兵隊ごつこ(貝殻追放) 水上滝太郎  勿論《もちろん》それは忠勇無双の寺内さんの黄金時代に出た御布令《おふれ》に違いない。陸軍のいわゆる未教育の 兵隊を、時々点呼に召集して、天皇陛下の忠良なる兵隊としての精神と形式を兼ね備えしめると いう趣向であった。而してそれは今後徴兵検査に呼出される者に適用するばかりでなく、普《あまね》くそ の恩典に浴せしむるために、或年間既往に溯《さかのぼ》るという抜目のない思召《おぼしめし》であった。明治四十五年に 検査を受けて、不幸にも歯牙《しが》不良のため、第一乙種になった自分は、今年の夏点呼を受ける順番 になっていた。  もとより忠義の心に怠慢《おこたり》はないのだが、半生の廻《めぐ》りあわせから、兵隊の事は何も知らないので、 兵隊屋敷に入れられた事のない者は、総《すべ》て兵役関係はないものだと簡単に考えている一般世人と 同様に、自分も人に訊《き》かれると、兵役関係はありませんと答え、その答が間違っているとは思わ なかった。しかも事実上、自分は補充兵という役種の一兵卒だったのである。位こそ違え、寺内 さんのように、日本帝国の軍人だったのだ。  自分が名誉ある日本帝国の軍人だという事を知ったのは今年の正月だった。区役所から来た通 知書に、「補充兵証書保管|無之《これなき》者ハ速《すみやか》ニ該証書再下附願出ルコト」とあったので、直に手続をし て下附してもらった。その証書を読んで、始めて自分が軍人だという事を適確に知った。忠義の 心に変りはないのだが、徴兵検査を受けた時|貰《もら》った証書は、「兵隊を免れた証明書」だと思って いたので、別段たいした物とは考えず、何時《いつ》の間にか紛失してしまったのだ。  われわれ軍人は、本籍地外に旅行寄留等の場合には、区内に通報人を定めて届出で、万一召集 される場合に、遅滞なく通知されるようにして置かなければならない。この届出をしない者は科 料に処されるのだそうである。但し寄留地において点呼を受ける事も出来るのだが、それには今 年の三月三十一日までに届出なくてはならないのだ。何故そんなに窮屈な期限が切ってあるのか、 これだけはいまだに腑《ふ》に落ちない。  自分は永らく大阪に来ているので、勿論大阪で点呼を受けるのが便利だった。しかし三月三十 一日までにその旨を届出た後で、どうかした拍子で東京へ帰る事にでもなると、何しろ相手は陸 軍だから、またまた面倒が起るに違いない。会社に勤めている身だから、実際また何時《いつ》なん時、 東京へ転任になるかはかり知られないのである。そればかりでなく、今年二月不測の災難で重傷 を受け、幸に負傷は治癒《ちゆ》したが、激烈な神経衰弱と余病を併発した古稀《こき》を越えた父が、その後|日《ひ》 に日に衰えて、むやみに心細がるようになってからは、遠方にいる息子たちを手元に呼寄せたい のが、何よりの望になってしまった。身儘《みまま》にならぬ勤人は、こういう場合、おひまを貰うより外 に途《みち》がない。自分も、おひまを貰って親の家に帰ろうかとも考えていたので、かたがた寄留の手 続はしなかったのである。  噂《うわさ》によると、簡閲点呼は八月中旬だという事だった。自分は安心して、御国のためにも、自分 自身の糊口《ここう》のためにも、汗を流して働いていた。  六月の初めに、予《かね》て通報人と定めて置いた東京の親の家から、補充兵簡閲点呼召集令状を廻附 して来た。六月十五日午後一時三十分に、指定の到達地へ参集しろと書いてあって、裏面には不 参者は処罰される旨が認《したた》めてあった。余りに事の重大なのに驚いた。われわれ未教育の軍人は、 十二年四ヵ月の補充兵役年限内に、四年目に一度呼出されるばかりで、しかもその一度が、たっ た半日の事だと聞いていたので、実は、あってもなくても大した間違ではないものだと、たかを くくっていたのであった。しかるにその半日の不参が、直に拘引や罰金に相当するのだと知って は、子供の時からおかみを怖《おそ》れる習癖のある日本国民として、震駭《ショツク》を受けないわけにはいかなか った。  