金貨 　左官の八は、夏を返して旭ひ直して、心の上に心を当てた絆ｏを着 て、千吠ケ谷の停草易脇の坂の下に、改札口からさす明を浴ぴてばん やり立つてゐた。牛後八時頃でもあつたらう。 　八が頭の中は混沌としてゐる。欽みたい酒ゆ倣まれ帖小昔痛が、最 も強い螂伯であつて、それが悟性と怠志とを殆ど金く麻μさせてゐる。 　八の頭の中では、空想が或る光景を画き出す。土間の隅に大きな水 熾があつて・鮒聰な水がなみなみと湛へてある・水道の口に燃めたゴ ム管から・水がちよろちよろとその中に落ちてゐる。水の上には小さ い梅が二つ三つ浮いてゐる。水船のある所の上に棚が弔ってあつて、 そこにヨツプが伏せてある。そのコツプがはつきり目の前にあるやう に思はれるので、八はも少しで手をきし伸べて取らうとする処であつ た。 　いつまでもここにかうして立つてはゐられないといふこと丈は、八 にも分かつてゐる。そんならどこへ行ったら好からう。当前なら内へ 帰るべきであらう。店賃が安いので此頃越して来た、新しいこけら葺 から雨の洞る畏星である。併しそこは恐ろしい政がゐる。八はいつで も友違と戯恥をすることを峨ゲない。伊於といふに、友違なら、打つ か打たれるか、兎に角腸負が附く。あの二けら葺に立て竈つてゐる放 はさうは行かない。いくら打つても祓いても、腸負泌附くといふこと がない。彼は饒声を上げて来る。打つて竈を持へる。竈が平になる。 又戌声を上げて来る。又病を栴へる。又それ泌平になる。ωげ竜８の 石は何度押し上げても又転がり落ちて来るのである。八が此政に向ふ ことを敢てするのは、聰に酒のある間ばかりである。河がなくなつて は、どうも敵障に向ふことが出来ない。実に敵といふ敵の中で山の神 ほど恐ろしい政はない。 　八はばんやりして立つてゐる。身の周囲の周は次第に浪くなつて来 て、灰色の空からをりをり落ちて来る爾が、ひやりと頭の真中の禿げ た処に当たる。 　停草むに冒卓が来て止まつた。軍人の三人違が改札口から出て、八 が立つてゐる方へ、高戸に竈しながら来る。外には謹も降りなかつた と見えて、冒草はその住出てしまつた。 　先に立つて行く軍人の雨コが八の絆伽切袖と摩れ摩れ北肱つて、そ の軍人は通り辺ぎた。八は子供の時に火傷をして、右の蝶砒から碗鵬 に掛けて、大きな引弔があるので、徴兵に取られなかつた。それで箏 人の階汲なぞは好く分からない。俳し先に立つて行った四角な顔の太 つた男は、年も四十恰好で、大佐か中佐かだらうといふこと丈は分か つた。脇斡ポ赤や患のやうな畷並つた色ではなかつたから・砲兵であ つたかも知れない。その男は八の方を見返りもせずに行った。跡から 行く二人は音赤い養章で、一人は撒臓が図抜けて背の高い男、一人は 筒まつた体で、昔味走つた顔をした男である。二人共先に行った男と 同じ位な階級の人らしい。どれも八の顔を見て通った。中にも吉昧走 つた顔の男は、巡査の人を見るやうな見方をしたと思ったので、八は 応に町つたが、怯れ気都出て下を向いてしまつた。 　三人違は矢張話しながら新屋數の方へ向いて行く。坂の途中からば 真暗である湘、Ｏれた道と見えて巧に招慨りを酎けて行く。鍬炉ら見 れば遜惚の拍車が光る。八は搬ψ篶な竈に跡に附いて歩き出した。八 も此道は目をれむつても歩けるのである・ 　踏切を二度越した。三人違は、八には読めないが、荒川と書いた点 は主人と見えて、先に立つて二人を案内した。玄関には台附のヲンプ が点して置いてある。十二三のと八つばかりのと、男の子が二人定つ 釘に卦けて、臭に這入つて行った。別当は客の畏耽を沓脱の石の上に 直して置いて、主人の畏耽を持つて自分の部星に知つたが、又すぐに 出て来て、門の塀叱綿め映。 　八は向側の、近爪竜のκんでゐる杉垣の処に雨に沁れながら立つて、 はんやり此様子を見てゐたが、別当が円を締めに出て来るとき、殆ど 宗恵訟にぬかるみ道を歩き出した。併し門が純まつてしまふと、八は 又立ち留まつた。了度立ち留まつた処に、矢張硝予の軒燈の附いてゐ る、小さい門がある。これは荒川の家の筋向うになつてゐる、杉垣の 家の門である。八はその星根の下に這入つた。 　荒川の星數は、別当都星と、それに続いてゐる厩とが、往来に接し て建ててあつて、其外は黒板塀で囲んである。八はぢつと其星數を見 てゐると、今迄薄明の差してゐた別当部星の窓が、忽ち真暗になつた。 