四つの袖

岡鬼太郎

上之巻

女の操といふは、心か、(からだ)か、われ/\稼業の仲間には、堅気の人達の察しも附かぬ義理人情 のある事なり。

わたしがまだ松廼家(まつのや)に出て居た頃、姉妹(きやうだい)のやうに仲よくした三歳(みツつ)年下のお(てい)さん、これが笹家(ささや)空看板(あきかんばん)を買つて自前(じまへ)になツたのには、いろいろのゆきさつあツての事なれど、つまりは持つて 生れた意地つ(ぱり)をとほしての一本立、さすが旧幕御直参(きうばくごぢきさん)の家に生れた江戸つ子の血すじと、わた しは其の時、からかつてやつた。

わたしも続いて年が明け、今の若松廼家(わかまつのや)分看板(わけかんぽん)の手前稼ぎ、いくぢ無ければ身すぎ世すぎも 無事なれど、お貞さんの身の上、気の毒とも可哀想とも、これも意地つ張からの心がらとたゞ一口にいへやうか。

お貞さんことし二十八、其の二十一の時にかうした事。

徳川の御家人(ごけにん)と、世が世の時にパリ/\して居た人達はいつか死に絶え、お貞さんが一本にな ツた頃には、もうその両親も無く同胞(きやうだい)も無く、笹家(ささや)の看板を出した時に喜んでくれた親族(みうち)といつ ては、おつかさんの弟のおかみさん、お貞さんには義理の叔母さんに当る寡婦(ごけ)さんたつたひとり、 お貞さんいよ/\もつてうから/\とはして居ぬ訳なり。

されど世にいふ思案のほか、日頃は何んの男なんぞといつて居た其の男を、可愛いと思つたが 苦労の初め、これが自前になツたお貞さん二十一の春。

昔の稗史(ほん)やお芝居によくある筋、新年宴会のお座敷で顔を合はせたがそも/\にて、だん/\ お貞さんの方から深くなツたは、日本画を稽古して居る書生さん、名は磯上重雄(いそがみしげを)といつて年は二十(はたち)、女の子より一つ年下なり。

磯上ざんは、常陸(ひたち)の土浦と水戸の間の石岡といふ処に、代々の造酒家(つくりざかや)として有名(なうて)の豪家の二番 息子、惣領のにいさんは、先祖からの通名(とほりな)を名乗つて調四郎(てうしらう)、年は二十七、相応に東京の学校で 勉強したのだといふ。

お貞さんの磯上さんも、十九の春中学を卒業して、それから首尾よく専門の学校へはひり、画 のお稽古はするもの」、可愛がられるが毒になツて、にいさんの奥さんの御実家(おさと)、京橋本八丁堀 の岩佐回漕店の世話になツて居るにもかまはず、昼はもとより夜さへ時々明ける始末、まことに 不行跡不身持には違ひ無けれど、自分は女めづらしい若い身上(みそら)、相手は年上の商売人、堅気さん のお耳には聞辛くとも、われ/\の口からいはせれば、磯上さんの迷ひ少しも無理で無し。

しかもよく/\深い縁でがな、逢つて間も無くの事と見え、其の年の師走のはじめ、お貞さん は女の子を産み落し、これにお花と名は附けたれど、うちのつがふ、稼業のてまへ、折角産んだ 楽しみの初めての子も手もとでは育てかね、お喜びにと出掛けたわたしに、お(のぶ)さんどうしたものだらうねエといふ、

腹帯を固くして、随分無理な勤め方もしはしたものゝ、冬からはもう人目に立つにぞ、病気といつての商売休み、其の揚句の今、春は目の前。 「わたしだツて、ひとりや半分お客の無い事も無いけれど、こゝまで我慢をして来たものだから、 此の子ひとりぐらゐのことで、今さらひとに弱い音を吹くのも。」

トさすがの負けぬ気にも溜息、後見(うしろみ)代りなり寄食人(かかりうど)なりの叔母さんお友さんも、いはず語らず苦労の様子。

人はあひみたがひ、殊には姉妹(きやうだい)同様の仲、お貞さんの内輪の事も知り抜いて居るわたしは、ど うぞして春をやす/\稼がせてやりたいものと思案のうち、ふと思出したは、以前松廼家に居た 女中お定といふが、その後宇都宮在の実家へ帰り、近所の小商人(こあきんど)へかたづいて、此頃子供が出来たよしを、松廼家の(ねえ)さんから聞いた一条。

「ねエお前さん、気にはすむまいけれど、せめてかうにでもして見たらどう。」

ト子供を里に出すはなしをすれば、物の十分も黙つて侑向いて居たお貞さん、

「里つ子にやると、親子の情愛が薄くなるさうですねエ。」

ト、ホロリと一雫、産んだばかりでも我が子はかうも可愛いものか。

それでもほかに差当つての分別なく、叔母さんとふたりしてまア/\と慰め(さと)し、松廼家の姐 さんとも相談の上、宇都宮在の干瓢(かんぺう)屋兼百姓の、関口久蔵といふかのお定のつれあひのところへ、 わたしからきゝあはせの手紙。

