魔睡 　法科大学教授大川渉君は居間の真中へ草包を出して、そこら中に 書物やシヤツなどを取り散らして、何か考へては草包の中べしまひ込 んでゐる。犬川博士は気のゆつたりした人で、何事があつても鶯くの 慌てる吻といふことはない。世間の人の周章狼狽するやうな事に出 くはすと、先生竈て平気で、不断から透明な頭がいよいよ透明になつ て来る。敦授会竈や何ぞで一何か問題が混雄して来て、学畏が蔓理に 困帖やうな時、先生が徐ろに起つて、いつもの夏くろしい口吻押賦見 を陳ぺると、大抵の享は解決を告げることになる。その議論は往々快 刀乱麻を断つ菓がある。それだから友人の間では、あの男を敦授にし て置くのは惜しいものだ、行政官にして事務を捌かせて見たい、いや 一その“、弁竈士にして、凝獄の裁判にあの頭を用ゐさせて見たいな どと云ってゐる。その癖当人は政事臭い享には少しも手を出さない。 それは何でも半分為るといふことが大嫌だからである。ところが先生 は小間々々した事にはすぐに閉口する。先づ旅行なぞといふ事になる と、一週間も前から音にする。それは旅行に附随して来る種々の頚末 な事件を煩はしく思ふのである。柿華を整頃するな些も鶉一つである。 そんならその煩はしい享を人に任せるかといふと、さうでもない。友 人が何故人にさせないのだと問ふと、どうも人にさせると不必要な物 を入れて困るとい冷。必要な物が有つたら、其上に不必要な物が交っ齪 てゐる位好いではないかと云ふと、それはさうだ、金持で、人を大勢 違れて、沢山荷物を持つて旅行をするのなら、家財を皆持つて歩いて 、　、享、、　・小芯小障泡を入に満ψ“々ｋ胆て、旅布先 。でけて見た時に、探す物が上の方にはいつてゐないと、おれば面倒 だから、探す物を探し出さずに打遣って置くやうになる、それ程なら、 なんにも持たずに出た方が増だと云ふ。そこで、今日なぞは紬君が留 守なのだが、いつも内にゐる時でも手伝はせない。言生も下女も勿論 遠ざけて、独りで遣ってゐるのである。 　博士は此度の旅行に必要な参考書丈を底の方へ諸めてしまつた。此 の旅行は、関西の或大会社でむつかしい享件が起つて・政府の方から の内怠をも受けて、異法に消しい博士が、特に実地に就いて調査する 為めに、表向は休暇を貰って出卦けるのである。博士はほつと一息突 いて、挨及烟單に一本火を附けた。一吹吹うて、灰皿の上に置いて、 今一息だといふので勇を鼓して、カヲアやカフスやハンカチイフなど を革包に入れた。さて欽みさしの烟草を衡へて考へた。それは汽車の 中で読むには何が好からうかと考へたのである。先生は市中で電車に 來るにでも、きつと何か本を持つて桑る。旅行をすれば、汽車で本を 読んでゐる。併し決して専門の本を読むことは拓い。読むには種々な 物を読む。それだから哲学者と話すときは哲学の話をする。医者と話 すときは医掌の話をする。自分の専門の事はめつたに寫さない。それ でゐて、その多方面に瑳つてゐる話が腕㍗要領を得てゐるから、法学 者の中での博識として知られてゐる。博士は暫く考へたが、こんな事 に思竈を費すのはだめだと思ったので、二一二日前に独逸から来た、 冒巨邑金集の第八巻、目撃ｇと撃５８冨ミとの脚本を草包に入れ た。冒げ§μは去年から来るのである。第八巻は論文集で、来たとき に開けて見ると、初のペエジに宣告と題して、 と言かκあつた。博士は首を捧つて、３、μ葛句貞三鉗葛に最後の判 決は覚來ないなと云った。脚本は段巨旨畠３げに中つたのを聞いて 注文したのであつた。上の方がまだ少し透いてゐるので、一週間分づ 　つ幻めて送らせてゐる内ｇ邑召ま寄μ旨目ｏｑを諸め込んだ。 その時鶴が齢いて、小倉の鶴ど餅いた書生が跳麟げ手を突いた。 「先生。杉村博士小お見えになりました。」 書生が案内をする暇もなく、医科大学敦授杉村茂君がずつとはいつ て来る。書生は其儘引き下る。杉村博士は主人の部星にはパ。つて、坐 　りもせずに、右の手で脱した鼻目金をいぢりなが易、そこいらを見廻してかう云った。 