あそび 鴎外  木村は官吏である。  或日いつもの通りに、午前六時に目を醒ました。夏の初めで多る。 もう外は明るくなつてゐるが、女中が遠慮して二の間丈は雨戸を開け ずに置く。蚊螂の外に小さく燃えてゐるヲンプの光で、独寝の閨が寂しく見えてゐる。  器械的に手が枕の側を探る。それは時計を撞すのである。逓信省で 車掌に買って渡す時計だとかで、頗る大きいニツケル時計なのである。 針はいつもの通り、きちんと六時を指してゐる。 「捗い。戸を聞けんか。」 女中享を拭きく出て来て、雨戸を督開ける。外は相変争、 灰色の空から細かい雨が降つてゐる。暑くはないが、じめくとした 空気が顔に当る。  女中は湯帷子に禄を肉に食ひ入るやうに掛けて、戸を一枚々々戸袋に繰り入れてゐる。額には汗がにじんで、それに乱れた髪の毛がこびり附いてゐる。 「はゝあ、けふも運動すると暑くなる日だな」と思ふ。木村の借家から電車の停留場まで七八町ある。それを歩いて行くと、涼しいと思って門口を出ても、行き着くまでに汗になる、その事を思ったのである。 縁側に出て顔を銑ひながら、今朝急いで課長に出す筈の書類のある ことを思ひ出す。併し課長の出るのは八時三十分頃だから、八時までに役所へ行けば好いと思ふ。  そして頗る愉快げな、晴々とした顔をして、陰気な灰色の空を眺めてゐる。木村を知らないものが見たら、何が面白くてあんな顔をしてゐるかと怪むことだらう。  顔を洗ひに出てゐる間に、女中が手早く蚊螂を畳んで床を上げてゐ る。そこを通り抜けて、唐紙を開けると、居間である。  机が二つ九十度の角を形づくるやうに据ゑて、その前に座布団が鋪いてある。そこへ据わつて、マツチを擦って、朝日を一本飲む。  木村は為事をするのに、差当りしなくてはならない事と、暇のある度にする事とを別けてゐる。一つの机の上を続区に空虚にして置いて、その上へ其折々の急く為享を持つて行く。そしてその急く為享が片付くと、すぐに今一つの机の上に載せてある物をそのあとへ持ち出す。 この載せてある物はいつも多い。堆く積んである。それは綬急によつて畳ねて、比較的急くものを上にして置くのである。  木村は座布団の側にある日出萩聞を取り上げて、空虚にしてある机の上に広げて、七面の処を開ける。文芸欄のある処である。  朝日の灰の翻れるのを、机の向うへ吹き落しながら読む。顔は矢張晴々としてゐる。  唐紙のあつちからば、はたきと箒との音が劇しく問える。女中が急いで寝間を掃除してゐるのである。はたきの音が殊に劇しいので、木 村は度々小言を書つたが、一目位直つても、又元の通りになる。はたきに附けてある紙ではたかずに、柄の先きではたくのである。木村はこれを「本能的掃除」と名づけた。鳩の卵を抱いてゐるとき、卵と 白墨の角を司したのと取り換へて置くと、矢張其白墨を抱いてゐる。 目的は余所になつて、手段丈が実行せられる。塵を取る為めとは思はずに、はたく為めにはたくのである。  尤も此女中は、本能的掃除をしても、「舌の戦ぎ」をしても、活溌で間に合ふので、木村は満足τてゐる。舌の戦ぎといふのは、ロオマ ンチツク時代の或小説家の云った事で、女中が主人の出た迹で、近所をしやぺり廻るのを謂ふのである。 くときは、桓ゆ罵旨首εな表情をするが、さうでなければ・顔を憂 めるのである。,いてあるのは毒にも薬にもならないやうな事である か、さうでなければ、木村が不公平だと感ずるやうな事であるからで ある。そんなら読まなくても好ささうなものである斜・矢張読む。