灰燼 鴎外 壱  節蔵は久し振に朝早く内を出た。暑い盛の八月の空かゆうぺから暴 風を催してゐる。半分青くなるかと思へば、忽又灰色に鎖されて、 その中薫み掛かつた雲がちぎれくに飛んでゐる一纏薯欝町と 葉書に印刷してあつたが、護国寺からどの位の距雌があるか分からな いので、指ケ谷の内を出て、三田行から大塚行の電車に乗り換へるの をよして、白山下で車を傭つた。  小石川区の片隅柁、狭い町から狭い町へと、横に斜にダ澄つたり降 りたりして、車を挽いて行く五十近い男の、日に焼けた項には汗がに じんでゐるが、夙があるので、乗つてゐる節蔵は暑くはない。片町か ら降りる坂の中途の、自分の住んでゐる小さい家にぢつとしてゐるよ りは、却て涼しいのである。  節蔵の頂維砒時なんにも考へてはゐない。自分がかうして車に乗つ て行くのは葬に行くのだと云ふことをも考へない位である。町続きの 蓬驚ば、それぺ駕売をしてゐる店を餐味に見て通る。謹 と煉瓦塀との間の、殆ど人力車をかばすことのむづかしいやうな処を 通ることもある。二一週前の大雨に崩れた道の、まだ修熔してない所 がある。四辻に交番のある前を通る。仔細らしい顔をした白服の巡査 が、節歳の顔を高慢らしく見たが、節戊はなんとも思はない。かう云 ふ時、気の毒な奴だと思ったのはもう余程前で、馬虜奴がと思ったの はそれより又ずつと前であつた。そんな反応は節蔵の頭に起らないや 、フになつてから、もう久しくなる。 曲り曲つて、とうく大塚仲町の狭い遺から大通り一出て、それを 検切つて、ちよいとした坂遺を誕国寺の前へ降りた。新聞で此寺の移 転の事を読んだので、どうかなつてゐるかと思って見たが、これまで と変つた様子はない。手前の方の豊島岡の御墓へ行く道の正門は締ま つてゐて、一人の印絆纒を着た男が通用門の内を掃除してゐた。  護国寺沁ら先きは人に道を聞き〃行く。低い崖の下の廃星のやう な建物が紙漉塲になつてゐる辺を通る。崖の上には立ち腐れになつて、 柱ばかり繊汐てゐ。吟沙家があつて、その周咽の芝生に翻れ種から生え たらしい南瓜が、撞に大ぷ大きな面積に這ひ広がつて、大きい黄い ろい花が誇りがに咲いてゐる。  又少し行くと、狭い道の右側に鐙星が一軒あつて、左側の大ぷ広い 畑へ、植林の試験でもしたやうに、規則正しい距離間隔を置いて、何 の木か知らぬ縦、苗木を栽ゑ附けた処がある。それがけさの強い夙に、 皆往来の方へ靡いて、所々に折れたり倒れたりしたのがある。  それから又人家の軒を並べた所へ出て、少し行くうちに、趣灘に墓 のあるのに気が附いて見ると、右へ曲がる小道の角に、小さい木札を 立てて、本立寺と書いてある。こればけふの葬に来る人の為めに、わ ざわざ立てた乗の札である。旭出町と云ふのは此辺であつたと見える。  そこから曲がって見ると、疎に立ってゐる杉の木の間に、ずっと先 蛇切肪まで、長方形の切石を一列に敷いた遺があ拓ゼ葬の為めに急に 道普蓼したらしく、なまくしい木の枝が電水溜り畠し掛けて ある。丁度軍隊が漬習をする時、砲車や軸亘を通す為めに、士兵が急 に直した遺のやうに見える。  無理にこんな道を車に乗つて這入らなくても好いと思って、節蔵は 車から降りた。高い杉の木立に掩はれて、薄湿りを帯びてゐる遺の苔 が、葬の前に急いで、乱呉に掃除した為めに所々斑に釧げて、赤土を 露はしてゐる。節蔵が靴で敷石の上を踏んで行くと、車夫は遺の平な 処は敷石の傍を通り、少しむつかしくなると、車の両輪で敷石を挾む やうにして通って、跡から附いて来る。  山門近くなると、右手に南無妙法蓮華経と彫つた石柱が立つてゐる。 車夫はそこに車を置いて、汗を拭く。節蔵は門を這入りながら、中の 掌を見た。中はなかく広い。本堂の階段までの間には、高の苔 に掩はれた、広い庭がある。その上を風が新に落ちた木葉を戯のやう にあちこち吹養廻してゐる。本堂は障予が締め切つてある。その右の 方の玄関に机を据ゑて、二三人の男が会葬者を待ち受けてゐる。節蔵 は玄関先きまで行って、その男達の顔を見たが、机に向って据わつて ゐる、若い書生らしい男も、背後に立つて何か話してゐる、中年の男 達も、皆知らない顔ばかりであつた。それでも節蔵は此の人々に声を 掛けた。 一まだなかく来ますまいなあ。一出棺午前七時と書いてあつたので、 節蔵は七時を聞いてから内を出て来た。そしてここまで来るには四十 分以上は掛かつてゐる。併し葬は原宿から出るのだから、二時間位掛 かるだらうと思ってゐるのである。 「さうですね。二時間ではどうかと思ってゐます。」かう答へたのは 立つてゐた四十恰好の男である。痘痕か、それとも当前であんなのか と惑はれるやうな、太つた顔をして、紺飛白の単物に紹の羽織を着て、 懐中をふくらませてゐる男である。 「なる程。随分果から果ですからね。」節蔵は愛相撮くかう云って、 時計を出して見た。 「わたくし共は四時に起きて出ました。」紺飛白の男はかう云って玄 関を降りて、ぶら/\山門の方一出て行った。  節蔵は玄聞から檐下に沿うて、本堂の正面に来て、階段に登つて縁 側に腰を掛けた。  今腰を掛けてゐる処から宥の方、玄関のあるのと反対の方角は墓地 になつてゐて、いろ〃な形の石塔が並んでゐる。その間々はかなめ  ぞわ つてあつて、津踏婆の古いの土漸↓かの辿が、つ沈い島力こ  苔の附いた庭の上では・矢張風が木薬を弄んでゐる。それが沢山の 葉ではない。吹きちぎられた梧桐の葉や櫛の葉の十枚か二十枚かが、 広い庭の上をあちこちと吹きまくられて、がさ〃鳴つて奔つてゐる のである。 ま萎かく会奪が来さう蓬様はないので節蔵は書生の持つや うな毛縞子の袋から、一折の紙に書き掛けてある物を取り出して、万 年筆で何か書き出した。一行書いては膝の上に肘を衝いて庭に舞って ゐる木蕃見る。暫くすると、又一暮く。かう云董にぽつく書 き続けてゐる。  暫くかうしてゐるうちに、本堂の背後の方から、腹掛の上に絆纒を は書た、十ばかりの男の子がちよろくと出て来て、初は遠く離れ て節蔵の様子を見てゐて、次第に少しづゝ近寄って来た。そのうち雨 滴落に植ゑである麦門冬の中から実生の桑の一株が二一二本のしなやか な枝を差し伸べてゐる処へ来た。そしてその葉に婆蛛の止まつてゐる のを見附けて、手をそつと伸ばして掴まへようとした。喫蛛は庭の苔 の上に飛び降りた。男の子は抜足をして再び覗ひ寄った。壌蛛は又飛 んだ。一飛に一間位飛ぶので、子供が二三度掴まへようとして逃がし てしまふうちに、婆蛛は墓の問へ逃げ込んで、見えなくなつた。壌蛛 が逃げてしまふと、子供は又節蔵の方へ寄って来た。少しづゝ近寄っ て様子を見て、そろ〃足を運んでゐる。とうく節蔵の腰を掛けて ゐる傍まで来て、物珍らしげに節蔵の身のまばりを見はじめた。  此子供が丁度寄葛けに近寄って来る狗が、初め大きい圏をかいて 廻り、段々小さい圏をかいて逼つて来るやうに、とうく袖に触れる までになるのを節蔵は知つてゐて構はずにゐた。その態度が子供の撮 舞を見てゐたと云ふよりは、子供の振舞が目に映ずるに任せてゐたと 云ふやうであつた。  子供は近所の貧しい家の子であるか、寺男か何かの子であるか、着 ‘ゐる将oも腹卦も磯年か前に吐地ゆ祭礼o持化でも拵くーて坦りたも 色になつて、それがところ%\よごれてゐる。腰か参下は索肌で、日 に焼けて真つ黒になつてゐる。顔はどろんとした目附をして、口を大 きく開いてゐる。  子供は暫く節歳の身のまばりを跳めてゐたが・とう〃何かに障つ て見たくなつたと見えて、節蔵が脱いで板縁の上に置いたバナマ帽に 手を掛けた。秦よりどうもする積りではない。只いぢつて見ようとし たに過ぎない。  その時節蔵は万年筆の手を停めて、子供の方へ正面に向いて只一目 子供の顔を見た。併し此時の節蔵の顔は余程恐ろしかつたものと見え て、子供は行きなり差し伸べた予を引つ込めて、二一二歩跡へ下がつた。 そして不思議な物でも見たやうな、あつけに取られたやうな顔をして、 もう子供に構はずに、物を書いてゐる節蔵の横顔を暫く見てゐたが、 しまひには墓易の所に、こなひだの暴風に倒れた杉の木が引き切つて 置いてあるのに腰を掛けて、何か口の内で言ってゐるかと思ふと、鼻 歌を歌ひ出した。  風が矢張庭の木葉を弄んでゐる。その外山門の内はひつそりしてゐ て、節蔵の物を書く邪魔になるものが無い。こんな風で余程の時間が 立つた。  その内本蛍の背後の方から、白地の湯椎子を着た男の子が又一人出 て、黙つてさつきの絆纏の子と並んで杉の幹に腰を掛けた。それと同 時に山門の外に人力車が留まつて、会葬者が一人玄関の方へ行った。  それからば会葬者がぽつ〃遣って来る。杉の幹の周囲には子供が 集まる。中には子を負うた上さんが交って来て、話をし合ってゐる。 一人の子供が杉の木の上を綱渡をするやうに歩いて、滑り落ちたのを 見て、赤子を負ってゐる一人の女が、今一人の女にかう看ふ。「あの 通りですよ。為立卸しの着物でも、ぢきに台なしにするのですから、 張合がありません。」相手の女が返事をする。「いゝえ。わたしとこの なんぞも右んなじ事ですよ。」その癖今泥を附けた湯惟子は為立卸し らしくはなかつた。  杉の木の切り倒してある上へは、大きい扁柏の下枝が掩ひ被さるや うに垂れてゐるのに、一人の子供は手長猿のやうに弔り下がつて、そ の枝をゆすつてゐる。丁度木のいたゞきを夙がゆすると同じやうに。  この杉の切り倒してある辺に集まつて来る子供や子供の親は、 }章①§と云ふ獣のやうに、葬の時の施しに逢はうと思って来たのだ 参う。それでも子供に為立卸しの着物を着せると云ふ、夢のやうな話 をしたがるのである。  会葬者は次第に多く来出した。二一二人山門を一しよに這入るやうに なる。次いで引切りなく来るやうになる。遠方から出た葬の為めでも あらうか、大抵男ばかりで、極稀にお婆あさんが交って来る位のもの である。  会葬者の大部分は玄聞から上がる。下足番が木札を渡して、靴や下 駄を預かる。書生のやうな男が玄関に通らずに、庭をぷら附いて墓地 に這入つて、誰やらの墓の前に据ゑである石の手水鉢に腰を掛けるの もある。  併し本堂の正面の縁側は、節蔵が早く占有してゐたので、誰も敢て 来て争はない。それでも寺内が次第に騒がしくなつて来て、物を書く ことも出来なくなつたと見えて、節蔵は紙を袋の中にしまつて、山門 から玄関へ歩いて来る人の様子を無意味に眺めてゐる。  もう九時半を過ぎた頃であつた。節蔵が腰を掛けてゐる縁側の背後 の障子が開いて僧が一人出て来て、玄関に寄った方の縁側の隅に弔っ てある鐘の下に立つて柱か参撞木を脱して手に持つた。節蔵が振り返 つて本堂を見ると、向って右が会葬者席になつてゐて、そこにはもう 人が一ぱい這入つてゐた。その並んでゐる人の顔をざつと見渡したが、 縁側から見えるあたりには、知つた顔の人はなささうだつた。  節蔵の頭にはこんな事が浮かんだ。已がけふ葬られる谷田の爺いさ んの内を出てから、もう八九年になる。あれから爺いさんは官吏を罷 めて実業家になつたが、大した失敗もせぬ代りに格別成功した事もな いらしい。その間あの一家は已と全く没交渉な生活をしてゐたのだか ら、けふの葬に立つ人に矧つた顔のないのも無理はない。まあ、こん な事である。  併しざつと集まつてゐる人を見渡して、眼を転じようとした時、須 み だん 弥壇の前の中通りの、僧侶の為めに明けてある処に面して据わつてゐ る、第一列の会葬者の一人がなんだか見覚えのある顔らしく思はれた。 そこでさう思って、又振り返つて見直したら、黄ばんで敏の寄った、 五十余りの男の顔に、なんの知人らしい処もなかつた。  節蔵は馬鹿らしく思って、目をそらした。その瞬間に敏の寄った顔 の持主は、袴を引き摩るやうに穿いた、背の低い身を起して、こちら へ歩いて来た。その起ち上がつた顔を見て、節蔵は直ぐに又さつきの 昔馴染らしい感しかして来て、こん度は「あ、牧山だつた」と思った。 その時になつて分かつたが、前に知人らしく思ったのは、隣席の人と 語してゐて笑った表情が記億に残つてゐる表情であつたので、それが 笑ひ歌むと同時に牧山は四十代の時飼ってゐた節蔵にはもう認識の出 来ない程い緒いて改まつた仮面に戻つたのであつ献。  牧山は笑顔をしながら縁側に出て来て、節蔑の傍へ来てしやがんだ。 そしてかう云った。 「山口君暫くでしたね。あなたば相変らずお盛んな様ですが、兎に角 大ぷ御様子が変つてゐるものですから、髄かにさうだと分かるまでに、 ちよつと手間が取れましたよ。実は葬儀を取り扱ってゐる連中は、皆 あなたの事を忘れてしまつた人や、丸で知らない人だものですから、 右知らせも洩れる所であつたのを、わたくしが居合せて、是非あなた にお知らせしなくてはならないと注意して遣りましたよ。なに。番地 ですか。それはすぐ分かりました。あなたの右書きになつたものがい つも出てゐる新聞の編輯局の番号で問ひ合せましたよ。わたくしはも う年が寄ってむつかしい物は読みませんから、薪聞に出るあなたの書 き物も実は拝見せずにゐますが、それでもお名前が出てゐる度に、鶴 かしいやうな気がいたしましてね。」 〜ぐ,わらひ 敬笑をした。  「それはどうも御親切に難有う。こざいました。病釘はなんでしたか。」  「卒中ですよ一」  「もう幾つになつてゐましたかなあ。」 「わたくしより四つ上でした。丁度五十九です。」 「併しあなたばまだお丈夫ですね。」 一いえ。どういたしまして。もうそろく轟し掛けてゐ妄。一  かう云って置いて、牧山は起つて自分の元の席へ帰つて行く。背後 から見ると、青み掛かつた薄羽繊の裾と、緑色の細かい竪縞の袴の裾 とが、殆ど同じ線にある。小男が膝を屈めて歩いてゐるからである。  入違へに最初の玄関で話をした男が外から廻つて来て、階段の下か ら、もうそろく嚢着き言だから、本堂一上がつてくれと葦た。 節蔵は帽を取つて被つて、玄関に行って見ると、もう上がる丈の人が 皆上がつた跡なので、がらんと明いてゐて、使ひ余した下足札が十枚 ばかり隅の方へ片寄せてあつた。  本堂に這入つて、会葬者席の一番背後に壁を背にして立つてゐると、 さつきの太つた男が、前の方が明いてゐますと云った。なる程須弥壇 に近い処に、何か身分のある人らしいのが据わつてゐて、その傍へは 誰も遠慮して寄り附かないと見えて、そこが大ぷ広い空庸になつてゐ た。その外はきつしり人で詰まつてゐる。  節蔵は無遠慮につか〃とその窒席に這入つて行って、手に持つた 帽と袋とを傍に置いて、楽に座を占めて、薄暗い本堂の中をあちこち 見廻してゐた。  そのう方葬が着いた。廊下に立つてゐた僧の撞く鐘の音と共に、枢 は本堂へ舁き入れられた。そして向側の親族席には、谷田家の一族が 居流れた。一番上席に据わつた、けふの喪主谷田次郎は節政が一度顔 を見たことのある男である。併し次郎はその時はまだ野川氏を名告つ てゐる文科の学生で、谷田家の人ではなかつた。次郎が年を取つた母  。、 れに、 た阻 sあるの忙、、偏[ になつても狩 いと承諾して、けふ媒に連れられて会ひに来ると云ふ日の事であつた。 それより二年ばかり前に国から出て、谷田の玄関に置いて貰って、三 田の葉学校へ通ってゐた節蔵が、初と云ふ女中に、「お前なんぞは掲 さんが見たからうが、僕は見たくはないし、こんな日には余計な人間 がゐると邪魔だから、散歩でもして来よう」と云って、薩摩下駄を引 つ掛けて、門口から出ようとする処へ、差挽の人力車が二台門に挽き 込まれた。その跡の方の車から降り立つた、襟にしの字の記章の附い てゐる大学の制服を着た次郎が顔を、節蔵は一目ちらりと見た切で出 て行った。それから谷田の一人娘のお種さんと・次郎との結婚の式が、 僅か十日ばかりの後に挙げられた時には、節蔵はもう谷田の家にはゐ なかつた。節蔵は九年前に、はにかんで、手持無沙汰なやうな様子を して車から降りた次郎が、今はすつかり男らしくなつて、多少世間の 風波にも操まれたものか、眉間に三二本の深い妓が出来てゐるのを、 暫く見てゐたが、向うでは節蔵を金く知らないと見えて、一度偶然出 合った次郎の視線は、すぐに外へ逸れてしまつた。  次郎の傍に、髪を草たばねにして、白無垢を着て、小さくなつて据 わつてゐるのは、お種さんである。本蛍へ傭向いて歩いて這入つて、 傭向いて据わつて、視線を始終膝の上に落してゐて、節蔵の方などは ちつとも見ない。節蔵の谷田の家を出た時に、お種さんは十六であつ た。新坂町の活花の師匠の所で、お種さんと稽古友達になつた赤坂の お酌が、あんな美しい右嬢さんはないと評判したのが始で、車で見附 上の華族文学校に通ふのに、途中で行き逢ふお酌や若い芸者が、「あ れが谷田さんの右嬢さんよ」と知らせ合って、今では皆知つてゐると 云ふことであつた。今は二十の上を五つ越して居る筈である。たつぷ りある髪の底に、真白な小きい顔が埋もれたやうになつてゐて、なん となく陰気で昔の薄い乳硝子を隔てて、健康な血の循つてゐるのを見 るやうであつた、元気の好い顔とは似ても附かないが、傭目になつて ゐる面ざしには、矢張不断使ふには借しい器のやうな感じを人に起さ せる、いたくしい美し墓あつた。