「こつちでばかり極めた処で、むかふにも其の生れたばかりの子があるものを。」

トお貞さんはまだ未練。

「何アに、田舎のおかみさんなんていふ者は、(からだ)は丈夫だし、物に屈託しないから、お乳は沢山 だらうし、子供ふたりの面倒ぐらゐ。」

わたしのいひぐさ、随分ひとりぎめのあてずつぼうなれど、お貞さんもわたしもかなり可愛が ツて使つた台所の奉公人、自分が迷惑ならば、どこぞほか/\へ世話をしてくれるぐらゐの深切(しんせつ) は有らうと、夫婦の人からの返事をあてにして待つて居ると、手紙を出してから四日目、こちら の子供は生れて一月経つか経たぬうち、ふと大熱で死に、淋しさにじめ/゛\として居る最中、お 貞姐さんの実子を育てさせで下されば、悲しさもまぎれ、乳の張るも助かる、ごつがふ次第一日 も早くお預かり申したい、お連れ下さるかお迎ひに上らうかと、拵へ事のやうないい返事、飛ん でいつてお貞さんに話すと、

「そんな丈夫な人達の子でさへ、他愛も無く死ぬのだもの、不養生はしはうだいのわたし達の腹 から産れた子が。」

ト直ぐにもお花さんが死ぬやうな心細い声。

「お信さんがひよいとおもひついてきいて下すツた先で、願つたり叶つたりといふ挨拶は、よくよく縁があるのだから、思切つてお預けがいい、何アにお前さん、物は取りやう、むかふのあか んぼのなくなつたのは、此の子の寿命のある(しらせ)ですよ。」

齢は齢だけ、叔母さんはうまく(なだ)める。お貞さんそれにも心は済まぬながら、直ぐ来る春を稼 がねば、自分の身の上、磯上さんとの仲にもさはり。

「ぢやアお信さん、どうかよろしく。」

ト淋しい笑顔(ゑがほ)にたつたひとこと、お花さんは他人の乳を呑むにきまる。

お貞さんは早速磯上さんに話しはしたものゝ、未だ書生の身の、勿論さへぎつてどうといふ仕 法も無し、堪忍してくれといふが心の千万言、わたしも其の時行合はせて居て、何ともいへぬ こゝろもちになツた。

肥立は悪く無けれどお貞さんの(からだ)、東京から三十里近くもある宇都宮迄の汽車の旅、飛んでも 無い事と懇々と押止め、七夜(しちや)を過ぎたばかりの子を叔母さんが抱へ、万事の世話には磯上さんが 附いて、寒い風の吹く朝を上野へ。

わたしのひよんなおもひつきから、みづこのお花さんが宇都宮への里子(さとこ)、阿父さんの生れ故郷 の石岡と余り離れぬ処へいつたも、丁度久蔵夫婦の人が預かツてくれたのも、これ皆前生(さきしよう)からの 定まる運、お貞さんの一代の運の半分は、あとで思へばもう此の時に分つて居たのなり。

さて一夜明けてお貞さん二十二の春、また商売に出て見れば、芸はよし容色(きりやう)よし様子よし、固 より売れ盛つて居た人の事、なにかとうるさい噂のありはしても、これが世間に無い事では無し、 根掘り葉掘りの野暮も無くて、以前に変らぬ座敷の数、しかもいやみのはなしの減つたは、あや まちの功名か、もつけのさいはひ、お貞さんほつと息。

かうして稼業は順当、お花さんは息災に()ひ育つ、磯上さんとの仲も無事と、まづ悪い事無し にあしかけ三年、お貞さんが二十四の秋までは過ぎたれど、そのまゝに済まなかツたればこそ此の話。

ひあし短き秋のひる過ぎ、胡散(うさん)臭く笹家のうちへ訪ねて来しは、六十ばかりのうすしらが、是 非ご主人の姐さんにお目に掛かりたい、私は磯上の家の支配人大萩和助と申す者と、かどぐちか らはや事有りげのご挨拶。

何となく(むな)騒ぎのするを無理から鎮めて、お貞さんが逢つて見れば、お国なまりの実体(じつてい)なるこ とばつきにて、重雄様にご良縁あツて、このたびご分家の上よめご様をお迎へなさるゝ、承れば こなた様とは永い間のたゞならぬお馴染(なじみ)、それを存じてわざと私がご相談に、といふは切れろの ほかに無しと、お貞さん例の気性に直ぐむかむかと、

