娘巡礼形見笈摺 1実説石井常右衛門ー 直木三十五          一  万竜という岐がjよ亡灘律ったことがある。私の余り好きでない顔立ちであったが、この名 なんか到る所にある。私の蝉ヲにした1断っておくが、私は嫌杉対手にする事は大好きで あるが、一つ寝をしても決して肌を許した事はない  中にも、三保ヶ関に万竜というのが あったし、箱根に箱根万竜というのがいた。この箱根万竜は今富士見町で一竜と云っている が、どういう訳で、万から一になったかーーこれは余計な話である。  高尾という太夫も、万治とか榊原とか、初め三四代は可成りいいようであったが、町人瑠 鵡廿がざらに出入するようになってからの高尾などと云うものは可成りいい加減な代物にな っていたにちがいない。石井常右衛門も芝居にすると、その高尾の色男で、とにかく名が高 尾だから大した様子のいい男にちがいなかったと想像させるが、高々二百石の武士の分際が 自由に出来る頃の高尾だから、何処の田舎者の出たてだか判らない。  吉原も初めは大名位の外、到底太夫などを呼ぶ力のある者がなく、それ位金のかかる女だ から従って今時の欝嫌より遥かによかったにちがいないが、続いて蔵前の町人が出入するよ うになり、旗本の大身が避齢し、大小名の禄のいい所が忍んでくるようになってからは、安 い店も出来るし手軽に安ければ傭騒'りも流行りもするし、小店が流行って中店が店を大き く構えるに従い、銭を見て、 「あれ、いやらしい虫がありんす」  などと本気で云っていた太夫は、全く無くなってしまった。一夕三十両以上の入費がかか ったと云われるのが、いつか十分の一となった頃は、石井常右衛門が朋友と行く時分で、高 尾太夫も二十代目位である。  当時の吉原には第一に太夫、次に格子、第三に彫㍉第四が雌鷲(又は散茶)と四種類あっ た。太夫と格子とが上格で、これは揚屋《あげや》へ行って揚げる。山茶というのが今の女郎の通り で、その居る店で遊ばせる。これが出来て以来、近づく事の出来ないものとされていた「吉 原」という所へ、丁稚《でつち》小僧が近づけるようになったから、すっかり太夫などは押されてしま ったのである。   「山茶は六百六十九人、是にはやりてなくIとかく識佛咲やすき故に、中より下、い   ずれも山茶をもてはやすなり」  と、元禄十五年の「女大名」にあるが、高尾太夫まさか、山茶高尾でもあるまい。で、高 尾太夫も三四十代である。  姫路の城主碓廉礎儘げ家中で佛黛随慨蕪衛際、三十になるか成らずで、剣も強いが、茶の 湯、謡曲と武士の心得の上に、三味線が弾ける。姫路の色街では中々人気のある男であっ た。これが、初めての出府、家中の篇鵡廿の伊藤助七郎、成島金之丞、畔部ヰ屡鷲という三 人。 コつ伊集院を誘って吉原へ行こうではないか。麗、国許では色男だが江戸の案内は分る まい。一つ誘い出して恥をかかしてやっては」 「妙、彼奴には女の事で恨みがある。いろいろ女も奪われたが、彼奴に取られるのだけ癩《しやく》に さわるから可笑《おか》しい。虫の好かんという男だろう」 「ふむ、貴公の虫は伊集院をすくまいが、女の虫も余り其|面《つら》は好かぬて」 「色は面でこしらえぬ」 「と、云っていて一人も出来た事が無いの」 「だから貴公は駄目だ、明夜彼奴を誘って行って拙者近頃手に入れた玉を御覧に入れよう」 「目が二つあるか」 「ある」 「鼻筋足許まで通りかな」 「髪がちぢれて歯は乱杭」 「これこれ拙者の面を云うでない。