素顔 織田作之助      一  高等科を|卒《で》たとたんに、暖簾に|任几《もた》れて|薮《ふ》噛んだ日頃の顔をもう|喧《わら》われて、|彼《てき》みたいに頼りない気 の弱い男は三浅にまたとあろうかと、基作は沙汰された。十四歳を早や一人前の男に扱い、三浅は 気性の荒いので和歌山県下にきこえた漁村であった。まるで毎日、喧嘩だ、の声を重ねて、かさな り合い、波を蹴って浜へ駈け上ると、見物の中にも怪我人が出て、そんな時基作はぶるぶる顧え、 蒼い想いに濡れて逃げ帰り、網元の息子とは見えなんだ。  学校はできたが、そんなものは|取得《とりえ》にされず、たったひとつ口笛が|上手《うま》かった。基作の口笛は三 町きこえた。夜更けて塩たれた吹き方をしても、さすがにその音は暗い潮風に乗って家々の戸を敲 き、ひとびとは夢うつつに聴いて、基作のなんとも情けない夜あるきの顔を想った。今夜もまた父 親に折櫨されて、家のそとへ放うりだされているのかと思えぱ、母親のいないことも一緒に不欄だ ったが、けれど基作の父親が|揮《はばか》られて、呼び入れて泊めてやることも出来なんだ。基作の父親の|可 児《かに》又禄は鬼の禄という緯名で通った札つきのあらくれ者で、おまけに網元ゆえ相当の勢力もあっ た。  よせぱ良いのにイソケツの政というのが、基作の受持の教師にでも頼まれたのか、親に似ぬ子は 鬼子というが、まずあの子は鬼の禄のおまはんに似あわぬ大人しい子だ、いっそ神さんの授りもん だが、それを喧嘩を怖れたからといって折橿する法があるかと、柄にもない意見をすると、鬼の禄 はなにッと横面を往復なぐりつけておいてから、急にわらい出し、なるほど鬼禄の子で鬼子とはよ う言うた、おもしろい、そんな鬼子はおれの手元には置いとけん。あっという間に基作は大阪へ養 子に遣られた。  六人きょうだいで男は五人、そのうち長兄の亀右衛門を除いて順に鶴松、新次郎の二人はとっく に養子に遣られているからには、とくに自分だけが疎くされたわけではない。こんな風に基作は考 えたが、しかし、乱暴者の兄貴たちとちがって基作は大人しいのが不欄だと、惜し気もなく三人の 子を養子にくれてやる鬼禄への非難を含めた詞が耳にはいってみると、にわかに心細く、十五歳の 女々しい泪を見せたのを、鬼禄は叱りつけて、道中南海電車のなかで車掌と掴み合いの喧嘩をし て、大阪へつき、上本町八丁目の路地長屋へ送り届けて帰りがけに、ただひと言、ひとの証文に印 つくなとこれだけ凄んだ声で言って、さっさと路地を出て行った。白髪が目立ち、鬼禄もこの頃す っかり落ち目であった。  なぜ、父親はそんなことを言ったのだろうと、基作はしぱらく呆気にとられていたが、あとでわ かった。養父の小城仙吉は相場師でもと北浜で羽振りよかったが、ひとに印をかしたのがきっかけ で没落し、恥をしのんで勤めた取引所の書記の月給は六十円で、いまはこんな長屋住いかと、来て みて鬼禄は心外だったのだ。  けれど仙吉は昔を捨てず、ひとに無心されると、べつに電車賃だと小銭を添えてやり、せっかく 借りた大きな札をくずさせるのは可哀相だとの心づかいもして見せた。なお、十三歳になるひとり 娘は、友禅の錦紗をぞろりと着せられて、頭の痒いところを櫛できしきしと掻くそのませた手の白 さに、基作はおどろいて、年上でありながら、道子さんとさんづけに称んだ。  折柄、秋の彼岸で大阪中のひとが天王寺に集まり、経木屋と交通巡査が西門から逢坂上ノ町まで ずらりと並んだ。路地の前にもぞろぞろ人通りが絶えず、きき馴れぬ竹独楽の捻りに、これが大阪 というものかと胆をつぶしていると、ことしも蛸たこ踊り出てるやろかと、道子に誘われた。椎寺 町まで来ると、もう交通整理の柵が張られていて、洪水のような雑踏を押し切り、掻きわけるのが 大変で、思わず道子の白い手を握りしめたとたん、押された道子がよろよろと獅噛みついて来て、 その温かさにか、引導鐘、竹独楽、法螺貝の空を割るような響きのせいか、基作は気が遠くなって 暫らく動けなかった。ところが、じっと肩で息をしていた道子は、いきなり手をはなして、鼻の上 の汗を拭い、来年は女学校だった。  道子はなぜかふた親になじまず、むしろふた親の留守のときひとりたのしむという風で、その冷 淡さが養子の基作には不思議なくらいであった。女の子らしいおはじきを当てがわれても手にせ ず、雨上りの木犀の木から蝸牛をとって来ては、掌にのせ、腕を這わせて、しばしば肩から胸へ、 そしてじっと白い眼を据えていた。何しちゃるんならと、そんな時基作が覗くと、あんたもして見 イぜ。道子の声は叱りつけるようだったが、基作は腕の黒いのを塊じてようせず、ひとつには蚕す ら見れば怖がるたちで、まるで舟虫が足を這いまわるように気味悪かった。