読 んで気のない顔をしたり、一寸顔を憂めたりして、すぐに又晴々とし た顔に戻るのである。  木村は文学者である。  役所では人の手間取のやうな、精神のないやうな、附けたりのやう な充事をしてゐて、もう頭が禿げ擦かつても、まだ一向帽が利かない のだが、文学者としては多少人に知られてゐる。ろくな物も書いてゐ ないのに、人に知られてゐる。宮に知られてゐるばかりではない。一 旦人に知られてから、役の方が地方動めになつたり何かして、死んだ ものゝやうにせられて、頭が禿げ掛かつた後に東京へ戻されて、文学 者として復活してゐる。手数の掛かつた履歴である。  木村が文芸椚を読んで不公平を感ずるのが、自利的であつて、毀ら れれば腹を立て、蛮められれば喜ぶのだと云ったら、それは冤罪だら う。我が事、人の事と言はず、くだらない物が讀めてあつたり、面白 い物がけなしてあつたりするのを見て、不公平を感ずるのである。勿 論自分が引合に出されてゐる時には、一眉切実に感ずるには違ない。  ルウズヱルトは「不公平と見たら、戦へ」と世界中を説法して歩い てゐる。木村はなぜ戦はないだらうか。実は木村も前半世では盛んに 戦ったのである。併し其頃から役人をしてゐるので、議論をすれば著 作が出来なかつた。復活してからば、下手ながらに著作をしてゐるの で、議論なんぞは出来ないのである。  其日の文芸欄にはこんな事が書いてあつた。 「文芸には情調といふものがあ亀情調但筆§弐gの上に成り立つ。 併し旨患旨家四巨Φなものである。木村の関係してゐる雑誌に出て ゐる作品には、どれにも情調がない。木村自己のものにも情調がない やうである0」  約めて言へぱこれ丈である。そして反対に情調のある文芸といふものが例で示してあつたが、それが一々木村の感服してゐるものでもなかつた。中には木村が、立派な作者があんな物を書かなければ好いにと思ったものなんぞが挙げてあつた。  一体書いてある事が、木村には書くは分からない。シチユアシヨンの上に成り立つ情調なんぞと云ふ詞を読んでも、何物をもはつきり考へることが出来ない。木村は随分哲学の本も、芸術を論じた本も読んでゐるが、こんな詞を読んでは、何物をもはつきり考へることが出来ない。いかにも文芸には、アンデフイニツサアプルだとも云へば云はれきうな、面白い処があるだらう。それは考へられる。併しシチュァシヨンとはなんだらう。昔からドヲアムやなんぞで、人物を時と所とに配り附けた上に出来るものを言ふではないか。ヘルマン・バァルが旧い文芸の醜ひ処としてゐる、急螂で、豊宮で、変化のある行為の緊 張なんといふものと、差別はないではないか。そんなものの上に限つて成り立つといふのが、木村には分からないのである。  木村はさ程自信の強い男でもないが、その分かるないのを、自分の頭の悪いせいだとは思はなかつた。実は反対に記者の為めに頗る気の毒な、失敬な事を考へた。憎調のある作舐として挙げてある例を見て、一眉失敬な事を考へた。  木村の憂めた顔はすぐに晴々としてしまつた。そして一人者のなんでも整頃する癖で、新聞を丁寧に畳んで、居間の縁側の隅に出して置いた。かうして置けば、女中がランプの掃除に使って、余つて不用に なると、眉星に売るのである。  これは畏々とは書いたが、実際三二分間の出来事である。朝日を一 本欽む間の出来事である。  朝圓の吸殻を、灰皿に代用してゐる石決明貝に棄てると同時に、木 村は何やら思ひ附いたといふ風で、独笑をして、側の机に十冊ばかり 積み上げてある昌“目■§豪らしいものを一抱きに抱いて、それを用 箪笥の上に運んだ。  