陳情書 西尾正 ハムレット「1この天地の間にはな、|所謂《いわゆる》哲学の思いも及ばぬ大事があるわい。……」                                  (シェクスピア)  M警視総監閣下  日頃一面識も無き閣下に突然|斯様《このよう》な無礼な手紙を差し上げる段|何卒《なにとぞ》お許し下さい。|俗間《ぞくかん》の |所謂《いわゆる》投書には既に免疫して|了《しま》われた閣下は格別の不審も好奇心をも感ぜられず、御自身で眼を 通すの労をすら御|厭《いと》いになる事かとも存じますが、私の是から書き誌す事柄は他人の罪悪を|発《あぱ》 かんとする密告書でも無ければ、閣下の執政に対する不満の陳情でも御座いません。実は私は 一人の女を撲殺した男でありまして、ーと申しましても私自身その行動に就いては或る|鬼魅《きみ》 の悪い疑問を持っているのでありますが、然も己が罪悪を認めるに|脚《いささ》かも|逡巡《しゆんじゆん》する者でなく 会う人|毎《ごと》に自分は人殺しだと告白するにも拘わらず、|市井《しせい》の人は申すに及ばず所轄警察署の刑 事迄が私を一介の狂人扱いにして相手にしては呉れません。閣下の部下は、閣下は、我が日本 国の捜査機関は、一人の殺人犯を見逃してそれで|悟然《てんぜん》と行い済ませて居られるのでありましょ うか? 私は私の苦しい心情を、殺人犯で有り|乍《なが》ら其の罪を罰せられないと云う苦しさを、閣 下に直接知って戴いた上其の罪に服し|度《た》いとの希望を以て|此度斯《このたぴこ》うして筆を取った次第であり ます。一個の文化の民として、罪を犯し乍ら其の罰を受けないと云うのは、|如何許《いかばか》り苦しい事 でありましょうかPI。是は其の者に成って見なければ判らない|煩悶《はんもん》でありましょう。何よ りも私は世間の者より狂人扱いにされる事が|堪《たま》らなく苦痛なのでありまして、此の|儘《まま》此の苦痛 が果し無く続くものであるならば、いっそ首でも|繊《くく》って我と我が命を断つに|如《し》かないと|屡《しばしぱ》々思 い詰めた事でありました。私が何故一人の女を、私自身の妻房枝を殺さなければならなかった かPI。其の理由を真先に述べるよりも、私が初めて妻の行動に疑惑を抱いた一夜の出来事 から書きつづる事に致しましょう。(斯く申し上げれば閣下は「お前の女房は焼け死んだので はないか」と|反駁《  ちちはんぱく》なさるかも知れませんが、私は他ならぬ其の|誤謬《ごびゆう》を正し私と共々此の|不気味《ぷきみ》 な問題を考えて頂き度いのでありますから、短気を起さずと何卒先を読んで下さいまし。)そ れは昨年の二月、日は|判乎《はつきり》と記憶にはありませんが、何でも私の書いた原稿がM雑誌社に売れ てたんまり稿料の這入った月初めの夜の事でありました。現在でも私は|高円寺《こうえんじ》五丁目に住んで 居りますが、其の頃も場所こそ違え同じ高円寺一丁目の家賃十六円の粗末な貸家を借りて、妻 の|房枝《ふさえ》と二歳になる|守《まもる》と共々に文筆業を営んで居たのであります。元々私の生家は相当の資 産家で、私が学生で居る間は、と申しましても実際は一月に一時間位しか授業を受けず只単に 月謝を払って籍を置いて居たに過ぎませんが、其の間は父から毎月生活費を受けて居たのであ りますが、一度学校を卒えるや、其の翌日から、1前々から私の放蕩無頼《ほうとうぶらい》に業を煮やして居 た父は、ぴたりと生活費の支給を止めて|了《しま》ったのでありまして、そうなると否でも応でも自分 から働かねばならず、幸か不幸か中学時代から|淫靡《いんび》な文学に|耽溺《たんでき》して居た御蔭で芸が身を助く るとでも謂うのでありましょうか(玉ノ井繁昌記)とか(レヴュウ・ガァルの悲哀)とか云う 低級なエロ読物を書く事に依って|辛《かろう》じて今日迄|口《くち》を|糊《のり》して参ったのであります。或る秘密出 版社に頼まれて、所謂好色本の原稿を書き綴って読者に言外の満足を与えた事も再三でありま した。・  |偖《さて》、|斯《こ》うして家庭が貧困の|裡《うち》に|喘《あえ》いで居乍らも、金さ&這入れば私は酒と女に耽溺する事を 忘れませんでした。|病的婬乱症《ニムフオマニイ》-此の名称が男子にも当て嵌るものであるならば、其の当時 の私の如き正に其の重篤患者に相違ありませんでした。|最早《もは》や二歳の児がある程の永い結婚生 活は、水々しかった妻の白い肉体から|総《すべ》ての秘密を曝露し尽して了いまして、妻以外の女の幻影 が私の淫らな神経を四六時中刺戟して居りまして、その為大事な|理性《フェルヌンフト》を失って居た位であり ます。其の日、二月某日の夜は寒い刺す様な風が吹いて居りました。金を懐に七時頃家を飛び出 し、其の頃毎夜の如く放浪する|浅草《あさくさ》の活動街に姿を現わしました。|都《みやこ》バアで三本許りの酒を 飲んでから、レヴュウ見物に|玉木座《たまきざ》の木戸を潜りました。婦人同伴席にそっと混れ込孔で、1 是は私の習癖で御座いまして、一時間余り痴呆の様になって女の匂いを嗅ぎ乍ら、|狸雑《わしざつ》なレヴ ユウを観て居る裡に、忽ちそんな場所に居る事が|莫迦莫迦《ぱかばか》しくなり一刻も早く直接女との交渉 を持った方が切実だと謂う気になりまして直ぐ|態《さま》其処を飛び出して了いましたものの、何分時 間が早いので一応|雷門《かみなりもん》の牛屋に上りまして鍋をつっ突き酒を加え乍ら、|何方《どつち》方面の女にしよ うかと目論見を立てる事に致しました。飲む程に酔う程に、1(と申しましても私は如何程 酒精分を摂っても足許を|掬《すく》われる程所謂泥酔の境地は|嘗《かつ》て経験した事無く、只幾分か頭脳が|荘 乎《ぼんやり》して来まして所謂軽度の意識|洞沌《こんとん》に陥り追想力が失われる様で有ります。従って酔中の行動 に就いては覚醒後全然記憶の無い場合が往々有ったのであります)1益々好色的な気分に成 って未だ|当《あて》の定らない裡に最早や其の牛屋に坐って居る事に|泳《こら》えられなく成り、歩き乍ら定め ようと元の活動街の方へ引返して参りました。|池之端《いけのはた》の交番を覗くと時間は意外に早く経過し たものと見え時計は十一時半頃を示して居りました。閉館後の建物は消灯して灰暗い屋根を連 ね人脚もばったり途絶えて、|偶《たま》に摺れ違う者が有れば|二重廻《にじゅうまわ》しに凍え乍ら寒ざむと震えて通 る人相の悪い痩せた人達許りで、空には寒月が咬々と照り渡って居りました。