織田作之助 見世物  一生の想い出、話の種に大阪の町々を見物したいものだとかねがね念願し、神仏にもそのことを 頼んでいた甲斐あってか、|頼母子講《たのもしこう》の籔が当って銀千匁の金が|転《ころ》げ込んだのを倖い、大阪までの泊 り何日で宿賃はいくら、渡し賃、賀籠代もいれていくらの費用と細かく算用してみると、どうやら 大阪までの往復にこと足りて、なお土産物なども買える算段がついた。  それで久助は、元禄|六癸酉年《みづのととり》冬月の吉日をえらんで、妻子、縁者と|水蓋《みずさかずき》をかわし、故郷の|敦賀国《りるかめくに》 金子村をあとに大阪へ旅立った。日を重ねて大阪に辿りつき、見物を済ませ、村へ戻って来たのは 一月後のことだった。  |慈《つつが》なく戻って来たので、村の人々は久助のために小宴を張った。久助は村一番の話し上手といわ れ、人々は久助の土産話をきくのがたのしみだったのだ。  …-・伏見の三十石船で淀川下り、着いたところは大阪の八軒屋だ。そこから北浜一帯を見渡せば 屋根に白壁がずらりと並び、|鴻池《こうのいけ》、肥前屋、肥後屋、備前屋、桑名屋、紙屋、木屋、塩屋、塚口屋 など大金持をはじめとしてそこら一帯の商人の蔵には、金銀あわせて何れも何万貫、擦れ合う音が チャラ、チャラ、カチソカチソと鳴り響く。屋号を染め抜いた大暖簾がこれも幾千本、風にはため くたび、道端の塵を掃ききよめて塵一つ落ちてない、いやもう綺麗なもんだ。  川には千石船が何十、何百とひしめき合って身動きも出来ぬ。`荷揚げする米はざっと数えて一日 に二十万石は下るまい。|日和《ひより》加減一つの売った買ったで瞬く間に何万石の米相場がたつ。何万石の 商内であろうと、売った、買ったの声一つで済まし、証文一つ書くでなし、いや、もう豪勢なもん だ・…:。 「して、久助どん、お前は売ったか、買うたか」  と村の者が訊くと、久助は、 「わしは一匁出して真斎橋筋で煙管を買うた。それから、道頓堀で人形芝居を見た」 「それから何を買った、何を見た?」 「女郎を買うて、どえらいものを見た」  と、久助はまた語りつづけた。   ・…真斎橋の西は音に名高い四ッ橋だ。涼しさに四ツ橋を四つ渡って、北へ掛けて新町の廓があ る。  門をくぐってずっと行けぱ、茶屋、揚屋だ。そんなところは銭何貫あっても直ぐとられてしまう から、なおずんずん行けば、青暖簾掛けた安女郎屋が並んでいる。揚代二匁で田舎者にはいかさま 分相応だと、|登楼《あが》って、|遣手《やりて》に掛け合うた。 「御覧の通りの田舎者ゆえ、廓遊び不案内の不粋者じゃ。一期の想い出に大阪の女郎を揚げてみた いとはるぱる敦賀の在から参ったものの銭はたんとない。おまけに気が弱い。お職女郎などはかな わぬことじゃ。客足のつかぬ|音無《おとた》しいのが良い。繧色、肉附き、客あしらいなど問わぬー」  と言えば、遣手は、 「これはまあ。変った御註文じゃ」  と暫し思案顔であったが、待つほどもなく、やがて心得て連れて来た女郎は、いかにもこれでは 客足もつくまい。痩せ衰えてまるで骨と皮。物腰柔いといいたいが、実は歩くのも大儀な容子と見 えて、息づかい荒々しく、食物がわるいのか、それとも真に患っているのか、ベタベタぬりつけて は居れど、青紅をつかったかと見える位、顔が蒼ざめている。  取替えもならず、そこは田舎者で、これが大阪の女郎かと抱いて寝た。夜が更けて、いかさまこ れはぐっすりと寝ましたわいとふと眼をさますと、傍で寝ていた女郎が半身夜具からはみ出して枕 を胸にあてている。ふと見ると、痩せた青首が、するするのびて、行燈の油をペラペラと舐めてい る。 「うわアー」 ,声を出したか、出さなかったか、腰を抜かしたか、抜かさなかったか、そのまま、あとの首尾な ど構わずに、女郎屋を飛び出して、後をも見ず、どんどん逃げた。|天満《てんま》でやっと夜が明けた…-。 「その首、ぐるぐる換れていたか」 と、村の者が訊ねた。 「いかにも……。ぼうふらみたいに|動《ヤ ヤヤ》いていた」  久助が答えると、吉兵衛という男が膝を乗り出して、 「して、その女郎屋の名は?」 