指導者氾濫 水上瀧太郎  いつも満員の電車が、珍らしく空いているので安心し、腰かけたとたんに、車掌の女の子 はとりすました声で、 「只今宮城前通過で御座います。」  と呼かけた。殆んど同時に 「脱帽敬礼せんか。」  と怒鳴った男がある。びっくりして見あげると、恰幅のいい洋服紳士が、車中を睥睨し、 扨てうやうやうしく窓外遥かなる宮城にむかって脱帽遥拝した。もとより車内の客の多くは、 そんないたけだかな注意を受けないでも、近頃のしきたりで、当然為すべき事と思っている のだから、おなじく帽子をとって頭をさげたが、中にはこれに倣わぬ者もあった。 「おい、これがわからんのか。」  洋服紳士は又もはげしい怒罵を浴せて、車内を見廻した。そのゆびさすところ、其処には 注意書が貼出してあるのである。宮城、明治神宮、靖国神社の前を通過する時は脱帽敬礼し ましょうという意味のものである。 「非国民。」  洋服紳士は憤然最後の叱声を張あげた。  私の観る所によると、私といっしょにたった今乗った人達の中には、乗車前に遥拝した者 もあり、又一団の人は、二重橋近くに於て礼拝して来た様子だった。木綿の紋附羽織袴、地 方から出て来た人らしく、恐らくその人達の身寄の幾人かは応召出征し、或は名誉の戦死を 遂げたのでは無いだろうか。朴訥な様子から想像すれば、此の人達の礼拝は、姿勢正しく、 心の忠義を其儘に表現したものであったに違い無い。電車に乗って窮屈な恰好で、不規律に 敬礼するよりも遥かに至誠のあらわれたものに違い無い。又中には、電車内の掲示に気のつ かない者もあったであろう。明らかに洋服紳士の態度に不平をいだきながら、善良なる国民 は忍耐強く視線をそらした。洋服紳士は恰も勝ほこるものの如く、車内をねめ廻していたが、 自分の行為をあくまでも是認し、忠義は自分一人だというような色があった。  吾等日本国民は、天皇陛下の御仁慈には常に感泣したてまつり、明治大帝の御聖徳は一日 も忘るる事なく、護国の鬼となった勇士にも尽せぬ同情と感謝を捧げているのだから、宮城 前に於て明治神宮に於て、靖国神社に於て、姿を正し心静に崇敬感謝のおもいを籠めて祈る のであるが、混雑動揺のはげしい電車の中で遥拝するのは、かえって失礼のようにも思われ るのである。今車内で怒鳴った紳士は、自分だけが選ばれた国民だといわんばかりの容体だ ったが、今怒鳴られた人々の深き精神には思い及ばないのであろう。正直に反省して見るが いい。  当今我国に於て、おもいあがれる一部の紳士達が、権力を掌握し、革新政治を行わんとし ている気配は、ひそかにうかがわれる所である。恐らく其の精神は国を愛するの一事に尽き るのであろうが、権力者の威をかりて指導者面をし、黙々として国民の義務を果している一 般良民に対し、何処迄も優越感を以てのぞみ、圧迫的態度に出る事がありとすれば、その不 心得は上御一人に対したてまつり、まことに申訳無い極みである。今日支那との大事変に沈 黙忍耐の国民は全力をあげて尽忠報国につとめている。命を召さるれば命を、粒々辛苦のあ げく積んだ富を召さるれば、それを惜みなく捧げて悔いない。忽ち来る統制に、祖先伝来の 家業を失うものも数知れない。何のことあげもせず、滅私奉公の実を示している。ああそれ なのに……  私は(御堀端の)街路樹の落葉の風に舞うのを踏みながら、一部指導者意識に酔うものど もが、将来国をあやまりはしないかを憂慮せざるを得なかった。  突然路傍の立看板が、風にあふられて揺いだ。聖徳に帰一したてまつれと大書してある。 私はぎょっとして、思わず足がとまった。今、国を挙げて国家の為に尽している折柄、これ は支那人か満洲国人に見せる為の立看板なのであろうか。いかにも聖徳に帰一したてまつら ぬ不所存者がいるようにうけとられ、甚しく不愉快である。もとより、いかなる国、いかな る時代にも、馬鹿ときちがいは絶えない。しかし現在非常時の大日本帝国に、不所存者はい ないと見るのが至当だろう。それにも拘らず此の立看板は何を意味するのか。私は突然悟っ た。そうだ。これは先刻の洋服紳士の如き不心得者に対し、小我を捨て、聖徳に帰一したて まつれといましめているのであろう。果して然りとすれば我意を得た。指導者面をし、自分 だけが発言権を持ち自分だけが政治を知り、自分だけが経済を知っているという独善は許さ れないのである。私は胸の晴れるおもいで俄に立看板文学に興味を感じはじめた。あるある、 注意してみると、街には立看板が氾濫している。海南島即時攻略、ソ聯膺懲というような勇 ましいのがあるかと思うと、金融国営を断行せよというのがある。戦争成金断じて許さずと いう凄いのもある。此の頃は言論不自由の時代だと云われているが、これらの立看板を見る と、自由主義さかんなりと言われた時代よりも、|思層《(ママ)》自由のように思われる。いずれも其の 筋の認可を得たものであろうが、いかにもはげしい言葉で、政治外交経済にわたり、他国の 思惑や、当該問題の当事者の考を顧慮せず大胆に所説を表白しているのは驚く可きである。 