波の鼓          一  ナイアガラとか、それからーそれから外は知らないが、遊覧地行きの切符というものは きっと二枚つづいている。 「ナイヤガラ、一枚」 「一枚?」 と、轡謝そうに聞いて、そのつづいたのを一枚切ってくれる。凡そ、汽車に乗る程の者 は、汽車に乗る位に遠くへ旅立つ程の者は必ず女を連れて行く、必ず女房は連れて行かなく てはならぬものと定められてあるからである。夫婦切符の生ずる離、いささか日本とはち がっている。  又、パリに赴く。 「何、男をこしらえたって?」 「……噂だがね」 「こしらえるだろうよ。当り前だからね」 「当り前?」 「変な顔をするね。君は日本人だから知るまいが、どんな麟いい邸だって、夫が、三週間以 上留守にしておりゃ、男をこしらえたって無理がないという習慣になって居るんだよ。男だ って何をしているか知れないと……というより、必ず何かしていると決めてしまっていいん だね。三週間以上の留守は、つまり、女房に対する愛の無い事、いやむしろ侮辱している事 になるんだね」 「いや解った」  そこで一口話ができる。 「マグローさん、一寸《ちよつと》待って頂戴、五分間」 「何をなさる?」 「通り懸りのついでに、あの日本人と離婚の手続をしてくるわ」 「ああそう、じゃ三分待てばいい」 「心強うは云いながら、去年六月の江戸立ちには、又来年の五月にお供して、下るまでは逢 われぬぞや」  と、三十を一つ二つ越したお種に、一年の長らくを独りで留守させておいたが、昔は女に 一分の理も無し。所変ればパリの如く、当節、当地ならば五分と五分、近頃の東京だと女に 六分男に四分の理しかあるまい。 「これはなつかし君|此処《ここ》に、須磨の浦曲《うらわ》の松の行平、立帰りなば我も木蔭に、いざ立寄りて |磯馴《そなれ》の松のなつかしや。松に吹きくる風もきょうじて、夫の留守居淋しき折から」  と、大近松の作「嬢㍑灘の鵡一。宮地源右衛門とお種の不義。  鼓の師匠となっているが、どうであったか? 宮地源右衛門は本名で行くと宮井伝右衛 門、齢は三十一。お種の夫小倉彦九郎は本当の名が大蔵彦八郎。この子孫が大倉喜八郎、だ などと下らない事は云わぬもの。  宝永二年、因州鳥取の城主松平右衛門の御台所方をしていたのがこの彦九郎。いくら所変 れば晶変っても、御台所は御台所、男の勤める所として気の利いた場所ではない。気の利か ない所へ勤めている武士だから、勿論禄も大した物でない。 「小身者の悲しさは、隔年のお江戸詰、お国に居ては毎日の御城づとめ、月に十日の宿直《とのい》 醗、夫婦らしゅうにしっぼりと、いつ語らいし夜半も無し」  と、近松は云わせているが、少し贔贋《ひいき》の引倒し、隔年の江戸詰なら一年は国にいる。その 一年に月に十日の宿直なら、月に二十日は、しっぽりと語らう夜半がある筈である。尤《もつと》も、 「彦九郎殿とは様子ある夫婦ゆえ、婚姻の時の嬉しさは」  と云って居るから、お種十六七の時に、 「お種さん、鑑瓶の跳ねようは、それ、こうすると、そら一杯入るでしょう」  と、役柄だけにうまい。お種やってみるがうまく行かない。 「舞、駄目ですわ」  と、彦九郎の顔を見る。どうもその時、味な目附をしてみる位の度胸と色気はあったと思 える。彦九郎手をとって教えてやる。お種そうと家《うち》の方をみていて、人の気配のしないのを 知ると、嬉しそうに手と手を触れさせる。これが即ち、 「様子ある夫婦」  と、近松門左衛門だと六字で片づけてしまうが、私だと一枚かかる。天才だなどとこの辺 を云うか。とにかく、彦九郎とは前々からの関係であったらしい。          二  宝永二年彦九郎江戸詰となって出る。名古屋を離れると去年吹出た宝永山の事が麟いい。 彦九郎勿論、五六年も前からの女、別に心にもかけていず、宝永山のできた話をしていた が、お種の方には別な物が出来ていた。近松は、いろいろ綾をつけて、磯辺麻蕪衛際などと 云う代物を出してくるが、どうもお種は三十年増、二十七のふうという実の妹と二十六のく らという義理の妹と二人をもっているから、三十も一つ二つ越したと云っていい頃。