織田作之助 社楽  よせば良いのに、大坂|骨《ほね》屋町の徳助、松助という二人の下戸が、炭屋町にかくれもない上戸《じよ、、ご》男の 三平というのを、江戸見物に誘うた。  これが間違いのもとである。  三平はつねづね頓作滑稽をたくらむのに妙を得て、社楽の三平と緯名された町人の人気者だった が、酒ゆえに女房の来手がなかった。もっとも三平に言わせると、酒というものは清いものだが、 女は自体けがらわしいもので、とてものことに|姿《めと》る気はないと変骨を気取って言うのである。  ともかく独り者である。それだけに話の纏まりも早かった。  徳助、松助はいずれも律義者で女房持ち。しゃらくさい女房持ちでさえ女房を残して行くという のに、独り者の身軽なおれが南蛮の国へ行けとなら知らず、たかが江戸見物を億劫がる法はなかろ う、それにおれが加わらねぱ、むっつりの芸なし下戸二人の道中はさぞ火が消えて淋しかろうと、 早速誘いに応じたのである。  案の定、道中は賑うた。  ただひとつ心配なのは三平の酒癖だったが、これも路銀乏しい故の自重か、存外蓋を手にした がらず、同行の|騨尾《きび》に附して、茶店茶店の大福餅でお茶をにごすなど、不思議なくらい神妙極まっ たc  が、京、大津、草津、四日市を過ぎて、はや桑名の泊りには、さすがにお茶漬で済まなかった。  三平が風呂の中で歌った小唄を、飯盛に、さきほどの美しいお声はこちらさんではと、褒められ たのが切っ掛けで、 「なに、褒められるほどの声ではない。もっとも、これでちょっぴりでもはいって居れば話は別だ が……。1そうだな、いつまで下戸のつきあいでもなかろう、なに構うもんか、一本1」  附けて貰おうということになった。 「こちらさん達は:・…」 「いや、わしらはいっそぼた餅を所望じゃ。夜食にでもしましょうかい」  早寝した徳助、松助が夜中にふと眼を覚ますと、三平は飯盛を相手になお飲んでいる。  余程廻っているのか、歌うやら、敏鳴るやらで、眠れた騒ぎではなかったから、徳助が、「三 平、ええ加減にせんかい。そのざまはなんじゃ。大方宿の樽をすっかり空けてしまったろう。当節 一本の銚子が|幾何《いくぼく》しているか知っているか。眼を向くほどとられるぞ」  と、言うと、松助も枕元のぼた餅を頬張った口を合せて、 「すこしは慎まぬと、嫁の来手がないぞ。いや、わしひとりが言うのじゃない。長願寺の和尚も、 →てれから:…」 「くりから峠の合戦と来たね。あはは-…」  三平は|素面《しらふ》でも地口、酒落を言わぬと気の済まぬ男である。 「-ひとの棚おろしをするのに、ぼた餅を頬張りながらする奴があるか。ぼた餅ははなから|棚《ヘヤ》に 上げてあるもんじゃ。そもそもそのぼた餅というものはだね、承久元年以来子供の食うものと決ま ったものじゃ。でなければ、はしたない|下種《げす》の女の食うものじゃ。女子供の食うものを、大の男が むしゃむしゃと寝床の中で食うという法があるものか。男というものは、甘いものを見ても、がつ がつ手をだしたがらぬものじゃ。この節ちと恥しいと思え」  すると、松助は口をとがらせて、 「そう言うが、わしの女房は……」  餅屋の娘だった。 「言うな、言うな、男というものは、いかなる場合に立ち到っても、女房なぞというけがらわしい 言葉を口に出さぬものじゃ。はや女房を思いだすとは、みっともないぞ、松助……」  三平もまた酒を飲むと、説教口調になるという癖から免れていなかったらしい。 「1察するところお前は、さだめしぼた餅が取りもちの縁をうけてみたかったのじゃろ? むさ い、むさい! 大方歯切れの悪い恋を曝いたことじゃろう。げに女というものはぼた餅じゃ。べち ゃくちゃと気色が悪い。うわべは白い粉を吹いておっても、皮を剥げば、へその穴みたいじゃ。真 っ黒じゃ。不潔じゃ、けがらわしいものじゃ。それに比べると、酒というものはなんと清いもので はござらぬか、のう飯盛」 「ほんに、左様でござりまするな」  うち見たところ、飯盛ははしたない女である。 「なにが左様じゃ。べんちゃらをするな。べんちゃらを。