幸福論  三谷隆正著 まえがき  昭和十五年秋岩波講座『倫理学』のために私は「新生と浄福」と題する小論を書いた。 その小論が言わぱ本書の母胎であった。本書の後半部にはこの小論の一部をそのまま移 し用いた箇所がある。しかし全体として本書は今度全く|新《あらた》に稿を起したものであって、 昨年初夏以来満一年余、いろいろ身辺の事情に妨げられながら、今年八月|竟《つい》に稿を|了《おわ》り、 今又ここに無事|上梓《じようし》の運びに到り得たことは、今の時節にさても|仕合《しあ》わせなことかなと 思う。その間近藤書店主人近藤音次郎君の熱誠に負うところが|勘《すくな》くない。  私は生れてから今日に至る|迄《まで》、数えきれぬ幸福に|与《あずか》ると共に、また幾度か人が見て不 幸と|看傲《みな》すような目にも会って来た。私は{     も り、又不仕合わせ者でもあ ,4ようである。私は今ここにこの幸福論をものして、我こそは|斯《か》く斯くの幸福を|掴《つか》んで 持っている、|来《きた》ってわが幸福にならえと言い得るような、そんな幸福を誇示し得る者で はない。私の心はしばしば鉛よりも重く、私の眼は男児|知命《ちめい》にして時になお女の如くに 涙に漂う。私如きは|畢竟《ひつきよう》病余衰残の憐むベき一無用人に|他《ほか》ならぬかも知れない。しかし |斯《か》かる私にもまた奪うべからざる幸福がある。それは決してただの|諦《あきら》めではない。もっ と強い、もっと深い、もっと|旺《さかん》な幸福とそのよろこぴとがある。私はそのよろこぴを語 りたい。|静《しずか》に語りたい。読者よ、静に私の語るところを聴いて下さい。  初め私はもっと平易な、書斎臭の|尠《すくな》いものを書くつもりであった。しかしいざ筆を執 って見ると、|忽《たちま》ち|地金《じがね》が出て、平易とは言い|難《がた》いものになって|終《しま》った。しかし問題それ 自体が本来平易でないのだ。この位の程度の難文は許して貰ってもよいであろう。  本書のうちギリシア哲学史やパリサイ派の歴史等については|専《もつぱ》ら左記の諸著に|拠《よ》った。 いずれも有名な権威著であるから、記して読者の御参考に資したい。 E. Zeller, Philosophie der Griechen. III. Teil. I. Abteilung. J. E. Erdmann, Grundriss der Geschichte der Philosophie, I.Bd. W. Bousset, Die Religion des Judentums. B. Meyer, Ursprung und Anfringe des Christentums, II. Bd. H. Graetz, Volksttimliche Geschichte der Juden, I. Bd.  右のほかにもうひとつここに書き洩らしてはならぬ大切な参考書がある。それは聖書 である。聖書なくして私のこの幸福論はあり得ないのである。   昭和十八年十一月 著者    目  次  まえがき 第一章幸福論の歴史  一 ソクラテス学派  ニ エピクロス学派  三 ストア学派  四 口マ人の哲学  五 幸福論哲学の共通点 第二章 幸福とは何か  一 自己内在論(主我的幸福論)  二 自己超越論(没我的幸福論)  三 人格的超個者と非人格的超個者  四 超越神論 第三章 苦難と人生  一 嫉む神  二 守護の精霊  三 苦難の意義 第四章 新しき創造  一 バリサイの濫鯣  二 ハリサイ主義  三 パウロと二コデモス  四 内心分離  五 真の自由人 第五章 不幸の原因  一 生活の条件と生活の本質  二 二元相剋  三 禁欲の意義  四 体の善用 第六章 幸福の鍵  一 パスカルの賭  二 「至福共働」(幸福の至上境地)  三 幸福なる生涯  四 職業の選択  五 結語 第一章 幸福論の歴史 一 ソクラテス学派  西暦紀元前三九九年の晩春アテネでソクラテスが刑死した。人間の歴史あって以来、 ソクラテスの死ほど堂々たる死を死んだ人間は他にない。法廷に立っての毅然たる弁明、 死刑宣告直後の悠々たる直言宏辞。|然《しか》り余りにも悠々たり、余りにも毅然たるかれの最 後は、死して後までかれに対する敵の憎しみを刺戟したのであった。それほどまでに 堂々たる死をかれは死んだ。それはまさしく|大《おおい》なる|預言者《よげんしや》の死であった。プラトンの筆 になる『クリトン』『ソクラテスの弁明』『パイドン』の三雄篇は、この偉大なる死の前 後を活写して霊気人に迫るものがある。か魯偉犬ヵ    {オ 量ぽ、 当然まだ4ゐ生き方は書岬い藍でト菫絶倫、な,る生母生きぬ,吟々巨人すゆ、ア斥。かれこそは精神 界不世出の英雄豪傑、かれの存在そのものが学であり、真理への道であった。だからか れの哲学と思想とを排撃せんとしたる徒輩が、ソクラテスその人を殺すことによってそ の目的を達成し|得《さつ》と信じたのは自然であった。まことにソクラテスその人が学と真理と の活ける化身であった。  それ|故《ゆえ》ソクラテス|亡《な》き後、ソクラテスの感化の|下《もと》に與りし学徒達に共通な目標は、ソ クラテスを理解するということであった。その事はそれらの学徒のうちの最も偉大なる 者プラトンが、その対話篇をすべてソクラテスの名において制作しているのでも分る。 |殊《こと》に|況《いわん》やいわゆる狭義のソクラテス学派に属する人々においては、ソクラテスを正解す るということが全てであったと言ってよいであろう。知とは何ぞや。善とは何ぞや。こ の問題に対してソクラテス自らは言う「|来《きた》れ、いざ共に論じよう。しからば君また自得 する所があるであろう」と。しかし後進の学徒達は言う、この問題についてソクラテス は何と教えたかと。そうしてこのソクラテス理解において、一方的に偏した方向に進ん だものが、特に狭い意味においてソクラテス学派と呼ぴならわされている人々である。 これらの人々が学道に寄与したる所|勘《すくな》しと言ってはならない。偏したりとは言え、また それだけ鋭く問題を把握し得たところがあった。この人々なくしては、プラトンもアリ ストテレスもあり得なかったかも知れない。しかしプラトン、アリストテレスはこの 人々に比べて、もっと広く大きくかつ深かった。師に学んで師に超ゆるところの|豊《ゆたか》なる 独創があった。  この狭きソクラテス学派は、その偏する所に従ってこれをさらに二つに分けることが できる。 一はメガラ学派と呼ばるる一派であって、ソクラテスが徳は即ち知であると言 ったその知に偏して、倫理学化して論理学となる|底《てい》の傾向を現わすに至ったものであっ た。これを善よりも知または理に偏したる一派といってよいであろう。メガラの人エウ クレイデスをこの派の学祖とする。この一派と|対蹠的《たいしよてき》の立場に立つ他の一派は、理より もより多く善に偏し、|随《したが》って又|専《もつぱ》ら実践的に善の問題を把握しようとする態度をとった。 アリスチッポスを開祖とするキレネ学派がそれである。アリスチッポスはアフリカ北岸 の豊沃なるキレネに富裕なる商人の子と生れ、洗煉せられたる感覚を持つ文化人であっ た。若くしてソクラテスの声望にひきつけられ、親しくソクラテスの|教《おしえ》を受けるために アテネに来たが、そのままアテネに定住して、師の死後も再ぴこの文化都市を去らなか った。かれによれば|一切《いつさい》の問題が究極は善に帰着する。人間的実践的善に帰着する。論 理学も科学もそれ自体としては意義を持たない。ただしかしそれが倫理学のために役に 立つ限りにおいて有意義である。すなわち善はすべての人の目的とすべきものにして、 又すべての人のよろこぶ所のものでなければならぬ。善は快である。|然《しか》り現前現実の|刹《せつ》 |那的《なてき》快である。肉体的快である。故に運動競技は道徳的修錬である。賢人は苦痛を避け る。たとえそれが快への手段たり得る場合にも苦痛は忌避する。こうした刹那的快楽主 義がアリスチッポスの倫理学であった。後のエピクロスの快楽主義に比ぺて極めて粗野 な享楽主義である。ただしアリスチッポスその人の実生活は、その主張の如くに粗野で も享楽的でもなかったようである。  かようにして等しくソクラテスに学ぴつつも、一は知に偏し、他は徳に偏して、二つ の学派を分れなしたが、この徳に偏したる一派は更に二派に分れて、|偏《かたよ》り方の両極をな した。その一方は前に述べたアリスチッポスの刹那的快楽主義が代表するもの、他の一 方はいわゆるキニコス学派又は|犬儒学派《けんじゆがくは》と呼ばるる一派である。この派の学祖アンチス テネスの弟子ヂオゲネスが、アレキサンドロス大王の訪問を|後目《しりめ》に、樽の中に坐ってひ なたぽっこに余念なかったという逸話は、この派の主張が|奈辺《なへん》にあったかを|諷《ふう》するもの と言うべきである。プラトンの麗筆に成る『饗宴』の中に描き出されたソクラテスは、 鉄の如き健驪と金剛石よりも堅き意思とを持つ丈夫であって、楽しんで淫せず、乏しく して|困《くる》しまざる達人である。かれの如く貧窮に耐え、かれの如く富貴に耐え得る強剛老 は|稀《まれ》である。|否《いな》、比類を絶する。しかしアンチステネスが特に心を|惹《ひ》かれたのは、ソク ラテスの神にちかき無欲さであった。この無欲さ、又この小かー く 。|豸《もとづふき》 これこそ達人の至境である。徳は自足して求むる所なきを以て至境とする。何をも求む る|勿《なか》れ。一切の|覊束《きそく》を脱却して自足独立せよ。これがアンチステネスの到達し得た立場 であった。貯かる立場に立つ者にとっては、家族とか祖国とか杜会とかいうものは、自 はぱあしかせてかせ《ま》|《ぐく》|レ 足自由を阻むところの足枷手枷でしかあり得ない。社会的協同生活とその間に育まるる 文化とはすべてそれだけ人問の欲望を増し加え、|随《したが》って又それだけ乏しさを増し加える ものに他ならない。即ちそれだけ徳を阻むものである。故にヂオゲネスについての数々 の恐らくは誇張されたものであろう逸話が伝えるように、キニコス派は徹底的に杜会と 文化とそのもろもろの約束とを無視し、|独《ひと》り樽の中に無欲を楽しんで世を白眼視しよう とした。極端なる道徳的利己主義であって、キレネ学派の享楽主義を逆の方向に極点ま で押し進めたるもの、いわば消極的快楽主義の極端なるものと評してよいであろう。  ソクラテスの教えた所によれば、知は即ち徳であった。人が善を|為《な》さずして不善を為 すのは、善の善たるを知らないからである。善の善たるを知れば誰しも不善は為さない。 |何故《なぜ》ならば善はまた幸福でもあるのだ。そうして人にして幸福を求めないものはないの であるから。こうした意味の|素樸《そぼく》なる幸福論がソクラテス哲学における道徳論の根抵に あった。だからソクラテス学派のうち倫理学に偏したる一派が、幸福論に偏したる哲学 であったのは自然の事といわねばならぬ。しかもその幸福論がその偏したる一方的強調 を二様に発揮して、一は積極的極端に走りてキレネ学派の快楽主義となり、他は消極的 極端に徹底してキニコス学派の文化否定的野獣主義となったのであった。これらの一方 的ソクラテス学派が、ソクラテス哲学における基本的要素を徹底し又誇張することによ り、ソクラテス哲学の内容を一層明確に識得し又反省することを得しむる機縁となった ことは、|看《み》のがすべからざる功績である。即ち又これらの一方的学派の世界史的意義で ある。しかしその一方に偏したる解釈がソクラテスを正解するものでないと共に、一般 に学と真理とを正解するものでないこと、正解から|逸《はず》れてあらぬ方に|偏俺《へんい》するものであ ること、その事は極めて明白である。|果然《かぜん》この偏僑を修正して、もっと|正鵠《せいこう》を得たもの にしようとする動向は、これらの学派自体の中に既に生起しつつあった。殊にストアと エピクロスと両種の幸福論においてその動きが顕著である。即ちキレネ学派は後|漸《ようや》くエ ピクロス学派の主張に近づき、キニコス学派はストァ学派に合流するに至った。しから ばエピクロスは|如何《いかん》。ストアは如何。ソクラテス以後におけるこれらの幸福論の哲学の 消長は、幸福論それ自体の本質をあらわに示すところの、典型的歴史的例証であるとい うことができる。故に私はさらにエピクロス学派とストア学派との幸福論の内容を検討 しつつ、総じて哲学的幸福論の|帰趨《きすう》と限界とが|奈辺《なへん》にあるかを明らかにしたいと思う。 二 エピクロス学派  エピクロスは西紀前三四一年頃小アジア沿岸のサモスに生れたが、十八歳にしてアテ ネに来た。みずからは独学者を以て任じているけれども、かれがプラトンやアリストテ レスの影響を受けたことは疑いなく、|殊《こと》に負うところの多いのはキレネ学派、|並《ならび》に機械 論的唯物主義の哲学老デモクリトスであった。デモクリトスの|考《かんがえ》によれば実在はすべて 原子と空虚とから成るものであって、例えば精神は極微にして精細なる原子の構成によ って成り、肉体はもっと粗剛な原子構造を持つのであるという。そうしてこの原子と原 子との離合集散を規定するものは、全く機械的唯物的なるものであって、ライプニッの 単子論におけるが如き精神的なものでない。エピクロスも同じような唯物的機械的原子 論を奉じて、人間の心身も無数の原子の集積せるものに他ならずとなした。集積である から又必然に離散する。その離散が即ち死である。自ら死耕彖める者い薯あるが、 死を恐れる者も愚である。なぜというに死り到る時諧壱,り瞬間にかれはむタ存崔じ,葎い 'の葦ら4/教えた。  こうした唯物論的原子論はエピクロスの社会観と人生観とをも規定した。かれにとっ ては人生における至上善は個人の至幸至福なる生活であって、杜会とそのもろもろの生 活規範は個人の幸福のための手段に|他《ほか》ならない。法律は個人相互がその生活の平安のた めに、相寄り相約した規約に他ならない。正義はそれ自体の故に貴いのではなくて、そ れが個々人の生活に寄与する効益の故に貴いのである。|随《したが》って絶対の正義というような ものはない。時代の異なり、場処の異なるに随い、その社会的生活条件もいろいろであ ろうから、それに応じてその時その所おのおの異なった内容の正義を正義としなければ ならない。即ち|正《まさ》に近代の個人主義的功利主義の哲学またはマルクス的唯物史観さなが らの社会観である。プラトンにおいては国が先であって、個人は後であった。全体たる 国は徹底的に部分たる個に優位する実体であった。個先ずありて、この個のために国が あるのではない。国先ずあり、この国の|衷《うち》に己を没してこそ始めて個は生きるのである。 しかるにエピクロスの考によれば正にその逆である。これは注目すべき差異である。そ うしてこの差異は|独《ひと》りエピクロスにのみ特有の差異ではない。ストア学派エピクロス学 派等すべての古代末期哲学が、プラトン、アリストテレスの主流哲学と異にするところ の、著しき性格のひとつがこの差異である。この問題は後に再ぴ論及することにしよう。  こうした個人主義がエピクロスの倫理学の基調であった。ただかれはキニコス派のよ うに自主独善の野人生活に徹して杜会とその文化を白眼視することはしない。しかしそ の社会観と文化観とは上述の如き功利主義に立つものである。だからエピクロスは個人 主義的功利主義的|看点《かんてん》から杜会生活というものを見て、その意味で社会生活が個人の幸 福に貢献する所最も大なる面を大に尊重利用すべしとなした。かれが最も尊重したのは |友誼《ゆうぎ》であった。家庭はむしろ多くはただ|槿梏《しつこく》であった。この点かれは極めて徹底せる個 人主義者であった。しかし趣味|好尚《こうしよう》を同じくするところの友と交歓することは、人生に おける最大のよろこぴであった。友誼こそ何物にも束縛せらるるところなき自由自律の よろこぴである。そこには家庭生活におけるような、性とその自然必然なる拘束という ようなものがない。  このような功利主義がエピクロスの哲学の根抵であった。だからかれにとっては学問 とは実践的効益のための巧智に他ならない。科学は|愚昧《ぐまい》なる迷信から救ってくれる故に、 ただその故に意義を持つのである。宗教とその迷信くらい|怖《おそ》るべきものはない。それは 無用に人をくるしめ、いたずらに人をして|怖《お》じ|畏《おそ》れしめる。そういう無益の恐怖から人 を救い出し、理知の善導により幸福なる生活を|全《まと》うせしむるものが哲学である。哲学と はそうした実践的能力また技術に他ならないのである。エピクロスは純粋理論とか学問 のための学問とかいうものに対する熱心を持たない。かれの立場は徹底的に実際的であ る。そうして|一切《いつさい》が幸福なる生活のためであるという。幸福が人生における唯一の目的 にして又意義の源であるという。しからぱ幸福とは何ぞや。  エピクロスによればただひとつ無条件に|善《よ》きものは快楽であり、無条件に|悪《あ》しきもの は苦痛である。即ちキレネのアリスチッポスと同じ快楽主義である。ただしかしちがう ことは、アリスチッポスの幸福論が|刹那的《せつなてき》快楽主義であるのに対して、エピクロスの言 う快楽は理知による反省を加えられたる快楽である。即ち快の総量を大ならしむるため に必要なる対価ならば、困苦に耐えることを敢て辞せざるものである。またアリスチッ ポスがひたすら積極的にのみ快を快としたのに対し、エピクロスは消極的に快を規定し て、苦痛のないこと、きくミと、心の平らかであること"鳶ーミ費食と、このふたつを以 て快の本質なりとなした。即ちアリスチッポスにおけるが如き粗野なる快楽主義でなく て、もっと洗煉せられ思慮せられたる快楽主義である。ということはその半面において は、アリスチッポスの方が粗野である代りに又|素樸雄勁《そぽくゆうけい》な蛮力を蔵しており、エピクロ スの方は上品である代りに一層|頽廃的《たいはいてき》であるということを意味する。二人ともその実生 活はその言説よりも有徳堅実なものであったらしい。しかし二人のうちではアリスチッ ポスの方がエピクロスにまさりて道徳堅固の健康人であったかも知れない。  いずれにせよソクラテスの感化の|下《もと》に生れ又育ちたる幸福論の哲学が、その初めにお いては、アリスチッポスにおけるが如き素樸なる積極的快楽主義となってあらわれたけ れども、|漸《ようや》く反省と洗煉との加えられるに従って、幸福とその実質としての快楽という ものの本質が、積極的よりはむしろ消極的に規定せらるるに至ったことは、注目すべき 事実である。キニコス派のことは暫く|措《お》くも、エピクロスのようにその出発地において は積極的に快楽追及を旗印に掲げるものさえ、冷静に理性的に快楽の本質を検討し、人 生におけるその実際を反省すること|精《くわ》しきに従って、|終《っい》に無苦痛の無風状態を以て快と 幸福との|真諦《しんたい》となすに到っている。この一事はすべて人生における幸福そのものにつき、 随って又一般に幸福論そのものにつき、|大《おおい》に示唆するところある事実でなければならぬ。 このことを記憶しつつ、われらはさらにストア学派における幸福論の内容を検討してみ よう。 三 ストア学派  ストァ学派という名は学祖ゼノンがアテネのストア・ポイキレ(彩色館の意、美しき壁画 に飾られてあったが故にこの名があった)に|講莚《こうえん》を設けたのに由来するという。ゼノンは西紀 前三四〇年頃地中海東辺のキプロス島に生れ、初め書物を通してソクラテスの教説を知 ったが、後にキニコス派のソクラテス、メガラ派のスチルポ等々に師事した。要するに キニコス派の倫理学の感化を受けること大なりしものの如くである。青年を相手に道を 講ずること五十年の久しきにわたり、その間節制ある生活によって、生来|蒲柳《ほりゆう》の質にも |拘《かかわ》らず常に健康であったという。しかし年老いて肉体の衰えを感ずること次第に加わり つつありし或る日、講義を終えて家に帰る途中つまずいて倒れて手を少し|怪我《けが》した。す るとゼノンは地に向って言った「往くよ、なにをそう呼ぴたてるか」と。そうして帰宅 後静に自らくびれて死んだ(皀○ひ0筐の。。冖器弖毫く■儼8)。これが古人伝うるところの ゼノンの死に方である。|癈残《はいざん》の|老魑《ろうく》をあえぎあえぎ生きながらえるのは無意味な生への 努力である。|如《し》かず自ら殺して官能に基く苦痛とその|煩累《はんるい》から|免《まぬが》れんには。これがスト ァ学派の幸福主義的自殺是認論の骨子である。ストァ学派の巨頭たちはつぎつぎに自殺 した。ゼノンの高弟クレアンテスも高齢にして自殺した。ずっと後の人であるが、ロマ 皇帝ネロの時に宰相の栄位にあったセネカも自殺した。セネカのは|甚《はなはだ》貴族的な自殺で あって、入浴して血液の循環を良くした上、侍医に命じて手首の動脈を切らして、出血 多量に基く死を死んだのである。それは最も苦痛の|勘《すくな》い致死方法であって、ロマ人の自 殺は|専《もつぱ》らこの方法によったという。  ストアの哲学は西紀前第三世紀から紀元後第二世紀までおよそ五百年間にわたって、 ギリシア|並《ならぴ》にロマの人心を強く支配したのであった。|殊《こと》にロマ人に対する感化は極めて 根深いものであった。ロマ帝国の学道人に対してストアの感化を受けなかったものは|殆《ほとん》 ど一人もいないと言ってよいであろう。このストァ学派は大体これを三期にわけてその 発展を跡づけることができる。ゼノン、クレアンテス、クリシッポスは前期ストアに属 するものであって、|強靱《きようじん》なる思索と生活とを以てストア哲学体系を樹立した先達である。 その体系的内容は専ら先人の学説を素材とするものであって、独創を特色とするもので ないけれども、なお良くこなれた自由と生気とに富むものであった。中期ストアはロー ド島のパナイチオス等によって代表せらるるものであって、最も独創に貧しく、プラト ン的色調の|勝《まさ》った|折衷論《せつちゆうろん》の哲学である。後期ストアはロマ帝国におけるストアであって、 前述のセネカ、奴隷に売られて主人の酷使に|遇《あ》い、そのため足を傷つけられて終生|跂者《あしなえ》 であったというエピクテトス、陣中の手記『自省録』を以て有名な皇帝マルクス・アウ レリウス(エハ一至一八○年在位)等を数えることができる。後期ストアの特色はその思索 力が徹底的に倫理学に集注せられ、その思想的内容が著しく宗教的香気に富むことであ る。殊にアウレリウスの『自省録』の中の或る言句などは、キリスト・イエスの言葉を 聯想せしめるようなものがある。だから伝説はしばしばこれらストアの哲人達が、イエ スの使徒の或る者、例えぱペテロと交渉があったというようなことを言い伝えた。しか しそういう事実はなかったらしくある。  このように前期中期後期各固有の特色をあらわにしつつ発展したストア学派であった が、その間終始一貫して変らなかったことは、第一には理論よりも実践に重きを置いた ことである。これはエピクロス学派も同じことであった。しかしエピクロスの実践が個 体とその感覚とを重心とする享楽主義であったのと異なり、ストアは普遍妥当的法則と 理性とを堅持して動かざる克己主義を唱道した。この意味においては、前者は感覚主義 の哲学、後者は理性主義の哲学であったと言うことができる。ストア学派に内在するこ の理性主義が後代の理性主義または合理主義の思潮に与えた影響は大きかった。わけて も著しいのはロマ法学を通しての影響である。ロマ法学の哲学的基底はストア哲学であ った。殊にその理性主義であった。少しわきみちにそれるけれども、ここでこの問題を もう少し精しく語ることにしよう。  ロマ法学がその学的根抵を|確《しつか》り築きあげたのは、大体において西暦紀元前後、ケーザ ル、アウグスッスの盛時である。しかし当時は今日のように成文不文の成法体系が整っ ていた時代ではなかった。随って法学老とは与えられたる成法体系の認識解釈を以て主 たる任務としているわけにゆかなかった。加うるにロマ帝国|版図《はんと》の急速なる膨脹は、に わかに多数の異民族を統一的法制的統治の下にまとめて、万民に公正なる法的保護を与 え、生活の平安を保障してやらねばならなかった。そのためには何を基準として法的規 制を|遂《と》げるか。同一民族内の問題ならば、その民族固有の法規慣習に従えば良いであろ う。しかし問題が一民族の|埓《らち》を越えて他民族にもわたるような場合に、万民をして承服 せしめ得るような公正なる規制を|如何《いか》にして確立し得るか。これが古代ロマ法学の正面 に置かれかつ取りあげられたる根本問題であった。また実にすべて法学そのものの根抵 に|横《よこた》わるところの根本問題である。そうしてこの問題を解くための鍵となり、随ってま たロマ法学体系の学的礎石となったものが、有名な一畠臺三轟8自然法の理念である。 この自然法の理念はロマ法学の礎石となると共に中世のカトリク神学の脊椎骨となり、 更に近世哲学の体系内にも継受せられて、政治的には近代の自由民権運動の動力源とな った。ロマ法学はこの自然法の理念をストア哲学から学んだのである。  自然法または天賦自然の理性というような理念は、その淵源もとより|甚《はなはだ》遠く、決して ストア学派が発明したわけのものではない。しかしストア学派は前述のような意味で理 性主義であった。その功利的幸福主義の立場はエピクロス学派の感覚主義的であったに 対し、徹底的に理性主義的であった。そうして何よりも理性による生活の規制を重んじ た。刹那刹那の感覚に押し流された生活をしていてはいけない。生活の全面にわたって よく理性にもとづく統御節制を遂げなければいけないというのである。随ってまたスト アは万有の根抵に|確乎不抜《かつこふばつ》の理性ないし理法のあることを信じて疑わなかった。宇宙人 生は一貫して変らぬ理性の支配の下にあるというのである。その結果ストア学派のある ものは極端な定命論を唱えて、人間の歴史が一定の周期をえがいて全く同一内容の歴史 的過程をそのままに克明にくりかえすと考えた。即ち何千年かすると又アテネにソクラ テスが生れ出て、前と同じような生涯の後、前と同じように刑死するという。そこまで 極端でなくとも、ストアの歴史哲学は定命論の歴史哲学であった。  即ちストア学派の世界観によれば、この宇宙には一定不動の理性があって、自然も人 生もこの不動なる理性に支配せられている。だからわれわれの生活も良くこの理法に添 うように生活されねばならぬ。それが有徳の生活である。ストアはそれを自然にかなう 生活という。曾2ミ○ミ警9り息0ミ霍靱ド8三轟の8亳〇三筐帚冖ユぎ帛しかるに法 律とはわれらの社会生活を規律すべきのりである。随ってそれはわれらの社会生活をし て、それを支配しつつあるところの天賦の理法にそわしめるような、天理に|背《そむ》くことの ないような内容ののりでなければならぬ。故に人間の社会生活を支配するところの天理 は何であるか。それを尋ね|究《きわ》めることが法学の基礎的任務でなければならぬ。この天理 がロマ法学いうところの自然法である。すなわち法学はこの自然法の具体的内容を究明 し、それを以て与えられたる現実的歴史的社会生活の実際を規律する、あるいはかかる 規律のために必要なる法的秩序の内容を規定する、これが法学の任務である。  加うるにストアはソフィスト的な懐疑主義に対立する意味で、真理認識の万民一致 8畠のま一勗ひ00耳ごヨということを強調した。言いかえれば、真理に二三はないのだから、 同一の真理は一般に誰人にとっても同一表象を以て把握せられる。各人は同一の源から 同一の理性を賦与せられているのであるから、一般に各人の理性による理解は相一致す るはずであるというのである。ソクラテスの帰納的真理確証論に内在した同じ考え方が、 ストアにおいて一層精細に発展したわけである。言わば万有を統理する宇宙理性が各個 の人間的理性を通して同一に働くというような、|汎神論的《はんしんろんてき》な理性論がストアのこうした 考え方の根抵であった。  ロマ法学はその自然法理念においてストアのこの理性論を|併《あわ》せ受取った。そうして新 與ロマ帝国の大版図内に包容せらるるにいたったもろもろの異民族の間に、|各異《おのおの》なれ る風俗慣習が行われているにも|拘《かかわ》らず、人間的社会生活の根抵的規律として、諸族諸民 に共通な或る社会的生活規律を発見した。そうしてこの諸民族に共通なる社会的生活規 律を総称して万民法一口。。ひ98=ロヨといった。かつこの万民法は万民の理性が一致して妥 当なりと認識しつつあるところの規律なのであるから、とりもなおさずこの万民法の内 容こそ自然法自体の内容をなすものでなけれぱならぬ。そういう風に考えた。そうして この考えの影響の下に、ロマ法学は次第に古来のロマ市民固有の特異なる規定内容を持 つロマ市民法一畠〇三8よりも、そうした特殊的民族的特異性を脱皮して、もっと一般 的普遍人類的妥当性を持つところの万民法の方を一層重視するに到り、万民法において 自然法自体の具体的なる内容を捕捉しつつ、それを指導理念として徐々にロマ法学の体 系的実質を成長せしめ又充実せしめたのであった。この意味においてロマ法学がストア 哲学に負うところは、実に深くかつ大きいのである。しかしロマ法学のことはこのくら いにして置こう。  このようにしてストア哲学の根抵には根強い理性主義がある。そうして客観的には万 有を支配する不動の理があることを確信して動かず、主観的には人間各自の理性がこの 客観的理法を把握するに耐える器であると確信する。学問とはこの器を以てこの理を究 めることである。しかしてこの学問の意義は生活のための正しき指針たることにある。 われわれは我々の生活を理性によって統理し、道理にかなう生き方を生きなければなら ぬ。しかしてこの道理は万有を支配して|易《かわ》らざる自然の理法であるのだから、道理にか なう生き方は又最も自然な生き方でもある。この意味においてわれわれは自然にかなう 生き方を生きなければならぬ。これがストア哲学における理性主義または合理主義であ る。この合理主義は一面において上述の如き自然観ないし自然主義を包蔵している。こ のストア的合理主義及び自然主義が近世の初め以来西洋の思想界に与えたる影響は深刻 なるものがある。|基督教《キリストさよう》の超理性主義及ぴ超自然主義または神学的理性主義ないし自然 主義に対抗するものとして、西洋の唯物論的理性主義|並《ならび》に自然主義に寄与するところ最 も大なりしものは、ストアの哲学であると言ってよいであろう。それほどストアの感化 は博大であった。  けだしストアの哲学は徹底的な唯物論の上に立っておった。ただエピクロスにおける が如き原子論的機械論でなくて、もっとうるおいに富む唯物論であった。そうして実在 の第一原理はヘラクレイトスのいわゆる火、|否《いな》われわれの眼に見、手に触れ得るところ の火そのものであるという。この火が神であり又宇宙精神であり、万物の周期的焼失と 更生との原動力であるという。ストアの汎神論的世界観の根抵には、このように徹底し た唯物論があった。だからこそ上述のような徹底的な定命論にもなった。しかも一面に おいては宇宙精神を言い、神を言い、神の|叡智《えいち》を言って、純然たる唯物論的因果関係と 目的論的な物の|観方《みかた》との間にある深到なる矛盾を意識しない。これもまたストアをエピ クロスから区別するところの顕著なる特性のひとつである。  こうした唯物論的理性主義に立つストァ学派であった。しかも人生の目的は一に幸福 なる生活にあるのであって、学と徳とは幸福に到るための手段なるが故に意義があるの だという。しからば幸福とは何であるか。|何処《いずこ》にあるか。幸福は|刹那的《せつなてき》感覚のうちには ない。前に述べたように自然にかなう生活のうちにある。しかるに自然は徹頭徹尾道理 の支配の下にある。随ってまた自然にかなう生活は理にかなう生活でなければならぬ。 その理をつかむものは理性とその思惟であって、官能とその衝動ではない。反省であっ て、本能ではない。すなわち幸福は思慮と反省とによってのみ招来せられ得ぺく、感情 は人をあやまるものである。故に人間として至高の境地は、もはや少しも感情に揺り動 かさるるところなき無感情亀忌辞ミの境地にある。これが達人賢者の至境であるとい う。アリストテレスは感情の激するところ人をあやまり易しと教えた。しかしストアは 頭から感情を排して、徹底的に知を以て情意を制したる生活態度を唱道した。これが従 来のギリシア思想にその比類を見ざる厳格なる道義観を生むに至った。そうしてこの厳 格なる道義観が、当代及ぴ後代の多くの|高邁《こうまい》なる人々のこころをとらえたのであった。  故にストア的達人はなにら欲情に縛らるるところがない。かれはみずから|衷《さつち》に持てる もののほか、さらに何をも求めようとしない。完全に自足して、|些《すこ》しだに他に依存しな い。故にまた誰をも羨まず、ゼウスの神をだに羨まず、みずから王者にして富むこと限 りなしである。ではあるがストアの賢者達はキニコス派のそれとちがって、孤高ただひ とりを楽しむことを良しとせず、人と人と相生きることをその本質とする社会的生活と いうものに対し、必ずしも常に冷淡ではなかった。しかしストアはエピクロスと同じく 個人主義者であった。プラトンやアリストテレスにおけるが如き、個人よりも先に全体 を考え、全体をして個に優位せしめるような社会観ないし団体観は、エピクロスにもス トアにもなかった。ただエピクロスはその個人主義から出発して、個の生活の平安を保 障するための設備としての国家を推理し、各個の契約に基く功利的団結が国家の成因な いし本質であるとなした。即ち古代中世近世を通じて西洋の国家学説を支配し、現代に 至っていよいよ牢として抜き難き根を張ったかにみえる国家契約説の古典的|太宗《たいそう》である。  しかしストアは個々の歴史的国家を跳び越して、もっと広いつながりにおける四海同 胞を説いた。すなわちいわゆるコスモポリタニズムである。西洋古代における最も|真攀《しんし》 なる世界主義者はストア学徒であった。そうしてストアのこの世界主義と個人主義とは、 ロマ人によって喜ぴ迎え入れられた。けだしロマ人は近代における英国人とならんで、 歴史上の最も個人主義的なる民族の|双璧《そうへき》である。ロマ法は個人主義と利己主義との産物 であると史家は言う。しかして個人主義に徹する時、われらは必然に個と個と各国境を 越えてその価値をひとしくすることに思い到らざるを得ない。だから個人主義と世界主 義とは車の両輪の如しである。ストアはその良き代表者である。加うるにロマ帝国の世 界的大版図は、世界主義を抽象的概念の域からひきあげて、これに現実具体的なる歴史 的|在《あ》り場を与えた。ストアの世界主義はロマ人に継受せられて一層その内容をゆたかな ものにしたのであった。 四 ロマ人の哲学  メガラ学派キレネ学派キニコス学派というような、ソクラテスから出てその或る一方 に|偏俺《へんい》したこれらのソクラテス学派は、言わば古代ギリシア哲学の最後を|葬《とむら》う挽歌であ った。そこにはプラトン、アリストテレスにおけるが如き|雄渾《ゆうこん》強靱なる思索の精気はも うなかった。プラトン、アリストテレスがソクラテス哲学を発展し完成しつつありしと 時を同じくして、一方ではこれらの偏椅したるソクラテス学派が、ソクラテス哲学のみ ならずギリシア哲学一般の分解と崩落とに寄与しつつあったのである。だがそれにして も、これらの学派はすべて純粋にギリシア人の哲学学派であった。しかるにマセドニア 王アレキサンドロスの大版図が崩れて、|終《つい》に支配の大権がロマ帝国の手に帰するに至っ てより後、ロマ人によって受け入れられ、ロマ人の哲学として大成せられたとも言うべ きものがエピクロス及ぴストアの哲学である。すくなくともこれらの哲学が歴史的に最 大最深の感化を遺したのは、ロマ人の世界においてであり、またはロマ人たる哲学者を 通してである。すなわちエピクロス学派について言えば、最大のエピキュリアンは有名 な教訓詩目)0篶詈ヨ臺三轟『事物の自然について』の作者ルクレチウス・カァルス →一一畠冖三お=皀○穹口。。である(紀元前第一世紀前半頃の人)。カァルスのこの詩は今日に至 るまでその魅力を失わない。またストアの哲人のうちその感化の最も深くかつ永きもの は、売られてロマ人の奴隷となりしフリギア人エピクテトス目ゑ羣卑8と、ロマ皇帝マ ルクス・アウレリウス・アントニウス]≦鋤『0毫》口乕ヨお渟三〇巳一おとである。前者につ いては、目嚢臼烹臼ミと呼びならわされたる語録|袖珍《しゆうちん》があって、それのみごとな抄訳が 力ール・ヒルティの『幸福論』第一巻のうちに収められてある。その他にも幾つかの独 訳英仏訳等があり、たしか邦訳もある。しかしヒルティの独語訳はその|警抜《けいぱつ》な脚註と共 に最も出色な訳であると思う。アウレリウスには包り鷺ミ含『自省録』と称せらるる 手記があって、これも各国語の訳本があり、邦語でも|旧《ふる》くから小林一郎氏の『冥想録』 と題する訳がある。ふたつながら今なお読むべき良書である。殊にエピクテトスの語録 は類書中の最もすぐれたる古典であると思う。皇帝アウレリウスは奴隷エピクテトスを 尊敬すること|篤《あつ》く、謙虚なる誠意を以て熱心にこの賢者の|訓《おし》えに学んだ。  ロマ人の哲学としてのストア|並《ならび》にエピクロス哲学に共通の性格がある。第一には前に も言った個人主義である。プラトンやアリストテレスにおいては、全体が先で個が後で あることは、当然自明の公理であった。自然についても社会についても、人についても 物についても、全体を主とし部分を従とする|観方《みかた》が、ギリシア哲学及ぴギリシア文化全 体の中枢をなすものであり、ギリシア精神一般の一貫せる特質である。従ってまたそれ だけギリシア人は|素樸《そぽく》である。しかしロマ人にはこの素樸さがなかった。ロマ人は個と その要求とを原理とし、そこから出発してあらゆる問題を解こうとした。