節蔵の視篭一次郎の顔には一 度暫くの間注がれてゐた切であつたが、此顔の上にはそれよりは適に 久しく留まつてゐて転じて外の人を見た後も、又してはこゝへ戻つて 来るのであつた。  お種さんの袖に、体が半分隠れるやうにして、その膝にぴつたり食 つ附いて鋸わつてゐる九つか十ばかりの、髪を右下にした娘がある。 これが結婚後間もなく、月も少し足らずに生れたので、弱くはあるま いかと、家内中が心配したが、存外無事に育つた子で、それより後に は、どうした事か、次郎夫婦の間に子がないのである。それで節蔵の 全く知らない谷田家の家族は、このみな子さんの外には、まだ殖えて ゐないのである。  その外親族席に並んでゐる人の中には、節蔵のゐた頃にも往来して ゐたのがあるかも知れないが、大ぷ年が立つてゐるので、節蔵は一つ も識つた顔を発見しなかつた。牧山の爺いさんの話に、葬儀の世話を した人達は、誰も節蔵を知らなかつたと云ふことだから、或は節蔵が 玄関にゐた当時に見知つてゐた顔は、実際無いのかも知れない。  僧侶が出て来て、住職は真ん中の机を構へて据わり、その他は二列 に並べである机の前に、それそれ据わつてしまふと式が始まつた。僧 侶の骨相も、手でしてゐる為草も、口に唱へてゐる詞も、荘厳なやう な趣は少しもない。葬儀星に傭はれた人足が枢を昇いて歩いて来た心 持と、びかぴかする袈裟を纏った僧侶が、今手を動かし舌を鼓してゐ る心持と、恐らくはなんの択ぷ所もあるまい。節蔵は一頃かう雪ふ光 景に対すると、行きなり飛び出して、坊主頭を片端からなぐつて遣り たく思って、それを我慢するのに骨の折れた事がある。それから後に、 又一頃こんな様子を見ると、気が苛々して、それがこうじて肉体上の 苦痛になつて、目を瞑り耳を塞いでも足りなく思って、集まつてゐる 丈の人に皆顔を見られるのも構はずに、つと庸を起つて遁げて帰つた 事もある。それが今は平気で僧侶のする事を見てゐられるやうになつ てゐる。節蔵は人足が土や石をかつぐと同じ心持で枢をかついでゐる のを見て悟然たるが如くに、僧侶が器械的に引導をしたり回向をした りするのを見て借然としてゐるのである。  丁度節蔵と向き合って、親族席を背にして据わつてゐる、二十ぱか りの僧が、外の僧と声を合せて経を読んでゐる。物欲しげな、何物に か笹だしく餓ゑてゐるやうな、蒼白い、頬のこけた、長い顔が、口を 円く開いてゐる。菩く揃った、真つ白い歯が、上下とも殆ど皆露れて ゐる。雨璽拍子に読む経の文句と共に、上勝と下膠とが開いては又合 ふ。此僧は経を燈んでゐる。そのかちかちと打ち合ふ歯の音が、蓄音 器の肉声に伴ふ雑音の如くに、微かではあるが、まぎれなく問えてゐ る。節蔵の官能は稍久しく此僧の歯に集注せられてゐた。節蔵は一種 のき一ξ泳を以て此歯を見、此歯の音を聞いてゐた。  そのうちに焼香が始まつた。最初に次郎が立つて行った。その次は、 それまで一度も顔を挙げずにゐたお種さんで、傭向いた儘立つて、傭 向いた儘みな予の予を引いて歩いて行った。  お種さんが娘の世諸をして、一しよに焼香をしてゐる最中に、牧山 が席を起つて、背中を屈めて、抜足をするやうにして、会葬者の並ん でゐる前を通って、節蔵の傍へ来てしやがんだ。 [切角右出になつたのですから、ちよつと谷田さんに御紹介しませう か。なかなか好い方ですよ。」 「さうですね。僕は御紹介を願っても好いのですが、今遣って行って も好いのですか。」 「好いどころぢやありません。親類の焼香が皆済むまでには大ぷ時間 があります。それが済んで、会葬者の焼香になると、もう雑沓して駄 目ですからね。」 「ぢやあ行きませう。」  此対護は倣しさうな小声で交換せられた。そして、牧山が先に立つ て又背中を屈めて、こそこそと須弥壇の前を検ぎつて、向側へ行くと、 その跡から節蔵は、仏壇にも住職にも遠慮はしないと云ふ風で、真つ 直に立つて、脇目も振らずに附いて行った。二人の近づくのを見て、 いた。 「山口さんです」と、牧山が云った。 「は。さうでしたか」と、次邸は節蔵の顔を見た。 「山口節蔵です。お父う様にはいろ〃お世話になつたものです。此 度は御愁傷で。」 「えゝ。まだ元気だつたのですが、湯殿で倒れて、それつ切でした。 ぴつくりしましたよ。」  次郎は無邪気な顔で、隔怠のなささうな物の言ひやうをする。そこ へみな予の手を引いて、力なささうな様子をして、お種さんが戻つて 来た。括種さんも不審さうに牧山を見て、その目を節蔵に移したが、 忽ち非常な感動を受けたものらしく、血の気の少かつた今までの顔が、 一層蒼くなつて、唇まで色を失って、金身が震傑するのを、哨嗟の間 に、出来る丈の努力。を意志に加へて、強ひて抑制したらしかつた。そ して目を大きく腰つて、節蔵の顔をぢつと見て、元の席に据わること を忘れたやうに立つてゐる。み李は母親がぷるくとした時、不意 に強く手を引き寄せられたので、驚いて母の顔を見て、本能的に母の 視線を辿つて、同じやうに大きく目を腰つて、これも節蔵を見てゐる。 節蔵はお種さんの燃えるやうな怒の目と、「母あ様をびつくりさせた、 あなたば誰なの」とでも云ひさうな、娘の驚の目とに、一斉に見られ ながら、膝を衝いた儘に親子の女と顔を見合せてゐたが、自分の顔の 筋肉は些の頭動をもしなかつた。併し三人の間を支配してゐた、この 不思議な緊張は、僅に二三秒継続したのみであつたので、次郎も牧山 も、お種さんの心の内に、どんな種類のどれ丈強い感動か生じて滅え たかと云ふ、その過程を十が一も、百熔一も感ぜずにしまつた。右種 さんはしとやかに元の席に据わつて、みな予を傍へ引き附けてゐた。 「山口です。暫くでした。此度は御愁傷で。」節蔑は省種さんにかう 云って置いて、お種さん那なんと云ふことも出来ないうちに、こんな 場合に返事なんぞを予期してはゐないと云ふ風で、つと起つて、来た 痘へ引違した。一 「どうぞ忌明になつたら、お話に」と、次郎が背後から云ったので、 「難有う、いづれ」と、撮り返りながら節蔵は答へたが、会葬者席の 方へ帰つて行く歩度は緩めなかつた。  親類の重立つた人達の焼香が済んだと見えて、親族席の側にまだ半 分位人が残つてゐるのに、世話人らしい人が二一二人会葬者席へ来て、 かの一人離れて据わつてゐた人の前に行って、会葬の礼を言って、焼 香を勧めた。それから一同に同じ挨拶を繰り返した。 一  特別な挨拶を受けた男の焼香に立つて行く時、節蔵はその男の薄羽 織に、或る名高い大名華族の紋の附いてゐるのを見た。これば亡くな つた谷田の爺いさんの旧藩主が代拝をよこされたのであつた。素と節 蔵が国から出て、谷田の家に置いて貰ったのは節蔵の祖父と谷田の爺 いさんの父とが、常府同士で、江戸で非常に懇意にしたと云ふ、古い 縁故があつて、明治十五年頃に旧藩主の家従を罷めて国へ帰つた節蔵 の父が、丁度生れたばかりの節蔵の事を、「此子が大きくなつて東京 へ修行に出るやうになりましたら、どうぞ右世語を願ひます」と、そ の墳まだ若くて編輯官と云ふ役に擢でられてゐた谷田滋さんに頼んで 置いたからである。  節蔵は不遠慮に、すぐその跡から、例の袋と帽子とを持つて焼香を してしまつて、その足で寺を出た。併し帰りは誰も急くので、節蔵が 霧多く頃には、もう墓から人窪ら〃と出て来て、手にく 下足札を衝き附けて、絆纏を着た一人の男を慌てさせてゐた。  本堂の縁側の辺には、まだ子供や、予をおぷつた上さん達が、うろ ついてゐたが、此葬では別に何も貰ったらしくは見えなかつた。かう 云ふ人達は上辺には只物見高い心特から、葬を見に来た風を粧つて、 何物かを得ようとしてゐる。併し折々はけふのやうに、希望に欺かれ て空く婦ることもあるのだらう。 竃は相奮ず、ちぎれくの雲が飛んでゐて、風は吹き警ずに ゐるが、とうく曇風にはならずにしまひさうである。節蔵は往つた 時と同じ遺を帰るのに、護国寺前あたりまでは、会葬伸間の車が跡に なつたり先になつたりして、二三台来たが、大抵音羽の通へ曲がつて しまつた。  節蔵は寂しい道を、車に揺られて帰りながら、谷固の家に自分がゐ た時の事を第三者の身の上を想ひ出すやうに、愛借もなく、悔恨もな く、極めて冷かに想ひ出してゐた。 弐  北京にある諸国の公使鰭が拳匪に囲まれたのを救ひに、ヨオロツパ の二一二箇国と日本との聯合軍が出掛けて行って、北京との聯絡が附く とか附かないとか云って、新聞の号外が一目に幾度も、東京の町を呼 ぴ歩いてゐる時の事であつた。  山口節蔵は始めて東京へ出て来て、原宿の谷固の邸に落ち着いた。 その頃漢学の素養のある主人は内閣書記官を勤めてゐた。日々役所に 通ふ外には、穣に斯文会へ講釈に出る位のもので、活きた世間とはな んの交渉もない身の上である。内にゐる時は、朱檀の机に雰つて読書 をしてゐる。「已はそろ〃老眼になり掛かつてゐるが、為合せな事 には洋書を読まんから、目金なんぞはいらぬ」と云って、得意らしい 顔をして笑ふ。酒が好で晩酌をしてゐる時間がなかく畏いのである。 節蔵の来たのは、毎日のやうに雨の降る、蒸暑い頃であつた。夕方に 節蔵が見てゐると、主人は晩酌をしてゐる間、臭さんに団扇であふが せたり、酌をさせたりして、新聞に出た聯合軍の話などを聞く。どう かすると本を読みながら飲んだり、人に頼まれて書き掛けてゐる墓誌 銘の草稿を前に置いて、朱筆と杯とをかばる%\手に把つて、推散し ながら飲んだりする。臭さんはそれでも退屈らしい顔はしない。一体 物静かな性で、主人の身のまばりの世話をするのと、華族文学校に通 つてゐる娘の髪や着物の世話をするのとより外、大抵の事は伸働の冬 に任せてゐるらしい。  節蔵は田含で生活費の安いのに、兎角足らぬ勝ちで、その目その日 を奮闘して渡つて行く家庭から、このμ身旨⑰の中へ這入つて来て、 先づ鶯き果れて、世の中にはこんな気楽な世渡りもあるものかと思っ た。そして国にゐる自分の親達が気の毒になつた。親達に代つて、谷 固夫婦の身の上を羨んだと云っても好からう。なぜと養ふに、まだ二 十に足らない節蔵は、家庭を作るなんぞと秀ふことは、遠い、遠い未 来に属するやうに感じてゐるので、自分が羨むと云ふことはなかつた からである。  節蔵は玄関の向うの、襖で締め切つてある間に、机を置いて、そこ に起伏することを許された。この問は実際なんの用にも立たない間で あつた。玄関を上がつて、此間を通って左へ這入ると、西洋風の装飾 をした応接所がある。右へ這入ると、奉公人のゐる所と台所とがある。 玄聞から真つ直に此間を通り抜ければ底い廊下で、それを右へ歩いて 行くと、左に硝子障子を隔てて芝生に小松を植ゑた庭を見ながら、家 族の住んでゐる部星々々に行くことが出来る。こんな瓦に、勝手口か ら出入をする人の外は、皆通過する交叉点か、節蔵の居間にせられた のであるが、それでも取次に節蔵の使はれることは殆ど無かつた。そ れば谷田の故郷から出てゐる若い書生の、執事のやうな事をするのが、 夜退けるまでは牽公人の部屋にゐて、客を迎へにも立ち、臭の外使を も動めてゐたからである。稀に臭さんの声で、「山口さん」と呼ばれ て・奧へ行って見ると、菓子を貰ふ位の事であつた。  節蔵は自分のゐる間と、奉公人都星との間にある、一間の戸棚を明 け渡されて、国から持つて出た、ある丈の物をそこに入れて、読み掛 けてゐる本や、ノオトブツクの外は、机の上に出してゐない。一寸外 へ出るにも、机の上を締麗に片付けて置いて出ることにしてゐる。戸 棚の傍の三尺の口は、奉公人都屋に通じてはゐるが、例の書生が取次 に出るときは、勝辛の縁側から開き戸を開けて玄関へ出られるやうに なつてゐるので、この口からばめつたに人の往来することはなかつた。 ∴。篶ζ迎変叉息になつてゐろ螂には、うるさく人の竈ること泌少くて、 牛食に帰つて来た時なぞは、障予と硝予障子とが開け放つてあつても、 廊下が広いと庇が畏く出てゐるとの為めに、此間には直接に窓から来 る光線が殆ど這入らないのを見て、節蔵はこんなに暗くては困ると思 つた。そのうち学校が極まつて見ると、女中の初に弁当を拵へて貰っ て、朝早く出て、晩になつて帰るのだから、日の当らないのは昔にな らなくなつた。  兎に角節蔵は一週間ばかりゐるうちに、いつともなく居馴染んで、 夜になつて足を蚊に食はれないやうに毛布に包んで、電灯の下で本を 読んでゐる時なぞは、なんだかその所を得てゐるやうな気もして来た。 参  節蔵が学校へ十日ばかりも通ふと、学校は暑中休暇になつた。谷囲 の主人は同僚と代り合って、休暇を取るのださうで、折々丸の内の役 所へ出る。此邸でも上下とも話の種は、支那の騒動の事で持ち切つて ゐるが、度々新聞の号外は出ても、なんのはかぐしい報遺もない。 何につけても列国々々と云って、互に睨み合ひ、遠なし合ってゐるら しく思はれる。只北京に包囲せられてゐる、我公使館の人達がさぞ困 つてゐるだらうと思ひ遣って、気を操むばかりである。それも二十七 八年の戦争の時のやうに、何の職業をしてゐるものも、為事が手に附 かぬと云ふ程の心配をするのではない。誰も日常の事物に追はれ必鮒 ら、「北京ではさぞ困つてゐるでせうね」と、又しては思ひ出して噂 をするに過ぎない。  節蔵は玄関の戸から、裏庭の硝子戸まで、悉く開け放つた処に机を 構へて本を読んでゐる。裏庭は大ぷ広いのに、一面に芝を植ゑて、正 面の所に摺鉢を伏せたやうな築山が築いてある。山にも芝を植ゑてあ る。庭の外まばりには種々の木が茂つてゐるので、日中は蝉の声がそ こら中の空気に点間断の波勵を起してゐる。 られてゐるが、高台で泉水の引かれない処なのに、小石を並べた池の 形那出来てゐて、円く、四角に刈り込んだ木が、高低参差として配置 せられてゐる。国の士族星鏑で見た庭と大差はない。それに此邸の庭 が余り風変りなのを不審に思って、書生の斎藤に問うた所が、それは その筈だと云って、斎藤が庭の由来を話した。  斎藤が谷田の邸に出て来たのは、まだ普講最中であつた。主人が庭 のせせこましいのは嫌だから、広々として野趣があるやうにしたいと 云って、畑地に家を建てた跡の此庭を、蔵菜や杉菜の生えてゐる儘に して置かうとしたのを、臭さんがそんなきたならしい事はして置きた くないと云って一とうく芝を植ゑ喜たの葦うである。さう云ふ わけで、邸の所々にあつた立木は、芝生の周囲に植ゑられた。そして 地ならしをして出た土を、盟り上げたの都、あの築山である。  節蔵のゐる所は、開け放してある割には、風が好く入れない。それ は家族のゐる部星々々を南に庭を控へて建てたものなので、ここから は庭が酉になつてゐるからである。それでも吹き廻す風が、時々は遣 入つて来る。それが玄関の方から来る日は暑い日で、庭の方から来る 日は涼しい日である。雨ばかり降つてゐた頃暗いと思った代りに、廊 下の広いのと、庇の長く出てゐるのとが為合せになつて、タ日は節蔵 の据わつてゐる辺まではさして来ない。  午後の日盛りに、机に椅つてゐる節蔵が少しねむたくなつて来て、 開けてある本から目を放して、庭の木葉が動くか動かないかと見てゐ ると、お嬢さんのお種さんが廊下を通る。はでな湯帷子に赤い帯をし て、小きい足に白足袋を穿いてゐる。二つに分けて編み下げた髪餅長 く背後に垂れてゐる。右種さんも夏休になつてからば、右父う様やお 母あ様が昼寝をしてゐる頃になると、退屈がつて内ぢゆうを歩き廻つ てゐるのである。  最初は節蔵のゐる方を見ずに、廊下を通って、洋室の方へ往つて、 又引き返して来る。往く時は右へ向いて庭を見て往く。返る時は左へ 向いて、矢張庭を見て返る。急くでもなく、ゆつくりするでもなく、 好い加減な歩附きをしてゐた。それから節蔵の方をちよいと見て通る やうになつた。それから大きい目をかがやかして笑って通ったり、不 遠慮に駆けて通ったりするやうになつた。それから節蔵のゐる間を通 り抜けて、玄関に立つて、暫く門の外を人力車の通るのを見てゐて、 廊下の方へ返つて行くこともあつた。そんな時には、節蔵に笑って合 点合点をして行く。持つて居た護護鞠を落して、そこら中追っ掛け廻 して、拾って行ったこともある。  ある日お種さんは、抜是をして節蔵の背後へ廻つて、肩越しに机の 上の本を見てゐた。節蔵は来るのを知つて知らぬ撮をして、構はずに 本を読んでゐた。 「右母あ様に、山口さんの所へ往つて遊んでも好いかと雪つて、伺っ て見たら、お邪魔をしないなら好いと仰やつてよ。」節蔵の背後に立 つてゐて、かう云ふのである。 「さうですか。」節蔵は始めて撮り向いた。  お種さんの目口の間には、小きい悪戯の兇が跳りはねてゐる。併し 体はおとなしく動かずに立つてゐて、垂れた手には蒔絵の小箱を一つ 持つてゐる。節蔵は読みさした本を伏せようとした。 「あら。御勉強を廃しちや厭。わたし右母あ様に叱られちまふわ。」 かう云って、机の傍に据わつたと思ふと、箱を前に置いて、体を屈め て肘を衝いて、箱の萱を取つた。  