織田作之助 ニコ狆先生      一  笑ってはいけない。私はヤブ睨みである。このたび感ずるところあってニコ|狩《ちん》先生の門弟となっ た。ニコ狆先生またの名を沖クシャといい、甲賀流忍術の達人である。  何がおかしい。私は真面目である。それとも私の眼があらぬ方向へ向いているのが、珍妙だとい うのか。でなければ、私が忍術修行を志してニコ狆先生の門弟となったことが奇々天怪だというの か。冗談を言っては困る。事これに関しては、一切が厳粛である。耳かきですくう程の珍妙趣もな い。|敢《あえ》て珍妙を探すならば、僅かにニコ狆先生の容貌ぐらいのものであろう。  容貌のことは言いたくない。しかし、話の順序だからいやいや語ることにするが、ありていに申 せば、ニコ狆先生の顔は狩に似ている。狩に似ているから珍妙であるーなどと、しかし私は酒落 で言っておるのではない。よしんぱ狩に似ても、存外平凡なつまらぬ顔がある。妙味の存するの は、即ちその似方である。  沖にもさまざまな表情があろう。例えば、沖の今まさにクシャミを発せんとするや、自ら一種形 容すべからざる表情がある筈だ。はて、如何なる表情であろうか。  人あり(この人は間抜である)問うて|日《いわ》く、 「狩のクンヤミや|如何《いかん》?」と。  即ち私ならこう答えるだろう。 「愚なるかな問いや。汝未だニコ狆先生の顔を見ざるか」  借りて来た狩の鼻の穴へ耳かきを突っ込むなどという残酷かつ手数の掛る実験を試みなくとも、 ニコ狆先生の顔を見れぱ、足るのである。 (尤も手数は省けることは省けても、その代り先生の顔 を見たが最後、地獄のお迎えが少しく早く来る。その理由は後で説明しよう)即ち、もはや明瞭だ と思うが、先生は|高適狽介《こうまいけんかい》の|仁《じん》であるから、既にして一たび狛に似るや、徒らに平々凡々月並風な 似方に甘んじなかったのである。世人が先生に練名して沖クシャと|称《よ》んでいる|所以《ゆえん》だ。  ところが、先生に妙齢の令嬢が一人ある。千代子さんだ。美しい。美し過ぎる。目もさめる許り である。よほど仔細に観察しても、先生と千代子さんとは父娘には見えないーというこの事情 を、出来合いの文句しか知らない通俗連中は、|鳶《とぴ》が鷹を云々といっておるようであるが、しかし、 中にはいくらか気の利いた男がおって、しかもこの男は剣道三段の腕前を|侍《たの》んで、かねがね人の悪 口雑言を銭湯の中などで言い触らすのを常としている男であったから、ある日銭湯日の丸湯の湯舟 の中でいうのには、「全体、女どもが狩を飼うて連れて歩くのは、専らてめえが顔の引立役にする つもりだが、そのでんで以て、大方、狩クシャ先生も娘さんの引立役になりたい一心の親心で、あ んな面相をしているに違いねえ」  この言葉が先生の耳にはいった。といっても、告白した者があるわけではない。何しろ先生は忍 術の達人である。一町四方で蚤が飛んでも判るのである。折柄先生は|転寝《うたたね》の最中であったが、飛ん で灯に入る夏虫の羽ばたきにも似たその男の声を遙かに聞き取るなり、むっくり起き上るなり、 「千代子、鏡を持って来い」  そして先生はひそかに鏡を覗いて見られたということである。先生はつくづくと眺めて、 「なるほど沖に似ているわい。あはは……。沖クシャとは、え、へ、へ、巧いことつけよったわ い。う、ふ、ふ……」  実にさまざまな笑い方をして、先生はしきりに感心していたが、何思ったか急に笑い止むと、忽 ち徹頭徹尾不愉快になった。まず、自分の顔が急にいやらしくなって、不快千万な気持を覚えた。 次に、軽率にも鏡を覗いてみたりしてしきりに感心などしていた自分自身が、つくづく後悔され た。そして最後に、無礼者めが! と血相が変り、はじめてその男に対する怒りがこみ上げて来 た。  その翌日、その剣道三段の男は黒門市場の中にある柔道の町道場へやって来て、 「頼もう!」 