落語通談  野村無名庵著 自序  浮世を宇治の物語、さては『醒睡笑』の昔は暫くおき、落語は勃興の源を大江戸の中期に発し て以来、伝統的に発達して今日に至ったものであるが、背景も道具も何もいらず、単に舌頭の働 きだけで、芝居にも浄瑠璃にも匹敵し、場合によってはそれよりも、優れた面白さを感じさせる ところ、まことに落語こそはかの講談と共に、我が芸能界のみの有する、特異な存在と申すべく、 これを演ずる場所もまた、寄席演芸場のみに限られていた以前と違い、速記が活字に印刷されて は愛好すべき読物となり、更にラジオの音波に乗っては無数広範囲の聴取者に歓迎されつつある 事が、一層その価値を周知されて、落語は最早欠く事の出来ぬ生活必需品とさえなった観がある のは、全くその普遍的た大衆性に依るものであって、殊に厳粛なる時局下にあって、何等物的資 源を要せず簡単に、しかも効果的にあらゆる階層へ、明朗爽快な供笑を誘い得る娯楽として、落 語のごときはその最も理想的なものではあるまいか。  加うるに落語は、元来が言葉の芸であるため、どうにでも内容を改善の出来るところ、他の歌 詞や曲節の固定された邦楽類と違い、自在なる融通性を有《も》っている点に鑑みても、今はこれを一 部の趣味的好事家の独善的占有に委すべきでなく、時に応じ機に臨み、充分に進化させつつ成長 さすべき、生命ある芸術であると思う。  それについては、その本質を深く玩味し研究する事が先ず必要なので、その資料にもとここに 概観的叙述を試みた次第であるが、落語も文学の一種だからとて変に理屈張っては落語の話ら↓ くなくなるを虞《おそ 》れ、砕けすぎたところは予《あらかじ》め、大方の御寛容を願うて止まぬ。要はこの書を読ま るる方々が、ごく気軽に目を通されながら少しでも秩序立ち系統立った結論を、このなかから取 り上げて頂く事が出来れば筆者の本懐これに過ぐるものはないのである。 昭和十八年夏 野村無名庵 目 次  自序 落語通談  はしがき  落語のいろは歌留多  出世の鼻  先生の紛失  居候の奉公  活きた落語  甲府の旅  与太郎と先生 名画の奇瑞 落語の本領 托善の名作 永代の椿事 「梅の春」由来 「時そば」「佃祭」 寝床義太夫 街頭の風流 デロレン祭文 夜舟と山参り 孝子の鏡 無理な「元犬」 我流のお茶 八さん第二世  泥棒甲乙丙  名作と大物  煩悩と菩提  頓智と嘘つき  移入の「酪駝」  花嫁武勇伝 七人語り分け 痛快な片棒  空想の道行  敵性語封じ  めいめい付け  巷の悲喜劇  横町の隠居  年の市綺聞  欲の世の中  年の暮人生  「素人鰻」余談  彩しき芝居噺 翻落語講義録 落語名題総覧 紛鯛落語国の人々 落語通談  はしがき  おこがましくも『落語通談』と、名乗りはあげて見たものの、通談と言えばいずれ、落語のこ とたら何でも心得ているその道の通人の談話という意味になるのであろうが、なかなかもってさ にあらずで、ただ小児の時分からこの落語という芸に、なみなみならぬ興味を持っていたことと、 いかなる前世の因縁やら、青年の頃よりこの道に深い関係が出来、耳順に遠からぬ今日まで、ほ とんど一生を落語とともにした結果、自然天然といろいろな事を耳にしたり覚えたりしたという までのこと。それも大体が不敏鈍感と来ているから、深い知識は一向得られず、マアいくらかた だの風よりましだろうくらいの程度、我ながら心細い次第でたとえば御参考のため、巻末に掲げ た「落語|名題総覧《なだいそうらん》」の約五百種にしろ、残念ながら内容の分らないのが、八十幾,つもある始末。 もっともこの五百種の中にも、時代に合わなかったり、揮《はぱか》る筋があったりして、現在やれないの も鰺しく含まれているので、それ等は次第に忘れられ、専門の落語家でさえ、分らない話が相当 にあること、何とも是非のないところ、こういうものにも時勢の推移は、影響も淘汰も与えてい るのである。現に昭和十五年九月、当業者一同が決戦態勢下の時局に鑑み、遊蕩気分《ゆうとうきぶん》のいかがわ しいもの五十三種を、自粛禁演《じしゆくきんえん》して葬り去り、その記念に、はなし塚を浅草寿町三丁目本法寺境 内に建立したごとき、これ等も逸する事の出来ぬこの道の大きな沿革であろう、その五十三種に ついても記録を残したいし、語るべきことは余りに多い。  元来、落語とは何ぞということが大切の問題であろうが、思うに落語とは後世の称呼で、最初 は単に、はなし、または落し噺と称えたものと考えられる。落しといい、オチといい、専門的に はサゲとも言う。この落の字は落首とそれから来たとの説もあり、要するに、頓才的酒落《とんさいてきしやれ》や、奇 抜なる変化をもって局を結び、人を笑わせる滑稽な談話の謂であって、初めは寸話的の簡単なも のから、次第に発達して長編ともなり、種類によって素話、仕方噺、音曲噺《おんぎよくぱなし》、芝居噺、その他 の区別をも生じたのである。  そのそもそもの初めからの、ざっとした発達史、サゲの種類とその定義、さては長短種々の落 語作法については、これも後に掲げた「落語講義録」の方へ譲る事とし、さて、現在の落語につ いてお話をするにしたところで、何しろ各種各様少なからぬ数ではあり、そのことごとくにも及 ぼし得まいし、手当り次第片っ端からといったところで、それでは秩序も系統も立たず、大きに 迷う次第だが、幸いに先年(斯界《しかい》の権威者たる今村次郎氏が丹誠して按配せられた「落語いろは 歌留多」というものがある。〔い〕「磯の飽の片思ひ」から始まって、〔す〕「酢豆腐はひとロに限 りやす」〔京〕「京見物江戸つ子の悪口」に至るまで、四十八種巧みに文句をあてはめて出来てい るので、これを屈寛の手がかりとして、まずこの「いろは歌留多」にあげられた落語について解 説を行い、それからその話に因んだ余談を、いちいち挿入して、出来る限り落語全体の概念を網 羅したいという考え。  ただしまた重ねるようだが、時勢の力は恐ろしいもので、従前は寡々として暁天の星のごとく、 甚だ乏しかった新作落語も、先年その方の覇王とも言うべき、柳家金語楼現れて、驚異的の才分 と精力を駆り、幾百の新落語を創作して、一世を風靡《ふうぴ》したに刺戟され、俄に数多の落語作家及び その作品を獲るに至り、昨今はまた、前述五十三種廃棄の穴埋めという必要もあって、落語協会 側の更進会、芸術協会側の親友会等、その後身、新作落語会等で、毎月毎月幾多の作品を出しつ つある。もちろんその全部が、よく出来ているとはまだ申せないが、なかには立派に後世へ伝え 得べき、巧妙な作も少なくない。しかもちりも積って山とやら、毎月毎月多勢で作る以上、自然 とその数量は殖えざるを得ない。やがては在来のものに、匹敵するほどの種目に達するかも知れ ないが、それまでを解説することは紙面も許すまい。しかしその中には在来のを、巧みに現下の 時局へあてはめ、こしらえ直したものもある。その実例も本文の方の領分に譲り、そろそろ内容 へ移りましよう。  落語のいろは歌留多  花鹿《はなしか》山人、実は今村次郎氏の案になる「落語いろは歌留多」、〔い〕は前述のごとく「磯の飽の 片思ひ」である。これはどっちに解釈していいか迷うというのは、この古い諺《ことわざ》によって、代表さ れる落語が二つあるからで、一つは「飽のし」今一つは「磯の飽」である。どうも題名からいっ て後者の方だろうと思うが、前の方も捨てがたい面白さがある。  甚兵衛という男があって、これはごくおめでたい人間、つまり至って甘いのである。それもた だの甘さでないと来ているところへ、女房が口も八丁手も八丁なかなかのやり手なので、甚兵衛 一向頭が上がらず、のべつに女房に叱られたり教えられたり、すべてその差し図を仰いでいる。 どうしてこんな変てこな夫婦が出来上がったものか、世間はおかしなものと思われるが、落語家 の方ではこんなのを熊の皮型といっている。これは後にも出る「熊の皮」という落語の夫婦が、 この型の代表的なものだからで、「あすこの家は熊の皮だよ」と言えば、ただちにそれと通用す るのだから、つまり一種の隠語みたいなもので。  こんな例はまだいくらもあるから、追い追い折にふれて申し上げるが、さてこの甚兵衛が女房 に命ぜられ、町内の物持ちのところへ、婚礼の祝いを述べに行くことになる。.一家ではなし親類 ではなし、身分も資産も違う他人の婚礼、心からめでたがって祝いに行くのでない事は分ってい る。つまり蝦《えぴ》で鯛を釣ろうという御祝儀《ごしゆうぎ》が目あて。ところがこの使いに行く甚兵衛が間抜けだか ら、魚屋に売りつけられた飽を持って祝いに行く。  先方は気にして腹を立て、御祝儀をくれるどころか、婚礼の祝いに飽とは何事、昔から磯の飽 の片思いと、諺にもあるではないかと追い返される。女房は甚兵衛の失敗を聞いて、「エエまあ 何てドジなんだろう」と口惜しがったが、これなりで引っ込むような女ではない。「もう一度行 っておいで。ちょっと伺いますがお宅ではおめでたのお祝物に、墨斗《のし》をつけてお貰いにたったで しょう。それほど飽がお嫌いなら、祝物の畏斗も貰えぬはず、尉(斗の中の細長いものは、飽を伸 したものですよ。何で鞄がいけないのです。これを造るには、夫婦が和合せねば出来ぬとやら。 して見ればこのくらい、婚礼に相応《ふさわ》しい贈り物はありますまいと、もう一度言っておやり」と、 女房に激励され、甚兵衛スゴスゴとまた出かけるのだが、何しろ足りないのだからシドロモド ロ、その滑稽だけがこの話の狙いどころで、サゲは畏斗の問答にたり、「枝つき乃の字の慶斗は」 と聞かれた甚兵衛が、「大方それは年よりの墨斗でしょう」と答える。  あまり感服の出来ぬサゲであるが、これは大体が上方話で、今一つの「磯の絶」の方は久さん という、これも少々・おめでたい男が、いたずらな連中にだまされて、「エエ、私は紹介状を貰っ て参りましたが、貴方は遊びのお師匠さんだそうで、どうか、相方《あいかた》に持てた上、ただで遊べて、 うまく行けば、お小遣いの少しも貰って来られるような方法を教えてください」と坐り込む。紹 介された人は驚きもし迷惑にも思ったが、この男が何と断っても動かないので、仕方なく一通り の心得を教え、「そしていよいよ差し向かいになったら、私はとうからお前の事を思っているの だが・お前は何とも思うまい。これが本当の、磯の飽の片思いだよ」とでもいって、先方の膝で も埠てごらんと教える。久さんが喜んで出かけ、教わった通りを繰り返す滑稽があり、いよい よとなって、「これが本当の、磯の……」まではよかったが、あとを間違え、「ワサビの片思いだ よ」とつめる。女は痛さに飛び上がって、「マア痛いこと涙が出まさあね」「アア、そんなら今の ワサビがきいたのだろう」というサゲ。時代によってはイキな話と喜ばれもしたろうが、今日で は困る。次の〔ろ〕の、「六尺棒親父のしめ出し」とともに、五十三種の中として禁演されてし まった。  ついでながら、禁演五十三の種目をあげると、「お見立」「ちんわ」「早桶屋」「山崎屋」「三人 片輪」「三助の遊び」「とんちき」「粟もち」「きつね」「万歳」「おはらい」「白銅」「五人廻し」 「坊主」「つきや無間」「首ったけ」「品川心中」「三枚起請」「}のこり」「突落し」「木乃伊」「ひ ねりや」「磯の飽」「文ちがい」「明烏L「廓大学L「親子茶屋L「よかちょろL「二階ぞめき」「六尺 棒」「お茶代」「三人むすこ」「手切」「ふみ台」「一つ穴」「権助提灯」「りんきごま」「熊野午王」 「町内若者」「にせ金」「氏子中」「引越の夢」「つるつる」「無精床」「庖T」「駒長」コ一階」「つづ ら」「紙入」「宮戸川」「目薬」「辰巳の辻占」「星野屋」等で、これが禁演になったのは、遊里関 係、外妾、好色、不義、卑狼等、それぞれ忌避すべき点があるからこの中へ入ったのであるが、 もしその点をよけられるよう改修が出来れば、差し支えないものにたるであろう。しかもこれら は、全部たいてい面白い話なのだから、惜しまれたのもそのはずであると思う。 出世の鼻 続いて〔は〕はと言うと「鼻が見たけりや吉野へござれ」である。花でなくて鼻になっている のが面白いが、,その鼻一つで出世したお話、差しさわりのたいのは書くのにもはずみがつく。  下谷の長者町に、八百屋の源兵衛という人があって、義侠心《ぎきようしん》に富んだ奇特な男、ある時心機一 転して世帯をたたみ、十二、三両の金を調えて、日本橋の大通りへ素晴らしく広い明き店を借り る。しかし奉公人を置く力はないから女房と二人ぎり、暖簾《のれん》も出物を買って来たが、間口が広い から三つ継ぎ合わせた。ところが三つとも家号が違っているので、近江屋三河屋松坂屋と恐ろし い長い名になっちまった。そして源兵衛は店の真中へ坐り、独りで忙しそうに景気をつけていた が、元より何の商品もないのだから一向閑散だ。  それに引きかえて向こう側の白木屋では、千客万来大変な繁昌。それは当り前だがそのうちに、 ある日立派な侍が、美しい布を持参して鑑定を命じたが、白木屋では分らない。そこで多くの人 に見てもらおうと、その布を軒先へつるし、"この名を教えて下さらば百両進呈〃という懸賞に した。黒山のように人も立ったが誰にも分らない。すると俄に一陣の風が吹いて来て、たちまち にかの布を巻き上げ、店蔵と奥蔵の間へ吹き飛ばし、これが土蔵の打釘《おれくぎ》へ引っかかった。  誰も気のつく者はなかったが、ただ一人これを見ていたのは、向こう側の源兵衛だけだった。 白木屋ではお出入りのお屋敷から、お預かりの大切な布が紛失したのだから大騒ぎになり、店は 大戸を下ろして捜索を始めた。主人、支配人、番頭、手代、丁稚《でつち》小僧に至るまで、青くなってい るとこへ、源兵衛がやって来て、「実は御当家のお取り込みについて参上いたしましたが、私は 五、六日前、このお向こうへ越して参りました近江屋三河屋松坂屋の源兵衛と申します。実は先 祖から伝わった秘法で、私の鼻は不思議に紛失した品を、何でも嗅ぎ出す事が出来ます。向こう 前のよしみに、ちょいと嗅いで進ぜようと存じますが……」と、まことしやかに申し入れた。  溺るるものはワラをもの讐え、白木屋でも途方に暮れていたところだから、何分お願い申しま すと頼んだので、源兵衛早速クソクソ鼻を鳴らしながら、家中を嗅ぎ廻ったが、元より布の引っ かかっている所は見ていたのだから、匂《にお》いなんぞはしなくとも分る。散々嗅ぎ廻った揚句、「ア アここです、ここです」と教えた。白木屋では店の浮沈にも関するほどの、紛失の布が見つかっ たので大喜び、翌日になると礼金を二百両持って来た。源兵衛のヤマはすっかり当った次第だ。  だから何でも人間は、度胸をすえて大きく構え、志を大きく持たなけりゃあ、大きな儲けは得 られないと大得意。するとまた白木屋から番頭が来て、実は京都の本店のお出入り先の、近衛関 白家でお預かりになっている定家卿の色紙が紛失をしてお困りとの事、どうか京都まで挙いでを 願って、色紙の行方を嗅ぎ出して頂きたいという依頼だ。  源兵衛サア困ったが、エエままよと覚悟を決め、留守中の手当万端白木屋から賄わせる事にし て京都へ出かけ、洛中洛外の名所古蹟残らず匂いを嗅ぐような振りをして見物した上、どてもの ついでに尊い場所のお庭も拝もうという考えを起こし、どうも匂いは御所の中と心得ますと申し 上げた。  そこで関白から有司百官へ相談があり、結局、源兵衛へ任官になって、衣冠束帯で御所のお庭 を嗅ぎ歩くうち、窮屈になったので付き添いの役人を遠ざけ、大欠伸をする途端、傍らの木の洞 へ足がさわったところ、中へ響いてポーソと音がした。これに驚いて中に隠れていた賊がヒョロ ヒョロしながら出て来て、紛失の色紙を差し出し、実は私が盗みましたのでと白状した。源兵衛 全く怪我の功名、これによって莫大な御褒美《ごほうぴ》を賜わり、吉野山へ御殿を建てる。たちまち京都中 の大評判になって、全体その源兵衛という人の鼻は、どんなのだろうと噂をする。「お前それほ ど所望か」「アア、見たいな」「ウソ、はなが見たけりゃ吉野へござれ」、これがサゲで、題名は 「鼻利源兵衛」となっている。  同じような題でも「鼻利長兵衛しの方は、ぐっと質も悪く面白味も薄い。これは本当に鼻のき く長兵衛という男が、友人たちの会食しているところへ、どんな遠方でもちゃんと嗅ぎあてて押 しかけて行き、取り巻いては馳走になるという風の悪い男の話だが、前の源兵衛と同工異曲の話 に「おみき徳利」というのがある。  これは出入りの八百屋が、台所の流し元で洗い物をしているお三どんを驚かしてやろうという 悪戯から、隙を窺って洗いかけになっているお神酒徳利《みきどつくり》の片っ方を隠し、主人が気にしてさわぐ のを、八百屋は何食わぬ顔で、「私はそろばんの易占が巧く、とりわけ紛失物をみるのは上手だ から、占って上げましょう」と、そろばんを弾《はじ》いてお神酒徳利の在所を知らせる。主人は大いに 感心して、「お前にこんな隠し芸があろうとは知らなかった。その実地を見る上はあらためて頼 みたいことがある」と、真面日になられて、八百屋はサア困った。これからが面白い。  先生の紛失  主人の頼みというのは他でもなく、「東海道の三島に弟がいて、一身上のことについて迷いを 生じ、ぜひ、この上もないという易占の名人に判断をして貰いたいと、かねて書面が来ているの だが、その目前にお前さんのような、真の名人が現れたというのは、全く神様のお引き合わせに 違いない。どうか弟のことを占ってやっておくれ」という懇請。八百屋はどうにも弱り切り、今 さら私は何にも知らないので、今のは悪戯の冗談でしたとも言えず、苦し紛れに「東海道の三島 と来ると、遠方ですからとても私には分りません」と胡麻化したが、一旦信じ込んだ主人はいよ いよ敬服し、「それほどの腕を持っていながら、卑下するところますます恐れ入った。費用はい くらでも出すから、私と一緒に三島まで行っておくれ」と追究する。絶体絶命になった八百屋は、 振り切るようにして我が家へ逃げ帰るのを、主人は旅支度を持って追っかけて来る始末。何とも 断り切れなくなったのと、あまり条件がいいので八百屋も胆を据え、それから同道して三島へ出 かける。  その途中、小田原の旅籠屋《はたごや》で、帳場の金が百両紛失、宿の亭主と番頭とで、騒ぎ出したのを同 行の主人が、八百屋に占わせる事になる。  いよいよ八百屋は当惑して、今度こそ逃げ出す外はないと覚悟を決め、「よし、それでは占っ てあげよう。ついては、気が散るといけないから、庭にある離れ座敷へ私を一人で置いとくれ。 そろばんは元より、入用の道具一切、私の荷物も皆ここへ持って来てくれ。それから神様へお供 物として、大きなお結飯《むすぴ》を十ばかり、竹の皮包にしてお燈明は蝋燭がいいな。提灯もたのむよ」 と、逃げ支度をすっかり調えた上、「明日の朝までには百両盗んだ犯人の名から年頃、その金の 行方までちゃんと分るから、それまでは誰もここへ来てはいけないよ」と人を遠ざけたのは、隙 を窺ってこの家を飛び出し、ドロソをきめるつもりなのだ。  そして夜ふけを幸いに、そろそろ逃げ出しにかかろうとすると、梯子段ヘミシリ、・・シリと人の 足音、ギョッとした八百屋は、「あれほど誰も来るなと断って置いたのに、仕様がねえな」と舌 打ちしていると、それへ現れたのは色青ざめた少女で、それは宿の女中でお梅といい、親元から 母が貧苦と病苦に悩んでいるという知らせを受け、狭い胸を痛めた結果、「アア、この金があっ たらと出来心。フラフラと手をつけて、庭のお稲荷様のお宮の床下へ隠しました。まことに申し 訳がありません。どうか私の名は隠して置いて頂きとうございます」と、餓悔の告白にやって来 たのだ。八百屋はホッと胸を撫で、犯人が向こうから名乗って来てくれれば心配する事も逃げ出 す必要もないと安心し、「アア、いいともいいとも、その代り、お前がここへ来て白状した事は 誰にも言うなよ。たとえ親のためとはいえ、仮にもそんな間違った心を起こしてはいけないよ」 と、意見も加えて少女を引き取らせ、夜明けを待って番頭に、失せ物の在所を知らせる、果して 百両はお宮の床下から出て来たρ  旅籠屋では大喜び、この評判がたちまち小田原中へ聞こえ、御当家には江戸からおいでの易の 名人様がお泊りだそうた、占って頂きたい紛失物があります。娘の行方が分りません。家重代の 宝物がなくなりました。馬を盗まれて居所が知れません。猫が見えなくなりましてと、一時に頼 み手が殺到する。八百屋はびっくり仰天して、今度こそもう助からぬと逐電してしまい、「とう とう先生が紛失した」というサゲになるのである。  すなわち、鼻利源兵衛の方は終わりまで成功するが、占い八百屋の方はしまいにボロを出すだ けの違いで、それまでの構想に共通なものがあり、こういう筋の物語は一つの体系をなしている のであろう。  落語のおかしさから言えば、八百屋の方が上であって、元来名人でも上手でも何でもなく、口 から出まかせの胡麻化しなのだから、何か言われるたびに目を白黒させて、いろいろ言い紛らす あたりにクスグリがある。そのイソチキ易者が、終に尻尾を出すのは当然の成行であるが、源兵 衛の方が、最後まで巧く行って、吉野山御殿の主人になるめはどういう訳か。人は心ほどの世を 経るものだから、志は大きく持たなくてはならないというだけのテーマでは、ちと合点の行きか ねる点があって、落語とは言え合理性がないっ  思うにこれは、この源兵衛という人が過去に非常な善根を積み、その果報によって、自分にそ の気はなくとも自然天然と、白木屋の向こうの大きな空店へ入らなければならないような羽目に なり、よんどころなく近江屋三河屋松坂屋の主人になったものの、この大きな店をどうしてやっ て行こうかと考えているうち、白木屋の事件が起きる。あとはトソトソ拍子に出世、という事に すれば、善因善果で話に無理もなく一層快く聞けるのではあるまいか。そして人は心さえ正しけ れば、その願いによって、幸福はいくらでも得られるものだという、真理の教えにもなるであろ う。とにかく、よほど特異性のある話と思う。  居候の審公  さてまた、「いろは歌留多」に戻り、〔に〕は「日本橋にて伯父に逢ひたり」となっている、こ れは「立浪」という話であって、川柳や狂句にいろいろ詠まれている居候、すなわち食客は、杜会 経済状態が今のようでない昔には、いくらも実例があったと見えて、落語の方でも大立者になっ ている。すなわち、ちょっと数えても「船徳」「湯屋番」「紙屑屋」「素人車」「きめんざん」「調 合」及びこの「立浪」等。  これは皆居候の話で、その居候も皆いいとこの若旦那という事になっているところ、世間見ず の苦労知らずが甘くて楽天的で、間が抜けていてユーモラスで、落語向きの材料になっているか らでもあろう。  この「立浪」の主人公も御多分に洩れず、道楽の結果、親元を勘当され、出入りの棟梁の家へ ころがり込み、二階に厄介となって、合せて十かいの身の上、お定まりで女房がブツブツ言う。 棟梁も困って、「若旦那、奉公でもなさい」と勧める。「行ってもいいが先方はどこ.だえ」「山の 手のあるお屋敷で」「有難いな、そのお邸にお姫様がいるかえ」「そんな事どうだっていいでしょ う」「よくはない」「いらっしゃいますよ。しかも美しいお年頃のお姫様です」「ますます有難い な。早速行くよ。しかしおれの役は何だい」「喜ずお庭のお掃除番ですよ」「アア、結構だとも。 おれがそれを勤めていると、必ずお姫様に思いつかれるよ。コレ道助、雨のふるほどやる文も ……」「気取ってちゃあいけません」と、若旦那空想をたしなめられるが、これから奉公に行く となるほど素晴らしい美人の姫君がいたが、このお姫様は和歌に凝っていると見え、毎日庭を散 歩しては「立浪の寄るかと見れば寄りもせで……」と上の句を口ずさみ、下の句を案じているら しい様子だ。若旦那はそれへ何とかつけたいのだが、歌道を心得ぬ悲しさ、どうにもならないの で、この事を使いに出た途中、日本橋付近で逢った伯父に話すと、伯父は勘違いをして下の句を 教えてくれた、それは「恋風吹けば寄りもせうぞえ」というのである。奴さん喜んで翌日その下 の句をお姫様に捧げた。姫は眉をひそめ「いやらしや誰にか聞きしこの返歌」と各められ、息子 ヘドモドしながら、「日本橋にて伯父に聞いたり」と答える。  これがサゲなんだがその話は、全体にあまり名作とも思われず感服出来ない。何といっても居 候の若旦那を扱った同種類の落語の中では「湯屋番」が第一であろう。これは若旦那が湯屋へ奉 公に行く話で、大体において今の「立浪」にしろ「湯屋番」にしろ「紙屑屋」にしろ、居候の若 旦那が何か仕事を始めるまでの段取りは皆同じように出来ている。  居候を置く家の主人、すなわちその棟梁だか親方だかは、若旦那なるものがたとえ勘当の身で あっても、永年お出入り先のお店《たな》の息子さんであって見れば、そのお店に対する義理もあり、か つ男の事だから細かいところには気もつかず太腹な点もある故、何でもたいが、さて直接にその 居候の食事その他の世話を承わるその家の女房に取っては、精神的にも経済的にも迷惑千万有難 くない存在には相違ないから、そこは女の事、細かい欠点も拾い立て並べ立て亭主に向かって苦 情を言い、「何の弱い尻があってあんな者を家へ置くのか知らないが、どうしてもあの人の世話 をしなくてはならないのなら、私は暇を貰います。別れて下さい」とまで強硬な態度に出るから、 亭主も間へはさまって困らざるを得ない。  そこでよんどころなく若旦那に向かって、「実はうちの奴がやかましく言いますから、若旦那 も何とか考えて下さらなくては困りますよ」と、渋面つくって意見をするのだが、肯《うなず》かばこそ、 居候の方にはまたいろいろと言い分が山のごとくにあって、女房のざん訴を並べる。まず第一が 食事の苦情、「思うように飯を食わせてくれないというのは、『サア勝手にお上がりなさい』と飯 櫃をつき出してくれるならいいが、『若旦那お給仕を七ましょう』と体のいい監視つき、そのよ そい方に秘伝があり、杓子へ水をつけて軽く飯をすくい、茶碗のふちでぐいとこくから、ちょい と見ると茶碗一杯にあるようだが、底の方は真空のからっぽガラソ洞、トンネル飯、地下鉄飯、 湯でも茶でもぶっかけようものたら、たちまち凹んで陥落する宇都宮つり天井飯、お茶漬サクサ クと言いたいがお茶漬サーといえばたくなっちまう。『恐れ入りますがお代りを』と出すと、聞 えない振りをして、『若旦那御飯ですか、お茶ですか』。一杯飯は食うものでないとしてあるのに、 一杯きりで御飯ですかお茶ですかとは何事、怒鳴りつけたいところをジッとこらえ、『済みませ んが御飯を願います』。ハイと心得てまた水つけ杓子の引っこき飯、表面は満員、中はガラあき の場末の活動飯、イソチキ飯、お茶漬サーでおしまいになると、『若旦那お茶ですか、お湯です か、楊子《くろもじ》ですか』と、あわれやもう御飯の縁は切れちまう。楊子を使うほど歯にたまるかえ」と、 万事こんな調子で微に入り細をうがち巧妙を極めた警句連発。いずれは多くの落語家がそれから それと工夫を加えた事であろうが、滑稽百出爆笑のうちに、人情の急所をえぐっているところ、 落語の真価まさにこの辺にあると思う。  しかも居候の若旦那は、まだまだ平常の不平を尽し切れず、いい若い者に味噌漉を下げさせて わざわざ遠くの店まで豆腐を買いにやった不満なんぞをぶちまける。この豆腐のクスグリなんぞ には、随分深刻なものがあって、なかには不快がる聴客もあるくらいだが、その代りおかしさに 潟いては徹底している。いろいろとそれらの愚痴を並べた揚句、「まったくこんな事では仕方が ないから、私は奉公に出ようと思う」「アア、それは若旦那、いい所へ気が付いて下さいました。 あなたがそうして御辛抱をなさる気になって下されば、自然と親旦那のお心も解け、お詫びもし やすくなりますから」と、棟梁は救われた心持ち。けれども若旦那の方は何そんな殊勝な考えか らじゃあない。どこまでも呑気に出来上がっている道楽者だから、真面目な量見で奉公を志した のでも何でもなく、高いところへ坐っていれば勤まる楽な仕事らしいからというので、銭湯の番 台を志願したまでの話なのだ。  ここにこの同じ「湯屋番」でも、新旧二通りの演じ方があるというのは、若旦那が奉公に行く 先の風呂屋の名が、その以前柳派と三遊派と二つになっていた時には、その派によって違ってい た。すなわち柳派の方では槙町の奴湯と言い、三遊の方では浜町の桜風呂と言っていた。これは その頃の奴湯の主人が現在も達者と聞いたが、日本橋の寄席木原亭あたりの定連で、落語家連中 とも親密だったから、柳連ではこの実在の奴湯の名を使ったのだそうで、三遊の桜風呂も何かや はりそんな縁故があったのだろうと思う。  それはさて置き、三遊派の桜風呂の方はいわゆる新しい方の行き方で、これは鼻の円遊が大部 分を改作したのである。今更ながらその当時における円遊というものは、柳・三遊を引っくるめ て落語色物席に偉大な光彩を放っていたこと、年配のお方はよく御存知のところである。その詳 伝やら追憶やらを、くり出し始めたら際限もないから、これはまたの機会に譲るとして、どんな 古典的の落語でも、この円遊はすべて当世風に新しき意気を吹き込み、改修したことの是非善悪 功罪は別としても、とにかくそれだけの芸才と手腕とがなくては出来ないことで、この頭脳の働 きがピタリと当時の好尚に投じ風采態度仕草の軽妙またこれを扶け、さてこそ一世の人気を独占 するほどの流行児とはなったのであろうが、その中でもこの桜風呂などは円遊の得意とした話で、 従ってその改修も行き届いていた。  すなわち前に述べた御飯のお給仕や豆腐のお使いの苦情など古いクスグリは一切省略して、 「困りますねえ若旦那」「オッとぐずぐずお言いでないよ。私なんざあこれでいろいろ考えている んだよ。大層な発明をしたんだから驚いちゃあいけない。飯を食わないでも腹の減らぬ法っての はどうだえ」「ハア、それは国益になりますね。.どうするのです」「パソを食うべしてんだ」など とこんなばかばかしいのを幾つも並べ、結局湯屋へ奉公に行きたい、それも浜町の桜風呂に限る と言い出す。 「それはどういう訳で」「実は先月町内のお湯屋が休みなので、遠いがあすこまで入りに行ったら、 番台にオツなお内儀《かみ》さんが坐っていた。私が風呂へ入って温まって、いい心持ちに都々逸を歌っ たら、その内儀さんが『アラ美い声だわねえ』と……」「若旦那、あなた余りいい声じゃありま せんよ。第一番台でそんな事を言ったのがよく聞えましたね」「マアさ、聞えやあしないがそん な風な表情をしたんだ。第一都々逸の文句がよかった」「どんな文句です」「五日五日の水天宮様 のお賓銭《さいせん》を一人で貰いたいてんだ」「ちっともよかあありませんよ」「それがいけなければ十日十 日の金比羅様の……」「あなたはお寮銭ばかり貰いたがっているね」「こんな都々逸を散々聞かし て、マアいい咽喉だこと、あの声で端唄か何かを伺いたい、てな様子が見えたから、よし心得た てんでこれから長いの短かいのを取り交ぜて、三十六歌ったまでは覚えていたが、とうとう湯気 に上がって目を廻しちまった。気がついて見ると板の間へ、足駄を枕にして寝かされていたよ。 その晩は泊めて貰って、朝御飯を御馳走になって帰って来た」「呆れたねえあなたは」「そんな具 合で厄介になったから、御恩返しにあすこの家へ奉公しようと思う。そのうちにどんな運が向い て来て、私が桜風呂の主人にならないという限りもない。まず財産が、銀行預金ばかりでも十二 万三千四百五十六円七十八銭五厘あるよ」「大層細かく調べましたね」「マアそのくらいはあるだ ろうと思うんだ。これが皆私の自由になる、棟梁にも永い間、いろいろ世話になったから、その 中からお礼として、海苔を三帖上げようかな」「シミッタレだねえ」.「うそだよ。本当は五百円、 イヤ気張って一千円上げる。遠慮しないで納めておくれ」「まだ何にもありゃあしませんよ」「ハ ハハ、そのつもりで五円お貸し」「ふざけちゃあいけません。マア冗談はとにかく、御辛抱なさ いよ」と、出かけてからがまた面白かった。 活きた落語  人間というものは、すべて手前勝手になりたがるものと見えて、いろいろ将来のことを考える についても、万事自分に都合のいいようにばかり、予想するのが通例のようである。とりわけて この種の落語の中へ現れる若旦那と来たら、特にその度の強い空想家で、自惚は強いし我艦では あるし、決して暗い方面には考えを持って行かないのだからいい気なものだ。  さればこそ棟梁からの添書を貰って、桜風呂へ行く途中も、それからそれと虫のいい事ばかり を空想し、独り言は早くも自分が桜風呂の後家さんを妻にして、そこの主人になったところまで 行っちまう。そのためにうかうか目的の桜風呂の前を通り過ぎてまた後へ戻ったり、途中で交番 で各められたり、円遊独特の当て込み警句を連発する中、ようやく先方へ着いて、ここでもまた 亭主との間に図々しい問答があり、-とにかく番台の上へ,納ま石と、これからまた空想が始まり、 全体ここへ入浴に来る婦人の中で、誰がおれへ目をつけるだろうというところから、やがてその 中で一番種のよさそうな、オツな年増に思いつかれる事に決める。  もちろん空想だが若旦那は番台の上で、夢中になって独り言を続け、その女の家へ遊びに行き、 御馳走になっているうち、俄《にわか》の夕立で近所へ落雷、目を廻した女を介抱、「アア、今の水の美味 かったこと」「そんたら今日は空じゃくか」「嬉しゅうござんす番頭さん」と、どうしてこう東京 人は芝居好きなのか。二言目には芝居がかりになって色模様の濡れ場を想像し、有頂天になって るところを、浴客の一人に殴り倒される。  この辺でサゲになるのであるが、その「湯屋番」のサゲにも幾通りかあって、騒ぎに驚いた風 呂屋の主人が出て来て、若旦那の挟へくすねた湯銭を牲め、「ハハア、この金で飲み食いをする 気だな」「イイエ、お払いは先方の女がします」というのと、「ばか野郎、汝が下らねえ事を言っ てるものだから、見ろ、おれの下駄を誰かが履いて行っちまったじゃあねえか」「そんならそこ にある(柾の上等なρをはいておいでなさい。順々に他のを履かして、しまいの一人を跣足《はだし》で帰 せば済みます」というのや、「大層あなたの顔から血が流れていますね」「ウソこりゃあこの男が 狂人じみた独り言をいってるのに見とれて、軽石で顔をこすったんだ」というの等、演者によっ て一定していない。  今の小さんは更にこの話を、全然色気抜きの新しい味に改作して「帝国浴場」と題し得意の一 つとしているが、小さんらしい誕刺もあり警句も豊富で結構である。また、今の柳橋《りゆうきようホ》はもっと若 い頃、この「湯屋番」をやった時、前述の、「嬉しゅうござんす番頭さん」の条で、あんまりハ ズミをつけて熱演したため、若旦那の横っ面をぶんなぐる真似をしたとたん、すってんころりと 高座から客席へころげ落ちた事がある。幸い前に誰もいなかったから無事だったが、聴衆はこれ を本人の失策とは思わず、奇抜な演出をしたものだと感心し、割るるがごとき大喝采を浴びせた。 柳橋自身は褒められて嬉しいどころか、顔をしかめて腰をさすりさすり、ようやく高座へ這い上 がった。その挙動がおかしいとてまた大笑い、あまりばかばかしく受けたので、とうとうそれか らはこの話をやるたびに、わざとこの条でころげ落ちないと、聴衆が承知しないようになったそ うな。それには余程高座前をよく見定めて、土瓶や茶碗など、置いてたいところを狙って落ちな ければ、どんな怪我をするか分らないとは、命がけの危険なやり方があったもので。  高座からころがり落ちるのだから、これが本当の落語かも知れないなどは、自然のサゲにもた っているが、いい気になって一つ話を、筋も少し丁寧に紹介した上、それに関した余談たど、こ の通り並べていると、「湯屋番」だけでこんなに枚数を費やしてしまった。とんな事ではいろは 四十八項だけでも、あるいは書き切れぬ虞れがある。と言って面白そうなことだけは、お目にか けたいという欲も出るし、もともと嫌いではない落語のこと、話し込むに従つて、油も乗れば調 子もつき、どこまで筆が七るやら分らない。  甲府の旅  何とも早、じれったいような心持ちもするが、お次の〔は〕は、「法華豆腐《ほつけどうふ》お参り願ほどき」 で、ただ今申し上げた道楽者の若旦那に引きかえ、これはまた真面目な青年の立志美談で、楽屋 帳には「甲府イ」と題名をつける。  筋は、甲州から江戸へ出て来た善吉という若者が草賊に路銀を取られ、飢に堪え兼ねて豆腐屋 の店頭から、雪花菜《うのはな》を一掴みロヘ頬張ったところを、売子に見つかって殴ちれる。親切な豆腐屋 の主人はそれを止めて、善吉から事情を聞いて気の毒がり、店へ使う事にすると、元来、江戸へ 出て一心に働き身を立てようという志で出て来た善吉とて、蔭日向《かげひなた》なく精を出すので、二なきも のと信用される。殊に年は若し、男前はよし、怜倒者《りこうもの》で気質がやさしいと来ている、たちまち町 内での評判男となり、お蔭で豆腐屋は大繁昌、豆腐屋の夫婦も、すっかりこの男が気に入ってし まった。  するとこの豆腐屋に年頃の娘があって、一人っ子だから嫁には出せない。誰か適当な婿《むこ》を迎え なくてはならない。だがさてなかなかこれはと思う人物がない。理想なのが見つかづても、そん なのは来てくれないという。豆腐屋の親父さんも気をもんでいると女房が、「お父さん、いっそ 誰彼と言おうより、店の善吉を婿にしてはどうです」と勧めた。「アッなるほど、燈台下暗し、 善吉なら申し分ねえや。ついうっかりしていて気がつかなかったが。しかし娘が何と言うかな」 「イエそれは心配ありませんよ。私がこの間それとなくあの子に話して見ましたらね、娘が顔を 真赤にして『善さんなら願ったりかなったりですわ』と、言いかけて駆け出しましたよL「危ね えな、転んだらどうする。ハハハ、そうかそうか。そんなら案じる事はねえ、善吉に決めちまお う」「だってお前さんこの方ばかかよくたって、善吉が何と言うか分りませんよ」「何を、あの野 郎が、不承知なんぞ言えた義理か。腹をへらして店の前へ、打ったおれてた時の事を忘れやがっ たか。善吉をここへ呼んで来い」「へい何御用で」「何御用もねえものだ、この野郎太え奴だ。白 ばっくれやがって」「何を言ってるんだね、お父さんρまだ何も話してないじゃないか」「アヅそ うか、そそっかしいなあ、気をつけろい」「お前さんがそそっかしいんだよ」と、快いクスグリ がいろいろあって、結局、善吉は「私のようなものでょろしゅうございましたら、こんな有難い 事はございません」「エッ、承知してくれるか有難てえ。おれの家は法華豆腐と紳名《あだな》されている くらい、有名のお題目信者だ。どうか他宗の者を婿にしたくねえと思っていたが、お前はしかも 本場の甲州から出て来た信心男、これも皆なお祖師様のお引き合わせだろう」と大喜び。それか らは若夫婦が心を合わせ、なおさら家業を励んで孝行を尽す。そのうちに善吉は親たちに幾日か の暇を貰い、「女房を連れて甲州の、故郷へかざる錦の袖、身延《みのぶ》の霊山へ参拝して、大願成就の お礼をしたい」と言うので、夫婦が晴の旅装で出立、近所の人々が、「オヤ今日は、お揃いでど ちらへ」と声をかけると、善吉はいつもの調子を張り上げ、「甲府イー、お参りー、願ほどきー (豆腐イー、胡麻《ごま》入り雁もどきー)」というのがサゲになっており、サゲの分類で申せば、仕込み 落ちでもあり、ぶっつけ落ちでもあり、地ロ落ちでもあるという事になろう。  何にしても納まりのめでたい勧善の落語で、禁演五十三種を悪い方として西へ廻して見立番附 の出来たとき、善い方、すなわち東の方の大関へあげられたのは、この「甲府イ」であった。  また、斯界の古老|扇橋《せんきようホ》は、この話を今様にでっち直して、「お福牛」と題するものを作った。 思うに丑年に因んでの新作だったかも知れたい。  筋は大同小異で、豆腐屋が牛乳屋に変っているのと、サゲがちょっと異っていた。すなわち、 若い苦学生が、牛乳屋の主人夫婦に信用され、娘にも思い込まれて婿になり、この新夫婦は別に 支店も出し(牧場も経営してなかなかの繁昌、その中に故郷で伯父が亡くなり、その遺産を受け 取る事になって、ちょっと旅行するという。舅夫婦が心配して、「行って来たさるのはいいが、 あとで牛の世話は大丈夫か」と尋ねると、「お案じなさいますな。ウシは女房に任せてあります」 といラサゲ。これもちょっと面白いと思った。  なお先般、この「甲府イ」が、落語を主題とした紙芝居になり、画劇報国杜で製作したのを参 観したが、「甲府イ」だけでは変化に乏しいとあって、後半に「鰍沢」がついていた。「鰍沢」は 御承知のごとく、身延へ参詣した帰り道の旅人が、雪の中で道に迷い、山奥の一つ家で宿を求め ると、この隠れ家の主人は熊の膏薬を売る伝三郎、女房は以前吉原にいた月の輪お熊という悪婆 だったから、この旅人の持金に目をつけ、玉子酒ヘシビレ薬を混ぜて飲ませる。その残りを伝三 郎が誤って飲み、苦悶し始めるのでお熊は狼狽。奥に寝ていた旅人は驚いて起き上がろうとした が、毒が全身に廻っていて動けない。ちょうど七面山で頂いて来た毒消の御符《ごム》を思い出し、あわ ててこれを飲み込むと、いくらか身体の自由を得た。ヤレ嬉しやと壁の破れから逃げ出したが、 それと心づいたお熊は雪の夜道を、鉄砲さげて追って来る。旅人は絶体絶命の絶壁から、身を躍 らして鰍沢へ飛び込んだが、幸いにも筏の上へ落ちて九死に一生を得た。「これも日頃信ずるお 祖師様の御利益、一本のお題目(材木)で助かった」というサゲ。これが毒消に鉄砲、玉子酒と いう三題を、即席にまとめた三題ばなしとば思われぬほど、実にょく出来た筋であるが、この趣 向を「甲府イ」の後半へ付け、善吉夫婦が道に迷って悪者夫婦の一つ家へ泊り、すでに殺されよ うとするのを鰍沢へ飛び込んで助かるという事にたっていた。なるほどこうすれば連絡もつく。  なおこの「甲府イ」と同種類の、すなわち、神祇釈教を扱った落語としては「神楽茶碗」「稲 荷車」「義竜」「後生うなぎ」「こんにゃく問答」「小言念仏」「杵大師」「不精代参」「お血脈」「万 金丹」「なす娘」等がある。  与太郎と先生 『通談』も道草を食ってるとはかどらない。次の〔へ〕は「庇の用心の札を貼れ」である。これ は与太郎の話で、落語の方では大立者。  佐兵衛さんという人が新宅を普請したというので、与太郎が父親に褒め言葉を教わり、書附に して懐中へ忍ばせ、佐兵衛の家へ出かけて行くのだが、その教わるところがおかしいのだ。「お 庭は御影づくり」というのを、「見掛倒し」と間違えたり、「左右の壁はお砂摺り」というのを、 .「佐兵衛の娯はお引きずり」と言ったりする。しかし先方へ行ってからは、書附を読むのだから どうにかやれた。佐兵衛も喜んで「イヤ折角褒めてくれたが、大工が木取りの都合で台所の柱の 節穴が、座敷から正面に見える。気になってならぬ」とこぼす。与太郎、これも父親から教わっ た通り、「そこへ火伏せのお札を貼ったら、穴も隠れるし火の用心にもなろう」と注意をする。 佐兵衛もなるほどと感心して祝儀をくれた。  与太郎これに味をしめて、今度は別の家へ牛を褒めに行く。文句はやはり書附を読むのだが、 「天角地眼一黒鹿頭耳小歯違《てんかくちがんいつこくろくとうじしようはちがう》」と言う。これが牛に対する褒め詞だ。ところが奴さん、これをそ のまま応用して娘を褒め、「眼がやぶ睨みで色が黒い」などとやるおかし味もあり、結局牛を褒 めると先方が、「生き物もいいが行儀が悪く、糞をするから汚ない」とぐちるのを、与太郎ここ ぞとばかり、「アア、何も気をもむ事はない、お札をはれば穴が隠れて、屍の用心になります」 というのがサゲ。  この「牛ほめ」という話は、ほとんど誰でも演らぬ者がないというほど、クスグリ沢山前受け のする徳な話、それ故、前座級のやるべきものとしてあるが、大体において与太郎の話は、おさ し合いの少ないものという事になっており、同種類の落語としては、「牛の嫁入」「子ほめ」「道 具屋」「石返し」「吉野」「人真似」「石払い」「錦明竹」「仕立おろし」「平林」「歌火事」「くやみ」 「孝行糖」「熊の皮」「にう」「古着買」などがある。  さてお次の〔と〕は、「とはは千早の本名だ」で、無学者は論に負けず、生物識《なまものじり》ほど高慢な顔 をして、知った振りをしたがるものだ。  御隠居の所へ遊びに来た八さんが、百人一首の和歌について、意味の講釈を求めると、隠居が 口から出任せの無理こじつけで胡麻化すおかし味、二体この、『千早ふる神代もきかず立田川、 唐くれないに水くくるとは』これはどんな訳なんですL「ウムその何だよ。『立田川と……』、ア ア、そうそうそれは力士の名だ」「ヘエi角力ですか」「左様この力士が千辛万苦修行の功を積ん で大関に進み、遊びに行くと千早という女に冷遇されたのだ。そこでソレ、『千早ふる』とこう いうのだ」「アッなるほど」「そこで今度は神代というのへ渡りをつけたが、これもまたいう事を きかない。そこでそれ『神代もきかず』さ」「ハハァ」「サア立田川が憤然として、力士も廃業し 故郷へ帰り、先祖からの家業、豆腐屋になった。(何だかこの『通談』先刻から豆腐屋ばかり出 るようだが)さて悪い事は出来ぬもので、かの千早が零落して、見る影もなく女乞食になり、廻 り廻ってここが立田川の家とも知らず、豆腐屋の門へ立って、『どうぞ雪花菜《おから》を頂かして下さい』 と哀願した。