節蔵は何が出るかと思って、珍らしさうに見てゐると、中には小切 が一ぱい入れてある。お種さんはそれを一枚一枚出して、畳の上に並 べて、色や地質で選り分けてゐる。謂はばそれに金幅の精神を傾注し てゐると云ふ風で、只すう〃と云ふ、小きい息の晋がして、細い、 透き通るやうな指が敏活に、しかも慌ただしくなく、赤や青や紫の小 切を、取つては置き、置いては取つてゐるのである。  節蔵は自分の所へ遊びに来たと云ふのだから、何かのお相手を申し 附けられることだらうと思った所が、一向そんな様子がないので、自 分は又本を読み出した。併し二一二行読んでは、右種さんの為事を横目 で見る。そして小さい指のしなやかな、弾力のある運動に、或る自然 現象に対すると同じやうな、一種の興味を感ぜずにはゐられないので ある。そして「なる程、矢つ張已れば右相手をさせられるのだな」と 思った。 る。さては眠つてゐるうちに、何か悪戯をせられたのだなと思って、 自分の体を見ると、結んで背後に垂らしてゐた兵児帯の端が机の右の 脚に結び附けてあつた。 伍  お種さんの訪問は、その後家内のものが牛睡をする時刻になると、 必ず繰り返されるやうになつた。  人形を抱いて来て、着物を被せ替へることもある。護誤鞠を持つて 来て衝くこともある。鞠の畳にばた〃打つ附かる音には、節蔵も余 程閉口したが、鞠を高く撥ね上からせて置いて、体を三百六十度にく るりと廻して、鞠の落ちて低く擾ね上がる所を衝く、右種さんのしな やかな姿に慰められて、気を好くして見物してゐた。  夏休の畏いうちに、お種さんは次第に心安くなつて来た。余り物数 を言はない子であるから、しやべられて困るやうな事はないが、折々 は随分思ひ切つた悪戯をする。或る日節蔵がふと机の上に伏さつて坐 睡をしてしまつたこ生がある。なんでも曇つた空か頭を押し附けるや うで、風が少しもなく、ひどく蒸暑い日の二時頃であつた。暫くの間 はぐつすり寝たが、めつたに坐睡なんぞをすることのない節蔵は、何 か物音のするのに驚かされて、ふと目を醒ました。多分門の前を荷車 か何かが通ったのであつたらしい。節蔵は頭を挙げて、額に敷いてゐ た左の腕首の淳れたやうになつたのを、右の予の平でさすつて、背を 反らすと、机が自然にがたりと動いて、机の右の脚が膝に打つ附かつ た。おやと思って、ずつと身を後へ引くと、机が斜にいざりながら、 ずる〃と附いて来た。この時閉ぢた唇の抗抵を被つて、送り出たや 多な、お種さんの笑声が問えたので、その声の方角を見ると、廊下か ら洋室の方へ行く曲角の柱の蔭から、お種さんが額と目ばかり出して  隔㌦−そ−の須も旧沁一切り下付た禦必忍崇κ紗苛沌机てゐ乃ρてあ  八月になつてから、急劇にはかどつて来た、聯合軍の為事が、とう とう十四日から十五日に掛けて成功して、北京の公使舘に立て籠つて ゐた人々は、危い地位から救ひ出された。その確報が新聞の号外に載 つてゐるのを、谷田の主人が見て非常に喜んで、晩酌の席へ、節蔵を も斎藤をも呼んで杯をくれた。  いつもより余程酒の量を過した主人が、髪の毛の疎に残つてゐる頭 の地を真つ赤にして、「あゝ、実に結構な事だ、これではヨオロツバ 人共も我軍隊の威力を認めずにはゐられまい」と義つては、杯を傾け てゐる。傍で奧きんが、「あなた、もう不断の借も上がりましたよ」 と、気遣はしげな顔をして止めるのが、却つて酔った人に反抗的な心 持を起させる。主人は「なに、たまには奸い」と雪つて飲んでゐる。  節蔵は貰った杯を飲み千した。そして新聞の号外に出た、聯合軍の 北京に入つた時の宗冨■を、臭さんに話してゐる斎藤を跡に残して 置いて、忙がしげに自分の部星へ帰つたが、その儘机に向って据わつ て、眉の間に段を寄せて、何やら考へ出した。  節蔵の心中には、主人を始として、奧さんや斎藤の心持が分かつて ゐながら、節蔵はどうもそれと一しよになつて楽んでゐることが出来 ない。北京公使館の包囲せられてから、けふまでの畏い間の不安、凝 惑、危殆は、自分も同じやうに感じて来て、けふの解決は自分にも深 い息を衝かせたに違ひない。併しその深い息を衝いた刹那に、演劇の 大諸を見て、劇場の外へ出たやうな気分になつて、心に恐ろしい空虚 を覚えた。それと同時に、新聞の号外の投げ与へる片々たる事実を題 にして、批蹴拐説し工恢くワ』1とを らない人止自分との澗κ、; し の出来ない懸隔を認めないではゐられない。なんだか人が皆飼むと云 ふことをする動物のやうに思はれて、それを見てゐるのがじれつたく なつて、その人を軽蔑せずにはゐられなくなる。  それはかりではない。あの主人の晩酌が此頃次第に神経に障つて来 た。初に此家へ来た時に、珍らしい平和の画図に対したやうに驚きの 目を蹴つた・あの晩酌が一日一日と厭になつて来たのである。主人は 役所に出て、その日の業を果して帰つて、曇のない満足の上に、あの 酒を灘いでゐる。その日まで経過して来た半生の事業ゼ他人ゆ思想に 修辞上の文飾を加へた手工的労作を、主人は回顧して毫しも次しいと は思はないで、それにあの酒を手向けてゐる。あの晩酌は無智の人の 天国である。その天国が誼ひたくなつて来たのである。望くわ  節蔵はかう云ふ時に、これと云ふ動機もなしに、人に喧嘩をレ掛け たり、暴行を加へたりした事が、これまで度々ある。国の学校にゐた 時、友達と云ふ友達の、どの男とも突然絶交して、今では一人も手紙 の往復をするものがなくなつてゐるのは、その為めである。何か人の することを面白く思って、その人に接近して見る。そしていつかその 人が厭になる。丁度初め面白く思った点で厭になることが多い。交際 してゐる問は優しくして、何事にも謹歩し勝である。それが絶交する 時は、残忍で、何事にも顧慮しない。最も人を驚かしたのは、中学に ゐた時の友達で、泉と云ふ青年との交際であつた。泉は横笛が上手で、 家に昔から伝はつてゐる笛だと云って、色も文様も分からなくなつた 雛が戴け入れたのを、大切にして持つてゐた。節蔵は折々退屈げると、 泉の所へ樹つて、例のを又少し聞せてくれ給へと云って、柱に椅り掛 かつて、膝を立てて、膝の上に肘を衝いて頭を支へて、泉の吹く笛を 聞くのであつた。それが大ぷ久しく続いてゐた。さて或る目節蔵が泉 の所へ行って見ると、留守であつた。部屋は続麗に片附けて、机の上 に例の箇が置いてあつた。節蔵は行きなψそれを取つて、婁に這入つ た儘両端を握つて、片膝衝いた右の脚の向脛で塀トて折らうとした。 併し笛は折れなかつた。さうすると、こん度は沓脱の石の上に置いて、 庭下駄で踏んだ。笛はがちやりと云って砕けた。丁度そこへ繰維帰つ て来たが、節蔵は友達を空気の如くに見て、何も云はずに、大股に歩 いてその家を出た。泉は青天白目に怪しい夢を見たやうな心持がして、 これも衝つ立つた儘で、暫くは荘然としてゐた。此男の為めには、手 に取り上げた、砕けた笛が今の出来事の夢でないのを証拠立てるぱか りだと云っても好い位であつた。二の泉との絶交は、節蔵の不思議な 所行の中でも、徴の人の目に最も不思議に映じて、一股の同情をなく した蛍な原因になつてゐるのである。節蔵は今無邪気に小さい家庭の 平和を楽んでゐる谷田の主人に対して、泉の笛を砕いた時のやうな感 じを起して、暴言か暴行をしたくなつたのを、自分で止めて都星へ掃 つたのである。  併し節蔵がそれを止めたのは、意志で抑制したのではない。笛を砕 いた時なぞは、節蔵は意志で白已を左右し、自已の行為に抑制を加へ ることは、絶待的に出来なかつた。それがけふは止められたのを、節 蔵は自分でも不恩議なやうに思ってゐる。これは此男の性癖がいつの 間にか撞移してゐたのであつた。 分か世間の役に立侯人間とも相成候はば、無此上仕合と奉存候」 と云ふ、父親の依頼状を読んで、どんな荒々しい男かと思汐て待つて ゐたのに、餅つて来た節蔵が、預期してゐたとは反対で、寧ろ柔和な 識、趣ひや振舞をしてゐるのを見て、意外にも思ひ、同時に喜びもした。  それでも何か悪い癖でも出すかと、暫くの問は気を附けてゐたが、 少しもそんな様子がない。父親の書状は謙遜に艇憎てゐたのか、それ とも子供の時、気が荒かつたのが、成人するに随つて落ち着いたのか と、谷田の主人は折々思ひ出しては考へてゐた。  或る時臭さんに、主人が問うた。「どうだね、山口は。」 「さやうでございますね。あんなに来たばかりの時から、愛想の好い 人ですから、すぐに心安くなるだらうと存じましたが、その割に肝紺 む様子も見えませんことね。あれでは馴々しくなつて困るやうな事の ない代りに、なんでも打ち明けて話せると云ふ風にはならないでせう。 まあ、厭な人ではございませんのね。」 「いや。それが結構だ。君子の交は淡きこと水の着しと云ってな、余 りしつつこくならない方が好いのだ。」 「さうでございませうか。あの人学校の方はいかがでございますの。 こなひだ聞いて入らつしやるやうでございましたが。」 「うん。出来ない性ではないらしいが、どの学科も揃へて遣って行く ことが出来ないのだと、自分で云ってゐた。そんなら何が得意かと云 つたら、文章を書くのだと云ふのだ。そこで已が漢文を書いて見ては どうだと云って見た。ところが大しくじりだつたよ。」 「まあ。なんと申しましたの。」 一豪く旨い事害つたよ。わたくしの文章と云ふのは、果の今 の詞で書くのです。外国語で書く程なら、支那の昔の詞より、今のヨ オロツバのどの国かの詞で書いた方那増しだと思ひますと云ふのだ。 面白い奴ぢやないか。已が漢文を書いてゐるのを知つてゐながら、樗 はずに云ふ所が妙だな。」 「でもひどい事を申すぢやございませんか。あなた好く言って聞せて 右遣りなされば好いに。」 「いや。あれが言ふ事にも一理窟あるて。」主人はかう云って徴笑し てゐる。  臭さんは、夫が余り人が好過ぎると感じた易合には、自分が直接に 侮辱せられたと同じやうに、不機嫌になるが、それが長くは続かない。・ 此時もちよいと不機嫌になつて、黙つてゐた。 漆  節蔵は折々自已を反省して見て、我ながら一切の物に対する呉昧の 淡いのと、要望の弱いのとに鶯かざることを得なかつた。過去を顧み れば、いかに濃厚でないと思はれた呉味も今程淡くはなく、いかに強 烈でないと思はれた要望も今程弱くはなかつた。  学校生活にしても、学科その物を面白く思ったことは前から無かつ たが、同級生に対する多少の競争心はあるので、人を凄ぐことの出来 た時は愉快を覚え、励みと云ふものを生じた。又友達と交際しても、 少くも自分から或る日足を運んで、その人を尋ねて見る丈の衝動はあ つた。泉の内へ積笛を吹くのを聞きに往つたなぞもそれである。その 頃は自分と人との間に、事物に対する感受性の差違があるとは思はず にゐた。  唯暫くの間同じ事を継続してゐると、或る時突然それがひどく諸ま らなくなつてしまふ。自分の籍を置いてゐる学校の、総ての教師を誼 ふやうになる。さう云ふ目には教場で敦師に物を問はれた時、わざと らしく、g冨易箒に黙つて答へずにゐたり、反抗的な答をしたりして、 その間敦節の顔をぢつと見てゐた。そしてその顔に怪訶や、慎膿や、 慣憲や、色々の情が表現せられて来るのを、一種の快味を感じながら 見てゐた。友達と絶交するのも、きう云ふ日にするのである。さう蕃 ふ日には、これまで親しくしてゐた友達が、警へば飽食した跡で、魚 の骨や、褐色の、きたない汁の残つてゐる皿を見るやうに、際限もな く厭はしくなつて、早く取り片付けてしまひたくなる。人に片付けさ せるまでもなく、又と目に触れない所へ投げ棄ててしまひたくなる。 その友達にはどんな侮蔑を加へても好いやうに思はれる。  自分にはかう云ふ灰色の日があつたのだ。  併し前の事を顧みて見ると、哲学者が人間一切の享は受苦受螂であ でない日には、幾分の快楽があつたと云っても好い。  此箔的生活が東京に出た頃から、いつ変るともなく変つて来てゐる。 先には灰色の日にする事は、迅雷の耳を掩ふに遑あらざる如くに、忽 ち来り忽ち去つたのが、今ではその灰色の日の濁りが薄らいで、その 代りその濁つた水が常の目に流れ掛かつて染み込んだやうになつてし まつた。先には灰色の日には、何も考へずに、唯行ったが、今では竈 痢を病んでゐるものが、発作のありさうな日に書轟と云ふものを感 ずるやうに、「又来たな」と自分で気が付いて、多少の監督を自分の 挙動に加へる余地が生じて来た。その代り中間の目の愉快やら昔の軽 減やらを、今までのやうに受用することが出来なくなつた。  節蔵は醒覚したのである。一切の事がこれまでより一肩明かに怠識 に上るやうになつたのである。  それと同時に節蔵は、自已と他人との心的生活に、大きな患隔のあ るのを知つた。否、少くも知つたやうに思った。それは他人の生活が・ 兎角肯定的であつて、その天分相応に、大小の別はあつても、何物か を肯窟してゐるのに、自己はそれと同化することが出来ないと思ふの である。そして節蔵は他人が何物かを肯定してゐるのを見る度に、 「迷ってゐるな」と思ふ。「気の毒な奴だな」と思ふ。「馬塵だ」と恩 ふ。  さう云ふ風に、肯定即迷妄と観じて、世間の人が皆馬鹿に見え出し てから、節蔵の言語や動作は、前より一眉券しく、優しくなつた。 彼は自分の潮笑するやうな気分を人に見せないやうに努力するのであ る。大抵柔和忍辱の仮面を被つて、世の中を渡つて行く人は、何物を か人に求めるのである。その仮面は何物をか目ち得ようとして、それ が為めに犠牲を吝まないのである。節蔵は何物をも求めない。唯自已 を隠蔽しようとする丈である。  意外なのは、節蔑の此気分が周囲の人に及ばす効果である。それは 多少の畏怖を加味した尊敬を以て、節蔵に対するやうになつたのであ る。何物をも肯定せず、何物をも求めないと云ふことは、人には想像 が出来ないので、人は節蔵の求める物を、余程偉大な物か、高遠な物 かと錆り認めずにはゐられない。所謂大志のある人として視ずにはゐ られない。節蔵はいつの間にか、自分の周囲に崇拝者が出来るのを感 じた。書生の斎藤なんぞは節蔵をひどくえらいと云ひ出した。只奧さ んの本能が、節蔵のどこやらに、気味の悪い、冷たい処があるやうに 感じてゐる丈であつた。 捌  こんなに暑いに学校が始まつては大変だと云ってゐるが、そのうち 九月になつて、学校へ通ひ始める頃には、いつか涼しい風が吹いて来 る。節蔵の学科が始まると同時に、お種さんも学校へ行くやうになつ た。  或る日お種さんが内へ帰つて、お母あ様に云ふには、毎日のやうに 途中で出逢ふ男の子があつて、馴々しく礼をしたり、名を呼んだりし て困ると云ふこ。とであつた。「わたくし間が悪くてしやうがないわ」 と、右種さんは云ったが・その間の悪いと云ふ詞も、学校で年上の女 の子が使ふのを聞き覚えて、人真似に言ふらしく、どうも男に椰捻は れて間が悪いと云ふ感じが実際にあつて、それを詞に発したものとは 聞き取られなかつた。  まだ一人前の女になつてゐないのを、好く知つてゐる臭さんは、ど こ迄も子供と見て、その扱ひにしてゐるので、娘の謂ふ、知らぬ男の 子に、女を椰楡ふと云ふ意味があるやうには思はなかつた。それで、 「そんな子供は好くあるものだから、何か言っても、そつちの方を見 ないで、篇はずにお置きなきいよ」と雪つて聞せた丈であつた。そし ていづれ同じやうに、どこかの学校に通ふ子供で、それがいたづらを するのだらうと思ってゐた。  三二自立つてから、お種さんが又訴へた。「わたくしちつとも見な いやうにしてゐても、矢つ張いろんな事を言ふのですもの」と云ふの である。 「いろんな事つて、どんな事を言ひましたの。」 「わたくし幾度呼んでも、その方を見ないやうにしてゐたもんですか ら、けふなんぞは、車のぢき側へ寄って来て、そんな知らない顔なん ぞをしては行けませんと、さう云ってよ。」 「まあ。そんな事を言ったの。うるさい、いたづらつ子だね。でも口 返答をしたつて、どうせ男の子には極はないから、矢つ張篇はないで お出よ。」  親子の間には、こんな問答があつた。それでも奧さんは、幾らか気 になると見えて、車夫を呼んで聞いて見た。  お嬢さんを学校へ載せて行く車夫は、主人の役所通ひの供をしてゐ る車夫と、同じ車間屋から出すのであるが、主人の供をする喜三郎と 云ふ方は、すぱしこい、気の利いた男で、お嬢さんを載せる方の政古 は、年を取つてゐるわりに、少しぽんやりしてゐる。  政吉が奧さんに問はれて返事をした所は、いつもの通り、余り要領 を得ないが、おほよそかうである。なる程途中で右嬢様に礼をしたり、 挨拶をしたりする書生さんがある。身なりの立派な、好い内の若檀那 らしい人で、こちらにゐる山口さんなんぞより、少し着いやうに見え る。右畑合ひの方であらうと思ってゐた。別段失礼な事をしたと思っ たことはないと云ふに過ぎない。  此話を聞いてから、奧さんは少し考へて、政吉にかう云った。「そ の人はお嬢さんが知らない人だと云ってゐるのだからね、右前これか らば好く気を附けて、なる丈物なんぞを言はせないやうにしておく れ。」  