酔中の漫歩は自 ら女郎屋に這入る|千束町《せんぞくちよう》の通りを辿りまして、|臆《やが》て薄暗い四辻に出た時です。1旦那、…- もしもし、……旦那。……と|杜切《とぎ》れ杜切れに呼ぶ激枯れた臆病想な声が私の耳の後で聞えまし た。私は立ち止って振り返る必要は無かった、と云うのは電柱の蔭に|夫迄《それまで》身を潜めて居たらし い一人の五十格好の|鳥打帽《とりうちぼう》にモジリを着た男が、素早やく私と肩を並べて|恰《あたか》も私の連れの如く |粧《よそお》い乍ら、ぶらりぶらりと歩調を合わせて歩き始めたからであります。私は其の男が春画売 りか源氏屋に相違無い事を、屡々の経験から|直《ただ》ちに|覚《さと》る事が出来ました。案の定男は、相手の 顔から|些《いささか》の好色的な影も逃すまじとの鋭い其の癖如才無い眼付きで、先生、十七ハの素人は 如何です?1と切り出して参りました。矢張り源氏屋だったのであります。私とて是迄彼等 の|遣口《やりくち》には疑い乍らも十度に一度は(真物)に出喰わさない事も無かろうと|微《わず》かな希望を抱き、 従って随分屡々其の方面の経験は有りましたが、其の範囲内では|毎時《いつも》ペテンを喰わされて居ま した。三十過ぎにも見える醜い女が、小搬だらけの皮膚に白粉を壁の様に塗りたくり、ばらば らの毛髪をおさげに結って飛んでもない十七ハの素人に成り済まし、比類稀なる素晴らしきグ ロテスクに|流石《さすが》の私も|勿《そうそう》々に煙を焚いた程の非道い目に会った事も有りまして、当時は一切其 の方面の女には興味を失って居る時でしたが、其の夜は奇妙な事に、十七ハの素人と謂う音が 魔術の|如《ごと》く私の婬心を|昂《たかぶ》らせたのであります。十七八の素人か、悪くは無いな、だけど君達の 言う事は当にならないんでね、と私は平凡な誘惑に対して平凡な答をしますと、男は慌てて吃り 吃り、と、と、飛んでもない、旦那、ほ、ほんものなんでさあ、デパアトの売子なんで、・ 堪りゃせんぜ、あったく、サァヴィス|百《 》パアセットですよ。と|掻《 》き立て乍ら|相不変《あいかわらず》にやついて 居ります。売子だとすると朝は早えな、と訊きますと、へえ、其処を一つ勘弁なすって、何び ょろ、もう一つ職業が有りますんで、と揉手をし乍ら答えます。忙しいこったね、と此方もに やにやし乍ら冷かしますと、男は頭を押えて、へへへへ、此奴も不景気故でさあ、お袋が病気 で動きがとれねえんで、そう云う事でもしないてえと  と、答えます。私は益々乗気になっ て、まさか、お前さんの娘じゃあるまいね、と追及すると、相手は急に|間誤間誤《まごまご》し出して、と、 と、飛んでもねえ、と、ムキになって否定しましたが、|不図《ふと》パセティックな調子となり、でも、 |沁《しみじみ》々考げえりゃあ|他人事《ひとごと》じゃ御座んせん、と|渡《こぽ》しました。並んで歩き乍らこんな会話を交わし て居ると、知らない裡に遊廓の横門の前迄出て了いましたが、気付いて立ち止った時には私の 心は其の男の案内に|委《まか》せる|可《べ》く決って居りました。承託を受けると男は|忽然欣喜雀躍《こつぜんきんきじやくやく》として、 弱い灯を受けつつ車体を|横《よこた》えて客待ちして居る陰気な一台の円タクを指先で呼び寄せました。 |嵯《ああ》、閣下よ、其の夜其の男の誘いに応じたが為に、其の行先の淫売宿で不可解な事実に遭遇し 貞淑であった妻に疑惑の心を抱き始め、遂には彼女を撲殺しなければならない恐ろしい結果を 導いて了ったので有ります。  男は運転手に行先を命じはしましたが、小声である為に私には聞き取れず、遠方かい、と訊 きますと、いいえ、直ぐ其処です、と答える許りで、自動車は十二時過ぎの夜半の|街衝《まち》を千束 町の電車停留所を左に|曲《カ ヴ》し、|合羽橋《かつぱぱし》、|菊屋橋《きくやぱし》を過ぎて|御徒町《おかちまち》に出で、更に|三筋町《みすじまち》の赤い電灯に 向って疾走して行きました。遊廓付近はそれでもおでん立ち飲みの屋台が車を並べ、狭い横丁 からカフェの女給仕の、此の儘別れてそれでよけりゃ、気強いお前は矢張り男よ、いえいえ妾 は別れられぬ、別れられぬーと音律も哀愁も無視した黄色い声が聞えて来、酔漢や標客が三 々五々姿を|彷径《さまよ》わせて居り、深い夜更けを想う為には時計を見る等しなければなりませんが、 一度其の区域を外れ貧しい小売商家街に這入りますれば、深夜の気配が求めずして身に|舞《ひしひし》々と 感じられます。更けると共に月は益々冴え、アスファルトの道に降りた夜露は凍って其の青い 光を吸い込んで居ります。自動車が三筋町の電停を一二町も過ぎ尚も疾走を続けようとした折 に、|夫迄《それまで》石の様に黙り続けて居た男が、運ちゃん、ストップ、と陰気な|嗅《かす》れ声を発しました。 閣下に是非共其の場所の探索を命じて戴き度い為に地理的正確さを以て誌し続け度いとは存じ ますが、何分其の際軽度乍ら酔って居りましたし、酔えば必ず記銘力を失い、時間と地理の観 念が極端に薄れて了うのが至極|遺憾《いかん》で有ります。男の案内に|従《つ》いて上った問題の家と云うのは、 電車街路に面した古本屋と果物屋、1多分斯うだったと思いますが、1の間の狭い路次を 這入り、其の突き当りの二階家だったのであります。奥に二坪許りの空地が有りまして、共同 水道が設置されてあり水の洩れて石畳の上に落ちる規則的な点滴の音が冷たそうに響いて居た のが私の耳に残って居ります。其の家は、1|判乎《はつきり》記憶には在りませんが、其の貧相な路次の 中では異彩を放つ粋な小造りの二階家で、男が硝子格子に口を押し付ける程近寄せて、今晩は、 と声を懸けると、内部からはいと答える四十女らしい者の|姻梛《あだ 》めいた声が聞えて来、夫迄消え ていた軒灯にぼっと灯が這入りまして、私達の立って居る所が|薄荘乎《ろすぼんやり》と明るくなりました。と 同時に、家の内部で人の動く気配がして誰かが階段を登る軋音が微かにミシリミシリと聞こえ た様であります。少々お待ちを、と男は言って、私を戸外に待たせた儘するすると格子を開け て忍びやかに内部へ姿を消しましたが、それと同時に其の家の二階に雨戸を引く音が聞えたの で思わず見上げますと、隣家の側面に向いた小窓から島田に結った真白い顔を覗かせ、柔軟な 腕を現わしつつ雨戸を引き乍ら私の方を見下ろして|嬬然《えんぜん》と流し目を送って来たのであります。 