おれはひとからべんちゃらを言われるこ とは好きだが、酒を飲んでる時は、べんちゃらをされたいほど心根は卑しくない。なにが左様じ ゃ。そう言うお前もこう見たところ、どうやら男にも見えない。けがらわしい。下れ、下れ、1 おっと、下った序でにお銚子、それから小鉢物・・…・」  運ばれて来たのを見て、 「1これはなんだ? こういう名もなき魚をお前とこでは客に出すのか」 「あら、名もなきだなんて、名はありますわ。蛸ですわ」 「ちいさい蛸だ。これで一人前分取るのか」 「あら、ちいさいだなんて、飯蛸ですわ」 「なるほど、そう言えば飯蛸に見えぬこともない。しかし、これが一人前の蛸か。なんとやら裾の 枯れた蛸じゃなーおい、見ろ! 足が六本しかない。亭主を呼べ、亭主を……」  下戸の早起きで、徳助、松助は夜明け前に起きて出立の用意をし、宿の者をあぶつかせた。  ところが、三平は到頭飯盛の酌で盛りつぶされてしまい、したたか熟睡して、いくら揺り動かし ても、こよりを用いてみても、あらぬ寝言を口走るだけで、一向に眼を覚す気配がない。  昨夜のことをいくらか根に持っていた松助は、すっかり業を煮やして、 「呆れ果てた奴じゃ。こういう酒飲みはいっそ懲らしめのために……」  徳助の耳になにやら曝いた。 「うむ、こりゃ面白い。ところで剃刀は-…」 「ある。女房が行李の中へ入れて置いてくれた」  大分経って、やっと眼を覚した三平は、大きな欠伸といっしょに伸ばした手で、ぽりぽり額を掻 いたとたん、ふと頭の附近の空気が何やら軽いのに気がついた。  驚いて頭に手をやると、いつの間に剃られたのか、つるつるの丸坊主である。一本の毛も残って いない。 「こりゃ、なんちゅうことじゃ。やい、徳助、松助、お主らの仕業だな」 「さいな。わしらは一向に知らぬが……。大方、酒毒で毛が抜けたのじゃろう」  両人は渋い顔であった。  三平は肝をつぶして脇抜けてしまった。  飯盛が出立ちの朝食を運んで来ると、三平はいきなり頬かむりした。けがらわしいものの前で も、恥しいということは知っているわいと、徳助、松助は蛤の佃煮がたまらぬほど美味かった。  往還へ出ると、三平は、 「こんな頭では江戸見物しても面白うない。箱根の関所も坊主は通さんそうな。わしは帰る」  そう言って、七里ノ渡しを渡ろうとせず、ぷりぷりしながら四日市の方へ引きかえして行き、呼 ばれても振り向こうとはしなかった。  それから六日目の|午《ひる》下り、骨屋町の松助の留守宅へのそりと顔を出した出家姿の男がある。  顔を見るなり、松助の女房は吹きだすより前に、どきんと胸さわぎして、 「社楽の三平さんじゃないの。いったい今時分、その恰好で・…-」  気でも狂ったとか。いやそれとも何かあったのではなかろうかと訊くと、三平ははやはらはらと 落涙して、 一「いや、推量しでくれ。伊達や酔狂のこの服装じゃない。実は、四日市の七里ノ渡しで、船がてん ぷくして三人とも波にさらわれ、浮きつ沈みつ流れてえらい災難じゃ。倖いわしは運良く杭にしが みついたところを、助け船に引きあげられて、危なく命は助かったが、ほかの二人は到頭土左衛門 になってしもうた、と聞いたときのこのわしの驚き、悲しみ。いや、二人だけじゃない。ほかの乗 合の者もたれ一人として助かった者はなかった。いや、もうなんというしゃらくさい浮世じゃと、 わしは無常を感じ、到頭出家を志しましたわい。あれから直ぐ廻国と思ったが、まずはこのことを おまはん達に知らせてあげようと思い、こうして帰って来たわけじゃ」  南無阿弥陀仏と、汚い数珠を揉みながら言うのである。  松助の女房は仰天してしまった。  三斗はその足で、徳助の留守宅へ顔を出し、同様徳助の女房を仰天させた。そうして、行方をく らましてしまった。  松助の女房は亭主想いであった。すぐその場で後を追おうと一旦は覚悟したが、さすがに思い止 り、しかし、亭主に先立たれて何の浮世にたのしみがあろうと、頭を剃って亭主の菩提をとむらう 新尼となった。  それを見ては、徳助の女房も長い髪の毛をつけて居るわけにはいかず、同じく頭を剃り、瞬く間 に新尼が二人出来たわけである。  