法が既に公になつて居つたならば、必ず夫れに依つたのでありませう、此法に使ふ箱は今日はまだ日本に来ては居りませぬ、併しどうか早く取寄せて試験して見たいものでござります