「やあ・娼讐募てゐる套・伊好か婁けるのかい・」 「うむ、半官半私といふやうな旅行だ。まあ、坐り給へ。夜汽章で立つのだか多、まだゆつくりだ。」 「きうか。そりやあちつとも知らなかつた。」 客はそこにあつた坐布団を自分で引き寄せてすわつた。主人。 「今日の新聞に、もう嗅ぎ出されてゐるのだ。」 「新聞なんぞはめつたに見ないからなあ。」 「侯も御同様だ。自分の事が出てゐるといふ事を人に聞いた位だ。君 　は又珍らしく出掛けたなあ。上野の花でも見て来たのかい。」 「上野も通ったが、花はもうだめだ。精養軒から軍を返して、金井の 処までぷらく来たのだ。白状す窪、君の内は近いから、智に寄 つたのだ。」 主人が民法研究を命ぜられて洋行した時に、医科の杉村と文科の金 井とが一しよに行くことになつた。三人共留学中は伯林にゐたので、 非常に心安い。気質も頗る似寄ってゐる。中では金井湛君が少し神 経質な旭丈違ってゐるのであつて、主人と杉村博士とは大やうな、ゆ つたりした処が殆ど同じなのである。主人。 「好く寄ってくれた。君も大学の外に雪買げを遣ってゐて、拠な い篭往診妾るといふのだ言、なかく人の処一話しになんぞは 来られないのだ。侵も諸まらない義理づくめで、講義の掛持を遣るも んだから、時間のないことは御同様だ。こんな折にでも寄ってくれな けりやあ、めつたに語も出来はしない。」 　下女が茶を持つて来る。主人は夏に紅茶を命ずる。容。 「臭さんはどうした。」 「小石川の母が工含が悪いので、磯貝の処へ見てｒひに往くのを、違 れて行ったのだ。電話で一しよに行ってくれろと云ってよ二した時に、 侵が立つことを妻が寫したもんだから、そんなら独りで行くと云った さうだ。侵が立つのに妻なんぞはゐなくても好いから・是非一しよに 行って上げろと云って、簑を附吐てむつた。それでももう彼此帰る頃 だよ。」 　細君の星は実薫兄で名高い家で、小石川には大きい別邸がある。主 人の外姑はそこに住んでゐるのである。 「どんな病気なのだ。」 「なあに。いつも君に見て貰ふ時の容患と大した違はないやうだけれ ど、誰かが神経系病専門が好いとか何とか云ったので、磯貝へ往く二 とになつたのださうだｏ」 「さうか。一体内饒昌岸富→旨昌であんな風なのは、初から神淫系病 の方へ持つて行くのが好かつたのだ。」 「はゝゝゝ。さうしたら君が助かつたのだらう。格別呉昧のある８・ ω畠でもなささ・フだからｏ」 「いや。侵はどんな息者でも只昧を以て扱ふのだ。」 「勿論それはさうだらう。侵が弁証士になつてもさうだらうと思ふ。 併し磯貝なんぞは恵者を邊んで取るといふぢやあないか。」 「うむ。あれは受け合ふ以上はしつかり受け合ふとい。ふのださうだ。 誰だつて好い加減にする筈はないが、恵者の数が少ければ少い丈、精 価に観察することが出来るわけだから、あれも一見識だらう。」 　紅茶が出る。主審共飲む。客がそこにある瑛及の紙巻を一本取るの を主人が留めて、かう云った。 の残である。客は一寸箱の童を見て一本取る。 　「なかく春つてゐるなあ。」 　「こんな物をいつも飲むのではないよ。此間独逸大使に誼まらない物 を頓まれて訳してむつたので、其礼に貰ったのだ。」 　客は少し飲んで、鵡哉になつて崩れずにゐるシガアの灰を見て、何 か考へてゐるやうだつたが、ふいとかう暑ひ出した。 　「君は磯貝と交際してゐるか。」 　「うむ。別に交際してゐるといふのでもない。お亙に伯林を立たうと 思ってゐる真康に、あの男は着いたので、一寸逢った切だつたらう。 それから宰げとかいふ敦授の処へ往くといふので、あの男はすぐに 回⑰竃２ぎ掲へ往つてしまつた。こつちへ帰つてからも、宴会で違っ て物を言ふ位なものだ。併しあの位名声を螂してゐて、開秦医風に堕 落してしまばずに、始浪学者の態度を維持してゐるやうだから、侵は 兎に角えらい男だと思ってゐる。折々向うの雑誌へ報告なんぞをして ゐるきうだ。それも普通のＯ簑艮色斤や何ぞでは無い。