つづれの錦 直木三十五          一  蹴傭元年六月二日、磁齢太左衛門義によって堀又右衛門を討つ。俗にいう「岡山の仇討」。 麗五十年近くを経たる、文化元年、熊本の郊外滞蹴芋騨で、岩井善次郎十三歳の小腕で青山 弾正を斬る。二つを合せたものが「ガ舞蔀塘」。 「青江π陽二つ胴、先祖伝来、ずんと斬れます」  玩辞楼ーこの俳名少し気になる。御世辞のいいのを以て鳴る此の人、臆面も無く付けて 辞を玩すると、酒落にしても人を少し食いすぎている。それで齢がよらぬ、と、いよいよい けないIl十二曲の内。花道七三まで行きかかった弟を呼留めて、右手《めて》の油壼を左へ持換え ろと注意し、 「伽礫を持ったさ茸いの心得」  と、尤《もつと》もらしいことを教える。見物、成程、右手を空けておくとすぐ刀が抜ける、心得ご とやと呑込むが、刀法から見ると大いに下可《ごユノ》ない。 |謹《うそ》と思ったらやって見るがいい。右手だけで抜いた刀、きっと鞘《さや》ぐるみ、ずるずると抜け てくる。もし鞘がくっついて来ない刀だったら此鯉口、締りが無くて僻むいただけで鞘走っ てしまうだろう。鯉口は親指に力を入れて押さなければ切れるもので無い。芝居の刀には種 と仕掛けがあるから「長七郎の馬斬り」鴉治郎の上を行って、左手《ゆんで》で抜討をする。剣法諸流 椎そ百三十流、こんな器用な法は何流にもない。仁左衛門の凝り性、ちっと気をつけてく れ。  武道の心得としては長三郎の弟、右手に油壷をもって「仇敵もつ身の心得」でいい。伊齢 かというと、右手の油壼は当座の目潰し、斌ヲに描つけるーと油がかかる。油をかけると 調子に乗ってくるから、とこれは駄酒落だが、拠つけておいて空いた左手で鯉口を切ってお き、対手が油壼を避ける間、右手で抜く。  能楽は武家の見る物とされていたから、こういうことは芝居より正しい。「熊坂」に出て くる牛若丸など、心形刀流で謂う表七本の太刀の内の「獅子乱刀」「虎乱入」などの型を ちゃんと心得ていて、多勢を対手に太刀打をする様、法式どおりに律っている。  大安寺堤は奈良と郡山とをつなぐ路、「御乳母の火」という怪談が、此堤の口碑として残 っているが、ここへ瀧鍵小屋を持えたのは作者の矩慧。狂言部屋で書いたのだろうが行って |御覧《ごろう》じろ、乞食の集まりそうにもない寂蓼さ。近くに奈良があって廃寺多く、参詣人賑か、 食を求むるに便、風を防ぐに利、誼という事は一目して判るが、作者の種は右に申す二つの 仇討で、大安寺堤実は岡山郊外の洞穴と、熊本の街外れの堤と、満更根も葉も無いことでも ない。  事の起りは、一つが郭傭ヤハ年、一つは不明。原因、径路とまず仇討の定石どおりだが、 狂言作者の作りごとよりは、実説の方が面白い。加賀の金沢、田村幸太郎邸の角力《すもう》から物語 は始まって行く。          二  堀又右衛門酔眼、一座を見廻しながら左右へ大手を拡げ、 「どうだ。これからこうが拙者の組、それからそっちが田村の組、源平に別れて一番|相撲《すま》お うでないか」  と云い出した。又右衛門、剣に達し督力《りよりよく》も強い。そして主人《あるじ》田村幸太郎と同役同格。六百 石と云えば大藩加賀の前田としては左《さ》しての上席で無いが、左まで下に付く禄高でも無い。 一座二十二一二人の中では、格、武芸共に抜群。 コ興じゃ。皆負けるな、端から順に降立とうぞ」  と、主人の言葉に、 「稲田、参れ。一番砂を掴ましてくれる」 「この時義経少しも騒がずー」  と稲田某、灘膿脱いで悠々と庭へ降りる。又右衛門、自ら扇子をとって、 「見合った、いいか。はっ」  と引く。むずと組む芝生の上、暫し揉合うとみる、押切られて稲田引退く。 「野村出い、負けるでないぞ」 と、又右衛門大いに努めたが、味方の面々ころりころりと転《ころ》がるから、大いに不愉快にな って来た。今時の人なら力較べに負けた位で本気に怒る人も無かろうが、享保十八年という 武家時代、自分の値打が下ったようでじりじり苛立ってきた。 「馬鹿め。負ける奴があるか。幸太郎一番来い」  と扇を持って座敷へ向う。 「乱軍とみて、大将自ら現れ出たな。よし行くぞ、吾こそ橿詳天皇五代の衡厭、西農の武蔵 坊弁慶なり」  と言いつつ、降りて拡げる大手。無言のまま組つく又右衛門、押す、瑠る。互に酒臭き呼 |吸《き》を吐きながら、次第々々に真剣な面地《おももち》。 「何を」  と叫ぶ又右衛門、撤らんとするその機、その手を押えて釣らんとする。技も術も何んにも ない。力に任した相撲、幸太郎金剛力に釣上げるや、酒に任せた取扱い方、遠慮も無くどつ と投出す。同じように無遠慮な蔀鵡廿の喚声。一座酔くずれているから気にも留めなかった が、又右衛門の心中、そうは行かない。汗を拭うふりをして次へ立ったがそのまま邸へ戻っ てしまう。  それから幾日か、或は幾月か後。幸太郎下城、供人に提灯を持たせ急ぎ足に屋敷町を戻 る。鶴誕えどおりの暗討場。又右衛門に深い遺恨があろうとは思わないし、他に恨まれる者 も無し、夜は更けたが勝手知った道、心懸りのことでもあれば武士の心得、夜道は避ける し、通るにしても広い道、斬りに来ても足音を聞いて刀を抜く位の距離のある所を行くが、 覚えが無いから木の下闇、横からやられれば避けもできない所を戻ってきた。  行逢った又右衛門、無提灯で一人、前からくる提灯をみると幸太郎の紋所、時もよし、場 所もよし。さっと樹灘に入って草履を脱棄て、手早い齢堵股立ち取って鯉口を切る。やりす ごして無言のまま、耳の下から肩へ一太刀。発止と叩かれたように感じた幸太郎、思わずた たと四五間走ったが、流れ出る血のぬるみ、くらくらと目眩《めまい》する頭、踏止まって、 「卑怯者っ」  と、抜く。