近藤源太兵衛 直木三十五  不良武士  別に近頃になって急に不良少年ができ出した訳ではあるまい。ここに居る三 人の武士など確かに不良少年と云っていい。 「どうした?」  と、浅田十郎兵衛、入ってきた小姓|造酒之助《みきのすけ》の顔色が|蒼白《まつさお》になっているので、口早に訊ね た。僻騎風村岡の領主ボ轡卦殿の江戸邸、剛う猷ざ瀧いの詰所に於てである。  くずれるように坐った小姓、襟元を掻合せながら、引釣るような声で、 「九十郎を」  と、片手をあげて斬る真似をした。 「やっつけたか」  と口を出したのが池田七郎右衛門、膝を進めて、 「そいつはえらい。よくやったぞ。どうして斬ったか?」 「それより、私、人を殺しました上は……」 「逃げろ逃げろ」 「見ていた者はあったか?」 「さあ、別に誰も」 「じゃ並避くがいい。拙者が用意をしてやろう」 「然し、人を殺しました上」  と、多分この小姓、いくらか|矯態《しな》でもつくったか、 「跡の事は拙者が引受ける」 「拙者も引受てやろう」  と、義に勇む武士の一言l-と云ってもいいが、こういう男の売りようは大抵の|博変打《ばくちうち》に でもざらにある。北条造酒之助、同輩川野九十郎を斬ってそのまま邸を|逐電《ちくでん》してしまう。年 は定かでないが、頃は寛文、戦国の余風未だ去らず、到る所、不良の義、匹夫の勇の盛んだ った頃である。  π縦の風偉轡の城主、松平稽鴉鵠剰礎の長屋  長屋と云っても九尺二間坪三十円の借家 普請とはちがう。六間や七間はあるが、ただ棟つづき。出入口がずらりと並んでいるから、 江戸から落ちてきた小姓などすぐ口の端にかかってしまう。村岡の領主などと、極めて小さ いが、造酒之助は江戸育ち、どっか垢抜けがしていて、禄高は上だが佐倉みたいな田舎の小 姓とは、小姓っ振りがいい。  主の近藤源太兵衛、 「さて困った・俺との間が怪しい、は、いいとしても、こう目立つと何時かは九十郎の一蝋 の耳に入るだろう。入っては事面倒……」  と、 「どうだい造酒、灯台元暗しで、隠れているのは江戸の方がよくはあるまいか、どうも目立 っていけないよ。本郷に拙者の兄があるからそこへ行ったら」  と、本郷丸山町で浪人ではあるが別に暮らしに困ってもいない、兄の宇右衛門。手紙をつ けて造酒之助を頼む。  暮らしいい時代だから、今よりも|食客《いそうろう》も居よかったし、居よいから多かった。どうも居候 というものはだんだん減少する傾向がある。しかし、居候というものは、どっちにしたって 人の家に居て遊んで飯を食わしてもらって居るのだから、余り気持ちのいい物でない。 「何か仕事を手伝わして下さいませんか」 「見らるる通り拙者が苦群三蹴で日を消している身、手伝って下さる仕事と云えば、先ず刀 の手入れ、槍の手入」 「仕官する道は御座りますまいか」 「さあ、|児小姓《こごしよう》にならいい男故」  と宇右衛門、俵ヲをもって造酒之助を5鄭の風舞転の城主堀田鱈ち哨の鷺鷹傑の江戸邸へ児 小姓として勤めさせる事にする。造酒之助大いに喜んで、 し、恩を謝して邸勤めに上る事となった。 このよしを佐倉の源太兵衛に報知 二  目付から、浅田十郎兵衛と池田七郎右衛門に呼出しがある。 「造酒之助を落したのは、鄭胡という噂があるが左様か」 「はい」 「何故落した?」 「武士の情で御座る」 「情は情、捉は捉、濫りに人を欝めたものを私情にて落すのは、これ法を破るもの。造酒之 助を討って差出せ。鶴かば両人ともに落度を申付けるぞ。櫓と心得ろ」  暇を出されてしまったが、出し抜けの事で、平聯のた聯えも無いから、家財を売払って、 「とにかく造酒之助に逢ってみよう」  と、佐倉からの便があったから源太兵衛を尋ねると、本郷へ行ったと云う。本郷に宇右衛 門を|訪《と》うて|在家《ありか》を聞くと、 「拙者は存ぜぬ」  と云ってしまう。探したが判らない。児小姓として邸の中に勤めているのだから、到底見 つかるもので無い。家財なんて物は有れば使えるが売払って金にでもすると何の足しにもな らぬ。