総穏寺の相討 直木三十五          一  月日は定かでない。享和《きようわ》三年の夏の初めの事である。出羽ノ国|田川郡《たがわこおり》庄内町、土谷才蔵の 邸の一問。 「兄さん」  と声をかけたのは虎松という十四になる子供である。性来の弱い質《たち》で、竹刀《しない》木刀の類がも てぬから医者の所へ行って修業をしている、才蔵の異母《はらちがい》の弟である。当主才蔵というのは 久右衛門の養子で、養子にきてから久右衛門が後妻をとった、その腹へできたのがこの虎松 と、兄さんと呼ばれた兄の万次郎とである。 「暗いなあ、灯をつけたら」 「皆留守で、灯もつけられん」  門部屋を直した檻《おり》、高い小窓が一つあって一方は壁、入口に格子をはめて出入を禁じ、右 手の板戸一枚が自由な口で、開けると廊下があって家へつづいているが、下男、家の者の見 張りが付いていて、上厠《じようし》するにも人の目が光っている。 「食べぬか」 「御菓子かい、御菓子は要らぬ。酒が欲しい」 「飲ましてくれんか、一寸《ちよつと》も」 「一合だけつけてくれるが、……」 「それでいいやないか」 「うん……だけど」  久右衛門が存ム叩甲から、飲む打つ買うという三つそろっていて、懈れも人並以上に癖が悪 いという余り愉快でない子供であった。十五六からそれに馴染み始めて一二年足らずに、一 角のならず者になってしまった。久右衛門がそれを苦にして死ぬと共に、家に居る日が少 く、家に居ると金の無心二日酔に悪友の集り、義理の兄の才蔵|堪兼《たまりか》ねて一切の外出を禁じて しまったのである。 「兄貴は此家が欲しいんだよ。それで概藤にしても俺にしてもこんな目に逢わすんだ」 「うん」 「だから、俺は思うんだが、御前と二人して此家を出てしまや、兄も安心するし、御前と俺 とも楽々《らくらく》するからな。第一こんな田舎に引込んでいるより江戸へ出よう、江戸へ行きゃ出世 ができるよ。御前だって嫌々《いやいや》医者の所へつとめている必要も無いし……」 「うん、そりゃ俺もそう思うけど、金が兄さんあるかい」 「金か?金は、何か売ってこさえるよ。御前の着物があるだろう。俺のもここに少しある し、それに御前何んとか兄貴に云うて少しもらったら大丈夫だよ」 十八の放蕩者《まうとうもの》と十四の子供とすっかり話をまとめて、雨風の夜檻を破って逃出してしまっ た。 二 「兄さん、御金未だあるかい。今夜は女郎屋はやめとこう」 「うん、今夜はやめる。その代り一本だけ飲むよ」 「一本だけと云っていつも駄目じゃないか」 「今夜はきっとだよ」  呑出すと、もう一本と癖は直らない。酔うと今夜だけと始末にならぬ。宇都宮へ入った 時、二人は何んとも仕方が無くなった。 「だから云ったのに」 「できたものは仕方がない。じゃ虎松|御前《おまえ》これだけもって江戸へ行け。そしてまってろ。わ しは一人で国へ帰って、友人から金を借りてくる。あいつとあいつとに貸してあるんだから それを取ってくりゃいい。心配するな」  と、虎松に残りを渡してやって、いろいろ泣落しの手を考えながら、国許へ戻ってきた。 庄内の町外れ音無村に、荘吉という男がいる。ここへ訪ねて行った。 「荘吉いるか」 「おお、坊ちゃま、どうなさいました。家ではえらい心配ですそ」 「心配? だって荘吉、俺が居ない方が兄さんにはいいだろう。それに俺も心を入更えた よ。何んでも江戸へ出て一旗挙げたいんだが、…・-そのつもりで出て、酒田やそこらの友達 の所へ行ったが、元が元だから本当にしてくれないし……俺も今更のめのめと兄貴の家へ戻 るのも……江戸まで行けりゃ……」  と、半分泣きながらの言葉に、 「そういうつもりなら、一つ兄さんに話しましょう。