廉売 水上滝太郎  世の中が不景気で、品物が捌《さば》けないと、安楽隊入りの廉売がさかんになる。文壇もまた行詰っ たのであろうか、近頃|頻《しき》りに廉売的言説を聴く。  少くとも短篇小説では、欧羅巴《ヨーロツパ》の作家に比べて決して劣らないという、半分はびくついて居る ような壮語は、しばしば聴くところである。長篇小説ではとてもかなわないと、最初から思い極《き》 めているところは殊勝だが、ほんとに心から、短篇ならば遜色《そんしよく》はないと確信しているのであろう か。なるほど、明治大正にわたっての勝《すぐ》れたる作家、例えば、一葉、鏡花、荷風、独歩、藤村、 秋声、白鳥というような人の作品ならば、何処の国に持って行っても、第一流のものであろうが、 そういう択《えら》ばれたる僅《わず》かの作家をとりたてていうのでなく、漫然とひっくるめて、我国の短篇小 説が欧羅巴の作家のそれに比して劣らないというのは、果して正直な言葉であろうか。同じ重量 の金と銀との値打のようにはっきりしていない芸術批判の問題ではあるし、こういう場合には幸 な国語の相違をいいことにして、家の中の蛤《はまぐり》になっているのではないだろうか。残念ながら私は |首肯《しゆこう》出来ないのである。  一々これを比較する事を避けて、先ず第一に、彼の地の作家に比して、我国の作家の著しく劣 るのは、社会を観《み》る眼、人生を批判する頭脳の働きの弱い事である。おしなべて、視野が狭い。 知識は浅く、思考力は根強くない。  短篇小説では負けないと豪語する作家、批評家は、果して欧羅巴《ヨ ロツパ》の作家の短篇小説の数々を読 んで、すぐれた作品を見出さなかったのであろうか。私も拙《つたな》いながらに小説作家として、不断の 勉強を続けているものである。西洋風の小説作法が我国に移植されて、まだ半世紀にもならない のに、上記の如き立派な作家の出現を見、またわれわれと同年配の人々の中にも潤一郎、直哉、 |実篤《さねあつ》、万太郎、弾《とん》、寛、竜之介、正雄、春夫の諸氏の如きを有する事を誇りたいのであるが、然《さ》 りとて根柢《こんてい》のない壮語を弄《もてあそ》んで、安価なる満足に酔ってはならないと思うのである。無批判無反 省なる野党の陣笠《じんがさ》代議士の如き、あるいは縁日のバナナ屋の如き言葉は慎しむべきである。  イブセンは古い、チェホフも古い、ハウプトマンやシュニッツレルは二流作家だ、というよう な勇ましい言葉が飛びちがう真中を突きぬけて、そんなのよりも、我が菊池寛氏や、山本有三氏 の方が新しいとか、勝《すぐ》れているとかいうような言葉i多少いい廻しは違うかもしれないが、少 くともこれに類する言葉ーも通用するようである。  菊池山本両氏は、小山内薫、吉井勇、久保田万太郎、岡鬼太郎《おかおにたろう》、岡本綺堂《おかもときどう》の諸氏と共に、疑い もなく当今有数の戯曲作家に違いないが、それはそれとして、イプセン、チェホフ、ハウ.フトマ ン、シュニッツレルなどを束《たば》にして、思想的にも技巧的にも、古いとか、つまらないとかいい切 って、涼しい顔をしているのは不心得である。この場合に、恐らくは下の如き間違があるのでは ないだろうか。  泰西諸国の近代劇が紹介されて以来、既に相当の年月がたった。最初の中《うち》こそ、一作に触れる ごとに驚嘆していた者も、大体その手法を会得してしまったので、今日ではさほど珍奇には思わ なくなった。器用な人間ならば、イブセン張《ばり》でも、メエテルリンク型でも、ショオ式でも、御望 に任せて作り上げて見せ得るようになった。和洋折衷は最も楽な仕事である。あたかも豚カツと 米の飯を一|皿《さら》に盛ったあいのこ弁当が、容易に世人の嗜好《しこう》にかなったような次第である。