十四五 で彦九郎に釣瓶を教えて貰った位だから、三十越してからはパリヘ行くか、アメリカヘ行か ぬと納りそうにもないと思える。  それに男の伝右衛門、鼓の師匠でないにしても家中の者ではない。何かを教えに来ていた らしいが、鼓の師匠とすると、鼓が本職やら姦通が本職やら、今でも名もなき、いや名のあ る師匠でも、こういう事件はよく引起すから「因州欧幟の鳥取」で娘が三人出会いする城 下、多分ざらにあった一つの代表ぐらいにしておいてもいいだろう。門左衛門の手管《てくだ》にかか ると、床右衛門の云いよるのを、体よくあしらっていると、刀を抜く。その場逃れに明夜と 云うのを源右衛門が聞いていたので、お種びっくり、あれは謹《ンつそ》、と云ったが源右衛門半信半 疑。もしこの人の口から洩れてはと、酒の酔が手伝って口塞ぎに罪を犯すという段取になる が少し苦しい。 「さても見事なお翫静罵や、七つ蒲団に齢鑑据えて、蒲団張して小姓衆を乗せて、海道百里 をはなでやる。花も先手の供道具、素槍、片鎌、十文字、唐の頭のく繊いの、絹は紅梅魚を 鯛、云うも管槍《くだやり》人は武士」  と、有名な文句。  海道百里を松平右衛門、花とやりつつ京都から保津川づたい、亀岡から福知山へくると、 もう鳥取へ戻ったも同様。  戻ってくると、なかなか当座は忙しい。人も口にしないし、お種の様子にも気がつかな い。その内に何処からと無く妙な噂が聞えてくる。彦八郎お種の様子に気をつけてみると、 少し研轡しい所もある。濃ボ人間のする事など、疑ってみればきりが無い。彦ハ郎変な目で 見ると、お種がますます変になる。  大体が釣瓶で出来た二人。こう云う「様子ある」二人の仲の男と云うものは大抵、女好き のする一寸《ちよつと》した男にちがいないが、三十四五になっても御台所方の下役をして出世もしない と云うのだから、女が三十を越して、小さい時からのこまっちゃくれ、変に苦労して世才に たけてくると多少頼りなく思うようになるものである。私に云わせると「様子ある」夫婦十 数年連れそっていて間男されるなんて少し男の意気地《いくじ》が無さすぎる。尤も意気地が無くて も、女にこういう事をされると人並に、或は人並以上に憤怒するものであるかも知れない。 お種の実の妹というのが家中のな籍しへ女中奉公に出ている。これを呼んで世上の噂姐厭と聞 くと、 「見たことは無いが……」 「見たことは無いが…・-それから、一体謹と思うか本当と思うか」 「さ……」 「返事をしない所をみると、お前は本当と思っているね」  お種の妹で、年頃になっても彦ハ郎と同じ御台所方、少しあまくって器量はよくない。も ぐもぐしていたが、一代の智慧を絞って、 「おくらさんが御存じでしょう」 と、逃げた。おくらというのは、城下の町人、震聰壁与左衛門へ嫁入りしている、彦八郎 の妹に当る女である。 「おくら、お前知って居るか」 「ええ、姉さんの嚢搬、隠せるだけは隠しておきましたが、余り口の端に上るので、意見も しましたが、どういう魔に魅入《みいら》れたのか、一向に……」 「男はどうしている?」 「さ、その男が薄情にも、お姉さまが飽きたかして、貴方のお帰りになる半月も前、何んと かうまく欺して京都へ戻った様子です。京にはお嫁さんがあるとの話……」  どうも間男というものは壁半をつけて進上するのが一番いい方法らしいが、いくら長年連 添っていて飽きの来た女でも、女房となって外に好きな男を持え、その男に飽かれて捨てら れては、二重のい鷹おポ出る。これは尤もな次第。彦ハ郎脇となってしまった。 三 「文六、確にそうじゃの」 「証拠の無いことは云わない。斬ってしまいなさい」 「ふむ」 「兄さんが斬れなけりゃ、私が斬りましょう」 「それにも及ばぬ。……よし」  と彦八郎、 「種、一寸参れ」  先に立って入る持仏堂。近頃、こんな間は別につくりもしないが昔の家には小さくとも仏 間がちゃんと持えてあった。