けれど、あんなじめじ めした肌触りのどこがよいのかと、なお道子の白い腕を見ていると、なんだかやるせなく、この道 子さんの傍におれると思えぱ、どんな苦労もしのべるというひそかな喜びに表情がこわぱって、わ ざと養父の折橿を待ちうける気持をもった。  しかし、仙吉は鬼禄とはまるで変って、打つ、撲るがなく、小言もいわずに存分に小遣いをくれ た。そうされると、かえって基作は勝手のちがう感じにまごついて、思い切って空気銃をねだると、 親に恥かかすな。仙吉ははじめて小言をいい、そして、お前もそろそろ年やさかい、明日から北浜 へ連れて行って相場を仕込んだると言った。相場は博突みたいなもんだとかねて聴いていた基作 は、イソケツの政がいつか警察に引っぱられた時の手縄をなまなましく思い出し、おどろいて、わ いは汽車の運転手になりたい、東海道線の駅の名はみんな知っている、東京、新橋、品川といいか けると、仙吉はお前のような|繊《ほそ》い身体で鉄道が勤まるかと、苦い顔をした。そんなら、時計屋へ奉 公したい。路地の入口は時計の修繕屋で、ガラス箱のようなそこの仕事部屋が気に入って、基作は ちょくちょく遊び込んでいたので、その旨言ったのだ。すると、誰が奉公しろと言うたと、いつに ない鋭い声が突然来て、狼狽した。奉公を言って仙吉の機嫌とった積りが外れたのだ。相場師に仕 込みたい肚の仙吉はそんな基作にがっかりしたようで、二度とそのことに触れず、勝手にせえとに わかに基作に疎く、口数もみるみる減った。  取りつく島のない気持に基作はまごまゾ)し、どうすれば養父の気に入るかと思案を焦り焦りした 挙句の苦しまぎれに選んだのは、こともあろうに時計屋奉公で、それよりほかにしたいことはない のかと、しかし仙吉も諦めた。そうして、折柄路地の入口の店で丁稚を探しているのを倖い、ずる ずるとそこの天井の低い二階に小さく寝泊りし三年経った冬、鬼禄が死んだとの報せに、故郷の三 浅へ帰った時の基作は、腿から下がへんに細く、曲り、おまけに猫背で顔色も不気味に冴えず、坐 業の職人をしていると聴かねばうなずけぬ変りようだった。  母校の三浅小学校の柱時計を修繕していたので、二汽車おくれ、仙吉の代理で来ていた養母と一 緒に上本町八丁目の路地へ帰った時は、大分|更《おそ》かった。葬式の模様など仙吉に話し、土産物をひろ げていると、道子が寝巻姿で起きて来て、眼をこすりこすり基作の傍へぺたりと坐り、足が触れ、 道子は眼鏡は掛けぬが近眼だった。女学生にあるまじい艶めいた伊達巻に基作は眼を|瞠《みは》り、五日見 ぬ間にこんなに大人めいたのかと、頭が濁って、時計屋へ戻った。  翌る朝、時計屋の表の硝子戸を拭いていると、登校姿の道子が路地を出て行った。緑色の靴下を はいて内股にあるく後姿を見て、基作は道子がちかごろ踊りを習っていることなどを想いだし、蝦 くなった顔を硝子戸にうつしてみると、おでこが突き出て、低い団子鼻の頭に面飽が出来ていた。 ああ、おれのような者は駄目だと、基作は小城はんの肚はゆくゆく基作どんを道ちゃんの婿にする つもりらしいぜと言った時計屋の主人の詞なぞ、忘れてしまいたかった。道子はついぞこれまで自 分に笑い顔を見せたことがないと、そんなことも強く頭に来て、かねがね道子は憂欝な娘で誰の前 でも笑ったことがないことなぞ知らず、しょんぼり諦めた気持をもった。  けれど、その翌年のことだ。卒業の近づいたある夜、道子はなにを思ったのか、眼交ぜで誘って 基作を時計屋の表へ連れだし、肩を並べて物も言わず一町行き、上宮中学校の前まで来ると、二十 円ほどお金貸してくれへんかと、いきなり言った。よろしおまと、飛んで帰り、月々の手当を預け 入れて百円あまりになっている郵便局の通帳を、行李の底からとりだして、もとの場所へ駈けつ け、全部|使《つこ 》とくなはれと言うと、堪忍ねと道子は基作の手を握った。苦しいまでの幸福感に基作は 身体がしびれたが、それから三月後に道子は入水した。わるい男に欺されたのを苦にして死なはっ たんや、そう言えば思いあたることもあるなどと、時計屋の御寮はんは口をとがらしたが、基作は 聴きとうはなかった。道子は妾の子、むかし仙吉が羽振りよかった頃の女に産ませたのを赤ん坊の 時から引取って育てているのだと、薄うす誰かにきいたこの方が、ちりちり胸に来た。その女だろ うか、落ちぶれて仙吉に二十円の無心に来たのはちょうど三月前だ。その時、道子は産みの母親と 知ってか知らずにか、お父さん、あんな女になんぜ金やるのんと叫んで、その女を追いかえさせた というが、その道子が二十円貸せといったのは、あれは何に使う金だったのかと、基作はなにか道 子の悲しみに触れた気がし、なぜ道子に自分の淋しさを訴え、また道子の淋しさを慰めるという強 い気持を起さなかったのか。