【これは未校正のデータです。】 甲賀三郎「体温計殺人事件」 プロローグ 石持敬助と彼の別荘  石持敬助の人嫌いは有名なものだった。探偵小説の作家 の中にはひどい人嫌いがあって、昼日中雨戸を閉め切って、 薄暗い部屋の中の敷き放しの蒲団に潜ったきり、絶対に人 に会わないと云う人があるそうだが、石持敬助のような実 業家の人嫌いは珍しい。尤も石持敬助は大きな会社の重役 を十も二十も、自分でも忘れる位に駆け持ちをして、待合 か妾宅にいる以外は、朝から晩まで飛び歩いていると云 う、精力絶倫の企業資本家ではなくて、それらの企業資本 家、もつと|手取早《てつとりぱや》く云えば金貸しだったので、必ずしも人 に会う必要がないのだった。即ち彼はホソの二、三人の、 而も常用ではないフリーラノサー的の番頭があって、そ の下には又無数の金融ブローカーがついていて、そのブロ ーカーが先ず直参の番頭に話し込み、番頭が石持敬助に話 をすると云う工合で、彼は殆んど人に接しないで、十分商 売が出来るのだった。借りる方の側から云うと、直接本人 に会って、お辞儀をしたり、お世辞を云ったりする世話か なく、高利と、それからブローカーに幾分コンミッション を取られる事さえ我慢すればいゝのだし、又事実、石持敬 助は誰に貸しているのか能く知らない位だったし、反って 借りいゝので、彼の商売は中々繁昌して、もし発表した ら、あの人がと驚かれるような実業家までも、彼の融通を 仰いでいるのだった。  石持敬助がどうしてあれだけの巨富-彼の死後発表さ れた所によると、有価証券公債土地家屋等動産不動産を通 じて一千万円以上で、未回収金を加えると、一千五百万円に 達したーを一代に積んだかと云う事については、誰も委 しい説明の出来るものはなかった。彼は今云う通り、極端 な人嫌いだから、溜め込んだ小金を、少数のブローヵ1を 通じて、ボッく高利で廻しているうちに、いつとはなし に十万が百万になり、百万が千万になったので、二百万、 三百万と云う大金が自由に動かせるようになって漸く人に 知られ初めたので、つまりそこまでの道程については、誰 も委しく知るものがなかった訳なのだ、  石持敬助についてもう一つの有名な事は、彼の若い美し い細君の八重子の事だった、石持敬助はこの物語の当時は 既に六十近い老人で、|身体《からだ》に相応した大きな角張った顔つ きで、人嫌いにしては、眉毛が濃く怒って、眼のギロリと した中々精桿な|膏切《あぶらド》った男だったそうだが、それに対し て、細君はやっと二十七、八で冬の夜の澄んだ月のよう に、蒼白い冷い美しさが身体全体を包んでいるような細面 の華著な婦人だった。  彼女の前身については、説をなす者がまちくで、或者 は彼女が曲馬団の少女だったと云い、或者はいやそうでは ない、彼女が危く曲馬団に売られようとしたのを、石持敬 助が金を出して引取り育て上げて妻にしたのだと云い、或 者はそれは違う、彼女が失恋の結果投身しようとしたの を、石持敬助が助けて、家に置くうちに、妻にしたのだと 云い、どれを信じていエのやら、ことによると、全部が出 鱈目でないかとさえ思われるのだった。然し、いずれにし ても、彼女の前身が謎に包まれている事だけは確かだっ た。  さて話は、いかにして石持敬助かAl県下の|深海村《ふかうみむら》の 海岸に別荘を建てたか、又、いかにしてその別荘で奇怪な 死を遂げたかと云う事に移るのだが、その以前にちよっと 彼の甥の笠尾慶之助の事を述べて置こう。  石持敬助の家族は妻の八重子だけで、家には彼女の他に 若干の雇人があるきりだった。石持敬助に接するのは、八重 子と、八重子が止むを得ない事情のある時に代る老女中と で、その他の雇人は一切直接に主人に話す事は|愚《おろ》か、会う 事さえ稀だった。商売上の事では、前に述べた通り、二、 三のフリーランサー的の番頭があるのみで、その他に石持 敬助に自由に会えるのは、今云う甥の笠尾慶之助一人だっ た。(その他時折顧問弁護士の平山氏が彼に面会した。)  笠尾慶之助は石持敬助の甥と称していたが、敬助の死後 判明した所によると、甥と云うような濃い関係ではなく、 血続きには違いないが、ずっと縁の遠い親戚だった。然し 石持敬助には慶之助以外には血続きの者は全然なかったら しく、慶之助が、之も人の噂さで確かではないが、艶歌師 の群に這入って、往来で|怪《あや》しげな声で流行歌を唱っていた のを、敬助が拾い上げ教育して学校を卒業させたので、そ れだから笠尾慶之助はBI大学の専門部を三十近くて卒 業したのだが、彼は中々の才子で、敬助には旨く取入った らしく、卒業後もブラくして敬助から小遣をせしめてい たが、三十五か六の年に、どう敬助を説きつけたか、一年 ばかり欧米にやって貰う事になって、可成の大金をせしめ て、先ず欧州に出かけたのだった。所が、之は後に委しく 話す事であるが、彼の外遊中に、石持敬助が奇怪な死を遂 げたのである。  さて、石持敬助が|深海村《ふかハみむら》の海岸に別荘を建てた事は、人 嫌いで交際のない彼がコッソリと、而も交通の不便た、さ して健康地でもない別荘に不向きな所に、建築を始めたの であるから、世間の人達は全然知らなかったのは当然であ る。然し、彼の妻や、笠尾慶之助や、直参のブローカー達 や、彼を取り巻く少数の者は、この事を知って、実に不審 に思ったのだった。人嫌いの外出嫌いの石持敬助が別荘を 建てると云う事それ自身が奇妙である上に、その土地が 非常に不便で、冬には寒風が吹き|荒《すさ》んで、東京よりも遥か に寒く、夏は流石に東京よりは湘度が低く、避暑の目的は 達せられない事もないが、それにしても、他に適当な土地 がいくらでもあるのに、わざく深海村を選んだのは、甚 だ脇に落ちない事であった。  尤も、|深海村《ふかうみむら》の地所は石持敬助がわざノ\買い込んだの ではなく、抵当にして金を貸したのが、債務不履行で、自 然に彼のものになったのだった。人嫌いの彼はその土地 が不便で、他に別荘などの出来る気遣いがないのを見込 み、恰度ひどく健康を気にしていて、しきりに強壮剤など を飲用していた際だったので、ふと、別荘を建てようと云 う気になったのだろう。然し、周囲の人達は全く魔がさし たのだと考えもし、云えもした。尤も、之は後に石持敬助 が別荘の一室で奇怪な死に方をしたからでもあったが。  石持敬助の死は一方深海村の村民達には、彼が別荘を建 てるに際して、村民の非常な反対を押切って、神木と崇め られている松の老木を切った崇りであると、専ら噂をされ た。この老木事件は後の話にも関係が深いから、こゝで述 べて置きたいと思う。  |深海村《ふかうみむら》の海岸は極めて狭いもので、大体は東に向いてい たが、その南端が殆ど直角をなして折れ曲って、その東 端に突き出た岬状の小丘に限られている間に、二、三反歩 ほどの平地があった。そこが石持敬助の別荘の建てられた 所で、だから彼の別荘は北向きだったのである。海岸は今 述べた通り、極めて狭いもので、東向きの入江はせい人\ 二、三町で、こゝにはホソの少しばかり砂地があるが、北 向きの部分、即ち石持敬助の別荘のある所は、大小さま ざまの岩礁が波に洗われていて、|時化《しけ》の時などは、凄まじ い怒濤を打上げる事があった。  その海岸の大きな岩の一つに、幾百年を経たと思われる 松の老樹が、幹を延ばし枝を張って、恰度北向きの海岸全 体を蔽うように幡鋸していた。之が問題の老木で、石持敬 助の方から云わせると、こゝに別荘を建てるからには、こ の樹を切って|終《しま》わなければ、海の眺望は|恰《まる》で隠されて、別 荘の意味をなさない事になって|終《しま》うのだ。所が村民の側か ら云うと、由来そこの平地は村有地で、村民はそこでいろ いろの催物をしたりして、云わば公園みたいたものだった ので、松の老木は近村にまで鳴り響いた名物の一で、海岸 の風致を非常に引立てゝいたし、村民は神木として崇めて いたもので、村の財政が素乱して、収拾がつかなくなっ て、ついこの公園にも等しい村有地を抵当に、石持敬助か ら金を借りて、期限に支払が不能となって、彼の所有に帰し たとは云え、村民が老樹を切る事は絶対に反対するのは、 無理からぬ事であった。  所が、石持敬助が金融資本家一流の傲慢さで、全村民の 反対を押切って、老木を無暫に切り払って|終《しま》ったのには、 一つの口実がないでもなかった。と云うのは、入江の主な 部分、即ち東向きの約二、三丁の海岸の中ほどに、北向きの 海岸にある老松に比べると、大きさも枝ぶりも梢劣るけれ ども、どこへ出しても恥かしくない老松が生い〜戒㌧てい て・村民は北向きの海岸にある老松と併称して充婦松と云 つていたのだが、その松を先年村民自身が合意の上で切り 払って|終《しま》ったのである。それは何の為かと云うと、今から 考えて見ると、馬鹿らしい事であったが、松の木を切り開 いた跡へ、村立の小測候所を建てる為だった。恰度その時 分は、世間の好景気の余波を受けて、深海村は財政上その絶 頂にある時で、それに海岸の条件が魚族の繁殖に最適だっ たと見えて、魚獲が豊宿で、而も値が高かったので、村の 会計は剰余を生ずるばかりだった。そこで考えついたのが 測候所で、之も後で考えて兄ると、当時村の有力者の伜に ちよつと気象学を鶴ったものがあり、その男が野心を抱い て村民を焔てた結果らしいのだが、気象の精確な予知は漁 業を盛んならしめる基だと云うので、村会で満場一致で無 二無三に可決され、五万余円を支出して、測候所が設立さ れたのだった。その時には、測候所熱に浮かされた村民 は、一、二の古老を除く他、松の老木などには一顧を払う ものもなく、至極簡単に切り払って|終《しま》ったのだった。序に 書き加えると、測候所は完全にその機能を発揮する暇もな く、世界的の不況は碑々と僻郡の深海村に押し寄せ、その 上に海の条件に著しい変化を生じたと見えて、魚獲量は激 減し、それだけならば、好景気時代の余喘で苦しいながら も、二、三年はさほどの落潮を見せないですんだであろう に、石持敬助が別荘を造った年の一、二年前に、村有金六 万円の消失事件が起り、村長、助役を巡って責任のなすり つけ合い、村会の乱闘、訴訟につぐ訴訟で村はすっかり疲 弊し、ついに測候所の閉鎖は云わずもがな、石持敬助から 高利の金を借りて、公園に等しい村有地を取られて終うに 至ったのだった。  石持敬助に取っては、この測候所建設の為に老松を伐採 した先例は好個の口実だった。村民達は然し、当時と今と は情況を異にするし、既に一本を失った事は、残りの一本 の存在価値を益ζ大きくしたのだと云って、懸命の反対 をし、陳情団は県庁から内務大臣の官邸にまで及び、民事 行政の両訴訟を起すなど、あらゆる手段を取ったが、監督 官庁でも疲弊した僻村の松一本の事とて重大視せず、つい に村民の主張は通らず、石持敬助は村民の反対を尻目にか けて、老松を一夜のうちに切断して、敢然として鉄筋コン クリート造りの漁酒たる別荘を建て、終ったのだった。  老樹伐採反対運動者のうちには、終いには根気負けのす るものもあり、中には石持側に買収されたものなどもあっ たが、最後まで、いや、既に老松が伐り払われて、別荘の 建築が始められてからも、妨害運動を続けた熱心家が数人 あった。その主なるものは、宗教的見地からして、村の寺 院の|西念寺《さいねんじ》の住職小宮山覚念、前助役の川本徳一郎、村会 議員の長男でOl大学川の清水玄吉なとだった。然し、 これらの人々の反対も何等功を奏せず、別荘の姥築は着々 として進行し、起工された翌年の九月には立派に出来上っ た。  石持敬助に代って諸般の指揮をしていた笠尾慶之助は、 別荘が出来上ると、一月ばかり自らそこに住んで、不備な 所を些細な点に至るまで改めて、十分と見届けて、石持敬 助に報告した。笠尾慶之助はそれから間もなく、前に述べ たように一年の予定で外遊の途に|上《のぼ》ったのだが、之には村 民の執拗な反対と必死の妨害に打ち克って、無事に別荘を 竣功させた褒美の意味が加わっているのだろう。  以上が深海村の別荘の一室で、石持敬助が奇怪な死を遂 げる直前までの、極く大体の経過である。