だからロマ人 にとっては理論のための理論というようなことは考えられなかった。理論は実際のため の手段でしかなかった。そうして実際とは、究極するところ個人とその生活であった。 こういう眼で国家と社会とを見、自然と人生とを反省した。だからロマ人の哲学は個人 の立場よりする実際的反省の哲学であった。かるが|故《ゆえ》に政治学を含まざる倫理学がその 主題になった。ロマ人のこの根深き要求にこたえて、深くロマ人のこころの奥にまでし みとおり、その国民的哲学ともなったものが、第一にはストア哲学、第二にはエピクロ ス哲学であった。殊にロマ人のための道徳的脊椎骨となり、ロマ武士の士魂の根抵とな ったものはストア哲学であった。  第二の共通性格はストアとエピクロスと両学派共に実際を主にして理論を従としたと いうことである。この点は前に述べたように、一方的ソクラテス学派に属する諸学派と も共通の点であるが、ロマ人の哲学としての両学派は、ロマ人の国民的性格と合体して、 殊に|甚《はなはだ》しく実際的であった。だから例えばストァ哲学なども、セネヵやエピクテトスや マルクス・アウレリウスやにおいては、純然たる実践的道徳訓であって、ストア固有の 形而上学の体系は多くないがしろにされている。ロマ人は形而上学的思索に没頭すべく 余りに実際的な人々であった。だからロマ人は純粋に哲学らしい哲学は|竟《つい》に持たずに終 ったと言ってよい。  これらの共通的性格にも|拘《かかわ》らず、エピクロス的個人主義とストア的個人主義とは著し く相異なる性格を持つものであることを注意しなければならぬ。そのことは両者の杜会 観にあらわれている。前に述べたように、エピクロスの個人主義は徹底的な個人効利主 義であって、杜会国家は個人の生活の安全のための功利的施設にほかならない。なにら 超個人的全体的権威があるわけのものでない。われわれが国家をなしてその権力に服し 法律に|遵《したが》うのは、そうすることがわれわれの生活における苦の総量をちいさくし、快の 総量をおおきくするからである。そうした効益が国家存立の根拠であり又目的である。 即ち国家とは人間がその知性の進歩によって蛮風を克服し、以て文明開化の福祉に|与《あずか》ら んがため、万人相約し相結んで成すところの組合にほかならない。これがエピクロスの 効利主義的国家観である。しかしストアはそこまで徹底した個人主義をとるものではな かった。ストアの世界観によれば、人間が国家をなし杜会をなして生きるのは天性の自 然に|基《もとづ》くものであった。人間の理性は宇宙理性とひとつにつながる存在である。四海同 胞万民一体。ストアの杜会観はエピクロスにおけるが如き原子論的機械観でなくて、|汎 神論的《はんしんろんてき》な世界主義であった。即ち歴史的なる現実国家とその特殊性とに與味を有せず、 個人とその親しく個人的なる友好関係から一足飛ぴに世界国家を思念するものであった。 かくの如く歴史的現実国家に対する超個人主義的熱情を欠いているという点においては、 ストア学派とエピクロス学派とは同程度に個人主義であると言うことができる。しかも この傾向はこの両派の哲学にのみ特有のことではない。上に述べた一方的ソクラテス学 派にも同じ傾向がある。即ち杜会国家に対する公的関心の冷却である。個人とその私生 活とへの沈潜である。倫理と政治との分離である。かくてストアとエピクロスと、キレ ネ学派とキニコス学派と、互にいくつか相異なり相反するものを持ちながら、究極にお いては或る共通の性格をひとつにしている。そうしてその共通の性格とは個人主義と幸 福主義とである。  そもそもギリシアの学問芸術はギリシア国民の政治的自由を苗床として生い茂った。 自由民の自由なる|切瑳琢磨《せつさたくま》が独創を刺戟し制作を鼓舞したのである。しかしこの自由は 永く続かなかった。自由はしばしば分争の母胎である。ギリシア人は|淺剌《はつらつ》として自由に 相励み相競うと共に、その政治は分裂分争の絶え間なしであった。小党分立して全ギリ シア的大同団結を|完《まと》うし得なかった。|終《つい》に北方の蛮族マケドニアの|眼醒《めざ》ましき與起あり て、アテネ、スパルタの古ギリシアは全くその政治的自由を失って|終《しま》った。殊にアレキ サンドロス大王死して後のギリシアは、眼まぐるしく移り変る覇王らの盛衰の波にもま れて、今日の東欧の諸弱小国の現状さながらの悲境にあった。いわんやマケドニア全く |亡《ほろ》ぴてアカヤ全土がロマ帝国の属領中の一区劃となって以来、ギリシアは政治的には全 く亡国であった。国が政治的に亡びて、その文化のみ健康に成長し続けることはできな い。ギリシア哲学はギリシア国民の政治的自由の亡ぴると共に亡ぴた。あるいは亡国的 哲学になった。何をか亡国的哲学という。  そもそも亡国とは特定の歴史的国家がその歴史的個性的存立を失うことである。その 国をつくっておった国民が一人残らず死滅したということではない。|大抵《たいてい》の場合国民各 個の個人的生存はほぽ旧の如く続けられている。ただ歴史的な或る国としてのその歴史 的個性を亡失したのである。アテネ国が亡ぴてアテネ人だけが残ったのである。言葉を かえれば、アテネ人の杜会はあれど、アテネ人のアテネ国がないのである。すなわち亡 国の民といえども杜会生活を持たないのではない。しかし個人とその杜会とを持つだけ で、独一なる歴史的個性的実在たる国家を持たないのである。これが亡国ということで ある。  国を失えるギリシア人は已が生くべき場処として、身親しき個人的舞台しか見出し得 なかった。即ち己れ一個の生活と、隣人と相共なる杜会生活と、このふたつよりほかの 舞台を考え得なかった。国家的生活はかれらの生き営むところではなくて、征服者がそ の|恣意《しい》を以て独裁専制するところであった。かれらの立場は純粋に受身の客体たる立場 であった。自然かれらの熱心は個人とその社会とにのみあつまらざるを得なかった。こ れがかれらを個人主義者にし、その故にまた世界主義者にし、その倫理をして政治から 絶縁せしめ、哲学的思索の全精力を人間たる個とその現実なる生活の保全という一事に 集注せしめたのである。亡国の民の憐むべき生活の不安は、かれらをして不安なき生活 の秘訣を熱求せしめた。そうした安心立命への実践的要求がかれらの哲学的思索の中枢 をなした。実在の客観的真相に参じて純粋理論的に真理の観照に|与《あずか》ろう、一切の実用を 離れてただひたすらに物の真と理とを究めよう、そういった精神がなくなった。プラト ン、アリストテレスの|雄渾《ゆうこん》なる哲学体系を生み出したような、積極的な哲学的生活力が 衰えた。哲学的思惟の力を火と燃やし立てて万有を把握し|了《おわ》ろうというような熱と経営 との代りに、|頽廃《たいはい》の|痕《あと》と不安の影とを|匿《かく》し得ないような消極的諦観的な哲学が根を張っ ていった。そういう哲学が亡国的哲学である。  ソクラテス以後の幸福主義の諸哲学、殊にアリストテレス以後ロマ帝政時代の各派の 哲学に、この亡国的哲学の香りが高い。ロマ帝国は版図の大なること、為政者の勢威の |盛《さかん》なることにおいて、ギリシアの諸国の比ではなかった。殊にその属領統治はなかなか 巧妙なものであって、地方地方に或る程度の自由自治を許して、|強《し》いて劃一的統制を加 えず、後代の英国の殖民地統治に似る所大いなるものであった。しかし真に自由にして 盛なりしは結局専制的独裁権力者の武力に基く威勢であって、庶民一般は決してペリク レス治下のアテネの市民の如き自由を享受していたのではなかった。むしろ外面的繁栄 の|陰《かげ》に暗い重苦しい空気がのしかかるように拡がっておって、国民一般の気持は名状し 難い不安を心の底に沈めたものであった。学人セネカが宰相の栄位にありながら、独裁 王ネロの移り気な愛憎の|牲《いけにえ》となって反逆罪に問われ、|刑吏《けいり》の手による刑死を避けようと して、みずから殺すことを選んだのは、たまたま以て当時の人心が|如何《いか》なる範囲と程度 において深刻なる不安におののいておったかを証するものである。いわゆる泰平|羅馬《ロマ》 勹貰ヵ○ヨロ墨の繁栄は必ずしも常に、民皆|堵《と》に安んじて|鼓腹撃壌《こふくげきじよう》泰平を謳歌するという ようなものではなかった。アウグスツス皇帝の治世でさえ、年として月として戦の便り を聞かない日は|勘《すくな》かった。内政また不安定を極めた。帝王は相ついで暗殺され、大官の 身辺はいつも殺気に囲まれておった。哲人皇帝マルクス・アウレリウスの如きも、その 治世は帝政時代中屈指の善治世とうたわれながら、北夷の辺境を侵すもの常に絶えず、 在位中ずっと国境近くへの遠征に日もこれ足らざる有様であった。殊に第三世紀以後の ロマ帝国は衰頽の色|蔽《おお》い|難《がた》きものがあった。こうして内外共に不安な政情に終始したロ マ帝国である。だから上下共に国民が最も痛切に求めていたものは、何とかしてこの生 活不安から|脱《のが》れたい、心の平安を得たいということである。ストア哲学は最も良く民心 のこの切なる要求にこたえるものとして、ロマ人に迎えられ消化され発展されたのであ った。ちょうど我が日本の戦国時代に禅と茶道とが武士の哲学とし教養として喜び迎え られたのと、事情のよく似たものがあると思う。  そうしてこうした事情は|独《ひと》りストア哲学にのみ限られたことではない。ストア、エピ クロスの幸福主義の哲学のほか、懐疑派の哲学でも|折衷派《せつちゆうは》の哲学でも新プラトン派の神 秘主義哲学でさえも、なべてアリストテレス以後の古代末期哲学が、ロマ帝国の社会的 不安を反映している。そのために偏して主観的であり消極的であり諦観的である。しか もそうした諦観の哲学は結局こころの底にある不安を克服する力を持たない。これらの 哲学は要するに人の心の消し難き不安と不幸とをあらわに描き写したものにほかならな い。不安と不幸との解決ではなくて、むしろその余すなき露呈である。それに解決と救 いとを与えたものは、哲学でなくて基督教であった。こうして古代ギリシアロマの哲学 は衰え、その代りに基督教とその神学とが與るようになった。しかしこのことについて 各学派にわたり詳細な歴史的解説を試みることは私の主題ではない。私は私の主題にか えって、幸福論の哲学についてのみさらに一層考察を進めよう。 五 幸福論哲学の共通点  ソクラテスの死後その直接の感化の下に発展したキレネ学派及ぴキニコス学派を前駆 として、それを一層精化発展したものがエピクロス及びストアの哲学であった。そうし てこれら一聯の学派に共通なことは、いずれも皆要するに幸福主義の哲学であったとい うことである。殊にエピクロス及ぴストアの二学派を以て、なべて幸福主義の哲学を代 表するもの、幸福主義の哲学それ自体の考えられ|得《さつ》べき動向のすべてを綜合する典型的 両極と言ってよいであろう。けだしギリシア哲学の意義は、それがおよそ哲学すること そのことの汎人類的典型的実質を持っていることにある。だからこそ三千年にわたって |渝《かわ》らざる古典的哲学なのである。そのギリシア哲学の衰頽期において、ソクラテスの死 後ロマ帝政の末期に至るまでの約六百年間、上に述べたような事情のもとに、上に述べ たようなあらましの内容を以て、発展し分派し綜合せられたる各派の幸福論であり、そ の総括的両極たるストアとエピクロスとの幸福哲学である。これらを以て幸福主義の哲 学の代表的典型と言わずして、何といおうか。  だが等しく幸福主義の哲学といってもエピクロスとストアでは随分ちがう。両派の学 徒みずからが|大《おおい》におのれらの間のちがいを自覚しておった。殊にストアの人々は|甚《はなはだ》しく エピクロス学派を軽蔑し、公然これを|罵《ののし》り又あざわらった。第一にエピクロスの幸福主 義はキレネ学派の快楽主義から出ていて、快の総量を最大にするということが主眼であ るに対し、ストアはキニコス派に導かれて、快不快を超脱した境地に最高の徳を認めた。 即ちエピクロスによれば人生の至上善は快であるけれども、ストアによれば徳である。 第二にエピクロスはデモクリトスの原子論を喜び容れて、宇宙人生に対する原子論的機 械論的立場を堅持したのに対し、ストアはヘラクレイトスの汎神論的世界観に共鳴する ところ多く、原子論的機械論と|対踈的《たいしよてき》に異なるところの、もっと目的論的な世界観を持 ち、その定命論と汎神論とにも|拘《かかわ》らず、神による摂理というような観念を持っておった。 第三にエピクロスの杜会観は徹底的に個人主義的効利主義を基底とするものであって、 友情という最も主観的にしてかつ最もうつろい易き結ぴを最も高く評価しつつ、しかも なおこの友情の根抵さえ生活における効利的打算でしかなかったに対し、ストアの社会 観は人情の自然なる家庭や友情についても又国家についても、必ずしも常に効利と打算 とを以てこれに対するものではなかった。むしろその間にいろいろの自然の美徳を認め た。ただ達人の理想的至境としては、家庭と国家とを脱落したる世界を想望し、|卓犖不 覊《たくらくふき》の世界主義者であった。このほか数々ストアとエピクロスとその主張を異にするとこ ろがある。この二学派の間の隔りは対蹠的な隔りである。そのことは一見して明らかで ある。にも拘らずこの二学派の間に蔽い難い共通の|流《ながれ》がある。そのこともまた一見して 明らかである。その共通の底流とは何であるか。  最も根本的な両派の共通点は極めて主観的であることである。問題の建て方において も、また解き方においても、根抵的に主観的であることである。哲学的関心の|的《まと》が我と その|衷《うち》なる消息にのみ集注せられて、我を超えて客観的なる、一層ひろやかなる実在の 世界にないのである。この傾向は既にソフィストの懐疑的相対主義の哲学において顕著 にあらわれているところであり、又ソフィストの影響を受くるところ|勘《すくな》からざるソクラ テスの哲学自身が、われ殊に実践的倫理的なわれを主題としているのである。だがソク ラテスの強烈なる真理追求心は、その主題的関心が人間的自我に集中せられたるに拘ら ず、その感化は理論的|並《ならぴ》に実践的哲学の全面にわたる大なる革新の源となった程に、|旺《さかん》 なる攻学的活力を蔵するものであった。しかるに後代の幸福主義の哲学にはもはやそう した活力が欠けておった。殊にエピクロス派はストア派以上にそうした活力を欠いてお った。  けだしギリシア哲学はソクラテスを言わば分水嶺として、そのかみの素朴なる客観主 義的宇宙論の哲学、言いかえれば自然を自然としてその客観的実在を単純素朴に承認す る哲学から転じて、自然を自然として認識する人間的認識者自体、また認識という働き それ自体を反省する哲学にまで成長した。これは|確《たしか》に成長であって、ギリシア哲学がは っきり子供から大人になったのである。その結果あらたに人の哲学的全関心を吸収する ようになったものが、認識の主体的根源としての理性である。ひいてはこの理性によっ て把握せらるるところの客観的実在それ自身が、この理性と等質のものでなければなら ぬ、等質でないものを把握し得るはずがないと考えられるようになった。即ち実在の本 質は物であるよりはむしろ心である。観念または理念である。思惟は即ち実在である。 こうした観念論の哲学体系がプラトン、アリストテレスにおいて咲き又みのれるギリシ ア哲学の花と実である。そうしてこの観念論が、ギリシア哲学の衰頽期に及んで、|終《つい》に 理性とその観念の世界以外になんの熱心をも與味をも向けようとしないような、偏主観 的な哲学を生むに至ったのである。ストアやエピクロスの哲学はそういう哲学であった。  そうして偏主観的な精神というものは、純粋理論とか真の客観とかいうものには到り 得ない精神である。だからストアやエピクロスが実践を偏重して純粋理論を軽視したの は、かれらの哲学の本質上当然のことであったと言わねばならぬ。殊にエピクロスは徹 底していた。かれにとっては自然科学の意義の如きも全く人間生活の実益に帰するので あって、前に述べた通り、主としてそれが宗教的迷信を打破するに役立つという点で尊 重した。何故ならば宗教的迷信くらい理由なくして人を苦しむるものはないからという のである。|惟《おも》えらく人間は理性を持っている。この理性を以てする哲学というものの目 的は、人間を幸福にするということである。ただこのひとつの事が究極の目的である。 そうしてこの幸福の|要諦《ようてい》は、われわれが外界の|覊絆《きはん》から完全に離脱して、まったく自立 自足の境地に達することにある。そのためにはわれわれは|飽《あ》くまで考え深くおのが生活 を設計しなければならぬ。刹那的な感覚にひきずられてはならぬ。エピクロスは幸福の 本質を快に置くものであって、その出発地において感覚主義的であるけれども、しかし その実質において決して刹那的官能享楽主義にあらず、理性の統御による考え深き生活 設計を提唱したのである。かくて享楽主義に出発したるエピクロスも、克已主義に出発 したるストアも、結論として到達し得たる幸福の至境は、前者のいわゆる無憂無痛、後 者のいわゆる無感動である。即ち思惟の主体たるわれが|一切《いつさい》の非我からの影響を脱して、 孤高|螢然《けいぜん》ひとり|在《あ》りかつ足ろうとするものである。この実践的偏主観主義はストアとエ ピクロスに共通な極めて顕著な特性であった。  こうした孤高な自給自足生活は決して人の生活を|豊《ゆたか》にするものではない。反対にただ 貧しくするばかりである。終には|零《ゼロ》にする。それがストアの自殺是認論である。もし人 生の目的が幸福にあり、幸福の|真諦《しんたい》が全き自足、即ちもはや何の他物をも要せず求めざ ることにあるのならば、自己の要求をゼロにし、生活の実質をゼロにすれば、それでわ れは無限大の満足に到達し得るわけである。だから自殺は最も簡単にかつ最も有効に絶 対の自足に到り得る道として、是認せられ又しきりに実行せられた。  しかし自殺によって到達し得られた至幸の境地をよろこぶ者は誰であるか。幸福は生 きて在る者に|関《かか》わる消息であって、死して虚無に帰せる者には幸も不幸もまたない。人 生の目的は幸福にありという主張は、人生には目的がある、生きることに意義があると いうことと、その生き方の実質を幸福な生き方にせよということとを含んでいる。しか るに自殺は人生を否定することである。従って又人生と共にその幸福をも否定すること である。われとその生活の内容を零にすることである。それはパンを求むる者に石を与 えるものである。幸福主義それ自体の自殺である。  |惟《おも》うに人間は或る程度までその知性が磨かれると、必ず終に自分というものに|眼醒《めざ》め る。われというものが意識と反省との中心を占めるようになる。それは個人的には青春 の頃、民族的には文化の|爛熟期《らんじゆくき》、そうして国民的にはむしろその政治的|頽廃期《たいはいき》に、この われの|眼醒《めざめ》が来る。その時われは一切を忘れてわれを解剖し反省し又追究する。ギリシ ァで言えばソフィストがそれの代表的顕現者である。時たまたまギリシアは国難相次ぎ、 しかも政治はみだれて国民は|澄剌《はつらつ》たる元気を欠いておった。ただ知性のみいたずらに鋭 くして、自我への沈潜と反省とがひとしお深められ強められて往った。やがて国は全く ほろびた。しかし個人とその杜会生活とはある。亡びたのは歴史的個性国家として国民 の歴史的熱愛の対象たり得たりし祖国の名である。その独特なる歴史的個性である。山 川草木は依然として旧の如く、春が来れば、国|破山《レテ》河|在《リ》、城|春《ニシテ》 草木|深《シ》である。この際 エピクロスの効利主義的国家観またはストアの超国境的な世界主義より以上に合理的な、 時代の心持にぴったり当てはまる社会観はないのであった。こうしておのれに眼醒めた るわれは、国を忘れ家を忘れ世界をさえ忘れておのれひとりの|衷《うち》に衷にと沈みつづけた。 これが上記の幸福主義の哲学の根抵にある主観主義である。  おのれにのみなずむ者は天上天下|唯我独尊《ゆいがどくそん》、あめの下にわれとその生活より他に心に かかる問題がなくなる。しからぱわれはどう生きれば良いのであるか。キレネ派はわが 快しとするところを追えと教えた。しからば快しとは|如何《いかん》。われらの官能はうつろい易 い。もし官能的感覚の導くままに委ねて、刹那刹那の快を追い不快を避けていたらば、 われらの生活は|木枯《こがら》しに舞う木の葉の如く、われも生活もありはしない。そのように眼 まぐるしくうつろい変るものがわれの本質ではない。われの本質はもっと動かぬもので なけれぱならぬ。感覚ではなくて理性こそわれの本質でなければならぬ。故に真に自主 的な、まことにわれみずからの生活といわれ得るものは、理性に支配せられたる生活で なければならぬ。理性による|不覊《ふき》独立の生活、これこそ真に自由自主なるわれの生活で なければならぬ。この境地にある時はじめてわれはみださるることなき幸福を味楽する ことができる。これが上記幸福論の結論である。  まことにソクラテスの言ったように、人としておのが幸福を願わないものはない。だ から人がそのおのれへの沈潜を始める時、また幸福の追究反省を始めないではいない。 なぜならば幸福の追究は即ち実践的な自己追究に他ならないのであるから。しかしそう して幸福を追究した結果、上記幸福主義の哲学が到達し得たところは、はたして真にわ れらを幸福ならしめ得るものであったか。エピクロスの無憂無痛といい、ストアの不感 不動といい、要するに結局は生活の内容を極度に貧しくするものであって、少しも豊に するものではない。その極|終《つい》に生活の内容を無に等しからしむる道を選んだのがストア の自殺論であった。人生の幸福は生活が本来の意義を|全《まと》うして、その内容が生気豊に充 実せらるることになければならぬ。生の幸福が生を|枯渇《こかつ》せしむるにありとは、余りなる 背理である。幸福はそんなところにあるはずがない。あるいはそんなところに幸福を追 究することが人生の目的であるはずがない。古代末期の幸福主義の哲学は明らかに幸福 の真諦を|掴《つか》みそこなった。あるいは人生の目的を掴みそこなった。だから|竟《つい》に人を救い 得なかった。幸福主義の哲学のこの過誤この無力の因は|何処《どこ》にあったか。  吾人は上にギリシア哲学の歴史における幸福論の発展を跡づけて、幸福論というもの が歴史上ほぼいかなる傾向と内容とを以て現れたか、その典型的輪廓ともいうべきもの の大綱を略説した。そうしてその結論がつまるところ幸福論自体の自殺に終るような、 そういう|自家撞着《じかどうちやく》がそれらの幸福論に内在していることを指摘した。今や進んで何故こ の自家撞着がそれらの幸福論に内在するか、あるいは一歩を進めて、幸福とは何である か、この問題をとりあげなければならない。 第二章 幸福とは何か 一 自己内在論(主我的幸福論)  アリストテレスによれば、人間の幸福は単なる所持になくして活動にある。|享《びつ》け|有《も》つ ことになくして働き|為《な》すことにある。しかしただ働き動きさえすればそれで幸福なので はない。人間らしい働きでなければならぬ。そうして人間らしい働きとは、植物や動物 とも共通なようなただ生きて動くということではない。言いかえれば単なる官能的働き ではない。人間らしい働きは理性の働きでなければならぬ。しかるに理性の働きにして その当を得たるものを徳という。|故《ゆえ》に人間らしい幸福は有徳な働きのうちにあると言わ ねばならぬ。しかも有徳な働きは数々あるのであるから、そのうち最高にしてかつ完璧 なる徳行のうちに至純の幸福があるのでなければならぬ。こめ最高にして完璧なる徳行 は純粋思惟の働き又は知的観照である。なぜならばこれこそ最高の精神活動であり、最 高の目標を持つものであるのみならず、又最も外物によって妨げらるること|尠《すくな》くして、 最高のよろこぴを与えるものであり、自給自足してその対象と目的とを自分自身の|裡《うち》に 包蔵するものである。理性は人間のうちにある神的なるものである。人問の真髓である。 だから純粋なる理性の働きのみが完全に人間性にふさわしい働きであり、これのみが人 間に|全《まつた》き満足を与え、かれをして人間の限界を超えたるかなた神性に近づかしめるので ある。  アリストテレスのこの幸福観を一方的に徹底すれば、幸福の|極致《きよくち》は理性の自給自足に あるということになる。即ち|正《まさ》にストアの幸福論が力説したところと同じ結論である。 この結論はソクラテスにおける理性の自覚以来、ギリシア哲学の理性主義的根本原理に 内在しておったものであると言ってよい。ギリシア哲学の根抵にある理性主義と主知主 義とを徹底すれば、必ずや幸福の極致は純粋知的観照における理性の自給自足にありと いう結論になる。この意味においてはストァ哲学はギリシア哲学の必然の結論である。 だがアリストテレスみずからはそうした結論を急がなかった。その反対に健康とか富と か地位とか生れとか才能とか容色とか、そういったいろいろの天賦や物が幸福の要件と して重んぜらるべきものであることを否定しない。これらのものが或る時或る人にとっ ては|却《かえ》って|禍《わざわい》の因となることもあるけれども、これらの|佳《よ》きものがそのもの自体として 佳きものであることは認めなければならぬ。これらの佳きものを全く欠く生活は、人間 として全き生活であることができない。  アリストテレスはまた快あるいはよろこびを幸福のひとつに数えた。この点かれは意 識的にプラトンらの見解に反対し、これらが快を以て無明の|煩悩《ぽんのう》と観じたるを|駁《ばく》して、 快は働きの|完遂《かんすい》に伴なう自然の結果であること、完全な肉体には必然に美と健康とが伴 なうように、完全な行動には必ず又まどかなよろこぴが|随《したが》うことを説いた。すなわち働 きの実質が高貴なればなるほど、それだけ高貴なよろこぴが得られる。だから思惟と道 徳的行動とは最も純なよろこぴを与える。神の聖福とは完全無欠の働きから湧き出ると ころの至純のよろこぴに他ならない。だから人間が快を欲求するのはあたりまえのこと で、それは|活《い》ける者が活くることを求むるにほかならない。|勿論《もちろん》快が至上善であるので はない。またすべての快が同じように高く|値《ね》ぶみせらるべきものでもない。高く貴き働 きには高く貴きよろこぴが伴ない、劣れる働きには劣れるよろこぴしか伴わない。  だが幸福の本体は快や天賦やその他の条件のうちにあるのではない。それらは条件で あり添えものであって、幸福の本体は知的観照と徳行とにあり、これ以外にない。言い かえれば幸福の本質は学と徳との精進にありというのである。この精進あるいは働きが 貴いのであって、それに伴なう快それ自体が貴いのではない。よろこびを追い楽しみに ふけるのみなる生活は、人間にふさわしからぬ生活である。快は生活の結果たるべく、 決してその目的や動因であってはならぬ。即ちアリストテレスによれば、快はその本質 上行動の目的であってはならないけれども、自然にして|害《そこな》われざる行動の成果として必 ず幸福に伴なうのであり、快は即ち自由なる活動または|阻《はば》まれざる働きのうちにあると いうのである。  幸福がその主観的感銘においてはよろこびを伴なうこと、そのよろこぴの|真諦《しんたい》は阻ま れざる働きにあること、即ち生命の|凝滞《ぎようたい》なき生動が快の本質であること、このことはア リストテレスの言う通りであることを認めねばなるまい。主観的なよろこぴが幸福の全 部でないことは言うまでもないが、よろこびのない幸福というものを考えることはでき ない。すくなくとも現実にはあり得ない。だからソクラテス以後のギリシアの幸福主義 の哲学が幸福の本質を先ずよろこぴに置き、積極的に快を追究することか、または消極 的に快の幻滅または不快を避けることに生活の目標を置いたのは、素朴にして自然なる 往き方であると言わねぱならぬ。  しかし快不快は要するに主観的な問題である。随って幸福のあり場処を快不快にかか らしめるのは、幸福の本質を主観的なもの、自己内在的なものにすることである。そう してキレネ学派その他の古ギリシアの積極的快楽主義の哲学はもとより、キニコス学派 ストア学派等の幸福論の哲学も消極的ながら快不快に|執《しゆう》するものであった。随ってこれ らの各学派が提唱したる幸福論の実質が、皆ひとしく幸福を自己内在的な主観的な消息 のうちに求むるものであった。すなわちひとりぴとりの自我がおのおの適意の生動を遂 げることを得て、外物に妨げらるることなきこと、ひとりのわれの生命のいとなみが、 |暢達《ちようたつ》自由に経営せられて|些《いささか》の凝滞なきこと、かくて自我が存分に|無碍《むぼ》に自我であるこ とが幸福の真諦であった。幸福の本質についてのこの主観主義主我主義は、ストアその 他のなべての幸福主義哲学に共通な根本的立脚地であった。されぱ一括してこれを主我 主義的幸福論あるいは主観主義的幸福論と言ってよいであろう。  しかるに現実なる自我は現実なる客観的非我的諸条件に制約せらるるものであって、 その現実なる生活経営は到底自已内在的要素のみを以て自営自足することができない。 現実なる自我は自我にあらざる世界への依存を免れることができない。だからアリスチ ッポスやエピクロスの快楽主義的幸福論は、進んで非我的諸条件のうちから自我に好適 なるものを選ぴ取れという。しかしこの選び取りがいかに困難であることよ。欲すると ころの好条件は容易に得がたく、避けたき悪条件は意地わるくつき従って離れない。そ こでエピクロスは快を得るための対価としては、不快も痛苦もまた甘受を余儀なくせら るる場合があるという。|諺《ことわざ》に言う、良薬は口に|苦《にが》しと。即ち自我をしてより快適に|暢《の》ぴ しめんがために、ある範囲において自我を阻み自已を殺すことも|已《や》むを得ないというの である。ということは、現実なる自我の実相が完全なる自給自足に耐えざるものである ことを、端的に承認することを意味する。  しかしもし快が幸福の真諦であるならば、そうして快はアリストテレスのいわゆる阻 まれざる働き又は適意生動にあるのならば、幸福のために自我を阻み自已を殺すという ことは、明らかに|自家撞着《じかどうちやく》である。反対に幸福なる生活とは、自我を阻まれず、他物に 制約せられず、自律自足自適して凝滞なき生活でなけれぱならぬ。しかも現実の自我は 他物への依存と他物による制約とで身動きもできぬ実状である。いかにかしてこの実状 から脱離するのでなければ、快適にして幸福なる生活をたのしむことはできない。幸福 論の哲学はその反省を深め進めると共に、必然的にこの事に想到せざるを得なかった。 故に|曰《いわ》く、|汝《なんじ》の幸福のために汝の自己を殺せと。それは言いかえれば、汝の現実なる他 物依存的自己を殺して、汝の自律自存的自己を救え。その自律自存的自已こそ汝の本来 の面目である、ということにほかならない。即ち快楽主義の幸福論は現実の自已の幸福 から出発しながら、次第にその現実の自已を離脱して、理想の自己の観念的幸福を追求 するようになった。この追求は必然に積極的享楽主義的傾向を脱して、消極的禁欲主義 的傾向に転ぜしめる。その極現実を逃避して観念の世界に理想の幸福を|全《まと》うしようとす るようになる。ストアの幸福論はこの方向に徹したるものの典型である。  現実の自己を逃避して、われわれの生活内容をできるだけ自己内在的要素にのみ依存 せしめれば、われわれの生活はそれだけ外物による制約から離脱することはできる。し かし同時に現実的にはそれだけ貧しくなることを免れ得ない。この貧しさがその極限に 達する時、ストアの幸福論におけるように自殺の是認が当然の結論になる。しかもスト アの哲学は徹底的な唯物論である。死後における霊魂のより高次なる生活などを考える ものではない。死は絶滅である。自殺は自我の内容を無に帰せしめること以外のもので ない。それは生活内容の貧しさの極のゼロでしかない。自我が幸福であるためには、そ の生活が自律自足して他物に阻まるることなき、快適のものであることを要する。その ためには自我の生活内容が他物に制約せらるること勘きことを要する。望むらくは絶無 なることを要する。しかるに自我の生活内容をして他に依存するところ絶無ならしめん とすれば、その瞬間に自我の全生活内容自体が零になる危険がある。自我が幸福を求め るのはおのが生活内容を零にしたくないからである。|活《いきいき》々と充実した内容の生活を全う したいからである。そのために他物の制縛から脱して自律自足しようと努め、そのため に|刹那的《せつなてき》な欲情を禁じて理性による自律を|遂《と》げようとするのである。しかもその結果は 層一層自我の生活内容を貧しくすることに終ろうとする。いや、貧しくはならない。|却《かえ》 っていよいよ富むのだ、とストアの修道人は抗議するかも知れない。それならばなぜ自 殺を肯定するか。なぜ富めるいのちを一層ゆたかに生きぬけるべく精進しないか。なぜ もっとそういう積極的な生活肯定力を|欣《よろこ》び求めないのであるか。  ストアの哲人エピクテトスは言う「君がもし智慧において進みたく|念《おも》うならば、次の ような間違った|考《かんがえ》を君のうちから除かなければならぬ。|曰《いわ》く『もし私の財産を不注意に 扱ったら、私はもはや食ってゆけなくなるだろう。もし私の息子を懲戒せずに置いたら、 息子はやくざ者になるだろう。』恐怖や心配なしに死ぬ方が、不安のうちに有り余る暮 しをするよりも良い。子供がやくざ者になっても、君自身が不幸であるよりは良い。」こ れは|淘《まこと》に驚くべき言葉である。実に徹底した生活態度である。|然《しか》り、自我とその主観的 主我的幸福の追求に徹底した態度である。しかしそうして自我に徹底した生活の実質的  内容のなんと貧しくあることよ。これは断じてわれらの生活内容を豊富にし、われらの 生活肯定力を充実し又旺盛にするものではない。これはストァ特有の、|否《いな》むしろなべて の古代哲学に共通の、哲学的利己主義であって、|一切《いつさい》の関心がただただ自我の主観的幸 福または自我の徳の完成にのみ集中せられ、自我よりほかなる他者をかえりみる心が全 く欠けているものである。しかも現実なる自我の具体的実質のうちから、その自我が他 者に負うところ、随って又それだけ他者に制約せらるるところの内容を引き抜いて|終《しま》っ たら、あとにどれだけの実質が残るか。観念的な自我という理念のほかに何がのこるか。 かくて自我はいよいよ純粋に自我として自立すると共に、その内容はただいよいよ貧し きを加えて零に近づくのみであろう。 一また曰く「世の中の事が君の思う通りになることを望むな。むしろすぺての事がなる ザ、竃                                 ていねん ようになることを願え、そうすれば君は幸福になれる。」これがストアの諦念である。人   の世は|不如意《ふによい》なものである。しかしじたばたしたところで|致方《いたしかた》ない。なるようにしかな るものでない。|如《し》かず一切を事の|成行《なりゆき》にまかせて、みずからの|衷《うち》なる平安をみだされざ らんには。これは積極的に生活を肯定し経営する態度でなくて、消極的に人の世の戦い を逃避し、いたずらに平安を|楡《ぬす》むものである。歴史の動きに対しては、これは|高《たかだか》いわ ゆる事大主義の態度に出るものであって、歴史の形成老としての自我の生活内容を、恥 ずべき貧しさにおとしいるるものである。そうしてこの貧しさの源はどこにあるかと言 えば、ただひとえにおのれの幸福をのみ|希《ねが》い、その結果おのれを一切の他から切り離そ うとし、言わば他という土からおのれという茎を引き抜いて|終《しま》おうとするからである。 その主観的主我主義が自我の内容を概念化して単なる観念に帰せしめるからである。  してみれぱ先ず第一に明らかなことは、幸福の本質をしかく主観的主我的に考えるの は間違いであるということである。そういう考え方は結局幸福の自殺でしかない。スト アの自殺肯定論はそのことの証言に他ならない。幸福をして単なる観念に終らしめず、 幸福論をして空疎なる自家撞着に終らしめないためには、幸福の本質としてもっと客観 的なものが考えられなければならぬ。おのれ一個の快適なる平安というよりは、もっと 超個的な他者包括的な目的ないし根拠が把握せられなければならぬ。言いかえれば幸福 の本質はしかく自己内在的のものではなくて、もっと自已超越的のものでなければな ら纏) 二 一三口 毛 上スー●一口  そもそもアリストテレスが幸福に必ず伴なうと言った快、またはよろこぴそれ自体が、 決してしかくおのれ一個の世界に|跼蹐《きよくせき》するものではない。アリストテレスの定義によれ ば、快は即ち阻まれざる働きのうちにある。そうして阻まれざる働きとは、働きがそれ 本来の目的にかなうものであることを意味する。その働きの本来の目的にそぐわぬよう な|邪魔《じやま》がはいって、働きの本旨をみださるるようなことのないことを意味する。その意 味でアリストテレスは刹那的な欲情にひきずられてはいけないと|戒《いまし》め、理性の命ずると ころに随えというのである。それは即ち時間的には刹那に|囚《と ら》われないで永遠のうちに生 きよという提唱であると共に、主体的にはおのれひとりの私に執することなく、もっと 普遍的な超個的な主体に即せよという要望である。そういう超個的普遍的基準に|拠《よ》って ひとりのおのれの刹那的意欲を統制する。そこにアリストテレスのいわゆる有徳なる生 活があり、有徳なる行動があるのである。そうしてこの有徳なる行動の|完遂《かんすい》に伴なう自 然なる結果がよろこぴであるのである。だからよろこびの本質は|肆意《しい》の遂げらるること にあるのでなくて、行動の本旨が達成せらるることにある。ただこの本旨が達成せらる るためには、それを欲する意志の実現が阻まれざることを必要とする。