「多情仏心」を評す 水上滝太郎  すぐれたる小説は必ず大なる描写力を持っ。描写という文字が狭過《塗ますぎ》れば、表現といいかえても いい。とにかく表現能率の高くない小説は、小説としての価値は乏しい。トルストイを見よ。ド ストイエフスキイを見よ。ロマン・ロオランを見よ。フロオベルを見よ。ゾラを見よ。バルザッ クを見よ。モオパッサンを見よ。その描写が、主として客観的手法を執るとも、あるいは主観的 色彩の濃厚なものであろうとも、両者の適当なる併用であろうとも、いずれにしても表現力の素 晴らしさが、われわれの眼前にひとつの世界をあざやかに展開するのだ()小説といえども、お説 教の役目をつとめる事もあろう。宣伝の用具となる場合もあろう。階級闘争の武器として利用す る事も勝手である。しかしそれがすぐれたる小説であるためには、常に表現の腕力がなければな らない。小説作家の第一に心がくべきはそれである。いかにして、文字をもって絵画的効果を出 すか。音楽的効果を出すか。彫刻的効果を出すか。建築的効果を出すか。いかにして、文字を以 てこの人間の形造る世界を描き出すか。それが第一義の問題だ。  里見弾《さとみとん》氏はわれわれと時代を同《おなじ》くする作家の中で、表現力の強い人である。大体において、客 観的描写を用いているから、この人の場合には描写力が強いという方がぴったりはまるようだ。 この作者の小説は、一篇の主題に同感の持てない場合にも、描写の面白さを容易に求める事が出 来る。かつて泉鏡花先生は、里見氏のうでの冴《さ》えを、煙管《キセル》を持たせても短刀位につかうと評され たが、里見氏自身も充分自分のうでに信頼し、描く事にかけては思う存分の振舞《ふるまい》をして、決して 遠慮しないのである。  或人が同じ作者を評して「神を恐れないのがいけない」といった。それは必ずしも作品評では なかったかもしれないが、私はこれを里見氏の奔放なる描写に対する批評としたい。実に大胆不 敵である。誰しも、里見氏を描写至上主義の作者だと思い、その手法は純粋の客観描写だと信じ ているが、実は一字一句には思うさま作者の主観を露出させながら、全体の効果において客観世 界を現出させているのである。敬服すべき特異の描法である。  里見氏は昔から自然派の傾向の少ない人であった。人間の心理解剖には科学的執刀を怠《おこた》らない が、しかも心臓をつかみ出すと、それを医者や科学者の眼では見ない。形としての存在以上に、 何らか飛躍すべきしろものとして叮重《ていちよう》に取扱うのだ。小説の筋立てにも、完全に自然派の影響を 拒んだ。平面的の真実はこの作者の求むるものではない。従而《したがつて》平面描写は、この作者の好まない ところである。たいくつなる人生は、この作者の住む世界ではない。むしろ常にストライキング な事に興味を持っている。初期の作品の中に「念力の飛行機を飛ばす」という機智に満ちた文字 を繰返して使っていたが、そういう心の定め方にも、静的な一生懸命ではなく、動的な活力を示 すものがある。人生の中に、何か飛躍を求めるのである。だから、小説構成の筋立てにも、あり 得べからざる事を如実に描く興味が強く、あるがままの人生を、写生的に描く事は好まない。常 識人の世界のもうひとつ向う側に、あってもらいたい人生を作り出そうとするのだ。読者は、こ の作者の小説を読んで、われわれの日常生活に親しい場面を見る事は稀《垂れ》で、一生の中に一度ある か一度もないかもしれないというような特異の世界の現出する事がしはしばある。但し、その場 面にも、作者は特異の世界の面白い場面を描くよりも、むしろその問に処する人間の心の飛躍に 興味を持っているようである。むかしは「念力の飛行機」、今は「まこころ」である。  私は「多情仏心」を里見氏の傑作だとは思わない。