而も、作者はこ のあわたゞしい説明の中にも、省く事の出来ない事柄は残 らず書いて置いたから、之から先を読まれる諸君は、今まで に述べたうちの、どんな些細な事も、読み落しのないよう にして頂きたいと思う。例えば石持敬助が|身体《からだ》の衰弱を|託《かこ》 って、強壮剤を呑んでいたと云うような、ホソのちよっと した事でも、案外、後の出来事に重要な関係を生じて来る かも知れないのである。従って、爾余の公金の消失、老松 伐採に頑強に反対した三人の人達、八重子夫人、慶之助の 両人など、みなく、後の話に主要な役割をする筈である。 第一章 一 石持敬助の死 、廃測候所の住人  |深海村《ふかうみむら》の別荘が竣功したのが九月で、笠尾慶之助が細部 にまで気を配り、万遺漏のないのを期して、石持敬助に完 成した事を告げたのが十月で、彼が香取丸で欧州に向った のが、越えて十一月だった。そうしてやがて、冬が来たの だが、一月になって、石持敬助が突如別荘行きを云い出し たのは、夫人八重子及び直参ブローカi達をひどく驚かし た。前にも述べた通り、深海村の海岸は、冬期は海上から 寒冷身を切るような北風が激しく吹いて、東京より遙かに 寒気が強いので、別荘は無論避暑用と信ぜられていて、冬 に使われようとは誰も考えていなかった。その証拠にはあ れだけ細心の注意を払った笠尾慶之助さえ予期しなかった 事と見えて、別荘には全然暖房の装置がなかった位であ る、そこで、八重子始め周囲の人達は、石持敬助に切に別荘 行きを|留《と》めたのだが、彼は断然承諾しなかった。後で考えて 見ると、彼は久しい以前から或る計画を着々進めていて、 その計画の大詰めとして深海村の別荘を選んだのだから、 誰が何と云っても、|諾《き》かなかったのは当然だった。そこ で、八重子夫人は急に電燈会社に命じて、居間と寝室に電 熱線を引かして、電気ストーブで暖を取る事にした。  電熱線の布設で予定がやゝ遅れて、一月の末になって漸 く石持敬助は深海村の別荘に移った。引移る時には八重子 を同伴したが、間もなく彼は彼女を東京に帰して、広い邸 内に例の老女中一人だけを匿いて、全く杜会と隔離した孤 独の生活を送り始めた、彼が妻を帰したのは、彼の代理と して、商売上の事を一切処理させる為で、初め番頭達は深 海村が交通不便の地で、急の間に合いかねるので、電話を 取りつけるように頼んだが、敬助は断乎としてそれを拒絶 して、その代りに妻に印を預け、余程の難件でない限り、 独断で処理させる事にして、番頭達との妥協がついたのだ った。  石持敬助の孤独生活は一月の末から三月の初めまで、一 ヵ月あまり無事に経過した。後から考えて見ると、この一 ヵ月余を無事にすませたと云うのは、むしろ不思議な位で あったが、兎に角、その間は無事だった。そうして三月五 日の朝、彼は寝室に屍体となって横わっているのを発見さ れたのだった。  さて、再三の事ではあるが、私はこ、で話を中断して、 |廃測候所《はいそつこうじよ》の住人の事について、ちよっと述べて置かなくて はならないと思う。もし小説的効果を規うならば、この事 は後廻しにして、事件進行中に何人かをして廃測候所を覗 かして、そこに意外な人物が住んでいるのを発見させた方 が、遙かに興味があるのだけれども、作者はこの物語では、 事件の進行を出来るだけ時間的に記述して、いろくの手 掛りの発見も隠す所なく、且つ発見の順序通りにしたいと 思っているので、こゝで廃測候所の怪住人|緒形繁行《おがたしげゆき》の事を 述べなくてはならないのである。  測候所は前にもちよっと述べた通り、六、七年前の好景 気時代に建てられたもので、長方形の鉄筋コソクリートニ 階建で、各階の建坪は約二十坪だった。建築と内部の設備 に約一年を費やし、所員を置いて約一年ばかりすると、い ろく不況の風が吹き始め、其後辛うじて一年を支える と、公金消失事件などが起って、閉鎖の運命になったの で、石持敬助が別荘の建築に取りか、る時までには、三年 あまり雨風に晒されていた訳である。  普通の住宅でも、年久しく人が住まないと、何となく陰 惨で無気味な感を与えるものであるが、いろくの怪奇な 形をした機械雛具が錆ついたり、破損したまゝで拠り放し になっている廃工場や、廃研究所の薄暗いガラソとした内 部は、更に一層グロテスクなものである。殊に之は荒涼た る海岸にポツソと建てられた小測候所で、潮風の為にコソ▼ クリートの壁は、一見ボロボロになった感を与え、屋根に は晴雨や風向を知らせる為の旗竿がヒョロくと聾えて、 雨量を計る為のタソクや、矢の形のついた風位計や、さま ざまの形をした器具が、それもペソキが禿げ落ちて、酩い 赤錆を現わしながら、震災直後のバラヅクの模型のように 不様に並んでいるのが、怪物を集めた見世物小屋のように 思わせた。もし内部を覗いて見るならば、そこには得体の 知れない機械器具が錯綜していて、古代生物の体腔を覗く ような無気味さに襲われる事であろう。  そんな訳で村民はこの廃洲候所を怖がって、誰一人、そ こを組合の事務所にしようとか、青年団の集合所にしよう とか、乃至は魚の置場にしようとか云う者はなく、荒れる がま、に委せてあったのだった。所が、石持敬助の別荘が 起工されて、工事がドソく進行している時に、廃測候所 を借受けたいと云う人間が、突如現われたのだった。  その人問は緒形繁行と云って、一見三十二、三歳の紳士 風の男だが、年の割にはひどく陰欝で、もしもつと快活で 朗かだったら眉目秀麗の好紳士であろうに、絶えず眉根に 搬を寄せている為に、|可惜《あたら》男ぶりが陰険で狡猜そうに見え るのだった。彼は偶然海岸を通り合せて、廃測候所を発見 し、附近にいた漁師にそれが村有である事を聞いたと云っ て、村役場に訪ねて来て、借用を申込んだのだった。その 時に彼は帝大で化学を専攻した理学士で、もし廃測候所が 借り受けられーば、そこで彼が卒業以来研究している或種 の薬品の製造を試みたいと云うのだった。  財政上極端な窮乏に陥っている深海村の理事者として は、廃物の建物から仮令僅かでも家賃が取れると云う事 は、頗る有難い事なので、緒形繁行の製薬の研究が、爆発 等の危険を伴わない事、又、有毒|瓦斯《ガノ》を発散しない事等を 確めた末、急遽村会を開いて、若干の家賃で賃貸の契約を する事を可決した。契約書に調印された時が恰度石持敬助 の別荘が竣功した九月で、笠尾慶之助が尚一ヵ月残留し て、すべての細部を完成した後十月に引上げると、それと 殆ど入れ違いに、緒形繁行は東京から職人を連れて来て、 測候所の内部の改造を始めた。それが十一月末には終了 し、それから緒形繁行はいろくの機械器具類を運び入 れ、年末には彼自身か移り住んで、早くも研究を開始した のだった。  もし村民の中に、少しでも化学の心得のある者があった ら、きつと緒形繁行を疑った事であろう。何故ならば、化 学上の研究は|瓦斯《ガス》も水道もない所では甚だ不便であるし、 又、研究の為に要する|硝子《ガ リス》器具、試薬等は、深海村のよう な僻村では勿論、附近の町でも到底得られないから、どう 間違っても、こんな所に化学上の研究所を開く気遣いがな いのである。又実際、緒形繁行が深海村に移り住んでから の様子に、少し注意すれば、彼が製薬の研究などをしていな い事は直ぐ分る事であったが、化学の知識に乏しい村民は 誰あって、そんな事に気がつく者はなかった。仮りに緒形 繁行を疑う老があったとして、彼の事について東京に問い 合せれば、彼が理学士と称するのは真赤な偽りで、実は医 専を中途で止めて、其後少しく法律を鶴り、今は変名で探 偵小説などを書いて生計を立てゝいる文筆業者である事が 判明した事であろう。従って彼は何か別の目的があって、 廃測候所を借り受けたのであって、その目的が多分石持敬 助に関係しているであろう事は、読者諸君は察しられるで あろうが、委しい事は後に譲るとして、こゝには、廃測候 所に緒形繁行と云う人物が住んでいたという事実の報告に |止《とど》めて置こう。  序につけ加えるが、緒形繁行は全く一人で、測候所内で 自炊生活をして、一週一、二回は研究用品の購入の為と称 して帰京していた。又時折発明した薬品の生物実験をする と云って、村民から家兎、モルモット、時には鶏、豚のよ うなものまで生きたま、購入していた。  こう云う訳で、その年の一月以後は深海村のかつて夫婦 松が根を張り枝を広げて幡鋸していた所に、共に鉄筋コン クリート建ながら、一方は禰酒たる別荘、一方はグロテス クな廃測候所と云い合したように、互に孤独生活をする二 人の人物が存在した訳である。       二、死の発見-三月五日  三月五日の朝ーと云っても、発見されたのは午前十時 を過ぎていたがー石持敬助は寝台に冷くなって、横たわ っていた。  石持敬助の寝室は広さ十坪ばかりの長方形の部屋で、そ の長い方の一辺が海岸に面していて、どっしりした桜材の 寝台は、窓の直ぐ傍に、窓に沿うて置かれていた。つまり 寝台は海岸に平行していた訳で、東を頭にしていたが、そ の頭に当る所からホソの少し隔て、大きなフラソス窓があ り、窓の前方はかって夫婦松の一本が從耳えていた所で、今 も尚その名残を示すように、大きな切株が黄ばんだ薄鼠色 に見えていた。  一月の末から三月五日までの石持敬助の生活は、その間 に二、三回訪ねて来た八重子と、ずっと附添っていた老女 中の竹下すぎの他には全然知られなかったが、竹下すぎの 話す所によると、彼は居間と寝室の間を往来するだけで、 庭にさえ出ず、終日閉じ籠っていて、別に何をするでな し、憂欝な顔をして、黙りこくっているばかりだった。  そんな訳で、彼は運動不足と、何かしら精神上の重圧の 為に、|身体《からだ》の調子を損ねたらしく、東京の本邸にいた時か ら用いていた消化薬下剤などを益く多量に飲用し、殊に諸 種の強壮剤例えば|腹酒《まむし》の類、|韮《にら》製剤、ホルモソ製剤等を盛 んに摂取したーこの事実は後に石持敬助の自殺説を否定 する一つの理由になったものてある1更に最近は不眠症 に罹ったと見えて、就眠前アダリンを使用していた形跡が あった。  石持敬助の寝室には今述べた寝台の他に、衣裳箪笥、化 粧台等を備え、流石に才子の笠尾慶之助が内部設備に意を 尽しただけあって、気持のい、天井の高さと云い、床に敷 き詰めた高仙な絨髭と云い、壁の色、照明の工合、その他 隅々の装飾品に至るまで、何一つ非の打ち所のない、快よ い落着きを見せていた。石持敬助が出来上った別荘を見た 時に、どこよりもこの寝室が一番気に入ったのは、蓋し当 然と云ってい、だろう。  石持敬助の人嫌いの特質並ぴに今まで述べた彼の行動か ら推して、読者諸君も当然考え及ばれた事と思うが、彼は 確かに戸締を厳重にした。別荘の出入口には頑丈な鉄扉が 取りつけられていて、それにはパテソト錠の他に鉄製の門 が下される事になっていた。窓にはいずれも鉄の鎧戸がつ けられていて、大部分はいつも閉されたきりだった。昼間 窓の鎧戸の開かれる部屋は、僅かに女中部屋、台所、それ から敬助の居問、寝室に過ぎなかったのである。  寝室は又一層戸締りが厳重だった。廊下への出入口と、 居間との間にある扉は一頼る頑丈な厚い板で造られ、之も錠 の他に閂がついていた。窓は海に面した方に二ヵ所開いて いたが、そのうちの一つは、寝台の頭部に近くあった事 は、既に述べた通りであるi之には特にパテソトの防火 戸が下りるようになっていた。石持敬助の寝室は一|度《たび》閉さ れんか、全く蟻の這い出る隙もないと云っていいのだっ た。  三月五日の朝、石持敬助はいつになく九時を過ぎても起 きた様子がなかった。一体彼は早起の方で、最近は不眠症 に悩まされていたらしいにも係らず、朝は必ず七時前に起 床して、従来一日と錐もその例を破った事はなかった。そ こで竹下すぎは不審に思って、厳重に禁じられてある事で はあったが、そっと寝室の外に来て、中の様子に耳を澄した のだった。所が、寝室の中はしーんとして、いつまで経っ ても、何の物音も聞えなかったので、益く不安に襲われた 彼女は、我を忘れて|扉《ドノ》を叩いたのだった。彼女は無論叱責 を覚悟していたのだが、叱責の声は愚か、咳一つ聞えない のだった。