立田川が何気なくその乞食の顔を見ると、恨みは忘れぬ千早だったから、『ヤヤお のれは千早』『アレ関取面目ない』バラバラっと逃げ出して、千早は井戸へ身を投げた、すなわ ち、からくれないに水くくるとはサ。豆腐のカラを呉れたいから水へもぐったのだ」「アッ何だ 驚いたな。しかしそれなら、水くくるだけでよさそうたものを、『とは』というのは何ですね」 「ウームその、アア、そうそう、千早の本名だった」とこれが「千早振」のサゲ。  知らない事を知った振りで、口の先で胡麻化す同種類の落語では「木火土金水」のようないわ ゆる根問物、あるいは「てんしき」「そうめん」「魚売人」「酢豆腐」等があるが、その中の代表 とも見るべきは、例の矢が飛んで来て力ーソと当ったという「やかん」の話で、仲間では知りも せぬに知った振りをする生物識のことをやかんの先生と紳名しているくらい。 ・ところでお次の〔ち〕は、「ちきり伊勢屋死相の立消え」という長い話。  これは易人相の名人白井左近という先生が、麹町平河町に住んで、毎日判断を乞うもの引きも 切らず千客万来の大繁昌、ここへ見て貰いに来たのが、同じ麹町の五丁目で質両替|渡世《とせい》のちきり 伊勢屋、当代の主人伝次郎という若い男、-縁談の吉凶を占ってくれとの依頼に、左近が天眼鏡を とってよく見ると、驚くべし、伝次郎の顔に歴然と死相が現れていた。これはこの男の先代が、 強欲で無理をしたため、数多の人を泣かせ苦しめ恨みを受けた。その親の因果が子に報いて、長 命が出来ないのである。しかもその死期は来年二月十五日正午の刻に迫っていると言われ、伝次 郎青くなってしまった。しかし名人の左近が下した判断に間違いはない。「必ずその時刻に命の 終わる事は私が受け合う」と言われた。こんな事は受け合われない方が有難い。 「まあ精々それまでに布施善根《ふせぜんこん》をして、来世の助かるよヶ工夫をしなさい」と、慰あられた伝次 郎は、呆然として家へ帰り、番頭手代一同を集めてこの事を申し渡し、店の者へは今までの倹約 と打って変った賛沢をさせた上、入質を皆無代で置き主へ返す事になる。それのみならず寺々へ 寄進をするやら施米《せまい》をするやら、困窮の者を探し出すようにしては救済するので貧乏人は大助か り。そのうちに伝次郎は命のある間に出来る限り面白い思いもしようと、幇間《ほうかん》を取り巻きに諸方 を遊び廻り、うかうかと日を送るうち、早くも年は明けて二月十四日になった。いよいよ明日は 正|午《うま》の刻に死ぬんだというので、前の晩は生きながらに盛大な通夜をする。花柳界の連中も交っ ているから、歌うやら踊るやら大変な騒ぎだから、近所も驚いたが、当日になると伝次郎はかね て入費を惜しまず誹えた棺桶の中へ、白無垢の死装束で入り、今か今かと死ぬのを待つうち、前 夜の騒ぎ疲れでウトウト眠った。  棺の外にいた連中は静かになったので、さてはいよいよ息を引き取ったかと葬式を界ぎ出した が、見送り人は何町も続くほどの盛儀で、見物人は沿道に人垣を築きまるで祭礼のような賑わい である。  やがて深川浄心寺へついてそれから読経となったが、棺の中で伝次郎は目をさまし、どういた しまして死ぬどころか、なかなかそんな気色も見えない。これは変だぞと思ったが、何しろ財産 残らず施しと葬式の費用にかけ尽し、今更帰る事も出来ないので、会葬者が皆引き取った後、そ っと和尚へ事情を話し、永代祠堂金として納めた中から、若干《いくばく》かを返して貰ってそれを携え、一 時江戸から姿を隠したが、方々を迫い廻るうちとうとう伝次郎は一丈なしになり、変り果てた姿 で芝の札の辻まで来ると、白井左近も人に死相を告げた科で所払いの処分を食い、大道易者に落 ちぶれて往来へ店を出していた。  伝次郎それと見るや、「先生、お前さんはひどい人だ。いい加減た事を言われたためにこの始 末になった。サアどうしてくれる」と、左近の胸倉を捉えて苦情を言った。左近も「自分の判断 が外れたとは不思議。ドレもう一度見せなさい」と人相を見直したところ、ガラリ変って今度は べら棒に長命をする相が現れている。「冗談じゃあない。こんた貧乏人になって長生きしたって どうなるものか」とベソをかくのを左近が、「イヤお前さんは、誰か人の命を助けた事がありは しないか」と聞いた。伝次郎考えて見ると、諸方を遊び歩いている最中、ある雪の夜に首を緯ろ うとした母娘へ、金子を恵んで助けた事を思い出した。「アアそれだそれだ、その功徳で寿命が 延びたのだ。イヤ寿命ばかりでなく、もう開運の時機が目の前へ迫っている。これから南の方へ 行けば、必ず幸福にぶつかる」と予言され、伝次郎も半信半疑、南といえば品川の方だと、足を 運ぶ途中出くわしたのが、遊び友達の伊之助という、これも大店の若旦那だったのが、勘当され て品川の裏店住い。  ともかくもこの伊之助のところへ、厄介になる事となり、若い者同志がなす事もなく、売り喰 いしてはブラブラ遊んでいたが、この有様を見かねた家主が、二人で辻駕に出ろと勧め、いろい ろ世話をしてくれたので、二人はその晩から即製の駕夫になったが、馴れない仕事だから巧く行 こうはずもなく、いろいろ滑稽を演ずるうち、出くわしたのは伝次郎が、以前ひいきにした封間 の一八だった。  その羽織や長儒神を脱がせて借り受け、これでまた一盃飲めると、質屋へ置きに行ったところ、 伝次郎の顔を見て驚いたのは質屋の娘、これが先年雪の夜に死のうとしたところを母もろとも助 けて貰った娘なのである。命の親の大恩人にめぐり逢って母娘の喜び、これが動機で伝次郎は、 果して、白井左近の予言通りトソトソ拍子に幸福な身の上となるという筋で、落語とはいえサゲ はなく、つまり人情噺なのであるが、何分にも長い話なので、夜の高座にはチト不向き。  しかしこの話は大当り。「天眼鏡」と題して、とうから歌舞伎劇に脚色され、また新派その他 でも同じ題材の脚色物が出たが、別に「白井左近」という題で出来ている落語もあり、易者を扱 った落語には「辻八卦」「近江八景」があり、前述の「お神酒徳利」もこの中へ入れるべきもの であろう。  このうち気が利いているのは「辻八卦」で、芝居好きの男が辻占いに、「今五段臥を立見して 来たが」と一幕の筋を全部しゃべって呆れさせた上、定九郎や勘平は死んでから何に生れ変った か占ってくれと迫る。易者はなかなか頓智《とんち》のきく酒落ものと見え、「勘平は湯屋の釜前で働いて います」「どうして」「今だに鉄砲の縁を離れません」とか、「定九郎は牛になって、まだシイシ イに追われている」とかこじつける。周囲に人垣を作った弥次馬連も感服する中から、立派な紳 士が進み出て、「してして由良助はどうなった。何に生れ変った、サアどうしたどうした、易者 易者、由良助は……」「ハアッ、いまだ誕生仕りませぬ」というサゲ、すなわち四段目の力弥を きかした酒落なのである。 名画の奇瑞 「ちきり伊勢屋- :」が長くなったところへ、次の 〔り〕の 「りん気で狂う独楽《こま》の心棒」、 すな わち「りん気の独楽」という話は、例の五十三種禁演物の中でもあり、あまり名作でもないから 遠慮させて頂くとして、〔ぬ〕の「ぬけ雀名画のほまれ」は質もよし愉快な話である。  東海道は鳴海の宿、立花屋という旅籠屋に、風体甚だ富貴ならざる旅人が泊る。幾日も逗留し て一回も支払いをしないから、宿屋の女房はふくれる。亭主も気をもみ、催促をすると案の定、 からっけつの一丈なしだ。サア亭主が驚いて、全体お前さんは何をする人だと尋ねると画工だと の答え。そんなら宿料のヵタに何か絵を描けと迫る。よし心得たと亭主に墨をすらせ、出来上が ったばかりの屏風へ、止める間もなくベタベタと達筆を揮い、そのままプイと出立してしまう。  宿屋の夫婦はボヤくまい事か、ところがその夜になると、驚くべしこの屏風から、描いた雀が 抜け出して飛び廻る。すなわち名画の奇蹟である。夫婦は胆を潰し、この評判八方へ聞え、見物 の客で毎夜の満員、立花屋は大福々になった。           -  するとある日投宿したのが立派な老先生、これが先夜この雀を描いた人の父親なのである。我 が子の筆ながら感心して屏風を眺めた。しかも雀は、止り木の枝を画き添えてないため飛行に疲 れ、間もなく絶命しそうだというので、立花屋の主人は青くなる。老先生は気の毒に思い、傍に |籠《かご》を一つ描き添えると雀は皆この鳥籠の中へ飛び込んで翼を休めた。  これがまた評判になって、大名から所望があるやらえらい騒ぎ。その中に例の画家は、その後 修業を重ねて堂々たる位置に進み、先年の礼にこの立花屋を訪ねる。夫婦は狂喜して下へも置か ぬ待遇、画家は屏風の落款を見て、鳥籠を画き添えたのが、自分の父親であることを知り、つく づく歎息して、億《ああ》私は親不孝だと眩く。「なぜでござります」「されば現在の親にかごをかかせ た」というサゲ。大体このサゲでも分るように上方種だが、滑稽味も多く、心持ちのいい話で、 この「抜け雀」、左甚五郎の「竹の水仙」などと、同種類に数うべしであろう。 〔る〕は^「類は友、遊びの相談」。これは「羽織」という話で、若い衆連中が、物持ちの若旦那 を取り巻き、どこかへ連れて行ってくれと頼む。それは承知したが、「印絆纏《しるしぱんてん》や、広袖《どてら》の着流し では困る。せめて羽織でも引っかけて、懐には紙入の一つも入れて行って貰いたい」と言う若旦 那の注文に、「よし心得た」と、中には煉瓦を手拭で巻いて懐中し、これを紙入に見せかけるな どの、物凄いのも現れる。  しかし羽織を持っていないのは大弱り。仕方がないから親方のところへ、「これから大勢で遊 びに行くから羽織を貸して下さい」と借りに行くと、親方は不在だったが女房が、「そんな所へ 行くのなら貸せないよ」と、叱られて、奴さん狼狽し「イヤ、何、その」とヘドモドする。「も つともこれが、祝儀不祝儀で入用とでもいうのなら、貸して上げないものでもない」「アヅ実は その、祝儀不祝儀なんで」「アラ、祝儀というのはおめでたいこと。不祝儀は不幸のこと。一体 どっちなんだよ」「エエ、その何です。祝儀と不祝儀と、両方が往来でぶつかっちまってね」「何 を言ってるのさ」「本当は不祝儀ですよ」「では誰か亡くなったのかえ」「エエ、亡くなりました。 その、アアそうだ羅宇屋《らうや》の爺さんで」「何、あのお爺さんは、さっき家の前を通ったよ」「エッ、 いけねえ。あの爺|毫緑《もうろく》してやがるから、死んだのを忘れやがった。イエそのうちには、誰か死ぬ でしょう」と、羽織を引ったくって駆け出して行く。  これから若旦那に教わった通り、先方へ行って床の間を褒めるのに、反り過ぎて引っくり返っ たりするが、たいていこの祝儀不祝儀で胡麻化すところで、一段落にしている。従ってこの話は 「干物箱」「縮上り」「人参代」「いびき駕」「入れ目」「仕返し」などとともに、辛うじて禁演を免 れている。  落語の本領  さて次の〔を〕は、「おれは一体誰なんだ」とあり、これは「粗忽《そこつ》長屋」である。  こんな名のつく長屋だから、性得そそっかしい人間ばかりが住んでいて、毎日滑稽な失敗をや る。その中にも至っての粗忽者が隣合っていたが、甲の方は人間が不精で、ちょっと見ると落ち っいているように思われるくせにごくそそっかしく、乙の方は気が短かくて早呑み込みで、チョ コマカと身体をマメに飛んで歩くガラガラしたそそっかし屋、甲の方が熊さん、乙の方が八さん。  この八さんが用達しの帰りに、浅草を通りかかると黒山の人立ち。何だ何だと押し分けて中へ 入って見ると行き倒れだ。八さんひと目覗くや、「ヤッこれは隣の熊公だ」「エエ、それではお前 さんの知り人かえ」「エエ、もう兄弟同様の仲で」「それはそれは、早く身元が知れて何よりだ。 ついては誰か引き取り人がありますか」「サア誰彼と言うより、本人を連れて来て引ぎ取らせま しょう。それが一番確かです。私が連れて来ますよ」と駆け出したから役人も驚いた。  八さんは宙を飛んで熊さんの家へ駆け込み、「オイしっかりしろ、お前は今、門跡様《もんぜきさま》のところ で行き倒れになっていたぜ。サア一緒に行って引き取って来な」と促す。熊さんもそりゃあ大変 だと同行するのだから・粗忽きこまで徹底すれば申し分窪いが・両人のやって来たのを見るー伽 と役人も呆れるばかり。「それ見ねえ、お前はここへ死んでるんだ」と、八さんに指差されて、/4《マみ》|、 熊さんは男泣きに泣きながら、死骸を抱き上げたが、さすがに気がつき、「この死人はおれに違い いないが・抱いているおれは一体誰だろう」というサゲ。  ナソセソスにも何にも、そんな事がこの世の中にあってたまるものかと、腹を立てられればそ、1 れぽκ衆渉いよ"、こまでばかばかしく突きつめてこそ、理屈も何も超越して心から笑う事も出来、 「永代橋」初め「堀の内」「我忘れ」(別名-粗忽の釘、または粗忽の引越)、「尻ねひり」(別名- 粗忽の使者)等は、いずれも粗忽を取り扱った落語である。  それから〔わ〕は、「割れても末に逢初《あいそめ》の縁」とあって、これは人情落語の「皿屋」である。  本町辺の商家の息子が、上野の花見で美しい娘と知り合いになり、娘から扇子《せんす》を貰ったが、そ の扇面には、「瀬を早み岩にせかるゝ滝川の割れても末に逢はんとぞ思ふ」と、百人一首の古歌 が記してあったのみで、どこの娘か住所も名も聞かなかった息子は、この娘恋しさからブラブラ 病。                 .  親達が心配して、本屋の金兵衛という出入りの野だいこ的な男に、息子の意中を尋ねさせる。 これこれと聞いて、それでは私が探して歩きましょうと受け合う。若旦那も喜んで、「首尾よく 娘の家が分って添う事が出来れば、お前に礼として、着物と羽織と紙入と五十両やろう」、と約 束する。  金兵衛は麹町とだけを手掛りに、毎日毎日湯屋や髪結床へ行っては世間話を聞いて、娘のいど ころを探すんだがなかなか分らない、ヘトヘトに疲れた上、毎日毎日二度も三度も顔を剃るので 肌はヒリヒリ痛む始末。弱りぬいて髪結床の羽目へ寄りかかり、ウトゥト眠っているところへ、 町内の鳶頭が入って来て、「実はお出入りのお店のお嬢さんが恋煩い、相手は上野のお花見で見 染めたどこかの若旦那らしいのだが、扇子を渡しただけで町ところも分らない。これから手分け をして探すんだ」と話すのを現《うつつ》に聞き、金兵衛飛び上がって鳶頭の胸倉をしめ、「サア捕まえた ぞ、もう逃がさねえ。そのお嬢さんこそおれが血眼になって探している若旦那の恋煩いの相手 だ。『瀬を早み岩にせかるる滝川の着物に羽織に紙入に五十両』、ウームもう目が見えねえ」と気 を失う騒ぎ。水を打ちかけてようやく息を吹きかえさせ、だんだん尋ねると正に双方捜し合って いる相手と分り、たちまち良縁成立してめでたしめでたしという終局。これが「三年目」という 怪談へ続くのだという説もあるが、何も折角おめでたくなったものを不幸に終わらせるには当ら ない。  同じ人情ものでもこの話は「おせつ」「成田小僧」「立切り」「はで彦」「雪とん」「ほん田や」 「宮戸川」等とともに恋愛物に組み入れるべきであろう。.  さて〔か〕の、「釜が損じて早じまひ」これは「三助遊び」という、五十三種中のものゆえ、 この説明も早じまいとして、次には落語中での知名な存在たる「野晒し」が控えている。  托善の名作 「歌留多」には、〔よ〕の「葭の中からコラサノサ」とたっているが、ところは浅草門跡前の向 こう裏に、隣合って住んでいたのが、尾形某という年寄りの浪人と大工のガラッ八とで、双方と も独身者、尾形は近所の子供に手習を教え、それを帰したあとは釣りが好きで毎日出かける。  行先は向島だが、今と違って江戸時代、枯芦の茂みから、烏が飛び出したあとを覗くと、水死 人らしい燭膜《どくろ》があった。「ヤレヤレどこの人か知らぬがかわいそうに、こんたところへ屍をさら し跡を弔うものもなく、定めし行くところへも行かれまい。気の毒千万」と持参した瓢の酒を注 ぎかけ「月浮かむ水も手向の隅田川、生者必滅会者定離《しようじやひつめつえしやじようり》」と、念仏となえて回向をし、図らずも いい功徳をしたと、いい心持ちになって帰宅したところ、その夜深更、妙齢の美人が尾形のもと を訪れ、「私は向島の枯芦の中から参りました。お察しの通り浅ましい最期を遂げ、宙に迷って おりましたを、本日貴方様のお手向によって、往生がかないました。まことに有難く、この御恩 は忘れませぬ。せめてお礼に今宵一夜、お肩なりと揉まして頂きます」と、幽霊たがら物やさし く、大いにサービスこれ勤めた。  これを壁越しに覗き見した隣の八公は羨しくてたまらず、夜の明けるのを待ち受けて、尾形老 人を叩き起し、「ふざけちゃあいけねえ、昨夜の女アどこから引っ張って来たんです」と詰問に 及んだ。 「ハハハ見られたとあらば仕方がない。隠しはしないが、あれはこの世のものではないのだよ」 「エヅ」。実はこれこれと尾形が打ち明けるので、「そりゃあ有難え、いい事を聞いた。ナー二あ のくら,いの女なら、幽霊だって構あねえ。私も釣って来るよ」と、無理に釣竿を借り受け、酒を 一升ぶらさげて向島へやって来ると、土手にはズラリと釣師が並んでいるので、「チェッ、どい つもこいつも、コッを釣ろうと思いやがって、助平が揃っていやがる」などと、見当違いの悪口 を言いながら、「鐘がボソと鳴りゃ上げ汐南《しおみなみ》、烏が飛び立ちゃコラサノサ骨があーるサイサイ」 などと、鼻唄を歌うやら、釣竿で川の水をかき廻すやら、流れて来たオマルを引きよせて放り出 すやら、乱暴狼籍に一同驚いて逃げてしまう。  そのあとで葭の茂みを探して歩くと、あるはあるは、累々と骸骨が並んでいる。どれへかけて いいか分らない。仕方がないから満遍なく酒をぶっかけ、「サアいいかえ、今夜来るにも家を間 違えたさんなよ。昨夜のとは違うよ、その尾形さんの隣だよ。腰障子に丸八と書いてあるよ。丸 八といっても銀座じゃあないよ」などと独り言。  これを土手下の家根船で封m間が聞き、ヨイショ、これはいい事を聞いたと、その晩祝儀ねだり に押しかける。八公面くらって「お前は何だ」「私はタイコで」「アヅそれでは先刻のは狸の骨だ ったか」というサゲ。  ただしこのサゲにも幾通りかあり、今もってこの落語を得意にする者も多いが、元来この話は ニ代目の林家正蔵が作ったものだとあり、正蔵の初代は文筆に長じて著作も多く、現在行われて いる「猫の忠信」「七段目」「魚尽し」「牛ほめ」「元久がつら」「掛取万歳」「人形買」「三百植木」 「薬缶なめ」「粗忽」「しの字ぎらい」等、皆初代正蔵の原作になったものだが、二代目の正蔵も また名作を残している。  その一っがこの「野晒し」で、シナの『笑府』にある小咄を、我が国の事に翻案したのは、二 代目の前身が、托善という禅僧で仏教の教理に明るいところから、この落語によって一般大衆へ、 通俗に回向供養の功徳を教えようとしたものらしい。とりわけて無縁仏の回向は、一層の功徳で ある事を知らせるために、この浪人の手習師匠が、向島の蜀腹へ僅かの酒を注ぎ、ほんの一言唱 名しただけで、その燭腹の主たる霊は、成仏が出来た嬉しさに、姿を現して礼にまで来た、とい うところを眼目としたのであろう。  されば最初は渋い陰気な話であったのを、後の落語家がこの真似《まね》をする八さんのおかし味の方 へ重点を置いたため、騒々しいほど賑やかな、派手なものにしてしまったので、殊にその大改修 を行ったのは、やはり鼻の円遊だそうだ。されば円遊はこの話を得意の売り物にして、尾形清 十郎(円遊はこの名で話した)が八さんに骨を見っけるまでの事を、怪談調子で話すところなど、 八さんが怖がってビクビクしながら、そこへ置いた尾形の紙入だの莫入《たぱこいれ》だのを懐へ入れちまうお かし味、「オイオイ何をするんだ」「ヘエ私は怖くなると、何か拾いたくなる性分で」「オィオィ 拾うのもいいが人の物はいかんよ。お前だろう、火鉢の上から鉄瓶《てつぴん》を拾ったり、柱からボソボソ 時計を拾ったりするのは」たどのクスグリが沢山入っていた。手向の句も、「野をこやす骨の形 見の薄かな」という分ったような分らないような文句だったが、これは前述の「月うかむ……」 の句の方が調っている。いずれにせよ、この俳句の季題に鑑みても秋の彼岸あたりらしく、それ だと隅田川の形容に、「四方の山々雪とけて、下を流るる大川の、岸辺を洗う浪の音」云々は、 時候違いだと詮策もあった。  それはさておき、この「野晒し」は何の部類へ入れるべき話であるか。とにかく幽霊が出て来 るのだから、怪談として扱うとすれば「もう半分」「いが栗」「おすわどん」「幽霊車」「三年目」 「竈幽霊」「権助の幽霊」「誉のたいこ」、準怪談ものとして「樟脳玉」や「不動坊」等の中へ列す る事になるであろう。  永代の椿事  二代目すなわち、前に述べた托善正蔵には、今一っ僧侶出身ならではと思われる名作がある。 すなわち「こんにゃく問答」で、道楽者上がりの何にも知らぬ俄住持が、旅の雲水から問答を申 し込まれ、大いに困って萄蕩屋《こんにやくや》の六兵衛を大和尚に仕立て、無言の行中という事にして追い払お うとすると、雲水坊主なかたかの強情者で、しからばこの方も無言で参ろうと手真似の問答を始 めた。最初は両手で小さた円をこしらえ、ヌッと突き出すと六兵衛和尚、「フソ、べら棒めえ、 そのくらいの事はおれにも出来らあ」と、両腕で大きな丸をこしらえる。ハーッと頭を下げた雲 水が、今度は両手の指をひろげて突き出す。六兵衛は片手を突き出して応酬すると、またもお辞 儀をした雲水、三度目に三本指を立てて示すと、六兵衛何と思ったか指一本目の下へあてがった ので、雲水ますます恐れ入ってソコソコに逃げ出しかけた。見ていた住持はあまり不思議だから、 「もしもし」と追っかけて、「一体今のはどうしたのです。どっちが勝ったのです」と質問した。  旅の雲水は流るる汗を拭いながら、「どういたしまして、なかなかもって我々ごときが、遠く 及ぶところではございません。最初愚僧より両手にて丸をこしらえ、日の本はと伺いましたると ころ、大和尚には、大海のごとしとのお答え。続いて十方世界はとお尋ね申し上げましたら、五 戒で保つとのお示し。なお、三尊の弥陀はと尋ねましたるに、猶予もなく目の下にありと御喝破 に相成りました。よくよく大悟徹底超俗解脱の大智識ならでは、あれまでの鮮やかなお悟しは承 われません。まことに御無礼を仕りました。真平御免を」と這《ほうほう》々の体で帰って行った。  道楽住持はあっけに取られ、本堂へ引き返して見ると六兵衛和尚、袈裟も法衣も放り出して、 「畜生め太え奴だ。あの乞食坊主、おれの商売を知ってやがって、汝《てめえ》のとこの萄蕩はこれっぽっ                からか ちだろうと小さな丸をこしらえて戯弄やあがったから、くそでもくらえ、こんなに大きいやと大 丸をこさえてやったら、十でいくらだと吐かしやがる。五百だと言ったら、シミッタレな坊主だ、 三百にまけろと言いやあがったから、赤んべえをしてやったんだ」とこれがサゲ。  つまり雲水の問答僧は力負けがして恐れ入ったんだが、この方は何も知らずに怒っているとい う。これほどの行き違いがピタリと理屈に合って出来上っているところ、托善禅僧上がりといえ ども生やさしい学識ではここまで考えられまい。恐らく専門の坊さんが聞いても、この話に非の 打ちどころはあるまじく感心するに違いない。まことに傑出した名作である。  ところで〔た〕は、「太兵衛に武兵衛はかなはない」とあり、文化四年八月のこと、深川八幡 宮の大祭が、十五、十六両日雨天のために延ぴて十七、八、九の三日間となった。  群衆雑沓非常な賑わい、すると下谷御徒町太兵衛方の同居人で武兵衛という男、この太兵衛も 武兵衛も揃いも揃った粗忽者だが、その武兵衛がぜひ行ってみたいと言い出し、太兵衛の止める のも聞かず、おめかしをして出かけたが、なるほどもう永代橋手前あたりから、往来も歩かれぬ ほどの混雑、人波に揉まれ揉まれて行くうち、向こうから来た男に、いきなり頭を胸へぶつけら れた武兵衛は、「オウ痛え痛え」と顔をしかめているうちに、その男は見えなくなる。あとで気 がつくと、-懐中した紙入も、その中へ挟んだ手帳もない。「アッ今のは淘児《すり》だったか」と慌てて 追っかけたがもう遅い。ヤレヤレと引き返す途中で知り人に逢い、そこへ寄って御馳走になって いると、俄にワッと表の人声、聞けばあまりの人出に、永代橋が落ち、多数の死傷者が出来た騒 ぎなのだ。  武兵衛もびっくりして、「先刻の紙入を拘られなければ、今時分はちょうど橋を渡っていたか も知れず、落ちれば水を知らぬ私のこと、たちまち土左衛門と改名していた事でしょう。了ア危 なかった危なかった」と無事を喜ぶ。知人の家でもともに喜んで、「お前さんは平生の心掛けが いいから、危ないところを助かったのだbめでたいめでたい」と、更に盃を重ね、武兵衛はとう とうこの家へ泊っちまった。  そうとは知らぬ同居主の太兵衛は、永代橋墜落の椿事《ちんじ》を耳にした上、武兵衛が翌朝まで帰らぬ ので、さてはやられたに違いたい。だから虫が知らせて止めるのに、飛んだ事になったと心配し ているところへ、武兵衛の屍体を引き取りに来いと差紙が来た。これは例の掬摸が、やはり水死 したのを、役人が検視すると懐中から、武兵衛の住所氏名を記した手帳が出たからである。太兵 衛はこの差紙を見て、そりゃこそと青くなり、平素の慌て者が一層狼狽して、下駄と草履を片ち んばに突っかけ、取るものも取りあえず現場へ駆けつける。  その途中一杯機嫌で帰って来た武兵衛に出逢い、そこが粗忽者だ。「オヤどうした」と不審も 起こさず、「オイオイ武兵衛さん冗談じゃあねえ。お前のお蔭でおれはこれから引き取りに行く ところだ。サアお前も一緒に行きねえ」「どこへ何しに行くんだ」「どこへもねえもんだ。お前の 屍骸を永代の河岸まで引き取りに来いと、この通りお差紙じゃあねえか。サアサア何も考える事 はねえよ。お前は本人だから一層確かだ」と夢中になって武兵衛を引っ張って行く。これから先 が、,前述した「粗忽長屋」と同工異曲になるのだが、サゲは前者の方がぐっとすぐれている。  この「永代橋」の方は間違いが判明し、武兵衛が太兵衛に逆《さか》ねじを食わせるので喧嘩になるの を、役人が仲裁し、「コレコレ何も間違いの事だから許してやれ。 兵衛はかなわんぞ」というのがサゲ。 いかに争っても、 太兵衛に武  「梅の春」由来  多勢に無勢を洒落た地口で、あまり感心は出来ないが、これと同じサゲを使ったものに、近頃 ちょっと演《や》り手のない「梅の春」というのがある。「梅の春」といえば清元の名題だが、それは その清元の出来た由来記みたいなもので、すなわち長州侯の御隠居が、御領分馬関の風景を、 「四方にめぐる扇巴や文車のから、若布刈るてふ春景色」までに作ったあとを承けて、蜀山人が、 「浮いてかもめの一イニウ三イ四、いつかあづまへ筑波根《つくぱね》の云々」と江戸の景色に作歌した。つ まり両名の合作である。  この浄瑠璃が出来上がると、その頃名人と呼ばれた清元太兵衛が節をつけ、爾来今日に伝わっ た次第だが、その新曲を毛利侯のお屋敷で披露という事になり、お客来もあって盛んな催し、す ると当日の余興として、席画の揮毫《きごう》に招かれたのが、これも名声を伝えられる喜多武清であった。 武清は二、三名の門人とともに、控室で時刻を待っていると、襖を細目にあけては侍女達が覗き、 クスリクスリと笑いをこらえて立ち去る様子、何だろうと不審に思ったが、これは腰元達が前々 から今日の浄瑠璃を楽しみに待っていたので、太兵衛はまだかまだかと覗きに来る。すると意気 な清元の太夫連は見えたいで、武清先生が渋面作って控えているから、思わずおかしさに吹き出 すのだと分った。ばかにしていると先生ふくれちまったが、その中に太兵衛の連中も揃い、いよ いよお座敷では「梅の春」の新曲が始まり、名人太兵衛が得意の咽喉を聞かせ始めた。まことに 碗転として玉をまろばし、梁上の塵をふるわせるごときその美音に、聴衆いずれも胱惚として酔 えるがごとぐ、一曲終わるや拍手大喝采、「日本一」「お天道様ア」などと我を忘れて褒めるのも あった。  遥かにこれを聞いた武清が、慨然として長太息、「アアおれは筆を執るのがいやになった」と 眩いたので、弟子たちが「先生なぜでございます」「なぜといつて愚痴も出ようではないか。私 も喜多武清といっては、人にも知られ画道では人後に落ちぬ自信もある。しかもおれに対しては、 誰も何とも声などかけはしない。いかに清元太兵衛名人たりと言えども、あの褒め声は何事だ。 日本一はまだいいとして、お天道様とは甚しい」。ブツブツ言うのを門人が、「先生先生、口惜し がっても駄目ですよ。先方は清元太兵衛、あなたは喜多武清、よく考えて御覧なさいまし。それ 太兵衛に武清はかないません」。このサゲは無理こじつけだが、話はいかにも高尚で粋で、好も しい落語である。  この「梅の春」などは、前場の「抜け雀」「水仙」や「甚五郎の大黒」「蜀山人」「能祇法師」 「西行」「古喜」「利久の茶」「加賀の千代」「関津留」等とともに、名人話とでもいう種類の中へ 入れるべきか。なおそれへ「仲蔵」や「淀五郎」も加えるのが至当かとも考える。どうも落語の 分類には、ちょっとややこしいところがある。  さて〔れ〕は、「霊法院万金丹居士《れいほういんまんきんたんこじ》」とあり、突如と.して戒名のごときものが現れたが、これ は題を「万金丹」と言って・江戸を食い7めた道楽者が、二人で旅へ出たが路銀もなくなり、あ る山寺へ駆け込んで、一宿一飯の助けを求める。  和尚がつくづく二人の将来を諭《さと》して出家になれと勧める。そこで一人は岩坊、一人は辰坊と名 乗って坊主になり、所化奉公をするのだが、性来怠け者の上、無教育と来ているから失敗ばかり。 するとある時、和尚が法用で一か月ほど留守になったので、両人は鬼のいぬ間に洗濯だとばかり、 池の鯉を捕えて鯉こくに料理するやら、酒を飲んで騒いでいるところへ、村内の万屋という家か ら迎いが来て、「主人金兵衛思わぬ怪我で急死しました故、戒名をもって通夜に来て頂きたい」 と言う。二人とも困ったが度胸をすえ、戒名をつけたくとも文字を知らない。そこであり合わせ た売薬の包紙を切り抜き、これを携えて通夜に行く。辰坊も岩坊も、まだろくにお経を知らない のだから、口から出任せに、端唄、都々逸、大津絵、三下りなんぞの文句をお経らしい節で胡麻 化して読む。  たいへんな坊主もあったものだが、先方はゴタゴタしているので気がつかない。「どうかお戒 名を頂きたい」と促がされ、「アアそうそう」と最前の包紙を取り出して与える。受け取った家 人は不審顔、「バハア霊法万金丹、これが戒名でございますか」「そうだよ、霊という字は幽霊の 霊だ」「アレ、幽霊なんぞに出られちゃあ困ります」「だから下の法で止めてある」「してこの万 金というのは」「万屋金兵衛だから万金でいいじゃないか」「ではこの丹は」「タソがのどへから んだから息を引き取ったんだから」「イエ、屋根から落ちて亡くなりましたので」「それでも同じ だよ。屋根から落っこちたんだろう。そのタソだよ。落っこちたん、それ万金タソとな」「けれ どもこの傍に、白湯にて用ゆべしと書いてありますのは」と追究され、グッとつまったが「ウー ムその何だよ、この仏さまは、お茶湯には及ばないのだ」と言うサゲ。返答も苦しいが、このサ ゲもちと苦しいように思われる。この話は釈教の部へ組み入るべきこと前に述べた通りである。  「時そぱ」「佃祭」  次には〔そ〕の、「蕎麦屋《そばや》さん何どきだえ」というのがある。  芝居でも世話狂言の幕あきなどに、仕出しの夜蕎麦売が出ると相手の客が、「時にもう何どき だろうね」と、時刻を尋ねるのがお決まりのようになっている。芝居の方はこれで夜ふけを暗示 し気分を出すわけだろうが、誰しも往来で物を食べたりすると、時を聞くような心持ちにたると 見える。  近頃は鍋焼きうどんもすたれ、「ピーピーヒューヒャラ」と、笛の音も悲しい支那蕎麦も珍し くなったが、その昔は、夜たか蕎麦が幅を利かせたもので、「蕎麦ウワウワゥー」と流して来るの を、物蔭から声をかけて呼び止め、「看板が気に入ったな。矢と的が画いてあって、当り屋は縁起 がいい、熱くして一つ頼むよ。お待ちどおさまと言って待たせないところが感心だね。箸も新し い割箸、心持ちがいいな。第一に入れ物が綺麗だ。食い物は器にあるからね。ウムうめえなあ汁 の具合。オッちくわは本物だね。剛気《ごうぎ》だなあ。蕎麦は細打。アア、うぎかった。また明日も待っ てるよ。いくらだえ。十六丈、安いなあ。それ小銭だからメノコに上げるよ。一イニウ三イ四ウ 五ツ六ウ……時に何どきだろうね」「八ツでございましょう」「アアそうかい、九ツ、十ウ……」。 巧みに相手を煙に巻いて、二文胡麻化してしまう。  これを与太郎が聞いていて、「うめえたあ。おれもやってみよケ」とよせばいいのに小銭を用 意し、待っていると他の蕎麦屋が来る。真似をしていろいろ褒めるのだが、当り屋と違ってすべ てがまずいので愚痴るおかし味。結局、「それいいか、一イニゥ三イ四ウ五ツ六ウ七ッ、今何ど きだえ」「四ツでしょう」「ウ!ム五ツ六ッ……」とうとう三文損をする。  これが「時蕎麦」という落語で、今もって思い出されるのは、故人馬生(後の志ん生)の巧か ったこと。前のがトソトソと褒める呼吸、与太郎が間の抜けた真似方、実にたまらぬいい味があ った。この「時蕎麦」のような、付焼刃《つけやきぱ》の仕損じを扱った小噺に「甘酒屋」があり、夏の炎天に、 「甘い甘酒え」とやって来るのを、「オイ甘酒屋さん。ヘエ、あついか」「ヘエ、おあつうござい ます」「アァあつけりゃあ日蔭を歩きな」「何でえばかにしやがって」と、甘酒屋は怒って行っち まう。これを真似てみょうと思い、「オイ甘酒屋さん。ヘエ、あついか」「ヘエ、ちょうど飲み 加減で……」「ウーム、それでは一杯くれ」。飲みたくもない甘酒を買わされるという話だが、こ の部分に入るべき落語としては、「山火事」のまくらを初め「半分垢」「十徳」「手向のかもじ」 「小粒」「青菜」「町内若い者」などがあり、ただしこの「町内若い者」はあまりひどすぎるので 五十三種のお仲間入りをしたが。  さてお次は〔つ〕の、「佃《つくだ》まつり渡しの沈没」とある。  住吉神杜の大祭で佃島は大変な賑わい。八丁堀の次郎兵衛という人が、この祭礼を見物に来て 帰ろうとしたが、出る渡し船も出る渡し船も満員鈴なりでなかなか乗れない。辛うじて最終の渡 し船へ乗ろうとしたところへ、かけて来た女房が袖を引き止めた。「ハテお前さんはどなたでし たね」「ハイお見忘れでもございましょうが、私は三年以前、三両の金を落し、主人へ申し訳な さに大橋から身を投げようとしたところを、あなたに助けて頂いた者で、ただ今はこの島の船頭 へかたづいております。良人にもその節のお礼を申させとうございますから、どうぞお立ち寄り 下さいまし」と、しきりに引き止めるうちに船は出てしまう。次郎兵衛も思い出して、「オゥォゥ、 そう言えば三年前に、そんな事もあったあった。あの時の女中さんだったか、それはどうも不思 議なところで逢いましたねえ」と、これから勧められるままに、この女房の家へ行くと、酒肴を 出して下へも置かぬもてなし。次郎兵衛もいい心持ちになっていると、「大変だ、大変だ」と、 ただならぬ騒ぎ声。何事かとびっくりすれば、これぞ今、次郎兵衛の乗ろうとした渡し船が、あ まり人を乗せすぎたため、顛覆《てんぶく》したのである。  次郎兵衛はそれを聞いて酔いもさめるばかり。「お前さんに引き止められなければ、今時分は もうこの世の者ではなかったろう。思えば三年前の恩返しに、助けられたようなものだ」と、無 事を喜び、その夜は夫婦に引き止められてこの家へ一泊。するとこの次郎兵衛の細君なる人が世 にも猛烈なやきもちやきで、夫の帰りの遅いのをギャアギャア言ってるところへ、渡船顛覆の悲 報が来る。しかも噂は針小棒大に拡がって、「聞いたかえ。十万八千人の死人で、海まで一杯に 埋まったぜ」などと伝わり、次郎兵衛夫人は半狂乱。さては家の人も死んだに違いないと、長屋 中の騒ぎになり、集まって通夜をしているところへ、翌朝早く船頭に送られ、次郎兵衛が帰って 来たので、悲しみ変じて喜びとなったが、実はこれこれと次郎兵衛の語るのを聞いて、一同陰徳 陽報に感心する。  ところがこの長屋に与太郎という男があって、三両で人の命を助けると自分も助かる。安いも のだと三両の金を工面し、身投げを探して歩くがたかなかたい。ちょうど月明の晩に永代橋の上 で、泣いている婦人を認め、しめたと抱き止めて、「これ短気なマネをしなさるな。三両なくて 死ぬのだろう」「何を言ってるんだえ。私は虫歯が痛いから、戸隠様を拝んでいるんだあね」「だ って両方の挟に石が入っているぜ」「ナー二これは納め梨だ」というサゲ。このおまじないも知 らぬ人の多い現代には、このサゲも利きの悪いものとなった。これが「佃祭」である。  寝床義太夫  好きな道には、とかく夢中になりたがるもので、「まだ青き、しろと義太夫くろがって、赤い 顔して黄な声を出す」と言う悪口の狂歌通り、五色の奇声を発して諸人を悩ます地主の旦那の義 太夫道楽。今夜もその催しをするからおいで下さいと、店の者が長屋中を廻ると一同皆懲りてい るから怖毛をふるい、提灯屋は急に開業式のホウズキ提灯を注丈されたから夜業が忙しいと逃げ、 豆腐屋もお得意先から法事の雁もどきを沢山誹えられたとて断る。鳶頭は明日講中のもめ事で成 田へ行かなくてはならぬから早寝だと辞退し、そのほかヤレ無尽があるの、女房が産気づいたの と、誰も彼も聞きに来ない。番頭手代初め店の者も同様に御免蒙るので、旦那はカソカソに怒っ ちまい、借地人一同には地立てを命じ、店の者へは残らず暇を出すぞと怒鳴る。  サア大変と、心利きたる一人がもう一度長屋を廻り、かくと告げたので、立退きを食わされて は困るから、豆腐屋も提灯屋も鳶頭も、その他借地人一同みんなゾロゾロと聞きに来て、いろい ろ追従のお弁茶羅《べんちやら》を並べる。旦那はたちまち御機嫌が直り、それでは早速始めますよと支度にか かる。  見台肩衣などの立派なこと申すまでもなく、三味線弾きはもちろん本職だし、綺麗なお座敷に 結構な座布団、上戸には酒肴、下戸には羊かんだ汁粉だと甘味を出し、充分に饗応するのだから、 これで難物の義太夫さえなければ、何の申し分もないのだが、いかんせんこの旦那の浄瑠璃なる ものが、意地にも我慢にも聴かれたものではなく、皆な御馳走で満腹と同時に、睡くなって一人 倒れ二人突伏し、グウグウ高いびきで一同寝てしまう。  旦那は夢中になって語っていたが、気がつくとこの有様なので腹を立てまいことか。.その中に 小僧だけは眠りもせずにックシク泣いている。「ウーム感心感心、浄瑠璃の分るのはお前だけだ。 一体何がそんなに悲しかった。佐倉の子別れか、先代萩の飯たき場か」「イイエあそこです、あ そこです」「何、あそこは今私が義太夫を語った床だ」「ヘエ、あそこが私の寝床なのですが、高 座にされたので寝る事が出来ません」。小僧はそれがために泣いていたのだった。  これが〔ね〕の「寝床取られて小僧が泣出し」。すなわち「寝床」という有名な落語で、素人 義太夫ばかりか、すべて素人芸の拙いのを、寝床と悪くいう熟語さえ出来ているくらいだが、物 に熱中するこの種の話としては「豊竹屋」「唯長屋」「うかれ三番」「法華長屋」「茶の湯」「笠碁」 「さい投げ」「こり角力」「煙草好き」等が挙げられよう。  次は〔な〕の、「なったアなったアじゃになった」で、この落語は「松竹梅」と題し、お出入 りのお店にお聾さんが来るについて、その婚礼の席へ招かれた松蔵に竹次郎に梅吉という三人の 職人、手紙を読んで貰った隠居さんから、当夜は何か面白い余興をして、先生を祝って上げたら よかろうと言われたが、生憎《あいにく》三人とも不器用で何も芸が出来ない。それではちょうど、松さん竹 さん梅さんと三人縁起のいい名が揃ったのを幸い、松さんが、「なったアなったアじゃになった ア。当家の婿さんじゃになったア」と言ったら竹さんが、「何のじゃになアられたア」と受ける。 梅さんが、「長者になブられたア」と結び、三人揃って「ヘエおめでとうございます」とやって みなと教えられる。  三人は喜んでその外にもj「帰る、戻るなんぞは忌み言葉だから、開くと言わなければいけた い」などと、いろいろ注意を聞いて出かけるのだが、三人とも馴れないのでヘドモドまごつく。 しかし店の旦那は喜んで、「偶然にも松竹梅が揃って、何か祝ってくれるとは有難い。早速頼む」 と言われたので、三人はなお堅くなって上がっちまい、松蔵がまず勇気を振って、「なったアな ったアじゃになったア。当家の婿さんじゃになったア」と震え声を出せば、竹次郎が「ナ、ナ、 ナ、何のじゃになアられたア」と辛うじて受け、そこまではよかったが、平生吃りの梅吉は赤く たり青くなり、「モ、モ、モ、亡者になアられたア」とやっちまった。当家の婿さんが亡者にな っては困る。親類たちはいやな顔をした。しまったと思ったから松さんと竹さんは慌てて逃げ出 したが、梅さんは逃げそこなって、床の間の隅に小さくなっている。二人は隠居のところへ行っ てかくと告げると「イヤ心配しなさんな。梅さんだけに、開いて来るだろうしというのがサゲ。  こめ話の巧かったのは、先代オットセーの左楽で、軽妙不思議の味があったが、とうの昔に 「亡者になアられた」は惜しかった。何しろ名題が「松竹梅」でも結末がこれだから、おめでたい 席には不向きである。  めでたいと言えば、婚礼の席の余興にやる落語は、よほど気をつけないと忌み言葉が飛び出し て困る。ある大家が、充分注意して本題を選みながら、開口一番たちまちしくじったという逸話 がある。ロぐせは仕方のないもので、日く「何かおめでたいお話を申し上げまして、早速おひま を頂きお別れと仕ります」。これじゃあ何にもならないと大笑いだった。  しかしていわゆるおめでたの、婚礼や出産を主題とした落語には、右の「松竹梅」の外に「高 砂や」「たらちめ」「脛かじり」「ろくろ首」「子返り」「安産」などがある。このうち、「たらちめ」 はよく繰り返される話だが、本当は垂乳根《たらちね》なのを、託って「たらちめ」で通っているものの、考 えて見れば、このくらい理屈に合わない話はない。  京の生れで物堅い家庭に育ち、ふだんの挨拶も漢語交り、言葉が丁寧過ぎて困ると言うのはと もかくとして、そ0言葉が学者のところへ持って行っても、通用しない変体熟語なのには驚く。 何しろ、「今朝は土風はげしくて小砂眼入す」。これが風の吹く日の挨拶だとある。こんな言葉が ある訳のものでなく、嫁入して来て名を聞かれ、「みずから事の姓名は云々」、長い文句を繰り返 すところ、この女おかしいかとも思われる。もっともそれがクスグリと言えばそれまでだが、こ の時の挨拶に、また分らない事を言うのである。日く、「セソギクセソダソニイッテマナバザレ バキソタラソトホヅス」。片仮名で書いても電報じゃあない。どんな字をあてはめていいか分ら ないからだ。  今村次郎氏は初めてこの落語を速記したとき、この意味が分らないから、演者の禽語楼小さん に聞いたそうだ。ところがその禽語楼も、先人から聞き覚えたままを受け継いでやっていたので あろうから、何の事か分らずにしゃべっていたらしい。けれどもそこは落語家のこと、分らなく とも胡麻化そうという考えと弁才はあるから、「そのつまり何ですよ。このセソギクというのは ,地名ですね。日本で言えば、三田とか早稲田とか言うのと同じでしょう。セソダソは学校です。 そのセソダソヘ入って、学ばなければいけないと言うのでしょう」「キソタラソとホッスと言う のは、キソですか、キソはその、芸人の符牒でも、キソチャ、キソ十郎などと申して、キソは阿 呆の事にもなりますから、つまり学問をしなければばか忙なると言うので」「ホッスは何です」 「ウーム大方、その学校は寺子屋で、お寺の事ゆえ本堂の壁か何かに、払子がブラ下がってあっ たんで」と、前に述べた「とはは千早の本名」という落語をそのままの滑稽な弁解をしたのには 今村氏も腹を抱えたと言う事。三代目小さんなどは、どうにも不合理だからとて、この「たらち ね」を演らなかったくらいである。しかし理屈を抜きにすれば、クスグリ沢山で加かしい話には 相違ない。  街頭の風流  さて〔ら〕は、「羅宇屋《らうや》煙管は狂歌の犬人」、すなわち「紫檀楼古喜」の落語である。  そもそも落語中興の祖は有名な立川焉馬で、この人の出た天明度が、最も江戸女化の絶頂だっ たらしく、風流好事の士が輩出した中に、この紫檀楼古喜という狂歌の名手があり、この人以前 は立派な羅宇竹問屋の主人公であったのが、数奇《すき》が嵩じて家産を失い、老年に及んで気の毒にも、 道具を昇いで羅宇のすげ替えをして歩く身の上となった。  それでも風流の志を忘れぬことは言うまでもなく、ある北風の寒い冬の夕方、帰りを急ぐ途中 で呼び止められ、煙管のすげ替えをしていると、それを頼んだ家の細君が綺麗好きと見えて肩を ひそめ、「マア、汚らしいお爺さん」と眩いたのを、小耳にはさんだ古喜はニッコリ笑い、掃除 用の細く切った紙へ狂歌を書いてその細君へ示した。日く「牛若の御子孫なるか御新造の我をむ さしと各め給うは」。これを見るとこの細君も、その道に心得のある婦人と見え、「オヤ、面白い ねえ」と返歌を書いた。「弁慶と見たはひが目かすげ替えの鋸もありさい槌もあり」、すなわち七 つ道具の見立てである。老人喜んで、「ウーム、なかなかおやりなさるな」とまたも書いた返歌 は、「弁慶にあらねど腕の万力はきせるの首をぬくばかりなり 紫檀楼古喜」と署名を添えた。 