それは日出新聞社から頼まれてゐる応募脚本であつた。  目出新聞社が懸賞で脚本を募つたとき、木村は選者になつた。木村 は息も衝けない程用事を持つてゐる。応募脚本を読んでゐる時問はな い。そんな時間を拵へるとすれば、それは烟草休の暇をそれに使ふ外はない。  烟草休には誰も不愉快な事をしたくはない。応募脚本なんぞには、面白いと思って読むやうなものは、十読んで一つもあるかないかである0  それを読まうと受け合ったのは、頼まれて不精々々に受け合ったのである。  木村は日出新聞の三面で、度々悪口を書かれてゐる。いつでも「木 村先生一派の風俗壊乱」といふ詞が使ってある。中にも西洋の誰やら の脚本を或劇場で呉行するのに、木村の訳本を使った時に此お極りの 悪口が書いてあつた。それがどんな脚本かと云ふと、8易ξΦの可笑 しい程厳しいヰインやベルリンで、書籍としての発行を許してゐるばかりではない、舞台での呉行を平気でさせてゐる、頗る甘い脚本であつた。  併しそれは三面記者の書いた事である。木村は新聞社の享情には聰 いが、新聞社の芸術上の意見が三面にまで行き渡つてゐないのを怪みはしない。  今読んだのはそれとは違ふ。文芸棚に、縦令個人の署名はしてあつても、何のことわりがきもなしに哉せてある説は、政治上の社説と同 じやうなもので、社の芸術観が出てゐるものと見て好からう。そこで 木村の書くものにも情調がない、木村の選択に与つてゐる雑誌の作品にも情調がないと云ふのは、木村に文芸が分からないと云ふのである。 文芸の分からないものに、なんで脚本を選ばせるのだらう。情調のない脚本が当選したら、どうするだらう。そんな事をして、庵募した作者に済むか。作者にも済むまいが、こつちへも済むまいと、木村は思つた。  木村は悪い怠昧でデレツタントだと云はれてゐる丈に、そんな目に 逢って、面白くもない物を読まないでも、生活してゐられる。兎に角 此一山を退治ることは当分御免を蒙りたいと思って、用箪笥の上へ移 書いたら畏くなつたが、これは一秒時間の事である。 隣の間では、本能的掃除の噌柵鍬んで、唐紙が開いた。謄が出た。 木村は根芋の這入つてゐる味盾汁で朝飯を食った。 食ってしまつて、茶を一杯欽むと、背中に汗がにじむ。矢張夏は夏 だと、木村は思った。 木村は洋服に嚢一てザ雙切らない習を一福しに入れて玄関 κ出た。そこには弁当と蜴蝪傘とが置いてある。沓も磨いてある。 木村は傘をさして、てくく出掛けた。停留場までの遣は狭い町家 焼養で、通る時に主人の挨拶をする店は大抵極まつてゐる。そこは気 を附けて通るの舵肪る。近所には木村に好意を表してゐて、挨拶など をするものと、冷澹で知らない顔をしてゐるものとがある。敵対の感 じを持つてゐるものはないらしい。 そこで木村はその挨拶をする人は、どんな心持でゐるだらうかと推 察して見る。先づ小説なぞを書くものは変人だとは総かに思ってゐる。 変人と思ふと同時に、気の毒な人だと感じて、郁紗維帖にしてくれる 汁ふ風である一それが鐘をする壽章又てゐる。木村はそれを 厭がりもしないが、無論難有くも思ってゐない。 丁度近所の人の態度と同じで、木村といふ男は社交上にも余り敵を 持つてはゐない。矢張少し馬鹿にする気味で、好怠を表してゐてくれ る人と、冷澹に構はずに置いてくれる人とがあるばかりである。 それに文壇では折々退治られる。  