彼女は益く激しく扉を叩いた。そうして、大声 で、旦那さま、旦那さまと呼んだ。然し、何の返辞もない のだった。  竹下すぎはゾッとした。彼女は石持敬助に何か異変が起 ったに相違ないと直覚したのだった。1彼女がこんな考 えを起したについては、一、二の理由があったのだが、そ れは間もなく述べるーそこで、彼女は顔色を蒼くしなが ら、附近の漁師の家に飛んで行った。  附近の漁師達は無論石持敬助にはい、感じを持っていな かった。然し、根が人のいゝ漁師であるし、|夫婦《めおと》松伐採当 時に熱狂的な反対をしたのは、一、二の野心家に煽動され た結果もあったので、それに、石持敬助は村に移り住んで から未だ日も浅く、彼の奇行や偏唐は一般に知られていな かったから、この漁師は竹下すぎの乞いに応じて、別荘に 駈けつけて呉れたのだった。  漁師は永年海上で荒浪を叱蜷した|銅鍵《どら》声を張り上げて、 蝶螺《さざむ》のような拳を固めて、激しく扉を叩きながら叫んだ が、やはり部屋からは何の物音も洩れて来なかった。そ こで彼は更に竹下すぎの要求によって、仲間のもの二、三 人を連れて来て、薪割を振り|被《かふ》って、|扉《ドア》を叩き破ったのだ った。  部屋の中はむろん真暗だった。そこで竹下すぎは直ぐに 窓の防火戸を捲き上げた1部屋の中に心ない老女中や漁 師達が悶入したと云う事は、後に石持敬助の死因に疑問を 生じ、それを確めなければならないようになった時に、ど れ位障碍になったか分らないのであるーすると、石持敬 助は寝台にや、右下の位置、即ち顔を少しく窓の方に向け て、少しも取乱した様子はなく、楽々と眠っているま、の 状態で、冷くなって死んでいた。  竹下すぎは屍体になっている石持敬助の頭部を抱き上げ ようとして、冷く硬ばっているので、驚いて手を離した時 に、|微《かす》かながら異様な臭いを感じた。之は後に問題になっ て、居合した漁師達は係官から訊問を受けたが、三人の漁 師の中一人は全然気づかなかったと答え、一人はそう云え ば臭いがしたかも知れないと云い、最後の一人は「おら、 |韮《にら》の臭いのような気がした」と答えた。竹下すぎの答弁は 最後の漁師の言葉と一致してて、「確かに韮の臭いでした。 旦那さまは韮の薬を毎日呑んでおられましたから、その臭 いがしたのだと思います」と答えた。  医師と云っても手近な所にはないので、DI町から呼 び迎えられた。一方、東京の本邸の方には電報が打たれ、 別荘は時ならぬ異常な緊張ぶりを見せた。やがて、医師は 駆けつけて来たが、彼は首を捻った。彼には死因がはっき りしないのだった。そこで急は駐在所に報ぜられて、巡査 がサーベルをガチャつかせながらやって来た。  もし屍体が血に|塗《まみ》れているとか、寝台から滑べり落ちて いるとか、苦悶の跡があるとか、何かしら鈍感な漁師達や 老女中にも、変死らしいと考えさせる徴候があったら、彼 等だって少くとも医師と同時に巡査を呼び迎えたであろう が、屍体が全く自然死の様子をしていたので、巡査を迎え る期を遅らし、かつ、僻村の事とて、附近のDl町の分 署から警部が出張し、更に県警察部から刑事課長以下が出 張して来るまでの間に、意外の時間を費やし、その為に、 どんな名探偵が来ても手の下しようのないように、手掛り が操み消されて|終《しま》ったのは是非もない事であった。  石持敬助の屍体は出張して来た県警察医の手で、簡単な 解剖が試みられたが、彼の意見も、前の医師のそれと一致 して、敬助の内臓諸群官が案外の健全さを示して、殆ど老 衰或いは病的の徴候を現わしていないから、死因は不明で はあるが、白然死とは認め難いと云う結論であった。  多くの心ない人達によって、踏みにじられた現場から、 辛うじて探り得た大体の情況は次のようだった。 一、戸締りは完全であった。即ち、老女中や漁師達は |扉《ドア》を叩き破らなければ侵入出来なかったので、居間との 境の扉もちゃんと錠を下して、閂が内部からかけてあっ た。海に面した二つの大きなフラソス窓も、鉄製の防火 扉が下されていた。係官が出張した時にそのうちの一つ が開けられていたのは、竹下すぎが開けたものである。 尚、窓の戸も一度開けて、再び閉めたが、それはすべて 竹下すぎがした事であった。 二、屍体は楽々と自然の睡眠位置で横たわっていた。死 後凡そ十二時間前後と推定されたので、死んだのは前夜 十時前後である。部屋の中も何等取乱した所はなく、むろ ん紛失したものは一品もなかった。只、寝台の傍の電気ス トーブのプラッグが、竹下すぎは確かに石持敬助の就眠 前にちゃんとソケットに入れて置いたに係らず、乱暴に 引抜いて、壁にとりつけたソケットの傍に転がっていた。 之は、前夜は深海村には珍らしく南風が吹いて、別荘附 近は無風の状態となって、気汎が著しく高くなったの で、その上に電気ストーブがついていてはむしろ暑い位 であったろうから、就寝後石持敬助は限を醒まして、コ ードを引抜いたものと推定されるのだった。 三、寝台の枕頭に置かれていた枕頭台の上には、アダリ ソ、消化剤、韮製剤、水差し等が置かれていた。アダリ ソは三十錠入のチューブで、うち十錠が欠けていたが、 それだけのものならば仮令一時に飲まれたとしても致死 量には遠いものだった。 四、寝台附近には微かな異臭が漂うていた。それが韮の 臭いのように思った事は、竹下すぎと、一人の漁師によ って証言された所で、既に述べた通りである。 五、寝台と壁との間に横たわっていた石持敬助を標準と すると、彼の胸のあたりの所の床下に、体温計がケースに 這入ったま、落ちていた。そこは恰度窓と窓との間の壁 に当り、壁の将に終ろうとしている所に、石持敬助の頭 部があり、頭部の終る所は即ち窓になっている事は、前 にも述べた通りであるが、体温計の落ちていた所は石持 敬助の胸部に当り、窓と窓との間の壁の中ほどに接した 床の上であった。思うに身体の状態について、極度の神 経過敏に陥っていた敬助は、毎夜就床後体温を計る習慣 があったのであろう。彼は体温を計った後、体温計をケ ースに収め、枕頭台の上に置くつもりの所、過って手を 滑らして、床下に落したものであろう。体温計の落ちた 所が、寝台と壁との間、即ち石持敬助の右に当り、横臥 したま、、体温計をケ!スに収め、枕頭台に置こうとし て右手を動かした|機《はず》みに、手を滑らしたものとすると、 極めて自然の位置に当るのだった。  この体温計はちよっと人の気づかない所に落ちていた 為に、幸いに係官の捜索するまで、老女中や漁師達の眼 に触れないで、そのまΣ床に横たわっていたのだった。 ー竹下すぎはその体温計が石持敬助の常用の品で、前 夜就寝前までは、確かに枕顕台の上に載っていた事と、 敬助が屡ぐ体温を自ら計る習慣がある事を証言したー そこで、体温計は極めて慎重に取扱われ、後に附着した 指紋を調べられたが、体温計からも、ケースからも石持 敬助以外の指紋は全然発見されなかった。  体混計は外国製の棒状のものであったが、ケースに収 っていたのと、多分ヶiスが蒲団の上を滑って、比較的 緩慢に床下に落ちた為であろう。少しも破損していない で、ちゃんと三十六度五分を示していた。この事は当時 石持敬助が何等病気と認むべきものがなく、当然平熱で あるべき事に、よく一致しているのである。尤も、後に 八重子の証言によって、敬助は体温を計った後は、必ず 水銀を最下部にまで振り下げて置く習慣があると云う事 だった。然し、この習慣も全然例外がないとは云えない のだ。尚、後にこの体温計には厳重な検査が施された が、○・一度の誤差さえなかったのだった。  現場に於ける状態は概要右のようであったが、外部より 侵入したる形跡は全然ないし、屍体に暴力を加えた跡もな いので、従って他殺とは認め難く、もし自然死でないとす ると、過失死戎いは自殺と認めなければならぬ。刑事課長 は首を捻ったが、彼は管轄違いたがら、この別荘が建築さ れる当時、県庁が連日のように深海村の村民の陳情に攻め られた事はよく知っているし、従って、石持敬助が千万長 老である事、人嫌いの奇行のある事などをよく知っていた し、平生身体を大切にしていた点その他の情況から、臼殺 とも断じ難いので、万一の場合を顧慮して、A-地方裁 判所に電話をして判検事の出張を乞うた。  屍体の発見されたのが、略ぐ午前十時で、Dl町から 医師の来たのが十一時、駐在所の巡査の急報で、Dl町 から分署長の駆けつけたのが十一時半、更にAI市から 刑事課長の出張して来たのが午後一時、それから一時問後 に判検事の出張を乞うたので、その一行が別荘に到着した のは午後三時過ぎで、一行の乗っていた二等車には、電報 によって東京の本邸を急逮出発した石持八重子が、蒼白い 美しさを、黒いショールに包んで、まじろぎもしないで、 隅の方に掛けていたのだった。       三、検事の訊問-三月五日  検事は直ちに訊問を始めたが、その結果意外な新事実が 発見されて、石持敬助は他殺の疑いが生じ、その屍体はA l医科大学に送って、厳密な解剖に附せられる事になっ た。  発見された新事実と云うのは、竹下すぎの陳述に基いた もので、彼女は石持敬助の推定死亡時刻である前夜十時 頃、怪異なものを見たと云うのだった。  竹下すぎはもう六十近い老婆で教育の程度も低く、魯鈍 に近い女で、それだからこそ、人嫌いの石持敬助も十年近 くも傭い続け、遂いに簡単な身の廻りの世話までさせるよ うになったのであろうが、こうした女の通有性として、ひ どく迷信深いのだった。彼女は石持敬助が村民の非常な反 対を押し切って、夫婦松の一本を切り払った事は薄々知っ ていたが、別荘に来て村の漁師達と直接口を利くようにな ってから、彼等からその事について委しい話を聞き、年を 経た老樹には精があると確く信じていたので、彼女は伐採 された老松の崇りをひどく恐れていた。それ故、彼女は石 持敬助が日没と同時に、門を閉ざして厳重な戸締りをする 事を反って喜んでいて、六時の夕食がすみ、食事の後片づ けと、寝室の用意が整うと、さっさと女中部屋に這入っ て、小さくなっていた。  所が、昨夜はどう云うものか、何か変った事が起りそう に思われ、いつもより一層気味が悪くて、女中部屋に閉じ 籠っていても、襟元がゾクくするようで、恐ろしくて耐ら なかった。一つには三月五日と云うのに、陽気がひどく暖 かで、前日あたりの寒さに比べると、華氏の十度以上も高 く、それに南風が小丘に遮られる為に、海岸一帯は無風状 態で、入江の中は|小波《さざなみ》一つ立たず、|全《まる》で湖水のようになっ て、折からの闇夜にドス黒く静まり返っているのが、何か 天変地異の前兆でもあるように感ぜられたからであろう。 それに、時折は小丘の上の樹がざわめいて、その上を掃い て、サッと暖い南風が吹き寄せて来るのが、一層気持を無 気味にさせたのだった。  十時頃竹下すぎはn然の要求に駆られたので、止むなく 便所に立った。用便を了えてから何気なく窓から覗くと 1便所の窓には鉄扉はなかった。その代りに太い鉄棒が 適度の間隔で植えてあったのだった1恰度松の切株と思 われる|辺《あた》りで、フワリと赤い火が浮び上った。それと同時 に、ドス黒い沼の表面のような気味の悪い入江の上にも、 人魂のように赤い火が浮んでいた。  彼女はきゃつと云う声を立てゝ、転ぶように部屋に駈け 込み、蒲団を被って、ブルく顛えながら、念仏を唱えて 夜の明けるのを待っていた。翌朝彼女が石持敬助の起きる のが遅いのに不審を起し、厳重に禁じてあるに係らず、扉 を激しく叩き、かつ漁師を頼んで、扉を破壊させたのは、 全くこの怪異を見たせいであった。  竹下すぎの陳述は一概に迷信の結果と排斥する事が出来 なかった。彼女の陳述に基いて、刑事が庭を調べると、尤 も庭と云っても、それは別荘と、海岸の岩礁を巧みに補綴 して造り上げた石垣との間の極く狭い部分で、そこは砂原 でなければ岩角で、足跡などは容易に残らない所である が、例の老松の切株のあたりに、バットの空箱が一つと、 二、三本のマッチの燃えさしが落ちていたのだった。竹下 すぎは当日の朝庭の部分を掃いたし、そこは邸内で村民の 自由に出入りの出来ない所であるから、昨夜何者かがこゝ に忍び込んだものと認めざるを得ないのである。  