このことを意志 の主体自身に即してのみ|看《み》ると、その意志するところがそのままに成就するという形に なる。この形を一般的抽象的に概括して観念すると、おおよそその欲するところ即ち成 るということになる。しかしここから|直《ただち》に推論して、なべて肆意の遂げらるることその 事がよろこびの本質であると考えるのは、意志の主観的形式にのみ即して、意志の客観 的実質を忘却した考え方であり、抽象的概念的な推理の飛躍である。その客観的実質の |如何《いかん》にかかわりなしに、ただひとりのおのれの|恣《ほしいまま》に欲するところが直にその通りに成 るということ、そういう偏主観的形式がよろこびの本質ではない。それをよろこびの本 質のように思うのは、思う者の思いあやまりである。そのことはそう思う者自身がじき に身を以て思い当るのである。よろこぴの本質はそういう主観的形式にはない。もっと 客観的な実質にある。このことを悟ったから、キレネ派の素朴なる快楽主義がエピクロ スの洗煉せられたる幸福主義にまで修正発展せしめられたのである。  即ち人生のよろこぴはただむやみやたらにひとりのおのれの肆意が成就することでは ない。太閤秀吉の辞世といわれている    露とおち露と消えにしわかみかな なにはの事もゆめの又ゆめ という歌は、壮大華麗時人の眼を奪ったという|聚楽第《じゆらくだい》落成の際に|詠《よ》んだものと伝えられ ている由である。想うに天下おのれの意の如くならざるものなき勢威を持ち、又その勢 威に|驕《おご》って時に恣意の赴くがままなる行動を敢てしたる太閤の心中は、その勢威の絶頂 において又最も|寂《さび》しくはかなくあったのではあるまいか。越前の松平.忠直は家臣中→、4 として自己の肆意に抗するもの.なき.が故、り|慢悩《おうのう》じだ昌いう。おのれの欲するところ皆成 るという自律自適の形態がよろこぴの本質ではなくて、この形態のうちに|盛《も》られ実現せ らるる生活の実質が、客観的内容的にその本旨にかなうものであることがよろこぴの本 質である。だからこれを一般的に概括して述べるならば、よろこぴの本質はなべてわれ らの生活の実質が生活の本旨にかなうものであることにある、ということになる。そう してこの生活とは|勿論《もちろん》人間としての生活の意味であるから、生活という言葉の代りに直 に人生という語を置いてよい。即ちよろ弓ぴめ本質はわ存らめ生活が実質的に人生の本 旨にかなうような内容のものであることにある。  それ故に快の本質を説明してアリストテレスと共に、自由なる活動または阻まれざる 働きとのみいったのでは、形式にのみ偏した規定の仕方であるといわねばならぬ。阻ま れざる働きとは何をいうか。それはただ単に無軌道無制約のうごきをいうのではない。 反対にその働き本来の目的に規定せられ統制せられて、合目的なる軌道の外にそれるこ との絶えてないうごきをいうのである。だから働きを阻むというのは、それが軌道に乗 ることを妨げることをいうので、軌道をそれることを抑制するのは阻むことにならない。 その反対にそれは自由の促進である。即ち自由とか阻むとかいう問題は、働きの形式に のみ即して規定できる問題ではないので、それはその本質において働きの実質的意義目 的によって規定せらるる問題である。阻まれざる働きとはその実質的意義目的にかなう 働き又はそれを全うする働きの謂である。かかる働きの実質に伴なうよろこぴが真のよ ろこびである。そうして|斯《か》かる実質を伴なわざるよろこびは、|虚《むな》しきよろこび又は|跂行 的《はこうてき》よろこびであって、その跛行性の故に幻滅の悲哀を必然に伴なうのである。われらの 生活をしてよろこび|溢《あふ》れしむるものは、われらの|意《おも》うところすべて成ることではない。 そういう形式的自由ではない。そうでなくて実質的にわれらの意うところ皆真理にかな い、われらの為すところ皆人生の目的にそぐうことにある。4とりのおのれの|肆意《しい》ゐ成 ることがかれを幸福にするのでなぐて、かれの生活の実質的内容が人生の意義目的を全 うし真理にかなうものであることが、かれの一生を幸福にするのである℃随ってわれら が幸福を捉え得んがため先ず第一に必要なことは、人生の意義目的を明らかにし、いか なる生活が真理にかなう生活であるかを|領得《りトでつとく》することである。そもそも人生の目的は何 であるか。  これを生活の主体に即して見れば、人生の目的が主観的なるひとりのおのれ自体にあ るのでないことは、上に述べた所によって明らかである。すなわち主体的には人生の目 的はおのれより他なるもの、或る他者でなけれぱならぬ。しからばこの他者とは何か。 この他者を考えるのに二通りの方向がある。ひとつは人格的な考え方、もうひとつは非 人格的な考え方である。前者は人生の究極の目的として人格的な或る他者を考えるが、 後者はそれを非人格的な或るものとして考える。その例証として近代における国家目的 の解釈理論の推移を検討すると面白いと私は思う。即ち国家という超個人的団体的生活 の意義目的は何であるかという問題についての解釈である。  西洋では古ギリシアのソフィスト一派以来、個人から出発してその集積としての国家 に理由づけようとする原子論的又は個人主義的国家観がかなり有力であったようである。 エピクロスの国家観などもそうした原子論であった。ズウ、考スヂ,ヨネゆ地上国家論も同 様に原子論的契約説的なる国家論である。それはプラトンの国家論において見らるるが 如き全体主義的国家観とはまるでちがう立論である。中世のロマカトリク教会の正統派 神学も契約説的国家観を支持し、それによって俗世国家の人為性を証すると共に、よっ て以て俗世国家権力への優越性に根拠を与えようとした。すなわち国家は人問同士の約 束によってできたものであるけれども、教会はそういう人間的工作物ではない。教会は 神によって建てられたものである。随って国家の権威は人間的権威であるけれども、教 会の権威は直接に神から出ている権威である。だから教会の権威は国家権力に優位すべ きものであるというのである。こういう風にして西洋の国家観の底流には、古代中世を 通じて、個人主義的契約説的国家観が根強く流れている。しかもこの流れは近世におけ る自我の自覚の成長と共に、いよいよ強くかつ深くかつ広きにわたるようになった。  近世初期のことは暫く|措《お》くとしよう。近代のいわゆる立憲主義の運動または自由民権 の運動、なべて近代的国家観の性格を成し、近代的政治原理の根抵となっているところ のものは、要するにこの個人主義的契約説的国家観である。それは国家の本質を説明し て、万人各個が生活の平安幸福を享受し得んがための施設であるという。即ち個人先ず |在《あ》り、しかる後それらの個人の生活完遂のための国家在り、という考え方である。アメ リカ合衆国の建国の基礎となったロックの政治論、フランス大革命の思想的原動力と言 ってもよいルソーの民約論、これらは皆国家の意義目的が多数の個人の福祉平安にある という国家観に立脚するものである。即ち個人主義的または原子論的国家観である。し かるにこの考え方を徹底すると、個人はいつでもいやになったら国家を脱退することが できる、万民は相約して国家を解消することができる、民衆は不当なる政治に対して革 命の権利を持つ、ということになる。現に例えばロックが民衆は暴政に抗して「天に|愬《うつた》 える」権利を持つと言い、若年の頃のフィヒテはルソ1の影響のもとに革命の権利を容 認している。いずれにせよ国家の意義目的の究極が個人の個的生活の確保にあるとなる と、国家の権威は個人の権威に優越することができない。そこでベンタムは数量を持ち 出して来て、最大多数の最大幸福ということを提唱したのであるが、それはただ個人の 権威が質において各個同等であることを前提した上で、質で片づかない問題を量で片づ けようとしたに過ぎない。それでは質における国家の超個人的優越性を基礎づけること ができない。それができなけれぱ国家の公権力が私人の私権に優越する|所以《ゆえん》の根本原理 を固めることができない。随って又無政府主義その他の国家否認論に対して、国家の意 義目的を堅固に理由づけることができない。  近代の社会主義は政治経済における個人主義に対する根本的修正として生れ出た。し かし社会主義が拠って立つところの杜会的全体は、個の原子論的集積としての全体であ って、その根抵にあるものはやはり個の個的要請である。質的に個を超ゆるところの価 値をもつ主体があるのではない。ただ量的に一個を越えてもっと多数の個を包容し、一 人の代りに万人を置こうとするものに他ならない。だから杜会主義における全体の要請 が個の要請に優越するのは、数の上での多が一に優越するのであって、それ以上の意味 があるのではない。しかも多数がものをいうのは、多数の中に含まるる一が一々ものを いうからである。権威の究極の基礎は一たる個であって、個以外のものではない。この 意味において杜会主義は個以上の権威を知るものではない。だから社会主義は結局個人 主義である。素朴なる個人主義の代りに万個の妥協調和を策するところの個人主義であ る。しかも根本において個人より以上の権威を知らざる妥協であるから、その妥協は |何時何処《いつどこ》から破れるかわからない。この破れを圧倒的に禁じ得るほどに超個的なる権威 を知らない。ただただ多数を集め得さえすればよい。そうすれば個はいつでも革命の権 利を持つわけである。いわゆる個人主義|並《ならぴ》に社会主義に共通なこの原子論的杜会分解的 因子を克服して、杜会的全体のためにもっと強固にかつ徹底的に個の個的要請に優位し、 純粋に超個的なる団体的権威を確立し基礎づけようというのが、現代の全体主義的社会 観及ぴ国家観のねらいの|的《まと》である。  しかるにこの問題について超人格主義または没人格主義ということを言う人がある (→轟畠筍お○臺静ヨ磊)。それは人生の目的を個人とか団体とかすべて人格的な主体に おいて考えるのは間違いだという。人格を超えてかなたなる非人格的業績において人生 の目標を考えなければならぬという。そういう業績としての文化、この文化が人間の社 会生活又国家生活の意義目的であるという。即ちそうした団体的生活における個と個と の結びの原理は、杜会契約説いわゆる個と個との間の契約とか、国家有機体説が説くよ うな有機的結合とかいうようなものではなく、例えぱひとつ建築に従事する多勢の建築 工同士の結ぴのようなものである。かれらの多種多様なる労作と尽力とはすべてこのひ とつの建築を仕上げるという仕事に集結されている。その仕事のために結ばれたるかれ らの結ぴであって、かれら自身の人格的生活自体をあわせるために結ばれたる協同では ない。同様に国家生活の目的は国民各個の生活でも国家自体の団体的生活でもないので あって、その国家において|蒔《ま》かれ|実《み》のらしめらるるところの文化が目的である。個は己 みずからの人格の|衷《うち》にその価値を持つのではなくて、文化への献身寄与においてその働 きのうちに価値を持つのである。国家の価値はその国の文化の価値に等しい。文化への 協力、これが団結の基礎であり生活の意義であり、ここにまた人格の源泉がある。こう いう議論である。そうしてこういう見地から|頻《しき》りに文化国家ということを提唱する。そ れは十九世紀の通念であった法治国家の提唱に対する反対提唱であって、この没人格主 義に比べれば、法治国家の基礎理念は|洵《まこと》に特に人格主義であった。  けだし個人主義その他の人格主義的国家観は国家の本質を活ける人格において見よう とする。しかるに|吾《われわれ》々の触れ得る人格のうち最も具体的にして端的なるものは個たる人 間自身である。この人間をさしおいて他の人格を構想しようとしても、それは容易なこ とでない。知らず知らずわれらはやはり国家において又その他の団体において、個たる 人間自体とその集積とを考えているに過ぎない。即ち吾々が人格に即して団体を考える 限り、吾々は|竟《つい》に個人に超克することはできないであろう。故に個を超えるためには、 |蕾《ただ》に個人を超えるのみならず、一般に人格そのものを超える必要がある。人格そのもの を超えたかなたにこそ真に超個的なる全体的価値と原理とがある。そうして国家におけ る人間の文化的業績こそまさにこの超個的全体的価値である。こういうのが没人格主義 を唱道するところの文化国家の理念である。  だがいったい文化とは何であるか。また非人格的業績としての文化とは何であるか。 どこにその意義があるか。例えぱここにひとつの立派な建築がある。実に美しい立派な ものである。この建築の文化的価値とは何であるか。それを建て又用い又眺めてよろこ ぶ人問の生活を離れて、どこにその建築の文化的価値または意義があるか。一国の文化 とはその国民の生活の実質に冠せられたる名である。しかしてその生活の実質は人間と しての人格的生活実質よりほかのものであってはならない。あり得ない。芸術のための 芸術、学問のための学問というような標語の意味するところは、芸術なり学問なりの実 質を人間の人格的生活から絶縁させろということではない。その反対に全人格をそれに 打ちこめ、非人格的な機械的な態度を以てそれに向うことをしてはならぬということで ある。人間の人格的生活とその意義また価値を離れて文化の意義をあげつらうのはおか しな話である。おおよそ生活を離れて業績はない。業績の意義は生活の意義である。人 間の人格的生活が有意義であるから、文化的業績が有意義であり、価値と目的とを持つ のである。人生の目的は生きることである。|然《しか》り人格的に生きることである。業績はこ の人格的生活の成果であって、この成果に意義づけるものは他にある。誰がいのちなき もののために己がいのちを捧げるか。我々の献身の的は充ち溢るるいのちの主体でなけ ればならぬ。人格的生命の主体でなければならぬ。「人全世界を|贏《もさつ》くとも、己が生命を 損せば何の益あらん、又その生命の|代《かわり》に何を与えんや」である。されば非人格主義的文 化国家を提唱する者といえども、この文化的業績への協力献身において人格が生まれ又 みのるのであると附言する。  国家論における究極の問題は何のための国家生活であるかという生活問題である。随 ってまた一般に生活の意義目的は何であるかという問題である。故にまた幸福論の問題 と同じ問題である。そうして人生の目的が一個の私の主観的意欲を|充《みた》すこと自体にある のでないこと、そのことは前に述べた通りである。人生の目的は己を超えたる彼岸にな ければならぬ。しかしこの彼岸を非人格的に文化的業績というようなものにおいて見出 そうとすることは、上述の文化国家論において明らかであるように、いのちを求むる者 に死を与えるようなものである。いのちの目的はまたいのちでなければならぬ。人生の 目的は知識ではない、芸術でもない、もちろん富ではない。人生の目的は事業や業績で はない。それらはいのちの結実であって、その目的ではない。目的は生々|澄剌《はつらつ》としてい のちあふるる者でなければならぬ。それ自体がいのちの主体たる者でなければならぬ。 人生の目的をいのちの主体たる活ける人格者以外に求めるのは、根本的に間違っている。 幸福の秘訣は己を超えていのち溢るる或る人格的他者を発見し、これを捕え、これにお のれを捧げ切ることである。かれのうちにおのれを没しておのれなきに至ることである。 この没我的献身が人を真に活かし、かれをして真にいのち充ち溢れしめる。かくて生命 溢るることのよろこぴこそ、アリストテレスが必ず幸福に伴なうと言ったそのよろこぴ でなければならぬ。幸福の秘訣たる他者は人格たる他者でなければならぬ。|斯《か》かる人格 たる他老とは何であるか。個人を檸私でバ,榴噴瑁体だ義、い…噂ぢ以韮属譏葦鴛着ぶ瀦。 三 人格的超個者と非人格的超個者  超個的なる生活主体としての他者をかんがえる場合先ず考えられるものは、家とか国 とか全人類とか、その論理学的外延が個人に比べてより大なるものである。概念的には これらのものが個人よりもより大なる外延を持ち、より恒久的なる内包を持つものであ ることは明らかである。また極端なる個人主義は家とか国とかいうものの個性的実存を 認めず、それらは皆空疎なる概念に|止《とど》まるものであって、現実に在りて活ける者はただ 個人のみなりと言うけれども、家とか国とかいうものが個人にない独特の内容を持ち、 その意味において又独自なる生活主体であることは、承認しなければならないであろう。 だが問題はこれらのものが現実なる実践生活における活ける生活主体として、どれだけ 充実した主体的生命を持つか、どれだけ真に人格的な生命の主であるかということで ある。  たとえば世界主義的な人道主義者は、しばしぱ全人類のためということを生活の目標 とした。しかし全人類というのは本来個々の人間を総括してその全部を尽そうとする理 念であって、現に歴史のうちに実存する個性的生活主体を指すものではない。全人類と は永遠に完結せざる全体的理念に他ならない。そこで近頃|切《しき》りに民族というものが強調 されている。すなわち概念的には類概念たる人類を捨てて、種概念に対応するところの 民族を取ったわけである。そうしてこの取捨の理由として、民族というものが持つ歴史 的現実性、各民族特有の没理的歴史的個性の現実性を掲げる。現実なる歴史的個性者た るこの民族が国をなし歴史を造るのだ、民族というものが最も現実的な世界歴史的また 文化的生活主体だという。そうしてこの民族において、または民族によりて成るところ の国において、個を超ゆるところの究極的生活主体を考え、そのうちに己を没入するこ とによって人生の意義目的を|全《まと》うし|得《トつ》となすものである。だがわれわれの現実なる実践 生活において、民族というものが活ける人格的主体としてどれだけの主体性を発揮し、 どれだけの人格的生命を充実しつつあるか。  前の欧洲大戦の勃発当時、今日地政学を|云《うんぬん》々する人々の間に珍重されつつあるスヱデ ンのチエルレンの小著『国家生活論』が出て、ドイッ国は東方の専制主義と西方の自由 主義との中間に位する国家構成を持っていると評した。同じころ同じ観点から|独逸《ドイツ》の政 治学者プロイスは官主国○耳"寄一$。。一舞一と民主国く○一房。。$簿とを|別《わ》け、ドイッは前の 種類に属し、フランスは後の種類に属すると言った。両種の国家とも政治の実権を握る ものは政党である。しかし民主国においては各政党がすべて同等の地歩を要請するに反 し、官主国においては政府派の政党と反政府派の政党との間には地位の差があり、前者 は断然後者に優位する。随って政府及ぴその与党と他の一般民衆との間にはかなり深い 溝があり、前者は治老としてその威令行わるといえども、後者は被治者として全く受身 の立場にしか立たない。しかし民主国においては与党と在野党とその地位を上下にする ことなく、政権の受授は平等の地歩に立つ政党の間に自由に行われる。しかるに官主国 においては政党の地位が平等でないから、政権の受授は初めから、跂行的に制約せられ ている。かつしばしば現前の政権に反抗することは直に非愛国的なる行動なりと|烙印《らくいん》せ らるることがある。かくの如きは|野《や》に遺賢なきを得しむる道でない。反対に在野の英才 と一般大衆とをして国政に冷淡ならしむる危険がある。それは国をふたつに割るに等し い。プロイスはこうした論法を以て自国の政情を批判し、その弱点を指摘し、よって以 て独逸国民一般の政治的関心を高め又はぐくもうとした。  同じような見方から又貴族国と平民国とを別けて考えることもできる。貴族国におい ては治者被治者の階級的差別が顕著であって、封建的な貴族的治老階級の余韻と特権と を多分に残し持つところの政治的支配老階級と、そういう特権のない全くの被治者被支 配者階級たる一般民衆とがはっきり対立している。これに反して平民国ではそうした顕 著なる階級的対立なく、全体の構成がもっと同輩的で組合的である。すなわち国という ものが国民全体の共同施設または合同経営であって、国の政治的支配権力は本来現前の 政治担当者に固有のものでなく、国自体に帰属するものである。そうして国民がこの国 家権力に服するのは、何か特に自分達よりも上位にある神秘的な御威光に服するのでは なくて、単に秩序維持のための技術的手段に他ならない。彼も人、我も人、ただ秩序の ための命令服従の関係に過ぎない。こうした同輩的組合性が平民国の特質である。こう いう風に論ずる者もある。  これらはいずれも近代における欧米諸国家の実状に即しての議論であるが、|吾《われわれ》々の国 家生活における現実の人格的重心が|何処《どこ》にあるかを|大《おおい》に反省せしむるものがあると思う。 もともと服従とか支配とかいう関係は人格的関係である。政治的支配は物理的支配とは ちがう。われわれが権力の命ずるところに従うのは、力学的現象が力学的法則の機械的 支配に|服《したが》うのとはちがう。ちがわなければならぬ。このちがいの源が人格的関係である。 国家生活における政治的支配への服従は|如何《いか》なる人格的権威への服従であるか。古代の 素朴なる国家形態においてはそれは|大抵《たいてい》君主たる人格への服従であった。その余韻を多 分に|遺《のこ》しているものが上にいわゆる官主国ないし貴族国である。しかるに近代の民主国 家は君主その他の治老に対する同人的服従を忘失した。そうしてその代りに国家という 種概念的全体を持ち出した。それが上にいわゆる民主国ないし平民国である。しかして その平民国における政治的支配服従の人格的中心は平民かれら自身である。その意味に おいて民主国は即ち同輩国である。だからまた平民国である。かくして現実の国家生活 における活ける実践は、君公に服うか、同輩互に相服うか、そのいずれかである。現実 の実践をひきいているものは、国というような概念上の全体者でなくて、君公とか同輩 とかいうような具体的人格者である。この事実は国家生活における人格の要求がいかに 深くかつ強くあるかを明証するではないか。  近代における個人の覚醒は国家生活における封建的君公服従の関係を解体して、これ を平等な個人相互の関係になおした。それの最も顕著な思想的表現をホッブス以後の英 国の社会科学において見ることができる。即ち個人の利己心を原理とし、この原理から 出発してあらゆる杜会生活規範を|演繹《えんえき》しようという考え方である。しかしもちろん各個 の利已心の赴くがままに放置したのでは混沌乱闘収拾がつかない。そこでホッブスは絶 対専制の支配者を立てよという。しかしそうして立てられた君主はもはや|古《いにしえ》の君主では ない。一歩その下を掘れば出てくる土台は万民の意思である。支配者たる君主の支配権 の源は民意である。平等なる平民各個の相互的規約である。この規約が国家を造り君主 の支配権と政府を樹立しているのだ。こういう思想が米大陸に新独立国北米合衆国を造 り、またフランス大革命を遂行せしめたのである。そうしてこの同じ思想の流れが各個 の利己的|肆意《しい》を制せんとして、個に優位する全体的権威を基礎づけるために、支配権の 主体としての国家、またはいわゆる国家主権なる概念を提唱した。即ち民でもない君公 でもない。国家という権利主体がある。この国家という権利主体に吾々は服従するのだ と  》つ  法律的にはそうした概念的主体で事足るであろう。しかしわれらの血肉を以てする現 実の実践生活において、真にわれらの血を沸かし肉を躍らせる相手は何であるか。われ らが献身の的として国を想う時、われらはその国というものにおいて何を想い見つつあ るか。いうまでもない、一天万乗のわがおおぎみとその|赤子《せきし》たる同胞国民ではないか。 民主国の兵士といえども、戦場に傷つき倒れてその霊を天にかえす時、かれの脳裡に浮 んでかれを励まし、かれの心を慰め|温《あたた》めるものは、概念的な国というようなものではな くて、もっと人格的な肉親ないし同胞ではあるまいか。祖国とは祖国の同胞ということ ではあるまいか。人なくてなんの祖国ぞ。わがおおぎみ、わが同胞が住み又生ける処な ればこそ貴くなつかしき祖国である。人はその服従の対象として人を求める。人格を求 める。非人格的業績への献身だけでは満たされ得ざる心を持っている。生ける人格への 献身奉仕のみが人をして生きがいを感ぜしめる。君主国においても民主国においても、 民は常に切実に王を求めている。これが人類の歴史における君主政体の原因であり又意 味である。  われらの求むる超個的人格者たる他者はしかし、単に量的に一個の己を超ゆるのみな らず、質的に全く人間を超ゆる老でなければならぬ。しかも人間的個にまさりて充実せ る生命の主なる人格者でなければならぬ。そうした絶対超個的人格の|充溢《じゆういつ》せる生命の|衷《うち》 におのれを没し得てこそ、われらは真に生きがいを感ずることができるであろう。幸福 はそうした献身のうちにのみある。そうした意味の超個的人格に対する全人格的傾倒献 身が幸福の秘訣である。うべなるかな古来民はその国王において神を求め|来《きた》った。何故 ならば神のみが真にわれらの全人格を受領して残りなき献身を遂げ得しめるからである。 四 超越神論  だが神という言葉は随分いろいろの意味に用いられている。上述の如き絶対超個的生 命の主体としての神とは|如何《いか》なるものか。いかなるものでなければならぬか。先ず第一 に、神はわれら人間とそのおのれとを絶対的に超ゆるものでなければならぬ。その意味 において絶対的超越者でなければならぬ。いわゆる超越神でなければならぬ。  しかるに哲学はどうも超越神を嫌う。なべて超越的なものを嫌う。その代りにすべて を内在的に理解しようとする。従ってまた神をも人間もしくは万有に内在する神として のみ考えようとする。これは哲学というものの立場からすれば当然なことではある。何 故ならば哲学とは理智を以て万有を包括しつくして余すところなからしめんとする企て なのであるから。哲学を以てすれば神もまた理智を以てする包容のうちなるものでなけ ればならぬ。それに余るもの、それにはずれるものは考えられ得ざるもの、あるべから ざるものである。しかるに超越神は万有を超ゆるもの、随ってまた理智をも超ゆるもの でなければならぬ。即ちまた哲学を超ゆるものでなければならぬ。だから超越神を考え ることは哲学の限界を越えるものを考えることである。超越神は哲学的には極限概念で ある。  たとえばアリストテレスは万物実在の第一原因として、動かさるることなくしてただ 動かすもの、何物をも求め慕うことなくしてしかもすべてに求め慕わるるものを考えた。 |一切《いつさい》がそれに依存するけれども、みずからは何ものにも依存しないもの、絶対に自存自 足する者である。これが神であるという。神は|如何《いか》なる他在的質料をも必要とすること なく、ただ純粋におのれみずからを相手に生ける霊であるという。すなわち思惟の思惟 であるという。中世の|基督教《キリストきよう》神学はアリストテレスのこの神観を援用して、基督教的 超越神観を哲学的に理由づけようとした。そうしてアリストテレスの神観は超越的人格 神を提唱するものであるという。  なるほどストアや仏教におけるが如き|汎神論《はんしんろん》の神観に比べれば、アリストテレスの神 観は超越的人格神観に近いものかも知れない。しかし万有の第一原因または第一動者と して考えられたるアリストテレスの神は、要するに万有に内在する神でしかない。万物 に遍通し万物を通して発展するところの内在的生命でしかない。哲学的論理を以て想到 せられたる実在の第一原因というようなものは、その本質上実在と相つながるものであ る。このつながりの糸を|辿《たど》り辿って決してはずれないこと、飛躍しないことを根本要請 とするものが学問の道である。しかるに内在的でない第一原因とはつなぎの糸の切れた る原因ということであって、つながりのないものが原因としてのつながりを持ち得る理 由がない。哲学はそういう絶縁的原因を考えることはできない。しかるに超越神とは|正《まさ》 にそうした絶縁的原因力を|恣《ほしいまま》にする神なのである。|所詮《しよせん》われわれは哲学を以て超越神 に到ることはできない。まことの超越的人格神は純粋に宗教的なる信仰の対象である。 殊に基督教の神観は神のこの超越性と人格性とを明確に堅持し、そのためにあらゆる種 類の汎神論的傾向と戦い来った。毒統派の    カネ菘 義損計蠍腓ヨ巍蠻自「 続け々もゐ,味ー要寸るに舳螂塋袁譎丙在神観加趨越神の本質的超越悔琶ぐ,ノ丶寄9爿 を忌ん走がら剪であう、で、その間正統派側の犯したる過誤すくなからずとすとも、それは その本質において|正鵠《せいこく》を失わざりし健闘であったといわなければならぬ。現代において は力ール・バルトの弁証法神学が極端と思わるるまでに神の超越性を強調してやまない。  近代における学問の発達とその理性主義とはあらゆる問題を内在的原理によって説明 しようとすることを以てその基調とする。上に言及した近代的民主主義国家論の如きも その一例であって、それは要するに国家機構を個人に内在する原理によって説明し、国 家の権力を個人内在的に基礎づけようとするものである。いにしえの国家観は君主の権 力の基礎を超越的に考えたけれども、近代の君主思想は君主の権力をも人民に内在する ものと考える。昔は君権神授、今は君権民授である。この同じ内在論的志向が自然科学 の根抵にあって、それが唯物論的一元論を生んだ。即ち一切の事象を単一なる内在的因 子とそれの自然的発展として理解しようとするものである。生物進化論の如きも同じ傾 向に属する。この傾向は自然科学の領域にのみ止まらず、歴史の領域についても同じよ うな内在論的傾向が著しい。一世を|風靡《ふうび》するの|概《おもむき》ありしへーゲルの歴史哲学の如き、そ れの代表的のものであるということができる。そうしてこうした内在論的自然観ないし 歴史観に共通な世界観は、一切をそれに内在する原因の自生的発展と|看《み》ることである。 随ってそれは唯物論的一元論に帰着するか、またはへーゲルにおけるが如き唯心論的汎 神論に到達するかである。 'しかるに|基《まきモミき きヰ》督教の神観はこれと|対蹠的《たいしよてき》に異なる超越神観である。即ち神は決して万有 に内在するその第一原因といったようなものではない。万有は決して神という原因から 流れ出たその結果または結実ではない。神は原因ではなくて創造主である。原因ありて 結果が生成するのは、自生的内在的発展であって創造ではない。創造とは全く|新《あらた》につく り出すこと、無から有を生むことであって、既にあるものが生い伸ぴることではない。 発展は創造ではない。聖書に「|元始《はじめ》に神天地をつくりたまへり」とあるのは、神が万有 の第一原因であり、万有はこの第一原因から発展したということではない。神が天地を 創造したというのは、神と天地との間にはなにら必然の因果関係はない、全く無原因に、 徹底的に自由に、即ち真に超越的に、神は無を変えて,この天地を成し給うだというごと である。これが.基督教における創造葺彗9信仰である。即ち徹底的なる超越神の信仰であ &  ごヨい"2超越神たる人格神茄世界書創造しかつ諧れを摂理したまヶ。随って人間とそ の歴史とを支配しつつあるものは、へーゲルの考えたような歴史または世界に内在する 原理の自生的発展ではなくて、人間と歴史とに超絶たる創造神の世界外在的摂理である。 神は歴史の外にいて歴史を支配したまう。世界歴史の内にその発展原理が残らず包蔵さ れているのではない。歴史ばみずから造るのではない。,神がつくるのである。だからま た神が結末をつけるゐせ,牽や。それがいわ騨る最後の審判である。だから歴史の終局は 内在的原理の発展的完了でなくて、歴史に超越する神が外在的基準によって歴史を評価 し、鬱る権籌とを以て簍結す耄。曇轟覇 ,信仰寸ある。ただしこの終末は最後の審判を以て到るのであるから、審判を受ける歴史 の実質が人間自身の責任に帰せらるべきもの、即ち人間がみずからの責任においてみず から営むものであることを予想する。その限りにおいてはまた歴史は人間みずから造る ものである。  だが究極において神が歴史を摂理したまうのであるから、歴史は始めから神によって 定められたる意図と方向とを持っている。そうした意図が|蔵《かく》されているということが、 歴史を支配する摂理ありということである。だから人間の自由意志に基く営みが神の聖 意図にそむく時、摂理は歴史の終局を待たずしてこれに干渉するかも知れない。随って 歴史は不断に神の審判を受け、審判に伴なう処置を受けていると考えなければならぬ。 この意味において「世界歴史は世界審判」彡げー一0口の。。0三9帚羣聿巴"臼ー0睾である。旧約 聖書にいわゆる予言者とはこういう歴史観に立脚して時代を批判し、国民に警告し続け た人々をいうのである。そうして又これが一   拝   である。この史観に立って |看《み》る時、歴史は決して単なるくりかえしではない。昔ユダヤの或る智者は「日の下には 新しきものあらざるなり」と歎じたが、歴史の実質がもし歴史に内在する原理の発展で しかないものであるならば、まこと日の下には新しきものなしであろう。すべては同じ 原理のひとすじなる発展でしかないであろう。しかし創造主たる神の超越的摂理のもと にある歴史は、刻々に新しき創造の連続であり得る。歴史の動きは決して定命的回転で はない。真実に新しきもの、全く人間的予想を裹切るものが、突として出でて歴史の|生 面《せいめん》を一変することがあるかも知れない。日の下にまこと新しきものがまだ生まれ得るの である。しかし創造主たる超越神の摂理を考えることなしには、真に新しきものの生起 することを期待することはできない。  人生の目標としての人格的他者を求め考える時、われわれはよく一口に大我というよ うなことを言う。小我を棄てて大我につくというようなことを言う。そうしていろいろ の段階においていろいろの内容の大我を考える。その最高段階における極限大我として 神を考えることが多い。しかしそうして想到せられたる神は要するに世界内在的な、随 ってまた結局汎神論的な神でしかない。そういう神なり大我なりにおいて自我献身の場 処たり相手たる他者を見出し得ないわけのものではない。しかし事実において大我は小 我を発足地として到達せられたる構想である。随って生活の実際においては大我が小我 を規定するよりも、より多く小我的契機が大我の実質を規定しがちである。けだし|吾《われ》ら が身親しく知るところ小我の実質にまさるものはない。自然われらは何を考えても熟知 の小我的契機を目安とし、類推の根拠とする。かくて知らず識らず己を以て大我を規定 し、神をさえ規定する。されば理窟はともかく、人生の活ける実際においては、内在的 神ないし大我は小我に内在し、そのおのれに|跼跨《きよくせき》するところあることを免れ得ない。内 在の神はわれらをして真におのれを超脱することを得しむる他者ではない。だから私は 言う、われらの求むる超個的他者は超越神でなければならぬと。この超越神に献身し得 るまでは吾らは真におのれを超脱することができない。近代の個人主義的国家観が国家 ないし君主を個人内在的に考えているように、、神き内毎的に考えるのは|畢竟人《ひつきはおき》聞"心主 義であって神巾心主義ではない。われらが真実なる神中心の生活に徹せんとするとき、 われらの神観は徹底的なる超越神観たらざるを得ない。その時われらは真におのれを絶 して他なる者の|衷《うち》にみずからを殺し、同時にまた深刻におのれを救い得るであろう。こ の点に関してキェルケゴールや力ール・バルトの|勁烈《けいれつ》なる論理がわれらに教えるところ は|甚《はなは》だ大きい。  このような超越的人格神に到り得て、この神の前におのれを捧げ、おのれに死して神 のうちにのみ生きるということは、自我中心または人間中心の生活から神中心の生活に 移ることを意味する。しかもその間の生活転向は中途半端を許さない。生得の|全《まつた》き人間 中心主義の生活をすてて、生れもつかぬ全き神中心主義の生活に転じなければならぬ。 それは深刻極まる生活転向廿睾ある。恐らくは痛烈なるいたみと血涙とを代償とすること なしにこの転向を全うし得る者はすくないであろう。それは|乾坤一櫛《けんこんいつてき》の決断である。何 者かに導かれ励まされ力|藉《か》さるるのでなければ、到底人ひとりの自力だけでは成しとげ 得ないであろう。宗教的には、この転向は即ち回心の経験もある。そうしてこの回心を経                 おんちよう                                 丶、ー 験した者はすべてこれを以って神の恩寵による撰ぴであり召しであると信じた。'アウグ スチヌスの名著『告白録』はまさにこの恩寵による撰びを感謝し、神の限りなき慈愛を たたえうたわんがための「讃美録」である。"バンヤンの『天路歴程』また|然《しか》り、親鸞の 『|歎異鈔《たんにしよう》』また然りである。アウグスチヌスが用いた8三$。。ー8$という言葉は、言語 学的にも讃美録と訳した方が一層適切な訳し方であるという。  こうしてわれわれの生活の中心が|吾《われ》および吾につながる人間同士から離れて、徹底的 に超個的なる他者に住するにいたるということは、人問生得の生き方を根こそぎ打ちか えるということである。それは正に人間の天性を変えることである。パウロはこれを 「新しき創造」僞←尋ミ丶◎べと名づけた。神によって全く新に創造し直されるのだとい -ので亀故にまたわれきれを新生諧し  人生を真に強固に目的づけ意義づけ得るものは、人間とかれらの生活に内在するもの でなくて、これに超越するところの徹底他者である。そうした他者は超越的人格神より ほかにはない。随っていかにかしてこの超越的人格神にいたるよりほかに、われらが真 に強固にわれらの生活に意義づけ得る道はない。ストアはその合理主義と汎神論とを以 て飽くまで内在的に人生の意義と幸福とを追い求めたのであったが、その結果はただい たずらにおのが衷に沈潜して生活の実質を貧しくし、|終《つい》にこれを零に等しからしむると ころの自殺是認論に帰着したのであった。