取りかえしのつかぬ悲しみにおろおろ脇抜けていると、許嫁に死なれ た男への同情が歌うように身のまわりを取り囲んだ。基作は濡雑巾めいてだらんと精がなくなり、 そして水の引くように痩せるのだった。こっそり医者に診せると、肺尖がわるい。しかし、誰にも 話さず、背中をまるめて仕事部屋にぺたりと坐り、古障子のように無気力な咳をしながら、毎日虫 眼鏡を覗いていた。 二 三年経ち、その間に養父母は相ついで死に、 大正十四年の夏は降雨すくなく日照りが続いて、ま るで地が割れた。千日前の活動小屋常盤座の舞台では、両端に直径三十六吋の大扇風機を備えつけ て、写真の合間に廻し、いかにも錆夏興行めいた。その猛烈な喰りを聴いていると、基作は公休日 の想いがなく、なにか胸が痛んで、道子の想いを慌しくぐるぐる廻して、人ごみの中で蛆虫のよう に悲しく身もだえしていた。すると、いきなり、|基作《キサ》公やないかとぽんと敲かれ、振り向くと、父 親の葬式で会うて以来の新次郎が薄よごれた恰好で、高下駄をはいて立っていた。とたんに扇風機 が鳴りをひそめて、あたりが暗くなった故、すぐ小屋を出た足で、向側の飴屋でひやし飴を飲みな がら、立ち話にきけぱ、新次郎は一月前大和の養家を飛び出して、御霊文楽裏の寿司屋へ出前持ち に雇われたが、耳が遠くて註文の電話をすかたん聴くのが商売の邪魔だと暇を出されたので、気晴 らしに活動でも見て、これから口入屋を覗いてまわるつもりだと、ひやし飴を半分飲み残すほどの 精のなさだった。なお、鬼禄の死後、他のきょうだいは皆大阪に出て、なんでも長兄の亀右衛門は 紙屑拾い、次男の鶴松は足袋のコハゼの職人、長女のお常は女中奉公、末弟の由三は高利貸の手代 をしている由、しみじみ新次郎の口からきいてい、ると、傍でフロックコートを着て飴を飲んでいた チョピ髭の男が新次郎を掴えて、君この辺に便所はないかねと東北誰できいて来た。基作は耳の遠 い新次郎に代って教えてやり、その男が去ったあと、これで料理衣を買えと五円ばかり新次郎に与 えて、そして別れて、七年会わなんだ。一人前になるまで、みんなきょうだいに会おうと思うな、 道で会うても素知らぬ顔をするんだと、葬式の時つよく言った亀右衛門の詞に従ったのだろうか。  それかあらぬか、七年の後はじめてきょうだいが顔を合わせた谷町の亀右衛門の家は、家賃が百 二十円で電話も二本引いていた。沖仲仕から一時は夜店で電燈のコード取り外し便利器や扇子など も売ったが、紙屑屋のかたわら人に教えられてはじめた廃球買いが当って、いまでは鉄屑商として 取引の電燈会社も百軒を超えていた。いつか古鉄商組合の総会が奈良であった時、大仏を見物した が、あれなら払下げをうけても損はいかぬ目方があると思ったという豪勢な話に、新次郎など飛び 上り、そんなら新世界の通天閣はどないや、相当な鉄がとれるぜ。亀右衛門はもうせん五万円貯っ たときに生やした髭のなかでわらい、そいつはお前がこの商売にはいってからにせえ。間もなくき ょうだいは亀右衛門と同じ商売にはいり、長屋住いももうせずとも良かった。  ところが、基作は慾がなかった。商魂もなく、相変らず、もとの時計屋に奉公していたい肚であ ったのを、亀右衛門はお前ももう三十だとたしなめて、無理矢理自分の店の帳場に坐らせた。基作 はかねがね道子のかたみの本箱にどういうわけかはいっていた商業講義録を、読み耽り簿記がいく らか出来て、なお金の出し入れもきちんとしたい気性であり、ひとつはそこを亀右衛門は見込んだ のだ。  間もなくの冬、亀右衛門は寄席で毛利元就の講釈をきいて来たと語り、|可児《かに》兄弟合資会社をつく ろうと言いだした。それぞれ異存がなく、会社規則めいたものがないのもおかしいと、基作につく らせたところ、基作は自身を合資会社の仲間から除いた書類をこしらえて見せた。けれど、誰もも うそれを不思議に思わず、また、どや、お前も仲間にはいりイなとも言わなんだ。が、基作もそれ を不平に思わず、日がな一日帳場に坐り、暇な時は出入りの商人の時計を修繕してやるのが、たの しそうであった。が、いつもいつも修繕をたのむ人があるわけもなく、家の中の時計ももはや一秒 狂わず、基作はだんだんに退屈し、いよいよ暖簾に任几れて薮噛んだ顔つきが多かった。顔色はへん に紫色にくすんで、銭湯のかえり、ミルクホール一軒覗かなんだ。  ところが、ある日、電球の口金屋が来て、あんたはなんぼ時計を直すのが名人でも、切れた球の 修繕はできまへんやろ、廃球をもと通り点|火《つ》くように直せたら、谷町に銅像が立ちまっせ。さいな と、基作はその気もなく答えていた。