女の顔なら、まず路考《ろこう》に似ているて」 「路考の裏向けにだろう」 「路考茶藤鷹の当り年で、伊藤助七郎から始まったりな」  と云う所へ、 「これは方々」  と伊集院恒右衛門が入ってきた。 「いや、早々に御苦労。善は急げだが恒右衛門、明夜貴殿を吉原へ御招きしたい。いやとは 云うまいの」 「これは早速、いつに変らずIIちと用も御座る故」 「逃げてはいけぬ。もう手筈万端、卍《まんじ》という引手茶屋へ頼んである、貴殿が敵に背後《うしろ》を見せ るなど武士らしくも無い」 「貴殿が来たら是非一つ見てもらいたい物があってな。姫路の女には拙者の値打が判らぬの じゃ、吉原へ行って始めて拙者を見込んだ嫌があるが、これがその醗らぬて、恒右衛門、御 同役これから参ろうか」          二  恒右衛門、掻いたとて大して恥にもならない恥、そのまま戻ればいいのに、其処が若く て、妓に嫌がられる事位世の中に不愉快なものは無いと思っているから、其まま長屋へ戻ら ず足を北へ向けてしまった。聞いていた卍へ行って、 「榊原の家中の者じゃが、伊藤氏から明晩の事受けているか」  と聞くと、伊藤様は一昨日も来られましたが、その話は一向に聞きませぬと云う。 「では四名で参るから」 「太夫衆はいつもの」 「拙者は始め故、誰かー」  と、云ったが粋人だけに身装《みなり》といい人品といい伊藤の比でない。茶屋の者すっかり心得て しまつて、 「どうぞまあ、御二階に」  酒を傾けている内に入ってきたのが、三十六代目高尾、生れは越後、十四から来て今年で 丁度六年、江戸の水にすっかり慣れてしまっているから、三十六代目でも馬鹿にならぬ。恒 右衛門、これはこれはと思ったから急に元気よくなって、いろいろ巧妙に物語る。高尾すっ かり打解けて、 「お主は西国でありんすかえ」 「姫路の榊原家中じゃ、伊藤というこれこれした男を存じておるか」 「ほほほほ、あの伊藤様、ほほほほ、よく存じておりますぞえ、意地の悪そうなお武士衆《さむらいしゆう》、 お主の朋輩でありんすかえ」  から、実はと恒右衛門、打明ける。 「こうしなまんし」  と、高尾もいい男だから親切に、卍の卦嬬としめし合せて、いろいろ計らっておく。          三 「まずまず伊集院氏には、ま、ずっと、そう仰《おお》せられずに、ずずずっと」  と、田部井彦惣吉原へ入るが早いか、忽ザ武士か鷲蹴か判らなくなって、一々先に立って 恒右衛門を煽《おだ》て上げる。 「時に、政尾太夫は? ああそうかい。政尾太夫これを一名政岡太夫と申し品がいい。少し 足が悪くてよちよちしているが、芝離によく似ている。この女が、そうか、そこの色男、伊 藤助七郎み濃との嚢嚇の御台所」  と・銚子三四本までは機嫌がよかったが、見慣れぬ新造が入ってきて、燈隼鎌を置く、盃 を置く。金蒔絵の紋を見ると、揚羽の蝶。 「高尾太夫がくるのかい」  と、彦惣不審気に聞くと、 「さあ、識パ様やら」  と、新造笑って出て行く。暫くすると禿《かむろ》を連れて、 「高尾太夫さまあ、高尾太夫さまあー」  の声と共に、とんと止まる襖の外。男衆が平伏しながら、 「御越しなされませ。高尾太夫、差上げまする」  禿、香箱を捧げながら、振袖をひらひらと、太夫の背後《トつしろ》から、高尾三人を見向きもせずに 正面、恒右衛門の脇へ裾さばきも鮮かにぴたりと座をしめた。下座で新造、 「いずれも様、よくこそお越し下されました。御盃頂戴させて頂きまする」  と、挨拶してするすると太夫の側へ、高尾の取上げる盃を、新造恒右衛門へさそうとする と、 「御馴染ゆえ、あちら衆から」  と、盃助七郎の所へ廻ってきた。