三文歌舞伎 小栗虫太郎 一、てれつく芝居  ここは、北鮮清津の芝居小屋「凱旋劇場」、盆も貞近い蒸 し暑い夜のことだ。冬夏座という、歌舞伎、節劇、剣劇もあ り曲芸もあるといった、……おきまりの、田舎まわり演芸百 般の一座が、盆を当て込みの乗りこみを済ましている。  車座でうす汚ない仕度部屋は、人いきれがする。ぐるりは 槌せた大入袋や似顔絵などが張られ、たまに壁地がみえても ぽろぽろの穴だ。 「サアサア、こう額ばかりを突っつき合わねえで、壁際へい ってもらおう。うっかり、丁半とでも間違えられりゃ、事だ からな」 「ちげえねえ」  立役の、中村雀三郎がわらって後退りした。神経的な、蒼 白いしゃくれ顔をした、顔だけは木挽町といえる男だ。 「ところで、とっつあんに智慧を聴こうかね」 「ないんだ、それが」  座長の音五郎は、ずんぐりした卒中型の頸をふる。|背丈《なり》 の、小さなでっぷりとした、座長とは云え三枚目である。 「では、三州は?」 「ないねえ、やはり此方のほうもポチポチというところだ。 だいたい、しばらく食わねえところへ詰めこんだもんだか ら、出しものなんぞよりも眼くっていかねえ」  三州、という尾上三八。いつも、挨りっぽい顔をした、役 者らしくない男だ。といって、町廻りから、ビラ貼り、雛ま で|交代《ぱんこ》でやる、一座で役者らしいのといえば雀三郎だけだろ う。 「じゃ、女優さんにだが」  と、女くさい片隅に眼をやると、 「あるわよ」  と、坂東勝治という大年増がいう。  女、いや女優の身だしなみが、汚れた爪をみても皆目ない のがわかる。 「なんでも、うごかないで、しゃべらないで……演れるもの が欲しいわ。御難の末だもん、いたわってよ」 「チェッ、あれだ」 「だけど、当てたいといっても役者不足じゃね。本職は、雀 さんとあたいだけじゃないか」  とたんに、一同の|眈《まなじり》がサッと険しくなる。それは、馬鹿 をいい合う寸前の空気とは、人間さえも変ったかとおもわれ るほどだ。  じつに、この一座は前科者の集団なのである。  前科者、というよりもお尋ねもの、勝治が、二つ駈け持ち ならぱ、座長は、いかさま賭博の電気賓の名人だ。三州は傷 害、右源太は泥棒1いずれも、旅に羽ばたく追われ鴉のあ つまりで、勝治がいま、素人といった理由が此処にあるので あった。  しかし、雀三郎だけは|判然《はつきり》としない。あるいは彼がただ一 人黒中の白であるかもしれない。 「マア、お止しったらね」  勝治が、一座を見まわして臆せずにいう。 「こんなことで詐りや押し込み面を剥きだしにするもんじゃ ないよ。おたがいに内地を食いつめた旅鳥じゃないか。気さ くに、ちょっとばかりのことは、気にしないでもらいたいね」 「そうだとも」  座長と、雀三郎が同時に合槌をうった。 「それより、目先の飯だ。出しものを決めたり……」  此処で、一座の空気がふたたび緩みはじめる。雀三郎が、 最後に一人いる女優に声をかける。 「女医さん」  というのと、いようと混ぜかえす、頓狂な声が同時にきこ える。  雀三郎と、仲を噂される松本錦綜は、四年ほどまえに女子 医専を出た女だ。それだけに、どうみても理智的で、新劇女 優である。  ただ、傷というのは堕胎帯助の前科だ。  それも、余儀なくされた無理からぬ理由があり。刑余の彼 女は、ながれながれて此処へ落ちこんできたのだった。 「サア、あたしにはねえ」  と、錦綜ははにかんだように云う。 「皆さんが、してくださる役附けなら、なんでもいたします わ。あたし、新のもの以外には、見当もつきませんもの」 「いけねえよ」  と、座長の音五郎がにが笑いしていう。 「新劇もいいがね、この面ぞろいじゃ、仕様があるまいよ。 なにかね、まだ雀さんには訊かねえようだったが」 「それが座長、皆目ないんですよ。ですが、盆でもあり此処 で当てないと……」 「どうせ、夏枯、身を裂かれーか」  と、三州がさびしそうに笑い、いつもは、そこでドッとな るのが、さむざむとなんの声もない。