構えたる隙も無く追い槌った又右衛門、真向から斬込んだが、必死の力、辛く も受けは受けたが、斬返せない。畳込んでくる太刀、受損じると共に、どっと尻餅をついて しまった。  供の小者。はっとした目の前に刀の響、身体が固くなると共に独りでに足が駈出す。邸の 前へきて門を開けようとすると、火の消えた提灯を一生懸命握っているので、やっと我に返 る。          三  幸太郎の弟伝右衛門、と舞いを済ましてすぐ齪諦瞬げを出す。 「描ぴの儀叢識す」 と、目附役から許し状が届く。同時に藩の使が江戸表へ立って、「公儀御帳」へ、田村伝 右衛門敵討に出るということを届けに行く。届済みになると、届済書が廻ってくる。つまり 敵討の公許状。この書附さえ一本あれば、伽齪を見つけると、その土地の役人へ届出て便宜 を計ってもらえるし、鵬鉢瞬の勝負をしても私闘とまちがって取調べられる虞ポ無い。  一族、朋友を招いて旅立ちの酒宴、殿から拝領の一腰を床の間へ飾って、又右衛門の行方 の心当りを一同に聞く。江戸へ行ったか、上方へ去ったか、こういう時には丁度両土地の真 ん中頃に当る金沢からは探しに出にくい。御膳の上へ箸を立てて、 「右なら江戸、左なら上方lはて左ヘ斜に、まず此辺りだと山中、山代。さては猪でも討 取って居るかな」  と、箸で占ったが、衆議がそう傾いたか、伝右衛門、江戸を志して、富山から信州路へ入 って中仙道を新宿へ、この間が二一二年も経ったか、とにかく昔の人はのんびりして居る。最 も長い間探し廻っていたのが五十三年間、陛鄭風陽山寺で、源ハ郎なる者を討取った「とま せ。宥憲《ゆうけん》」という母子の仇討、謹のような話である。  江戸を探すこと一二年、何の手がかりも無いから東北へ志す。仙台へ入ろうとする二つ三 つ前の騨躍。茶店で腰でも掛けていたか、蹴信の廊下でばったり逢ったか、 「これはこれは」 「不思議な対面」  と、知人に出逢った。 「堀又右衛門、さあ、あの仁なら、小林浅右衛門と改めて備前の岡山に居る」 「箸の占からとんでも無い方角へ来てしまった」 「何?」 「いや1然《しか》らば御免」  と、いくら伝右衛門でも、三百里あべこべの方ヘきていては、少しがっかりしたであろ う。元来た避を引返して、海道筋を三百里、夜に日を継いで備前岡山池田公の城下へ入る。  金沢という所は方言のひどい土地、岡山が妙な託りのある所、うかうかと金沢弁で、 「この辺に小林という」  などと探しては気づかれてしまう。それに見慣れぬ齢鵡廿舞吐仇敵をさがすと広い岡山だ が、自分を匿《カく》すには狭く感じる。何になったらよかろう、と伝右衛門考えたが、どういうつ もり勤《 さ》 「乞食がいい」  と思った。尤《もつと》も六月のこと、素人の乞食初めには持って来いの季節、蚊だけうるさいが金 もかからず涼しくていい。  探し求めた洞穴《ほらあな》、前が河で顔を洗うに便、穴の中へ衣服大小を匿して、御読えどおりの芝 居がかり、汚い手拭に面をつつみ、短刀を懐《ふとソしろ》にして、侍町の此処彼処、夜となく昼とな く、小林浅右衛門の表札を求め、朝と夕は大手の濠端、登城下城の人々をうかがう。          四  舞ムロ。  一段高く小丘、その真中に洞穴、左右松の樹の繁り、横に河、幕が開くと暫らく風音だ け。  上手より小西太左衛門、「大安寺堤」なら故梅玉の役。成田仁右衛門、箱登羅《はワしとら》でもいいが、 中々いい役で菊五郎なら、「天下茶屋」の安達元右衛門で手心があろうという所。少し三枚 目がからせるが、その辺り御容赦。  記録によると「釣の帰途」とあるが、海に遠い岡山、葺遡海からの戻りでもあるまいし、 河にしては真夜中だから遅すぎる。仁右衛門、女房の顔を考えると心艇ぴ平かでない。 「落語でよくいうが、それで一つ静府仔すかな。この魚か、これは轍鍵鮮ピ申し、目も口も 無い。だから板に乗ってぺたんぺたんと浮いて参る」 「仁右衛門、何を獲謹…っている」 「いや、こっちのこと、さあ祓醗急げ急げ」  で、洞穴の前へかかる。太左衛門通りすぎ、仁右衛門がその前までくると、穴の中で咳払 い。 「ややや」  で、とんとんと飛びすさり、刀の柄へ手をかけて屍っぴり腰、 「だだだだ誰だ。な、何者だあlI」  答えが無いので、恐わ恐わ覗いてみるが、すぐ後戻して齪麟の手にしている釣竿をとり、 穴の中へそろりそろりと入れて、急にぐるぐると掻廻す。穴の中から、 「何を為《な》さる」  と、人の声に、 「いや、居たぞ居たぞ、奴乞食《どこじき》め、出い、出い、出い。いやさ、きりきり出い」 「仁右衛門、早く参ろうではないか」 「いんにゃ。身共の命を三年縮めたこの乞食、幸い求めた擁嘩の一刀……うむ、生胴試して ……」  と、脚を割って大見得と。どうも実説の方が大歌舞伎で面白いようである。仁右衛門が出 ろという。穴の中から、空腹と病気で出られぬと答える。 「どうせ長い命でもあるまい。一思いに死んだらどうだ」  と言った。本当に乞食していて、朝から御貰いが無く、そして病気に榴っていたって、こ れは】寸《ちよつと》困る。医師が、一寸といって親族の者を扉の外へ呼出すのを見ていても、中々死ぬ などとは考えられないものである。穴の中の伝右衛門、無法な士《さむらい》もあるものだと呆れなが ら、 「乞食をしておりましても命だけは又別なもの」 と、この辺「大安寺堤」の聾のとおりでいいだろう。仁右衛門、どう云っても聞入れな いから、 「よん所も御座らぬ。出て参ろう。斬れるものなら存分に御斬りなされい」  と、刀を戯ヂに悠々と出てきた姿を見ると立派な武士である。 