かえって破綻《はゐん》の多い作品だと思っている。 けれども、数多い氏の作品中最も面白いもののひとつに数えている。何が面白いのかというと、 一言にしていえば「まこころ」を主題としている点に興味を持っているのである。作者の心構《こころがまえ》の はっきりわかるのが面白いのである。  「まこころ」は何時の頃からか里見氏の唱え出したお題目である。天邪鬼《あまのじやく》の心持も多分に持ち、 どんな事でも突放して見ていられるのかと思うと、変にお説教|好《ずき》なところのある人だから、また かと思うほど繰返して「まこころ」を説いている。第三者は、舌を出したり、ひやかしたり、漫 画に諷《ふう》したりしている。  その「まこころ」とは何であるか。里見氏の随筆集『白酔亭漫記』の申に「まこころ」を題と する感想文があるから、ここに引用させてもらう。  冒頭にこういっている。    私の作品や感想文のなかに、ちょくちょく出て来る「まこころ」という言葉について、近   頃或る人から説明を求められた。    言葉というやつは妙なもので、生れて初めて聞く場合は別として、儺えば「まこころ」と   いうような、平常誰でも使う、耳に熟し口に馴《な》れた言葉でも、よく解っているようで、その   実考えているうちに、はっきりしなくなって来ることがよくある。凡《およ》そ解っていても、人に   よって、解り方に、深い浅いがあり、巾《はぽ》の広さ狭さがあり、意味の強さ弱さがあるのは当然   のことだ。それは全く各個人の実感、認識の如何《いかん》にかかわるところで、百人よれば百人なが   ら、少しずつでも違ったものでなければならない。  そういう風に、何処からつっついても隙《すき》を見せない言葉でいいあらわす事は不可能だと断書《ことわりがき》 を繰返した上で、次のように説いている。    そこで「まこころ」とは何か、(少し略す)それは真実でなければならない、また一念一向   でなければならない。更に今様《いまよう》にいい換れば、i己《おのれ》に忠実に、実感をもって認識を深め、   そして佯《いつわ》るところなく、赤裸に行え! そういうことになるのだ。  この描写芸術家は理論を述《のべ》る事は極めて拙劣である。あれほどの描写力を持ち、如何なる場面 でも、どんな人間の姿でもはっきりと描き分ける作者も、自分のおもいを述る事は意のままにな らないようだ。「まこころ」の定義を読むと、読まない前よりもかえってわかりにくくなる。む べなるかな里見氏は、右の定義を述べた後で、    が、どんな風にいってみたところで、要するに言葉だ。説いて縷《るる》々数万言を費そうと、凝   らせて一言に尽そうと、解る人には聞かずとも解り、解らない人には遂に解らない。 と、どうとも勝手にしろというように結着をつけた。  私は「まこころ」が何を意味するかの詮議立《せんぎだ》てに興味を持っていないわけではない。しかし、 小説作家の信念としてそれを述る時、解る者には解り、解らない者にはわからないでいいという 作者の心持に同感である。楊子《ようじ》で隅《すみ》っ子の埃《ほこり》をほじくり出す仕事は講壇批評家に任せて置くがよ い。そんな詮議立てにこだわらずに「まこころ」を信念として、ひたナら描写芸術に精励する作 者の態度を是認するものである。  ただ右の定義によって察するに、里見氏の「まこころ」は世間っい通りの「まこころ」よりも、 ひどく主我的の観念である事が感じられる。昔からの用語例に従えば「まこころ」は大概他人あ って初めて適当の意味をあらわした。君にまこころを捧《ささ》げるとか、友にまこころを尽すとか、そ ういう場合誠心誠意を意味するのだ。ところが里見氏の「まこころ」は、己に忠実に、己を佯《いつわ》ら ず、赤裸たれというのであって、ともするとイプセンの臭《におい》もするし、トルストイの気配も感じら れ、ニイチェの呼吸《いき》もかかっていようというのだ。