随分外の領 分にも切り込んでゐる・此間も侯の方の専門の本を見てゐると・Ｎ亭 の諭の中に、あの男の説か引いてあつたつけ。 蒙く豪い処を論じてゐるらしい一頭の好い髪。一 「さうだ。其点は我々の仲間でも五本の指を外れないのだ。併し性拾 を君はどう思ふ。」 「熟くは知らない。交際は万事如才なくて、少し丁寧過ぎるやうな処 餅ある。色の白い小男で、勵作が搬強なせいでもあるだらうが、何処 か滑か過ぎるやうな感じがする。極端に言へば、螂のやうに滑で抑へ どころのないといふ趣がある。度々逢っても打解けるといふやうな事 はないやうだｏ」 　杉村博士の目にはアイロニイの影が閃く。 一雰言にごつくしてゐる書は、医者としてぞてゐるか島 として尊敬してゐる。」 「それは僕も異議なしだ。併し。」客は少し言ひ淀んだ。「併し、侵は 同案者の批評をするのは好まないが、君と倹との間だから云って置き たいのだ。磯貝へは細君丈は遣り給ふな。」 「ふむ。」 　主人は驚いて審の顔を見てゐる。客も暫く黙つて烟草を飲んでゐる“ 次の間で何かことく音がするやうであつ蒙、すぐに止んでしまつ た。審。 「君はまだ用淋あつたのではないか。つひ畏居をして、人の蔭言まで 言ってしまつた。」。 「もう荷物が出来たかち・車が来るまで用はない・君は猥に人の事を 言ふ人ではないから、俣もこれかち帖注意する“にしよう。」 「なに。臭さんはしつかりしてゐるし、おつかさんと一しよで、自分 が恵者でないのだから、大丈夫だが。」。 「併し世の中を波つて行くには、防がれる事は防がなくてはならない からなあ。」 「うむ。それだから余計な事かも知れないが言ったのだ。」 　杉村博士はシガアの灰を落して、兜児からパイプを出し疋、短くな つたシガアを嵌めて、半ば身を起した。 一「すぐに帰るのだらう。」 「彦む。、一週問は掛かるまいと思ふ。」 「さうか。それぢやあいづれ其内。」 　客は起つて廊下へ問る。主人は玄関まで送つて出て、一車を雇はせよ うと云ったが、客は天気が好いか参、少し歩くと云って、ステツキを 撮つて門を出てしまつた。一 　主人は拾子戸の中の叩の上に、今螂つた客の砒を直す為めに、据ゑ てある概肝雌荷の上から・’脇へいざらせたらしい千代田郭舳のあるの に目を着けて、背後に膝を衝いてゐる女中をかへり見て問うた。 ．。「臭壱んは帰つたか。」一 「はい。今さつきお帰遊ばして、お部屋に入らつしやいます。」 　大川博士は一寸眉に破を寄せた。紬君のしぐさが何だかいつもと違 ふやうに感じたのである。そしてゆつくり居間の方に足を旋しながら、 かう曇た。それではξき欝蓼でことく云は芙のは警あ つたなと思った。さう思ふと同時に、そんなら何故心安い杉村の声が するのに、顔を出さずにゐたか知らんと疑った。 　細君の部星は博士の居間の次になつてゐて、すぐに廊下からも行か れるのであるが、博士は何か考へながら、一応自分の居間に返つて、 細君の都星との間の襖を開けた。 「帰つてゐたのか。」 「はい。」 　涙声である。紬君の部星には、為切の唐紙四枚の内二枚が塞がるや 、っに、ユ笥が据ゑであつて、その箪笥の方に寄せて青貝の机が置いて ある。見れば細君は着物も着夏へないで、机の前にすわつて、顔を机 の上に伏せてゐる。いつも外から帰つて部屋にはいれば、すぐに不断 着に着夏へるのであるのに、今日は余所行の儘である。うつぷした束 髪のはつれに半ぱ埋まつてゐる手を見れば、いつも嵌めて出る指現は 養。ξきことく云は芝のは、紙入と指委蕃の上の塁笥 にしまつたのであらう。 　博士の頭には先づ杉村の言った事が浮ぶ。それから畑君が妊娠して 七月になつてゐるといふことを思ひ曲す。さつき不怠に杉村の忠告を 受けたとき、種々の想像が頭のうちに画かれた。中にも二三日前に読 んだ独逸新聞に出てゐる屋｛ｓの医者の事が思ひ出された。年来 内胃げ呂冨の町に開業してゐて、多少の尊杖をも受けてゐる男であ る。妻があつて子供も四人ある。その男が女の恩者に猥黎な事をして 拘引せちれたといふ竃であつた。