四五日酒を飲むと無くなってしまった。金が無くなると、無暗に造酒之助と宇右衛門 が憎い。 浅草で一杯引っかけていい機嫌、上野から切通へきて四丁目の角へくると、四ツ|手駕《でかご》にの って擦ちがう武士。垂れを上げていたからふとみると宇右衛門、 「駕屋待て、これは近藤氏」  と編笠をとって前へ立ふさがる。 「いや御両所で御座るか」 「造酒之助は未だ在家が」 「判り申さぬ」 「心当りでも……」 「毎度申すとおり、拙者は少しも存じ申さぬ。ちと急ぐ用故」 「黙れ、この鷲鷲糠」  手をとって駕を引出す十郎兵衛、 「何をする」  と擁罐くのを、横から七郎右衛門、抜討に斬る。 「不届な」  と柄へかける手、どんと十郎兵衛、突飛ばしたから、よろよろ,として駕へ|任《もた》几れかかるの を、七郎右衛門の二の太刀。 「人殺しだ」  と口々に叫ぶ通行人。辻番所から番人が騒つけてきたから、刀を納めると共に、逃出す。 残していったのが編笠、笠の紐に二人の名が記してあったから、すぐ討手の名は判った。  造酒之助、こうなると黙っておれない。二人にも恩があるが、宇右衛門にも恩がある。二 人はそれに自分を殺して帰参したいと腱っていて判らなかったので宇右衛門を殺したのだ。 落ちろ、跡は引受けたと云う頼もしい言葉は消えてしまって、扶持離れになっては困るから と、落した自分さえ殺そうとした、武士にあるまじき人間、その上に、自分を匿してくれた 宇右衛門を討果して、のめのめ帰参するなど1寛文の児小姓、役は役でも武士気質はもっ ている。それに友人、知人の批判も恐ろしい。 「御暇を頂きとう存じます」 「仔ポ」 「敵討をしとう御座ります」 「どうした訳か」 「かくかくの始末」 「敵討だからと云われると、よせとも云えない」 「助太刀は」 「宇右衛門殿の弟御、源太兵衛殿と力を合せようと存じます」  と、元服して阪尾武兵衛と改名した。家中で助太刀をしようと云う者も出来るし、源太兵 衛の方からも、宇右衛門の下僕など、二十五人という人数になった。これは仇の二人が、あ との事を恐れて国詰となり、村岡へ行っているから、邸へ斬入るつもり、延宝三年八月上 旬、宇右衛門が討たれてから三月の後。          三  但馬国也嚇群村岡へついたのが九月十日。一足前に到着して池田、浅田の邸を捜していた 前川某の言葉によると、二人の伽解は隣合せになっているとの事である。二十五人の人数は 刻限を合せて別々に二軒へ斬込むつもりであったから、いろいろ打合せもしてきたが隣合せ なら訳は無い。  二人三人ずつ早朝に着いて、町外れの僻処、此処で待合せ、人の近寄らない森の中で策戦 にかかった。 「敵情をさぐってから」  と云う者もあったが、 「狭い町の事だから見ず知らずの他国者が多勢うろついてはすぐ目に立ってしまう。このま ま此処に忍んでいて夜に入ってからすぐ討入ろう」  と云う説が多くなった。但馬の村岡なんて但馬の人しか知らないような処へ、妙な姿をし たのが二十五人もぞろぞろ現れ出ては目立つにきまっている。そのまま森の中に潜伏して敵 の様子を伺わせるものだけ一人、二人|商人風《あきんどふう》に変じて、二人の邸辺をうろついていたが、残 っている者蚊に刺されつつ夜半までまつ。九月十日という頃、夜風は涼しいが農の暇な時、 折柄の月はよし、夜半になっても人が断えないし、盆踊らしい太鼓の響が微かに聞えてく る。森影へ出てそろそろ仕度を始める。織襯ヂに掛矢、村岡領へ入る前に買いととのえてお いた糧食など、それぞれ腰につけて白の瀦欝げ白の鉢巻を味方の合印とし、暁近い頃、ひそ ひそとして邸へ近づいて行った。  一人、二人物見にきた者が少し勝手を心得ている位、土地さえ不案内の余の者、さて邸の 塀の前へ立ってみると、どう見当をつけていいのか判らない。 「とにかく入ってみるぞ。合図には笛を吹くから、笛合せをして門と塀とより一度に押入っ て下されい」  こう云っておいて阪尾武兵衛、余旦局からぬ門脇の塀から忍び込んだ。