日が傾き、寒い風が白く戸外を走って、にわかに暗くなって 来た帳場の中で、しょんぼり坐っていると、ふと電燈がついた。心にも灯がついた想いで、ほっと 見上げた拍子に、できるか、でけんか、いっぺん考えて見たろと、思いがけぬ考えが起きて、倉庫 にはいると、潰して硝子と口金にわけると三倍の儲けになる二束三文の廃球がいっぱい積まれてい る傍を基作は暫らく離れなかった。  その夜、タ飯の時なにを考えこんでいるのか基作はひと言も口を利かず、亀右衛門の妻の勝子は 気をわるくした。よりによって、折柄勝子は基作の縁談をもちだしていたのだ。あんたに過ぎた女 だっせ、虫眼鏡でとっくり拝みなはれと、勝子はにこりともせず写真を見せたが、基作は桃割に結 って顎の尖った写真の顔を、電球に似てるやないかと、こんなことをひそかに考えていた。その女 の父は亀右衛門の取引している東京の電燈会社の用度課長をしており、縁組して置けぱどれだけの 得かと、勝子は言いだした手前もあって、基作に乗気になって貰わぬと困るのだ。本当は基作なん かに世話をしたくないのだが、他の兄弟はそれぞれ一人ずつ姿っている故、基作が残り福を貰う勘 定になるのが癩だと、勝子はぷりぷりして、うんとかすんとか、なんとか言いなはれ。基作はぼそ んとした声で、すん。けっしてからかヶ積りはなく、まったくうっかり返答すると、勝子は翌る 朝、初枝を電話で呼び寄せた。  初枝は新次郎の妻、年中勝子の愚痴をきかされて、ひたすら謝っていた。鶴松の妻は年上、由三 の妻は出が良い故、勝子もいくらか気兼ねはあったが、初枝は生れも長町の貧乏長屋で、なおちか ごろ雇った女中に用事を|扮附《いいつ》けるにもぺこぺこ頭を下げるくらい気が弱くて、かえって女中が居辛 がった。新次郎に日に二度ずつ撲りつけられ、泣きもせず、ただ平謝りすることで日を暮し、美男 の映画俳優のプログラムをこっそり集めるのを、たったひとつの愉しみにしているなぞ、嘘のよう であった。唇が分厚いので年中おちょぼ口をし、なお右肩を下げてひょこひょこ歩くのもこの人に 似合った。  そんな初枝を相手に散々基作のことを愚痴っていると、勝子は機嫌がなおった。お初つあん、わ てはどないしてでもこの縁談は纏めてみまっせ、よろしおまんなと言いながら、どういうわけか勝 子が流した泪を見て、初枝はおどろき、帰り途、五軒の道具屋へ立ち寄った。婚礼の祝い物をいま から心づもりして置くのだ。勝子はじめきょうだいは皆々けち故、新世帯の道具など基作に贈って やるとも思えず、自分がしてやらねば基作は困るだろうと、夫の新次郎に内緒の分は自身の身にっ けるものを質入れする肚であった。ひとつには、初枝は自分のものは下駄一足買い渋ったが、ひと に物買って与えるのが好きで、そのための内証の借金に、質屋通いをしぱしばした。  初枝の帰宅がおくれたといって、新次郎はれいによって撲り飛ばしたが、初枝が基作への贈物の ことにふれると、まだ貰うとも貰わんともきまらんうちに祝物のことを考える莫迦があるか。けれ ど、初枝の見通しは狂わなかった。言いだすとあとへ引かぬ勝子ではないか。  基作の気のかわらぬうちにと、万事いそいで、婚礼は真夏の七月二十五日だった。たぶん秋の婚 礼だろうと見つもりして、こっそり紹の紋附を質入れしていた初枝は、あわててやり繰して、うけ だした。もちろん新次郎の分もうけだしたが、かねがね改った席が苦手の新次郎は神前結婚ときい て狼狽し、婚礼の当日、そわそわと行方をくらましてしまった。  新次郎は天神祭を夜あかしで見物していたのだろうか、翌日の昼、赤い目をしょぼつかせてこっ そり帰ってみると、玄関に新しい履物が二足ならんでいた。どきんとして、再びこそこそ出て行こ うとするその挟を、初枝は掴えて、若夫婦が挨拶に来たはるさかい、ちょっとでも良えから顔を見 せてくれと、拝み倒したので、渋々二階へ上りかけた。が、階段の途中でへんに気おくれがして、 あとから尻を押して来た初枝に、あんた先に上ってくれ。新次郎が初枝をあんたと称んだのはあと にもさきにもこの時限りで、初枝はびっくりした。  やっと二階へ上った新次郎は余程考えたのか、持っていた扇子をいきなり頸筋へ差した変挺な恰 好で、基作夫婦の前へぺたりと手をついて挨拶し、冷めんうちに早くあがっとくなはれと、机の上 の飲物をすすめたが、ふと気がつくと、氷のはいったサイダーだ。冷めんうちにとはうっかり言っ たものだと、花嫁が笑いをこらえたとたんに、新次郎は階下へ降り、番頭をつかまえて、|基作《てき》は勝 負したと言った。勝負したとはうまくやったという意味の紀州弁だ。花嫁は名も可憐な千鶴子で、 笑うと歯ぐきが見えたが、歯並みはきれいで、腱毛の濃い美人だった。なお驚いたことに、はきは きと東京弁を使い、二階からきこえて来る笑い声も派手で、女学校を出ているそうだ。  