木村は枳人が構はずに置いてくれれば好いと思ふ。構はずにといふ が、著作丈はさせて貰ひたい。それを見当違に尉餅したりなんかせず ’暗々㍑意辛嘘ふの雲る。そして少致の人がど暴で読 と、心のずつと臭の方で思ってゐるのである。  停留易までの道を半分程歩いて来たとき、検町から小川といふ男が 出た。同じ役所に勤めてゐるので、三度に一度位は道連になる。  一けさば少し早いと思って出たら、君に逢った」と、小川は云って、 傘を傾けて、並んで歩考出した。  「さうかね。」  「いつも君の方が先きへ出てゐるぢやあないか。何か考へ込んで歩い てゐたね。大作の趣向を立ててゐたのだらう。」  木村はかう養ふ事を聞く度に、くすぐられるやうな心持がする。そ れでも例の晴々とした顔をして黙つてゐる。 「こなひだ太陽を見たら、君の役所での秩序的生活と芸術的生活とは矛盾してゐて、到底調和が出来ないと云ってあつたつけ。あれを見たかね。」 「見た。風俗を壊乱する芸術と官吏服務規則とは調和の出来やうがないと云ふのだらう。」 「なる程、夙俗壊乱といふやうな字があつたね。僕はさうは取らなか つた。芸術と官吏といふ丈に解したのだ。政治なんぞは先づ現状の触 では一時の物で、芸術は泳漉ゆ物だ。攻治は一国の物で、芸術は人類 の物だ。」小川地冶内での饒舌家で、木村はいつもうるさく思ってゐ るが、そんな素振はしないやうに努めてゐる。先方は持病の起つたや うに、調子附いて来た。「併し、君、ルウズヱルトの方々で飲つてゐ る演説を読んでゐるだらうね。あの先生が日で書つてゐるやうに行け ば、政治も一時だけの物ではない。一国ばかりの物ではない。あれを 一眉高尚にすれば、政治が大芸術になるねえ。君なんぞの理想と一致 するだらうと思ふが、どうかねえ。」  木村は馬塵々々しいど思って、一寸顔を憂めたくなつたのをこらへてゐる。  そのうち停車場に来た。場末の常で、朝出て晩に帰れば、丁度満員 ぺて立つてゐて、車を二台も遣り過して・やつとの事で乗つた。  二人共弔革にぷら下がつた。小川はまだしやべり足りないらしい。 「君。僕の芸術観はどうだね。」 「僕はそんな事は考へない。」不精々々に木村が答へた。 「どう思って遣ってゐるのだね。」 「どうも思はない。作りたいとき作る。まあ、食ひたいとき食ふやうなものだらう。」 「本能かね。」 「本能ぢやあない。」 「なぜ。」 「意識して遣ってゐる。」 「ふん」と云って、小川は変な顔をして、なんと思ったか、それ切り電車を降りるまで黙つてゐた。  小川に分かれて、木村は自分の都屋〃前へ行って、帽子掛に帽子を掛けで→傘を立でで直いた“ま。右帽予は二づ三づしか掛かづでゐなかつた。  戸は開け放して、竹簾が垂れてある。お為着せの白服を着た給仕の 側を通って、自分の机の処へ行く。先きへ出てゐるものも、まだ為事には掛からずに、扇などを使ってゐる。「お早う」位を交換するのも ある。黙って頃で会釈をするのもある。どの顔も蒼ざめた、元気のな い顔である。それも其筈である。一月に一度位づつ病気をしないもの はない。それをしないのは木村丈である。  木村は「非常持出」と書いた札の張つてある、煤色によごれた戸棚から、しめつぽい書須を出して来て、机の上ヘニ山に積んだ。低い方の山は、其日々々に旭理して行くもので、その一番上に舌を出したや うに、赤札の張つてある一綴の書類がある。これが今朝課畏に出さなくてはならない、急きの事件である。高い方の山は、相間々々にぽつ ぽつ遣れば好い為事である。