「では、つまる処が切れてくれろとおつしやるのですね。」

トねぢかかれば、手を振つて、

「いや、決してさやうではござりません、ご婚礼をよそに見てさへ下されば、()して御側室(おてかけ)にでも致して。」

ト半分聞いて尚くわつとし、

「折角の思召でございますが、まアお断り申しませう、私と磯上さんとのお約束は、そんな事ぢ やアございません、わざ/\お話においで下さるくらゐでは、定めて深いいきさつもご存じでございませうに。」

ト顔や声には似ぬ手強い返答、どうであらうと磯上さんとふたりの仲、妾側室(めかけてかけ)などゝ思ひも寄 らぬ、然しそれも慾得でいふでは無し、こつちへ引取り何んの良人(ていしゆ)のひとりぐらゐ、わたしが売 物の小唄の師匠をしてなりと、きつと立派に立て過ごしにして見せます、とヅツケリいはれて、支配人さんおほきに困り、

「イヤお話は一々ごもつともではござりますが、何を申せ都会と違つて、万事昔気質(かたぎ)の田舎の事 で、兎角血すぢや家柄を申しまするゆゑ。」

ト聞いてお貞さん又納まらず、今の此の有様になツて居ていひたくは無けれど、家柄血すぢを 言立てる日になれば、磯上の家になに劣らう、見くびつたご挨拶はお使がらにも似合はぬと、きつといつて置いて、

「兎に角磯上さんのおなかをあらためて聞いて、それからのお返事に致しませう、これ程の事を、 ご当人がまさかに知らないといふはございますまい。」

ト何事も受附けねば、支配人はけんまくにおそれ、切上げ悪くそこ/\に立帰る、定めて悪婆(あくば)と驚いた事であらう。

だしぬけの縁談沙汰から切れ話、お貞さんおこるまい事か、ジリ/\とのぼせて、大萩さんの 帰つたあと、三()(たび)手段()を変へ(しな)を変へて、磯上さんを呼出しに掛かツたれど、岩佐さんの うちの人達相手にならず、お貞さん到頭やけ酒に涙を紛らして、その夜は座敷をことわつての八つ当たり、ひと目も()なかツたとは可哀想。

処へ其の明くる日、立替つて訪ねて来たは磯上さんのおつかさん、お貞さんに逢つてのはなしがかう

自分の家は土地での旧家、親類縁者は堅い一方、それに又今の戸主は先妻の子、重雄は後妻の 自分の生みの子、甘やかしたための不始末と、八方から蔭口さるゝ近頃の辛さ、どうぞ暫らくの 間辛抱して居て下され、人の噂も七十五日、先へ寄つたら又お世話のしやうもあらうによつて、 と涙ながらのせつない頼み、現在の親御(おやご)が実の我が子可愛さの心のうちを察して見れば、()まゝ勝手の理窟も通せず、

「ではきつぱりあきらめませう。」

ト今はなか/\顔色も変へずにいつたお貞さんのひとことが縁の切れ目、お浜さんといふ其の おつかさん、どうやら腑に落ちぬ顔色であツたとはさうありさう、堅気さんにはいつそ薄情とも不実とも。

中之巻

どうつがふしてなりと、そのうちにきつと会つて、とペンではしり書きの一通、それが縁切り 話の三日目に磯上さんから来たばかり、次の日にはかの支配人さん、いくらか包んだものをうや うやしく持参したるを、お貞さんケンもホロヽに突返して、かねづくのお話ならけふまでわたし が磯上さんゆゑに使つたお(たから)書出(かきだし)にして上げますから、この年末(くれ)に金利を附けてお払ひにおい でなさい、手切れ足切れを取るやうな仲ならば、立派に旦那にあがめて置いて、あなたのご主人 の身代の半分ぐらゐ、とうに玉なしにして上げて居ます、わたし等風情(ふぜい)にうつちやるお金がある なら、国へ持つて帰つて挽割(ひきわり)でもお買ひなさるがおためでせう、と心にも無い毒口、律義真つ法の大萩さん、目を白つ黒して居たとの事。

やがて秋も暮れて、菊もすがれの十一月のすゑごろ、恋し口惜(くや)しに身も()せたお貞さん、たつ た一本の手紙ぎり音沙汰なき男の心を恨むそばから出る未練、しぐれて寒きひるすぎを、火鉢の 前のコツブ酒、思出したやうに三味線取つて、磯上さんがだいすきであツた上方唄(かみがたうた)の『()つの (そで)』、爪弾の弾く合の手も理に落ちて、唄はとき/゛\口のうち、『いつそ逢はねばかうした事も、 ほんにあるまいよしなやつらや』、お貞さん鼻を詰まらせてホロ/\と熱い涙。