拘引せられた跡では、此医者にこん な癖のあろのは、余程前か参の享だといふことが知れた。これが為め に堕蕎した女もある。恨を呑んで恥辱を包み隠してゐる女もあるとい ふこと沌。拘引せられるまでは、人が蔭言に言ふのみであつたから、 広く知えずにゐたが、いよく拘引せられたと聞いて、それ奮言 を言ってゐたものが公然人に寫すやうになつた。そこで此螂の螂が久 しい前からであるといふことが分つたといふのであつた。“士喧此ぐ を思ひ出して、刹那の間に非常な不快を螂じたが、弘ひてこんなｏα を打消さうと努めた。何もすぐにむ端な不幸を考へるには及ばない。 妊娠して七月にもなつてゐる女だから、挙ｏが付に具なりてゐる“ら あらう。殊に息者の幅浸してゐる処何ぞへ往つたのだから、変つた物 を見て神煙を刺戊せられたかも知れない。一体今日小石川の母と一し よに氾るのはどうかとも思ったのであるが、妊煩の経過が好くて、日 常の生活に何一つ変つた事がないのだから、此位な享が障りもすまい と思って、小石川から馬卓を自分の西片町の宅に寄せて貰って、奏を 集内者として附けて遣ることにしたのである。奏はこれ迄困遊会や何 ぞで磯貝に引き合はせて竈いたのであるから、妻の附いて行った方が、 好都合であらうと思って、さうしたのである。着し愛してゐる奏の神 湿を痛めるやうな事が生ずると知つたら、固より附けて迫るのではな かつたのである。榔士の頭のうちには、こんな考が非常な遠度を以て 往来した。 　「どうしたのだ。気分でも悪いのか。」 　博士の声は順るｏしい。 　「い㌧え。そちらへ参つて申↓ますからどうぞ。」 　畑君は顔を挙げて居ずまひを直した。“士に居問へ帰ることを働め 　るのである。紬君は珍らしい美人である。結婚した当時、博士は笑敵 　に、お前は磧子咄だから、扱ふに気骨ガ折れると云った事があるさう だ。大抵日本の女で別品といふのは、青みが㌧つた皮ｎの皮下岨鶯が、 徹厚くて磯さうに見える。犬川の臭さんは皮灯も皮下狙鐵も薄くて軟 　かで、其底を循つてゐる血が透いて見えるやうである。かういふ皮ｎ 　の女は多くは目＾立が患い。此緬君丈は破柁である。髪は日本で昔か −・、１、　河ω木少峰喋い。少し雇マ咳てｏく から、七月の阻の竈いのも余り自立たない。小石川のお母様は、黒人 ではないが、ク分の低いものの娘であつたのを、博士の外螂が器■蔓 で、支竈ξをむつて嚢つたのださうだ。此の細君の審色はお杜様の系 舳ヤ引いてゐるのである。据ずまひを直肘とき、派手なωお召の二枚 毒下玄・壌溝の畿葛・薫嚇触のξついたのが、いつに なく“士の目をｍ戟した。鈴を張つたやうな、物言ふ目は不安と真面 目とを現してゐる。 　ｐ士は層間に知つて、机の前にすわつた。そして畑君が火雌を隔て てすわらうとするのを見て、「そこに坐布団がある」と蕃つた。畑君 は杉村“士の數いてゐた坐布団を引き寄廿てαいた。畑責はかう云っ た。 「あの、やつばり七時三十分の汽卓でお立になりますのでせうか。」 「うむ。その竈だ。何故。」 「いゝえ・少し伺ひたい享があるのでございますが・お倣しい処へ申 していか㌻かと存じまして。」 「なに。そんな事があるものか。六時三十分に出れば好いのだから、 まだ二時間もある。もう洋服に着夏へるより外に用はないのだ。」 「実は先程杉村さんがお話をして入らつしやる処へ帰りまして、ふと 伺ひました享が気に掛かりますのでございます。それに今日は磯貝さ んの御様子がまことに変でございましたので。」 「ふむ。鐵貝の様子がへんだつたといふのは、どんなであつたのだ。」 「こんな“を申して御螂鶯を損じまするかも知れませんが、何でも夫 婦の間では隠し立を致してはならないと、いつも仰やるのでございま すから申すのでございます。今日母と一しよに築地の砂貝さんの処へ まゐりまして、わたくしが先へお目に掛かつて、母の容胆をお竈致し まして、診察をしてお貰申したのでございます。診察が済みますと、 母が申しまするには、どうも何を伺ってもはっきりした享を仰やらな いから、カｍ伺ってくれろ、わたしは先へ知るからと申すのでござい 、 。