白髪まじりの髪を、不精らしく長く伸ばして、同じやうに胡麻塩に なつてゐる髯を、いつも二一分位、四角張つた顔に生やしてゐる政吉 は、驚きの表憎を以て臭さんを見た。「へえ。さやうでございますか。 あ螂様は御存じないのですかい。こん度なんとか云った参、けんつく 行った。 玖  谷田家と同町内に住んで、地所の売買の世話なんぞをして、中等の 生活を営んでゐる牧山と云ふ男があつた。それが谷田家で今の邸を買 つた時、世話をしてくれて、その後何事によらず、郡役所に出なくて はならぬやうな事は、谷田の主人の代理をして、済ませてゐる。一体 谷田家のために・牧山が持別に忠実に働くには・理由がある。  原宿の地所を谷田の主人が買はうとしてゐた頃であつた。主人と牧 山とが話をしてゐるうちに、ふと宗旨の事を牧山が問うた。主人は目 蓮宗だと答へた。それでは自分と同じ宗旨だと云ふので、牧山が精し く問ひ糺して、こんな話を聞いた。谷田の祖父は商人であつたが、父 が学問好で経学をして、士分に取り立てられた。それが儒者の家に珍 らしい日連宗の由来である。牧山は講中と云ふものの世話をもしてゐ るので、谷田に勧めて、名義丈それに這入つて、寄附金なんぞもして 貰ふやうにして、何事も特別に親切に取り扱ってゐるのである。  或る日牧山の息子の、麹町の東京中学に通ってゐるのが、学校から 帰つてタ食をする時、意外な話をした。 「お父つさん。あの相原ですね。けさ僕が出掛けに、善光寺墓の所を 通ると、あの狭い道の曲り角に、あいつが立つてゐるのです。又何か 悪い事でもするのぢやないかしらと思って、僕はわざわざゆつくり歩 いて、あいつの方を見てゐたのです。すると背後から車が来ました。 丁度車が角を曲る時、相原が車の傍へ寄って、右嬢さんお早うと参ふ でせう。僕は誰が乗つてゐるのかしらと思って、車の上を見ると、谷 田のお嬢さんなのです。どうしてお嬢さんがあんな奴を知つてゐるの でせう。」  息子がかう云ふと牧山夫婦はひどく驚いて、一時に箸を休めて顔を 「それはお前大変だよ」と、慌てたやうに云ったのは、母親であつた。 「だがいくら光だつて、あんな小さいお嬢さんに構ひもすまいぢやな いか」と、親父が云った。 「いゝえ。あんな悪い奴ですから、何を考へてゐるか知れたもんぢや ありません。それに右嬢さんは大柄で、余所の十五六の娘位に見えて ゐて、自立つて器量が好いのですか多ね。」 「さうかなあ」と云って、親父は考へ込んでゐる。 「そしてお嬢さんはどんな様子をしてお出だつたえ」と、母親は息子 に問うた。 「僕は一しよう懸命に相原の方ぱかし見てゐたのだから、好くは分か 多ないが、お嬢さんはなんとも云はずに行ってしまつたやうです。」 「さうかい」と云って、母親は夫の茶碗に飯の少しばかり残つてゐた のを取つて、飯をよそつて出した。「ねえ、あなた。間違の出来ない 、っちに、早く谷田さんへ往つて、気を附けて右上げなさらなくつては 行けません。内の繁太郎が見附けたから好いやうなものの、檀那や臭 さんがうつかりして右出にならうものなら、どんな事になつたのだか、 知れやしません。」  親父は飯に茶を掛けて掻き込みながら、考へてゐる様子であつたが、 何か思ひ附いたらしく一やうく返事をした。一好いよ。已が間違の 出来ないやうにするから、任せて括置。」 拾  牧山一家でひどくこはがつてゐる相原と云ふ青年は、青山南町の墓 通に、小金を持つて、しもた星めいた暮らしをしてゐる後家の一人息 子で、光太郎と云ふものである。  元とこの後家さんは、青山の通りから墓地へ曲がる検町に、何軒も 並んでゐる、賢木や樒を売る店のどれやらを持つてゐた桐原と云ふも のの女房であつたが、夫に死なれてから、店の株を人に謹つて、今で は息子と二人で、別に職業もせずに暮らしてゐる。近所の噂には、俗 に謂ふ鴉金を貸してゐて、表は上品振った御隠居さんだが、随分意地 の悪い事もすると云ふことである。  息子の光太郎は十七歳になる。人の目に附く美少年で、しかもいつ も身続麗にして、書生風ではあるが、華族の若殿かと思はれるやうな 着物を着てゐる。籍は牧山の息子の通ってゐる東京中学に置いてある のに、欠庸勝ちで、成績がひどく悪い。  中学では生徒仲間に、お光さんと云ふ名で知れ渡つてゐて、同級の ものも親しくはせず、休憩時間に生徒成大勢寄って話をしてゐる所へ、 相原が来ると、皆言ひ合せたやうに黙つてしまふ。  どうしてこんな仇名が附いてゐるかと云ふに、女親にあまやかされ て、柔弱に育つてゐるからと云ふだけではない。実際光太郎は、まだ ムた北や 二親の墓地前に住まつてゐた頃、赤いりぽんを掛けた娘であつた。小 学校では相原みつと云ふ女生徒になつてゐて、裁縫の稽古をしてゐた のである。  その相原みつが相原光太郎となるには、裁判所の手続を経て、戸籍 の訂正をした。その前には大学の附属病院へ往つて、身体検査をして 貰った。その頃これ丈の事は、どの通信社かの手で、諸新聞に載せら れた。見出しに、女子変じて男子となると書いてあつて、その下に事 実を冗長に書いて、祥か不祥かと結んであつた。まさか薪聞記者と看 ふものが、或る自然現象と社会生活との間に、測るぺからざる関係が あると、迷信してゐるのでもあるまい。そんなら洒落か。その洒落の 中にはどんな意味があるか。否、意味なぞはないのである。昔なら天 変地異と云ったやうな事件、それからあらゆる奇蹟めいた、不思議ら しい出来事を報遺するときには、祥か不祥かと書き添へる。書く人も 何物をも考へずに書く。読む人も何物をも考へずに読むのである。書 いた物の背後には、何等かの考とか意味とかゞ潜んでゐなくてはなら ないと思ふのは、読者の迂遠である。固陋である。  さて新聞に出たのはこれ丈であるが、おみつが身体検査をせられて、 男になつたには、外からそれを促した動機がある。併しそれは新聞に は出なかつた。丁度高等小学校を卒業し掛かつた時の事であつたが、 同級に中の好い友達がゐて、どこへ行くにもさそひ含せて一しよに行 き、何事も人を避けて二人で相談をすると云ふ風になつてゐるうちに、 その友達が相原の内へ、後家さんの留守に来るのが、唯中の好い友達 だと云ふぱ言ではな婁うに見えて来た。とうく或言後書ん が予定の時刻より早く帰つて、女と女との間にありやうのない塲合に 遭遇した。それから気が附いて見窪、おみつの体にはいろく思ひ 合される事もあつたので、大学の先生に見て貰ふまでになつた。おみ つで小学校の科程を踏んで来た子が、卒業証書だけ光太郎で受けた。  光太郎は男にはなつた。併し兎角女と附き合ひたがつて、どこの娘 に手紙を遣ったとか、寄せの出口で、どこの娘の予を擾つて心安くな つたとか、いろくな雲絶えない。その頃はまだ不良少年だの、色 魔だのと云ふ、新聞で広める流行詞は出来てゐなかつたが、その光太 郎が谷田の娘に物を言ったと聞いて、牧山夫婦が不安に思ったのは無 理もないのである。 拾壱  牧山が谷固の右嬢さんに附き續ふ相原の事を聞いて、何か分別があ りさうに女房に言ったのは、別にどうしようと云ふ考があつたのでは ない。只山口節蔵に話して見たら、何とかしやうがありさうな物だと 思った丈である。  その日に節蔵は、もう外が薄暗くなり掛かつてから、家の中が少し 蒸暑いので、門の処に出て、しやがんで、同じやうな門の立つてゐる、 向側の陸軍少将の家の前で、子供が二三人遊んでゐるのを見てゐた。 向ひの内の門長屋の跡が厩になつてゐて、そこに馬が二頭飼ってある。 その厩がひどくさうぐしい。丁度馬丁が寝藁を入れて、飼を附けて 音とが問えてゐる。タ方になつても、此辺の屋敷続きの基通りは、忙 がしげに道を歩く人などは殆ど無い。  そこへ縞の単羽織の紐をひどく緩く結んで、懐を膨らませて、刻足 に遣って来たのは牧山である。此男は余程改まつた時でなくては、帽 子なんぞは被つて歩かない。牧山は節蔵を見て立ち留まつて、腰を屈 めた。 一なんだかまだ愛するやうですな。お邸はなかく植込が書ます から、此頃でも蚊がゐませう。」 「なに。もう格別ゐません。まだ明りを附けるには早いので、出てゐ るのです。」節蔵は別に敬意を表すると云ふ様子もなく、伸をするや うに立ち上がつた。 「只今お暇なら、ちよつとお語申したい事があるのですが。」牧山は 門を這入りさうにした。 「なんですか。長い事でないなら、外だつて好いでせう。」  節蔵は牧山に殆ど構はない様子で、谷田の邸の板塀に沿うて、ぷら ぷら歩き出した。  牧山は附いて来た。そして谷田のお嬢さんに附き纒ふ少年のあるこ とを、自分の息子が発見したと云ふ話をした。その少年が相原と云ふ もので、云云の悪い噂のあるものだと責ふことも語した。 「あ。その事ですか。そんないたづらをする奴があると云ふことは、 斎藤の話に聞きましたよ。だがそれが相原と云ふ奴だと蚕ふことは知 りませんでした。そこで僕にお話と云ふのは。」  牧山は少し詞に窮するらしく、躊躇しながら曇つた。 「さあ、そこですて。実は谷田の旦那に、お気をお附になるやうに、 お話をいたさうかとも思ったのですが、これと云ふ廉のある事でもあ りませんし、先方へ右掛合になるにも、相手は女親で、先刻もお話申 したやうに、いかがはしい世渡をしてゐるものであつて見れば、郵つ てお邸の御迷惑になる事が出来まいものでもございません。まあ、わ しつかり言って聞せて、懲りさせで遣ると宜しいかと思ふのですが。」 「ふん」と云って、節蔵は暫く黙つてゐて、くるりと踵を旋らして元 の道へ引き帰した。丁度そこは車宿があつて、その隣に荒物屋のある、 屋敷町の間に介まれた町屋の辺であつた。そして心得顔に、同じく跡 へ引き帰す牧山に言った。「なんでも気を附けてくれと、車夫に奥さ んが云った時、車夫が丁度そんなやうな事を受け合ったさうです。併 し斎藤君は古く車夫を知つてゐるのですが、あいつは書生に小言なん ぞの言へる奴ではないさうです。一体斎藤でも一遍送つて行って見れ ぱ好いと、僕は思ったのですが、あなたの云ふ通り、これと云ふ廉の ある事でもないし、僕も余計な事は言ひたくないから、黙つてゐたの です。」 「なる程」と云って頷いて、牧山は詞を続いだ。「ですが光太郎と云 ふ奴は、年は行かなくても、なか〃わるださうですから、斎藤さん ではどうも。」  節蔵は短い笑声を漏した。「そこで僕を談判に差向けようと云ふの ですか。」  牧山はさも恐縮したと云ふやうな様子をした。 「へえ。兎に角御相談をいたして見ようと存じたものですから。」 「さうですか。為話のやうな変つた人間なら、なんだか僕も見たいや うな気がしますね。まあ、考へて見ませう。」 「どうぞさう願ひたうございます。実は御苦労が願ひたいとまで、は つきり考へてお話をしたわけではございません。兎に角お考を伺っ て。」 「いや。僕だつて余り好い智慧はありません。まさか暴行もすまいか ら、打ち遣って置くとするか、取つ締めるかです。」丁度二人は谷田 の門の前まで婦つて来た。 「ではどうぞ右考なすつて。」牧山は丁寧に腰を屈めて会釈して、ぽ つぽつ明りの附き始める裏通を、さつき来た方へ引き帰して行く。  見たいやうな気がすると、節蔑の着つたのは、実惰であつた。彼が 三田の学校で聴く講義の中に、美学がある。それを受け持つてゐる講 飾は、弁説か悪くて、聞苦しい程まづい事を言ふが、受け持つた学科 の本の中では僻書を読んで来る。少くも日本では僻書としなくてはな らない本を読んで来る。そして随分耳遠い事実を話すのである。美学 の講義は二学期に亘つてゐて、前の一学期が美学の沿單になつてゐる。 丁度けふ聞いた処に、誰やらの説だと云って、人体の葵は男性は男性 に偏し、女性は女性に偏してゐて、純粋な美を成さない。純粋な美は その中間にある筈である。そこで美を男でもなく女でもない申g− 昌竜ξ邑岸易に求めなくてはならないと云ふことがあつた。講師は それに同意しないで、物それ%\の特性的な所に美を求めなくてはな らないとは云ってゐたが、兎に角真面目に非男非女美の紹介をして、 どんな体の構造のために、男でも女でもなくなり、又同時に男であつ たり女であつたりすると云ふ辺まで、説明を進めた。医学の本まで覗 いて来たものらしい此説明を、節蔵はひどく馬鹿らしく思って、学問 と云ふものに対して、余り持つてゐない尊重が、一層減殺せられると 共に、こんな事を本から調へ出して取次ぐ敦師と云ふものの職業を、 際限なく阿房らしく感じたのであつた。それが牧山の話を聞いてゐる うちに、三田で聞いた話の実例を出されたやうに思って、さう表ふ人 間がどんな顔をしてゐるか、どんな態度をしてゐるか見たいと云ふ好 奇心を起したのである。  一体何物にも深い興味を持たない節蔵は、いつも好奇心のために動 くことが多い。講義を聴いても、本を読んでも、どんな理窟を握るか 見て遣らう位な気で、聴いたり読んだりしてゐる。牧山に別れて、玄 聞から上がつて、机に向って、明りの下に、読みさした本を開いては 見たが、本に書いてある事に対する好奇心よりは、さつき聞いた話に 紺する好奇心が強いので、心は変生男子の相原の方へ引かれてしまふ。 そしてこんな事を思って見る。己は疾うから何か書いて見ようと思っ てゐるが、これまで何を書かうと云ふ対象を捉へ得たことがない。批 評家なんと云ふ者の云ってゐるのを聞けば、何を書くかの問題には重 きを置かなくても好い。要はどう書くかに在ると云ってゐる。併し作 者の成功がどれ丈どう書くかに本づいてゐて、どれ丈何を書くかに本 づいてゐるかば容易に判断し難い。Φ◎寺{が一躍して大家になつたの は、少くも半分はこれまで文学に現れてゐなかつた流浪人生活を書い たお蔭かも知れない。露伴も紅葉もそれ%\方角を殊にした、異常な 出来事を書いてゐる。柳浪の変目伝は、白寮の動物的な憎欲の発動を 書いて好評を博したのだ。今にの邑げ巨①やなんぞのやうな、性欲の変 態を書いて成功する人も出て来るかも知れない。己は変生男子の小説 でも処女作として書いて見ようかしら。なんにしろその相原と云ふ奴 を見たいものだ。面だけでも見たいものだなどと思って見るのである。  暫くして節蔵は、「筋も馬鹿にならんて」と、口のうちでつぷやい た。批評家のえらがり共が、誰の小説は筋が面白いのだとけなして、 平凡な事ばかし書く作者の前に香を焚いてゐるが、筋と云ふものは、 どんなに奇抜でも面白い筈はない。面白いと思ったのは、筋のせいだ つたと、批評家として白状するのは、殆ど芸術の鑑賞の出来ないのを 白状してゐるやうなものだらうと思ったのである、物わかりの好い、 頭でばかり物を書いてゐる、未来の作者の癖で、節蔵は一足づつ歩い て行かなくてはならない遺の難儀を思はずに、到達点の事を蜜想で思 ひ浮べて見た。それも自分のカの感じを満足させたがる欲望の一つに 過ぎないので、節蔵はいつもこんな時に、自分で自分を潮つて、真面 目な企図や計画はせずにしまふ。それでこれまで一度も幼権な試みな んぞをせずにゐるのである。 拾弐  翌朝目が醒めると、節蔵の頭には、すぐに牧山の話した事が浮かん だ。それが牧山に何か頼まれたから、聴いて遣らうと思ふのでもない お種さんに附き纒ふと云ふ奴を懲して遣りたいと思ふのでもない。只 ゐる間も、飯を食ってゐる間も、心の中を往来してゐた。遺を歩いて ゐる時、空の焼けてゐるのを人が指さして、火事だと云ふと、それを 見て、そこまで見に行かうかと思ふ。牧山はその指さした人たるに過 ぎない。  その頃書生の持つた毛濡子の風炉鋪に、学科の本や雑記帳を包んで、 節蔵は谷岡の邸を出た。いつも門にお種さんの來る車が来てゐるか、 ゐないかを見て、ゐれば心持急いで歩くことにしてゐるのだが、けさ はもう車を玄関の前に置いて、自分は蹴込に腰を掛けて、ばんやりし た顔をして、烟草を香んでゐる。足許には、よく斎藤に小言を言はれ るマツチの燃えさしと、天狗烟草の吸殻とが散らばつてゐる。節蔵は それを見ても、いつものやうに足を早めずに、何か物を考へてゐるが、 その考の内容が自分でも分からないと云ふやうな心持をして、ぷら ぷら歩いて出た。二一二間歩いて気が附いて見ると、いつも門を出て有 へ曲つて、寺の境内を抜けて青山の通りへ出るのに、けさば左へ曲つ てゐる。「うん、あそこへ行って見るのだ」と、きのふ牧山の話した、 相原がお種きんに物を言ひ掛ける場所をはつきり思ひ浮べて、それか ら意識してずんく歩き出した。歩きながら学校の朝の一時間が阪谷 と云ふ漢学の先生の受持で、その次に一時間明きがあることを考へて・ 何物をも犠牲に供せずに、行かうと思ふ所へ行く自由が得られるのを 愉快に思った。  星敷町を出抜けて、小さい町家の両側にある所を暫く行くと、もう 向うに斜に右へ曲がる角が見える。牧山の言った場所である。角の家 は此頃流行の絵葉書星になつて、障子位の大さの竪額のやうな物に、 見本を並べてあるので、節蔵も通る時に気が附いてゐた。それと向き 合って、曲つて行く町の凹面に、小さい理髪店がある。