ま、とにかく上って」  と、主家の息子、座敷へ通しておいて、この趣《おもむき》を土谷へ伝えると、 「とにかく連れて来てもらいたい。しかし乱暴者だから」  と、近くにいる親族の三蔵というのと、養子になっている丑蔵《うしぞう》とにこの役を云つけた。才 蔵が養子になっているのさえ嫌がっている二人、その才蔵が又丑蔵という養子をとって後継 をきめているのだから、常からこの丑蔵が癪《しやく》の種になっている。  荘吉が二人を連れて家へ戻ると、二人の姿を見た万次郎は、周章《あわ》てて三人の前から逃出そ うとするので、 「万、何故逃げる」  と三蔵は声を荒らげて叱りつけた。 「薔が悪いんじゃないか。才蔵さんの心配も知らずに、何処をうろついて…・-その鸚をみ い。この馬鹿めが」 「まあ、そう叱ってはいかぬ。な、万次郎さん、欝錯さんだって私だって、羃をどうしよ うのこうしようのって考はありませんぜ。檻へ入れるのも改めてもらいたいだけだし……」 「檻へ入れうとは俺が云ったのだ。貴様のような奴、家の面汚しだぞ」 「重々私が悪い。悪いから江戸へ出て一角の者になろうと……」 「馬鹿云え」  と、三蔵が叱りつけて、とにかく夕方になって一旦家へ戻ってからと云う事になった。 「便所へ行きたい」 「よし俺がついて行ってやる。逃げたって逃がさねえぞ」  と一々三蔵口ぎたない。夕方になってから二人で万次郎を連戻そうとすると又三蔵が、 「逃げるといけねえから両手を縛ってつれて行こう」  と手拭で万次郎の双手《もろて》を前で縛《くく》り、見えぬようにして、二人が左右に引添い大宝寺河原ま でやってきた。          三  万次郎、凝ゲ不愉快である。殊勝気にみせて金をとろうとしたた盆みがあるので、随分辛い 思をして殊勝らしく振舞ってみたが、この様子では到底ものになりそうにもない。庄内へ近 つくにつれて檻の事が思出されてきた。何処でどうなろうと、敷居を跨ぐ前に逃出さぬと、 今度は}生檻を抜けられないかも知れぬ、と思うと矢も楯も機らなくなってきた。袖で襪つ てある手拭をそろそろと解いてしまっていい攤を待っていると、河原の堤へさしかかった。 細い径である。前に丑蔵、中に万次郎、後に三蔵。昼間出て提灯ももたぬが勝手の知った 道、闍の中を歩いていると、手拭をかなぐり捨てるなり、腰の道中差へ手をかけてすらりと 抜いた。丑蔵は甕に武士である。気配怪しと見てとったか振向く所を斬つける。 「万次郎、己れッ」  と叫ぶと共に、斬込む刀を外すや、手元へ入って、獄尹を刀もつ手に甘亊を咽喉へかける のを、 「何をっ」  と云いざま、蹴上げてくる喧嘩上手。左手で襟元の手を弸孵しておいて、力任せに左へ引 くや、小径の堤、足をすべらしてたじたじとなるを二度目の足蹴、かさにかかって上から押 倒したから脚下の凸凹に脚をとられてどっと倒れる。 「どうしたのじゃ丑蔵さん」 「何をッ……三蔵、三蔵ッ」  暗闇の中から声だけするが、どうなっているのか、人影が丸く叢《くさむら》の裡《うち》に動くだけであ る。声を知辺《しるべ》に降りて行くと、 「押えられている…・-上だ、万次郎…-危いそ刀を抜いてるから」 「よし、今…:畜生、己れ」  三蔵、刀を振上げて斬下す。万次郎の冠っている竹の子笠の上から一刀。丑蔵を押えた手 のゆるむのを、刎返《はねかえ》す、万次郎が傾く所へ二度目の刀、肩へ斬込んだから、立上ろうとして 躓き、這ながら逃出すのを、追縋って背へ斬込む。起上った丑蔵が蹴倒して、転がる奴をも う一太刀。 「殺してはいけない」  と丑蔵が云った時、万次郎は叢の中で土をつかんで血に染っていた。 「畜生、えらい事をしやあがる」  と、三蔵は云いながら震えていた。 「万次郎」  と呼んだが、低い唸声《うめきこえ》だけであった。  