前相撲見物記 水上滝太郎  多年本場所の相撲《すもう》を見ているけれど、まだ前相撲の勝負を見た事がない。凡《およそ》当今の番附に名を つらねている力士は、上は横綱大関から、下は序の口の最後のものまで、東西合せて三百数十人 だが、この外中前相撲東西に御座|候《そうろう》としるされている。大望を抱いてこの道に飛込んだ若者が、 将来の夢と目前の苦労の相剋《そうこく》に、命を賭《か》けて身心の鍛錬を競う姿は、是非とも見たいと思いつつ 今日に及んだ。それは、相撲は前相撲が一番面白い、あれほど真剣な土俵は幕の内の力士では見 られないとは、かねて角通《かくつう》といわれる人の口からしばしば聞かされた。  今年夏場所の三日目に、私はようやく宿望を遂げた。何しろ、初日には四時半からはじめたと いうし、二日目は六時だったと聞いていた。平生《へいぜい》私どもは、夜ふかしの朝寝である。その例を破 って、みんなに早く起きてもらう必要はない。朝飯ならば、場所で間に合うときめこみ、私は前 の晩、家人にむかって、明朝玄関の戸があいていても泥棒と思うなといい渡し、もし早く目がさ めたら出かける、寝坊したらやめるときめて、枕《まくら》についた。  大体私は、明日の朝何時に起きようと思いきめて寝れば、その時間きっかりに目のさめる質《たち》で ある。この日は五時ときめて、それよりやや早く目がさめた。心の迷か、かすかに櫓《やぐら》太鼓が聞え る。私はためらわずに、飛起きた。家のものたちが目をさまさないように、音を忍び、顔を洗い、 衣服を着かえ、気力をつけるためにウイスキイをひっかけ、玄関の戸をあけて忍び出た。この日 天気晴朗無風、清々しい初夏の朝空と、新緑が、爽やかに輝いて動かない。時々崖下を通る電車の きしりの外には、何の雑音もないので、大川を渡り、日本橋を越え、神田を越えて、櫓太鼓は九 段の上まで、はっきり聞えて来る。昔は江戸中に響渡り、風の旦ハ合では海を越えて木更津《きさらづ》までも 聞えたといわれるが、近年は市中の物音が多く、騒しく、それに妨げられて、遠方では聞えない のだが、今朝は早起の徳で、力強く響く太鼓の音に胸を轟《とどろ》かせ、昔なつかしく思った。  電車は空《す》いていた。釣道且ハを持つ人が、幾組か乗ったが、大半は私といっしょに国技館前で降 りた。木戸前の茶屋はまだ支度《したく》が整わず、いつになく早い私の出現に、お早いじゃあございませ んかと、驚いていた。時計を見ると六時だ。私は、少し羞《はずか》しい気もしながら、木戸札を貰《もら》って入 場した。いつもは勤をしまい、あかりのつく頃かけつけるのだから、館内いっぱい人で埋まる光 景しか見ていないのだが、この朝の桟敷《さじき》の紅《あか》い毛布は咲ほこる花のように輝かしく、その桟敷の 客といえば、西側の力士|溜《だまり》を少しはずれた中段の所に、田舎風の婆《ばあ》さん二人の一組と、それより よほど上の段に、二人の男の子を連れたおやじの一組がいるばかりだった。さすがに二階三階四 階は、高い所ほど人数が多かったが、それでも空席と半々だった。今日は六時半から勝負がはじ まるというので、それまでに朝飯を食おうと思い、売店に行って見ると、すしやも天麩羅《てんぷら》屋も西 洋料理屋も、まだ支度さえしていない。たった一軒おでん屋が、鍋《なべ》から湯気をたてているので、 いきなり入って椅子《いす》にかけたら、旦那《だんな》まだですよと断られた。やむをえず桟敷に戻り、ぼんやり していると、茶屋の若い者が来て、パンでも持って来ましょうかと心細い事をいう。いらない、 それよりも酒を一本持って来てくれというと、これは直さま埒《らち》があいた。今日は日が永《なご》う御座《ござ》ん すぜと、酒を持って来た若い者は、冷かすように笑って去った。私は桟敷で酒を飲む事には反対 で、勝負本位で他は一切かえりみないという持説だが、早朝からの見物だから、特に許してもら って、盃を手にした。  