処へいきなりはひつて来たは磯上さん、オイといつたばかり立つて居る、

あなたとひとこと、じつと見たお貞さん、三味線を置くなり飛付くやうにして、磯上さんの手 をつかんで、自分の居た坐蒲団の上に引据ゑ、

「あなた。」

ト又もたつたひとこと、叔母さんは出ていいやら悪いやら。

お貞さんの怨み、磯上さんのいひわけ、どうのかうのはいふに及ばず、つまり磯上さんのいふ 処は、親や親類が自分に隠して分家の相談、嫁にといふ其の相手はかねて懇意の一家中(けなか)の娘、お 前との縁を切つてから結納、婚礼の済むまではと此の身はまるで石岡のうちに座敷牢同様の閉籠め、さればたよりも自由にならず、八丁堀の岩佐のうちから、おふくろと大萩たちに連れられて 石岡へ帰る時、岩佐のうちの女中にそつと投込ませたがいつぞやの一通、(じつ)も不実も今更いはれ る仲でなし、何事もおふくろに免じ我慢してくれ、と女房よりもへだてぬ現在の情人(いろ)の前に頭を 下げての打明け話。

「いづれそんな事だらうとは思つて居ましたけれど。」

弱いは女心、済みませんとお貞さん今度は袖に詫涙、

「それにしても、けふはどうして。」「又おふくろと支配人に引張られて、岩佐のうちまで出て来 たのだが、それは、東京へうちを持たせるといふわけで。」

トいふ顔を見て、

「ぢやアご婚礼はもう済んだのですね。」

ト念を押せば、磯上さん黙つて了って何もいはず。

「どうも仕方がありません、今時の世の中だから、若いあなたの料簡次第にすればなる事だとば かり思つて居たのが、わたしの大きなまちがひでした、そんな堅いおうちの若旦那に、芸妓風情(げいしやふぜい) のわたしが。」

ト蒼白い顔の口をキツと結んで、片手に火鉢のふちをつかむ。

折から(かど)に格子の音して、案内を乞ふは磯上さんのおふくろさんの声、お貞さんは気が附かね ど、磯上さん忽ちハツとして、立上るなり何の思案も無く、勝手の隣の湯殿へと身を隠すっ

はきものは直ぐ叔母さんがしまつたを承知のお貞さん、磯上さんの帽子外套を手早く奥の戸棚 へ押込み、さて立ちいでゝ挨拶すれば、おつかさんはいつもながら懇勲に、先頃の事、その後の 事、何やかやいつてののち、重雄がこちらへ参りは致しませぬか、との尋ね、いつそあからさま にとも思ひはしたれど、互の身のあとの面倒、それもうるさしとお定まりの間に合せ、お話のあ ツてののちは、おいではもとより、お手紙さへ、としら/゛\しく。

「随分キビ/\と思切りのいい(かた)でゐらツしやいます。」

トちと壁訴訟やらあてこすり、

「もしなんでございますなら、お上り下さいまして。」

トきもを据ゑての言分に、さらば()さがしともいはれず、

「いつも/\悪い耳ばかりお聞かせ申して済みません、今日は嫁のさとの親達も、岩佐の宅へ見 えますものでございますから、あれが落着いてをつてくれませんと。」

ト眼をうるませ、

「飛んだ失礼を申しました、お詫にはいづれ又あらためて。」

トしほ/\として出て行く人のうしろかげ、お貞さん障子をハタと締めて火鉢のそば、死人のやうになツて居るところへ、色あをざめた磯上さん、足音も無く来て立つたまゝ。

見れぱ着物の裾のあたりからしづく、素足は赤くなツて居る。

「あなた、どうしたの。」「湯殿へ隠れたのだけれど、おふくろにさがされるとゝ思つて、風呂の水の少し張り掛けてある処へ。」 「足がまア(かな)(こほり)になツて。」

ト磯上さんの足のさきを握つたお貞さん、

「そんなにおつかさんがこはいの。」

ト見上げれば、そつと見下ろし、

「こはくはないが、可哀想なのだ、随分苦労をさして居るから。」

トと聞くと其のまゝ、お貞さん、磯上さんを膝の処へ引据ゑて、氷のやうな両足を我が肌に押当て、濡れた上からしがみついて、

「無理をいつて済みませんでした、わたしが悪うございました。」

着物のしめりもろともに涙もとほる膝の上、磯上さんの落す(しづく)は髭の上へ。

「こんなおもひをしてゞもけふあたり逢へると思つたら、子供を呼んで置いて貰つたものを。」「わたしもあなたに見て貰ひたい。」

それもこれもかなはぬ願ひ、あきらめるより外ないをせめてのあきらめと、磯上さんの着物や足袋の乾く間を、浮かぬながらも酒にして、

「あなたのはひつて来る時、わたしの()つて居たものを聞いて。」

ト顔をしみぐと見れば頷く。

最々(いとど)朽ちなん()つの袖なら、まだ張合がありますけれどもねえ。」

ト涙の無理笑ひ、

「もうこそ其の着物も要らなくなるのでせう、男物なんぞ早くほどいて了ひませう。」

酔ひもせぬ酒に疲れて、見かはす顔に夕暮の片光明(かたあかり)、叔母さんはいつかどこぞへ出ていつたれど、人目揮る別れもなく、切れぬ、切れまい、子まで()した深い縁のふたりが仲、折さへあツたら逢はう逢ひませうといざとなツてのお貞さんはやつぱり未練、妾側室(めかけてかけ)もいとはねど、稼げるだ けは出て居て情人(いろ)で逢ひ通さうの心の誓ひ、漸く笑顔(ゑがほ)の別れぎは、