細君はハッと驚き、さてはこのお爺さんが、古喜大人の成れの果てか、かねて落魂のお噂は聞い ていたが、「アレまあおかわいそうに、知らぬ事とてとんだ御無礼をした」と門ロヘ出て来て粗 忽を詫び、「お寒かろう」とて、主人の羽織を古喜に贈り、うしろから着せかけようとした。古 喜老人はその好意を喜んだが堅く辞退し、「いえいえ、それを頂きませんでも、こうして道具さ え昇ぎますれば、"はおりやきてえる〃(ラオヤ、キーセル)」というサゲ、実話か作り咄か知ら ず、サゲも地ロ落ちではあるが、まことに風流な心持ちのいい話。  デロレン祭文  次に〔む〕は、,「麦のごぜんはよけれども」で、これは「とろろん」という旅行の話である。  そもそも十返舎一九の『膝栗毛』が、いかに当時の世人を熱狂させたかは、今日においても充 分に想像が出来るほど、全く交通の不便な昔において、旅行という事は生活の上に、どれほど重 大な問題であったことか。これを扱った滑稽文学が、もてはやされたのも当然の結果で、落語に おいても旅行の滑稽を題材としたものが、ちょっと数えても「関所」「おしくら」「七度狐」「朝 這い」「富士詣」「およく」「うんつく」「三十石」「三人旅」「百人坊主」及びこの「とろろん」等、 なかなかある。  全く今日から考えるとばかばかしいくらいで、特急なら半日、飛行機なら二、三時間で京、大 阪へ行ける便利至極な現代に引きかえ、昔は大山へ参るのでさえ、品川辺まで送り迎えをなし、 「それじゃあ道中気をつけてな」「アイよ、留守を何分たのみます」「御機嫌よろしゅう、さよう なら」と、泣きの涙で別れたというのだから、思えば変れば変るものだが。  江戸を離れて行く先々、見るもの聞くもの皆珍しく、至るところで失敗の数々は、敢えて弥次 さん喜多八君ならずとも、誰しもやったものらしく、東海道名代の鞠子の宿に泊った合宿《あいやど》の客、 旅籠が立てこんでいると見えて、なかなか晩飯を持って来ない。ワアワア催促してようやく膳だ け持って来たが、麦飯のたきたておいしそうなれどお菜がない。これでは食えないと催促のため、 |各自《めいめい》代る代る、流行唄の節でやるのもあれば、長唄、清元、詩吟、いろいろたもので歌うがうま く行かぬ。  するとその中にデロレソ祭文がいた。これは今日全く珍しくなった由緒の古い民衆芸術で、地 方へでも行ったらどうか知らぬが、中央ではほとんど見られないから、知らぬお方も多かろうと 思う。祭丈という名称から考えても、その起源が宗教的なものだったに違いなく、節で歌う部分 と物語との交互に連合されたもので会話も入り、つまりこれが進展して今日の浪曲となったもの だろう。違うのは浪曲の方に三味線が入るだけの事で、祭丈には三味線の伴奏がない代りに、口 へ法螺貝《ほらがい》をあて片手に小さき錫杖を持ち、貝をロヘあてて別にこれを吹くのではないが、調子を とっ、て錫杖を打ち振りながら、「デエロレーソデエロレーソ、デロレソデロレソ、デエロレーソ デエロデエロレーソエン」と、一種独特のリズムで坤るがごとく泣くがごとく声を出すのが、祭 文の節を助ける音楽になっているのである。デロレソとは何を意味するどこの言葉か知らないが、 演者は一人の事もあり、たいてい二人並んでやる。この場合一方は補助であってこれを貝すけと 称し、主演者が節を唄ったり地の女句や会話を弁じている間は黙っているが、間のデロレソにな ると一緒になって声を揃える。それがまた錫杖の振り方も声の出し方もピッタリ一致して、抑揚 緩急呂律にかない、まことにいい心持ちに聞ける。筆者は幼時地方に住まい、これが唯一の娯楽 だったから相当に数多く聞いた。そして小児心にも巧いものだ、面白いものだと感じたが、中央 へ出て来てから一向お目にかからない。近年ラジオなどで時々紹介されるが、とても筆者が昔聞 いたような巧い人は出たい。あんな味のわるいものでない事は、この愛すべき芸術のために大い に弁明しておきたいところである。  思わず祭丈の説明が長くなったが、この祭文語りが「それでは今度私がやって見ましょう」と て濁声はり上げ{「麦の御飯はよけれどもウ、おかずがのうてはア、食べられぬウ」と岬った。 これはあたかも虎造の、「ばかは死ななきゃ、直らなーい」の節で行くべき急所である。トタソ に宿屋の主人がサラリと障子をあけて「とろろん、とーろろん」と薯汁の摺鉢を出したというだ けの話。故人先々代今輔の得意であった。 -さてまた次に移ると〔う〕は、「うまや火事亭主の気だめし」である。  女の職業もいろいろある中に、髪結さんという仕事は、一つうまく行くとなかなか収入のある ものだけに、マゴマゴすると御亭主よりも、女房の方が稼ぎは上という事にもなる。甚しいのは 女房の稼ぎをアテにして遊んでいる亭主なんぞも、呑気な昔にはあったらしい。そうなると自然 とかみさんの鼻っ張しが強く、男も面白くないから反抗して夫婦喧嘩の絶え間がない。そのたび に媒酌人《なこうど》のところへ苦情を訴えるのだが、そのくせこの女房、心中では亭主がかわいくて別れた くはたいのである。  媒酌人はまたかと思いながらもいろいろ諭し、こういう話もあると『論語』の一節を引いて 「廠焼ヶタリ。子朝ヨリ退イテ日ク。人傷レズヤト、馬ヲ問ハズ」という条の講釈をして聞かせ、 孔子様は大人物、留守に廠が焼けたと聞いて誰も怪我はしなかったかと尋ねたが、平素大切に大 切にしていた愛馬の安否については一言も聞かなかった。それで家来たちも、ますます孔子様の 徳に服したという。それに引きかえ、麹町辺にさる殿様があって、大層大切に秘蔵のお皿、それ を奥様が運ぶ時に二階からすべった。,殿様は日の色を変え、「皿は殿れやしないか、皿は殿れや しないか」と聞いたが、「お前怪我はなかったか」とは一言も尋ねなかった。「こんな情の薄い旦 那様では、将来が案じられる」と言って奥様は、そのまま離縁をとって実家へ帰ったという例が ある。「お前も何か御亭主の大切なものを抱えてわざところび、品物を聞くか、身体を尋ねるか 試してごらん」と教えられ、女房大喜びで早速このテストにかかり、ガラガラガチャソと井の段 れた音、「それ言わねえ事じゃあねえ、怪我はしなかったか」と亭主の言葉に、「アラ、ちょいと 本物本物」と女房目を細くして大満足。「ナー二、お前が手に怪我をすれば、おれが遊んでいら れない」というサゲ。これが「康火事」で今の文楽が得意中の得意である。  まことにこの「康火事」などは、亭主も女房もそれぞれの個性がよく現れ、人情の機微にふれ た名作である。しかもその主眼とするところは、媒酌人が女房に対しての説諭にあるのだろう。 たしかにこの部分は、通俗で哩耳に入りやすい教訓であることに異論はない。  それと趣を同じゅうする落語には「天災」「二十四孝」「茶釜の喧嘩」「猫久」、「酒落小町」「障 子養子」等があり、いずれもサゲは、折角教訓されても何にもならないと思うような打ちこわし に終っているけれども、それは滑稽を狙う落語の立て前として是非もないところであろうが、そ こへ行くまでの間における教訓の部分を聞いた聴衆が、歓娯供笑の裡にも知らず知らずピソと心 に感ずるところがあるとすれば、落語も大した役目を果すことになるのであるから、この種の話 はよりよきものに練り上げて保存もし尊重もしたいものと思う。  ここにまた美談があるというのは次の〔ゐ〕の、「井戸の茶碗屑屋の掘出し」である。  正直者と評判の屑屋が、千代田卜斎という裏住いの浪人者から、古い仏像を買って帰り道、細 川家の臣で高木佐太夫という武士が、こq仏像を見て買いたいと言う。屑屋は正直に元値を告げ、 佐太夫はこれを買い求めて煤《すす》を洗い落していると、台座が剥がれて仏体の中から小判五十両出る。 佐太夫は驚いてかの屑屋の来るを待ち受け、この金を仏像の払い主へ返して来いと言う。屑屋が その使いに行くと、卜斎も正直者だから受け取らない。「思うにその金は先祖が子孫万一の場合 を慮り、用心のため入れ置かれしものであろう。今更ながら祖先の恩愛まことに有難いが、そう とも知らず、いかに今日の生計に困ればとて、伝来の仏像を手離して売り払うような、罰当りの 拙者には、到底その金子を受くる資格はない。それは当然、仏像をお求めになった高木氏へ授か ったのである。いったん売り払った以上は何が出ようと買い主のものだ」と頑張る。  佐太夫も潔白な武士だから、「イヤ、それは違う。仏像こそ御縁あって拙者が買い求めたが、 腹ごもりの金子まで買った訳ではござらん。これはそちらへお返し申す」「イヤ受け取りません」 「何の、刀にかけてもお返しする」「こりゃ面白い。浪人こそすれ拙者も武士。刀にかけても受け 取りませんぞ」と、大変な事になって、双方無欲の正直者同志が、.互いに劣らず押し問答をする ので、間へ入った屑屋もハラハラしたが、結局家主が仲裁して、五十両をト斎に納めさせその代 りに何か一品、お礼として贈ったらいいでしょうと捌いた。そこでト斎が、つい興奮しての無礼 を謝し、あらためて高木の好意を受けて、心ばかりだからと持ち古した茶碗を佐太夫へ贈った。  細川侯この噂を聞き、世にも珍しきその正直者の持っていたという茶碗が見たいとあって、取 りよせて見ると鑑定の結果、これが井戸の茶碗という古今の名器と判明し、殿様は二百両で佐太 夫から買い上げた。またこの二百両を、使いになった屑屋がト斎方へ返しに行く事になったが、 この前、刀を抜いて脅かされた覚えがあるので、屑屋はビクビクしながら入って行く。  このト斎に妙齢の娘があって聡明な美人だ。「お嬢さま恐れ入りますが、お願いですから入り 口の戸を、開けといて下さいまし。イザとなれば逃げるんですから」と、及び腰で恐る恐る、実 はこれこれと二百両出すと、卜斎も今度は頑固なことは言わない。「屑屋殿も喜んでくれ。よい 事は重なるもので、このたび旧主家へ帰参がかなった。承われば佐太夫殿まだ御独身の由、何と |不束《ふつつか》な娘ながら、その方橋渡しになって、ああいう潔白なお方に貰うて頂くよう、働いてはくれ ないか」と頼んだ。屑屋も喜んで、「それはそれは結構なお話でございますが、しかしお嬢さん をあまり美しくおみがきになりますとまた騒動になりましょう」というサゲ。  これが「茶碗屋敷」という落語の梗概であるが、本文はクスグリ沢山で面白く、殊にめでたし めでたしの結末と、出て来る人間皆正直なのがいい心持ち。話はすべてこう行きたいもので、落 語だからサゲをつけてあるが、これは講談の方でも上種の一席物になっており、細川侯がこの井 戸の茶碗を公方家へ献上し、そのお礼として広大な邸宅を賜わり、これを世に細川の茶碗屋敷止 呼んだという事になっている。  落語の方の題名もそこから来ている訳だが、同じ人情噺でも、こういう武家中心のものを集め るとなると「三味線栗毛」「長刀傷」「巌流島」「角兵衛」「雁風呂」などを挙げることになるであ ろう。中にも「三味線栗毛」は、部屋住みの角太郎が酒井雅楽頭、按摩の小僧が錦木検校に出世 するこれもめでたい話で、「どういう訳で御乗馬に、三味線栗毛とお命じになりましたか」「余は 酒井|雅楽《うた》じゃ、うたがのるから三味線でょかろう」「して御家来がのりましたら」「ウム、ばちが 当る」のサゲも気がきいている名作である。  夜舟と山参り  同じ落語でも上方では、演り方が違うと言うのは、まず原則として阪地の高座には、講談と同 様、釈台を前に控えること、そして前座などはこれを騒々しく叩き立て叩き立て、鳴物入りで賑 やかに喋るのが、寄席の表へも聞こえて景気がつき、何だか面白そうだからと、つり込まれて入 る事にもなるというので、これを呼び込みと称えているが、その呼び込み用の前座咄としても、 また真打格の者が大物として演ずる出し物としても、両様に通ずる演題がある。  すなわち〔の〕の、「乗合船お国自慢」における「三十石」のごときがそれで、三十石とはす なわち京の伏見と、大阪の淀川との間を通う夜舟のことを指すが、ちょうど宿屋で食事の膳の出 た途端に、「舟が出るよう舟が出るよう」と河岸で怒鳴る。  旅馴れぬ旅客は気がせくから、飯もろくろく食べずに舟へ乗り込む。そのため宿屋では大いに 儲かるが、舟はなかなか出船の景色も見えない。乗せられるだけ人と荷物を乗せ、それからいよ いよ船を出すのだが、船頭はロが荒い。沿道の知り合いと大声で馬鹿話をしながら舵をとる。悠 悠たる夜船の船中みんな退屈だから雑談を始め、謎かけなどをやるものもある。上方者もいれば 江戸っ子も交わり、いろいろ冗弁や方言を聞かせるところだ。 「いろはのいの字とかけて、茶釜と解きます」「心は」「ろの上にある」「そんならろの字とかけ て、唇と解く」「心は」「はの上にある……」といったような具合、「ねずみ一匹とかけて、短い 下帯」「心は」「イッ中」なんぞは苦しいが、「二匹で日中」だとか、「三匹で山中」だとか、それ が四匹、五匹、十匹、百匹あたりまで上って行くところ、前座のロ慣らしには適当な話なのであ ろう。この船中乗合の雑談は、講談の方にも応用され、近頃では浪曲「清水次郎長」の森の石松 代参中の面白い聞かせどころとLて、虎造に名をなさしめているほどだが、落語の方では、ここ へ物売り船が来たり、いろいろ滑稽があって、その物売りを買いそこなった一人が、空腹でたま らないところから、見るとはるかの河岸に大道の屋台店がある。そこまでその男が首をのばして 物を食べる。すなわちろくろ首なので船中大騒ぎ、しかし.「首が長いと咽喉を通る間だけ美味《うま》い 思いをするから徳だ」と一人が言えば、ろくろ首が、「その代り熊の胆をなめた時は、人より長 い間苦い思いをします」というサゲ。  この「三十石」に上方情調が充分盛られているとすると、次の〔お〕の「おけがなくておめで たう」、すなわち「百人坊主」には、ふんだんに江戸っ子色を表現させてある。  出処は狂言の「六人僧」あたりらしいが、落語としても名作の組で、清元の浄瑠璃にまで歌わ れている山参りは、当時の江戸っ子の皆やった行事らしく、毎年の大山参詣に、講中も江戸っ子 の威勢のいいのが揃っているため、とかく喧嘩が出来て困るというので、先達の吉兵衛が心配し、 今年は規約を設ける事にした。というのは、まず道中では決して腹を立てぬ事。怒った者からは 二分ずつ罰金をとる事、暴れた者は髪を剃って坊主にするという事の申し合わせだった。  さすがにこれがため、往きは平穏だったが、お山の参詣も済んで帰り道となると、気がゆるん だか、熊さんというのが宿屋で乱酔して大暴れ、吉兵衛は「マア、マァ」と宥めたが、一同は納 まらない。暴れ疲れて熟睡した熊五郎の髪を、剃り落して坊主にしちまった。  そして翌朝、寝こかしにして早立ち、熊公はあとでそれと知り、口惜しがったが仕方がない。 そこで仕返しの一計を案じ、早駕で一同より先へ帰宅し、皆の女房達を集め、「驚いちゃあいけ ねえ。実は道中で間違いが出来た。帰り道に金沢八景を見物中、船が引っくり返って一同溺死し、 おれだけ面目ねえが助かったから知らせに来たが、その代りこの通り、おれは出家して皆の菩提 を弔うつもりだ」と、真顔で語ったので女房達は仰天L悲歎の涙、それを巧く説きつけて、尼に なって夫達の後世を祈れと、片っ端から頭を剃ってしまう。たちまち出来上がった俄比丘尼、多 勢で百万遍の念仏を始める。  一同はそうとも知らずいい心持ちに揃って帰宅すると、長屋に念仏の声が聞こえるので、不思 議がりながら覗いて見ると熊公を真中に周囲を取り巻いてこの始末だ。「畜生畜生」と皆怒るま いことか。熊五郎は腹を抱え、草鮭《わらじ》をはいているうちは旅の続きだ。腹が立つなら二分ずつ出せ などと言う。一同忌々しがって地団太ふむのを、先達の吉兵衛が、「これさ何も怒る事はたい。 大山も無事に済み、みんなおけがなくっておめでたい」というサゲ。この「百人坊主」も前の 「三十石」も、皆旅行に関する話の部類であることを前に述べた。 孝子の鏡 次の〔く〕は、 「熊の皮は女房もよろしく」。これは 〔い〕の条で述べた通り、 したたか者の女 房に引きかえ、好人物というより愚鈍な亭主の滑稽で、これが「熊の皮」の語源ともなっている 次第。年中繰り返されている話だから割愛して先を急ぎましょう。 「富久」で「歌留多」には〔や〕の「焼けぶとり富の久蔵」となっている。  久蔵という野だいこが、酒の上のよくないために、大切な旦那をしくじり、弱っていると友達 に、富籔《とみくじ》を買わないかと勧められ七百五十三番というのを求め、これを神棚の大神宮様のお宮へ しまい、お神酒を上げて三拝九拝、「どうかこれが当りますように、当ったらまず借金を返し、 小綺麗な家ヘ引っ越して女房も貰い、服装もよくなればお座敷も殖えるLなどと未来を空想して、 お神酒の残りを頂いているうちに、睡くなって横になると、その寝耳へ水ならぬ半鐘の音。びっ くりして飛ぴ起き、方角を聞くと芝の方だと言う。「アッ、旦那の家の近所らしい。そういう時 こそ」と駆けっける。  近火で狼狽しているところへ駆けつけたから旦那も喜び、出入りがかなう事になり、久蔵勇み 立って働くのだが、非力だから役には立たない。それでも負けん気になって、「その葛籠、私が 背負います。ついでに上へその用箪笥を重ねてください。まだ上にその掛物の箱も乗りましょう。 ナー二このくらい、ウーソと、……アア、どうも腰が立ちませんな℃上の箱だけ無理だったかな。 では掛物の箱をおろしてください。ナニそれさえおろせば、ウームと……。やはりいけない、用 箪笥をおろしてください。エエもう、つづらだけなら、ウームと……タハハ、いけません。蓋を あけて中の物を出してください」と、これでは何にもならないが、そのうちにいい塩梅《あんぱい》に鎮火し て御馳走にたり、酔払って眠るとまた半鐘の音。今度は久蔵の家の近所らしいと、起こされて飛 んで帰ったが、モゥ焼けてしまったあとだった。「外に惜しいものはないが、富籔の札を焼いた のは残念だった」と、べそをかいてまた旦那の家へ引っ返した。旦那も同情して見舞いの金を与 える。  これで服装も出来た久蔵が、ある日杉の森を通りかかると、ちょうど、富籔を開帳の当日であ る。しかも、千両取れる一番当りの大富は、七百五十三番すなわち、久蔵の買った札の番号だっ た。しめたっと久蔵躍り上がったが、その札はお宮の中へ入れて焼けちまったのだから無効であ る。久蔵がっかりしまい事か、情然として帰喧、吋寡鳶頭に讐と、「オイ久さん、お前の 留守に火事だったから、おれが飛び込人で、神棚だサは昇ぎ出してやったよ。おれの家に預かっ てあらア」と言われ、「エッそそれは本当ですか」と、飛んで行って神棚を見ると、富の札はお 宮の中に無事にあった。久蔵は嬉し涙の止め度もなく、「アア頭、有難い、有難い。これという のも大神宮様の御利益、お蔭でお払いが出来ます」というサゲ。  富籔の話はまだあるが、それは後に述べるとして〔ま〕は、「松山鏡孝子の対面」である。  これも狂言から出たものらしく、未開の昔、伊予の松山在に正助という、親孝行な正直者があ って、その篤行四隣に聞こえ、ついに領主の耳にまで達した。殿様も奇特に思し召され、その孝 子を見たいという事になって、庄屋同道で正助はお館へ上がる心  殿様は孝行の徳を御賞美になり、何でも望みの褒美を遣わそうというので、「そんならお願い があります。どうぞ殿様の御威光で、亡くなった父さまに逢わせて下せえ」と、正助が望んだに は領主も弱ったが、まだこの頃には、鏡が一般に行き渡っていない事に思いつき、しからばこれ を見よと一面の鏡を与えた。正助は覗いて見て狂喜落涙、「ヤア、お父さまか。大層若くたらし ったたあ。お懐かしゅうがんす」と槌りついた。殿はその孝心にますます感じ、この鏡を下賜さ れたので正助は大喜び。人に見せるなと言われた通り、女房にも告げず物置きの二階へ隠して置 き、毎日そっと行って鏡の入れてある箱の蓋をあけて父親に対面。朝夕の挨拶を述べたのは、ま だそれが自分自身の映像だという事に気がつかなかったからである。  すると女房はそんな事とも知らず、近頃の夫の挙動を不審に思い、留守にそっと来て見ると自 分の顔が映った。これまた鏡を知らず初めて見たのだからかつ驚きかつ怒り、「畜生め、こんな 女を隠しときゃあがって」と大憤慨。「それもろくな女でもあることか。そのマア醜い面を見ろ」 と、自分で自分の悪口を言っているのだから世話はない。  正助の帰りを待ち受け、胸ぐらを掴んでの倍気喧嘩だ。正助はまた、何でおれの戒めておいた 物置きへ上がったかと腹を立て、あれは父さまだと言っても女房は承知しない。泣いて騒いでい るところへ、村の比丘尼さんが通りかかって仲裁に入り、「よしよし、私がよくその女に言い聞 かせるから」と物置きへ上がって箱を覗いたが、「ハハハ、おかみさんや心配しなさるな。二階 の女も済まねえと思ったか、頭を丸めて坊さんになったぞよ」と。  これが「松山鏡」のサゲであるが、滑稽と人情と教訓と併せ備わった好落語と言えよう。サゲ の分類においては見立落ちとしてあるが、むしろぶっつけ落ちではあるまいか。  たおこの未開無智を扱ったものとしては、「本膳」「ぜんそく」「玄久桂」「ろうそく」「百川」 「勘定板」等がある。  無理な「元犬」  繰り返すようだが落語の味は、前に述べた「松山鏡」などのごとく、企《たく》らまぬ自然の滑稽にあ るので、少しでも不自然な作為のあとが見えると、滑稽も心から笑えないことになる。その例と して〔け〕の、「今朝ほど人間になりました」に翁ける「元犬」のごとき、これは心学の讐え話 が落語になったのだと聞いたが。  浅草蔵前の八幡様、その境内にかわいい白犬がいた。白犬は人間に近いとやら、この犬も来世 は人間になれるだろうと、参詣の人々が話すのを耳にはさんだシロは、どうにかしてその人間に なってみたいという願望を起こした。  そして一心に八幡様へお願いした甲斐があって、満願の朝、肌寒いのに心づき、,よくよく見る といつの間にやら、自分は人間にたっている。「ヤレ有難や恭けなや」と、天を拝し地を拝して 喜んだが、何とも困ったことには裸のままだ。白犬の時は裸でもおかしくなかったが、人間にな ってみるとこれでは不都合、第一最も不体裁なところさえむき出しでは困る。  弱っているところへかねてこの白犬をかわいがっていた桂庵の主人がお参りに来て発見し、こ れこれと仔細を聞いて奇異なことに思ったが、とにかく自分の家へ連れて行き、着物を着せたり 飯を食わせたり、その間も犬の時の癖が直らずに滑稽な失敗ばかりする。しかし色は白いし、顔 に愛嬌があってとんだ好い男だ。桂庵は幸い出入り先の隠居から、何か変った奉公人はないかと 頼まれていたので、この男を目見得に連れて行く事になる。  隠居は一見して大層気に入りハ「マアマァ辛抱をしなさい。私の家には、お元という女中がい るきり、犬も朋輩と言うから仲よくしておくれ」と言われ、「エッもう露見しましたか」などと いうクスグリがあり、生まれた家や父母のことを聞かれ、ありのままを言うので隠居は呆れる。 「何しろお茶を入れよう。そこにある焙炉《ほいろ》を取っておくれ。そのホイロだよ、ホイロ」というと ワソと吠える。「気味が悪いなあ。これ、お元は居ないか、元はいぬか」と呼ぶと、「ヘエ、元は 犬だが、今朝ほど人間になりました」というサゲ。あり得べからざる事と、持え過ぎている点と で、あまり感心した作とは思われない。不自然では笑えないという例であると思う。そこへ行く と、禁演五十三種中には、たとえ花街の描写であっても、内容がこういう所へ行くものでない事 を教える点で、却ってためにたる話がある。  次の〔ふ〕の、「文違ひはうぬ惚れの戒め」のごときがそれで、「ひとは客、おれはまぶだと思 ケ客」、川柳のうがちも嘘ではない。  新宿の女郎でお杉というのが、情夫の芳次郎から、眼病を癒すにつき、三十両要るからと無心 をされ、お杉は自分のところへ色男気取りで通って来る半七という客へ十両、角蔵という在郷《ざいご》者 に二十両貸せと頼む。半七も角蔵も、惚れた女からの頼みゆえ、よんどころなく用立てる。お杉 はその三十両を持って下座敷へ来ると、待っていた芳次郎は涙を流して喜び、一刻も早く目の療 治をして来ると帰って行く。  お杉は名残り惜しそうに後姿を見送っていたが、ふと気がつくと足元に、一通の書面が落ちて いる。拾い上げたところ豊はからんや、芳次郎に宛てた他の女の手紙で、それによると芳次郎は 眼病でも何でもたく、全くこの女から頼まれた金策のため、お杉をだましたものと分って、サア お杉はくやしがって地団太ふむ。  二階では半七が、女のいぬ間の退屈から、煙草の箱を引き寄せると、抽斗《ひきだし》から手紙が出た。こ れは芳次郎からお杉へよこした書状なのだ。「何だこりゃあ、甘ったるい文句が書いてあらア。 フフソ、おれという、いい人のある事も知らねえで」などと読んでゆくうちに、初めて自分が欺 かれた事を知り、「畜生畜生」と大.怒り。  そこへお杉が入って来たので、「汝《てめえ》よくもおれの面へ泥を塗ったな」と怒鳴りつける。お杉も 憤慨している矢先とて、「何を言うんだえ」と罵り返し、売り言葉に買い言葉で大乱闘。お杉が 半七にポカポカ殴られているのを、隣の座敷で聞いていたのが、これも情人気取りの角蔵で、 「ヤレかわいそうに。お杉がぶたれている。止めてやんべえか」と出かかったが、「イヤ待て待で。 中へ入って口をきいたために、もしもおれが色男だという事があらわれるといけねえ」と、これ が「文違い」のサゲで、皆相手にだまされているところ、いかにもよく出来ており、その順序も 自然である。  そしてこういういわゆる悪所で遊蕩する事の、いかにばからしいかを悟らせるところ、教訓的 とも言えるであろう。しかしこんな話を聞かされても、「ナー二あれは落語だからで、実地は違 うよ。ウフ、おれなんざあ」と、頭をなでる己惚れな聴衆になっては何にもならず、やはり封じ 込んでおく方が無事かも知れぬ。  ここにまたいい方の三役どころに位するのが、次の〔こ〕の、「こわいものは金」で、同じ作 り話としても「元犬」とは大いに趣を異にするところが研究ものだと思う。  これは題名を「田能久」と称し、田能村の久兵衛、つめて田能久と呼ばれる男が、器用な質で 芝居が巧く、素人ながら他村からも頼まれて演りに行く。今日なら移動演劇になくてならぬ人だ。  ある時も出張して開演中、自宅から急使が来て、母親大病という知らせ。非常な親孝行ものだ けにびっくりし、大急ぎで帰って来る途中、暗闇峠へ差しかかったのが真夜中だ。俄の夕立に降 り込められ、辻堂へ飛び込んで雨止みをしていると、現れたのが白髪の怪人。これが何と大蛇の 化けたので凄い眼で睨みつけ、「貴様は何だ」と聞かれて久兵衛震え上がったが、「私は、た、田 能久です」と答えたのを、大蛇は、狸と聞きちがえ、「何だ狸か。同じ化け物仲間では取って食 う事も出来ない。それにしても巧く人間に化けたな。もっとほかの者に化けて見せろ」と言われ 田能久は持参の量《かつら》を利用して、老人になったり娘になったり。  大蛇はつくづく感心して、「これからはお前と兄弟分になろう。ついては互いに嫌いな物を打 ち明けようではないか。おれは柿の渋と煙草の脂《やに》が大嫌いで恐ろしいが、貴様は何だLと聞かれ、 「ヘモ金が敵と言いますから、怖いのは金でございます」と胡麻化してこの場を立ち去り、這《ほ》 う遣うの体で山を下る。  そして途中で出逢った里人にかくと告げたから、それっと多勢集まって煙草の脂を四斗樽へ何 杯も持え、柿の渋で溶いて水鉄砲に仕込み、大蛇狩りをしたので山岳鳴動、今まで近隣を荒し悩 ました大蛇も、命からがら退散した。  一方、田能久は帰宅して見ると、母の病いも大した事たく、日ならず本復したある夜の事、大 蛇が復讐にやって来て、「先夜の恨みを覚えたか、よくもおれの秘密を人間どもにしゃべったな。 サアその仕返しに貴様の大嫌いなものを持って来たから、これを見て目を廻せ」と叫びつつ、ド ターリと激しい物音もろとも、何かを庭前へ叩きつけて行っちまった。何だろうと怖る怖る出て 見たら、大判小判のぎっちり詰った千両箱だったというサゲ。  扇橋老はこれを田之助の弟子の沢村田之紀というやはり親孝行な俳優の事にして演じているが、 いずれにしても筋に変りはなく、『聴耳草紙』のような伝説口碑にも、この種の物語はいくらも 残っているところを見るとどういう所から発したものやら、なおこの落語は宝塚でも舞踊劇にし た事があり、ほかにも脚色されている事と思う。  それはさておき、前の「元犬」も、この「田能久」も、あり得べからざる作り話である点に変 りはないが、「田能久」の方には好感が持てるにも拘わらず、「元犬」の方はピソと来ないばかり か、いやみをさえ感ずるというのは何のためであろうか。これは全く、田能久という男が、孝行 の徳で、危難を免れたばかりか、却ってそれがために、夢のような幸福を得たという、善因善果 に無理のないこと、人間ならぬものが口をきいても、それが神通力をそなえた大蛇の化け物とい うところに、そんなこともあり得そうな気がするからではなかろうか。  こうなると聴衆の心理問題になって、落語もむずかしい研究の対象になろう。サゲの点におい ても、「元犬」が拙き地口落ちであるに反し、「田能久」は上乗な間抜け落ちである事も、この話 に大きな優劣の差が窺われる。  ところで、この「元犬」も「田能久」も、分類は動物を扱ったものに属するだろう。そしてそ の同種類には「犬の目」「九郎蔵狐」「化物使」「木の葉狐」「公冶長」「紋三郎」「古寺」「たぬき」 「お玉牛」「新右衛門狸」「王子の狐」「狐うどん」等を数える事が出来る。ただし「木の葉狐」 や「紋三郎」は、狐に見せかけた人間の話で、「王子の狐」なんぞは、狐が人間にだまされるのだ から、そこに矛盾したおかしさが生まれる。とりわけて愛矯のあるのは「たぬき」で、狸が人間 に報恩のため、紙幣に化けて裏に毛が生えていたり、賓に化けて壷皿に伏さり、「ホイ頼むぞ。' 五の目だ。摺鉢だ。天神様だよ」と声をかけられ、束帯を着て坐っていたり、ナソセソスだけに ひどくおかしい。 「今夜はひげを剃って下さい」の「権兵衛狸」も洒落ているが、「狐うどん」などは近頃あまり やり手がないだけに珍しかろう。  これは若旦那が遊蕩中、狐を助けてやった事があり、その狐が報恩のため、若旦那が勘当され て路頭に迷っているところへ、そのお馴染のおかめという女に化けて行って夫婦になり、所帯を 助けてうどん屋を始め、油揚入りの種物を、狐うどんと名づけて売り出すと、これが当って、大 層な繁昌。若旦那も福々になり、ある日外出すると、かねて遊蕩中ひいきにしていた妓楼の雇人 に逢う。  雇人は「若旦那、あなたがちっともおいでなさらぬので、おかめさんは煩っていますよ。この 頃少しよくなりましたが、タマには顔を見せておやりたさい」と言う。「何を言う。そんなはず はない」「何、ない事があるものですか。現に今日も保養かたがたこの先へ芝居見物に来ていま す」と言う。  若旦那、半信半疑、芝居へ行って見るとなるほど、桟敷に病み上がりのおかめが痛々しく坐っ ていたので、若旦那は我と我が目を疑うばかりであった。そこで念のため我が家へ引き返して、 外から中の様子を覗くと、狐の化けたおかめはそんな事とも知らず、小女を指揮して働いている。 「アリャ、ここにもおかめがちゃんといるぞ。ハテそれでは芝居の桟敷にいたのは何だろう。あ っちが本物とすれば、ここにいるこのおかめは何者だろう。サア分らない」と若旦那は不審でた まらず、なおも覗いているところへ、表からこの店へ入った客、「オイ、評判の狐うどんという のをおくれ」「へーイ、狐が一ばーい」「オット、やはりおかめがいいや」「へーイ」若い衆が声 を張り上げて、「エモ狐がおかめに変ったー」……とこれが「狐うどん」のサゲになっている。  すなわち芝居の「葛の葉」を、落語にしたような筋であるが、本来なら勘当されたまま遊蕩の 罰で困窮零落をするはずの若旦那が、仕合わせを得たというのは狐を助けたその恩返しによって 自活の道も立ったというところに筋も通っているが、さもなくて道楽をした親不孝の果てがよく たろうはずはない。  我流のお茶  しかし川柳にいわゆる、「売家と唐様で書く三代目」が出来ようとも、初代はたいてい立志伝 中の人物、腕一本で稼ぎ出し、資産も充分に出来て二代目に世を譲った後は、すなわち楽隠居の 身分で根岸の隠宅に、小僧の長松と二人きりの閑居、こうなると今までアクセクと働き通してい た頃には、ちっとも余裕のなかった趣味の欲が出て来る。幸い茶の湯の道具一式、茶室に付属し ているのでこれをやってみょうとなった。これが「茶の湯」という落語で、〔え〕の、「ええまた 茶の湯か」というのがそれである。  何分にも成り上がりの隠居さんだから、習った事は元よりなく、何も知らないのだが、といっ て今更教わるのも気が利かず、長松と相談して、何でも青い粉を入れてかき廻すのだがらと、乾 物屋へ青|黄名粉《きなこ》を買いにやったが、いくらかき廻しても泡が立たない。「アア、これを入れれば 泡が立つだろう」と、放り込んだのが椋の皮だ。サア今度は猛烈にアブクが立ったが、乱暴な茶 の湯があったもので、これをガブガプ飲んだから堪らない。隠居も小僧も腹を下す騒ぎ。しかし 自分たちだけでは面白くないと、借家人へ案内を出す。  この招待を受けた手習師匠と、豆腐屋の主人、町内の鳶頭はいずれも茶の湯を知らぬので、恥 をかくよりはと夜逃げの支度を始める滑稽もあり、そのうちに隠居もだんだん馴れて来たが、毎 日客をするので菓子の代が嵩むのに驚き、安上がりに手製の菓子を出すことにしたが、これはま たさつま芋とうどん粉を練り合わせたような珍無類の菓子で、どうにも食べられた品物ではない。  そうとも知らずに、一日この隠宅へ御機嫌伺いに来た出入りの者があり、「どうだ、一服立て ようか」と隠居の言葉に、「それは有難うございます」と、茶室へ通ったはいいが、式も作法も 無茶苦茶なので驚いた揚句、この菓子をひと口頬張ってアッと叫び、紙へ吐き出して懐へ忍ばせ たが、捨て場に困って雪隠の窓からポソと垣の外へ投げると、田圃で働いていたお百姓の頬辺へ ぶつかる。その百姓がヒョイと菓子を見て、「フム何だまた茶の湯か」と眩くのがサゲ。してみ るとこのお百姓毎度ぶつけられて馴れていたのだろうという事を想像すると、一層おかしさがこ み上げて来る。  聞けば名古屋付近は茶道が一般に普及され、誰でもお茶の立てられぬ人はないほどだというが、 そういう特殊の土地は別として、たいていは知らない人の方が多い今日。作法を心得ずに恥をか いてはならんと、夜逃げの支度をする豆腐屋や鳶頭の心理も同感され、ひと事とは思われない。 そういう不心得の我等が聞いてさえこの話はおかしいのだから、少しでも茶道を学んだ人達が聞 いたら、たまらない事だろう。  この話は前に出た「寝床」と同様、ある道楽に凝る人を扱った落語の部類へ入るべきで、サゲ としては拍子落ちか、トタソ落ちか、頬辺へ食いかけの菓子がぶつかるのだから、大きにぶっつ け落ちかも知れないと思う。  八さん第二世  -さて〔て〕は、「天災とあきらめろ」、すなわち「天災」という教訓落語である。  気が短くて喧嘩早い乱暴者の八公を、家主が持てあまし、「お前のような人間には、いくら私 が意見しようとも無駄だ。それよりも、ちと心学のお講釈でも聞いて来なさい。いくらか心持ち も素直になるだろうから」と、かねて懇意な心学の先生、紅羅坊名丸《べにらぼうなまる》のところへ添書をつける。 八さん早速やって来た長谷川町の新道、「べら坊に怠けるとはお前さんかえ」などのクスグリが あり、心学者は添書を見て委細承知、これから諒々と仁義忠孝を説き聞かせるのだが、がさつ者 の無教育と来ているからさっばり分らぬ。これには弱ってしからば讐え話をしよう。「往来でど -こかの小僧が水をまいてるところへ通りかかり、過《あやま》ってその水がお前さんに引っかかったらどう する」「知れた事、その小僧をはり倒さあ」「しかし先方は粗相だよ」「粗相と知って何でやりゃ あがったとまたポカリさ」。これでは手がつけられない。  「よしよしそれでは今度は人のした事でなく、家根の瓦がゆるんでいたのを、知らずに下を通り かかったお前さんの頭へ、その瓦がズリ落ちて来てぶつかったらどうする」「極《きま》ってらあ、そこ の家へ暴れ込まあL「空家だったら」「家主を聞いてそこへ捻じ込まあ」「それではもし広い原中 で夕立に遭い、傘も持たないためズプ濡れになったら」「サアその時はヤイ.一…天道と、イヤこ れはいけねえ、天を相手に喧嘩は出来ねえや」「それ見なさい。人間は心の持ち方一つだよ。小 僧に水をかけられたと思えば粗相と知っても腹が立つが、天の降らした夕立では、グショ濡れに なってもどうにもなるまい。何事も天のなせる災だ。これすなわち天災とあきらめなさい」「ウ ームなるほど、こいつは理屈だねえ。いや分りました、恐れ入ったよ」と、スッカリ感心した八 さんがおおいに悟りを開き、我が家へ帰ると隣のゴタゴタ、早速出かけて行って、今聞いたばか りの心学を受け売りする。  これが頓珍漢《とんちんかん》ですこぶるおかしいが、隣の熊さんにはちっとも分らない。そうだろう、八さん にもよくは分っていないのだ。「とにもかくにも天のなせる災、天災とあきらめろ」と八さんが 言えば、「ナー二おれのところのは、天災じゃあない。先妻の間違いだ」というのがサゲになっ ていて、このサゲは地口落ちゆえあまり感服出来ないが、いけぞんざいな乱暴者の八公が、名丸 の話を聞いているうちに、だんだん分って来て荒っぽい心持ちが直るというのだから、心学者の 説き方は順序よく巧妙でないと、この話が引き立たない。  後半の八さんが真似をするところは、落語の方でこれを鵬鵡《おうむ》と称える一つの型で、ここはおか しいように出来ているのだから、誰がやっても聴衆は笑うけれども、そこへばかり力を入れては、 この話の生命というものがなくなると言うべきだ。「二十四孝」や「茶釜の喧嘩」とともに、教 訓的の落語部類であること、前に「廠火事」の条で述べた通りである。  お次は〔あ〕で、「案じるより生むがやすい」である。これは「安産」という話だが、落.語よ りは漫談に近い。  男から二厘五毛、女から二厘五毛、割り前を出し合って、五輪五体が出来上がるとか、小児は つまり授かりもので、子を生む役だけは男に出来ない。  男も平等に孕む事になったら、定めし格好が悪かろうというようなマクラから始まって、女房' が亭主に、「お前さん喜んでおくれ。小さいのが出来たらしい」「エエ、そいつはいけねえ。今の うちに吸い出しでも貼れ」「でき物じゃあありませんよ。実はこれこれ」「エッ、赤ん坊が出来る のか。そりゃあ有難え。男か女か」「今から分るものかね」と、この滑稽な問答があり、男親も 女親も大喜び、犬の日には帯をしめ、猫の日には紙袋《かんぷくろ》をかぶるという騒ぎ、そのうちいよいよ臨 月となって急に虫がかぶる。  亭主は馴れないから大まごつき、慌てて釜の下をたきつけようと、薪と牛勢を間違えるやら、 そのうちに呼びにやった産婆が来る。杖を突っ張ったお婆さんで落ち着き払い、「サア、有難い ものを持って来ましたから御信心をなさいよ。これは今を去る事六十三年前……」「大層、古い んだね」「アア、古いともさ。私が十八の時松島見物に行って、頂いて来た塩釜様安産のお札で すよ。これは水天宮様戌の年戌の月戌の日のお札」、梅の宮様、子安様、能勢の黒札、寄席の半 札まで並べ立てる。亭主も一生懸命神仏を祈り、「首尾よく安産が出来ましたら、お礼として金 ムクの鳥居を差し上げますLなどと言う。女房が驚いて止めると、「いいよいいよ、これは山カ ソだ。おれが神様をだましているうちに、お前ば早く生んじまえ」と、ひどい奴があるもので、 そのうちにめでたく第二世が弧々の声をあげる。「八さん八さん、お喜びよ。しかも大きな男の 子だよ」「そいつあ有難え、なるほど大きいや鉢巻をして坤ってらあ」「そりゃあ産婦だよ」と、 この辺がサゲ。  品川の師匠といわれた故人円蔵の雄弁今もって耳底に残ρているが、これはおめでたい咄の部 類であることを前にも述べた。  次の〔さ〕はまたまた旅の話で、「三人旅はぢのかきずて」とあり、"江戸っ子の生まれ損い金 をため〃とやら、"宵越しの銭は持たねえ〃などと、さりとは不量見なことを自慢にしたもので、 思いもかけぬ無尽が当った。「気持が悪いや、旅へでも行って使っちまえ」と、気の合った同志 が三人連れで出立つ。  これがコニ人旅Lという落語であるが、道中例によって滑稽の数々、口は達者でも足の方はい くじがなく、疲れてちっともはかどらない。そこを見て取ったか、往来の馬方がしきりに勧める。 「乗ってもやろうが、宿までいくらだ」「そうだな、安くしとくべえ、・ジバではどうだな」「アレ、 皮肉に符牒で言いやあがる。ジバと、儒神じゃあ高えや、股引にまけな」「股引というのはいく らだね」「足が二本入るから二百だ」「ハア負けべえ」「恐ろしく早くまけやがったな。一体その ジバてのはいくらだ」「ハハハやはり二百だ」「何だ、言い値だ」と、大笑い。ここらにこの話の 妙がある。  泥椿甲乙丙  しかし、それから先は押しくらになったり、演者によってサゲなども一定しない。やはり旅の 話だけにお泊りもいろいろなのであろうが、先を急いで、次の〔き〕は、「着物は紋つき裏は花 色木綿」とあり、これは「出来心」という泥棒の話である。  もとより落語の中へ出て来るのだから間抜けな賊で、年中親方に脅されてばかりいるが、今日 は巧くやろうと空巣を狙い、何度も仕損じた揚句、裏長屋のある留守宅へ忍び入ったはいいが、 この家はよほどの貧的と見えて、家中ガラガラ何一っないーさすがの泥棒呆れていると、外から 帰って来たらしい溝板の足音、一方口で逃げ場がないから縁の下へ隠れていると、主人は足跡を 見つけて、「オヤオヤ、おれの家へ泥棒が入ったとは大笑いだな。よしよしこれを一つ種にして、 久しく滞っている家賃の言いわけをしてやろう」と、大声あげて「大家さん泥棒だ泥棒だ」と叫 ぶ。  家主も驚いて来て見ると、「大変だ、泥棒が入って何もかも皆持って行かれた。家賃を納める ことが出来ねえ。だから暫らく待って下さい。さようなら」「何を言うんだ。盗難に遭ったのな ら、すぐ届け出ないと落ち度になる。サアおれが書いてやるから品物を言いなq一体何を盗まれ たんだ」と、聞かれて奴さん困っちまい、仕様事なしに口から出まかせ、「エエと、まず夜着が 一組」「どんな夜具だ」「綿の入った夜具」「当り前だ綿の入らない夜具があるものか。柄は」「大 家さんとこのと同じです」「そんなら表が唐草で裏は花色木綿だ」「私のところもその通りで」 「あとは何だ」「紋つきの羽織です」「紋は何だ」「雷門」「何を言う。して紬か、それとも斜子《ななこ》か」 「ナー二表は唐草、裏は花色木綿」「そんな羽織があるものか」「あとは惟子、裏は花色木綿」「帷 子に裏をつけるやつがあるか」「あとは箆笥」「前桐か総桐か」「根っ桐葉桐これっ桐、裏は花色 木綿です」「何をばかな、幾樟だよ」「羊かんが二樟」、などとベラベラ出放題、縁の下で聞いて いた泥棒が呆れて飛び出し、「こいつのいう事は皆嘘だ」「どうもすみません、これも皆ほんの出 来心で」と、あべこべにあやまるのがサゲ。  逆さ落ちとでもいうのであろうが、その昔柳派に朝枝という、軽妙なカッポレを踊るとぼけた 顔のお爺さんがあり、この話を得意にして、早ロにベラベラしゃべり、.聴衆もこの朝枝の顔さえ 見れば、泥棒泥棒と人聞きの悪い言葉を連呼して、この話を注文所望したものだった。そしてこ の話のおかしさは盗まれもせぬ品物を追究され、何晶でもいちいち、表は唐草裏は花色木綿と胡 麻化すところにある事いうまでもなく、誰がやっても吹き出すように出来ている、クスグリの連 続で徳な話である。そのため題を「花色木綿」と出す事もあるが、.最近これが問題になったのは、 後半の花色木綿の条はナソセシスで構わないにしても、前半の空巣を狙っては失敗するところに、 空巣狙いの方法を教えるような恐れがあるからとて、その筋から寄席の楽屋へ注意があったとい う一件である。防犯上まことにもっともな注意というべく、,落語家もそんなところは杜会のため に省略して演ずべきであろう。同じ泥棒の話でも、自粛検討会議の際には、「眼鏡屋」「碁泥」 「穴どろ」「釜どろ」「だくだく」「探偵うどん」「絵草紙屋」「熊坂」のごときを甲に組み入れ、こ の「出来心」や、「しめ込み」「夏どろ」「芋俵」[っづら泥」「にかわ泥」「もぐら」「やかん泥」 「宗禅寺」の、こときを乙に編入、「転宅」に至っては丙種と定めたほどである。しかし「しめ込 み」も「出来心」も、前半の空巣狙いのところをカットしたら、差し問えのないものとなるであ ろうし、「転宅」が丙種になったのは、妾宅へ泥棒が入る事件だから、時局下どんなものかとの 斜酌であった。さればこれも二号さんの住居とせず、女主人一人の住居へ、兄さんなり息子なり が、生活費の金を届けに来たところを、盗人が狙って入るという事にしたら、あとはあのままの 筋で、乙種にもなれるのではなかろうかと考える。  ついでながらこの「転宅」には、二様のサゲがあって、筋はいずれも度胸の据ったその女主人 が、間抜けな泥棒を煙に巻き、巧く隔して退散させ、その夜のうちに後難を恐れて引っ越してし まうのだが、どろ的はこの女に騙された事とも気がつかず、あくる日やって来ると空家になって いる。隣の煙草屋で聞くとそこの主人が笑いながら、これこれでと昨夜の顧末を話す。