己れに忠実であり、佯らす赤裸に行うのだか ら、他人は二の次になる。従而《したがつて》他人のために尽すよりも、時には他人を傷つける事もあり兼ない。 そんな時には、この「まこころ」の持主は、時々の間違いは為方《しかた》がないさーー1といった位の心持 で押切ってしまうのであろう。  この里見氏の解する「まこころ」は、長篇「多情仏心」の主旨である。あるいは「多情|乃真《すなわち》 心」と解しても差支《さしつかえ》なさそうだ。作者はこの篇の主人公の多情がいたずらでなく、まこころであ る事を筆を尽して説いている。  しかし、作者は描写を第一とする本筋の小説家だ。悠《ゆうゆう》々として種女の場面を展開し、その各場 面に遺漏なく「まこころ」のひらめきを見せる手法を選んだ。どの場面にも「まこころ」は果物《くだもの》 の種《たね》の中の核のように、動かぬ中心をなしている。  自分の都合のために一篇の荒筋を記させてもらうならば「多情仏心」は主人公|藤代信之《ふじしろのぶゆき》の御遊 蕩《ごゆうとう》一代記である。多情にして「まこころ」の持主なるこの男は、作者の語らんとする多情乃仏心 説を人格化したものらしい。もっとも、この人と接触する他の人物も、いずれも同じ、「まここ ろ」の所有者には違いなく、その意味では、作者は性善説を奉じ、人はすべて「まこころ」の持 主であるという信条を抱いているものと見てよさそうだ。鋭い観察眼を光らせ、逆説的な天邪鬼《あまのじやく》 の魂を活躍させたこの作者も、次第に鋭角が擦《す》り減って、まどかなる心をいつくしむ方に傾いて 来たのではあるまいか。成長|盛《ざかり》の若い心は破壊を喜ぶが、年齢《とし》は何時か破壊の快感を奪って行く。 よりどころのない破壊よりも、己れの信ずる道を確立して、動かしがたい安住の心構えを築く事 に向いて行く。里見氏が「まこころ」を説く心持は、その過渡期にあるのではないかと思われる。  藤代信之は三十を越して既に四十に近い年配だ。清廉剛直の実業家を父とし、その遺産で相当 |贅沢《ぜいたく》に暮らしている。英法科出身で弁護士の資格も持っているのだが、稼《かせ》ぎはしない。貞淑な妻 があり、むやみに可愛がっている子供も三人ある。文学尊拝者で、雑誌『高踏』の金主だ。お酒 が好きで、胃癌《いがん》で排血する体になってもやめられない。これが頗《すこぶ》る多情でかつ「まこころ」の持 主なのである。先ず料理屋よし野の女将おもんところぶ。その妹のお澄といい仲になる。ヒモト (日本橋の事だそうである)の芸者幾代とも他人ではない。上方《かみかた》の芸者|里奴《さとやつこ》とも仲よしになる。不 良少女萩原鈴江にも手を出す。ここでひどくおかしいのは、信之の心に秘めている言葉で「金鵄《きんし》 勲章」というのがある。最高の情愛のしるしとして相手方が拝領する「まこころ」なのであ る。   二人のうちどちらでも危篤という場合には、どんな境遇のもとにあかの他人になっていよう   とも、必ず知らせ合い、見舞い合おうという約束 と作者は説明している。この「金鵄勲章」はおもんと幾代と里奴が拝領し、お澄は貰いそこなっ た。彼女は信之の多情なる事のみを知って、仏心に深く触れる事が出来なかったからである。  ここで注意すべきは「まこころ」の持主は惚《ほ》れる事において無計算でなければならないという 作者の考え方である。いたずらはいい。何故ならば多情乃仏心だから。例之《たとえば》おもんは、全くふと した酒席の興味から、いろおとこの若|女形《おやま》滝十郎の目の前で、また信之に岡惚《おかぼれ》している妹お澄の 目の前で、まず初対面に近い信之に凭《もた》れかかったり、口うつしに飲ませうとせがんだりしたあげ くに、先手を打ってしまうのである。