六時半には柝《き》が入って、東西からぞろぞろ前相撲があらわれ、検査役も東西に一人ずっ席を占 め、若い行司たちも溜《たまり》に控えた。行司の中には七歳か八歳の豆行司もまじっていた。待疲れた三、 四階から拍手が湧《わ》き、忽ち声援が降るのである。私の大嫌《だいきらい》な学生応援団が、例の芝居がかりのリ イダアの指揮にしたがって、あさましいレヴュウを展開する。自分たちの同窓の中途退学生が、 この前相撲の中にいるのであろう。  前相撲は無雑作にはじまった。呼出は土俵に上らず、溜から力士名を呼上る。呼ばれた力士は 互に徳俵《とくだわら》のところで丁《ちよう》と手を打つだけで、直ぐに突かけて行く。つづけさまに二人に勝って、勝 星ひとつを貰い、三っ星を重ねてはじめて出世するのだと聞いているが詳しい事は知らない。私 の頭髪を刈にゆく理髪店の息子が、昨年|玉錦《たまにしき》の所に弟子入して、江戸錦と名告《なの》り、既に一月場所 に初土俵を踏んでいて、今度こそは新序になろうと努力しているので、そのおやじから、新弟子 のつらさは年中聞かされている。江戸錦も、しばらくはバリカンを持って家業の手助をしていた から、私も顔見知だ。柄が大きく、腕が太く、のっそりしているので、大人だと思っていたら、 今年ようやく十八歳だという。身長五尺八寸余、体重二十一貫、親方はこれが可愛くてたまらな いのだ。どうもずうたいが大き過《すぎ》て、うちの商売には向きませんから、思い切って相撲取にして みましたが、さて物になれるかどうか、何しろ二番つづけて勝たなくては星にならないってんで すから、番附に乗るだけでも大変ですよ、私の頭をいじりながら、楽みらしく、心配らしく話す のである。殊に、江戸錦が二所ケ関部屋に入門して間もなく、埼玉県から同じ部屋に、六尺四寸 三十貫という大物がやって来て、巌錦《いわにしき》の名を貰った事が、各新聞に写真入で出た時は、親方の我 子を思うおもいはいよいよせつないようだった。ああいう大きい奴に出て来られてはかないませ んよと、羨《うらやま》しそうにいっていた。その江戸錦は中相撲だから、まだ出て来ない。  土俵の上では、年少の力士が突あい押あい、勝負を争っている。幕の内になった時よりも、三 役に入った時よりも、はじめて番附に乗った時が嬉《うれ》しかったと、力士たちがいうように、この第 一の関門を突破する事に一生懸命なのは当前《あたりまえ》だ。だから土俵に真剣味があふれるばかり現われる かというと、私は否と答えたい。本人たちはもとより真剣に違いない。しかし相撲技の未熟は、 各々の勝負を隙《すき》だらけなものにして、緊張感を伴わない。突合っても、押合っても、組んで釣あ い、投あっても、体は土俵いっぱい動き廻っているのだが、その変化には必然性が乏しく、土俵 には空《むな》しく風の吹く隙間が多分に残っている。  これは僅《わずか》に三十分で、勝ったのも負《まけ》たのも入りまじって引込むと、次は中相撲の連中で、さす がに体も一|廻《まわり》大きく、中にはちいさい髷《まげ》を結っている者もある。新聞でお馴染《なじみ》の巌錦も、首か ら上だけ他の者を抜いて、のっそりと現れた。どういうわけか、巨大力士の肉色はどす黒いのが 多いが、巌錦もこの例にもれず、肌の色は冴《さ》えていない。しかし体の釣合いは申分なく、これが 円満に発達したら、正に大力士に違いない。  今度も、土俵中央で軽くしきる事だけはゆるされているが、やはり二人抜で、無雑作な力闘は 瞬間に勝敗を分《わか》つのである。いつ来ていたのか、病気休場中の大男|出羽ヶ嶽文二郎《でわ たけぶんじろう》が、西の力士 溜に近い桟敷に、杖《つえ》といっしょに両脚を投出して観戦しているのを発見した。  突然、豆行司のきんきん声で、さしかえまして江戸錦と叫ぶのを聞いた。それまで、探しても わからなかった我が江戸錦は、同輩の肉体をかきわけて登場した。