ところが、翌年の夏もまたず、基作と千鶴子は別れた。千鶴子の父が用度課長を辞めたのはいい として、手馴れぬ鉄屑商売に足を踏みこんで、亀右衛門の金を使いこんだのだ。万とつく金で、到 底かえせず、親戚同志の裁判沙汰になり、亀右衛門はだから言わんこっちゃない、お前が出しゃ張 ったからだと、千鶴子をむりやり基作にすすめた勝子を撲り倒した。亀右衛門は大阪の聯隊にいた  頃、どんなあぱれ馬も馴らし、鬼禄の子であった。撲られて勝子は暫らく気絶していたが、気がつ   いた時、千鶴子を離縁させるより外はないと、決心したのだ。   千鶴子は基作の嫁とはいえ、勝子が貰ったのも同然ゆえ、勝子の一存で戻すのも不思議はないと   はいうものの、しかし、強く反抗も出来ずに、勝子の扮附に従って千鶴子を離縁した基作の弱さ   は、わるい前例をつくったという鶴松や由三の妻の非難を買った。しかし、基作は千鶴子の父が離  縁話の起っているのを裁判所でちらと耳に入れると、そんな|可児《かに》一族とは知らなんだ、なに、こっ  ちから頭を下げても千鶴子を戻して貰おうと言った由きいたのだった。そのため基作は、自分たち  可児一族を|梶《は》じ、とくに自分を梶じ、千鶴子と別れるのが自分の運命にかなうのだという惨酷めい  た自虐もあって、勝子の申出を承諾したのだ。   そうして、千鶴子は三万円の借金を背負い、三人の妹と一人の弟がいる父の家へ、帰って行っ  た。基作が口笛を吹きながら、台所のバヶツの中へ廃球を入れ、なんの積りでかごりてごそしていた  他愛のなさも、いまはかえってなつかしく、この冬の雪の朝、基作の疾に血を見たこともにわかに  気がかりで、基作のどこにこんな風に自分の心を|惹《ひきつ》けるものがあるのかと、千鶴子は不思議に思っ   た。頼りない夫だと、来てみてがっかりした筈ではないか。つまりは、漸く夫婦生活もねんごろめ   いて来ていたのだろうか。婚礼の贈物をするためにつくった初枝の借金はまだ済んでいず、思えば  短い縁だった。けれど、基作はやはり道子の笑わぬ顔の方を想った。この想いがあるから、平素陽 気な千鶴子とは、存外あっさりと別れられたのだろうか。  千鶴子がいなくなると、基作は自炊した。昼飯だけでもこっちで食えという勝子にそむいて、弁 当持参で亀右衛門の帳場へ通った。肺にきくという薬草も朝晩は自宅で煎じ、昼は亀右衛門のとこ ろの女中にたのんで、カソテキを借りて、金庫の隅で煎じた。しかし、薬草の効目は一向に現れ ず、昼すぎになると、熱が出たゆそれでも、基作は当分養生したいから、店を休ませてくれとは言 えぬたちだった。ただ、勝子が琉球から来てむやみに色の黒いごつごつした女中を、千鶴子の後釜 に押しつけようとした時は、基作は三日休んだ 三  亀右衛門は千鶴子の父に貸した金をひいてもなお現金で七十万円あり、谷町のS銀行支店長は製 図製作の専門家を紹介した。なお亀右衛門は鉄屑商組合の総会で浪花節よりも演説を懇請され、満 州事変に際会して、われわれ鉄屑業者は国家的見地より鉄屑の蒐荷に努めねばならない、たとえば わたしは目下沈没船引揚げ事業に目をつけている、あたら鉄屑を海の底に沈めて置くのは、惜しい ことではないかと新聞用語をまじえた話し振りも、いつか似合っていた。  長崎県五島沖合の沈没船払下げはやがて亀右衛門に落札し、|可児《かこ》兄弟をあげて五島に乗り込ん だ。引揚げ作業は難業だったが、兄弟は言葉づかいからしてそれぞれ|潜《もぐ》水|夫《り》、人夫、仲仕たちとう まが合い、掘立小屋に寝泊りしたので、四月掛って引揚げに成功し、現場で解体をはじめた。基作 は毎日人夫に賃金を支払う役で出向いていたが、こんな立派な船を解体してしまうのは惜しい旨、 人夫が語っている詞は思いがけず強くきこえて、なるほど、沈没船を解体するのも、廃球を潰して しまうのも同じ理屈だ、折角の口金と硝子球をそのまま生かして、切れた球が点火できる法が見つ かれぱ、時計の修繕などよりなお意義があるわけだと、しばらく遠ざかっていた廃球再生のことへ にわかに心が傾いた。  基作は長崎の本屋から電球の専門書を取り寄せて読み、廃球再生の研究ももはや遊びごとをはな れて、本気になって来たと見えたが、大阪へ戻って来ると、いつかその本もどこかに置き忘れて、 あっけなかった。三十過ぎて酒を飲み覚えたのだ。  沈没船引揚げ事業の成功を祝って、亀右衛門の家で張った祝宴の席で、今日だけは別や、お前も 一杯やれと亀右衛門がつきだした盃を、基作は不思議に断らず、なおその翌日から毎夜飲み歩いた ので、女たちはおどろいたが、五島では半年もあらくれの人夫とつきあっていたのだ。