信之は信之で、お澄の心持を知りながら、おもんの持ちか けるままに誘われて些《いささ》かも「まこころ」を傷つけられない。たった一度のころび寝だ。直ぐその 後で、行くべきところに行きついてお澄と仲よしになる。おもんの方はその後悪い坊主にだまさ れて、持っていた物は悉皆捲上《すつかりまきあ》げられ、ひどい虐待をうけながらも坊主が思い切れないで、甘ん じて悲惨な境遇に陥ったままやはり坊主にしがみついている。おもんは即ち「まこころ」の持主 とされている。それにひきかえお澄の方は、信之と別れ、旦那窪井《だんなくぼい》謹五郎の手も離れ、やがて華 族の息子の妻となる。相手はお澄のために女房と二人の子供を追出した。この事件を信之は人か ら聞かされて、忽ちお澄に対して好意を失ってしまう。尤《もつと》も、作者は直に信之に反省させ、当の 二人がほんとに惚れあっているのなら、相手の女房や子供に気の毒な目を見せようとも構わない と、里見氏解するところの真心即ち己れに忠実に、己れを佯《いつわ》らず赤裸に行えという信念を取戻す が、そこには実感が出ていないで、いいわけとしか受取れない。要之《ようするに》お澄は「金鵄勲章」に値い しないのである。   「まこころ」は全く我儘《わがまま》だ。持続性を欠いていて、或瞬間に不意にあらわれて来る事が多い。 .「まこころ」さえ底に持っていれば、ふだんは何をしても構わないという事は、信之の言葉の中 にはっきり出て来る。他人を殺そうと泣かそうとおかまいなしだ。思うがままに振舞ってこそ  「まこころ」なのだ。  私はそういう風にこの作中の「まこころ」を解するものである.、解る者にはわかり、解らない 者には遂にわからないのだから、そんなに浅薄な解釈をされては困るといわれるかもしれないが、 許してもらおう。  前にもいった通り、この小説には「まこころ」という主旨があり「多情仏心」というはっきり した標語を掲げていて、極力それを場面描写で呑込《のみこ》ませようとしている。由来テーマのはっきり した小説には無理が多い。テーマを生かすためには、自然性を犠牲にして憚《はばか》らない。「多情仏心」 にもその傾向は著しい。殊《こと》に神を恐れずに描写する作者の事だから、意識して自然らしさを無視 している事はいうまでもない。自然派以来|綿《めんめん》々として尽きない第一課的ありのまま描写主義とは 全く背馳《はいち》していて、どしどし冒険を敢てする。遂には、信之にしん底から惚れている薄命の妓里 奴の幽霊さえ描出した。但し、私はこの場合幽霊を出すのは冒険好の作者のやり過ぎで、むしろ おだやかに、信之の臨終に里奴の死を報ずる電報の届く事にした方が効果が多かったろうと思う ものである。  こういうかき過ぎは、うで達者の作者として免れがたい痼疾《こしつ》である。何でも描けるという自信 が、あまりに描き過る結果を伴って来る。「多情仏心」がひとつの主旨を持ちながら、一貫して その主旨の重圧を感じさせないのはここに原因するのではあるまいか。切離して短篇とすれば幾 多の名篇となりそうだが、存外だらだらと繰返しに過ぎない場面の展開に終って、長篇としては 物足りない。相手かわれど主《ぬし》変らずの信之は、到《いた》る処で誰とでも仲よしになり、ふとした心のあ らわれを捉《とら》えては、ちえかたじけないと「まこころ」を拝んで感涙を流すのだが、同じような段 切《だんぎれ》を持っ各場面が、次第に重量を重ねて来るのでもなく、何時も同じ歩調で散歩しているのは覆《おお》 いがたき欠点である。  (一)お澄に旦那があって、それが亡父の仇《あだ》とも思う窪井だと知って「嘘《うそ》をつくなアよくねえ や」と泥酔したのが口癖にいいながら、ふらふらとお澄の家即ち窪井の妾宅《しようんく》へ逢《あ》いに行く。