それにしても幸だったのは、兼々《かねがね》会社の用務を帯びて、島根地方へ出張しなければならないは ずだったのを、別段の理由もなく一日延ばしに延ばして置いた事だった。令状を手にしたのが九 日で召集日が十五日なのだから、うっかり旅にでも出ていると、自分は当然|牢屋《ろうや》にぶち込まれる 身の上だったに違いない。そんな事があれば、これでも兵隊という武士の端《はし》くれだから、先祖伝 来の芝居気を出して、あるいは切腹して補充兵の武士道を全くする気にならないとも限らない。 |怖《おそ》ろしい事だったと思うと同時に、島根地方へ出張しなかった身の幸運を祝したのである。  受取った召集令状には、別に、在郷軍人会の好意に出る簡閲点呼予習を行う旨の貼紙《はりがみ》がくっつ いていた。不思議な事には、何月何日に予習をすると明確に書いてない。迂闊《うかつ》だなとは思ったが、 考えて見ると、自分の如き遠隔の地にいる者をわざわざ呼出す必要はないので、特に除いたもの に違いないと、勝手に解釈してしまった。体操なら学校で仕込まれたから、予習にも及ぶまいと 思った。それにしても簡閲点呼というものは、早暁《あけがた》暗いうちから始まると聞いていたのに、午後 一時三十分よりと書いてあるのは、これ即ち人民の困苦をおもいやられた思召で、さすがに陸軍 も開化したものだと感謝した。やはりこの頃流行のデモクラシイというものかとも考えた。  勤人の悲しさには、欠勤すると年末の賞与にさし響くので、休みたくないとは思うのだが、何 分不参の際のお罰が怖ろしいので、一両日のおひまを願って、十四日の夜行で東上する事にした。 令状の端の方に令状に添附してある鉄道乗車券を使用すれば、費用は半額になると注意書がある けれど、肝心の鉄道乗車券そのものが添附してない。近頃の物価騰貴で、俄《にわか》に御規則が変ったの だろうと思ってあきらめた。  無資産薄給者の悲しさには、平生貯蓄の余裕がないので、何時も財布は空っぽだったが、先年 遠方にいた嫂《あによめ》が急病で、危篤|直《す》ぐ来いという電報を受取った時、財布の中には片道の汽車賃がよ うやくあっただけで、途中のお弁当代も難かしく、お葬式を済ませて帰る時は、汽車賃を借用し なければならなかった。その時つくづく考えたのは、今後もどんな事が起るかしれないのだから、 少くとも東京大阪間を往復する旅費だけは、何時でも用意して置こうと思った。随分それさえ難 かしかったが、幸にこの決心は動かないで、往復の汽車賃だけでも持合せていたのは嬉《うれ》しかった。  十五日の朝東京に着いて、山の手も郡部に近い親の家に、病人の父を見舞った後で、令状面に 指定された点呼場-小学校に馳《か》けつけた。門を入ると入口の受附で、召集令状は取上げられて しまった。  「暫時《しばらく》あちらで待っていて下さい。」 と胸に記章をつけた男の指差す方に行くと其処は運動場に面した雨天体操場たった。広い板敷の 上に、小学の児童の日常腰掛けている低い椅子《いす》がぎっしり並んでいた。既に到着した、おもいお もいの服装の忠良なる補充役の兵隊は、退屈そうな顔をして、その椅子に腰を下したり、羽目板 にべったり貼附けてあるいろんな勅語の難解な文字を、とても解らない顔付で拝読していた。正 面には一段高い壇がこしらえてあって、その後の壁には、予習簡閲点呼執行官陸軍砲兵少佐何某、 何区在郷軍人会分会長陸軍少佐子爵何某と、墨《すみ》黒々と書いた紙が貼ってあった。  突然疑念が湧上《わきあが》った。予習という二字と、在郷軍人分会長の名前が、遠慮気もなく麗々しく貼 出してあるのが合点《がてん》が行かなかった。陸軍補充兵簡閲点呼に、在郷軍人分会長が牛耳《ぎゆうじ》を執るわけ がない。こいつはぺてんにかかったかなと、鋭く邪推が働き出した。いやいやそんな事はあるま い。