一〆戸か皇庁かち、何か螂人 には阻すやうな享がございましても、わたくしになら番さ払るだらう と存じて、左様申したのでございます。わたくしは何の気なしに永知 いたしまして、母を帰してしまひましたのでございます。磯貝さんは 。母を診察所へ違れて行って、診察をなさいまして、わたくしの待つて ゐました応接所へ出て来て入らつしやつたのでございますから、わた くしはつひそこで承つて帰る筍でございました。わたくしは鐵貝さん に母の病気の様子をお聞せ下さるやうにと申したのでございます。さ 、フ藪すと鐵貝さんが、お話をしますからこちらへお出なさいと仰やつ て、診察所でない方の戸をお開になつたのでございます。そこへはい つて見ますと、磯貝さんが為享をなさる室と見えまして、大きいデス クや本箱なぞがあるのでございます。わたくしにはソ７アに腰を掛け ろと仰やいまして、硯自分にはわたくしの前へ愉デを持つて入らつし やいました。わたくしは、いかがでございませうと申しました。磯貝 さんは、なに、棺別な病気ではありませんが、一寸直りにくいのです、 薬は藁でお用になるが宜しいが、マツサアジユをなさらねばいけない から、あ母様にも申して置きました、マツサアジユと申すとおつくう なやうですが、つひかういふ尺にと仰やつて、いきなりわたくしの予 をｏまへて、月の処から下へすうとおさすりなさるのでございます。 わたくしは妖な心持が致しましたが、あんな立派な先生のなさる享で はございまするし、娘子供か何かのやうに、慌てて手を引くのもいか がと存じますので、どう致さうかと存じてゐましたのでございます。 さう致すと、周から下へ何遁も何遍もあさすりなさるのでございま す。」 「ふむ。それからどうした。」 　沌士の目は次第にかがやいて来た。 「それにあの方はわたくしの手をさすりな淋ら、わたくしの顔忠｝い つと見て入らつしやいます。あの方の目を別段変つた目だとは、これ 迄思ったことはございませんでしたが、。今伺に限つて何だか非道く光 つて恐ろしい目のやうに存ぜられましたので。こざいます。それでその 目を見ないやうに致きうと存じましても、どうしても見ずにはゐられ ないやうな心持が致すのでございます。」 「ふむ。それからどうした。」 「さう致してゐますうちに、少しの間気が遠くなるやうな心持が致し ましたが、其時の事は跡から考へて見ましても、どうもはつきり致し てゐないのでございます。」 「さうか。その跡はどうだつた。」 「それからばつと思って気が附いて見ますと、磯貝きんはいつの間に かデスクに肱を持たせて、何か書いて入らつしやるのでございます。 わたくしは少し頭痛が致しましたが、その時は只どうにか致して早く 帰りたいと思ふ外に、何も考へることが出来ませんので、どうも少し 気分が悪くなりまして、董だ失礼を致しましたと申して、起つて帰ら うと致したのでございます。さう致すと、磯貝さんはペンをお置にな つて、さうでせう、あなたば妊娠してお出なさるから、そんな享がお ありなさるのです、お母様の事は決して御心配なさるには及びません と云って、送つてお出なすつたのでございます。」 　博士は話をここまで聞くと、かがやいた目の光が涌えて、何か深く 諸ｋるらしく、腕狙をしてぢつと黙つてゐるのである。畑君は熟心に 詞を焼けた。 「一体どう致したのでございませう。」 　博士は貢々しい詞子で、徐かにかう云った。 「うむ。それはあ前が心配したのも妬理はない。お前は危険な目に迄 つたのだ。お前は常の体ではないから、こんな事を言って閂廿てはど うかとも思ふが、おれが螂味な事を冒つては、却てお前の心配を増す やうなものだから、冒つて閂せる。磯貝は実にへんな事をしたのだ。 お前に竈唾術を施きうとしたのだ。」 「あの竈唾術を。」 言云った蓼の目渥、見るくミ嚢湧いて来る。蓼装 からハンカチイフを曲して、目を拭きながら、詞を続けた。詞は昔し ざうにきれ〃ｃ、恒出る。 