そこで、今までは他殺説に重きを置いていなかった刑事 達も俄然活気を呈して、村民の動静を探る為に村中に散っ たが、その中の一人がDl町の停車場で、意外な事を聞 き出して来た。それは昨夜九時二十分着の汽車で、一人の 婦人が二等室から下車したが、肩掛けで鼻から口を蓋うて  いたけれども、その婦人は石持八重子にそっくりだったと ,云う事だった。然し、その婦人は再び停車場には姿を見せ なかったそうである。又他の一人は、夫婦松伐採反対運動 の際、過激な言辞を弄し、且つ別荘が建てられてからも、 尚妨害を続けていた小宮山覚念等の動静を探ると、前夜 覚念方に川本徳一郎、清水玄吉他二名の者が、|密《ひそ》かに会合 をした事実があり、それらの者は九時過ぎ覚念方を出た が、同夜十一時頃までは各く自宅には帰らず、行動が不審 である事を探り出して来たのだった。  刑事の発見に基いて、検事は石持八重子を訊問した。す ると、意外にも前夜九時二十分DI町着の汽車から下車 したのは、彼女である事を直ぐ認めた。彼女の語る所によ ると、その日の午後三時頃夫の敬助から手紙を受取った。 その手紙には急用が出来たから、直ぐ別荘に来て呉れとあ ったので、彼女は大急ぎで支度をして、東京を発ったが、 Al⊥巾の乗換で意外に暇取った為に、DI町に着くの が九時過ぎとなったのだった。所が別荘について見ると、 どう云う訳か堅く戸締りがしてあって、叩いても呼んでも 何の返辞もなかったのだった。  以下検事と八重子との問答である。 「別荘に着かれたのは、何時頃でしたか。」 「駅につくと直ぐ自動車に乗りましたが、御承知の通り、 自動車は別荘の前まで来ず、少し歩かなければなりません ので、別荘に着きました時は、十時少し前でした。」 「別荘が締っていた事をどうお考えでしたか。」 「いくら叩いても呼んでも起きませんので、私は手紙に書 いてある日附を読み違えたのかと思いました。それとも宅 が書き違えたのかも知れないと思いました。」 「で、それからどうしましたか。」 「どうも致し方がございません。Dl町にも禄な宿屋は ございませんし、東京へ引返すより他に仕方はございませ んでした。」 「然し、あなたはDl駅には引返されなかったようだ がー」 「え、、DI駅へ行きましても、旨くA-市行か出る かどうか、それにまだ汽車があるかないかさえ分りません ので、直接Al市に参りました。」 「AI市へ。自動車でですね。」 「はい。」 「その自動車はどこでお雇いでしたか。」 「   」 「ご返事は。」 「DI町に参る途中で行き合った自動車を雇いました。」 「あなたはDl町の方へは引返さないと云われたが。」 「えゝ、そう申上げましたがーあれはこうなんでござい ます。Dl町へ引返す他はないと存じ、歩いて居ります 途中で空の自動車に出会いましたので、終列車に間に合う やらどうか分りませんので、AIl市へ行こうと思いつい たのでございます。」 「Al市で泊られたのですか。」 「いいえ、終列車に間に合いましたので、東京へ帰りまし た。」 「先程お話の御主人の手紙はお持ちですか。」 「い二え、持って居りません。」 「ではお家に置いてあるんですね。」 「い、え。」 「ではどこにあるのですか。」 「破って棄て、|終《しま》いました。」 「なに、破って棄てた、ふん。あなたはいつも御主人から の手紙を、即座に破って棄てるのですか。」 「はい。」 「は、あ、何か理由があるのですか。」 「   」 「御返事は。」 「習慣でございます。」 「御主人の手紙を即座に破って棄てると云うのは、奇妙な 習慣ですね。」 「はい。それはI」 「それは、どうですか。」 「    」 「どうですか。」 「甚だ相すみませんけれども、この事は申上げかねます。」 「ふん、ではあなたは果して御主人からそう云う手紙が来 たかどうか立証出来ないのですね。」 「はいピ  検事はそれ以上追究しようとしなかった。この若い検事 が後に告白した所によると、彼は訊問を続けるうちに、彼 女のうるんだ大きい眼と、蒼白い皮膚から発散するミステ リーとエロチシズムの交錯した異様な美しさには、少なか らず悩まされたそうである。 第二章 二組の嫌疑者 一、屍体の解剖-三月六日  石持敬助の屍体は、彼の死の発見された翌日、Al医 科大学で、Tl博士執刀の許に解剖に附せられた。T -博士はAl大学の法医学の教授で、死因の推定につ いては斯界の権威者であった。博士は石持敬助が千万長者 で且つ平生極端な人嫌いであり、深海村の別荘で奇怪な死 を遂げたと聞き、頗る慎重の態度で、一刀を入れる毎に、 いかなる微細な変化も見逃がすまいと、眼を見張って細心 の注意をした。  斯界の権威者TI博士がこれだけ力を入れたにも係ら ず、結果は順る漠然たるものだった。  死亡時間はやはり前夜十時前後と推定されたが、屍体は 外部には何の異状もなく、内臓諸器官も亦、先の警察医の 結論のように、何等病的変化も、著しい老衰の徴候をも現 わしていなかった。血液も一酸化炭素乃至青酸中毒に見ら れるような特異な変化は認められなかった。強いて云えば 肺臓の毛細管部に微かな炎症様のものが認められたが、そ れは死因と断ずるには余りに貧弱なものであった。 「驚骸による心臓麻輝」と云う事も考えられるので、脳の 状態を調べる為に、Ti博士は進んで、頭蓋骨を開き始 めた。Tl博士は大脳にメスを入れた時に、軽くうむと 吟心って、傍らの刑事課長を顧みた。 「運動中枢にやゝ血行障碍を起しています。むろん脳出血 を起すほどではない。生前からの障碍であるか、死に際し て生じたものか不明ですが、一応注意すべき事です。尚、 大脳皮質にも幾分変化を起している。」 「それは死因に関係がありますか。」 「何とも申上げられない。或いは生前からのものかも知れ ん。」 「そうしますと。」 「解剖上の所見では、遺憾ながら死因と断定されるものは 発見出来ません。尚、胃部には若干の薬剤があるようです から、之の化学試験で何か得られるかも知れない。」 「すると、自然死か変死かと云う事もl」 「断じて変死です。自然死とは認められません。然し、い かなる方法で死に至らしめたか、之は今後の研究問題で す。」 「では他殺とお認めになるんですか。」 「百中九十まで他殺と思われます。従来発見されない神秘 的な方法1と云っても、多分分解吸収の早い特殊のアル カロイドの類ではないかと思いますが、之は化学検査の結 果を倹たなくてはなりません。」  Tl博士の解剖は、今までにない暖昧な結果に終っ た。  尚、之は其日のずっと後に判明した事であるが、胃部 にあった薬剤数種は普通の消化剤、韮製剤、アダリソ等の 混合である事が確定されたが、その他に尚一種の芳香属化 合体と認められる薬品があったが、既に大部分は分解吸収 せられて、確定試験を行う事が出来なかった。尚、金属化 合物の毒物について定性試験が行われたが、水銀鉛等は全 く検出せられず、只微量の砒素がマーシュ試験で、あるか なきかの砒素鏡を現出した。  この報告を聞いた刑事課長は躍り上って、「じゃ、砒素 の中毒ですね。」と云ったが、TI博士は首を振って、 「余りに微量です。それに砒素化合物摂取の際の中毒症状 を全然現わしていません。」 「じゃ、その芳香属の化合体は。」 「毒物かも知れません。然し、断定は出来ません。尚、今 後の研究を要します。」 「他殺である事はどうでしょう。」 「確実性を増しました。然し、之も断定までには未だ距離 があります。」  こう云う訳で、その日の解剖の結果は甚だ不完全なもの だったけれども、刑事課長は幾分満足しながら、深海村の 別荘に向った。別荘には今日も判検事の一行が出張してい るのだった。  DI町の分署長は刑事課長の顔を見ると、直ぐ傍に寄 って来た。 「八重子と云う女を分署へ連れて行きたいんですけれど も、検事殿がどうしても許さないんです。」 「何か新事実が挙ったかね。」 「挙りましたとも。あの女の居間から亜砒酸の半分ばかり 這入ったオンス瓶が出ました。」 「なに、亜砒酸。居間って、この家のかい。」 「え、、あの女が時々こゝへ来た時に使っていた部屋です よ。」 「指紋は。」 「駄目でした。全然ついていません。」 「女は何と云った?」 「聞くだけ野暮ですよ。そんなものは全然知らないと云い ました。あの若い検事さんの|生温《なまぬる》い調べ方では駄目です よ。」 「うん。然しそれだけではね。」 「所が一昨日の晩、あの女を乗せて、Al⊥巾へ行った自 動車の運転手が見つかったのです。」 「じゃ、女の云った事は確かじゃないか。」 「男がついていてもですか。」 「えッ、男が。同乗していたのか。」 「い、え、自動車に乗ったのは女だけです。送って来た男 はそこで別れたのです。」 「運転手はその男を知らないのか。」 「え、、運転手はDl町へ新しく来た男で、この辺の人 間なんか|恰《まる》で知らないのです。然し、話の様子ではこの辺 の百姓や漁師じゃありません。東京の者です。」 「人相は。」 「てんで分らないのです。覆面をしていたそうですから。」 「覆面?」 「覆面と云うのは少し大袈裟なんですが、鳥打帽を|眼深《まぶか》に 被って、防寒用のマスクを掛けていたので、|全《まる》で顔が隠れ て終って、全然人相が分らなかったそうです。それに車を 止めたのが真暗な道の真中なんですから。然し、洋服を着 ていた点や、言葉つきから東京の者に違いないと思われま す。」 「然し、その男は自動車に乗らなかったんだろう。でない と東京へは帰れないじゃないか。Dl駅からはAl市 行の終列車があるだけだから。」 「そうです。けれども終列車にはそんな男は乗らなかった そうです。」 「じや、どうしたろう。東京へ帰る積りたら、自動車に同 乗しそうなものだが。」 「ですから、その男はDl町の宿屋にでもいるんでしよ う。調べさせています。」 「ふむ。それでも検事は引致を許さないんだね。」 「え二、他殺と断定される証拠を挙げろと云うんです。ど うして犯人があの部屋に這入ったか、その方法を説明せよ と云うんです。」 「部屋に這入らなくても、殺人は出来るよ。」  刑事課長はや、興奮した口調でこう云うと、折から向う に姿を現わした検事の方に、さっさと歩き出した。       二、発見された日記-三月六日 「やあ。」刑事課長は検事に呼びかけた。「解剖の結果は甚 だ不十分ですが、大体他殺と決定しました。多分毒殺らし いです。」 「そうですか。」検事はうなずいた。 「八重子と云う婦人を拘引したいのですが。」 「何か証拠がありますか。」 「毎殺ですから、近親の者が疑われるのが当然です。毒殺 ならあの部屋に這入る必要はありません。前以って与えて 置けばいいのですから。」 「じゃ、竹下すぎが第一の嫌疑者ですね。」 「あの女は問題じゃないでしょう。」 「じゃ、八重子が与えたと云うんですか。」 「そうです。」 「八重子が来た時には別荘は締っていて這入れませんでし た。」 「本人はそう云っていますが、合鍵を持っていたかも知れ ません。」 「|扉《ドア》には円がかゝっていた筈です。L 「それはどうだか分りません。」 「八重子は当夜九時二十分にDl駅に着いたのですよ。 Dl駅からこゝまで、自動車を利用しても、歩く所があ りますから、女の足で三十分はか、りましよう。すると、 よし合鍵を利用して家の中に這入ったとしても、もう石持 敬助は寝室に這入っていた筈です。毒物の与えようがあり ません。且つ八重子は夫から大切な印を預けられるほど信 頼を受けているのです。L 「然し、八重子には疑わしい点がI」 「待って下さい。僕には別の考えがあるのです。敬助の日 記帳を発見したんですがね。こ、へ来てから一月ばかりの 間の日記で、書いてあったり、なかったり、所々ブラソク になっていますがね。その中に。」検事は手にしていた日記 帳を開きながら「一月三十日と二月が九日と二十三日の二 回、ホラ、こんな事が書いてあるでしよう。『又例の怪火 が窓の下に現われた。俺は呪われているんだ。』ね、こ、に は『あ、、又怪しい火だ。だが、高が植物に崇りがあるな んて、馬鹿な、そんな馬鹿げた事があるものか。