それが内在論の論理的帰結である。この自殺 的帰結からわれらを救うて、われらにさかんなる生の|拠《よ》りどころを与え得るものは、徹 底的にわれらみずからを絶するところの神よりほかにない。超越的なる人格神よりほか にない。この人格神への純粋に宗教的な|帰依《きえ》よりほかにない。  アウグスチヌスは神の国のための道場としてのみ初めて地の国の意義を深刻に肯定す ることができた。地上現世の人間生活はそれ自体として究局的意義を持つものではない。 地を超え現世を超ゆる生命の故に、それへの備えとしての意義によって初めて意義づけ られるのである。この意義づけは深遠である。それによって地上生活は地上以上の根拠 と目的とを与えられる。すなわちまた地上生活の超越的基礎づけである。基督教は地上 生活に対するこの超越的意義づけを堅持した。それによってともすれば陥り易き|厭世主 義《えんせいしゆぎ》を克服した。この克服は重大なる克服であった。古語に曰く「それ智慧多ければ憤激 多し、知識を増す者は憂患を増す」と。真面目に人生をかんがえる者が、その知識経験 の加わり増すと共に、人の世に対する失望と悲哀との強襲を免れることはできない。人 の世をただこの人の世にのみ即して見る時、厭世主義は必然の結論である。その厭世主 義を克服するには人の世を超えた足場が要るのである。人の世のうちに止まる内在論的 |看点《かんてん》を以てしては、ストアにおけるが如き悲観的諦観よりほかのものに到達することは できない。  その証拠には、古代から現代にいたるまで西洋の智者とも賢者ともいわるるような 人々の世界観は、大略ふたつに分けられると私は思う。ひとつはギリシア的教養を以て 身を|鎧《よろ》うたる人々にして、基督教的信仰を持たない者の世界観で、その基調をなすもの はストア的諦観である。もうひとつは活きた基督教的信仰によって支えられたる世界観。 大略このふたつである。そうして前者は例外なしに究極は厭世主義。後者のみが強靱な る積極的人生観と|不撓《ふとう》の希望とを持っている。〔ゲーテは七十年に余る己が生澤を、匁《ヨミ》|《さを》|り みて、幸福であった0は|磁置《わずか》曲適閭、あとはすへて苦い悲しいもの恋あったと述懐した という。ひとり西洋に限らない、東西古今を通じて、大多数の人の生涯の結論が厭世主 義である。悲劇詩人ソフォクレスが「一番しあわせなことは生れて来ぬこと、その次に しあわせなことは出来るだけ早くもと来し方にかえること」とうたった時、それは端的 に汎人類的感情を述懐したものであった。ホメロスの叙事詩にも同じ悲調の底流がある。 ギリシアばかりでない、すべての古代民の素樸なる人生詩にこの悲調の底流がある。か れらがただ単純にほがらかに人生をよろこんでいたと想像するのは、大きな見当違いで ある。現代においても赤道直下の蛮地に住む原始民などは、文化人の想像を絶する悲し き諦観に生きている。この諦観を超克して積極的に人生の意義を発見し、喜ぴ勇んで人 生の戦場にたたかいぬくことを|能《よ》くせしめるものは、超越神たる人格神に対する活ける 信仰よりほかにない。  だがこの信仰はおのれを去っ、て徹底的に他者に住することを意味する。ただおのれを 去るだけでは足りない。ストアにおけるが如く物欲否定を徹底するだけでは足りない。 簪鴦者のう晏ければいけない。こ靆黛葺蓄華 ある。二の新生にいたら崎者め」鶯暑イ与惆コ轟|空家《あきや》日目弓ど"司た。志を立ててかれは己が 心裡に巣くう悪念を一掃した。しかしただ消極的に悪念を去っただけで、その心境は悪 霊を追い出した後の空き住宅のようなものである。「|穢《けが》れし霊ひとを出づるときは、水 なき処を巡りて|休《やすみ》を求む、しかして得ず。|乃《すなは》ちわが出でし家に帰らんといひ、帰りてそ の家の空きて掃き浄められ飾られたるを見、遂に往きて|己《おのれ》より悪しき他の七つの霊を連 れきたり、共に入りて|此処《ここ》に住む。さればその人の後の|状《さま》は前よりも悪しくなるなり」 9久ボ伝一剪・覃三"螢ヨ。イエスのこの戒告がいかに深刻に人生の真を|衝《つ》くものである か。それは|淘《まこと》に怖ろしき人生の事実である。ただ悪霊を追い払っただけの空家ではだめ である。古きいのちに代えて新しきいのちを獲なければだめである。尺|薪《あらた》に生まれずぱ 神の国を見る二と|能《あた》わずである。ごの新生が人を活かし、人生を真に幸福ならしめる。 =幸福の秘訣は新生にある。  しかるに例えば古代ギリシア末期の幸福主義の哲学はこの新生を知らざる幸福論であ った。随ってそれは結局色食のこのおのれに|跼蹐《きよくせき》する幸福論であった。何故ならば人間 は血肉だけの動物でないと共に、精神だけの精霊でもない。現実の人間一個は明らかに 二元的存在である。人はパンのみにて生きず、またバンなくしても生きず。この生ける 人間に即する限り、われらはわれらの肉身に宿る感性を脱却することができない。随っ てわれらの幸福論もまたその根抵において感性に規定せられ、感性的官能的なる快不快 を以て幸福の実質を規定するようになる。この事についてはエピクロスもストアも同じ である。両方とも有情色身の我に即して幸福を求めている。だからその幸福論はその根 本において感性的幸福論である。その証拠がストアの自殺是認論である。苦痛がわれら の生活を重くし、われらの感性が不快感にさいなまれる時、自殺はわれらの幸福を全う するための「賢きぬけ道」∞掌ミ8叭智ぺ8忌であるという。これは基督教道徳が絶対 に自殺を否認し、人生のあらゆる艱難を心から喜んで、パウロと共に「すべてのこと相 働きて益となるを我らは知る」のと、雲泥の差ありと言わねばならぬ。この差は人生の 目的を内在的に求めるのと超越的に求めるのとのちがいから出た差である。そうしてそ れは又とりも直さず新に生まるると否とに基く差である。人は新に生まるることなくし てまことに自殺を克服し、人生の諸々の苦難を心からよろこぶにいたることを得るもの でない。ただこの新生のみが人をして真に|金剛不壊《こんごうふえ》の幸福にいたらしめる。  だから幸福を求める者は先ず新生を求めなけれぱならぬ。生得のこのおのれの旧套を 以てしては、まことの幸福にいたり得ない。われらは新しきいのちの主に逢うてわれら みずからを新にしていただかねぱならぬ。かくてわれらの生活主体が全く新な者になら なければならぬ。ハ〔ウロー     |才《さ》   「もはやわ糺畦丶るー     -ス心 が内にあ讐宰」占言十だ'即ちわれらみずからを絶対に超越するところの生 ける他者に逢うて、かれの衷におのれを|喪《うしな》い、かれにおいて新なる生活の主体と中心と を得、かれのいのちを以てすなわちおのれのいのちとするに到らねばならぬ。これはわ れらが内在的世界を脱出して、超越的他老たる神にまみゆることを意味する。そういう 超越的経験である。入トアの哲人たちは人生0,救い,ど£ろごぴと串人間匁ずから、圭おの れみず加ら,の内に見出ぞ,善ど4た。じかじ八岫0救"は八ゐづちにぱ,ない。八、の救櫓は人 、よび他なる老、世界おりぽ詈加な岾る者舅る。僧絶対一的超越者だ茱る神めづち王舅る。{神は内ー 在者でなぐで超越者0、弩。 第三章 苦難と人生 嫉ーむ神  有名なモーゼの十誠の中に「われヱホバ|汝《なんぢ》の神は|嫉《ねた》む神なれば、我を|悪《にく》む者にむかひ ては父の罪を子にむくいて三四代に及ぼし、我を愛しわが|誠命《いましめ》を守る老には|恩恵《めぐみ》をほど こして|千代《せんだい》にいたるなり」(出ヱヂプト記二○・五土ハ)という言葉がある。そうして人生の 事実は|怖《おそ》ろしきまでにこの言葉を実証しつつあるようである。われらの格言もまた「積 善の家余慶あり、積悪の家|余殃《よおう》あり」という。現代の知識人は多くは笑ってこの古臭い 格言を|足騒《あしげ》にしようとする。しかしこの古い格言をふみつけるものは|禍《わざわい》なるかな。怖る べき報いがその人の門の外に待ちかまえていて、必ずかれとかれの愛する者とに痛撃を 加えないではいない。ダンテが人生の旅路なかばと言ったその年頃を経て、孔子が四十 にして惑わずと言った頃まで生きのぴたものならば、|大抵《たいてい》この怖るべき応報を身近に見 て知っているであろう。五十にしてなおこれを怖るることを知らざる者は、救うべから ざる暗愚の痴人である。  だがそれだけに|止《とど》まらない。神はその愛し給う者に対してさらに一層嫉み深くありた まうようである。ちょうど女の愛が愛する者の全愛心をおのれひとりにのみ独占しなけ れば安んじないように、神もまたおのれを愛する者の愛心を全部独占して、いささかも これを他に|頒《わか》つことを禁じたまうものの如くである。人が真に神のものとなる時、かれ はもはや|些《すこ》しでも神よりほかのものに心|惹《ひ》かるることを許されないようになる。些しで も神を忘れて俗事に心を奪われると、きっと何か|患難《かんなん》がかれを襲うて、かれを鞭うち、 かれの心を強いて神の方に惹きつける。かくて他の人ならば当然許されるであろうよう な、それ自身決して悪にあらざる、あるいはむしろ美しくさえあるような生のよろこぴ さえ、かれからは奪われ禁じられるようになる。かれは世の常の幸福を拒まれてある人 である。かれが幸福を拒まれてあるのは、かれの心が幸福になずんで神よりほかのもの に移ることを、神がいささかも許したまわぬによるものの如くである。それはその人が 霊的に極めて高い境地にまで到達したことの徴証であるとヒルティは言う。こうした意 味においても、われらの神はまことに嫉む神でありたまうようである。  このように神が嫉む神でありたまう故か、われらが神に近づき、神において|新《あらた》に生ま るるを得るに至る道は、常に必ず苦難を通してであり、決して|怡楽《いらく》の道でない。それに ついて私はソクラテスの守護の霊の話を與味深く想い起す。芸術家的天分の|豊《ゆたか》であった プラトンの霊筆に成る有名な『ソクラテスの弁明』を読む人は、そこに活写されてある 巨人ソクラテスの堂々たる雄姿を眼前に|髣髴《ほうふつ》し、その人の力|溢《あふ》るる声音を耳に聴く想い を持つであろう。あの一篇は二段に分れていて、前段はソクラテスがアテネ民会裁判所 に立って、|並《な》みいる判官を前に毅然として自家の所信を開陳し、一歩もひかずに自己の 立場を弁明するところである。後段は前段の弁明がすんで後、その弁明が|却《かえ》って禍をな して、衆人皆意外に感じたところの死罪の判決が下されてから、ソクラテスがもう一度 発言の機会を求めて立って、この結末に対する感想を述べるところである。そこでソク ラテスはこういうことを言っている  「私の身の上に不思議なことがあった。私の聴慣れた精霊の神宣は、ずっと前から幾 度も幾度もきこえて来て、特に私が何か曲ったことをしようとするときには極めて瑣細 な事柄に当ってもいつも私を|諌止《かんし》するのだった。しかるに今度、諸君も御覧の通り、人 が最大の禍と考えそうなことで、又実際そう|見傲《みな》していることが私の身に降りかかって 来た。それだのに私が今朝家から出て来る時にも、この法廷に立ったときにも、又私が 弁論に当って何かをいおうとしている途中にも、私は神の御告げによって警告を与えら れることがなかった。他の談論に当っては、それは幾度も、談論の最中でさえ、私を阻 止したのに。|併《しか》し此度は、私が何をしても何を言っても、それは全く私を諫止しなかっ たのである。私はこれを|如何《いか》に説明すべきか。私はそれを諸君に話そう  今私の身に 降りかかったことは|善《よ》い事であると見える、もし私達が死を禍であると思うならば、そ れは大間違いである。この事については、私は有力な証拠を持っている。私の|為《し》かけて いる事が善でなかったならぱ、例の神の御告げが私を諌止しない訳は決してないからで ある。」(久保・阿部訳三一章)。  この精霊または守護の霊(急ミ0ミミ)については前段十九章にも、「これは既に幼年時 代に始まったもので、|衷《うち》に一種の声が聴えて来るのである。そうしてそれがきこえると きには、それは|何時《いつ》も私の為さんとするところを諌止するが、決して催進することをし ない。」という言葉がある。ソクラテスは幼時から魂の奥深く|曝《ささや》く或る細き|静《しずか》なる声に 耳傾けておったというのである。それはかれにとって衷にささやく神の声に他ならぬの であった。この声が如何なる性質のものであったかということに関しては、古来いろい ろの学者によるいろいろの研究があった。あるものはこの神秘的経験の故にソクラテス を以て何か異常な霊交家というような者と解釈しようとした。あるいは又これは一種の 幻覚であって病理学的原因を持つものであると言い、|曠世《こうせい》の大哲人を目するに一精神病 者を以てする学者もあった。|尤《もつと》もこの学者の所見によれば、スウェデンボルグやルソオ はもとより、ルッターもパスカルも精神病者の中に入るのであった。しかしシライエル マッヘルを始めとして近代の多くの優れたる学者が指摘したように、ソクラテスはその 根抵において|飽《あ》くまで冷徹な理性の人であり、同時にその理性を露くもらさるることな しに、心耳に曝く神の声を聴き捉えたのである。それは恐らく旧約の預言者エリヤが聞 いたと記されてあるところの「|静《しづか》なるほそき声」(列王紀略上一九・一二)に似たものであっ たろう。  しかるにこの天来の声がソクラテスに臨む時、かれの「為さんとするところを諌止す るが、決して催進することをしない」というのである。ただしこれはプラトンの記すと ころであって、プラトンと共にソクラテスの弟子であり、師のために追想記を書いてい るクセノフォンの記すところによると、精霊は必ずしも常に諌止するに止まらず、時に 諌止し時に催進せるものの如くである。しかしこれはプラトンの方が正しいのであって、 クセノフォンは漫然と不用意な記し方をしているのであると思う。クセノフォンの書い た追想記は、ソクラテスの生涯におけるもろもろの事実を伝える点において、プラトン の対話篇にまさるものであり、事実の記録としてはより精確またはより忠実なものとい うことができよう。しかしプラトンが前記の『ソクラテスの弁明』や『クリトン』『バイ ドン』『饗宴』等の対話篇において描きあげたソクラテスの肖像は、言わぱ天才的画家の 霊筆になれる稀世の芸術品である。それは|皺《しわ》ひとつ|黒子《ほくろ》ひとつ逃さないというような意 味での精確さは持たなくとも、ソクラテスその人の本質をみごとに|掴《つか》んで、画面に生彩 |奕《えきえき》々たるものがある。英雄英雄を知るとか。その精神の深さ大さにおいてクセノフォン は到底プラトンの敵でなかった。その頭脳は狭く、その洞察は浅くあった。だからソク ラテスの生涯の散文的記述としてクセノフォンの追想記が貴重な伝記資料であることは 認めなければならぬけれども、プラトンの筆になる芸術的活写がソクラテスその人の真 骨頂を伝えて躍如たらしめているのには比ぶべくもない。人は自分の力量だけのものし か捉え得ない。ソクラテスほどの巨人を捉えてその真を活写するには、プラトンほどの 大才と巨腕とを必要としたのである。そのプラトンの伝うるところによれば、精霊は諌 止するけれども催進はしないというのである。後段においてもくりかえしてただ「諌止 する」とのみ言っているのである。これは筆者の不用意から出た言葉ではあり得ない。 充分な根拠があってわざわざつけ加えられた限定でなければならない。  この限定は注目すべき限定であると思う。神はその愛したまうソクラテスを|看《み》まもり つつ、原則としてかれを独立独行せしめる。ただかれが正道を|外《はず》れてあらぬ方に曲ろう とする時にのみ、|来《きた》って静にかれを諌止するというのである。ちょうど聡明な母が歩き 始めの幼児を看まもり|訓《おし》える時のようである。独りで歩こうとする児を強いて抑え、あ ぶない危いと言ってひと時も手を離そうとしないのは|愚《おろか》な母親である。賢明な母親は幼 児をしてその欲するがままに独歩せしめつつ、ただ終始看まもり続けて油断しない。そ うして児が危い所に近づくごとに、やさしく静に手を取って教える。決して大声はりあ げて|徒《いたず》らに幼児をして驚き|慌《あわ》てしめるようなことをしない。ちょうどそのように、ソク ラテス守護の精霊も原則としてソクラテスをその自判独往に委ね、必要のある場合にだ け静にかれを阻止して邪悪から防ぎ守る。しかし決して積極的に手をひいてつれてゆく ことはしないというのである。哲人ソクラテスは幼時から老年に至るまで、その|真攀《しんし》な る魂の奥深きところにおいて、このような不思議な経験を重ね続けて来たというのであ る。これは驚くべく|畏《かしこ》むべきことではないか。  人間の自由意志と神の全能との関係は、古来幾多の哲学者神学者の頭を悩まし続けて 来た難問題である。しかし人間に意志の自由があり、|随《したが》って又それに伴なう道徳的責任 のあること、この事は人生における動かすべからざる事実である。知識とその理論とは この事についていかほど惑い疑おうとも、生活の実践はこの事について惑い|佇《たたず》む余地を 与えない。惑うて佇むものは生活できない。人生は自由意志の戦場である。われらは各 自われみずからの責任を持つ。この責任を免れることは許されない。しかしこの自由と 責任とのあることにより、人間の歴史がいかに多彩に又生気溢るるものになされてある ことか。もしわれらに自由と責任となく、|一切《いつさい》がただ必然と機械仕掛とばかりであった ら、何という|冷《ひややか》さ貧しさわびしさであろう。その時世界は即ち死そのものであり、歴史 は全く無いであろう。  しかし現実には、神われらを自由意志の主体につくりたもうた。そうしてわれらをし て自由意志の主体として成長せしめ、生活せしめ、聖意図に参画せしめんとし給うもの の如くである。多分そのために、神は極力われらをわれらの自由意志に委ね、おのが責 任においてみずから生きしめたまうのであろう。だから神は終始われらひとりぴとりの 行歩を見守りいたまうといえども、われらみずからの未だ歩み出でざるに、先ず来って われらの手をひいてつれて往くというような方法をとらず、先ずわれらみずからが自分 の責任で歩き出すことを待ちたまう。そのために、ソクラテスの精霊がソクラテスに対 してそうであったように、神は諫丘弍舛どむ催進じ鳶ことを以て本旨としたまうよう である。これは意志の自由ということについての奥義を暗示するものではあるまいか。  神はかくの如く入念細心にわれらに自由を与えかつこれを愛護しつつ、反面せば又讀 の自由が神以外の方向に向って伸びる二とを極度に嫌いたまう。その故に神は嫉む神で あり、同時にまた嫉むほどに慈愛深き神であり給う。意志の自由なきところに愛も|嫉《ねたみ》も あり得ない。そうして人生に苦難の多いこと、真面目に人生を生きようとする人ほど一 層深刻に苦難を経験すること、佚嚢舉剌は神が愛であり、人が自由であることにもとづ くのではあるまいか。ソクラテスが多年|荊棘《いばら》の道を歩きながら、最後に|非業《ひごう》の刑死をと げんとするに至るまで、神は|終《つい》にソクラテスのため安楽の日を用意し給わなかったとい うのは、神が深くソクラテスを愛し給うたからではあるまいか。またそのことを知るソ クラテスであったから、あのように毅然として、よろこぴつつ与えられたる毒杯を乾し て、太陽があかねさす夕空に燃えつつ落ちるように、荘厳無比の死を死んだのではある まし|力《ヘムリ》 二 守護の精霊  ソクラテスの守護の霊が諌止するのみに止まって、催進することをしなかったという ことと共に、さらに又注目すべきことは、ソクラテスその人が精霊の諌止さえなければ 安んじて死地に赴いたということである。「私の|為《し》かけている事が善でなかったならば、 例の神の御告げが私を諌止しない訳は決してないからである。」そう言って精霊の声な き許しを|恃《たの》みに、敢て|冒《おか》して屈辱の刑死を|受《う》け|容《い》れ、泰然として「今私の身に降りかか った事は善いことであると見える」と断言したのである。ソクラテスのこの心境は|瞠目《どうもく》 す、、へきものである。  われらが人生の岐路に立つ時、殊にこの場合のソクラテスのように重大な岐路に立つ 時、何者かわれら以上の者がわれらに代って考量し判断し、その結果を口移しに移して 貰って、それで事を決めるのであれば、われらの行歩はまことに楽なわけである。カト リク教会における聴罪師とか告解とかいうような制度、|然《しか》りなべて聖職制度そのものが、 この意味においてわれらの行歩を安易にせんがための工夫である。そうして大多数の人 がこの種の安易を求めてやまない。しかし神は人間をそのような安易な生活に定め給わ なかった。われわれはおのが責任において生活する義務と自由とを持つ。われら各自が みずから神の台前に出て、みずから自家の歩みを弁明しなければならぬ。己が生活の大 事を僧職その他の人に聴いて決め、みずから考えみずからの危険において敢行すること を避けるのは、卑怯なる責任回避である。真実をもて人生を生きようと思うものは、そ ういう責任回避をしてはならない。われはみずから選んでお人形に堕してはならない。 ,生き葦る丿「口ば責俤冨丿ゴる日と君ある。天与の自由意志の主体として、真蟄におのが独立 の意志とその自由と責任とを守り、誠実におのが主体性を保持しなければならぬ。そう でなければ生きた人間ではない。  だが人間に与えられた自由の余地は限られたものである。人間がその自由に関して経 験する最も根本的な経験は、おのが自由意志の実践を妨げるものの実存することである。 自由意志の主体としてのわれが|在《あ》るという実践的意識は、直ちに又われを|阻《はば》むもの在り、 われのいかんともなし得ざるもの、われならぬもの在りという意識である。デカルトは 「われ考う、故にわれあり」と言った。それはデカルトが深く実在非実在の問題に沈潜 して、考えに考えぬいたあげくの悟入であって、実はその根抵にあるところの実践的な 求道の精進がもたらした生活体験の表白に他ならない。真理を追い求めて休むことなき 生活の実践が、かれを|駆《か》って考えぬき疑いぬかしめた。そうしてかれは真理を考えると いう行動の主体として、自由意志の主体たる我の万事思うに任せぬ実情をつぶさに体験 した。それは自由意志の主体たる我と、この我に抵抗するところの我ならぬものと、こ のふたつの現実なる力の体験であった。そこから彼は「我あり」と断ずることができた。 これはその本質において純粋理論的な推断であるよりは、むしろ実践的な直覚である。  デカルトの神の実在についての論証なるものがある。それはその形式においてアンセ ルム以来のスコラ的、いわゆる本体論的証明の様式に|依《よ》っているけれども、実質的には 上記のような有限なる実在としての我の直覚から出発している。即ち我は我を直覚する と同時に、その我の存在が限られたる不完全者の存在であることを直観する。しかしこ の直観は完全者の観念が既に我が|衷《しつち》に定立されているのでなければ生じ得ない。我が衷 に既に完全者の観念があればこそ、それに照して我はわが不完全者なることを知るので ある。しかるに我が衷に完全者の観念があるということは、又この観念を我が衷にあら しめたるその原因が実在するのでなければならぬ。その原因は完全者の富℃臼冷2甲 のぎロヨ即ち神以外の者ではあり得ない。何故ならば原因は少くとも結果と同じだけの 実質を内容として持つものでなければならぬ。故に神は実在しなければならぬ。  この論証は後にカントがその『純粋理性批判』において批判し|反駁《はんばく》したような弱点を 持つけれども、デカルトの哲学における理性主義の性格を躍如たらしむるものとして、 哲学史上有名なものである。デカルトはここから出発して新しき理性主義的形而上学の 体系を樹立し、近世における理性主義哲学の開山ともいわるるに至った。その根元は 「我考う、故に我在り」というその限られたる我の実在と、この我の限られてあるが故 に、この我を限るものとして必ずあらざるべからざる非限定の実在としての神とこのふ たつの実在についての純粋理性的直観的把握である。しかしこの把握に到るまでのデカ ルトの心理の径路をたどると、前に言ったような実践的な体験がある。その体験におい て我それ自体と同時に、我に抵抗する非我たる実在を直覚しておったからこそ、その直 覚を基礎とする純粋理論的形而上学の展開において、我と神との実在を直観定立し得た のである。  十九世紀初頭以来のフランスの思想界に深甚の感化を及ぽしたメ1ヌ・ド・ビラン =巴弓号四喘彗(ミ8-崑〜一)は、意志活働の心理を分析して上記の如き我と我に抗する 非我との実勢に直面し、「われ意志す、故に我あり」ーのく8×し皀・ーのの口すと断じ、そ こから発足して独自なる意志主義的形而上学の体系を打ち立てようとした。即ちデカル トの8ひ・品一80お○。。ロヨに代うるに<○一〇のお○。。ロヨを以てするものである。そうしてそれ はデカルトの論理の根抵に|横《よこた》わるところの心理の実質を分析して、人生におけるこの究 局的実践的事実に到達したのである。かく評しても大して問違いではあるまいと思う。 逆に又いろいろの点においてデカルト及ぴデカルト哲学直伝の継承者マールブランシュ =巴9轟ヨ冨(一8・。.一→ま)に|似通《にかよ》うところ多しといわるるメーヌ・ド●ビランにこの提 唱のあることは、デカルトの有名な断定の底に上記のような実践的体験があるという解 釈を、哲学史上の事実を以て証拠づけるものと言うべきであろう。  「智に働けば|角《かど》が立つ。情に|樟《さお》させば流される。意地を通せば窮屈だ。|兎角《とかく》に人の世 は住みにくい」という。また「人の一生は重荷を負うて遠き道を往くが如し」という。 一代の文豪と|稀《まれ》に見る錬達の政治家と言をひとつにしていうところは、人の世の思うに まかせぬことである。それは人生を通観しての綜合的結論である。だがそうした老練の 人の達識を|俟《ま》たずして明らかなことは、われ意志す、しかしてわれ阻まるである。実践 的にはメーヌ・ド・ビランの言った通り、われ意志す、故に我ありである。そうしてメ ーヌもまた言ったように、それは又同時に我が意志に抗する非我者の実在を直指するも のである。われ意志す、しかしてわが意志に抵抗するものありである。自由とは|斯《か》かる 意志主体としての我の意識と、この我を阻む者の意識と、これらふたつの意識が|相依《あいよ》り 相逆らう活葛藤の意識である。不自由の意識がなければ自由の意識もない。この意味に おいては、われ不自由なるが故に自由なりである。言いかえれば、われらが自由である のは、われらを囲む阻みの|牆《かき》によって囲み余された範囲内だけのことである。牆の外ま で出る自由は拒まれてある。それは絶対にわれらの自由意志を超ゆる世界である。そこ ではわれらは真に|殍蟻《ふゆう》のごとく、大海に浮ぶ一|泡沫《ほうまつ》の如くである。しかし繙の内なる世 界はわれらに托せられたる世界である。そこではわれらは独立自主の意志主体として、 自由とそれに伴なう責任とを持つ。  この責任はいわば自由の心棒である。上に牆といったものは自由の遠心的限界、責任 は自由の求心的軸である。軸も牆も何もなく、ただもう|為放題《しほうだい》成り放題の無規定さが自 由の本質ではない。人間の自由には定められたる繙がある。そうして|恰《あたか》もこの旛を通し て、われはわれならぬものと密接不離に結ばれてある。この結びがこの牆にも|拘《かかわ》らず我 と我ならぬものとをひとつにする。我と我ならぬものとは二つにしてしかもひとつであ る。だから責任がある。われらの自由にはこの責任が伴なう。責任のない処に自由はな い。みずからの責任において他と相つらなり、特定の因果関係にみずから|循《したが》うことが自 由というものである。こうした自由とそれに伴なう責任との世界が道徳の世界である。 この意味において自由とは本質的に道徳的な消息である。だからカントはその形而上学 体系の構想においてこれを二つの部に分けて考え、一を自然形而上学、他を道徳形而上 学と名づけて、前者は自然必然の法則の学、後老は自由の法則の学であると言った。そ うしてこの自由が本質的に道徳的なものであり、道徳の本質が自由意志の自律的責任に あることを、|闡明《せんめい》強調したことがカント哲学の顕著なる特色のひとつであり、又不朽の 功績である。  われら人間はこのような意味において自由意志の主体である。随ってわれらの一生は 我らみずからの責任において我らみずからが生き営むべき一生である。それがためには、 もし我らに守護の精霊がついているものならば、かれはわれらを邪道より阻止するに止 まるべく、それ以上積極的にわれらを正道にまで|促《うなが》し進むるが如きは、親切の|為過《しす》ぎで あると言わなけれぱならぬ。この事はわれらが隣人に対してみずから親切をつくそうと する場合にも、銘記して忘れぬようにしなければならぬ。隣人をして|妄《みだ》りにかれみずか らの責任から逃れしめるような親切を施すのは、許すべからざるおせっかいである。そ れは人の独立を奪うものであって、人格の|冒濱《ぽうとく》である。だからソクラテスの精霊は積極 的な催進を差控えたのだ。それが神の人間に対する慎重な態度なのだ。  だから義人の生活は阻止につぐに阻止を以てする生活でしかない。やんやと喝采せら れて促し進められ続けのような生活は、守護の精霊に見棄てられた生活である。われら が真実を傾けて正しき生活を追い求める時、神は邪道からの阻止を豊に用意して下さる。 時には随分手荒に又痛烈に阻止して下さる。しかしその余は、阻止のないことを唯一の たよりに、われらみずからの覚悟と責任とにおいて前進しなけれぱならない。この覚悟 と|敢為《かんい》とが実践ということの本質的契機である。そうしてこれあるがためにわれらは真 に自由意志の主体であることができる。この覚悟と冒険となくして成就するものは、す べて自然必然の|成行《なりゆき》に過ぎない。実践的当為の実現はこの冒険的契機なくしては成らな い。ただこの冒険を単なるあてずっぽうに堕せしめないために、信仰というものがある。 信仰は精霊の阻止がないというだけの微妙なる許しに励まされて、ソクラテスのように 敢然として常識を超ゆる危地にも突進する。その息詰まるが如き信頼と敢為との境地を 通ることによって、人は始めて言うべからざる神の激励に触れることができる。この激 励は事後の嘉賞であって、事前の保証ではない。しかしこの激励に|遇《あ》う時われらの勇気 は将来に向って百倍する。それは単なる|独《ひと》り|善《よ》がりの信念などとはちがう。  孟子は「自らかえりみて|縮《なお》くんば千万人といえども我往かん」と言った。|熾烈《しれつ》なる道 義的熱情の表現として敬聴すべき言葉である。しかし自らかえりみて縮しとは|如何《いか》なる 心境の謂であるか。この問題は鋭き反省を要する。人間は全く自分独りだけの所信を以 て|昂然《こうぜん》として独歩し得るほど、それほどに強い者ではないのである。俯仰天地に|愧《は》じず とか、かえりみてやましいところがないとか、そういう主観的確信の強さだけで、独力 千万人を|向《むこう》に廻して戦い得るものではない。自分の方にも幾人か誰か有力な味方がいな ければならぬ。俯仰天地に愧じずというのは、天地が自分に味方していてくれるという 心持である。だが天地とは何か。山川草木真にこころありと見るのか。天地こころあら ば、独り天地に|愬《うつた》えるだけで千万人の反対に耐え得ると信ずるのか。  そうではないと思う。自らかえりみて|直《なお》くんば、よし有象無象の千万人は反対しよう とも、明識の高士百人は自分に味方してくれるであろう。|尠《すくな》くも五十人は百年の知己が あるであろう。そういう期待が人をして堅く立たしめるのである。全くの独りぽっちで、 ただ一人の知己もない孤立では、人は到底千万人に当り得るものでない。孟子といえど も当り得ない。しかし孟子には|恃《たの》みにする知己があった。古にあり今にあり後世にもま たあった。それらの味方を恃めばこそ、意気軒昂として千万人を敵に廻し得たのである。 だがその知己といえどもまた要するに人である。人が同じく人に過ぎない他の人の所信 に依頼して、自己の所信を支持しようというのである。だからそれは結局人間だけの権 威しか持ち得ない。しかも人間としては賢愚優劣要するに何程のけじめがあろうか。単 なる人問的権威に即する限り、百人の所信は決して千万人の所信に|克《か》ち得るものでない。 |況《いわん》や一人の確信は到底千万人の確信の敵ではない。単なる信念の力は|如此《かくのごとく》に微力である。 故に見よ、ただ|徒《いたず》らに信念を呼号する輩の如何に無信念にして、如何に|専《もつぱ》ら千万人を力 とし恃みとしつつあることか。人間の信念は恃むに足らない。主観的な信念だけでは、 みずからかえりみて正しと思うても、千万人に対抗することはできない。だからただ信 念に恃んで事をなそうと思う者は、何よりも先ず自己の信念を千万人に植えつけようと する。暴力に|愬《うつた》えても植えつけようとする。しかる後同志千万人の暴力を合せて、自己 の信念を実行に移す。|斯《か》くて信念とはしばしば単なる暴力に冠せられたる仮名に過ぎな い。その実質においては、それはひたすら衆に|媚《こ》ぴて千万人を|糾合《きゆうごう》しつつあるものに過 ぎない。単なる人間的信念は多数人間の賛同なくしては|竟《つい》に安んじ得ないのだ。 三 苦難の意義 |惟《おも》うに人生における最も深刻なる経験は)…われ音恙す、、しかじ右わが意志に手むかう 者実在すということである。何故ならばこの経験においてわれらは現実に自己と自已に あらざる他者との実在に触れるからである。それは人生におけるあらゆる夢を粉砕する もの、われをして|慄然《りつぜん》として醒めしむるものである。人生は夢ではない。われは現実な る生活の主体である。そうしてこの現実なるわれを囲むわれならぬ世界も実在する。こ の事を実践的なる生活主体としてのわれが、その意志の実践を通して端的に直感直覚す る。実在についてのこの実践的了得にまさりて堅固なる了得はない。この了得は人生に おける最も深刻なる、しかし又誰もが持つ経験である。  それだけに又この了得の対象たるもの、われならぬこの実在者他者が如何なるもので あるかは、生けるわれらにとって深刻極まる重大問題である。カントは『純粋理性批判』 の巻末近く、第二部第二章第一節において、純粋思弁的なる理性活用の究極の目的を論 じつつ、それは結局三つの問題に極まるものであると言った。即ち意志の自由と霊魂の 不死と神の実在と、この三つの問題に極まると言う。理性はその性質上、経験を超ゆる 世界に一歩を入れて、純粋思弁的に単なる観念にのみ依拠して一切の認識の極限を究め、 |渾然《こんぜん》たる純粋理論体系をまとめあげたいという志向を持っている。この天与の志向に動 かされて、古来人間の理性はその哲学的探求において、究局は上記の三問題を問題とし ないではいられなかった。しかしこれらの問題に対して真に熱切な関心を持っているも のは、単に思弁的なる理論理性ではなくて、むしろ専ら実践理性である。  純粋理論理性の立場よりすれば、意志が自由であってもなくても、又は神が実在して もしなくても、その理論的認識の体系が直ちにそのために動揺するわけのものではない。 例えば物理学はこれらの問題に|関《かかわ》りなしにその研究を続け得るし、人間の行為の自然科 学的研究は意志の自由の問題の形而上学的解答|如何《いかん》に|拘《かかわ》りなしに続けられ得るのである。 あるいは又全智の神の実在が証せられたからと言って、それで直ちにわれらの天文学的 知識が増し加えられるわけのものでもない。しかし実践理性の立場よりすれば、われら の意志の自由は当然まず前提されねばならぬことであって、自由のない所に道徳的実践 の問題はあり得ない。そうした道徳的実践の立場よりすれば、われら何を知り得るやで なしに、われら何を為すべきやという事が主題である。霊魂不死ならば、人生は地上五 十年を限りのものでないならば、われら何をなすべきや。神もし実在するものならば、 われら如何に生くべきや。これは重大きわまりなき問題でなけれぱならぬ。この重大問 題に対して実践理性は最も深刻なる関心を持たずにはいられない。  こういう意味のことをカントは言っている。かれの哲学体系における実践理性の優位 という思想の根抵をここにうかがうことができる。ここから発してかれは実践理性の要 請としての神の実在を論証し、この論証の上に宗教的信仰の合理的基礎づけを確立しよ うと試みたのである。いずれにせよ、われならぬ他者の厳として実在することはわれら にとって動かすべからざる実践的事実である。随ってこの他者が神であるか悪魔である か、はた又単なる物質であるか、この問題は実践的には切実極まる問題である。好むと 好まざるとに拘らず、われらはこの問題を回避することができない。われらが生きんと してはたと行きあたるところのこの抵抗するもの、このわれならぬものの実力は何処か ら来るか。何者の力か。  この抵抗する者の阻止する力を最も痛烈に又最も深刻に味わうのは、|惟《おも》うにわれらの 純粋に道徳的な意志活動においてである。純粋に道徳的な意志活動は純粋に自由な意志 活動でなければならぬ。何物にも縛られず、何物とも妥協せず、ただ志すべきことを志 し、為すべきことを為さんと決意する。これに比べれば、物を相手の功利的行動の如き は、初めから物に縛られ物に追随するものであって、本質的に不自由な意志活動に基く ものである。しかしわれらの意志が純粋に道徳的に働くとき、われらの行動はその本質 において自由である。ヨ耳一畠鼻旦岸帛讐ヨロ己口¢千万人といえども我往かんである。 これは人間として最も自由な境地である。