「やあ、やあやあ」 「ちと仔細あって此処に一夜の露を凌ぐ者、酔いざれ武士の雑言と、言わせておけば理不尽 にも、試し斬の生胴のと……」  と、詰寄られたから仁右衛門も一寸困った。太左衛門もこう成ると捨てておけないから、 後戻りして鄭壷炉挨拶で朋輩の無礼を謝し、いつも乞食の寝泊りしている洞穴、貴殿と知ら ずに言ったこと、と事情を述べて陳謝し「然し、爆搬あってこの穴の中に」と穏かに瞥めた が、そう云われると伝右衛門も隠しておけない。不審の者として引立てられるだけの怪しさ は伝右衛門の方にもある。芝居にしてしまったから此仁右衛門、箱登羅所《はことらどころ》の三枚目だが、実 際はそうでもなかろう。太左衛門とて朋友の間、それがやり込められたのだから、真逆と云 わば腕立てもしかねまい。 五 伝右衛門、 「御不審な御尤《りしもつと》も」 と、愚子の尻へ当てる低い床几《しよ つぎ》に腰をおろして、 「漉、そ描しは金沢生れ、仔細御座ってこの姿」 と、「公儀御届け済み」の書面。仁右衛門首を延ばして眺めてみ、 「むむむむ、察するに避わずilいや、天晴れ天晴れ」 と、この辺松助ならうまかろう。太左衛門、書面といい言葉の端々といい、鳳炉無しと知 って、 「してして、献ぴ名は何んと」 仁右衛門、又顔を突出して、 「憎い仇敵の名は何んと」 「うむ、近頃仕官した小林浅右衛門、金沢詑と存じたが」 「さては御存じ?」 「知らぬ所か、大の仲よし」  と、仁右衛門少し小うるさくでしゃばる。少し古い型だが、ちえか郷けない、仇の鶴ル糊り し上は今から、と立上るのを押止めて、此処まで謝き出して討たせようと約束をする。 「程無く夜が明け申そう故」  で、コケコッコウ。  伝右衛門、嬉しさの余り、懐中していた金子を取出し、 「最早《もはや》無用の物、御芳志に対し何の御礼を申してよろしいやら、ぶしつけとは存ずれどこの 金子、拙者の寸志として御受納下されませぬか」  と差出す。仁右衛門又目を丸くして首を延ばし、太左衛門に目で叱られる。太左衛門、素《もと》 より受けとるべくも無い。 「武士の誓言、違背御座らぬ。その金子はまず、まず」  と、ここで二人が立去る。揚幕へ入るまで伏拝んでいて、やがて、穴の中へ引込む。再 び、コケコツコウ。  揚幕が開く、仁右衛門|面《おもて》を包んで、跣足《はだし》、そろそろと向うを伺いつつ近寄ってくる。花道 で仕草いろいろ、箱登羅より菊五郎の方がいいと云ったのはこの辺のこと。次第々々に洞穴 へ近寄って、刀を抜いて、ああか、こうかと、いろいろ斬る真似よろしくあって、とど振冠 る洞穴の入口、 「田村氏、出られい、御約束の如く同道っ儂っった」  穴の中から、 「千万……」  と云いつつ、張子の首を差出す。 「えいっ」  ころころと転がる。 「いや、もろい奴」 と、穴の中へ手を差入れて、刀に金子を奪取り、行こうとして又引返し、死体をずるずる と引擦って、川の中へ投込む。花道のつけ際からの引込み、半分引戻された形で、たどたど しながら、面白砂勢しくー。どうも「大安寺堤」はこの型の方が面白い。          六 「成田殿が御越しで御座ります」 「御通し申せ」  と、夜の薄明け。朝になれば浅右衛門を誘い出して連れて行く手筈。途中で別れた仁右衛 門のくるのを待っていたのである。入ってきた仁右衛門は大小を二組提げている。 「先刻は」  といったとき、仁右衛門の只ならぬ気配、武士同志の細《こまか》い注意から、見覚のある腰の物に 不審の醗堆、 「その刀は」 「されば……後躰、金沢藩士などと名乗っているが、何処の人間だか、今一太刀に……」 「殺した?」 「芯櫨、君の覚えめでたき小林を手引して殺しては後日の答めも奴佛、また……」 「待て、何処の人間であろうと、なかろうと、何故拙者に無断で殺した」 「貴公に云えば又……」 「御身は公儀御帳届済みの書面も金沢方言もこ穫とく鳳炉と云うのか。拙者等を見込んだれば こそ、貯櫻の大事も打明けた伝右衛門」 「あんな書類など、本当か誼か……」  と云争っている内に太左衛門の目に溜が浮んできた。 「刀を見せい」 「中身も確なら、作りもいいぞ」  と、渡す一刀、 「伝右衛門の形見じゃ」  と云いつつ、鞘を払う。灯の下にすかしてみて、はらはらと泪を落していたが、 「仁右衛門、貴公武士の情を存じているか、武士の意地を存じているか。覚えておけ、此鵡 茸っ」 と、大喝、片膝さっと立ったが早いか、片手突きに仁右衛門の咽喉《のど》を突いた。どっと倒れ ながら、右手で腰刀を抜いたが、受ける力も無く、二一二度起き上ろうとしながら、露鷹を押 えて少し這っただけ。無言のままじっとそれを凝視《みつ》めていた太左衛門、物音に驚いて馳つけ た若武士に、 「死体を持仏間へ運んでおけ、それから、川岸のあの丘の所に洞穴があろう。小者に其処に 死体が無いか探させい。見つからば鄭壷ぽ運んで参れ」  と指図《さしず》して、目付役宅へ。仔細を訴え出て小林浅右衛門の旧悪を告げた。仁右衛門の懐《ふところ》 から出た、例の「届け済み書類」疑うべくも無い。太左衛門が伝右衛門の志をつぐ仇討差許 すという事になった。  伽齪に廻った人間、いつもよく云われないが、武士の意地として殺さねばならぬことがあ る。殺して立退く、隅腱う。こうして硯われている間に、逃げ匿れしても卑怯で無いとして あるし、それを匿《カく》しておくのも武士の意地と称讃していいことになっている。  従って返り討ということも、附規う者を持つ者にとって許されていることで、返り討にな った者を灘れむと共に、返り討にした者は天晴れとされていた。崇禅寺馬場など助太刀が多 くて卑怯であったが、あれなども生田伝ハ郎から勝負しようといってやがるが、そうして返 り討にしてしまえばそれでもよかった。