当り前の分担事務の外に、字句の訂正を 要する為めに、余所の局からも、木村の処へ来る書須がある。そんな のも急きでないのは此中に這入つてゐる。  書類を持ち出して置いて、椅子に掛けて、木村は例の車掌の時計を出して見た。まだ八時までに十分ある。課長の出動するまでには四十分あるのである。  木村は高い山の一番上の書類を広げて、読んで見ては、小さい紙切 れに糊板の上の糊を附けて張つて、それに何やら書き入れてゐる。紙 切れば幾枚かを紙撚で繋いで、机の横側に掛けてあるのである。役所ではこれを附箆と云ってゐる。 ■木村はゆつくり桔へて、絶えずこつ〃と為事をしてゐる。その間顔は始終晴々としてゐる。かういふ時の木村の心持は一寸説明しにくい。此男は何をするにも子供の遊んでゐるやうな気になつてしてゐる。 同じ「遊び」にも面白いのもあれは、諸まらないのもある。こんな為事はその諸まらない遊びのやうに思ってゐる分である。役所の為事は 笑談ではない。政府の大機関の一小歯輪となつて、自分も廻雇してゐるのだといふこと情鶯づきり自覚しゼゐるd自覚しでゐで寸それを遣ってゐる心持が遊びのやうなのである。顔の晴々としてゐるのは、此心持が現れてゐるのである。  為事が一つ片附くと、朝目を一本飲む。こんな時は木村の空想も悪 戯をし出す事がある。分業といふものも、貧乏銭を引いたものの為め には、随分諸まらない事になるものだなどとも思ふ。併し不平は感じ ない。そんならと云って、これが自分の運だと諦めてゐるといふ厨− 置旨冨らしい思想を持ってゐるのでもない。どうかすると、こんな 事は罷めたらどうだらうなどとも思ふ。それから罷めた先きを考へて 見る。今の身の上で、ランプの下で著作をするやうに、朝から晩まで 著作をすることになつたとして見る。此男は著作をするときも、子供 が好きな遊びをするやうな心持になつてゐる。それは昔しい処がない といふ意味ではない。どんなω召喜をしたつて、障暖を凌ぐことは ある。又芸術が笑談でないことを知らないのでもない。自分が手に持 つてゐる道具も、真の鍾匠犬家の手に渡れば、世界を動かす作品をも 造り出すものだとは自覚してゐる。自覚してゐながら、遊びの心持に なつてゐるのである。ガンベツタの兵が、あるとき突撃をし掛けて鋒 が鈍つた。ガンペツタが蜘爪を吹けと云った。そしたら進撃の譜は吹 かないで、まく邑の譜を吹いた。イタリア人は生死の境に立つてゐ ても、遊びの心持がある。兎に角木村の為めには何をするのも遊びで ある。そこで同じ遊びなら、好きな、面白い遊びの方が、諸まらない 遊びより好いには違ひない。併しそれも朝から晩までしてゐたら、単 調になつて厭きるだらう。今の諸まらない為事にも、此単調を被る丈 の功能はあるのである。  此為事を罷めたあとで、著作生活の単調を被るにはどうしよう。そ れば杜交もある。旅もある。併しそれには金がいる。人の魚を鉤るの を見てゐるやうな態度で、交際社会に臨みたくはない。ゴルキイのや うな毒彊3邑墨oをして愉快を感じるには、ロシア人のやうな遺伝 でもなくては駄目らしい。矢張けちな役人の方が好いかも知れないと 思って見る。そしてさう思ふのが、別に絶望のやうな苦しい感じを伴 ふわけでもないのである。  或時は空想が愈々放縦になつて、戦争なんぞの夢も見る。刺帆は進 撃の譜を奏する。高く撃げた旗を望んで駈歩をするのは、さぞ爽快だ らうと思って見る。木村は病気といふものをしたことがないが、小男 で痩せてゐるので、徴兵に取られなかつた。