「足袋は新規にお買ひなさいな。」「新しいのを穿いて帰るのは変だ。」「又おつかさんですか、.」

ト外套を着せながら、

「何んだか本意(ほい)ないね、あなた。」「着物はほどいて了ふなよ。」「そんな殺生(せつしやう)な。」

はかない事に慰め合ひて内と外、これが当分のわかれとは覚悟したれど、さて三()()とたつ に連れての心の淋しさ、お貞さん酒浸しになツて、それからは兎角陰気臭く、秋頃のやけ元気さ へうせ果てゝ、座敷もふだんもぼんやりとして居るにぞ、叔母さんなりわたしなりいろ/\に異見すれど、その後二度とか磯上さんから便りがあツたぎり、それも世帯をもつた処はどこやら書かず、返事のしやうも無きかただより、実とも不実ともはたから理窟を附けて慰めるたねなけれ ば、お貞さんはいよ/\ふさぎ、其の二十四の年末(くれ)も五の折角の初春もつまらなく過ごして、内 輪の苦しさは一日増し、さしも売れ(さか)つたる笹家のお貞、七()に二()はお茶の夜も出来て来る。

かうなるとまたやけにて、お貞さん深酒のかんしやく、ともすれば叔母さんに当り散らすに、 これもしまひにはホツとしてか、実家(さと)の親類の世話にて縁付くと言出す、五十づらをさげてのご 婚礼、イヤお若い事、とせゝらわらつたお貞さん、他人(ひと)は勿論我が身さへどうともなれと輪を掛 けた捨鉢、二月の下旬(すゑ)頃からは、三()()げぬ宇都宮通ひ、

「慾も(とく)も知らなくツて、子供ほど可愛い者は無い。」

ト帰つて来ては叔母さんへ聞けがしのひとりごと、それが三月上旬(はじめ)の或日、いきなりに、わた しは宇都宮へいつて稼ぎます、叔母さんは心置きなくお嫁にいつて下さい、といふ。

驚いて叔母さんが仔細を聞けば、お花の顔が見たい、東京といふ土地がいやになツた、親類縁 者といつてはたゞのひとりも無くなツて了つたわたしは、先祖代々の江戸も恋しくない、どこで 暮らさうと親子ふたり、のたれ(じに)してもくやしくない、先祖のお墓はお寺へ頼んで置く、と叔母 さんももうかずに入れぬサバ/\としたやけのやん八、聞付けてわたしもとめ、松廼家の(ねえ)さん も異見してみたれどとまらず、諸道具残らず売払って不義理を片付け、自分の着物のいたんだの と、磯上さんのために拵へて置いた男物とを叔母さんにやり、およそ五六百のお金を握つて(たび)行きとは男ゆゑの苦労のはての気の毒さ、出立(しゆつたつ)の前の晩叔母さんとわたしと三人笑つては泣き笑つては泣き。

其の中でのお貞さんのはなし、わたしだとてきちがひではなし、藪から棒にかうおもひついた 訳で無く、一つ東京のうちに磯上さんが夫婦仲よく暮らして居ると思ふがいや、第一には座敷も 無く、此のまゝいきぐされになるのを承知でおめ/\と此処に居るがいやさの旅かせぎ、電話を 売つたお金の存外残つたを身につけて、里親の世話で話のまとまツた宇都宮の杉本といふうちか ら、本名(ほんみやう)のお秀で出るに極めたわたしの心、身寄便(みよりたより)も無い此の(からだ)

「叔母さん、我まゝばかりいつて済みませんでしたが、みんなお酒がいはしたのだと思つて堪忍して下さい、姐さんにも子供の時から随分ご厄介になりましたねエ。」

あきだなのやうなうちに、損料蒲団にくるまツて夜を明かし、上野の汽車の窓ぎはの泣別れ、 この後のお貞さんの身の上は、たゞひとづてに聞いたばかり、笹家のうちを引払つた叔母さんお友さんの其の後は、由縁(ゆかり)なければつひぞ聞かず。

下之巻

由緒(ゆいしよ)正しい江戸つ児はいはぬ事としても、東京の本場で仕上げた一人前の立派な芸妓(げいしや)、それが 縁なればこそ、なま若い書生さんに打込んで、末はどうなる身の上か、生れ故郷をみれんげも無いやうに振捨てゝ、木から落ちた何とやら、からだひとつの旅かせぎ、女心といふものは、なまじひの男よりもかうなると(きつ)いが常と知りながらも、気に掛かるはお貞さんのおきふし、われ人ともに、女のさかりは短いもの。