高倉長右衛門なども返り討にしたため大いに武名を 揚げて、「鷹ざ鶯]の名を唱われたものである。  一樹の蔭の縁、伝右衛門と太左衛門の友情。勿論|嘉《よみ》すべきであるが、堀又右衛門と太左衛 門との間は、敵討よりも意地と意地との決闘に近い。敵討もいろいろあるが、一寸《ちよつと》類のない 種類のものである。          七  幸太郎討たれてより六年目、寛保元年六月二日、暑さ盛りの頃ゆえ、早朝から出ませいと のム果刀。前夜から持仏間に灯を立て、夫の勝利を念じている妻子を呼んで太左衛門、 「意地なれば是非も無い。今日の斌ヲ浅右衛門は知るようになかなか名誉の腕前、わしに勝 味があろうとは考えられぬ。よし、八幡《はちまん》の加護あって、目出度く討取ったにせよ、生死の程 も知れぬ手傷を受けようも知れぬ。かまえて無事に戻ると思うな」 と、藩悶れたる長さ六尺、三寸穂の手槍、鍵僻寿つけず、昔鷹ぎ黒の定紋染めたるを 重着し、齢横鶴げ草履供二人を連れて邸を出る。  定められたる城内の広場、四方を小者に固めさせて検分の役人家中の武士が取囲む。足軽 四人が真中に二人の足場を示せば、合図の扇に東西の溜より出る二人。 「尋常に勝負なされませい」  と、足軽さっと棒を引く。 「止む無き義によって御対手致す。討つ討たるるは時の運と思召《おましめ》されい」 「如偉にも、御見上げ申したる瀞され方、浅右衛門感じ入り申す。さらば尋常に」 「いざ」 「さ」  と、さっと引く。太左衛門槍を上段に、浅右衛門同じく刀を上段に。講釈師だと、上段と 云えば振冠るものと心得ているが、嫌ヲの首から上へつけるのが上段、胸から腹へつけるの が中段、腰から下へが下段。上段につけた槍へ上段で向ったが、じりじりと下へ降る刀尖、 断えず足と切先とを動かしつつ、隙を計る様、浅右衛門の腕前噂の如く迂闊に突けない。  暫らくの睨合、浅右衛門の声で、一足進む。さっと引く槍、付入ってととと、繰出さば払 って懐へとび込まんと寄る。引入らすまじと飛退って繰出す。払う、引く、繰返す。旭を受 けて刀槍閃くこと二一二度。二人が踏止まったかと思う「間《かん》」、 「ほう」  と、太左衛門の叫声、流星の如く流れる槍、発止と払ったから手許ヘ大繰りに引くと思い の外、一尺余り引くと見る、次の瞬間さっと浅右衛門の額へ、 「うむ」  と捻きつつ、よろめいたが右手の一閃、槍の柄を斬ろうとするのを、繰引いて返す石突、 大薙に双手《もろて》の力を込めて腕を打つ。浅右衛門の右手を離れて刀が落ちる。と共に二一二歩前へ よろめき出たかと思うとどっと倒れてしまった。近よりつつ、暫らく様子を伺っていた太左 衛門、さっと首に一槍くれたが動かないのをみると、槍を捨てた。  終ったと見る足軽、ばらばらと走り寄る時、屍《かばね》の側へ片膝立て、着物を寛《くつろ》げている太左衛門、 「何とて腹を為《な》さる」  と大声に叫ぶ。この声に検視の役人が走ってくる。 「そ驚しの望みはこれにて遂げ申した。殿の家来を二人まで盤りに殺したる拙者、このまま捨 ておいては捉の表に係《かかわ》り申そう。切腹の儀許されい」 「御尤《ごもつと》も、然し、この事上聞に達せぬ内、御勝手の振舞なされては反って不義に当ろう」  と、池田侯へ上申すると、天晴れな者、答めは無いぞ、と反って加増。一寸類の無い、お せっかいの仇討であるが、さて「大安寺堤」の油買いに行く弟はどういう所から出ている か。即ち話は清閑寺原と、別に一つの物語に変って行く。          八  淀侯の家来、岩井善右衛門、四十を越してから湯女《ゆな》に溺れた。役が御勝手方、今の会計 掛。今日は一両、明日は二両と胡麻化《ごまか》していたが一人ではと相役赤松久之丞を誘う。通うこ と半歳。事発覚、御役御免につづいて追放。  四十面下げて今から、動きますチンチンでもあるまいと、久之丞は国元、遠州若林村ヘ引 込んで浪人生活の定石どおり、寺小屋という物を開いて細々の煙。この時分の浪人というも のは実にみじめ、四谷怪談で無いが傘張りに、くし削り、剣術ができると賭場防ぎか、質屋 の夜警、大道占に謡曲の流し。旗本の御歴々でさえ食えなかったのだから、小大名の下役の 浪人など、どうにも暮しようが無い。久之丞、魚は浜名湖からとるが、山家育ちの弟子七人 やハ人、次第々々に貧しくなって行く。  岩井善右衛門、彼は御勝手方だが、梶派一刀流免許の腕前、小野派一刀流から梶正直が一 流を開いたもの。当時中々灘律っていた剣道。町道場で代稽古をしているうちに、手蔓がで きて博多の黒田家へ召抱になった。国詰になって殿と共に帰国、女は好きだが心懸けは頼も しい善右衛門、海道を下る途次浜松に泊る。ここから書面を久之丞へ当てたが、 「仕官をして博多へ下る。すぐ後を追って参られい。何んとか取もち仕ろう」  という文面である。久之丞喜んで伜源次郎ハ九歳、このまま遠州に止めておいては水呑百 姓も覚束ないと、旅費を調《ととの》えて博多へ下る。 「伜を頼みたい、厳しく薫陶《くんとう》して何とか一人前にーしかし御勝手方だけは懲りたから」  と親心、己れはそのまま帰国して、村の世話、仲介役《なこうどやく》に日を送る。善右衛門、己《おのれ》の伜半之 丞と共に源次郎へ、四書五経から柔剣両道、手にとって教えること、数年。性が利口で負け ず嫌い、身体が強くて熱心、十七八になって目録の腕、召出されて中小姓になる。  善右衛門の女房というのが余りよくなかったらしい。湯女に溺れたのも半分その罪、源次 郎の心、少しずつひがみかけたのもその罪。世間を知るにつれて源次郎、生意気になってき て、中々云うことを聞かなくなる。