間もなく別当が門の濤を開けて、番傘をさして出て来て、八のゐる処 と反対の方角へ行ってしまつた。 　八の頭の中で、此時どこへ行かうかといふ問題が再び提起せられた。 そして八はこの黒い板塀の中へ這入らうと思った。八は自分では金く 唐突にかう思ったやうに感じてゐるが、実はきうではない。閾の下の 怠識がこれまでに側いてゐて、その結果が突然問の上に出たに過ぎな い。八はどこへ行って好いか分からずに、停草場脇の坂の下に立つて ゐた。そこへ軍人が通りかかつたとき、八はそれに附いて歩き出した。 共時八は此軍人と自分とに何か縁があるやうに感じたのである。そし て軍人が家の中に隠れてしまふと、八は自分のだよりにするものを亡 くしたやうに感じた。それと同時に別当の姿を見て此別当が自分と軍 人との間に成り立つてゐる或る関係に障碍を加へるものであるやうに 感じた。それから別当が出て行くのを見たとき、此障得が除かれたや うに感じた。そしてかういふ感じが順序を追って起つてゐる背後に、 物を注まうといふ怠志が、此等の閂の下に浴んでゐる聰じより一口 饒“臼んでゐたのである。そこで今此黒塀の内へ這入らうと、はつき り思ったときには、物を盗まうといふ怠志も、一しよに意識の門の上 に眺り出たのであるｏ 　八は往来を＾にｏ切つて、黒い冠木門に近づいた。潜を手で押すと、 音もせずに“いた。八は門の内に這入つた。此時がたがたどしんとい ふ恐ろしい音がした。八はぴつくりして背後の潜戸に手を卦けた。俳 し物音は馬が畠竈の上に嘔かつたのであつた。八は潜戸に掛けた手を 竈して、そこらを見廻した。玄関の・向って右が竹垣で、其中は虞と 見えて、側柏のやうな木の頭が二三本竈いてゐる。八は別当都星の前 を通って左手へ廻つた。厩のはづれまで来ると、台所から明かさして ゐて、女の声が問える。臭さんと女中とで何かしてゐるらしい。明に 透かして見れば、厩のはづれから、向って左饒の界に掛けて、一面の 怖酸である。八は暫く様子を見てゐて、餅いてゐたＦ肘を脱いで、厩 の竈下に置いて、竹藪の中に這入つた。そして左隣の垣に接した処を 歩いて、明のさしてゐる間を通り越した。雨がざつざつと降つてゐる ので、笹葉が落ちて稻つてじくじくになつてゐる上を踏んでも、少し も音は問えないのである。 　竹藪の臭の纈まで来た。ここからば障予を鵬してある八畳の間が見 状る…ヲンプの光は、躯切畠の兄になつてゐる、臭橘の垣を照㌧㌣い 蜘の網に溜まつた雨の雫がぴかびかと光つてゐる。主人も客も湯帷子 に養一て、養近く碧つて、主人缶の高い鑑ど蚤を打つの を、小男の客が見てゐる。八の内にもあるやうな脚炉から引き閏した、 四角な思い火入から蚊遣の烟が盛んに立つてゐる。小男の客は、をり をりその側にあるブリキの触から散蓮華で蚤取粉を窃ひ出して、蚊遣 の禰充をする。三人とも傍に麦酒のヨツプを控へてゐる。縁の傍の土 の上には手桶が一つ置いてあつて、それに麦酒瓶が冷してある。小男 がをりをり三人のコツプに麦酒を補充する。口の開けてある瓶は、注 いでしまふ度に径をして、働に閾に寄せ掛けて置くのである。八は妙 な事をするもの虐と思って見てゐる。 　藪は随分脇つてゐるが、雨はどしどし洞つて来る。八は熾鐵のびつ たり肌に引附いた上を雨に叩かれて、いやな心持がする。周囲を見る と、校予の垣と誤切臭橘の垣とが出合ふ処に、真黒に気つてゐる、大 きな木がある。椿の木らしい。八はその下へ遣入つてしやがんだ。二 こは雨が洞らない。好い塩梅だと思ってゐると、顔や足に蚊が吃ひ附 く。叩き殺して遣りたいが、音をさせてはならないと思って、さすつ てゐる。蚊はそれを馬鹿にするやうに、逃げても又すぐに来て止まる。 八は顔のまばりと、両足似畷か処とをかばるがはるさすつてゐる。 　臭さんが何か持つて、瞼手の方から出て来た。弼搬を上げて来たの らしい。小男は、「これは恐滴」と云って、臭さんの手から井を受け 取つた。主人は臭さんを頑みて、こんな享を言ふ。 「山ハ昼に蚊星を弔ったかい。」 「はい０弔りましたＯ」 「子供はどうした０」 「四畳半に休ませてあります。」 「さうか。そんなら、もう用はないから・女中を寝かしてお前も竈る 　い が好い。」 「はい。それでは、どなたにも御免を豪ります。」 　石を一つ持つて考へ込んでゐた瀞臓阯臭さんにかテ云った。 「いや。何もかう度々宿合をお引受ではお困でせう。あは、ゝ。」 「どう致しまして。一向お篶申しませんで。」 　