もし神があるものならば、至純なるこの自由 の境地こそ真にその自由を保障せられ、その志を成就せしめらるべきはずである。至誠 は神の如しという。そう信じて義人は勇躍独往する。しかもこの至純至誠の躍進が阻止 せらるるのである。全く理由なしに阻止せらるるのである。少くとも人間の理解力を以 てしては、理解し得るような理由なしに阻まれるのである。それは痛烈骨を刺す経験で なければならぬ。新約聖書の記すところによれば、イエスは十字架上に息絶えんとして 大声に叫んで「わが神、わが神、、なんぞ我を見棄,て給ひ.し」と言ったという。恐らぐ人 間の経験し得る最む深刻勇る。そうして真実を以て人生を歩んだ人々が、い くたりかこの痛烈なる苦悩を満喫した。世人はそのさまを見て、夢みる者よ、うつけも のよと|嘲笑《あざわら》う。道心固く信念|篤《あつ》き者といえども、足下に大地が揺れ動き、四方全く暗黒 にとざさるる思いを禁じ得ない。それは最も自由にして|澄刺《はつらつ》たるわれが、圧倒的な他者 の抵抗阻止に会うて、見るかげもなく崩れついゆる経験である。→「整に痛烈深刻な る他者     炉ーカいと  しかし何故かそうした経験が人をほんとうに強くする。深刻に自己よりも大なる者に 立脚せしめる。手痛ぐ神にー投げ放だれ打ち寸えられ寸?人ぽ始且墳4絶対。的冖神の愛護を 信じ、徹底的無条件的に神意韓可る芸る。それは最も深刻なる抵抗の経験で あると同時に、又最も強烈にこの抵抗する者の実在と実力とを思い知らしめる。その時 われらは己が意志の阻まれたることを憤り恨むよりは、慄然として地に伏し魂をふるわ して怖れ|畏《かしこ》む。或る崖倒、     月  。痛烈深刻におのれの微小無力さをさ とらされたのである。しかもこのさとりが我らを小さく萎縮させずして、却って我らを おのれの弱小より解放し、もっと広い、もっと力充ち満ちたる者の掌中に我らを安住せ しめるのである。そうして|暢《の》びしめるのである。かくて我らは初めて全く新なるいの ちに溢れるのである。一度死して再ぴ生きるのである。この|旺《さかん》なる更生は痛烈なる苦 悩を通してのほか得られない。そうしてここに苦難カ オ  ネ  秘,があるのであ る。  |勿論《もちろん》苦悩それ自体は消極的な力でしかない。それだけで新しきいのちに溢れるように はなれない。積極的に新しきいのちの泉につながることなくして、淺剌たる新生のよろ こぴを己がものとなし得るはずがない。苦悩それ自体はしばしば人を打ちのめすだけに 止まり、あるいは人をして一層かたくなに自我の|蝸牛殻内《かぎゆうかくない》に閉じこもらせるに止まる。 故に苦難はやはり苦難であって、苦悩それ自体が|直《ただち》にそのまま喜ぴであり、福音である わけではない。しかし新しきいのちの泉につらなるためには、古き自我の蝸牛殻から脱 け出すことが必要である。絶対に必要である。そのためにはこの蝸牛殻が手痛く打砕か るる必要がある。そうして苦難はこの打砕の機縁である。またこの打砕が人生における すべての|善《よ》きもの大いなるものの発端である。新しきいのちのための陣痛である。ソク ラテスの守護の霊が消極的な阻止を通してのみソクラテスを導いたように、われらおの おのもまた皆苦難とその手痛き阻止を通してのみ、真の実在老の実力に触れ、人生にお いて真に力となり頼みとなるものが何であるかを知らされるのである。|諺《ことわざ》にいう「苦し い時の神頼み」と。|苦《くるし》んでみないと、人間の無力さが分らず、又無力なる人間を超ゆる 絶大の実力者を感知し得ないのである。 自)けだし有限微小なる人間を以てしては、超越的実在者の絶大なる実質を積極的に把握 することはできない。それは到底有限なる被造物の把握に余るものである。故にわれら は先ず第一に絶大者がわれらの把握に余り、われらの|忖度《そんたく》を絶することその事を痛感せ ざるを得ない。この消極的感得がわれらの神知識の発端である。,即ぢ神はわ4ら華を絶す ーる実崔者君る。このことは実践的にはわれらの意志を圧倒する実力者ということであ る。そうして苦難とは正にわれらの意志が圧倒せらるること、われらの志すところが破 られ砕かるることである。この場合もしわれらの志すところが本来理に|悖《もと》るものである のならば、そうした|悖理《はいり》が阻止せられても、それは苦難と呼ばるるに値せざる当然の罰 というべきであろう。しかしわれらゐ志,ず、と,ごろそれ自体は充分に遘理亡あるゐ,に尸少、 ぐとむ人間的判断を以てしてはそれの悖理を信じ得ないのに、それだのにわれ弓の志ボ 、全ぐ|潰《ついや》されで|終《しま》う。それは言わば|没義道《もぎどう》なる横車である。しかも怖るべく畏むべき権威 を以てわれらを魂の底から|慴伏《しゆうふく》せしむるところの横車である。この横車に出遇う時、わ れらは初めて深刻に神を知り始める。それはわれらの生涯における大なる悲劇であると 同時に、又最も厳粛なる喜劇である。ダンテがその大作に名づけて咄聖灘どいったと同 じ意味において喜劇である。何故ならば真の幸福はここから始まるのであるから。  古代ギリシアの幸福主義の哲学が各派その出発地を異にしながら、結局その発展にお いて消極的な幸福論に到着したということ、そこに到るまでの過程においては種々色調 動向の差を示しながら、しかし究極において同じように消極的な幸福の把握にしか帰着 し得なかったということ、このことは実に意味深遠な事実であると思う。、づ毒び棄福畫の 積極的実質またぱ真"積極的なる幸福ど,いラむのは、人間か、れ自体のうちにぱないゐで ある。|衷《もつち》なる幸福は消極的な幸福でしかないのである。積極的な幸福は人間よりほかな る泉から汲まれなければならぬのである。ということは人間的我自体が他を摂取し他を 利用して、おのれみずからのいのちを肥え太らすということではない。それはなおおの れ自体の衷に幸福を求むるものである。ぞテでなぐで、、おづれ手のーい0ぢぞが自体之他む .いのちに結ぷのである。がくて我よりほかなるいの、ち恭我が衷口住ずる£う口なる。い のちの主体が改まる。ひどだぴ死して新に生ね畫加わる、のである。|斯《か》かる主体的更生また は新生なくして、積極的なる幸福の実質に|与《あずか》ることはできない。  しかるにストアもエピクロスも終始その自我への執着を脱せず、原子的個としての自 我の生命の衷に|立籠《たてこも》って、その個的生命の衷に幸福を充実し又その源泉を見出そうとし た。われよりほかなる実在は唯物的なる実在でしかなかった。随ってわれとこの唯物的 世界との関係は機械的効利的な関係でしかあり得なかった。この唯物主義的世界観がか れらの幸福論をして、怖ろしいまでに徹底した利己主義に立脚するものたらしめた。そ れは最も洗煉せられ鍛えあげられた利己主義であった。しかし事実おのれの衷には幸福 の源泉はなかった。殊に積極的な幸福は到底得られなかった。しかしまたおのれの外に も幸福の源はなかった。何故ならば外はただいのちなき物質の世界でしかなかったから である。いのちのない所にいのちの幸福はあり得ないからである。故にもし幸福がある ものならば、その源はこのおのれよりほかなるいのちの主、|然《しか》り人間的自我を絶して|遥《はるか》 に雄偉かつ充実せる活けるいのちの衷にあるのでなければならぬ。このおおいなるいの ちに|依《よ》る新生なくして、われらが真に積極的に幸福であり|得《え》、真にいのちのよろこぴに 充実し得る道はない。あり得るはずがない。だから唯物主義は幸福を捕え得ない。その ことを実証するものが古代ギリシアの幸福主義の哲学である。  われらの意志を|阻《はば》み、圧倒的にわれらに抵抗する他者実在すということは、実践的に は動かすべからざる現前の事実である。随ってわれらの幸福もまたこの厳然たる事実の 制約を免れることはできない。故にもしこの抵抗するところの他者が、本質的に唯物的 なものでしかないとすると、われらの幸福の鍵はこの唯物的他者を征服して、われら固 有のいのちの営みを一層豊にし又は|些《すこ》しだに妨げらるることなからしむることに存しな ければならぬ。何故ならばわれらより他にわれらのいのちとなるような活けるいのちの 主体なく、われらに抗し又対立する他者の実質がいのちなき物質でしかないのならば、 われらのいのちはわれら固有のものを守り育てるよりほか、これをして生い伸ぴしめる 道がない。故に又われらの幸福はおのれのいのちを忠実に愛護し、あらゆる妨害からこ れを防護するより他にない。しからば又最も安全にして危険の|尠《すくな》い道は、おのがいのち をして他老他物に依存すること最もすくなからしむることである。それが一番自由な又 最も安全ないのちの道、随って又幸福への道でなければならぬ。しかも結局それは他者 他物に対するわれらの敗北でしかない。かくて結局他者勝ち誇りて我敗死する道でしか ない。しかもその他者たるものはその本質において無明無生の物質でしかない。この物 質が勝ち誇るのは、死が勝ち誇ることにほかならない。現に見よ、ストアにおける自殺 讃美を。古代ギリシア人のみならず人類一般を代表するものというべきギリシア哲学に おける幸福論が、ストアにおいてもエピクロスにおいても、結局消極的な自殺論的な諦 念に帰結したのは、実際的にも論理的にも極めて自然かつ当然な径路であったと言わな ければならぬ。そうしてこの帰結に到らしめた根本因は、われよりほかなるいのちの主 を知らぬその唯物主義的世界観である。われらが往いてそこに死にかつ生まるべき絶大 なるいのちの主体としての他者を知らぬことである。他者は即ち他物にして、新生のよ ろこぴに|躍《おど》り得るよすがなきことである。新生なきところに真のよろこぴと幸福とはあ り得ない。  しかしストアの哲学が幸福の本質を追究して、物欲とその充足が決して幸福の|真諦《しんたい》で ないこと、幸福の真諦はむしろ他物とそれへの欲望を脱却して、衷なる生命を|暢《の》ぴしむ るにあることを達観し、その達観を実践しかつ教示したことは、時代の不幸をすくうこ と大なる働きであった。我々はストアの幸福論によって幸福への最も実際的なる示唆を 与えられた。このことは忘れてはならない。しかし物欲を脱却しただけで、われらの衷 なるいのちの主が依然としてこのおのれという旧主人であることがストア的幸福論の致 命的欠陥である。それではいのちは|暢《の》ぴない。われはいたずらにその蝸牛殻内に硬化し 又は萎縮するばかりである。故に見よ、ストア哲学におけるあの怖るべき高踏的利己主 義。しかし利己主義は|如何《いか》なる場合においても決して人によろこびを与えない。  このストア的幸福論とその諦観が一世を|風靡《ふうび》する|概《おもむき》ありしロマ帝国内に、|基督教《キリストきよう》は新 しき道義と福音とを|宣《の》べ伝えるものとして、徐々にしかし確実に民心を捉え進んだので あった。イエスの|訓《ミミモモ さモギおじ》えは、物欲の超克においてはストアに負けないものであった。しか しただそれだけではなかった。何よりも先ずイエスは新しきいのちと新しきよろこぴと を|訓《おし》えた。「すべて労する者重荷を負ふ者、われに来れ、われ汝らを休ません」と言う。 「幸福なる哉、貧しき者。幸福なる哉、義のために責められたる者」と言う。かれは新 しき天地と新しきよろこぴとを告げ知らす老である。新しきいのちのよろこびを約束す る者であった。基督を信ずる者はかれにおいて新生とその浄福とを約束せられた。 ,新生がヂ心49祝福の源であった。 この 第四章 新しき創造 パリサイの濫鵤  ソクラテスの幸福論は前に述べたような道徳的主知主義に立脚するものであった。即 ち人が不善を|為《な》すのは無知だからである。知識を授けられれば、人はおのずから不善を |為《し》ないようになる。何故なれば|善《よ》き生活は幸福な生活であり、|悪《あ》しき生活は不幸なる生 活であるのだ。人誰か生活の幸福を願わざらんや。悪を悪と知りさえしたらば、人は|慄 然《りつぜん》として悪を離れるだろう。喜んで善を為すであろう。そう信じたからソクラテスは |孜《しし》々として道徳智の啓発のために|尽瘁《じんすい》して|倦《う》まなかったのである。即ち人間は自己の行 歩を道徳的に規制するだけの実力は持っている。ただどう規制したらば良いのか、その 明智を欠くのだというのである。|随《したが》って道徳生活における最も根本的な問題はこの明智 の問題、正邪善悪についての知不知の問題である。知不知の問題ならば、教えて以てこ れを正善にまで導き到らしめ得るはずである。教育が人の徳性を|完《まつた》くし得るはずである。 先ず教うるに道を以てせよ、しからぱ人は誰でも善に励み悪を離るるであろう。こうし た主知主義がソクラテスの道徳論の根抵であった。そうしてこれは|独《ひと》りソクラテスに限 ることでない、古今東西の大多数の道徳家ないし倫理学者がなべて同じようにこの|素樸《そぼく》 なる主知主義的道徳観に立脚している。  しかしわれらの実践生活における最も根抵的な問題は、果して知不知の問題だろうか。 明智さえ備わったらば、それでおのずから我らの生活が善くなるのであろうか。明智さ えあれば、その明智に随って善を実行する実践力は、言うまでもなく我らが既に持って いるものなのであろうか。悪は果して無知の生む子であろうか。問題はもっと深刻に実 践的な所にあるのではないか。実践力それ自体の欠けたることにあるのではないか。有 知無知の問題よりも、もっと切実な実力問題であるのではないか。楽園にあったアダム とエブとは、蛇に誘われて「善悪を知る」の樹の実を喰ベて以来、罪の|詛《のろい》を身に負うて、 楽園の外に流浪の一生を送らねばならぬようになったという。知に頼ろうとしたことが、 人間の堕落の発端であったという。その同じ知が人間の堕落の終りとなり、楽園回復の 機縁となり得るのであろうか。  西暦紀元前第二世紀の中頃マッカベウスの一族が、イスラエルの民のうちわけても伝 統のユダヤ教に熱心な一派を率いて、ユダヤ国の政治的|並《ならぴ》に宗教的独立を確立しようと して、一時成功したことがあった。一族のうちでも|殊《こと》にユダス・マッヵベウスは用兵の |胆略《たんりやく》において優れ、勝手知ったる山間の|隘路《あいろ》険阪を|馳駆《ちく》してゲリラ戦術を|恣《ほしいまま》にし、北方 の強大国シリアの軍勢を所在に打ち負かした。それはアレキサンドロス大王の覇業後ギ リシア文化が西アジアと東欧洲と北アフリカとを光被して、いわゆるヘレニズムの時代 を出現すると共に、政治的にはやがてロマ帝国が與って、ギリシア人に代って全天下に 号令するに到ろうとする、その気運の醸成せられつつあった時分である。その時パレス チナの全土はシリアの属領であって、エルサレムの神殿はヱホバの神の幕屋ではなく、 ゼウスの神の像の鎮坐するところであった。そうしてユダヤ人の中にも多くのヘレニズ ム転向者があって、その人々は伝統のユダヤ教を棄てて新與のギリシア政権とその宗教 学芸に追随した。殊にサマリア人の間にはそういう追随者ないし転向者が多かった。し かしこの風潮に対して|大《おおい》に気節の軟弱を慨歎し、|飽《あ》くまで伝統のユダヤ教的一神教を守 り、ヱホバ神への節操を堅持して他の|如何《いか》なる神をも拝しまいとする、|真攀《しんし》熱誠なる愛 国者の一派があった。マッカベウスの周囲に集まったのはこの国粋的愛国者の一派であ った。  同じパレスチナでもサマリァとユダヤとでは著しく地勢風土を異にしている。サマリ アは|沃野《よくや》緑をのせて遠く伸ぴたる豊饒の地、旅する老はユダヤからサマリアに入る時、 急に四囲の明るさが増し加わることを覚えるという。古都シケムはエルサレムに|遥《はるか》に立 ちまさる所の形勝の位置にあり、真にパレスチナの中心に|位《くらい》する|要衝《ようしよう》である。しかるに ユダヤは地|瘠《や》せて緑乏しく、|暁硝《こうかく》の岩山ばかりが起伏して野には水が乏しい。随って寒 暑の差もまた|甚《はなはだ》しく、死海に近きヨルダンの渓谷の如きは、早朝は華氏五十度の寒さが 日中では九十度を越える暑さに変ることが珍しくないという。エルサレムの都自体が不 毛の荒野に辛くも築き営まれたる都城である。恐らく世界における最も住み難き山野と 又最も凌ぎ難き気候との国、それがユダヤである。そうしてこのユダヤの住民が世界史 上比類を絶して|強靱《きようじん》なる国土愛を持ち、民族的団結心を持つ民なのである。加うるにこ の民の強靱なる性格は、その操守を固くせしめ、その信仰を深刻にし、容易に外来の文 化に動かされないものにした。しかしサマリアの民はそうでなかった。より豊沃な地と より温和な気候とに恵まれたサマリアの民は、ユダヤの民ほど強靱な性格を持っていな かった。自然がかれらに対して一層親和的であったように、かれらもまた他に対して親 和的であった。またその地形から言っても、サマリァはユダヤよりも四隣に対して解放 的であった。北より西より東より南より、いろいろの民族がユダヤより以上に|度《たぴたぴ》々サマ リアに侵入した。随って又いろいろの宗教やその他の文化が四方からサマリアに浸入し た。それらの影響に対してサマリァ人はユダヤ人ほど堅固でなかった。むしろ容易に容 れ、容易に動かされた。だからヘレニズムの天下になれば、サマリァ人は比較的容易に ヘレニズムの感化を受け入れた。  しかるにそうした外来文化への追随迎合は、ユダヤ教の伝統に忠実なる者の眼を以て 見ると、モーゼ以来の神与の教学を離るるものであり、ヱホバ神の律法を棄ててあだし 神々と|姦淫《かんいん》を行うものである。殊に|況《いわ》んやヱホバの祭壇を|毀《こぼ》ちてゼウスの神像を拝する というが如き、沙汰の限りである。|古《いにしえ》の預言者の警告に聴いてヘレニズムとの妥協|苟合《こうごう》 を棄てよ。唯一神ヱホバヘの信仰の純潔を護れ。モーゼ律に忠実なれ。こういう主張が 当時の愛国的ユダヤ主義者の提唱するところであった。そうしてマッヵベウスの率いた る一派はこの国粋的一派であった。即ちかれらは先ず信仰の純潔のために立った。そし て熱烈なる信仰を以て戦いかつ勝った。|終《つい》にエルサレムを回復して、そこにあったゼウ スの神像を打ち毀し、|瞬《またた》く間にヱホバの神殿を再建した。のみならずさらに|矛《ほこ》を同胞イ スラエル人にも向け、すべてヘレニズムと妥協苟合せる輩を急追排撃して仮借しなかっ た。そのため多くのイスラエル人が同胞ユダヤ主義者の迫害の手を逃れて、|却《かえ》って救を シリアに求めたのであった。サマリア人は|大抵《たいてい》この亡命避難組かあるいは仮借なき迫害 の犠牲かに属するものであった。サマリァ人とユダヤ人とはこうして始終互に敵視しあ った。それは昔からの事であり、イエスの時代にも同じ事であった。  |斯《か》くの如くに極端な又|苛辣《からつ》な国粋主義がマッカベウス一族による独立運動の精神であ った。その信仰は純粋かつ熱烈であり、その道徳はすぐれて最上剛健であった。それは |確《たしか》にめざましき国民精神の復與であり、信仰を以て|起《た》ち上った独立運動であった。され ばこそ寡兵よく大軍を制して、その進み往くや真に破竹の勢であった。|頽廃的《たいはいてき》な老大国 シリアの享楽的将兵がその勢に抗し得なかったのは当り前である。かくてユダヤ国独立 の業は成った。成りはしたがしかし極めて短い寿命のものでしかなかった。それは要す るにギリシア政権とロマ政権との交替途中の過渡的な異変でしかなかった。けだしマッ カベウス一派の国粋主義は余りにも苛辣にして排他的であった。それは|一切《いつさい》の異邦的な るものを排斥して一歩も譲らず、己が固有の生活様式を|烙守《かくしゆ》して、異種異様の生き方を 全て不浄視するものである。|嚢《きようあい》民嬢的刮響ハに対して、四隣の異民族がひとし く反感を持ち、進んでは憎悪をさえ持つに至ったことは、人情の自然と言わなければな らぬ。だからユダヤ人は悪まれた。だから又ユダヤ人も悪んだ。ますます根深く悪んだ。 そのユダヤ人が独立の反旗をひるがえして起ち、所在に異邦人とその文化とをうち毀し、 己が同胞をさえ異邦にかぶれたる者はこれをうち殺したのである。|斯《か》くの如くに|固陋《ころう》に して排他的なる民族は到底他民族と融合することはできない。|如《し》かずこの民族を|繊滅《せんめつ》し つくして永く後顧の憂を除かんには。そういう強硬論を国王に進言するものがシリア国 内には|尠《すくな》くなかった。  しかし歴史は|斯《か》かる職滅政策が|終《つい》に|完遂《かんすい》の期なき暴策であることを、一再ならず明証 しているのであった。そこで終にシリア王は令を出してユダヤ人に信教の自由を認めて やり、かれらがかれら固有の宗教を堅持することを許した。マッカベウスの反乱はもと もとこの宗教的自由を獲得確保することを目的とするものであった。だからこそ民のう ち特に父祖伝来の教学に熱心なともがらがマッカベウスにつき従ったのである。しかる に今シリア王は令してユダヤ人に父祖伝来の教学を許すという。しからばもはや宗教的 には反旗を掲げ続ける理由がないわけである。果然マッカベウスについておった者のう ち最も内面的にして純信仰的であった一派は、シリア王のこの新令に満足し、依然反乱 を続けようとするマッカベウス一派から分離帰順した。一み分離派が新一紬聖書を逋一目て 世界、に知れ、わ心る心、至→だパヅサ4派奮舅偈む|濃蟹《らんしよう》しある。パ嵯ザイ一いづ語り語義 壇分離加分則とかい刈貰意廉世め葺る。このパリサイ派の立場を以て見れば、既にモー ゼ以来の信教の保持を許された以上、神の摂理によって己らの政治的支配者と定められ てある権力者に、反逆の旗を翻し続けなければならぬ理由はないわけである。これ以上 反旗を醗し続けることは、信仰の純潔のためであるよりは、政治的支配権力の獲得のた めでしかない。余りに深く己が心魂の内面にのみ沈潜して、一切政治も社会もかえりみ ないのは良しくない。そう考えたればこそマッカベウスの|蠣起《くつき》に|同《どう》じて、その旗下に馳 せ参じたかれら内面派であった。しかしただ単に政治的支配権獲得のためだけに抗争を 続けることは、かれらの信ずるところにかなわない。|斯《か》くてマッカベゥス政権は先ず内 から崩れて往った。 二 。9豊#轟  イエス時代のパリサイ派は堂々として社会の上層に位し、国民教化の実力を持てる指 導者階級であった。そうしてかれらのその実力発揮の主たる場処がいわゆるシナゴーゲ であった。このシナゴーゲはアレキサンドロス大王以後のギリシア文化光被時代に、主 として亡命離散のユダヤ人達の間に発達したものらしい。イエスの時代にはもはやこの シナゴーゲ制度はパレスチナ内外のユダヤ人間に確固たる根を|下《おろ》しておって、エルサレ ムとかアレキサンドリアとかロマとかいう大都には、いくつものシナゴーゲ会堂があっ た。シナゴーゲ9ミ貸ぺ8忌というのはギリシア語であって、集会というほどの意味の語 である。祖国とそこの神殿とを失った流浪のユダヤ人が、祭壇も何もなしにただ集まっ て、共にモーゼ律を誦し、預言書を学ぴ、また|祈禳《きンマつ》を唱和した。その無儀式な平民的な 礼拝の場処がシナゴーゲであった。それは極めて内面的精神的な礼拝様式であって、護 摩とか秘法とかいった類の神秘的行事を一切脱却したところの、甚だ理性的な内容のも のであった。そこでの中心的行事はモーゼの律法を教えさとし、預言書の意味を解き明 らめることであった。即ち聖典奉読と説教とである。即ち後にキリスト教や回々教の教 会において発達し蔓延したあの方法である。シナゴーゲがその元祖なのである。そこで は別に祭司という聖職者はなかった。会衆皆平等であった。誰でもその力あるものは、 起って聖典を講じ所見を述べる権利があった。イエスが|度《たぴたび》々会堂に往ってこの権利を実 行したことは、新約聖書中の福音書に随所に記録されているところである。|斯《か》くの如く 平民的にして精神的なる宗教的指導が、安息日ごとに所在のシナゴーゲにおいて行われ、 民衆は自由にそこに出入して神の言を学んだのである。それが国民教化の上にどれほど の実力を持っていたか、推測に|難《かた》からぬことである。  このシナゴーゲにおける宗教の本質は、祭りでなくて教えである。神の道を知り真の 智慧に到り得たる者が、真の敬虔者である。徳育と知育とは一致する。知識と信仰とは 帰一する。こういう主知主義がシナゴーゲにおけるユダヤ教の信仰の基調であった。即 ち当時一般に行われたる各種のギリシア的人生哲学におけると同じ主知主義的基調であ る。随って信仰は学習せられ得るはず、宗教は善知識が教導して以てこれを人々に教え 込むことができるはずである。その理想とするところは正にソクラテスやストアの哲学 におけると同じ智者または賢者である。その問ユダヤ教に対するへレニズムの感化を否 定することはできないであろう。パリサイはこの意味の賢者であり、シナゴーゲにおけ る教導者であった。そうして又パリサイの間には真実の賢者高士があった。使徒パウロ の如きもまた|錚《そうそう》々たるパリサイ出身の秀才であったのである。即ち|古《いにしえ》は情熱の預言者や 高徳の祭司らによって占められていた役割を、今は有識の教養人たるバリサイの智者た ちが引受けるようになったわけである。信仰の人よりもむしろ教養の人が民を導くよう になったのである。  しかしこのパリサイ的教養の実質はギリシア人のそれとは大分ちがうものであった。 ギリシア人の教養は徹頭徹尾人間中心である。ギリシアの神は神までが人間的である。 しかしユダヤ人の神は飽くまでも超越的な唯一神であった。殊に宗教生活の内面化に熱 心であったパリサイ派の神観は、純精神的な超越神観であった。そうしてこの超越神に 仕える道は、儀礼沢山の祭祀拝礼にあるのでなく、モーゼ以来神によって直接啓示せら れ、又伝統によって継承せられつつあるところの教法を学ぴ、それによってわれらの生 活を規正すること、そのことが真の敬神であるとなした。だからかれらは熱心にモーゼ 以来の教法を研究した。この教法研究がとりもなおさずパリサイ的教養の血肉であった。 随ってかれらにとっては神を忘れたる知識は知識でなかった。「ヱホバを|畏《おそ》るるは知識 の|本《もと》なり」であった。この意味において徹底的に神中心の教養がパリサイの教養であっ た。と同時にこの教養を積むことが直ちに又信仰においても成長することであると考え られた。神への信仰と神を知る知識とはひとつなのであるから、教法を知るの知識にお いて一歩進むことは、そのまま直ちにまことの信仰においても一歩進むことであった。 モーゼの教法を学修することは、真の知識に到達する道であり、同時にまた信仰の奥義 に達する道でなければならぬ。故に学識者は即ち信仰者にして又有徳者である。無学の 俗衆は不信また不徳の小人ばら、パリサイの入々はこれをアムハーレツと言って軽蔑し た。小人と女子は養い難しというか。イエスが「この|小《ちひさ》き者の一人に|冷《ひややか》なる水一杯にて も与ふる老は必ずその|報《むくい》を失はざるべし」と言った時の「この小き者」。また苦難多かり しガリラヤ伝道の成果をかえりみながら、「天地の主なる父よ、われ感謝す、これらのこ とを|智《かしこ》き者|慧《さと》き者にかくして|嬰児《えいじ》に|顕《あらは》し給へり。父よ、|然《しか》り、|斯《かく》の如きは|御意《みこころ》に|適《かな》へる なり」と歎じかつ喜んだ時のその「嬰児」。これらはいずれもアムハ1レツと|蔑《さげす》まれた無 学の俗人を|指《さ》したものであり、「智き者慧き者」と言ったのは学者パリサイの徒を指した ものである。  かくの如くに教法に熱心なパリサイ派であったから、モーゼ律の研究相伝の専門家た る教法学者はおのずからバリサイ派に組し、バリサイ派はまたおのずから教法学者に組 するようになった。パリサイ必ずしも専門的教法学者にあらず、教法学者必ずしもパリ サイ派ではなかったけれども、モーゼ律の学習を教養の|肝腎《かんじん》と考えることにより、両者 が期せずして|相椅《あいよ》り相助けるに至ったのは自然のことである。だから新約聖書はいつも このふたつを並べて、学者とパリサイ人とがああしたこうしたと記している。かれらは 相携えて民衆の教育訓練に専念し、国民的教養の指導者となったのである。かれらはシ ナゴーゲにおける教導者としては民衆の宗教教師、モーゼ律の専門家としては法律家、 教養の先達としては学者思想家であったわけである。以て国民一般の精神文化における かれらの地位を知るべきである。イエスも言っている「学者とパリサイ人とはモーゼの 座を占む。さればすべてその言ふ所は守りて|行《おこな》へ」と。しかし又直ちに語を続けていう 「されどその所作には|効《なら》ふな、かれらは言ふのみにて行はぬなり」と。しかしイエスが 学者パリサイの徒を責めたのは、|曹《ただ》にその言行不一致の故のみでない。パリサイ派とい えば型にはまった道学者、|曲学阿世《きよくがくあせい》の偽善老|街学者《げんがくしゃ》として、|金襴《きんらん》の|袈裟《けさ》かけた悪魔のよ うにイエスから痛罵されておった。至誠の人イエスはかれらに対して|殆《ほとん》ど生理的嫌悪を 感じておったものの如くである。イエスは激語して|蝮蛇《まむし》の|裔《すえ》よとまでかれらを|罵《ののし》った。 パリサイの宗教とイエスの宗教とは氷炭全く|相容《あいい》れぬものであった。しからぱどこが相 容れなかったか。以下少しくその点を詳説しよう。  前に言ったように、パリサイ的教養はギリシア的教養とちがって神中心である。随っ てギリシア的教養は時に極端な主観主義に走って、一切万事を人間の主観的理性の自律 自判にのみ委ね、一已の主観に超絶たる権威を認めないという立場に堕する場合があり 得た。ソフィストはその著しき例である。エピクロスの哲学などもそういう傾向のもの である。しかしパリサイの主知主義は神中心の主知主義であるから、ギリシア哲学にお けるような人間中心の主観主義に堕することはない。反対に神の意思への絶対服従を強 調する。信仰は信従である。信仰の立場よりすれば、神意への絶対服従ということが生 活の始めであり又終りでなければならぬ。このことは後に|基督教会《キリストきようかい》内においても|切《しき》り に強調せられたことであって、例えば修道生活に専念せんとする僧尼から要求せられた 聖なる誓願は、一に貧、二に貞潔、三に服従のこの三つであった。又ルッターの宗教改 革に対抗して立ったイグナチウス・ロヨラは、かれの率いる|耶蘇《ジエスイツト》会の第一の旗印とし て、教会への絶対服従を高唱したのであった。信仰と服従とは車の両輪の如しである。 信仰なきギリシア哲学は服従よりもむしろ自由を説いたけれども、信仰に熱心なパリサ イ主義は、神についての知識を重んずると同時に、又神の意思への|完《まつた》き服従を重んじな いではいられなかった。  そこでバリサイの徒は切りに教法の学習に励んでモーゼ律法及ぴその後の伝統宗規を 研究すると共に、一方またこれらの神が定めたまえる律法を無条件に遵守して、神意へ の絶対服従を実践しようとした。そうして一定の法規を実践しようとすれば、各種の具 体的な細目規定が必要になって来る。例えばモーゼの十誠に安息日を聖守せよと記して ある。そこで安息日には労働もしない、旅行もしない。戦争も休む。しかしもし敵が斬 り込んで来たらば|已《や》むを得ない、そういう場合には反撃してよろしい。しかし敵の積極 的攻撃なき場合は撃つなという。かくてポンペイウスがエルサレムを攻略した時、安息 日には妨害を受くることなしに濠を埋め、攻城用の構築を完成することができたと伝え られる。それほどに徹底したモーゼ律服従を実践したかれらであったのである。自然安 息日聖守その他の事項に関する細目的規定は綿密極まり|煩瑣《はんさ》極まるものにまで発達した。 いわゆる決疑論〆器口馨牙の問題である。後世では第十七世紀の耶蘇会派内においてこ の決疑論が著しく発達し、信者の行状に関し百般の情況を案じて煩瑣極まる是非善悪の 規定が用意せられた。そうしてこれらの煩瑣極まる規定を以て生活を八方から規制する ことが、即ち神命への服従であり、敬虔篤信なる生活の実践であるとパリサイ派は考え た。またこの煩瑣なる律法の内容に|通暁《つうぎよう》することが、とりもなおさず敬虔なる知識にお いて成長し、真の智慧に到達する道であると信じた。それがイエスの頃の学者パリサイ の徒である。  パリサイ派はその出発においては、形式化した神殿宗教を排撃して純粋なる精神宗教 を唱道したる内面派であって、上層階級の専有物と化した神殿の儀礼と伽藍の重圧とか ら宗教を解放し、平民的な無儀式なシナゴーゲでの自由な内面的宗教を樹立したのであ る。そうした極めて精神的な真面目な又平民的で進歩的な改革者達の一派がパリサイ派 の|濫鵤《らんしよう》であったのである。だから前にも言ったように、後々までもパリサイ派の間には 真実の高士がおった。真に国民教化の指導者たるに耐え得るような実力ある教師がおっ た。そうしてそれらの優れたる教師たちが、かれらの宗教と信念とに基いて民衆の教育 訓練に専念し、かくて国民的教養の指導者たるに至ったのである。  しかるに人問は知識あれば知識に|矜《ほこ》り、善行あれば善行に矜り、信仰あればまた信仰 に矜り勝ちのものである。パリサイ派もその言動|漸《ようや》く社会に重きをなして、終に国民の 精神的指導者たるべく教学の実権を握るに至るや、知と行と信との三種の矜りがひとつ に固まって、かれらの|矜持《きようじ》極めて高く、傲然庶民大衆を眼下に見くだすようになって|終《しま》 った。イエスの当時のパリサイはそうした独善尊大なパリサイであった。わざわいなる かなこのパリサイの衿り。かれらはおのれ|独《ひと》り教学を体得すと誇り、おのれ独り祖国の 伝統を|握《すく》うと誇るのみならず、敢て|驕《おご》って神の前におのれ独りを正しとなした。しかし かれらは正しくはなかった。その教法知識は死知識であった。いたずらに煩瑣なる|訓詰《くんこ》 註釈を積み重ね、微に入り細を|穿《うが》って日常の生活を|覊束《きそく》しつつ、少しでも死文を乗り越 えて精神に生きようとする者があれば、直ちに難じて祖先の遺訓に背くもの、教学を|紊《みだ》 るものと言い、あるいは又|羅馬《ロマ》帝国の公安に|藉口《しやこう》し、権力に|媚《こ》びて成敗しようとした。 みずからの生活から自由|闊達《かつたつ》なる精気を奪い|洞《か》らして終うのみならず、|口喧《くちやかま》しく庶民の 生活に干渉し、意地悪く誠実の士の真攀なる行動を監視した。みずから正しからざるの みならず、他人が正しくあることに|得《え》耐えなかった。痛憤忍び難くしてイエスは言う 「わざはひなるかな、偽善なる学者パリサイ人よ、なんぢらは人の前に天国を閉ざして 自ら入らず、入らんとする人の入るをも許さぬなり。わざはひなるかな、偽善なる学者 パリサイ人よ、汝らは一人の改宗者を得んために海陸を経めぐり、既に得ればこれを已 に倍したる地獄の子となすなり。」(マタイ伝二三二三以下)。 三 パウロと二 コデモス 或る時こころばえ優れたパリサイのひとりがイエスのところに来て、|跪《ひざまず》いて問うた 「善き師よ、永遠の生命を嗣ぐためには、我なにを為すべきか」と。質問の態度は極め て真面目で敬虔なものであった。イエスは答えて先ず「なにゆゑ我を善しと言ふか、神 ひとりの他に善き者なし」と|警《いまし》め、しかる後また語を続けて、「モ1ゼ律の教ふるところ は汝が知るところ、殺すなかれ、姦淫するなかれ、盗むなかれ、偽証を立つるなかれ、 欺き取るなかれ、汝の父と母とを敬へ。これを実践せよ」と|諭《さと》した。しかるに問者はい う「師よ、われ幼き時より皆これを守れり」と。かれは|確《たしか》に真面目な君士人であった。 即ち「イエス彼に目をとめ、いつくしみて言ひ給ふ『なんぢ|尚《な》ほ一つを欠く、往きて汝 の|有《も》てる物をことごとく売りて、貧しき者に施せ、さらば財宝を天に得ん。かつきたり て我に従へ』この言によりて彼は憂を催し、悲しみつつ去りぬ、大なる資産をもてる故 なり。」イエスもまた|悵然《ちようぜん》としてこの求道者の後姿を目送しつつ歎じた「富ある者の神の 国に入るは如何に|難《かた》いかな。富める者の神の国に入るよりは、|駱駝《らくだ》の針の孔を通るかた |反《かへ》つて易し」と。それを聞いて弟子達いたく驚き、互に私語して言う「さらば誰か救は るることを得ん」と。イエスはじっとかれらに目をとめながら静に諭した「人には|能《あた》は ねど、神には|然《しか》らず、それ神はすべての事をなし得るなり」と(マルコ伝一○・一七ー二七)。  これはいわゆる共観福音書の記老たちがほぼ同様の筆致を以て伝え記している一条で ある。この一条に感じて富裕の紳士がおのが所有を一切売り払い、敢然として托鉢乞食 の求道の生活に挺身したという実例は基督教史上いくつかある。アウグスチヌスの『告 白録』の中にも、そういう果敢な生活態度を実践した高士のことが、敬意を以て語られ てある。しかし仮りにこの場合この富裕なるパリサイ紳士が、決然おのが全財産を投げ 出して、貧しき人々を|賑《にぎ》わしたとしよう。そうしたらそれだけで一切の問題が片づくで あろうか。|否《いな》、もしその敢為によってその人の道徳的自信|自矜《じきよう》が一層強まるならば、そ の人の富は形を変えて一層増し加わるばかりである。|斯《か》かる富者の神の国に入るはまた 如何に難いかな。パリサイ派とは|正《まさ》しく斯かる富者の一群であったのである。  中学を卒業して専門学校に入学した頃の青年、即ちわれに|眼醒《めざ》め始めた頃の青年がよ く言う、善を為せというが、その善が分らない、何が善であるかが分らない。これが善 だとはっきり分れば、その善を実践するにやぶさかなるものではないが、善が善と分ら ないのに、ただ実践せよ善戦せよと言われたって、小学生ではあるまいし、そんな勧説 に|唯《いい》々|諾《だくだく》々と盲従するわけには往かない。盲従すべきものでないと思う。そういう風に 青年たちはいう。つまり青年たちは知を求めているのだ。