と、威勢は良かったが、道場を荒しに来たのでも、また、柔術を習いに来たのでもない。骨つぎ 療法を施して貰いに来たのである。  その頃私はたまたまその町道場の道場生となって柔術修行巾だったので、いやひどい目に会いま したよと、破を引きながら語ったその男の遭難奇談を聴くことが出来た。  ー銭湯の帰り途、暗がりの中を歩いていると、いきなり向脛を撲られたというのである。竹刀 らしい音と、ボキソと骨が折れる音と、 「あ、痛工1」と叫んだ自分の声が同時に耳にはいったそ の途端に、不覚にも地面を這うていたが、不思議にもあたりに人影は見えなかった。突然、頭上で カラカラと高笑いの声がしたので、目から出た火の明りをたよりに見上げてみたが、姿は見えず 「バテ、面妖な1 物の怪か」と、ぞっと水を浴びた想いに蒼く濡れた咄嵯の頭に閃いたのは「あ ッ! 狩クシャ先生の極意にしてやられた!」途端に、頭上の笑い声がまるで狩の首につけた鈴の 音のように思われた……。  というその話を聴いて、私ははじめて甲賀流忍術達人ニコ狆先生の存在に、情熱的な関心を寄せ るようになったのである。  ところが、その男が帰って間もなく、別の男がまたもや肢を引きながら道場へやって来た。聴け ぱ、その男はついぞこれまでニコ狆先生の悪口など言ったことはなかったが、ただ先生の顔を見て 思わずくすくすと笑ったllそのおかげで、先刻の男と同じような目に会わされたというのであ る。  翌朝、まだ夜の明けぬうちから、道場の門を慌しく敲く者がある。玄関番の私が明けてみると、 破を引いていた。 「狛クシャ先生の顔を見て笑ったんでしょう」  図星を指した積りできくと、男は半泣きの声で、 「いや、笑いはしません。ただ、何となく先生の顔をジロジロ見ただけでした。さア、早く骨つぎ を!」  ひどく取乱していた。  同じ日の夕方、これはまた朝の男と打って変って、おかしいくらい落ち着き払ったというより寧 ろ沈痛その者の如き男がやって来たが、足は同じ破を引いていた。この男は笑いもしなかったし、 ジロジロ見つめもしなかったそうである。それというのが、このひと最近恋女房に死なれて、意気 錆沈し、人の前へ出ても微笑一つ見せず、また、相手の顔をろくろく見ようともぜず、ただもうひ たすらに首垂れているばかしなのだ。しかもこのひとがニコ狆先生の逆鱗に触れたとは一体どうし たことであろうか。  私は暫く考えて、やっと判った。思うに先生はこのひとの沈痛そのものの如き態度、表情が気に くわなかったのであろう。何故なら、「沈痛」の「沈」は「榊クシャ」の「沖」に通ずるではない か。  そう判ると、私は呆れてしまった。もはや此処まで来れば、先生の所業は乱暴を通り越して、狂 気の沙汰である。いわばオステリである。女ならヒステリというところだが、男だからオステリと いうのである。  人々は戦々就々とした。うっかり顔も見られない。極度の近視に恵まれた者ならば、先生の通り そうな道を歩く時は眼鏡を外して置く方が無難だということになった。また、 「首くくりの家で縄のことを言うのは禁物だが、それにも勝る禁物は沖クシャ先生の前で『チソ』 のつく言葉を使うことだ」  人々はかたくいましめ合い、チソドソ屋も先生の住んでいる界隈を避けて歩き、家主もうっかり 家賃を取りに行けなかった。      二  怖るべきはニコ狆先生である。そのような先生に私は何故弟子入りする気になったかーまず、 古い話からしなければならぬ。  私は二十歳、堀爽たる三高生であった。京の町に怖い者なしという意気|旺《さか》んな青春時代であっ た。   妻を|取女《めと》らば才たけて   みめ美わしく情あり   友を選ぱば書を読みて   六分の侠気四分の熱  こんな歌をへんな声張り上げて歌いながら円山公園を所せましと悠々潤歩していると、夜桜の花 びらはハラハラと私の肩に落ち、私はあっばれの美少年ぶりであったが、いきなり呼び止められ た。 