閣下よ、女は悪くないものです。其の夜の一夜妻が其の小娘で有る事を直ちに悟り、期待した 以上の上物なので情炎の更に燃え上るのを覚えました。|稽《やや》々あって男が…二寸格子戸を開き、 どうぞ、と声を掛けたので、いそいそと内部へ這入りましたが、男は私を玄関の|三和土《たたき》の|上《あがり》 |権《かまち》に座布団を置いて坐わらせた丈で、何故か室内には招じ入れませんでした。|建《まこと》に恐れ入り ますが、もう少々お待ちを願います、と言われて見れば詮方無く、不承不承命じられた所に腰 を下ろして、暫時合図を待つ事に致しました。斯う云う家が客を極端に警戒するものである事 は、特に説明する必要も有りますまい。私の腰掛けた場所の右手の恰度眼の位置に丸く切り抜 かれた小窓が有りまして、障子と障子の合わせ目が僅かに三四分程開いて、其の隙間から細い 光線が流れて居ります。其の部屋は茶ノ間と覚しく|凝乎《じつと》耳を澄ますと鉄瓶の沸る音がジィンジ ィンと聞え、部屋には最初の男を加えて三四人は居るものと想像され、時折大きな影法師がユ ラリユラリと其の丸窓に映るのであります。暫くの間私を案内した男は其の宿の内儀と、1 多分斯う想像するのですが、1周旋料に就いて小声で|秘鼠秘鼠《ひそひそ》と相談し合って居る様子であ りました。何事か符牒を用いて争って居るらしいので有ります。|動《やや》ともすると両者の声の高ま る所から想像すると、話が仲々妥協点に達しないらしく時折内儀の叩くらしいぼんぼんと響く 煙管の音が痴を混えて聞えて参ります。私は所在無さに室内の空気に好奇心を覚え障子の隙間 に片眼を当て7、、ついふらふらと内部を覗いて了いました。私の想像した通り、隙間の正面に は、長火鉢の傍らに四十格好の脂肪肥りにでっぷりした丸髭を結った内儀が煙管を弄び乍ら悠 然と控えて居るのが見え、右手に坐って居る男、1是は見えませんでしたが内儀の視線の方 向からそれと想像されます、1に向って|熾《さか》んに|捲《まく》し立てて居るのであります。内儀の隣りに、 即ち私の方から向って左手に、正しくもう一人の女が居る事が想像されました。彼女は南京豆 でも噛って居るらしく時折ぼきんぽきんと殻を割る音を立て乍ら、内儀の云う言葉に賛同を示 すらしく至極下品な調子で含み笑いをしつつ男に|椰楡《やゆ》的な嘲笑を浴せて居ります。最初の裡こ そ私は単なる好奇心を以て|窺《のぞ》いて居たのでありましたが、閣下よ、次の如き内儀の吐いた言葉 を突如耳にして、ギクリと心臓の突き上げられる様な病的な驚樗を覚えたのであります。内儀 は眉をキリキリとヒステリックに釣り上げ、|首垂《うなだ》れて居る男に向って斯う叫んだのでありまし た、ーバラされない内に、へえ左様ですかと|下手《したて》に出たらどうだい、女だからってお前さん 方に舐められる様な|妾《あたし》じゃないんだよ、ねえ、おふささんP-《  ち ち》|…  此の|台詞《せりふ》は、普通に聞いたのでは左程の意味も感ぜられますまい。陰惨な|荒《すさ》み切った淫売宿 の内儀が此の位の|啖呵《たんか》を切ったからとて些も不思議は無いので、私とても是迄場数を踏んで居 りまして所謂殺伐には馴れて居りますから、何事か|血腫《ちなまぐさ》い騒動が持ち上りそうな雰囲気に腰 を浮かせた訳では有りません。私のギクリとしたと言うのは、其の言葉尻の、明らかに同席の |今一人《  ちヤ》の|女《ヤ》に賛同を求める為に吐いた(ねえハおふささん)と云う呼名を|咄嵯《とつさ》に聞いたからで ありました。おふさ、房枝、おふさ、おふささん1言う迄も無く私自身の女房の名を連想し たからで有ります。閣下は、同名異人が居るではないかPIと仰言るかも知れません。元よ り房枝などと云う平凡な名前は東京中にても何百となく在りましょう。|乍然《しかしながら》、私があの場合 |悔《ぎよ》ッと衝動を受けたのは理屈ではありません。虫ノ知ラセと云うのは斯う云うのでありましょ うか。普通の場合ならば平気で黙過する筈であるのに、異様な好奇心に燃えて其の女の顔を確 め度いと云う衝動を覚えたのであります。私は腰を涯かしそっと息を殺して其の女の姿が視野 に這入る様二尺許り位置をずらせました。そうする事に依って女の側面の一部を窺う事が出来 たのであります。髪を真黒な丸髭に結い地味な模様の錦紗の纏いを滑らかに纏い、彼女が芸者 上りの人妻らしい女で有る事が直ちに想像され、チラザチラリと|灰《ほの》かに視野に入る横顔の噛み 付き度い程愛らしい鼻の上に淡褐色の色眼鏡が懸けられ、長火鉢の縁に肱を突き乍ら南京豆を 噛じって居るのですが、其の為に袖口が捲れて太股の様な柔らかい肉付の腕が妖しい程真白い 色に輝いて居ります。私は其の横顔を覗いて、思わずはあっと息を呑んで了いました。と云う のは、服装こそ|異《ちが》えそれがカフェ時代の房枝の再現だったからで有ります。閣下よ、よくお聞 き下さい。私は其処で、其の魔性の家で、私自身の妻を発見したのであります。是は断じて錯 覚でも無ければ、所謂関係妄想でも有りません。ましてや虚言を吐く必要が何処に在りましょ う?が、次の瞬間、ふん、|莫迦莫迦《ぱかばか》しい、今夜はどうかしてるんだナ、ふん……と心中眩い て、自分の率直な認識を否定して了いました、と云うのは、現在の妻が其の女程美しく装い得 る筈が無いからで、如何にも房枝は女給仕時代並びに同棲生活の当初に於いてこそ経済的にも 裕福であり、|逞《たくま》しい程の肉体的魅力を全身から溢れさせて居りましたが、其の後の家庭的困 窮|疲懸《ひへい》は残らず彼女から若い女の持つ魅力を奪い去って了い、一として私に関心を起させる秘 密を失って居るのであります。而も最も根強い理由は、世間からは|遊戯女《いたずらもの》の稼業の如く思われ て居るカフェの女給仕を勤めた身ではあるが、女の中で是程貞淑な女は居まいと思い込んで居 た房枝が、仮にも夜更けの淫売宿になど姿を現わす筈が無いと云う確信で有ります。妻房枝は、 其の時刻ともなれば亭主の放蕩に女らしい|愚痴《ぐち》を|渡《こぼ》す事すぢ諦らめて了い、水仕事と育児労働 と、1子供は生来の虚弱体質で絶えず腸カタルやら風邪に冒されて居て手の掛る事は並大抵 で無く、更に内職の針仕事に骨の髄迄疲れ果ててぐらぐら|高軒《たかいびき》を掻いて前後不覚に寝入って 居る筈であります。私は自分の莫迦らしい妄想を|嘲笑《わら》い、何時の間にか眼の前で両手を|確乎《しつかり》固 めて居るので急いで其の拳を解き、ふう……と溜息を洩らしました。