ぷいと横を向いて返事をしない時もあるし、半之丞をい じめる日もある。朋輩と喧嘩して尻をもち込まれる、酒を飲んで乱暴をする。どうも始末に おえなくなったから善右衛門、 「源次郎、もう堪忍ならぬ。国へ帰れ、国へ戻って寺小屋をせい。生兵法を鼻にかけて毎度 の喧嘩沙汰堪忍ならぬ。出て行け」  源次郎黙然、いくら叱られても傭むいているだけ、 「忘れたか、親爺と二人寒中檎'枚をきてきたのを、その時親爺が何んと云った……」                                       醇か 善右衛門も源次郎の強情を見ていると、むかむかしてきて、いろんな棚卸しをして耳しめ たから、源次郎むっとした。 「さあ、出て行け」  詫もしなければ立ちもしない。 「僻艇出て行かぬ」  といったとき、源次郎顔を挙げてきっと善右衛門を睨む。堪り兼ねて、 「己れっ」  と、机上の鉄扇をとる。 「何をっ」  と裂畠の如き声、さっと立つ、飛かかった血気の若者。善右衛門仰向きに倒れるのを、抜 討に、 「これでも生兵法かっ」  と斬つける。そのまま玄関へ、物音に次の間から、女房が出てくると並嫌んでしまった。 抜合さなかったというので、岩井の家断絶。半之丞と善次郎、半三郎と、十七を頭に三人の 子供が残っただけになってしまった。          九  半之丞一人江戸へ出て、深川の佗住居、源次郎を探したが、田村伝右衛門と同じこと、盲 滅法、便嬬も江戸へ出たにちがいない、浅草の活動など田舎では見られないからなあと、と にかく十七の少年。当も無く物珍しげにうかうかと出府してうかうかと暮している。 「御免なされませ」 「誰だ」 「ちと物を伺いまする、もしや、旦那様は岩井様とお伽やいませぬか。博多におりまして大殿 様に御恩を受けました万助で御座ります」  子供時分にみただけの半之丞、柄も射も大きくなっているが構遷ないと、浅草からあとを つけてきたとの話。 「大殿様は御壮健で」 「それで江戸へ参っている。父は人手に懸って殺された」 「えっ。あの源次郎様に、それは又どうして?貴方様と御一緒に遊んで御座らした源次郎 様に?」 と、人情たしかに今よりも厚い。それに第蔽護あ頃大流行り。一度討つと星食える ーと、まさか。とにかく百姓町人が武士より敵討ずき。万助腕をさすって、 「ここに二人居たとて詮無い話、私にはいろいろ伝手《つて》も御座りますから、江戸のことは御任 せ下されませぬか。そして貴方様は上方の方をもう一度  いや、それよりその親許の遠州 は如麟で御座ります」  と、齢だけに細かい。それではと手筈をきめて仮住居を立つ。万助諸々方々を敵討だ敵討 だと触れ廻る。饒別いろいろ、見送り大勢、品川まで七八人、 「何んです」 「敵を討つんです」 「面白い、何処で?」 「さ、討つ人はこの緋鵡廿さんですがね。斌ヂは十八人。これが皆強い」 「ふん、どうしたい、それから」  大井川を渡って若林村へ入る。久之丞独りぐらし、村人と馴染がついて豊で無いが、不自 由はしない、伜源次郎、小姓に上ったとの知らせを聞いて、その出世を祈るばかり。 「おお、珍しい。さ、さ、これヘ」 と、搬播さま。言葉の端にも、真実恩人の子を迎える喜びが溢れているから、半之丞少し 勝手がちがう。土間に立って、 「はい、はい」  と、生返事。久之丞手をとらんばかりに招じつつ、 「御尊父は、いよいよ御壮健かな、御身も大きくなられたのう」  といううちに含む源次郎の消息如何、何んとか半之丞がいってくれるだろうと待っている と、 「何も御存じ御座りませぬな」 「何事を」 「父は人手にかかりました」 「人手に?」 「罐難テ御座るが、源次郎殿に……」 「源次郎に? 伜の源次郎に?」  半之丞頷く。久之丞の老顔みるみる蒼白に、老人の神経と身体、押えても押え切れない。 手も膝もかすかに震えて暫らく言葉も無い。そのうちに目尻へ溜が滲んで来た。半之丞も顔 を仰げないで、二人黙然。 「合す顔も無い」 と、微かに眩いたまま、膝の上へ泪を落している。済まぬとも思うし、世の中に望が消え てしまった。 「面目ない」  と、再び眩くように云ったまま顔を上げない。半之丞、声をひそめて、事の次第を話す。 頷きながら聞いていたが、やがて、 「暫時、御無礼を」  と、次へ立って行った。 半之丞、鶏の餌を拾うのをみたり、いたちの道切りを見たり、半刻近く待ったが出て来な い。 「御免なはれーこれは今日は、ええ、旦那様はえ」  と、百姓。 「さあ1赤松様」  広からぬ家、聞えぬ筈は無い、聞えて返事の無いのは、はっと胸を打つ、もしかしたら逃 げたかと半之丞、刀を提《ひつさ》げて襖を開く。その間に続く奥の一間、引開けるとうつ伏に、漂っ てくる血潮の匂。 「おお」  と、駈寄って額へ手を当てると、冷たくなっている。前に置く書置一通。懐中して、手を 胸の下へ抱起すと見事に切腹。元へ戻しておいて、 「村の者か1自害されたから、近所の人を呼んでくれぬか」  と、大騒ぎになる。半之丞止まって繋弗を出し、 「源次郎を討つ時に、必ず此の刀にても一太刀、この父の怨みを」  と、書置にある一刀を納めて、名古屋から桑名へ。此処にいる久之丞の身寄りの人に、そ れと無く源次郎0鶴輝を聞く。不明。書置を出して、 「御覧の仕儀。源次郎の便のありそうな、御心当りの知人があらば御知らせ下されい」  と、それからそれ、手繰り求めて、とうとう源次郎、細川家に仕官していると判った。  再び引返す江戸表。 「万助、ようよう知れたぞ。細川にいる」 「それさえ判りゃ」  と、女房の小言そっちのけ、商売をすてておいて、四方八方あれこれの口から、人相はこ うこう、齢は二十四五と、聞出しにつとめていると、国詰になっている青山弾正が、確に赤 松源次郎と判ってきた。 