こんな応対がはつきり凹える。臭さんは勝手へ引込んだ。暫くする と、腸手の戸を綿める音がする。それから、障子か鶴がを開けたり精 めたりする音が二三〇閂えて・跡はひつそりした。時計の音がする。 八が数へたら、十時であつた。 　棋には主人が負けたらしい。竈げた襟の間に挾んであるハンケチを 胆して、煩の汗を洋きながら、あはゝ、と大声に笑ってゐる。瀞蛾肘 大きな体をゆつたり槍へて、にこにこしてゐる。今度は小男ガ靖顔の 椙手に曲て来た。主人は起つて外を見た９丁度八と目を見合せるやう になつたが、固より藪の中が見える筈はない。八は少しも怯れたやう な気はしないで、却て主人を好い旦那らしいと思った。主人は手桶に 漬けてある麦酒の瓶を出して栓を抜いて、三つのヨツブに注いで、自 分は一息に欽み千した。八は覚えず唾を欽んだ。 　今度の棋は前より余程手間取る様子である。小男の客は考へ込んで ゐて、容易に石を下さない。主人は暫く見てゐたが、ついと立つて座 數の真中へ往つて、大の宇に寝嘱んで、傍にある団扇を取つて、凪を 入れてゐる。煤が長い間隔を眺て・ばちりばちりと云ふ石の音が・雨 の音の間に問えるばかりで、一座はひつそりする。 　椿の木の下に這入つてからば、雨は殆ど金く洞らないので、八は着 てゐる絆螂がひとりでに乾くやうに感じた。夜は夏けて、相変らず蘂 し蒸ししてゐるので、肌の冷つくのが、却て心持が好い。只蚊のうる さいのに蜂渋する。八は・もう犬偏にして虜せば好いと思っても、な かなかばかが行かないらしい。石の音の間隔は次第に延びるばかりで ある。小男は蚊迫をくぺ足して、暫く腕組をして考へ込んでゐる。ε うすると主人がひどい肝声を扱き出した。小男は起つて主人の傍へ行 つて播り起した。 「寝ると目を引きます。」 「うむ。あ㌧。竈たかなあ。あゝ。」 　主人はむつくり起き上がつた。Ｊよ市寝たので大いに嚇泌いたといふ 反で、快活に碁理の脇に出掛けて来た。 「やあ。まだちつとも戦況泌捗つてをらんぢやないか。」 　鯖顔はゆつたり篶へて、にこに二して主人の顔を見る。 「まだなかなか。」 　小男の客は又周に対した。矢張容易には石を下さないのである。十 一時の時計が問える。 　八は椿の木の下にしやがんで、辛抱強く荒川主客の様子を見てゐる。 辛抱強くとは云ふものの、実は八の性分が性急でないから、さほどに じれつたがつてもゐない。明治三十七八年役には、よく待後障地を守 るといふ語が訓令なんぞに用ゐられた。八は余り待機障地を守ること を昔にしないのである。只麦酒が主客の咽を通る度に、八は唾を欽み 込んで我慢する。これが一番つらい。八はこんな事も思って見た。縁 側のはづれの処へ忍び寄って、縁の下をあの手桶の傍まで行って、瓶 を取つて来ることは出来まいかと思って見た。併し八も此計画の冒険 に過ぎてゐるといふことを認めないわけには行かない。共上縦や首尾 好く瓶を取つて来たとしても、栓を抜くのがむづかしい。兵隊になつ て戦争に行ったものの請に、ロスケの残して置いた酒を欽むには、瓶 の口を銃剣で打欠いたと云ふことだが、生憎瓶の口を欠くやうな物を 持ち合せない。周囲には手頃の石もない。それに硝予瓶を壊せば音が する。八の頭にはこんな出来ない相談が往来してゐる。そして可笑し い享には・をりをりは何の為めにかうしてしやがんでゐるかといふこ とを、丸で忘れてしまつてゐるのである。そんな時には、ひどい雨だ、 この椿の木でも無かつた日には災難だ、せめて上だけでも晴れれば好 いなどと、泥坊らしくもない、のん気な事をも考へる。 　瀦顔と小男との勝負はなかなか附かない。麦酒は盛んに飲まれる。 中にも主人は連りに満を引いてゐる。余り欽んだので、主人は小便が したくなつたと見えて、便所に這入つた。便所は、八のゐる方角とは 反対の、濠側のはづれにある。主人の嚇跳どして蹴を吐いて小便をす る音が問える。八はその音を聞くと、自分も小便がしたくなつた。 　八は小便がしたいと思ふと同時に、こんな事を考へた。あの軍人は 酒を欽んで小便をする。已は酒も欽まずに小便をする。果ない身の上 だといふやうな事を考へた。そのうち小使はいよいよ我慢出来なくな つた。併しここで小便をしたら、音がするだらう。雨も生憎少し小粒 になつてゐる。猶更小便の音が引立つわけだ。どうしたものかと考へ た宋、八は一生の智恵を絞り出して、椿の木の幹にしかけた。