「ええと、その女郎屋の名は・-…」 「早う言わんか」  村一番の利口者といわれた吉兵衛は、何故か、せきこんでいた。 「ええと、その名は、たしか井筒屋」 「ふーん。で女郎の名は?」 「知らぬ」 「頼むから言うてくれ」 「知らぬものは知らぬ。忘れたよって知らぬのじゃ」  その翌日、吉兵衛はなに思ったのか、先祖代々の田地、屋敷を売り払って、なにがしの大金を胴 巻きにいれると、そのまま村から姿を消してしまった。吉兵衛はかねがね百姓をきらい、何か人の せぬ奇抜なことをして一|儲《もう》けしたいものだと言い触らしており、何やら思惑あるらしかった。 二 「御覧の通りの田舎者ゆえ、廓遊び不案内の不粋者じゃ、お職女郎などはかなわぬ。客足のつかぬ 音無しいのが良い、繰色、肉附き、客あしらいなどは問わぬー」  井筒屋の座敷で、久助がいったそのままの言葉で遣手に掛け合うている男、吉兵衛だ。  - 「これはまた、変った御註文。先立っても、敦賀の在所から見えたとかのお客はんがそない言うて ござらした」  と遣手が言うと、吉兵衛はにやりと笑った。 「その男は夜の明けぬうちに床を飛び出して帰ってしまったであろうがのう」 「なんとまあ、そんなこともおましたかいな。よく御存知でI」  遣手が薄気味悪いといった顔をすると、吉兵衛は、すかさず、銀十匁投げ出して、 「その男は銭はたんと無いと抜かしたじゃろが、このおれは馬にくわすほど銭持っている。しかと その女郎揚げてくれよ」  やがて、遣手が連れて来た女郎は、なるほど顔蒼ざめて、髪の毛も油気なしにバサバサと乾いて おり、久助の話にきく通りだった。  そして、その夜吉兵衛は狸寝入りして女郎の容子をうかがっていた。  今か今かと思っている内に、夜も更け落ちて、吉兵衛が、うつらうつら眠気を催した途端、女郎 はするすると床を這い出して、行燈の油をペラペラ舐め出した。  吉兵衛はカッと眼を開いて、女郎の首を凝視した。が、首は伸びていない。ぼうふらのように動 いていない。  今に伸びるぞ、伸びないで置くものかと、固唾をのんでいたが一向に伸びなかった。 「|失敗《しくじ》った。思惑外れた」  吉兵衛は、その女郎を身請けして、|轄櫨首《ろくろくぴ》の女の見世物とし、大阪の盛り場に小屋掛けして一|儲《もう》 けする|肚《ほら》だったから、思わずそんな稔り声を出すと、女郎は、ハッと驚いて、恨めしそうに吉兵衛 の顔を見つめていたが、やがて、蚊細い声を絞り出して、 「どんな無理でも聞く、どうぞ無理を言うて下さんせ。その代り、わしが油を舐めたこと誰にも口 外して下さるな」  と言った。  吉兵衛は興冷めしていたが、少しは親切らしく、 「おれは村一番の利ロ者といわれた男じゃ。言うて良いこと、悪いことの区別位は知らいでか。誰 にも口外はせぬよッて安心しろ。たとえ一晩であろうと、枕をかわした縁だ……。その代り、なん でお主が油を舐めるのか、その訳があろう、それを聴こうじゃないか。油が|美《うま》味いとでもいうの かな」 「なんで、美味いことあろうぞいのー」  そして、語るのをきけば、彼女は|初音《はつね》といい、たとえ青暖簾の揚代二匁で帯をとるしがない女郎 とはいえ、一時は、床よし、器量よし、意気方よしと持て|難《けや》され、,通い詰める客も三人、五人でき くものか、起誓請紙を取り交した数は十を越え、なかにも今橋の両替屋の手代とは深い馴染み、お                                きんす、 互い指を傷つけた仲であったが、いよいよその手代と身請け話が纏り、金子の耳そろえ抱主に渡し たほか、引手祝いも整えて、いざというその時に、何の因果であろうか、その銀の出所怪しいと取 調べられた挙句、使い込みと分って手代は牢に放り込まれ、そのまま身請け話が立ち消えになって しまったのが、けちのつき始めで、客の足も一人、二人とみるみる遠ざかり、嫌気がさしたままに 勤めもおろそかになり、到頭売れぬ女郎といわれているうちに、いつか体に力が抜け休み休みし出 すと、抱主は強欲無道で、打って変った苛めよう。