其の裡に室内の談合は旨 く|見《けり》が付いたものと見え、|森《しん》と鎮まって居りました。女の事はどうしたんだろう。一つ催促で もして見ようか、と立ち上るなり悪く逆上して眼鏡が曇って居たので何心無く取り外し、二重 廻しの袖でレンズを拭き始めた時に、私は再びはっと奇妙な一致に撃たれてふらふらと腰を落 して了いました。室内のおふささんの懸けて居た淡褐色の金縁の日除眼鏡を反射的に思い涯べ たからで、|詰《つま》り、彼女の懸けて居る色眼鏡とそっくりの、而も金縁のそれを、私の学生時代新 派役者や軟派のヨタモンにかぶれて常用して居た事があり、最近ではとんと顧ず壊れ箪笥の|曳 出《ひきだし》にでも|蔵《しま》い込んで、其の儘房枝の処置に委せて居た事実を思い出したのであります。私の眼 は再び執拗に障子の隙間に吸い付かなければなりませんでした。室内のおふささんは最早や南 京豆を噛じる事は止めて、小楊子をせせり乍ら敷島か朝日の口付煙草の煙を至極姻梛っぼい手 付唇付で吹き出して居ましたが、何かの拍子に|居住《いずまい》いを組み直した瞬間-彼女の全貌を真正 面から眺める事が出来ました。鳴呼、閣下よ、其のおふささんは、瓜二つ以上、|双生児《ふたご》以上の、 |梶《くど》いようですが、ーカフェ時代の房枝では有りませんかP |而《そ》して更に私の疑惑を深めた所 作と言うのは、暫らく|凝乎《じつと》彼女を|噴《みつ》め続けて居ると彼女は時折眼鏡の懸具合が気になるらしく 真白い指先で眼鏡の柄を|弄《いじ》くるのでありますが、1それは間違い無く眼鏡の故障を立証する 所作であって、私の眼鏡も大分以前に其の柄が折れ掛った儘放置してあったので有ります。閣 下は又しても、ふふん、救い難き関係妄想じゃ、とお嘲笑いに成るかも知れません。従って|莚《ここ》 で、如何に私の|衝動《ショツク》が烈しいものであったかを説明申したとて無駄で有りましょう。私は其の 宿に来た目的も打ち忘れて、不可解な一致に荘然自失した儘、襖が開いて男が現われ、どうぞ お上りを、と掛けた言葉を夢の様な気持ちで聞いて居りました。一旦否定した疑惑が眼鏡を認 めるに及んで更に深まったのであります。万が一に、其の女が私の女房であるとして、何の目 的を以て夜半淫売宿なぞに姿を現わして居るので有りましょうかPI閣下よ、(私の悲劇) は右の如き一夜に其の不気味な序幕を開けたのであります。|干洞《ひから》び切った醜女があんなにも水 々しい妖艶な女と変じ、貞淑一途の女が亭主に隠れた淫売婦であろうとはPI此の世にこん な不可思議な事実が有り得るであろうか? 私は自分が正気である事を確信する為に、一歩一 歩脚に力を入れて案内をされた二階への階段を登って行きました。…  相手の女は期待したより上タマでは有りましたが、私の|情《こころ》には既に最前の|色情気分《エロテイシズム》は消えて 階下の疑問の女に注意が惹かれる許りでありました。如何にして歓楽を尽したか、1に就い ては記述の中心から離れる事ですし、或いは閣下は、精神病学的見地より私の性欲の詳しい説 明を欲せられるかも知れませんが、是は此の場合遠慮して直接口頭にて御答えする事に致しま しょう。相手の女は初々しいω|忌《スパズ》ω|日《ム》Φを以て私を攻め立てて来ましたが、一方私は御義理一点 張りの|目旨《エジヤキユレ》2一|呂《ェション》9にてそれに応じる責を果したに過ぎません。其の労働部屋は四畳半で、枕 許には|桃色《ピンク》のシェエドを被うたスタンド・ランプが灰かな灯を放ち、薄汚ない壁には、わたし やあなたにホーレン草、どうぞ嫁菜になり|蒲公英《たんぽぼ》、云々の|戯句《ざれく》が金粉模様の短冊に書かれて貼 って有りました。私は外面何気無く粧い其の戯句を繰返し眺め乍ら、今迄|階下《した》に居た眼鏡を懸 けた丸髭の女も客をとるのか、と第一の質問を発して見ました。すると女の答えるには、其の 眼鏡を懸けたおふささんには、|既《も》う情人が付いて居て、其の夜も其の男の来るのを待って居る との事で有りました。此の家で馴染に成ったのか、と重ねて訊きますと、ええそうよ、今は|蓮《とて》 も大熱々の最中よ、フリのお客なんかテンデ寄せ付けないわ、貴方、一眼惚れ?iと突込ん で参りますので、いや飛んでもない、よしんば惚れた所で|他人《ひと》の|情婦《いろ》じゃ始まらない、只一寸 気んなる事があったんでね、ととぼけますと、気んなる事って何あに、此方が却って気ンなる ミタイダワ、と来ますので、名前はおふささんと云うんだろ、実はあの|女《ひと》と同じ名前の、|而《しか》も 顔から姿迄そっくりの女を知って居るんでね、何かい、あの人は丸髭を結って居たが、人の細 君なのかい、旦那は何をして居るんだいつ-・ーとさり気無く追及して参りますと、相手は柳か 此方の熱心に不審を抱いたものか、一寸の間警戒の色を示しましたが、生来がお喋りなので有 りましょう、ええそうよ、お察しの通りよ、何でも御亭主って云う人が|破落戸《ならずもの》見たいな人で、 |小説書《 へちち》きなんですって、文士って駄目ね、浮気|者《もん》が多くって、貴方、文士だったら御免なさい、 と答えました。私の疑惑は弦に確定的なものと成りました。一時は悔ッと致しましたが表面は 益々落着いて、あんな綺麗な女の色男になるなんて果報者だな、其の果報者は何処の何奴だと |空呆《そらとぼ》けて訊きますと、相手は一層調子に乗って来て、それはそれは綺麗な美男子なのよ、|恰《まる》で 女見たいな。貴方、浅草の|寿座《ことぷきざ》に掛って居る芝居見た事あるP其の人は一座の|女形《おやま》なんで すって、今夜も|既《も》う今頃はお娯しみの最中よ、そりゃ仲が良くって、妾達|妬《や》ける位だわ、と野 放図も無く喋り立てます。最後に私の確信にとどめを|刺《 ちち》す|心算《つもり》で、おふささんは何処に住んで 居るんだい、まさか高円寺じゃあるまいね、と大きく呼吸をし乍ら質しますと、あら、やっぱ し高円寺よ、|屹度《きつと》おんなじ女じゃない? 何でも男の子が一人有るんですって、でも御亭主が 御亭主だからおふささんも大っぴらで好きな事をして居るらしいのよ、と淡々然と答えたので 有ります。|酒精《アルコ ル》の切れた時の私の心臓は非常に刺戟に弱いのでありまして、男の子が一人あ ると聞いた瞬間はドクドクと物凄い速力で暫しの間鳴って居りました。