それで もをりをり逸れてしゆつと云ふことがある。八はその度にぴつくりし 　八は此時こんな事を思ひ出した。泥坊に這入るには、労をして置い て這入るものだといふこと色聞いたことがある。そこで胴げして見よ うかと思ったが、したくなかつた。作者が考へて見るのに泥坊が糞を して其上に螂を伏せて置くといふのは、厭勝には相違ないが、さうい ふ厭腸が出来たのには、も少し深い原因がある参しい。物を盗みに人 の家に這入るときには、神経の刺戟が不随怠に腸の辱勵を起すことが ある。丁度学生が試瞼を受けに出るときに、どうかすると便怠を催す のと同じ事である。三十七八年役に南山を攻撃した兵卒の中に、敵の 砲弾を受けながら、高梁の畑で糞をしたものがある。新聞には大胆な 振舞として書いてあつた。あれも矢張神経の刺戟である。八は繊ての 精神作用が鈍くなつてゐるので神経の刺戟も何も起らない。それで糞 をしたくないのである。 　十二時の時計が問えた。暫くしてから、棋の勝負が附いた。今度は 小男が勝つたと見えて、諸顔が笑って五分苅頭をさすつてゐる。主人 は何か思ひ附いたやうに、席を立つた。 「待て待て。今度は已が遣る。併し麦酒が尽きたから、代用品を持つ て来るぞ。」 　かう云って、床の間の脇の袋戸棚の中から、コニヤツクの瓶に小さ いコツプを三つ添へて持ち出して、碁盤の傍に置いた。ヨニャツクは 栓は抜いてあつたが、まだ余り減つてはゐなかつた。小男は瓶を手に 取つて札紙を見た。 「代用品どころではない。なかなか上等ですなあ。」 　かう云って、三つのヨツプに注いだ。靖顔は戯に自分のを取り上げ て、少し口に入れて舌打をした。主人は小男の向うに据わりながら、 自分のコツプを取つて、一息に咽に流し込んだ。 「コニヤツクはかうして飲むものだ。」 　小男は二寸失敬」と云って立つたが、麦酒のコツプを持つて榛珊 に問て、手桶の水で洗って、それから茶盆の上にある小さい湯わかし しまつた。 　主人と小男との棋が始まつた。小男は相変らず考へ考へ打つてゐる が、主人は相手の手が引込むや否や、すぐに石を下す。小男は薄めて 酒を欽みながら考へて打つ。主人は石を下して置いて、考へずに生の 酒を飲む。主人の手が幾ら早く動いても小男は考へる丈は考へねば置 かない。そこで相応に時間が立つ。 　暫くすると、傍で見てゐた靖顔が、忽ち「あはあは」と笑って、 「さうなつては、もう挽回の望もない」と云った。そのうちに主人が、 「負ける時は潔く負ける」と云ひながら、造つた石を崩しはじめた。 「負ける時は潔く負ける。さあ。寝よう、寝よう。」 「蚊星の中は熱さうですなあ。」 　石をしまひながら、小男が云った。主人はのん気である。 「なに。雨戸を少しづつ開けて置くから好い。」 　主人が起つて戸袋から戸を繰り出すと、二人の客が間々を一尺程づ つ透かして置いて戸を締めた。主客は一間を取り散らした儘にして置 いて、次の間に弔ってあつた蚊屋に這入つて寝たらしい。時計は一時 を打つた。 　八は籔から出て、皆の寝てゐる部星の外に来て、様子を融ゲてゐた。 八畳の間の方からば明かさしてゐるが、蚊星の弔ってある都星は真暗 である。初のうちは団扇を使ふ音がしてゐたが、暫くするとそれが止 んで、肝の声がして来る。主人のと靖顔の男のと、別々に問えるやう である。その多ちに小男の寝息も聞き分けられるやうになる。八は三 人の寝しづまつたことを知つた。 　籔の中にゐたときと、雨戸の外へ来てからとは、八の心持が少し違 ふ。八は余程臆病になつた。濡れ通った着物の下に汗が出て、殊に胸 の真中の筋をたらたらと流れ落ちる。藪の中では、熱くても、そんな 事はなかつたのである。 　併し八には早く家の中に遣入りたいといふ意忠は十分にある。そし て彼の意識の中で、最もはつきりした写象をなしてゐるのは、酒を飲 むことである。遣入りたいのは主として酒を飲みに這入りたいのであ る。同時に物を取らうといふ考が無いことはない。これは泥坊になつ たか易には、物を取らなければならないと思ふのであつて、余り取り たいのではない。酒の欽みたいのは猛烈なる本能である。物を取らう と思ふのは、物を取つて泥坊たる面目を保たねばならないといふ一種 の義務心に過ぎない。 　八は雨戸の外を手桶の置いてある処まで進んだ。八畳の問は障子を 脱した儘で、ランプも心を引込ませて此部屋に置いてある。その癖蚊 屋を弔って三人の寝てゐる六畳との堺の唐紙は締めてある。 　