そうして知を求めるのは正し い。それは善いことだ。すくなくともこの一善はかれらもまた善と知っているのだ。だ が道徳的善は先ずこれを実践してからでないと、善が善とはっきり分らないような性質 のものなのである。何故なれば善はその本質において実践的なものであり、随って又実 践的にしかこれを把握する道がないからである。例えぱ水泳を学ぶようなものである。 水泳についての理論的知識は単に水泳の可能性について論議し得るに過ぎない。そうい う論議をいくら重ねたところで、水泳の現実は|会得《えとく》できるものでない。現実の水泳は、 現実の水に現実に飛込んで泳ぎを実践してみるのでなければ、他にこれを会得する方法 がないのである。畳の上の水練では現実の水を泳ぐことはできないのである。善もまた かくの如し。善はただ善の実践を通してのみ知らるるのである。そうして人生の究極の 善はいさ知らず、日常|茶飯《さはん》の現前の小善事がひとつも分らぬということはない。盗むな かれ。|欺《あざむ》くなかれ。姦淫するなかれ。|懶《なま》けるなかれ。虚心にして善を追求すれば、足前 数歩の光明を得られぬということはない。得られぬとは言わせない。得ようとしないの だ。足前数歩の光明を頼りに先ず立って歩くが良い。歩いて|躓《つまず》くなら躓いてみるが良い。 かくて真蟄に実践するものは、進むも躓くも必ず得るところがあるのである。それによ って善を把握し進むのである。  だからわれらの実践生活における最も根抵的な問題は知識ではないのである。悪は無 知の生むところではないのである。そもそも善を追い求めようとする熱心がないのであ る。熱心がないから善を追い求めず。追い求めないから善を知らず、知ろうともせず。 随って又善を|為《な》さず、為そうともしないのである。即ち人間の悪の根抵にあるものは、 善知識の貧困であるよりは、善意思の欠乏である。力ントのいわゆる根源的悪性である。 だからパリサイのように善についての|巨細《こさい》の知識をいくら積み重ねても、その知識から は善き生活は生まれて来ないのである。随ってその知識はただのそういう知識たるに止 まって、|徒《いたず》らに自他の生活設計を煩瑣にするだけである。善き生活への力はそこからは 湧かないのである。故にイエスは警めて言う「かれらは言ふのみにて行はぬなり」と。 行う力も熱意もただの知識からは湧かないのである。  使徒パウロはパリサイ派の名家に生れて、この派の訓練を充分身につけて成人した秀 才であった。かれの師は声名天下に籍したるガマリエル、かれみずから往事を回想して 「我はガマリエルの足下にて先祖たちの律法の厳しき方に|遵《したが》ひて教へられ、神に対して 熱心なる者なりき」と言っている。だからかれはモーゼ以来の伝統教法に対しては極め て熱心なるその擁護者であった。そうして|熾《さかん》にキリスト老を迫害し、與奮した国粋派の 大衆が殉教のキリスト者ステパノを石にて撃ち殺した時、冷然これを見物していたほど であった。それほど教法維持に熱心な若者であったのである。正に|生粋《きつすい》のパリサイ青年 である。しかるにこのパウロが或る日を|界《さかい》にして突として変ったのである。全く別人に なったのである。その日かれはキリスト者迫害の目的を以て旅に上り、キリスト老一派 の根絶を期する者の如く、昂然として北方の大都ダマスコに近づきつつあった。その途 上かれは突如として天来の光と声とに触れ、|畏《おそ》れて地に倒れ伏して終った。そうして三 日の間眼が見えず物も喰べなかったという(使徒行伝九・一ー九)。この異常なる宗教的経 験の内容が|如何《いか》なるものであったろうか、それについての|忖度《そんたく》はここでは|措《お》くとしよう。 ただ明らかなことは、この事あって後のパウロは前のパウロと全く別人であった。パウ ロみずからこの変化を指して「新しき創造」と言った。新規造り直しというほどの意味 である。ヨハネ伝記者のいわゆる新生である。新約聖書ヨハネ伝第三章に次のような挿 話が記されてあるのである。  パウロよりは少し前、イエスがエルサレムで盛な伝道のたたかいを戦っておった時、 パリサイ派の高士で名をニコデモスという有徳の教法師があった。このニコデモスはイ エスの言動に感じて深き敬意をイエスに寄せておった。一度はパリサイ一派がイエスを 捕縛しようとして|猛《たけ》り立ったのを制しながら、もっとよくイエスの言動を調査してみる が良いではないか、調査もせずに処罰を急ぐという法があるかと弁護して、貴様も同じ 穴の|狢《むじな》かと|嘲《あざけ》られたことがある(ヨハネ伝七・五〇以下)。またイエスが終に刑死した時、埋 葬の資として高貴な香料若干を携えて弔問している(同上一九・三九)。この教法師ニコデ モスが或る夜エルサレム滞在中のイエスの|許《もと》を訪れてこう言った「師よ、われらは汝の 神より来る師なるを知る。神もし|偕《とも》にいまさずば、汝が行ふこれらの|徴《しるし》(奇蹟)は誰もな し|能《あた》はぬなり。」そう言ってかれはイエスに対する敬意と理解とを表自しようとした。 しかるにイエスの答は意表に出た。「まことに誠に汝に告ぐ、人あらたに生れずぱ神の 国を見ること能はず。」虚を|衝《つ》かれたニコデモスは慌てて反問した「人はや老いぬれば いかで生るることを得んや、再び母の胎に入りて生るることを得んや。」|甚慌《はなはだ》てた反問 である。又ニコデモスその人が既に相当の年配であったことを推測せしむるに足る反問 である。イエスは再び答えていう「まことに誠に汝に告ぐ、人は水と霊とによりて生れ ずば神の国に入ること能はず。肉によりて生るる者は肉なり、霊によりて生るる者は霊 なり。汝らは新に生るべしと我が汝に言ひしを怪しむな。風は己が好むところに吹く、 汝その声を聞けども、|何処《いづこ》より来り何処へ往くを知らず。すべて霊によりて生るる者も かくのごとし。」ニコデモスがこれを|如何《いか》に理解したかは知るよしもない。ただヨハネ 伝記者がこの意味の新生についてはっきりした理解を持ち、又はっきりした言葉でこの 新生の尊貴を説いていることを見逃してはならない。  だがヨハネにもまして強く又深く新生を説きかつうたったものはパウロである。パウ ロは正に新生の使徒であると言っても過言でない。基督教千九百年の歴史を通観するに、 キリストの福音をロマ帝国の全|版図《はんと》にひろめてこれを世界的宗教にまで昇華し、もろも ろのユダヤ的|來雑物《きようざつぶつ》から解放したのはパウロである。そうして|爾後《じご》教会が革新せられ信 仰が復與せらるるごとに、常に必ずまたパゥロの復與がそれに伴なった。アウグスチヌ スはパウロ復與の|大宗《たいそう》というベき人であろう。そうしてルッタ1もカルヴィンもパウロ 復興という点において最も熱心なアウグスチヌス尊崇者であった。わが植村正久と内村 鑑三もまた熱誠なるパウロ復興者であった。なぜであるか。それはパウロが新生の使徒 であったからである。しからばパウロはその新生、かれのいわゆる新しき創造において、 如何につくりかえられ、如何に新しく生まれ変ったのであるか。 四 内心分離  先ず第一に変ったことは、道徳的な自恃自矜を根こそぎ打ち砕かれたことである。自 分自身についての道徳的絶望である。それは新生それ自体ではないけれども、新しく生 まれるための|旧《ふる》き死である。パウロの語を借りて言えば、新しき人を|著《き》るために旧き人 を脱ぎすてる過程である。さきの日ガマリエル門下のパリサイの逸材として説教のため に熱心に身を焦していた頃のパウロは、自ら信ずること|篤《あつ》く、|矜恃《きようじ》するところ高き富者 であった。しかし後の日のキリスト者バウロは徹底的に貧しかった。自ら|恃《たの》むところと ては何ひとつなかった。その間の消息をバウロ自身の言葉にきくとほぽ次のようなもの である。  教法を学んで|貪《むさぽ》る|勿《なか》れということを教えられた。それによって自分は|慳貪《けんどん》の悪なるこ とを知った。この知識は教法のおかげである。しかし悪を悪と知り、罪を罪とわきまえ たことは、決して自分に悪を為さざる力を与えはしなかった。|寧《むし》ろこの知識を機会にし て、私の慳貪は一層機鋒を鋭くした。|曾《かつ》ては無知にして|木偶《でく》の如かりし悪心が、今は自 覚あり生気ある主体として私を|弄《もてあそ》ぶようになった。さきに教法の|埓外《らちがい》にあった頃は|暢《のびのび》々 と活きておった私であるのに、教法を知ると共に罪は活きて私は死ぬるに至った。かく て私は生命に到らしむべき教法が反って死に到らしむることを実験したのである。|勿論《もちろん》 教法それ自体は神聖であり正かつ善である。この正善なる教法がそれ自体の正善さの故 に私を死なしたのではない。そうではなくて、善なる教法の故に悪の悪たることがあら わになり、その悪によって私は死に到らせられたのである。私は|為《な》したいと欲する所を 為すことができず、反って己が憎むところのことを為すのである。私が為したくないと ユ 思うところを為す時、私は私の心のうちではそれを|為《し》てはいけないと|誠《いまし》める教法の善な ることを承認しているのである。それだのに私は私の欲せざる不善を為すのである。|斯《か》 くわが欲するところの善はこれをなさず、反って欲せぬところの悪はこれを為すのであ ってみれぱ、悪を行うものは本来の私ではなく、私の中に別に罪が宿っておって、その 罪がさせるわざに相違ない。つまり私の中に二つの生活原理があってあいたたかってい る。「われ|中《うち》なる人にては神の律法を悦べど、わが肢体のうちに他の|法《のり》ありて我が心の 法と戦ひ、我を肢体の中にある罪の法の下に|虜《とりこ》とするを見る。|噫《ああ》われ悩める人なるかな、 この死の体より我を救はん者は誰ぞ。」(ロマ書七・七以下)。  自己に対するこの深刻なる絶望的苦悶は、前のパリサイ青年時代のパゥロになくして、 回心を経験した後のキリスト者パウロにのみあった。パリサイ人サウロ(パウロというの はヘブライ名サウロをロマ風になおしたもの)は道徳的主知論老であり、確信ある自力主義者で あった。しかし回心後のかれパウロはまるでその逆であった。かれみずからはっきり言 っている、善を知らないのではない、善を実践することができないのだ、自分にその力 がないのだと。そうしてこれは深刻なる道徳的事実である。道徳における最も根本的な 又最も深刻な問題は力の問題である。実践の力さえ|豊《ゆたか》であれば、道についての智慧はお のずからにして増し加わる。けだし道徳の問題がまことに実践の問題たる|所以《ゆえん》である。 道を知らないのではないのである。道を知るだけでは歩けないのである。決して知り方 が不十分なのではない。歩く力がないのである。この力の不足が根本の問題なのである。 |撓《たゆ》まず歩けてさえいれば、遠いさきの見通しはいさ知らず、足前数歩の行程が分らぬと いうことはない。分らなくなるのは坐りこむからである。坐して|拱手《きようしゆ》してただやたらに 考えるからである。そうやってただ頭で考えていれば、歩く力は|勿論《もちろん》のこと、道につい ての知識さえいつか雲散霧消して終う。だから道徳的な危機はいつも知性が人を捕えて 人をして坐りこましむる時に来る。いうところの知性人の弱さである。故に見よ、真攀 なる求道人は必ずや又真蟄なる実践生活者である。決然身を挺して全生活を実践に賭け る人である。パウロもそういう真攀なる行動人であった。だからこそ又人一倍痛烈深刻 に已が実践能力の不足を自覚するに至った。  それはいわゆる内心の分離一耳のヨ巴。。〇三。。ヨ(内村鑑三著『求安録』参照)である。心のうち に二つの原理的な力が働いていて、その二つの力が全く反対の方向に相剋するのである。 自分というものが内側から二つに割られ、そこから|千《ちぢ》々に裂かれるのである。パウロは この二つの力のうちひとつを己が「うちなる人」または「霊」また「心」と言い、他を 己が「肢体」または「肉」と言っている。ひとりの人がこの霊と肉との間にさかれてい るのである。だが自我における統一が全く失われているのではない。終始一貫して霊が 主にして肉は従である。この順位はあらしの如き苦悶を通じて終にみだされずにいる。 凜として|自《りん》棄せざる苦悶である。苦悶の主は霊であって肉ではない。ただ主人たる霊が 無力であって、|下僕《しもべ》たる肉に威令が行われないのである。自我の本体は霊または心また はうちなる人である。時に|不逞《ふてい》なる肉が下僕の分際を以て主人を押除けそうになること があるけれども、霊は断じてその主位を降らない。この霊がパウロの本体である。そう してこの霊が肉における「死の体」からの解放を求めて叫んでいるのである。  |斯《か》くて飽くまでも己が使命と品位とを自棄せざる霊の苦悶であるから、それは真の意 味において謙遜なる苦悶である。この謙遜が人を自暴的虚無的絶望の深淵から防護する。 何故ならば自暴自棄とそれに伴なう虚無的絶望とは不遜なる者の虚勢的粉飾に他ならな いのであるから。真実なるたましいは|斯《か》かる虚飾に得耐えない。随ってまた|竟《つい》に自棄自 暴し得ない。随ってまた真実傾けて|悶《もだ》え苦しむ。その苦しみの何という深さ、真実さ! これが真の砕けたるたましいの姿である。パウロの苦悶にこの真実とこの謙遜とがあっ た。そうしてこの真実なる謙遜がパウロをして真の生命と力との源なる活ける神の前に |跪《ひざまず》かしめた。無条件に跪かしめた。この無条件なる拝跪においてかれのいわゆる「|旧《ふる》 き人」とそのあらゆる|矜《ほこ》りとを脱ぎすてることができた。かくて「この死の体より救は る」ることができた。  人みずからの自力が我らを「この死の体」より救い得ないものであることは、決定的 に明白である。パウロはそのことを骨髄に沁みて承知している。しからば誰が救い得る か。パウロはただ一言「我らの主イエス・キリストによりて神に感謝す」と言う。かつ 安心したように附言して|曰《いわ》く「されば我みづから心にては神の律法につかへ、肉にては 罪の法に|事《つか》ふるなり」と。即ち人のうちなる霊肉二元の相剋は|息《や》まない。しかしキリス ト既に罪に|克《か》ち死に勝ちたまえり。、峩…哨食覇の養誉華負夕尋写ほ義撲全ヨ穹控頓い。罪菫 なー書が「靉川君者白禰づ丿ヨ|慫《とが》君身轡4ど賃、っで"み、皐刪舞ぽ克煦…葺義ぽ蕚 全司ぜ弓れ召。教法のもと|鞠躬如《きつきゆうじよ》たる実践躬行が正義を全うするのではない。神みずか ら一切の不義の|詛《のろい》を身に引受けらるることにより、神らしき正義の完遂が成るのだ。|斯《か》 くて善が実現されるのだ。こういう信仰がパウロを肉における無力さから解放した。い   、廴よくざい わゆ爲嵶蒼嵎である。けだし義の本質に関する最も深刻な又最も透徹した思索であ り信仰である。杜会学老は言う「犠牲は進歩の法則なり」と。罪なき者が罪ある者に代 って|詛《のろ》いの|贄《いけにえ》となるということは、一見|惇理《はいり》のようであって、しかし否むべからざる人 生の事実である。世界歴史は犠牲と贖罪と.の連続台あるへ驤罪は歴史の法則であると言 って過言でない。贖罪は最も深刻にして最も現実なる活事実である。、パウロはイエス《い》|・ キリストの刑死において贖罪死の最大なるものを見た。そうして救われた。己が道徳的 無力さから救われた。あるいは解放されたと言った方が一層適切かも知れないコ                           げだつ     ペーー廴  この解放は神による解放であり救いであって、自力による解脱ではない。それは新し き力の付与である。旧きわれが旧きままの|稟質《りんしつ》を以て解放されるのではない。全く稟質 のちがう新しい力を付与せられて、その霊的構造をすっかり改造されたわれが解放され るのである。だから新生である。内心分離の絶望的苦悶を陣痛として|新《あらた》に生れたので ある。 五 真の自由人  故に新生による変化の第二はこの解放による霊の自由さである。それは内心分離の厳 粛なる陣痛の苦しみを経て後の、新しきいのちに躍る澄剌たるよろこびである。この自 由はほぽ三つのものからの解放を意味する。一には律法からの解放、二には自己とその 無力さからの解放、三にはほろびとその怖れからの解放である。  律法または教法からの解放はいわゆる反誠律主義,耳ヨ○ヨ疔ヨ岳となって流露する。 道学臭からの徹底的解脱である。わが親鸞がこの点において最も徹底的であったことは、 あまねく人の知るところである。「善人なほもて往生を|遂《と》ぐ、いはんや悪人をや」と喝破 したかれは、「たとひ牛盗人とはいはるとも、もしは|後世者《ごせしや》もしは善人もしは仏法者と見 ゆるやうに振舞ふべからず」(『御文章』一七ノ一四)と|警《いまし》めた。まことにおどろくベき自由 人の境地である。活灌澄地たる生ける魂である。教法の|栓梏裡《しつこくり》にあっては、この自由さ は想像もできない。パウロも言ったように、教法のもと我は死にたりである。そこでは 枯骨が法衣をつけたり|裃《かみしも》を着たりして、|仔細《しさい》らしくかしこまっている。しかし生きた魂 はそこにはない。霊によって新に生れた自由人は、そんな裃をかなぐりすてて起ちあが る。それがかれらの反誠律主義である。パウロはそれによって基督教をユダヤ教の桎梏 から解き放って世界的宗教にした。ルッターはパウロの信仰を復與しつつ最も大胆に誠 律からの自由を唱道し、よりて以て庶民の霊性生活を教法教権の|手枷足枷《てかせあしかせ》から解放した。 それがかれによる|独逸《ドイツ》宗教改革の意義である。そのためかれは極端と評せらるるほど反 誠律主義のために善戦した。|傍若無人《ぼうじやくぶじん》に善戦した。しばしば又悪罵に|応《こた》うるに悪罵を以 てしつつ悪戦した。もちろん誠律が全て無用だというのではない。イエスもモーゼ律は 一点一画もこれを|毀《こぽ》つべからずと|警《いまし》めた。しかし善は誠律以上のものであり、人生の意 義は道学を超ゆるものであるのだ。人のための安息日であって、安息日のための人間で はないのだ(マルコ伝二・二七)。  教法からのこの解放はその半面においてまた自己からの解放である。殊に自己の無力 さからの解放である。教法の槿梏あればこそ、あわれむべき内心分離の性格破産者たり しこの自己である。その栓梏を|釈《と》かれると共に、自己の道徳的無力さは問題にならなく なる。いわゆる絶対他力の心境である。親鸞はいう「たとひ法然上人に|賺《すか》されまゐらせ て念仏して地獄に堕ちたりともさらに後悔すべからず候。その故は自余の|行《ぎやう》を励みて仏 になるべかりける身が念仏を申して地獄にも堕ちて候はばこそ『賺されたてまつりて』 といふ後悔も候はめ、いづれの行も及ぴ難き身なればとても地獄は|一定《いつぢやう》すみかぞかし。 |弥陀《みだ》の本願まことにおはしまさば釈尊の説教虚言なるべからず、仏説まことにおはしま さば善導の御釈虚言したまふべからず、善導の御釈まことならば法然の仰せそらことな らんや、法然の仰せまことならば親鷺がまをす旨またもて|虚《むな》しかるべからず候|歟《や》」(『歎異 鈔』)。パゥロは「われキリストと|偕《とも》に十字架につけられたり。最早われ生くるにあらず。 キリスト我が内にありて生くるなり」という。  教法から解き放たれ自己に死にたる我は、新に生まれたるわれである。地獄は一定す みかぞかしと決まっていた者が、地獄から救われ、ほろびからたすけ出されて、|自由無 碍《じゆうむげ》の新しきいのちを付与されたのである。|旧《ふる》き我は教法のもとに刑死したのである。|最 早《もはや》われ生くるにあらずである。旧き我がそのまま修補せられて、旧き稟質のまま一層高 き境地に到達し、一層堅固な道心を体得したのではない。そうした境地は|如何程《いかほど》高きに 達しようと要するに旧きわれである。新生ではない。新生とは旧き我を絶するもの、随 って又一切の修養精進を絶するものである。だからバウロの言うように「新しき創造」 である。旧き我に内在する素材が順次進化改善せられて、或る高さ清さに到達するので はない。進化でなくて創造である。前からのつなぎの糸はぷつりと切れて、全く非連続 的な異変において新しきいのちが創造付与せらるるのである。まことにまことに新生で ある。  だから新生のよろこぴは事業成功ないし目的達成のよろこびではない。おのれみずか ら何かをでかし得たよろこぴではない。総じて如何なる意味においてもみずから誇り得 るよろこぴではない。ほろびから救い出された者のよろこぴである。ただただ恩寵恩賜 のよろこぴである。一切の矜恃を超え面目を絶したるよろこびである。そのよろこびを 何にたとえようか。地上にこのよろこぴにたぐうべき何物かがあるであろうか。|否《いな》、比 類を絶したるそのよろこぴ、旧きは死にて全く新につくられたるよろこびである。「古 きは既に過去り、視よ新しくなりたり」である(コリント後書五・一七)。  すなわち新生のよろこぴは純粋に受身のよろこぴである。全然我ら自身の自力的力量 と無関係な|些《すこ》しもそれに制約せらるるところのないよろこぴである。全く謙虚なよろこ ぴである。「もしは|後世者《ごせしや》もしは善人もしは仏法者と見ゆるやう」なことでもあったら、 面あからめて腋下に冷汗を流すであろうけれども、しかもなお|禁《とど》めがたき心の底からの よろこびである。|況《いわ》んや「牛盗人といはる」る如きをや。新生は自分の自力で到達した 境地ではないのである。自分がそれだけ|偉《えら》くなったのではないのである。この点におい てあらゆる道徳的精進と縁のない、もしくは縁の切れた境地である。新に生れた者はも はやそうした精進に大した期待も與味も寄せない。むしろ一切の道徳的精進と必然的に それに附随するところの矜恃とに対し一応絶縁を宣告する。不道徳的ではないが非道徳 的または超道徳的な生活態度である。だから自由無碍である。この自由さが新生におけ る最も顕著なる性格である。新生人は自由人である。  だがもちろん一朝にして旧き人の旧き欲情が脱落し去るものではない。うつし身は旧 き|色身《しきしん》をそのままに残っているのである。この生きの身のある限り、その欲情もまた残 るであろう。新生の人は仙人ではない。人間も人間極めてありふれた人間である。加う るに「|智《さと》き者多からず、能力ある者おほからず、貴きもの多からず」(コリント前書一.三ハ) である。かえって「世の卑しきもの、軽んぜらるる者、すなはち無きが如き者」(同二八) が選ぱれて新生に|与《あずか》っている。与って後も相変らずの無きが如き者である。たださきの 日にはおのれになずんで自家の無力さをのみ歎じていたのが、今はそのおのれから解き 放たれて、怖れずたじろがないのである。怖れないから負けない。負けないからますま す勇気づく。戦いがすっかり終ったのではないけれども、|気宇《きさつ》既に敵を呑んで勝利は既 にわがものなのである。だからおのれを救いたまう者に感謝と讃美とを捧げながら、胸 を張り大手を振って進軍するのである。かくて進み往く者の胸のうちに言うべからざる 自由がある。|闊達《かつたつ》にして|縦横無碍《じゆうおうむげ》、十の力を完全に十に働かせ得るところの活気溢るる 自在さがある。この自在さを道徳人は知らない。  だがこの闊達自在は昔も今もしばしば論議のたねになっている。一歩道徳を超えたこ の自由さが不道徳な|放縦《ほうしよう》に堕する危険があるからである。親驚もそのため散々に非難さ れたのであったし、ルッターなども今以てカトリク側からやられている。事実また非難 に値するように弊害なきを得ないであろう。そういう弊害をとどめ得るような稟質が生 来の人間にあるものならば、もともと内心分離の悲劇的苦悶は避けることができたはず なのである。それができないから新生受領の必要があったのである。しかしそれは要す るに戦いまだ終らざるがための多少の損害であって、戦局が味方に不利なのではない。 戦局は絶対に有利なのである。勝利はすでにわがものなのである。|櫂《おそ》れず疑わず、自由 自在に|馳駆《ちく》したら良いのである。難ずる者は気負いたつ戦士達の武装その他を点検して、 |此所《ここ》が弱いあすこが足りないというーなるほどそうしたら|怪我《けが》はすくないかも知れない。 しかし戦士の本領は怪我をすくなくすることではない。怪我などかまわずに戦うこと、 縦横に馳駆して自在に戦うことである。世の道徳家たちは余りに入念に武装し過ぎる。 それは要するに己を清うするに急にして道それ自体を顧みざるものである。しかも已に ついてしかく小心なるのみならず、他人をも律して己の如く小心ならしめようとする。 はやる勇士たちを制して強いて守勢をとらしめようとする。まさにかの「人の前に天国 を閉ざして自ら入らず、人の入らんとするをも許さぬ」パリサイの態度そのままである。 わざわいなるかな|囚《とら》われたる|小廉曲謹《しようれんきよつきん》の君士人!  |惟《おも》うに世を毒し国を衰えしむるものこの小廉曲謹に過ぎたるはない。|畢竟《ひつきよう》それは精神 的な|紅《べに》おしろいである。己が面目を清うせんとするおしゃれである。神の前に、しかし 実はより多く人の前に、|然《しか》り専ら人の前に己が名を惜しむものである。真に神を畏るる ものは小廉曲謹にこだわってなぞいない。こだわるのは人前を気にするからである。|左 顧右眄《さこうべん》浮身やつしての道徳的化粧である。その比較的小心なる者は衣紋の乱れを気にし てじっとしている。少しく活澄なる老は荒れた膚を厚化粧でごまかす。|斯《か》かる徒輩が何 の善き事をなしとげ得ようか。真に建設的な勇猛心というものは小廉曲謹からは生れて 来ない。だから国民の教育をやかましい道徳的訓育にのみ懸らしめることは極めて危険 である。それは国民から生鮮なる活気を奪い、若くして既に老成人の如き偽善者を輩出 せしめるであろう。あるいは小やかましき道徳訓の|息気《いき》苦しさに耐え得なくなった国民 大衆が、|我武者羅《がむしやら》に生活の諸規範をふみにじって、政治的文化的に|無暗《むやみ》な乱暴を働くに 至るであろう。  真の建設は真に自由なる魂を予想する。そうしてまことの自由は大死一番全く新に生 れかわった魂のみが持っている。かれはもはや小さなおのれにこだわっていない。随っ て自家の面目にこだわらないし、義理人情にもひきずられない。そういうものを乗り越 えて恥辱に耐えることができる。|斯《か》くて恥辱に耐え得るということは偉大な事である。 真に善きもの、真に建設的なる真理のために労するものは、しばしば世に辱しめられる。 十字架上に刑死したるイエスのことは言わずもがな、法然親鸞は流され、日蓮は散々に 打たれ|罵《ののし》られた。しかしかれらはすべて侮辱に耐えた。辱しめられて口惜しがらなかっ た。報復しなかった。その代りにただ念々道をおもうて|倦《ちつ》まず屈せず戦った。ただ真理 のために戦い、真に建設的に働いた。辱しめられて口惜しがりながら、歯をくいしばっ て我慢しつつ、|臥薪嘗胆《がしんしようたん》復讐の機会をねらうのは、侮辱に負けたのである。そうした臥 薪嘗胆は決して真に建設的であることを得ない。復讐は常に破壊的である。イエスや親 鸞や日蓮はそんな復讐は考えなかった。そうして真に恥辱に耐えた。そこにかれらの深 くして強き建設の鍵があったのである。  この恥辱に耐えるという事は|勿論《もちろん》単なる図太さでない。むしろ極めて敏感でありなが らなおかつ耐え、希望とよろこびと生気とに満ち溢れるのである。これは一度おのれに 死して、新に神において生れかわるのでなければできないことである。ただ新生の人の みは如何なる恥辱にも耐えて建設し続けることができる。それはかれが自已に死して神 に生きているからである。随ってまた|後世老《ごせしや》とも善人とも思われようとしないし、牛盗 人といわれて平気でいられるからである。否、かれのうちなる新しきいのちが、一切の 人間的評価の|埓《らち》を乗越える程に活気|横溢《おういつ》しているからである。単なる道徳人にはこれが できない。むしろかれは当人以上に羞恥心鋭敏であって|些細《ささい》の恥辱にさえ耐えない。か れは要するに人の面を恐れ、その道徳的評価に臆するからである。しかし時代の道徳的 評価に臆せず、人の世の恥辱に克ち得る魂でなければ、真に人を救い国を興すことはで きない。これは我々が多少共杜会国家に働きかけようとする場合において、はっきり記 憶していなければならない事である。新生の人は恥辱に克つことができる。これは実に 偉大な事である。そうしてこれは自己以外、人間以外に頼る所がなくてはできないこと である。信仰によって新に生れるのでなければ到り得ない境地である。そうしてそれは 至幸至福の境地である。何故ならばそれはいのち充ち溢れて|些《いささか》の|凝滞《ぎようたい》なく、自由無碍に して|暢達《ちようたつ》の限りなる境地であるからである。阻まれざるいのちのよろこぴ湧き溢れて意 気天を|衝《つ》かんとするものである。 第五章 不幸の原因 生活の条件と生活の本質  人間の不幸の源は何であるか。通俗には衣食住健康家庭等人間的生活条件の整備が充 分でないことが不幸の源であると考えられている。これらの生活条件が充分に備わって おりさえすれば、人間は幸福に生活することができるのだと考えられている。そうして |確《たしか》にこれらの生活条件に欠陥があることは、幾多の不幸不安の源になる。そのことは否 定できない。  例えばベンタムによれば最大多数の最大幸福ということが杜会生活の目標である。し かし何が幸福であるのか、|如何《いか》なる実質の生活を生活したらば幸福なる生活であるのか、 そのことは|些《すこ》しも規定しない。もしこの一事を規定し得れば、最大だの多数だのという 量や比率を持ち出す必要はないのである。しかるに幸福そのものの質的規定ができてい ない。こういう風に生きるのが幸福な生き方だというその本質が決まらない。人々は勝 手な生き方をして生きている。千人につき千様の幸福があり得るわけである。だから幸 福の質には触れないで、量的にのみ規定して最大多数の最大幸福というのである。その 問暗黙のうちに前提されていることは、幸福は各自の適意なる生活の実現にある。その ためには各自の適意なる生活が必要とするその実現資料を、|能《あた》う限り充分にかつ公平に 各自のために用意する必要がある。資料さえ備われば、その資料を用いて人おのおのそ の欲するがままの生活をする。それがその人の幸福である。この幸福を最大多数のため 最大量において確保せよ。これがベンタムの主張である。即ちホッブス以来の伝統に|基《もとづ》 く利己主義的個人主義的幸福観である。これは英国の功利主義哲学の基礎的信条である。 ただしこの信条のうちには利己主義の破局的徹底を防止するような他の契機が伏在して おった。それは人間の品位といったようなものに対する漠然たる勘である。この勘は時 の人道主義的思想と相結んで実際的には|強靱《きようじん》な推進力を持っておった。だからベンタム の公式は実際の政治的また法律的原理としては、極めて能率的な効果を挙げたのである。  だが最大多数の最大幸福ということをいうその幸福の実体を考えて見ると、前に言っ たように、質的に特定実質の生活を提示してこれが幸福な生活だと規定してはいない。 そういう規定は人おのおの自判自律すべきものである。他から規定せらるべきものでな い。というのが個人主義的自由主義の建前である。だから最大多数が最も適意に生活で きるようにということが、ベンタムの公式の意味するところである。しかし人間は本来 何を意志すべきであるか。その問題には全く触れない。すなわち生活の実質的内容には 触れずに、任意の生活の一般的不可欠条件に即して問題を考え、この条件が充足整備す ることが即ち幸福であると見るものである。極めて常識的な幸福観であると言わなけれ ばならぬ。かくして問題は条件の整備にあるのだから、主題は人間生活それ自体の規正 にあるのでなくて、生活のために必要な資料の|按配《あんばい》にある。|随《したが》ってまた最大とか多数と か分量を以てこれを計ることができるのである。  幸福ということと生活条件の整備ということとが離るべからざる関聯においてあるこ とはいうまでもない。例えぱ先ず生きるのでなければ幸も不幸も問題にならない。しか も生きるためには最小限度において衣食住の資の欠けていないことを要する。だが衣食 住|具《そな》わるだけでは、人間の生物学的生存が確保されるに|止《とど》まり、人間の人間らしき生活 の実質はまだ始まらない。この実質的人問生活をどうすれば良いか。本来の倫理問題は |此処《ここ》から始まるのである。そうして幸福の問題は単なる生物学的生存の問題でない。そ のことはギリシア哲学における幸福論の歴史を大観することによって吾人が既に指摘し たところであると共に、われわれ各自の生活の実践において直に自得できることである。 幸福の問題は深刻に倫理問題である。しかるに通俗には衣食住等生活条件の整備それ自 体が直に幸福であると考えられ、そういう条件を足場としてその上に築かれ営まるべき 生活の実質は、|措《お》いてかえりみられないのが常である。しかもそうした条件はその人間 みずからが自由に造り出し得るものでなく、主として天賦自然の|稟質《りんしつ》や風土や又歴史的 機縁に負うところのものであるから、幸福は|大抵《たいてい》幸運と同意語である。ベンタムのいわ ゆる幸福はこうした通俗的意味の幸福である。  しかしもし幸福は幸運よりほかにないものならば、幸福は全く|運否天賦《うんぴてんぷ》のものであっ て、人間みずからの力を以てしては|如何《いかん》とも|為《し》ようのないものである。われらはただ与 えられた運命に黙従するよりほかない。さればストアの幸福論はその定命論的世界観に 立脚して、如何なる不運にも|晏如《あんじよ》として悲しまざる心境に到達せよ、それが真の幸福に 至る道であると|訓《おし》えた。それはつまり幸福の本質が、生活のための諸条件の整備に存す るのでなくして、生活それ自体の自在にしてつゆ|阻《はば》まれざる経営にあるという提唱であ る。そのためには最悪の生活条件にも耐え得るようになれ、進んでは全く生活条件を超 越するようになれというのである。そうしてこれが又要するになべての幸福論の哲学的 発展における最後の結論であった。アリストテレスは衣食住といったような生活の具体 的条件の整備が、あらゆる人間生活のための一般的不可欠条件であることを承認した。 しかしこれらの条件の備わる限りにおいては、最も純粋にして十全なる幸福は純粋知的 観照のうちにあると考えた。なぜなら正義の実践というようなこともまた至福の境地に は相違ないが、それには実践の相手が要ることである。しかるに純粋に知的にただ真理 を観るのみなる境地は、全く自給自足して自在に己|独《ひと》りを楽しむことを得る境地である。 この自在なる境地が至幸の境地であるというのである。この至幸なる純粋知的観照の境 地は、その純粋知的性格の故に、ストア哲学における達人の至境とその本質を同じくす るところの至境である。即ち理性が自立自足する境地であって、幸福の真髄は理性のこ の自立自足にありとするものである。  しかし現実の人問は理性だけで出来上っている存在者ではない。かれはパウロのいわ ゆる霊と肉との二元より成る者である。人間の生活はいわば霊肉二元の弁証法的発展の うちに伸びてゆくのである。ストアの哲人エピクテトスは奴隷に売られて鎖につながれ たけれども、この鎖は|能《よ》くわが四肢を阻み得るが、わが心を縛ることはできないと言っ て、|昂然《こうぜん》としていたという。しかしそれは達人エピクテトスにして初めて言い得ること であって、われら平常人においては、肉に加えられたる鎖が霊にとっても耐え難き|枷《かせ》と なるのである。だから奴隷制度は非人道なのである。肉体的|垤梏《しつこく》が人の霊性の自由と品 位とを傷つけることのないものならば、われらは大して騒がないでいてよい。しかし現 実の人間はその手足を鎖につながるる時、その心もまた鎖にとざされて|終《しま》うのである。 人問は肉だけでもない、霊だけでもない。霊肉二元|相椅《あいよ》り相制約して休みなき葛藤が即 ち人間の生活である。だから|強《し》いて肉をすっかり殺して霊だけになろうとすれば、人間 の生活は活ける実質に乏しい空疎なものになってしまう。地上現世における人間生活に 関する限り、仙人の生活は俗人の生活よりも貧しい。霊的にさえ貧しい。アウグスチヌ スは天人には天人の体ありと説きつつ、悪魔は無体だから無力なのだと言った。まこと に含蓄深き言葉であると思う。  しかるにわれらの肉体は衣食住その他いろいろの資料を必要とする。随ってまたこの 肉と離れ難き関係にあるわれらの霊も、その自由|暢達《ちようたつ》なる生きのいとなみの条件として、 かずかず肉につらなる資料を用意しなければならぬ。|然《しか》り霊の立場から言えば、肉はす なわち条件自体であるのだ。肉は人間生活の条件であってその主体ではない。主体は霊 である。霊が人生の主体である故にこそ、パウロにおけるが如きあの霊肉相剋の苦悶が あるのだ。と同時に人間はこの条件を欠くことができない。肉とこれにつらなるもろも ろの生活資料は、人間生活における欠くべからざる条件である。だからこの条件に欠く るところある生活は、人間生活として|完《まつた》き生活または阻まるるところなき生活というこ とはできない。随ってまた幸福な生活でもない。  それならば幸福なる生活のために必要欠くべからざる生活条件とは何々であるか。古 人曰く|倉廩実《そうりんみつレバ》 |則知《チル》二礼|節《ヲ》(衣食|足則知《レバチル》二栄|辱《ヲ》と。しからば人間として|辱《はずか》しからぬ程度 の生活をするため必要な衣食とは如何なる程度の衣食をいうか。キニコス学派のヂオゲ ネスは樽の中に住んでひなたぼっこをしている程度で沢山だと考えた。しかし一般ギリ シア人はそうは考えなかった。かれらは衣食のための営々たる労苦をふみ超えた|閑暇《スコレ》 旻2"。。