三人呆気にとられていると、高尾、 「召しなまし」  と、贋臨へ煙草をつめて恒右衛門へ渡す。 「おほん」  と、すっかり縢穐ってしまったから、みるみる助七郎顔の色を変えた。 「伊集院氏、吉原は未だと云ったが、い鳳りじゃな」  と云う声の下から、高尾が、 「助さん、野暮に大きい声をしなまんして、ほほほ」  と、笑ったが、二本|指《さ》していても、こういう廓へ入って、廓第一の全盛と唄われている太 夫に逢うと、平武士の腹しかない。忽ちぺちゃぺちゃとなってしまって、さされた大盃ぐつ とあおったが照れかくし。彦惣助七郎の照れたのをみてとって、 「よう似合いまする」  と云ったが、助七郎にぐっと睨まれて、そのまま黙ってしまう。成島金之助、 「相も変らぬて」  と云いつつ新造の顔を盗見している。芸者が入っていくらか座が浮いたが、政尾太夫とう とう来ない。 「帰ろう」 「とするかな」 「帰ろう、駕《かっし》を申つけい」 「では身共も」  と、恒右衛門立とうとすると、 「何か太夫様が内所の御話」  と新造が引留めると、 「それは後日に」  と云っている内に、三人どんどん出てしまう。恒右衛門、高尾に礼を述べて、外へ出ると 月あかり、駕をすすめるのを、未だ早いからと、大門を出て廉鵬塘を浅草へ、蹴静の中の一 本道。廓の中はだまで更けぬが、灘彫に堤はもう通う人影が無くなっている。          四  万一1と、恒右衛門肇騨はいつでも脱げるように、鯉口斜にして親指で押えながら、い護 |足《あし》に行くと、 「伊集院」 橋の影、土堤の下から騒上ってくる三人、 「よくも恥辱《ちじよく》を与えたな」 「これは意外な事を云う。伊艇拙者が……」 「云うな、勝負せい」 「馬鹿め」 「何を」 「腰抜武士め、参れ」  つつと二間ばかり下ったかと思うと、雪駄を脱いで、袴の股立しっかと上げる。 「卑怯者、三人かからぬと斬れぬか。臆病武士、腰抜武士、禄盗人」 「何を」 と、助七郎とととと天進出る。途端、どうして持っていたか、乱隈恒右衛門の手から 発止と投げたのが、頬先へ当ったから、はっと顔をそむける、その間《かん》、 「やっーえい」  小手を落されて、のめるのを、二の太刀で頸筋へ。さっと辮す返り血、ぴたりと青眼に金 之助へ向う。彦惣、金之助の背後に居たが、到底敵で無いと見て、 「逃げろ」 と、声をかけておいて一目散に走去る。一人を斬った恒右衛門、顔色を蒼白《まつさお》にして、火の 如き呼吸。 「覚悟」  と、叫びつつ打込むのを、受けて身を翻ぞして走らんとするのを、 「己れ」 と、大喝、片手を延して横に払う。たたたと蹟グように二三歩出て四つん這いになった所 を、どんと蹴る。ごろりと転がりつつ、横へ払ったが見当ちがい、延びた手を斬られる、刀 を落す。  大息をついた恒右衛門、ぶるぶる身を額《ふる》わせながら、止めを刺して、血を拭って鞘へ。暫 く思案してたが、そのまま道を千住の方ヘ取って行った。          五  この頃もう浪人というものは生活が出来なかった。齢#凪豊事件以来、取締が厳しくて、 一時江戸中の浪人を追放しようかと云う説さえ出た位である。小身の旗本などでさえ、砥々 暮せぬのでいろいろ悪事を働いた。恒右衛門、武術は相当に出来るが、私闘で朋輩を殺せば 切腹物である。それを逃かくれしているのだから目立つ事は一切できない。餓辺の伊勢の国 餓献舐。櫛藤椎の吉右衛門という百姓を頼みにして行って、ここで居候をしていたが、 「百姓を為《な》さりますかい」 「百姓をするにも田畑はなし」 「怒ってはいけませんぜ。