八は暫く寝息を覗つてゐたが、透かしてある雨戸の聞から、体を検 にして縁に上がつた。縁にゐる間に、若し誰か目を醒すと、蚊星の中 から見えるだらうと思ったので、八は急いで棋盤の傍を通って都星に 這入つた。籔の中の笹葉の上と、庭の苔の上とを歩いたのだから、足 は割合に汚れてゐない。只籔に濡れた痕が附いた丈である。 　八は先づ、麦酒の瓶が四五本、給仕盆二枚の上に並べであるのに目 を着けた。多分虚だらうとは思ひながら、手に取つて見たが、どれに も一滴も残つてゐない。次に棋盤の傍にあるコニヤツクの瓶を手に取 つた。これはまだ七八分目程這入つてゐる。八はそれを麦酒のヨツプ に一ばい注いで、一口ぐつと飲んだ。少し強いとは思ったが、咽から 下つて腹に落ち着くまで、ぴりぴりするやうな、温いやうな感しかし て、いかにも心持が奸い。八は大きいヨツプに一ばいのコニヤツクを 三口に欽んだ。三口目を飲んでしまふ頃には、もう体ぢゆうがぼかぽ かして来て、雨に濡れた絆纒から湯気が立ちさうな気がする。跡を瓶 からコツプに注ぎは注いだが、その儘にして置いた。一息衝いてから 飲まうと思ったのである。 　八はそろそろ集まつて来る蚊を払ひながら、部屋のうちを見廻した。 此位殺風景な部星は珍らしい。床の間には掛物を掛けずに、大きな砲 弾か二つ鯛腹である。其周囲には書物やら雑誌やらが乱雑に積み上げ てある。畏押には大きな額が掛けてある。八には読めないが、茎兀帥 の書で、「勵於九天」といふ四字である。机が一つ床の間の前に寄せ て置いてある。登をしない硯箱には、黒と赤とのインク童が割り込ん でゐて、毛筆もペンも鉛筆もごつちやに雌り込んである。原稿低らし い罫紙やら洋紙の方眼紙やらが積んである上に、三角定木と両脚規と が文鎮がはりに置いてある。その外には棋理と蚊迫の火入と、瓶や漬 物を入れた井の明いたのばかりで、別に何んにもないのである。 　八は雨戸の外にゐた時は、臆病げが立つてそはそはしてゐたが、今 は又気が落ち着いた。それには次第に利いて来るコニヤツクも手伝っ てゐるのであらう。膚級を一童隔てて、隣の都星に大の男の、しかも 軍人空二人寝てゐるのが、さほど苦にもならないのである。併し八は 藩ち着いてゐる中にもこんな事を思った。着し今あの人達が目を醒ま したら、どうするだらう。サアペルで切るだらうか。それともビスト ルで打つだらうか。それにしてもサアベルや何ぞはどこにあるだらう。 寝る処に持つて行ってゐるだらうかなどと思った。此想像は当つてゐ た。主人の荒川大佐は、軍服や軍刀はいつも寝間に置いてゐる。一体 は琵落な男なので、軍服なぞも脱ぎ散らかして置いて、細君が勝手に 片付けるのであつたが、或時ふいと感じたことがあつて、今では寝て も傍を雌さないことにしてゐる。今宵来て泊つてゐる端顔の安中大佐 も、小男の宇都宮中佐も、主人の流義が好いと云ふので、内でも人の 処に泊つても、服装一切は傍を雌さないのである。 　荒川が感じたといふのは、三十七八年役に、華天の会戦が済んで、 我軍が昌図附近に宿営してゐた時の事であつた。兵卒を倦ませないや うにといふので、ここかしこに芝居小星を掛けて、兵卒に芝屠をさせ る。荒川は或目用事があつて、小久軍の司令都に往つて泊ると、そこ にも芝居がある。タ飯が済んでから見に行った。寒い晩のことで、皆 毛皮などを着込んで見物してゐる。刀を弔って来てゐるものなんぞは 殆ど無い。そこへ小久大将が来られた。此人丈は軍刀を弔って来て、 見物する間も環丈脱して、傍に引き附けてをられる。これがひどく荒 川の気に入つた。荒川は甲越の戦争の頃の武辺話を聞いたことがある。 共中に攻侍が丸腰で隣家へ棋を打ちに蛎つてゐたとき、直嘩が姶まつ て、思はぬ不覚を取つた。跡で其享が上に問えて、職禄を召し上げら れたといふことがある。荒川はそれを思ひ幽して、軍司令官の心掛を 感じた。それからといふものは、荒川はどんな場合があつても軍刀を 竈すといふことはないのである。一 　八は軍人が目を霞まさなければ好いがとは思った。切らればすまい か、打たればすまいかと思ふのは、余り好い心持ではない。併しその 危険が自分の身の上だといふことは、八は余り切実に感じない。そん な事が有り得るとは思ふ。どうもそれ泌今にも起つて来るとは思はれ ない。 　八はコニヤツクが大分利いて来た。酒の好なものが、必ずしも酒が 強くはない。殊に酒欽は年を取ると酒が弱くなる躰の沖ある。