それで戦争に行ったこと はない。併し人の話に、壮烈な進撃とは云っても、実は土婁を蟹して 旬旬して行くこともあると聞いてゐるのを思ひ出す。そして多少の呉 味を殺がれる。自分だつて其撞に身を置いたら、土婁を霧して旬旬す ることは辞せない。併し壮烈だとか、爽快だとかいふ想像は薄らぐ。 それから縦ひ戦争に行くこξが出来ても、軸重に編入せられて、運搬 をさせられるかも知れないと思って見る。自分だつて車の前に立たせ られたら、挽きもしよう。後に立たせられたら、推しもしよう。併し 壮烈やカ要とは一口饒遺くなると思ふのである。 快だらう。地極の氷の上に国旗を立てるのも、愉快だらうと思って見 る。併しそれにも矢張分業があつて、蒸汽桜関の火を焚かせられるか も知れないと思ふと、Φ目葦9屋冨s①の夢が醒めてしまふ。  木村は為享淋一つ片附いたので、その一括の書類を机の向うに押し 遣って、高い山から又一括の書須を卸した。初のは半紙の罫紙であつ たがい』卜狐度のは索板紗晒洋搬である。手の平にべたりと食っ附く。 丁度物干竿と一しよに蜻oを担んだやうな心持である。  此時までに五六人の同僚が次第に曲て来て、いつか机が皆塞がつて ゐた。八時の鐸が鴨つて暫くすると、課畏が出た。  木村は課長逃まだ腰を掛けないうちに、赤札の附いた書類を持つ て行って、少し隔たつた処に立つて、課長のゆつくり書須を君壽− 〜糾曽㌍から出して、腰榔が鎌を取つて、鐘を豚るのを見てゐる。墨 を磨つてしまつて、偶然のやうにこつちへ向く。木村よりは三つ四つ 歳の少い法学博士で、目附^附の尉まつた、余地の少い、蹴搬らしい 顔に、金縁の目金を掛けてゐる。 「昨日老命じの事件を」と云ひさして、書類を出す。課畏は受け取つ て、ざつと読んで見て、「これで好い」と云った。  木村は童荷を卸したやうな心持をして、自分の席に帰つた。一度出 して通過しない書須は、なか〃二度目位で滞りなく通過するもので はない。三度も四度も直させられる。そのうちには向うでも種々に考 へて見るので、最初云った事とは多少違って来る。とう〃手が附け られなくなつてしまふ。それで一度で通過するのを喜ぶのである。  庸に帰つて見ると、茶が来てゐる。八時に出勤したとき一杯と、午 後勤務のあるときは三時頃に一杯とは、黙つてゐても、給仕が持つて 来てくれる。色が附いてゐる丈で、味のない茶である。飲んでしまふ と、茶碗の底に津が沢山淀んでゐる。木村は茶を飲んでしまふと、桐 変らずゆつくり構へて、絶間なくこつ〃と為事をする。低い方の山 の書須の処理は、折々帳簿を出して照らし合せて見ることがあるばか 、。。直、ミ 民川篶拝帖四件も烟草休なしに済ましてしまふことがある。済んだのは、検印をして、給仕に持たせて、それ人\ 廻す先へ廻す。書類中には直ぐに課畏の処へ持つて行くのもある。  その間には新しい書類が廻つて来る。赤札のは直ぐに取り扱ふ。その外はどの山かの下へ入れる。電報は大抵赤札と同じやうにするのであるo  為事をしてゐるうちに、急に暑くなつたので、ふいと向うの窓を見ると、朝から灰色の空の見えてゐた処に、紫掛かつた暗色の雲がまろがつて居る。  同僚の顔を見れば、皆ひどく疲れた容貌をしてゐる。大抵下顎が弛んで垂れて、顔が心特畏くなつてゐるのである。室内の湿つた空気が浸くなつて、頭を圧すやうに感ぜられる。今のやうに特別に暑くなつた時でなくても、執葛時間が稍や進んでから、便所に行った帰りに、 廊下から這入ると、悪い烟草の匂と汗の香とで喧せるやうな心持がす る。