何故私が是程の動揺を 受けたのかと申しますと、それは妻の不貞の事実よりも、1それはそれとしてさして問題に す可き事柄ではありませんし、1其の時高円寺の|濫襖家《ぼろいえ》で口を開け高軒で眠って居る妻の姿 を想像すると同時に、今其の家で別のもう一人の妻を発見したと言う、彼の恐ろしい ∪○|勺《ドツペルゲエンゲル》の神秘を想起したからで有りました。閣下は、菰で|二重体《ドツペルゲエンゲル》を持ち出し た事に、わっはわっはと呵々大笑なさる事でしょう。|乍然《しかしながら》、閣下よ、是は古今東西に屡々実 例を見る動かし難い事実で有りまして、其の実例を挙げる者が何々教授何々博士と、1無学 文盲の徒に非ずして、謂わば最高の科学的智能を備えた学者達で有ると云うのは、何たる皮肉                         神秘の省康 で御座いましょう。詳しい事は独逸の∪『・≦■刃Z■"(∪一Φ"巴Φ三9書臼号ヨ○舎Φ葺三∞) 心霊界の探求 (∪一Φ⊂耳Φ易9言蹟旨『臼Φ○皿ω$ω≦Φεの二書に就いてお知り下さいまし。閣下は、此の 陳情書を閣下の御屋敷の豪華な書斎の暖炉に向いつつ、半ば嘲笑を混え乍ら御読みの事であり ましょう。そうして居られる閣下が、別の場所、例えば|新橋《しんばし》何々家で盃を嘗め乍ら芸者と歓を 共にして居るもう一人の自分が居るなどと想像する事は、余り気味の好い話では有りますまい。 私自身とて斯くの如き事実には全く信を措かざる者であります。が、前陳のおふささんと房枝 の問題を、どう解釈したらいいのでありましょう? 私は形式的に女と|同裳《どうきん》し乍ら、果してそ れが同名異人であるのか、房枝の早業か、|将又《はたまた》ドッペルゲエンゲルの怪奇に由来するものであ るか、1確めねば気の済まぬ気持に迄達して了ったのであります。それには女の言葉に依れ ばおふささんは|同《ち ち  》じ家で密夫と|逢曳《あいぴき》の最中との事であるから、夜の白むのを待たず高円寺の自 宅に取って返し、房枝の存在を確める事が一番近道で有ります。私は斯う決心すると、矢も楯 も堪らず女の不審がるのも耳にせず起き上って着物を着換えました。乍然、閣下よ、何と言う 不運で有りましょう、私は階段の降り口で、十五歳の折一度経験してそれ以来更に見なかった 硬直発作を起し、仰向け|態《ざま》に泡を吹いて顛落し、其の儘意識を失い、其の夜は肝心の疑惑を晴 らす事が不可能に終ったのであります。 253陳1青書  |如右《みぎのごとき》、奇妙な経験が動因と成って、閣下よ、私は疑惑十日の後、遂に妻房枝を殺害して了 ったのであります。以下、錯雑した記憶を辿り辿り、其の経路を出来る丈正確に叙述した上貴 重なる閣下の御判断を仰ぎ度いと存じます。  |借《さて》、それからの私は、妻の日常生活  些細な外出先から其の一挙手一投足に至る迄、萬遺 漏無き注視の眼を向ける事を怠りませんでした。問題の眼鏡に就いて確めた事は云う迄もあり ません。所が、如何なる解釈を施す可きか、其の眼鏡は私が嘗て無造作に投げ込んで置いた通 り、壊れ箪笥の曳出に元通り蔵って在るのでした。あの夜の妻の行動に就いて問い質した所、 彼女は無論夜半外出した事も無く、近所の家から依頼された縫物を終ると其の儘朝まで寝入っ て居たとの返事を、何の憶する所無く淡々述るので有りました。若し房枝があの夜のおふささ んで有るならば、私の硬直発作を目撃した筈でありまして、左様だとすれば到底斯くの如き平 静な答弁は為し得る筈が無く、尚更、房枝の水仕事にかさかさに成った両手を見るに及んで、 |動《やや》ともすれば私の疑惑は晴れかかるので有りました。此の醜い手が、あのなよなよした真白い 指に変わり得る事は不可能と考えねばなりません。閣下は、奇妙な一夜の出来事を逐一妻に語 り聞かせて率直に返事を聞き取り、疑いを晴らそうとしなかった私の不注意を|詰《なじ》られる事で有 りましょう。然し、私は私で、何としてもだにの様にこびり付いた猜疑の心を払い切る事が出 来ず、柳も此方の心を悟られない様注意を配り、其の油断を見済せてのっぴきならぬ確証を掴 んだ上出来る丈の制裁を加えてやろうと深く企らむ所があったのであります。  御推察通り、房枝の生活には何の変哲も見られませんでした。其処で私は第二段の予定行動 として、当夜の|敵娼《あいかた》の言を頼り、毎夜終演迄の三十分間を、1浅草の寿座の楽屋裏に身を潜 める事に致しました。即ち、偶には妻の方から誘いに出張る事もあろうと推察し、逢曳の現行 犯を捉える可く企らんだ訳であります。其の月の寿座には御承知のクリエータア・ダンデイ・ フオリイズ・レヴュウ団が公演され、相当の観客を呼んで居りました。劇場正面に飾られた 、、○力■》→■刃U,Z∪く司〇一■日ω..のネオンサインが浅草の人気を独占して居たかの様であり ---------------------[End of Page 18]--------------------- ます。房枝の情夫が女形であると言うのは・|皇《まこンら》に解せない話であります。何故ならば此のレヴ ユウ団は、ドラマとしてよりもスペクタクルとしての絢燗華麗な効果を狙った|見世物《シヨウ》を上演す る団体であって、美男俳優やギャッグ専門の喜劇役者を始めそれぞれ一流の歌姫や踊児などを 多数専属せしめ、絶対に女形を必要とする様なレベルトアールは組まないからで有ります。其 処で私は、女形と云うのをあの夜の女の思い違いであると断定し、大勢の男優達の中から、房 枝の情夫と考えて最も可能性のある美男のジャズ・シンガア|三村千代三《みむらちよぞう》を選び出しました。と 云うのも、彼が最も柄の小さく平素一見して女形の如き服装をして居る点を考えたからであり ます。御承知の通り、寿座の楽屋口は隣接の|曙館《あけぽのかん》の薄暗い塀に面して居りまして、|斜《はす》かいに |三好野《みよしの》の|暖簾《のれん》が向い合いに垂れて居ります。或る晩は泥酔者を粧い曙館の塀に|樽《うずくま》ったり、或 る晩は向いの三好野に喰い度くも無い汁粉の椀などを前に置いて、絶えず楽屋に出入する女に 注視の眼を見張ったり、1斯う云う無為の夜が三日許り続きまして、遂に最後の夜、二月末 の生暖い早くも春の前兆を想わせる無風の一夜-人眼を揮りつつ楽屋口に現われた妻房枝の、 換言すればおふささんの|紛《まご》う無き姿を発見する事が出来たのであります。