八なぞ も三十前後まで酒が強かつた。四十近くなつて、好は好であるが弱く なつてしまつたのである。八は少し頭がふらつく。その癖咽が乾いて 飲みたいので、ヨツプに注いで置いたコニヤツクを一口飲む。それが 今度は強過ぎるやうに思はれる。八は傍にある湯沸かしの湯を割つて、 又一口飲んで見る。口当りが好いので、ぐつと飲む。時討が二時を打 つた。 　八は時計の晋に刺戟せられて少し醒覚したやうな心持がすると共に、 例の泥坊としての義務を思ひ出した。何か解”て行かなくてはならな いといふことを思ひ出した。そして又身の周囲を見廻した。併し別に 目に留まるものがない。八は此部歴より外の部星に行って見ようとい ふ程の気力はない。顔の筋が皆弛んで、火傷の痕の引弔の為めに、赤 んべえをしてゐるやうな目小どろんとしてゐる。彼は今何か取らうと 思ったのを、どうかすると又忘れてしまひさうになるのである。そ二 でこれではならんと奮発して、胡坐を掻いてゐる膝を両予で押へて、 肱を張つて、口の内で、「へん、人を馬鹿にしてゐやがらあ」といふ やうな事をつぷやいて、又身の周囲を見廻した。 　此時八は床の前に寄せてある机に引出が附いてゐるのに目を着け在。 彼は立つて、獺い体を机の前まで運んだ。立クた時は風拾にでも乗つ たかと思ふやうな心持がしたが、机の前に胡坐を撮くと、当前の心持 に戻つた。机は蚊母樹か何かで暑乗に出来てゐて、引出には真鎌の金 物が打つてある。それに手を掛けて引くと、すうと開いた。 　引出の中は、大部分は手紙の反古で填まつてゐる。封筒に這入つて ゐるのもある。這入つてゐないのもある。段文字のも雑つてゐる。絵 藁書も雑つてゐる。手紙の反古を少し掻き退けて見ると、一方の隅に は統図な漆塗の小箱がいくつもある。開けて見れば、中は皆虚である。 これは聰章の明箱であつた。反対の方の隅には、沢のある赤いやうな 木で拵へた、大分大きい箱があつκザ其上に銀の小さか瀬に、金で菊 の紋を附けたのと、緑いろの韓に鍬金物を取り附けた金入らしいもの とが、並べて聰せてある。これを見た時は、八の目が柑や庫いた。 　八は此の三つを畳の上に出して、先づ大きい赤い木の箱を開けて見 た。これには真録の種々な形をした道具が一ばい這入つてゐた。これ は昌ポ臣署巨の箱に入れた幾何学の道具であつた。それから菊の紋 の附いた銀の入物を開けて見た。これは巻煙草入れであつた。葉宮股 下が設旨甲Ｏ員で世話になつたからといふので、主人荒川に下さつ たのである。最後に八は金入らしい草の入物を開けた。初め手に取つ たときから・何かぢやらぢやらいふものが遣入つてゐて重いといふ二 と丈は分かつてゐた。八は何か分からないながらも、これに望を属し てゐたのであるｏ 　八が開けたのは金いれに相違ない。緑いろの革で四角に出来てゐて、 戯と蜷穣が処とは勿論、酎脇に附いてゐる鰍脇が装飾も、表の真中に 附いてゐる名の頭字のトの字も、音銀である。これば荒川が仏凹西へ 行った当座、物珍らしい最中に、巴里の町で買ったのである。口は入 違になつて銀の小さい玉を撮つて開けるやうになつてゐる。 　八は節榑立つた不器用な指で、此の玉を擾つて開けたのである。中 は壁のやうになって、物を入れる処がいくつも則来てゐる。そしてど こにも貨幣が二三枚づつ入九である。貨暗には大小色色あつて、多く は銀貨である。併しどれも見慣れた五十銭や二十銭や十銭ではないや うに思はれる。最も八の注意を惹いたのは、金色燦然たる、稍大いな る貨幣であつた。八はそれを見ると、もうこれさへ取れば奸いといふ やうな気がした。そして金入の中のものを、例の不器用な指で一つ一 つ撮み出して、腹懸に入れた。 　これで八は用事が済んで安心したといふやうな心持になつた。さて お神輿を上げようと思ったが、コニヤツクに湯ざましを割つたコツプ の、欽み千さずにあるのが目に着いた。どうもまだ未鎌がある。そこ でヨツプを取り上げて、又一口がぷ力と欽んだ。こん度は旨くない。 ど多も最初に呑んだ時のびりつとする昧の方が好いやうに思はれる。 八はそこにある小さいコツプに瓶かるコニヤツクを注いで、生の儘で ぐいと欽んだ。今度は腹まで染み渡るやうな心持が、何とも云へない 程好かつた。 　此時さつきの引出し調の時に緊張させてゐた神経が一時に弛んで、 八はひどく体がだるいやうに思った。そこで左の手を畳に衝く。