庭木の間、踏石伝 いに一度家の中を廻って、奥座敷を確かめ、隣座敷へも忍んで寝所と思う所、出入口をそれ ぞれ見届けておいて、 「ピ、ピ」  と低い笛の音、元の所まで来て吹いてみたが答えが無い。二一ニ度鳴したが、合せて来ない ので、庭木から塀へ手をかけて頭を出すと一人もいない。左手にちらちら動く火灯が照るの で、眼をやると五六町の蠣芯から榔唯が二十四五本も空を焦して起πってくる、さては露見 して追手が包囲するつもりかと思うと、邸の静まりかえっているのさえ気味悪くなったか ら轟と飛降りるや暗い所を撰んでひた走り定められた集合場所へ聾けてみると、両 は、 「不思議だな」  と松明の行方を見ている。松明は邸の方へ行かずに、横へ外れて城の方へ行く。皆の顔に はありありとして不覚の色が現れ出した。御互に黙って恥を包んでいるより外物も云えな い。早出の百姓が通る頃、ほのぼのとしてきた。今更どうにもならない。百姓に聞くと、 「ありゃ貴方、年貢納めの人間でがす。狐火とおまちがえなされたのかのう」 と云って笑っている。梯子はかけたまま、槌は捨てたまま、余りの狼狽振りに勇気が|挫《くじ》け てしまった。御互に御互の腹の中が判ったような気がして口を利くのも不愉快になった。と 云って一人で斬込む程の勇気も出ないから一先ず引揚げる事になってしまった。いくら寛永 武士だって、土地不案内の所で松明に押寄せられてはぎょっとするが、それにしても不覚な 事であった。  引揚げる事にはなったが、面目無くって帰国できない。誰云うとなく近くに留まって再挙 を計ろうと云う。不賛成の者は無い。京都に居を構えて、源太兵衛が小間物売となって村岡 へ入込んで、邸の内外、道路の如何、敵の手配、進退の要所といろいろ調べているが、その 夜の事は勿論、二人の仇敵に判っているから厳重に警戒している。その内に年月がたつ。二 十五人の同志の中、病に罹る者、事故で帰国する者、どろんと消えてしまった者、寛永武士 も頼み少ない。合せて七人という数になってしまった。  源太兵衛、ほぼ調べがついたので京都の隠躰へ戻って来ると、π臨齪ぼいる父から書面が きている。|齢《とし》は七十にもなるが戦場を往来した人、豪気で頑強。 「今年は兄宇右衛門の十三回忌に当る。何故敵が討てない」 と云う立腹の文面である。源太兵衛、十二一二年も小間物屋をして、すっかりそう成り切っ ているが、手紙をみると胸を打たれた。 「村岡を襲うて不覚をとったよし」  ともきめつけてきている。 「よし討損じて仇敵の邸を枕に死そうとも、七十の坂を越した俺にはそれで此世に思残す事 はない。締齪がのめのめ生きているのが俺にとっては何よりも冥途の障りになる」  と、ずい分手きびしい文句、終りに結んで、 「翫儘これ限り」  とかいてあるから、討つも討たぬもない、一人でも斬込んでくると云出した。源太兵衛が 帰ってきたと云うので、集ってきた一味の人々、二和十兵衛、小山田清左衛門、山田又市、 阪尾武兵衛、山本五郎兵衛、高橋喜兵衛と、合せて七人、手紙を見せると一議に及ばない。 「先年は何の手筈もきめずに土地不案内の所へ行ったから不覚をとったが、近藤氏が苦心し てさぐってきた以上、すぐにも打立ち申そう。|屍《かぱね》を横たえるのは覚悟の前、ただ前年の不覚 さえそそげば本懐で御座る」 と、こ濫とく決死の覚悟である。さらばと云うので、鍵櫨董打入道具などを用意して打入 る日をきめ、それぞれ国に職警い樵ぞ出した。          四 充秤二年四月二十日。 源太兵衛、武兵衛以下合せて七人、京都の仮寓を立って村岡へ向う。 亀岡へ一泊した夜、二和十兵衛が風邪を引いたと見えて、頭痛がすると云って頭が上らな い。頭が上らないと御尻も上らない、と沸落でないから、無理をして駕で急がせる。その内 に熱が高くなって膨匡を云わんばかりになってきた。避如医者にかけようと云うが十兵衛頑 として|肯入《ききい》れない。肯入れないが手当をしつつ行くのだが、病人があるのと、敵地へ近づく のとで、用意に用意をして中々道がはかどらぬ。五月二日、やっと但馬国へ入って浅手阪 (コ加舐賜へかかったとき、 「苦しい」  と、熱で正気の無かった十兵衛が一言洩らした。 