そこへ、 「あるわよ」  と、勝治の声がした。 「ある?」 「そうとも」 「|猫怪《ねこぱけ》はどう?」 「猫η ううむ、そいつはいげねえ」  雀三郎が、あわてて手を振った。  猫怪ものには、この一座にいやな因縁がある。鍋島で誰1 有馬で誰、つい三月ほどまえも、岡崎のとき三八が|大負傷《おおけが》を している。それ以来、猫怪ものは禁制となっているのだ。 「へん」  と、勝治が鼻を鳴らしてあざけった。 「哩わせらい。お前さんたち、猫がこわいなんて柄なもんか い。狸も、いりゃむじなもいる。|錦《フちち》綜さんなんかは、マア《ち》|む ささびだろうね。へん、じぶんたちが|化《ちちフ》けていて、なにが怖 いロ」 「いけねえよ」  雀三郎が、険相な顔をして二度といわせました。 「のうお勝っつあん、この道に、お前さんははいってなん年 になるね。四谷を、お詣りしねえで、演れる座があるかね」 「あたしゃ、演るよ」  勝治は、もう片意地になっている。 「なんのと、おもう人間に、愚っつくもんかね。あたしゃ、 きっと当るかとおもうから、それでいうんだ」 「さようなア」  座長も、どうやらその気になりかかってくる。そこへ、 「だけど、ねえさん、|前例《まえまえ》があるもんねえ」  と、錦綜が案じ顔に口をいれた。 「黙っといで。おまえさんは、雀さんの機嫌さえとってりゃ、 それでいい人間だ。へん、砥な役者顔をしてなんだい」 「マア、静かにしねえったらよ」  感情を、むりやり殺した棒のような調子で、雀三郎がなだ めるようにいう。勝治が、錦綜と彼の仲を妬ましくおもって いることは、とうに承知のうえだったが……。 「おめえ、今夜飲ってやしねえか」 「トラかいロ あたしゃ、猫をいってるんだよ」 「うむ」  手がつけられず苦笑しながらも、雀三郎は気がかりらしく 続ける。 「では、|化猫《ねこ》のうちのなにを出す気かね」 「岡崎さ」 「そうか」  と、雀三郎の頗がぴりりっと顧える。 「派手でいいだろう。あたしゃ、当ると思うから、それでい うんだ。この'座が、芸でみせようたって、そりゃ無理だわ よ」  もっともな話だった。この一座は、目先だけで惹こうとし たもの以外には、客をよせるなんらの技禰はない。 「|東《とうかい》 |駅《どう》いろは日記1」 つぎこの原本は、大南北の怪猫もの岡崎の猫、「|独道中《ひとりたび》五十三 駅」である。すなわち、水木辰世こと猫石の怪が黒猫で、十 一|二重《ひとえ》を着、破風をやぶるという、至極にぎやかなドロドロ ものなのである。  そこで一、二、ト書を抜きだしてみると、  ドロドロになり。古簾の破れより、その形抜群なる大猫の 面見えて、目を開き、キッとなる。左次兵衛、|悔《ぴく》りとしてヤ ヤヤヤ。簾のちぎれに見ゆるは、猫の面の、さも凄まじき。  と銘にて簾を切って落す。ここに猫の怪、十二単衣の姿、 老女の椿らえにて、蚊遣りの火を焚き、猫の顔にて、鏡台、 |鉄漿《はぐろ》附け道具を並べ、鉄漿をつけている。(三州池鯉鮒八つ 橋村の場)  この八つ橋村の怪猫は、 われ出る。 ついで東海道鞠子在の古寺にあら  怪猫人目がなくば常々に、好めど足らぬこの山中今宵ぞこ こで、あの油をときっと思い入れ。この時、風の音、捨て 鐘。猫の怪、寝所より、そろそろと這い出し、後を窺い窺い、 行燈を引寄せ、その中へ顔を差し入れる、その影、猫に映 る。長き舌を出し、ピチャピチャと油をねぶる事。(中略)  が、これには以前三八が|負傷《けが》をしている。彼は、それを思 えば引いてはいられないらしい。 「オイオイ、因業もいい加減にしてくんな。おれは、岡崎じ ゃ死ぬところだったんだ」 「お死になね。役者は、舞台が戦場だというよ」 「|女《あま》」  傷害の、前科のある尾上三八は、些細な衝動にもかっとな る男だ。しかし、そのときは人に隔てられてその夜はなにご ともなく済んでしまった。  が、背に腹はかえられぬたとえである。一座が、岡崎をだ すとひじょうな大入りであった。  