これも白い上 つ張をして、いつも立つて為事をしてゐる、小男の主人が節蔵の目に 留まつてゐた。  まだ角まで余程距離のある時から、その絵葉書星の看板の前に立つ て ゐ あ喝の。、’えた。人淋通ると、その易も一町ば小♪の冴をL ぶら/\歩くが、又引き返しては、絵蕃星暑板の前に考留まる。 節蔵はそれを見て、「あいつだな」と思った。明るい鼠色の霜降の学 生服を着てゐる。「背は己よりは大ぷ低いな」と、節蔵は判断した。  まだ早いので、此辺の店には人の出てゐないのが多い。只理髪店丈 はもう働いてゐる。半分開けてある入口の硝子障子に日が差して、黄 いろみを帯ぴた青色の空気が漂ってゐる中に、怪しげな恰好の、白い ブルウズのやうな物を着て、主人は一人の椅子に掛けた男の髪を刈つ てゐる。今一人商人らしい、半老人の客が腰掛の上に傭さつて、新聞 をひろげて読んでゐる。次第にその店に近寄って来るので、髪を刈る 欝一倣しげな音が一ちやきく問える一  節蔵は別に思案もせずに、理髪店につと這入つた。主人はちよいと 振り返つて見たばかりで、鋏の手は停めない。待つてゐる方の客は、 新聞を持つて起き直つた。そして節蔵の顔を見て、「少し手間が取れ ませうよ」と、主人の代りに言ひわけをした。節蔵は黙つて頷いて、 その男と並んで腰を掛けた。一時間や二時問はどうでも好いと云った やうな顔をして、書物を包んだ毛縞子の風炉鏑包を膝の上でおもちや にしながら、外をのん気らしく見てゐる。主人は一しよう懸命鋏をち やきちやき遣ってゐる。隣の客は又薪聞を読み出した。  節蔵の目は、町の向側で絵葉書の看板を見てゐる男を注視してはゐ ないが、その男の影が網膜のどの部分に落ちても、節蔵はその一挙一 動を見のがすことはない。その男は言ふまでもなく相原である。相原 も節蔵の近づいて来るのを迎へ視て、理髪店へ這入る時まで見送つた が、それからば気にも留めないらしい。そして看板の前に立つてゐな がら、節蔵の来た方角を頻りに跳めてゐる。  相原の顔は節蔵に好く見える。庇のある帽に額は隠れてゐるが、稍 冷たい朝の空気に刺戟せられて、薄赤く角つてゐる。小さい顔で、額 骨が少し張つてゐる。目は一つ方角を畏く見詩めてゐずに、視線を忙 しげに所々へさまよはせる。何を見るともなしに、理髪店へ視線を送 ることも度々である。そんな時は節蔵の目は、向側の家の棟を越して、 家の背後から立つ白い烟がきれ%\に青い空へ升つて消えて行く辺を、 ばんやり眺めてゐるのである。  忽ち朝の町の静けさを破つて、一台の人力車が、節蔵のさつき来た 方角から、此曲り角をさして駈けて来た。相原の目も節蔵の目も、一 時にその車に注がれた。 拾参  車が曲がり角へ掛かる時、相原は敏捷に、つと車の泥除の傍へ、引 つ附くやうに寄った。そして帽を脱いで、「嬢ちやんお早う」と云っ た。なんでも無い。只それ丈である。お種さんは大きな麦藁帽の縁が 垂直になる程傭向いてゐる。車夫は知らぬ顔をして挽いて行く。  桐原のする事は実際罪のない青年の笑談だとも取れば取られる。こ んな真似をするためにわざわざ毎朝待ち受けてゐるかと思ふと、誰で も馬鹿らしくなるやうな事である。政吉は斎藤が判断した通りに、相 原のいたづらに対して、どうもする事が出来ないらしい。相原がこは くて物が言はれないわけでもあるまいが、彼は平地に波が起したくな い。無事にお嬢さんの右供をして赤坂見附上まで往つて反れば、自分 の義務は果したと云ふものである。物好に書生と喧嘩を始めなくても 好いのである。若し相手が右嬢さんに暴行でも加へようとするのだつ たら、彼は車を挽いて駈けられる丈駈けて逃げようとするかも知れな い。  此顛末を斬髪店の腰掛で見てゐた節蔵の顔には、さげすむやうな徴 笑が浮かんだ。隣の庸で新聞を見てゐる商人体の男も、鋏をちやきち やき云はせてゐる主人も、この街頭の出来事には、少しの注意をもし なかつたらしい。頭を一つ刈つて幾ら、顔を一つ剃つて幾らと云ふ二 としか考へない、勉強家の主人は、相原の毎朝する事に気の附く程の 余裕もないのだらう。さうでなかつたら、相原は疾つくにお種に敬意 を表する場所を変へたかも知れない。 震は車の雪て行った方向一、跡からぷらく歩き出した。  節蔑は「僕は矯りに寄るよ」と云って置いて、つと斬髪店を出た。 そして鋏の手を停めずに、「では、どうぞさう顕ひます」と云った主 人の声を聞き棄てて、もう五六間先を歩いてゐる相原の跡に続いた。  冬の間の焼芋星が、けちな氷星になつてゐる家の前で、「右い、君」 と節蔵が呼び掛けた。 「僕ですか」と云って相原が撮り向いた。薄い唇の聞から、白い、細 かい、鼠の歯のやうな歯と、歯眼の一部分とが、物を言ふ時見える。 絶えず細かに、早く瞳の動く目で、相予の顔を見る。  節蔵は相原の左側に、肘が摩れるやうに並んだ。「君に少し聞いて 見たい事があるがね、そこいらまで一しよに行ってくれ給へ。」 「君は僕を知つてゐるかね。」相原の表情には、怪訝の外、何物も現 れない。併しはしつこい人間なので、節蔵の態度のどこかに、或る敵 意が含まれてゐるのを、刹那の間に、本能的に見て取つて、節蔵に対 して、桐持して下らない地歩を占めようとする心持が、語気には現は れてゐる。 一きう墓。知つてゐる蔓。一かう云った切りで、ずんく歩く。  桐原は見ないやうにして、節蔵の顔を検から覗いてゐる。そして先 つ養理髪店に這入つた時からの事を考へて、自分が此男の冷眼に観察 する対象になつたと思ふと、非常に不快でならない。それに節蔵の顔 の化石したやうな、仮面を被つたやうな、動揺しない表情が、見れば 見る程気味が悪い。どうにかしてこいつの傍を離れたいと云ふ心持が 次第に増長して来る。此儘引つぱづして逃げたら、どうするだらうと 思って見る。まさか追ひ掛けて来て、楓まへて、取つ組み合ひはすま い。かう思って、ふとあたりを見廻すと、二人共ずん〃歩いたので、 もう青山の通を北へ、墓地の方へ曲る角に来てゐる。  節蔵は此時黙つて角を曲つた。相原は阿容々々と附いて行く。  掴夙は此^町が大鐵で、めつたに二㌧を通ったことがない。それは のである。もうそこに自分の昔ゐた家がある。広い土間を締麗に掃除 して、一方の壁に沿うて弔った棚に、樒や切花が積み上げてある。住 む人は代つてゐるのに、背伸をして棚の花をむしる所を見附けて、台 所から駈け出して叱つた母親が、まだ丸髭を結つて、あの葭賛障子の 奧にゐはしないかと思はれる。相原は母親の丸髭の事を思ひ出したか と思ふと、忽ち今一つの丸醤を聯想して、今まで見てゐた右側の、昔 ゐた家から、こは%\目を左側の茶店に転じた。そこには自分が一し よに小学校へ通ったきいちやんと云ふ娘がゐた。そ牝がつひ此頃掲を 取つて、丸醤に赤い手柄を掛けてゐるのを一度見た。きいちやんは桐 原に始めて男性を自覚させた女である。それにこなひだ青山の通で逢 つた時、妙な潮るやうな表憎をして自分を見られたのを、相原はひど く間を悪く思った。警へぱ食物に飽いてゐる獣が、餓ゑてゐる獣を見 るやうな目で、きいちやんが自分を見たと感じたのである。相原はそ の赤い手柄がゐなければ好いがと思って、茶店を見たのである。併し 赤い手柄はゐない。帳場には太つたお袋が商人風の男と諸をしてゐた。  斎場の前に来ると、けさも葬があると見えて、硝子障子の嵌めてあ る、角の窓に、不華のあつた家の名を書いた紙を張つて、薄羽織を着 た受附か机を構へてゐる。窓の前にも往来にも、会葬者らしい人淋二 三人づつ冷淡な顔をして立つてゐる。 節蔵がその前をずんく通り過ぎるので、相覆殆ど嚢の無いも ののやうに、自分で自分を怪みながら、それと歩調を倶にして歩いて 行く。 ,  並んで歩いてゐる節蔵の目には、相原の薄赤い耳が見える。その耳 セ囲んでゐる類と頸とが、お白いを塗つてゐるかと思ふ程白く、それ が生際を短く刈つた頭の青み掛かつた地に移り行いてゐる。顔から頸 へ掛けての肌に、一種の軟みがある。併し女としては別品ではない。 節蔵は此頭を束髪にしたら、好くある型の文学生の貌になると思った。  二人は墓地の真ん中を縦貫してゐる、稍々広い遺に出た。左宥は低 墓が見えてゐる、じいと云ふやうな曝の声がどこかでするかと思ふと、 みいん〃と二声三声鳴いて、羽ばたきをして、ぢき傍の百日紅の木 から飛び立つた。跡はあたりがしんとしてゐる。 「あそこへ行って腰を掛けよう」と、節蔵が出し抜けに云って・例の 低い生垣に朝日がきして、赤土の上に網のやうな摸様を印してゐる、 東側の狭い校道を指さした。丸で心安い友達にでも物を言ふやうな調 子である。  相原が節蔵の指さす方を見ると、その校道の二一二間先きに、白木の 新しい玉垣を燒らした大きい新墓があつて、玉垣の前に低い御影石の 手水鉢が据ゑであるのであつた。  節蔵が先へ手水鉢に腰を掛けて、隠しからその頃沢山輸入せられた ○ゆ竃8と云ふアメリカ烟草の紙箱とマツチとを出して、一本吸ひ附 けて、「君は欽まんか」と云ひながら、相原に蔦めた。 「僕は飲まない。一体どんな用です。」相原は節蔵の前に立つてゐる。 「まあ、掛け給へ」と云って、節蔵が少し脇へ寄った。  相原も渋りながら、手水鉢の片端に腰を掛けた。 「僕は廻り遠い物の言ひやうをするのは厭だから、簡単に言ふがね、」 と云ひ掛けて烟草を飲んで、相原の横顔を覗くやうにして、友達同志 が雑談をするやうに節蔵は綬やかな調子でかう云った。「君はさつき のやうに、毎日あの谷田の娘を待ち受けてゐて、挨拶をするさうだが、 僕はあれをよして貰はうと思ふのだ。」  相原はちよいと節蔵の顔を見たが、その忙がしげな目は、節蔵の暗 示するやうな、静かな目と出合って、すぐ脇へ逸れた。相原は大かた そんな事を書はれるのだらうとは予期してゐた。併しそれは話の最後 の決勝点でなくてはならぬ。それまでには決戦に先立つ斥侯の衝突位 は必ずあると思ってゐた。それだから真つ正面から堂々と攻撃せられ たのを、奇襲にでも逢ったやうに感じて、暫く何も言ふことが出来ず に、まだ風の無い朝の空気の中に醒めて、夢心地をしてゐた。向ひの 墓の前の棺の木の葉が、夏の力の余波を持つた朝目に接吻せられて、 微かに揺らいでゐる上に、視線をあちこちとさまよはせてゐる。その 心の中にはどうしようかと云ふ政策の問題と、どう言はうかと云ふ辞 令の問題とが錨綜して起つて、とつ括いつの悩を続けてゐるうちに・ 思量の糸はます〃乱れて行くばかりである。 「ねえ、君、好いだらう」と、節蔵は更に押しの一手を試みた。  相原は兎に角手を東ねてはゐられなくなつた。「僕にはどうも分か らないんですが、一体僕にそんな事を言ふ君は誰ですか。毎日行き逢 つて、顔を見覚えた人に礼をするやうになるのは、好くある事かと僕 は思ふ。僕がなんの不都合な事をしたと云ふのだらう。」かうくど くどと云ふ詞の尻は独言のやうになつたが、最後に痢癌を起したやう な鋭い声で・「分からん」と云った。そして自分の鋭い声が出たのが 耳に問えると同時に、意外に気が強くなつた。これまで意識の閾の下 に眠つてゐた暴力が、自分の声に呼び醒されて、頭を置けたやうな工 合である。 「ふん」と、鼻から息を噴き出すやうに、節蔵は雪つた。「なる程少 し言ひ遅れたやうだ坦、僕は山口と云って、谷田の内にゐる書生だ。 君のする事が不都合か不都合でないかと云ふやうな問題は、差当りど うでも奸い。僕は面倒な事は厭だ。君よすか、よさんか。」半分吸っ た烟草を足元に投げて、左の膝の上に載せてゐた風炉鋪包を持ち直し て、右の膝の上に竪てた。 「失敬極まる。」一層鋭い、叫ぶやうな声で相原は云って、起ち上が つた。目尻の上がつた、潤んだやうな目で節政を見諸めて、血の色の 淡くなつた、薄い唇を頓はせて、撫で卸したやうな、常は身すばらし く見える肩に力を入れて、少し聲かした。手ぷらで、左の上衣の騒し に、縦に二つに折つたノオトのやうな物を入れて持つてゐたばかりの 相原の有の手が、此時ずばんの隠しに這入って、何物をか探った。  節蔵は相原の挙動を油断なく見てゐる。併し怒りもせず、激しもし ない、極端に冷誰な態度が抑へ附けるやうな作用を相原に加へてゐる。 着し相原が盲目な膏力を持つてゐる味者であつたら、此時節蔵を打つ ことが出来ただらう。生憎相原は怜例である。自分より畏大な節蔵に 対して、最初から怯僑の感じを持つてゐる上に、平生の慣用手段を用 ゐる機会を節蔵が少しも与へないので、拍子抜けがして、顔には又怪 訶の衰情が現はれた。相原の慣用手段は虚喝で、それを人の猿狽した 時に乗じて行ふのであつた。いく地のない青年や、一層弱い女性に対 しては、それが度々功を奏した。そのずばんの隠しに入れた右の手に は、虚喝の武器を握つてゐた。それは弾を装坦しない、小さい拳銃で あつた。 「君おこるのはよし給へ」と、悟然たる調子で節蔵の云ふのと、相原 が手をずぽんの隠しから出すのとは、殆ど同時であつた。「おこるの はよし給へ。僕の要求を容れるとか、容れないとか、極めてくれれば 好いのだよ。」 「容れなかつたら、どうしようと云ふのですか。」相原の語気は緩や かで、その目は鋭く赫いた。 「僕はそんな事を前以て考へては置かない。只聞いて見るのだ。」こ の外交的でない、殆ど馬鹿げた詞を平気な調子で云って、節蔵は口の 周囲に微笑を湛へた。徴笑は人を潮るのではなくて、独笑のやうに見 えた。  相原の顔には三たび怪訶の表情が現れた。そしてその心の中には、 微かに恐怖のやうな尊敬のやうな念が萌してゐる。「君は妙な人です ね。」  節蔵は声を出して笑った。「うん、妙かも知れない。妙かも知れな いが、谷囲の娘はよし給へ。君、あいつはまだ一人前の女にはなつて ゐないのださうだよ。」かう云ひながら、膝の上に立てた、風炉鋪包 を徐かに倒したり起したりしてゐる。  節蔵の終の一旬は、相原の自尊心を満是させて、相原は此刹那に、 体裁良く手を引く機会を授けられたやうに感じた。一体に相原は、い クとなく冷やかな、しかも政かい空気に顔をなぷられてゐるやうな心 つても、中に人が乗つてさへゐなければ、誰も怒らない。それは有道 者の態度であらうが、節蔵の態度には殆どそれに似た所があるのであ るo  突然「僕はよします」と、相原が云った。  此時下駄の歯の下に、小石の軋る音がして、二人のゐる校道へ曲が つた人がある。墓参の女である。先に立つたのは、無造做に東髪を緒 つた、色の白い、痩型の女で、黒縮緬の羽織が、凄みのある美しさに 好く似合ってゐる。跡には樒を持つた女中が附いてゐる。  相原は鋭い目をして、先に立つた女を見た。節蔵も立ち上がりなが ら同じ女を冷淡に一管して、すぐに相原に、「いや、難有う、大変失 敬した、さやうなら」と云って、墓地の真ん中の遺の方へ歩き出した。 相原も跡から附いて来たが、女と摩れ違ふ時、又その顔をぢつと見た。 女は脇を向いた。  真ん中の道に出て、節蔵はちよつと帽を頭から持ち上げて、「さや うなら」を繰り返した。そして左の方へ行き掛かつた。 「さやうなら。君は山口君と云ふのでしたね。」かう云って、桐原は 反対に元と来た方へ曲がりながら、同じやうな会釈をした。 「あ㌧。山口。」節蔵はかう言ひ棄てて、大股に南の方へ歩いて行く。  暫く節蔵の後姿を見送つた相原は、さつきの女の方を更に一目見て、 ゆつくり青山の通の方へ歩き出した。 拾牽  一人になつて歩き出してから、節蔵は相原の白い鼠の牙のやうな歯 と、どこを見るとも極まらないやうな、忙しさうな目とを無意味に思 ひ浮べてゐる。そして此想像には一種のくすぐつたいやうな、刺戟的 な、徹不愉快な感じが伴ふ。「あいつ、僕はよしますと云った時から は、妙に己に好怠を表してゐたやうだつたが、あの時もう今のやうな か云ふやうな処があるので、さう感ぜられるのらしい。怒つて見せる。 親んで見せる。女をたらすのを為事にしてゐる男は、さうしなくては ゐられない。それが一々怠識してするに限らない。習性と成つて、反 射機能のやうにさう云ふ表情をする。女なんぞには、それを不愉快に 感ずる程、鋭い感じを持つてゐるものが少い。勿論相原が相手にする やうな女にはそんな奴はゐまい。」かう思ふと同時に、節蔵はその踊 すものをも、踊されるものをも、それを見聞して悪むものをも、公憤 を発するものをも、一切唾棄しなくてはならない、呪誼しなくてはな らないと思った。  霞町から日が窪へ、わざと狭い裏道を歩きながら、節蔵は物を思 ふともなく思ひ続けてゐる。夏の撞の日程烈しくはないが、晴れた空 からさして来る光線の目映ゆいやうな中を歩いてゐて、汗ぱみもせず 草臥れもしない節蔵が体には、小さい時から狙介で、外から来る刺戟 を挑ね返すために、嘗て弛緩や放縦を閲したことのない健康の力が、 まだ錦磨せられずに籠もつてゐる。そして相原の生活を想像して見て も、まるで種類の違った動物の生活を想像するやうで、自已の中にそ れに接触し感応する或る物を見出すことが出来ない。女の跡を附け廻 る。狗のやうだと潮りたくなる。已は赤裸々の生活をしてゐる。あい つ等は衣服ばかりの生活をしてゐる。