「あの、それではもじゃ、（間、）体をどうか致されたのではござりま すきいか。」 「なに。格別な事はあるまい。お前も何ら心附いた“はあるきい公。 変つた事はあるまいな。」 ［いゝえ。何も心附きませんのでございます。」 −。「ざうか。いや。そんなら何享もあるまい。俳しこれからばもう決し てあの男の内へ往つてはならない。内へ往つていけないばかりではな い。なる丈あの男に逢って竃をしたり何かしないやうにしなくては行 什ない。」 一「それはもう仰やるまでもございません・わたくしはもう其席を澱れ て問まするのが、毒蛇の口を遁れるやうな心持が致しましたのでござ “ます。むうどんな事があつても、あの方にあ目に卦からうとは存じ ません。」 「それが炉い。（間。）それからも一つお前に注怠して置かなければな らない事がある。お母様をはじめ、どんな心安い人にでも、今日の事 を話すのではありませんよ。」 「はい。」 「かういふ事が世問へ洞れると、どんな間違った解釈をせられても、 為様がありませんよ。こんな事はいつでも当人から潟れる。磯貝は白 分のインテレス介があるから、口外する筈がない。恐らくは大勢の女 の恵者に同じやうな事をするのだらう。」 　博士の顔には薔し気な微笑が閃く。そしてかう云った。 「お前と為れさへ黙つてゐれば好いのだ。又お前とおれとの間でも、 此事丈はこれつきり言ふまい。有つた事は無いやうには出来ない。お 亙に諦まらない事を言ひ合って、次第に感情を害して、それ小何にな るものか。お前も定めて気になるだらうが、なる丈自分で心を抑へ附 「はい。」 蓼筆ぴ覧る警一ンカチイフで拭いて、しをくとして坐を 起つて、自分の都星へはいつた０ 　ぢ士はつと文づて、商側の障子を彫けて庭を見てゐる。村則と櫨脇 花との花が真赤に咲いて、どこか底に温みを持少た凪が額に当る。、畑 君の都星で隻ことく音がする。董をするので奮う。 　博士は今年四十を二つ越した男で、身体は壮健であるが、自制力の 強い性で、性欲は頗る悟浴である。それに今日に限つて、いま奏が侵 色の畏掃拝を脱いで、余所行の白縮緬の腰巻を取るなと想像する。そ して紬君の白い肌を想像する。此想像が非道く不愉快であるので、一 寸顔を憂める。想像は忽ち翻つて、医学博士磯貝晒君の目が心に浮 ぷ。着いやうな年寄ったやうな、蒼白い螂のある顔から、畑い鋭い目 が、何か物を覗ふやうな表情を以て、蠣々としてかどやく。此想像は 博士の胸に針で刺すやうな痛を覚えさせるので、博士は声を出しで、 「え＼、糞を」とでも云ひたいやうであるのを、ぢつと熟へる。そし て障予を締めて、居間の隅に脚してある洋服を着はじめた。 　冨竃のペルが鳴る。書生が電讃口へ曲て行くやうである。果して竈 生の声がする。 「はい。（間。）はい。さやうです。一寸お待下さい。臭さんに伺ひま すから。」 　書生が細君の都星に来て何か云ふ。紬君が銘操の不断着に着夏へて、 博士の居間にはいつて来る。紬君。 「あの、小石川の母が今晩わたくしに参つて、病気の事を話してくれ るやうにと申すのでございますが、いかゞ致しませう。」 　洋服に着夏へて、時計や巻烟草いれを乱箱から取つて、ポツケツト に入れてゐた博士は、細君の方を顧みて、かう香った。 「さうさなあ。。それは行って悪いことはないが、なるべくはお母様に あしたこちちへ来てお貰申したいと云っそ断つてはどうだ。」 の問は外へは出ません積でございます。」 「それも好からう。」 　細君は電話口へ自分で断りに出た。 　博士は紬君にお給仕をさせて茶漬を撮き込んでゐると、言ひ附けて あつた草が来た。博士は細君に、体を大事にしろと言ひ置いて、車に 桑つた。書生が新橋まで蔀就を持つて行かうと云ったのを、車を鵡“ る時にことわつてしまつたのである。 　博士は草包を股の間に挾んで車に乗つた。こんな凪をすると、西洋 から帰つた当座は、何だか紳士らしくないやうな心持がして不愉快で ならなかつたが、此頃はもう何とも思はないやうになつた。