人夫たちの なかには半島人が多く、基作のアリラソ節の口笛は、咳でしばしば途切れたが、正調であった。  千日前、道頓堀、新世界をはじめ時には九条、市岡まで基作は浮かぬ顔で足を向けたが、いつか 道頓堀のそれも一つ場所だけに限られて、基作も木石ではなかった。りてこで松美という女がいた。  松美はそこだけの名で本名はカク子、賀の字の下に来の字を書いてそう読ませると、やがて知る くらいになんだか心惹かれたが、基作に岡惚れしていた年増の女給に言わせると、松美は部落の娘 だという。だから、よせとその女給は忠告したが、しかし、上眼づかいに覗うようにじっと見つめ る笑わぬ松美の顔を、誰かに似ていると閉じた眼に、道子が浮んだ。基作はもう歯の治療をしたい からという賀来子の無心を断り切れなんだU  南河内の|日置荘《ひきしよう》村は豊年で、河内音頭の盆踊りがあり、わたしの居る村だと賀来子に誘われて行 ったその晩、賀来子の家に泊った。母一人娘一人の賀来子の母親は、基作が泊ることに反対もしな かった。その冬に賀来子の母親は七十三で死に、賀来子はもう頼りにするのはあなた一人ですわ と、すがり、基作も肚をきめた。  丁度その頃、勝子の長女千満子に緑談がもち上り、銀行支店長が仲人で、相手は堺市の商工会議 員の長男だと、勝子は途端に、わてをわたしに言い改め、四十三歳でパアマネソトウェーヴを掛け るといううろたえ方だった。そこへ基作は賀来子のことを部落の娘だとありていに打ち明けて、結 婚する肚だ、いや、事実上結婚したのも同然だと、申出た。あんたは千満子の縁談の邪魔をする積 りかと「勝子はおそろしさに顧えた。金はわたしが出しまっさかい、別れなはれ。しまいに勝子は 畳に手をつかんばかりであったが、ここで負けては道子は二度死ぬ、千鶴子の時の二の舞いを踏ん ではならぬと、思いがけず基作は強かった。  勝子にきいた兄弟はおどろいて、説き伏せに掛った。姉の松枝の婿は鋳物工だが、町会の役員を していて、髭を生やし、弁も立ち、ほかのこっちゃあらへんぜ、姪の幸福のためやないかと口説い たが、二十四歳で縁遠い娘と、やっと信じた男に捨てられた女とどっちが可哀相か、他の女なら知 らず、生れが生れだけにいっそう失望させてはならぬのだと、くどくどまるで時計のネジをまくよ うな基作の返答に、お前はいつの間にそんな|頑固屋《ごてや》になったんやと、呆れて帰った。 -千満子の見合はお琴の会という名目で、北陽演舞場でおこなわれたが、千満子は肩がいかり、緊 張の度が強すぎて、弾奏する琴の音もむしろ滑稽だったから、商工会議員の長男はいかにも鉄屋の 娘らしい固い感じだと、やはり宝塚歌劇学校の舞踊科の生徒の方に心が惹かれ、縁談は破れた。背 の低いのにも難があったらしい。が、勝子は基作のことが破談の原因だとしきりに言い触らした。  それが耳にはいると、いよいよ外っ歯を気にして唇を固く結び、顎をぷんと上げだした千満子の 顔を、さすがに基作は見るにしのびず、まさか賀来子のことが破談の原因とは思えなんだが、大阪 に居たたまれぬ気がして、賀来子と一緒に姿をくらまして、行った先は朝鮮の京城で、そこは賀来 子がもと働いていた土地、ひとつには内地をはなれてしまえぱ、千満子の縁談の聴合せが自分にま で及ぶこともあるまいとの申沢だった。 四  賀来子は以前大阪の玉造でゲーム取りをしたことがあるといい、二人は京城につくと早速元町に ちいさな撞球場が売りに出ているのを、基作のもって来た貯金の額にまで値切って買いとった。  花輪ひとつ寄贈してくれる者はなく、ひっそりと代替りの開店をしたが、言い値に負けて売るぐ ちいだから余程はやらぬ店だったらしく、客は情けないくらい少かった、客は殆んど土地の者で、 さきの店から引続いている若いゲーム取りに目をつけて来るらしかったが、そのゲーム取りが間も なく客の一人と結婚するつもりだと泣きながら言って辞めてしまったあと、代りのゲーム取りも来 ず、いっそうさびれた。  十時を過ぎると、常連も欠伸しながら帰り、客足は途絶えてしまうのだ。それでも、もうすこし と惰性であけたまま、がらんとした店の隅に夫婦向いあって、にわかに更けた夜の時間がしんと張 っているお互いの顔をぼんやり眺めている。そんなある夜、めずらしくふりの客が来た。いらっし ゃいと賀来子は起ち上って、相手がないから帰るという客へ、わたしがお相手しますわ。基作が精 めない声でゲームを取っていると、客はじろじろ賀来子の顔を見つめていたが、急に思いだしたら しく、ようと肩を敲いて、なんだ、こんな所にいたのか。賀来子ははっと立ちすくみ、みるみる蒼 く、やがて撞いた球はもう当らなんだ。  客は三キュー撞き、賀来子と無理矢理握手して帰って行った。基作はほっとしたが、歪んだ顔は そのままだった。