ちいさいちょん髷《まげ》を頂き、理 髪店でバリカンを手にしていた時は大男だと思ったが、この晴の土俵に上ると、体は細く、こど もらしく見えるのであった。それでも、勝ほこる相手と突あい、突勝ち、更に新手が出て来ると、 一気に押切って勝名告《かちなのり》をうけた。ああ、おやじに知らせてやりたいと思った。巌錦はさかんな声 援を浴びて土俵に上ったが、立あいがまずく、小兵《こひよう》の相手に下から押されて、踏止《ふみとど》まる術《すべ》もなく、 押切られてしまった。図抜けて体の大きいものは、体全体に力をみなぎらせる事が、小兵のもの よりもむずかしいので、人一倍の稽古《けいこ》を積まなければ完成しにくい。腕力と体重だけでは行かな いところに相撲の技術がある。私は大力士の完成したものの出現を切に希望しているので、巌錦 の如き偉材が、十分の錬磨を経て大成する事を祈るのである。  最近相撲道の隆盛につれて、体格力量に自信のある若者が、実力次第でその道の第一人者にな れる相撲を志し、進んで志願する者の数は激増したときく。社会の他の方面の立志は、いかに勉 励努力しても、万人の目の前にその実力を示す事はむずかしく、段階の細かい順序があり、情実 があり、とんとん拍子《びようし》に出世する事は思いも及ばない。それよりも、無資本で、貧富教育の有無 を問わず、自分の力ずくで、勝てば出世するこの道に志を立てる者の殖《ふ》えたのは無理もない。昔 の志願者と違って、そういう事の一切を考慮に入れた上で、門を叩《たた》く者もすくなくないに違いな い。だが、玉錦や双葉山《ふたばやま》は万人の一人であって、幕の内となり十両となる者さえ、千人の一人と 覚悟しなければならない。その上、いかに体格に恵まれ、力量と技術と並びすぐれても、病気と |怪我《けが》という大敵が、中途|挫折《ざせつ》の悲劇を突発させる。病気と怪我は、他の道においても同じ不幸を 伴う事はいうまでもないが、肉体専一の相撲におけるほど致命的な結果をもたらす事はない。大 関横綱の期待をかけられながら、病気や怪我のために頓挫《とんざ》した者はすくなくない。現に西の桟敷 で観戦している巨人出羽ケ嶽は、当代随一の大男で、まだ年若くして関脇《せきわけ》の栄位にのぼり、その |強力《こうりざ》は相手方の力士を畏怖《いふ》せしめたが、不幸難病にとりつかれ、最近は土俵をつとめる事も叶《かな》わ ず、二段目のどん尻《じり》に僅《わずか》にその名を止《とど》めるに過ぎない。彼は、土俵の上の間の抜けた勝負を見て、 時々大口を開《あ》いて笑っていたが、その笑さえいたましく見えた。  あるいは横綱|武蔵山《むさしやま》が、沖つ海との一戦に腕を挫折し、爾来|突張《つつばり》も上手投も十分の威力を発揮 し得ず、今や将来の出場さえ疑われる有様となり、また強力無双《ごうりきむそう》の高登《たかのぼり》が、脚部の負傷のため、 |夙《とう》にのぼるべき大関の地位には、殆んど縁もなくなったような姿になり果てた事など、実力次第 でどうでもなり、情実も斟酌《しんしやく》もない相撲道の明るさが、逆に作用して、人生の悲惨事をまざまざ と見せつけているのである。その他この種の例を数えればいくらでもあるが、かかる不幸の運命 が、常に土俵の上に伴うつらさは、われわれ観客をしてしばしば沈鬱《ちんうつ》の念に堪えざらしめる。  私は中前相撲の勝負を見て、相撲の面白さは感じなかった。しばー,}ば角通の口にする、幕下の 若い元気のいい力士の取組が本当に面白いのだとか、前相撲こそ真剣味があって面白いのだとか いう言葉は嘘である。相撲は断然上位の力士の取組が面白いのだ。ただ、下の方の相撲を見て興 味を感じるのは、将来どんな大物が出るかという期待だけである。  それにもかかわらず、私は前相撲の勝負を見ていると、一組さえ見落L9事の出来ない心持にな り、一度も席を立つ事が出来なかった。