どろ氏は 初めて一杯食った事が分り、怒りもし呆れもし、二体あの女は何者ですえ」「あれはお前さん、 もと義太夫芸者さ」「アア、道理でうまくかたられた」とこれが本来のサゲたのを、「お隣は転宅 しましたよ。アア、それで表に盟が(あるいは新しく石鹸とも言う)出ていました」とこれは円 遊の改作だという。  名作と大物  続いて〔ゆ〕には、「夢か真か芝浜の革財布」が挙げられている。  円朝が三題をまとめて、この一席の人情噺になったのだとも伝えられているが、さりとは即座 にたいした話が出来たもので、いわゆる棒天振りの昇ぎ商い、魚屋の熊さんが酒を飲んで家業を 怠けるので、得意も減り家計も困難、女房が強意見をして禁酒を誓わせ、熊五郎もその気になっ て早朝に飛び出したが、芝浦まで来てもまだ暗い。これは女房が時刻《とき》を間違え、一時早く起こし たのである。  いつまで待っても夜が明けぬので、天秤棒を盤台へ渡し、その上に腰かけて待っているうち、 たまの早起きで睡くてならない。これではならぬと海水で顔を洗ったところ、そのとたんに足へ 引っ掛かったのが財布の紐、引き上げて見るとズシリ重い。慌てて帰宅し、数えれば小判小粒で 百両あまりあった。 「ヤレ有難え、.これだけあれば何も稼ぐには当らねえ。当分遊んでくらせる」と、熊公は喜ぶ。 女房は暗い顔をしてじっと思案したが、熊公はもう有頂天で、友達を呼び集めて、「サア、飲ん だ飲んだ」と乱痴気さわぎの翌る朝、「サア、早く起きて買い出しにおいで」と起こされる。「何 を言いやがる、昨日拾った金があるだろう。当分働く必要はない」と言うので、「何をお言いだ、 寝ぼけちゃあいけない。きっとお前さんは、欲しい欲しいの一心で、お金を拾った夢でも見たん だろう、浅ましい人だねえ」と、女房は泣き出す始末。,熊五郎は前日の乱酔で精神朦瀧としてい るので、女房の弁舌に説き伏せられ錯覚を起こし、・さては金を拾ったのは夢だったが、散財をし たのは本当だったかと、気がついて見ればサア大変と青くもなって、今度こそは心から禁酒を誓 い、生まれ変ったような働き者になる。  女房も元より利発な女、夫婦力を合わせての奮闘で、たちまち信用を博し商売繁昌、翌年の大 晦日は、裏住いから表へ移って店を開き、奉公人も使う盛大ぶり。春を待つ支度、素晴しい景気 だ。熊五郎はいい心持ちに湯から戻って、「有難え有難え。何でも人間は働かなくちゃあいけね え」と、その一言を聞いて安心した女房が、今こそと竹筒から例の拾った金を出し、「あの時お 前さんの心持ちを聞けば、この金があれば遊んでいられる。稼ぐには当らないとすぐにもう怠け る量見。いつまでこの金が保《も》とうはずはないし、あとに残るのは怠け癖ばかり。それでは拾った 金が仇になって家のためにならない。第一、拾ったものは届けるのが捉、それを破れば罪人にも なる。これは考えなくてはいけないところだと、大屋さんにも智恵を拝借し、どこまでも夢とい う事にしたので、お前さんも本当に改心してお酒もやめ働いてくれたからこそ、今年の暮のこの 仕合わせ。そしてお前さんの口から、何でも人間は働くべきものだという、その一言で私はもう 本望です。お金も届けたが落し主が知れず、下げ渡しになったからは天下晴れての自分の物です から、あらためてお前さんに返します。今まで永い間だましていて、すみませんでした。堪忍し て下さい」と。真実の事を打ち明けられ、熊五郎、今更我が女房の行き届いた心がけに感謝感激 頭も上がらず、「皆これはお前のお蔭、何といういい心持ちだ。めでたい正月が出来る」と大喜 び。女房が今夜は除夜だからと祝い酒を進めると、「イヤよそうよそう、またこれが夢になると いけねえ」というサゲ。  公徳と勤労と婦道の教訓に、人情も変化も滑稽も兼ね備わったうえ、サゲまで気の利いている 満点の名作。もちろん、真打級の演者ならではこなし切れぬ大物の人情落語であるが、この「芝 浜」という話は劇にも仕組まれ、六代目だの、故人の伊井だの、近くは喜多村等、いろいろな俳 優によって演ぜられ、脚色も多数に上っていること、人の知るところである。  次の〔め〕は、「目がさめたら見えなくなつた」とあり、これも円朝の作という「心眼」であ る。  横浜にいる弟のところへ、出稼ぎに行った盲人の梅喜が、弟と喧嘩して帰京し、悲憤の涙にく れているのを女房が慰め、「一生懸命に信心をしたら、目の開かないという限りもありませんよ」 と力をつける。梅喜もその気にたって、茅場町の薬師如来へ日参をした。  満願の朝、霊験空しからず潰れた眼が開く。そこへ来合わせた上総屋の主人が、その奇蹟に驚 いたり喜んだり、相伴って浅草に帰る。その途中いろいろ滑稽な問答があり、梅喜の女房の醜婦 なこと、しかし夫思いの貞節は日本一とも言うべきこと。女房に引きかえ梅喜は役者にも例のな い美男なこと。芸者の小春が梅喜に岡惚れをしていることなど聞かされながら雷門へ着き、連れ 立って参詣した浅草の観音堂。大姿見にうつる我が姿を初めて見た梅喜は、「ハアー、なるほど おれは美い男だな」と、我ながら感心しているところへ、噂の芸妓小春が来て、「マア、梅喜さ ん目が開いてよかったわねえ。お祝いに私が奢るから、御飯をつき合っておくれな」と、富士下 の釣堀という料理茶屋へ連れて行き、美人の小春と差し向いで馳走になる。  梅喜は嬉しいことだらけで、さされるままに盃を重ねた。小春もホソノリと目元を紅くさせて、 「ネェ梅喜さん、私アとうから、お前さんのことを思っているんだが、おかみさんがあるから、 いくらヤキモキしても駄目だわねえ」と打ち明けるのを、梅喜は慌てて手を打ち振り、「どうい たしまして、ちっとも駄目なことはありませんよ。ナー二あんな女房なんぞ。私は目が悪くって ちっとも知らなかったが、上総屋の旦那に伺ったら、人三化七を通りこして、どうにもふた目と 見られないまずい女だそうで、モウそんたものを持っちゃあいられません。叩き出しちまいま す」「アラ嬉しいねえ、そうしたら私と一緒にたっておくれ」「エエ結構で」と。  この問答を、尾行して来た女房が、庭の植え込みへ隠れて聞いていたからたまらない。力ーッ となって飛び込み胸倉をとり、「チェエロ惜しい、お前さんは、私が命を縮めても、どうかお前 さんめ目の治るようにと、願がけをしたのも知らないのかえ。自分さえよくたれば、-女房たんぞ はどうなってもとは、そりゃああんまり胴欲だよ」と、ギュウギュウしめ上げられ、「ウウー苦 しい苦しい、堪忍してくんな」「チョイとチョイとお前さんどうしたの、大層うなされていたよ」 と揺り起こされ、目がさめれば今までのは、皆梅喜の見た夢だった。ボーッとした梅喜が、「何 だ本当じゃあたかったのか。しかしおかしなものだねえ。盲人でも不自由はないぜ。寝ているう ちは何でも見える」とこれがサゲ。  禅の悟道を思わせる落語である。もちろん人情噺に属するものと思うが、しかし盲人などを取 り扱ったものとしては、他に「麻のれん」「按摩の炬燵」「柳の馬場」「松田加賀(あるいは頓智 の藤兵衛)」「景清」「鼻がほしい」「聾の川越し」さては「一眼国」や「唖のつり」などがあり、 この「心眼」などは、梅喜という盲人の個性を巧みに描写しているところ、文学的価値もある作 品だと思う。  煩悩と菩提  さて〔み〕は、「身代り杵うすの話」で、これも落語よりは漫談に近い口だ。  川崎平間寺大師堂御本尊の由来ともいうべき話で、真偽元より保証の限りでないが、真言宗の 開祖弘法大師が空海上人の昔、諸国を遍歴し、自行化他の修行をせられた当時、平間村の名主の ところへ泊った。この頃は空海上人もまだ若い時分で、女にしても見まほしき美貌、しかも学徳 すぐれて立派な人格というのだから、もったいなくもこの聖者に、恋慕の思いをよする浮気女も 少なくなかった。その中にもこの名主の娘さんが、人一倍思いこがれ、ついに堪まりかねて人目 を忍び、上人へ対して心のタケをかき口説いた。  上人の迷惑一方でない。凡人なら迷惑どころか却って喜んだかも知れないが、道徳堅固の上人 これも法難の一つと大いに困り、いろいろ不心得を説き聞かしたのだが、娘の一心なかなかお説 教ぐらいでは思い切れない。よんどころたく何ごとも方便と、「それほどまでに慕って下さるの は恭《かたじ》けない。それでは今宵、私の居間までおいで下さい」と約束したので、娘は大喜び。湯へ入る 髪を結う、紅を塗り白粉を塗り、ペソキを塗りニスを引き、マサカそんなこともしないが、満艦飾 でその夜忍んだところ、上人の臥床は藻ぬけの殻、身代りとして木製の杵が入れてあった。娘は ハッとしたが合点行かず、思いキネという謎か。ついてキネとの判じ物か、何はともあれと追っ かけたが上人の行方は知れない。娘は悲しみのあまり、形身の杵を抱いて投身入水した。その冥 福を祈るため、その杵を祀ったのが、すなわち川崎の大師堂であると、こういう事になっている。  まことに女は度しがたいもの執着の深いもの。その難を免れるは御信心の他にないとあって、 このお堂から女除けのお守りを出したが誰も受け手はない。これはそのはず。そこで厄除けのお 守りという事にしたのだということ。  ある人が堂守に、「御本尊は杵だそうですね」と聞いたら、「ナー二そんなことはウス(臼)」 だと答えたのが、「杵大師(または身代り杵、大師の杵)」のサゲになっている。 頓智と嘘つき しこうしてこの話の所属部類は前に述べた神釈の部で、次の〔し〕 究」である。  これは理屈っぽい下男があって 、「煙草盆を持って来い」と言えば、 は、 「しの字嫌ひ言葉の研 周囲の枠だけ持って来る。 「何と言えばいいのだ」と聞くと、「煙草盆の中の火入れの中の灰へ火を入れて持って来い」と言 えなどと庇理屈を並べる。隠居は何とかしてこの下男をへこまそうと思い、手を叩いて「右が鳴 ったか左が鳴ったか」と尋ねる。権助はそれに答えず、敷居をまたぎ、「サア出ると思うか、入 ると思うか、どうだね」と反問する。  すなわち一休和尚の小僧時代と同じような頓智問答があり、隠居はいちいち言い込められるの で、いろいろ考えた末、「どうもお前の前だが、シの字のつく事にろくなものはない。死ぬ、しく じる、仕合わせが悪くて、身上をしまうなど、どうも縁起がよくないから、これからシの字を言 わないようにしてくれ。おれも言わないから、お前も必ず言うなよ」と言い渡した。「もし過っ- てお前がシの字を口にした場合は用捨せずに給金から差し引くよ。その代りおれが言ったら何で もお前の望むものをやろう」「ようがす面白い、承知しやした」と約束が出来上がったが、隠居は 何とかして、シの字を言わそうと思って工夫するが、権助は用心深くてなかなか言わない。これ ではいかぬと隠居も意地になって、バラ銭を四貫四百四十四文前へ並べ、「ここへ来てこれを数 えろ」と命じる。下男はやって来たが、「これとれ主人の前であぐらをかく奴があるか」と坐ら せられ、足が痛むので尻をモジモジ。「どうした、どうした」「切れやした」「何が切れた」「ウム その、あ、いけねえ、よびれが切れただ」「強情な奴だ、サア早く勘定をやれ」「ようがす」と数 えたがサア困った。「ちょっとそこでそろばんを寄せて下せえ」「オイ来た、いくらだ」「二貫二 百二十二女、ウムそれから、また二貫二百二十二文、それでいくらだね」「何だお前が言うのだ よ」「それなら、ヨソ貫ヨソ百ヨソ十ヨソ文だ」「ア、どうあっても言わないな。さてさてシブと い奴め」「そうれ言ったろう、この銭はおれが貰った」と、隠居は美ん事敗けになり、下男に銭 を取られるというのが「しの字嫌い」と題する落語で、その隠居がシの字を封ずるのは、縁起が 悪いからとて嫌う訳ではなく、権助をへこまそうための思いつきであろうけれども、同じくごへ い昇ぎから、言葉忌みをする話には「かつぎ屋」「策屋」「お七」等がある。  次の〔ゑ〕は、「蝦子講宿屋の仇討」である。  これは大黒屋という旅籠屋で、毎年吉例の蝦子講(甲子待としてやるものもある)に、近所の 者や、親類知己を多勢招き、一晩中賑やかに語り明かす。もちろんその晩は業を休んで客を断る のであるが、始終泊りつけの馴染客《なじみきやく》が来て、何とか都合してくれと頼むので、その客は武士でも あり、番頭も断りかねて泊める事にしたが、座敷ではだんだんに各自の話がはずみ、何かこう気 味の悪い話はねえかという事にたり、もっともらしい顔をした坊さんが進み出で、「実は先日通 夜の帰りに墓地を抜けると、後ろから坊主坊主と呼ぶものがある。振り返って見ても何にもいな い。何だ心の迷いかと、そのまま行こうとするとまた坊主……。気になったからよくよく見たら、 化け物の正体は山の芋だった、坊主坊主山の芋と申しましてな」たどと和尚がヨタを飛ばせば、 田舎の親類も負けぬ気で、「わしらの村におせなという娘があってな。川で洗濯していると後ろ から手を出して、尻を撫でる奴がある。ふん捕まえたらこれが紹《むじな》だ。たいていの女なら、キャア とかワウとか、目でも廻すところだが、おせなっ子は強えから魂消《たまげ》ねえ。こん畜生太え奴だと、 叩っ殺して煮て食っちゃった。その勇ましい気性が、お殿様のお目にかなってな、おせなっ子は お側へ上る事になり、この頃ではハァ、鋲打《ぴようう》ちの乗物へ乗って歩くほどの身分に出世しただ。そ れ、女ムジナ食って玉の輿へ乗るとな」「アレ、何だまた落し咄か」と、引っくり返るような笑 い声。  もう一人が、「エエ、まあ聞いて下さい。私のはそんなこしらえ事じゃあない、本当の話。い わば身の餓悔ですが、若い時分に江戸を食いつめ、田舎へ飛び出したが一文なし、熊谷の堤へ差 しかかると、年配の武士が腹痛で坤っている。気の毒に思って介抱してやろうと腹をさするはず み、胴巻へ手がさわったら、蛇が蛙をのんだようにふくれていた。アア、これがあったらと・出 来心からとうとうその老人を絞め殺し、胴巻ぐるみ金を取ったが、その晩いつまでもその老人の 顔が目の先へちらついて弱ったよ」と、凄味たっぶりで話したのを隣室で前述の泊り客が聞き、 手を叩いて番頭を呼び、「今話した者は拙者の敵《かたき》、十年以前熊谷にて、父親が何者かに絞殺され 今もって手掛りもなかったが、彼奴《きやつ》の餓悔話で仇は知れた。これも亡父の導きであろう。明朝は 仇討をするから、取り逃がさぬように」と頼む。サア大騒ぎになり、かの男は「嘘だよ、嘘だよ。 今のはでたらめだよ」と、弁解したが聞かばこそ、縛り上げられて柱へ括られる。外の者は掛り 合いを恐れてコソコソ退散、翌朝になるとかの武士は、知らん顔で立とうとするから、「モシ昨 夜の仇討はどうなさいます」「ナニ昨夜の」と。「アッそうそう忘れていた、あの男はどうした な」「どうするものですか、仰せ通りに.取り逃がさぬよう縛り上げて見張りをつけてあります」 「ハハハ、ヤレヤレかわいそうに、早く解いて帰してやりたさい。仇討などとはでたらめだよ」 「エエッ、嘘でしたか」「アアそうだよ」「何だってまたそんな嘘をおつきにたりました」「何さ、 ああでも言わなくては、騒々しくて眠られなかった」というサゲ。  これが「宿屋の仇討」で、同じサゲ同じ筋でも「万事世話九郎」の方は内容がちょっと変って もっと賑やかである。これは「弥次郎」「嘘吐村」「本堂建立」「阿弥陀が池」などとともに、嘘 を扱った落語の部類へ入るべきもの。また「羽衣」や「笑い竹」「にせ金」もこの中に組み入れ ていいものと考える。  移入の「酪駝」 「いろは歌留多」も終りに近づいて来たが、次の〔ひ〕は「ひやでもいいからモウ一杯」。  これは有名な「らくだ」という話で、岡鬼太郎氏の脚色によって演劇にまでなり、吉右衛門が 初演して、更にエノケンの一座でも当り狂言としたほどである。  歌舞伎の方の名題は「眠るが酪駝物語」。その肩書きにもある通り、片棒をかつぐゆうベのふ ぐ仲間、らくだと紳名された馬公という暴れ者が、手料理で鰻を食い中毒し、死んでいるところ へ昨夜飲み合った友達の半次という男が来る。これも恐ろしい顔をした不良である。こんな奴で も、友情は持ち合わせていると見え、らくだの死を発見した以上、打ちやってもおかれないので、 始末をしようとするところへ、久六という紙屑屋が来る。これが吉右衛門なケエノケンなりが勤 める主役であって、半次は早速この久六をつかまえて、「お前もらくだとは古い馴染だろう、サ ア手伝って行け」と脅し、「まず家主のところヘ使いに行け。そして今夜の通夜に酒と煮しめを 寄進させろ。いやだと吐《ぬ》かしたら構わねえ。亡者を連れて来てカンカンノゥを踊らせると言え」 と命ぜられ、困り切ったが気の弱い久六は断り切れず、その通りを家主へ取り次ぐと、大屋さん 怒るまいことか。「長年の間家賃も入れずに、よくそんた押しの強い虫のいい事が言えたものだ。 面白いや、カンカンノゥを見せて貰おうじゃねえか」と強く出る。久六がこれを復命すると、半 次も意地になって、いやがる屑屋に死人を背負わせ、家主のところへ乗り込むので、まさかと思 ったのに大狼狽。あやまって引き取らせ、酒も煮しめも都合してやる。  半次と二人でこの酒を飲んでいるうち、久六は酒の勢いで別人のごとく強くなり、あべこべに 半次を叱りつけて死体の始末をさせる。芝居の方はこの辺までだが、落語はもっと先があり、二 人が早桶を差しにないに界ぎ出したのが夜の事、途中で急に軽くなったのにも、酔っている久六 と半次は気がつかず、火屋、すなわち焼場まで行ってから、初めて早桶の底がぬけている事に心 づき、サア途中で落しちゃったなと、慌てて引き返すと、往来に酔払った願人坊主が寝ている。 ここに落ちてた落ちてたと、間違えてその坊主を界いで来て、火屋へ放り出してさっさと帰っち まう。あとで坊主は、ややあって目をさまし、「アリャアリャ、変なところへ来ちゃったな。い つの間に誰がこんなところへ連れて来たんだ。ウーイ、一体ここはどこなんだよう」。聞かれて 火屋番が、「やかましいなア。ここは火屋だよ」と答えると、「何を、ヒヤだと。ウムゥム、ヒヤ でもいいから、モウ一杯飲ませろ」というサゲ。どうにも手のつけられぬ酔払い揃いの落語で、 先代小さんが上方から東京へ移入して以来、呼び物の一つとなったのである。  しこうして同じ酒のみを扱った落語としては、この外に「代り目」「ずっこけ」「花見酒」「か べ金」「市助酒」「一人酒盛」「居酒屋」「棒だら」「二番煎じ」「禁酒番屋」「馬の田楽」などがあ り、狂い水と呼ばれるほどの酒から、いろいろの間違えも出来るくらいゆえ、これを扱った落語 の多いのも怪しむに足らぬ。酔漢や酔態の描写にもそれぞれ技巧を要することもちろんで、今も 名の出た先代小さん名人は、自分がひと口も飲めぬ下戸でありながら、酔態のうまかったのは、 仲間の中の酒好きを自宅へ招いては御馳走して、次第にアルコール分の廻って行く態度を、じっ と観察した結果だということ、何でも人知れぬ苦心はあるものと思う。  花嫁武勇伝  さて次の〔も〕は、「もも傷三寸肩八寸」とあり、これは「長刀傷」という話。  ある大きな商家の息子がブラブラ病。父親が心配すると、手代の忠蔵の言うには、「若旦那だ とていつまでも子供ではありません。三年たてば三つにもなります。世間の諺にも、桃栗三年柿 八年、柚子は九年で成り下がると申します。若旦那もお年頃ですから、きっと恋煩いだと思いま す」とあった。「ホホウ、何かそれには、心当りでもあるのかえ」「実は申し上げますが、この先 の裏にいる岩田角左衛門という御浪人の娘、天人が天下ったような美しい御器量で、若旦那はき っと、あのお嬢さんを見染めたのに違いないと思います」「フム、それほど惇が気にいったのな ら」と、念のため本人に聞いて見ると、若旦那顔を赤らめながら「実はそうだ」と言う。  そこで忠蔵が岩田方へ話に行くと、口の利き方が悪いので角左衛門は立腹、刀をぬいて脅され て、忠蔵は胆をつぶす滑稽があり、結局「主人のためなら、私はお手打ちになっても構いませ ん」の二言に、浪人も感心して話がまとまる。  若旦那も望みがかなって大喜びの結果、現金なもので病気も全快、黄道吉日を選んでめでたく 結婚。同じような筋でも講談の「小西屋」の方は、ここに故障が入って大変な悲劇的の騒動にな るのだが、この落語の方は故障もからしも何も入らず、スラスラと運んで、縞麗な若旦那に美人 の花嫁、一対のお雛様みたいな夫婦が出来上がり、恋女房だから至って円満に睦まじかった。  するとある夜の事、この家へ三人組の強盗が押し入って、番頭、手代、若い者、小僧、みんな 縛り上げて金を出せと脅迫、若主人は標え上がっちまったが、嫁さんは武家の娘だけに驚かない。 「今持って来て上げるから待っていなさい」と土蔵ヘ入り、後ろ鉢巻檸がけの支度甲斐甲斐しく、 薙刀を携えて出て来るや、「サア、賊ども尋常の勝負に及べ」と渡り合った。泥棒は驚いたが、 タカが女のこと、「何を小しゃくな」と打ってかかったところ、この嫁さん強いの強くたいの、 父親角左衛門の仕込みを受けた無双の達人、薙刀をリュウリュウと水車のごとく風車のごとくプ ロペラのごどく振り廻し、たちまち三人の賊に手を負わせ数珠つなぎに縛り上げて突き出しちま った。青くなった泥棒連、「何だいあの女は、恐ろしく強いなあ。おれは肩を八寸斬られた」「ウ ムおれは股を三寸やられた」「おれはまた手の指を→本斬られた」と顔見合わせ、〃もも傷三寸、. 肩八寸、指は九本になりかかる"と割ぜりふがサゲになっている。  すなわち前に番頭の言った、"桃栗三年柿八年、柚子は九年で成り下がる〃という文句の語呂 で落す地口落ちであるが、前にそれだけの文句を並べて置かないとこのサゲが引き立たない。そ の点を考えると、仕込落ちとも言えるであろう。とにかく情味もあり変化もあり、筋もめでたく 快い話と思う。  次の〔せ〕は、「千両当つて一苦労」。  これは「水屋の富」という話で、前にも「富久」の話が出たが、富とはすなわち富籔のこと。 その昔はこれが公許になっていて、】分とかで札を買い、万が一にも僥倖にぶつかって一番の大 当りにでもなろうものなら、大枚千両取れたものだそうな。今日でも報国債券などの一等は一万 円の割り増し金がつくから、皆がその当りを楽しんでいるようなもので、昔一両の元手で千両と 来れば、今日の一万円以上にもなったろうから、誰しもこれに熱狂したのは無理もなく、夢中に なって当り籔を祈り、中には断食をして願いをかけたものさえあり、千両当ったトタンに、驚い て腰がぬけた盲人もあったと言うし、さては精神に異常を呈して、笑い通しに笑い続け、笑い止 んだと思ったら、死んでいたなんというのがある。こうなると富を買うのも命がけだが、落語に も前述の「富久」を初め「宿屋め富」「御慶」すなわち「富八」だの及びこの話だの、富籔を扱 ったものが沢山ある。  水屋というのは「冷っこい冷っこい」と、荷を昇いで水を売って歩く商人で、これが毎日商い に出る途中、人に勧められて富の札を一枚買ったところ、運よくもこれが千両に当ったのである。 もちろん本人は大喜びをしたが、サアこうなると心配で心配でたまらず、誰を見ても泥棒に見え、 眠れば必ず盗まれた夢を見る。神経衰弱にたりそうで弱ってしまう。いろいろ考えた末、畳を上 げて床下へ隠し、これでよしと商いに出たが、気にかかって安き心もなく、帰宅すると四辺を窺 い、床下を覗いて見て、「あったあった」とようやく胸を撫でる。毎日これを繰り返しているう ち、ついに賊に感づかれて根こそぎ持って行かれちまう。水屋は帰って来て床下を覗き、「アッ・ なくなったかえ。ヤレヤレこれで今夜から安心して寝られる」というのがサゲ。悟りの話とも見 られてこの結末は皮肉で面白いと思うが、この奇抜な落し方は逆さ落ちか、それとも間抜け落ち かこの分類は討論の余地もあろう。  ところで次の〔す〕は、「酢豆腐はひと口に限りやす」である。  これは暑い時分に"有い衆が多勢集まり、一杯やろうとなったが肴がない。買いたくとも銭がな いというないもの尽し。そのうちに、それでは糠味噌《ぬかみそ》の香物を出して下物にしようという事にな ったが、手の臭くなるのをいやがって誰も引き受けるものがない。すると通りかかった自惚れ男、 これを皆で呼び込んで、「オイ何か奢れよ。小間物屋の娘が、お前の事を大変褒めていたぜ」「そ うか有難え、何と褒めた」「町内に若い人も多勢いるけれど、吉さんほど男気のある達引きの強 い人はないといったよ」「ウフフ、そうかえ。ようやく世間の女におれの心意地が分って来やあ がったな。何しろおれはどんな事でも、頼まれた事をいやと言えねえ性分なんでね」「そうだと もそうだとも、そこだよそこだよ。そこを見かけて一っ頼みがある。一同揃ってのお願いだが何 とか糠味噌の香物を出してくんねえか」「エエッ、ぬ、ぬ、糠味噌はいけねえ。こうなると達引 きも弱くなるよ。アアこれで勘弁してくれ」と、五十銭投げ出して逃げて行くクスグリたんぞが あり、結局昨夜買った豆腐を思い出して、あれはどうしたろうとなると、与太郎が釜の中へ入れ て蓋をしてあるという。「そいつアいけねえ。このウン気に、そんな所ヘしまっちゃあたまらね えぜ。とにかく持って来て見ろ」と取り出したのを見ると、すっかり腐って黄色くなっている。  一同アッと鼻をつまんだところへ、向こうから反り身でやって来たのが、平生歯の浮くような |通《つう》を並べる気障《きざ》男だった。「アアいい者が来た」とこれを呼び込んで、「ネエ若旦那、あんたはお 料理道楽と伺いましたが、イキな凝った食物も随分お食べ飽きでしょうね。あなたに見て頂いた ら分ると思いますが、これは一体何でござんしょう」と、例の腐った豆腐を持ち出して見せる。 若旦那はふだん聞いた風な通を並べている手前、分らないとも言えず、「ウームこれはその、つ まり何ですよ。その、ウム、酢豆腐といいましてね。賛沢でオツで、本当の食通の味わうものと してありますよ」などと言う。「ヘエー、大したものでござんすね。一っ若旦那、食べてみて下 さいな」と、八方からせがまれよんどころなく、箸でははさめないから匙ですくって、口までは 持って行ったが、その臭気は鼻をつくどころか目へしみるくらいだ。我慢をしてひとロ頬張った ものの、目を白黒して大苦しみ、「アリャアリャ、食べたよ食べたよ」と、皆はころげて笑いな がら、「サアもっとどうぞ、御遠慮たく」と勧めるので「イヤ酢豆腐はひと口に限りやす」と言 うのがサゲ。 -半可な奴のことを「酢豆腐」というくらいこの話は有名なもので、今の文楽などに絶妙の巧さ がある。しこうしてこの話の部類は「やかん」や「てんしき」と同様、生物識のくせに知った振 りをする半可通を扱った話の仲間であろうが、サゲとしてはトタン落ちかぶっつけ落ちか、こう いうのがちょっと分類に迷うのである。さていよいよ「いろは歌留多」の最後となった。  七人語り分け  すなわち〔京〕の、「京見物江戸つ子の悪口」で、この話は「京見物」とも「祇園会」とも 「およく」とも題せられる。  部類はやはり旅行の話で、江戸っ子が三人連れで京見物に出かけ、言葉が分らないので滑稽の 数々、「とにかくひとっ風呂飛び込んで汗を流そうじゃあねえか」「一体銭湯はどこにあるんだ。 モシ、湯はどこですね」と聞くと、「向こうの八百屋はんにありますがな」と教えられ、「アレ、 八百屋に湯があるとはおかしいな」「何を、ちっともおかしい事はねえじゃねえか、だから汝《てめえ》な んぞは無学だから駄目だてんだ。いいたやお屋とは八百屋と書くだろう、何でもあるから八百 としてあるんだ。湯だってたくてどうするものか、行ってみろ行ってみろ」と青物屋の店へ入り、 「オウ、おかみさん、湯はあるかね」「ハアおますえ」「オイ、おますとよ、おますさん達者かね」 「何を言ってやがるんだ。おますてのはありますてえ事だ。ヤレ有難え有難え、それじゃあ早速 入らして貰おう」「アレアレ、あんた方、裸になってどうしやはる」「どうするものか、あるてえ から湯へ入るんだ。着物を着ては入れねえ、一体どこにあるんだ」「ユウならその策《ざる》の中におま すがな」「何、策の中だと」「ハイこれやがな」と、出したのを見れば柚子であった。  こんな間違いの失敗を繰り返しつつも、名所は多いし、女の扱いはやさしいし、三人ともいい 心持ちになって、所持金を使い果し、一人は伯父のところへ厄介になって、あとの二人が江戸ヘ 帰る。  残った一人は心細くてたまらないが、そのうちに有名な祇園の祭礼、洛中を山鉾が練って通る。 江戸っ子は京都の人と大阪の人とに連れられ、四条大橋西詰の茶屋へ行って見物する。酒の廻る につれて三人とも土地σ自慢、江戸っ子は江戸の悪口を言われて績にさわり、口を尖らしてポン ポンタンカを切り、京都の悪口を言うところが聞かせどころで、江戸と上方、祭りの唯子くらベ など熟練をつまなくてはしゃべれない。  そこへ恐ろしく欲の深いおよくという達者た芸妓が来て、これがしゃべることしゃべること、 いちいち客の家業を聞いては無心をするので、一人は飛脚屋だと逃げると、「そんなら手紙を一 本届けて下さい」と頼むし、一人が私は石屋じゃと胡麻化すと、「そんなら来年年回に当る、お 母さんの石塔を一本ただで建ててくれ」とまた無心をする。江戸っ子は呆れ返って、「おれア火 屋番だ」と言うとその芸妓が、「マアいい御商売やなア。ちょうどいいから無心があります」「ア リャおん坊にまで無心があるのか」「ハイ、私が死んだら、ただで焼いておくれやす」と、これ が結末。  この話は何といっても、現在の桂文治が専売で、江戸っ子と京都の人と大阪者との言葉をしゃ べり分けるばかりか、祇園唯子や江戸神楽の打ち込みなどを、能弁にたたみ込むところ天下一品 の称がある。何しろ同じ上方でも、大阪と京都では、言葉にも託にも違いがあるので、それを語 り分けるということは誰にでも出来ることではない。故人では名人の円喬がそれを巧みに話し分 けた。もっとも円喬という人は、話中の人物の調子を全部話し分けた人で、たとえば「強情」と いう話などには、番頭夫婦、主人夫婦、その主人の親である隠居老夫婦、この三組がもつれ合っ て激しく言い争っているところへ、出入りの商人が来て仲裁したが、争いの原因が食事のことと 聞いて、「それでは私は手を引きましょう、おはちが廻るといけません」というサゲ。筋は大し たものでなくとも、以上七人の人物を、一言でそれと分るよう、弁じ分けたのだから実に巧いも のだと感心した事であった。  痛快な片棒  さてまず以上で〔い〕から始まって〔京〕に終わる、「いろは歌留多」 これに因んだ幾つかの梗概を説明し終わったが、これだけでは、 ○教訓的道話部類……「天災」「廠火事」 の落語四十八項、 及び ○風流文雅部類……「梅の春」 ○名人話……「抜け雀」「古喜」 ○人情美談部類- ○武道部類…… ○恋愛部類… ○神舐釈教部類- ○易占売ト部類: ○趣味熱中部類- O吉事幸慶部類 ○富籔僥倖部類 ○未開無智部類: ○知った振り半可通  ど へいかつ ○御幣昇ぎ- ○付焼刃… ○粗忽… ○嘘つき…・ ○居候…  -「仙祭」「芝浜」「茶碗邸」 「長刀傷」 「皿屋」 ・・「甲府イ」「万金丹」「杵大師」等。 …「千切伊勢屋」「お神酒徳利」等。 …「寝床」「茶の湯」等。 ……「松竹梅」「安産」 ……「富久」「水屋の富」 …・「松山鏡」    -「千早振」「酢豆腐」 …「しの字嫌い」 …「時蕎麦」「山火事」 「粗忽長屋」「永代橋」 :「宿屋の仇討」 「立浪」 ○与太郎… ○盲人、 ○盗賊…: ○酒のみ…: ○遊里部類 ○囲いもの・ ○怪奇…… ○動物…… ○旅行…… ○外に……  …「牛ほめ」「飽のし」「熊の皮」 障害者……「心眼」  すなわち二十九部類とその例話五十余項目を挙げたに過ぎず、 い〃というごとく ないのであるから、 まず、ケチンボウから始める。 「ちょっと隣へ行って、鉄槌を借りておいで」「ヘエ、行って参りました」「借りて来たか」「と ころが貸して下さいません。いずれ釘を打つのであろうが、釘を打てば何分か鉄槌の鉄が減る。 惜しいから貸せませんと断られました」「何だと、ウーム、マア何という吝畜坊だ、呆れたなア、 .「花色木綿」 ・「らくだ」 …・「磯の飽」「六尺棒」「羽織」「三助」「文違い」  -「りんきの独楽」 「野晒し」 「田能久」「元犬」 「百人坊主」「京見物」「とろろん」「三十石」「三人旅」等。 「鼻利源兵衛」「鼻利長兵衛」等。                        "落語家は世上のあらで飯を食   、世間の人事百般を題材とする落語が、これくらいの部類ですんじまうはずは     これよりは以上に洩れた部類について、片っ端から順々に話を進めるとして、 ではマア仕方がない。惜しいけれども、宅にあるのを出して使え」というマクラの小咄を初めと して「しわい屋」「位牌屋」「二十蝋燭」「けちくらべ」「形見分」「折詰」等いろいろあり、どう もあまり極端な吝畜と強欲は、落語で聞いても不快であるが、そこへ行くと同じ事でも「片棒」 となると賑やかで面白い。  これは爪の先へ火をとぼすように、義理も人情も儀礼も欠き、いわゆる三欠くの法を行って一 代に巨富をため込んだ強欲の商人が、だんだん取る年とともに死後の始末を気にし始めて、三人 いる息子のうち、まず長男を呼んで、「おれが目をつぶったら、葬式はどんな具合に出すつもり か」と尋ねる。  このまた総領が、親に似ぬ鬼っ子か大変な道楽者で、「さようですな、余人と違って赤西屋吝 兵衛と、世間に名を知られた大商人の葬式、みっともない事は出来ません。取り敢えず仮葬でお 骨にしておき、本葬はあらためて日取りを定め、それまでに十二分の準備をいたします。各新聞 へ広告はもちろんの事、力士一俳優、遊芸師匠、講釈師、落語家、轍間連中、芸人という芸人へ 全部揃いの羽織を出して、新橋、柳橋初め各所の花柳界から、よりぬきの一流どころには肌ぬぎ の手古舞に出て貰い、いろは四十八組の、消防連中へ揃いの印半天、お父さんのお骨は出車に乗 せて、上へ似顔の人形を立てます。前後へ地走り屋台をつけて休みなく唯子を打ち込み、何十万 という会葬者が行列をして練り込みますが、辻々へ来ると立ち止って、チョーンチョ1ンと拍子 木を打ち込み、東西イー……」というような具合にばかばかしい大掛りの祭礼仕立てを考えてい るのだ。コ体それで費用はどのくらいかかるな」「サア三百万両もかけましたら」「ばか野郎、 あっちへ行ってろ、-何てえ奴だ。とてもあんた奴には身上はゆずれないよ。その日のうちに破産 しちまう」。 「竹次郎ここへ来なさい」と代って二男に意見を聞くが、これもまた兄に劣らぬ呑気息子で、こ の方はすべてモダンな好み、.父親の骨を飛行機ヘ乗せ、宙返りをしながら空中へ。煙幕でアカニ シヤケチベニのヒツギと字を書かせようという考え、とたんに一同が声を揃えて「バンザイ!」 「ばかッ、どこの国に葬式で万歳を唱えるべら坊があるか。あっちへ行ってろ、呆れた奴だ。揃 いも揃って何てえ事だろう」。 「松三郎ここへ来な。お前はしっかり者だが」と言ったが、なるほどこの三男は父に輪をかけた ガッチリ屋で、「何事も家のためだ、我慢をして下さい。私なら一銭も使わずに葬式を済ませま す。早桶も菜漬の古樽で辛抱してくれませんか」という徹底振り。「アア、いいともいいとも結 構だ」「ついては人夫も雇わずに、私が界いで行きますが、あとの片棒に困りました」と言うと、 吝兵衛が、「ヴーム心配するな、その片棒はおれが出て界ごう」というサゲ。これでこそ落語と いえようη 空想の道行 〃人毎に一つの癖はあるものよ。 我にもゆるせ敷島の道"。この古歌をマクラに振るから、 何か 和歌もしくは歌人の話にでもなるのかと思うと、あにはからんや、人様々にいろいろある、癖の 話が始まるのだから、落語はどこまでもとぽけたものに相違ないが、なくて七癖、あって四十八 癖とやら、そんなにあられても困るだろうけれども、これを話す落語家自身にさえ、衣紋をつく ろう癖、頭をかく癖、羽織の紐をいじる癖、扇子をやたらにパチつかせる癖、出入りの態度にも 各目それぞれの癖があるのだから、今更ひとのアラを拾えた義理でもあるまいが、家業ならば是 非もたい。しこうしてこの癖を扱った落語には「呑める」「四人癖」等を筆頭に、小言家主.の紳《あだ》 |名《な》を取った「小言幸兵衛」などもやはり癖の一種として数えられるだろう。  この「小言幸兵衛」には二種あって、仮に一つを「道行幸兵衛」といえば、一方を「つきや幸 兵衛」と題している。どちらも麻布古川に幸兵衛というお家主、至って世話好きだが気のつきす ぎるやかまし屋で、のべつに小言ばかりいっていますから、人呼んで小言家主または小言の幸兵 衛さんと申しますという事に変りはなく、どういうところから麻布古川という地名を限定したの やら、そこは判然しないが、まさか同所にそんな人が現存した訳でもなかろう。  それはさておき、この幸兵衛の所有家屋に空家があり、貸家札を貼ってあるものだから、探し ている人は皆聞きに来る。その聞きようが悪いと幸兵衛は気に入らないで叱りつける。その揚句 そんな物を知らない奴には貸せないと、引き断るのだからやり切れない。すると中にはまた、非 常に丁寧な物腰の人があって「お家主の幸兵衛様と仰せられますのは、御当家様でいらっしゃい ますか。ただ今お表を通りかかりましたるところ、まことに結構なお家がございます。札をお張 りになってございますが、いかがでございましょう、私どものようなものにも、お貸し下さいま しょうや否や、この段を伺います」などと、至極当りの柔らかな口上なので、幸兵衛大喜び、 「有難え、初めて人間らしい人が来たよ。今までの奴とは大違えだ。この段を伺いますなんてえ 言葉は、生やさしい学問では言えないよ。この段だから伺いますだ。九段なら牛が淵だ。エエお 貸し申しますとも、お前さんのような礼儀を弁えた方に、ぜひ借りて頂きますよ。マア、こちら へお入んなさい。婆さんやお茶を入れな。何かお菓子があったろ」「イエ、もうどうぞお構いな く」「マアマア、遠慮しないでおかけなさい。ところで念のために伺っとくが、御商売は何をな さるね」「ヘエ仕立職を営んでおります」「ウ1ム理屈だねえ、仕立職だから糸なむんだ、建具職 なら板なむだろう」「恐れ入ります」「御家内は」「私ども夫婦に停、以上三人で」「どうだえ。ま すます気に入ったな、返事はこう言って貰いたいね。口数をきかなくてハッキリ分らア。さっき 来た奴なんざあ、私に娯アが一人と言いやあがった。当り前じゃあねえか。どこの国に娯アを二 人持つ奴があるものか。それが無駄というんだ。して何ですかえ息子さんはおいくつだね」「当 年二十歳に相成りまして、やはり仕立をいたしております」「そりゃあいいお子持ちだ。して息 子さんの仕事はどうですね」「へヘへ停の自慢を申すようですが、お得意様では、私よりも停の 方へやらせてくれと、お名指しがありますくらいで」「ホゥ、そりゃあ剛儀だ。して何かえ、い い男かえ」「こりゃあどうも、何でございますか、母親に似たと見えまして、色白のやさ形で、 羽左衛門に似てるなどと皆さんが仰っしゃいます」「婆さん、茶は出さなくともいいよ。菓子な んぞ片づけちまえ」。急に風が変って来た。「折角だがお貸しする事は出来ませんね」「オヤ何か お気にさわりましたか」「さわったとも、大さわりだ。第一お前さんとこが越して来ると、この 長屋に騒動が出来るー」「どういう訳で」「どうもこうもないよ。年が若くて、男がよくて、仕 事が巧いと来りゃあ、その悼を世間で打っちゃってはおかないよ。この長屋には年頃の若い娘が 多勢いるんだ。第一すぐ向こう前の古着屋の、お花坊なんぞは十九だよ。朝晩顔を見合わせてい るうちに……」と、幸兵衛さん調子に乗って、まだ越しても来ないこの仕立屋の息子と、古着屋 の娘と恋愛が出来上がる未来までを想像し、「両方とも一人息子に一人娘。嫁には出せず婿にも やれない。この世で添われぬくらいならと、若い者同志が無分別に、これから道行を決めるよ。  場所はまず向島だ。一面の土手で灯入りの遠見、コーンという本釣で、女の方が先ヘ駆け出して 来る。バッタリ蹟《つまづ》}て倒れるのを、お前の惇が飛び越して、互いに顔を見かわす花道……」と、 芝居がかり音曲入りで、幸兵衛は夢中にしゃべる。婆さん浮かれて踊り出す始末。「こんな騒動 になるのは決まってるから貸せないよ。帰んな帰んな」と断られ、仕立屋は呆れて帰る。これが 「道行幸兵衛」の方で、いやに派手だがそれに引きかえ、「つきや」の方はぐっと陰気になる。  敵性語封じ  幸兵衛のしゃべりにつり込まれ、うかうかと行数を費やしてしまったから、「つきや」の方は 簡単に述べるとして、これは借りに来た男の家業が据米屋だと聞いて、幸兵衛さんぐっと睨みつ け、「つき屋には恨みがある。二度添いに貰った女房が、毎朝仏壇へお茶湯を上げてゆくと、先 妻の位牌が後ろ向きになっている。いくら直しても朝にはきっと向こう向きだ。サア後妻は神経 を起こし、これは先のおかみさんが、私を恨んでる証拠です。私は取り殺されるかも知れないと、 気病みから煩いつき、看護の甲斐もなくとうとう亡くなっちまった。仏壇へは女房の位牌が二枚 並ぶ始末。今度は独り者になった私が、朝お茶湯を持って行くと、二枚とも向こう向きになって いる。はて怪しい、何かこれは、狐か狸か、化け物の悪戯に違いないぞと、おれは正体を見届け るため仏壇の前へ坐って、位牌を睨めながら夜通し起きていた。十時、十一時、十二時と、夜が 更けるに従って世間はシーンとしてくる。一時が二時になって、真夜中の丑満時。今こそ何か出 るかと睨んでいたが、何事もなく三時が四時になり、五時と来るともう夜明けだ。早い家はガラ ガラ雨戸をあける。すぐ隣に据米屋があって、アア鐘が鳴るかヨゥ、撞木が鳴るかヨゥ、ズシン。 鐘と撞木のヨゥ、合が鳴るヨウ、ズシン。これがこちらへ響いて来て、ズシンズシンというたび ごとに、仏壇の中の位牌が少しずつ動いて、クル、クルと廻り出し、ちょうどおれの家で、朝の お茶湯を上げる時刻にはピタリ向こう向きになるんだという事がこの時初めて分ったんだ。して みりゃあ化け物の仕業じゃあねえ。掲米屋のお蔭で二度添いの女房を死なしちゃった訳で、全く あの家内は掲米屋に殺されたようなものだ。この恨みは忘れねえぞ。汝も同じ掲米屋とあるから には仇の片割れだ。覚悟をしろ」「ウアi大変だ」と、この男は逃げ帰っちまう。 サゲは「道行」の方も「つきや」の方も、足で格子をあけるような、乱暴狼籍な奴が入って来 て、「ヤイ家主の幸兵衛てのはうぬか、あすこの家を借りてやるから有難く思え。おれんとこは 山の神に道六神に河童野郎だ」とタンカを切る。さすがの幸兵衛もアッけにとられ、「してして お前さんの御商売は」「鉄砲鍛冶よ」「アァ、道理でポ.ンポン言い通しだ」というのが結末。あま り有難いサゲではない。  なお前に話した「強情」や「強情灸」もこの部類に入るベきかも知れず、「呑める」は別に 「二人くせ」とも題し、甲は楽天的で二言目には、「そいつア有難え一杯呑めるな」と言うのが口 ぐせ。乙は陰性で「何をつまらねえつまらねえ」とこれが口ぐせ。お互いに気をつけ合って、こ の口ぐせをやめようではないかという事になり、それには張り合いのつくように、口をすべらせ たら五十銭ずつ罰金を出そうと約束。そうなると乙の方が、しまっているだけになかなか言わな い。甲はどうかして乙に口ぐせの「つまらねえ」を言わせようと、町内の隠居さんに智恵を借り る。  隠居も考えて、「それには形からして持えて行かなくてはいけまい。半天の上から捧でもかけ て、小細工に手の先へ糠味噌でもつけ、『今練馬大根を百本、醤油樽のあいたのへ漬けようてん だが、つまるだろうか』と何気なしに相談してみなさい。きっと『それはつまらねえ』と言うに 決まっている。五十銭取れるじゃあないか」。「アア、なるほど」と奴さん早速出かけるが、間抜 けだからすぐとトリックを看破され、「駄目だよ。入らないよ」と逃げられた上、「フン、.お前な んぞに構っちゃあいられないんだ。友達が角の料理屋から呼びに来ているんだよ」と立ち上がっ たので、「そいつはうまくやってるな、一盃呑めるな」と口をすべらし、あべこべに五十銭取ら れる。  甲は忌々しがって、更に隠居の智恵を借り、自宅で将棋盤に向かい、詰将棋を考えているとこ ろへ乙が来て、好きな道だけに心を奪われ、「ドレドレおれに考えさせて見ろ。エエと、金銀歩 三兵でこの王様を詰めるのか。ウームこりゃあどうも、どうしても詰まらねえ」「そりゃ言いや あがった。サア五十銭出せ」と胸倉をとる。「痛え痛え放してくれよ。出すよ出すよ。アアどう も巧く考えやがったな。仕方がねえ、ホラよ」と紙幣を出せば、「ヤア一円ではつりがねえぜ」 「いいや、あんまり巧えから皆やってもいい」「そうか有難え、一盃呑める」「アッ、それで差し 引きだ」というサゲ。  最近これを換骨奪胎して紙切の林家正楽が「英語封じ」という新作をまとめた。つまり敵国英 米の使う英語だから、今後は絶対に口にしまいと申し合わせ、これは一円でこの罰金を約束。 「よし心得た。おれはこれから映画館へ行って来る」「アア、ニュースを見にか」と、このニュー スで早速一円を取られ、取り返したいものと今度は膳の上へ洋酒の罎を出して待っていると、そ こへ相手がやって来て、「ホゥ珍しいな、ウイスキーか」「そりゃ言いやあがった一円よこせ」 「アヅこいつは巧く引っかかったな。とにかく一盃呑ませろ、ちょいとそれを取ってくれ」「ウム、 このコップか」「アヅそれで差引《さつび》きにしよう」と、これは気の利いた作だった。  めいめい付け  教育が一般に普及した今日、無学や無筆のいそうたはずはないが、半世紀ほど前まではそう行 かなかった。況んや昔はなお更だったろう。