正直一図の寺内さんを会長に頂く在郷軍人会が、詐欺に等しい行為をするはずがない。第一 人を騙《だまか》すのは武士道にはずれている。疑っては済まないと考え直して、ありがたい勅語の貼出し てある羽目板にくっついて、時間の来るのを待っていた。  「金ちゃん、オイー此処だよ、此処だってば。」  突然耳の側で頓狂《とんきよう》な声を出した男がある。お祭の時の揃《そろい》の浴衣《ゆかた》に三尺帯で、角刈の頭の少し延 び過ぎたのが、バットを耳に挟《はさ》んでいた。日に焼けた手を高くあげて、入口の友達を呼んでいる。 呼ばれた方の金ちゃんも、同じく角刈で、これも揃の浴衣だが、その上に紋付の羽織を引かけて いた。、  「どうしたい。お前よく出て来たなあ。」  「アア、仕事を休んで来るにはあたらねえたあ思ったんだけど、あんまりうるさく勧めやがる んだろう、断り切れなくなっちゃった。」  金ちゃんは少々長過ぎる舌が邪魔になる口つきで、涎《よだれ》の垂れそうな巻舌だった。  「まあ公はどうしやがったろう。」  「まあ公かい。あんな太え奴ったらありゃあしねえぜ。途中まで一緒に来ときながら、どうせ 工場を休むんなら、点呼よか浅草に行って遊んだ方がいいってやがってね、よせよせってもきき ゃあがらねえーほんとに浅草へ行っちまやがった。」  「ふてえ奴だな。」  二人は、さもまあ公の太え奴なる事に感服してるように噂《うわさ》して笑った。  自分の疑念はまた頭を持上げて来た。まあ公は簡閲点呼のために工場を休みながら、途中で気 が変って浅草に遊びに行ったのだそうだが、それでも彼は拘引されもしなければ、罰金も取られ ないのかしら。やはりぺてんにかかったのか。予習簡閲点呼を行うという在郷軍人会の貼紙は、 確に令状にくっついていたが、それが即ち今日の事だったのか。しかし解らないのは、聯隊区司 令官の名前の歴然と認《したた》めてあった事だ。まさか召集令状を偽造する事はあるまい。ああかしら、 こうかしらと、疑深くなった頭脳はむやみに鋭敏に働いた。人に罵《ののし》られるよりも騙《だま》される方が嫌 いな自分は騙されたのかと推測するだけでも、頭に血の上る心地《ここち》がした。  思い切って受附に行って、胸に記章をつけて忙しそうに働いている世話人の一人を捉《とら》えて、  「今日の点呼は、これは予習なんですか。」 と訊《き》いてみた。  「ハアそうです。」  わかり切った事じゃあないかといいたそうな、愛想のない兵隊上りが、紋附《もんワき》の肩をいからして 答えた。  「しかし召集令状には予習とは書いてなかったと思いますが。」  「それはありません。」  うるさそうに彼は答えた。  「しかし予習をするという紙片《かみきれ》が添附してあったでしょう。」  「それはありました。けれども予習の日取はその紙片《かみきれ》には書いてなかったと思います。」  「それは令状の方に書いてある。」  男は何の不思議もないという顔附で、いよいよ面倒臭そうに答えた。  「ですが、あの司令官の名前まで書いてある令状はほん物ではなかったのですか。」  驚《おどろき》と憤《いきどおり》に声の高くなったのを自分自身感じた.、  「それは君、実際召集される時にまごつかないように、本当の令状と同じ物を用いたのさ。」  「フム、騙されたのか。」  自分は中腹《ちゆうつばら》で呶鳴《どな》った。  「なんだ。国家のためじゃないか。」  突然耳元で咄鵞するような太い声でいった。何時の間に来て並聡していたのか、カアキイ色の 軍服で、長い洋刀《サなベル》をさげた士官が、怖い顔をしていったのだった。  「左様か。国家のために騙したのか。」  苦々しい心持で、自分はその士官の、無理にも威厳を保とうとしている顔を見返した。  その時、  「集れエッ。」 と運動場の方で呶鳴る声がして、召集された補充兵は、一斉に炎天の砂利場《じやりば》に引出される事にな った。胸に記章をつけた先輩の在郷軍人は、まごまごしている未教育兵の後見《こうけん》をつとめた。