始終 気にして聞いてゐる隣の都屋の肝が次第に遠くなるやうに思ふ。左の 肘を衝く。上瞼が重くなる。八は寝てはならないと思ふのと、蚊に蜜 されるのとで、塞がる目を強ひて開く。上瞼が又重くなる。又強ひて 目を開く。こんな風に何度か目を開いたり塞いだりしてゐるうちに、 時としては暫くの間本当に眠つて、隣の都星の肝が丸で問えなくなる こともある。そんな時には自分の咽から肝が串さうになるのと、蚊が ひどく替すのとで、ぴつくりして目を開くのである。 　ト墨童Φ胃竃８の書いたものの中に、難船に逢った船頭が、海に 背中を震はしてゐる鯨に騎つて、鯨の背の上で博突を始めたといふ話 があつた。八の転寝は鯨の背で打つ博突にも負けないかも知れない。 　八はこんな風で彼此三十分もうとうとしてゐた。其間に時計が三時 を打つたのをも、八は知らなかつた。軽寝といふものは、少し為ると 一時は存外精神を恢復させるものである。八はふと何物かに驚いて目 を醒まして見ると、もうねむたくはない。鶯いたのは、多分饒の郁星 に寝てゐる軍人の一人が墜語でも雪つて、寝返でもしたのであつたら え目が醒めて見れ胆八鐘ると童はず長っ蓼を見てゐたの であ％ポ曜めた時は鑓に夢の最中であつた。何でも平坦伸の悪い熊と いふ為事餉に困らせられてゐた。どうした識だつたか知らん・さ参さ う。さつき敢つた金貨と銀貨との事を言ひ合ってゐた。さうだ。熊に 唱車の代を借りてゐるのを催促せられて、いつもの歓び手を腹掛に鴛 込んで、銅貨があつたと思って掴んで出した。ところが楓み出したの が、さつきの金であつた。その時ひどくぴつくりした。熊は妙に目を 光らせて自分の顔を見て、「がうぎな物を持つてゐるなあ」と云った。 そこで何と云はうかと思って、ひどく困まつたとき、何かに驚いて目 が醒めたのであつた。八は殆ど無意識に腹掛に手を突込んで、貨幣が あるか帖偲つていぢつて見た。腹掛も絆纏もさつぱりと乾いてゐる。 貨暗は瞳に有る。手当り放題に一つ撮まんで出して見ると、さつきの 光る金貨が出た。大さば一銭銅貨程あるのである。八は思はずにつこ りした。 　八は精神がはつきりしたので、外の方を見ると、もう少し明るくな りかかつてゐる。雨はいつの間にか止んだと見える。八は立ち上がつ た。もう頭もふらつかなか。急に怯が出て、出来る事なら、飛んでで も逃げたいやうに思ふ。心が燃えてしまつて、消えさうになつてゐる ヲンプを跡に残して、八はそつと雨戸の聞から出た。 　暁の冷い空気が顔を撲つ。臭橘の垣の蜘蛛の紺に留まつてゐる雨の 雫地ボ矢張真珠のやうに光つてゐる。藪には低い融が漂うてゐる。八 は身採をした。そして小便が出たくなつたが、それどころではないと 思って、這入つ快時の道を表門の方へ廻つた。暗孤脱いで置いた下駄 がその儀ある。穿かうか、持つて行かうかと一寸考へて、穿いた。厩 には馬が足をこ延こと言はせてゐる。別当都星を覗いて見たが、別当 はゐない。馬の糞を棄てる傭があつたので、八はそれに小便をし次。 余り遠くない処を、荷葦を挽いて話をしながら通るのが問える。献へ 　八は漕㍑外の往来に気を着けてゐたが、此蜘が外を通るものはない、 そこで潜門に手を掛けた。其時潜門はだしぬけに外から開けられて、 中へ這入る男がある。八と英男とはぴつたり顔を合せて、初の一瞬間 は亙にあきれて黙つてゐた。這入つた男は別当で、これば隠れて新隊 へ往つたの■で、二三町先からば、抜足をして帰つて来たのである。別 当が日を切つた。 　「手めえば何だ。」 　小声である。 　八は別当の手池るい様子を見て、摩り抜けて潜りの外へ出ようとし た。別当の手は提げてゐた傘を殆ど無意識に投げて、八の鶴を鐵まへた。 「泥坊。」 　こん度は大声である。 　二人は取組合った。八は酒で体を悪くしてからば、余グカが出ない。 又別当太吉も、色の白い、鼻と額骨と聰とが顔に四箇の突角を形づく つてゐる男で、これも余り強くはないρ併し犬でも喧嘩をするときは、 主人の邸にゐる方が強くなる。別当は潜りの戸を背中で押へて、両平 で八の臂を担まへて放さない。そして又大声㍗叫んだ“。 「旦那様。泥坊です。泥坊が這入りました。」 　初め太吉の泥坊と云ったのを、麦回に近い四畳半に寝てゐた臭さん が聞いて、沃つと主人の処へ書ひに征つた。主人は起きて慰剛を見廻 はしたが、傍にある軍刀を取らずに、運動のために振ることにしてゐ る木刀のあつたのを持つて、玄関に出て来た。