その時代からの落語の中に、全然書くことも読む事 も出来ね無筆者の多く出て来ることも不思議ではたく、これも第三者から見れば、たしかに滑稽 の材料であったろう。  その無筆の話には「手紙無筆」「七兵筆」「清書無筆」「無筆の女房」等ある中に、手の込んで いるのは、「二人無筆」であろう。  町内の大きな商家に不幸があって、出入りの者はそれぞれ今でいう葬儀委員、各自にいろいろ の役割りを決められた中に、熊さんという大工の棟梁、これが甚兵衛さんという人と両名で、当 日の帳付を頼まれる。ところが熊さんは一字も書けない。全くの無筆なのだが、今更恥もかけず 引き受けたもののサアどうしたものかと途方にくれ、帰宅して女房に相談し、残念だが今夜のう ちに、この土地を立ち退いてしまおうと悲壮な決心をする。女房も驚いたが、「マア、お待ちな さいよ。何もお前さん一人で受け合った訳ではたし、もう一人甚兵衛さんという同役があるんだ から、明日は早くからお寺へ出かけ、甚兵衛さんの来ないうちに帳面の支度から、何かの雑用を 皆してしまって、この通りあとの事は皆私がいたしますから、どうか帳付の方は、助けると思っ、 てあなた一人で引き受けて下さい。実は私、字の方は一向駄目なんですからと、あの人だけに白 状をして一,時を凌がせてお貰いなさいよ」と、女房に智恵をつけられ、「たるほどそれもそうだ。 よしそれではそうしよう」と、その晩のうちに支度をして、翌朝はベら坊に早く寺ヘ乗り込んで みるとこれはしたり、もう甚兵衛が来て待ち受けていて、「棟梁お早うございます。御苦労さま。 私はもう先刻から来まして、この通り帳面や何かすっかり用意して置きました。あとの事は何で も働きます。面目ないが実のところ、、私は字と来たらいろはのいの字も知らたいので、まことに すみませんが、棟梁、私を助けると思って、今日の帳付はお前さん一人でやって下さい。それを お願いしたさに、今朝は暗いうちに起きてここへ先廻りをしていたんです」と両手をつかれた。 サア熊さん弱っちまって、「そりゃあ大変だ。本当は私もその通り、すべてあたたにお願いしよ うと思って、こんなに早く来たんですが、甚兵衛さんも御同様とは知らなかったな、サア困った どうしま↓よう」「エッ、棟梁も駄目だったんですかえ。ウ1ム驚いたねえ」といって今更二人 とも逃げ出すごとは出来ず、「アア、こうしましょう。帳面は私たちがつけずに向こうへ向け、 仏の遺言だから、今日は御めいめいおつけ下さい。亡くなった旦那の遺言ですからという事にし て、来た人に自分でつけさせようじゃありませんか」「アア、なるほどこりゃあ巧いや。じゃあ、 そうしましょう」とひどい事になるもの。  そのうちに会葬者はドシドシやって来る。熊さんと甚兵衛と口をそろえ、「エエ、遺言ですから、 めいめい付けに願いますよ。エエ自分付けでござい」とすましたものだ。会葬者だって書ける人 ばかりはいない。そりゃ困った、と言ってる所へ、町内の手習師匠が来て、「では私が」と皆代 筆してくれた。棟梁と甚兵衛はホッと一息、まずこれで役のがれだと安心しているうちに、本堂 ではお経も始まる。そこへ遅ればせに来た一人が、「どうもすまねえ、ちょいとそこへ、八五郎 とつけておくんなさい」「それがね八さん、今日は仏の遺言でめいめい付けで、お前さん自分で 書いて下さい」と言われ、この八さんも無筆とて大閉口、「ウームそんならおれは、来ないこと にしておいて貰おう」というサゲ。  巷の悲喜劇  江戸時代の町家の、大掛りな葬式の様子が目に見えるようで、自然にかつおかしい好落語と思 う。しこうしてこのサゲは間抜け落ちであろう。  なお、珍しい種で気の利いているのは「泣き塩」である。  場面は丸の内の大手前あたり、立派な若侍が通りかかるところへ、バタバタと駆け寄って来た のは、町家の女中らしい若い女で、「もしまことに申し兼ねましたが、お武家様とお見かけ申し、 御無心がございます。他の事でもござりませぬが、国元から参りましたこの手紙、あいにく誰も 留守で読んで貰えませぬ。お恥かしい事ながら、幼少の時より手習いを嫌いま,した罰はてき面、, 文字は仮名さえ読めませぬ無筆の女、何が書いてありますやら、先日風の便りに聞けば、どうや ら母親の加減が悪いとの事、万一の変りでもあったのでござりますまいか。気にかかりますので 心も急ぎ、たまりかねて御通行の、あなた様へお槌り申すのでござります。お出先のお妨げをい たし申し訳もありませぬが、どうぞ無筆の私を、あわれと思し召してこの手紙の文面を、読んで 聞かせて下されませ」と、女中は思いつめて一生懸命。若侍は差しつけられるまま手紙を取り上 げたが、見る見る顔の色を変え、「ああ残念な」と洩らした一言、「エエ」と女も吃驚すると、 「悔んでも詮方なし、今となっては最早手遅れ、やんぬる哉やんぬる哉」と、果てはボロボロ落 涙し始めた。男が泣くとは只事でない。女はその体を見るやハッと取り乱し、「さては虫の知ら せ通り、お母さんはもう手遅れ、この世の人ではないのでござんすかえ、私どうしようどうしよ う」と、女心のなお更に手放しでワアワア泣き出す。  、  折柄天秤で荷を昇ぎ、「エエ、焼塩焼塩」と、売り声をかけながら通りかかった年よりの商人、 見ると若侍と若い女が、手紙を読みかけて悲歎の有様、仔細ぞあらんと荷をおろし、二人の傍へ 寄って来たが、「これさどうなさいました。イエさ仰っしゃるまでもなく、たいてい訳は察しも つきます。こう見たところがお二人とも、水の出花のお若い同志、いずれは思い思われて、変る まいぞえ末長くと.堅いお約束をとり決めなすったを、月に村雲花に風、ままならぬが世間の習 い、添うに添えない故障が出来てのお歎きと存じますが、そこが浮世でござります。かならず短 気をお出しなされますな。この爺にも、ちょうどあなた方くらいの、停や娘がありますだけに、 ひと事とは思われませぬ。一河の流れ一樹の蔭、袖振り合うも他生の縁、つまずく石も縁の端と やら、膝とも談合と言いますれば、御愁歎のその仔細を、私にお打ち明けなされませ。年より相 応にまたよい分別が出ぬという限りもござりませぬ。あなた方のお歎きを見ましては、私までが 悲しくてこらえられませぬ。オウオウ、ごもっともごもっとも」と、老人とうとう泣き出しちま った。  物見高いは江戸の常、まして往来中でこの始末ゆえ、何だ何だと一人立ち二人立ち、いつか周 囲は黒山のように人垣を築いてしまう。若侍は当惑、女は赤面、爺も群衆に取りまかれてウロウ ロする。  と中にはまた、お節介な世話やきものあって、「モシお前さん方、一体これはどうなすったん で」などと口を出すものもあった。女は涙の顔をあげ、「実はこれこれでござります」「ヤレヤレ それはかわいそうに、したが人間は老少不定。寿命ずくで是非もない。とにかくその手紙をお見 せ」と、これは文字の読める男と見え、書状を娘から受け取って、サラサラと読み下し、「オイ オイ何だ冗談じゃあねえ。何も悲しい事はないじゃあねえか。これは病気の知らせじゃあたい よ」「エッ、それではあのお母さんの、悪いという便りではござりませぬので」「そうともそうと も、お袋さんの病気も治ったと書いてあるし、それよりもお前、喜ばなくちゃあならないぜ、と いうのはこれ見なさい。かねて話のあった縁談もいよいよ決まって、近々に婚礼という運びにな ㌧たから、御主人に願ってお暇を頂き、一日も早く帰って来いと書いてあるぜ」。言われて女中 は飛び立つ思い、「エッどうもそれはマア、嬉しいことでござります。よく読んで下さりました。 有難う存じます」と、今までの歎きもどこへやら、イソイソと手紙を抱え、元来た道ヘ急いで帰 る。「何だ、今泣いた烏がモウ笑って行っだぜ」と、あとにはドッと笑い声。  侍は赤くなったり青くなったり、「全体お武家様。あなたは何であの女の手紙を見て、今まで 泣いておいででした」と、訳を聞かれてますます困ったが、「絶体絶命是非に及ばぬー今は何を か包み申さん。この身の恥を申し述べる故、立ち合いの衆も笑うて下さい。何を隠そうそれがし は、生まれついての学問ぎらい、剣術・柔道では人後に落ちねど、読み書きは身を切られるより 辛く、我儘を通して少しも習わなんだ。その怠りが今に報い、武士の身には不面目な無筆文盲。 以来不自由をしておったが、今も今とてあの女中に、手紙を読んでくれとつきつけられ、武士た るものが、文字は読めぬとは断りかね、手には取って見たものの、何が書いてあるのやら、一向 見当さえつかぬ口惜しさ。アア、残念じゃ無念じゃ。学問出精さえしておったら、この生恥はか くまいもの、今となっては悔んでも手おくれじゃと、つい口走って悲しくもなり、身の不甲斐な さを泣いておったのじゃ」と、きまり悪る気に告白して、逃ぐるがごとく立ち去った。  あとに残った塩売の爺、何だそうかと呆れた顔、弥次馬連中は面白がって、「オイ小父さん、 お前はまた何で泣いていたのだ」と質問する。身でもなく皮でもなく、ただホンの通りすがりに 男と女の泣いてるのを見て、早合点の当て推量から、余計な口を出して貰い泣きしていただけに、 こうなってみると引っ込みがつかない。一同は「オイ小父さん。何で泣いたんだよ」と追求する。 今さらいよいよきまりが悪くなって、爺コソコソ荷を界ぎ、「イニ何、私はこれが商売、エエな き塩でござーい」。これがサゲなのである。  この話は狂言から出たものだそうだが、サゲよりも道程に面白さがあり、「無筆」の話の中で も大物であろう。むずかしいから力量のある落語家でなくてはやれない。つまり、話にも真打の 話と、前座級の話とある訳で、殊に前に名の出た「錦明竹」や、「たらちね」や、あるいは例の 「蔀戯鮮」などは・初心の者が口をならすためにやるべき話となっており、生まれた子の長命を 願って、長生きをしそうなめでたい名を皆つけ、長い名になったというこの「寿限無」などは誰 がやってもおかしいのである。  横町の隠居  しこうして落語の「寿限無」は、どなたも御存知のごとく、「寿限無寿限無、後光の摺り切れ、 海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、云々」という珍文句が、小児の名前になっているが、こ の話の出典と覚しきものが、地方伝説集たる『聴耳草紙』に収められている。しかもそれは同じ ような話が二つもあって、一つは「一丁ぎりの丁ぎりの、丁々ぎりの丁ぎりの、あの山越えて、 この山越えて、チャンバラチャク助、挽木の挽助」という名前を、やはり子供に長命させるため、 和尚さんにつけて貰った名という事になっており、もう一つの物は「チョウニン、チョゥニン、 チ.ウジイロウ、イッケア入道、ワア入道、マンマル入道、ニアウック、ショウツク、ジョウゴ の神、カラのキンショジョ、漆の花咲いたか咲かぬか、まだ咲きZ申さんドンダ郎」という、一 層また長い名で、両方とも子供が川(後のは井戸)へ落ち、この長い名を呼んで急を告げている うちに間に合わず、流れちまったという事になっているのは悲惨でかつ不快である。やはりそれ は落語のサゲの、瘤《とぶ》の引っ込んじまう程度がおかしくていい。  この「寿限無」の外に、子供を主題とした落語には「雛つば」「桃太郎」「初天神」「真田小僧」 などがあるが、「桃太郎」も「初天神」も「真田小僧」も、皆親父より子供の方が賢く、いちい ちあげ足をとって親をやり込める話になっているのはどんなものか、それだけにおかしくはある から受けるには受けるが、三つともかなり露骨なクスグリがあって、それもちょいと困ると思う。 こんなに、子供にばかにされる親父だの、八さんや与太郎ばかり出て来るので、落語には痴呆性 のものが多いたどと言われるのであろう。だから何事も程度である。  しこうしてその何も知らぬ八さんのお相手には、横町の隠居さんなるものが現れて、これまた 落語中の主要人物にたっている。この隠居にも二通りあって、一方は、前にも「千早振」の条で 挙げたごとく、何でも知った振りをして胡麻化し、「どういう訳で湯沸かしを薬缶というのか」 と聞けば、「あれは昔急に夜討を仕かけられた鎧武者が、兜を探したが見つからない。よんどこ ろなく、あり合わせた湯沸しの湯をあけて、これを兜の代用に被り、馬を乗り出して闘ったとこ ろ矢が飛んで来ては力ーンと当り、また当ってはカ!ンと刎ね返る、矢がカ1ンと当ったから爾 来湯沸しの事をヤカンと呼ぶようになったのだ」と、故事につけてお茶を濁したりする。  さればこの型の隠居を、ヤカンの先生としてあるのだが、一方の隠居は善良なる常識家で、そ んなでたらめは言わない。無智な八さんに対し親切にいろいろ教えてやる。それを八さんがいち いち頓珍漢た挨拶で受けるため、そこにおかし味が生れるのであるが、この隠居さんは必ず横町 に住んでいるため、横町の隠居と通称されているが、ただしどこの何町の横町たんだが、その辺 は一向不明、つまり自分はもう功成り名遂げた心持ちで、家督や家業を悼たちにゆずり、目立た ぬ新道あたりに閑居しているのだろう。「何もしねえでよく食って行かれますねえ」とは、八さ んが無遠慮にも発する質問であるが、「それはマア有難い事に悼の方から分米が来る」「何だえそ のブン米てのは」「分ける米と書いて分米だ」「アア、分けねえ米と書けばヤル米か」などという クスグリからだんだん本文に入り、八さんが隠居さんの啓蒙によって指導される話になるのであ る。  そしてこの種の部類に属する落語としては「道灌」「高野違い」「雪てん」「りん廻し」「地口」 「ひと目上り」等があり、その中でも、「道灌」はたいていの落語家が、必ずやるといってもいい ほど、前座用の稽古咄になっており、「七重八重花は咲けども山吹の、みの一っだになきぞかな しき」「何だえこりゃあ」「フン分らねえか、お前も歌道が暗いなア」「当り前よ、かどが暗いか ら、提灯を借りに来たんだ」というこの話は、寄席へ行くほどの客で、聞かされない人もあるま いと思う。ある現在の大看板などは、見習の修行時代に、これ一つしか知らないで毎晩毎晩「道 灌」ばかり、途中で高座に穴があき、ツナギに上ってもまた「道潅」、ある大雪の晩に、出演者 がちっとも来ないので三度穴があき、三度とも「道灌」をやって、あまりの事に同情した客が、 「これは道灌賃だよ」と、祝儀をくれたなどという話もあり、この人がその時分、「ヘエ今晩は」 と寄席へ入って行くと、「ヤア道灌屋さんごくろうさま」と言われたほどだとある。  ところで人間に生老病死の四つはつきもの、これからは免れることの出来ないというのが、釈 尊出家の原因になったのだそうだが、病気や、医者を主題とした落謡も少なくない、「代脈」「や ぶ医者」「とん智の医者」「夏の医考」「泳ぎの医者」「宗鑑」「長尻」「万病丹」「薬違い」「病気の 虫」「風の神送り」「風に柳」等、この種類の中には特に御紹介したい面白いのが沢山あるが、近 頃あまりやり手のない、珍しい話に「姫かたり」というのがある、題は少しく底を割っているが、 やはり主人公は医者である。  年の市碕聞  医は仁術といって今日でこそ、時勢が違うから止むを得ないが、昔は文字通り奇特なお医者様 も沢山いたそうだし、第一に世間の習慣として、「医者の薬礼と深山のさくら、取りにゃ行かれ ぬさき次第」たどと、当時の街歌にもうたわれた通り、まずまず欲を離れての業体だったが、お 医者様だって人間である以上、十人十色賢不肖、真の名医もあれば藪もあり、世渡り上手弁口忙 長けた、紺屋高尾へ出る竹庵老のようなものもあるかと思えば、村井長庵みたいな恐ろしいのも 飛び出した事であるが、この話の主人公は高橋東庵といって、浅草並木の材木町に住み、銀医か ら仕上げて療治の巧者なところから大繁昌、患者は門前に市をなし、屋敷方や富豪の宅へも出入 し、良い病家が沢山あるところから、収入も莫大でなかなかの裕福。  もっともこの東庵、医術はうまいが欲張りの方にも抜け目がなく、蓄財を器用に運転させて高 利まで貸そうというのだから金はフンダンに残るばかり。そこへちょうど浅草の年の市当日人出 の最中、東庵方の玄関へ立派な乗物が横づけになり、「お姫様俄かの御廣気ゆえ御手当を頼む」 と付添いの老女が切り口上、このまた御老女が「年は六十を越して七十にもなるか、それとも八 十、九十、一百、まさかそんなにもなりますまいが」たどとクスグリがあって、とにかく立派な 服装で何さま大身の御微行とも見える物腰、東庵内心ホクホク喜んで、「これはまたいい病家が 一軒殖えたぞ」と、追従百拝、下へも置かぬもてなし。  やがて乗物の戸を開いて立ち出でたのを見るとこれはまた、目のさめるような絶世の美人、芳 紀まさに十八、九、文金の高髭《たかまげ》艶やかに、錦絵から抜け出たごときお姫様だったから東庵も見と れるばかり。しかも持病の差し込みに悩まされ、美しい眉をひそめて苦痛をこらえている風情と いうものは、雨に悩める梨花一枝、宮女三千ことごとく西施《せいし》のひそみに習ったというも道理なる かな。美人というものは泣いてよし笑ってよし怒ってよし、どちらへ廻っても徳なもの。とにも かくにも「まずまずこちらへ」と、奥の一間へ伴い入れると、老女は三つ指ついていちいちの敬 礼、次の間へ控えて入って来ないから、診察所には東庵とお姫様の二人きりだ。  他人の女房だろうが生娘だろうが、他人の見る前でも天下晴れて手を握るのはお医者の役得、 東庵老だって木石じゃあない。お姫様の脈を取りながら、「アア、何という軟かい手だろう。真 綿を羽二重へ包んだような」と、ゾクゾクしながら診察をしているうちに姫もだんだん落ついた らしく、今まで青かった顔にホンノリと紅味をさし、恥らいながらもニッコリと、どうやら嬉し そうな表情で東庵老の方へ意味深長た秋波を送ったと思し召せ。「オヤオヤ、おつな事になるも の」と、東庵老年甲斐もなく、どう勘違いをしたか、四辺に人のいぬを幸い、脈を見る振りをし てグッと姫の手を引き寄せようとしたので姫は驚き、「これ何をしやる。アレエーッ」と金切り 声を立てた。  案に相違の東庵大きに慌て、こんなはずではなかったがと取り乱したが追いつかない。次の間 から駆け込む老女真四角に開き直り、「おのれ無礼者お姫様に対し何をしやった。一生御奉公の この老女が付き添っていながら、間逢いがあってはこの老女の命にもかかわる大事、サア何とし て下さる」と、物凄い権幕で掛け合われ、東庵老青くなって縮み上がり、「平に平に御勘弁、毛 頭決して左様な儀では、そちらがその何ですなわち到底なかんずく」と、シドロモドロにあやま り閉口、結局内済金として百両金三つほど差し出して老女の怒りを宥める。  これを取り上げてニッタリ笑ったのが合図と見え、駕脇の供が入って来て、「大層骨を折らせ たな。御苦労御苦労。モウいいから生地を出しなよ」と、この苦み走ったのが亭主らしく声をか ければ、虫も殺さないような件のお姫様が、「アイよ心得た。アア着馴れない着付に帯を締め、 ほんとうに窮屈だったよ。お大名ごっこも楽じゃあないね、アアァーッ」と大きく伸びをしなが ら、長儒神一つになって立膝をしようという大変た正体暴露。老女がべらんめえ口調に変ったの はもちろんのこと、東庵二度びっくり目を白黒させてる中を、三人組のこの男女は、弁天小僧の 引っ込みよろしく、悠々と立ち去る戸外は年の市で商人の呼び声、「ぴめか騙りか大胆な、医者 敗けた敗けた」と、これがサゲで、お断りするまでもなく、「注連か飾りか澄か、市や敗けた敗 けた」。その語呂合わせがサゲなのだから、 も変っているから引き立たない。 随分苦しくもあるし、 箭一今日ではその年の市風景  欲の世の中  こんな風で落語にも、四囲の状勢によって、はやりすたりのあること是非もない。そこでこの 「姫かたり」なども、今なら長さが頃合いとしても、昔の高座には寸法が足りなかったし、笑い のクスグリも少なかったためか前の方に入れ事がしてある。  それはこのお姫様一行が百助の横町へ入り、ある一軒の家の前へ乗物をとめ、「これこれちょ っと物を尋ねるが」と声かけて、医者のある所を聞くのである。するとあいにくにもこの中では、 多勢集まって、「丁よ半よ」と、けしからぬ慰みをしている真最中だった。  元より御法度は承知の上の勝負ごと、いつ手入れがないとも限らぬ。今にも御用御用と踏み込 まれはせぬかと、ビクビクヒヤヒヤしながら、それでも何とかの浅ましさで、勝とう儲けようの 欲に眼を血走らせている折柄、突然に物々しい声をかけられ、それっとばかり早合点な奴が頓狂 な声をあげて立ち上がったからたまらない。「ウアーヅ大変だ」と何が何やら大混乱、ドサクサ 紛れに場銭を掻っ払って、懐へ捻じ込む素早いのがあるかと思うと、真っ暗三宝他人の頭を踏台 に梁の上へ飛び上がる奴もあり、台所から逃げようとして揚げ板を踏み外し、糠味噌桶へ片足を 踏み込む慌て者もある。鼠入らずへ首を突っ込んだり、竈へ頭を差し込んで抜けなくなったり、 上を下への大騒動を演ずる滑稽もある。 もとより本丈には何の関係もない付けたりのもので、聴衆を他愛なく笑わせよう目的だけに過 ぎない。この滑稽は「品川心中」にも取り入れてあり、本屋の金蔵という足りない男が、品川で 女に心中を持ちかけられ先へ飛び込んだが、女は引き止められ自分も海が浅くて死ねず、泥だら けビショ濡れの姿で真夜中を犬に吠えられ吠えられ、かねて厄介になる親分の家まで帰って来る。 ヤレ嬉しやと気も急くままに、「ドンドン、ドンドン」と激しく門の戸を打ち叩くと、家の中は. 前述の場合と同じくやはり多勢が集まって、ガラガラポンの真最中だったから、ワッというと同 じ騒ぎ、しかもこの方は慌てて行燈を吹き消したから、四辺はまっくら真の暗だ。その中を親分 だけが、幾らか落ちついているつもりでもやっばり慌てて、「何を取ってくれ、何を何を」と、 カチカチを打つ手真似をするんだが、真っ暗な中で手つきをしたって分らない。またも名を出す ようだが、故人円蔵などがやるとこの辺のおかしさ実に無類だった。  ようやく燈火もつき、相手が金蔵と分ってやや安堵してからがまたおかしく、「大層煤が落ち てるがどうしたんだ」「アッ天井の梁から汚ない毛脛をブラ下げているのは誰だえ」「ア、汝だな さっきおれの頭を踏台にして飛び上がったのは、ひどい奴だ。何を、『上がったは上がったが下 りられねえ』と、勝手にいつまでも上がってろ。オイオイ鼠入らずへ首を突っ込んでどうしたん だ。何、『酒だと思って飲んだらシタジだった、醤油ウ事とは知らなかった』と、この中で酒落 をいう奴があるか。お前はまた糠味噌をかき廻して、どうしようてんだ。何を、『揚げ板をふみ ぬいて落ち込んだハズミに、この中へ大切な物を落したから探してるんだ』と、ふざけちゃあい けねえ。男の急所を落して生きていられるものか。掻き廻したって駄目だアな。何、『ありまし た』って、あるはずはないが、オイオイよく見なよ。それはヘボ胡瓜に茄子の古漬だアな。何、 『本物は下帯の中にありました』って、当り前だアなばかばかしい。オヤ臭いぜ臭いぜ。この匂 いは糠味噌じゃあねえ、エッ誰か側へ落っこったと、そうだろう糠味噌とは臭さが違うと思った よ。だらしがないなア、誰か上げてやんな。何、『上げてくれなくとも自分で上がって来た』と、 上がっちゃあいけねえいけねえ」などというところに至っては、満場ころげて笑ったものだ。「皆 トッパスッパ慌てているが、ヘッ平さんを見ろ、さすがはお侍、感心なものだ。この最中でもピ タリ坐っていなさらア」「イヤお褒め下さるな、とうに腰がぬけました」と、これを仮のサゲに して、「品川心中」はその上の巻を終わり、下の巻は別に仕返しという話になるが、そこまで廻 り道をしては際限がない。  しかし欲の世の中とはよくいったもので、昔も現在と同じく、賭け事は国法をもって禁じてあ ったにかかわらず、その捉を犯すものは絶えなかったらしく、落語にも博突や博徒を扱ったもの は相当にあった。「将軍の賓」「看板の一《びん》」「狸の塞」「今戸の狐」「三でさい」などがそれで、材 料だけに皆奇抜である。中にも「将軍の賓」などは江戸城中で宿直のお大名が、壷皿を振り廻し て勝負を争うのだから振い過ぎているが、更に愉快なのは「看板の一」である。  ある老親分が看緑したと見せかけ、伏せた湯呑の外へわざと饗を一つこぽし、これにはピンが 出ているので、子分は目ひき袖ひき、皆そろって一へ賭けたところ、「サアもういいのか、よけ りゃあ、看板は引っ込ますぞ」と、その賓をしまって湯呑をあける、中には六が出ていて、子分 たちは張ったのを皆取られちまう。と、これを見ていた与太郎がこいつア巧い仕方だと、よそへ 行って真似をする。いわゆる鵬鵡のおかし味から、これも看板の一をしまい、「さア勝負」と湯 呑をあけたら、中もピンで裸にされちまったという筋。いかにも落語らしい構成で、トボけた味 のある話と思うが、先般、三田村鳶魚氏の『江戸読本』を見たら、股旅の話の中に、蕎麦屋の爺 さんと呼ばれる老侠客の事が出ており、この老親分のした事と、よく似ているので驚いた。思う にこんな実話を落語化したものではあるまいか、何にしても打つ買う飲むは三道楽、これに耽っ て怠けたが最期、むくいはてき面苦しまねばならぬのは、年の瀬の難関である。  年の暮人生 「元日や今年もあるぞ大晦日」と、それは誰しもちゃんと心得てはいるのであるが、さていよい よとなるとその間際に臨んで、不心得の者は狼狽せざるを得ず、「春うわ気、夏は陽気で秋ふさ ぎ、冬は陰気で暮はまごつき」というマクラの狂歌同様の始末となる。  この年のくれを扱ったものには「掛取万歳」「三百餅」「言訳座頭」「睨み返し」「晦日の五円」 等いろいろある中に、おかしいのは「尻餅」などだろう。これは長屋住みの夫婦が貧乏で餅もつ けず、近所合壁では門並み景気よく、ペッタンペッタンと杵の音を響かして餅をついているのに、 自分のところだけはそれが出来ないのを、亭主はみっともなくてたまらず、せめて餅をついてい るような音だけ聞かせようと、拳を固めて女房の尻を、「ヨゥ、ハア、コリャ、ホイ、ペッタン、 ペッタン」、引っ叩いて餅つきの擬音を出す話だ。叩く方は面白半分、はずみをつけて威勢よく やれるが、叩かれる女房はたまったものでなく、あまりの痛さに悲鳴をあげて、「もし掲屋《つきや》さん 揚屋さん、お餅はそのくらいにして、あとは赤飯《こわめし》にして下さい」というサゲ。ばかばかしいがあ りそうな悲喜劇ではある。  これも貧乏のいたすところ、アアどうか仕合わせになりたいと、働く事も考えず、徒らに一足 飛びの僥倖を願う虫のいい人間もなきにしもあらず、思えば人の望みは限りのないものだが、そ こを目がけて夢屋という珍商売が出来、客の望みに任せて何でも思った通りの夢を見させる。芝 居の夢、角力の夢、遊興の夢、何でもお好み次第に夢を見られるので、評判になって大繁昌、と ころへやって来たのが、自分の貧乏から世の中をひがんでいる男、おれアいくら稼いでも足りね えのが忌々しくてならねえ。おまけに世間の金持ちが、どいつもこいつも自分たちばかり栄耀を して、威張っているのが癩にさわってならねえ、おれが金持ちになったら、どんどん施しを出し て困る者を潤してやりたいと思うんだから、「せめて夢だけでもいい。金持ちになったところを 見せてくれ」という注文。「ヘエよろしゅうございます。どうぞこちらへ」と寝台ヘ案内、いい` 心持ちにとろとろとしたかと思うと、「ちょいとお前さん。起きておくれ」と女房の声。「お隣の 犬が裏の松の木の根っこを掘って、ワンワン吠えるから行って見たら大変だよ」という知らせに、 ドレドレと覗けばこはいかに、深く掘った穴の中には、金貨銀貨紙幣がシコタマ見える。びっく りしてサア事だと向こう鉢巻になり、女房と協力で掘れば掘るほどザクザクと無限に出る。  たちまち家の中は財宝の山、「アア驚いた。一遍に大金持ちになっちまったが、サァこうなっ たらもう裏店にはいられない。表通りへ立派な普請をして、方々へ別荘も持えよう。着物を誹え て物見遊山。あれを食べてこれをして」と、自由主義、個人主義の行われていた時代の浅ましさ は、すぐこんな心持ちになるのが一般の凡人であったから、夫婦が有頂天で喜ぶ最中、ぞろぞろ と引っ切りなしに訪問の客、これが何々孤児院、養老園、救済園、博愛会、慈善療院等々、あと からあとから寄付金の勧誘ばかり。奴さんおれが金持ちになったら困る者に施しを出して、など といった理想はたちまち豹変し、「御免蒙りましょう、冗談じゃあねえ。お前さん達の言う事を、 いちいち取り合っていちゃあ際限がねえから、一切お断りだ。うるせえな帰れ帰れ」と片っ端か ら繋退。中には穏かに引き取らぬもあって坐り直し、「イヤ御不承知とあらば、敢えて当方は無 理にお願いは致さん。いやならいやでょろすいが、すかす御主人つとお言葉が過ぎはすませんか な。最前からの御挨拶は、まるで我輩を乞食か押借《おすがり》かのようなお扱い、甚だその意を得ませんが、 つとお言葉に御注意を願いたいな。アアそもそも我が共済療院は……」「何をいやアがる、何が そもそもでえ。そんなゴタクを聞いている暇はねえんだ。マゴマゴしやがると土手っ腹へ風穴を あけるぞ。出て行かねえかこの間抜けめえ」。「モシモシ、モシモシ、お時間でございます」と、 夢屋の番頭に起こされる。「アッ。何だ夢だったか。アア夢なら慈善をしてやりゃあよかった」 と、これがサゲで、境遇によって心持ち0変る人情の機微を痛切にえぐって世間の裏面を誠刺し、 とりようによっては立派な教訓にもなっている。  なお、同じ夢を扱ったものには、この「夢分限」の外に、「夢金」「鼠穴」「乞食の夢」「天狗 山」「大黒屋」一などがある。痴人夢を語るなどとはいうが、夢は五臓の疲れとばかりは限らない。 潜在意識とやらが作用して脳裡に幻を描くのだという事だが、夢のような仕合わせという言葉も ある通り、それが現実になれば嬉しいに違いなく、仲間の方から一分二朱で買って来た古物が、 殿様のお目にとまって百両でお買い上げになり、道具屋は腰をぬかさんばかりに狂喜する「火炎 太鼓」、きずもないのに水の漏る一文茶碗ヘ、ハテナという号を賜わり一躍天下の名器となって、 これを扱った油屋が大儲けをする「茶金」など、まことに面白い話で聞いていても快いと思う。  「素人鰻」余談  この「茶金」だの、「火炎太鼓」は、「猫の茶碗」「花瓶」等とともに、道具屋の話であるが、 これらは営業に関する落語という部類へ組み入れるとして、同じ種目の話には「人形買」「壼算」 「酢がめ」「豆腐」「蜜柑屋」「南瓜屋」「うどん屋」「無精床」「浮世床」「市子」「三人絵師」「から くり屋」「がまの油」「仇討屋」「開帳隠密」「地見屋」「世辞屋」など、そこは落語だから商売往 来には実在せぬ変なのまで飛び出して来る中に「欠伸の指南」などは殊に振っているものの一つ であろう。  欠伸を芸術的にやる稽古だとあって、一心に教える師匠、真面目に習う弟子、しきりとやって るのを玄関に待っていたその弟子の連れが、「チェヅ、成っていねえやばかばかしい。ここで聞 いているおれの方が、余っ程退屈で退屈で、アッアーアー、……成らねえ」と大欠伸をしたを、 師匠がじーっと見て、「ウームあの方は素人だが御器用な性質だ」と褒めるのがサゲ。いかにも 落語らしく気が利いている。  素人といえば、経験も何もたい初心者が、何を始めたとて巧く行こうはずはたく、その失敗の おかしさを扱った落語といえば、「御前汁粉」「反対車」「士族の車」「住吉駕」などいろいろある 中に、有名なのは例の「素人鰻」、これは二通りのやり方があって、丈楽などの得意とするのは ジミな方の行き方。  これは実話の落語化らしく、その前半に金公という鰻さきが、料理にはすぐれた腕を持ってい ながら、酒乱のためにたびたびやりそこなって主家を飛び出す。その酔態の変化に重点を置いて あり、今一つは唯々おかしさを狙った筋で、先年故人となった小勝が極め付きの専売もの、目を 据えて鰻をつかむ栂指《おやゆび》のつかい方に鰻の動きを見せて、実に天下一品であったこと。どなたも御 存知のごとくである。  これについて余談がある。というのは、小勝がある時婚礼の宴席へ余興に招かれたところ、幹 事が心配して言うには、「実はお客側から『素人鰻』をやってくれという注女が出ているのだが、 何しろあの話の中にはこの鰻をさいてくれろと注文するところがあり、終わりには亭主が鰻をつ かまえて、アリャアリャ向こうから出て来たと笑わすところがある。どうも御婚礼だというのに、 さいてくれだの、向こうから出て来たなどは、忌み言葉中の忌み言葉、といってこれを封じられ ては、師匠も話がやれないだろう。何なら他の差支えのない話に、取りかえては」と注意をした。 すると小勝がニヅコリと笑って、「ようがす。マアお任せ下さい。御注丈通り『素人鰻』を、忌 み言葉なしで、立派にやってごらんに入れましょう。小勝が受け合ったからには、大丈夫でがア すよ、まったくの話が」と、平気な顔で済ましていた。幹事は半信半疑、心配しながら聞いてい ると、なるほど小勝は受け合った言葉に狂いはなく、巧みに忌み言葉をよけて「素人鰻」を話し た。どうしたかというと、この鰻をさいてくれというところを、「この鰻をこしらえてくれ」と 注文し、向こうから出て来たという文句を、「アレごらん、向こうから現れたよ」と改めたのだ そうだ。なるほど言葉は使い方、さすがは千軍万馬往来の古強者《ふるつわもの》だけあって、老巧なものだと幹 事も感心したという逸話である。今もって「素人鰻」といえば小勝を思い出すところ、そこまで 行けば至芸といえよう。  また、貧乏人が揃って花見に行き、酒に見せかけて番茶を飲んだり、玉子焼と称して沢庵をか じる例の「長屋の花見」などは、故人弥太っ平馬楽を思い出すごときがその例で、馬楽があの瓢 逸な口調で、「長屋中歯を食いしばる花見かな」などと笑わせた味は忘れられない。  花見の話では外に「花見の仇討」があり、同じ八笑人式のものとしては「お化長屋」がある。 今度は濃いお茶がこわいという「饅頭嫌い」や「こいがめ」なんぞも同じ部類に入るかと思う。 それから今、鰻屋の話が出たが、文楽の得意とする「鰻屋のたいこ」は、その封間がドジな野だ いこであり、鰻屋が場末のチャチな店でありながら、いかにも垢ぬけのした江戸前の落語として、 ファンに愛好されているところ、これ等も名作の部に入るであろう。  同じく箒間を扱ったものには、「愛宕山」「たいこ腹」「王子のたいこ」「三両残し」「山号寺号」 等がある。更に変ったものとしてはやはり耕間が活躍する話で「擬宝珠」という話があり、これ はある大家の若旦那が、浅草の五重の塔の頂上の擬宝珠をためてみたいという、不思議な念願を 起ごしたが、あまりばかばかしい望みだけに人に打ち明けて話す事も出来ず、快々として半病人 の有様。そこへ気に入りの轍間が来たので結局この男を連れて浅草へ行き、伝法院へ交渉して、 擬宝珠をなめさせて貰う事になる。その掛け合いに行く需間がキマリを悪がり、手つきで擬宝珠 の形をするところなどが、この話の山であるが、結局この願いが聞き届けられ、足場もかかって 若旦那大喜び。擬宝珠へかじりついてなめているところへ、心配して両親が来たが、頂上を見上 げて、ハハアやはり私達の血統だと喜ぶ。  これを聞いた幇間はびっくりして、「それでは何ですか、あなたがたも」「アア、私たち夫婦と も擬宝珠をなめるのが道楽だった」「オヤ、これはまた変っていますなア」と呆れているところ へ若旦那が下りて来たので、一体どんな味がしましたと聞くと、沢庵の味がしたと答える。父親 は喜んで「私の怖はコウコウだから、沢庵の味を好むのだろう、して塩は甘かったか、辛かった か、五升塩か、三升塩か」「イエろくしょうの味がしました」というサゲ。  彩しき芝居噺  随分変な話があったものだが、故人円遊残して以来今ではあまりやる人を聞かぬ、この「擬宝 珠」は、前に出た「鼻利長兵衛」や「水中の玉」「気養帳」「やかんなめ」「なめる」等とともに、 奇人の部とでもいうのへ編入するとして、同じ鼻利でも、前に出た源兵衛の方は、「羽団扇」「雁 つり」「あたま山」「三人兄弟」「指仙人」「深山隠れ」等とともに、お伽噺的部類ヘ入ろう。  また異国情調のものとしては「鉄拐」「はんかい」「佃島」「唐茶屋」等があり、歴史的または 軍談的の落語としては「神代」「袈裟御前」「矢島(源平)」「三国志」「貸本屋の夢」「胡椒講釈」 「五もく軍談」等を挙げる。また、政談ものには、「大工調」「鹿政談」「一両換」「白木屋」「佐々 木政談」「おかふい」「骨ちがい」等があり、芝居噺に至っては、江戸時代の芝居万能を反映して その数も頗る多く「毛せん芝居」「芝居風呂」「よいよい蕎麦」「鍋草履」「清正公酒屋」「田舎芝 居」「四段目」「六段目」「七段目」「九段目」「追いだき」「三番目」「蛙茶番」「一分茶番」「猫の 忠信」「小烏丸」「布引三」「とけつ」「胆潰し」「魚尽し」「武助馬」「団子兵衛」「菅原息子」「も ぐら芝居」「鶴鵡徳利」「法事の茶」「片側町」「芝居の穴」等枚挙にいとまもないほどで、音曲噺 も「浮世風呂」「音曲風呂」「味噌庫」「菊江仏壇」「両国八景」「稽古所」「くみたて」「夜廻り」 「嵐茶屋」「植木のお化」等これまた多い。  さていろいろ出尽して、真打の登場となれば、人情噺が御定法であるが、その長いものも種目 別にすれば、前に出た「佃祭」などは「大仏餅」などとともに、人を助ける任侠の美談で、恋愛 を扱ったものはこれも前に出た「皿屋」の条で、題名を掲げた通りである。  さて、夫婦の情を扱ったものとしては、前に出た「芝浜」の他に、小話だが「表と裏」、落語だ が「今戸焼」、さては「縁切榎」等も組み入れてよかろう。親子の情を主題としたものには「子 はかすがい」「お釜様」「やぶ入り」「火事息子」等があり、孝子の話には有名な「文七元結」「お かめ団子」、あるいは「親の売物」がある。前に名を掲げた「宮戸川」や「唐茄子屋」「写真の仇 討」などは、息子気質とでも名づけてしかるベく、これで合計五十余種目にわたり、五百十余題 の所属をつけ得た訳であるが、もちろん遺漏がないとは申せないし、内容についても、サゲにつ いても、それについての余説をも語るべきことはあまりにも多いが、そうは紙面もゆるさない。 また新作に関しては一切ふれなかった事をも御了承願うとして、それらの事は後掲の「講義録」 において補える点もあると信じますし、また機会を見て更に詳説する事も出来ましょう。  しかしこうして見ると、落語も相当に数の多いもので、これがたいていは江戸時代に作られて 今日に至ったものである事を考える時、その頃の文化も思われる次第。何しろ明治期以前刊行さ れた小噺本の題名を挙げても、「醒睡笑」「露の夜ばなし」「鹿の巻筆」「うかれ語」「言葉の花」 「扇拍子」「露休話」「よしの山」「鴇母の巾着」「江戸嬉笑」「はなしの引札」「ふたたび餅」「気の 薬」「七福神」「福話うち」「宇加礼奇人集」「はなし鰻」「福寿左右」「一癖話」「文字の知恵」「縁 取ばなし」「喜美談語」「滑稽道中双六」「詞の花」「はなし句翁」「滑稽奴」「柳巷託言」「御慶の 三笑」「高わらい」「正月もの」「すす払い」「幼獅々」「見世びらき」「花間笑語」「初松魚」㍉桜川 落語」「山のわらい」「お伽ばなし」「臆のかけ金」「楽封m間」「児智のはたけ」「うぐいす笛」「吟 雪落語」「青楼上草履」「はなし大全」「落語年中行事」「百歌仙」「はたの安売」「恵方土産」「鯛 の味噌津」「聞上手」「福俵」「独楽新話」「春雨夜話」「会談ももん雑話」「掘出舟作落語」・「百の種」 「発句一・題話」「大仏柱」「わらいの種」「江戸前」「百生り瓢」「笑いの種蒔」「工夫智恵輪」「珍学 問」「初のぽり」「意戯常談」「大神楽」「浜の真砂」「甲子侍」「わらい長者」「福寿草」「福助ばな し」「今年話」「笑話の林」「鬼笑福茶釜」「早蕨」「話の大よせ」「仕立おろし」「おっこち話」「は なし図会」「明まして慶度噺」「十二支紫」「たからの山」「口拍子」「かる口話」「忠臣田舎味噌」 コ扇びらき」「福わらい」「画本江戸喜笑」「より合い話」「秀句落語」「ぶんぶく茶釜」「瓢百集」 「ひさごの百成」「膀の茶わかし」「語用松」「可楽即考」「みやげ話」「福山椒百話」「太鼓の林」 「生鯖船」「笑富林」(以上鶯亭金升先生御著書中より転写)とこんなにもあるとの事、なんと彩 しい数ではないか。しこうしてこれらの小噺が、延長されて長編の落語となったものも少なくあ るまいが、現在にても小噺を作る会があり、またその作家中から幾多の新作落語を得ているに鑑 みても、将来ともこの方面の文運はますます昌《さか》んになる事と思う。  要は落語がその根底に、豊かなる情操の夢を含んで、人生を美化し、潤いと慰めを与え、この 世を一層明朗な楽しきものにして、明日に備うるの活力を濃らす事に役立たば、またもって決戦 態勢下の談丸笑薬《だんがんしょうやく》たるに足りようではないか。心からその発展を祈る次第である。 落語講義録 『通談』の本文に洩れた理論的の部分を補う意味において、「齢落語講義録」とは題しましたが、 落語はたいてい、滑稽たものと決まっているようでございます。ただしその滑稽な程度は、初め のものより後世になればたるほど、おかし味も深くなりますことで、つまりちょっとした事にも、 おかしくて堪らなかったのがだんだん馴れて来て、たいていのクスグリでは笑えなくなり、より 以上に以上にと、強い刺戟を求めるように進めばこそでありましょう。さればそもそも濫脇の頃 は、ユーモアもごくフーワリとしたものだった訳で、それでもその頃の世人は、おかしがったも のと思われます。  そして一番最初に、落し咄をした人はと申すと、『宇治拾遺物語』の著者、宇治大納言という ことになっております。して見ると落語家の祖先は、お公卿様ですから大層なもの、・大納言様だ から、一段高いところへ上っておられます。これが高座の初まり---だか何だか、これはちと受 け合いかねますが、お話を伺う方も、相手が高位のお方だけにあぐらをかいたり、お茶を飲んだ り、お煎餅をかじりながら、お話を聞くという、無礼た真似は出来ません。とんとただ今の、椅 子席劇場のお客様みたいで、話の間は、お菓子も召し上らず、お湯も呑まず、あぐらもかかず、 もっとも椅子の上ではあぐらはかけませんけれど……お行儀よく、聞いておいでになります。  大納言様は一座をズーッとお見渡しになって、これより麿が話をして遣わすぞ。一同ウヘェー と頭を下げ、「アッ有難き仕合わせに、存じ上げ奉ります」「ウム、神妙である。さてある所に系 図を争う者があってな、麿のもとへ訴え出たのじゃ、これがまことの、宇治訴訟とはどうじゃ な」「ハハア恐れ入り奉りまアす」「ウム、おかしいかの」「ハハッ、恐れながらおかしく存じ奉 ります」「ウム、しからば苦しうない。次へ退って笑え」「ハハーッ」という事になって一同が、 鞠躬如として御前を退下し、さてお次の間でおもむろに、「ハッハッハノハ、ヘッヘッヘノヘ」 と、いとおごそかに笑った。・…-のだろうというのが、想像されているだけで、しかとした文献 はありませぬ。  さてこれより、落語発達の歴史から、サゲのいろいろ、分類統計、組織解剖、作法に至るまで 追い追い申し上げることにします。しかしいかに落語の元祖が宇治大納言様だからと申して、さ すがにただ今は、宇治なにがしと名乗る者ばないようですが、曽呂利新左衛門の方は、大阪の落 語家に名が残りました。曽呂利は申すまでもなく太閤秀吉公の御愛顧を受けた滑稽家であります から、随分御前において、落し咄もお聴きに入れたことと思われますが、落語を主として太閤の 御機嫌に供えたのは安楽庵策伝だったそうで、この人は金森宗和の門に学んだ茶人であります。 本名は平林平太夫と申し、京都誓願寺地中の竹林院に住んでおりましたが、有名な『醒睡笑』八 巻の著者で、『曽呂利狂歌咄』もこの人の手に成ったものと伝わっております。  落語道としては大先覚者で、子供の時分から、見聞したるおかしい話を、丹念に筆録して置き ましたのが、今申す『醒睡笑』になった。して見る上、これは落語の文献として貴重たものに相 違ありません。策伝はこの書物を、桑の小さい見台の上に載せ、秀吉公の御前講演をいたしまし たところ、太閤さま悉く御満足、大層お笑いになりました。もっとも来年の話なら、鬼が笑うと 申しますが、太閤はさくでんの話で抱腹なすった。そして御褒美として、誓願寺地内に隠居所を 作って与えました。これが安楽庵で、その時建てました柱巻のきれや内敷のきれを、安楽庵ぎれ と申し、一寸四方幾らというほど、茶道の方で珍重したということ。この御前講演は元和九年で ありましたが、越えて寛永十九年正月、策伝は八十九歳の長寿を保って往生いたしたとしてあり ます。その後に出ましたのが鹿野武左衛門、『鹿の巻筆』の著者で、あるいはまた露の五郎兵衛 の『露物語』、あまりに有名でございますし、古い事は興味も薄いから飛ばしまして、しばらく 中絶しておりました落語が、再興いたしましたのが、天明四年でございます。  その殊勲者はすなわち談洲楼烏亭焉馬で落語道中興の祖としてあります。ただしこの人は落語 家ではございません。落語作家であります。もっとも落語ばかりでなく、劇の方も、『歌舞伎年 代記』を編述したくらいくわしく、その他丈芸すべてに長じている人でした故、狂歌もよくした と見え、その頃隆盛だった狂歌の開きにも出席して重きをなしておりました。この狂歌師の仲間 には、四方赤良でありますとか、朱楽管江、鹿都辺真顔、大屋の裏住、竹杖為軽、紫檀楼古木、 さては宿屋の飯盛など、えらいのが幾らもおりました。