かな り得意然とした顔もあった。  日はかんかん照っている。乾《かわ》き切った運動場に敷詰めた砂利は、遠慮会釈もなく照りかえす。 忠良なる未教育の兵隊は甚《はなは》だ勝手違いな格好をして整列した。ふとその忠良なるわれわれ未教育 の兵隊の間に、同窓の一人を見出した。久しぶりで、思いもかけない所で逢《あ》ったので、お互に列 を離れて挨拶《あいさつ》した。  「ヘエ、わざわざ大阪から来たんですか。」  「何しろ勝手がわからないので、もしも出て来ないと拘引されるんじゃないかと思いまして。」  自分は自分自身を嘲《あざけ》るように答えた。  「モシモシ、貴方《あなた》は大阪からいらっしゃったんですか。」  胸に記章はつけていなかったが、やはり後見役をつとめていたから、分会の世話人に違いない 人が、人を分けて近寄って来た。  「ほん物の令状と贋物《にせもの》の令状との区別がつかないものですから、まんまと一杯|喰《く》わされまし た。」  「それはお気の毒でした。実は長崎から馳《か》けつけて来た人もあるのです。」 と服装《みなり》も物腰も掃溜《はきだめ》に鶴のその紳士は、眉《まゆ》をひそめていった。  「ヘエ、長崎から。」  自分よりももっと遠くから、騙されて来た人のあるのを聞いて、少しは気が楽になった。馬鹿 を見たお仲間の一人でも多いのが、自分の間抜《まぬけ》を弁護するためにも気強かった。  「大阪からでは大変ですな。とにかくそれはお気の毒でした。」  紳士は繰返して気の毒がって、  「失礼ですがお名前は。」 といいながら、懐中から手帳を出して書取った。そのまま向うに立去って行く後姿を頼母《たのも》しく思 ったが、しかし紳士は二度とその姿を現さなかった。ああいう親切な人は、分会では幅が利《き》かな いのであろう。  「気をつけッ。」 と一人の軍服の人が呶鳴《どな》った。同時に運動場の一隅の校舎の出入口から、二、三人の士官が、軍 人に特有の気取った歩き方で、軍人に特有の無理に威厳を保とうとして、ぎごちなくなったのが、 胸の勲章を光らして出て来た。  その中で一番背が低く、一番まるまると肥った、起上小法師《おきあがりこぼし》のようなのが、一段山口同い壇に上っ て挨拶《あいさつ》を始めた。  「自分は在郷軍人会分会長何某少佐であります。」 と名告《なの》った。明治の陸軍始まってからの明敏な頭脳の所有者だと称された九州出の軍人のぼんぼ んだ。親は頭脳がよかったそうだが、ぼんぼんの方はー少なくともこの日の挨拶の支離滅裂ち っとも意味をなさなかったところから判断すると1大分濁った頭脳らしかった。しかし忠義は 忠義なのであろう。  「エエ、諸君は即ち軍隊の!ーウウム、素質である。」 などと、むやみに力みながら、わかりにくい事を述べた。要するに簡閲点呼予習の必要を説いた には違いなかった。  軆儀こそ起上小法師だが、顔附は赤坊のように可愛らしかった。はち切れそうな煙遮や、太鼓 のようなお腹や、ぷりぷりしたお尻や、思い切って短い足を動かして得意そうに歩いているとこ ろは、そぞろに子供の時分の心持を起させた。即ち、紙の烏帽子《えぼし》をかぶり、木の太刀を帯にはさ み、はたきを采配《さいはい》のかわりに持って、木馬にまたがると、忽《たちま》ち加藤清正の心持になる事の出来た 時代のわれわれの姿を思い出すのである。  続いて、予習簡閲点呼執行官何某少佐が、細長い身体を壇上に運んだ。甚だ月並で恥入るが、 まんまるい分会長と、細長い執行官を比べて、ソマトオゼを想ったのである。執行官は一生懸命 にそっくりかえって、簡閲点呼を受ける者の心得を教えた。神経質な顔附の、なかなかの気取屋 で、一言一句に嬌態《しな》をした。殊《こと》に物を言ってから、ちょっと首を振る癖が目に立った。  兵隊ごっこはいよいよ始まった。一言にしていえば、それはおじぎの稽古《けいこ》に過ぎなかった。  「執行官が目の前に来て立止ったら、右の手で帽子をとる。