だが、俺 は呪われている事は確かだ。』之で見ると、事件の当夜、竹 下すぎの見た火と云うのは錯覚と云って終う訳に行きませ ん。この日記によると、石持敬助がこ、に移ってから、少 くとも四回出現しているのです。刑事課長、あなたは之が 超自然現象だと考えるような迷信深い方ではないでしよう ね。」 「無論です、現に事件当夜も、例の松の切株附近に人の忍 び込んだ形跡があるのですから。」 「僕も少しは知っていますが、その松を切ろうとした時 に、村民の反対は随分猛烈だったらしいですね。」 「県庁の陳情などは実に物凄いものでした。」 「そうすると、其後ずっと被害者で恨んでいた者がないと は云えません。そうした者が被害者を威しつけ、更に進ん で殺害しようと考えないでしようか。L 「考えないとも限りません。そう云えば現に事件当夜、 一、二の不客な行動の者があるようです。」 「そこなんですよ。御承知の通り、事件当夜西念寺とか云 う寺で、密議を凝らした者があり、その者の九時乃至十一 時までの行動は甚だ曖昧なのです。もし、日記の日附の一 月三十日と、二月九日及び二十三日に、この者共が夜問家 にいなかったと云う事実があれば、最早偶然とは云えない と思います。」 「調べたんですか。」 「目下刑事に調べさせていますがね。僕はこの方に重きを 置いていますよ。彼等の一人が昼間のうちでもそっと台所 に忍び込んで、食物に毒物を投げ込まないとも限りますま い。」 「それなら竹下すぎもやられる訳ですが。」 「主人だけ食べるものがあって、それに入れたかも知れま せん。」 「それなら八重子に出来たかも知れません。最近に来た時 に、そっと食物に毒物を入れて置いたのを、一昨日になっ て、石持が食べたのかも知れませんよ。」 「八重子が最近にこ二に来たのは、二月の二十日ですから、 その時に何かに毒を入れて置いたのを、三月四日になっ て、主人だけが食べると云うのは、少しどうかと思いま す。一咋日、西念寺に会合した三、四名の者は、少くとも 石持敬助を威して精神的打撃を与えようとした事実は認め られますから、もし毒殺犯人があるとすると、この者達の 中ではないかと思います。L  検事と刑事課長の問答を聞いていた分署長は、不満そう な色を隠しながら、 「検事殿がそう云うお考えでしたら、早速覚念初め、川 本、清水たどを分署へ引致しましょう。」 「そうして呉れ給え。」  若い検事は白信ありげに云った。       三、弁護士よりの飛電-三月七日  神木と崇められている老樹を切った事が、恐ろしい崇り を招いたと云う事は、石持側にも、又深海村の村民達に も、不幸にも|明瞭《はつきり》と判ったのだった。即ち、神木を切らせ た当の石持敬助は奇怪な死を遂げるし、その為に村の有力 者である西念寺の住職、川本徳一郎、清水玄吉の三人は、 恐ろしい嫌疑でDl町の警察分署へ拘引されて|終《しま》った。 公金消失の紛擾以来、世界的不況の襲来、老樹伐採反対運 動と、争闘、疲弊、陳情、訴訟とヘトくになった村民 は、村内にかつてなかった殺人事件を惹起し、村民の中か ら二、三の拘引者を見たので、爾余の村民はすっかり怯え て終った。  先に測候所設立の際夫婦松の一本を切り取る事に反対し た古老のうち生残っている一、二の者は、この時とばかり 前の非を責めて、その時以来、何一つ緑な事が起らないの は、全くその崇りであると云い出した。なるほど考えて見 ると、忌わしい事件はすべて測候所設立以来起った事であ るから、村民は今更のように最初の老松を伐採した事を後 悔して、松の精を慰める為に、神官を招いて祭をするや ら、測候所と別荘の附近に若松を植えて、それを二代目の 夫婦松として敬う事を誓うやら大変な騒ぎを演出した。  Dー町の分署に拘引された三人は、分署に出張した検 事の厳重な取調べを受けたが、彼等は顧として殺人は勿 論、石持敬助に恐怖を起させる為に、怪火を現わした事実 も否認した。検事は石持敬助の日記に記された日附によつ て、一月三十日、二月九日並びに二十三日の三人の行動を 調べさせた所、三回とも三人は西念寺に集合した形跡があ り、九時乃至十一時には、寺にも亦各自の自宅にもいなか った事が確められたので、検事の追及は峻厳を極めたが、 彼等は容易に自白しようとしなかった。  一方分署長は事件当夜八重子を送った怪人物を突留める べく、Dl町の旅館を片端から探索させると共に、尚刑 事を四方に走らして、追及峻厳を極めた。所で、読者諸君 は既にその怪人物が、廃測候所の住人緒形繁行であろうと 略くお察しの事と思うが、そうして、いかにもその通りな のだが、彼がどうしてそんな峻烈な捜索の中で、格別怪し まれもしないでいられたかと云うと、それには一つの話が あるのだ。  DI町警察分署の刑事の一人、高井邦造は深海村の村 民三人が分署に拘引されるのと相前後して、廃測候所に奇 怪な人物が住んでいる事を耳にした。そこで彼は何の猶予 もなく測候所に向った。それは未だ日の高い午後の一時頃 だったが、裏口から一足測候所の中に足を入れると、流石 に千軍万馬の間を駈け廻った|古強者《ふるつわもの》だったけれども、高井 刑事は思わずタジくとしたのだった。と云うのは、元来 余り採光のよくない建物の中は、昼間でありながら、窓が 閉してあると見えて、眼が馴れるまでは白い果いも分らな いほどの暗さで、その上になんとも云えない不快な血脛い 臭いがぷうんと鼻を打つのだ。漸く眼が馴れて、薄ボソヤ リあたりが見え始めると、なんと、コソクリートの床は血 に塗れていて、そここ、には得体の知れない血みどろの臓 脇のようなものが、一面に散らばっているのだ!  高井刑事は棒を呑んだように、暫くは身動きもせず、身 体を硬ばらしていたが、辛うじて気を取り直して、勇気を 奮いながら次の部屋に進んだ。すると、そこで一人の男が 異様な機械器具の間に埋もれながら、せッせと何かしてい た。彼は人の這入って来た気配に、ムヅクリと頭を上げ て、ジロリと闘入者を眺めた。  二人は一瞬間睨み合っていたが、次の瞬間に、二人は殆 ど同時に「やあ。」と云って、奇遇に驚骸の眼を見張ったの だった。之が他の刑事だったら、又別の事が起ったであろ うに、不思議にも二人は以前から知っている中で、前に述 べた通り、緒形繁行は変名で探偵小説を書いていたから、 警察関係には知人も少くなく、高井刑事は二、三年前に、 緒形の住んでいる附近の警察に巡査を勤めていた事がある ので、殊によく知っているのだった。 「先生でしたか。驚いた、こんな所で何をしているんです か。」 「研究をしているんだよ。」 「何の研究ですか。」 「薬品さ。」 「薬品って。」 「何の苦痛も与えないで、何の痕跡も残さないでね、人を 殺す薬品さ。」 「え、ッ。」 「中々そんな薬品はないものでね。動物の臓脇なんて、微 妙な働きをするものだよ。例えば、メチレブリュウと云う 青い染料を静脈に注射するね、すると、臓臆によって何の 変化も起さないものや、それを還元して脱色して|終《しま》うもの がある。又、直ちに分解吸収されて終う毒物でも、もし微 量に胃に残冊していると、紫外線で検出されるし、痕跡を 残さないと云う事は至難な事なんだ。」 「うむ。じゃ、あの臓脇は。」 「もう見たのかね。あれは兎や豚やモルモットの臓脇だ。 僕は薬品を注射しては、直ちに解剖しているんだよ。」 「なんの為にそう云う研究をするんですか。」 「目的はあるにはあったんだがー時に君、石猫敬助の事 件は片づいたかい。」 「片づくどころじゃありません。弱っているのです。先生 は㌦うやって近所にいたんだから、何か知っている事があ るでしょう。L 「何にも知らんね。僕は夜早く寝て|終《しま》うから。」 「四日の日の夜に、この辺を若い女がうろついていません でしたか。」 「知らんね。」 「じゃ、海岸に赤い火が燃えていたのに気がつきませんで したか。」 「知らんね、然し、その赤い火と云うのは前に見た事があ るぜ。」 「それはいつの事ですか。」 「日誌についているかも知れない。ちよッと待ち給えー ああ、こ二にある。二月二十三日の夜だ。」 「それだけですか。」 「もう一度位あったかも知れん。うん、こゝにある二月の 九日の夜だ。」 「それはどんな火でしたか。」 「僕は漁師が舟を出したんだと思っていたがーそれが 君、事件に関係があるのかい。」 「大いにあるんですよ。」  そこで、高井刑事は緒形繁行に、竹下すぎの話をした。 話を聞いているうちに、緒形繁行は次第に眼を異様に輝か し初めたが、聞き終ると、 「なるほど、じゃ、あれは只の火じゃないんだね。うん、 するとー」  と云って、すっかり考え込んで終った。  こんな事で、緒形繁行は高井刑事と知合であった許りに 拘引を免かれたのだった。むろん高井刑事は彼の事を分署 長に報告したが、分署長も緒形繁行の筆名は知っていたの で、怪しいとは思ったが、無闇に拘引する訳にも行かず、 高井刑事に厳重に監視するようと云いつけて置いたのだっ た。  さて、拘留中の三人は犯行を否認し続けるし、八重子を 送った怪人物は網の目から洩れているし、刑事課長の焦燥 も分署長の歯軋りも、何の功も奏せず、事件はこのま、迷 宮に入るかと思われたが、突如思いがけなくも、満州国新 京に滞在中だった石持敬助の顧問弁護士平山豊彦氏から、 警視庁宛に一通の電報が飛来して、俄然事件は意外な方向 に転回するに至った。  電文は次の通りだった。  イシモチケイスケシヨリ、シゴタダチニヒラクベキイシ ヨアズカッテイル、ツマアテデソシタ、スグヒラカレヨ、 イサイフミ。 第三章 痴人の呪 一、恐ろしい遺書-三月八日  満州国新京から平山弁護士の投げた一石は、石持敬助殺 害事件に驚くべき波紋を生じた。平山弁護士は三月六日に 撰守居の妻から石持敬助変死の電報を受け、大いに驚くと 共に、かねて敬助から死後直ちに開くようにと、呉々も依 頼されていた遺書があるので、妻にその遺書の蔵ってある 所を電報で教えるのと同時に、警視庁宛にその旨の電報を 打ったのだった。  平山氏が電報を警視庁に宛てたのは、石持敬助の死を変 死と聞いた為で、係検事やAl県の刑事課長の名を知る 事が出来なかったので、止むを得ずそうしたのである。  平山氏は有名な弁護士で法曹界に名のある人であったか ら、警視庁でも棄て、は置けず、直ちにAI県に移牒し たので、三月八日の午後、AI地方検事局の若い係検事 と、Al県警察部刑事課長、DI町警察分署長は相携 えて上京して、警視庁捜査係長の案内で、平山弁護士宅に 出張した。平山夫人は夫からの電報で委細承知していたの で、直ちに一同を請じ入れて、金庫を開いて、平山氏が石 持敬助から死後開くべく依頼されていた遺書を取り出し た。  遺書は大型の封筒に入れられて、中々の厚みがあり、ド ッシリと重かった。その重みは封入してあった大きな鍵に よるのだった。  遺書は直ちに開かれたが、読み終ると、一座の人々が互 に蒼ざめた顔を見合して、暫くは言葉の出なかったほど、 奇怪且つ恐ろしい内容であった。 「1俺は妻を憎む。憎んでも憎んでも足りない。 だが、 俺にはあの蒼白い皮膚から陽炎のように燃え上っている、 冷い情熱を忘れる事が川来ないのだ。俺はあの妖異な美し さに引ずられている。無限の愛着を感じている。だが、妻 は俺の昔の恩義を忘れ、今の愛撫を裏切って、他に男を持 えているのだ。妻の不義は俺はもう数年前から気がついて いる。俺は幾度かそれを妻に云おうとした。幾度か|詰《なじ》ろう とした。だが、その度に俺はあの大きいうるんだ眼、哀願 するような、軽蔑するような、瑚笑するような、恨めしそ うな眼に出会うと、もう何も云えないのだ。俺は妻を愛し ているのだ。だが、俺は知っている、愛しているよりも百 倍も憎んでいるのだ!  数年来俺はどうかして姦夫を確めようとした。然し、彼 等は豹のように敏捷で、狐のように狡猜で、兎のように小 心だ。俺の非常な苦心に係らず、どうしても俺は姦夫を見 出す事が出来ないのだ。  だが、俺にだって、方法はあるぞ。負けてはいないの だ。  俺は素晴らしい事を思いついた。それは彼等がそっと密 会している所を、写真に取る事だ。俺はその方法について 考えた。