その 門口ではじめて吐血するのだが、それからお澄にむかって、何故真実をうちあけてくれなかった かと語ると、お澄は泣く。信之の膝《ひざ》に縋《すが》って泣く。そこで信之の「心の眼は明るみ亙《わた》り、清い涙 に潤った……」とあるところで、   何に捧げる礼心か、有難涙がはらはらと落ちた。 とある。  (二)不良少年の西山普烈がゆすりに来る。性善説の信奉者信之は、不良少年の心の中にも忽ち 「まこころ」の存在するのを見出して、互に握手しつつ感激の涙を流す。  (三)亡父の仇だと思い込んでいた窪井がお澄の旦那だとわかった。その窪井とお澄が箱根の宿 にいる。偶然信之も泊り合せる。感情家で人道主義者で、多情で「まこころ」の信之は、直に窪 井にむかって「真心をもって、真心に御相談ねがう」という切出しで、お澄と切れてくれと申入 れる。ところがこの窪井が亡藤代信策の息子だと知って懐《なつ》かしがる態を示すと、信之は忽ち感激 とどめ敢《あえ》ず、   はっと胸のあたりが熱くなったと思うと、もうこらえる暇もなく、眼のなかいっぱいの泪《なみだ》に   なっていた。真正面に近よって来た窪井の顔も、ギラギラと泪に映る光のために、忽ち消え   てしまった。……しばたたきもしないのに、筋を引いて、熱い泪が頬《ほお》へ流れ落ちて来た。  (四)不動堂の坊主にさいなまれているおもんをたずねて行った信之が、雨の夜の道端《みちばた》でたずね る人に逢う。自分の身はどんなになっても構わないと心を定めて相手の坊主の側《そば》を離れる事の出 来ないおもんの「まこころしに感じて信之は涙を流す。ここでは「まこころ」至上主義の信之が、 あまりに純粋の「まこころしを持つおもんの心根にかぶとを脱いで、   「だけど、あたしには、貴方《あなた》みたいに、自分はどうなっても構わないってほどの気持で、好   きで好きでたまらない人があるわけじゃアなし、寂しくって、寂しくって、……酒でそれを   紛らそうなんて、意気地《いくじ》のない話だけれど」 |云《うんぬん》々と述懐するが、ここでは「まこころ」主義の信之が、実は世の常の蕩児《とうじ》に過ぎないような姿 に見える。しかもその方が藤代信之の本質であるようだ。  (五)マッケンゼンを殺した後で、おもんのいる不動堂の縁の下に身をかくしていた普烈を我家 に伴って来て、またしても信之はこの不良少年の「まこころ」に涙を流す。   近々と見合せて、一、二秒すぎたと思うと、普烈の眼の中は、いっぱいの涙になってしまっ   た。それを見ては、信之とて我慢ができなかった。  その外にも探し出せば、同じような景色が出て来そうだが、私のいおうとするのは、こういう 風に人と人との機智に満ちた会話のやりとりの間に、人々の姿を充分描きながら、段切れには必 ず「まこころ」を形に見せて一篇の主旨を貫こうと企てたにもかかわらず、結果は存外平調な場 面の繰返しに終った事を惜むのである。マッケンゼン殺《ごろし》の前後、不動堂附近、三好と美津枝がし めし合せ美津枝と滝十郎が赤坂へ向うところなど、切離してしまえばとりわけ勝《すぐ》れたる短篇だと 思うが、さて長篇としては部分的に感心するだけで、一団となってのしかかって来ない憾《うら》みが深 い。  瓦《かわら》をもって玉にかえんとするそしりをまぬかれないが、私の長篇「大阪の宿」に対して新進の 批評家勝本清一郎氏の与えた批評は、移してここにあてはまる。即ち絵巻物のように場面の展開 はあるが、立体的構成に欠けているというのだ。絵巻物式の小説だって存在理由はあるとすまし ていてもいいのだが、私は勝本氏の批評を甘受した。恐らく里見氏も甘受されるであろう。  この欠点は、ひとつには一年余も新聞に連載し、毎日々々追かけられているので、自然に招い たものかもしれない。