旧劇を奈何すべきか 森鴎外  旧劇に対する私の立場は、先頃「曾我兄弟」を書き直したのが動機になつて、「旧劇の未来」と云ふものに書いて置いた。あれは人に余り好い感じをぱ与へなかつたらしい。あれを読んで、私を負嫌な人間だと感じたと、誰やらが云つた。これは勿論かう云ふ意味である。「曾我兄弟」はまづい。そして上揚に失敗した。作者は恐れ人つてゐれぱ好い。安んじて負けてゐれぱ好い。それに彼此云ふは不都合だと云ふ意味である。  私は今或る必要からHofmannsthalの書き直したo旨ぞaを読んでゐる。そして無遠慮に言へば、私の「曾我兄弟」のまづさ加減と余り懸隔がないと感ずる。 併し彼は別に旨いOidipus und die Sphinxを書いてゐるから、そのまづいのは力の不足から出てゐないことを証することが出来る。私にはその立証が出来ぬだけである。これは永遠に出来ぬかも知れない。併し 「曾我兄弟」がまづかるべき理由があつてまづいのだと云ふことは、私は信じてゐる。さう信じてゐるから彼此云ふ。負嫌の根本はこゝにある。  私を負嫌だと云ふ人は若い人である。若い人は皆私以上の負嫌である。そして矢張既成の製作の上から自己の力を証してゐるわけでもなんでもない。  旧劇に対する私の立揚は旧劇の未来に書いてある。併しそれが親しい友達に誤解せられたり、又世間の人があの告白の動機になつてゐる「曾我兄弟」に就いて意外の事を言つてゐたりするので、私は少し書き足して置く気になつた。  旧劇の未来と云ふ文が既に人に無用だと見られてゐ て見れば、私の書き足すことは一層無用だと見られるだらう。併し若い人達が新聞雑誌の広い面積を填めて書いてゐる事にも、私が見て無用だと思ふのが随分多いので、私も遠慮して差し控へてゐなくてはならぬと云ふ義務を、さまで深くは惑ぜぬのである。  私は先づ親しい友達の誤解に就て辨ずる。  私が旧劇の未来を書いてゐる時丁度永井荷風君が旧劇の保存を論じてゐた。旧劇の科白、扮装、背景、伴奏等一切の因襲に対して趣味を持つてゐる永井君はそれを保存したく思つてゐる。そこで永井君は、私が旧劇を書き直すと云ふのを、反対した意見だと見たのである。  併しこれは反対した意見ではない。私は一方に書直しを主張すると共に、一方には保存に賛同する。西洋の田舎で保存してゐるPassion劇のやうな物は、書き 直すべきものではない。あれは保存するが好い。能にも此類が多い。芝居にも此類が多い。  唯其中に人物の湊合やら事件の推移やらの上から、新劇の様式に書き直しても上揚せられさうな応のがある。それは大抵グレシアの運命劇に似たやうなものである。私が敢て書直しを試みた「曾我兄弟」は此種類に属する。丁度西洋人がグレシア劇を書き直すと同じ心持で、私はあれを書き直した。  古物をありのまkに保存することは、私の尤も切望する所である。古書を以て例とすれば、私は其紙質を右、其字体をも、其装釘をも併せ愛する。唯それが翻訳せられて、今様の冊子となつて世に行はれることをも、同時に歓迎するのである。  次に「曾我兄弟」に就いて、世間の人に意外な事を言はれたと云ふのはかうである。  旧劇の常として、原本は心理上に粗大で、そらみ4しく惑ぜられる処が極めて多かつた。私はそれを一枚毎に、一行毎に削り又は改めた。そして唯一つ大坊が五郎を打つ条だけを残して置いた。これは随分senti-mentalで、随つでそらんーヽNしくは惑じたが、子供を使ふ場合だからと思つて、殆原本のまゝに残したのである。  然るに詣やらの評にかう云つてある。「曾我兄弟」は全部原本のまゝである。唯大坊の五郎を打つ条は新しく作つたもので、これだけがそらぐしいと云ふのである。   「曾我兄弟」に貌いで言はれた事は多くあるが、これは余りに意外なので、いつまでも記憶に残つてゐる。それは言つだ人は詣であつたか忘れた。又それは誰でも好い。  私の書かうと思つだ事はこーに尽きた。唯筆を掴かうとして思ひ出した事があるので、それを書き添へる。  旧劇を書き直して上揚するには、一の軽視すべからざる故障がある。それを音羽風が自然に発見して私に告げた。  音羽風は云つた。「五郎の新しい白をおぼえるのはむづかしくはありません。原の白を忘れるのがむづかしいのです。」  これは尤至極の詞である。今の戦争の起る前に、ドイツで古くからある歌劇の新しいリブレツトオを試演した時、端なく同一の開題に逢著したことがある。  書直しの脚本を演ずるには、或は旧劇の脚本を記憶してをらぬ俳優が適当であるかも知れない。