人問は ８μま■の威力には抗し難いものと見える。 　博士は七時三十分発の單に桑つた。一等室はかなり込み合ってゐる が、草包を側に置く丈の余裕はある。酢の席は着い西洋帰人である。 貝蠣降の散歩服を着て、風色の駝鳥の羽で装飾した帽を被つてゐる。 遠方へ行くのではないらしい。近く見れば、挑の実のやうに加い毛の 生えてゐる顔ではある。が、明色な髪と９目雪目＄の花のやうな目と を除けて考へると、どこか細君に似てゐるやうな感じかする。矢張碩 子出の美人である。 　向ひには、皮膚のあらゆる毛孔か参脂肪を項き典してゐるやうな、 あから顔の大男が乗つてゐる。竪検の縞のある茶色の背広服の鉦が、 なんだかちぎれさうなやうな気がして、心配である。食堂草の附いて ゐる車であるのに、持つて來つたビイルの栓を抜いて、草包からヨツ プを曲して欽んで、折詩のサンドヰツチをむしやく参てゐる。 。博士は烟草が飲みたいのであるが、隊に遺広して欽まずにゐる。そ の癖方々に、蚊鳴か何かを欽んでゐるものは籔人もある。博士は草包 を開けて、上の方にある本を出して見ると、目婁岸の弓ｓ雪げ｛８ 名§であつた。 　読む気もなく初の方を開けて見る。二ペエジ程特別に活字が大きく してあるのを読んで見ると、女主人公ぼ◎旨Φが腰元に明色な髪を解 かせながら歌ふ歌であつた。博士は巻を掩うて、隣の女の髪を見た。 薄暗い電気燈で検文を読んだので、目が少しむづ痒くなつた。向うを 見れば、サンドヰツチの男は口を開いて肝をかいてゐる。窓の外は鼠 色である。忽ち火の光が二つ三つ窓硝子の外を流れる。車が大森駅を 過ぎるのであらう。 　博士は手に本を持ちながら、頭を背後の窓枠に寄せ掛けて目を瞑つ た。 　今日の午後の面白くない出来事が頭に浮ぶ。博士は色々な書物を読 んだ中に、不幸にして虜唾術の事を少し詳しく読んでゐたのである。 それには因縁がある。博士が子供の時、東京でこつくりさんといふも のが瀞げつた。それから洋行してゐると、欧羅巴も狐喉どいふことが 流行った。二つくりさんの不思竃が先から気になつてゐたので、それ に似寄った机叩の解釈を求めようと思って、留簑豪８葛の本を醐い て見た。それから竈唾術の本を見ることになつたのである。今日紬君 の話に、磯貝が紬君の手を握つて、肩から撫で卸したと聞くと、博士 の記憶は忽ち旨＄昌Ｏ−の名を呼び起した。それから紬君が磯貝の目 を見まいと思っても、どうしても見ずには居られなかつたといふのを 聞くと、今度は零ｐ室といふ名泌記憶の臭から浮いて来たのであつ た。竈匡術は確に紬君の身に功を奏したに違ない。功を奏したとすれ ば、畑君の竈唾に陥いつた間に磯貝は何をしたか。畑君には、拾別な 事はなかつたのだらうと云った。併し此の断定には何の摂拠も宗い。 磯貝は竈睡の間に奈何なる事をもサジエストすることを得たのである。 そして細君は、自分が竈唾の間にサジエストせられて為た事を、竈唾 が醒めてからば覚えてゐる筈が無いのである。此の贋唾の間の出来事 は奈何なる程度まで及んだのであらうか。磯貝は為し得る阪の事を為 したかも知れない。少くもそれがポツシブルである。博士は細君の話ー を聞いた時に、擢理上二こまで考へざることを得なかつたのである。 ここ迄考へて非常な不快を覚えなが参、その不快を紬意に知らせまい と努めたのである。博士は再ぴここ迄考へて、又今更のやうに前の不 快を慮じた。博士は貞淑といふことに就いて、嘗て考へて見た“があ る。貞部なんぞといふものは、心の上には認むべき何もあらうか、体 の上には諸まらないものだと思った。博士がまだ独身でゐた時に、佐 野星といふ質星の娘を世寫しようと雪ふ人があつた。冒くすると外の 人が、其娘は店の奉公人と通じてゐるといム竃をした。博士は共時笑 つて、そんなら其久松を連れて蠣に来れば好いと云った“もある。俳 し事実問題になると、“士は目跨することを免れない。“士は自ら解 して、か主酋つてゐる。なに。おれば古臭い聰犯切心から汚れた女を 誹斥するのではない。