地方とはいへ、都近くでは指折の繁華の地、宇都宮から杉本のお秀といつて店借(みせがり)同様で出たお貞さん、さすがにギラリと目に立ちて、(ひろ)めの日からの(おほ)繁昌、芸は確か、お酒は飲む、いやみ 一さいお断りの野暮をいつてもお座敷の数を()らさぬうでまへを、見込んでか、意地からの無い 物ねだりか、土地で有名の資産家麻問屋の鏑矢さん、あそびの方も家標で通つた立鼓さんといふ が、手を廻しての(かね)びら、到頭たゞでなくなツたは、お秀さんが出た其の年の夏頃らしい。

どうせわれ/\風情(ふぜい)の稼業、堅いといつても男嫌ひといはれても、いつがいつまで聖人君子で 居られやう筈は無し、臨機応変、(よみ)と歌、我が身可愛いのかけひきは、堅気さんも商売人も同じ事、五歳(いつつ)になる娘はあり、自分は二十五、幾ら意地つ(ぱり)でも強情でも、それだけに又気の廻るお 秀さん、きつと考へたに違ひ無く、秋頃にはもう立鼓(りふご)さんを旦那にして安気に稼いで、押しも押 されもせぬ一流のおほ(あねえ)

それでも世帯は面倒とて、自前にはして貰はず、おもしろをかしく客と芸妓(げいしや)で過ごすうち、知 れるともなく明かすともなく、お秀さんと立鼓(りふご)さんとの仲にはお花さんの事もあけすけになツて、 いよ/\へだてがとれ、二十六の春頃からは慰み半分の勝手勤め、それでもお客は(あま)邪鬼(じやく)、やつぱりお茶の晩とては無し。

これまでの間の月日、さう短い事でなけれど、どうしたのやら、磯上さんからたゞの一度もた より無きにぞ、お秀さんつひには我慢しかねたらしく、暑中見舞にとて久々でわたしへ寄越した手紙のうちに書いた事には、世帯の持ちたてにまはりを恐れて、住所(ところ)も知らして寄越さぬは未だ 勘弁のしやうもある、こつちのゐどこは変つてゐても、お前さんのうちへちよいと電話を掛けれ ば直ぐ知れる事を聞きもせず、お花の里親へも端書一本寄越さぬは、去る者日々に(うと)しとやらか、 それも急に今悟つた訳で無けれど、さりとては不実者、おつかさんのこはかツたは分つて居れど、 女房がこはいやうな男はもうこつちも御免、とはいふものの子供の親、成人してからも、男親の 顔を知らずじまひに死なせるかと思へば、因果なおふくろをもつたお花がふびん、お信さん此の 愚痴だけは聞いて下さい、としみ/゛\とした文句、わたしは返事の書きやうに困つたり。

(しか)し、それもこれも商売繁昌無事のうちはまだよけれ、秋口になツて、立鼓(りふご)のうちのおかみさ ん、誰か胡麻摺かいろがたきかにしやくられたものとみえてお秀さんにたゝり、ご亭主の()はひ りにうるさく其の事を言立て、何んでも子供まである仲、行く行くはわたしを追出し、其の女を あとへ直す気に違ひ無い、それであなた済みますか、と畳をたゝいての苦情、奉公人の手前はか まはず、実家(さと)へは泣込む、それがいつかパツとして新聞へ長々と出る、又それを文句の種にして おかみさん泣きわめく、此のおかみさんといふ人、お作さんといつて年は四十、旦那より四歳(よツつ)下、 大きな男の子がふたりもあるのだとの事、そんな身の上でさへ女はやきもち取越し苦労、それな らわたしたちはどうして居ればいいのだらう、とも思ひはすれど、だいじな男の貸をしみ、めつたにひとの事ばかりはいはれず、又お秀さんもさぞ。

さて立鼓さんまアさ/\も古くなツて、奥方の逆鱗日に増し烈しく、さしもの遊び人も余り世 間のうるさいに根負して、これから暫くの間、月に二三度の遠出(とほで)ぐらゐにして置かう、狭い土地 での此の評判は、幾ら暢気(のんき)なおれにもこたへる、商売上の信用にかゝはつて来てはお互に詰まら ぬ、との割つてのはなし。

「女房つていふ者は、そんなに怖い者ですかねえ。」

トお秀さんのはらのうちには何やかや。

「少し気を抜くだけの事だ、そんな憎まれ口をきくものぢやない、男が女房のギヤア/\いふに 弱るのは、女房を怖れるのではなく、世間を怖れるのだ、つまり自分が可愛いからだ、をかしか らうが黙つて居てくれ、悪いやうにはしないから。」