久し振りだね、僕の顔覚えているかねと、賀来子をゲーム取りに雇われているも のと思ってか、基作を無視したなれなれしい仕草は見るにたえなかったのだ。  三日経って、基作はもう黙っておれず、この間の客は誰やねんと訊いてみた。すると、賀来子は わっと泣きだし、これまで何度言おう、打ち明けようと決心したか知れないが、やはり言えなん だ、実はわたしはもと新町裏小路で働いていた、この間の男は客の一人だったと、腱毛の勘い眼に 泪がいっぱいだった。新町裏小路は京城の廓だ。清潔な道子の美しさをそのなかに見ていた賀来子 はそんな女だったのかと、基作は喰った。しかし、基作はなぜそれをかくしていたのかと、強く賀 来子を責めることが出来ないくらい気が弱かった。ひとつにはそんな賀来子を憐んだのだ。こんな 女でも捨てないでくれと、賀来子の手にはびっくりするほどの力がこもり、赤切れてざらざらした 手触りだと基作はふっと、痛ましく、それが思いがけぬ新しい恋情をそそったが、そのため一層賀 来子の打ち明け話はちくちく胸に来るのだった。  基作はもう賀来子が客を相手に玉を撞いているところを見ても、にわかに心が曇り、新しいゲー ム取りが来たのを倖い、店に出ず二階に閉じこもって、ぼんやり低い天井を見つめていた。しぜん 退屈して、久しく顧みなかった廃球更生の研究に気を向けたが、しかし、一向にはかどらず、気乗 りもしなかった。ふと、いつかの客の顔が頭に浮び、なんだ、こんなものといきなり壁へ電球をぶ っつけたが、不思議に割れず、ころころと畳の上を転った。それがおかしいと、しかし、笑う元気 もなく、われながら情けなく、しかもにわかにはげしい咳が来た。  ところがある日、賀来子は電球を手にしてしきりに溜息ついている基作をあやしんで、その電球 どうするつもりですかと訊いた。まさか玩具だとも言えず、古い電球を新しい電球にする法を思案 してるねんと答えると、そんなことできるんですか。出来イでかいな。すると賀来子はそうですか と暫らく考えこんで、やがて、女も電球のように新しく生れ変れると良いと思います。読本を読む ような無表情な口調だったが、基作はなにか胸をつかれた。  翌る朝、基作は.愚かれたように家を出ると、電球の町工場を探してあるいた。賀来子の詞はただ の語呂合せのようなものだと基作は思えなかった。なるほど、廃球が更生できるものなら、女も生 れ変れる筈だと、基作は強引に思いこみ、廃球更生に成功すれば、賀来子の汚れた過去も忘れてし まうことが出来るだろうと、基作はほのぼのと心が明るくなったのだ。幼い考え方だったが、基作 はまるで夢中で、鐘路の電車通りでは危く自動車にはね飛ばされそうになった。  灰色の街に灯がつく頃、やっと電球の町工場を探し当て、見習工に使うてくれと頼みこむと、明 日もう一度早く来てみろと言われた。翌朝、暗いうちに起きて駈けつけて見ると、工場の門はまだ あいていなかった。二時間待って人事係へ出頭すると、弱そうに見えるが、どこか病気でもあるん じゃないか。いえ、おまへん、おまへん。人事係はおまへんかとわらって、じゃ、明日から来ても らいます。飛んで帰り、明日から弁当こしらえてやと言うと、賀来子は病気のあなたに働かせて は、わたし御兄弟に申訳けありません。構めへん、構めへん、どうせぶらぶら病いやさかい、ちょ っとぐらい働いた方がくすりやと、基作はきかなんだ。  三月経つと、基作は電球製作の工程を細部にわたって呑み込んでしまった。すると、廃球の九分 九厘まではタソグステソ繊条の断線したものであるから、廃球を更生させるには、結局アソカーの タソグステソ繊条を取りかえれば良いわけだと、自然わかって来て、基作はとくに頼んでアソカー にタソグステソ繊条を掛ける仕事の方へまわった。そして、二月目には殆んど一人前の職工にまけ ぬぐらい熟練したが、しかし、それを直ぐ廃球に応用できぬのはわかり切ったことであった。電球 製作の工程では、アソカーにタソグステソ繊条を掛けてマウントをつくってから、硝子球をかぶせ るのだが、廃球では硝子球の上からアソカーにタソグステソ繊条を掛けねばならぬからだ。もちろ ん、それは手品にひとしく、といって硝子球を取り外すことは、口金をいためるし、また取り外し ても、硝子球の頭部は茎軸のラッパロと密着しているので、駄目なのだ。そうわかると、基作はが っかりしたが、それでも研究を中止せず、さまざま考えていると、ふと、硝子球の尻に穴をあけ、 そこから管を挿入してタソグステソ繊条を取りかえることにすれば良いわけだと思いつき、いつか パヶツの水の中で廃球のチップに穴をあけて、硝子球に水のはいるのを試していた時に、なぜこの ことに気がつかなかったのかと、地団駄踏んだ。  