「おい、三高! 人の顔をジロジロ見て行きやがって、俺の顔に何かついているのか、それとも文 句があるのか」  ジロジロがズロズロと聴えて、東北誰であった。とたんに私は相手を軽蔑した。白線三本の帽子 の手前でも、ガタガタ顧えたり、カチカチ歯の音を鳴らせては醜態である。-夜桜でさえ音もなく散 っているではないか。鼻血が出ても青春の血だ。面白い、よし、やろう! と身構えた。1まで は無難だったが、身構えてつくづく見ると、相手は武徳会の学生だ。剣道三段か、柔道四段1か と見るなり、私は、 「ぼ、ぼく、」寸も君の顔なんか見やしないよ。見たようにみえるかも知れないけど、実は見なか ったんです。だって、ほら、ぼくヤブ睨みでしょう」  と、あらぬことを口走ってしまった。 「なんだ、ヤブか、ヤブから出て来た蛇みたえに、青くなってやがら」  相手は笑いながら立ち去った。  |爾来《じらい》、私は、 「男子一たび生を享くるや、せめて柔道の一手位心得べし」  これを座右銘として、心中深く決して来たのである。  しかるに、何たることぞ、十星霜経た今日、私は未だにスクイ投ゲの方法も知らず、はっと気が つけば来年は三十三歳だ。男子は三十にして志を立つ。 「ぼやぼやしてられんぞ」  ある夜、それは今年の八月の満月の夜であったが、私は決然としてそう叫び、今にして武芸の志 を立てずんば悔を千載に残さんと起ち上り、夏であったから手近の扇子をむんずと掴んで、五尺八 寸ノッポの大股で駈けつけた先は黒門市場内の柔道町道場、その夜から道場生となった。  ところが、道場主は私を見込み無しと見てか、一向に稽古してくれない。ひとつには、もともと はやらぬ貧乏道場だったのが、干コ狩先生が奇々天怪の術を発揮しはじめたおかげで、骨つぎ療法 を請い求める者が連日門前市をなすという繁昌に、道場主は大喜び、肝腎の稽古はそっちのけで、 専らその方に忙殺されていたのである。道場生の私までも終日患者の応対やら、施療代金の受渡し、 しまいには下足番までやらされるという有様に、私はがっかりし、これでは病院の受附に雇われた ようなものだと、暫く思案して、道場を暇取った。  ところが間もなく私は立川文庫を深夜ひそかに耽読し、その結果、柔術にまさるものは忍術であ ることを了解した。  途端に想い出したのはニコ狆先生のことだ。|咄嵯《とつさ》に入門の|肚《はら》を決めた。      三 「神変不可思議」  と大書した軸を背に瓢然と坐っているニコ狆先生の前に、私はひれ伏した。  そして、おそるおそる入門の希望をのべると、先生は私の身分、職業、年齢など型の如く問うた 後、いきなり、 「甲賀流忍術の由来を問う」  と言った。私はかねて研究する所があったので、些かも狼狽せずに、 「古代道臣命が勅を奉じて『諏歌倒語』を用いて賊を破られたと書紀に記録されておりますが、 『諏歌倒講』とは即ち忍術の精神を現わしたもので、後世この戦法が近江の甲賀に伝えられ、人と地 と術の和によって発達したものが甲賀五十三家の甲賀流忍術であります」 「忍の者を問う」 「忍の者とは物の本に『是は日本の間者を云、常に事にあくまず、昼夜をわかたず、忍ぷ者也、盗 人と其品同じ、|然《しか》れども忍の者は、物を取らぬ者也、行難き所も能忍ぶ、道なけれども能く帰る、 是れ名人の忍也、謂つ可し、其術甚だ深し』  とあります。」  そう答えた途端、私はあッと叫んだ。今まで私の眼の前に狩がクシャミをしたような顔で坐って いたニコ狆先生の姿が、かき消す如くすっと消えてしまったのだ。  やがてキョトソとして、そこらじゅう見廻していると、廊下にサラサラと衣ずれの音がして、襖 がすっとあいた。そして、一人の妙齢の美女がしずかにはいって来て、私の前に手をついて頭を下 げ、それから茶を置いて、燃えるような眼でじっと私を見つめた。