ト遊びの(かふ)をへて居る旦那の説得、もつともと思へばまさかに取つて附けた駄々もいはれず、

「それでは当分神妙にして居ませう。」「立て過ごしにしてある情人(いろ)の顔でも見て、鼻の下を長くして居るがいい。」

トからかふはお花さんの事、何んといつても心だのみになるのは他人ではない、とお秀さん、 帰つてから妹分の丸子といふのにつく/゛\といつたさう。

それからその後、お秀さんは約束通り遠ざかるやうにして居たれど、十()逢はずに居る事に何 んの効も無く、一晩逢ふのは直ぐ響いて罪になる鏑矢(かぶらや)さんのうちのもんちやく、立派な伜のふた りもある癖に、何を不安心に思つて四十づらのやきもち、今更女房を追出すやうな良人(ていしゆ)か、しん しやうを曲げるやうなべらぼうか、二十年来つれそつて居て、其のくらゐの弁別が附かぬとは、 呆れ返つた馬鹿女、こつちなんぞは一年ばかりのうちにはらの底まで知つて居る、とお秀さんの 例のかんしやく、或夜の座敷の(さか)機嫌に、立鼓さんに面と向つて毒づくと、

「そこが女房と商売人さ。」「其の女房が気にくはない。」

明いて居た障子の外、麦酒のコツプは庭石にこなみぢん。

立鼓さん笑つて大抵にあしらひ、あと/\もたまに逢つてこつそりと遊ぶうち、こゝに又一つのはなし。

十月の末の事、阪地(かみがた)から名古屋、横浜、東京と打つて、宇都宮へ廻つて来し義太夫の一座、切語(きりかたり)は豊竹宮子太夫三味線竹沢竜市、前景気からたいしたものにて、いよくとなツては芝居の小 屋にギツシリの客、初日も二日目も。

其の三日目に行つたかの丸子さんといふ二十(はたち)になるのが、(いと)の竜市といふ三十幾歳(いくつ)のやせぎす を見染めて、姐さん一度(あす)ばして、と一緒にいつたお秀さんへぶちまけてのたのみ。

「旦那に知れたらどうおしだ、」

トよさせやうとすれば、急()りの意地きたな、是非といつて承知せぬに、たか/゛\五()ぐらゐ の興行、あとくされもあるまじと、その夜打出してから、気の置けぬうちへ竜市さんを座敷にし て呼び、ちかづきの一杯、そして別れて次の夜の首尾と、そこまでは運びしが、いよ/\のきは になりて、丸子さん旦那の座敷がぬけられず、あせるを胡散(うさん)と感付かれてか、いつに無く旦那お 泊りとなツて、双方の間の使三度四度、男の来たのは打出し後とて、()のうちに直ぐ十二時、お 秀さん飲んでしやべつて、うでかぎり繋いではみたものゝ、到頭丸子さん先方にいけどりときま つては、もう意地にも(こん)にもまとまりが()かず。

「姐さん、あんたわたしをあそびなさツたなア。」

ト竜市師匠真剣にさう思つたか、飲ける口にやけ気味の酒、芸人の身の尚更切上げの附かぬ一段。

「相手が旦那なので、出ない訳にもいかず、行つたが間違ひの基でこんな事に。」

愚痴は種切れ、いひわけも一つ事、

「わたしがみんな鈍痴(どぢ)なのですから、師匠、かうして下さいな。」

グイとあふつて、じつと見たお秀さん、

「飲み明かしもご迷惑でせう、といつて、此のまゝにらみあつても居られますまい、お互に引込 が附くやうに、今夜はわたしがみがはりに立ちませう、こつちも不しやう、ぜいたくはいひツこなし。」

自暴(やけ)でなし、身を粗末にするでなし、かうなツた此の場合此の肚の据ゑ方、世間は理窟ばかりで通れず。

結び違ひの縁の糸、お秀さんは思ひも寄らぬ人に馴染み、丸子さんは旦那の機嫌を取直して、 いたづらぎは其のまゝのお流れ、師匠の方は二()の日延べとなツて、お秀さんと其の二晩(ふたばん)の又の首尾、次の朝は新聞にはや浮名。

まゝよ、女房のこうるさい男の世話になツて、日蔭の者のいくぢなさをくやまうよりは、気ず ゐ気まゝの旅あるき、芸人に芸人、飲助に飲助、勝手放題に暮らすが徳用、人間いつまで生きる ものか、此の足腰の達者なうちに稼いで遊んで、どうにか月日のたつた頃には、だいじな娘が一 人前の新造(しんぞ)にならう、田舎などへ置けばこそ、黒こげ女房からかくし子呼ばはりの疽も立つ、世 界の果まで母子(おやこ)一緒に行くが本望、と竜市に得心させて、お秀さん俄女房、太夫の一座が一旦逗 留の間に、あしもとから鳥の立つやうに、杉本にも話し、立鼓さんにも話し、衣類手道具を一行李(ひとこり)にしてきちがひじみた旅仕度、杉本のうちのあるじさんは、