文化六年五月十六日であった。 四  江戸の知辺へ、身を寄せて、戻り道の日数、金策中の日数、来る道の日数を指折りくっ て、一日加え二日加え、待ちにまったが万次郎は出て来ない。知辺の人はコ度帰ったらど うか」と嫌な顔をしながらむきつけて云う。芝で半日くらし、浅草で一日くらし、家の人の 寝静まる頃に戻って、飯も碌々食べないで待っていたが、死んだ者の帰ろう訳も無い。いく らかの餞別を手にして国へ戻ってくると万次郎は殺されたと云う。  二三の人に聞くと、口をそろえて万次郎がいけないと云うのも弟の身にしてみると口惜し さの増す事である。仇敵は三蔵とも云うし丑蔵とも云うが、同じ殺した二人とすれば丑蔵の 方が三蔵よりは憎い。憎いだけでなく丑蔵が殺して、三蔵は一寸手伝ったにすぎないような 感じがある。虎松は丑蔵に限りなき憤りと怨みとを感じた。そして人々の止めるのを振切っ て再び江戸へ出てきた。  当時牛込に住んでいた旗本に小笠原重左衛門という人があった。刀術を以って聞えた人で 相当な道場と門人とをもって江戸でも指折りの達人である。虎松は伝手《つて》を求めて小笠原の邸 へ入って名を又蔵と改めた。長袖修行から武家奉公へ変って、薪水の労をとるのだが、復讐 の一念に燃えている小僧は骨身を惜しまずに立働いた。間々を見ては門人のおとなしそうな 人に立合ってもらったが、からっきし物になってない。二月、三月経っても、お面一本受切 れない。それでいて熱心さは驚くばかり。 「無双の下手だが無比の熱心」  と綽名《あだな》がついて、 「おい、又蔵を見習え」 「又蔵より拙《まず》いそ」  というような流行《はやり》言葉が小笠原道場で使われるようになった。立木を打って太刀筋を定め たり、藁束をそっと試みしては腕の上達を計ったり、深夜早暁、寸暇を盗んでは稽古を励ん だ。         五 「又蔵、驟どういうつもりで剣術を稽古するのじや、脇は小さいし力が無いし、人が片手 で使えるものを御前は両手でやっとじゃないか。どうじゃ、わしが資本《もとで》を出してやるから小 商人《こあきゆうど》にでもなったら」  と一日、重左衛門はおだやかに勧めた。 「概献構のお慨.いますのは皆概癨で御座いますが、御飯よりも剣術が好きで、商人になりま して蔵を立てるより、ここに置いて頂いて道場の隅でも坐る事が出来ますれば、遥々出て参 った甲斐があると申すもので御座います」  と中々うんと云わない。時々重左衛門稽古をつけて見るが空っきし物になってない。五年 というもの、恐ろしく熱心で恐ろしく下手という綽名がついたまま、小笠原道場の名物男に なっていた。  小坪某という鵡廊がこの道場へ稽古にくる。一寸意地の悪い、人を講る事のすきな人であ った。 「又蔵参れ」 「へっ、小坪様、どうぞ」  午後の暇時、道場の空いたのを幸に又蔵竹刀を持て立向う。 「さあ、御面へ行くそ、いいか、それっ」  受けたって物にならない。面を取られてから小手を挙げて防ぐ。開いた胴へ又一本。周章《あわ》 てて手をおろすと、又面へ一本、続けさまに五六本したたか打たれて、思わず二三間逃出し てしまった。 「痛いか、さあ行くそ、今度は十本だ、勘定しておれ」  と小坪某、走りかかろうとする。又蔵、この言葉を聞いて、むっとした。木の端じゃある た《やたら》|ま まいし矢鱈に打たれて堪るものかと一寸腹立っている折、意地悪い目を面の間から輝かしな がら近づく。ふとそれを見ると共に夢中になった又蔵、無言のままの大上段、つと小坪を迎 えるや、敵に打たせて敵を打てと、力任せに打込む竹刀。