今は蒋介石膺懲の為に挙国一致の実を示しつつある秋である。その為には、いう可き事もい わずして忍ばねばならないとするのが、多数国民の覚悟である。どさくさまぎれに革命的変 革を行う事は極力避けなければならないのではないか。戦争成金断じて許さずの如きも、決 して簡単にきめてかかれる問題では無い。いったい事業の経営者や商売人が儲けるのは、損 をするよりもほめられていいのである。刻苦勉励、慎重なる考慮、徹底的研究、勇気決断等 の生み出した利益は、悪徳の果実では無い。それが戦時に於て非難され勝なのは、一方に於 て生命を失う不幸な人が沢山あるのに、突発的の事件の為に不測の大儲をするのは、いかに も釣合が悪いという感傷に出るのであろう。しかし、儲けて怪しからんというのは、目的と 手段の悪い場合に限らる可きでは無いだろうか。非常に変な例で、殊に好もしき文人に対し 申訳ないが、火野葦平氏の場合を考えてみるがいい。氏は芥川賞を受けた程の実力ある作家 で、恐らく多年の勉強努力は並々ならぬものがあったであろうが、若し此の度の事変に応召 し、戦地を踏まなかったなら「麦と兵隊」六十万部を売尽してなお増刷せられるという盛観 は見られなかったに違い無い。彼こそは日本文学に貢献する事甚大なる一人であるが、同時 に又戦争成金だとも云えるのである。だからといって、これを嫉視すべきでなく、此の有為 の文人が好機に遭遇した文運を祝すべきである。世の中は実に複雑だ。それを単純に考えて、 成金断じて許さずという強い言葉に刺戟されて、軽挙する者があらわれた場合を想像すると、 肌に粟を生じるのである。指導者は深き考慮を必要とする。  私は暗い気持で歩きつづけたが、更に私の心に大衝動を与える立看板を発見した。「憂国 運動の名に隠れて国民を欺瞞する偽装転向者を粉砕せよ、国家社会主義的経済政策を排し、 億兆一体の皇道経済の確立へ」。  浅学の吾々には、皇道経済の何なるかは解し難いが、少なくとも愛国運動の名に隠れて国 民を欺瞞する偽転向の社会主義者がはびこっているとすれげ、これこそ断じて許すべきでな く、即時断乎たる処置に出なければならない。そういえぽ近頃方々で誰いうとなく甚だうす 気味の悪い声が聞える。それは一時露西亜を御手本にし、レーニンを神様にし、不逞の事を 企てた左翼の連中が、時勢に抗する事の不可能をさとり、転向の声明をし、寛大なる人の油 断を利して、次第に政府部内に地位を求め、企劃その他の事に参与し、為に近来の革新政策 なるものが、著しく社会主義的色彩を帯びて来ているが、此の儘放って置いたら共産主義と 紙一重のところ迄持って行かれはしないかという噂である。これを憂うる人は頻る多いよう であるが、いずれも時を得ぬ無気力者であるから、ただ徒らに心配してばかりいる様子だ。 左翼運動さかんなりし頃、外来思想の危険を叫び、あまりにそれを怖れる結果、運動競技さ え外来のものは排斥せよと宣言した日本主義者もあったが、その後左翼の運動は止んでも、 外来思想は色彩を変えた丈で滔々として流れ込み、あれもこれも外来の真似では無いかと思 われる革新論があらわれる。ジョオジ・バァナアド・ショウ曰く「ファシズムも亦一種のプ ロレタリア革命である。プロ運動は失敗に終ったかに見えるが、その実ナショナリズムと連 繋を遂げ、更にこれを大衆の英雄渇仰性に結びつけたもの即ちファシズムである」。  本当に己の非を悟って転向した者を、いつ迄も虐待するのはよろしくないが、転向と見せ かけ、口に愛国を唱えながら、昔に変らぬだいそれた目的をいだき、単に道を左から右にか えた丈の欺瞞が通るとすれば、之は由々敷大事である。そういえば、数々の立看板の中には、 責任者の氏名を明記したのもあるが、私の記憶に間違がなけれぽ、その中には曾て左翼の闘 士として聞えた名前もあった。ああ、果して彼等は真の愛国者であるのか、欺瞞的偽装転向 者であるのか。事変の真最中、かかる不祥事におもい至さねばならぬ遺憾に、私の心は愈々 暗くなった。  はからずも里余の道を歩き、坂を上り、坂を下り、又坂を上り、秋とはいえ日和つづきの 青空の下で、汗ばみ、咽喉が乾き、呼吸が切れた。せめて冷たい水の一杯にでもありつこう と見廻す眼の前に、   Many Kaind of Coold Dorink  という看板を出した店があった。清冷飲料水という適切な文字が出来ているのに、何を苦 しんで間違だらけの偽装英語をつかわなければならないのか。外国崇拝のあさましさは、彼 の一部思い上りの指導者面をした紳士等が此の隆昌の国家に在りながら、敗残の外国の真似 をする事に汲々たるのと同じ心理ではないのか。私は咽喉の乾きにも拘らず、近頃罰金物の 唾を吐きそうになって、はっとして自制した。夕暮の風は冷たく、東京の空は暗い。(昭和 十三年十二月十一日) 『三田文学』(昭和二十一年七・八月合併号)