併し仙の上から言へば、碍だつて人の使ったも のは鶯だ。智の上から言へば、思い病気を土産に持つて来て貰ふにも 及ぶまいなどと云ふ。実は“士は矢張因ｏに囚はれてゐるのかも知れ ない。兎に角“士は、細君の竈睡に陥いつた間のポツシビリチイを考 へて、何とも冒へぬ不快を覚えたのである。きてここに妙な享がある。 それはいつも博士が人に迫害を豪つた時の反応の為方なのである。博 士はかくまで不快を感じながら、磯貝を僧むといふ念は殆ど起らなか つたのである。博士の心ではかういふ時に、いつも阜む念が強く起つ て、僧む念に打勝つのである。阜んで見れば、憎む価値がなくなるの である。萄士は往々此性質の為めに人に侮られる。それは憎むことの 出来ないのは男らしくないの災と解釈せられるからである。それとも 博士には矢張男らしい性が閃けてゐるのかも知れない。それから博士 は、細君にこの後磁貝に遣はないやうにしろと曇つた時の事を思ひ幽 した。博士は一度竈唾に陥いつたものが又竈唾に陥いり易いといふこ とを説んだのを記憶してゐる。しかも前に竈唾に陥い多せた術者は、 二度目には骨を折らずに成功するといふことを読んだのを記位してゐ る。その上に、博士の記憶にはかういふ享もあつた。前の竈唾の間に サジエストして置いた享は、後の竈唾の間に再ぴ怠識に上るといふこ と湘それである。そこで博士は、この後畑君を磯貝に違はせてはなら ないと思ったのである。それから“士は、匁貢の竃を閂いた時に、こ のあるのを思ひ出した。それはかうである。望ユ目｛ぎ−ｏ日は父といふ もの陀竈明の幽来ないものだと云ってゐる。併し奏が産んだのではあ るが、竈の子だか知れないと思って育ててゐるといふことは、とても 醐伊竈ｏの竈ムペき限でない。又誰の子といふことが知れるとしても、 自分の子でないといふことが分つて育ててゐるといふことも、これも 氾へられない。女といふものは決して男一人を守つてゐるものではな いなどといふ断定も、ｏ８竈貢ぎで読んだり、種々の弧刺家の書いた もので見たりしては面白い泌、奈何にαを仙むことの出来ない博士で も、それを平気で自分の家に当て伐めて考へることは則来ない。兎に 角博士は、西洋人の所謂余りに人の好い亭主を刻む木とは、則な木で 刻まれてゐるのである。博士は或る有夫肝“件の裁判の湿饒を読んだ とき、麟しい男が、「底がはいつてゐるから炉いと思ひました」と申 し立てるところになつて、覚えず独で吹き典したが、忽ち顔を£めて 記饒を手から釈いた享がある。博士は不快を抑へて、細冠を恕せよう と思ふと同時に、この「底がはいつてゐる」といふ詞を思ひ出して、 妙な心持湖した。博士は、野蛮人が腹にある毒を吐かねばならないの で、㌶を飲むときの心持はこんなであらうと思ったのである。垣士は 又声を幽して「え㌧、糞を」と云ひたいやうであるのを、ぢつと熊へ た。 　卓が留まつた。平沼灰である。男女の西洋人が三四人降りた。鐵に ゐた明色の婁の冒旨ｏはその仲間であつた。博士は壌及烟草を欽み ながら、手に持つてゐた本を草包にしまつた。薄暗いあかりでは読む まいと決心したのである。そして険の庸を占領して、外套を被たまま 畏くなつた。 　今まで話をしてゐた乗審も、段段話をし止める。博士は暫く長くな つてゐる中に、午後から常にない感勵を受けた頭に痘労を感じたので、 欽みきしの烟草を棄てて目を瞑つた。 　“士は明日章の中で弓Ｂ雪げ｛ｓ４弩−を読むであらう。旨庁雪目 ない。人妻たるは猶忍ぶべしである。何故冒目暑き目のやうな、怠 地の悪い恋の敵が出て来て、二人を陥しいれねばならぬか。二人を焚 き殺す筈の薪の火は神の息に消える。二人は旨冒Ｏげの沢辺に出て、 狩場を遁れた獣のやうに、疲れて眠る。二人の体は冒の長さを隔てて 地上に伐はつてゐる。莫真中には旨８５−目の剣が置いてあるので ある。博士は、よしや貞潔を潮つたことがあるにしても、これに感勵 せずにはゐられまい。兎に角此一冊の脚本は、博士に多少の慰箒を与 へることであらう。 （明治四十二年六月）