人気もの 水上滝太郎  一君万民の我国において、皇軍の中から叛徒《はんと》を出したという事は、忠良なる国民にとって、ま ことに堪えがたく忍びがたい事であった。さればこそ、事件以来世間の噂話《うわさばなし》はこれに限り、声を ひそめ、眉《まゆ》をひそめ、額に皺《しわ》を寄せ、何処から聞き込んだのか、誰に聞いたのか、ああだこうだ と、出所不明の噂話を持寄っては、慨嘆し、憤激し、歎息《たんそく》し、せめては噂のよりどころを求め、 確実な報告をつかんで、不安を一掃しようと願ったのだが、逆に益々不安を増し、一層暗い心持 になって、疑心暗鬼は止度《とめど》がなくなるのであった。人二人寄れば、必ずこの噂だ。役所でも、学 校でも、銀行でも、会社でも、カフェでも、居酒屋でも、噂と噂が鉢合《はちあわ》せし、噂が噂を生んで限《き》 りがない。今夜はひとつ陽気に騒こうと思っても、水の低きにつき、男女互の相寄る如く、話は きっと其処に落ちて行く。そして心が寒くなる。  しかるに最近街の噂は、突然急転回して、人二人寄れば必ず阿部定事件を論議するようになっ た。伝うる所によれば、彼女は熱烈に愛する吉さんを独占し、他人に奪われる心配のないように 絞殺し、しかも記念のいちもつを切取って、肌身につけて逃げ出したという、エロとグロと兼備 わる事件である。しかもこの女には或教育家も親切なるパトロンとして浅からぬ馴染《なじみ》だというい ろどりを加え、本来人殺は陰惨残虐な事件なのに、その遣口《やりくち》がいかにも徹底し、奇抜突飛《とつぴ》で常識 を軽蔑し、あっといわせたところから、逆に明朗なる話題となり、しかつめらしいおやじ連中か ら、つつしみ深そうな顔をしている婦人連中まで、寄るとさわると噂の数を尽す事になった。  それにつけて想い出すのは、このお定も名古屋に縁故があるが、先年同地方で行われた事件が ある。それは今度のとは反対に、男が女を殺し、局所をえぐりとって山中にかくれ、その肉片を 休茶屋の壁に貼つけて自殺したのであった。この事件は中京地方を震駭《しんがい》させ、女は恐怖に色を失 い、男は犯人の兇悪《きようあく》を憎み罵《ののし》った。決して、この度の事件のように、朗《ほがらか》な話題となり、漫才や一 口話あるいは川柳《せんりゆう》の好題目とはならなかった。陰と陽との違いで、形式が内容を決定したのか。  いずれにしても、残虐なる殺人事件が、何故こうまで明朗なる話題となったのか。またその犯 人に同情があり、刑の軽からん事を願うものが多いのか。「お定《さだ》は死刑にはなりますまいね」「勿 論《もちうん》死刑になんかなるものですか」誰も彼も死刑にならないという確信を持ち、かつその確信に満 足しているかのようである。あれは無期徒刑に違いない、何故か、切取り強盗無期のならいだと か、いいえあれは無罪です、事実無根じめ、ありませんかなどと、いい気になって駄酒落《だじやれ》を飛ばし、 忽ち一座をわっといわせる魅力を生んだ。気の早いのは、お定の出獄の日の一日も早からん事を 祈り、出て来たらどうするだろう、校長さんが引きとるかしら、花井お梅のように汁粉屋になる か、寄席《よせ》に出るか、あるいは当節の事だから酒場を開くか、喫茶店の女給になるかと空想する。 非常な人気だ、同情だ。この間も或会の席上、例によって話がそこに到達すると、座にはべる老 妓《ろうぎ》がひどく興奮し、ほんとに惚《ま》れればああなるのが本当だとすくなからざる感激に酔を加え、昔 をおもわせる瞳《ひとみ》を輝かしたが、忽ちしんみりした調子に変って「,だけど、あのお定さんて人は是 非とも死刑にしてあげたいわねえ」と、一般世間の思惑《おもわく》とは反対の説を唱え出した。「だってあ れほどの人ですもの、牢屋《ろうや》で一人で寝るのはたまらないでしょう」というのだった。彼女を憎ん で死刑にしようというのではなく、深いおもいやりから、むしろひとおもいに死刑にして、独房 の夜々の苦悩から救ってやりたいというのであった。  しかしながら深く思うに、エロとグロの怪奇なる事件が、頗《すこぶ》る明朗に語られ、その主人公がか くまで人気を一身に集めたのは、単に突飛なる切取りのためのみではない。些《いささ》か変に聞えるが、 絶好の時機に起ったからである。人々は歴史を汚した二月事件に気をくさらせ、その後いたる所 で聞かされる噂にあきあきし、何とかして気分の転換をはからなければ、国を挙《あ》げて憂鬱《ゆううつ》病にな りそうな、やり切れない心持に悩まされていた折からなので、刺戟《しげき》の強いエログロ怪奇談は毒を もって毒を制する効果を十分にあげたのである。この際なまやさしい事では、暗鬱地獄を脱却す る事は出来にくい。あたかも其処にこの事件だ。今や人二人寄れば、必ず定吉二人キリ論である。 役所でも、学校でも、銀行でも、会社でも、カフェでも、居酒屋でも、何の心配もなく、自由に、 |気儘《きまま》に、声高《こわだか》に極めて明朗にこれを論じ、哄笑する事が出来るのである。この意味において、私 はこの怪奇事件がおもいもかけない世直しの功徳を持ち、人助けをした事を認むるにやぶさかで ない。彼女の刑よ軽くあれ。 (昭和十一年六月十八日) ー「時事新報」昭和十一年人月二十日・二十一日