「若旦那、ようよう知れましたぞ。国許にいる」 「それさえ判れば」  と、半之丞四度目の海道筋、宿々の客引女が顔を覚えている位に、繁《しげしげ》々通る。江戸から肥 後の熊本まで、四百里に近い違橿、二月近くかかって到着した。  年月不明であるが、寛政十一二年としておいて大して間違いがあるまい。頃は矢張り夏、 冷水摩擦や乞食を始めるのにいい時節。どう考えたか、岩井半之丞、田村伝右衛門と同じよ うに乞食になってしまった。伝右衛門の方に芝居気があったらしいから、乞食振がうまかっ たにちがいない。仁右衛門に、 「乞食出ろ」  と云われて、 「出るなら出もしよう。斬ると云うなら斬られもしよう。いやさ、見事に斬れますか」 と、穴の中から大小差して出てくるあたり大芝居であるが、半之丞齢が若くて色気があ る。乞食になっても万事小綺麗に、 「あら、ずい分綺麗な乞食だこと」 と、芝居に出てくる小栗判官に壁勝《いざり》五郎という種類。一日歩いていると暑さも一つ、水当 りも一つ、夜露、寝冷えと、いろいろのせいで腹痛に眩量《めまい》、耐《こら》えきれなくなって路傍へ伏せ ってしまった。  芝居だと松並木、轍鍵小屋であるが、これは前の物語のように、うまい舞台にはならな い・田圃の中を通っている何の変哲もないほこり道。曝を流れるささやかな流れに手拭をひ たしながら、頭を冷やしつつ苦しんでいる所へ、通りかかった一人の武士、尻切れ草履に土 煙を立てつつ、 「乞食、病気か」 十 綺麗な乞食、髪の毛の艶がいい、束ねてあるだけだが汚れていない。 「病気か」 と、覗き込んだ顔の所に、乞食の持ちそうにもない、金毛織の紙入れ。紫の打紐で巻いた のが、ちらりとのぞいて居たから、ついと立って四方を見廻す。日盛りの田舎道、このあた り、まして畑と樹と田の外掘立小屋一つも無い。 「苦しいか」  と、聞いたが顔も上げえぬさま、そっと手を延ばして、紙入れを引くと、命より二番目と はよくいった。半之丞その手を押えて、 「何なさる」 「貸せ」  と、引く。病ながら半之丞、起上って、 「何をする」  藁に巻いた脇差へ手をかけるのを、 「乞食め」  と、蹴倒して抜討、肩へ斬つけたが、鯉口の切りようが拙かったから、片削ぎになって少 し傷つけただけ、 「泥棒」  と大音声に、辛くも抜いた刀、二度目の斬込みを受けたが、病の悲しさ小手が下って額か ら目へ。 「残念だ」  と血を吐く声、たださえの眩量《めまい》、その上をがんと斬割られたから、ぐらぐらとして前への めったが、どっと倒れてずずっと左手《ゆんで》を延したまま起上る景色も無い。 駕麓な顔をして立っていた鵡七急に刀を押拭ったが、鞘ヘ納めようとして又持直し首へ一 太刀。紙入を奪って懐に、そのまま急ぎ足、二町余りで熊本の町。町番所の前へかかると、 出会頭に役人、 「待て」  無言のまま立止まる。 「その血は何んとした」  と撒ず衣裳、白地の麻布に点々とかかる血潮。 「斬りました、犬を……」 「犬? 何んと申される」 「中田甚左衛門殿の組下、長山良助」 「注意せられい」  と、行かしめて、役人目と目の合図、後を付けよとの言葉に一人の尾行、二一二町も行った ころ、 「刀を持った乞食が殺されて居ります」  調べてみると、刃に斬込み一箇所、戦ったにちがいない。長山良助の仕業と、この位判り いい事件もない。長屋へ踏込むと、観念している。殺すつもりで無かったが、時のはずみと 自白、殺すつもりで無いのを、一はずみ位で殺された半之丞の無念さ。紙入を調べると書付二 三。例の公儀御帳へ届済があるから、長山良助武士にあるまじき振舞とあって斬罪黙首恥源 次郎の青山弾正、枕を高くして喜んだろうが、江戸にいて吉左右《きつそう》いかにと待っている万助の あることに、気がつかなかったであろう。         十一 「どうだい万助、伽齪見付かったかい」  と、友人隣人に聞かれるたび、 「もうすぐだ」  と答えるが、いくら待っていても熊本からの便りが無い。 「未だ見付かんないかい」 「何いってやがるんでえ。二分位饅別しやあがったと思って、いやに催促するねえ」 気が気で無くなったから、店を畳んで筑前へくる。半之丞の母に会って、便りはと聞く と、無いと云う。何か変事があったにちがいないと深い不安さ、熊本の城下へ入って捜すこ と六日、思っていたよりも悲惨な殺され方をしたことが判った。 役人雌暫翼〃、万助の話を聞いて、 「半之丞に身寄の者があるか」 「弟御さん二人居られます」 「そりゃ究寛《くつきよう》じゃ、供して参れ、万事は拙者がよきように取計らってつかわす」 「ところが兄坊さんが十三、小坊さんが九つでして、とても弾正を対手になど」 「隼人がついている。万事任せておけ」 「有難う御座ります」  と、嬉し泣きに泣きながら万助、筑前へ取って返す。赤穂浪人を好遇して以来、細川の士 敵討というと無闇に力を入れる。たださえ力を入れたいのを、半之丞の不運に万助の義気、 十三歳の子供に刀術で新知二百石の青山弾正を向うへ廻さすのだから、大芝居である。山路 隼人、にこにこしている。  万助心中男が立つと嬉しいが、岩井の後家さんのことを思うと少し辟易である。いろいろ 考えた挙句、 「もし半之丞様が御果て為《な》されていたら、何んと為されます」 「ええ、そりゃ本当のことか」 「いいえ、もしそのようなことが御座りましたら」 「さあ、どうしていいやら……」 「万助の思いますには、善次郎棟を御立て申して源次郎を討とった上、御家の再興願を出し ますと」 「そりゃそうじゃが、とても弱虫の善次郎、それに半之丞のことは一体どうなったか」 「さ、そこのこと、もしものことが有りました時には・…-」 「そんなことは判っているで無いか、半之丞は・…-」 「行く所へも行けず御迷いになっておられましょう。