雀三郎が、水木辰世こと猫石の怪に扮して、舞台をせまし と荒れくるう、勝治の役は、一種の変態趣味で退治役の侍。       ら C  ところが、千秋楽の夜打ち出してがおわると、勝治が、ひ どい胃痙轡でのたうちはじめたのである。それは、男の力で ないとどうにもならず、三八と、雀三郎が交代で看護したの だったが……。翌朝、勝治は屍体となっていたのである。 二、猫のいる部屋  やがて、座長、雀三郎、三八、錦綜と、幹部だけがこっそ りとあつまった。  屍体は、布団のうえに仰臥の位置でよこたわり、両脚を、 ややはだけ気味にして右手を胸にのせ、左手は蚊帳を押して ぐんとはみだし、顔は、紫地の枕に行儀よくのせている。  それに、着ている禰神も裾がみだれ、みたところ、ひじょ うに変な姿態だ。  錦練は、まえが女医だけあって事務的に扱うが、さすが、 女性らしい心使いをしめしている。  座長は、隅へ雀三郎を連れていって、そっと麗いた。 「くたぱりやがった」 「ふむ」 「しかも、|女《あま》は殺られてるんだ、左乳のしたに、吹針みたい なものがつんと突っ刺さってやがる」  みると、後方に一個所蚊帳にやぶれ目があり、おまけに、 窓はどこのも閉めていない。してみるとだれか窓越しに吹針 でもやったのか。  が、より以上問題なのは屍体の始末である。 「じつに、雀州、弱ったことになったな」 「   」  雀三郎も、ことがことだけに、苦りきった表情をして、 「おいらがね、脛に傷がなけりゃ、それでいい。うっかり警 |察《つ》へなんぞ持ちだしたら、身上が曝れるぜ」 「どうする」 「マァ、|国境《さかい》を越えたら、埋めることだね」 「ふむ。だが、この辺には引っかかりはねえんだし、お座敷 が、二、三かかったようだが、その連中かな」  しかし、犯人外部説はやがて覆えされた。錦練が、屍体の ほうぽうを探るようにみていたが、 「ちょっと」  と、なにか胸迫ったような声をだす。 「なんだね」 「姉さんは、そとから殺されたんじゃありませんよ」  と云って、かたわらのナィフに錦綜の手が伸びると腕の、 静脈あたりを目がけぶすりと突っ込んだ。  すると、まるで眼覚めるような鮮紅色の血液が、どろどろ と腐れ水のように流れだすのだ。 「これ、なにを意味するか、お分りになりまして?……」  錦綜は、はじめて此処で女医らしくなる。 「分るかってロ 分るようなら、こんなてんつく|芝《フフフフ》居はしや しねえよ」  と、座長の云うしたから三八がのぞき込み、 「ただ、どうも碕麗で眼がさめるようだ。なにかね。いつも 死骸の血って、こんな碕麗なもんかね」 「いいえ、これは特別な場合ですの。で……」 「じゃ、なにが分った?」 「ええ、ただ一つだけわね。どうして、ねえさんが殺された かということと、それが、外部からきた知らない人間ではな いということです」 「なに、|内部《なか》のもの……」  部屋中の、あちらこちらから坤きのような声があがる。  死因が分った。  しかも、|内部《なか》の人間とすれば、なに者だろうか。 「私は、さいしょ肌の色を見ただけで、 ハハアと思いまし た。これは、座長さん、青酸中毒ですの」 「   」 「もっと、発見が早ければ、|口腔《くち》の臭いだけで分りますし… …ですけど、青酸加里には苦味がありましてね」 「割合、酔っても味覚は失なわない方なら、あの薬はとうて い駄目かと思います」 「どうだ、みんな」  錦隷の云うにつれ座長は、眼をいならんだ連中たちに向け る。 「どうだ! 酔うと、勝治は舌も味が利かなくなるか」 「いや、どうして」  と、雀三郎が間を置かずにいう。 「こいつは、どんなに酔っても味だけは確かなんだよ.酒を 代えても、ちょっと下味をいれても、不思議とわかる奴なん だ」 「そうですか。では、なにか他の青化物でしょうか」  錦綜は、まるで講義のような一本調子をつづける。 「とにかく、瓶はないし粉末も附いてはいませんし、これは、 自殺ではなく明白に他殺です。