そして三歩前に出る。オ一、二、 三ッ、力強く踏んで出る。其処で執行官に礼をする。礼をする時は、平生やっているように、腰 を屈《かが》めて頭を下げてはいけない。腰は決して曲げない。眼は絶えず執行官の眼を見詰めている。 そして上半を前に出す。こういう風に尻を後に突出すようにする。その時執行官は挙手の礼をす る。執行官が挙手の礼をしたら、其処で各自の官姓名を名告《なの》る。役種と兵種と各々の姓名を名告 る。補充兵歩兵何の某という風に名告る。杢兵衛《もくべえ》なら杢兵衛。長松なら長松と、大きい声で男ら しくやる。軍人は第一に男らしくなければならない。名告ったらばまた礼をする。それに対して 執行官は挙手の礼をする。其処で再びもとの位置に戻る。」  首をぐにゃぐにゃ振りながら、執行官は詳しく説明した。  説明が終ると直に実行だ。執行官に目前で立止まられた者は、順々に稽古をつけられた。右の 手で帽子をとって、三歩前に出て、礼をして、名告って、また礼をして引込むだけの話だが、集 まった者の大半が満足には出来ないで、頭を下げ過ぎたり、声が低過ぎたり、順序が違ったりー.) て難癖をつけられた。ひとつには、むやみに洋刀《サ ベル》を怖《こわ》がっているためでもあった。鉄槌《かなづち》を持った り、櫓櫂《うかい》を握っては、一人前以上の腕節《うでつぶし》を持っていそうな逞《たくま》しいのも、ぶるぶる震えて声が出な かった。自分にも順番が廻って来た。右の手で帽子をとって、オ一、二、三ッと前に出て、礼を して補充兵歩兵姓名を名告って、また礼をして列に戻った。存外面白かった。久しぶりで、子供 の心持が少しばかり蘇生《そせい》した。同時にまた、大人が子供を遊ばせている時のような、無責任な愉 快な気持もした。  しかしながら夏の日は、あくまでもかんかん照りつけた。砂利を踏む下駄《げた》や靴《くつ》の音が、頭に響 いて為方《しかた》がなかった。点呼はなかなかおしまいにならない。校庭の立木の梢《こずえ》に啼《な》きわめく油嬋《あぶらぜみ》が、 |疳癪《かんしやく》に障《さわ》った。幾度も幾度も、額の汗を拭《ふ》きながら、雲もない空を見上げた。その青空の蜻蛉《とんぼ》は、 人を馬鹿にして、ひとつところを往ったり来たりしていた。  日が西に傾いて、ようやくおじぎの稽古《けいこ》は終った。それから直に、雨天体操場で「学科」のお 稽古があった。一同が椅子に腰かけると、士官の一人が種々の質問をした。  「補充兵役年限は何年であるか、知ってる者は手をあげる。」  正直に手を挙《あ》げる男らしいのがある。  「十二年四カ月であります。」  そういう風に答えるのである。役種兵種の別、兵種は如何なる目じるしで見わける事が出来る か、召集令状の種類、非常召集令状の赤紙を受取った時の心得-教えたり質問したり、士官は |頗《すこぶ》る熱心だった。随分|突飛《とつび》な見当違いの返答をする者もあったが、士官は叮嚀《ていねい》懇切に教えた。物 を知らない未教育の兵隊に、教育を施すのが、いかにも嬉しそうだった。  「日本帝国が世界の他の国と違っている点を知っとる者はあるか。」  「万世一系の天皇陛ドを頂いているのが、世界の他の国と違っております。」  「左様だ。それは日本国民として、誰でも知っておらんければならん事だ。第一我国の国体は 世界に比類がない。根本において違っているのだ。即ち他の国々は、最初国があって、後に天子 が出来た。中には人民が天子を選挙している国もある。しかるに日本帝国は、先ず天子様がおい でになって、しかる後に国が出来た。全く世界中に比類のないありかたい国体である。だから諸 君は忠義を尽さんければならないのである。」  士官は比類のない国体を説く時、興奮して震えるほど緊張していた。われわれ未教育の兵隊の 頭脳にも、何故に我国体は比類なき尊きものであるか、極めて徹底的に沁《し》み込んだ。天子があっ て、はじめて国が出来たのと、国があって、しかる後に天子が出来たのでは、その間|大《おおい》に相違が あるに違いない。  