こういう話なんですがの、嘉六って五嵐ばかりの献小催ですが至 って正直での。わしと大の仲よしで、若い時からのうま合いで、山田へ女郎買いに行っては ・・…」 「その話は三度聞いたぞ」 「いつか御話しようと思ってたのでの、その嘉六の嬬が、それそれ卵を買ってくれとくるあ の女で、今ああしているが、二十《はたち》頃には嘉六がやいやいと後をつけて、私にどうでも取持っ てくれと、盆の夜に……」 「その話は四度聞いた」 「あの、おたねが独身者で」 「ふむ、それを世話しようというのか」 「いや、そうでねえ」 「ではどういう話」 「つまりそうだが、怒っては」 「怒らない、あれなら結構」 「しめたっ」  高尾が好意を見せる男、元が武士、おたねだって悪くは無い。恒右衛門も諦め時と、五段 の直小作、うまく耕作ができると、食うには困らぬが、竹刀と鍬とは勝手がちがう。おたね も田舎者といえ、齢纐をつけぬまでも髪位は念を入れ出す。一年余りしている内に借金が出 来た。恒右衛門も余りいい気持ちで無い。三日に一度位は喧嘩もする。おたねが身重になる と共に、だんだん鼻について耐えられなくなってきた。 「大阪の朋輩に、身の振方を相談してくる」,  と云って出て行ったが、一ヵ月二ヵ月では戻って来ぬ。夫恋しさと貧乏との二つから、お たね居たたまれなくなって、家財を売って巡礼姿大阪へ志して国を出た。          六  寛文五年の秋、大阪を探ねたが判らず。四国を志して泉州藤代村まできた。春に出て身重 の初旅、夏は軽く越せたが、秋に入ってからは、何時逢えるとも判らぬ旅の懐、着物を薄く し、山に寝て無理をしたのが、ここまでくると耐えられなくなってきた。村が目の先に見え るが、産気づいたと見えて下腹が異常に痛む。夫の事も何も忘れて、今|此処《びしこ》で生れては、そ ればかり念じながら道側で腹を押えて顔に汗を流している。 「どうした巡礼」  と、通りがかりの武士、一声かけたが、喰くのみで答が無い。肩へ手をかけて抱起すと、 「あ、1痛」  と、聯加声。目をあける力も無い。哩週を見た武士、腰の物を抜いた。左脚を引いて大上 段、 「エイッ」  左の肩から右脇へかけて一刀。むむと云って前へずーっと手を延す途端、オギァ。はっと した武士、そのまま急足に立去ってしまったが、斬られると共に、力が入ったから赤ん坊、 見事に押出されてしまった。そのまま泣きつづける。人通りのない夜だが、時々通る百姓、 その声を聞つけて提灯片手に近寄ると、血の中に赤ん坊が引っくり返っている。  知らせによって代官佐藤団蔵が騒つけると、騨鷹に「伊勢の国飯高郡相原村百姓嘉六女房 たね三十三」とある。側に落ちていた紙入に「擢鎌醗M」という名札が入っている。殺した 男も殺された女もすぐ判った。斬口からみると余程の刀で可成り手が利いた人らしい。大鍋 蔵人という名を、いろいろ探したが判らない。  佐藤団蔵、男の子が一人あるだけ。不欄だから吾手で育ててやろうと連れて戻ったが、こ の女房、 「へん、百姓の子を、物ずきな」 と云って蜘ヂにしない。隣近所の女房へ鷺瓢むして十三まで育てたが、その年に団蔵が死 んでしまった。捨児だから名をお襟、小まめに台所、庭掃除をするが、女房二言目には、 「捨て児の分際で」  とか、 「乞食の子、御前のおっかさんはこうこうだよ。間男かなんかの果だろう。御前もどうせ砥 な事はしまい」  というような事を、月経の上りかけたヒステリi女、口汚く罵る。団蔵の死際に枕元へ呼 ばれて、 「御前も薄々知っていよう。御前の母はこれこれで殺された。