外《そ》れたかと思いの外、小坪のくず れた驅、避けながら受けんとするが及ばない為めに、意外というような表情をしている顔、 ちらと又蔵の目をかすめたかと思うと、充分に延びた小手、物の見事に極《き》まると共に、我知 らず左手《ゆんで》で押えた柄頭、ぽんと上へ上げる気味で打込めたその呼吸、五年間判らなかった一 寸した呼吸が、晴々したように明瞭《はつきり》とした。 「うまいそ、その呼吸だ、さあ来た」  と再度つける竹刀。又蔵、竹刀を葎尹でしっかと握り、軽く獄尹で柄頭を押え、熊匙ぽ寄 りつつ竹刀の先を小刻みに動かしながら、 「ヤッ」 「うまいうまいその呼吸、ヤッ」  打込む力、はっきりと筋が分って打込んでくる、と共に、反射的に動く竹刀、受留める、 敵が引く「間《かん》」打を入れる。辛くも受留めて、 「又、もうやめじゃ」 「有難う御座いました」  礼を云って門小屋へ戻る。脇差の怪し気なものを抜いて今の呼吸を真剣で試す。どうにか こうにか竹刀を扱う事だけ分ってきた。面白くなったらいよいよ熱心に稽古する。一つ呼吸 を悟ればあとは割合に楽である。十七八の弟子に打たれていたものが半歳後には、二十《はたち》位の 門人は又蔵に手が立たなくなる。小兵だけに身が軽く、時々は小笠原重左衛門の代りに新入 の弟子に稽古をつけるような腕前になった。 六 道場へ遊びにくる重左衛門の友達などとも時々は立合う事もある。稽古の閑に町道場を廻 ってくる事もある。前後七年の修業一人前以上に使えるようになった。 「概醗、実は手前微離を討ちたい心願が御座いまして」 「そうだろうな。そうでないとああ熱心には成れまい。そして仇敵と云うのは」 又蔵、かくかくの次第と物語る。重左衛門、 「討てる。その腕で討てぬ事はない。早々立帰ってくるがいい」 「永々の御恩、何一つ報じませずに、勝手な御願い……」 「いやそれはいいとして、又蔵、離ド討つには免許状が要るであろうが、用意は出来ている か」 「実は、それも御願い致しとう」  というので、小笠原重左衛門から、免許状を請う。一ヵ月余りも経って下ってきたので、 道場の人々には御蔭で一人前になりましたからそれを土産に暫く故郷へ、と別れを告げて立 戻る。  黒の小袖に二本差し。二十二というが小さいので二十《はたち》位にしか見えない。昔の医者へ奉公 していた青白いひょろひょろの虎松とは大分の変り方である。町へ入って旅宿をとる。二三 の親族、知辺へ廻って何食わぬ顔、その後の話、自分の話、相笑いながらもそれとなく丑蔵 の様子を探る。相変らず小さいが、とにかく一人前の武士の姿、人々の頭からも七年前の虎 松の事は薄く消えて行って、懐しいという心に変りつつある時である。人々は喜んで迎えて くれた。丑蔵の様子を聞くと、勤めを無事にしているとの事。四五日丑蔵の動静を探ってい ると亡父久右衛門の命日がきた。才蔵が詣るか丑蔵が詣るかと聞くと、丑蔵だと云う。 「亡き父の御引合せ」  と、素知らぬ顔をして親類を出た虎松、庄内鍛准畩の緇戀芋へきて墓所に隠れた、久右衛 門の墓のある寺である。丑蔵三十一歳亡父の命日の御墓参り、袴に隷掘、衣裳を識紹てく る。虎松は覚悟の上の事、敵討の事情を書いた願書に免許状を懐へしっかと納め、綴野の胴 着に股引、上には浅黄無垢の下着に黒地の羽二重を重ね、藤色縮緬の襷、中々芝居がかりの 姿である。 「待たれい」 「おお、珍らしい虎松」 「挨拶聞きたくない。兄を殺した仇、さあ勝負に及べ」 「倣離? …・-妙な事を云う。わしは万次郎を殺しはしない。わしが押伏せられているのを 見て三蔵が斬ったのじゃ、心得ちがいをしてはならぬ。久々の対面……」 「ならぬ。中訳を聞く耳は持たぬ。よし三蔵が殺したにせよ、同罪じゃ」 「それなりゃ止むを得ぬ。しかし虎松わしも今此処でと云っては困る。尋常の立合はする が、中残したい事もあるから家まで来てくれるがいい。わしが一言云う問……」 「ならぬ。