それに光彩があると云ふなら、 人世はペンキ塗だと、ふと思った。併し物の両端を敲かずには置かな い節蔵の思量は、かう云ふ得意らしい事を思ひ浮べて、そこに踏み駐 まつてしまふことは出来ない。表が目に映ずると、すぐに裏を返して 見なくてはゐられない。待てよ。已が馬鹿なのではあるまいか。彼等 の生活に肉や皮があつて、已の生活が骨ばかりなのかも知れないと自 ら潮つて見た。そしてそれが余り現在の固有の体感と矛盾してゐるの で、独り笑った。  学校に出て見ると、朝の漢学の次の時間を受け持つてゐる、美辞学 の教節が休んだので、生徒は体操揚に出て遊んでゐるのが多かつた。 中には故郷から学資を沢山貰ってゐるのがあつて、学校の直前の西洋 料理唐へ紅茶を飲みに行ってゐる。冷やかし半分に余所の敦場へ傍聴 に出掛けてゐるのもある。節蔵はこんな時には、度々応用化学の教場 へ出掛けるのであつた。化学の墓礎知識の確実でない生徒に、半通俗 的に格別の設傭もなく講義をして聞かせるのだが、此学科を受け持つ てゐる教師は、不完全な器械で、少しばかりの試験薬を使って、いろ いろな事をして見せる。折々は自分で図を引いて持つて来て、それを 塗板の上に開いて鋲釘で留めて説明する。又自費で試験薬を買って持 つて来ることもある。素人らしい生徒に、設傭なしに敦へることがど れ丈出来るかと云ふ研究に物数奇な趣味を持つてゐる此教師は、若い のに頭の禿げた、不弔合に背の高い、剽軽な男で、名を工藤と云った。 節蔵は何の講義を聞いても、学科の根抵に形而上的原則のやうなもの が點認してあるのを、常識で見出して、それに皮肉な批評を加へずに 置かない。それが工藤の講義には恐れ入つてゐる。事実を語り、事実 を示すのみなのに、乾燥無昧に陥いらないからである。  けふは丁度時間の中途でもあり、傍聴するやうな講義もないので、 節蔵は海の見える所へ行って、日を受けた水面がきら〃と銀のやう に光る台易の辺から、灰色に濁つた沖を帆船の滑つてゐる辺まで目を 遊ばせてゐる。こんな時に、同級生の誰彼が来て、物を言ひ掛けると、 無愛相でない返事もするが、こつちから進んで諸すことや、興に乗じ て饒舌ることは無い。その短い対語の間にも、頭の良い人は、節蔵の 詞の中に、有り触れた感じや自易{gを無造做に打被する様な幾旬 を見出して、跡からそれを思ひ出して、自分の閲歴と鎌磨との及ばな いことを傲ぢることもある。相手に構はずに、勝手な事を麓舌る人、 中にもあらゆる人間が皆常に栄養や生殖の衝動に屈従してゐて、偽善 の仮面を被つてゐるやうに思って、賊に賊が口品の話をするやうに、 下劣な長談義をする人が、こんな時に節蔵を掴まへて話してゐると、 節蔵はふいと黙つてしまふ。その人は驚いて節蔵の顔を見て、潮る程 の価値もない物を見るやうな、空虚な目を、自分の顔に注がれてゐる のに気が附いて、気味を悪かつて逃げるのである。けふは鳥を獲るに 意の無い節蔵の網に、どの種類の島も来て罹らなかつた。  台場の手前の、丁度鱗のやうな波が、日の光を浴びてゐる処で、噂 が一羽飛び起つて、銀のやうに赫いて、遠くへは行かずに、すぐに又 降りたのが、節蔵の目に附いた。近寄って見れば、よごれた灰色をし てゐる、あの鳥であるのにと思って、又ふいとその灰色の鳥の刹那の 赫きと云ふことを思った。なんでも世間で美しいとか、善いとか云ふ 事は刹那の戯きである。近寄って見ると、灰色にきたない。文字で光 明面を書くと雪ふのは、刹那の赫きを書くので、暗黒面を書くと云ふ のは、事実を書くのである。光明面の作者だつて、わざと穣に有る事 を書かうとするのではないが、平常の事を諸まらない、価値がないと してゐるので、それで刹那の赫きを求める。暗黒面の作者は灰色の平 常の価値を認めて書く。中には女が怠気だとか上品だとか云ふ衣裳の 色を愛するやうに、灰色に誕歌する人がある。一種のき旨弓沫を以 て灰色を愛撫し描写する人がある。已は刹那の赫きに眩惑せられもせ ず、灰色に耽溺しもしない。已はあらゆる価値を認めない。いかなる 癖好をも有せない。公平無私である。己が何か書いたら、謹の書く物 よりも公平な物を書くから、或はこれまでに類のない、旨◎8◎oqぎ①な 文章が出来るだらう。そして世間の奴は多分冷刻な文学だと云ふだら う。それにしても何を書いて好いか、その材料には見当が附かないと 思ふと同時に、けさ逢った相原の事が又心に浮かんだ。どうもあいつ なんぞは物になりさうでもないな。どうしても自分の感情を其人の内 部に入り込ませて活勵させて見ること、即ち感情移入と云ふやうなこ とが出来なくては駄目だが、それにはどこか、彼の感情と我の感情と 桐呼庵する処のあることを要する。さう云ふ触接点か甚だ乏しいやう だ。なんだか別れる時の様子では、あいつ已に接近して見たいやうな 態度を見せてゐたが、着し向多からそんな手段に出たら、こつちから もそれに応じて見て遣らうか。そのうちには彼我の接触する要素を見 出すことが出来るかも知れない。併し或る作品を得るには、あそこが いとすると、それには随分多くの要素を見出さなくてはならない筈だ。 それ程の要秦が得られるか、どうだか、頗る覚東ない。一体衝迫製作 説と云ふやうな、あの議論は一面の真理を持つてゐるには相違ないが、 それを持論にしてゐる人が、一切の意匠計画を廃せようとするのは偏 頗ではあるまいか。小説のやうな、形式の束縛の少いものはまだ好い としても、戯曲でも作らうとすると、衝迫ばかりでは成功せられさう にない。その衝迫を盟る器として計画を使用するのは勿論の事だが、 事に依ると、今一歩進んで先づ計画を立てて置いて、それに盛る内容 の上に、閲歴から得来つた衝迫を側かせるやうにしなくてはならない のではあるまいか。思量はそれからそれへと移つて行って、底止する 所を知らない。  鐘が鳴つた。所々に散らばつて、日なたばつ二をしたり、雑談に耽 つたりしてゐた学生がぞろく自分々々の嚢一向いて歩き出した。 節蔵もそれを見てゆつくり跡から附いて行った。そして心の中に、已 は又畳の上の水錬をしたなと思って、徴笑を唇の上に浮べた。 拾伍  牧山の主人は相原の投げ掛けてゐる網から、谷固の種子さんを救ひ 出さうと思って、その手段を節蔵の手に托して置いてから、一種の不 安が心頭を離れない。節蔵に話をした翌日のタ方にも、その次の目の タ方にも、谷田の邸の前を通る時、若し節蔵が出てゐはしないかと思 つて、気を附けて通ったが、二度共節蔵に逢はなかつた。正直で小心 な性質のために、不安は愈々増長して来るので、三日日にはとう〃 用事を拵へて、谷田の玄関を覗いて見たが、節蔵は散歩に出たと云ふ 事であつた。  まさかあれ程頼んだのに、節蔵が棄て置く筈はないがと思ひながら 帰る門口で、牧山の主人は停の繁太郎の学校から帰るのに出逢った。 足を早めて近寄った、自分の受けて来た感動と、それを人に伝へよう と思ふ熱心とに、目は赫いてゐる。 「なんだい」と云ひながら、主人は先に立つて門口を這入つた。  繁太郎は父に引き添って、父の顔を見上げて、口を尖らせて、「面 白いのですよ、面白いのですよ」と繰り返しながら、閾に蹟きさうに したり、敲きの上に脱いである人の履物を踏んだりして上がつて来た。  主人は「なんだい、まあ、落ち着いて話すが好い」と、戎めるやう に云って、いつも自分の据わる所に据わつたが、相原の事が断えず胸 にあるので、息予の面白い話と云ふのが、桐原の事ではあるまいかと、 すぐに推測して、早く聞きたくてならなかつた。  そこへ上さんも「繁や、帽子も学校の本も片附けないで、まあ、ど うしたと云ふのだえ」と云ひながら出て来て、これも熱心に赫く繁太 郎の目を見て、そこに腰を落ち着けた。  繁太郎は帽子と学校の本とをそこに投げ出して置いて、話し出した。 「けふ学校では、皆がその話ばかししてゐますがね。あの谷田さんの とこにゐる山口と云ふ人はえらいのですつてね。相原がすつかり降参 しちやつたさうです。一体あいつは、人にはお嬢さんだなんて、仇名 を附けられてゐても、自分では、この傲慢な相原が、二の傲慢な相原 がと云ふのが日癖になつてゐる奴です。僕なんざ、も少し大きくなれ ば、あんな力もなんにもないやうな奴には負けない積ですが、みんな はあいっのけんまくがひどいもんですから、避けて通すのです。それ が山口と云ふ人には降参したのですね。それ、あの事は僕がお父つさ んに話したので、お父つさんが山口さんに頼んだのでせう。皆に僕は さう云って遣ったのです。その山口と云ふのは、内のお父つさんの友 達だつて。」  余り要領を得ないので、主人は待ち兼ねて問うた。「そんな事はど うでも好いが、山口さんが相原をどうしたと云ふのだ。」 「あゝ、それですか」と云って、繁太郎がやう〃話し出したのは、 おほよそかうである。相原が谷囲の娘の車の通るのを待ち受けてゐて、 「右嬢さん・いつ僕の望を極へて下さるのです」と云って、車の前に 立ち塞がると、車夫はいぢけて立ち凍んでしまつた。相原は行きなり 娘の手を擾つた。その時傍の斬髪屋で、新聞を読む撮をして、様子を 窺つてゐた山口が飛ひ出して来て、黙つて相原の臂を掴んで、「君、 僕と一しよに来て貰ふのだよ。」と、耳に口を附けて晒いた。そして ずん−、引つ張つて行く。どこへ連れて行かれる事かと思ひながら、 相原はあつけに取られて附いて行く。とう〃青山の通へ出る。墓地 の検町へ這入る。どうしても振り放すことの出来ないやうに、相原の 臂を掴んでゐて、平気な顔をして、山口は歩くので、往来の人には少 しも分からない。相原は天狗に取られたやうになつて連れられて行く。 墓地の真ん中まで来て、山口は相原の臂を放した㌫その時相原は夢の 醒めたやうな心持になつて、それと同時にひどくおこつて、不断万一 の場合に出す覚僑で、ずばんの右の隠しに入れて持つてゐた拳銃を出 して、山口の胸に衝き附けて、「失敬極まる、僕は相原だ、腕力は君 の方が強いか知らないが、度胸では負けない、そこで謝罪し給へ、し なければ打つぞ」と云った。山口は電光のやうに飛び掛つて、相原の 拳銃を持つた腕をうんとなぐつた。拳銃はばたりと地に墜ちた。山口 は神色自若として桐原に言った。「ねえ、君、物は相談だが以後谷田 のお種さんに物を言ふこと丈は廃め給へ。」この山口の態度には桐原 も我を折つた。そして「君には傲慢な相原も心服した、僕が悪かつた から勘弁してくれ給へ、谷田のお嬢さんの事はさつばり思ひ切つた」 と締麗に言ひ放つた。「さうか、思ひ切つてくれるかね、僕も実に失 敬した、許してくれ給へ」と山口が云った。「いや、君のやうな人に 逢ったのは、侵の愉快な記念です」と云って、相鳳が右の手を出すと、 山口はそれを擾つた。二人は暫く黙つて目を見合せてゐた。手を放す 時、相原は目に涙を浮べて、「どうぞ僕を弟だと思って下さい」と云 ふと、山口は黙つて頷いた。相原はしやがんで拳銃を拾ひ上げながら、 「器械は精神には勝てないものですね」と云ったと云ふのである。 拾陸  繁太郎の話が済むと、牧山の女房が、いつも物に鶯いてゐるやうな 顔の目を一層円くして雰つた。「まあ、こはい事だねえ。繁ちやんも 気を右附けよ。学校の生徒の癖に、ビストルなんぞを持ち廻るものが あつては、いっどんな怪我をさせられるか知りやあしないよ。ねえ、 あなた。」女房は主人の方に向いた。「子供にビストルなんぞを持たせ ないやうには出来ないものでせうか。」  何事によらず内のものに対しては、講釈をして聞かせるやうな敦育 的態度になる癖のある牧山は云った。「それはちやあんと取締が附け てあるのだ。銃砲弾薬と云ふものは、蘭人が何の何がしにいつ何を売 つたと云ふお屈をすることになつてゐる。おほ方相原は苛いお袋の名 前で、誕身用の拳銃を買って特つてゐるのだらう。どの書生も皆そん な物を持ち廻ると云ふものではないよ。」 「さうでせうかねえ。まあ、内の繁なんぞは乱暴な事の嫌ひな子だか ら好いのですが、うつかりしてゐると、どんな目に逢はされるか知れ ませんね。」  繁太郎は得意らしい、親を馬鹿にしたやうな顔をして聞いてゐたが、 此時詞を挾んだ。一危険だ危険だと葦て、ぴくくしてゐては、な んにも出来はしません。フウトボオルだつて、旨く遣ら多と思ふと、 危険なんぞを思ってはゐられないのです。」 「あれですからね」と養って、上さんが主人と顔を見含せた。 「それは男はどんなあぷない所へも出なくてはならないが、求めてあ ぷない事をしてはならない。暴虎憑河と云ってな。」親爺はどこかで 聞きかじつた事を漢つて聞かせた。  繁太郎はいっもこんなときに感ずる、もどかしいやうな感じをして 聞いてゐた。  丁度牧山の停が学校から帰つて、二親の前で英雄崇拝談をした日の ことである。谷田の臭さんは、種子さんの帰りがいつもより少し遅か つたので、心配して門まで迎へに出てゐた。  車に乗つて帰つて来るお壌さんのリボンが遙か先きから見える。肩 は相変らずいたくしい嚢いが、こなひだまで男の子のやうであつ た胸に自立たぬ程肉の附いて来た、しなやかな体に、黄八丈の単物を 着てゐる姿と、漣はぬに飽くまで白い顔と逃、まだ目鼻の見分けの附 かない、遠い所を来るうちから、人の目を惹く美しさを持つてゐる。 母親が見る度に人に誇りたいやうな心持になるのも無理は無い。黄八 丈は世間では単物にはせぬ習であるが、その頃華族文学校の生徒には、 これを着るものが多かつた。暑さが少し弛んでから、世間の人がフヲ ンネルやセルを着る時、そんな物を召きない宮様の右姫様方が単の黄 八丈を召す。それを外の生徒が見習ってするのであつた。  車は次第に近くなつても、乗つてゐる娘は、母親が門に立つて待つ てゐるのに気斜附かない。一体お種さんは所謂澄ましてゐると曇ふの でなくて、いつも外を歩く時はあたりを見廻さずに、正面を見て歩い てゐる子で、それがいかにも上品に見えるのである。  谷国の奧さんの目は、最初唯白く見えてゐた浪の顔の眉や目や鼻を 見分けるやうになつた。不断見てゐる娘の顔の道具を、あざやかだと は知り抜いてゐる親も、これ程あざやかであつたかと、見る度に新に 驚く程のあざやかさである。瑚面の印象がいつも記億の及ばないのを 潮るのである。さう感じて、奧さんは顔に微笑を浮べた。それと同時 にお嬢さんも親を見附けて、嬉しさうににつこりした。  車が門に止まつて、お嬢さんが降りた。  「どうしてけふは遅くなつたの」と母親が問ふ。  「知らないわよ。わたくしいつもと同じだと思ってゐましたの。けふ 面白い事を聞かせて下さいましたの。それで遅くなつたのでせうか。」 待たれた娘の方は頗る気楽なものである。  お嬢さんは学校道具を入れた包みを持つて、駆け込むやうに玄関に 上がつて行った。その跡で車夫の喜三郎か手拭で額から項へ掛けて摩 で廻しながら、玄関に上がりさうにしてゐる臭さんに、小声で云った。 「あの、臭様、なんでございます。こなひだぢゆう臭様の気にして入 らつしやつた書生さんが、とう〃引つ込んでしまひました。もう今 日なんぞは、目に掛かる所にはどこにもゐませんでした。」 「さうかい。それは好い塩梅だね。だがこれからも油断しないで、気 を附けておくれよ。」かう云って置いて、奧さんは娘の跡から這入つ て行った。  光太郎が右種さんを学校通ひの途中に待ち受けてゐて椰楡ふのが、 突然止んだと云ふことを、谷田家で聞いたのはこれが始であつた。併 し臭さんは車夫の話をさ程気に留めても聞かなかつた。それは第一に 途中で娘に挨拶をする書生があると云ふことを、余り危険な事とも思 つてゐなかつたからでもあり、又けふ一日書生に出逢はなかつたと云 つても、久しい聞いたづらをしてゐた書生がこれ切りそれを止めたか どうだか分からないと思ったからでもある。実際奧さんは食事の世話 なんぞをしてゐるうちに、車夫の話を思ひ出しもしなかつた。  その日が暮れてからの事であつた。中働の冬が取り次いで、牧山さ んが臭様にお目に掛かりたいと云って来たと云った。「こちらへ右通 し申しても好いよ」と云ふと、「唯今山口さんの所で何か話してお出 なさいますが・さやう申しませう」と云って、起つて行った。  間もなく牧山が這入つて来た。不断納税の諸やなんぞをしに来た時 とは違って、何か事ありげな、改まつたやうな、此人には珍らしく幾 分か感情の均衡を失ってゐるらしい態度をしてゐるのを・臭さんはす ぐに認めた。併し憂慮すべき事、心配になる事を持つて来たとは見え ない。それとは反対で、何か喜ばしい事を告げに来た人の得意の色が 見えてゐる。  兎に角奧さんは何か変つた事があるらしく感じて、早くそれを聞か せて貰ひたかつた。併し牧山が目上の人の前に出た時、その口から用 事を聞かうとするのはなかく容易な事ではない。先づ落ち着いた調 子で時侯の挨拶をする。それも世間一般が涼しくなつて好いと云ふ二 とから・山口の話に聞けば・右邸ではタ方にまだ難蜘が出るさうだか ら、お困りなさるだらうと云ふことまで、廻り遠く陳べるのである。 それから新聞の二面にあるやうな事を一つ二つ話す。それから三面種 の中の評判になつてゐるのを一つ話す。