もともと粗末な食事が一層粗末になったどころ か、時には三度のものが二度、一度に減らされ、さもしい話だがおかゆに香の物一切れつければ良 い位の始末、しぜん体の精が衰えて来て、おまけにはげしい勤めもたまにせねばならず、一層弱っ て来るので、背に腹はかえられず、ふと思いついて、油を舐め、それでようよう体に精をつけ、脂 肪をつけて命を持たせて来たのだーという。 「うむ、いかさまそれで……」  と、吉兵衛は聴いて思わず膝をたたいた。  そして改めて女の首を見ると、痛々しく痩せていかにも細く、なるほど、これならば久助の寝呆 け眼で下から見れぱ、するすると行燈の方に伸びて行くように見えたであろうと、吉兵衛はひそか に久助を嘲笑したが、同時に、久助に一杯喰わされたような気がしないでもなかった。村一番の利 口者が村一番の阿呆者になったのではないか。吉兵衛は、顎をつかんで思案に耽った。  と、いきなり吉兵衛は何を想いついたのか、手を鳴らして、遣手を呼んだ。遣手が寝巻きの前を かき合わせながら顔を出すと、いきなり、 「初音はおれが身請けする」 三  難波新地、道頓堀をはじめ、生国魂、住吉、天満など神社の祭礼、寺院の開帳にさまざまな見世 物小屋が掛り、頗る繋昌していた。  河童、龍の子、青亀、人魚、白比丘尼、淀滝、小人島女、白子、大頭、白猿、足芸女、目力持、 蛇つかいなど、どこから集めて来たのか、何れも変態、崎形のものばかり、一つ探せば十人の口が 糊することが出来ると、|香《や》具|師《し》が血眼になって諸国方々から仕入れて来た種で、各々その変態、崎 形振りを競うていた。  たとえば、青亀というのは「時某年某月廿日巳初刻、改州名草郡南浦漁村の海夫孫八が綱縄場に 入り、板羽目を破りて、黙しいたるもので、長一丈九尺二寸、横一丈二尺一寸、色赤く斑らに黒 し、頭紺青の如し、尾長さ九尺余、足六足也。爪黒赤牛の角の如し、其性気柔にして、人に能く随 い、静かなり。甲に銘文の形小さく見ゆるに付、海草などにて洗い磨けば如斯の銘あり。|乍然文《しかしながら》字 減じて分りがたし」というのである。  また白比丘尼というのは「若狭国某といえる者一日山に入りて異人に遇う。共に一虚に到れぱ殆 んど一天地別世界也。其異人一物を与えて是人魚也。之を食せば年を延ばせて老いずという。某携 えて家に帰り、妻子に見せて捨てんと思い隠し置きけると、其娘十七歳なるもひそかに取りて食 す。これより長命にて八百年の寿命を保ちおれど、肌膚眼面若々しく雪の如く白く、未だに小娘の 美貌を保つ。而も八百年の寿齢にあれど、陰陽の交触作用なくして一生|不犯《ふにん》なり「そうして、貴者 は百文、貧者は十文の見料をとった。  淀滝というのは、西国淀の産で名を滝といい、身長七尺三寸の大女で、碁盤をもって蝋燭の火を 消して見せるのだった。  小人島女は、身のたけ二尺三寸で、当年二十何歳の妙齢の女子である。髭に結び、袖模様の着物 を着て二尺五寸四方ばかりの箱の中に座り、手踊り、所作事をし、黄色い声で唄をうたえば見物は 拍手した。銭を投げるものあれぱ、二尺三寸の女は、 「ありーがーとう」  小さい眼で秋波を送った。  足芸女は手無しの早咲桜太夫といい、この太夫は足でお好みの紋を切り、生花を立て、琴、三味 線、縫物など何れも手以上の鮮やかな芸だと、見物が喜んだ。  目力持は若松出目太郎だ。物凄く目が飛び出しており、醤油樽をその出目でつるし、ついで四斗 俵、最後に銭五貫文を吊す。 47  ーそんな何れも一騎当千の見世物の中へ、ある日、いきなり割り込んで来て、人気をさらった 見世物小屋があった。  日く、轄櫨首の女。 「さあさ、お立会。山奥や田舎から掘り出して来たのと訳が違う。正真正銘の生きた女じゃ。当年 とって二十二歳。女盛りの艶ッぽい仇ッぽい|別嬢《べつぴん》様だ。お立会の中には一度や二度、廓通いをした 御仁はござろう。新町の青暖簾をくぐった方もお立会の中には見えるだろう。いやさ、井筒屋の初 音太夫としんみり、しっぽり枕を交した御仁は、たしかにいる。その井筒屋の初音が親の因果が報 うて、夜な夜な床を這い出して、するり、するり、首がさまよい、探すところは行燈の油。