これがその時母の側に落ちて いた紙入じゃ。もしこの名のさ豊いが見つかったらこの書状を添えてお上へ願出るがよい」  と渡された紙入。小さい時から十分に使われて勝気でもあるし利口でもある。この遺言を 聞き、罵られるのを聞くと、敵を討ちたくて仕方が無い。紙入と共に与えられた母の形見の 笈摺をしっかと肌につけて、一夜そっと抜出てしまった。 七  人情今よりも確かに厚い。娘形の巡礼ただ一人、 「御報謝」  と云って門口に儂"ば、必ず一文二文、一握、二握の米にはなる。食べるには困らぬが、 さてどう探ねていいものか、壷井在《つぽいざい》を一足も出た事のない娘、己れと同じ姿の女巡礼を見て は、母恋しいと思えば、女巡礼もいたいけなるお捨に同情をよせる。 「藤井寺まで妾《わたし》と一緒に行こう」 「有難う存じます」 「泊りはここが安くて親切じゃ」 「いいえ、妾は野宿致しまする」 「何を滅相な、雲助にでも逢ってみい」  と、泊り泊りに親切な人、お捨藤井寺から王寺へ出て、武士の多いのは郡山と聞いて、小 泉《ソしいずみ》の代官所の前を通り、城の口へ入ってきた。 「巡礼に御報謝」  と、慣れてきた口調。立った門口が、郡山本多美濃守の御用研師《ごようとぎし》、刀屋藤左衛門の宅。丁 度店にいた藤左衛門の女房きよ、 「進ぜるぞえ」 と云って鑑藤から取出す一文銭、店先へ出て渡しながら通を見ると、外に連れらしい者も 無い。 「御前一人かえ」 「はい」 「ま、入って休みゃれ」 「あのお家様、妾にも刀が売って頂けましょうか」 「これは、まあ妙な、して何にするぞえな」 「はい」  と、笠の内で笑っているが、利口そうな目、愛らしい顔、三十すぎて一人の子も無い、 「きよ」にはなつかしい子供である。 「悪留めはせぬから一寸《ちよつと》御入り」 「はい」 と云って家へ入ったが、お捨《す し》刀が欲しい。後生大事に錆びた刀を一本もっているがこれで は対手ができぬと思っていた。丁度さしかかった刀屋、親切な女房の言葉に、事情を話した ら安くて刀が手に入ろうかと、一生懸命、もう上気しながら、 「両親は」 「はい、父は何処に居りますか、これこれで、母は、おかみ様」  と云いつつ、懐から取出す騨鷹のB糠、血に螢んで切れているのを広げつつ、 「この大鍋蔵人というお鵡廿に」  と云いつつ泪《なみだ》を落す。きよはほろほろ泣ながら、 「それでは敵を討ちにかえ」 「はい」 余りの健気さ、余りのいじらしさに、藤左衛門を呼んで話すと、貰泣きしながら、 「わしの宅に居れ、何かの機が多い。その武士も遠くの人間ではあるまい」  と、二人で一夜泊めてみると、物腰、する事十三にしては利発である。敵を探す事など、 忘れてここに三年を送らせる。          八 コ腰《ひとラしし》頼みたい」 「どうぞ、拝見を」 「粗末な晶じゃ」  刀屋藤左衛門、裏表を改め、 「備前物で御座りますな。中々御見事な作、古刀にしても珍らしい出来で御座りますな。こ みを一つ」  と外す目釘。 「これは立派な、備前犀艦齢㌢三左衛門祐定、初代祐定で御座りますな」 「永正三年六月吉祥日と裏にある」 「成程、時に少し曇りが」 「それか、中々眼が高いの、十年余り前、泉州で人を試したがよく切れたぞ」 「左様で御座りましょうな、ええ御姓名を」 「当藩、大鍋蔵人、城中の二の丸御長屋におる」 「大鍋とは大きい鍋」 「左様、妙な名じゃて」 「由縁《ゆかり》ある姓で御座りましょうな。