もし俺が、この人嫌いの出嫌いの俺が、一日でも 外出したら、妻は姦夫を呼び込まないでは置かないだろ う。そうして、彼等は恐らく妻の部屋で不義の快楽に耽け るに違いない。俺は妻に気づかれないように、ソッと写真 機を据えて置くのだ。そうしてレソズをソーファに向けて 置く。だが、レソズは|開放《あけはれ》しにして置く訳には行かない。 と言って、いつ開いたらい、か分らない。然し、それは訳 はないのだ。俺はソーファの下にバネ仕掛の釦を隠して置 く。彼等がソーファに同時に掛ければその重みで釦が押さ れて電流が通じる。電流によって、シャッターが動かされ るのだ。  俺はこの方法に考えついた時、|雀躍《こおどり》して喜んだが、駄目 だ。室内の光線は瞬間撮影には暗すぎる。と云って、タイ ムでは彼等がじつとしていない以上ぼやけて|終《しま》うではない か。俺は又考え直さなくてはならなくなった。  所が科学の進歩は有難いものだ。発明は俺を助けて呉れ た。それは瞬光高燭光電球だ。抵抗の少いフィラメソト は、瞬間に強い電流を通して、フィラメント自身は切れて 終うが、その瞬間にマグネシュームに劣らない高燭光を出 す。マグネシュームは音がしたり、不快な臭の煙を出した りするが、この電球は何の音も出さない。それが夜なら眼 に一閃の眩惑を与えるけれども、昼なら殆ど気づかずに終 う。  俺は瞬光電球を使った。電流がシャッターを開くと共 に、電球をつけるようにしたのだ。俺は数回の失敗の後、 幸うじて、妻が姦夫と並んでソーファに腰を掛けている場 面を撮影する事が出来た。だが、残念ながらレンズの向け 方を誤って、それは腰から下の半身しか写っていなかっ た。然し、それが男女であること、女の方が着物の柄から して妻に相違ない事は立派に立証される。  俺はもう一つ動かすべからざる証拠を握った。それは姦 夫の指紋だ。指紋は容貌よりも一層確かな証拠だ。俺は確 に姦夫の手にした葡萄酒のグラスを大切に保存している。 それにはアリアリと指紋がついているのだ。  所が、数年の永い間俺を騙し通して来た妻が、この頃に なって漸く俺に悟られて来た事を知ったのだ。妻は次第に 俺の復讐を恐れ出した。妻は俺の心を和げようと思って、 今までにない矯態を示して、益く俺に媚びようとした。俺 は危く魂を溶かされようとしたが、だが、俺は踏み止っ た。もう騙されはしない。俺は妻が媚態を示せば示すだ け、憎んでやるのだ。憎んで憎み抜いてやるのだ。  妻は俺の計画を朧げながら悟ったらしい。そうして、一 層俺を恐れるようになった。妻は考えたのだ。俺に殺され るか、俺を殺すより他はないと考えたのだ。俺は妻を殺し はしない。死は余りに軽い刑罰だ。俺はもっとく|惨《ひど》い苦 しめ方をしてやるのだ。  妻と俺の間には、暗黙のうちに宣戦が布告されているの だ。俺はことによると妻に殺されるかも知れない、いや、 きっと殺されるだろう。  もし俺が死んだら、それがどんな死方であっても、どん な名医が病死だと診断しても、俺は必ず妻を厳重に調べる 事を要求する。もし、少しでも疑わしい死方だったら、俺 は妻に殺されたのだと断言してい、。  俺はだんく妻に殺される事が確実たように思えて来 た。俺は近く妻に殺されるだろう。俺は復讐を遂げる事な しに、妻に殺されるのは残念だ。俺は死後俺の仇を取って 貰う事を、平山弁護士に依頼して置く。  俺の死後直ちにこの遺書が開かれるだろう。平山氏は当 然警察に報告しなければならない。姦夫と妻と並んで掛け ている腰から下の写真と、証拠の指紋のついたグラスは、 俺の秘密金庫の奥深く蔵ってある。この遺書に封入してあ る鍵はその金庫を開くだろう。  俺は息を引取ると同時に、妻と姦夫を殺人罪で告発す る。  俺は姦夫姦婦が断頭台で腕き苦しむのを、彼等の頭の上 から笑ってやるのだlL  石持敬助の遺書は大体右のような文面だった。それは千 方長者の遺書とは思えない奇怪なものだったけれども、兎 に角、遺書に従って、検事一行は石持邸に出張して、指定 の通り秘密金庫を開けると、果して、そこには紙で丁寧に 包んだグラスと、一葉の写真が原板と共に蔵ってあった。 グラスにはアリくと指紋が浮び、写真には男女二人がソ ーファに腰を下している下半身が写っていて、男は縞のズ ボソに毛糸らしいしゃれた靴下を穿き、女は派手な柄の錦 紗らしいものを着て白足袋を穿いていた。  もしこの事件に警視庁が介在しないで、グラスが直ちに Al県警察部に送られ、そこで指紋か調べられたら、事 件は違った道を通ったかも知れない。然し、指紋は直ちに 警視庁鑑識課で調べられ、万一を慮って、同庁内の前科者 の台帳に照合されたので、又々意外な発展を見るに至った のである。       二、八重子の拘引-三月八日  石持敬助が奇怪な遺書の中で、姦夫の指紋であると指抽 したものは、警視庁の指紋台帳に照らし合せると、何ぞ計 らん、一脱獄囚の指紋だったのである。  今を去る二十数年前、余吾健一と云う青年があって、彼 は某私立大学の師範科を出て、東都の某中学に教鞭を取 り、性質は頗る実直で、校長にも同僚にも、生徒達にも甚 だ気受けがよく、やがて美しい妻を姿って、人にも羨まれ る円満な家庭を作ったが、或日、どう云うものか、彼は愛 する妻を絞殺して|終《しま》った。而も彼は荘然として自ら絞殺し た妻の死顔を見守っている所を、人に見られたのだった。 彼は検事の前でも、予零判事の前でも妻を絞殺した事を否 定しなかった。そうして、愛する妻を殺した事をサメぐ と嘆くのだった。彼はどう云う訳で妻を絞殺したのか、少 しも分らないと云うのだった。  公判に廻ると、彼は俄然陳述を翻して、妻を絞殺した事 は全然知らないと云い出した。然し、前後の事情に照らし て、彼が犯人である事は明白なので、弁護人の熱弁も遂に 無罪にする事は出来ないで、懲役七年を云い渡された。彼 は都合で、某地方の刑務所に服役する事となったが、護送 の途中で巧みに逃走して、爾来幾星霜、杏として行方が知 れないのだった。  脱獄囚が八重子の姦夫! こうなると、最初八重子のな よなよとした姿に同情した検事も、棄てゝは置けなかっ た。彼女は遂いに強制処分に附せられなければならなくな った。  さて、石持敬助殺害事件は意外な進展を見るに至った が、検事の一行は急遽石持邸に出張して、家宅捜索を行う と共に、雇人の訊問を開始した。所が邸内奥深い私人の生 活と云うものは外部からは分らないもので、と云うのは、 |他所目《よそめ》では至極平和な家庭で、石持敬助には人嫌いの奇癖 があるけれども、若い妻を愛し、八重子も亦貞節に夫に侍《つか》 えていると思われていたのに、雇人を調べると、意外にも 二人の間は両三年以来頗る冷く、用事以外には口も利き合 わない位で、夫婦らしい所はなかったと云うのだった。尚 姦夫の写真が八重子の居間で撮影されたのであるから、雇 人のうちには姦夫を見た者があるに相違ないと云う見込 で、厳重に訊問されたが、一同口を揃えて、女の方の着物 が八重子のものに相違たい事は認めたが、縞のズボソの方 は誰一人知るものがないのだった。(写真が示された時 に、女中の一人の肥出梅野と云う丸ぽちゃの鳥渡美しい女 が、ハッと顔色を変えたので、検事は必ず事情を知ってい るものと思って、詰問したけれども、頑として、否定し続 げた。この事は後に関係のある事だが、委しく話をしてい る暇がないので、極く概略に止めて置く。)  一方、新京の平山弁護士との間の頻繁な電報の往復と、 一回の電話で続々石持八重子に不利な事実が現われて来 た。即ち平山氏の云う所によると、石持敬助の遺産は当然 八重子のものになる訳だが、そして、二、三年以前までは 敬助は十分それで満足していたのだったが、どう云うもの か急に八重子に財産を与えることを嫌い出して、笠尾慶之 助を養子にして、家督も財産も継がせると云い出した。所 が八重子はひどく慶之助を嫌っていたので、それに第一八 重子より慶之助の方が年が上なのだから、それを大ぎな理 由にして、慶之助の養子を承諾しなかった。そこで敬助も 慶之助を養子にする事は諦めたが、財産の方は依然として 慶之助に譲ると云い続けていた。それに対して八重子は表 立って不服は云わなかったが、腹では不快に思っていたに 相違ないのだった。  平山氏は敬助と八重子が慶之助を中にして、不和を続け ているうちに、満州に約半年の予定で出張しなければなら ない用件が起った。そこで、石持敬助の別荘が出来上っ て、笠尾慶之助が洋行の途に上ろうとする十一月に、慶之 助にや、先立って、満州に向ったのだが、平山氏の出発す る前に、敬助は平山氏を招き、八重子と慶之助の面前で、 今まで口癖のように云っていた財産|譲渡《ゆずりわたし》の件を正式に云 い出した。即ち、全財産を甥の慶之助に|譲渡《ゆずりわた》す事、その時 期は平山氏が満州国より帰国した時、即ち五月に一切の手 続きを完了すると云う事を宣言したのである。平山氏はそ れを聞いて満州国に旅立ち、続いて笠尾慶之助がヨーロッ パに向ったのだった。  以上の事実によって、八重子は益く不利の立場になっ た。即ち八重子はもし財産だけの問題なら、印を損かって いるから横領する事も出来たであろうが、敬助との間には 深い溝が出来て、大いに夫の仕打を恨んでいる上に、姦通 までしていたらしいのであるから、敬助を殺害すべき理由 は十分あった訳である。  尚、石持敬助が平山氏を招いた時に、何故即座に財産 |譲渡《ゆずりわたし》の手続きをしなかったかと云う事は、些か不審であ るが、思うに彼は彼女にこう云う宣告を試みて、彼女に苦 痛を与える期間を長くすると共に、もしその間彼女の気持 が変って、姦夫と手を切るような事があれば、又考え直そ うと思っていたのだろう。彼の遺書を見ると、随所に妻を 愛している事が現われているから、そんな考えがないでは なかったろう。(こう云う考え方は、然し、やがて訂正の 必要が生じたが、それは後に説く。)  石持敬助の死はむろん電報で笠尾慶之助に報知されたで あろうが、彼はロンドソかそれともパリで、この電報を受 取って腰を抜かすか、或いは気絶したかも知れない。僅か に二月の相違で、一千五百万円が彼の前を素通りしたの だ。どうして驚かないでいられようか。尤も、仮りに八重 子が殺人犯人だとすると、彼女は当然相続権を失い、財産 は再び慶之助に帰するから、彼は電報を眺めて、殺人で あれ、八重子が犯人であれと叫んでいる事だろう。  八重子はむろん検事から峻烈な取調べを受けた。然し、 彼女は敬助を殺害した事は勿論、姦通の事実まで、断乎と して否認するのだった。       三、緒方繁行の興奮  石持八重子の拘引は極めて秘密裡に行われたので、彼女 がDl町警察分署に移された事は、|深海村《ふかちみむら》の人達は殆ど 知らなかった。  高井刑事は注意人物緒形繁行の監視を命ぜられていたの で、今日も何と云う事なしにブラリと廃測候所を訪ねた。  緒形繁行は仕事も手につかないと云う風に、ボソヤリし ていたが、高井刑事の顔を見るといきなり立上って、 「石持八重子をどこへ連れて行った。」  高井刑事はどうして緒形繁行がこんな事を知っているの かと思いながら、首を振って、 「知りません。」 「知らないなんて事があるものか。分署へ連れて行ったん だろう。」 「さあ、どうですかね。」  高井刑事がしらばくれていると、緒形繁行は意味ありげ にニヤリと笑いながら、 「高井君、僕はちよっと面白い発見をしたんだがね、日誌 を調べて見ると、この海岸に奇妙な火が見えたと云う日 は、二月の九日も二十三日もそれから、三月四日も、みん な月のない凪の日だよ。」 「それはどう云う事ですか。」 「何か意味がありそうだよ。僕はこの前は黙っていたけれ ども、今云った日の夜は、どうもこゝへも誰か来たような んだ。」 「こ上ヘッて、中にですか。」 「い、や、屋上に来たようなんだが、君の話だと別荘の方 にも怪しい人物が行ったらしいと云う事だから、っまり、 夫婦松のあった所に怪しい人物が来た訳だよ。」 「え、それで、先生は何か考えついたんですか。」 「うん、少し考えついた事がある。」 「そ、それを教えて下さい。」 