さあ さ、油を舐めるか、舐めないか、百聞は一見に若かず、ペラペラと舐めなければ銭は二倍にして返 す。初音太夫の繭輔首じゃ。見料はただの二十文!」  声を洞らして口上を飛ばしているのはすっかり香具師めいた風態の吉兵衛だった。  暖簾がわりの莫産をくぐって中にはいると、島田に結い轡笄を飾りたて、真っ白く塗った初音が 赤い長儒神のままで、行燈で温められた油を舐めるのだ。油というところが味噌で、先ず火を灯し て見せて、水ではない、正真正銘の油だと分らせる。  ところで、首は…-? 無論伸びる筈がないからカラクリだ。が、見物は喜んだ。油を舐めるそ の舌の動きに煽情的なものがあったのと、一ッは、本当に新町の廓にいた女だという実録の興味、 これで十分見世物になると、吉兵衛のねらいは面白いほど当ったのだ。  初音は随分情け無い表情で油を舐めた。こんな見世物になろうとは夢にも想わず、身請け話が持 ち出されると、ほんにこの世は鬼ばかりではない、こんな奇特な方もいるものかと手を合わせて拝 み、また自分もまだ人に惚れられる色気が残っていたのかとほのぼのとした生甲斐を感じたものだ った。  が、吉兵衛は何かと気を使って、そこは大事な見世物だからという気もあったからでもあろうが、 下へも置かぬほど鄭重に扱ってくれ、美味い食物も与えてくれるから、初音にしてみれぱ、強いて といわれて断り切れなかった。それに、あのまま井筒屋で虐待されておれぱ、年期のあけるのは何 時のことか、恐らくそれまでに餓死してしまったことであろうと思えば、これが自分の生きるさだ めだと毎日油を|舐《な》めていた。  が、ある日、到頭我慢がし切れず、 「もう、油と聞いただけでも胸がむかつく。なめるはおろか、見るのも嫌でござんす」  と吉兵衛に泣き付いた。なだめても、すかしても、拝み倒すことは出来ず、吉兵衛は、思案に耽 った。そして、 「あ、そうだった」  と膝をたたくのだった。余り大事にして御馳走などたらふく食べさせたから、もう油を舐める必 要がなく、自然嫌気がさしたのであろうと察すると、吉兵衛は、こんどは三度の食事もろくに与え なかった。  すると、だんだんに効目があらわれて、初音はいそいそと油を舐めるようになった。吉兵衛はほ ッと安堵し、内心、しめ、しめと咳いた。  ところが、ある日、余り油を舐めすぎたのか、初音は激しく下痢をして、到頭寝こんでしまっ た。吉兵衛は天満の宿から竹屋町まで息もつかずに走って行き、医者の門を叩いた。医者が診ると どうやら腹を壊したらしかった。おそるおそる油のことをいうと、 「之は異なことを申される、どこの世界に油を舐めるものがおるものか。嘘をめされ」  とこの医者は、轄櫨首の見世物などとんと御存知ないらしく、吉兵衛は、この分なら未だ未だ大 阪の土地では見物を呼べるわいと思った。それにつけても、肝心の初音が病気では、吉兵衛の心配 この上なかった。  思い切って人参など高価な薬を与え、ひたすら恢復を祈った。こんど小屋に出られるようになっ たら油にもカラクリをしなければなるまいと、初音の枕元に坐りこんで吉兵衛は終日思案し、ま た、このまま死なれたらどうしようと、痩せた女の顔を覗きこんだりした。 そうして+日余り経つと、初音はどうやら元気が出て来た様子であった。のを見ると、吉兵衛 は、ありがたいありがたいと思わず泪を涯べた。その喜びはむろん、ふたたび商売が出来るという からだったが、何かしら、初音に対する愛情からも来ていたようだった。看病の間に知らず知らず に初音を愛おしくなって来ていたのであろうか。  初音の病気が全く恢復しても、吉兵衛はもはや魑櫨首になれとは言わなかった。  吉兵衛はコ丈の|髄《いたち》」という見世物を掛けた。備一炬入って.みると、一丈ぱかりの板に血を塗っf、イ タチ即ち板血だとあきれはてたイソチキであったから、香具師仲間の面よごしだと、その晩顔役達 が天満の吉兵衛の宿へ撲り込みに行くと、既に吉兵衛は初音を伴って、その日の木戸銭を路銀に故 郷へ旅立ってしまった後だった。                                  (昭和二十年十二月)