二人の客は・皆激階ヂ の儘ではあるが、てんでに軍刀を持つて主人の後に続いた。三人が玄 関に出たのは丁度太吉が二度目に叫んだ時であつた。 　荒川大佐は組會ってゐる二人の様子を見た。賊らしい男は兇器ポ何 も持つてゐない。それにちつとも抗抵するやうな様子が見えない。蒐 川は張含がないといふやうな顔をしてかう云った。 「◇、い。ナ丈美だから放して迫れ・。」 　太吉は手を放した。八はその儘そこに踵つてしまつた。 　矢張潜戸を背中にして、手持無沙汰に立つてゐる太吉に、荒川はか う表つた。 「何を取つたのか。お前の処へ這入つたのか。」 「へえ。」 「へえぢやあ分からん。どうして担まへたのか。」 　太吉は頗る窮した。 「へえ。あの何でございます。わたくしが外から這入つて来ますと、 こいつが出ようとしてゐましたので、わたくしと鉢合を致しましたの で。」 「何だ。又新宿へ行ったのか。けしからん奴だ。それでは其男が物を 取つたかどうか、お前も知らんのか。」 　此時臭さんが出て、主人にかう云った。 「あの、只今調へて見ましたが、お机の引出にありました西洋の貨幣 がございません。その外には、なんにも無くなつた物はございません やうでございます。」 「さうか。」 　主人は可笑しさを蒸へるといふやうな様子で八にかう云った。 「おい。お前は机の引出にあつた金を取つたのか。」 　八はもう逃げられないと諦めてからば、頗る平気でゐる。腹患に這 入つてゐる貨幣を隠さうなんぞといふ気は少しもない。それに荒川の 四角な大きい顔で、どこか余裕のあるやうな処が、八には初て見た時 から気に入つてゐて、跡から附いて来て盗みに這入つたのも、一部分 は主人が気に入つた為だと云っても好い位である。今別当の夜遊に出 たのを真面目な顔で叱つて・自分に盗んだ物の事を問ふときには、何 の辮だか知らないが、敢㌘郊蝕を秘附てゐるやうなのを見て、八はい よいよ主人が好になつた。そこで行きなり右の手を腹鐵に突込んで、 七八枚の貨幣を一握りに握つて、土の上に出して、主人の顔を見てか う云った。 「旦那。済みません。」 　八の顔は右の外砒に大きな引弔があつて頗る醜い。それに彼のこれ 迄に経験して来た、暗い、鈍い生活が顔に消されない痕跡を印してゐ る。併し少しも陰険な処は無い。、これを見てゐる荒川の顔はいよいよ 晴やかになつたｏ 「お前は始て泥坊に這入つたのだらう。」 「へえ。始てでございます。」 「そんな事だらう。もう泥坊なんぞをしては行かんぞ。」 　安中と宇都宮とは、八の出した貨幣を見に出て来て、。八に対しては 何の書戒もせずに距んだ。八は勿論害戒を要するや多な態度をしては ゐないのである。太吉は八の頭越しに展放腰になつて覗いてゐる。安 中は主人にかう云った。 「皆外国貨幣だな。」 「さうだ。洋行した時に集めたのだが、吊◎■邑や二十軍彗８や二 十旨腎斤のやうなものは、入用な時に両換をして使ってしまつた。 それでそんな詰まらない銀貨ばかり残つてゐたのだ。」 「それでも一つ黄いろいのが交ってゐるぢやあないか。」 　貨幣を手に取つて見てゐた宇都宮が笑った。 「はゝ㌧ゝ。黄いろいには相違ないが、これは只の撃■ですよ。」 　主人も一しよになつて笑った。 「はゝゝ㌧。確にω９だ。大枚五〇①き巨＄だ。余り新１しぺて統図 だから取つて置いたのだ。遣はずに置くと、何時までも統度でゐるも のだなあ。」、 　宇都宮は憎報掛で、外国新聞を見てゐるので、こんな事を着つた。 「それでも仏蘭西では銅貨を廃して、小さいト旨Ｂ巨巨昌にするな んといふ噂があるから、今にω§も珍らしい物になるかも知れませ ん。」 安中は西班牙の弔冨冨−や葡萄牙の弓◎答８を宇都宮に見せて問 うてゐる。 　八は何の事だか分からずに聞いてゐた小、黄いろく光つてゐるのが 金貨でないといふことだけば分つた。そしてそニヘ出してしまつた物 ながら、失望に似た一種の感をなすことを禁じ得なかつたのである。 　太吉は天晴気を利かした積りで主人に言った。 「旦那。此奴を巡査に渡してしまひませうか。」 　太吉を見る八の目は輝いた。 　荒川は別当に、「余計な享を言ふな」と云って、八には、 「お前は好いから行け、泥坊なんぞになるものぢやあないぞ」と云っ た。八は黙つて、お辞儀をして、太吉を尻目で見て、潜門を出て行っ た。 　近処の家で・雨戸をがらがらと繰り明ける音がして・続いて嚇跳が 声がした。 （明治四十二年九月）