それには善次郎様を立てて・…-」 と、山路隼人の一条から、まず事の瑠を説いておいて、実はこれこれと、人手に懸ったこ とから、それで善後策として今申上げました通りと、繰返して説く。泣く泣く持仏堂に灯を 上げていた母親の脇座から善次郎、 「万助、わしが仇敵を討つぞ」 「よくおっしゃいました。それが何よりの回向《えこう》で御座りまする。御家様、泣くものでない。 坊さまを御覧なされませ」 「わしは身体が弱いが、死んでも源次郎は討って見せる」  善次郎の弟半三郎は、 「兄さんが行くなら、わしも行く。わしも剣術を習って居るぞ」 「えらい、あ、ありがたい。御家様、万助一生の御願いだ。坊ちゃんをあずけて下さいま せ。不覚はとりません。この通り」  と、泣いて伏拝む。集まってくる二一二人の知人、話を聞くと立派な助太刀も居るとのこ と、首尾よく討てば家再興、とにかくこのままで済ませることでないと、万助と隼人を力に 頼んで、万事計らってくれと門出を祝って、三人熊本へ志す。          十二  雌留翼〃、万助、善次郎を証人とし、公儀御帳届済の書類を証拠として、月番太田一郎兵 衛の許へ青山弾正の素性を申立てる。取調べてよかろうとのこと、吟味方改めて善次郎と万 助を呼出して、子細残らず聞くと、哀れにも勇ましき物語。 「願いの趣き叶えてとらすぞ」  とあって、後見万事山路隼人に任せる。 武士の意地立ち難きによって、と云うなら源次郎の申訳も立つが、恩あるや鷲い繍を理由無 く討ったのだから酌量する所が無い。 「弾正、其方の前名、赤松源次郎と云うであろうがな。偽るな、武士だぞ」  弾正の顔さっと赤くなるのを畳みかけて、 「立ち難き遺恨あって、岩井善右衛門なる者を殺害したるよし、しかと左様か」  旧名を嚢蕗ておいて、立ち難き遺恨と藤てたから、吟味方の同情あるようだし無いようだ し、返答しかねていると、つづいて、 「善次郎なる者より、町人万助と共に其方への敵討願の差出しがある、承知致しおる者か」 「善次郎と申しますと、十二一二の子供」 「そうじゃ」 「万助と申す町人は一向存じ申しませぬ」 「斌ヲはこの二人、尋常の勝負をするか」 「仕ります」 「然《しか》らば、岩井善右衛門を討ったる一条、並びに前名、赤松源次郎ということ相違ないか」 「はっ」 「腰の物取上げい」 「これは……」 「大恩受けたる人を討ったる人非人、上を欺きし不坪者《ふらちもの》、立て」  弾正の邸へはすぐ役人が赴いて明渡しを命じる。同棲していた妾、三人の召使共一物も無 しに叩出されてしまう。下獄した弾正、そのまま独房へ入れられて、朝夕二回、僅な握飯が 入るだけ。利かん気の源次郎、この仕打にひどく感じを悪くして、心を静めて日のくるのを 待つ。伊畜騒動の伊東七十郎、絶食十幾日かで斬罪の日板を踏折ったし、絶食の記録として は七十余日にして変りが無いという人さえあった。牢中泰然として心気を静めているなら、 朝夕二食の粗飯撒厚しということができる。撰び源次郎それ程の人間でも無かったらしい。 |忌《いまい》ましい、一杯かけやあがってと、そればかり怨みながら、敵討になったら一暴れしてと腕 を撫《さす》っている。  藩中へ早くも広まるこの話。万助の義気に感じ、善次郎の年少を憐れみ、助太刀を願出る 者も多かったが、万事は山路隼人が後見してと、それ以上許されない。隼人、弾正の太刀筋 を聞いて、それへの対策を善次郎に教える。 「斬込まば下れ、対手は長らく入牢して脚腰が弱っている。退る一方で敵を疲らせるが上策 として、万助其方は六尺棒を持って弾正の背後へ廻れ、叩こうと思うな、ただ声をかけて叩 くつもりでいよ」 「爆鍵刀を持てませぬ」 「刀を持った事のない者は自分を斬る。それのみで無く、善次郎危いと見ると、敵に斬かか りたくなるが、弾正手だれの男じゃ、其の方如き近づこうものなら一打にされるぞ。首が無 いと不便じゃで、遠い所からでも届く六尺棒にするがよい。その外のことは万事わしの胸に ある。よく眠り、よく食べて、十分身体を養っておけ、心配するな、隼人がついている」  定められた日が文化元年月日不明、場所としては熊本の郊外清閑寺原。広さ三十間に十五 間、高さ四尺ばかりの杭を打ち並べ、杭に縄を張って、二間に一人ずつ、足軽が立って人を |警《いま》しめる。検分の役人二人、下役六人、足軽八人に、身分ある人々の見物二一二十人。柵の外 に若武士、町人百姓は樹上に登り、足継ぐ品々を持運んで立つ。今も昔も変りは無い。早朝 からの人出お親だしい数に上って、おでんあんパンの店が立つ。          十三  早朝から集まっている百姓、町人。あとから騎馬で乗りつけてくる若武士に、 「こりゃ避け。町人の見る物で無い」  と追払われて、不平たらたら。 「足軽もそっと小さくなれ邪魔になって見えぬで無いか」  町人に威張っていた警固の足軽、ふくれながら小さくなる。  先に騎馬一人、後に同じく一人、周囲を囲まれて赤松源次郎改めて青山弾正、三十近い男 盛り。牢中に延びたる月代《さかやき》剃りもせず、後手ハ文字に縛られて、西の柵口に引据えられる。 役人の控えている東の柵より、ややおくれて岩井善次郎、十三にしては背丈高いが、痩てい る。黒小袖轟擁…せ鍵樒君少し大きくてだぶつくのをたくり揚げ、蹴尼のまま、足の甲 から裏かけて藁にて結び、六尺の手槍を提げて入ってきた。万助三十二一二、裁付袴に木綿千 筋の櫛、六尺棒を手にしている。