しかし誰がやったとなると、 私には分りませんわ」  してみると、犯人は確実に内部にあり、吹針を乳下に刺し たのは偽臓策であろう。すると昨夜、さいしょは雀三郎が 来、つぎに三八がきた。とにかく、関係者といってはこの二 人しかない。 「あっしがね」  と、雀三郎がいいだした。 「医者が、注射してかえると、静かになったから、三八にち ょっと代ってもらったんだ。そのときは蚊帳は、まだ吊っち ゃないし、のう三州」 「ふむ」  三八は、記憶や君えることが苦手らしく……、それに、ゆ うべは飲っていたようだ。 「そう云や、どうもそんな気もするし、とにかく、あっしが 来てからは寝ていたがね」  あるいは、その間に死んでいたかもしれない。すると、妙 なことを三八がいいだした。 「崇りだよ、女は、猫、猫って、馬鹿にするから縫いぐるみ のある部屋で死にやがった」  みると、壁に怪猫の縫いぐるみが掛っている。とたんに、 一同はぞっとするものに襲われた。けれど、座長はげらげら と笑って、 「オイオイ、猫に薬がわかるのかね。そんなことを云うと、 おめえ、いちばん疑われるぜ」 「なに」  三八の、こめかみがいきなり筋張ってきた。  唇をふるわせ、眼は憎悪の色を、かっと座長に放つ。 「大将、なにかそう絡むに就いちゃ、訳があるかね」 「絡むロ」  ちかっと、座長の眼がひかったが、瞬間消えてしまった。 「おい、三州、誤解しちゃいけねえ。内輪に、済まそうとす るのに、大声出しやがって」 「でも……」  三八は、莫をぐいと噛みしめて、 「あっしはね、そんなことより、訊きたいことがあるんだ。 いや、あっしのほうから、あべこべに訊いてやる」  その気勢に、人達のあいだが、ザッとざわめいてきた。  三八の、不敵な、捨ばちそうな面魂。 「それはね、当の大将はなにしてたね。それに錦綜さんも だ。あっしは、朝までぐっと寝てたんだから、その隙にとは ……えっ、どうだ口」 「   」 「あるかね、云い草が」  三八の、高笑いが、いっぱいに拡がったとき、錦綜が、割 ってはいるように、やさしい云いかたをした。 「止しましょう。よけいな、云いあいをしてると、覚られま すわよ。ねえ、後生だから、あたしに免じて」 「ハハハハハハ」  三八は、勝った余勢で、気持よさそうにわらった。 「お前さんには、なにもかも開けっ放しにしますよ。訊いて おくれ、お前さんになら、なんでも云うよ」  とそれから、暫くすると錦綜の声で、 「蚊帳が……。だれが、蚊帳を吊ったか、それが分りゃいい」  と、ひそかに眩くのが聴えた。それは聴いたものも、聞か ないものもあった。  けれど、この三八の狂喋的なところが、一同の眼にふかく 印象附けられた。それに、いつぞや勝治におどりかかったこ ともあり、三八が、猫、猫というところに疑惑がきざまれる。  が、翌日、勝治の屍体は国境を越えて葬られた。そのとき、 三八の眼にも、さすが涙がうかんでいた。 三、夏雲  それから、四平街の小屋へきたときは、夏も晩く、はや秋 風が|高梁《コオリヤン》をゆるがせている。すると、あす初日というその日 の午後、錦蒜が雀三郎をこっそりと呼んだ。 「私、みんながいるんで、どうかと思ってね。あんとき……」 「なんだね」  雀三郎は、何事かを予期して、樗っとしたような表情をし たが、 「ハハハハ。じゃ。とうとうあっしが容疑者にされた訳だね」 「いいえ、決して」  錦綜は、さも打ち消すように笑った。  しかし、いつも表情のあまり動かないその顔は、かえって 雀三郎には、薄気味悪いものだった。  彼は、なにか機先を制せられるような気がして、問われぬ のに云い出してしまった。 「ねえ錦さん、あんたは、あっしが、蚊帳を吊ったかどう か、訊きたいだろうね」 「だが、それはあっしじゃない、三州だよ」 「…………」 「三州が、とにかく殺ったことはたしかだ」  錦綜のll、しかし眼は、すこしも笑ってはいない。