それでも冬になつて、媛炉を焚いて、戸を締め切つてゐる時より は、夏の此頃が適かに増しである。  木村は同僚の顔を見て、一寸顔を憂めたが、すぐに又晴々とした顔 になづて、為事に掛かつた。 、  暫くすると雷逃鳴つて、大降りになつた。雨が窓にぷつ附かつて、 恐ろしい晋をさせる。都屋中のものが、皆為事を置いて、窓の方を見 る。木村の右隣の山田と云ふ男が蕃つた。 一むしくすると思ったら、とうくタ妾来まし套。一 1さうですね」と云って、晴々とした不断の顔を右へ向けた。  山田は共頃を見て、急に思ひ附いたらしい様子で、小声になつて云つた。 「君はぐんム\お“を蛛ゲせるが、どうもはたで見てゐると、笑談にしてゐるやうでならないo」 「そんな享はないよ」と、木村怯幣脳㎜εし、て各へた0  木村が人にこんな“を冒はれる⑫むα竈万松螂れ牟い。此易の衰鶯、 言語、挙勵は人にかういふ詞を仙促してゐると冒つて6好い。役所で も先代の課長は不真面目な男だと云って、ひどく嫌った。文壇では批 評家が真剣でないと云って、けなしてゐる。一度妻を持つて、不幸に へい’い して別れたが、平生何かの機会で衝突する度に、「あなたばわたしを 茶かしてぱかし入らつしやる」と云ふのが、其紬君の非難の主なるも のであつた。  木村の心持には真剣も木刀もないのであるが、あらゆる為事に対す る「遊び」の心持が、ノヲでない紬君にも、人形にせられ、おもちや にせられる不愉快を感じきせたのであらう。  木村の為めには、此の遊びの心持は「与へられたる事実」である。 木村と往来してゐる或る青年文士は、「どうも先生には現代人の大事 小 ネルワジテー な性質が閉けてゐます、それは冨尋8まです」と云った。併し木 村は格別それを不宰にも感じてゐないらしい。  タ立のあとは又小降になつて余り涼しくもならない。  十一時半頃になると、遠い処に住まつてゐるもの丈が、弁当を食ひ に食堂へ立つ。木村は号砲が鳴るまでは為事をしてゐて、それから一 人で弁当を食ふことにしてゐる。  三二人の同僚が食堂へ立つたとき、電話のベルが鳴つた。給仕が往 つて暫く聞いてゐたが、「少々お待下さい」と云って置いて、木村の 処へ来た。 「日出新聞社のものですが、一寸電話口へお出下さいと申すことで す。」  木村が電話口に出た。 一もしく。木村ですが、なんの御用ですか。一 「木村先生ですか。お呼立て申して済みません。あの応募脚本ですが、 いつ頃御覧済になりませうか。」 「さうですなあ。此頃忙しくて、まだ急には見られませんよ。」 「さやうですか。」なんと云はうかと、暫く考へてゐるらしい。「いづ れ又伺ひます。何分宜しく。」 「さやうなら。」 「さやうなら。」  徴笑の影が木村の顔を掠めて過ぎた。そしてあの用箪笥の上から、’ 当分脚本は降りないのだと、心の中で思った。昔の木村なら、「あれ はもう見ない事にしました」なんぞ生云って、電話で喧嘩を買ったの であみ。今は大分おとなしくなつてゐるが、彼れの微笑の中には多少 の旨畠①岸がある。併しこんな、けちな悪意では、ニイチエ主義の 現代人にもなられまい。  号砲が鳴つた。皆が時計を出して巻く。木村も例の草掌の時計を出 して巻く。同僚警うとつくに蓑を片附けてゐて、どやく退出す る。木村は給仕と只二人になつて、ゆつくり書類を戸棚にしまつて、 食堂へ行って、ゆつくり弁当を食って、それから汗臭い満員の電車に 乗つた。 (明治四十三年八月)