つまり、 最初の驚嘆が度を外《は》ずれていて、まるで魔法の如くに考えていたものが、存外人間界の事だとわ かった安心で気がゆるみ、今度は品の良否を判別する気力も失ってしまった形である。総|米松《ぺいまつ》造 りの文化住宅をもって、西洋建築の範とするが如き心得である。  しかしながら、イプセン以来の近代劇の骨法を学び終ったというだけで安心したり、威張った りしてはいられない。ほんとに学び尽くしたかどうかも甚だ疑わしいが、先ず仮にそれだけは許 すとしても、上記泰西の大戯曲家の如きを、我国に見る事が出来るだろうか。イプセンの思想は、 概念としては既に古いかもしれない。しかしイプセンの尊いのは、その思想に真剣の熱情を持ち、 その技巧に内部から必然的に生れて来た、ぬきさしならぬ力強さのあるところである。その他の 大戯曲家においても、程度の差こそあれ、いずれも動かしがたき量と質の結合を持ち、内容と技 巧の一致を持っている。人生をそのままに見せる大きさと深さがある。この点において、われわ れは到底及ばない。舞台の上のからくりにおいて、如何に器用になっても、それは真に新しいと はいえない。先人の開拓した芸術境を、知識として学んでも、それを以て彼らを古いとは言えな い。『万葉集』の秀歌は、現代の模倣の歌よりも新しいのである。  同じような事だが、もう一っ加えたいのは、近頃小説の技巧の上手になった事をしきりにほめ さハ《こ」」》|《あ》|メ 讃える批評家がある。千葉亀雄氏の如きは、泉鏡花、永井荷風両先生の名を挙げて、かつては、 勝れたる技巧家と称された両氏の如きも、なお今の若い作家の進んだ技巧に比べると、比べ物に ならないという意味の事さえ書いている。  近頃の小説家の技巧の上手になった事は、私も認めるものであるが、それは一時代の多くの作 家を一団として見る時の話で、現在の作家の誰が、泉永井両先生をしのぐほどの勝れた技巧の持 主であろう。泉永井両先生の如きは、既に一代の巨匠として、動かすべからざる地位をつくって 久しい方々である。著しい特色のあるその技巧も、われわれには永年の御馴染《おかじみ》となった。従って 近作を読んでも、刺戟《しげき》の強くない事は免れない。これは如何なる大作家にあっても当然の事で、 |例之《たとえぽ》モオパッサンの如き多種多様の技巧を尽した短篇小説を書いた作家といえども、次々にその 作品を読む事五十、六十、八十、百となれば、目新しさは自《おのずか》ら減少して来る。しかし、それだか らといって、直ちにその技巧を古いといって捨てる事は出来ない。  泉先生にしても、永井先生にしても、誰人《たれびと》の追随をも許さない技巧を持っておられる。仮に今 日われわれがその技巧に驚かなくなったとしても、それは両作家の御蔭《おかげ》でそういう技巧に馴《な》れた からで、俄《にわか》にその技巧をつまらないもののようにいうのは、三面記事の特種《とくだね》を喜ぶ根性に等しい。 殊にこの両先生の如きは、ぴったりと身についた技巧の持主で、人真似《ひとまね》でさまざまの技巧の流行 を追う亜流の徒と同一視すべきではない。  小説の形式は千態万様になり、技巧の綾もいよいよしげくなるであろうが、現在のところ、泉 鏡花、永井荷風両先生の如き、大きな技巧を完全に所有している者は、殆どないといい切っても |差支《さしつかえ》ないであろう。残念ながらなさそうである。  一人が押切った物言いをすると、忽ち九官鳥の如く人真似をする者の、続出する悪傾向の著し い時、粗悪なる批評の廉売は、誰人も心して慎しむべき事である。 (大正十三年十二月二十一日) i『三田文学』大正十四年一月号