-- 255陳情書  其の夜は、暖かい、1寧ろ季節外れの暖さでありまして、外套は勿論毛製のシャツなどか なぐり捨て度くなる様な不自然な暑いとでも謂い度い気温が、浅草中の歓楽街を包み、些も風 の動かない為に|凝乎《じつと》して居ても汗が滲み出る位で、さりとて何時寒く成るとも限らぬ不気味な 天候なので、思い切り薄着になる事も出来ず、平素に増した人波に群集はむんむん溜息を吐き 乍ら、人|燈《いき》れの中をぞろぞろ歩いて居るのでありました。妻は、雷門方面から伏眼加減に曙館 の正面を通り危うく衝突しそうになる行人を巧みに避け乍ら、|恰《あたカ》も役者の楽屋を訪問する事な ぞ少なくとも初めてでは無い事を証明する様に馴れ切った態度で、それでも流石一寸四囲に気 を配ってから、軽く声を掛けると、首を出した楽屋番とも顔馴染らしく、其の儘するすると戸 の内部に姿を消して了ったのであります。平素の身汚なさを|尽《ことごと》く払い落し、服装から姿態か ら眼鏡迄、あの水々しい淫売宿のおふささんに成り済ませて……。楽屋口から差す灯を微かに 半面に受けて、真白い横顔を薄暗の中に浮び上らせた女が、閣下よ、私の古臭い女房なのであ りましょうかP 予期した事とは云い乍ら其の予期通りの現実が腹立たしく、憎悪と嫉妬の片 鱗を覚え乍ら他方出来る丈苛酷な処置を施してやろうと、狂い上る感情を押え押えともすれば 失われ勝ちの冷酷さを呼び起そうと、懸命に努力して居りました。それから約二十分の間、私 は曙館の塀に身を潜めて妻と其の相手の現われるのを|凝乎《じつと》待って居たのであります。|逸《はや》る心を 抑えようとすればする程、口腔は熱し二重廻しの両袖が興奮から蝶の羽根の如く微かに震動し て居りました。乍然、閣下よ、それから二十分の後に現われた妻の情夫は、情夫と思われる人 物は、1意外にも三村千代三ではありませんでした。官疋に色の真白な女の如き優男ではあり ましたが、五尺三寸にも足らぬ小柄な華奢な肢体を真黒なモジリで包み襟元から鼻の辺迄薄色 のショオルで隠し灰色の軽々しいソフト帽子を眼深に冠った、一見して旧派の女形然たる千代 三とは似ても似つかぬ別人物ではありませんかP そして全身から陰気な幽霊の如き妖しい魅 力を漂わせて居る所は、|敦方《どちら》かと云えば明朗な美男である千代三の澄刺性とは全く異った雰囲 気であります。|閉館《はね》時の群集の為に、|動《やや》ともすれば二人の姿を見失い勝ちでありましたが、却 って其の足繁き人波が屈強の隠れ蓑と成りまして、肩を並べ伏眼加減に人眼を揮りつつ足早や に歩み去る二人の跡を、或る時は走り或る時は立ち止りなどして辛うじて尾行して行く事が出 来ました。二人は曙館|萬歳座《まんざいざ》の前を通って寿司屋横丁を過ぎ、|田原町《たわらまち》の電車停留場迄脇眼も振 らずに歩んで参りましたが、其処に客待ちして居る自動車を呼び寄て素早やく其の内に姿を隠 して了いました。勿論私は、飽く迄も尾行する決心だったので、間髪を容れず同じく自動車に 乗り込みあの前の|自動車《くるま》を追え、と運転手に命じたのであります。先の自動車は、相当の速力 で菊屋橋を過ぎ|車坂《くるまざか》に現れ更に前進して|上野広小路《うえのひろこうじ》の角を右に|曲《カ プ》して、|本郷《ほんゴう》方面に疾走して 行きました。ははあ、|天神下《てんじんした》の待合だな、ーと彼等の行先をひそかに想像して居りますと、 意外や自動車は運転手自身期待しなかったものか、キュキュ……つと急停車の悲鳴を挙げて、 |湯島天神《ゆしまてんじん》石段下で停った様でありました。私も反対側の車道で停車を命じ、席の窓から容子を 窺って居りますと、二人は四辺に人無きを幸いに手に手を取って一段一段|緩然《ゆつくり》と其の石段を上 って行くのであります。上の境内には待合や料理屋の如きものは在る筈はありません。|倦《さて》は暖 かいので散歩と|酒落《しやれ》るのか、と思いつつ、私も急ぎ車を捨てて二人が上り切った頃を見計って 石段を駈け上って行きました。 257陳清書  私が斯うして尾行して居る裡に、異常な快感の胸に迫るのを覚えた事を告白しなければなり ません。他人の弱点を抑え|雪隠詰《せつちんづ》めに追い詰めると云う事は気味の宜しい事で、|殊《こと》に自分の女 房が美しい女に成り済まし男との、《ランデプ 》場を取押える事は、|淫虐的《サデイステイツク》な興奮 さえ予想させたので有ります。妻と其の誰とも判らぬ男は、人無き境内の御堂の傍のベンチに 腰を下して、其の背後の樹立に私の潜んで居る事も知らずに、堅く手を組み合わせ肩と肩を|免《もた》 れ合わせた儘、暫しは動きませんでした。高台であるが為に二人の|縫《もつ》れ姿が、ぼっかりと夜空 に涯び上り、其の空の下には十一時過ぎの|街衝《まち》が眠た気なイリュミネエションに瞬いて居りま す。余程の馴染なので有りましょうか。二人はかなり永い間沈黙を続けて居りましたが、閣下 よ、最初に彼等の口から洩れた音と云うのが、何と、哀調綿々たる|戯歓《すすりなき》では有りませんかP  |凝然《じつと》黙って居た二人は、同じ様に肩を顕わせてしくしくと|叩《な》入き始めたのであります……。  浮気な|悪戯《いたずら》と思って居た私にとって、此の事は甚だ意外でありました。はっと息を呑んで其 の儘注視して居りますと、先ず泣き|歌《や》んだ男が、鼻を鳴らし乍ら、泣くのよそう、ね、泣くの よそうよ、と妻の背を|擦《さす》りつつ優しく|肋《いた》わり始めたのであります。泣いたって仕様が無い、ね、 一緒に死んだ方がいいよ、と妻の顔を覗き込んで眩きますと、妻は此の|哀愁《かなしみ》をどうなとしてく れと云った様な、いっそ|自暴《やけ》半分の乱調子で、いやいや、私は死なないわ、死なない、死なな い、だって……だって一緒に逃げれば、死ななくても済むんですもの、と逆襲して行きました。 男が其の儘返事に詰って黙って居りますと、私だって役者位やれます、ね、そうして、一緒に どっかへ、遠い所へ逃げて了いましょうよ、と重ねて泪混りに男を口説いて居る様子なのであ ります。そして二人が黙ると、次第に胸が苦しく成って来るものか再びさめざめと声を揃えて 戯歓を始めるのでありました。そう言う言葉の抑揚が、泪を混えた其の雰囲気が、何か夢の中 の悲哀の場面の如く感ぜられて、其の二人が悲しみの裡にも其の境遇を享楽して居ると云った ような、或る種の芝居がかった余裕が|判乎《はつきり》と分るので、却って逆に私の方ははっと現実的に返 ったのであります。