90ご(後転じて講堂又は学校の意となる)を重要視したのである。この閑暇を善用 することによって初めて学芸の生長を見得るというのである。そうしてこの学芸の生長 ありてこそ初めて人間の人間らしい生活がある。穹の一〇51ひ・ロ<一$ぴ菷<¢つかの間の人 のいのちもいく久しき学芸のいのちに参じてこそ、その価値も高まり力も加わるのだ。 言いかえれぱ、人生の意義はその精神文化的内容になるのだ。そうしてわれらの生活を して|斯《か》かる精神文化的内容に富むものたらしむるためには、われらが|齷齪《あくせく》たる機械的労 働から解放せられて、|悠瀞自適《ゆうゆうじてき》の閑暇を|豊《ゆたか》に持つことが絶対に必要である。そこでここ に奴隷という者があって、この奴隷が衣食その他の生活必需条件整備のための機械的労 働を負担する。そのお蔭で他の自由人たちは必要なる閑暇を充分に恵まれ、よって以て 学芸に専念することができる。だから奴隷制度は人間らしき生活の達成のため欠くべか らざる条件である。こういう風に一般ギリシア人は考えた。  だからプラトンもその『国家論』において奴隷制度を是認したし、アリストテレスも この是認を改めなかった。この意味においてプラトンやアリストテレスの社会国家観は、 奴隷を|下積《したづみ》としてその上に立つ貴族主義的社会国家観であると言わなければならぬ。し かるに近代における機械文明の発達に伴ない近代の人道主義的思潮は、精神文化の下積 として必要な機械的労働をできるだけ機械にやらせるようにしよう、それによってギリ シア人が大切にした閑暇を万民に享受させるようにしよう、そういう理想を掲げるよう になった。つまり昔ならば奴隷にやらした水汲みや車押しを水道や自動車の機械力に負 荷させよう。そうやって労働者の機械的労働量を減らして、かれらにも充分な閑暇を与 え、精神文化的味楽に自適することを得る余裕を与えよう。そのために労働時間を短縮 し、労働者の生活水準を高めかつ保障しなければならぬ。こういう理想を近代の平民主 義は持つに至った。しかし近代杜会における閑暇配給の実際がどれだけ公平なものにな っているか。近代杜会は果して実質的にも奴隷制度を撤去しつくしたか。近代杜会も依 然その文化的下積として実質上いにしえの奴隷にひとしいような階級層を持ち、それを ふまえて立っているのではないか。おおかたの杜会問題の鍵がこの辺にあると考えられ る。  かくの如くして個人的にも社会的にも、人間の人間らしい生活は或る程度の生活条件 の整備を|俟《ま》たずしては立つことができない。随って又いわゆる社会問題なるものは、わ れわれが社会大衆の禍福に対して真実なる関心を持つ限り、決してないがしろにするこ とのできない重大問題である。ではあるがしかしいったいどの程度に生活条件を確保し 整備したらば良いのであるか。その程度が容易に決まらない。決めることは不可能であ る。個人においても杜会においてもこの程度や量についての欲望にははてしがない。何 故はてしがないか。それは生活条件が生活の条件であって、生活の目的ではないからで ある。生活条件だけをいくら整備したところで、それは|畢竟《ひつきよう》するにただのお膳立にとど まり、生活自体はそこからは生れて来ないからである。いのちがないからである。いの ちのない所にいのちの満足や幸福があり得るはずがないからである。  イエスはいう「さらば何を|食《くトリ》ひ、何を飲み、何を|著《きぢ》んとて思ひ煩ふな。汝らの天の父 はすべてこれらの物の汝らに必要なるを知り給ふなり。まづ神の国と神の義とを求めよ、 さらばすべてこれらの物は汝らに加へらるべし」と。先ず真理を追い求めよ、何を|措《お》い ても先ず正義のために健闘せよ、霊のいのちを充実せよ、しかるとき衣食その他の生活 条件はおのずから具わるであろうというのである。言いかえれば、生活条件は生活条件 であって第二義的なものでしかない。第一義的な主題は神と共に不滅なる真理また正義 の追求である。これが主であってかれは従でなければならぬ。主たるものを以て主たら しめよ、しかる時従たる必要物はおのずから従い到るであろう。これが神を信ずるもの の生活態度でなけれぱならぬ。そうイエスは|訓《おし》えた(マタイ伝六・二五ー三四)。  即ちイエスの訓えによれば、人間の不幸の原因は衣食等々生活条件の不備にあるので はなくて、従たるべき生活条件になずんでこれをして生活の主たる関心たらしめ、主た るべき人生の至高事を従たらしめていることにある。そうした主従顛倒、バウロの用語 を以てすれば霊肉顛倒、この|下剋上《げこくじよう》が不幸の真因であるのである。生活条件としての諸 資料は決して人の憂うる程に不備なのではないのである。|古《いにしえ》の詩人うたえらく「我むか し年わかくして今おいたれど|義《ただ》しき者のすてられ或るはその|裔《すゑ》の糧こひありくを見しこ となし」と。 二 二元相剋  近代の唯物史観が人生におけるもろもろの生活資料または生活条件の重要性を明らか にし、|殊《こと》に杜会大衆のためにこれらの生活条件の公平なる整備を策するの要あることを 強調したのは、|確《たしか》に庶民大衆の幸福に資するところ大なるものがあった。しかしもろも ろの唯物的生活条件ないし資料が生活の源泉であり、人間文化のあらゆる実質が一にこ の唯物的資料にのみ依存するものとなしたのは、|宥《ゆる》すべからざる|謬見《びゆうけん》である。彫刻家ロ ダンにとって大理石その他の彫刻材は必須の資料であるに相違ない。しかしロダンの作 品はロダンがつくるのであって、石や銅鉄がつくるのではない。人はパンなくしては生 きず、ギリシア人のいわゆる閑暇なくしては学芸を栄えしめることができない。しかし それにもまして動かぬ事実は、「人の生くるはパンのみによるにあらず、神の口より出づ るすべての言による」ものであること、閑暇が学問芸術をつくり出すのではないことで ある。人の人たるはその生物学的生命の|全《まつた》きが故にあらず、神の口より出ずる真理のこ とばがかれの霊を活かすからである。|斯《か》くてかれをして一歩を生物学的生命より上にぬ きんでしめるからである。  故に見よ、人はただその口腹の欲をみたし、その生物学的生存を安固にしただけでは どうしても満足できないのである。何か安んじ得ないのである。それは人として生ける 使命をまだ果していないことを、何となく感得させられるからなのである。しかも多く の人はこの感得を明晰に自解するに至らず、さらに一層生活の唯物的資料を豊富に整備 しようと努め、かくて果しなく生活条件の強化に腐心しつつ、|終《つい》にあたら一生をただの 膳立のためにだけ消耗しつくして、一歩も生活の本陣に入ることなしに死んで|終《しま》うので ある。あるいは家も建った道具立も揃った、さあこれからはひとつ内容のある生活を実 践しよう、と思うと既に|鬢髪《びんぱつ》霜を置いて力また衰えはてたるを|奈何《いかん》せんというような仕 儀である。これらは生活の重点を見そこなったのである。人生の主題を後廻しにして、 従たる第二義的問題に全関心を集中して終ったのである。即ち霊肉の順序を|謬《あやま》り、人間 と全宇宙とにおける霊肉の根本秩序を顛倒するものである。そうして人間の不幸の原因 はこの秩序顛倒にあるのである。すなわちパウロをしてあの深刻なる苦悶の叫ぴをあげ しめたる霊肉二元の相剋である。人間のうち深く宿るこの二元のたたかいが、人間にお けるあらゆる不和と不幸との源であるのだ。決して生活条件の不備などが真の原因であ るのではない。そういう不備にとらわれ貧に気臆するその臆病風が不幸の因である。即 ち原因は外になくして|衷《うち》にあるのである。心のうちなる秩序のみだれにあるのである。 霊と肉と主従ところを換えたる不秩序にあり、内心の分離にあるのである。  哲学者はしばしばこの二元性を一元的に説明し去ろうと企てた。しかし現実の人生に おける実践的事実は|斯《か》かる一元的説明を以て|蔽《おお》うべくもない。人生の実際は百の説明を 絶して二元相剋の修羅場である。人生のこの二元性を否定するものは、すべてこれ強い て眼をふさいで人生の実相を見まいとするものである。人間生活におけるすべての悲劇 はこの二元性から生れるのである。この二元相剋の故に理想と現実とが衝突し、また善 と悪とが妥協する。世界歴史は|畢竟《ひつきよう》するにこの二元相剋の舞台に他ならぬ。だからもし この二元性に超克することができるならば、人生における最も深刻なる悲劇に超克する ことができる。従ってまた人生における至幸至福の境地に住することができる。しかし それにはただ観念の上で二を一と悟ったり、二も一もないというようなことを了得した りしたのでは駄目だ。如実なる霊力を得て、二つのうちの一つがはっきり他の一つに|克《か》 たねば駄目だ。パウロのいわゆる霊が肉に打勝たねば駄目だ。無でも中でもない。飽く までも二元的な闘争とその一方の勝利である。この闘争に超然として一層高次の世界に 住しつつ、心しずかに善悪生死を絶したる彼岸の寂光をたのしむというようなことは、 |煩悩具足《ぽんのうぐそく》のわれら人間に許されたる実践的境地ではない。われらに許されたる地上実践 の現実世界は二元相剋の戦場である。苛烈深刻なる差別闘争の修羅場である。霊を以て 肉に克つより他に絶対に第二第三の便法がないのである。このたたかいを避けてはなら ないのである。  ストアの哲人達は人間における霊肉二元のこの|乖離《かいり》をよく知っていた。そうしてアリ ストテレスの哲学が肉には肉としての第二次的意義を認め、適正なる限度を越えざる限 り、肉の欲もまたあながち抑え続ける要なしと|訓《おし》えたのに対し、ストア哲学は初めから 肉の欲は適正でないもの、不健全なものと決めてかかった。そうして徹底的に肉欲を克 服した生活、つゆ肉の情に|煩《わずら》わされざる生活を生きぬこうとした。そのためには理性を 以て唯一の生活指導原理たらしめ、|一切《いつさい》の感情から|解脱《げだつ》しなければならないと考えた。 すなわち理性とその思惟とが人の人たる本領であって、パウロのいわゆる霊に当るもの。 感情とその動きによる喜怒哀楽快不快の動揺はすべて肉につける煩悩である。この煩悩 を解脱して、いささかも快不快の情に揺り動かさるることなき心境が、ストア学派のい わゆる無感情の至境であった。それは全く無感情無関心の境地であって、|勿論《もちろん》アリスチ ッポスの快楽主義とちがうのみならず、キニコス派のアンチステネスが肉欲克服の善戦 健闘そのことを高く評価したのともちがうものであった。それ以上に肉情を超脱し去っ て、もはや善戦苦闘を要せざるもの、超然として快不快の外に|悠游《ゆうゆう》するものであった。  これは東洋における禅の妙境に非常によく似ていると思う。心頭を滅却すれば火もま た涼しという。ストアの至境もまた心頭を滅却して一切の情火を消したもの、かくてた だ理性の明識により、その悟りの明らかさにより、一切を|不壊《ふえ》の理法の必然の流れと諦 観するものである。それは何よりも悟りの明識を尊んで、この悟りの明るさが少しでも 煩悩の情火に曇らさるることを忌んだ。それは理性主義に徹したものである。しかもそ の理性は悟りの理性である。冷徹なる理知である。ストアの達人は曇りなき理知の達人 である。この理知を唯一の|拠所《よりどころ》にして一切の感情を滅却しようとした。しかし現実の人 問世界はいろいろの生々しい感情の葛藤そのものである。随って感情に超絶たる立場は 現実に超絶たる立場でしかあり得ない。だからストアの達人たちは現実世界の活葛藤を よそに、超然として自家の理知台上に|立籠《たてこも》り、そこから静に現実界の諸葛藤を眺めるよ り他に|致方《いたしかた》ない。しかも達人もまた人である限り、また人として現実の人間世界にいぶ きする限り、人の世の諸葛藤はかれをもその波瀾の中に捲き込まずにはいない。しかる 時なお強いてその波瀾に超然として理知による曇らざる静観を続けようとするなら、あ らがうことなく波瀾に身を委ねて、流さるるままに随って流るるよりほかはない。あら がい逆らうことは煩悩に同ずることである。波瀾の渦中にあって波瀾に超絶たり得る道 は、あらがわずして随うよりほかにない。ストアはそれを自然の理法に随う生き方と呼 んで、特有の定命論的|諦念《ていねん》に安住した。禅家はこれを|融通無碍《ゆうずうむげ》というであろうか。  だが現実の人生の血戦場裡では、そのような融通無碍の態度は要するに時流追随の働 きしかしない。善をして悪に勝たしめ、正義に組して不義を打倒するためには、われら みずから対立する二陣の一方に属して、挺身たたかいの庭に打って出て、葛藤渦中に投 じてみずから戦いぬかなければならぬ。超然観照の態度を棄てて、|渾身《こんしん》の熱情をこの一 戦に注ぎ入れなければならぬ。しかるをおのれ独り渦の外にあり、超然静観して動ぜず というのは、理知に捉われて観念の世界になずみ、実人生を忘れ果てたるものである。 現実の人生に対する実践的誠意充実せるものとは言い難い。|況《いわん》や現実の渦の支え難き勢 を見るや、淡々として身を流に委ね、|晏如《あんじよ》として時流と共に浮きつ沈みつするが如きは、 断じて人生に対する責任に忠なる生き方でない。  人はしばしば悟り顔してそれを|拘泥《こうでい》のない生き方だという。成るようにしか成るもの ではない。無益な抗争をやめ、小乗的差別相に捉わるることをやめて、大乗的見地に立 ち、清濁|併《あわ》せ呑む|大度《たいど》を示せという。しかしそれは要するに無責任な|野狐禅《やこぜん》か無定見な 事大主義でしかない。問題は働くことであって見ることではない。われらは生活戦場の 戦闘員であってただの観戦武官ではない。人生における二元|相剋《そうこく》のこの深刻なる戦いを |如何《いか》に観ずるかではない。如何に戦うかである。深刻に実践的な問題である。しかして 実践的な問題は実践によりてのほか解決できない。観照では解決できない。二を一と観 じても二は一にはならない。二は飽くまでも二である。現に刻々われらの衷に又外に二 元|相《あい》たたかいつつある。この二つのうちのいずれに味方し、いずれを抑えようか。その さし迫った実践問題が現実の問題なのである。しかるをこの相剋に超然たれと言うのは、 実践的には問題を回避するものであって、決してこれを解決するものではない。されば こそこの超然主義の実践的成果は、無解決のままなる事大主義的大勢順応より他のもの であり得ないのである。現に見よ、したり顔なる野狐禅者流が|妄《みだ》りに大乗|云《うんぬん》々を口にし つつ、無恥無貞操なる時流便乗に得々たるもの数え難きを。 三 禁欲の意義  アウグスチヌスはパウロのいわゆる霊肉二元の相剋のため最も深刻|真攀《しんし》な苦闘を重ね た人であった。かれの『告白録』は初代|基督教界《キリストきようかい》における禁欲主義の隠者修道士につき、 敬意と讃歎とに充ちた記述をいくつか収めている。のみならずかれみずから同志を集め て、後世の修道院の|濫鵤《らんしよう》をなすような生活を共にした。かれが食色の欲、わけてもこの 後者のために如何に沈痛な苦悶と力闘とを重ねたか、そのことは千五百年を隔てたる今 日にしてなおかつかれの『告白録』を読む者の胸を|榑《さつ》つものがある。それほど真攀に又 深刻にかれは苦しみたたかった。またアウグスチヌス以前における最大の基督教教父と いうべきオリゲネスは、イエスの山上の垂訓とストアの誠律とをそのまま実践するよう な厳正な生活を送り、一日四オボリ(約二+銭)の生活費を以て充分だとしたと伝えられ る。また女弟子教導の際に妨げとなることなどなきよう、学道の一事に専念できるよう にと念じて、決然みずから男根を断った。しかもこのオリゲネスといいアウグスチヌス といい、ふたりながら基督教神学の|礎《いしずえ》を置いた人であって、決して単純な情熱人ではな く、最も強靱にして透徹したる哲学的思索力の持主である。|斯《か》かる大理知人にしてなお かつかほどまでに苦しみたたかったのである。これが人生の実践的問題に対する真実の 実践的態度である。  霊肉二元の相剋に対する実践的な解決努力は、洋の東西を問わず、先ず第一に右のよ うな禁欲主義の動向をとった。随って禁欲主義の歴史は人間の真実なる生活に対する実 践的努力の歴史の古きだけ古しと言ってよい。そうして人間が人間である限り、何かの 程度で禁欲主義を実行せずして真実に人生を生きぬけることはできないであろう。ただ 問題は禁欲主義の意義目的であり、この意義目的が何にあるかによっておのずから禁欲 の範囲緩厳が規定せらるるはずである。|印度《インド》の苦行僧の如きは今日においても怖るべく 驚くべき難行苦行を実行するという。しかし禁欲主義の意義目的を|全《まと》うするためには、 必ず常にそういう難行苦行を必要とするのであるか。またオリゲネスが実行したような 果敢な決行が、|正鵠《せいこく》を得た敢行であったかどうか。  アウグスチヌスの『基督教要義』じ090三轟仔旁一ご臺は後代の基督教神学に大な る感化を与えた力著であるが、その中にこういう言葉がある。「誰もおのれを憎むもの はない。この事についてはどの教派とも争いのあったためしがない。また誰もおのが体 を憎むものはない。まことに使徒パウロのいう通り『おのれの身を憎む者は|曾《かつ》てあるこ となし』(工ペソ書五・二九)である。また多くの人が体なぞむしろない方が良いと言うけれ ども、それは|甚《はなは》だしい思い違いである。なぜならかれらが憎んでいるものは体ではなく て、それの悪習と重苦しさとであるのだ。従ってかれらの|希《ねが》うところは、全く体なしで ありたいというのでなく、|害《そこな》われざる|軽捷《けいしよう》なる体が欲しいというのである。しかるにそ のような体はもはや体ではない。それは精神だとかれらは考える。かくてかれらは自制 と刻苦とによって己が体を責めさいなむかに見えるが、しかしその修錬の道をあやまら ざる限り、かれらの眼ざすところは全く体なしになろうというのではなく、体を制御し て|善《よ》きわざの御用に立てようというのである。けだしすべて体を悪用する情欲、即ち卑 しき享楽になずむ心の悪習|並《ならび》に|嗜好《しこう》、かれらはそれを撃滅しようとする。それはおのれ を殺すためではなく、おのれを|健《すこや》かにせんがための配慮である。  ただこの修錬の道をはきちがえたものは、|不倶戴天《ふぐたいてん》の敵の如くにおのが体を攻めたて る。かかる人々は『肉の望むところは|御霊《みたま》にさからひ、御霊の望むところは肉にさから ひて互に|相戻《あひもと》ればなり』(ガラテヤ書五・一七)とあるのを誤り読んでいるのである。この語 は|放肆《ほうし》なる肉の欲を指して言っているので、|斯《か》かる肉に対して霊はさからうのだ。しか もそれは体を殺すためではなく、ただその欲情、すなわちその悪習をとどめ、本来の秩 序に随って体を霊の統御の下に置こうとするものである。けだし復活のあかつき体は全 く霊に服して限りなく平和に又永遠に栄えるのだ。故にわれらは|今生《こんじよう》において既に肉の ならわしを改め、みだりなる欲情を以て霊にさからうことのないように心がけなければ ならぬ。そこに至る迄は肉の|念《おも》いは霊にさからい、霊の念いは肉にさからう。しかし霊 がさからうのは憎しみに出づるのではなく、おのが支配によりて愛する体をより善き者 に従わせんとするのである。肉もまた憎しみから霊にさからうのではなく、父祖伝来の 古くして固き習性の力に押されるのである。されば霊による肉の抑制の目的は、悪習と 和合しつつある曲れる性を|矯《た》めて、良習を基底とする平和を樹立することである。」(上掲 蓍一巻二四)。  アウグスチヌスがここで力説していることは、第一に禁欲の目的は体を殺すことにあ るのでない、|却《かえ》って体を真に活かし又これを善用することであるということである。キ ニコス学派のアンチステネスの如きは、克服自制して肉欲を抑えることそれ自体に大な る価値を認め、禁欲の度の高きことそのことが直に徳の高きことであると考えた。また 各種の宗教的難行苦行においても、大抵その難行苦行のうちにこもる強度の禁欲それ自 体を讃美する心持が全体の基底となっている。しかるにアウグスチヌスは禁欲それ自体 が禁欲の目的ないし意義ではないということを力説して|已《や》まない。アウグスチヌスは決 して肉体嫌忌主義老ではない。むしろ真に肉体の尊貴を認め、肉体をしてその本来の使 命を充分につくさせようとする。  この点アウグスチヌスの禁欲論はまたストアの克己主義とも根本的に性格を異にする。 ストアにおける克已自制の目的とするところは、肉情と戦い勝つことよりはむしろ、|頓《とん》 と肉情などに煩わされない心境に至ることである。肉情と取組んでこれを組み伏せるの ではなくて、初めから肉情を相手にすまいと構えるのである。だからストアの立場から すれば、特に求めて難行苦行の業績を積むというようなことは意味がない。難に処して あわてず、易に在りてみだれず、超然肉欲体情の外にある境地がストアのアパテイアで ある。だからストアはむしろ肉体を脱落して|終《しま》いたく想う。そこでセネカが|為《し》たように、 極めて静に又最も苦痛のすくない方法を選んで、われとわが体を殺すことを良しとする。 その目的とするところは苦行ではなくて離脱である。しかるにアウグスチヌスは飽くま でも肉体を愛護し、その悪習を|菱除《せんじよ》して、代うるに良習を以てしようとする。ストアの 肉体超越主義に対してこれは肉体愛育主義ともいうべき態度である。  アウグスチヌスのこの肉体尊重はかれの復活体論において一層あきらかである。かれ はコリント前書第十五章に記されたるパウロの復活論を祖述しつつ、人間の死後の生活 はギリシア哲学にいわゆる霊魂不滅というような荘漠たるものでなく、個体的な体を|具《そな》 えての|甦《よみがえ》りであることを強調する。地上に地的肉体のあるように、天上には天的な霊体 がある。われらは復活の後その霊体を|被《き》て永遠に生きるのである。体を具えざる存在は 不完全なる存在である。復活せる霊は復活せる霊にふさわしき精妙なる体を与えられる のである。これが聖書の教うる体の甦りである。|斯《か》くアウグスチヌスは説いた。即ち極 めて具体的な個性者としての人間各個の永遠生存論である。即ちアウグスチヌスは体の 永遠的意義を認めたのである。無体の魂魂というような考え方は抽象的なただの観念で あって、活けるいのちの実体はもっと具体的なもの、おのれにふさわしき体を具えて、 多彩な内容充実せるものなることを力説したのである。これは心と体との関係につき又 生命の本質につきての、最も|深邃《しんすい》にして示唆に富む考え方ではあるまいか。パウロ的な 復活論を信ずると否とに|拘《かかわ》らず、からだというものについてのアウグスチヌスのこの見 解は、最も敬聴すべき洞察を含むもの、深く思惟しつつしかも思惟の|虜《とりこ》となることなし に、直ちに|衝《つ》いて物の真に到るものであると言わねぱなるまい。  しかく深遠に肉体の意義を尊重するアウグスチヌスであるから、禁欲の目的は第二に 肉体のこの意義を全うせしめることでなけれぱならぬ。それには精神と肉体との関係を 本来の正しき秩序にかえさねばならぬ。人類の始祖以来の原罪が霊肉の順位を逆転して、 人間は久しくかつ深く霊肉間のこの不秩序の故に苦しんでいる。この秩序を正して本来 の順位にかえさんがための禁欲的修錬である。だからこの秩序を正しくし得れば良いの で、不必要に肉体を責めさいなむことは全く無意味である。肉自体が悪いのではない、 秩序のみだれが悪いのだ。  アウグスチヌスのこの論旨は、アリストテレスの倫理学 における所論と大体その骨子をひとしくする。しかしアリストテレスとアウグスチヌス とは永遠の相における体の意義についてその所見を全く異にする。  アリストテレスによれば理性による純粋思惟は最も高くして又最も幸なる境地である。 何故なれば正義の実践とか勇武の発揮とかいうことも善きこと嬉しきことには相違ない が、それらはいずれも自分以外に相手を必要とすることである。しかし賢者は理性によ る思惟において独りみずからを楽しむことができる。加うるに思惟のよろこぴは官能や 情意のよろこぴに比べて、ひときわ恒常的にしてかつ純粋である。随って飽かず|倦《さつ》まず、 思惟深まれぱよろこぴまた深まりて尽くるところを知らずである。故に人間として至高 至福の境地は純粋思惟の境地である。神は即ち純粋思惟自体であって自在自足、みずか ら思惟してみずからを観じつつ他の何物にも依存するところなき独立自尊老である。人 間はその思惟を通してこの至高者に近づき|傚《なら》うのである。だからアリストテレスによれ ば一切の体的なものから超脱した純粋知性の観照世界が霊のふるさとであって、そこは 完全な|叡智的《えいちてき》一元自足の世界である。もはや体を必要としない世界である。天人は無体 の叡智者でなければならぬのである。  随ってアリストテレスにおいては人生における究局の目標が、積極的に体を活かし用 いることにあるよりは、要するに体から解脱することにある。この動向はすべての主知 主義的世界観に共通なものであって、その故に又独りアリストテレスのみならず全ギリ シア哲学または全ギリシア思潮に共通のものであると言ってよい。なべて叡智による真 理直観を以て至高の妙境とするものが主知主義の立場であるから、自然それはすべて知 的観念のうちに|融《と》け|了《おわ》らぬもの、平たく言えぱ思惟の力で片づけきれぬもの、純粋知性 化に応ぜざるものを排除しつくして、|些《すこ》しの|滞《とどこお》りもなしに観念のうちに同化融合するよ うな世界を求め、それが至高至妙かつ至福の世界であるとかんがえる。仏教の哲学がそ うであるし、ストアがそうであるし、禅における逆説的主知主義の世界観がそうである。  しかるにアウグスチヌスは言う、復活の後われらは霊にふさわしいような天的なから だを与えられ、かくて永遠に神と共に生きかつ働くのだと。体を脱落した境地が至高の 境地であるのではない。体を完成されて霊と体とのこりなく相和合せる妙境が、われら を待ちつつある天の永生境であるというのである。そこには体を荷厄介に思うような、 なろうことならこの桎梏を|免《まぬが》れたいというような、肉体嫌忌の底意が些しもない。飽く まで肉体と霊体とを肯定尊重し、永遠的根拠においてからだの意義を積極的に基礎づけ ようとしている。そうしてしかく永遠的に意義づけられたる体の本質に立脚して、肉体 の使命を反省し、その使命達成のための克己自制を説く。それがアウグスチヌスの禁欲 論の根抵である。またそれが本来の基督教的禁欲論である。その意味で基督教は決して |厭離穢土《おんりえど》的禁欲主義でないのである。反対に深く現世とそのからだとを肯定し、積極的 に現世を生きぬけることによってその使命を充実しよう、よって以て天的生活の充実に 備えようとするものである。その問の強靱にして深刻なる生の肯定がギリシア思想と基 督教と、またアリストテレスとアウグスチヌスとを|截然《せつぜん》区別する要点である。なベて生 活に対するこのように深刻強靱なる積極的肯定は、宗教的信仰の基礎なくして固め得ら るるものでない。単なる哲学的世界観は常に必ず究極においては消極的諦観的でしか ない。 四 体の善用  人間の不幸の源が人問に内在する二元の相剋にあることは否定できない。しかしこの 二元相剋の不幸を克服する道は、ストアにおけるように体を超脱したり又は体を殺して |終《しま》ったりすることではあり得ない。それは体だけそれだけ人生を貧しくしあるいは零に して終うことであるからである。人生を貧しくすることは直ちに又人間を不幸にするこ とである。人間を不幸から救い出すものは、人生をして一層ゆたかならしめ、その内容 を充実せしむるものでなければならぬ。体の有ることが人間を不幸にし、体の無いこと が人問を幸福にするのではない。体をしてその本来の使命を全うせしめていない、人間 における霊肉二元の順位が正しき秩序のうちに守られていない、その不秩序が人間の不 幸の真因であるのだ。だからこの不秩序を正せばよいのだ。霊をして肉に主たらしめ、 肉をして霊に柔順ならしめればよいのだ。先ず霊をして霊の事に専念せしめよ、先ず神 の国と神の正義とを求めしめよ、しかる時肉はおのずから霊に随うであろう。衣食等々 肉のため必要なる資料はおのずから|来《きた》り備わるであろう。  |斯《か》く言うとき肉は眼の色変えて|反駁《はんばく》していう、何という|迂愚《うぐ》なたわごとを言うか、先 ず衣食の資を備えずして何の人生があるかと。近代においてはマルクスの唯物史観が最 も組織的にこの反駁を反覆した。しかしそもそもそれが霊肉ところをかえたる不秩序そ れ自体なのである。先ず衣食、しかる後人生とかれらは言う。しかしそうではないのだ。 先ず人生、かるが故に衣食なのだ。人間は生きるべき使命を持つて生れて来たのだ。わ れらは生きねばならぬ。生くる職責あり、生くる意義あるわれらである。そのわれらの 用を充たすものなるが故に、衣に意義あり、食に意義あり、われらなくして衣に何の意 義、食に何の価値かある。われらの生ける使命こそその意義その価値の源ではないか。 故にただまっしぐらに汝の一生の使命を全うすべく挺身せよ。しかる時必要なる衣食そ の他の資料は必ずその必要量だけ、時にあるいは必要量より以上に充分に、天から降っ て来るのだ。これが神ありということ、霊が主にして肉は従たりということの意味であ る。その実践的実証である。疑う者は決然|起《た》って実践してみるがよい。これほどの大事 を確実に|掴《つか》むためならば、五十年の一生を全部この実験のために賭けても悔いはないで はないか。カントが神の実在の道徳的証明と言ったものも、その実質をなしている心持 はこうした内容の確信に他ならぬのである。  |斯《か》くして人間の不幸の源は体が有ることでもない、又その体のためのもろもろの生活 資料ないし条件の不備なことでもない。不幸の源は一に霊肉間の不秩序にあるのだ。だ からこの不秩序を正しさえすればよいのだ。そうすれば幸福はおのずから到るのだ。生 活条件の不備など問題でなくなるのだ。富めるもよし、貧しきもよし、|健《すこやか》なるもよし、 病めるもまたよしである。ただ問題は霊肉問の不秩序を正して、その正秩序を堅持する 力を何処から得るかである。われら自身の衷にその実力が内在するであろうか。パゥロ は己にその力が絶無であることを知って、あのように苦悶したのであった。親驚もまた 同じような経験を痛切に経験したのだった。|然《しか》り、この力がわれらの衷に充実さえして いるならば、もともとかほどまでに深刻な二元相剋の苦悶は無くてすんだはずである。 それがすまないのは本来われらの衷にこの力がないからである。この力をわれらに与え て、われらをして実践的にこの相剋に克たしむる者は何か。二元を|一如《いちによ》と観ずるという ような、そういう観念的な解決は何の力にもならない。もっと実力的に、真に実践的に われらをして霊肉の不秩序を正し得しむる者は何か。  |勿論《もちろん》われらより他なる者、われらを絶して徹底的に他なる者よりほか、本質的にわれ らに欠けたるこの力をわれらに施与し得る者はあり得ぬ|理《ことわり》である。即ち既に述べたよう な絶対的超越神である。この超越神による|恩寵《おんちよう》の|賜与《しよ》とそれに基く新生である。パウロ の言う「新しき創造」である。この新生においてわれらは始めて霊の主位を回復する。 そうして自由に肉を駆使しつつ、人間天与の力を十のものは十だけ発揮することができ るようになる。そこに人間生活の真の充実があり、随って又限りなきよろこびがあるの である。|斯《か》くて学芸は真に與り、文化は真に力強き成長を遂げるのである。  西洋近世における学芸と一般文化とのめざましき躍進の底には、宗教改革以来の信仰 による新生とそこから生まれる道徳的実行力、ルッターが「基督者の自由」と呼んで力 説した|卓犖不覊《たくらくふき》な実践的勇気がある。それは新生によって得られたる自在の霊力である。 肉を殺さず、逃避せず、体を活かしかつ善用して恐れずためらわざる「基督者の自由」 である。|新《あらた》に生まれたる老の神に|恃《たの》みて|怖《おそ》れざる自由の霊である。この自由の霊が始め て人をすべての怖れと心配とから解放する。そうしてこの解放が始めて人をしてその力 量を残すところなく伸ぱさしめる。即ち人のいのちの存分の伸長である。随ってまたア リストテレスも言ったように、よろこぴあふるる幸福の境地である。古語に言う、疑心 暗鬼を生ずと。人生におけるもろもろの怖れと心配とは、実害を十倍百倍に誇張して見 せる拡大鏡である。人問はいつもこの拡大鏡をのぞいてはおぴえたり、又おぴやかした りしている。その最も内面的なる現れのひとつが、さきに述べた|小廉曲謹《しようれんきよつきん》である。新生 はこの道徳的恐怖症から解放してくれる。まして|況《いわ》んや衣食その他の生活条件について の心配をや。イエス|曰《いわ》く「|明日《あす》のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。 一日の苦労は一日にて足れり」と。これが霊主にして肉これに従うということわりの意 味である。そうしてこれが全宇宙を支配しつつある秩序の根本なのである。 第六章 幸福の鍵 一 パスカルの賭  パスカルはかれの『随想録』の中に、神の実在非実在の問題が理知では決められぬ問 題であること、つまるところそれは我々が我々の一生を賭けて決めねばならぬ問題であ ること、を論じた手記をのこしているが、その論旨をわかり易く要約し又|布衍《ふえん》して述べ るとこういうことになる。  有限は無限の前に出れば無に等しい。無限に対しては有限を加えても減じても増減は ない。神と我らとの関係も|斯《カ》くの如し。神は無限にして我らは有限。有限なるわれらの 理性を以てしては、無限なる神を把握したく思っても把握の手懸りがない。神は理性を 以て知らるべくもない。ただわれらは無限そのものの実質を知り得ないながらに、なお 無限を考えることができるように、われらは神を知らないながらに、なお神を考えるこ とはできる。かく考えること自体は理性に|背《そむ》くことではない。しかし数学的無限はなお |大《おおき》さという手懸りがあった。しかし神については|一切《いつさい》手懸りがない。ただ信仰によりわ れらは神の実在を知り、栄光の示しを受けるのだ。だが理性は神について何をも知らず、 知り得ないのであるから、信仰に理性的理由の基礎なきは当然である。|斯《か》かるものを信 仰に対して要求する者は、要求する者の方が不合理である。  そこで神の実在非実在の問題は理性的には賭けでしかあり得ない。しかもこの賭けは 回避することのできない賭けである。われらの生活は既にこの賭けを賭けて乗り出して いるのである。この賭けにおいて賭けらるべきものは我らの理性と幸福、失う恐れのあ るものは真理と善と。ただし理性はどうせ問題解決の力を持たぬのであるから、この賭 けを賭けることは決して理性の不名誉にはならぬ。だからこの賭けによって我らが|得《え》又 は失う実益又は実害|如何《いかん》、その利害得失をかんがえるが良い。  もし神有りと賭けたらどうなるか。神有りと賭けて生活する時、われらの生活は愛と 誠実と義とに富むものであり、己に対し又隣人と社会一般とに対して福祉豊かなもので あることができるであろう。しかして後神また実在すと確定したら、われらの福祉は無 限大であろう。反対に神なしと賭けて生活するとする。その場合その生活が愛と誠実と に富む生活であることは|難《かた》いであろう。むしろ各人互に神なしと賭けて生活したらぱ、 この世はさながら餓鬼道地獄に類した修羅場であるだろう。その上にもしこの賭けの誤 りなることが証明せられて、神有りて義を以て審判したまうと確定したら、その反対を 賭けた人々の悔いと悲しみとは限りないことであろう。又よし神なしと賭けたる賭けが 当ったところで、得るところは何もない。しかるに神有りと賭けたる場合は、当れば祝 福無限、はずれても失うところは少しもない。してみればこの賭け方二種のうちいずれ の賭け方を取り、いずれを捨つべきか、言わずして明らかなことではないか。  されば|起《た》ちて神ありと賭けよ、しかる時「諸君は現在の生活において得るところがあ ろう。かつこの道を進むにつれて歩一歩勝利の確実さと損失の危険の皆無さが分って|来《き》、 終に諸君は諸君の賭けの対象が確実、無限であって諸君は一物をも|出椙《しゆつえ》…せずしてすん《ん》|だ のだと知るに至るであろう。」(匹巴0。の勺窃8尸勹の舅血$諧"巾三目9三蹟ー器●。)。  パスカルがここでいう賭け、即ち理知を超えての断行実践とそれに必ずや伴なうとこ ろの冒険感、この冒険感は人生におけるすべての|真蟄《しんし》なる実践につきまとうものであっ て、人間が人間である限り、その限られたる理知を以てしてはこの冒険感をなくして|終《しま》 うことはできない。前章に述べたところの新生による二元相剋克服者といえども、この 冒険感なしに直ちに不秩序を克服し得るものではない。そればかりではない、人間が人 間としてこの地上に生を|享《さつ》くる限り、この冒険感が全く消えてなくなるということはあ り得ない。それは|殆《ほとん》ど無きに等しいような微量の|残津《ざんし》にはなり得るであろう。しかしつ ゆその痕跡を留めぬ程にはなり得ない。ただこの残津を圧倒して余りあるような積極的 な確実感が日に月に増し加わるのだ。かくてパウロは勝ち誇っていう「神もし我らの味 方ならば誰か我らに敵せんや」と。それは勝利は既にわがものと決まっているよろこび ではある。しかし戦いがすんで終ったのではない。われらこの地上にありてこのうつし 身を持つ限り、パウロのいわゆる霊肉の戦いが|終熄《しゆうそく》し果てるということはあり得ない。 故にパウロも一度ならず歎じて、願うところは寧ろこの肉の身を離れて神と|偕《とも》に|在《あ》るこ とであると洩らしている。