「通夜物語」事件 水上滝太郎  泉鏡花先生の小説「通夜《つや》物語」は、吉原のおいらん丁山《ちようざん》の命をかけた達引《たてひき》を主題とする、極め て意気|壮《さかん》なもので、この作者のわかがきものの特色となっている反抗的精神をあからさまに描い た情熱の詩であり、物語である。後に脚色されて新派の当《あたり》狂言となり、しばしば繰返し上演され、 今もなおファンの血を湧《わ》かせ、熱叫させること、皆様御承知の通りである。芝居の方では縁起を かついで「通夜物語」とは書かず「つや物語」とするならわしだが、時には「艶《つや》物語」と脱線し た事もあった。  何にしてもこの芝居は新派の古典となり、芝居を見るほどの人ならば、大星由良之助《おおぼしゆらのすけ》は赤穂《あこう》の 家老で、顔世御前《かおよこぜん》は判官の奥方だと承知していると同時に、丁山さんは吉原のおいらんで、丁山 さんのいい人は玉川|清《きよし》というえかき、敵《かたき》役は陸軍大佐|篠山六平太《しのやまろくへいだ》だという事は、原作を読んだ事 のない人でも心得ている。   また上座に大胡坐で、肥大な身の幅いっぱいに座蒲団にどっかと乗った、豹の額、獅子っ鼻、   象の眼、鰐の囗、猿の耳、猪首で、牛の如き大男、腰の周囲十囲にして、脛の太さ一抱に余   れるものあり。諸君これを見て驚いて以《もつ》て誰とかなす。武州|牛門矢来《ぎゆうもんやらい》の人、姓は篠山、名は   六平太、従五位勲四等功四級陸軍歩兵大佐である。 と、作者ははっきり書いている。しかるに昭和十一年五月明治座の興行では、おいらん丁山は芸 妓《げいしや》小今となり、陸軍大佐篠山は代議士篠山六平太と改められた。いずれはおかみのいいつけか、 おかみをはばかる遠慮であろうが、何故おいらんではいけないのか。何故軍人ではいけないのか。 人身売買はもとより歎《なげ》かわしい事であるが、今もなお遊女は厳として存在し、また毎月都下の劇 場で演ずる歌舞伎劇の多くには、欠くべからざる人格として脚光を浴び、大概義理人情の世界に 純情を発露させて、多数の子女の同情の涙を誘っている。もしこれを禁ずるとすれば、忽ちにし て我が歌舞伎劇は、寂寞荒寥《せきばくこうりよう》たるものとなりおわるであろう。或人はいう、歌舞伎劇にあらわれ るおいらんにはお咎《とかめ》はなく、現代物にのみおいらんの登場を許さないのだと。あまりに現実感が 強く、風教上面白くないという意味であろう。しかし、芝居のおいらんは絵画のおいらんに等し い。特殊の目的をもって創作される秘画は別として、世態風俗を写すことを旨とする浮世絵のお いらんを見て、実感を起す者は先ずあるまい。芝居もそれと同様で、殊《こと》に当面の問題となる「通 夜物語」の如きは、吉原の情景を写し出す事をめざすものでなく、江戸児《えどつこ》の意気と侠気《きようき》を発揚す る事を主としているので、風教上悪いどころではなく、人情紙よりも薄き今日、むしろ倫理道徳 の書と同様に見て然るべきではないだろうか。  一方、敵役篠山六平太は何故軍人ではいけなくて、代議士ならば構わないのか。適当なる説明 を聴《き》かない限りわれわれは直に邪推する。例の一部|矯激《きようげき》なる将校の憤激に脅かされたのではない かと。五・一五事件二・二六事件、その他一般には知らせられない事件に次ぐ事件には、不幸に して常に軍人が重大なる役割を引受けているそうである。事の真相を知らない平服人民は、ただ ただ震え上って、事あるごとに暗い陰影に脅かされがちである。けれども冷静に考えてみると、 まさか芝居に軍人があらわれてはいけないという一部将校もあるまい。現に川島武男少尉は、時 を同じくして某劇場に、悲しき境遇を泣いている。陸軍軍人ではいけないが、海軍軍人ならば構 わないのか。または色白の美男子で大にもてる役柄ならば差支えないが、赤っ面《つら》の敵役《かたきやく》ではいけ ないというのか。更に想像を逞《たくま》しくすれば、その敵役に対してえかき、おいらん、小婢《こおんな》らが、た んかを切り溜飲《りゆういん》を下げるのが、いわゆる軍民離間を助長し、粛軍の妨げとなるというのか。  いったい、粛軍は平服人民の心から希望する事であって、一般国民は軍民離間などをたくらむ ものではない。国法をもって武器を携帯する事を禁じられているものがそんなおっかない事を希 望するはずがない。平服人民は、謙虚な心を持ち、極めて平和を愛し、国家の安全を祈り、殺伐 惨虐の行為を好まない。殊に二月事件以来、国民はかかる行為をなした者どもに対し、危惧《きぐ》の念 をいだいている。これはまことに嘆かわしい事で、速《すみや》かに常態にかえらなければならないのだが、 それには軍当局の自発的粛軍にまつ外はなく、また一面には軍人も平服人民と少しも異らぬ人間 であり、同じような思想感情を持ち、多数の中には立役《たちやく》もあれば二枚目もあり、三枚目もなしと せず、敵役のある事もまた免れがたい事を知らせ、安易の心持をもって接近するようにしむける 事が必要ではないだろうか。舞台の上に軍人の姿を見る事の如き、かえって歓迎すべき事と思う のである。  おいらん丁山も芸者小今ではおさまらないが、ここに一層あわれをとどめたのは、代議士篠山 六平太氏である。彼は元来原作者によって、軍人として生を与えられた人物なので、俄《にわか》に代議士 たるべく命令されたのでは、一挙一動板につかなくなるのがあたりまえだ。かくして原作「通夜 物語」が多分に持っていた明治二、三十年代の色彩は無慈悲に薄められてしまったが、軍人では 許されない敵役が、代議士ならば差支《さしつかえ》ないというのは、近頃の世相をまざまざと見せつけたもの として看過出来ない。われわれは陸軍当局が心配している軍民離間を策する者が、何処にいるの か知らないが、それよりも政治家と一般国民とを離間せんとするものはいないのだろうか。政党 政治の弊害もあるであろう。政党の無力も真実であろう。しかしその悪い方面ばかりを数え立て て、議会政治に対する国民の信頼を、無理にも踏つぶそうと企てる者はいなかったろうか。もし 篠山六平太が軍人であっては、軍民離間を助長するといういいぶんが立つなら、彼が代議士であ る時、政民離間を助長するものともいえるであろう。幸にして政客は度量ひろきか、いまだ一部 矯激なる少壮政客が、松竹興行部に怒鳴り込んだ噂を聞かないのは、平服人民のせめてもの喜び である。 (昭和十一年六月一日)                        1「時事新報」昭和十一年六月六日・七日