雀三 郎は、待ちきれずに、はげしく瞬き出した、 「とにかく、さいしょ部屋へ入ったのがあっしなんだから、 結局、疑われるのも当然かも知れねえ」 「オヤ、マア、たいへん覚悟がいいこと……」 「いや、聴いてくんな。あいつ、あっしが来てからは寝てた んだからね。軒こそしないが、すっかり収まってた。いいか ね。それから、三州にきて代ってもらったんだ」 「オヤ、またお|復諦《さらい》……」 「ハハハハ、いやどうも、おまえさんも辛辣だなア」  雀三郎は、強いて動こうとするものを押え付けるように、 「結局、ピンからキリまで尾上三八のやつだ」 「そうかしら……」 「そうだよ。だが、お前さんはあっしを信じてくれるね」  雀三郎が、ちょっと異様な訊きかたをした。  知らぬ間に、額から油汗がにじみ、なにか心の奥底で荒れ 狂うものがあるらしい。 「御覧の通りですわ」  錦綜も、さり気なく笑って、 「私は、どなたにも不偏不党ですわ。そのかわり、ねえさん を殺した男には、誰かと容赦しません」  すると、雀三郎の動揺が、ますます非度くなってきた。云 うまいか、これを云ったが有利か不利かと、はげしく惑って いるらしい。 「ねえ、じつは」  やがて、雀三郎は眼を据え、じくっと声を低め、  「このことを云おうか云うまいかと、鷹らっていたのだが、 お前さんなら公平でもあるし、とそう思ってね」  「と云いますと」  「それは勝治が、あるいは、そのとき死んでいたのではない かーということだ。そのときは、さして不審な気も起らな かったがね」  「そうお」  錦練もふかぶかと頷いた。  「そのことは、私も異議なしに認めることにしますわ。ま た、それが大切な点でもあるのです」  「   」  「ふむ」  「また、それが犯人なのは、云うまでもないことです。でも 雀さん、なんだか私、説明が付きそうなのよ。誰がーとい  っても、見当だけですけど」  「と」  雀三郎の眼が、はげしく燃えてきた。  「それは、誰だというんだね」  「いいえ、まだ」  錦綜は、しかも苦笑に紛らわせて、 「まだ、私のは見当だけなんですの。あのとき、集った四人  以外にはと云う…:.」  「じゃ、多分これだろう」  |雀《ヨ》三郎の、顔からは神経的なものが消え、安堵した弛みが あきらかにみてとれるのだった。 「ねえ、あの部屋と、仕度部屋のあいだにだね。細長い、な にもない空部屋があるじゃないか。すると、少々突飛なよう だが…;.」 「なんでしょう?」 「あんとき、まだあっしがいる頃だ。そのとき、あの間部屋 にそっといたやつがある。そいつが、三八に代ろうとあっし がいない間に、こっそり忍び込んで殺ったとすりゃ・…:」 「なるほどねえ」 「だから、それには座長もいる。それに、医者の注射という のも危なっかしいもんだと思うよ。あいつと、勝治が引っか かりでもねえかと、おらア探りたかったんだ」 「 ・  」  錦綜は、頷いたが、そのしたから反駁した。 「でも、それだけじゃ、完全じゃありませんわよ。ところ で、あなたにお訊ねしたいことがあるんですの」  「ホウ、なんだね」  「それは、あんたが姐さんをいちばん最後に見たときのこと ……」  「   」  「そのとき、たしか一つだけ、御覧になったものがある筈で すわ」  「サア、なんだろうな」  しばらく、雀三郎は視線を宙に据え、惑うような、|模索《まさぐ》る ような表情をしていたが、 「分らねえ。あっしは、かくさず云うが、云っちゃくれめえ か」 「でも」と、錦綜は、惑わすような笑みを続ける。 「でも、なにかねえさんの顔に、御覧になったものがある筈 ですわ」 「さあ、ただちょっと顔が、緑っぽいと思ったがなア」  あわれにも、雀三郎は錦練の穿にすぽりと嵌ってしまっ た。 「そう、緑っぽい……」  錦綜の、声は静かながら、サッと眉があがる。 「そうだ。勝治の顔は、ちょっと緑っぽかった……」  といいかけて、雀三郎はなにかなしに、不安になってきた。 「だが、その顔の色がどうしたと云うんだ。あっしは見たま ま、真実を云ってるんだが……」 「そうでしょう。