近所の人々はいずれも皆感心して、 「女というものはこうでなくてはかなわぬものじゃ。今どきの女たちは、亭主の葬礼を見送るに も、紅白粉つけてとんと見苦しいものじゃが、いや、殊勝、殊勝」  と、言い合って、 「これも日頃から仏たちの心掛けが良かったからじゃ」  故人の徳を尾鰭つけてほめそやしているところへ、徳助松助の二人が無事江戸見物を済まして、 「いやもう、江戸などというところは、侍が威張りくさるばかりで、面白くもないところじゃ。永 い旅して損を見た」  などと語り合いながら、帰って来た。  いずれも女房に甘いところを見せて、米半俵もするほどの櫛を土産に買うて来たなど、まるで茶 番である。  どこへその贅沢な櫛をさせというのか、帰ってみると、女房たちの頭は綺麗なつるつる坊主であ る。 「誰に断って、その頭を剃った? いや、なんの不足があって、亭主のわしのどこが気にいらない で、尼になった」  叱りつけると女房は相手の顔をじろじろ観察しながらまず黙って|盟《たらい》に水を汲んで差し出し、しき りに足のことを気にするなど、ここらあたり暫らくとんちんかんが続く。  やがて、幽霊でもないことが納得できて、だんだん詮議した挙句、三平に謀られたことが判っ た。 「すまじきものは悪戯じゃ」  と、松助が後悔すると、 「いや、用もない旅などに出掛けたのが、そもそもの間違いのもとじゃ」  と、徳助が言い、お互い女房の頭を見て、笑う精もなかった。 「それにしても、憎いのは三平の奴、是非探し出して痛い目に会わせてやるぞ」  と、地団駄踏んでいるのを、近所の物識りが聴きとがめて、言うのには、 「いや、あれは三平の仕業ではなかろう。大方狐の仕業に違いない。それについて、ものの本にこ ういう話が書いてあった。-それは、大和のいたずらもの源九郎狐の姉にあたる女狐が八百八疋 の|春属《けんぞく》をつれて、播州の姫路に棲んでいた。ここに本町筋の米屋門兵衛というんが、ある時、里外 れの山陰を通ると、小狐が集っていたのを、何の気なしに|礫《こいし》を拾ってぶっつけたところ、一疋の小 狐が当りどこがわるかったので、そのまま死んでしまった、その夜のことじゃ,門兵衛の屋敷の棟 の上に、何百人という女の声がして、御姫様が野遊びをあそぱしているのを、ようも命をとったな と、いうなり、ぱらぱらと石が落ちて来て、あとで見ると、白壁、|窓蓋《まどぶた》にいたるまで穴があいてい るのに、小石は一つも残っていなかった。,そうして、その翌る日の昼前のことじゃ。旅の僧が店へ 来て、お茶を頂きたいというので、下女にいいつけて出させたが、間もなく同心らしい大男が二一二 十人乱入して、お尋ね者の出家をなぜ隠したと責め立て、その罰じゃというて、亭主と内儀を坊主 にした挙句、さきの出家も同心も逃げかえった。おまけに門兵衛の息子の門右衛門の女房が折柄里 方へ帰っているところへ、門右衛門が突然やって来て、お前の身持ちのわるいことを聴いたといっ て、あっという間に、女房の頭をまるめてしまった。また、門兵衛の親里へもはげしく使いが来 て、門兵衛|事《こと》前夜頓死なされましたという。さても悲しいことだ、若いものに先立たれて何おもし ろいことがあろうかと、親御は菩提をとむらうために法体となって、さて門兵衛方へやって来る と、門兵衛も内儀も坊主頭のままで出迎えたーと、こういう話じゃ。狐というものは坊主が好き と見える。こんどのことも、大方源九郎の姉狐の一味の仕業じゃ。三平を恨んだとて甲斐があるま いL 「なるほどそう言えぱ……」  と、松助、徳助の女房がそれぞれ合槌うって、 「あの出家はいつもの三平さんに似合わず、酒臭くはなかった」  と、言ったので、それもそうかと、それきり三平の行方を詮議することは取り止めてしまった。 95  亭主が生きた身体で帰って来たので、女房たちは今更尼でもあるまい、想えば頭をまるめる時に は後ろ髪をひかれる心持であったと、それぞれ還俗した。  ところが、速かに髪が生えない。神仏に祈ったり、せっせと頭に按摩をしたおかげで、漸く一分 二分生えて来たが、それも却って怪奇である。 