獅子は死せるに非ず〔終刊の辞に代えて〕 小栗虫太郎 「シュピオ」に、終刊号が出ることになった。  われわれは、ほぼ所期の目的を達成したのであるから、此処で終止符を打つことにする。  人は惜しまれ……花は爛漫のとき……そして「シュピオ」は、もっとも売れつつある高潮期 に幕をおろす。もちろん、営業部からは続刊の希望もあったが、すでに一年間とさだめた終刊 の時期も過ぎているので、名残り惜しいが燈台の灯を消すことにした。  では……何故、売れつつある雑誌を止めるのか。  それは、当初の目的とする優秀新人の出現に、通巻十二号の今となってもまったく見極めが 付かないからだ。|斯界《しかい》の、|萎靡沈衰《いびちんすい》は作家各自より、新人諸君に於いてもっとも甚だしいとす る。従って、いかに営業部が続刊を迫るとも、もうわれわれにはこの上の情熱がない。  売れるーが、「シュピオ」に於いてはそれが目的ではない。ただ、唯一の機関、それある のみだった。  それから、終刊に就いては、もう一つ事情がある。  それは、「シュピオ」という捨石によって……、せめて一年間も刊行を続けたならば、ある いは他に、専門誌が生れはせぬかと云うことであった。しかし、いまではその機運もなく…- |沮喪《そそう》にかさね、最後の十二巻目が来てしまったのである。  われわれは、此処で静かに残紙を焼くことにする。  こうして、日本探偵小説は闇のなかへ隠れる。しばらくは、光りのくるまで眠り続けるだろ う。  無風の、批評のないなかで、惰眠を負ぼるだろう。  しかし、「シュピオ」の獅子は、決して死んではいない。                            (「シュピオ」一九三八年四月号)