それで、いいのです」錦練の頗に、冷やか な廟けるようなものが涯びあがった。 「では、あなたそれを、絶対の真実とお認めになるのね。 私、とくに念を押しときたいと思いますわ」 「そ、そりゃそうだが」  雀三郎は、不安に息苦しくなってきた。眼を、|怯《き うきよ》 々と《う》|さ せ額からは、一筋油のような汗が落ちた。 「で、それがどうしたというんだ?」  もはや、予期する不安にい溜まらなくなり雀三郎は、声を ふるわせ、じりじりと前に出てくる。 「おい、錦、おめえ」しかし、錦綜は焦らすように口を閉じ たまま笑っている。  成算たっぷりに、相手を弄くる意気悪い快感だ。 「オィ」 「じゃ、いいますわ」  錦綜は、やや経ってから、云った。 「そうしますと……あんたが見たのが緑色とすると、……あ んたが、姐さんの屍体のうえに……」 「エッ」 「蚊帳を、吊ったということが、それに現われているわ」 「莫迦、莫迦な、なにを云う」雀三郎は、とたんに色をうし なったが、狂気のように喚き立てた。 「冤罪だ……飛んでもない……おめえは、気が狂っているん だ」 「私より、あんたのほうだわ」  錦綜は、櫛を呑気そうに廻しながら、 「あんまり、大きな声だと、聴えますわよ」  その声に、雀三郎の頸が、がくりと頂垂れ、肩は、さなが ら波うつようであった。 「ねえ雀さん、あんたは盲目や色盲じゃない……。その視力 を、私疑うことなどありませんわ。だけど、あんたが見た顔 が緑色だとなると」 「だが、錦……」そのとき、雀三郎が隙を見付けたように、 云いかえした。 「じゃ、あの顔の色を、なんと云うのだね。あれは、白でも 青でもない、うすい緑色なんだ。なるほど……じゃ多分、お めえの国のほうに別の云いかたがあるんだろう」 「ありませんわ。飽くまで、緑は緑色ですもの」 「   」 「ただそれが、緑に見えなくてはならない条件にあったまで です。ねえ雀さん、勝治は白麻の蚊帳のなかにいましたわ ね。そして頭を、紫地の枕覆いに載せていたでしょう」 「そ、そのとおりだ」 「そうすると、その自い顔が緑色に見えてしまうのです」 「   」 「つまり、色彩の対比法則ですが、白い|紗《きれ》をとおしてーこ の場合、蚊帳に当りますわね。そして、紫地のなかに置かれ た灰色をみますと、それが鮮かな緑色を呈してくるのです。 つまり、あんたが見た緑色というのは、蚊帳を吊って、それ から見たからですわ」  雀三郎は、わなわな顧えるのみで、動きも出来なかった。 ほんの一つの嘘。それが、錦綜のためにポンとあばかれてし まった。 「ねえ雀さん」錦綜は、声をはげしく励ました。 「ほんとうを云って頂戴。あんたは、勝治を殺してから蚊帳 を吊りましたね」  雀三郎の、肩の辺が小刻みにふるえている。  やがて、血の気のない唇から、、優れたような声を出した。 「そのとおりだ。おれは……、いかにも勝治を殺ったのは、 このおれだ」沈黙がながれた。解っても、その後味はひじょ うに|不味《まず》いものだった。 「あいつは、おれが何をして、飛んできたか知っている。人 を二人、いかさま|賭場《とぱ》で|殺《や》っちまったのを知っている。とこ ろが、おれはあいつの云うことをきかなかった。それだもん だから、|化猫《ねこ》の幕切れの退治の場で、わざと|台詞《せりふ》をつくり変 えやがるんだ」 「   」 「水木、水木辰世は此処にいるーといいやがる。|臨席警官《りんせき》 が…...いるまえで高々と云いやがる」 「でも」 「でもじゃねえ。おれの、本名がその名なんだからなア。水 木、水木辰男ってんだ」ふたたび、黙った。しかし、錦隷は ひじょうに優しい声でいう。 「分ったわ。だけど、短、気なことなんか、止めにしてね●ど うせ、末は野垂れるあたし達だもの。刑が、ありゃそんとき 頂くわ」 「だけど、おめえ|前身《さえ》をだして、ちょっと凄かったぜ。あん な癖は、これから止めにしてもらおうよ」  そとでは、町廻りの太鼓をリヤカーに積んでいる。  詐偽や人殺しが、舞台姿で艶然と町をまわる。