まるでこの世の人とは思えぬそ の美しさに私は思わず見とれていると、やがてそのひとはしずかに出て行き、廊下にはサラサラと 衣ずれの音が残った。  あえかなその余韻にうっとりしていると、いきなり、 「茶をのめ!」  という声がしたので、はっとわれにかえると、いつの間にかニコ狆先生がもとの位置に坐ってい たのである。ニコ狆先生はにこにこして、 「入門を許す!」 「はッ!」  とひれ伏した。 「お前はなかなか見所がある。第一多少とも忍術の由来に通じている。物の本も調べておる。次 に、今茶を持って来たのはわしの娘じゃが、お前はこれまで入門を志願して来た軽輩共と違って、 わしの娘にながし目をくれたり、ジロジロ見つめたりしなかった。わしはわざと姿を消して観察し ていたが、いや、お前はなかなか堅固な精神を持っておる。入門を許す」  私は冷汗が出た。先生は私がうっとりと見とれていたのに気づかなかったのかと、へんな気がし た。が、やがて私は自分がヤブ睨みだったことを想い出した。私の眼があらぬ方向へ向いていたの で、さすがの先生もつい誤算してしまったのだろう。 「只今より初心の術を伝授する。初心者は煙を利用して姿を消すのじゃ。まず煙草を吸ってみろ」 「吸えません。不調法ですが、酒も煙草も……」 「莫迦! そんなことで忍術が修行出来るか」  散々に叱られで、帰ると、私は二、の夜から煙草の練習を始めた。・てして煙にむせぶ苦しさに打倒れ そうになりながら、やっと甲賀流喫煙法に馴れると、先生より授けられた「煙遁術秘伝」一巻をた よりに鏡の前でスパスパ、ゴホソゴホノと咳きこみながら、しきりにエイッと極意の声を出してみ るのだが、鋭の中の姿は一向に消えず、相も変らぬヤブ睨みの顔が情けなく写っているのである。  しかし、私は吸い方が悪いのだろうか、いや、まだまだ修行が足りぬのだと、ヤニくさい身体に 鞭打って、早朝暗い内から煙草を買いに駈け出して、やっと手に入れ、あわてて戻って来ると、ス パスパ、ゴホソゴホソ……。尻から煙が出るほど苦心惨港した。部屋の中は煙が濠々と立ちこめ、 くらくらと目まいがして、嘔吐を催し、顔面は蒼白に変じ、それでも一心不乱に吸い続けたので、 遂に煙毒のため倒れてしまった。  私が倒れたときいて、忍術大先生は令嬢の千代子さんを見舞いに寄越した。 「お嬢さん、私はもう駄目です、私の肺の中はヤニだらけです。煙草という字を見ただけでも、は き気を催すんです。煙草なんかのむ人の気が知れません。あんなものどこが美味いんです」  私が言うと、千代子さんはふと悲しそうな顔をした 「そんなこと言わずに、しっかり煙遁術を修行して下さい。貴方が立派な忍術使いになって下され ば、お父様はきっと私を貴方の…・・」  言いかけてはっと口を閉じ、急に|蝦《あか》くなった。あ、そうであったかと、私は感激した。妻を|姿《めと》ら ぱ才たけて……。 「お嬢さん! 私はニコチソ中毒のために|肇《たお》れても頑張ります!」  そう誓ったのである。  ところが、翌日から煙草は一日六本の配給になった。好事は魔が多く、修行は苦しい。私は一本 の煙草を四つに切って、煙管に詰め、身を切られる想いでチビチピと吸うというヶチくさい意地汚 い吸い方をしながら、忍術勉強の道にいそしんだ。  ところが、その結果、私は折角高遭なる忍術道に志しながら、煙草のためにだんだん卑屈な人間 となって行った。卑屈になるくらいなら忍術修行をよした方がましではないか。私は決然として先 生を訪れ破門になる覚悟で、 「先生、私は断然禁煙します」  すると先生は|莞爾《かんじ》として、さもわが意を得た如く、 「その申分気に入った。実はわしも禁煙したのじゃ。というのは外でもない。 煙草にはそれ、ニコチソがあるからじゃ」  ニコチソのチソは狆クシャの狆に通ずることを、先生は嫌ったのである。  私は目下水遁術を修行中である。水ならばいくらでもある。 (昭和二十年一月)