はからずも、私は同人文学雑誌の事を想い起した。私は 文壇組合には加入していない素人《しろうと》作者で、しかも一生幕の内には上れない程度のものである。し かし文学は面白くて堪《たま》らない。私の手許《てもと》に送られて来る多数の同人雑誌を、私は殆んどみんな読 む。同人雑誌必ずしも無名新人の書いたものばかりで埋められているとは限らないが、大多数は 無名の人と見て間違いない。編輯後記や、その人たちが他人の作品を批評した文章を読むと、い ずれも自分の才能を高く評価しているものの如く、既成有名作家の商業主義を罵《ののし》り、無気力を嘲 笑《ちょうしょう》し、古さを唾棄《だき》し、自分たちの真剣な心構《こころがまえ》を高唱している。しかし、その制作の大概は、新鮮 でもなく、真剣味も感じさせない。私は、文学においても、錬磨の効を積まなければならないの ではないかと思う。小学校や中学校で、同級生を投飛ばしていた若者が、本職をこころざし、前 相撲を取ってみて、隙《すき》だらけのへまをやるのと同じ事が、ここにも見出されるように思うのであ る。全くつまらない作品を、月々数十あるいは百数十読む事二十余年に及ぶ。どうしてそんな馬 鹿々々しい事に貴重な時間を費すのかと忠告してくれる人もある。自分でも、それだけの時間を、 もっと良書に費すべきだと常に考えるのだが、また一方には読まないでは済まない気持がある。 その心持を解剖してみる事もある。慾張の心のあらわれかとも思う。吝嗇《けち》のあらわれだとも思う。 瓰げ中に玉の埋もれるのを惜む心もあるにはある。前相撲の中から、将来の大関横綱を見出すと 同じ興味もある。しかし、結局は文学が好きなので、つまらないといいつつ、やはり本心は面白 いのではないかと思う。前相撲の稚拙な勝負を見て、ああすれば勝つ、こうすればきまると批判 しつつ、その批判を許す隙間に不満を感じながら、同時にこれを楽むのと同じではないか。どこ が播いかを発見する事は、完成を望む第一歩である。私は、つまらないと思いながら、一番の勝 負さえおろそかに見逃せなかった自分を尤《もつと》もだと思う事が出来た。  約一時間を費して中相撲は終り、八時から序の口の取組になった。四階三階二階の順に満員と なり、いつか出羽ケ嶽の姿も見えなくなり、四方の桟敷も見ているうちに人で埋まり、土俵は一 番々々と緊張して来た。だが、私は平生《へいぜい》と違って、この日は終日重苦しく、鬱陶《うつとう》しい心持を消す 事が出来なかった。人生の一方ならぬ苦労を、あまりにはっきり之目の前に見せられた心の重荷 が、容易に転向出来ないためだった。今日見た番附外の相撲取の中には、遂に番附に名前は乗ら ずじまいで、落伍《らくご》してしまう者もあるであろう。それよりはややよくて、番附に乗るには乗って も、その後の進境遅々として、下積に終る者もあるであろう。この方が一層中途半端で、不幸の 度はいやまさるものかもしれない。あるいは抜群の成績で将来を期待され、とんとん拍子に進む 者もあるであろう。しかしその優秀の者といえども、病気か怪我で中途に志を砕かれる不運に遭 遇するかもしれない。私は同人雑誌の上で馴染《なじみ》の深くなった若い作家のみんながみんな、芥川賞 を貰えばいいと念じるのと同じく、今日見た若い力士たちが、いずれも揃《そろ》って息災で、出世する 事を祈るのであった。  午後になって、子供を連れてやって来た妻は、前相撲って面白ござんすかと、自分も一度は見 |き《すこぶ》 たい顔附で訊いたが、私は頗る不機嫌に答えた。つまらない、二度とは見ないつもりだ。人生五 十の坂に辿《たど》りっいて、早くも身心疲れ果て、再び生れ変って来る事はま(、びら御免だと思う私に は、こう答える外にみちがなかった。 (昭和十二年七月一日)                            ー『三田文学』昭和十二年八月号