もう大抵前置か済んだかと恩 ふと、牧山は此辺で容を改めて、家内中の御機嫌を伺ふ。それがきの ふ逢って話をした翌日でも省略はせられない。此時相手は少くも綜括 的に、「お内でも皆さん御無事で右出なさいませうね」位の事は言は なくてはならない。  臭さんも最初は受答の間に、早く前置を切り上げさせようとするや うな詞を挾んで見たが、それが悉く徒労に属してしまつたので、とう とう諦念めて落ち着いて聞いてゐる。随分じれつたくはあるが、そん な心持を人に見せ附ける程の我儘は、此奧さんには無い。 牧山の話筆うく本題に入つた。言ふまで墓く纂太郎に聞い た相原と山口との詰開きの話である。それを順序好く、なる丈効果の あるやうに話さうと努めてゐて、その中に牧山は一種の誇を見出して ゐる。  奧さんも車夫に聞いた話を思ひ含せて、覚えず耳を歌てた。殊に相 原が拳銃を持つてゐたと云ふことは、強く臭さんの神経を刺戟した。 「まあ、なんと云ふ乱暴な人でせう。それでゐて、好く山口さんの言 ふことを聞いたものですね。」 「さやうですとも。なか〃只の人には出来ませんのです。わたくし も実はいろ〃考へて見まして、どうしてもこれは山口さんに願はな くてはと存じましたのです。」 「本当に御親切に難有う。こざいます。こちらではそんなこはい事とは 存じませんものですから、っひ行き成りにいたしてゐましたのでござ います。」  臭さんは心から喜んで、謹やらが文章を添削して貰った礼に持つて 来た風月堂の菓子を牧山に馳定した。牧山はこれまでにない上首尾で、 来た時よりも一層改まつたやうな、得意な態度をして帰つて行った。  節蔵は此頃から谷田一家の人に優待せられるやうになつた。山口き んと云ふ称呼その物は変らないが、其音調が変つた。それから詞の末 に用ゐる敬誘が際立たぬ程改められた。或る日節蔵が学校から帰つて 食事をしてゐる所を、臭さんが廓下を通って見た。そしてすぐに都星 に帰つて、中働を呼んでかう云った。 「あの山口さんが御飯を上がる時、初はお給仕をして上げないやうだ が・いつもどうなつてゐるのかねえ。」 「さやうでございます。なんでも山口さんの方で、面働だからそれに は及ばないと仰しやつたもんですから、此頃はお任せ申すことになつ てゐますやうでございます。それにお初さんも随分忙がしいもんでご ざいますから。」 「それはさうだらうがね、忙がしい時御自分で班つて上がることに願 ふのは別として、不断はお給仕をして上げるやうにするが好いよ。そ れから斎藤さんはお前達の方で一しよに上がることにはしてあるが、 あの方にもなる丈お給仕をして上げた方が好いよ。あの方だつて矢つ 馨害んだからね。一山口の霧がとうく学僕の斎藤にまで及ん だのである。  こんな風に節蔵は優待せられる淋、主人にも臭さんにも前より親密 にせられるのではない。謂はば畏敬せられると云ふ塩梅である。若し 敬して遠ざけると云ふ詞を逆に用ゐることが出来るなら、此易合には 遠ざけて敬すると云ひたいのである。主人夫婦は自分達と節蔵との間 に存してゐる一定の距雌を、其儘保存して置いて、そして物事に気を  節嵐は自分を谷田家で優待しはじめたのが、牧山の話を聞いた為め だと云ふことを知つてゐる。そしてこんな事を思ってゐる。牧山の話 の調子は大ぷ仰山であつたらしいから、主人や奧さんに改まつて礼を 言はれる事かと思った。そして其時のω岸§畠冒を想像して見て、 くすぐつたいやうな、苦々しい感じをした。ところが此様子では何事 もなくて済みきうである。彼等は言説を以て謝を鳴らさずに、行為を 以て謝を鳴らす積りと見える。何事も因襲的に行ってゐる彼等にして は、殆ど出来過ぎたと云っても好い位の遣口である。  節蔵がこんな事を思ってゐるうちに、彼出来事があつてから二十目 程立つた。もう十月の初である。或る目学校から帰つて見ると、机の 上に見慣れない物が載せてある。見れば大きいインクスタンドである。 黒と赤とのインクを並べて入れるやうにして、前の方にペンを検に置 く溝が拵へてある。余程大きい卓の上に置かなくては弔り合はない品 で、縦ひ弔り合ふやうな場所に置いても、所詮実用には適しさうにな い。併し銀台に金象歓をした、その紬工は非常なものである。  自分の机の上κ、どうしてこんな物が載せてあるかと訶りながら、 節蔵が灘好く見ると、インクを入れる壷の蜷稼び畿には、外囲に左右 同じ曲線の装飾があつて、中央に別々の文字があらばしてある。左は S右はYの字である。節蔵はこれを読んだ瞬間に、このインクスタン ドは自分の貰ったのだと云ふこと、それからこれを貰ったのは彼事件 の謝礼だと云ふことを暁り得た。それと同時に背後の廊下に人のけば ひがした。 拾渠  撮り返つて見ると、臭さんが立つてゐるので、節蔵は少し慌てたや うに、「臭さんですか」と云った。節蔵はどんな場合にも男に対して この慌てたやうな態度を見せることは無い。唯遼かに女に物を言はな 《 ま一 “、 を。叶、やうに ずること那ある。その曄 彼は女を尊敬してはゐない。それだからこんな態度を人に見せた跡で は、いつも自己に対して不満足を懐いてゐる。或る時彼はなぜこんな 挙動をするのかと考へて見た末、とう〃これは生理的反応だと断定 した。  臭さんは機嫌の好い顔附きをして、節蔵の机の向うに据わつて、か う云った。 「あのそれは余程前にあなたに上げようと存じて識“て置きましたの ですが、やつと今日出来て参りましたの。主人も何か永くお使ひにな るやうな物を上げるが好いとは申しましたが、何を上げろとも極めて は申さないでせう。わたくし本当に困りましたの・とうくわたくし が、そんならあなたが括貰ひになるなら、何が宜しいのですと申しま したら、さうさなあ・已なら硯かなと申すのです。だつて山口さんは ペンでばかり物を書いて入らつしやるのですものと申しましたら、さ うかい、それは困つたな、まさかインキ壷も遣られまいと申しました の。そのお話はそれ切りになつてゐますと、宅の所へ文章を直して貰 ひに来る方で、京橋の美術商会の意匠部に出てゐなさるのが見えまし たのです。その方に宅がかう申したのですが、何か工夫は無いもので せうかと申すと、それはインキ壷が好い、どんなに立派にでも出来る と申しましたの。それからその方に頼んで、美術商会へ読へて貰ひま したのですが、どうでございますね、山口さん、右気に入りましたで せうか。」  節蔵は恐縮したやうな顔をして云った。「さうですか。気に入るも 入らないもありませんが、途方も無い立派な物ですなあ。なんだつて 僕がこんな物を頂戴することになつたのですか。」言ってしまつて節 歳は不愉快な、くすぐつたいやうな感じをしてゐる。応答の論理に余 儀なくせられてかうは云ったものの、臭さんの返事が聞きたくは無い。  臭さんは躊踏せずに云った。「なにね、こなひだ右種の事でお骨折 下きいましたお礼の積りなのでございます。」 「きうですか。あんな詣まらない事で。まあ、兎に角頂戴して置きま す。L節蔵はなる丈早く話を切り上げようと云ふ外には、 も思ってゐない。 「何か右気に入るやうな物をと存じたのでございますが、 んので」と云ひながら、奧さんは座を起つた。 * もうなんに 分かりませ  此頃学校で顔を見覚えた一人の男がある。年は自分より一つ位下だ らうと、節蔵は思った。親しい友達なんぞは持つてゐないらしい。い つも一人離れて、雑記帳の聞から小説を引き出して見てゐる。怜例ら しい顔をしてゐるが、その目は物を避けるやうに断えず不定に動いて ゐる。或る時は学校の庭で空を見て歩いてゐて、相識の誰やらに名を 呼び掛けられて、夢が醒めたやうな、魂を遠方から呼び返されたやう な態度で、慌てて返事をする。節蔵は唯「変つた人間だな」と云ふ丈 の感じから、此男の顔を見覚えたのである。  二日ばかり冷たい雨が降つて、それが上がつた跡の空か澄み切つた 監色に匂ってゐる日の事であつた。節蔵はいつも授業時間の間に行っ てゐる、海の見える芝生で、何を見るでもなく何を思ふでもなく、ひ とりぽんやり立つてゐた。するとそこから一間程離れた芝生の上へそ の男が来て、薄湿りのある草を藉いて、足を投げ出して腰を卸した。 そして毛締子の風炉鏑に雑記帳と一しよに包んである、例の小説を出 して読み始めた。それを出す時、節蔵が見るともなしに表紙を見たら、 春陽堂で出した、見覚えのある鏡花の小説であつた。  ニペエジばかりも読んだかと思ふと、その男は読みさした所に指を 挾んで、本を閉ぢて、あたりを見廻してゐる。此時節歳はその男がこ つちの視線の向いてゐる方角を辿つてゐるやうに感じたので、ふいと 見返つた。二人はぴつたり瞳を合せた。 「君は小説は読みませんか」と、その男が唐突に云った。その顔がい かにも無邪気らしくて、瞬間にさう思って、それを口に出したとしか 見えなかつた。 「僕ですか」と云って、節蔵は意中を窺ふやうな目をして相手を見た。 「実は君のやうな人でも小説なんぞを読むだらうかと、僕は疾うから さう思ってゐるのです。」 「僕のやうなとは」と云って、節蔵は不思議さうな相手の顔から目を 離さずにゐる。  その男は小説を風炉鋪の中べしまひながら云った。「でも君はあん な連中とは違ってゐるやうですから。」背後の運動場で大勢固まつて がやく云ってゐる学生仲間を顧みて云ったのである。  節蔵は覚えず徴笑んだ。「それでは僕のやうな変物でも小説を読む だらうかと思ったのだね。」 「なにさうぢやないのですが。」  まだ何か云ひさうにしてゐる相手の詞を遮るやうに、節蔵は「僕だ つて小説は読むさ」と着つた。詞が急にぞんざいになつてゐる。身に 纒はる、うるさい着物を脱ぎ棄てるやうに、あらゆる場合に出来る丈 早く敬語を棄てようとするのが節蔵の持前で、それには無論人を馬鹿 にしてゐる心持をも含んでゐる。 「さうですか」と云った男の顔は、さも嬉しさうであつた。そしてす ぐに「君は鏡花をどう思ってゐます」と畳み掛けて問ふのである。  節蔵は「君も崇拝家の一人ですね」と反間して、自分の意見は書は なかつた。 「さヶです。大好きです。」相手は熱心に答へて、「露伴とはどうでせ う」と、是非鏡花に対する賛否の声を聞かなくては気が済まないらし い様子で附け加へた。  節蔵は少しもどかしいやうな感しかしたが、窮屈な着物を已むを得 ず着た積りで使ふ敬語と同じ心持で、無造做に云った。「そんな比較 諭がどこかの新聞にあつたつけねえ。僕は鏡花も好きだが、露伴も好 きだ。どつちが好いの悪いのと云ふことは出来ない。僕はそれの出来 ないのが当り前では無いかと思ってゐる。露伴は第一の詩人と云はれ た時が過ぎてゐる。鏡花は今丁度第一の詩人と云はれる時が来てゐる のだ。これも今に過ぎ去つてしまふのだね。見てゐ給へ。これからい ろんな人が代るく第一の詩人に擬せられるから。そしてそれを吹聴 する人は、水平浪の下から這ひ上つて来る新しい人を待ち構へてゐて、 手を取つて引き出すやうにして、それを第一の詩人にするだらう。7 ランス文垣で選ぶ詩人王と云ふのがあるさうだが、それが矢つ張そん な風で、大家は大抵もう古臭いと看做されてゐるから、下から這ひ上 崩つて来る人が当選するさうだ。尤もフランスの詩人王は死んでから 代りが出来るが、日本では死ぬるまで気長に待つてゐないのだね。」 「そんな物ですかねえ。僕は鏡花の作に限つて面白くて溜らないもの ですから。」 「それは僕も同情するね。併し君だつて今に外の物をも面白く思ふや うになるよo」 「さうでせうか。僕は芸術の鑑賞も恋愛のやうなもので、いつまでも 一つものを好いてゐることが出来さうなのです。」  節蔵の顔には微笑が浮んだ。「なに、君、恋愛だつてそんな拒外的 なものぢやない。」  相手は驚きの目を瞭つて節蔵の顔を見た。「ではなんと云ったら好 いでせうか。宗教。」かう云ひ掛けて、黙つて考へて言ひ直した。「学 説だつてどれか一つこれが本当だと信じて。」  桐手の詞を遮るやうに節蔵が云った。「僕は学説なんか信じない。 併し鏡花は僕にも面白い。」  相手は前より一層大きい目をして、何か言ひさうにしたが、その時 丁度鐘が鳴つたので、袂から名刺を出して、「僕はかう云ふものです から」と云ひさして駆け出した。  名刺には小さい活字で、池田菱太郎と印刷してあつた。節蔵はちよ いと見て袂に入れて、自分も教場の方へ歩き串した。 拾捌  池田と云ふ書生と話をした日の夜であつた。谷田の家の庭では虫の 音がしてゐる。奥の方はもう寝鎮まつたが、節蔵は寝ようか、どうし ようかと思って、書物を四丑冊積み畳ねて枕にして、机の前に横にな つて考へてゐた。此邸に来た当座は、別に何時になれば寝なくてはな らないと極め参れたわけでは無いが、初から夜更かしをしては悪いと 云ふ遠慮もあり、或る時は一時頃に本を読んでゐると、廊下に足音が して、「まだ起きてゐるのか」と、主人の声で問はれたことがあつて からば、その時「はい」と云ふ返事を聞いて、主人は何も言はずに引 き返して行ったが、又主人に見に来らればせぬかと云ふ心配もあるの で、十二時にならぬうちに、きつと寝ることにした。それが例の優待 が始まつてから、いつとなく不規則になつて、節蔵は宵に転がつて寝 てゐて、十二時頃に起きて、それから二一二時間も本を読んだり、又ね むたくない晩には、一時までも二時までも寝ずにゐることがある。折 折臭さんが、「ゆうぺは大ぷ遅くまで起きてお出なさいましたね」な どと秀つても、其語気に非難するやうな調子は無い。谷田の邸では電 燈の数を制限して、皆終夜点けてゐて好いことにしてあるから、夜何 時まで起きてゐても、経済上に谷田家に迷惑を掛けることは無い。只 終夜灯でも点けて寝ることは主人が嫌って、「天物を暴するのだ」と 云ふので、寝る時には消す丈の事である。  節蔵は空想家では無い。今夜のやうに寝転んでゐる時にも、取留め もなく妄想を馳せることはしない。それには自分も気が附いて、己の やうに空想を起さない人問は、詩人にはなれないだらうかと思ったこ ともある。今夜も金く何事も思はずに寝転んでゐる。ふと虫の声に気 が附いて見ると、いろくの虫が幾つともなく叢がり鳴いてゐるのが 分かる。そして丁度或る歌ってゐる群から誰やらのソプヲノが離れて 問えるやうに、どの虫かの声が際立つて高く問える。うかとして聞く と、只其虫の声ばかりがするやうである。一間隔てた所に懸けてある 柱時計の音と其虫の音とばかりが問える。  節蔵は暫く何も思はずに、虫の音に耳を傾けてゐたが、ふと今日学 校で池田と云ふ男と小説の話をしたことを思ひ出した、そしてそれと 同時に、心の底で疾うから何か書かう、何か書かうと思ってゐた欲望 が、事新しげに頭を擾げて来た。実はその「何か」が多少形のある物 になり掛かつて来てからも、もう余程時日が立つてゐるのであつた。 節蔵は今の文壇に粉本のあるやうな物を書く気は無い。写実を唯の標 準にしてゐる周囲を離れて、自分は縦ままに空想を馳せて見たい。そ の中で間接には写実をも棄てない積りである。英書か少しづつ楽に読 めるやうになつたので、或る時ポオの物を読むと、自分の行くべき道 を此案内者が示してくれるやうでもあり、又自分の企ての無謀で危険 なのを、此先進者が高い処から見て笑ってゐるやうでもあつた。今日 池田と話をしてゐる間も、平生応対の筋道と思量の筋遺とをわざと徹 馳させて、勝手な事を話しながら勝手な事を考へる癖のある節蔵は、 池田との話は池田との話にして置いて、心の中では兼ての計画を、別 な方角から光線を借りて照して見てゐた。それは自分の書かうと思っ てゐる事は、形容の旨い所を鏡花に譲つて、心持ばかりで行かなくて はならぬと云ふのであつた。  節蔵はふいと今から書いて見ようと云ふ気になつて、むつくり起き て、学校で筆記をする積りで買って来であったーノオトブツクに書きは じめた。我ながら不思議だと思ふ程、筆が走る。現に書いてゐる旬が、 頭の中にゐる間、次の旬の邪魔をしてゐたのに、それが紙の上にぷち まけられると同時に、その次の旬が浮き出して来る。書いてゐる物に 独立した性命があつて、勝手に活動してゐるやうで、自分はそれを傍 看してゐるかとさへ思はれる。節蔵は後に世間にもてはやされるやう になつてから、日切のある為事を受け合って、気の向かないのに、絞 り出すやうにして、一行づつ物を書く時、よく此時の事を思ひ出して、 夢のやうに思った。  節蔵はまだ題を考へてゐない。最初の一ペエジにそれを書き入れる 所を明けて置いた。併し久しい前から物語の大体の筋立を頭の中に持 つてゐたので、いつからとなく符牒のやうに、「新聞国」と云ふ名が 附いてゐる。もう少しふさばしい題があつたら取り代へもしようが、 或は却つて此儘にして置いた方が、無遺做で好いかも知れぬとも思ふ のである。 −  新聞国は血の出るやうな訶刺である。若しこれが燃えるやうな熱惰 を内に包んだ作であつたら、もう一層深刻な物になつたかも知れない。 併し又ひ鰍へつて考へて見れば、或る所は氷の如くに冷かな節蔵でなく ては書けないのかも知れない。  