亡の赤良が蜀山人、四方という署名をそ そっかしい奴が蜀と読んじまったのが、別号になったのだそうで、最も有名な先生でございます。 その狂歌師たちが、席上の余興として、小咄を作ったところ、これは面白いと盛んになって、流 行し始めたというのは、つまり天下太平の江戸時代だったからでありましょう。そこでこの小咄 も、判者が選をする事になり、焉馬が任に当りました。  もとより座興に作った小咄、どれもこれも秀逸というわけには参りません。甲乙の次第はあり ます。それを天地人とか五客とか、点をつけました選者の焉馬が、狂歌の選みと同様、披講をい たすのでございます。この開きを焉馬が会主となり、蜀山人が補助で、向島の武蔵屋に催しまし たのが、すなわち天明四年四月のこと、もう花も散っちまって、葉桜の土手は閑静でございます。 配って来たチラシを見ると.「このたび向島の武蔵屋において昔話の会が、ごん三りやす」として ありました。武蔵屋の主人は権三郎、その名を引っかけて酒落たことは判りましたが、肝腎の日 が認めてありません。「ハテナ、書き落したのじゃあないか、そそっかしいぜ」と、首をひねっ た者もありましたが、さすがは通人の寄り合いでございます。鹿都辺真顔が真先に判じましたね。 「二十一日だよ。昔という字を分析すれば、二十一日になるじゃないか」と見当をつけた。ただ しその頃、分析という言葉はございません。「アァなるほどそうか」と、行ってみたら果して、 |幟《のぼり》などを立て盛んな会であったと申しますが、判じ物のチラシでも、人の集まったところが、江 戸はイキな世界だったと思われます。  この日を皮切σにして、これから落語の会が大流行、誰も彼も、猫も杓子も、オット違った、 メコもジャクシも聞きに参ります中に、京屋又三郎と申す、これは馬喰町におりました櫛の職人 でありましたが、元来が口軽の気さくな男だったので、「私にも一つ飛び入りに話をさせてくれ ませんか」と申し込みました。やらせてみると素敵にうまいU作る人と演者とでは、いつの代で も天分が別だと見えます。サア大いに受けまして評判がいいから叉さんもいい心持ち。「これは 面白い。どこかで一つ、座料を取って内職にやってみょう。事によったら、片商売になるかも知 れない」と思いつきまして、その頃下谷の広徳寺前に、孔雀茶屋と申す貸席がありましたのへ、 試みに出演いたしました。宣伝なんぞも、どんな具合にやりましたものか、行燈にも「はたし」 と書きっ放し、至って暢気なものだったと思われます。それでも聴き伝えて客は参りました。中 には「オイ早くしてくれ、腹が空《へ》っているのだ」と催促した人もある。これは菜飯と間違えたの だという、お笑いもありますが、この試みが大いに当りましたところから、又三郎はとうとうこ れを本業にして、昼間の櫛細工は内職になっちまった。  ついては何か芸名をというので、山生亭花楽と名乗りましたところ、これでは何だか生花の師 匠みたいだと、注意する人もありましたところから、丈字を改めて三笑亭可楽と直した。これが 可楽の初代同時に客席で落語を演じた元祖でありますから、可楽の名は、頗る由緒のあるものな ので、三題話もこの人が初めであります。  寄席へ出演した落語家の元祖、初代の三笑亭可楽が、下谷の孔雀茶屋の夜会席上、はじめて聴 衆から出題を求めて三題噺の頓作をいたしましたのは、丈化元年六月の事と記録にあります。  題は、弁慶・狐・辻君だったそうで、あたかも落語研究会を初め、ただ今しきりに三題噺復興 の折柄、いささかこれに因みまして三題噺のお話を申し上げますが、元来小話一つでも短歌一首 でも、作るというのは容易ならぬこと、とりわけまして、ユーモア物、殊に落語を創造するとい うことは、まことに困難な仕事であります。況んや何のヒントもなく、漫然として無から有を生 み出そうたって、それはとても出来やすい事ではないのでございます。  ところがここに、三題という材料が与えられますと、これが足場ともなり、手掛りともなって、 毒薬変じて薬となるとでも申しましょうか、難題が却って仕事を助け、割に早く一つの話がまと まるものなのでございます。巧拙はもとより別問題、出来不出来は場合にもよりますが、とにか く、三題というものがあるだけに、これを結び合わせてどうやら固まります。というと、何だか ヘタなカルメラ焼みたいですが、ちょうどかの俳句を作りますのに、よく運座《うんざ》などで結びの丈字 を課せられることがあります。この場合に、結びのない自由なのよりも、比較的に詠みやすい。 それと同じ理屈でございます。もとより、俳句の場合においては、さような変態の方法によって、 無理にこじつけに作り上げたものは、厳格な意味から申して、邪道であるという批難はあるかも 知れませんが、それはここで論じまする限りではございません。要するにさような理由で、三題 噺をいろいろ持えておりまする中には、独立した価値のある好い落語を得られるという、可能性 が頗る多いのでございますから、新作落語を盛んならしめる便法の一つとしても、今日大いにこ の三題噺を復興し流行さすべきことは何よりの急であろうことを、実は多年唱道しておりました ものなので、近来その理想の実現を見ましては、まことに欣快に堪えぬ次第でございます。  まったくのところ、三題噺として作られたものが、一編の独立した落語となり、今日まで伝わ っております例は幾らもありますことで、「鰍沢」にせよ、「大仏餅」にせよ、「芝浜」の革財布 にせよ、あれは皆、三題噺なのでございますから、決してばかにはできません。「鰍沢」は、毒 消、鉄砲、玉子酒、それから「大仏餅」は新米の盲人乞食、大仏餅、袴着の祝い、さらに「芝 浜」は、酔払い、芝浜、財布の三題をまとめたものだと聞いております。これらの例でもわかり ますごとく、人物、物品、事件または場所というような、三種に分けて出題すべきものだそうで、 もちろん必ずそれに限るというではありますまいが、ここに三題噺の作り方について最も重要な 条件があります。  それは何かと申しますと、即席にせよ、兼題にせよ、三題噺を持えるにつきましては、いろい ろ条件もありますが、その中にも最も注意すべき肝要なことは、話の独立性と申すことでござい ます。どうもこの我々人間に、錯覚はありやすいもので、再び例を俳句に引きますと、運座の課 題に結び字がありました場合、この結び字を巧く詠み込んであるというだけで、大層評判がよく ていい点を取ったり、天へ抜けたりする事がある。ところがこれを後になって、冷静に批判して みると、夜寒なら夜寒という課題に対して、この結び字を離して考えれば、一向に感服出来ない、 よくも何ともない作であったりすることが幾らもあります。すなわちその時は大変よく出来たよ うに思われても、それは結び字を巧く使ったというだけの感服で、独立した俳句にはなっていな かったのであります。これは最も忌むべきところで、三題噺もその通り、いかに与えられた三題 を巧みに結び合わせ、面白く出来ているように思われても、その三題噺であるという条件を別に すれば、ほかへは通用の出来ないものであったとすると、これは独立性のないものとして、その 場限りで顧みられず、後世へは残りません。  そこへ行くと「鰍沢」にせよ、「大仏餅」にせよ、三題噺だったかどうか、説明を聞かなけれ ばわからないくらい立派に一編の物語となっております。ここまで行かなければいけないので、 つまり三つの題を出しますのは、手段であり方便であり、家屋を建築する時の足場のようなもの で、この足場によって普請が出来上れば、もう足場は不用になります。いつまでも足場がついて いなくては用をなさない建物なんぞは困りますし、またどういう足場によって出来たものだとい う事を、後までわかっている必要もありません。否、そんな事が、全然わからないくらいにまで 独立した工事でなくてはなりません訳で、三題噺を持えますに当っては、何よりもこの点に心を 用いねばなりません。  さればこそ、昔から相当多くの三題噺も作られたのでありましょうが、今日まで残っているの は割合に沢山はない。それはけだし独立性が欠けていたからであります。もっとも即興的のもの が多かったでしょうし、第一、題の出し方にも難があったことと思われます。それ故出題に当り ましては、なるべく偏らないように、また永久性のあるように、その点を考慮に入れるとよろし いのですが、寄席などでやる時に、一般の入場客から出題を求める場合ですと、そこまで考えて 題を出すようた通客ばかりはありませんから、一つ落語家を困らせてやろうというので、ヤレ骨 なしの角力だとか金魚のマラソンだとか、三題が六題にもつこうような扱いにくいのが出る事も ある。それを短時間に何とか握《でつ》ち上げるのですから、是非もない結果になります。  ところで三題噺のサゲですが、これは必ず三題の中の一つに関連したものでなくてはならぬも のであります。実は私どもの小集でその研究をいたすにつき、岡鬼太郎先生が、明治三十九年頃 御発行になった『滑稽談語腹の皮』という本に、御作の三題噺が沢山載っておりますので、これ を無二のテキストとして、参考にさせて頂いております。そのお礼を申し上げましたところ、先 生から御丁重な御返事を頂きました。その一節に、「……小生もその昔、採菊翁、円喬師、松翁 兄などと、新橋の船宿に三題噺の会を開き候事も有之、往事を追懐(中略)腹の皮編中の三題噺 は、皆金港堂の文芸界誌上に載せたる、読者へのほんのお慰みの代物に候へ共、当時の三題噺が 兎角三題とも話の運びにこじつけて使ひ捨て、サゲは何の題でも、イヤ四題が五題でもビクとも せぬ、題そのものには何の縁もなきことにて片づけ、さながちお題頂戴の大津絵の如く、結末は いつも持ち句で逃げるといふ、作話術の卑怯さが気に食はず、例の悪い虫のいたずらから、つい 余計なつぶし案の甘いところを書き飛ばし候次第、何を申せ日露戦争時代のドサクサ紛れ云々」 とありました。  これによって推測いたしますと、やはりその頃も本格でないサゲを使ったものが多かった事と 思われます。これは先生のお手紙にもありましたごとく、大変卑怯な手段でありまして、それで は三題噺の体を成したものといわれません。元来落語のサゲということは、軽忽に扱えぬ条件で、 すでに名称を落語という以上、サゲは落語の生命であります。面白くおかしく、無理のないよう に筋を運んで行って、最後になるほどと感心させるだけのサゲをつける。これでこそ完全な落語 となるのでございます。近頃どうかすると、途中さえ面白ければ、サゲなんぞはどうでもいい、 むしろない方がよくはないか。などという変痴気論《へんちきろん》を耳にすることがありますが、とんでもない こと、もっての外といわざるを得ません。  これこそ全く、近年落語席の高座が、人数沢山のため時間を短縮され、マクラも振らずに本文 の中途から始めて中途で終わり、何でも構わないドヅと受けたところで打ち切り、「ヘエおあと が大連で」などと引きさがる。これが癖になって、そういうものかと悪い教育をした。その辺か らかような変体論が出来上がったものと考えますが、聴衆がドッと笑ったのを潮に引き下がるの も、高座の場合はそれでも済みましょうが、これを筆記したと仮定すれば、頭もなく尻尾もない 変なものが出来上がります。丈芸としてもその価値は、二、三行の小噺にも劣るでしょう。義太 夫にサワリというのはありますが、落語のサワリなんぞは困ります。さてこの、落語のサゲにも いろいろあり、大別すれば十一種類になります。次にその説明を申し上げましょう。  さて現在繰り返されております古来の落語を、ざっと数えてみましても、五百十幾つかありま す。けれどもどれが誰によって作られたのか、いちいち判然しておりませんのは残念な次第、思 うに有名無名幾多の作者が、これを社会へ送り出してくれた事でしょうが、その一人に乾坤坊良 斎という人があります。  詳細は他日にゆずりますが、この良斎がまだ大家にならぬ時分、良助という名で落語家の伸間 へ入り、三笑亭可楽の世話になり、前へ使って貰っていましたが、なかなか夜席だけの稼ぎでは 苦しいので、今戸の裏長屋なる自宅において、内職の泥の狐を、胡粉で塗っては彩色をしていた。 しかしいくら下廻りでも芸人ですから、世間へ見栄もあるので、この内職一件は大秘密、昼間も 表をしめ切ってコソコソやっていたのを迂閥《うかつ》にも引き窓から覗かれてしまう。覗いたのは向こう の家の細君で、物干から何気なく見下ろすとこの始末、この細君は以前南千住、すなわち小塚原 の遊女屋に抱えられていた勤め上がりに似ず、まことに働き者で、少しでも家計の足しにしよう と、良助に頼んで自分もその内職を世話して貰う事になります。  一方三笑亭可楽の家は、中橋にありましたが、これは大看板ですから、自宅に内弟子も三、四 人いる。その頃は寄席で中入に、前座が籔を売りましたもので、つまり福引きでございます。こ の事は寺門静軒の『江戸繁昌記』にも寄席の項に出ておりますが、この籔を売った利得が前座の ホマチになる。夜分帰って来てからその銭勘定をしているのを、町内のゴロツキが聞きつけて勘 違いをし、尻をまくって因縁をつけに行き、「お前ん所で、狐か何か出来るんだろう」といたぶ るのを、弟子が「それやア飛んだお門違い、狐の出来るのは今戸の良助の所です」と、教えたの が滑稽な始末になる。  これは御案内の「今戸の狐」という落語ですが、恐らくこれは多少の事実を一席にまとめたも のではないかと思われますし、この話一っで、その頃の落語家生活がよく窺われる資料にもなっ ております。そして終いにそのヤクザが腹を立て、「おれのいうのはこんな泥の狐じゃあねえ、 コツのサイだ」と言うと、「コツのサイなら、向こうのお内儀さんでございます」と、これがサ ゲ。話の好く出来ている割には、サゲが少々苦しくて無理ですが、その巧拙はさておき、この揚 合には前に小塚の妻云々を、よく説明し、伏線を張っておかないと、サゲに至って意味をなしま せん。かようなのを仕込み落ちと申すので、例せば「山崎屋」の遊女三千人、道中、三分で新造 云々を、前に振っておかねばならぬがごとく、これもサゲの一種であります。  サゲの一種として、仕込み落ちのことを申し上げましたが、例話によって、仮に定義を付しま しょうなら、「仕込み落ちとは、前に伏線を設け、または予備智識を与え、これにょりてサゲの 意味を合点さする落語をいう」とでも申すのでありましょう。いささか手数のかかったサゲでご ざいます。なるべくならば、そんな伏線など設けずに、すぐ解るサゲがいいようで、その中にも、 トントンと筋を運び、高調に達したところで、間髪を入れずに落し、ドヅと笑わせるというよう なサゲは、いかにも落語らしくてよろしゅうございます。  例せば、かの「のめる」という話、これは「二人癖」とも題しますが、甲はことごとに、「つ まらねえつまらねえ」という口癖、乙は「一杯呑めるな」を不断に連発、互いに矯正しようと相 談し、過って口へ出したら五十銭の罰金と決める。こうなるとどうかして相手に、口癖を言わせ ようと思うので、いろいろトリックを工夫しますが、結局、甲が乙の計略に引っかかり、「これ はつまらねえや」と口を辻らせたので、五十銭取られる羽且になり一円投げ出します。乙が「オ ヤオヤ生憎お釣銭がたかった。いいや、皆やっちまえ一「エッ、有難え。一盃飲めらア」「アッ、 それで差し引きにしよう」と、これがサゲ。この応対がよく出来ております。また「しの字ぎ らい」などもそうで、主人が権助にシの字を言わせようと思い、四《し》貫四百四十四文の鳥目を数え させたり、シビレを切らせたりしますが、権助はどうしても言わない。主人はたまりかねて、こ いつシブトイ奴だと口走ったため、「それシの字を言ったぞ、この銭はおれが貰う」と、これが サゲで、やはりやりとりの呼吸がよろしい。  とりわけて、文楽氏の得意とする「愛宕山」のごときは、毎度その軽妙さと巧さとに感服させ られますが、あの一八が旦那の投《ほう》った小判欲しさに、傘を使って谷底へ飛び下りたものの、再び 上へあがる事が出来ない。困りぬいた揚句、着衣を脱いでビリビ'引きさき、縄をなって端へ石 を結び、これを投げかけて太い篠竹の先へからませ、一生懸命手先へたぐりよせて弓のごとくし なわせ、この弾力を利用して、以前の嵯へ刎ね上がるという苦心惨濾の大冒険、聴いている方も、 落語とは思いながら、手に汗をにぎるくらいですが、美ん事山の上へ飛び上がることが出来、一 同は「ヤンヤヤンヤ、一八えらいな。小判はどうした」。,言われて初めて気がついた一入が、「ア ヅ、忘れて来た」と落す塩梅、誰しも爆笑せずにはおられません。実に上乗のサゲと申すべきで、 誰やらこのサゲを言う間際に、夢中で聞いていた高座前の客が思わず、「アッ忘れて来おった」 と、先へ言われちまったのでグッと詰り、一席の努力が無駄になったという逸話さえありますが、 以上三例話のごときサゲを拍子落ちとは名づくるのであワます。        、  ところでこれへまた、仮ではありますが定義をつければ、「拍子落ちとは、筋の運び序破急の 法にかないて、次第に興味の高潮に達せるとき、トントンと呼吸よくサゲる落語をいう」とでも いたしておきましょう。  御異見がありましたら、何卒御叱正を願います。甚だ独裁的で恐れ入りますが、この拍子落ち に似て非なるものがあり、この分類はまことにヤヤこしくなっている。と申すのは、従来トタン 落ちと申します部類の落語で、旦那が義太夫に凝って店の者や店子を集め、御馳走を出すやらい ろいろサービスをいたし、これで芸がうまければ申し分ないが、そうは行かない。「まだ青き、 しろと義太夫黒がって、赤い顔して黄な声を出す」と、狂歌の悪口にもある通りの、五色的音声 を発して一同を悩まします。いずれも退屈で退屈でたまりかね、河岸へついた鮪という、古めか しい形容同然、ゴロゴロ転がって高軒をかいている。旦那は我に返って心づき、この体を見て大 立腹、その中にただ一人、小僧がシクシク泣いているので、「ウム感心感心、起きて聞いていた のはお前ばかりだ。見込みがあるぞ。一体何が悲しかった」。聞くと、恨めしそうにベソを掻き っっ、あそこが悲しいと指さすので、「何だ、あすこは今まで私が浄瑠璃を語っていた床だが」 「エエ、あれが私の寝床です」と、お断りをするまでもない有名な「寝床」というお話ですが、 これがただ今申したトタン落ちに属しておます。  また武芸に熱中した町人が先生から武者修行中の武勇伝を聞き、自分もその真似をしようと思 っていると、折柄町内に大騒動、乱暴な侍が倉庫の中で暴れていると聞き、教わった通りに腕を 振ったところ、生兵法は大怪我の基でたちまち首を斬り落される。コロコロと転がった首が、 「先生、うそばっかり」と言った。これは御案内の「館林」で、やはりトタン落ちの一例話であ ります。  また、番頭が主人を胡麻化して店をぬけ出し、芸者、たいこを連れて大浮かれ、花見の土手で 鬼ごっこか何かをしているところへ、主人が来合わせたので番頭慌てまい事か、酔いもさめて大 恐縮。「どうもまことに御無沙汰を」と、頓珍漢の挨拶をして逃げ出します。後に主人の前へ呼 び出され、「先刻お前さん私の顔を見て、御無沙汰といったのはどういう訳だね」。油を絞られて 番頭が、「ヘエその時は、アヅしまった。百年目だと思いました」というサゲ。この「百年目」 も同じトタン落ちとなっており、また「禁酒番屋」の、「ウIムこの正直者め」や、「後家ころ し」などもそれで、ここに拍子落ちとの差違も区別もあるのでございます。  すなわち、以上の例話によって双方を比較して見ますと、拍子落ちの方は、たとえて申さば坂 道をだんだん上へ登って行き、次第に高くなった頂上で、崖っぶちから足を辻らせたような落ち 方であるに反し、トタン落ちの方は、平坦々たる道を進んでいる途中、落し穴か何かがあって、 不意にポコンと落っこちるというような趣があるのでございます。それ故これへまた仮の定義を 付けますならば、「トタン落ちとは、平面的なる叙事において、この辺で落ちるたというごとき 予想も与えず、突如終結をつけ、聴者の意表に出づるサゲをいう」とでも致しておきましょうか。  いやはや、だんだんややこしくなって、自分ながら舌が廻りません。だしぬけに落ちると申せ ば、御案内の「穴どろ」という話があります。三両の金欲しさに、出来心から泥棒に入ると、祝 い事でもあったらしく、残肴に酒も大分余っていたので、奴さん空腹に一盃やると、たちまちい い心持ちになり、チョコチョコと出て来た幼な子をあやしながら、後へ退るはずみに穴庫へ落ち る。主人が目をさまして大騒ぎになり、鳶頭のところから強がりの男が来て穴蔵へ入りかねるお かし味、「三両ならおれの方から上がって行く」というのがサゲになっておりますが、これは事 実に穴へ落ちる話ですけれども、トタン落ちの部類ヘは入りません。これだの、大蛇の腹の中ヘ 薬箱を忘れる「夏の医者」、お前さんのところなんぞは、どうでもようございますという「市助 酒」、文楽氏が得意の「按摩炬燵」、やけてまいりましたやけてまいりましたの「味噌庫」などは、 間抜け落ちという部類に属しております。  しかしこれ等をこそ落語らしい落語と申すべきで、その意味から申して、間抜け落ちという名 称は、甚だ当らぬようにも思われます。もちろん、これはとぽけた落ちというような意味から命 名されたものでし'うが、これ等は何とか他に、適当な名称を考えてつくべきところでありまし ょうo  更にまた、ぶっつけ落ちと申すのがありまして、その代表的たものは「やかん」であります。 元来、やかん問答は、いわゆる根問い物の随一で、これから「つくばね」や「千早振」に続ける 事も出来、長時間のつなぎには持って来いの品物でありますが、本来、「やかん」の最後は「木 火土金水」へ持って行って結ぶのだそうで、隠居が世の中の事はすべて、この五行が兼ね備わっ ていると脱線。「それでは、泥棒もですか」「アア、そうだとも」と、木火土水まではどうやらコ ジつけますが、「それでは金がないじゃあありませんか」と突っ込まれ、「ハテ、金がたいから泥 棒をするのだ」というのが最後のサゲになっております。これだの「ぬけ雀」「稽古屋」、さては 人情話の「立切り」のごとき、皆このぶっつけ落ちに組み入れられております。これによりまし て、間抜け落ちと、とのぶっつけ落ちを、仮に定義する事といたしましょう。 、  毎々お断りいたす通り、どこまでも仮の定義でありますから、不当の点は御勘弁を願いますが、 前者に対しては、「間抜け落ちとは、サゲの上乗なるものにして、常識をもっては予期し得ぬほ どの奇抜なる結末をつけ、聴者を爆笑せしむるものをいう」とでもいたし、後者に対しては、 「ぶっつけ落ちとは、サゲの巧妙なるものにして、結末意表に出づるといえども、本文とサゲと に、なるほどと首肯し得る洒落的関係を有するものをいう」とか何とか、文案することにいたし ましょう。何にしても、我ながら廻りくどくて汗顔の至りでございます。  しかしながら・この講義も骨を折り折り、これまでにどうやら・仕込み落ち・拍子落ち・目勾 ン落ち、間抜け落ち、ぶっつけ落ちの五種類にわたり説明を申し上げましたが、まだあとの六種〜 類もございます。  しこうして以上の五種類が、いずれも落語のサゲとして、気の利いたものであるに反し、感心 の出来ぬのは、次の地口落ちでありましょう。そのくせ、これが一番多いのだから困ります。ち ょっと思い出したままを数えてみても、「松竹梅」「天災」「牛ほめ」「五月幟」「かつぎや」「野晒 し」「不動坊」「大工調」「泣塩」……イヤ際限がないからよしましょう。「大岡ア食われねえ、た った越前」の「三方一両損」などに至っては言語道断と申すベきで、折角本文の面白さも、サゲー の拙劣なため、傷つけられている地口落ちは実に沢山あります。その代り、これに定義を仮定す るとしても訳はありません。 「地口落ちは、読んで字のごとく、語呂の似通いたるものや、駄じゃれをもって、一編の局を結 ぶものをいい、別に、ニワカ落ちとも称す」ぐらいな事を申しておけば事が足ります。  どうかこれから出来ます落語のサゲは、なるべくこの地口落ちを避けるように、心掛けたいも ので、また同時に、在来の落語でも、この地口落ち程度の拙劣なサゲは、改作してよいものとい一 たすべきだと存じます。                            ーー  地口落ちの多きに反して、少ないのは、あとの考え落ち、見立落ち、廻り落ち、逆さ落ち及び 仕草落ちの五種でありましょう。  落語家が高座で考え落ちの例話に引くのは、武士が飲食店の前で腰の印籠を落す話、大風が吹 いたについて、瀬戸物屋を始めたら儲かるだろうという話ぐらいのもので、いずれも小話でござ います。長いものとしては、お伽噺風な話ですが、「三人兄弟」というのがあります。長男は易 学、次男は盗賊、三男は裁縫の、いずれも名人になり、三人協力の上、大功を立て出世する。王 様からは三人の兄弟へ一人のお姫様を下さる。三人の誰がこのお姫様を奥方にしたかというのが サゲで、その解説をつけることになっていますが、少々下がかりますけれど「疵気の虫」の、 「オヤ、畳が敷いてあった」なども考え落ちの一つではないかと思われます。  しこうして見立て落ちの例話として、まず第一に挙げらるべきは、例の「首提灯」でありまし ょう。これは題名そのまま、斬られた自分の首を提灯のように両手で捧げて前へ突き出し、「ハ イ御免よ御免よ」と駆け出すのですから、一番ピヅタリした適例と存ぜられます。それから芝居 噺の「追いだき」や、あるいは「松山鏡」なども、この部類に組み入るベきものではありますま いか。  次に廻り落ちの例には「猫の名」がございます。強そうな名をつけようと選みに選んだ揚句が 戻りの猫に返るのですから、まさに廻り落ちでありましょう。なお、非常に煙草の好きな男が、 煙草責めに遭ってたまり兼ね、後から追いかけて来るのを、命からがら安全なところまで逃げて ホット一息、「ヤレ助かったか。まず一服」というサゲの「煙草好き」のごときも、廻り落ちと いっていえぬことはありますまい。  逆さ落ちに至っては、自分の頭へ出来た池の中へ身を投げる「あたま山の花見」などを例とす べきかと思います。子供が父親のために、酔っばらいにあやまる「初天神」のサゲも、逆さ落ち の部類に数える人があります。さて最後の仕草落ちは、例の「こんにゃく問答」や「不精代参」 などを代表とすべきで、以上五種類の定義を一括羅列いたしましょうならば、  ○考え落ちとは、謎のごときサゲをもって局を結び、合理的、または牽強付会的なる弁証によ  り、そのサゲを解説するをいう。  ○見立て落ちとは、読んで字のごとく、形容の類似せる滑稽をもって、話のサゲとなすものを  いう。  ○廻り落ちとは、紆余曲折の結果、再び出発点に戻りてのサゲにより、段落となるものをいう。  ○逆さ落ちとは、その自然なると不自然なるとを問わず、本末顛倒の奇抜なる結末により、失  笑せしむるサゲをいう。  ○仕草落ちは、これまたその名の示すがごとく、演者の技偏によりて終る落語をいう。  アアどうも、ようやくの事で落語の分類を、どうやら御説明いたしましたが、もちろん不充分 であること申すまでもございません。  ところでこれまであります落語のいちいちを、以上挙げました十一種類、すなわち仕込み落ち、 拍子落ち、トタン落ち、間抜け落ち、ぶっつけ落ち、地口落ち、考え落ち、見立て落ち、廻り落 ち、逆さ落ち、及び仕草落ちのどれかへ当てはめまして、何の話はどの部門であるというように、 分別するということはなかなか面倒で、いろいろ異論も出でましょうし、頗る困難な仕事だろう とは存じますが、しかしいかに骨が折れましても、今のうちにそういう事をしておきますれば、 大いに後世を益するだろうと思います。とんだ寺子屋の菅秀才ですが、一日に一っ分類しても、 二、三年のうちには全部が片づきましょう。ぜひこれは念願して、完成したいものと考えており ます。  さて永々と述べて参りましたサゲの分類にょりまして、落語とその構成に対する概念というよ うなものも、大体御会得の行ったことと自分勝手にきめちまいまして、いよいよこれからは本論 の落語作法に入ります。  もちろんこれは、皆さま方御通家に対し、いわゆる釈迦に説法をいたしておるのではございま せん。初心の方ばかりを相手にして、談義の真似をしているつもりなのですから、どうぞ御立腹 のたいよう笑ってお見流しを願いますが、沙弥から長老にはなれぬと申します通り、何事にも順 序があり階梯がございます。その次第をふまずに、いきなりゴールヘ飛び込もうとしても無理で、 弓を引きますにも、最初から的へ向っては本格の射術は出来ないとか申します。やはり巻藁から 修行しなければなりませんηスピード時代とは申しながら、やっつけではいいものも出来ず、急 がば廻れ瀬田の長橋、どうしても漸を逐うて進むに限ります。  しからば何を最初に学ぶべきかと申せば、まず何といっても小噺でありましょう。今村信雄氏 の落語の戸籍調べによっても知らるるごとく、長編の落語もその初めは小噺から出発したものが 多い。否、大部分は小噺を延長したものといっても過言でないくらいであります。まことに小噺 こそは落語の母胎とも申すべきですから、まずこの研究と習作から入るべきでありましょう。さ. きにも述べましたが、落語中興期における小噺作家の輩出に伴い、優秀作品の続々出来ました事 は、実に昌んなものだったと想われますが、現代におきましても、殊に昨今は小噺の研究や製作 が、素晴らしい勢いで行われておりますこと、まことに喜ばしい次第と存じます。宮尾しげを氏 のごとく、専門の雑誌や書物を刊行せらるる方もあり、小噺を作る会、その他の団体もありまし て、同好の方々が毎月会合しては熱心に作話しておられ、時にはアッというようた秀逸の出るこ とも少なくありません。  先日も「幽霊」という題で、脚気で死んだ男が幽霊になり出て来たので、その友達が、「オイ オイおれはお前の面倒こそ見てやったが、恨まれる筋はねえ。殺されたのでもねえに何で出て来 たんだ」と管めます。すると幽霊が、「イヤ恨むどころではない。生前いろいろお世話にたった から、ちょいとお礼に出たんだ」と申します故、「礼ならなぜ生きているうちに来ねえんだ」。叱 られて幽霊面目なさそうに、「生きている時は歩けなかった」というのがありました。実におか し味もあり、よく出来ているではありませんか。もっともこの作者は、金馬君のために幾つも新 作を提供した大貫清花氏ですから、巧いのもまた当り前でしょうが、この小噺などは引き伸ばせ ば、そのまま一席の落語になります。次にこの小咄の作り方を申し上げましょう。  親に似ない子は鬼っ子とか申しまして、まず子は親に似たものと極っておりますことは、敢て 「松山鏡」を引例いたすまでもございますまい。してみれば落語の母胎ともいうベき小話が、そ の生み出した落語と、共通の性質を持っておりますのも当然でありまして、落語に前申し上げた ごとく、仕込み落ち、拍子落ち、トタン落ち、間抜け落ち、ぶっつけ落ち、地口落ち、考え落ち、 見立て落ち、廻り落ち、逆さ落ち、仕草落ち等の十一種類がありますと同時に、小話にもかくの ごとき種類の備わっていることは申すまでもありませぬ。 しこうし三番感心出来ないのは、地口落ちであることも同様でありますが、因果とこれがま た多いことも免れません。出来ることなら小話を作るに当り、地口落ちは避けたいものでありま すが、小話はその名の示すがごとく、なるべく短文をもってよしとしてあります。そこでよくま くらに振られますような、「おさんや、土瓶が漏るよ」「そこヘは気がつきません」だの、「煙草 盆が引っくり返づたよ」「ハイふきましょう」などは、短かい点において理想的でありますが、 なにぶんにも地口落ちであることが玉に疵であります。元来小咄を作りますのは、題を定めずに 偶成する場合と、一定の課題に基づいて製作する場合と二通りありますことは、加お和歌や俳句、 川柳等と同様でありますが、後者が前者に比して、作為的になるのは止むを得ませんけれども、 課題によって作話しながらも、アッといわせるような秀逸を得られる事もないとは申せません。  要するにその課題に対し、種々様々に連想を遅うしているうちに、絶好なヒントヘぶつかる事 が肝要で、良い構想を得ればまず第一の成功と申せましょう。しかし折角いい考えを思いつきま しても、扱い方が悪いと結果において引き立たないことになります。  例せば、「ぽくのアパートは、窓をあけると市内一円が見える」「ウ1ムそりゃあいいな、高台 かえ」「ナlニ、前が円タク屋だ」と、これならば、その巧拙はとにかくとして、立派に小話の 体をなして加り、またちょっとおかしくもありますが、これを順序に構わず、「ぽくのアパート は、前に円タク屋があるので窓をあけると、市内一円が見える」としたのでは、価値はゼロにな ってしまいます。  ある小話の会で、スタンプという題に、「友人が天の橋立からよこした絵ハガキを見たら、ス タンプも逆さになっていた」という作がありました。これを選者が手に入れまして、「……友人 が旅先からよこした絵ハガキを見たら、スタンプが逆さに捺してあるので、ハテナとよく見たら、 出した所が天の橋立……」と直し、これが一等になったという例があります。同じことでも組み 立てによってぐっと活きる。小話もまた一つの文学であります。すなわち、第一に大切なのが構 想、その次が配列と言えましょう。次にこれを詳論して更に先へ進みたいと存じます。  さてその構想でありますが、前に挙げました二つの小話について見ましても、市内一円の方は、 円タク屋の看板を見て、偶然思いついたものと思われますし、天の橋立の方は、スタンプという 課題を得て、いろいろ様々、縦横無尽に考えを廻らし、苦心の末、さぐり当てたものでありまし ょう。この場合、前者は拾ったヒントであり、後者は無から有を生み出したようなものですから、 作話という技術から申せば、後の方に価値があるともいえましょう。もっとも、円タクだから拾 ったのかも知れませんし、橋立は逆さに股から覗くほどの苦しい思いをする所に縁がありますが、 実際この、新しいものを生み出す苦しみは、尋常のものでなく、その代り苦心が報いられてよき 思いつきを探り当てた時の嬉しさは、その人ならでは味わい得ぬ喜びであります。要は一つの課 題を得た時、これをじーっと見つめてあらゆる角度から、八方へ連想の波を拡げ、構想を探し求 める努力の程度によって、成否は定まるのでありまして、それにはやはり前もって百科全書的に、 何でも一通りを心得ておく常識が必要であります。  また作例の参考として古来の小話も出来得る限り広範囲に、数多く見ておかなくてはなりませ ん。もちろん、今まで伝わっている昔の小話にも名作あり駄作あり、あるいは時代の相違で意味 の不明なのもありますが、とにかく彩しい数量でありまして、これを系統的に蒐集し整理し類纂 し、もって後世に資しておられる宮尾しげを氏等の小噺研究のごときは、実に貴重なる事業であ ると存じます。  それはさておき、以上述べましたごとき方法によりまして、その課題に対しよき思いつきが得 られましたら、次にはいかにこれを扱うべきかの工夫であります。つまり材料に対する料理の仕 方でありまして、その最も大切なのが、前回にも述べました組み立てであります。この順序配列 が当を得ませんと、折角のいい思いつきが駄目になってしまう。  例せば、酔った武士がしやっくりに悩みながら行くのを、橋の上に寝ていた乞食が、突然|菰《こも》を はね退けて立ち上がり、「親の仇ッ」と呼び止める。びっくりして振り返り、「仇と呼ばれる覚え はない。人違いをするなッ」と叱りつける。乞食が声を落して、「旦那、しゃっくりが止ったら 一文下さい」という名作の小話、実に短かい中に、波瀾あり変化あり、人の意表に出て爆笑に終 わるところ、すべてこう行きたいものでありますが、これをもし、この乞食が、「よし、あの旦 那を驚かし、しゃっくりを止めてやって合力を貰おう、と考えまして」などと、最初から底を割 ったとしたらどうでしょう。価値は半減どころかフイになります。くれぐれも心すべき組み立て と、文章の修辞でありまして、それも出来る限り短かい方がよろしい。一分線香即席咄とは、考 える間の短かいのみを求めたのではないと思います。  ところでここに便宜上、三題話の作り方も併せて申し述べますが、仮に「虚無僧」「猫」「自動 車の衝突」と、この三題が出たとしてまず考えることは、この中のドレをサゲにすべきか、否、 ドレが一番よいサゲになるべきかを検討いたします。  最初の「虚無僧」についてならば、尺八とか、深編笠、その名称の天蓋、普化宗、梵論寺、加 古川本蔵、平井権八、手の内御無用とか、鶴の巣ごもり、鈴慕《れいぽ》流し、いろいろな事が連想され、 また、「猫」に関しては、ニャンとかニャウとかの鳴き声、オシャマス鍋、猫の皮の三味線、芸 者、猫八、好物のマタタビ、猫騒動、猫と鼠、猫かぶり、猫も杓子も、などと種々な関係語が思 い出され、「自動車」の方も、運転手、助手、円タク、ハイヤア、ガソリン、メ1タ1、あるい はセダン、シボレ1、クライスラー等の名称その他様々ありましょうから、それらの中からサゲ に使えそうな手掛りを物色致します。  ついでに思い出しましたが、ある小話の会で、「自動車」という題の出た時、旦那が芸妓とド ライブをすると、お手当の外にお小遣いをねだられた上、指環も頂戴、着物も買ってと、ふんだ んにせびられる。気がつくと、乗った車がシボレーだった。などというのがありましたが、こん なのは延長して立派な落語になりましょう。  これは自動車の名称がサゲに使われた例でありますが、さてかような具合にサゲを探し、適当 なものへ探り当てられたならば、そのサゲによって構想をまとめ、あとの二題を不自然でないよ うな道中の材料に使いますと、これで三題噺が出来上がるのであります。この方は小話と違って どうしても長編にたりますから、前にも申したごとく、三題噺から独立した一席の落語も得られ ることがあります故、大いにやらなくてはいけません。  これで小咄と三題噺の作法は大略一通りを終わりましたが、ここに御報告いたすべきことは、 三題話以外に、落語新作の便法を一っ、新たに発見したことであります。発見者は正岡容氏で、 その第一回を昭和十二年四月二十五日に同氏宅で開催いたしました(新作落語の会)。落語史上 に落せない記録であります。  それは何かと申しますと、後日物語の製作であります。第一回の課題として選ばれたのは「手 紙無筆」でありましたが、御承知の通り無筆の男が伯父のところから来た手紙をもてあまし隣の 先生のところへ持って行くと、この自称学者も実は無筆なので読めたい。しかし今まで物知り振 っていた手前、今さら自分は文盲だからとも言えないので、いろいろ胡麻化してでたらめを読む という、いかにもおかしく出来た落語ですが、あのあとがどうなったろうというところを題にし て、いわゆる後日物語を作ったのですが、これはたしかに面白い思いつきで、かつ新機軸ゆえ、 大いに期待されましたが、果して結果は上々でした。 「手紙無筆」の後日物語には、いろいろな傑作も出来まして、なるほどと感心するのやばかばか しさに吹き出すのや沢山ありましたが、その御披露は追ってとして、とにかくこの試みは、期待 に反せぬ成功であったといえましょう。またこれは確かに、新しい落語を創作する便法でありま して、三題ばなしよりあるいはやさしいかも知れません。というのが、手掛りを三つ与えられて いるとはいえ、三題噺の方は、とにもかくにも無から有を創造しなくてはなりません。後日物語 といえども、やはり作るには違いありませんが、すでにその前篇はまとまった話に出来上がって いるのですから、その話の中には手掛りも材料も豊富にあります。これを使用して連想を働かせ、 前編とつながりのある話を持えて、適当たサゲをつければいいのですから、そこに比較的楽なと ころもあろうからでありますが、しかしこの方法によってドシドシ新しい話が出来るとすれば、 大いに奨励しなくてはなりませぬ。  仮に現在、旧作の落語が五百題として、その半分に一っ一つの後日物語が出来れば、たちどこ ろに二百五十編の新落語を得られる。何と大量生産ではありませぬか。しかも、よいもの面白い ものを得られた場合、在来の話が出来たあとへ、「ヘエ私はただ今のお話の続きを申し上げます」 と、珍奇なのを演じたとしたら、聴衆はどんなに喜ぶか知れません、客を喜ばせて自分も受け、 出し物が殖える。そればかりか在来の落語でも、サゲの面白からぬもの、拙たいものを、この方 法で補っていく事も出来ます。  例せば、この会の第一回目には、「手紙無筆」に次いで「お化長屋」を課題にしましたが、御 承知の通り、家主がやかましい事をいうので借家人たちが反感を起こし、長屋の中にある空家を ふさがらぬようにしてやろうと、緯名を古狸と呼ばれる杢兵衛が、能弁に任してでたらめの怪談 を述べ立て、貸家探しに来る連中を脅かすというあの話です。すると威勢のいい八さんが借りに 来て、この男は杢兵衛の怪談にも驚かない。平気で越して来るので、サア大変と長屋中は困る。 ところが悪戯な手合いは八公の不在中、いろいろ仕掛けをして怪談を実演、更に滑稽を重ねると ころ、いかにも面白く出来てはいますが、最後に按摩を頼んで座敷へ寝かし、外の連中は手や足 を夜具から出して、大入道に見せかける趣向。ところが八さんも化物屋敷が話ばかりでなく実地 なので胆をつぶし、親分のところへ逃げて行き、これこれと訴える。そんなばかな事があるもの かと、一緒について来た親分の声を聞き、悪戯組はコソコソ逃げちまう。「何だこれほどに企み ながら、今更逃げるとは足腰のねえ奴等だ」というと、按摩《あんま》が、「そうでしょう、足腰はとうに 逃げました」というサゲが、どうも感服出来なかった。ところがそれを立派に改作が出来たので あります。  簡単に筋だけを申しますと、八さんの勇猛果敢な心臓の強さに、手古摺《てこず》ったお化長屋の連中が、 何とかして彼氏を脅かそうと苦心いたします。するとこの町内の蕎麦屋に佐野次郎左衛門をふみ 潰したような、醜怪な顔をした出前持ちがいましたので、一同から頼んでこの男の顔へ更に胡瓜 の皮や何かを張りつけ、「お待遠様っ」と裏ロから覗かせました。ところが八さん驚きません。 「チェヅ、まずい面をしやアがる」と、横づっぽうをはり倒されました。次郎左衛門氏失敗です。  いよいよ手段が尽き、困ってると力自慢の権助が来合わせ、「よしそういう訳ならおれに任せ ろ。きっとそのトーチカ野郎を魂消《たまげ》させてくれべえから」と、自信あり気に受け合いました。 「いいかえ権助さん。あんまり乱暴なことをして、怪我でもさせてはなお面倒だぜ」「ナ1ニ大丈 夫でがすよ」と出かけて行きましたが、間もなくさすがの八さんが青くなって逃げて行った様子 です。長屋の連中大喜び、やがて意気揚々と帰って来た権助に、一体どんな事をして脅かしたの だと聞くと、「ナー二、台所へ行って揚げ板の下へ隠れていたら、野郎が帰って来たから突然に、 ウーンと米櫃を差し上げてやっただけさ。それを見ると野郎胆を潰して、跣足で戸外ヘ飛び出し やアがった。もっとも誰にしたって、だしぬけに米があがれば、驚くにきまっている……」とい うのがサゲ。  何とよく出来ているではありませんか、作者は林家正楽君で、ついでながら正楽君は、御案内 の通り紙切り細工が専門で、落語は本業でもないに拘らず、作話の才がありまして、三題噺でも 後日物語でも、毎回天位を獲得していました。それはさておきこの米櫃上がりのサゲならば、従 来の「足腰はとうに逃げました」云々より、どんなに優れているか知れません。  戸外から心張棒をかっておけというサゲの「締込み」も、後日物語の題に選ばれたことがあり まして、泥棒の始末に困った夫婦が空行李へ眠ったまま押し込み、往来へ持ち出して棄ておくと、 そこが運送屋の店頭だったので、荷物と間違えられて新潟まで送られちまうのや、泥棒とあの女 房が出来ちまうのや、泥棒が改心する立志談、さては泥棒とあの女房が、兄妹と知れる人情噺、 などいろんなのが出来ました。これ等は私の手元に保存中で、原稿整理がつき次第三題噺の分と ともに、追々御発表もいたしたいと存じておりますが、とにかく、これ等の方法にょれば、新作 落語を得るこ之も比較的容易であります。また便法の一種として、小話を引き伸す事、あるいは 従来の落語を換骨奪胎して改作する事も教えられましょう。改作の余地あるものは幾つもありま す。もっともいつぞや馬風君が、「欠伸指南」を汽車に改めようとし、「機関士さん、列車を上手 へやっとくれ……」とやりかけて、「こりゃあやれねえや」と笑っちまった珍談もありましたが ね。 「鍋焼うどん」を支那蕎麦屋に改めたり、「夢金」の船頭を、自動車の運転手に直したり、千両 当りの富くじを、三千円の割増金つき勧業債券に当てはめたり、その程度ではまだ充分なる換骨 奪胎とは言えないかも知れませんが、原本の構想を土台にして、新しい事実を持って来れば、ハ ハァあの話の焼き直しだなと、耳の肥えた聴衆にはさとられるとしても、とにかく別の話が一つ 出来、別の感興も起こさせるというもので、今村氏の『新訳笑府』の中に「野晒し」の原本が出 ていましたが、あれが現在行われている八さんの向島へ釣りに行く落語となり、「アアそれでは 先刻のは馬の骨だったか」というサゲになっておりますけれど、これを換骨奪胎して「お花見縞 談」という新落語が出来ております。  