前に立つ山路隼人の指図にて、両人検使の前に膝をついて 一礼。場の中央へ出て善次郎鉢金を当て、万助白鉢巻、 「せくで無いぞ」 と、隼人百云ったきり。二人の左に控える。足軽の持運んでくる葺璽壷。隼人扇を開 いて差招くと共に、西柵口の役人、弾正の縄を解く。 「卑怯な振舞なされるな」 「有難く存じ奉ります」 と、前に天、左右に二人ずつ、背後に弾正への刀を持った足軽天、お聾ハ尺棒を斜に獣 めつつ、善次郎より離れて一間半の所、とんと棒を突立てるのが合図、ぴったりと止まる。 「岩井善次郎、願いによって敵討差許す。盃せい」  仲間の取上げてくる盃、一口つけて万助へ、万助一口つけて持余しているのを足軽がとつ て地へ拠《なげう》つ。どっと揚がる囲の声。  弾正の手へ渡す鈍刀|一口《ひとふり》、一尺七ハ寸。使い慣れない刀だから勝手のちがうこと霧しい。 三人無言、青眼に構えて弾正、 「参れ」  と、低いが力を含んだ声。足軽二人ずつその左右に六尺棒をもって、危いとみたら支える つもり、善次郎、手槍を中段にとって、一生懸命、 「父上の仇敵」  と叫んだきり、型の如く槍先を動かし、足を刻んでいるが、この勝負段ちがい。隼人、万 助に、 「万助、それっ」  と声をかける。周章《あわ》てて弾正の背後へ廻って、 「ヤァ」  弾正、じっと善次郎に目をつけていたが、万助の「やあ」には振むきもせず、刻足、つと 大きく踏出たかと思うと、槍の螂鄭へ一当て発止、普通なら斬折ってしまった所だが、刃引 に等しい鈍刀。善次郎、退きながら弾正の引く刀へ、突を入れてくる。  弾正、善次郎の腰をみると、脇差一本だけ、今の手当りに嬢首の斬落せぬのを見ると、総 てのことが判ってくる。負けず嫌いの乱暴者、覚悟を極めたから鋭い。 「ほーう」  と、かかる気合、足軽の六尺棒の支える隙もあらばこそ、影の閃く如く走りよる早業、善 次郎思わず槍を灘ヂで差上げ頭を縮め、つつと退く。あっと思う隼人、心の中で、 「失策《しま》った」  と叫んだが、日夜の練習欠かさないならこの早業、見事に極まったであろうが、練習不足 と牢中の疲労、一太刀に精根を込めてしまったこの太刀の身気一致に欠ける所があった。          十四  それでも槍の柄、半ば切って錐先《きつさき》発止と鉢金に当る。よろめく善次郎へ、早く返す二の太 刀、手は利いていて見事の太刀筋であるが、長い疲労にこの早業、目が眩むと共に鈍った太 刀先、帯を斬って腹へ少し傷つけただけ。踏止まって気を静めんとする。善次郎のよろめく のを見た万助、 「あっ」  と声を揚げると共に、六尺棒を棄てて、夢中の跳躍、目の眩みに気を静めんとして目を閉 じた瞬間、弾正へ、むずと組つきながら撤機さんとする。剣と剣とを合せる業なら獄中の疲 労、さして響かぬが、立つに立たれぬ天井の低い獄室に二十日余り坐ったまま、脚も腰も妙 になってしまっている。計りに計っている役人の仕向けに憤怒を感じたから一代の早業で、 この裏を掻こうとしたが、目が眩んで思うようにきまらぬと、憤怒よりも頭の方へ気がとら れる。 「いけない」  と感じたが、武道で第一に忌む、この心のゆるみ。全身に隙の出来た所へ、不意の攻撃、 よろよろとしたが、少し周章《あわ》て気味、右へ捻って柄で一当てと、腰を捻ってみたが、善次郎 へ斬込んだ太刀より獲云うことを聞かない。背後にぶら下った代物、何の手答えもなく、引 倒さんとする。途端に耳へ入る隼人の、 「それ、善次郎」 という声。弾正心得たりと避けんとするはずみ、よろめいたがそのままどっと重なり合っ て倒れる。 「坊ちゃま、突くんだ」 と、万助の絶叫、わーっと揚がる四方の圏の声、二三度は槍を払除けたが、手を動かすの も大儀になると共に夢心地、どうにでもなれと思った刹那、どんと突かれたような衝動、灼 つくような痛み、再び刀で払ったが、咽喉《のど》を突かれたか、胸へきたのか、何方《どちら》とも判らない が呼岐苦しくなると共に、痛みだけが残って、あとの身体は急転して暗い地の中へ落込むよ うな気持を感じた。  筑前へ戻る。淀侯、善次郎の働きを称して本知行で召抱え、万助士分に取立てる、山路隼 人に礼物を贈って、堀川家の労を謝す。これが「大安寺堤」の油買いに出る弟の出所、この 二つ、共に西国の出来ごととして、当時、上方にも評判であったら〜い。二人ながら乞食を しで本望を遂げずに人手にかかる、それを土台に細工して「齪諺ち櫨楓鑑]。  そこで、締くくりしておくが、 「青江下阪二つ胴」 と、こんな刀はどうも無いらしい。芝居で云う槍の権三、雲州松江の近習池田文治、これ が高麗橋で討たれた時、差料にしていたのがi陽風繊銘、越前の国下阪在の刀工の鍛えた 作、越前下阪派と称している。  青江は、備中の国青江に住む刀工の鍛えた作を称し、青江鍛冶で名高い。初代青江安次な ど、鳥羽帝の御代の人で、遮佛、愈如、傑如など、大業物として知られている。二箇所の敵 討を一つに結び付けて「大安寺堤」、刀も越前と備中とを一緒にしてしまって「青江下阪二 つ胴」と二つを利かした大阪狂言だから、これをもう一つ酒落ると「青江下阪二つ井戸」 と、この刀が、佐之次郎左衛門の「罐銭瓶」と一対の銘刀になって、又ここに一つの敵討が 初まるという1今の作者だって隅に置けまい。  尤《もつと》もこの「青江下阪」は「葵下阪」ともいう。芝居では台本でどうなっているか、俳優は 「青江」とも「葵」とも云っている。「葵下阪」は下阪派の刀鍛冶で、こみに葵を切る人があ った、この人の作を俗に「葵下阪」という。これならよく判っているが、役者というのはと きどき穿きちがえをして、正しいのを間違わせる。「葵」を「青江」に変えたのも多分その 一つらしい。