余程御斬りになりましたと見えて、こうずっと-・…」 「袈裟掛にやったがの、女巡礼じゃ、殺生な事をしたが、巡礼など生きていても苦しみの方 が多かろうで、一思いに引導《いんどう》渡してくれた」 「いくら巡礼でも命は惜しゅう御座いましょう。一ヵ月ばかりで仕上げますから」 「頼む」  と出て行くと横っとび。 「知れたっ、御母さんの引合せだぞ」 「何が妾の」 「御前じゃない、襟の御母さんだ。お襟、大鍋の董脈が知れた」  と、その足で親しい印佛山井五郎太夫を証うて、団蔵の書状と、笈摺に紙入を差出し、ど う手続きをしたらいいかと聞く。 「それは感心な子供じゃ。拙者が取計ってやろう」  と、殿に上申すると、揚屋《あがりや》ヘ入れて吟味せいとの言葉。呼出して刀を取上げ、証拠を突つ けるとすぐ恐入ってしまった。  敵討の場所は城外の馬場。万事山井五郎太夫よろしくせよとの事に、柵を結んで、日を天 和三年十一月二十ハ日ときめる。          九 コ番立派な刀を出してくれ。一世一代じゃ。何、山井様が心配すなと仰言《おつしや》った。お捨《すて》には その脇差を出してやれ」  と藤左衛門、紬《つむぎ》の黒紋付に山井から頂戴した羽織、霰の麻袴をはいて、お捨には白装束、 赤飯を焚き艦計祝って、近所隣の人々に見送られつつ、馬場へ出る。 揚屋から引出された蔵人、小手高手のまま足軽に守られて場の中央へ。 「控えい」 坐ると共に山井五郎太夫、 「悪びれず討たれい」 「はい」 「捨、並びに刀屋藤左衛門出ませい」  という声に、お捨と藤左衛門、ぶるぶる震《ふる》えながら出てくる。 「かねがね申つけあるように」 「っ灘ま炉ました。櫨らぬようにっ儂っります、それ捨」  という声に、捨脇差を抜く。 「御母さんを殺した奴じゃ。そうそう双手でしっかと握って、うんと、うんと突くのじゃ ぞ、ええか」 「御叔父様、瞬えなさらんと」 「何、今朝は少し寒いからじゃ」 「縄解けっ」  はっと足軽、蔵人の縄を解く。途端に、 「蔵人、覚たか」  と、金切声、憎いと思う一念力、教えられた通りの諸手突、さっと突いてきたから、蔵 人、縄のまま起上ろうとするのを、 「卑怯者」  と、足軽六尺棒で左右から、がんと叩く。 「何をする」  と云ったが胸元へしたたかに錐尖《きつさき》を受けて、口から血を吐く。 「見事、今一刀」  と、山井五郎太夫、鉄扇をもって打つ真似をする。 「母さんを殺して、己れ」  と、真額《まつこう》へ一太刀、足軽よしとみて縄を切ると共に、刀を前へ投出す。片膝立てて蔵人刀 を拾おうとした時に、又血を吐く。肺を刺されたらしい。そのまま僻呼く所を、お捨又斬ろ うとする時、 「待て」  と五郎太夫、蔵人の側へ行って、 「立てっ」  声と共に、抜討に前を払ったが、よろよろとして突伏してしまう。足軽がきて刀を奪う。 「止《とど》め」  と、お捨の手へ手を添えて五郎太夫、止めを刺す。 「見事々々」  どっと揚る見物の喚声。 「えらいぞ捨」  と、藤左衛門|蒼白《まつさお》になりながら、お捨の後から控所へ入る。  翌日すぐこの話は大阪へ広まった。伊集院恒右衛門、西国巡礼になっていたが、何処で聞 いたか郡山《こおりやま》へ訪ねてきた。恒右衛門もこうなると御父さんとも云えない。我子を一目みただ けで、藤左衛門に育て方を頼んで再び旅に出る。お捨はそのまま刀屋の子になった。  伊集院恒右衛門のこの話に、二代目高尾と石井吉兵衛又の名常右衛門との情話を盛込ん で、こしらえ上げたのが、俗説石井常右衛門。これをもう一つ槌《こしら》えたのが、石井常右衛門、 後に深草の名僧斌礫になるという話であるが、厳正に云うと皆畔鰹印。