「十兵衛、気がついたか」  と、駕の前脇に立っていた源太兵衛が云った。 「近藤」  と云ったままあとがつづかない。駕を止めて垂れを揚げると、げっそりと痩せて鷲黒くな った顔に、ありありと苦痛の色を浮べながら、 「駄目じゃ」 「力を落してはいかぬ」 「此処は何処?」 「浅手阪という所、もう村岡へ近いぞ」 「残念じゃ、敵を見て死ぬのは残念じゃ」 「しっかりしろ、大丈夫だよ」 「いいや、斬込んで、晴れの場所に不覚をとるより、此処で柵鑑を頼みたい」 「そんな事を云う物でない。充分手当をして鶴るのを待って、共々討入ろう」 「何を云う。どうせ捨てるときめた命でないか。敵地を踏んだからには、何処ですてても面 目は立つ」 と、息も断え断えに云ったが、水を飲みながら力をつけて、どうしても死ぬと云って聞か ない。痩細った様と云い、呼吸の乱れと云い、一両日で癒る病気で無い。 「どうせ一同死ぬと決めた身じゃ。一足先へ行って待つだけのこと、何を|愚図《ぐず》つく」  と云うから、 「判った」  と源太兵衛、 「見事な覚悟」 「判ってくれたか、うれしいぞ。さ」  と云って駕を這出ようとするのを、手を執って、 「出ても場所が無い」 「さらば駕の上にて」 と、又入る。敷直した駕蒲団、六人の者が膝をついて、十兵衛を取囲む。 コ念|止《とど》まって、必ず仇敵は討取るぞ」  と最後に云ったまま|双掌《もろて》を合せた。苦痛を長くさせまい為めに、源太兵衛と又市、咽喉 と、胸と二ヵ所へ刀を当てる。 合掌して甫無阿弥陀仏を唱える七人、口々の唱名、目を閉じつつ道脇に躍ポる四人、 「村岡はこの方か」 「あの山を越した所じゃ」 「さらば」  と、云ってきっとその方を睨んだ十兵衛の咽喉と胸ヘ、当てた刀。 「いいか、それ」  と一度に刺す。つーっと飛ぶ血を手拭に受けて、思わず唱名を声高に諦す。 「死体は?」 「|髪《もとどり》を切って、死体は谷間に捨てよう」  と、それより外に方法が無いから、駕|諸共《もろとも》谷へ投込む。          五  その日の夕方、村岡の町へ入るとともに、 「火事だ、火事だ」  と大声に叫んで町を走出した。一人が走っても可成りの騒ぎになるのに、六人が口々に火 事だと叫んで走るのだから、声のとどく限りの家の人々がどっと外へ出てきた。六人につい て走る町の人々。火も煙も見えぬが、本当らしい人出に、どっと騒出す。 「いいか」  と叫ぶと共に三人と三人、阪尾、小山田、山本が池田邸へ、近藤、高橋、山田が浅田邸 へ、未だ宵の内のこと、門の開いているのを幸に、 「近藤宇右衛門の為めに仇を報ずるぞ」  と叫びざま、玄関口から斬込む。とにかく十三年経ったのだから、二人とも油断してい る。小者、下僕の|周章《あわて》るのを、 「敵討だ。手向いして繍するな」  と大声に、さして広くも無い屋敷の内、|間互《まごとま》々々の|襖《ごと》を蹴倒し、障子を破りのけて、敵を 探す。 「出会え、池田七郎右衛門」  と三人、口々に探したが居ない。下女を捕えて聞くと、隣の浅田へ遊びに行ったと云う。 それと云うと、阪尾、小山田、山本の三人、小門を破って、庭伝い座敷に踏込む。 源太兵衛、一間の襖を引開けておいて、右手の一刀、襖越しに、突込んだのは敵の匿れて いるのを防ぐ為め、 「狼籍者」  と叫んだ一人、四十余りの年配。 「池田七郎右衛門じゃ、へろへろ浪人め」 「近藤源太兵衛じゃ、受けてみよ」 と、口早に言葉をつかえたが、天丼の低い狭い座敷、刀が思うように使えない。源太兵衛 の小兵を見た、七郎右衛門、 「組打だ」  と云ったが、気の荒い時代、 「よし」  と叫ぶと、むずと組んだが、大力の七郎右衛門、源太兵衛の帯へ手へ差込んだが、 「うぬ」  と、右手に入れた力、脚がからんで押倒すのを、心得たりと源太兵衛、敵の力をそのまま 巴投の一手、七郎右衛門の股間へ脚を入れて、倒れざまに頭越しlと、心得た手が七郎右 衛門には利かない。どっと重なり合って倒れる。しっかと組伏せて、腰の脇差、刺そうとす るのを下から支える。