半間一杯の仏壇、扉を開けて火を灯す。 「坐れ」 「はい」 持仏堂で意見している図は大抵、鷹偉とその母だが「波の鼓」には門左衛門、巧に陰惨な この仏間をつかっている。 「ここへ坐れ」 まさか殺されるとはおもわない。位牌片手の籔思慰、ああ云えばこういう。こう云えばあ あ答えると……。 「種、臨貯に及んで未練な振舞するな」  此期に及んでを、殺すとはすぐ解釈できないので、 「何をお伽やいます」 「何を? …-武士の妻としての作法を存じおろう」  御台所方でも武士は武士、彦八郎はちゃんと心得ておろうが、妹を女中奉公に出す位のお 種の家、こう改まられると半分しか判らない。家中、人が居ないらしく、ひっそりとして物 音もしない。仏壇の灯のみ薄くろく室内を照らしている。何か大変な事が起りそうである が、夫の云う事が半分しか判らないから、お種黙念として控えている。これが彦八郎には |図《ずうずう》々しく不貞腐《ふてくさ》れているとしか思えない。 「それへ直れ」  という声を挙げると、夫は脇差を持っている。 「蒙、何を……」 と、身を引く。膝頭が、がくがくと震出して蒼白《そきつはく》に。彦ハ郎それを見ると、この期に及ん で未練なと愈如憎くなってくる。 「未練者め……」  と、云いつつ立上る。 「何を為《な》さいます」  と双手《もろて》を突出して、立上る。 「たわけ者め」 と、低いが強い声、彦ハ郎も醤齢になったまま、鞘を捨てる。お種逃げようとして、よろ めいて、どんと壁に当る。 「文六……誰か」  と叫ぶのを、彦八郎、どっと突倒しざま押伏せて、 「覚えがあろう」 「あれ、誰かきて……」 「白状すれば命は助けてとらす」 「ええ、済みません」  甘ヲの脇差、しっかと膝で押えている女の肩口から僻瞬へ、袖に巻いてぷっつり、血のと ぶのを押えながら、金剛力に擁還さんとするのを、戯ヲと灘瞬の力で押えていると、すぐ力 を失った様子。 「夢見たような身の上の間に、憎い奴もあれど、いえば卑怯の未練の死、夫の刀に先んずる は如何とは存ずれ共、是は我身の言訳なり」  と、「波の鼓」では自害するが、そんな立派なお種では無い。 |戸外《そと》で悲鳴を聞いていた弟の文六。彦ハ郎の友人の二一二、家へ戻っていた妹のくらなど、 やがて静まった頃に入ってくる。 「処置なされたか」 「只今済みました」  仏間の三畳へ入ってみると、お種の死体へ掛蒲団をかけてある。 「それで、貴殿の面目も立つというもの」  と、妙な武士の道、形ばかり回向《えこムつ》して、一家だけで野辺の送りをすます。一日置いて二十 九日、このよし組頭へ届けると共に、灘離誰の願書を出す。三十日という暑い日に、文六を 連れ、姦夫伝右衛門を知っている妹二人を同道し、戻ったばかりの街道を再び京都へ入って きた。 四  京都へ入ったのが六月の四日、暮れ方であったから宿を取る。五日、聞いておいた伝右衛 門の住居、π並弗の堀川東を探すとすぐ判ったから、辻に軒に儂〃で出入に目をつけ、そっ と近くで聞くと、確に居ると判る。文六-実は文七  を見張にしておいて宿へ戻って、 敵討の届を京都所司代へ差出す。所司代から当日、武士一人、足軽二人をつけて諸方を取締 らせるからとの注意がある。越えて七日朝五つすぎ、今のハ時。  麟いい舐園祭、門は掃清められて打水涼しく、町家々々に慢幕を張って、京都名物の屏風 を店先に立て、君離を布いて大供子供共、今日を晴と着飾る。京一番の大祭とて、朝から人 出が多い。身軽な四人、気取られてはと、人混にかくれて様子を伺っていると、淀布に祭り 日、伝右衛門の家にも人出入多く、すぐ斬込んで邪魔が入ってはと、暫く伺っているうち、 どやどやと出てしまった人々。この機と裾を端折り、女には脇差を与えて、男二人は刀を、 「宮井伝右衛門と申さるる方、御在宅なら」  と、狭い格子をくぐって、二人が中へ入る。 「識芯、手前が伝右衛門」 「鳥取の大蔵彦八郎で御座る」 「おお」 「覚えたか」  と、叫びざま、抜く。  店の間六畳一つ。