「どこに居るも同じな(からだ)ではさうも思はう、気の毒な事だ。」

ト男ながらも苦労人のおもひやり。

「わたしのやうな男運の無い女も少いでせう。」

トお秀さんひとしづく。

「変な事になツて了つたのねえ。」

ト丸子はしよげた顔。

「かうと知つたら、年期でもきめて置くのだツたに、おれも立鼓さんも惜しい事をした。」

トあるじの冗談、何にしろ肝腎な娘をと、関口のうちへ引取りに行けば、里親ふたりは泣きの 涙のそれはまだしも、どうにも引離すに離されぬは当人のお花さんの不承知、

「此のおつかさんといくのはいやだ、うちのおつかと一緒に居るんだ。」

ことし六歳(むツつ)の物心あるがなまじひ毒になりて、生みの母よりそだての母を親とするいぢらしさ、 だましても叱つても、久蔵夫婦の人にしがみ付いて離れぬにぞ、おかみさんは涙の止め度なく、

「お願ひですからもう一二年預けて置いて下さい、里扶持も要りません、たよりも無ければ無い でようございます、姐さんの体がチヤンとおきまりになるまで、しつかりお預かり申します、こ つちからお知らせする用が出来たら、松廼家の姐さんのうちか、若松のお信姐さんのとこまでい つて上げます、短気な事をしないで、一日も早く東京へ帰つて落着いて下さい、あんまりだしぬけで夢のやうだ。」

ト飾り気も無き真味の異見。

「どうかして、男親に一度逢はせたいと思つては居ても。」

かひなき事とあきらめてか、さらば当分のいりようにと、お秀さんかなりのお金を里親に預け、 泣出しさうに顔をそむける我が子憎くもうしろがみ、帰つて此の晩杉本の二階で、丸子さんへか たみにといつた三味線取つて爪弾の『()つの(そで)』、泣き明かしたやら次の朝お秀さんの眼は真赤。

旅興行の常として、さきからさきを急ぐ宮子太夫の一座、これより福島仙台と乗出す中に、笑顔(ゑがほ)さびしいお秀さん、汽車の窓からステーシヨンの見えずなるまでそこに未練の眼の色は、里親 が連れて来るかの心待ちの、あきらめ切れぬせゐでがな。

きちがひじみた旅立ちをしたお秀さんはきちがひか、洒落か冗談か、思案の末か、去年の暮、 お秀さんの縁で丸子さんがわたしのうちの抱妓(かかへ)になツた処から、宇都宮でのあらましは分つたれ ど、寒さに向つて寒い方へいつたその後の事は分らず、お花さんは、磯上さんは、と思ふうちに 又一年、ことしの二月になツて、紀州からお秀さんの年始状、おほよそをいへばかう。

 その後は永らくご無沙汰、延引(えんにん)ながらご年始状を差上げます、風のたよりに聞けば、丸子さ んが住替へて行つて居るとの事ですから、さうならば大抵はごぞんじでせうが、去年の夏、桐 生前橋高崎と歩いた時、お花は無理から引取つて、今も手もとでそだてゝをります、玉蜀黍(たうもろこし)の やうな頭髪(かみのけ)も少しは黒くなり、手足の色もだん/\はげ、田舎(ことば)もだいぶ直つて参りました、 ことしは大阪に落着いて、小学校へ入れるつもり、唄もポツ/\教へて居ますが、義太夫なぞ は決して習はせません、竜市のわがまゝなのには困つてをりますが、娘がもう少し大きくなる までは、辛抱をしてをります、此頃お花が『()つの(そで)』を覚えたので、愚痴を聞かして、親子 で泣きます、しかし石にかぶりついても、娘は一人前にして、血すぢの正しい、両親にまさつ た身分の男にきつと添はせます、実意のある男をきつと持たせます、ことし娘は八歳(やツつ)、わたし は明後年(さらいねん)もう三十です、去年素通りをしましたから、丸子さんからおついでに杉本のうちへよ ろしく、廃業の事や何やかや、あとで定めしご面倒でしたらうとお察し申します、叔母さんの ゐどこをごぞんじでしたら、何ぞの時にお言伝(ことづけ)を願ひます、唯今では広い世界に親子たつたふ たりです、嬉しかツたも男、苦労も男、姐さんも丸子さんもお達者で、当分又おたよりを怠け ます、東京といふ処を思出したくありません。

竜市さんのうちはどこか未だ尋ねず、『()つの(そで)』を幾何十度(いくなんじつたび)か弾いた涙のいきがたみ、其の 三味線は、丸子さんがもつてゐて、今わたしのうちに在る。