畜生、|巫山戯《ふざけ》てやアがると、思わず心の裡で眩きました。そうして泪を流 す事が彼等の睦事なのではないのでしょうか? 続けて語られた密語は最早や記憶には有りま せん。思わず|赫《か》ッとなってスティックを握った儘、二人の前へ飛び出たのであります。・  閣下は、私が其の女を最早や決定的に「妻」と認定して居る事を、若しや早計と批難なさる かも知れません。醜悪な妻が有りもしない衣裳を何処からか引き出して来、|斑《まだ》らな髪を|真点《まんまる》な 丸髭に結い亭主の留守を見済ませて、密夫と逢曳を遂げるなどと云う事は、或いは不可能な又 は奇蹟かも知れません。が、私は付け難い判別にさ迷うよりは、其の焦燥を捨てていっそ妻と 決定して了った方が楽だったのであります。不時の|閣入者《ちんにゅうしゃ》を見て二人は、はっと身を退けま したが、私はむらむらと湧き起る憎念の抑え難く、房枝っ、と叫び態、握って居たスティック を右手に振り上げ呆気にとられて荘然たる妻の真向眼がけて、力委せに|打《ぶ》っ叩いたのでありま す。男は、何事か、私の無法を口の中で詰り乍ら、無手で私の体に打つかって来ましたが、私 の右手は殆んど機械の如き正確さで第二の打撃を相手に加える事に成功しました。|啄《あ》ッと面を 押えて|退《の》け|反《ぞ》った時に、今度は妻の方が再びもぞもぞと起き上る気配なので、我を忘れて駈け 寄るが早いか、体と云わず顔と云わず|滅多矢鱈《めつたやたら》に殴りつけました。皇にそれは忘我の陶酔境で ありまして、右手が疲れると左手に持ち直し、息の根絶えよと許りスティックの粉々に折れ尽 きる迄殴り続けたので有ります。最初の裡くねくねと体を|轟《うご》めかして居た妻も、臆ては気力尽 きてぐったり動かなくなったのを見済まして、私は悠然と落ちた帽子を拾い着崩れた着物の襟 を合わせ、是でいいんだ、ふん、是でいいんだ、と眩き乍ら、一歩一歩念を押す気持で石段を 下り、来懸る円タクを留めようと至極呑気な気持で待って居りました。  |誇《おか》しな陽気だと思って居りましたよ、旦那、やっぱり風が出て来ましたね、と云うハンドル を握った運転手の声に、それ迄ウツラウツラ居眠って居た私ははっと気付いて窓の外を眺めま すと、何処を通っているのか郊外の新開地らしく看板の並んだ商店街の旗や幟がパタパタ風に 翻って居りました。車が動き出すと同時に私は苦痛に近い疲労を覚え、割れる様な頭痛と絞ら れる様な吐気に攻め立てられ、到底眼を開けて居る事に堪えられず其の儘崩折れる様に席の上 に居眠って居たのであります。そしてそう云う肉体的変調が、閣下よ、持前の肉体痙攣1あ の発作の前兆だったのであります。むん、そうの様だね、と曖昧に答え又ウトウト始めますと、 運転手は|蓮《とて》も寒くなりました、旦那、風邪を惹きますよ、と注意を促して居る様でしたが、後 は耳に入らず其儘車の震動に身を委せて居眠りを続けて了いました。どの位経ったか全く憶え が有りませんが、旦那、火事ですよ、火事です、旦那、……と云う声にはっと眼を|宿《さま》しました。 其処は高円寺駅付近の商家道路で、乗って居る自動車は其の隅の方に停車して居るので、どう したんだ、と訊きますと、もう是以上這入れません、済みませんが降りて下さい、と云うので、 火事では大変だと思い|逮《あわ》てて道路に駈け降りますと、外は烈風に加うるに肉の|研《き》りとられる様 な寒さで、寝巻の上にどてらを羽織った男女が大勢道路の両側に立って居て、火事だ、火事だ、 何処だ、行って見ろ、等と口々に叫び乍ら脛を丸出しにして駈け去って行く人達の後から、ウ ーウーと痴高い警笛を鳴らしつつ数台の消防車が砂塵を立てて疾走して行くので有りまし た。私も|荘乎《ぼんやり》立って大勢の人の向いて居る方を眺めますと、南の空に火の粉がボーボー舞い上 って、立って居る所は風上で有りましたが、折柄の烈風で南へ南へと焔が次第に拡大して行く 様子なのであります。地勢から見て、私の借家は其の頃|鉋屑《かんなくず》の如く他愛無く燃え落ちた時分 なのでありましょう。子供の顔が眼先にちらついたのは憶えて居りますが、それから後の事は 全く追想する事が出来ません。私は、道端の人達の間に其の儘意識を失って倒れて了ったらし いので有ります。…・ 261陳【青書  何時だか|恰《まる》で見当も付きませんが、翌日眼を|宿《さま》した所が、閣下よ、A警察署なのであります。 刑事部屋へ呼び出されますと、黒い服を着た男が荘乎して居る私に姓名と住所を訊き糺した上、 御気の毒だね、|昨夜《ゆんべ》の火事で、あんたの|奥《ち ヤち キ》さんと|御子《  へ  》さんが|逃《 ちヤち》げ|遅《ち 》れて|焼《 ちち》け|死《ちち》んで|了《 ヤヤ》ったよ《ちち》|、 と悔みの言葉を吐くではありませんか? 昨夜人事不省に陥って居た私は、其の警察署で保護 を受けて居たらしいので有ります。有難い事です、至極有難い事です、が、1警察は昨夜湯 厨天神樽吋小私が要を険托レた事実む矩白かい心でかか山レ♪テか? 恐らくあれ位殴れば息 は切れた事と思います。それなのに、如何なる錯覚を起してか、子供は兎も角妻迄が、あのお ふささん迄が焼け死んだと云うのはP 可笑しいので思わずニヤニヤし乍ら、嘘ですよ、嘘で すよ、私に女房は二人ありませんからね、何かの間違いでしょう、と言いますと、相手は私の 顔を不思議想に凝乎黙って瞬めて居りましたが、多分此の頃から私を狂人扱いにしたらしいの です、1君は哀しくはないのかい、君はP 念の為にもう一度訊くが、君は高円寺一丁目の 文士|青地大六《あおちだいろく》さんでしょP ふん、ふん、そんなら焼死体は、君の家主の好意で三丁目の|大塚《おおつか》 外科病院に収容して有るから、早やく行って始末をして来給え、と殊勝らしく注告するのであ ります。私は益々可笑しくなりまして、刑事さん、私の女房は姦婦でして、昨夜或る所で男と の密会最中を発見し、私が此の手で撲殺して来たのですよ、一応取調べて下さい、と云います と、相手はぐっと乗り気に成って、一体それは何時頃か、と追及して参りました。私は大体の 時間を割り出して、十一時過ぎだったと思いますよ、と答えますと、相手は一寸の間考えて居 たが、急にいやアな苦笑いをし、変に憐慰の眼眸を向け、ふふふふ……何を云ってるんだ、君 は、昨夜の火事は十一時頃から熾え出して十二時過ぎ迄消えなかったんだぜ、君はどうかして いるよ、君は、同じ奥さんが二人居るなんて、そんな馬鹿な事があるもんかい、ささ、帰り給 え、行って早く始末をせにゃいかんよ、と到頭私を署外へ追い出して了ったので有ります。  