これはペソキ屋の六さんという男が、高いところで煙突の塗り替えをしていますと、隣の邸の 庭がひと目に見おろせます。そこは知り合いの先生と呼ばれる、学者だかお医者様だか知りませ んが、マア平生は堅苦しい事を言って納まっている、髭か何か生やした人の家なんです。ところ が、その先生は奥さんや書生さんを、お花見に出してその不在中、庭前へ緋の毛琵を敷き、十七、 八、文金高島田の振袖美人に酌をさせながら、陶然としてお庭の花を見ていました。六さんはこ の現場を見つけたので、翌日早速先生のところへ出かけ、「先生、冗談じゃあありませんぜ。昨 日のあの女は一体何です」と質問します。 「イヤハヤあれを見られたとあれば、仕方がない。実は僕の性分として、雑沓の場所の花見は好 まんから、家内を皆遊びに出して、自分一人庭前の花を見ながら一盃やっていると、元来この桜 の木というものは、苗木の時からこの庭へ植えて、永年丹精をしたのがこんな大樹になった。そ うなると非情の植物でも、自分の子のような気がして可愛くてならぬ。すると不思議や一陣の春 風もろとも、あの美人が忽然と現れ、私は先生に苗木の時分から、手塩にかけて育てて頂いた、 この桜の木の精でございます。お礼にお酌でもさして下さいましと言われ、ぽくもいやな心持ち はしないから、それは有難いと打ちとけてあの有様。あれは全く人間ではないのだよ」と、説明 を聞いて六さんが、「フームそういうものか」と大いに感心して自分の宅に帰り、庭へと思った が裏店にそんな空地もなく、緋の毛既たんぞもちろん持ち合わせていないので、「オイ何か赤い きれはねえか。アアこれでもいいや」と女房の都腰巻か何かを敷いて坐り、桜の木がないので、 鉢植の松を飾って、「アア私はお前を苗木の時から」「何を言っているんだよ。そりゃ縁日で一昨 日買ったんじゃないか、しっかりしておくれよ。気が違ったのかえ」。各められて六さんが、「ウ ム違ったとも、松と桜だ」というサゲ。これは柳条君の作ですが面白いではありませんか。 「野晒し」から換骨奪胎した「お花見縞談」、構想も筋の運びも面白く、すぐに高座ヘ用いられ るところ、さすがに本職の作だと敬服いたしますが、最近にも時局を扱ったものに、「戦況ニュ ース」というものがありました。  これは瀬戸物の模様を画く職工が、戦争の噂で夢中になり、仕事の能率が上がらないばかりか、 興奮のあまり、折角出来た皿や丼を叩き段すというので主人も困ってしまい、一同に訓戒を与え た末、「この際お互いに国民として、戦況を気にするのは当然のことだが、それがために作業の 支障を来しては、それこそ総動員の趣旨にも反するわけだから、どうか仕事中は一切、戦争の話 をしない事にきめて貰いたい。その代り私も決してロヘ出さぬ。どっちでもうっかり戦争の戦の 字でもしゃべったものは、罰金を出す事にしようじゃないか」と、一切戦争に関した言葉を封じ てしまう。  この主人の計略は図に当って、誰も彼も黙りで仕事を励んだから、成績は素晴らしくよくなり ました。すると職工連中は、何とかして主人に禁句を口外させ、約束の罰金をせしめてやろうと 考え、いずれも智恵を絞った揚句、いろいろトリックを用いますが、主人も警戒してたかたかそ の手に乗りません。そのうちにラジオで戦況ニュースが始まる。主人は職工への約束上、自宅の ラジオはスイッチを切ってあったのですが、隣家のが窓から筒抜けに聞えて来るので、つい耳を 傾けますと、今や空中戦のきわどいニュースなので、主人は夢中になります。そこを狙って職工 組は、こわれた皿小鉢の入っているブリキ缶を、けとばして床から落すので、恐ろしい物音がし ます。主人はびっくりして、「エエやかましい、今肝腎のところだ。うちヘバクダンを落してど うする」と叱る。「それ旦那はバクダンと言いましたね。お約束の罰金を下さい」「アッ、企みや がったな。やられたやられた。おれも男だ 卑怯は言わない。サア、五円上げるよ。すしでも買 いな」と放り出すと、「とんでもない。すしなんぞは買いません。一同の名で、これを国防献金 にします」と言うので、「アヅ、国防と言ったろう。それで勝負なしだ」というサゲでした。  申すまでもなく、これは「二人癖」、別名「のめる」の造り替えであることは、どなたもおわ かりと存じますが、これなども換骨奪胎の成功した例と思われます。  それから更に新しい落語を得る方法の一つとして、翻案という一項目のあることも逸すわけに は参りません。古くは、「遺言状」のごときがその例で、別名を「隣の靴屋」とも申します。靴 屋の出て来ること、公証人の現れること、いずれも西洋物の匂いが歴然と残っておりますが、曽 我廼家の劇にもこれを題材にしたものがあったと思います。また最近にも翻案で、ちょっと面白 い落語の出来た例もありますから、次にそれを申し上げましょう。  これはごく仲の悪い夫婦があって、お定まりで「廠火事」の女房同様に、細君が叔父さんのと ころへ訴えに行き、「うちの人くらい分らずやは世の中にタンとありますまい。私アもうつくづ く愛想が尽きましたよ」と愚痴をこぽす。叔父さんも持て余して、「そんなに気に入らないのな ら、いっそ別れてしまったらいいだろう」と突き放すと、「それが別れられない訳があります。 というのは叔父さんも御承知の通り、子供が三人あるでしょ。うちの人の言うには、別れたけり やあいつでも暇をやる。その代り子供は半分ずつ分けて引き取ろうと言うんですよ。これが二人 なら一人ずつ、四人なら二人ずつ、六人なら三人ずつ、ちょうど半分になりますけれど、三人だ から困りますわ。マサカ総領を良人にやって、次男を私が引き取って、三人目のを胴切りにして、 半分宛というわけにも行きませんから」と細君が申します。 「ハアそれで問題が停頓しているのか。よろしい解った。ではこうしなさい。モゥ少しお前も辛 かろうが我慢をしていな。するとそのうちにまた子供が出来るだろう。今度は四人だから分ける のに勘定がいい。割り切れる数になるまで、もう少し辛抱しなさい」と叔父さんが宥めましたの は、ナー二、夫婦喧嘩は犬も食わぬ、一時納めて置けば、そこは夫婦の情で、そのうちには本当 に仲がよくなるだろうという苦労人らしい考え。細君を説諭して帰しましたが、毎日喧嘩ばかり している夫婦だのに、不思議にも子供は授かるものと見え、ある日やって参りまして、「叔父さ ん」「ウムどうした」「喜んで下さい。四人目が出来そうですよ。生れたら離縁させて下さいね」 「アアいいとも、それまでは身体を大切におしよ」と帰します。やがて月満ちて出産の知らせ、 早速見舞いに行った叔父さんが、「イヤおめでとうおめでとう。赤ン坊は丈夫かえ」。尋ねると細 君が、「丈夫は丈夫ですが、また良人とは当分別れられなくなりましたよ」と言うので、「ハテナ、 何故だえ」「ハイ、今度は双生児が生れました」というサゲ。  ちょっと面白い話でありますが、これは外国のコントから翻案したものだそうで、そのまま落 語の好材料になるところから、一時に方々の雑誌へ、これを基礎とした落語やユーモア小品が出 ていたようでありました。  戦争前に落語研究会で小さん君の口演した「貸家探し」も、原本はやはりかの地9コントから、 取材して落語に直したものであります。  それは貸家探しの奥様が、家主のところへ聞ぎ合わせに来ると、家主の方では、借家人を選み ますから、「お子さん方は」と問い返します。子供が多いようなら断ろうという腹でしょう。奥 さんは淋しそうな顔をして、「ハイ、墓地におります」と答えるり「それでは、、お貸し申しましょ う」となって、引っ越して来たのを見ると子供が七人もゾロゾロ、「実は墓地で遊んでいたので す」という話でした。  淋しそうな顔をして、「子供は皆墓地におります」と、思わせ振りな奥さんの言葉に引っかか り、ヤレ気の毒な、それでは子供を皆死なしたのだろう。子供のない人なら家を汚されたり痛め られたりすることもないだろうと、早合点をした家主が、「よろしゅうございます。お貸し申し ましょう」と話をきめる。ところがいよいよ引っ越して来たのを見ると、いたずらそうな子供が 七人もゾロゾロいるので、「アリャッこのお子さん方は」と、各めると奥さんが、「ハイ、先程お 答え申し上げました通り、うるさいので皆、この先の墓地に遊ばしておきましたのです」と、涼 しい顔をする。これがサゲでありますが、「小言幸兵衛」のマクラなどに使えばなお面白かろう と思います。  それから今一つ、これも自由主義の旧体制時代に演ぜられた話材ですが、長い長い田舎道をノ ロノロと走る乗り合いのガタ馬車があり、炎天に木の蔭一つない野原の十里も続いているところ を行くのですが、地方の客は馴れていても、初めてこんなのへ乗り合わした者は驚きます。新婚 らしい若夫婦、それも細君はモダンで我儘者らしく「暑い暑い、たまらない」と、ぐちばかりこ ぽして、咽喉が乾いて死にそうだから、何か飲みたいと御亭主へねだります。ねだられたって馬 車の中、下りたって水溜り一つないところなので、どうにもなりません。モダン夫人はギャアギ ャアせがむ。ベソをかいて旦那様は、乗り合いへ哀願して、「どなたか水筒でもお持ち合わせな ら」と頼み廻ると、隅に商人体の男が乗っていて、「お望みなら持ち合わせの氷を分けて上げま しょう。その代り少しお高うございますよ」と、足元をつけ込みます。「イエ高くとも結構」と、 背に腹は替えられない。紳士は三寸四方くらいの氷を一カケラ、一円で売って貰います。細君喜 んで蘇生の思いをしたのも束の間、すぐまた咽喉が乾いて、「もう一カケラ売って下さい」と頼 みます。「よろしい、今度は氷が以前の半分も小さくなって値段は倍の二円です」。もう少しもう 少しと氷はだんだん三円、五円と値上げされ、そのたびごとに氷の大きさは小さくなります。こ の分では先方へ着くまでに破産しちまうと紳士は閉ロしますが、女房殿は甘ったれて、「もっと 買って頂戴、とても我慢が出来ない」と申します。「弱ったなア、では仕方がないもう一度頼ん で上げよう。モシ氷屋さん」「イエ、私は氷屋じゃあありません。お気の毒だから、持ち合わせ をお分けしたんで」「イヤ分かっています、失敬失敬。ところでどうでしょう、もう一カケラ」。 頼むとその男が、持っていた小箱の中を覗き込んで、「アッもういけません。金を山に積まれて も、この上は分けられません」「エッ、もうないのですか」「イエありますが、この上氷を減らす と、この暑さでは向こうへ着くまでに猫の屍骸が腐ります」というサゲ、これも外国のコントを 落語に直した一例で、いかにも奇抜に出来ておりました。 「双子の出産」「墓場の子供」「馬車の氷」と以上三つの例話も、外国種の翻案を、落語にした見 本でありますが、大体においてこれまで列挙しましたごとく、新しき落語を創作するためには、 小咄の延長、三題話、後日物語、換骨奪胎、及びただ今述べましたような翻案等、いろいろの方 便のあります事は、御会得を願えたろうと存じますから、これからは更に進んで、内容の方へ入 って行く事と致しましょうが、まずサゲも予定され、話の骨組みが出来上がったとして、この筋 へおかし味をつけなくてはなりません。  これが落語作法の上には重要なことで、いかにサゲがよく出来ていましても、途中に笑いが少 なくては上乗の落語とは申されません。しこうして笑いを誘う要素のことを、専門家はクスグリ と申しておりますが、このいわゆるクスグリを、新しく発見したり、創造したりすることは、余 程の天才にあらざる限り、なかなか困難なことでありまして、どうしても在来のクスグリを模倣 転用するようなことになるのであります。されば通客がお聞きになれば、ハハア、あれは何の話 のクスグリを持って来たんだな。ここは、何の型だなということが、すぐとおわかりになります が、これは是非もないことで、まず在来の落語を片端から解剖して見ますと、クスグリにも千差 万別。、幾多の種類があることを発見いたしますが、残念なことには、その分類も統計も、秩序的 には出来ておりませんし、また、手をつけた人もないようです。  その中にただ一人、先代の林家正蔵すなわち今西久吉君が、ここへ着目して調査に着手いたし ました。そしていちいちこれへ、学術的な名称を付し、いちいち実例を挙げ、面倒至極な仕事を 進めつつあったのですが、不幸にもその完成を見るに至らずして、今西君は昭和四年四月二十五 日、四十二歳の働き盛りを一期として病残せられましたことは、返す返すも残念なことで、もし あの人に天寿を貸し、この統計が完成されていましたならば、落語文学上の貴重なる資料として、 どれほど後世を稗益していたか知れません。極端に申せば、博士論丈とするにも足るほどの価値 がありましたろう。同君もさぞかしあの世において、遺憾に思っておられる事と察せられます。  亡友を想う愚痴のくり言はこのくらいにしておきまして、左様な次第ゆえ幾多のクスグリに対 し、専門家も敢て術語的な名称さえつけてありません。強いて拾えば、オームくらいのものでし ょう。オームはすなわち鵬鵡返しの略で、「天災」「二十四孝」「茶釜の喧嘩」「十徳」「小粒」「時 蕎麦」「三百餅」「猫久」等、ざっと数えてもオ1ムのクスグリで笑わすものは随分あります。し かし幾多のクスグリも大別すれば適当に分類されましょうが、芝居の立廻りにも山形とか千鳥と か、それぞれ型の名があるのに、クスグリにそれのないのは説明するにも不便で困ります。  それ故、落語研究の一つの仕事として、このクスグリにそれぞれ適当な名称をつけるというこ とも大きな便宜になると思われます。試みにその材料として、比較的クスグリの多い「錦明竹」 を選み、解剖して見ましょうなれば、この話は前後三段に分ける事が出来ます。  すなわち、主人が小僧の与太郎に叱言をいい、往来を掃くのに先に水をまかなくては、ホコリ が立っていけないと教えると、与太郎は二階を掃く時、畳の上へ水をまいたという滑稽から始ま って、主人が用達しに出かける条までを第一段といたし支す。何しろ与太郎なのですから、する ことなすことが皆間違いだらけで、いちいち笑いの種になるのでありますが、この馬鹿な小僧の 失敗も、いろいろ型があって一様には扱われません。戸外を掃くのだから、水をまけと教えたの に、二階を掃く時にも、その通りやったというこのクスグリは、サア何と名づけたらよろしゅう ございましょうか。適当な名称を、どうか考えて頂きたいものでありますが、まあ仮にこの型を、 場合違い、とでも命名しましょうか。 さてこの与太郎が、店番をしているところへ、夕立にふり込められた通行人が、店の軒下で雨 宿りをしているのを見つけて、「困るなら傘を貸してやろうか」と声をかけ、見ず知らずの人に、 出来て来たばかりの主人の蛇の目傘を貸しちまう。これは小僧のする事だから是非もありません が、この傘を貸しちまったあとで、・-主人と小僧との問答がまた一つの型といえるでしょう。曰く、 「どなたに貸したのだ」「どこの人だか知らないよ」「オイ、知らない人にムヤ、・・に貸しちゃいけ ない。どの傘だ」「今ここにあったのさ」「エ少、そりゃ私の蛇の目。傘屋から持って来たばかり じゃないか。仕様がないなア」「けれども喜んでさして行ったよ」「当り前だ」とこの問答は、や はり一種のクスグリであります。見ず知らずの通行人へ、上等の傘を貸してやれば、借りた方は 喜ぶにきまっている。「当り前だ」の一言でドッと笑わせるのですが、当然のことを言うのがク スグリになる場合は落語の中に頗る多い。  例せば、「女学校へ行ったら驚いたよ。生徒が皆女ばかりさ」などで、これ等は、当然型とで も申しましょうか。次には主人が、傘を借りに来たらこう言って断れと丈句を教える。ところが そこへ来たのは、猫を借りに来た人だったので、「うちにも貸猫はありましたが、先日の暴風雨 に、骨は骨、皮は皮、バラバラになりました」云々と断る。ここでまた主人に猫の断り文句を教 わったところ、今度は「旦那にちょっとおいでを願いたい」と迎えに来.たのを、「うちにも旦那 は一匹おりましたが、畜生の浅ましさ」云々とやって、このクスグリでは大爆笑を呼ぶのですが、 これ等はやはり、場合違い型の中へ編入して差し支えありますまい。  さてその迎えを受けて主人が出て行きますので、小僧が一人で店番をしているところへ、京阪 弁の男が入って来ます。そして、「私は京橋中橋加賀屋佐吉方から参じましたが、先達て、仲買 いの弥市をもって取り次ぎました道具七品」云々とその七品の名を並べるのでありますが、この 中に「錦明竹ズン胴切りの花いけ」というのがありますので、この落語を「錦明竹」と名づけら れたのでありましょう。道具七品は、いちいち肩書つきで名が長く、それへまた、「柄前はタガ ヤサンやと仰せやが、埋れ木やさかい、木が違うとるよって、念のためチャとお断り申します」 などと、いちいち文句が入り、終いには、「この屏風は旦那寺の坊主が好みまする屏風じゃによ って表具にやって坊主の屏風にいたします」云々と、早口くらべのようなややこしい文句までつ いておりますから、これを達弁にベラベラしゃべられますと、落語の聴衆も最初は何のことか、 ちょっと解らないくらいであります。  小僧の与太郎は呆気《あつけ》に取られ、「ヤアー、面白いなア。一銭やるからもケ一遍やってみな」と、 物貰い扱いをいたします。これも一つの軽いクスグリで、まあ名づければ勘違い型とでもしまし ょうか。使いに来た加賀屋の手代は腹を立てる。そこへ奥から内儀が出て来まして小僧の無礼を 詫び、「恐れ入りますが、どうぞ御用向を私に聞かせて下さいまし」と挨拶をしますので、彼は またこの長丈句を繰り返します。第一回目よりは第二回目の方が幾分スピードも早くなり、それ を上方弁でしゃべるのですから、内儀にもよく解りません。呆然としています。聴客はここに至 って大いに笑いますが、口上の文句そのものに何等滑稽も矛盾もなくとも、この場合聞き手が笑 うことは、「こいつア誰だって解らないや。恐ろしい長文句だな」と、思わず吹き出させられる のでありまして、これは自然のクスグリ、自然型とでも仮に名づけるといたしましょう。  内儀は途方にくれながらも取りつくろい、テレ隠しに与太郎へ小言など申して胡麻化します。 ここはそのままテレ隠し型とでもしておいたらよいでしょう。「まことに相済みませんが、どう ぞもう一度」とロ上を聞き直します。使いの男は、「エ、またやりますのか」と呆れるので、こ こが又ちょいと受けます。このクスグリも自然型でありましょう。そしてまた中ッ腹になって、 「モゥこれきりですぜ」と一層テンポを早めて道具七品の言い立てを弁じ、「どうぞよろしく、さ ようならッ」と帰って行きます。ここまでが第二段という事になりましょう。  小僧はただ嬉しがってゲラゲラ笑っているばかりですが、内儀の当惑は一通りでない。そこへ 主人が帰って来て、第三段は、今聞いた口上を内儀が間違いだらけで取り次ぐ、これはすべてオ ーム型で、あとはサゲになるのでありますが、まずこの一話にも以上ざっと六種の変ったクスグ リの笑いが含まれている次第です。  かような具合で、甚だ手前勝手の命名ではありますが、ただ一編の、「錦明竹」の中にも、場 合違い、当然型、勘違い、自然型、テレ隠し、オーム等、まず六種の型を含んでおります。なお 厳密に申せば、加賀屋の手代が、長い文句を何度も繰り返して笑わせますのは、「寿限無」の子 供の名、「たらちね」の、みずから事の姓名は云々から、亀女と申し侍るまでの言い立て等と同 じく、多弁型とでも命名すれば、もう一つ殖えて七種の型のクスグリがあります訳で、さればこ れを系統的に調べるとしますには、その方法として、ヵiドでも利用いたすがよろしゅうござい ましょう。沢山の力ードを用意いたし、これを適宜の罫線で仕切り、まず型の名称を書き、次に 落語の名題、底本の書名、摘要、備考等の欄を設けます。何しろ無数に要する力ードですから、 罫線の引き方や、各欄の大きさが定まりましたら、印刷にでもしなくてはいちいち手数が面倒で しょう。  それはさておき、ここに書き込みの一例を申しましょうなら、前に選みました「錦明竹」の中 のクスグリとして、`型の名称-場合違い。落語の名題1「錦明竹」。底本の書名I「名作落語全 集」第十巻、粗忽者と与太郎編。摘要-猫を貸して下さい。与太郎断って曰く。宅にも猫はあり ましたが、先日の嵐に骨は骨、云々。備考-出典は云々といったような具合であります。その煩 を厭わずして、いちいちの落語につき、クスグリのあるご上に、別の力ードヘこの記入をくり返 しますれば、一枚一枚とだんだんふえる。それは当り前で、減った日には大変ですが、寺子屋の 菅秀才ではありませんけれど、一日に一枚でも年には三百六十五枚、彩しいヵードの山が出来上 がりましょう。これを型の名によって分類いたしますれば、落語全体の中に、クスグリの型がど のくらいあるものか、どれが一番多く、また喜ばれているか等が、自然天然と知れます訳で、こ れが後来、新作落語のための参考資料ともなるべきはもちろん、こんな仕事こそ本当の落語研究 とも申すべきで、かく秩序立った研究の下に出来上がった調査が、学術的女献になることは申す までもありますまい。  重ねてグチをこぼすようでありますが、この仕事に目をつけて着手しながら、志を果さず中道 に残した故人林家正蔵の永眠は、返す返すも惜しい事でありました。誰か彼の遺志をついで、こ の面倒た調査を完成する人はないものでしょうか。この研究へ落語の出典に関する考証でも併せ ましょうなら、我が国固有の落語という滑稽文学の一種も、立派に学術的な取り扱いを受け、こ れを作り出した先人へも何よりの手向けになる事と思います。  まだ申し残した事も多々ありますが、このくらいにしておきます。 落語名題総覧 ○道潅 ○和歌三神 ○高野違い ○ひと目上がり ○雪てん ○地口 ○蜀山人 ○古喜 ○狂歌家主 〇六歌仙 〇ニツ三ツ四ツ ○夢合 ○初音の鼓 ○ぽんこん ○盃の.殿様 ○蕎麦の殿様 ○将棋の殿様 ○妾馬 ○秋刀魚殿様 ○葱鮪の殿様 ○松引 〇三味線栗毛 ○尻ひねり ○星野屋 〇一ツ穴 ○おふみ様 ○権助提灯 ○倍気の独楽 ○夢の瀬川 〇三ッ巴 ○今戸やき ○しの字嫌い ○お七 〇かつぎや ○天災 〇二十四孝 ○茶釜の喧嘩 ○廠火事 ○ねこ久 ○佃まつり ○永代橋 ○芝浜 ○茶金 ○富の八五郎 ○富の久蔵 ○水屋の富 ○宿屋 O鼻利源八 ○鼻利源兵衛 ○鼻利長兵衛 ○夢金 ○乞食の夢 ○土蔵の夢 ○大工調べ ○鹿政談 ○白木屋 ○えて吉 ○おしくら ○百人坊主 ○富士参り ○伊勢参り ○朝ばい ○牛かけ ○明石参り ○せき所 ○とろろん ○万金丹 ○およく ○勇の遊ぴ ○羽織 O錦のけさ 〇三人片輪 ○とんちき 〇三助の遊 ○あわもち ○おはらい ○万ざい ○きつね ○すきみ ○ぽかんぽかん ○芋食うな ○坊さんの遊 〇五人廻し ○合羽 ○縮み上がり O文違い O揚屋無間 ○お見立 ○子わかれ ○首ったけ ○品川心中 〇三枚起請 ○大男の毛 ○居残り左平治 ○高尾 ○つき馬 ○早桶屋 ○みいらとり ○きゝゝま ○ひねりや ○磯のあわび ○山崎星 ○明がらす ○小原女 ○廓大学 ○親子茶屋 ○二階ぞめき ○酢豆腐 ○宮戸川 〇六尺棒 ○おせつ ○成田小僧 ○小いな ○菊江仏壇 ○理はつ床 ○素人車 ○船とく ○夜かご ○きめんざん ○紙くづ屋 ○湯屋番 ○うちわや ○まくらや ○とうなすや O立なみ ○古同さごや ○たらちめ ○松竹梅 ○脛かじり O牛の嫁入 ○狸の嫁入 〇七兵衛 ○無筆の手紙 ○同双紙 〇三人無筆 O泣き塩 ○やかん ○魚売人 ○意地くらべ ○てんしき ○のめる 〇四人くせ ○勘定板 ○ぜんそく ○本膳 ○鏡のない国 ○元久かつら ○庖丁 ○風呂しき ○紙入 ○せった ○火とう 〇二分つり ○つづら ○よみうり ○仕かえし ○釜どろ ○穴どろ ○夏どろ ○てん宅 ○出来心 ○しめこみ ○絵双紙屋 ○薬罐どろ ○だくだく ○ひとびよう ○芋俵 ○にわかどろ ○目がね屋 ○熊坂 ○花見の仇討 ○化物長屋 ○夏の医者 ○玉きん ○せんき ○泳ぎの医者 ○宗かん ○代みゃく ○外りょう ○無筆の医者 ○士族の車 ○うなぎや ○しるこや ○道具屋 ○厄ばらい ○人まね ○吉野 ○梅ほめ ○牛ほめ ○年ほめ ○にう ○錦明竹 ○石がえし ○熊の皮 ○百川 O味噌ぐら ○音曲風呂 ○浮世ぶろ ○両国八景 ○くみたて ○稽古所 ○欠伸指南 ○ぽうだら ○代り目 ○隣のはな ○音曲質 ○花見 ○植木のお化 ○浮れ提灯 〇五百駕 ○甚兵衛に五俵 ○神道茶碗 ○館林 ○蚊いくさ ○唯子長屋 ○法華長屋 ○うかれ三番 ○ねどこ ○とよ竹屋 ○菖蒲かわ ○尿どくり 〇一分茶番 ○田舎芝居 ○れこさ ○中村仲蔵 ○よいよい蕎麦 ○菅原 ○おいだき 〇四だん目 〇六だん目 〇七だん日 〇九だん目 ○芝居風呂 ○蛙茶番 ○かけまん ○鍋ぞうり ○二番目 ○べっかこう ○武助馬 ○猫の忠信 ○本堂建立 ○団子兵衛 ○芝居長屋 ○尻ちがい 〇五郎えい ○法事の茶 ○もぐら ○たこ芝居 ○ねこ芝居 ○とけつ ○天とく ○おうむ徳利 ○魚づくし ○質屋が原 ○ちょう合 ○さめ 〇五もく ○ζしょう ○おおかみ ○かし本屋 ○しし物語 ○胡椒の悔み ○半分垢 ○町内若者 ○宿屋の仇討 ○天人 ○弥治郎 ○著荷屋 ○笑い茸 ○うそつき ○狸のさい ○狸の釜 ○狸の大根 ○狸の坊主 ○狸の面 ○古寺古い ○化物使い ○木の葉狐 ○王子の狐 〇九郎蔵狐 ○大仏餅 ○おかふい ○鼻がほしい ○土俵入 ○引越の夢 ○うらむき ○わしがかか ○いいえ ○それがら ○つるつる 〇三両残し ○鰻屋轍間 ○王子耕間 ○太鼓ばら ○寺号山号 ○うきょ床 ○お釜様 ○寿限無 ○真田小僧 ○ひなつば ○かい小僧 ○いはいや ○初天神 O野ざらし ○はんかい ○活々坊 ○なす化け ○心がん ○麻のれん ○松田加賀 ○柳の馬場 ○ずっこけ ○かべ金 ○ひや Oさけ売 ○禁酒番屋 ○黄金餅 ○羽うちわ ○形見わけ ○駒馬 ○火炎太鼓 ○写真の仇討 ○後生饅 ○徳利亀屋 ○楠運平 ○岸柳島 ○竹の子 ○饅頭嫌い ○気養い帳 ○首屋 ○おすわどん ○樟脳玉 ○佃じま ○大王下し ○お血脈 ○水中の玉 ○浦しま屋 ○から茶屋 〇三でさい ○今戸の狐 ○看板の一 〇ぴんと落ち ○小言幸兵衛 ○布引 ○からくりや 〇三人絵かき ○魂違い O妾の手切 ○甲府い Oたがや ○八門とん甲 ○こんにゃく問答 O杵 ○西行 ○やしま ○けさ御前 ○万病丹 〇三百植木 ○年中行事 ○こいがめ ○太平楽 ○姫かたり ○張果郎 ○やっこ吉 O脛きり奴 ○おのぼり ○人形買 ○元犬 ○黒は弱い ○いつ受る ○蕎麦の羽織 ○八九升 〇一人酒盛 ○世辞屋 ○公冶長 Oうそとみ ○百年目 ○子がえり ○茶の湯 ○植木の気違い ○うば捨山 〇十八檀林 ○弥吾平 ○御百人一首 ○加賀の千代 ○不精代参 ○鬼娘 ○雁風呂 ○大黒の鼠 ○近江八景 ○ちぎり伊勢屋 ○熊の浦 ○かわ衣 ○おもと違い ○子供洋行 ○とう神 ○新聞記者 ○もう半分 ○ぞろぞろ ○しやっくり政談 ○養老滝 ○酢瓶 ○俵藤太 ○熊野ごふ ○もうる ○利休の茶 ○朝友 〇三年目 ○我わすれ ○あり(無筆の女房) ○棚という字 ○品川 ○巽の辻占 〇三十石 ○ためし斬 ○こび茶いい ○いちこ ○紺屋高尾 ○遠眼鏡 ○黒焼 ○しに神 ○福のかみ ○風のかみ ○ぴん乏神 ○開帳の雪隠 ○お七の十 〇氏子中 ○首つぎ ○にせきん ○なめる ○薬缶なめ ○雁つり ○火事息子 ○文七元結 ○お若伊之助 ○鰍沢 ○茶碗屋敷 ○しぼり紺屋 ○猫定 ○清正公酒屋 ○大福屋 ○ゆきとん ○妾の角力 Oさら屋 ○よたかお松 ○派手彦 ○長さき屋 ○猫たいじ ○胆つぶし ○いもり黒焼 ○ぎぼし ○脛かじり ○はんごん香 ○首提灯 ○人参かたり ○立切 ○甲州茂兵衛 ○甚五郎 ○がまの油 ○鈴ふり ○有馬のお藤 ○目ぐすり ○やげん ○天の浮橋 O橋弁慶 ○亀太夫 ○品川の豆 ○長刀きず ○かたぼう ○てっかい ○いなり車 ○らくだ ○山岡角兵衛 ○不動坊 ○灰屋騒動 ○質屋の庫 ○あかん堂 ○阿波太郎 ○仕込みの箪笥 O後家馬士 ○かた袖 O馬の田楽 ○船べんけい  ○市助酒    ○竈ゆうれい  ○住吉かご   ○宗禅寺馬場 ○景清     〇五人政談   ○竈盗人    ○夢八     ○近日息子 ○千両みかん  ○くわ形    ○牛の丸薬   ○鼠茶屋 めでたしめでたし。……以上。  これは落語家の携帯用として「昔噺百々」と題し、懐中持ちの小さな帳面に印刷、明治四十二 年一月、柳連でこしらえた非売品であります。三十年も以前の事ですし、・その後震災もあり、,ほ とんど見当りませんで、探していましたところ、先頃幸いにも先輩鶯亭金升氏から、御所蔵品を 御恵与下さいましたので、この喜びを御同好の各位にも分ちたくかくは全部を転載した次第であ ります。もちろんその以後に出来ました新作や、上方から移入された関西の話は入っておりませ んが、これだけでも合計四百九十六種、思えば随分あるものと存じます。もっとも時代に合わな かったり、揮る筋があったりして、現在やれないのも彩しく含まれていますので、それ等は次第 に忘れられ、今日ではその道の専門家でも、内容の分らぬ話が相当にありましょう。筆者も残念 ながらこの中で、全然見当のつかないのが、八十幾つもあったには赤面しました。また、演題も 番組等へ記す場合に当り、改題することもあります。例せば「尻ひねり」を「粗忽の使者」、「と けつ」を「五段目」と直すがごとくですが、本職仲間では、この帳面にある方が通りがいいので、 楽屋の高座帳にはこの方をつけているようです。記載の順序も、正確な分類に随ってはおりませ んが、大体同系統を集めてあります。御参考ともならば幸甚と存じ、ここに掲げました。 落語国の人々  落語の中へ出て来る人物のうち、横綱・大関三役格ともいうべき、八さん、熊さん、権助、与 太郎、長松、定吉等、一定の名をつけられた人々だけを選り出してみようと考えたが、落語の中 には何と無名で用の足りる人間がいかに多いことか。横丁の隠居のごときはその代表的のもので、 第一に何区何町の横丁なんだか、隠居はすなわち隠れ居る。八さんの言い草ではないが罷り出る のでないから無職業は知れているが、いわゆる分米の仕送りをする息子だか婿だかの営業も分ら ねば、本名族籍一向に知れていない。それでも立派に事が弁じ、旦那、おかみさん、番頭、町内 の頭、みんな名なしでその人物から年齢、性格まで分明なのだから、落語国の人間は誠に調法に 出来ている。そうかと思うと「三味線栗毛」の酒井角太郎、「千切伊勢屋」の白井左近、「井戸の 茶碗」の高木佐太夫、千代田ト斎などのように、実名もしくは実名らしく扱われているものもあ れば、「朝友」の文屋康次郎のごとき、明らかに持えものもある。演者にょつて源兵衛が平蔵に なったり、田能村久兵衛を沢村田之紀にし、桜風呂を奴湯でしゃべったりするが、便宜上「名作 落語全集」所載のものを中心として、拾い出してみる事とする。もっとも上方種に属するのはこ れを省き、また、新作物も暫く措くが、お笑い草までに付録とする。 ○紅羅坊名丸  「天災」に出て来る心学者。他の落語へは絶対に顔を現さない。「天災」一点張 りである。住所長谷川町の新道、通称紅屋の隠居といい、そそっかしい八五郎は、べら坊に怠け ると考え違いをする。しかし流石《さすが》は心学者落ち着いたもので、気に入らぬ風もあろうに柳かな、 広い原中で夕立が降ったらどうすると、巧みな讐え話でガラッ八を恐れ入らして改心させる辺り、 落語国中での偉い小父さんだ。 〇五兵衛  「かつぎ屋」の主人である。これもこの話以外には出て来ないようだ。もっとも 「お七」の主人公に同じ性格の人間があるが、別段に親類でもなさそうである。縁起の悪い事、 殊にシの字が大嫌い、同じことでも一枚ヨ文といえば四文の宝船をウンと買い込む。例によって 住所不明だが、営業はよく分っている。サゲに日く「お店の御商売が呉服でございます」。 ○喜多武清  これは「梅の春」に出て来る、実在の絵師である。毛利公のお屋敷ヘ招かれ、席 上庫毫の準備をして時刻を待ち合わせていると、あたかもこの日は御隠居と蜀山人との合作にな る「梅の春」を清元太兵衛が作曲しての新浄瑠璃披露があり、別席において太兵衛の美声、いず れも名人の技に悦惚として、日本一、お天道様などと褒める。武清先生苦い顔をして忌々しがる のを弟子が宥め、腹を立てても無駄です。貴所《あなた》は武清、先方は太兵衛、それ太兵衛に武清はかな いません。 ○神田の平助  「王子の幇間」の主人公である。鼻の円遊が得意にした落語で、臆面なしの野轍 間が、番頭、手代、小僧、お三どん、乳母、町内の鳶頭にまで世辞を振りまき、細君相手に旦那 の悪口を言うと、そこへ旦那が現れて幕間は大狼狽をする滑稽だが、円遊はこの野箒間へ、花柳 界、演芸界、良家の家庭至るところに顔の売れていた神田の平助という実在の人物の名をつけて 演っていたので、今もって「王子の講間」は、平助ということにたっている。 ○松崎定安  「小烏丸」という芝居噺の敵役の悪党医者である。村井長庵あたりから思いついた ものだろうが、この名も外の落語には出て来ない。 ○松浦屋佐兵衛  「派手彦」の主人公、坂東お彦という踊りの師匠を見染め、恋煩いをする松浦 屋の番頭さんである。思いがかなって夫婦になったが、木更津から出稽古を頼まれて女房が船で 出かけるのを見送ったまま、周まって石になってしまうという、余り持え過ぎた話。狭手彦に名 残を惜んで石になったという松浦佐用姫の伝説そのものが、余り人に知られていない今日ピンと 来ないのも道理である。 ○団子平  これは俳優の下廻りである。団十郎の弟子で団子平、そんた名もあるまいが落語 としてはうまくつけたもの。つ,まり羽左衛門の弟子で土左衛門、鷹治郎の弟子で鴉もどきとい.っ た意気だ。これもこの話一点張りである。 ○市兵衛  「一日公方」の中心人物である。これも他の落語へは出ない。至っての孝行者で、 そのお蔭から思いもよらぬ福運にぶつかり、多年の望みを達して、一日だけ将軍様の位置に坐る という夢のような仕合わせ、その上に麻布の広大な地面を賜わり、これすなわち市兵衛町の始ま りという、落語国中でも甚だおめでたい果報者である。 ○幸兵衛  芝居の幸兵衛というと「岡崎」やら「筆幸」やらを思い出すが、落語の方では 「小言幸兵衛」が大立者である。小唄に幸兵衛さんという家元がいたが、これを洒落たのかと思 われるくらい通ったものだ。麻布古河の家主で、空家を借りに来た仕立屋を捉え、浄瑠璃入りで |喋舌《しやべ》りっける。別に「掲屋幸兵衛」というのがあるが、これも同一人で、ただ掲米屋を相手に、 怪談を一席弁ずるだけの違い、その方では米掲歌を聞かせるのだから、いずれにしても器用な人 と見える。 ○佐平次  申すまでもなく「居残㎞ワ」の主人公である。友達を連れて品川へ豪遊、仲間は先 へ帰して居続け、さて勘定となると一文なし、行燈部屋へ下げられると妓夫代りに働いてお座敷 を稼ぎ、海岸の空気を吸って保養をしながら小遣をためた上、主人を脅して土産まで貰い、舌を 出して帰ろうというのだから、大変な代物。「居残り」といえば佐平次とすぐ思い出すくらい、 よくも売り込んだもので、因みに妓楼の主人へ台詞仕立ての文句を並べるのは、先代小せんの作 だという。ただしこの話は自粛禁演。 ○佐兵衛  これは松浦屋の番頭じゃあない。「牛ほめ」の与太郎が、父親に教わって褒めに行 く、新築の家の主人である。これだけは名を定めておかないと具合が悪い。というのは褒める文 句の中、左右のお壁はお砂摺りでございますというのを、間違えて佐兵衛のお娯はお引摺りでご ざいますというクスグリがあるからだ。ただしダラシのない女房に対し、このお引摺りという悪 口も、近頃では行われていないようだから、近代の聴衆にはピンと来ないかも知れぬ。通語も不 便になったものだ。 ○鉄砲の弥八  「嘘つき村」の住人である。嘘つきばかり住んでいる村だというのだからナンセ ンスだが、その中でも最も立てられている嘘の名人で、ここヘ嘘の問答に尋ねて来る奴が、彼の 住居を聞くところが愉快だ。甲は二、三町先きだと言い、乙は四、五軒あとだと教える。すなわち 誰も彼も皆嘘ばかり吐くのだ。落語のおかし味はこんなところにあると思う。結局、彼は弥八の 悼に脅されて逃げ帰る。その悼は父親までやり込めるのだから、まさに出藍の嘘つき、これが弥 治郎になるのかも知れない。またそうしたら面白いだろう。 ○梅  喜  「心眼」の主人公で、目の不自由な按摩さんだ。これは円朝師が誰かモデルもあっ て創作した人情噺だそうだが、盲人でこそあれ、浅草奥山の小春に思いつかれるほどの美男とい うので、何の市などせず、この色っぽい名をつけたのは流石だと思う。 ○松田加賀  本郷の住人、神道者だそうな。往来で盲人同志が口論の末、互いに杖を振り上げ て打ち合いになったのを、見るに見かねて仲裁をする。按摩さんは見えぬ眼を剥き出して、お前 さんは誰だと詰問する。拙者は本郷の加賀だ。松田加賀だと言ったのを、早合点で松平加賀と間 違え、本郷の加賀様なら百万石のお大名、そのお方が御仲裁下さるとはと、大恐縮で土下座の平 伏。周囲の見物がドッと笑うと、二人とも感心して、「流石は御大身、大層なお供揃いだ」と、 これがサゲ。「頓智の藤兵衛」と題して演ずる人もある。 ○仲買弥市  「錦明竹」の人物である。ただし本人は登場しないが、使いに来た男が上方弁の早 口で、「てまえは京橋中橋加賀屋佐吉方から参じました、先達て仲買弥市の取り次ぎました道具 七品」云々、この口上を与太郎も留守番の女房も分らず、やがて帰って来た主人に、シドロモド ロの胡麻化しで取り次ぐおかし味。仲買の弥市かわいそうに、古池へ身を投げた事になっちまう。 主人は驚き、ヤレ大変、あれには道具七品の取り次ぎを頼んでおいたが買ったかしら、イイエ、 かわずに飛び込みました。まことにスラスラとしたサゲである。 ○尾形清+郎  「野晒し」の主要人物、住所浅草門跡裏、以前は旧幕の御家人か何かだったが、 時世時節で長屋住まい、思うに売トでも業としているらしい。独り者の気楽さ、魚釣を何よりの 道楽にしている。壁一重隣の住人がすなわち丸八の八五郎で、「先生、ふざけちゃあいけねえ、 昨夜の女は何者ですえ」「ハハアあれを御覧になったとあれば仕方がない。実は昨日向島からの 帰り浅草弁天山入り相いの鐘、大川に響いて物凄く」,と怪談一席、八公慌てて火鉢の鉄瓶を懐に 入れたりする。この人易者をやめて、講釈師になった方が物になるかも知れたいに、憶《ああ》そこが身 の上知らずか。 ○おすわ  商家某の愛妾、本妻おあきの好意により、本宅へ乗り込む事の出来た恩義を忘れ、 おあきに不義の汚名を着せて自滅させる。女の一念、毎夜表で、おすわどーんと無気味な呼び声、 正しく亡霊と出て見たら、バタバタ七りんを煽ぎながら、お蕎麦うどーん---。 ○万屋金兵衛  「万金丹」中の人物だが、それまた登場せず、頓死したので寺へ戒名を貰いに行 くと、和尚不在で所化は江戸食詰の道楽者、無学なのであり合わせた売薬の袋を切り抜いて渡す。 霊法万金丹とは妙な戒名と、この問答のおかしさが眼目だが、これもサラリとよく出来ている。 もっともそのはず、白湯にて用ゆべしだからな。 ○石垣蟹成  ハテナ、そんな名が何の話に出たっけ。マサカ石田三成の末孫でもあるまいなど と、御不審のお方もあろうが、何とこれは「めかけ馬」の主人公なのである。すなわちかの八五 郎氏が、妹お鶴の方の縁故で赤井御門の守にお目通り以来、お気に入って御家来になる。町人か ら士分へ出世破格の立身。ところでこうなってはガラッ八では困る。すなわちしかつめらしく、 石垣杢太夫源蟹成という名に成るのである。 ○大久保三太夫  「将棋の殿様」ヘ出て来る御家老だ。彼氏ある日御殿ヘ出仕すると、御近習の 面々頭を瘤だらけにして坤っている。仔細を聞けばこの頃殿様が将棋に御熱心で、お相手をして 負けると鉄扇で一っ打たれ、誰も彼もこの始末という。三太夫もっての外と御前へ出で、殿様の 我儘をへこまして強意見をする。つまり御意見番というところで彦左衛門の大久保を苗字とし、 家令らしく三太夫を名としたまでのものだろう。 ○半  七  「宮戸川」の主人公だが、そもそもお花・半七とこの一対の男女は、大近松の戯曲 「長町女腹切」ヘ出たのが最初らしい。三勝の情人も半七だが、どっちにしても色っぽい名前だ。 「女腹切」では伯母さんが通り者の苦労人になっているが、宮戸川では伯父さんが粋なお察しの いい人にたっている。少々早合点をし過ぎて、男女に縁を結ばせちまったりするが、見ようによ ってはこの伯父さんが主役かも知れぬと思うほど、この話ではよく描写されている。ついでなが ら、近頃誰もやらぬ下の巻の芝居掛り、あれはあらずもがなの趣向、上演されぬも無理ではない と思う。 ○尾台良玄  お医者様である。名人と評判の老先生で病家も多い。ただし落語ではこの国手よ り、お弟子の銀南クンの方が中心となっての大活躍、これは大変た与太郎なのだが、風采はどう やらノヅペリして立派らしい。そこで先生が大して心配のたい病人へは「代脈」としてこの銀南 を差し向ける。滑稽な失敗を繰り返し、お嬢さんのお腹を押して、怪音を発しさせたりする。そ んな剰軽者《ひようきんもの》に来られては、病人も笑わずにはおられない。笑えば胸廓が開き、薬も効き、病も癒 るという寸法、まことに尾台良玄は苦労人の名医といえよう。 ○雲水托善  越前氷平寺の僧である。すなわち禅学修行のため、諸国を行脚してある僻地の貧 乏寺を訪ねると、意外にも隠れたる大徳に出会した。無言の問答で美事に打ち負け、ほうほうの 体で退却する。しかも何ぞ知らんこの高僧、実は何にも知らぬ六兵衛さんだった。落語中の傑作 「箆蕩《こんにやく》問答」とともに、托善の名も不朽だろう。 ○源兵衛  落語の中には、源兵衛さんというのが大分出て来る。これもその中の一人だが、 ヤマカンが当って幸福になる、立志伝(?)中の人物だ。住所は日本橋白木屋の真向こう。すなわ ち現在板囲いのまま、空地になっているところが、我が源兵衛氏の遺跡、だがどうだか判らない から、敢て東京府史蹟の棒杭も何も立たぬ。屋号は近江屋三河屋松坂屋という、珍しく長い屋号 だが、これは間口の広い店へ、古着屋から買い集めた別々の暖簾《のれん》を継ぎ合わせてかけたからだ。 白木屋の紛失|裂《きれ》が出世の端緒、末には左近尉近江屋三河屋松坂屋の守源の鼻利と任官、名前が長 いから辞典の叙述も長くなる。すなわち「鼻利」の主人公である。 ○久兵衛  久兵衛さんも落語国には多勢いる。たいていは番頭さんの名だが、ここに述べる のは四国のお百姓だ。田能村に住んでいるため、人呼んで「田能久」という。素人ながら芝居が 巧く、今なら移動演劇団へ加盟の資格充分というところ、何しろ大蛇まで一杯喰って、田能久を 狸と間違えるくらいだから、余程扮装も巧かったに違いない。大蛇は欺かれたのを怒って崇りを なし、彼氏の家へ千両箱を投《ほう》り込んで行った。アアこんな崇りならチョイチョイ受けたいもので ある。 ○沢村田之紀  これは本職の俳優である。田之助の弟子でこの芸名、それを狸と間違えら.れ大 蛇の難を逃れ、その上千両投り込まれる。内容は「田能久」と全然同じ。いずれも孝行の徳とい う事にたっている。 ○武兵衛  武兵衛は下谷御徒町、太兵衛方に同居し、両人とも粗忽をもって知らる。時に文 化四年八月、深川八幡宮の大祭、雨天のため延期し、十七、八、九の三日間に挙行せらる。武兵 衛これに参詣せんと欲し、混雑の故をもって、同居主太兵衛の止めるを肯《き》かず、盛装して赴く。 果然群衆雑沓、肩々相摩して進むべからず。偶《たまたま》々一人あり、激しく衝突して去る。武兵衛須奥に して懐中物の紛失せるに気付き、すたわち荘然として帰る。途中知人に会し、招かれて饗応を受 く。折から戸外騒然、喧喋して曰く「永代橋落ちたり夷」と、蓋し群衆過重のため、橋脚潰裂せ るたり。武兵衛驚樗、知人も色を失う。武兵衛もし先刻の掬児に遭わずんば、他と互して永代橋 に至り、あるいは災厄に遭いたらんも知るべからず。相顧みて同慶す。しかもかの掬児、溺死人 中にあり。懐中の手簿により、武兵衛と誤らる。太兵衛官の通知に接し、蒼慎自失、あたかも帰 宅する武兵衛を拉《くだ》し現場に急行、これ屍体の本人なりと主張す。満場絶倒、この条「粗忽長屋」 に同じ。サゲに曰く、「太兵衛に武兵衛はかないません」。 ○仏師長兵衛  先代金馬の十八番「笑い茸」の主人公、ただし金馬は「仏頂」という名で演じ ていたが、仏師屋の長兵衛さん人呼んで仏長、クスリとも笑った事がないので、これが本当の仏 頂面、と話した方が自然であろう。女房の機転で笑い茸を煎じて飲ませ、薬効空しからず。ゲタ ゲタ笑い出して笑い止まらず。ために世界中の福が皆集まって来るとはめでたい話。さればせい ぜい落語をお聴きになって、充分にお笑いの上、盛大に福をお集めなされませとお勧めする。誰 です。本当に笑わせる落語家があるかえなど言うのは。 ○久  六  営業は八百屋、紳名《あだな》は猫、女房は高等の教育あり、夫がのがれ策屋と喧嘩をして も恐れず慌てず、魂とするところの剣戟を取り出し、神前に押し頂き、夫に怪我のあらざるよう、 祈る神さま仏さま、妙見さまに精進などなす。住居はガラ熊氏の向こう側なり。してそのガラ熊 氏の家は、知れたこと、猫久の向こう側さ。 ○お  花  ハイ、私がお花でございます。