振払って万刺す。鐙僻発㌍着ているのと、必死に支えるのとで裏を かかない。ほんの尖が突くだけ。 廊下に轟く二一二人の足音、振向く七郎右衛門、 「己れ、動くな」 と、大上段の武兵衛、一打と斬込んだが低い鴨居、とんと当って届かない。二の太刀、脇 差で受けて立つ。擁趣きた源太兵衛、脇差を抜いて、背後から迫る。逃げ出そうとする七郎 右衛門、追ざまに武兵衛の突くのと、源太兵衛の斬るのとが同時、脇差を投げつけておいて 獲逃げんとするのを、前へ廻った小山田清左衛門、構誘ちに斬下す。  裏へ廻った山田又市、逃げ来らば一討と構えていたが、来そうにも無いので、走入る目前 に、槍をとって表へ行こうとする武士、 「待て」  振向く、槍をとって、 「参れ」  と云ったがこれが十郎兵衛の弟の郷左衛門、 「手向いするか」  と叫びながら、もう一人槍をとって|突《つつ》かかる男。又市二人を対手に戦っていたが、次第に あとへ引く。上げ板の一枚にとんと脚をとられて、たじたじと前へのめる。得たりと突出 す。聡したはずみ隙間なく突いた槍を眉間へ受けた。  七郎右衛門を斬って一息ついた源太兵衛、裏手の太刀討と懸声に、馳つけるとこの有様。 「エイ」  と叫んで片手討、郷左衛門辮そうとしたが家来が邪魔になって蝶し切れない。したたか肩 を斬られて、槍を放って腰へ手をかける。その隙も与えず二の太刀、烈しい源太兵衛の太刀 風に、家来の半左衛門槍をすてて逃出す。前へ立ちふさがる高橋喜兵衛、丸腰の半左衛門双 手を突き出して思わず、 「助けてくれ」  と云ったが、横薙ぎに右手を斬落されて、倒れるのを、頭を一太刀、 「出会え十郎兵衛」  と叫んだが人の物音もしない。一間に震えている女中に三人の首縦を見せると、隣りの池 田に、主人の弟郷左衛門、家来の半左衛門だと云う。味方の手負は三人、皆浅い。水を飲ん で呼瞬をついていると、表の方に人声が喧ましい。 「討手じゃ」  と、覗きに行って武兵衛が起〃ってきて云う。 「仇敵を討った上|長居《ながい》は無用じゃ、生きるも死するも一当て当ててからの事、つづけ」  と源太兵衛。斬って出ると、二十人余りの武士、π欝、門の所まで取詰めていたが、どっ と逃出す。山田又市、一人おくれていたが、 「山田又市と云う東国一の豪の者、かかって来い」  と罵りつつ悠々と出て行くが、その血に|塗《まみ》れた顔、五尺七寸余りの大男に、かかる者も無 く、歩むと歩み、走ると走って追ってくるのみである。又市、暫く一行と歩んでいたが追手 のないと見ると共に、眉間の傷が痛んで目が眩んできた。よろよろとよろめきつつ、民家の 軒へ入ったが、うつむいたまま立たない。 「何とした?」 「いけぬ」  と云うので気付薬を与えて、傷所を調べると、思いの外の深手で骨まで突破られている。 ここまで共に来て、今此処で一人を殺す事は忍びない。気付と|金創膏《きんそうこう》とで何んとかしてと思 ったが、次第々々に霞めてきた。 「自害したい」  と、顔を上げて云ったが、最後を飾ろうとする武士気質、助かろうと努めて、手に力の無 いまでも生きている事は、余りに死に臆病であったと見られては恥である。  短刀を取出して腹へ当て、 「介錯」  と、追手が又迫りそうなので、手早く首を打落して、刀、脇差を取上げ一纏めにして小山 田がもつ。源太兵衛と武兵衛は七郎右衛門と郷左衛門の首を夜道に無提灯、 「京都の方へ逃げては危いぞ」  と注意する者があったので、道も畑もめちゃめちゃ方向を逆にとって足に任せた。腹が空 くが、返り血を浴びているし、異状な姿、一息ついた時に上着を脱いで姿を更え、道々一人 二人ずつ離れ離れになりつつ道をとい、連絡をとって纏まっては夜に入って歩み辛くも鳥取 藩領へ入った。  入ると共にこのよしを届出る。仇討と云うので藩では丁重に取扱って、衣服、食事を与 え、兵を附して「|米子《よなご》へ送られた」。米子へと云うから但馬から、京都と逆に逃げたらしい。  浅田十郎兵衛はこの乱闘の間、大釜の中で息を殺してひそんでいて助かった。