上り口で抜く、とともに伝右衛門、奥へ逃れば袋の鼠と、後へひらりと 撃るなり、とんとんと二階へ上りざま、右手を延して「なげし」の槍。取るとともに二際 階ヂの中段より、 「さ、参れ」  と、拳下りにつける。 「小癩な」 と、進み寄る。狭い階子の中程で、鼓師匠の遣う槍、突出したら最後繰引けない。引くと とんと壁や障子へ当る。 「やっ」  と、斬落すと、柄を投つけておいて二階へ上るや、祭の日、酒盛に用意してあった徳利、 煙草盆、盃、茶碗を投つけて、 「黙れるなら、昇って見ろ」  伝右衛門の女房、奥にいたがこの体をみるより、夫の大事と薙刀《なぎなた》を取ったが、家の中、ま して天井の低い京の家。水車の如く打振りとは行かない。 「何をしなはる。無茶かいな」  と、斬ってかかるを文七、 「邪魔するか」  と、向ったが、時に齢十七。御互にいい相手。一かどの名人の如く、睨みあったまま双方 中々動かない。 表で、どっと人の立騒ぐのを、足軽二人と手先一人、六尺棒に十手、 「敵討や、邪魔するといかんで」  と制している。女二人、裡甲斐々々しく、脇差を抜いて入ってみると四人の睨合。ふうが 文七に加勢する。女房障子を城壁として中から薙刀をちらちらさせていると、文七その前で 刀を構えたまま、 「邪魔すな」  と云いつつ時々ちらちら兄の方を見る。  彦八郎蟻ろうとすると、伝右衛門碁盤を瀦ヲに差上げて、 「おのれ、登ってくると一砕きだぞ」  と云っている。まともに当れば一寸《ちよつと》困るが登らなければ果しがない。落ちている徳利を拾 って目つぶしに投げる。さっと避ける隙に、匙躍強く、どどどんと上り口の板を踏む。 「そらっ」  と投つける。どっと板敷へ落ちたのを、 「馬鹿め」  と罵りつつ片脚かけると、火入、風呂釜、枕、饗醗を投つけるので近寄れない。遜り一面 に散乱している器具。おくらこの様をみると表へ出た。隣家の垣へ上って屋根へ手をかけ る。 「押してやろか」  と、足軽。 「ええ」  と必死、恥かしいどころではない。 「そら」 「ええぞええぞ」 と、今も昔も野次見物麟いい内に、登り切る。窓から見ると、上り口の所へいろんな物を 置いて伝右衛門、時々投つけているから、がらりと障子引開けざま、躍り入る。振向く伝右 衛門、 「此奴」  と叫んだが、側の屏風、くらの方へ押倒してきたから、屏風越に突く。 「糞、ちょこざいな」  と、力に任せて押伏せると、女、 「兄さん」  と悲鳴を揚げる。屏風の上、踏つけて窓から表屋根へ出る。廟へ手がかかる。街路へ飛降 りたから、見物摩章ててさっと開く中を鷺鷹の方へ走って行く。  彦八郎、妹の声に赴翼ると、今窓から出ようとする。 「待て」  と、叫んで走りかかる。 「傷は」 「いいえ」 「待っておれ」  と云すてて同じく飛降りる。飛橋の上で追いついて、二間余りになると、 「逃げるか」  と大喝、声が近いので踏止まって腰の脇差、蒼白《まつさお》な顔に肩で息しつつ無言のままに構え る。こうなると武士だ。彦ハ郎、 「さ、覚悟してよかろう。何処からなりと参れ」 と・響をみて悠然としている。伝右衛門足を釘づけにし、怪しげな擁勝味無しと知っ ているが打込む。刀の先より拳の方が先に動くから空っ下手。ぼんと跳ねられて刀を落さん として辛くも止めたが、一足退る。 「行くぞ」  と、きっと睨むので二足。 「やっ」 と一打。伝右衛門、首をちぢめつつ夢中に、刀を落し左手《ゆんで》に顔を防ぎつつ右手《めて》を挙げてよ ろよろとする肩から一打、 「うわっ」  と声をあげたが、逃げんとして背後《じつしろ》をみせ、二足ばかり踏出したが、左へどっと倒れてし まった。  郵離誰が珍らしかったのと、京の舐園祭の当日だったので、此噂忽ザ京大阪へ響渡った。 市井ざらにある間男騒ぎ、時なり場所で門左衛門の筆にかかり、お種だいぶんにいい女にな っているが、只今でもあちらにもあり、こちらにもある、貧乏からくる生活の飽きと、濃情 な女の浮気沙汰。アメリカならば、彦八郎の方が裁判所から呼出されようという物語り「堀 川波の鼓」の真相、あらまし娘の齪叱