「教えてもい、がーこうしよう、君の知ってる事と交換 しよう。」 「私の知ってる事って。」 「石持八重子の事だよ。拘引されたんだろう。」 「え二、まあそう云う訳です。」 「うむ、じゃ、やっぱり拘引したんだな、で、一体、それ はどう云う理由だ。」 「いろく怪しい事があるんですよ。あの奥さんは事件の あった当夜変な男と一緒に歩いていたんですが、どうして もその男の名を云わないんです。」 「庇っているのだ。八重子さんは誤解して、その男に迷惑 のかからないようにしているんだ。」 「先生! その男を知ってるんですか。」 「知ってる。」 「えッ、だ、誰です。」 「教える。だが、その前にその先を話して呉れ給え。」 「その先ッて1奥さんの事ですか。まだく怪しい事が あるんですよ。石持敬助の遺書が出て来ましてね。L  高井刑事は緒形繁行が何事か知っているらしいので、そ れを聞こうと思って、彼の要求するまΣに、敬助の遺書の 事を、それによって八重子に益く疑いのか、った事を話し た。  話を聞いているうちに、緒形繁行の顔色は見る見る蒼ざ めて、息遣いが激しくなって来た。彼は一所を睨むように して、じつと考え込んだ。息遣いは益ぐ激しくなって、額 からタラタラと膏汗が流れた。  やがて彼は激しい息の下から、捻るように云った。 「やられたんだ。畜生! 八重子さんが姦通していたなん て馬鹿なー」 「でも、指紋があったのですから-所が変なんですよ。 その指紋が飛んでもない奴で、殺人罪で懲役になって、護 送の途中で逃亡した奴なんです。」 「なにッ。」  緒形は背を丸めて、高井刑事の顔にグッと彼の顔を近つ けて、恐ろしい形相で睨みつけた。高井刑事はゾッとし た。  と、締形繁行は何かに思い当ったように、ハッとして、 急に早口になって叫んだ。 「高井君、石持敬助の屍体の解剖は確かTl博士がした んだね。君、AI大学へ行って、TI博士に聞いて来 て呉れ給え。」 「な、なにを聞いて来るんですか。」 「解剖の所見だ。重大問題だ。すぐ行って呉れ給え。その 結果によって、僕は知っている事をみんな君に話すよ。」 第四章 意外 一、 の発見 指紋の一致-三月九日  石持敬助の呪いの遺書の中に摘発された八重子の姦夫の 指紋が、図らずも二十数年前に逃走した殺人犯余吾健一の それと一致したので、石持敬助殺害事件の所轄署のみなら ず、警視庁まで俄然色めいて、刑事を四方八方に飛ばし た。  一方石持八重子は検事に激しく姦夫余吾健一の所在を責 め問われた。然し彼女は飽くまで知らないと突擾ねるばか りだった。検事は事件のあった晩に、別荘附近で彼女を自 動車に乗せて、Ai市に逃かした男こそ、彼女の姦夫余 吾健一に相違ないと信じていたので、今まで彼女をなよ たよとした妖麗な女として多少同情していた検事の心証は ガラリと変って、逆に図太い妖婦として、追及いよく急 であった。  所がこうした緊張の真ン中に、驚天動地とも云うべき椿 事が起って、又もや事件は元の迷宮に逆戻りしなければな らなくなった。  驚天動地の椿事と云うのは、グラスについていた指紋、 即ち石持敬助が姦夫の指紋だと指摘し、それが二十数年前 の殺人犯余吾健一の指紋である事が発見されたその指紋 が、|全《まる》で狐につまゝれたような話であるが、なんと、石持 敬助白身の指紋だったのである。  石持敬助の指摘した姦夫の指紋が彼自身の指紋! それ は甚だ奇妙な事ではあるが、或いは敬助が錯覚を起して、自 ら触れたグラスを、姦夫が触れたと思ったのかも知れぬ。 然し、その指紋が余吾健一の指紋に全く等しいとは。同一 の指紋を持つ二人の人間がないとすると、石持敬助は即ち 余吾健一である。  警視庁の指紋技師は何回となく両者を見比べた。然し、 幾度調べ直しても、両者の指紋は分厘の相違なく一致する のだ。前にもちよっと述べて置いた通り、石持敬助の遺書 によって発見されたグラスの指紋が、警視庁に持ち込まれ なくて、AI県警察部の方に持ち込まれたら、両者の一致 はもっと早く発見されたかも知れない。何故ならAl県 警察部では、以前に検温器とそのケースについている指紋 を、石持敬助のそれと比較して同一である事を確めたか ら、グラスの指紋を見たとすると、技師は必ずや、敬助の 指紋を思い出したであろうと思われるからである。警視庁 の方ではまさか千万長者石持敬助がお尋者とは考えない し、グラスについた指紋の彼が姦夫の指紋であると云って いるのだから、それが彼自身のものであろうとは考えつく 筈がないし、誰だって、グラスの指紋と石持敬助のそれと を比較しようと云う考えの出なかったのは当然である。つ まり、偶然の発見を待つより他はなかったのだ。  然し、その偶然の発見は案外早く来て、三月九日には早 くもその発見となったのだった。  姦夫の指紋であると云うのが、実は石持敬助自身の指紋 で、而もそれが余吾健一の指紋と全く一致するとなると、 生前石持敬助の人嫌いもなるほどとうなずかれると共に、 姦夫の存在も些か怪しくなって来るのだ。  そうなると、問題の写真も何かの錯誤に基くものではな いかと、更に厳重に雇人達を取調べると、前にちよっと名 を書いて置いた肥田梅野がとうとう白状をした。彼女の白 状によると、当日は珍しく主人の敬助が外出して、八重子 も続いて外出し、雇人の中にも暇を貰ったものがあって、広 い邸内は老女中の竹下すぎと、肥田梅野だけになった。そ こで彼女は竹下すぎを旨く誤魔化して、邸内へ情夫の若い 男を引入れたのだった。その時に彼女はちょいと奥さんの 着物を失敬したのである。彼女に取っては奥さんの着物を 着用に及んで、情夫の若い男を邸内に引入れて、奥さんの 居間で|媾曳《あいびき》するなんて、無上の愉快な冒険だったに違いな い。けれども悪い事は出来ないもので、石持敬助の仕掛け て置いたトリックで、レソズに収められた為に八重子の姦 通の証明になろうとして、遂いに事露顕に及んだのである。  さて、こう云う風に、グラスの指紋も、写真も何等証拠 にならないとすると、姦夫問題は解消して、残るのは石持 敬助が余吾健一であると云う事だけだ。彼はいかにして戸 籍を|改鼠《かいざん》したか分らないが、兎に角、石持敬助になりすま して、努めて人に会わないようにして、小金を運転してい るうちに、いつしか百万長者となり千万長者となったもの だ。  こうなると、問題は元に戻って、石持敬助の死因は何 か、八重子が関係しているか、それとも拘留中の村の三人 が関係しているか、全部やり直さなければならない事にな った。       二、緒形繁行の推理ー三月九日  思いがけない指紋一致事件で、東京に於ける関係者の頭 が混乱している時分に、高井刑事は深海村の廃測候所に急 いだ。彼はTl博士に聞いた石持敬助の屍体の解剖所見 を|齎《もた》らして、その代りに緒形繁行から何事かを聞き出そう と云うのだ。  緒形繁行は高井刑事の顔を見ると、いきなり問いかけ た。 「聞いて来たかッ。」 「聞いて来ましたよ。大脳以外には殆ど変化はないそうで すよ。例の芳香属の毒物と云うのは、催眠剤らしく、死に は関係ないそうです。それも敬助が電気ストーブのコード を抜くまでには利いていなかった訳です。え、と大脳の運 動中枢には少しく血行障害を起し、その皮質にはやゝ著し き変化あり!」 「それだヅ。大脳のアムモソ氏角が萎縮していたんだろ う」 「え、と、アムモン氏角なんて書いてありませんよ。|海馬《かいば》 |角《えロく》の発育障碍1」 「それだッc同じ事だ。それから、グリァー」 「え、、それはありますよ。グリァーの増殖を見るー」 「よし。分った!」 「な、なにが分ったのですか。」 「今君がTl博士から聞いて来た解剖所見は、すべて癩 痛の徴候なんだ。」 「てんかん?」 「うん。Tl博士位の大家になると、名誉を重んじ、断 定の結果の影響する所の大きいのを恐れるから、あいまい な所見位では軽々に結論を下さない。然し、僕にはそれが 確定的のものでなくても沢山だ。石持敬助は癩痛患者なん だ。」 「    」 「君達は癩滴と云うと直ぐに泡を吹いて倒れるのを連想す るだろうが、癩痛患者のうちにはそんな著名な症状を現わ さないのがある。癩滴病の特徴は幻聴幻視それから中には 夢中遊行者もある。多くは発作的に犯罪をして、後では何 事も知らないl」 「ちよっと待って下さいよ。今のお話で思い出しました が、石持敬助が姦夫の指紋だと云ったのは、実はそれが彼 自身のものだと判明したんです。つまり彼は二十数年前の 殺人犯人余吾健一だと判明した訳ですがI」 「なにッ。奴が殺人犯人! うむ、やっぱりそうだったの か。僕は奴は確に暗い過去を持っていると睨んだのだが IL 「え、、二十数正前に、何の理由もないのに、愛妻を絞殺 して、而も公判では全然知らないと云ったそうですが。」 「そうかッ。それで僕の推察は益ぐ正しい事が証明される ぞ。彼には確かに癩滴があるのだ。過去の殺人も発作に相 違ない。従って彼が八重子が姦通していると考え出したの は、全く幻覚による妄想だ。こう云う実例が或る学者によ って報告されている。それは盲人だが、彼は妻が何等そん な事実がないにも係らず、姦通をしていると妄想して、と うとう彼女を殺して|終《しま》った。彼は癩滴病者だった。石持敬 助もそれなんだ。彼は妻が姦通をしていると云う、飛んで もない妄想を起したのだ。それは彼自身が描いた幻影に過 ぎないのだ。彼はその妄想に二年も三年も苦しんでいたの だ。そうして、彼は妻への復讐を企てたのだ。高井君、分 ったかッ。」 「分ったようですが、1では一体彼の死因はなんです か。」 「自殺だツ。」 「自殺?それは一度は考えられましたけれども、身体を 非常に大切にして、強壮剤を愛飲していた事実があります し、その他自殺と認むべき何等のI」 「高井君、君には未だ分っていない。石持敬助は妄想を抱 いていたのだ。頭が狂いかけていたのだ。彼の自殺は恐ろ しいトリックなんだ。他殺と見せかける為の自殺だ。  君には未だ分らないのか。石持敬助は一見死因不明の奇 怪な自殺を遂げて、飽殺と見せかけて、その嫌疑を妻に負 わせようとしたのだ。彼は当日午後本邸に到着するように、 妻に宛て、恐ろしい呪いの手紙を送ったのだ。八重子さん は一読すると顛え上った。そうして敬助の頭が狂ったの じゃないかと思って、直ぐに別荘に駆けつけたのだ。これは 今から考えると恐ろしいトリックだ。むろん八重子さんを 深い陥穽に落す手段だ。八重予さんは十時に別荘についた が、門が堅く締められてどうする事も出来ず、困り抜いて いる所を、幸いに僕が見つけて、自動車でAl市に向わ せたのだ。八重子さんは夫の恐ろしい手紙は即座に破り棄 てたし、僕の名を出して、僕に疑いのか、るのを恐れて黙 っていた為に、益ζ疑いを蒙ったのだ。」 「え、え、あなたが八重子夫人を送ったのですか。」 「そうだ。もう僕は隠さないよ。僕は昔の八重子さんの愛 人だ。僕と八重子さんは金の為に仲を割かれたのだ。僕は それ以来学校も中途で止めて|終《しま》って、石持敬助を張ってい たのだ。この廃測候所を借りたのも実はその目的だった。 所が、敬助は幸橿にも、僕が手を下さたいうちに、自殺し てしまった。八重子さんはきっと僕が敬助を殺したと思っ ているに違いない。その為に僕を庇って、僕の名を出さな いのだ。」       三、再び緒方繁行の推理-三月十日  緒形繁行はDlー町分署長に云わせると、飛んで火に入   、J、"こつた。締形繁行は八重子の昔の愛人だと云った。 石持敬助を憎んで彼を殺す為に、別荘の近くの廃測候所に いるんだと云った。又彼は高井刑事に両って、花後微少の 痕跡をも残さない毒薬を研究中だと云ったばかりではな い、実際に研究している形跡は十分にあった。彼は石持敬 助が八重子を姦通呼わりするのは敬助の妄想だと云ったけ れども、それは彼がそう思うだけで証拠はたい。彼が石持 敬助の云う姦夫かも知れない。事件当夜彼は確かに怪行動 を取っている。もとノ\敬助を殺す積りなのだから、敬助 が八重子の手に財産が移らないように、笠尾慶之助に譲渡 すると云う事を聞いて、いよノ\許して置けないと、八重. 子と共謀して殺人を決行したものと認むべきである。  