翌る日、日が暮れてから、基作は工場から二十町の道を走ってかえり、二階へ駈け上るなり、賀 来子ちょっと来てみイ。賀来子が上って行くと、基作は部屋に点っていた電球を外して賀来子に渡 し、到頭廃球が点るようになったぜと暗がりの中で言いながら、ポケットの廃球をとりだして、手 さぐりでソケットの中へ入れたが、部屋の中はやはり暗かった。小柄な基作は背伸びして、しきり にスイッチをひねっていたが、いきなり、あッと言ってしゃがんでしまった。おどろいて、賀来子 が手にしていた電球をソケットに入れて、スイッチをひねると、真赤な血が畳の上にかたまってい た。二十町の道を走ってかえったのがわるかったのか、長い間背伸びをして仰向いていたのがわる かったのか、それとも折角成功したと信じた廃球更生の失敗にがっかりしたのか、基作は喀血して いたのだ。  そんな身体でもう工場へ行けず、医者は毎日来て止血のトロソボーゲンを四日続けて注射し、余 程注射の好きな医者らしく、その後も二日おきに来てヤトコニソを注射った。その支払いに迫られ て、賀来子は大阪にいた頃つくった着物を全部質入れし、なお、自身の食事は二度に減らし、その 二度も漬物だけであった。なお、毎日暗がりに起きて、朝のうち三時間近くの製薬工場へ包装の内 職に行き、夜は店を閉めてから軍手を編んだ。  基作は泣けて、賀来子とはるばる朝鮮まで来たことは、けっして不幸ではなかったと思った。い や不幸ではないなどという考え方は自分本位だ、自分は賀来子の献身に報いねばならぬと、基作は また思い、それには廃球の更生に成功するよりほかはないと、さきの失敗の原因をさまざま考えて いるうちに、やがて、硝子球の尻に穴をあけた時にはいッた空気を排気するのを忘れていた事に思 い当った。  それから二三日経ったある日、京城は雪が三寸積った。医院へ薬を取りに行った賀来子が帰って みると、基作は居なかった。咄嵯に想いだしたのは最近大阪から来た手紙のことだ。基作が新次郎 の所へうっかり居所を知らせてやると、折かえし来たもので、千満子の縁談のこんどの相手は某藩 主の後商の名門である、千満子はもとより親戚一同の幸福のために別れて大阪へ帰ってくれと、旅 費が添えてあり、なお、手切れ金が要るなら、電送するとも書いてあった。  そんなら、やはり大阪へ帰ったのかと、悲しさよりも、あの身体では大阪へ着くまでに死んでし まうと、その心配が先に立った。二日探したが、見あたらず、三日目のタ方、もうじっとして居れ ずにあとを追うて大阪へ行こうと、荷ごしらえをしているところへ、基作はひょっこり帰って来て 真蒼な顔で、到頭成功した、こんどは大丈夫やと言ったかと思うと、よろよろと店の間の客用の椅 子の上に倒れてしまった。三日間一睡もせず工場で研究を続けていたのだった。  それから一週間の後、基作が危篤の電報を受け取った新次郎は、その旨亀右衛門へ電話で知らせ ると、おれは基作のことなぞ知らん、あんな奴は弟とは思っていないとの返答、でそんな薄情な兄 弟があるか、そんなことではわいの死ぬ時が今から案じられる。新次郎はかんかんになって鶴松と 由三の所へ相談に走ったが、二人とも亀右衛門を揮って、京城までの道は遠すぎるらしかった。そ こへ死んだとの電報で、新次郎はもう誰も誘わんと、一人で京城へ駈けつけてみると、家の表には ずらりと|樒《しきみ》が並び、部屋いっぱいの供花はまるで花屋のようであった。棺ももちろん寝棺で、惜し 気もなく葬儀費を使ったらしいことは詰めかけている葬式人夫の数でもわかり、あわてて大阪から 懐中して来た額を想いだしていると、賀来子は万一大阪から誰も来ず、葬式費の払えぬ時は身を売 ってでも払うつもりで、圭庵にもその旨話をつけてあると言った。|可児《かに》家にふさわしい葬式を出す のが、もうあの人につくすことの出来る最後だと思えば、それもいとわぬ気がしたという賀来子の 詞は、新次郎にはもう皮肉にはきこえなかった。それほど賀来子はやつれて、白粉気のない美しい 素顔は、娘のような清潔さで、この女が身を売る覚悟をしたのかと、あきれるくらいだった。  日が暮れて、電燈がつくと、賀来子は見て下さい、あれはあの人が廃球を生かしてつくった電球 だと言い、遺言状を出して来た。ぞれには廃球更生の方法が該細に記されていて、特評権は新次郎 に与える旨認めてあった。とくに新次郎に与えたのは、新次郎ならきっと賀来子の将来を見てくれ ると思ってのことだろうか。ひとつには新次郎の妻の初枝へのひそかな感謝もあった。基作の病臥 中、こっそり見舞金を送って来たのは、きょうだい中初枝ひとりであったと、賀来子は語った。                                   (昭和十七年十月)