実はもう試みられたことと思うがと、あやしげなまじないをしたり気に教えて貰うのも、しばし ばとなると、いっそくすぐったい。  ところが、ある人が来て、 「少し値は張るが、玉造へ行けぱ、良い毛生え薬を売っている」  と、言う。  銭のかかること故、その気もなく一応亭主に話してみると、良かろうと言う。  それで|胎《よら》がきまって、女房たちは誘い合わせて、いずれも頭巾をかぶって、玉造へ出掛けた。  教えられた店へはいって、この頭につける薬だと頭巾を取りながら、ふと出て来た番頭を見る と、未だ若いのに頭の毛がまばらであった。  紺屋の白袴とはこのことだと、買わずにすごすご帰ろうとして、表へ出たとたん、せかせかと急 ぎ足に来る一人の男、坊主頭はまぎれもない何日ぞやの三平だと判った。 「おのれッ」  と、眼を三角にすると、三平はえへっといった顔で近寄って来て、 「これはお珍らしい、お揃いで……、一別以来とんと御無沙汰をして居りました。いや、御健勝で なにより……」  と、しゃあしゃあしたものである。  女房たちは呆れかえって、畜生の浅ましさとはこのことだ、人間なればこうも平気で居れぬも の、いよいよ狐にきまったと、こわごわ三平の尻の方を覗いてみたが、尻尾の下った形跡もない。 「よくもうまく化け変じたものじゃ」  と、感心していると、三平は、 「実はわしも頭をこんなにされてからは、酒はこりごりだと肝に銘じて、ふっつりやめてしまい、 誠の出家となって西国巡礼に出たのじゃが、さて酒をやめてしまうと、なんとのう淋しゅうてども ならん。おまけに、これまでけがらわしいと思ったものが、不思議なことについけがらわしくは思 えぬようになりだしてな、到頭旅先きである女とねんごろになりましたよ。ところがじゃ。……」  と、そこで急ににやにやしながら、 「-いよいよ夫婦になるということになって、困ったのはこの頭じゃ。なんぼなんでも坊主が女 を持たれるものか世間態も揮かられる。とはいうものの、情けなや、急に髪が生えるわけもない。 お互いさまじゃわい。あはは……。そこで、……」  毛生え薬屋の暖簾をあごで指さして、では御免と、ちゃらちゃらと店の中へはいって行った。  その後ろ姿を仔細に観察しながら、女房たちは、 「ほんまの狐なら、坊主頭にでも惣髪にもどんな頭にも化けられる。あのように頭を気にするとこ ろを見ると……」 「やっぱりあれはほんまの人間の社楽の三平さんか」  と、曝き合った。  毛生え薬を三平が買うたか買わなんだかは、判らぬが、髪の毛の伸びるのをまたず、三平が婚礼 の式をあげたのはそれから間もなくのことであった。  仲直りした徳助、松助、そのほか親戚、友達の中からとくに下戸ばかり集めて、祝いの飯を食い ましょうということになり、白髪橋の料理仕出し屋へ肴を注文したところが、約束の刻が来ても、 持って来ない。  催促にやると、今さき持ってやりましたという。そんな筈はない、届いてないからこうして使い に来たのだという。いや、たしかに持ってやりました。その証拠に紋附を着た使いの人が来て、そ のうしろに|随《つ》いて運んで行きましたという。  不審に思いながら、帰ってみると、やはり料理は来ていない。また、夜道を急いで仕出し屋へ駈 けつけると、料理を運んで行ったという小僧が帰っていて、言うのには、 「紋附を着た使いの方に随いて行きますと、途中で、実は神前で式を挙げることに変更したから、 |生国魂《いくくにたま》の境内まで運んでくれとおっしゃったので、生国魂さんまで行って、渡して来ました」 「そんな莫迦なことはない。式は三平の宅で挙げるときまっている」 「それでも、生国魂さんの境内には、花嫁や紋附を着た人達が提灯もって、大勢集っていました」  驚いて生国魂の境内へ駈けつけると、人の子ひとり居らず、食べちらかしたあとの料理が草叢の 中に、狐の仕業と判った。  そこで到し方なく料理なしの式を挙げたが、それでも婚礼は目出度く、無事に済んだ。                                   (昭和十八年五月)