イエ、「宮戸川」へ出る半七のあれとは違います。 二長院の鈴しろという掛茶屋へ出ておりましたら、重助さんが来まして、旦那取りをしろと申し ます。お母さんも乗り気になったものですから、一軒家を持たして頂き、星野屋さんのお世話に なったのでございます。私もマア仕合わせだと喜んでおりました。ところがいい事は永く続きま せん。月に村雲、私の名の花に風で、旦那が突然に心中の相談。びっくりも致そうじゃございま せんか。夢中で吾妻橋まで引っ張り出され、アッという間に旦那は飛び込みました。あとに続け ったってそりゃ無理ですわ。本当に惚れてる訳じゃなし、お母さんはあり、先の永い若い身空を 土左衛門のお付合いまでは出来ませんわ。失礼しちゃって帰って来たら、重助さんが裏から入っ て来ての怪談咄、私はトリックに引っ掛って、あぶなく髪の毛まで切るところでした。油断もス キもありゃしません。男なんて、ソゥトウなものですわね。あの時飛び込んだら、心底見えたと、 本妻に直すところだったなんて、ドウかと思いますね。手切金も捲き上げられ、本当に馬鹿を見 ましたわ。お母さんもお母さんだ。せめて半分もくすねりゃいいにさ。 O嘉兵衛  カベエサンガ、オサケヲ、ノンデイマシタラ、ムコウノヤネデ、カラスガ、・・ツケ、 カベエ、ゴンゴウカア、カベエ、ゴンゴウカア、トナキマシタ。カベエサンガ、オコリマシテ、 ナニヲ、ベラボウメエ。キョウハ、イッショウダゾ、ト、モウシマシタラ、カラスガ、オゴッタ ア、オゴヅタア、ト、ナキマシタ。 ○千  早  楠正成の立てこもったお城の名ではない。これは花魁である。多分吉原なのだろ う。入山形に二っ星というマークがついて・…-などと通を言ったところでそれが何の事やら、昭 和生まれの筆者には判らない。松の位の太夫職とかで、八文字をふんで道中姿を大関の竜田川と いう力士に見染められた。しかし彼氏は千早に肱を食い、番頭新造の神代にもノックアウトされ、 憤然として力士を廃業トーフ屋になっちまったは悲壮だった。千早は薄情の報いで乞食に落ちぶ れ、廻り廻って彼氏の門に立ち、雪花菜《おから》を乞うたが断られ、面目なさに井戸へ投身、水を頼りの 豆腐屋は井戸を汚されて、当分さぞ困ったろうと思う。何にしても迷惑をかける女である。アア、 申し忘れた。この女は、本名をトワといいます。 ○筑波嶺  力士である。千早の条で述べた竜田川も力士、横町の隠居の説に従うと、百人一 首は皆力土の事を説いたものだとある。元来この隠居氏は偉大たる創作家で、突嵯の間に架空の 物語をまとめてしまう。しかも後世それが実現され、昭和の今日、筑波嶺も男女川も歴然と存在 していたのは愉快、隠居氏はまた予言者でもある。 ○捻兵衛  お長屋に住み、好人物、美人の女房を持ち、大切にこれへ仕え、愛妻、敬妻、拝 妻の見本を示す。しかもその妻女に先立たれ、悲歎の余り相長屋の不良に乗ぜられ、「樟脳玉」 の計略に引っかかって、女房が形見の衣類や、魂の匂いのする雛人形まで巻き上げられながら愚 痴交りのノロケを言い、「博多引っくり返して大工の水盛」などと洒落る。ただしこの酒落、何 のことやら分らず、後世落語研究家の宿題となる。 ○丈  八  「白木屋」の番頭である、といっても現在の百貨店ではもちぢんない。本文の白子 屋をもじっての屋号、主家の娘おこまに懸想し、歳にも恥じず薄化粧、二階で合わせ鏡をして水 を頭から浴びたりする。おこまの母から付文を突ぎ戻され、暇を出されたを怒って、おこまの寝 所へ忍び、刺し殺そうとして仕損じ、捕われて大岡様のお調べを受ける。彼氏少しも動ぜず、そ もそもコマの始まりはだの、棒は木へんに奉るだの、東海道宿名読み込みの陳述などをするとこ ろナンセンスな男である。生国駿河の府中、といってもそれが静岡と改まって何十年、この話の 興味も、最早過去のものになったこと是非もない。 ○外江伝蔵  日本一の大富豪で、大学者で、大艶福家で、とにかくとても素晴らしい偉い人な のである。そのくせ誰も知らず、有名でも何でもない。それもそのはず、以上は皆自分独り決め、 すなわち「気養い帳」の主人公である。 ○乾良輔  住所は浅草の今戸、土手の道哲から真直ぐに、三丁ばかり行ったところの、蕎麦 屋の横町の薪屋の路次へ入ると両側の長屋が五軒ずつある。その右側の三軒目というのだから、 ひどく詳しいところ、多分実在した人物なのだろう。落語家三笑亭可楽の厄介になり、あいまは 内職に「今戸の狐」を持えている。そこヘ勘違いをして破落戸《ごろつき》がゆすりに来るのだが、その頃の 生活を代表したものとして、この話は落語史上重要なる資料と思う。 ○西念坊  本名は鉄五郎、散々道楽の果てが、老年の後乞食坊主になり、ガラリ性格が変っ て食う物も食わず、貰いためた金が百両にもなった。これを色でもなく恋でもなく、小塚原の女 郎屋若松の板頭《いたがしら》、おくまという手取女に引っかかり、巧みに巻き上げられたんだから、口惜しか ったに違いない。さてこそ千住河原の裏長屋で「藁人形」を油いためにして、おくまを呪う物凄 い場面にもなろうという次第。因みにいう、おくまは以前ある糠屋の娘だったそうな。 ○おそめ  久松の愛人じゃあない。これは品川の女郎で、物前の金に詰り、自殺をしようと したが独りでは淋しいからと、心中の相手方として、多くの馴染客《なじみきやく》の中から、本屋の金公を選抜 任命する。された金公こそいい面の皮だが、幸い未遂に終わり、早まって海へ突っ込まれた金公 は、親方の援けを借りて復讐、おそめは坊主にされちまう。この話、前半を「品川心中」といい、 後半を「仕返し」と呼ぶ。 ○おすみ  この女は新宿である。由次郎という情夫があり、この男が眼病と聞いて胸を痛め、 真珠の薬代三十両を調達するために、馴染客半七、角蔵の両人より、母親の病気と偽り、人参代 として無心する。半七は十両、角蔵は二十両ねだられる。人参が化けて真珠になるのだから女郎 の手管も自由たものだ。しかも由次郎の眼病も、おすみの母親云々も、皆嘘言と知れて三づ巴に 大乱痴気が始まる。すなわち「文違い」の主人公で、この話は先代小円朝の得意であった。 ○善  助  「小原女」別名「干物箱」の立役者である。本屋の善公と呼ばれるところをみると 貸本屋か何かしているらしいが、怠け者だとみえて年中貧乏。その癖至って器用な男で、他人の 物真似声色に妙を得ている。そこで若旦那に身替りの留守番を仰せつかり、吉原かち来た文の朗 読で腹を立て、たちまち大旦那に正体を看破られてしまうところ、オッチョコチョイの面白い人 物、村善さんと文中にあるから、村田とでもいう姓かも知れず、先祖は狂言「花子」の太郎冠者 であること申すまでもない。 ○長兵.衛  花川戸の親分でもなく、鰹を片身欲張って行く新三の家主でもない。嗅覚のべら 坊に発達した男で、王子の扇屋で友達が飲んでいるのまでかぎつけ、押しかけて行って「鼻き き」振りを発揮するところ、まことに長兵衛、道によって賢しだ。 〇五右衛門  忍術の大家、無得道人の石川氏も、近頃は大分正体を再認識され、矢田挿雲氏の 『太閤記』では、猪牙掛りのオイソレ者に扱われ、喜劇的の最期をするが、落語の方でも滑稽な 泥棒に待遇されている。それも存命中でなく地獄へ落ちてからで、信州善光寺へ「お血脈」の御 印を盗みに行く事を命ぜられ、大任を果して「チエー辱《かたじけな》い」と、押し頂くはずみに極楽へ行っ ちまうのだから愉快。巨盗五右衛門さえ成仏させるところ、落語の力もまた偉たるかなだ。 〇六兵衛  豆腐屋の主人。五右衛門の後輩連が祖先を供養のため、盛んに「釜泥」を働くの で、一計を案じ自ら釜の中へ入って寝る。知らずに昇ぎ出す泥棒のおかし味、揺られてねぽける 爺さんの滑稽、今思い出してもこの話を得意とした先代円蔵の巧さを忘れる事が出来ない。これ 等が真に落語らしい落語だろう。 ○亀チャン  「子は鎚《かすがい》」の子役である。御案内の通り、上中下三席に別れ、上は紙屑屋を連れて 葬式の崩れに吉原へ浮かれ込む条、中は居続けをして帰宅し、夫婦喧嘩になって女房子を追い出 す件、下は後悔改心して堅くたり、我が子に巡り合って再び元の鞘へ納まる大団円だから、この 子役が重要な存在にたっているとはいえ、金チャンでも太郎公でもよさそうなものを、特に亀坊 となっているのは、この話を十八番に聞かせた近世の名匠、三代目柳橋(後の柳桜)が我が子の 本名を応用したのが初りだとある。我が子とは誰ぞ、斎藤亀吉、すたわち四代目麗々亭柳橋、桃 川如燕及び五代目柳橋等の兄である。亀チャンの由来|伽如件《よつてくだんのごとし》。 ○沢村淀五郎  元地に三座が櫓を並べていた頃などと書き出すと、何だかその頃を知っていた 老人めいて聞えるが、とにかく、中村、市村、森田、三座の中のどこかに属していた歌舞伎役者、 暮の狂言に「忠臣蔵」を出すに際し、判官に欠員を生じたのが、もっけの倖いとなって名題に昇 進、しかも由良之助役の円蔵に睨まれ、四段目の判官で苦心惨塘、先輩仲蔵のお蔭で首尾よく成- 功するという「出世の腹切」の主人公である。 ○定  吉  落語に出る小僧はたいてい定吉である。その中にこれはまた極端た芝居好き、使 いに出た途中「四段目」を立見して遅くなり、懲らしめのため土蔵ヘ入れられながら、今見て来 た判官切腹の真似をする。番頭が「御ぜん」「オウ、待ちかねた」というサゲは苦しいが、また 別な話でお軽に扮して、これも芝居好きの若旦那が平右衛門、二階で一力の茶屋場を演っている うち、過って階段から墜落、この様子では「『七段目』だな」「イエ天辺から落ちました」の方は よく出来ている。 ○勝井円久  三河から出て来た針医兼按摩さん、町内の素人芝居で「九段目」をやるのに、本 蔵をやる人が急病で自前の髪まで持って帰ったところから、奥役が早速の思いつきで、この按摩 さんを地頭応用で出演させ、さんざん滑稽を生み出す筋、「それでもお前は本ぞうか」「イィエ外 療で」とのサゲが、通じなくなった今日、「傷所に煙草は細かいぞ」「イイェ手前切りで」の方が まだ判りがよかろうbこのお医者の名を、故人円左の本名小泉熊山でやっている人もある。円左 のそれらしい柄を知っている聴客には、この方がピタリと来る。 ○おぬい  赤穂藩士山岡角兵衛の女房である。お家の大変で殿様は切腹、角兵衛は亡君の御 無念を晴らさぬうちに病死。そこでお縫は亡夫の遺志をついでお主の仇討ちをしたいと思い立ち 貞操を犠牲にして吉良上野介の妾に上り、邸の内情をいちいち義士の面々へ内通しX二十七号の 役を勤め、首尾よく討ち入りの手引きをした。すなわち女スパイである。間者である。いぬであ る。ハテ、ぬいがいぬとは、サ、そこが「角兵衛の女房」だ。 ○富の市  これは年末に因んだ落語の中でも、大立者の「言訳座頭」。お長屋の住人だが、ど このお長屋だか一寸不明、もっともそれが知れていれば、筆者などは第一に頼みに行ったはず、 しかし頼まれれば自分の家のを後廻しにして、他人の言い訳けをしてやる人情たど、これも落語 国だけの存在かも知れない。 ○茶屋金兵衛  京都の骨董商で、鑑定眼に優れた評判の人物、すなわち「茶金」の主人公であ る。一度この人が目をつけて首をひねった品物なら、百両の値打ちはあるという極めつき、清水 の茶店に憩んで、傷もないのに水の漏る茶碗を取り上げ、ハテナと頭を傾けたのが間違いの元、 見ていた油屋にとんだ投機心を起こさせる。もっともこれが機縁になって、雲の上へまでこの茶 碗が納まることになるのだからめでたいが、江戸弁、京弁、大阪弁を、巧みに使い分ける人でな くては演れぬ大物、肝腎の油屋さんの名を明らかにせぬのが惜しい。 ○おつる  赤井御門守の御愛妾に出世した八五郎の妹ではない。これは岩田角左衛門という 浪人の娘で、丹波屋善兵衛の停徳三郎に見染められ、番頭忠蔵の苦心でようやく角左衛門も納得 し、裏店から大家へめでたく嫁入り、夫婦仲も睦じく暮すうち、ある夜三人組の賊が襲ったとこ ろ、おつるさんたちまち父より仕込みの武術を揮い、泥棒は薙刀傷を負って逃げ出しながら酒落 て曰く、「股くり三寸、肩八寸、指は九本になりかかる」。一寸オツな人情落語である。 ○伝次郎  「千切伊勢屋」の主人である。爪へ火を点すような強欲で、積み上げた先代の非道 がこの子に報い、あわれや短命で世を去ろうとしたところ、一念発起の善根が人の命とともに自 分の命まで助けて長寿に変わり、人相の名人白井左近を面喰わせる。いつ聞いても愉快なめでた い話であるのは、そこに動かせぬ真理を含んでいるからだろうと思われる。 ○弁  長  和尚様、私は本当にびっくりしましたよ。お寺へ御奉公しているお蔭には、かた り胆力も据って、滅多に気味なんぞ悪がらないようになっていた心算《つもり》ですが、思いがけぬ奇蹟で すから胆も潰れます。何しろ八さんの持って来た茶釜を、囲炉裏へかけて火を煽いだら、突然、 弁長尻が熱いッと怒鳴って、茶釜が飛び上がったんですから驚きもしましょう。え、何ですって、 あれが「狸の釜」……アッ道理で包んで来た風呂敷が、八丈でございました。 ○熊  蔵  山谷の船頭、欲の深きこと限りなきため、欲の熊蔵と緯名せらる。一夜深更、雪 を冒して客を送れば何ぞ知らん、その客は盗賊にして、携行の少女を害し所持の黄金を奪わんと するものならんとは。・熊蔵すなわち奇計をもって少女を助け護衛して親許に到る。両親驚喜し、・ 贈るに二百金をもってす。熊蔵歓悦措くところを知らず、雀躍これを掴めば、跨間の激痛に夢忽 然として覚む。これを「夢金」となすρ ○伊之助  一中節の師匠で、名を聞いただけでも想像される美い男、気が利いて芸が巧いと 来ている。果して大店の齢嬢さんお若と、師弟の垣を越えて脱線する。これが知れて伊之助はお 出入り止め、若干《いくばく》かを貰って縁切りを誓う。しかもお若の預けられた根岸の親類、剣術の先生の ところへ、毎夜伊之助が忍んでお若と構曳《あいびき》したというので、仲へ入った鳶頭が飛んで来ての厳談、 伊之助は驚いた。というのは身に覚えもない事だったからだ。その上前夜のアリバイは立派に成 立している。鳶頭は迷った。先生は大英断で、その夜また伊之助が、お若の閨へ入ったところを 銃殺した。何ぞ計らんこれが狸が伊之助に化けたのだった。お若もこやつにかぶれて狸のような 腹をしていたが、その腹から男女の双生児が生まれ、これを葬ったのが因果塚とこういう事にな っている。 ○おふみ  柳橋に囲われていた彼女で、旦那は酒屋の主人である。その旦那の胤を宿し、め でたく出産したので、旦那は一計を思いつき、この子を自分の店へ買物に来た男の捨子という事 にする。そしておふみを乳母に仕立て雇い入れる。御本妻一向気がつかぬ。その秘密を知ってい るのは長松ばかり故、おふみをさんづけに呼ぶと追い出すぞと旦那は脅す。すなわち「お丈様」 の主人公であるが、この酒屋へ捨子をする趣向は「艶姿女舞衣」三勝がお通を半七の親元へ届け る条から借用したこと申すまでもない。 ○権兵衛  聞いて下せえ呆れるではねえか、、夜おそくおれが名を呼ぶ奴がある。あけて見る と誰もいねえ。アア、狸の悪戯だなと気がついたから、二度目にドンドンと叩いたところをがら り開けたら、野郎がころがり込みやがった。打ちころして狸汁にしべえかと思ったが、かわいそ うでもあるから、身体中の毛を鋏で短かく刈り込み、寒いと思ったら向後悪さをするなよと、追 放してやったら何と四、五日たってまた来やあがった。なんだと怒鳴ったら、今夜はヒゲをやっ て下せえとぬかしやあがった。「権兵衛狸」。 ○清兵衛  せいべえさんは、大層おそばがすきでした。いくつでもたべますので、おともだ ちとかけをしました。おそばだから、かけをしたのかなどと、しゃれてはいけません。あるとき 大じゃが人をのみ、たにまのくさをなめたら、ふくれたおなかがたちまちピシャンコになりまし た。せいべえさんは、このくさをとってかえり、おそばをやまほどつんでみんなたべ、この草を ためましたら、せいべえさんはとけてしまい「おそばがはおり」をきていました。 ○楠運平  「三軒長屋」の住人で、営業は剣術の先生である。長屋で道場を開いているのだか ら、大した武芸者でないことは分っている。三軒の一番左端にいるくせに、右傾がって武張って いる。中央は横町の伊勢屋の隠居が囲っている第二号で、右端には鳶頭が住んでいる。鳶頭の名 は、たいてい政五郎と極っているのも妙だ。この先生武者修業の折、鞍馬山で天狗と試合し、横 面を打たれて爾来右の耳が不自由と履歴にある。門人二名あり、一人を石野地蔵、他を山坂古論 太という。政五郎殿と密談中、次へ退れと言われて井戸端へ出るお弟子だ。ただしこのお長屋は どこなのか、例によって所在地は不明である。 ○百兵衛  出身地は信州である。信州は信濃国である。更科の月と、善光寺の仏と、おらが 蕎麦とともに名高い俳人の一茶の、親類でも何でもない。はるばる江戸へ出て、私設職業紹介所 の千束屋を頼り、料理屋「百川」へ奉公、お目見得のその日、よんどころなく客席へ出で「主人 家へ抱えの者」と名乗ったを「四神剣の掛合いの者」と間違えられ、くわいを呑み込ませられた り、常磐津の師匠と外科の先生とを間違えて、抜作と罵られたり、,この男余程奉公の方角でも悪 かったとみえるが、今朝がけにキられたという方言は、持え事でなく全く今日でも実在している から面白い。 ○おひさ  住所本所区だるま横町(ドノ辺力小生ハ知ラヌ)左官職長兵衛の娘、父親が江戸 で何人という良い腕を持ちながら、賭博道楽のため年も越せぬ貧苦を憂い、これを助けた上、父 の強意見にもと、身を犠牲にして吉原の佐野槌へ駆け込み、知り合いの女将に歎願して遊女奉公 を志願する。断腸の思いをした長兵衛は翻然悔悟して真面自に稼ぐ事を誓い、涙ながらに帰宅の 途中、橋の上から投身しようとする若者文七を助け、娘の身の代金を恵んで立ち去る。しかも文 七の盗られたと思った金は、思い違いと知れ、丈七の主人近江屋卯兵衛は、長兵衛の義侠に感じ、 即日お久を受け出し、返礼を添えて親元へ送り届ける。「丁度似合いの縁だからというので文七 とお久を夫婦にいたし、麹町へ小間物屋の店を出させました。ここで売り出しましたが文七元結 の元祖……」という結局まで、感激の嬉し涙なしには聞かれぬ絶好の人情噺、これを演って泣か せられねば演者が無能だ。お久の孝心、長兵衛の仁侠、皆これ自我を没却した真の善行だからこ そ、天道にかないたちまち福祥を降されたのである。この話には大きな真理の教えが含まれてい る。 ○弘法大師  空海上人は落語国にも御関係がある。すなわち「杵大師」の主人公。川崎金剛山 平間寺宝物の由来という、有難いようなナンセンスのような物語に扱われている次第だが、この 話を得意にした先代助平の不思議な顔、それに似合わぬ美しい咽で、それほどいやなみずからを と、新内の一ふしが酷《ひど》く巧かったことを、今更ながら思い出される。 ○加藤清正  朝鮮征伐に虎狩りをした。落語国にはその神様になってからのお姿が現れる次第 で、すなわち「清正公酒屋」である。向かい合った親同志の家が、上戸と下戸、お題目と御念仏、 清正と虎、よくも持えたものだと思う。しかもその悼と娘とが相思相愛の仲にたって身投げ心中、 しかしそこへ出現した清正公様が、息子だけ助けて女は救わず、「おれの敵の饅頭屋の娘だ」と 突き放すサゲは、いささか神徳を汚すおそれがある。鎗と違って、そんな片手落ちの方ではない。 論より証拠、定紋を御覧じろ。円満具足マン丸な蛇の目だ。 ○大岡忠相  名奉行といえばこの人に限ったように扱われている越前守は、落語国でも大分活 躍。「その方東海道巨細に弁えおるが、して生国は何れじゃ」「へイ、駿河の御城下で」「あのこ こな、府中者めが」の「白木屋」だの、「アァ流石大工は棟梁、調ベを御覧じろ」の「大工調ベ」、 また「人間にされやアがるな」の「骨ちがい」、家中鼻なしになる「おかふい」に至るまでみん なこの方の御厄介になっている。「帯久」がやはりそれで、「六十一では本卦じゃの」「イエ今は 分家の居候で」というサゲは巧妙だが、「三方一両損」の、「大岡ア食わねえ、たった越前」に至 っては、コジツヶ過ぎて面白くない。 ○能祇法師  この愛すべき風流僧もまた、落語国に寄留籍があるのは愉快だ。深夜の庵室に伊勢 物語を写す老法師、そこへ入ってくる泥棒、想像しただけでも一幅の好画題だ。坊さんちっとも 驚かず、行燈の紙へ俳句を認めて与える。曰く「盗人の門たてて行く夜寒かな」。これで盗人の 改心する結末まで、まことにいい心持ちの話だが、「あけとくと物騒」云々のサゲは蛇足と思う。 ○高尾太夫  ぐっと昔の遊女の話。有名な高尾太夫は、何代もあったのだそうだが、落語に扱 われているのは、「お前は島田重三郎さん」の「反魂香」と、黒猫の色揚げをサゲにする「紺屋高 尾」とで、前者は別に「吊し斬り」にも出て来るが、これは落語というより漫談的のもの、「忘 れねばこそ思い出さず」云々の名文は、駒形あたり鰭汁のクスグリとともに、今もってマクラに 使われているところ、高尾もよく売ったものさ。 ○喜瀬川  高尾に対してこれはまた、大変な花魁である。しかし「五人廻し」で多勢に気を もませたり、「お見立」で杢兵衛大尽に墓参りまでさせるところから考えると、余程男好きのす る魅力の持主か、手取り女だったと思われる。落語国での名妓かも知れたい。 O小なつ  浮いた稼業の芸妓にも、操と誠がないとはいえまい。この婦人などがそれで、た だ一人の若旦那を思いつめ、痛ましくも散る花一枝、フラッパアな近代娘などより、遥かに優し くて女らしい。すなわち「立きり」の主人公である。仏前の三味線が自然に鳴り出し、一中節の 紙治を唄うところなど、怖くない怪談味もあり、サゲも気が利いて、いかにも渋い話と思う。 ○玄清先生  例によって、国郡も村の名も不明だが、何でも余程辺鄙な山の中らしく、ただ一 人のお医者さま、迎いを受けて往診の途中、近道を急いだため大蛇に呑まれ、下剤をかけて外へ 出るという筋。「夏の医者」にはコリゴリしたと、大蛇が目をヘこまして愚痴を言うなどは、落 語らしい落語である。 ○弥次郎  今更御紹介いたすまでもなく、余りにも有名な「嘘つき」である。その嘘も至っ て馬鹿馬鹿しく愛矯があり、無邪気なので好感が持てる。ただしこの弥次郎という名はどこから 来たか、いずれ持え物と思うが、講談にも嘘つき弥次郎という大岡政談がある。嘘と弥次郎とど ういう関係があるか、調べたら面白かろう。「膝栗毛」が弥次郎兵衛、玩具にも弥次郎兵衛があり、 弥次馬などという名称もある。やはり弥次という響きが憎めない感じを持たすのだろう。「越後 騒動」では、関根弥次郎という忠勇の士が活躍するが、嘘つきの弥次郎は、この人の末孫に当る のだということ……ホイ、こっちまで弥次郎にかぶれかけてた。 ○本屋金兵衛  同業の善さん同様、貸本の片手に、取り巻きをして世を送る男、お出入り先に 山田屋さんというのがあってここの若旦那が恋煩い、しかも相手の家が判らない。ただ上野で見 染めたそのお嬢さんから、「瀬を早み岩にせかるる滝川の」と、上の句だけを認めた扇子を贈ら れただけが手掛りだとある。金兵衛奨励のための懸賞欲しさに、江戸中の湯屋や髪結床を、片っ 端から探り廻り、苦心空しからず、遂にお嬢さんの所在を突き止めるρ惜しい事に、若旦那の名 も、先方すなわち「皿屋」の娘も、例のごとく、さらに不明なのはまことに残念である。 ○幸太郎  父を幸右衛門といい、その息子だが、これは外の話みたいに、若旦那という代名 詞だけでは片づけられない。というのは、本丈の中に、深夜しめ出しを食って問答の条で、「手 前にも幸太郎という、悼はいかにもございましたが」云々、これが後になって、「手前にも幸右衛 門という、親父はございましたが」と鵬鵡返しになるのが、主要なクスグリとなっているだけに かくは名前が判然している次第、ただし、営業は不明、単に、あきんどと言うのみ。これは「六 尺棒」の主人公である。しかし棒屋じゃあない。ボーヤが育って若旦那、分かった分かった。 ○おきく  「皿屋敷」の著名人物、これが落語国ヘ現れると、甚だ酒落た存在になる。すなわ ち彼女は、連夜かの古井戸より出現し、細い声で哀れ気に、一マーイ、ニマーイと数える。九枚 目に至ってよよと泣き崩れるあたり、変なトーキーなどより余っ程効果的で、しかもただだとい うので、毎夜毎夜大入り満員、ある夜一気に十八枚まで数え、「明晩は公休です」というサゲ。 至極気が利いている。外に「三年目」の女房も、名はやはりおきく、お香剃りにされた髪の毛の、 伸ぴるのを待って幽霊に出ようという、甚だ身だしなみのよい女性、どうも幽霊とおきくとは、 縁のはなれぬところが面白い。 〇一 八  封間である。彼氏の活躍はなかなか広範囲で、落語に出て来るタイコモチは、た いてい一八と相場が極っているようだ。「羽織の幇間」「たいこ腹」「愛宕山」「山号寺号」「三両 残し」「嵐茶屋」など、ちょっと思い出してもこれほどある。殊に「つるつる」に至っては彼氏 の愛すべきロマンスである。 ○梅  吉  昔あった芝居の出方か、俳優の男衆か、清元の三味線弾きみたいだが、これは職 人、「松竹梅」中の立役者だ。サゲに曰く、「今に開いて来るだろう」。 ○錦木検校  按摩さんの名前といえば、杢の市とかテクの市とかを常とするが、この人だけは 小僧時分からその例外である。しかも貧弱な裏店住居のもみ療治だというのに、錦木とはまた恐 ろしく立派な名をつけたものだが、この盲人、生まれながら大名の位にも出世すべき体相を持っ ていたとある。果して同じ体相仲間の酒井角太郎さんに愛せられ、この若殿が雅楽頭となるやそ の引き立てにょり、一躍検校に昇進、「三味線栗毛」の御意見を申し上げるほどの身分になる。 盲人だけにおめでたい話である。 ○赤井御門守  丸の内にお屋敷があり、お国はどこだか判明しないが、お高は十二万三千四百 五十六石七斗八升九合一掴み半だそうな。赤い御門は百万石の加賀様を連想され、相当大きな諸 侯に相違なく、同じ落語国の大名、杉平柾目之正より、幾分上級なのだろうと思われる節がある。 その杉平家から、治部田治部右衛門という「粗忽の使者」が来たを笑った癖に、自分でも「松曳 き」で、なかった姉の死去に狼狽したりする。「妾馬」では八五郎の兄お鶴を見染め、「将棋の殿 様」やら「蕎麦の殿様」で御家来に無理をいうかと思えば、「さんまは目黒」に限るなどと食通 を並べる。この殿様の器量を上げたは「ポンコン」ばかり、余の鳴いたのを差し引いたというサ ゲは、道具屋ばかりか聴衆をアッと言わせる。その他「火炎太鼓」「初音の鼓」「盃の殿様」など、 いろいろな話に活躍、とにかく愛すべき貴族である。 ○竹本小まん  素性を聞けばかわいそうに、生まれ落ちるとすぐ人手に貰われ、更にこの子を 食い物にLようという婆さんの養女になり、義太夫を仕込まれて寄席へ出たが、その後自宅で師 匠を始めると、年は若し、女は佳し、野心のある弟子が千客万来、しかし若い大工の政吉が愛人 になったと知るや、弟子はバッタリ来なくなる。男女は逃げ出して愛の巣を営んだが、生活に困 って流しに出る。冬の雪中に貰いはなし、切羽つまって引き窓から、忍び入ろうとした途端、小 まんは産気づいて男の子を産む。ここで芝居噺になり、「布引きかえ、イェ、細引きの産で」と、 この余り巧くたいサゲを言うために、さりとは手数をかける女だ。 ○白井左近  易の名人である。雨宿りの女を見て、「重箱の中はスモモ、数は白く二十四」たど あてる。人相もよく見て「千切り伊勢屋」伝次郎の死期を予言、ただし彼の善根でその相がガラ リと変り、左近は欠所、宿なしになる。身の上知らずとはよく言ったものさ。 ○彦三郎  といっても俳優じゃあない。本町二丁目、越前屋彦右衛門という堅気た家の若旦 那だ。長吉という生意気でオシャベリな小僧を連れ、深川へ参詣に行って松本で中食、土地の芸 者小菊を見染めて馴れ染めになる人情噺の発端だが、落語としてはこの小僧の方が主人公。「成 田小僧」といえば有名たものである。 ○徳三郎  これは若旦那ではたい、手代である。主人の娘おせつといい仲にたったのが知れ て店はお暇、やがてそのおせつに婿が来ると聞き、カッとなって無分別、刀屋の親爺に意見をさ れたり、お材木で助かったりする。忠七型の色男だが、これも向島での馴れ初めを、オシャベリ する小僧定吉の方が落語としての立役者で、「成田小僧」に対しこの方を「花見小僧」と呼ばれ ている。 ○徳三郎  同じ名だが、やはり色男だ。その粋が身を食ってお定まりの勘当、船宿へ厄介に なっているうち、船頭になろうと志し、四万六千日に浅草行きのお客をのせて、大川でグルグル 廻りをする。すなわち「船徳」であるが、もう一人の徳三郎は、勘当の後、身を投げようとして 伯父に助けられ、「唐茄子屋」になって大岡政談に扱われるような、悲劇の事件ヘ巻き込まれる。 どちらも人情噺の主役である。 ○時次郎  日本橋区本町二丁目、春日屋時右衛門の息子で世間見ずのおとなし過ぎる坊ちゃ ん。親父気をもみ、わざと町内の道楽者に吉原行きを誘わせる。騙してこんな所へ連れて来たの は酷いの、不潔な遊びは汚らわしいのと、怒ったり泣いたり、駄々をこねて同伴の不良を困らせ るが、翌朝になると形勢一変、遊興礼讃者となって今度は帰らないと言い出す。若い者の堕落す る経路をうまく表現した落語だが、これを「明烏」と名づけたのは、本人の名が時次郎だからだ ろう。もっとも近頃の時次郎は、沓掛の方が有名にはなったがね。 ○庄  作  越後国魚沼郡松山村の住民、孝行の誉れ隠れなく御領主の耳に入って、望みの物 を褒美にとらせようと言われたが、無欲質撲の彼は、金も宝も位も望まず、殿様の御威光をもっ て、亡くなった父さんに逢わせて下せえと無理を言い出し、まだ見た事のない鏡を貰って大喜び、 これから滑稽な間違いが起って、さてこそ、落語「松山鏡」の主人公となるのだが、人としても 彼氏などは、まさに孝子の鏡であろう。 ○万事世話九郎  本名やら、仮名やら、その点ちょっと不明だが、「宿屋の仇討」に出て来るお 侍である。ただし一般的には、このお侍最後にチョイと顔を出すだけだが、馬楽君の口演では、 大分行き方が変っていて、伏線的に最初からチョイチョイ出現して活躍、最後がトリックの仇討 になる。この名の出所も、やはり判然しない。追って考うべしの口である。 ○馬  吉  苗字は不明、紳名があって酪駝という。手のつけられない無法者で、長屋中の鼻 つまみだったが、ふぐの中毒で頓死、それを昨夜のふぐ仲間が発見する条から「らくだ」の物語 は始まるのだから、この話の主人公は酔ってから強くなる好人物の屑屋の方だろう。鬼太郎氏の 劇化した狂言には、七三郎がこの馬吉の屍に扮して絶品と褒められた。 Oお  梅  某商家に奉公中、使いの帰りに主人の金三両を落して、申し訳なさに思いつめ、 両国橋から投身しようというところを、次郎兵衛という人に助けられた。その後佃島の漁夫某に 嫁し、家庭も円満、これも次郎兵衛さんのお蔭と喜ぶ。ある日、住吉様のお祭で恩人次郎兵衛に めぐり逢い、是非にと我が家へ連れて来て饗応しているうち、満員の渡船が引っくり返り、もし これに乗っていたら、次郎兵衛も落命するところだったと分り、三年前に助けられたお梅が、今 は偶然、恩人の命を助けた事になる。いい事はしておきたいもので、すなわち「佃祭」の一員で ある。 ○市  助  ある町内の定雇いである。父親がこの町内で番太郎を勤続したという余慶にょり、 親の光は七光、その悼市助は、火の用心の夜番を命ぜられたという。光栄ある経歴の所有者であ る。親が番太で、子が夜番、何たる輝かしき存在であろうか。人物も推して知るべしだ。何の望 みもない市助が、酒を何よりの慰安としたからとて、何だってんだ。伊勢屋が何でえ。番頭が何 でえ。町内0芋がしらが何だってえんだ。ホイこっちまでかぶれちゃった。「市助酒」。 ○善  吉  黙阿弥の散切物だと、北向の虎蔵と一つ鎖につながれている孝子だが、落語のは それと違い、志を立てて出京したものの、旅費は掬られ飢に迫り、義侠な豆腐屋の主人に助けら れ、売子となって働く内、目鏡にかなって娘の婿となり、若主人に出世、故郷の「甲府イ」お参 り願ほどきに出かけるという、心持ちのよい話の中心人物である。 ○喜之助  最初は若旦那、落ちぶれてたいこ持ち、それも失敗して江戸を飛び出し、流れ流 れて肥後の熊本までさすらいの旅。運よく知人に拾われて、料理番やら取り巻きやら、器用が役 に立って貯蓄も出来ると、故郷忘じ難く帰心矢のごとしで、便船を幸い出帆すると、大しけを食 って薩摩の桜島へ打ち上げられる。すなわち「九州吹き戻し」の主人公であるが、昔はこの話で マキびらまでした真打があったということ、有名な割にはたいして取りどころのない人物である。 ○おくま  以前は吉原の花魁で、熊蔵丸屋の月の戸と名乗っていたが、薬種屋の若旦那伝三 郎と深くなり、心中を図ったがやり損じ、甲州の山中へ逃げ延びて、亭主は熊の膏薬売、女房は 咽喉へ痕を止めた疵を紳名に、月の輪お熊と呼ばれる悪婆となる。この凄艶な女が雪の中を鉄砲 片手に旅人を「鰍沢」の断崖まで追って行く光景は、故人円喬によって生々しく印象されたこと を覚えている。ああ、名人だったた。 ○片山清三郎  ハテナ、そんた名の人が落語の中に出て来たかしらと、御不審も御道理、昔備 前の池田藩に片山清左衛門という侍、大酒が役に立って三百石に出世し、一生好きな酒を呑み通 した末、殿様に遺言して病死。殿様はこれに基いて、清左衛門の上下姿を名産の「備前徳利」ヘ、 絵をかかせる事にした。つまりこの人は、残後も酒の縁を離れたくなったからであろう。あとに 残った怖が片山清三郎で、若気のあやまち、放蕩すると父の亡霊が現われ意見をする。清三郎も 前非を悔悟、改心するとまた父が出て来て、おれもこの頃口がかけたので、醤油徳利にされたと 愚痴をいう筋。余り知られていない落語である。 ○赤西屋久兵衛  無一文から叩き上げて、巨万の富を積んだという立志伝中の人物(?Yであ る。しかし恐ろしい守銭奴で、吝ン棒の方でも代表的のオジさんらしい。それなればこそ、無理 にため込んで財産も出来たのだろうが、罰も当らず子宝に恵まれ、松太郎、竹次郎、梅蔵という 三児がある。ただし、親父を菜漬の空樽につめ「片棒」を自分で界ごうという末子梅蔵を除いて は、松も竹も、親に似ぬ道楽者らしく、これらの代になれば、折角の赤西屋も、めちゃめちゃに なっちまうだろうと想像されるところ、とかく浮世は廻り持ち、そこが面白い味かも知れない。 ○太兵衛  商人なんだか、幇間なんだか、その辺甚だ曖昧であるが、とにかく人に取り入る ことの上手な男で、出入り先の未亡人に気に入られ、「猿後家」と紳名されるほどの珍面なその 女を天下の美人のごとく持ち上げるので、太兵衛や太兵衛やと晶負を受ける。調子に乗って喋舌 り過ぎ、禁句の猿を口にしたばかりに、たちまち御機嫌を損じてお出入り止めになるというこの 話は、先代柳枝の十八番だった。 ○素根吉  そね吉ではない。すね吉と読むのである。父親を素根右衛門といい、屋号を「ひ ねり屋」と称えるほど、父子とも世間普通尋常のことを嫌い、何でもオツに風変りなのを喜ぶ性 質とあるが、この種の人間は、敢えて落語国ばかりの存在でないかもしれぬ。 ○熊坂長範  泥的もえらくなると、後世山車の人形に祀られ、神田の名物になったりする。も っとも落語へ出て来る彼氏は、牛若に首を斬られてアンを出す。それは今坂でしたと、このサゲ を言いたいばかりに、一代記を弁じられるのだから、さりとは手数をかける男、第一今坂という 菓子の名が、だんだん分らなくなりはしまいか。 ○金兵衛  商買也、骨董を業とす。酒間の斡旋に長じ、その紳士に愛せらる。紳士酔余、金 兵衛に需むるに、跨間の垂嚢をもってす。蓋しその甚だ巨大なるに依るなり。金兵衛困惑し、章 魚《たこ》の頭をもってこれに擬し、偽りて贈る。紳士醒むるの後、かつ悔いかっ樗き、療養の費を与う。 金兵衛不日官に捕わる。罪名を聞くに曰く「にせ金」行使なりと、呵々。 ○寿限無  寿限り無しとは結構だが、後光の摺切れだの、海砂利水魚だのと、どういうとこ ろから引っ張り出したものやら、とにかくこのべら坊に長い名を、生まれ児に命名する話を持え た人は、天晴れなナンセソス作家だ。「寿限無」はおよそ落語を聞くほどの人で、知らぬ人もあ るまい。 ○桃太郎  日本昔噺の大立者だけに、桃太郎君は我が落語国においても、輝かしき存在を示 している。もっともこれは、彼氏自身が出て来るのでなく、親父が息子に「桃太郎」の物語をし て聞かせるのを、当世の小児はなかなか納得せず、昔々とはいつの事だとか、あるところとは何 町の何番地だとか、いちいち揚げ足を取って反問するおかし味が狙いどころになっている。 ○伯 良  田子の浦の漁夫である。三保の松原で、枝に引っかかっている「羽衣」を発見、 これは美しいと喜んで持って行=うとすると、天人が出て来て慌てて呼び止め、私のだから返し てくれと頼む。なかなか返さないのを、編して取り戻し、天上しながら、今言ったのは、皆そら 事だという。このサゲはともかくとして、それまでの筋は、本行の謡曲を、知っていてこそ面白 かろうが、さもないと表の立たぬ酒落を聞いているようなもので、今ではツマらなかろうと思う。 ○白楽天  そもそもこれは、唐の太子の賓客、白楽天とは我が事なりと、橋懸りで名乗るほ ど落語の方では気取っていない。例の通り酔っ払って、町へ出て来ると大変な人立ち、聞けば今 「鉄拐」という仙人が、腹の中で曲馬を見せるという。乗手はいつも鉄拐の吹き出す小仙人、馬 は張果老の瓢《ひさご》から盗んで来たのだということ、面白そうだから木戸銭を払い、入り口の臭いのを 我慢して入ると、中は満員大騒ぎ、弟子のやっ拐、もっ拐、蜆っ拐などの、前芸が終わらぬうち、 私は傍の奴に足をふまれ、相手二人も酔っているので喧嘩になり、三人とも場外へつまみ出され た。よく見たら、相手は陶淵明と李太白だったっけ。 ○八五郎  落語国に人物も多いが、我が八五郎君ほど、多数の話へ顔を出して、活躍してい る愛嬌者は沢山なかろう。彼氏の苗字はあるんだかないんだか不明であるが、ガラという肩書の ついている事だけは正確である。妹お鶴の方の縁故で出世した「妾馬」の八さんの事は前に述べ たが、あとは主として仕事が半チクになった日など、横町の隠居のお相手に現れて、「千早振」や 「やかん」の講釈を聞いて感心したり、また「雪てん」の迷句を吐いて驚かしたり「一目上り」 では行く先々で恥を掻き、「道灌」の物語を真似て、歌道が暗いからと提灯を借りられたり、「高 野違い」で親方のところヘ、毒水の知らせに駆け出したりする。しかしなかなか才の廻るところ もあって、不在を空巣狙いに入られると「出来心」から、取られもしない品まで盗まれたと言い 立て、蚊帳の裏は花色木綿などと家主を面食わせる。大体が楽天家の笑い上戸だから不幸のあっ た家へは「くやみ」に行けない。そこで隠居の入れ智恵で胡椒をなめたり、「のめる」という口 癖を封じられて、これも人に智恵を借りながら失敗する。友達と遊びに行くについては羽織がな く、他家へ借りに行って祝儀不祝儀でボロを出したりしたのは独身中のこと、家主の世話で・「た らちね」の亀女を妻に迎えたはめでたかったが、死別れて「反魂香」のやり損じは悲喜劇だ。し かしまアそのうちに女房も出来て身も固まり、お店の婚礼に媒人を頼まれて「高砂や」を歌った り、夫婦喧嘩をして「天災」の田楽や「二十四孝」の訓戒を食ったり、飲み過ぎて「茶釜の喧嘩」 に口を出す段取、いい塩梅に女房も懐妊して「安産」の喜びに逢うと、この子が「真田小僧」で 「初天神」ヘ連れて行くと凧あげの縮尻《しくじり》がある。そうかと思うと剣術に凝って「蚊いくさ」騒ぎ をやったり、年の暮にも「三百餅」を買ったり、「掛取万歳」で茶番の真似をしたりしたが、人 間の運はわからぬもの、鶴の千五百四十八番が千両の富に当って、一夜のうちに大成金、心から 「御慶」を云って歩いたとはめでたいめでたい。 ○熊さん  ひと口に八さん熊さんと併称するが、この方は八さんほど多くはたい。「猫久」「夢 金」等ではすでに御紹介済みだが、一番印象の強いのは「芝浜」と「百人坊主」だろう。「芝浜」 の方は、女房の貞節と勤倹を教える人情美談だが、あとの方は、酒の上が悪くて大山の帰りを宿 屋で暴れ、友達に憎まれて、キメヒキ通り、酔って寝たところをクリクリ坊主にされ、その口惜 しさから仕返しに、一足先へ駆けぬけて帰宅し、講中の女房たちを、巧く騙して皆坊主にしちま うのだから罪が深い。出所は狂言の「六人僧」だそうで、しかしおかしいには違いない落語であ る。 ○与太郎  これがまたガラ八氏と同じく、落語国になくてはならぬ貴重なる人物である。狂 言の太郎冠者から系統を引き、三太郎よりも更に輪をかけた愛すべき愚者であるが、奇妙な事に は、彼氏の父は決して阿呆ではないことだ。あれは雨のふる穴だと教える親子三人の馬鹿なんて えのは例外で、たいてい与太郎の父親は、何でも心得ている普通人だ。誰か来たら、親父は「他 行」でございますと断れなどと教え、二階へ上がって寝ている術も知っているし、また天角地眼 一黒鹿頭云々と「牛ほめ」の文句も弁えている。ただその子に生まれた彼氏が不肖だから、「酒 の粕」や「吉野」で失敗ばかりする。少し大きくなって骨董屋へ奉公すると「錦明竹」の口上を 聞き損じてやりそこない、「厄払い」に出て文句を聞き違えたり、「道具屋」の露店を出して毛抜 小便などに出逢う。「石返し」では大鍋を巻き上げられたり、「豆屋」では怖い小父さんに脅され たり、「みかん屋」でもこれまた同断、とかく与太郎は受難続きだ。「時蕎麦」では人真似をして 四文損をし、「酢豆腐」では気を利かせ過ぎて宥越しの豆腐ヘ毛を生やしたり、「子ほめ」では行 く先々で叱られ通しだが、人には取り得のあるもので、この与太郎は、なかなか美男子だった事 が想像される。その証拠には「牛の嫁入」で、最後にはとんでもないお嫁さんの襲来に胆を潰し こそすれ、とにかく一旦は、大家のお嬢さんに恋煩いまでさせるし、「ろくろ首」では、見合に 成功して物持ちの婿になる。これでまず与太郎総まくりを尽したはずだが、アアそうそう、もう 一人あった。頼まれもせぬに、永々と珍選辞典などを書いている筆者などは、与太郎中の与太郎 でもあろうか。 ○おもと  同じ名の婦人が二人ある。一人は隠居さんのところの女中で、表面には現れない。 ただここへ、人間に成り立ての白犬が奉公に来て、隠居は驚きのあまり「元はいぬか」「元はい ぬか」と呼ぶだけのこと。今一人は、仔細あって叔父に当る鳶頭のところヘ預けられていると、 その鳶頭が、よその人と立話に、兄貴のところから預かったオモトを、横町の川上へ叩っ込んで、 穴を埋めた云々と喋舌ったところから、早合点の権助が間違えてとんだ大騒動になる。何ぞ知ら ん、これは植木の万年青《おもと》の事だと分り、大笑いで解決という、すなわち「おもと違い」の娘であ る。 ○権  助  いうまでもなく、山出しの地方人ではあるがコ分茶番」で自ら説明するところ によると、村の在屋さまから三番目に坐る家柄だそうな。そのせいか割に物を心得ていて理屈も 言い、「和歌三神」では、「俳譜の家に住みゃこそ句は盗む、すきがあったらまたも盗まん」など と、オツな狂歌の一つも詠み、「夢合わせ」とか「ニッ三ッ四ッ」とか「鶴満寺」などでも風流 の才を示し、「こんにゃく問答」では、「三郎びょうえのなアぎなたア、させ干せ傘」などと湯か ん場踊をやったりする。しかし主人運が悪いとみえて「化物使い」では恐ろしく口やかましい隠 居のところへ奉公し、「新聞記者」では主人と友達との密談を早合点して自分が絞め殺されるの かと驚いたり、「味噌庫」では極めて吝畜な主人に仕えて骨放れのするような思いをしたり、「追 いだき」では、その隠居が客好きなので、のべつに飯の支度をさせられ、今夜は雪も降るし、誰 も来ないだろうと安心していたところ、一夜の宿を求めた六十六部が、実は将門の遺児将軍太郎 良門で主人と芝居がかりの問答になり、七人の影武者が姿を現すので、いよいよ追いだきかと胆 を潰す。また「籔医者」のところへ奉公しては、患者の家から迎いに来た使いのこわ色を使わせ られたり、「宗鑑」では、主家の夜具が足りたいので、お医者様の供をして来た中間と寝かされ たが、これが何と男装の不麗人だったので面食ったり、「寝床」では主人の義太夫好きに悩まさ れ、誰も聞きに来ないので中っ腹の旦那が、風呂なんぞは抜いちまえと言ったのを、まともに聞 いて洗濯物を漬けて脅かされたり、「権助提灯」では一晩中旦那の供をして、本宅と第二号方と を往復させられたり、「お文様」では細君のスパイとなって裏切りし、目ざしと蒲鉾と茄章魚と を買って帰って剣つくを食ったり、更に大騒動を惹起しては「一つ穴」の獣だとまで罵られるか と思うと、道楽な若旦那を、吉原へ迎いに行って初手はイヤに強硬だったが、かわいらしい相方 をあてがわれてたちまち軟化し、「木乃伊《みいら》取り」になったりするところ、一生を通じて権助の経 歴は多難と失敗の羅列である。しかしなかなか剛情もので「しの字嫌い」ではとうとう主人を打 ち負かし、四貫四百四十四文を貰っちまうのが痛快、我が権助君の成功したのはこの話くらいの ものであろう。  以上の外、洩れたものは沢山あるが、そもそも最初の紅羅坊名丸から始まって、引例の落語一 百九十余題、人物は一百八人にも及んだ。「水溜伝」の梁山泊とは大違いだが、煩悩菩提の除夜 の鐘と、同じ数になったこのゴン助をもって、ひとまず打ち止めといたしましょう。御退屈様。