「万世一系の天皇を頂いている事、これが第一に他国と違っている点であるが、その他にまだ 違っている点があると思うが、気の付いた者は手を挙げる。ーム、お前。」  「開闢《かいびやく》以来未だ一度も敵に負けた事のない事であります。」  手を挙げた男は、これも興奮した声で答えた。  「そうだ。よくわかった。未だ一度も外国に負けた事がない。だから諸君は一層忠義を尽して この名誉を永久に守らんければならん。」  士官は今現に目前に敵が迫って来ているかのように、怖ろしい顔をして拳骨《げんこつ》で卓を叩《たた》いた。  国体論が済むと、次には軍人の覚悟が説かれた。それは明治天皇陛下が、われわれ軍人に下し |賜《たま》わった勅語の説明であった。軍人は忠義を第一とし、武勇を尊び、礼儀を重んじ、質素を旨と し、信義に厚くなければならないというのである。  「武士たる者は、かりそめにも謔《うそ》を言ってはならん。」 と士官は信義に厚くなければならないという御主意を説いた。胸に堪《こた》えてありがたかった。  「学科」が終ると、一同起立して、最敬礼の姿勢で、士官の奉読する沢山の勅語勅諭を、次か ら次と拝聴させられた。  最後に、八月中旬、今度こそは正真正銘の簡閲点呼があるのだと聞かされて、長い半日の兵隊 ごっこは終った。既に日は暮れかかって、お腹の空《す》いた未教育の兵隊たちは、ぞろぞろと町に出 た。その中には、騙《だま》されて長崎から来た男もいるのであろうと思うと、衆愚同志が感じる親しさ を大阪から騙されて来たこの衆愚の一人も、沁々《しみじみ》と感じたのである。  「軍人はかりそめにも誠をついてはならん。」 と士官はいったけれど、どう考えても在郷軍人会のやり口は、人を陥穽《かんせい》に誘い込むものであった。 後で聞くと、帝国陸軍となれあいで、一人でも多く予習点呼に呼出すために、故意にまぎらわし い令状を出すのだという事だった。この点は甚だ解せなかったが、幾度も幾度も鈍い頭脳を撤っ た後で、最後にハタと手をうったのは、忠義のためには軍人だって、謔をついてもいいのだろう という推論に到達した時だった。そうだ、世界に比類のない万世一系の天子様のためには、謔を ついたって構わないのだと思った。  それにつけて思い合わされるのは、軍事探偵というものに対する日本人の考と、西洋人の考と 甚《はなはだ》しく異なる事であった。国のため、君のために、密《ひそ》かに敵国の機密を探る者は、この比類の ない国においては、その手段の如何《いかん》にかかわらず、志士として尊敬され、まかり間違って命でも 落そうものなら、神様にさえ祭り上げられ兼ねない。しかるに西洋諸国では、秘密を探る軍事探 偵《スパイ》は、如何に国家のためにしても、卑劣なものとして唾棄《だき》する傾向がある。要するに譴いつわり を、忠義の二字で是認するかしないかの問題らしい。あらゆる事が、忠義のためには許されるか、 許されないかの問題らしい。わかった、自分が在郷軍人会のぺてんにかかって騙されたのも、ち っとも恨むべき事ではない。忠義のために騙したのだ。忠義の人に騙されたのだ。かくてこそ比 類なき国は永久に比類なき光輝を発揚するであろう。  自分はすべての疑のとけた心持で、空《す》き切ったお腹の要求から、ひたすら晩の御飯を思いなが ら電車道に急いだが、ただ一つ心にかかってうらめしかったのは、折角ためて置いた汽車賃を、 本物の簡閲点呼のために使わないで、贋物《にせもの》のためにつかってしまった事だ。また明日から苦しい 思いをして、八月中旬の点呼までに、貯蓄しなければならないのかと思ったら、さすがに質素を 旨とする軍人の一人なる補充兵歩兵も、忠義と信義を秤《はかり》にかけて、些《いささ》か首をかたむけなければな らなかった。 (大正八年九月十七日)                            ー『。三田文学』大正八年十月号