殊にうでのある作者だから、いかなる場面にでも人間を二人登場させれば、 容易に一回分の責《せめ》を果す事が出来るという誘惑もあったであろう。その日その日読めば何らの不 満を知らずに過ぎるかもしれないのである。それほど、短篇的にはすぐれている。殊に私が描写 力に感心するのは、対談する二人の人の、さほど意味のない会話のやりとりをしている姿である。 とりかわす会話の意味のぴったり合っているのはいうまでもなく、細かい神経の働く人間が、顔 面に脂肪を浮かべ、人間臭いあたたかさを漂わせて活きて動く事である。何という素晴しいうで だろう。  とはいえ里見氏といえども、得意の場面と不得意の場面のある事は争われない。料理屋|待合《まちあい》は 氏の筆の自由自在に活躍する舞台を提供する。その世界の細かい組織と慣習の中に、迫真力のひ た押に来る描写を見せられると、襟《えり》を正して声を呑《の》む心地《ここち》がする。あまりうまいので小面《こづら》憎くな る事もある。  それに反してこの篇の中の裁判所の如きはお門違《かどちが》いである。  人間においても同じ事がいわれる。芸者、待合の女中の如きは、里見氏の技真に迫って、名人 吉田文五郎の使う人形のようにいい型を残しつつ自在に動くが、弁護士としての藤代信之の如き は、甚《はなは》だしい場ちがいで、その長々しい弁論にはしばしば笑を誘発された。勿論《もちろん》、作者には、わ ざと弁護士型をはずれた人間にしようとした意図はあるのだが、それはそれとして、些《いささ》か木偶《でく》に 近くなった感があるのである。  一人々々吟味して来ると、大物だけに藤代信之は描けていない。姿は描いてもその人となりは 出ていない。それは他の人間i例之《たとえば》三好だとか、滝十郎だとか、おでんやの丸三などは、形か ら描いて行くだけで済むのだが、一種の主題を持つ小説の内容を一身に荷《『な》う信之は、その内面生 活を描かねばならぬ大荷物だ。短篇的に、その場その場の人間の心理描写には充分覚えのある作 者も、一貫した人格をかたちつくる事にはなおまだ表現能力に不足するところがあるのではなか ろうか。あるいはまた、里見氏の心がけている「まこころ」が、まだほんとに苔《こけ》のつくまでに到《いた》 らないためではないだろうか。  多情ではあるが、しかし「まこころ」の所有者だという人間はおかしくない。「まこころ」の 人ならば多情なはずはないという解釈は女学生に媚《こび》るものである。だが、何といっても描かれた る信之の全人格は、直に「まこころ」を以てわれわれに迫って来ない。たまたま感傷癖に傾いて、 彼が「まこころ」の涙に頬《 お》を濡《ぬ》らす時も、それはおひとよしの世間知らずの姿しか彷彿《ほうふつ》させない。 また彼が「まこころ」を他人に説く時、相手も多くは感激してこの人の「まこころ」の中に溺《おぽ》れ てしまう段取になっているが、われわれ読者側から見ると、何をいってやがるんだ、自家弁護は よせと叫びたくなる。そこに信之を表現する上の弱さがあり、また作者の解する「まこころ」に なお大なる精神力を必要とする例示ではないだろうか。  もう一度言葉を換えて繰返せば、情痴の世界に溺れ切っている時の信之は活きていて、「まご ころ」意識を持つ時の信之はこしらえものになる。他の人間も同じだ。みんなが勝手|気儘《きまま》な酒落《しやれ》 をいったり、酒を飲んだり、姦通《かんつう》したり、口説《くぜつ》のやりとりをしている時の姿は、巻を閉じてなお 眼前に見るが如き現実性を持っているが、突然「まこころ」に触れる場面になると、芝居がかり で、わざとらしく、よく気羞《きはずか》しくないなあと思うのである。描かれたる人々にも、作者にも、多 旗 情あまりあって仏心足らざる憾があるのである。 (昭和二年十一刀八日)     1『、三田文学』昭和二年十二月号