其の後の事は、多分閣下もよく御存知の事と思います。即ち其の日の朝刊は、二つの小事件 を全然別個のものとして全市に報じて居たのであります。私は後々の為に其の二つの記事をス クラップして置きましたが、次に貼付して閣下の御眼に供する事に致します。  高円寺の大火ー昭和ハ年二月二十三日午後十一時頃、高円寺一丁目に居住する文 士青地大六(30歳)の外出中の借家より発火し火の手は折柄の烈風に猛威を揮って留 守居たりし大六氏の内妻房枝(29歳)及び一子守(2歳)は無惨にも逃げ遅れて焼死 を遂げた。乳呑子を抱えた房枝さんの半焼の悶死体が鎮火後発見せられ、当の青地氏 は屍体収容先三丁目大塚病院にて突然の不幸に意識が顛倒したものか屍体を前にして 頑強にそれが房枝さんで無い、人違いだと主張し、俺の女房は綺麗な着物を着た美人 だと叫んで居るが、屍体は裾の摺り切れたよれよれの銘仙を着した儘発見せられた。 目下原因を精密に調査中である。 263陳1青書  昨夜十一時頃浅草寿座出演中のダンデイ・フオリイズ・レヴュウ団専属女優美貌の |踊児《ダンサ 》島慶子(25歳)が本郷湯島天神境内にて突如暴漢に襲われた。顔面其他に数個の 打撲傷を負い、其場に昏倒して居るのを暁方になって境内の茶屋業主人成田作蔵さん が発見し、驚いて交番に駈けつけたものである。其夜慶子嬢は何故か大島の対、黒羅 紗のモヂリを着し男装をして居た。現場に日本髪用の|管《かんざし》ピン、女下駄等が捨てられ てある所より、痴情怨恨から犯人は女性ならんとの見込みもあるが、現場に数片に裂 けたステッキの遺棄ある所より主犯は矢張り男で、其の杖で殴打したものであろう。 慶子嬢は意識を取戻したが、此の暴行事件に就いては単に女の介在して居る事を肯定 せる|已《のみ》で何故か其他の事情に就いては、口を絨して語らぬ。荘然自失、|恐怖《ちちへ》の|表情《ちヤヘ》を 顔に表わし多く語るを避けて居る。因に同嬢は男装癖のある変態性欲者で異性には皆 目興味を持たぬと謂われて居る。 情が潜んで居るらしい。云々。・ 不気味な事件で、 裏面に男女の情痴を|続《めぐ》る複雑な事  閣下よ、1閣下は此の二つのスクラップから不可解な謎をお感じになりませんかP 即ち、 此の世に同一人物である私の妻房枝が同時に二人存在して居たと云う結論に到達しなければな らないので有ります。が、果して此んな不自然に近い奇蹟が有り得るで御座いましょうかP 迷いに迷った挙句、私はハタと次の如き過去の妻に関する一小事件を追想して、哀しくも私の 結論は決定的と成ったのであります。1それは、焼死した守が一歳の頃でありました。梅雨 のシトシト落ちる欝陶しい一夜、妻と家計の遣り繰りに就いて相談して居りますと、隣室に臥 て居た守が空腹の為か突然眼を覚し痴高い泣き声を立てて母を呼び始めました。私は向い合っ た妻に乳をやれと合図をしますと、妻も肯いて立ち上ったのでありますが、其の立ち上った瞬 間、隣室の子供が不図泣き|歌《や》んだのであります。乳房を|卿《ふく》ませてやらなければ絶対に泣き歓ま ぬ守が、其の場合急に静かになったので、何気無く好奇心を覚えて境目の襖を二尺程開き寝床 を覗いたのであります。すると、閣下よ、其の部屋には既に妻が居て長々と寝そべり乍ら私に 背を向けて守に乳を与えて居るではありませんかP 即ち傍らに立ち上った妻ともう一人隣室 の妻とを、瞬時ではありましたが同時に目撃した訳であります。おや、変だぞ、と気付いた時 には、既にもう一人の妻は消えて、消えたと同時に守は再び火のつく如く泣き立てたのであり ます。私以外に、無心の守迄がもう一人の母を見たに相違ありません。妻も自分の分身を発見 した筈で有りまして、額に幾条かの冷汗を垂らし乍ら急いで守に乳房を御ませる動作に移って 了いましたので、其の事件は其の儘私の幻覚として忘れ去って了いました。妻の真蒼に成った 顔色を今でも思い浮べる事が出来ます。閣下よ、妻は正しく不思議な病気、1若しそれが病 気と呼び得るならば、ードッペルゲエンゲルの重篤患者に相違ありません。鳴呼、閣下は又 しても私を嘲笑して居られますね。小説家である私が別個の新聞記事を土台として、以上の如 き実話風な物語を創り出したのであろうと? 私は真剣であります。其の為私の神経組織は病 的な程、け9|一《フイブル》Φに成って居ります。斯う云う私を嘲笑なさる事は一種の不徳で有り侮辱で有り、 私は閣下に決闘を申し込まねばなりません。  倦、閣下よ、以上で私の陳情の目的が何であるか御判りになった事と存じます。よしんばそ れが二人の妻の片方で有ろうとも、私の殺人罪には変わりは御座いません。即刻私を召喚して 下さい、其の用意は出来て居ります。狂人の名を付せられる位ならば、寧ろ私は死刑を選びま す。妻の同性愛の相手島慶子と云う踊児をも、もっと厳重に訊問したならば、或いは此の事件 は解決を見るかも知れません。慶子は己が所業に恐怖を感じて居た由では有りませぬかP 如 何な秘密を、彼女は持っているのでありましょうP 殴打後私が立ち去ってから妻の屍体が紛 失する迄の、慶子の行為こそ問題ではありませんかP 或いは今だに房枝は生きて居て、何処 かに隠匿されて居るのかも知れません。それには茶屋業主人成田作蔵と云う男が共謀して居る かも知れぬではありませんかp 以来半歳-あの事件はあの儘埋没して了いました。私は閣 下の怠慢を責めねばなりません。私の|抗議《プロテスト》が、全然出鱈目であるか或いは|宇宙《 ちち》に|於《ち 》ける|一片《 ち 》 の真実であるか、厳密に究明すれば私自身にすら判りません。只私は微塵の作為も無く以上を 綴った事を、断言する事が出来る|已《のみ》であります。最後に、1私を飽く迄も妄想性精神病患者 とお考えならば、何卒精神鑑定を施して下さる事をお願い致します。出頭の用意は既に出来て 居ります。  さようなら、閣下よ、閣下の繁栄を祈り居ります。                        東京市杉並区高円寺五丁目                               青地 大 六 拝   M警視総監閣下                                 (一九三四年七月号) ---------------------[End of Page 30]---------------------