ポオの集中にある「鐘楼に於ける悪魔」から強い印象を受けてゐる 節蔵は、新聞国を書くのに、風土記を書くやうな平叙法で、国の有様 を書いた。巧まずにありの儘を書いてゐるやうで、それが一々毒々し い訶刺になる。  此国は新聞の外に何物をも有せない。此国の人毘は新聞の種を作る 人と、その種を拾って書く人と、その書いたものを買って読む人との 三種類に区別することが出来る。勿論種を作る人が同時にそれを書い たり、同時に書いた物を読んだりすることもある。云々と書かせる積 りで云々の事をして見ても、書く人がなかくその通りには書かない ので、とうく自分で書く。それを印刷喜て読みながら、最も憲 になつてゐるのは・それをして、そしてそれを書いた当人だと云ふ事 になる。又種を拾って書くのを職業にしてゐる人が、種を作ることも ある。否、書く方から作る方へ廻りたいのが、総ての書く人の希望だ と云っても好からう。所がさうはならないので、いよいよ焼けになつ て書いてゐる。書く人が読む人として最も熱心であることは言ふまで も無い。他人の書いた物は旨くたつて他人の名誉で、まづくたつて他 人の恥辱だからどうでも好いが、自分の書いた物は熱心に読まずには ゐられない。どうかすると自分で書いて自分で愛読する丈で、謹も読 まない物もある。それから又冴聞を読むのを為事にしてゐる人が、同 ころがえらいのだが、かう見えて己達にだつて、なんでもすれば出来 るのだ、書かうと思へば書けるのだと云ふ心持でするのである。  新聞国の人艮を三つに区別すると、こんな夙に境界はばんやりして ゐるが、それだからと云って、此区別を無視することは出来ない。な ぜと云ふに、雑然として宇宙間に存在してゐるものを、或る立脚地か ら見て、分類しようとすると、勢此の如くならざることを得ない。一 切のO旨錫毒S竈8と云ふものがそんな物なのだ。リンネの植物系腕 だつてさうだ。ブルウメンバハの人種だつてきうだ。兎に角新聞国の 人民を三種類に区別することが出来るのは事実である。又此三種類以 外には何者もゐないのだ。絶対的に何者もゐないのだ。  先づ種を作る人から説明すると、その一小部分が政治家である。二 れが社会の上流にゐる。生れな逃らにゐるのもあれは、下から成り上 がつてゐるのもある。此人達の作る種は新聞の二面になる。此種は実 際遣ってゐることの正反対になつて新聞に出るのだ。積極の物が消極 になつて出る。消極の物が積極になつて出る。これが当り前であつて、 此関係が保持してゐられる問は、政治家は満足の体で概嫌を好くして ゐる。十一がきちんと合ふやうな時には掌を抵つて笑ふこともある。 万一此関係が転倒すると、政治家は顔を憂めて不機嫌である。そして 取消を出させる。かう云ふ種の作り方は決して新しい方法ではない。 新聞国の憲法が出来たのは咋今の事であるが、此方法はそれより前か らある。昔新聞なんぞのない時代に、日本で武鑑と雪ふ本と同じやう な政治家の名前や身分を書いた本が毎年出た。その頃ある政治家が自 分の事を書いた所に事実と相違した記載があるのを見出して直させた。 するとえらい政治家が云ふには、あんな本は事実と相違してゐる筈の ものである、正反対でなくてはならない、それを事実の通りに直させ る馬鹿があるものか、お役向の事が事実英儘に書かれて溜まるものか と云ったさうだ。昔もえらい政治家は今と同じである。そこで新聞の 二面に害く正反対を出喜て、奏を大切さうに隠してゐるから、 んでも無いのである。積極の事は新聞に消極の事として書かせる丈の 価値を有してゐる。消極の事は新聞に積極の事として書かせる丈の価 値を有してゐる。それ以外にはなんの価値もない。政治家は二面の種 を作る為めに政治家をしてゐるのである。新聞かなんにも書いてくれ ないやうな参、何を昔んでか政治家になつてゐよう。だから政治家が 新聞の種取りに附き纒はれて、胡麻の螂のやうにうるさがつてゐると 思ふのは皮相の観察である。種取りが附き纒ってくれないやうになつ たら、もう其人の政治的命脈は絶えてしまつてゐるのだ。種取りをう るさがるやうに見せるのも、政治家が事実の正反対を表面に出す手段 の一つである。好色家が女がうるさいと云ふと、金然同じ事である。  種を作る人の大多数は金力を三面種を作ることに傾注してゐる。新 聞国の中で一番活気があつて、そして一番馬鹿を見てゐる連中である。 此連中は物の一面しか見ることが出来ないから、どこを押へればど二 が持ち上がると云ふやうな事は考へない。欲しければ人の物を取る。 可哀ければ人の女房に手を出す。憎ければ誰をでも打ちもし殺しもす る。そしてそれを実行するのに、一番手短かな手段を取る。手段と云 ふと、多少:三と順序が立つてゐさうに見えるが、此違中のする事 には順序なんぞは無い。そのする事は一の8“である。政治家だつ て欲しい物は取るが、先づ与へて後に取ると云ふやうな順序がある。 どこかを押へて、どこかを持ち上からせるのである。新聞に正反対を 書かせなくてはな参ぬのも尤である。一二面種を作る連中は物を見るに も一面からしか見ない通りに、する事にも表裏斜無くて、平面的であ る。そして新聞には有の儘を書かれる。新聞の三面は平面描写である。  三面種を作る人が穐には二面種を作ることがある。それは離れ%\ ぽ伺人として螂かずに、群集をなして螂く時である。昌塁器である。 匂◎巨oである。群集だつて物を考へるが、眼界が個人より一層狭くな つて、物の一点しか見ない。そしてその一点に向って働く勢は、自然 の不可抗力のやうである。日本には昔都会に米星壊しと云ふのがあつ た。それから百姓一撲が田合にあつた。フヲンスにはげ蕩き庁壊し があつた。新聞国で群集がストヲイクをする。こんな事が新聞に書か れる時、新聞の二面に例外として有の儘が書かれる。一点描写と云ふ ものが不宰にしてまだ発明せられてゐないので、矢張平面描写で書く のである。 拾玖  新聞を書く人の多数は失敗者である。政治家にならうとして、なり 損ねた人である。新聞と云ふものの無かつた時代には、かう云ふ人は 文章と云ふものを書いた。それを世間が写し伝へて、慰みに読んで見 た。その頃はまだ文人が正直で、述作は已の本領では無い、已は不過 だから文章を書くのだと白状した。不過だと云ふのは用ゐられないと 云ふことである。用ゐられないと云ふのは親分が見附からないと云ふ ことである。今の新聞を書く人は表向では、さう云ふのを奴隷摂性だ として卑んでゐる。なに、已達が人に用ゐられて溜まるものか。已達 は人に使はれる人間では無い。人を使ふ人間だ。今はまだ已達が起つ て政治をする世の中では無い。当局の馬鹿げた事をしてゐろのが、今 の世の中には丁度好い。己達はその馬鹿げた事の記録を作つて遣る。 そして大抵な事までは潮弄して置くが、余り甚しくなれば筆詠を加へ る。今の政治家は北海道のアイノや台湾の生蕃と同じ事で、次第に死 に絶える運命を持つてゐる。已達の書いてゐる新問はお気の毒だが彼 等の衰亡史だと云ふのである。かう云ふ調子が先づ新聞の普通の書き 方になつてゐる。併し政治家は何時でも此調子を変べきせることが出 来る。それは少し金を担ませるとか、或る程度まで政治の仲間入をさ せるとかするのである。これまで政治家の悪口は言ってゐても、心中 では政治家を難有いものだと思ひ抜いてゐたのだから、政治の内幕を ちよいとでも覗かせて迫れば、金を貰ったよりも難有がる。さうする とこれまで馬虜げた事であつた当局の為事が、深謀遠広から出た善攻 になる。これまで死に絶えてしまへと誼つた閥閏が永遠に繁昌しなく てはならぬものになる。  併し新聞を書く人が皆失敗者ばかりでは無い。画をかかない画かき や、彫刻をしない彫刻家と一しよになつて、天掲戯の服を着たり、髪 の毛を畏くしたりして、血の循りの悪いやうな顔をしてゐる男が大勢 ゐる。内ゆ旨のしるしではないが、さう云ふ男は一目見れば分かる。 恐ろしく意気地がなくて、恐ろしく高慢で、猷身者らしい素振を看版 にしてゐる。「一の大勢は誰も彼も同じやうな事を言ったり為たりして ゐる所から見れば、団結力がひどく強いやうでもあり、又元子と元子 とが反撞力を持つてゐて、どうしても一つに合することの無いやうに、 二人集まれば二人で喧嘩をして・謹歩するだの折合ふだのと云ふこと が無い所から見れば、極端に孤立する性質を持つてゐるやうでもある。 その団結力はどんな風に作用してゐるかと云ふと、政治家が血続で閥 悶を作つてゐるとは反斌に、此人達は利害の上から“き答めいた団結 をして、自分の仲間で無いものをぱどこまでも躁蹟するのである。仲 間同士では一人一人喧嘩をしてゐながら、仲間の外にゐるものに対す るとなると、鉄壁を築いて防禦する。彼失敗者から成り立つてゐる新 聞書きが、;くの新聞姦のやうにして立て籠つてゐるのが列国 の政府なら、此連中はカトリツク教徒がどの国にも散らばつてゐて、 亙に気脈を通じて活動してゐるやうなものである。此連中を文士と目 ふ。  新聞国の事憎に疏いものは、文士と云ふものが長詩短詩を製造した り、小説を作つたり、脚本を拵へたりすると思ふが、それは大違ひで ある。そんな物は団結をしなくても出来る。団結をしては出来ないと 云っても好い位である。そんな物を作つたり、画をかいたり、彫刻を したりする人間が白人の女なら、文士は芸者のやうなものである。芸 者にもたまには子持がある坦、それは被格になつてゐると同じわけで、 文士は皆石女である。  この不生産的な文士は、大抵製作の出来る人を二一二人仲間に引き入 ルκ、そ机セ淋只の浄うふ小.り小でいそ妨、温、島 も皇。 定木を以であらゆる作品を測つて、物になつてゐないと云って排斥す る。かつ淋れてゐる作者は兎に角それ%\の人格を持つてゐて書くの だから、よしや或る共通点かあるとしても、決して同じでは無い。そ してその共通点だとせられて、一つの主義やH吻8Φの墓礎になつてゐ る或る物が、どうかすると一つの纒まつたものでもなんでも無いこと がある。その作品は主義の極印を打たれなくても通用するから、かう 云ふ作者は文士にかつがれるのを感謝すべきものだかどうだか考物で ある。  新聞を書く人はざつと此二種須から成り立つてゐるのだが、それが 役人をして政治家振ってゐる人と、三面種を作つてゐる人とを除いた 跡の青年の旧徹ど織てである。新聞を書く人はまだ字も知らない、小さ い時から「少年の何」、「何の少年」と云ふやうな名の附いた雑諸を持 つて遊んで、小学校に出る頃にはもう新聞や雑誌の真似事をして、同 級のものに読ませる。最初は印刷物に似せて、筆で一字一字書く。段 段筆招板で刷るやうになる。O鼻を冥似た画が這入る。その記事に 虚八百が並べてあつたり、人が中傷してあつたり、我田に水を引くや うな議論がしてあつたりすることは、此新聞の萌芽にもちやんと備は つてゐる。おつと突つかひ捧と云って、隣席の子の頼つぺたを指で衝 つ衝いたり、お弁当の右菜を交換しようとして先生に叱られたりする うちから、末頼もしい編輯の天才は苛然として頭角を露すのである。  こんな風に新聞を書く人を二種類に分けたのは、新聞の一面で気戯 を揚げる連中を、主に日中に置いて言ったのである。尤も文士の書く ものは一面から食み出して、大きな日曜附録と云ふやうな物になる二 ともあるが、ペエジ数の少い限は一面に収まる。此外に三面種を書く 連中があるのだが、これは同じ書く人でも階級が低い。三面種は誰が いつどこでどうしたと、黒いものを黒く、白いものを白く、忠実に、 平面的に書くに過ぎない。併しその間で、春秋の筆法を以て褒めたり 段つたりしなくてはならない。叙事には一々批評が挿まれる。話説に いうちから印刷したやうに極まつてゐる。偶に洒落を言へぱ、その酒 落も極まつてゐる。偶に毒{胆弍冒を出しても、その童ユ暮μ旨が 又極まってゐる。要するに三面記者はどこ迄も個人の猿智恵を出すこ とを避けて、飽くまで典型的に書かなくてはならない。女は皆「美 人」である。恋愛は皆「痴情」である。何事につけても公慎を発して 怪しからん呼ばりをしなくてはならない。クリストは裁判をするなと 云ったが、三面記者は何から何まで裁判をしなくてはならない。どん な遺伝を受けて、どんな境界に身を置いた個人を掴まへて来ても、そ れを指を屈する程の数の型に猷めて裁判をする。そこが春秋の春秋た る所以かも知れない。  新聞国の第三種の人は新聞を読む人である。新聞を読むより外なん にもしない。それが金生活である。新聞の種を作る人には老人も若い 人もゐるが、新聞を書く人は大抵着い人ばかりで、それを読む人は概 ね老人と老人めいた若い人とだと云ふことが出来る。飲食で体を養ふ やうに、新聞で精神を養ふ。但し此種類の人に精神と云ふ詞を使ふの は、詞の濫用かも知れない。精神と云ふと、なんとなく流動してゐて、 捕提し難いものらしく感ぜられるが、新聞を読む人の精神は真の固態 でないまでも、煉薬か粥位のねばり気を持つてゐる。分予と分子との 間に容易に運動か起らない。その稔に起る運動はいつも同じ方窩を取 つて起る。新聞を書く人の判断は即ち此運動に一致してゐる。着し判 断泌下してなかつたら、読む人は自分で判断しなくてはなるまい。そ れば覧が歩けと云はれた程の苦痛である。読む人の身に取つては、書 く人が是非共自分に代つて考へてくれなくてはならない。そしてその 考がいつも同じ道を歩いて同じ所に到着しなくてはならない。「怪し からん」なんぞは尤も馴染のある到着点である。かう云ふ人のために は、或る出来事に就いて新しい、これまでと違った判断なんぞをせら れては溜まつたものではない。評価の転変なぞは大禁物である。そこ で日々新に出る新聞か永遠に古くなくてはならない。その永遠に古い 物を新しいと思ひ、随つてそれを読む自已をも新しいと思ふ処に、か う云ふ人の満足と快楽とがある。此関係を最も明白に証明してゐるの は新聞国の新聞に必ず載せてある講談と云ふものである。新聞国でな い国にも新問はあるが、どの国の新聞にも講談はない。講談に似たも のもない。あれは新聞国にまだ新聞かなかつた昔、賃本星と云ふもの が浅葱の風炉敷に包んで背負って歩いた書き本と云ふものに書いてあ つたもので、その書き本はいつか唐かみや屏風の心に貼られたり、渋 がみ つ∫ら 小ほん らとかた 紙になつたり、葛籠や下女革包の裏になつたりして、痕形もなくなつ た。その後活板が出来てから、活板本になつたのが、今でも新聞国の 大遺店に出てゐる。新問はその一冊一銭で買はれるお家晒勵を少しづ つ切つて、半年も続けて出すのである。それが完緒になれば、その迹 へすぐに同じ物を発端から出しても好い。結末を読む頃には発端は忘 れてゐるから差支ない。万一記憶の害い読者があるのを憚るなら、二 つ三つのお家畷動を同じ順序に並べて繰り返せば好い。新聞の胴輯を 鋏と糊とでするとは、余所の国の事で、新聞国では少くも講談欄を環 める時、鋏も糊も不用である。紙型にでも取つて置けば、紙型の磨減 せぬ限は、手を懐にして邑μ島邑冨昌に繰り返して同じ物を戟せる ことが出来る。そしてそれが読む人のためには新しい。新しいとはき のふとけふとが違ふことである。  節蔵は薪聞国の人艮を類別して、博物学の叙述のやうに書いた。そ の体裁は間々に習作めいた短い話を幾うも挿んであるので、ここに筋 書をした程乾燥無味ではなかつたが、どうしても小説らしくは見えな かつた。節蔑の胸算では、此類別なんぞは小説らしくなくても構はず に、ずんく書いてしまつて、それ裏警して別に書畠したいも のがあるのである。併し人民の類別が思ったより畏くなつて、なかな か済みさうにない。とうく竈近く雲たので、節震少しで嘉 いから寝ようと思って、床の中へ身を検へた。  暫く目を鰯つてゐたが、妙に心が澄んで眠られない。そして自分の 書かうと思った專が頭の中に浮んで来る。それは新聞国の政変である。 有力な政治家が出て、9■o{、小雪叶のやうな子段で新聞を廃せようと する。此政治家がそれまでの決心をするには、通信員に自分の意図に 極ふやうな通信をさせようと思って、奇正剛柔あらゆる手段を尽して 見たが、どうしても安心して書かせて置かれるやうにはならない。そ こで自分に調歌してくれる時の愉快を犠牲にして、廃止を断行するこ とになるのである。此廃止が、他の政治家や、新聞を書く人や、新聞 を読む人に及ぼす影響は千差万別であ汽新聞維持説の政敵は砥船稼 浬も少くないが、書く人や読む人は悉く廃止の蟹者で、その周章 狼狽の様子は随分面白く書けさうである。中にも際立つて面白い出来 事が二つ三つ画のやうに浮かんで出て、早く書いて貰ひたいと催促す るやうに見える。或る一組の人達の間に起る会話や、或る街頭に現れ る晒動は、濃厚な光彩を以て微細な所まで断片的に纏継ねて現れて来 る。それを追尋して行くうちに、節蔵は次第に意識の騰気になるのを 感じて、いつの間にかぐつすり寝てしまつた。 (明治四十四年十月−大正元年十二月)