人間のうちに根深く潜む二元の相剋がやはり続いている証拠 である。天国における彼岸の消息はいかようにもあれ、現世地上にして既に我らが享け 得る祝福は、その至幸至福なるものといえどもなおいくさ最中の陣中消息である。一切 が済んで安定して完結したよろこびではない。そういう静止的な享楽ではない。すべて はまだ動いている。戦いは依然として|烈《はげ》しくすさまじく、武器を手から離してはならぬ のである。しかしもう不安はない。勝利は確実である。何物かわれらを神の愛より離れ しめ得るものぞ。救世主キリスト既に世に勝ちたまえり。そう信じてパゥロは高らかに 凱歌を奏しているのである。この信仰が未完了を完了に変え、ゆるぐものをゆるがなく するのである。パウロは註していう「見ゆる所によらず、信仰によりて歩めばなり」と。  しかし要するにわれらは限りある人の身である。この|色身《しきしん》を持ち、この無知無識をも って、変転極まりなきこの地上の風雨を凌がなければならぬのである。たまたま|恩寵《おんちよう》の 慈光に浴して、信仰により未完了の勝利を完勝に変えて凱歌を奏することができたにし ろ、うつし身の今日明日の戦いを戦わずにすまし得るのではない。その戦いのさなか暗 雲急に四周を閉ざして、信仰の眼がくらめき曇ることあり得ずとは保証できない。人知 に限りあるごとく、信仰にも限りがある。刻々に神|来《きた》ってわれらに信力を|藉《か》したまわず して、われらに何の力ある信仰あらんや。この意味において新生は新しき創造であるの みならず、つくりつくりて刻々新しき創造の連続でなければならぬ。  こうした不安定、やはり一刻も手を放しては置けぬという未完結態、この不安と動揺 とは人間生活のあらゆる面に低迷して去らない。|随《したが》ってまた人間の幸福も、人間が人間 であってこの地上にいぶきする限り、この意味の不安と動揺とを伴なうことを|免《まぬが》れ得な い。人間が享け得る幸福は限られた幸福でしかない。|完《まつた》くしてゆるぎなき幸福はこの地 上にはない。       二 「至福共働」(幸福の至上境地)  そもそも|完《まつた》き幸福とは如何なるものであろうか。ダンテの『神曲』天国篇第二十八歌 に次のような一節がある。それは第九天の至高至純至聖なる栄光と祝福とをたたえなが ら、そこに集まり輝く天使達の曇りなき幸福を讃美したものである。    真理を観ること深きに従ひ    その祝福もまた従つて深い    真理は知性に安息を与ふ    知るべし祝福の源は    観ることにありて愛になきを    愛はそのうしろに続く (一〇六ー一一一行)  ここにダンテが観ることと言っているものは、言うまでもなくアリストテレスいうと ころの知的観照である。真理自体であるところの神を直視直観することが祝福の本体で あって、その神に対する熱誠と愛とはおのずからにしてこれに伴ない生れるというので ある。観照が第一位の大事で、愛は第二位の事だというのである。  ダンテの『神曲』はその神学的骨格においては当時の正統派神学に忠実であり、その 正当派神学を代表し綜合するものがトマス・アキナスの大体系である。そうしてトマス の神学の骨組をなしているものはアリストテレ文の哲学であり、アリストテレスの哲学 はギリシア的主知主義の哲学であった。アリストテレスは純粋知的真理観照を以て人間 として最も神に近き境地、故にまた最も幸福なる境地なりとなした。そうしてこの観照 のために必要なる余裕と時問とを愛惜して、日常生活におけるもろもろの|煩累《はんるい》から解き 放たれた|閑暇《スコレ》を珍重したことは前にも言った。トマス●アキナスはこのようなアリスト テレスの幸福論に註して|曰《いわ》く「国家生活の目的とするところは純粋思惟の幸福である。 けだし国家的秩序を通して樹立せられ維持せらるる所の治安によって初めて、人々は真 理観想のちからを与えらるるのである」と。即ち個人的にも国家的にも人生の目的は真 理観想の至境に到達するにあり、それがまた至幸至福の境地であるというのである。  力トリク教会神学は今日においてもトマス・アキナスの神学体系を以て最高の典拠と なすものであるが、その教義の|訓《おし》えるところによれば、人問の至高の境地は、面と面と あわせて神を見奉ること(コリント前書一三儼二)、即ちいわゆるく邑○ぴ8什壼8至福直観、 |並《ならぴ》に神の善美完全を愛し楽しむこと、このふたつにあるという。このふたつは必ず相伴 なうのであって、至福直観とまた必ずこの直観に附随するところの神への熱愛並に歓喜 |溢《あふ》るる味楽と、これが天国において我らを待ちつつある祝福の実質であるという。また この至福直観の内容に関して註して曰く、第一にこの直観は如何なる種類にもせよ肉眼 に類する感覚的視力によるものではない。第二にこの直観がいかに至高至純の消息であ るにもせよ、それは決して神を完全に把握理解するものではあり得ない。神はただ神か れ自身によりてのみ完全に把握せられ得る。第三にこの直観は簡明直截直接端的なる直 視直観であって、間接にして模糊たる推理のたぐいでない。第四にこの直観は全く超自 然的のものであって、自然のままなる理性を以てしては如何にしても到り得ないもので ある。故にただ神の恩寵による賜物として、それの恩賜に|与《あずか》りし者のみこの直観に与る ことができる。ただしこうした至福の境地は天国の消息であって、地上に現在する我々 が今直ちにそこに到り|得《さつ》というのではない。しかしそれはすべての造られたる者の存在 意義の頂点であり、人生の究極の目的である。こう言っている(鼻髻」・0098げ彗} 葭彗0ぴ口9血霞片耳ぎ牙0げ8じ○ひ9ヨ簿一戸【諷巾口.餝自0)。  右のような至福直観はダンテのいわゆる「知性に安息を与ふ」るものである。これに よって神の実在についての知的不安動揺が一掃され、随って人生と全実在との意義目的 についての曇りがすっかり|拭《ぬぐ》い去られる。|斯《か》くしてわれらの幸福が|些《すこ》しも陰のないゆる ぎないものになる。即ち幸福の至上境地は曇りなき明智の境地である。その秘訣は見る ことであって働くことではない。ダンテの語を借りて言えば、真理観照が先であって愛 の実践はこれに従うのである。この考え方は上述の如くアリストテレスにおけるギリシ ア的な主知主義的幸福観の流れをひくものであって、知性の働を以て最高の働となすも のである。けだし問題発生の最初の機縁がわれらの知性とその知的疑問とにあるのであ るから、問題の解決もまたわれらの疑問の知的|終熄《しゆうそく》または知性の安息にありとせらるる のは自然なことである。この意味において、幸福の至上境は見る境地であるとなす主知 主義的な考え方は、極めて自然な一般妥当的な考え方であると言わねばならぬ。  だから洋の東西、時の古今を問わず、この考え方は一応は|殆《ほとん》どすベての宗教と哲学と に共通な考え方であると言ってよい。殊にいわゆる神秘主義の哲学は主知主義の徹底し たるもの、又はその逆説的に強化せられたるものであることを常とする。東洋古今の哲 学宗教に顕著なる特色は主知主義の徹底であると言うことができよう。ただ著しくちが うことは、|基督教《キリストきよう》神学の主流が超越神観を堅持して動かず、至福直観を以てしても神 は理解を超ゆるものであり、自然的人間的理性を以てして神の全貌をつかむことはでき ないと|切言《せつげん》していることである。これに反して仏教やその他の東洋哲学における主知主 義はもっと|汎神論的《はんしんろんてき》であり、随って又しばしばもっと自信に充ちているようである。こ の汎神論的主知主義が東洋古今の幸福論を顕著に性格づけていると思う。たとえば|冥《めいめい》々 の|裡《うち》に|六合《りくごう》と和して相融けるといったような心境である。東洋人の詩や絵や生活にそう した心境の香りがいかに豊富なことか。  だが果して見ることは愛することにまさりて祝福の源であろうか。この地上のわれら の生活においては、幸福への秘訣はパスカルのいわゆる賭けにあり、そうした没知性的 又は超理性的断行よりほかになかった。既に断である。随ってこの断を通して祝福に与 る者の心的姿勢は、或る能動的意志的な活動体勢であって、静止的観照的な享受体勢で はない。静に坐して栄光の神を観てよろこぶというような味楽の境地でなくて、起って 全身全霊を神の聖前に投げることでなければならぬ。それは髄の髄を揺り動かし、全身 の血を|震蕩《しんとう》させるような、深い大きい実践でなければならぬ。全人格をあげての躍進で なければならぬ。だからパゥロはこれを|新《あらた》なる創造と名づけた。生命が更新するのだ。 その間における祝福は|澄刺《はつらつ》として活気あふるる動的幸福である。しかし天上至福の境に はもっと静的な味楽的幸福のみが支配するのであろうか。  そうではなかろうと私は思う。天上至福の境においてといえども、神は絶大無限の全 能者にして、人は微小有限の被造者である。随って上に掲げた教会の伝統的教義が認め ているように、天上至境の至福直観といえども、神をその絶大なる全容において把握し つくすものではあり得ない。われら面と面とあわせて神を見奉り得ようとも、なおかつ われらが純粋知的に神を|領得《りよさつとく》し尽すということはあり得ない。神は純粋知的にわれらに 了知せらるべく余りに大きく、余りに深い。故にわれらは天国においても、神を知り奉 るよりもより多く神を信じなければならぬであろう。天国においてもわれらの神に対す る関係は信仰を基調とするものであって、知識を基調とするものではないであろう。た だその信仰が地上におけるが如き不安動揺を完全に|蝉脱《せんだつ》して、知識が理性を安息させる より以上に強固に人の霊性を安息させるであろう。そうして冷徹にして客観的なる知的 把握に比べて、もっと熱情的にして主体的な、もっと|親身《しんみ》な神との結ぴが、われらをし て髄の髄まで神とひとつならしめ、神のいのちにつながらしめるであろう。それは至福 直観であるよりはむしろ至福共生であるだろう。総じて見たり眺めたりすることでなく て、もっと動的な、いきなり父のふところに飛ぴ込んで往くというような消息であろう。 飽くまでも生動的な、生きのいのち溢るる境地であろう。それが天上至福の境地である と私は信ずる。イエスが神を父と呼んだ意味はこれであると信ずる。  ダンテは知が先であって、愛がこれに従うとうたった。中世の教会神学もそう教えた。 しかしそれはギリシア的な主知主義の哲学の感化であって、イエスの神観それ自体から 生まれたものではないと思う。イエスが神を呼んでわが父、なんじらの父と言ったのは、 神対人間の根本関係が愛であって知でないことを強調したものである。パリサイと学者 とは|専《もつぱ》ら知によって神を把握しようとした。しかしイエスはパリサイと学者の知的第三 者的態度を痛撃して、もっと端的に、全人的に、幼児の如く直截に神に迫り、そのめぐ みを受けよと力説した。即ち愛先にして知これに随うのでなければならぬ。このことは 天上も地上も変りはないはずである。いのちがいのちと相触れ相捉えるのに、愛ならで 何に|依《よ》ることを得ようか。この愛によってわれらのいのちが直接神のいのちに通い、神 といのちのいぶきを相共にし得ることよりほかに、なんの真のよろこぴがあり得ようか。 これ以上にいのち充ち力あふるるよろこぴがあり得ようか。  近世のプロテスタント教会においては、ルッターもカルヴィンもその信仰態度におい て極めて主意的能動的であり、一切を神への一途なる信頼に委ねて、多くを問おうとし なかった。故に天上至福の境地についても余計な|穿鑿《せんさく》を禁じ、そういう穿鑿は不信仰だ と言った。随ってかれらの生活態度は|深遽《しんすい》に能動的であり、生活のあらゆる面にわたっ て極めて積極的であった。例えば英国の清教徒の如き、その積極的にして強靱なる生活 態度が時代の杜会国家に及ぽしたる影響は|淘《まこと》に|瞠目《どうもく》すべきものがあり、その感化は後世 にも及んで久しくかつ深きものがある。自然近代のプロテスタント教会、わけてもカル ヴィン派の諸教会は、天上至福の境を想望する際にも極めて動的献身的であった。キャ サリン・ウィリアム・ブース夫人が、自分は天国に往っても働くつもりである、ひねも す琴を弾じ讃美歌をうたうてのみ暮そうとは思わないと言ったのは、プロテスタント的 な能動的至福観を代言するものである。これに反して中世の基督教会における天上至福 観はもっと主知的であると共に、又極めて静的味楽的である。それはギリシア人のいわ ゆる閑暇の一層高められ浄められたるものなるが如き風韻を持つ。そうしてそこには純 の純なる宗教的理由がある。しかしそういう閑暇の味楽を理想とするような生活態度は、 真に積極的な生活態度であるということができない。そうして真に積極的な、深邃に能 動的な生活態度を通してでなければ、真にいのち溢るるよろこびに|与《あずか》ることはできない。 それができなければ真の幸福に与ることはできない。幸福の|真諦《しんたい》は見ることでなくて、 働くことである。享楽することでなくて、創造することである。幸福の至上境は至福直 観ではなく、身親しく神と共なる至福共生共働であるに相違ない。天国は終了と静止と の国でなくて、さかんなる建設と澄剌たる生動の国でなければならぬ。 三 幸福なる生涯  かくて幸福とは、地上においても天上においても、|旺《さかん》なるいのちに充ち溢れることだ。 そのためにはわれら人間の限りある貧しきいのちが、もっと|豊《ゆたか》な永遠的ないのちにつな がれなければならぬ。そのためにはただ見たり悟ったりするだけでなく、もっと突込ん で、いのちを以ていのちに迫るのでなければ駄目だ。天上においても地上においても、 この挺身的な没入、そのひたむきな|帰依《さえ》が幸福の奥義である。だから地上では、すべて の悪と|偽《いつわ》りとを敵に廻しての不断の健闘。天上では勝ち誇る愛と真実との活灌澄地たる 建設経営。これが幸福の奥義であり、また人生の真意義である。古今基督教会は前者を 指して■8一$氤ヨ姜$畠戦闘の教会、後者を指して■8一$氤三一』ヨ嘗口葛勝利の教会と 呼ぴならわして来た。|淘《まこと》に簡潔|雄勁《ゆうけい》な呼ぴ方である。  故にすべて真実なる人生を生き、随ってまた真実なるよろこびに与りたくおもう者は、 何よりも先ず極めて積極的に、真実こめてこの人生を生きぬけるべく覚悟しなければな らぬ。そうしてそのためには、われらこの色身をもてこの地上にある限り、あらゆる虚 偽不真実と戦いぬく覚悟をしなければならぬ。そのためにはただ不感不動のストア的心 境を用意したり、|融通無碍《ゆうずうむげ》の汎神論的悟入を遂げたりしていたのでは駄目だ。もっと積 極的に執着没頭して色身のこの一生を活かさなければ駄目だ。そのためには肉体の健康 のためにも、精神の教養のためにも、家庭のことも、杜会のことも、その他各種の生活 条件についても、誠実細心なる用意を配る必要がある。真理のため祖国のため、はた又 神の国と神の義のため挺身すると言っても、|無暗《むやみ》やたらにただ投げ出しさえすれば良い のではない。己を捧げるからには、最上の己を捧げなければならぬ。心身共に自分とし て力一杯磨きあげたものを奉らなければならぬ。そうでなければ真実の挺身とは言えな い。真実をこめて已を捧げるものは、先ず真実をこめて己を惜しみいたわる。だから幸 福の秘訣は、一方では果敢なる献身棄私、他の一方ではしかし誠実なる自愛自養、この ふたつの面を|併《あわ》せ実践しなければならぬ。この後の面に即して問題を考えると、具体的 な用意の眼目として、ほぽ三つの軸を考えることができる。一は自分、二は家庭、三は 社会。この三つである。  たてまつるに恥ずかしからぬだけの自分を用意するためには、天与の心力体力を極力 養い育てねばならぬ。そのためには心して心身の営養を充実せしめ、身も心も力豊なも のに仕あげなければならぬ。この意味における心の営養がいうところの教養である。し かしここで教養の問題を詳論することは、論旨が多岐にわたり過ぎる嫌いがあるから、 私は又別の機会に教養及び学問の問題を併せ論じたいと思う。だが捧げて恥ずかしから ぬ自分であり得るためには、硝煙のさ中にあって明日を知らぬ身であろうともなお、身 の営養を怠るべからず、心の教養また決して|懈《おこた》るべからずである。それを懈ることは心 すさむことである。しかしすさむことは如何なる場合にも恥ずべきことである。一口に 言えば心身の健康ということ、この健康は大切である。そうして諺にも「健全なる精神 は健全なる身体に宿る」というが、心の健康とからだの健康とのつながりは深刻である。 からだの健康は大切である。決してこれを疎略にしてはならぬ。この健康を欠くことは、 何と言っても大きな不幸である。健康を大切にしてあらゆる不節制を避け、一切の不健 全から遠去かることは、真実な生き方への第一歩である。肉体的に健全な生活態度の守 れぬ人は、全人的にどこか病的欠陥を持つ人である。だがしかし人生のための健康であ って、健康のための人生ではない。われらに使命のある限り、その使命を果すに必要な だけの健康は必ず与えられるものだ。決して健康をないがしろにしてはならぬけれども、 一切を|放攤《ほうてき》してただ健康にのみ奉仕するような生き方をするのは、またさせるのは、本 末顛倒の|甚《はなはだ》しいものである。  この点で今日の各種療養所のあり方は余程反省を加えなければならぬと思う。殊に慢 性疾患のため長期療養を必要とする年少者達のために、健康のみならず、その知能や霊 性のために特に入念な配慮がなければならぬ。人間としての修錬の上では、年少時代は 最も大切な、他にかけがえのない|書入《かきいれ》時である。たとい病中といえどもまるで修錬なし に遊ぴ放題という法はない。病床といえども朝はなるべく早く一定の時間に必ず眼醒め しめ、一日のうち一定の時間は必ず真面目な緊張した心境のうちにおらせなければいけ ない。そういう時間には病状の許す限り適当の方法で学業にも励ましむるが良い。学び 盛りの青少年者にとっては適度の学習、働き盛りの成人達にとっては適度の勤労、この ふたつはそれぞれの心身の健康のため欠く可らざる営養素である。長期にわたってこの 営養素を欠くというと、心身共に根抵的に健康を失って|終《しま》う。だから学ぴ又働くという ことは治病の際の重要な薬剤兼営養剤として、長期にわたる療病の際には先ず第一に注 意し工夫しなければならぬことである。今日一般の医家はこの点に関して余りに不用意 であると思う。患者側も負けずに不用意である。病気というものはただなおりさえすれ ば良いのではない。人間はただ生きてさえいれば良いのではない。ただいたずらに死を 延期したような生き方では、真の生き方とは言えない。たとえ病気はなおらなくても、 |病褥《ぴようじよく》上の毎日の生活が真のいのちと真のよろこぴとに豊なものであるならば、それで 立派な内容充実した一生である。そうした一生の実例が現にいくつかあるのである。|朝《あした》 に道を聞かば|夕《ゆうべ》に死すとも可なりというのはこの事である。  第二は家庭である。人間は男女性を別にして造られている。そうしてこの男女相依り て児孫を生み以て後代と相つらなるようにできている。即ち家庭は健康と同じように人 間生活の天与の基柢であると言わねばならぬ。随って良き家庭は良き健康と同じだけ大 切である。人間は原則として男女相婚して清純な家庭を造りあぐべきである。若き日に 良き配偶者を得るということは、地上人生のよろこぴのうちの最も貴きよろこぴのひと つであると思う。だが良き結婚をするためには、男女互に貞潔な過去を誇り得るという ことが極めて大切である。この意味においても童貞ということは貴いことだ。そうして 貞潔な童貞男女による清純な結婚は、人間の一生に一度しかできないことだ。決して二 度はできないことだ。だから夫婦は互に健康を大切にして、一生一度のこの珠玉をいた わり護るべしだ。かつ結婚は心の問題でもあるけれども、しかし深刻に肉体に制約せら るる問題である。健康に重大なる欠陥ある者が良き結婚を|全《まと》うすることは、必ずしも不 可能と言い得ないにしても、至難であると言わなければなるまい。また良き結婚をする ためには、そのための誠実真攀なる努力が必要である。無誠意無責任なる人まかせの投 げやりで良き結婚にありつこうと考えるのは、許すぺからざる不まじめである。そうし て怠惰と不まじめとはあらゆる良きものの不倶戴天の敵である。  だが健康の故障やその他の原因で結婚できない人がある。殊に今日のような戦時にお いては、多数の豊なる天分を持つ婦人が、その天分を充分に活かし伸ばすべき場処を得 ずして、孤独なる生涯を幸うすく過さなければならぬことである。これは悲しむべきこ とである。けだし人は男女ともその天分のうちの最もゆかしきものを、家庭において始 めて充分に伸ぴしめ得るもののようである。わけても婦人はそうである。家庭は婦人の ための天与の職場である。しかるに若くして心身の備え豊なる婦人の|尠《すくな》からざる数が、 この天与の職場につくことができないということは、|淘《まこと》に悲しむべき杜会問題である。  しかし結婚だけが人生のすべての意義づけの源であるのではない。或る人々にとって は、一生|娶《めと》らず|嫁《とつ》がず、一切の家庭的|繋累《けいるい》から解き放たれて、一意専心或るひとつの仕 事のために献身するということが、その人の天職である場合があろう。あるいはまた時 世非なるがために、一生良縁を得ずして、孤独のうちに忍苦し続けて人生の|隘路《あいろ》を健歩 することが、その時その人に託せられたる時代の使命であることもあろう。健康とか家 庭とかいう生活条件を蔑視することは間違であるけれども、これらの生活条件を人生の 目的視するのも大きな間違である。人生の意義目的は健康以上結婚以上である。  人間は男と女とにつくられてあるように、また男女を問わず人は人と互に相生活する ように定められている。獅子の|仔《こ》は獅子の仔と相戯むれることによって|猛《たけだけ》々しさを学ぴ とるように、人は人と相生き相学ぶことによって人に成るのである。それが人間の社会 生活の意味である。だからわれらの一生とその幸福とは、われらが住む杜会をそのあり 場処としてのそれである。この社会はいろいろの拡がり、いろいろの強さを以てわれら の生活を制約する。がわけても強く深く大きくわれらの生活を制約するものは祖国であ る。人間の現実なる杜会生活は国家たる社会生活を基抵とせずしては存立し得ない。蛮 地未開の原始民族さえ、何らか国家的な社会生活の結ぴなくしては生活できない。われ らの杜会生活はその世界的超国境的なものさえ、特定現実の国家を礎石または踏台とす ることなしには、現実には成立し得ない。祖国をよそにしてわれらの現実なる生き場処 はない。  だが真理に国境はない。飛行機はどこの飛行機でも同じ物理学的原理の制約の下に飛 ぴ又落ちるのである。盗むこと偽ることの悪なるは、千古万邦にわたって変らぬ道理で ある。そういう意味においては、自然科学も精神科学も学問に国境はないはず、または 学問には超国境的な基礎があるはずである。しかしわれらが現実に真理を探求し学問に 精進する場合、祖国同胞の|休戚《きゆうせき》をさしおいて己独り一足飛ぴに世界に貢献しようと考え るのは、足の地につかぬ考え方である。具体的には甲国乙国に各独自の個性を持つ学問 と学的雰囲気とがあり、それらが互に交渉し影響しあうことによって、学問の世界的結 成経営があるのである。決して世界市民的個人の超国家的学労学績によって直ちにいわ ゆる世界的学問がつくり上げられるのではない。|蕾《ただ》に学問に限らない。宗教も芸術も事 情は同じである。イエスは「われはイスラエルの家の失せたる羊のほかに遣されず」と 言って、ひたすら先ず祖国の同胞に神の国の奥義を伝えようとした。ソクラテスは終生 アテネを離れず、一意専心アテネ市民を相手に道を説いた。世界的といわるる大思想家 大芸術家は、決して自ら世界的たらんと期して祖国をよそに働いた人々ではない。その 反対にかれらはすべて祖国の伝統に忠に、最も|深遽《しんすい》に祖国伝来の個性を身に具現し、そ の精華を発揮し大成した人々である。われら日本人と生れて、祖国日本はわれらの血と 血、髓の髄をなしている。われらが学芸に精進するとき、この血この髄がわれらの学芸 を深刻に個性づけないではいない。だから日本は日本特有の個性を持つ学芸ないし一般 文化を生まざらんとすとも得ない。祖国のこの文化に貢献し、その個性的内容を一層豊 に充実すべく協力し得ば、それがわれらとして最も博大深遠に世界文化に貢献し得る道 である。しかし祖国を遊離せる又は祖国なき学問芸術が力強く世界文化に貢献するとい うことは決してあり得ぬであろう。  殊に大切なのは言語である。ことぱは精神生活における最大の武器でありかつ営養で ある。そうして澄剌たる祖国なくして澄剌たることば成らず、澄剌たることばなくして 澄剌たる精神生活は興らない。ルッターが聖書を当時の口語独逸語に訳したことは、 |独逸《ドイツ》人の精神生活をラテン語とその|羅馬《ロマ》的束縛から解放する上に量り難い推進力となっ た。|爾来《じらい》独逸人の精神生活は著しく成長し始め、やがてレッシング、ゲーテ、シラーの 独逸文学古典時代を現出し、またカント、フィヒテ、へーゲルの独逸哲学全盛期を将来 したのであった。かくて独逸語は極めて豊富かつ独特なる内容を盛る大器となると共に、 独逸国の国としての内容も驚くべく充実していったのである。わが国においては、本居 宣長や新井白石のような先覚者たちが、わが国語の研鑽錬磨を通してわれら日本人の精 神生活の生鮮なる伸長のためどれだけ深大なる寄与をしてくれたことか、測り知られぬ ものがあると思う。白石の『折り|焚《た》く柴の記』におけるが如き漢字をこなし切った国語 の用意がなかったら、明治維新以後の|旺《さかん》なる文化的躍進はあり得なかったであろう。旧 態依然たる漢学的|槿梏《しつこく》が日本人の精神生活を|扼《やく》して、|萎驩《いび》振わざらしめたであろう。わ れら日本人と生れて、日本語を以てものを感じ、日本語を以てものを考え、われらの心 は日本語を呼吸することによって生きている。日本語を以て同胞日本人に|愬《うつた》えるより以 上に|剴切《がいせつ》に、誰と何を語り得るわれらであろうか。故に宗教においても学問芸術におい ても、われらは先ず祖国のそれを富まし深からしむべく献身すればよい。しかる時われ らは祖国を通して、時にあるいは自らその使者となって、|横溢《おういつ》する祖国精神文化の富を 他国他民族のためにも|頒《わか》つことを得るに至るであろう。祖国の文化を|提《ひつさ》げてのほか、我 らが異邦異民族のため世界的寄与をなし遂げることはできない。  だからといって我らはただ祖国の伝統を護ってさえおればよいということにはならぬ。 殊に外国語など学ぶ必要はないということにはならぬ。ゲーテはひとつの外国語を学ぴ 取ることはひとつの国土を戦い取るに等しいと言ったが、異国語を通して異質異型の文 化を吸収消化することは、祖国の文化の成長発達のため欠くべからざる営養である。他 を学ぴ、その良きものをまねぶことは、決して自己の独創を傷つけるものでない。書を 学ぶ者は熱心に古名筆を|臨墓《りんぽ》すべく、絵に志す者は名画の模写を怠るべきでない。独創 と我派とはちがう。広く深く学ばずして雄偉なる独創を生み得るものでない。他邦他国 語|大《おおい》に学ぶべし、学ぴて以て他山の石大に我を磨くの資たらしむべし。 四 職業の選択  生活の場処としての杜会、現実には祖国における我ら各自のあり方または分担が、わ れらの職業または使命の問題である。この職業の選択を誤らないようにすることは、自 他の幸福のため極めて大切である。しかし職業の選択ということは、多くの人の考える ほどしかく|難《むずか》しい問題ではないと思う。いわゆる天才の場合においては、その人の職業 は|殆《ほとん》ど宿命的に決まっている。大音楽家や大画家が幼少の頃から物に|懣《つ》かれたようにそ の道のとりことなり、親が叱っても境遇が阻んでも、何老もかれらをさえぎり止めるこ とができなかったというようなのは、天がその人にその使命を授けたのであって、それ こそ真の天才であると思う。そういう天才にとっては職業の選択などということは問題 にならない。しかしその他の常人達にとっては、職業は大体どんなものでもよいのであ る。どんな事でも世の益となり、杜会国家のため有意義なものであればよいのである。 個人的な適不適というようなことは決して絶対的なものではない。特殊の天賦を要する 場合は別であるが、普通の仕事なら誰にでもできるのであって、万事勉強ひとつである と思う。はにかみやだとか社交家だとか、器用だとか不器用だとか、そんなことは第二 義的な|些事《さじ》に過ぎない。それが有益有意義な仕事ならば、それを為し遂げるに必要な技 能態度は誠心誠意勉強すれば得られるのだ。誠心誠意勉強してもできないというような ことはあるものではない。或る程度の相当高度の水準までは、誰でも勉強ひとつで往け るのである。  |勿論《もちろん》体格の劣弱なものが力士になろうとしたり、不具者が飛行機操縦士になろうとし ても駄目だ。だが如才ないから商人に向くだろうとか、むっつりやだから学者がよかろ うとかいうような考え方は、愚にもつかぬ浅薄な考え方である。商売でも学問でも何で も、人間の社会的生活における職分の分担は、そのような浅はかなものではない。もっ と真剣な又強固な覚悟を必要とするのである。|何処《どこ》を自分の職場としたら自分は最も良 く自分を活用奉献し得るのであろうか。現実の杜会は今何々を必要としているのであろ うか。それを真面目に考えて見るが良い。そうして自分がやりたいと思うことをやるが 良い。その際専ら利害得失に|拘泥《こうでい》して|算盤《そろばん》をはじいていると、問題はなかなか決まらな い。職業の選択に際して自已の天賦の適不適をかんがえる時、利害得失に拘わって考え るから適不適が分らなくなるので、利害得失を離れて事の客観的意義と重要性とにのみ 即して考えるならば、自分の負うべき職分はおのずから分明になる。つまり何をやらさ れても良いのであるし、又できるのである。差当り先ず割が悪くて往き手が|勘《すくな》いような 所、しかしそれ自体としては極めて有意義なような所を択ぶのも一方法であろう。殊に 前に置かれた道が同様に有意義な二つの道であって、その一を選ばねばならぬような場 合には、往き手の尠ない方又は比較的に不利な方を敢て取るということが、永い眼で見 ると自他ふたつながらを益するところの極めて賢明な決断であることがしばしばである。 満員の電車に|強《し》いてわりこめば自他共に|困《くる》しむのであるから、一台か二台待つが良い。 待っても待っても乗れなければ歩くべし。職業の分野ではそうした徒歩者の中から、真 に世の益となり地の塩となるような人物が出た。  だが一方では又真実やりたいと思う仕事があるなら、そうしてそれが充分やるに値す る仕事であるなら、やり手の多少を顧慮することなしにやるべしである。その際生計の 事など深く心を労する必要はない。二度とないこの一生である。真にやりたいと思うこ とをやらずして何をやるか。貧乏は真に良き働の刺戟にこそなれ、決してその邪魔には ならぬ。真にやりたいと思うことは、一切を傾注してそれをやり遂ぐべしである。ただ ここで注意しなければならぬことは、趣味や嗜好の上での愛着とそれを一生の仕事とす るということとは同じでないことである。音楽が好きであるということと音楽家になる ということとが別の事であるように、学問文芸が好きであるという事と学者文芸家とし て立つという事とは必ずしも常に同じでない。それは消費と生産とがおのおの別の事で あるほど別の事である。制作と単なる味楽とは同一事ではない。  だが友よ、君が真実やりたいと思うことは何であるか。君がいのちに懸けても欲しい と思うものは何か。富か。それならばただ一途に富を求めよ。富は必ず獲られるであろ う。その代り、富よりほかのもの、殊に富と両立することの|難《かた》いようなものは、すべて いさぎよく思いあきらめねばならぬ。守銭奴と|賤《いや》しめられもしよう、義理知らずと|罵《ののし》ら れもしよう。何と言われてもただ一途に富を追うて|一向《ひたむき》にひた走るべし。義理も人情も 踏み破って富を追うべし。そうすれば必ず富は得られる。それとも名が欲しいか。名と ても同じことである。学問でも技術でも権勢でさえも、ひたむきにこれを求め続けて得 られぬということはない。ただ求むるところが首尾一貫してひとつであり、|首鼠《しゆそ》両端ふ ぐは喰いたし命は惜ししというような不徹底さのないことが、絶対に必要である。この 不徹底さえなければ、われらが一生を懸けてひたに求めたものが得られぬということは ない。この意味においては、人の一生はその人みずからのつくるところであって、決し てただの運命ではない。  しかし|大抵《たいてい》の人が一生を懸けてのその念願において極めて不徹底である。銭は欲しい、 しかし守銭奴の悪名は避けたい。名は欲しい、しかし挺身して危険を冒すことは困る。 学問をしたい、しかし富も名もなべての生の享楽も皆併せ得たい。そういった風である。 かくて追う二兎ないし三兎四兎であるから、結局一兎をも獲ずに終ったり、あるいは又 憐むべき片輪兎ないし|似《え》而|非《せ》兎二三匹を併せ捕えたりする。そうしてそれが自分の運命 であるという。しかしそれは運命ではない。その人みずからがそういう不徹底な一生を 択んだのである。願う所がどっちつかずであったから、獲るところもどっちつかずであ った。即ちその人の願いの通りになったわけである。願うところが判然とひとつに徹す るならば、獲るところもまた必ず願いの通りにそのひとつを保障せらるるのである。  だが富や名は生活の条件ないし随伴物であって、それ自体が人生の意義を充実するも のではない。そんなもののために一生を懸けるのは、学問も蔵書もないものが|無暗《むやみ》に書 棚ばかり買い整えるようなものである。大切なのは書物とそれの学習であって、書棚な どは必要なだけはおのずから備わるものなのである。イエスの語を以てすれば「先づ神 の国と神の義とを求めよ、|然《さ》らばすべてこれらの物は汝らに加へらるべし」である。だ からわれらは真実生きがいのある人生に想いを定めて、一路ただ真実なる一生を眼がけ 励めばよい。しかる時われら真実の人生を握らずに終るということはない。そうしても し人生の真を握り得ば、かくて|終《つい》に真実に生くるを得ば、他の何を失おうと何の悔があ ろうか。貧何かあらん。病なにかあらん。血肉の悲劇また何かあらん。人生の真をひた に求め続けて終に得ずということはあり得ない。既にこれを得ば、他はすべてむなしき もの、求むるに値せざるものである。  若き日は若き日の夢を持つ。真面目であればあるほど美しい夢を持つ。しかしそれは 要するに無知な人間の浅はかな夢想でしかない。人生の実相はもっと|苛辣《からつ》である。孟子 の有名な語がある。|天将《ノニ》レ|降二大任《サントヲ》於|是人《ノニ》一也。|必先苦《ズズメ》二|其《ノ》心|志《ヲ》'|労二其《セシメノ》筋|骨《ヲ》→|餓二其《ヤシノ》体 |膚《ヲ》→空|乏二其《ニシノ》身|行《ヲ》'払ニ|乱其所《スノヲ》ワ|為《ス》。所三|以動《ナリカシ》レ|心忍《ヲビテ》レ|性《ヲ》。曾二|益其所《スルノヲ》ワ|不《ル》レ|能《ハ》。天は若き日 の夢を粉砕することによってその人の身魂を練るのだというのである。この意味におい ては、真攀なる生活者の一生は失意失敗の連続であることが珍しくない。この意味にお いては、人の一生は到底その人みずからのつくる所ではない。多くはその人みずからの 造ろうとした所と逆な一生である。にも|拘《かかわ》らず、真攀なる生活者の真実なる一生は、そ の人みずからの願いしより以上に、一層深刻にその人の願いの通りの一生にまで完成す る。祈らずとても神は護らんでなくて、祈りし以上に神は聴きたまうのである。人の企 画は浅薄幼稚である。その幼稚なる企画が実行されずして、神の博大高邁なる深謀遠慮 が実行されるということは、何という幸福であろうか。私は人生における|蹉跌《さてつ》と失敗と を恐れない。それらの浮沈に拘りなしに、生くるに値する真実の人生は必ず与えられる、 真実もて求むる限り必ず与えられる。願いしにまさりて豊に与えられる。そうしてこの 一事のほかに何の求むるに値するものがあろうか。 五 結  語  良き健康と清純な家庭と一生を投じて悔なき職場と、この三つを併せ持つことは大な る幸福である。しかしそれにもまして大なる幸福は新しきいのちの源に出会うて、新し く造り変えられることである。この新生わが|衷《うち》に成る時、健康も家庭も職場もすべてが 新しく生きかえって来る。瀕死の健康さえ生きかえる。この新しきいのちさえ与えらる るならば、健康を失っても、家庭がなくとも、職場さえ奪い取られても、われらは生気 とよろこぴとに溢れたぎつことができる。しかしこの奪うべからざる幸福への鍵は、わ れら人間みずからの裡にはない。随ってまたわれらの哲学的反省や道徳的修錬だけで、 みずからこの幸福をたたかい取ることはできない。ただ信仰により、超越的創造の主た る神の恩賜として、ただただ恩賜として受領するよりほかない。イエスはこの受領ぶり をたとえて、幼児の如くに受けると言った。無条件無成心のすなおな受領である。こう して宗教的境地を通ることなしに、|不壊《ふえ》の幸福を|掴《つか》むことは不可能であると思う。それ にはどうしたらよいか。真実一途の生活をすることだ。ほかに道はない。ただただ真実 の一本槍、一切の虚偽虚飾を敵に廻して、終始一貫ただ真実を守って生きぬくことだ。 しかる時たとえもし一生を苦しみ通し、悩み通すことありとも、それは深く祝福せられ たる、充ち足らえる一生であるであろう。何故ならば真実なる一生にも増して神の祝福 に値するものは他にないから。