卑怯だ丑蔵、御手前も武士ではないか。何の未練がある」 「未練でない」 「未練で無いなら勝負致せ。気遅れたか」  子供だと思って煙亊にしなかったら、罵ってくる。むっとした丑蔵、 「相変らずの馬鹿め」 「馬鹿か馬鹿でないか、丑蔵、今見せてやるぞ」  と鞘を払ったから、丑蔵仕方なく抜合せる。          七  丑蔵は隷裾も脱がず只一討と上段につけた。虎松竹刀をとって対手を討つ事は上手である が、重左衛門の心付けがあるにしても二十二歳で初めての真剣仕合である。苛々するのと丑 蔵が小僧扱いにしてかかる余裕のあるのとを較べると互角と云っていい。  上段の刀、打込んでくる。避けたが耳に少し手に少し微傷を受ける。次いで打込む二の 刀、左へ開くとともに、一足踏込んだのは小兵の心得。切尖に力を籠めて半月形に斬下す。 丑蔵、辛くも受留めて立直るや暫くの離合、二人の呼吸は次第々々に乱れてくる。蜂驟ばき の丑蔵掛引が自由で無いから、じりじりと後へ雪駄を脱ぎすてようとする。右足を前に左足 の雪駄を、脱棄てる「間《かん》」。一歩下るよと見る虎松、上段に振かざして懐へ飛込んでくる大 胆な攻撃法、丑蔵下る隙がないから、ここぞと受ける虎松の刀、真向へ来たかと思いの外、 飛燕の閃き、今しも上げた丑蔵の小手へさっと入る。 「しまった」  と、叫ぶ、甘亊で次の刀を防いでおいて獄尹の片手薙ぎ、身をちぢめながら虎松の脾腹へ 斬込んだが雪駄の裏金が石道で滑ると共に、とんとつく片膝、刀が下って虎松の膝頭へ斬込 んだ。それと共に手首から切落された丑蔵の右手。虎松、 「わっ」  と声を立てて左脚でとんとんと後へ下ったが、右脚を突こうとすると、少しの自由も利か ないで膝を突いてしまった。と斬口からほとばしる血汐、並趣ろうにも右脚は膝から下ぶら ぶらになってしまっている。刀を左手《ゆんで》に立上りながら突いてくるのを、力任せに払う。二三 合打合ううちに両人とも蒼白の顔色はいよいよ齲射が無くなって、く嚇るまで変じてきた。二 人は暫く黙って坐っていた。ようよう呼吸《いき》がつげると、 「丑蔵、是非もない……この上は男らしく刺違えようではないか」  虎松は頬も脣も肩も脚も血塗《ちまみ》れである。丑蔵は右手の斬口をしっかと腹へ押つけながら、 「所詮助からぬ命じゃ。怨むなよ虎松前生の因縁じゃで」 「そうじゃ、父や母にも遭いたいが……傷が痛む。灼けつくようで……」 「さ、立てるか」  と寄る丑蔵、刀を杖に立上ってよろめきながら垣根づたい、本堂近くへきて大声に叫んだ が誰一人出て来ない。誰かに見届けさせてと二人が這うようにして山門の方へくると、丁度 通りかかった一人の武士がある。柱に凭《もた》れている丑蔵、 「修理《しゆり》殿」  と声をかける。修理も目をつける。 「何とした事じゃ」  と走寄《はせよ》ると、山門の石段登りもえずに虎松がうつむいている。 「かくかくの次第、儂職御手数ながら刺違える所を御見届下されますまいか」 修理は姓を竹内と呼び千七百石の緇鍵である。 「見届けつかわす」  と云う言葉に、再び引帰す父久右衛門の墓前。 「心静かに、南無阿弥陀仏」  と片手に仏を念じる修理。 「いざ」, 「さ」  と声をかけて、互に当てる乳の下、探って切尖を当てたが虎松、 「まて」  と左手《ゆんで》に袖をもったが胸へ当てた丑蔵の刀をきりきりと巻き白分の手を添えて、 「さ」  とかける声、刺通してしまった。流落ちる血潮、あたりの墓石、敷地から血の泉を為《な》し た。苦悶の声が暫く続いたが間もなく止んでしまった。修理が抜取った二人の刀は切込みが 七八ヵ所もあった。  虎松の屍《かばね》は万次郎の脇へ、丑蔵のは翌々日葬式をした。  文化八年九月二十二日の事である。