分署長は有無を云わさず、緒形繁行を拘引した。狭い分 署は累計五人の容疑者を留置して満員の有様である。  分署長の意見に対して、刑事課長は首を捻った。彼は緒 形繁行が多少社会的に獲得している地位を考えたのだっ た。検事は更に火きく首を捻った。何故かと云うと、彼は TII博士に会って、緒形の述べた説は相当の"拠のある 箏を教えられたのだ。石持敬助が癩痴らしい事も、癩滴患 者が妄想を抱く事も、亦常人では考えられないような事を する裏も、すべて十分あり得る事なのである。  緒形繁行は検事の前に出された。  緒形繁行はひどく興奮していた。検事に向って拘引の不 都合を|詰《なじ》り、石持敬助は自殺に相違ないと云い張って、彼 も八重子も無罪であるから、即刻釈放せよと云った。  それに対して、検事が彼の推理が完全でない事、例えば それほど妻を憎んでいる敬助が、何故彼女に大切な印を預 けたかと云うような点を指摘した時に、彼は憤然として喋 り続けた。 「僕の推理力を疑うのですか。宜しい。では、僕は別の方 面の推理をして見せましよう。之は高井君に云おうとし て、そのままになった事ですが、あなたは深海村の海岸に 起った怪火事件をどう解決しましたか。高井君に指摘して 置いた通り、僕の知っている範囲で前後三回起った怪火 は、いつも月明のない凪の夜でした。怪火は陸上だけでな く、海上にも浮びました。僕は第一に、之は村民の誰かゞ 秘密に海中のものを探すのではないかと考えました。秘密 な事でなければ、昼を避けて、態く闇夜に行う筈はないし、 凪の夜を選ぶのは海中を探るのが目的ではないかと思われ る。以上は推理と云うよりは憶測に近い事ですが、更に進 んで、之を五、六年以前に起った公金消失問題と結び合せ ると、こ、に新に推理が生じ、憶測は余程確実性を増して 来ます。消失した六万円の公金はどうなったか。助役、村 の有力者などが共謀して旨く帳簿を誤魔化して、六万円の 大金を盗み出したとする。彼等は直ぐにそれに手をつけて は発覚を早めるから、暫くどこかに隠そうとする。その場 所は彼等は?彼等の様子を知っている入江の岩礁の間を 絶好の隠匿所として選ばないでしようか。  さていよく海に沈めるとして、再び引上げる時の目印 は? むろん海上の或る一点を|定《き》める為には陸上に二つの 目標が必要です。この時に当って彼等が相当の距離を保っ て海岸に聾えている二本の夫婦松を絶好の目標に選ぶの は、頗る自然な事ではありませんか。  六万円の大金は多分当時は免換停止以前でしたから、巧 みに金貨と換えて、鉄製の函にでも詰められて、夫婦松を 目標に入江の一点に沈められました。所が、そろく|余熱《ほとぼり》 が醒めて引上げようと思っている際に、俄然夫婦松が伐ら れる事になりました。驚いたのは彼等です。この目標を失 っては大変ですから、村民を煽動して、頑強に反対したの です。  では、測候所が設置される時に、夫婦松の一本が伐られ るのを、何故彼等が少しも騒がなかったかと云う質問が出 るかも知れません。その説明は簡単です。彼等の必要なの は松ではなくて目標です。松が伐られる代りに測候所が建 てられ、その上には松よりももっと目標に都合のいゝ高い 竿が立つのです。而も夜問はその頂上に色電燈が掲げられ るでしようから、松の場合のように、態く、手提燈など吊 す必要がなく、反って好都合です。彼等が敢て老松伐採に 反対しなかったのはこう云う訳です。  残った一本の松は彼等の必死の反対にも拘らず伐り取ら れて|終《しま》いました。彼等は落胆したでしようが、決して絶望 と云うのではありません。切株の辺から手提燈を振れば不 完全ながら目標になりましよう。金輸出禁止によって、金 の値は益く暴騰するし、一方、別荘には人が来るし、彼等 は気が気ではなかったでしよう。彼等はあらゆる機会に沈 めた金を引上げようとしたのです。それが偶く半ば狂った 石持敬助に怪火と見られ、彼を悩ましたのです。僕は金貨 引上げは未だ成功していないと思います。検事殿、僕の推 理が正しいか誤っているか、実地に試めして下さい。L 「うむ。」  緒形繁行の長い話がすむと検事は吟心った。緒形の云う事 は顧、る筋道が立っていた。検事はそれでその日の審理を中 絶した。       四、三度緒形繁行の推理              -三月十一日  果然、緒形繁行の推理は適中した。昼の掃海作業はさほ ど困難ではなかったので、三人の共犯者に位置を白状さし て、岩礁の間から六万円の金貨を詰めた函を引上げた。こ の一事だけでも、深海村の村民達は緒形繁行に感謝すべき である。  所が、緒形繁行は釈放されなかった。  検事は石持敬助の変死事件について、再び彼を訊問し始 めた。検事は緒形繁行に向って、石持敬助の死が自殺であ って、他殺と見せかけて、八重子に嫌疑を掛ける為だと云 うが、他殺と見せかける積りとすると、頗る方法が拙で、 一見自然死のようにさえ思われた位だし、又、八重子に嫌 疑を向けるにしては、別荘へ呼び入れなくて、反って閉め 出したのが不審である。従って、自殺しながら他殺と見せ かけたと云うよりは、他殺を自然死又は自殺と見せかけた と云う方が適当であるが、この点はどうかと突込んだ。  これは確かに緒形繁行の推理の弱点だった。読者諸君も お気づきのように、白殺を他殺に見せかけるにしても、も う少し方法があるように思えるのである。(後に判明する 事だが、之には少し理由があった。)  緒形繁行が鷹躇していると、検事は畳みかけた。それは Tl博士の解剖の結果、肺部から微量の砒素が検出され た事から、緒形繁行が砒素含有の毒物を与えたのではない かと云うのだった。  砒素と云う一言に緒形繁行は飛上った。 「なに、砒素?砒素は愚人の毒と云われているほど、中 毒の症状が明瞭で且つ検出容易なものです。石持敬助は断 じて亜砒酸などの中毒ではありません。然し、微量の砒 素、肺部にーうむ。では恐るべき猛毒砒化水素の中毒で はないか。」  検事はうなずいた。 「Tl博士もその意見です。君はどう云う方法で、あρ 室内に砒化水素を送ったか。」 「僕が、飛んでもない。|砒化水素《アルシソ》は恐るべき猛毒です。一 気泡を吸っても即死すると云われている。もしあの密閉さ れた部屋に研仁ポ素を送ったら、竹下すぎや漁師達はあの 部屋に這入った途端に発れる筈です。那須火山の殺生石は 地中からアルシソを噴山すると云われています。あの天地 空潤の広々とした所でさえ、何町四方か植物を生ぜず、空 を飛ぶ鳥が落ちると云われているではありませんか。」 「然し、一人を艶すだけの微量ならばI」 「うむ。そう云えば屍体の附近に韮の臭気がしたそうです がIl|砒化水素《アルジソ》は韮に似た臭いを持っています。では、恰 度石持敬助の鼻口に当る所に、微量のアルシソの気泡を i」 「TI博士もその意見です。」 「だが、然し、密閉された部屋でi何等外部に通ずる筈 はないしI」  緒形繁行は苦しそうに哺吟し出した。が、やがて飛上る ようにして、 「うむ、自動発生装置。恐るべき猛毒アルシソの自動発生 装置。そうだ、出来ない事はたい。だが、然しl」  緒形繁行は突如検事に向き直った。 「屍体の傍に体温計が落ちていたそうですが。」 「え二。」検事はうなずいた。「三十六度五分を示していま した。」 「それが部屋の最高温度です。事件当夜は蒸暑い夜でし た。それに電気ストーブをつけたので、部屋の温度は著し く上昇しました。石持敬助は遂いに起きて、ストーブのプ ラヅグを抜いたと云うじゃありませんか。ストーブが消え てから部屋の温度は下降を始めました。然し、体温計は最 高寒暖計ですから、一旦上昇した点からは下りません。つ まり床の上に落ちていた体温計は、その附近の最高温度を 示している訳です。三十六度五分と云うと-華氏九十七 度七分になりますから、もし部屋全体がこの温度となった とすると、少し高過ぎますが、電熱器の輻射熱の関係で、 その附近はうんと温度が高くなります。体温計の落ちてい た所は、ストーブに近かったのでしよう。それでそれだけ の温度になったのです。」 「体温を計ったのかも知れんね。」 「いや、体温を計った後は、使いつけた人は、必ず、水銀 を十分に下降させて置くものです。現に敬助にも、その習 慣があったと夫人が明しているそうじゃありませんか、僕 の推理は恐らく確かでしよう。体温計の落ちていた傍の壁 が曲者です。そこに恐らく|砒化水素《アルシン》の自動発生装置が這入 っているでしよう。」 「君が入れたのか。」 「飛んでもない。笠尾慶之助です。彼は別荘の工事監督者 です。工事が終ってからも未だ部屋の設備に一月も費やし ています。」 「それはいかん。笠尾慶之助は石持敬助に死なれては、一 千万円以上の損をする男だ。」 「それも五月までです。五月になれば彼は相続人です。」 「だが、三月に殺して|終《しま》ってはl」 「笠尾慶之助は石持敬助が冬こんな所へ来るとは思わなか ったのです。必ず夏来ると思って、夏期の温度の上昇を利 用しようとしたのです。」 「駄目だ。夏期この地方は九十七度なんて高温度には昇ら ない。」 「それ以下で毒瓦斯は発生するのでしよう。」 「然し、それでは夏期のいついかなる場合にそれが発生す るか分らない。L 「そこは旨く調節してあるでしょう。」 「駄目だ。温度の上昇で毒瓦斯が発生するなら、多く昼の うちに発生して終う。夜は温度が下降するのが普通だ。寝 室に仕掛けたのでは意味がない。」 「    」 「それに、何よりも君の説を否定するのは、石持敬助がス トーブのコードを外した事だ。もし温度が上昇して、或る 点で砒化水素が発生するなら、その時に忽ち死んで終う筈 だ。石持敬助は明かに、一度温度が上昇した際に起上 り、ストーブを消した事によって、温度が下降してから死 んでいる。」       五、笠尾慶之助の帰朝-四月十日  笠尾慶之助は傭酒たる姿を東京駅頭に現わした。彼は努 めて平静を装うていたが、内心は喜悦に溢れていた。石持 敬助の変死の報をパリで受取って、|可惜《あたら》一千万円を棒に振 ったかとドキッとしたが、次の電報で石持八重子に殺人の 疑いがか、った事を知り、ついで、八重子は敬助殺人の嫌 疑によって、彼女の昔の愛人緒形繁行と共に起訴を免がれ ない形勢である事と、至急帰国せよと云う第三第四の電報 を受取った。そこで彼は急遽シベリャ経由で帰朝の途につ いたのだが、帰って見ると、八重子の起訴は確定的にた っていた。笠尾慶之助は苦手の八重子を牢獄に送って、そ の代りに一千万円以上の財産が転がり込むのだ。嬉しそう にしまいと思っても、独りでに微笑が込み上げて来るので ある。  駅頭には番頭達の他に、Al地方検事局の若い検事が 待ち受けていた。彼は、名刺を示しながら、 「伯父上が変死を遂げられた事に御同情申します。御承知 の通り、石持八重子と緒形繁行の両名が、殺害の容疑者と して、既に起訴するばかりになって居るのですが、殺人の 現場について、一言あなたの証言を得た上で決定したいと 存じ、あなたの御帰朝を待っていたのです。御迷惑でしよ うが、私と一緒に深海村の別荘までお出下さいませんか。」  長途の旅をして、久し振りで故国に帰って、ゆっくり骨 を休めようと思っていた所を、検事と同道で田舎の別荘行 は有難くないが、相手が検事だし、殊に彼の最後の一言で 八重子達が起訴されると云うのだから、笠尾慶之助は渋々 承諾した。  AI市から刑事課長が乗り込んで来た。Dl町に着 くと、分署長が迎えに来ていた。一行が別荘についたの は、そろく暗くなりかけていた頃だった。  倹事は直ぐ笠尾慶之助を石持敬助の死んでいた寝室に連 れ込んだ。 「この寝台の上で、石持さんは死んで居られたのです。」 「不幸な伯父でした。現在の妻に殺されるなどとは。」 「あなたは石持さんの前の苗字を御存じですか。」 「え、ま、前の苗字とは。」 「あなたは確か三十六とか聞きましたが、それなら二十 四、五年以前の石持さんの事を少しは御存じでしよう。L 「二十四、五年前と云うと、ーホンの子供ですから、い、一 向存じません。」 「あなたは石持さんの甥ですね。」 「はい、あの、甥と云うのではありません。縁辺のもので す。実は恥かしい事ですが、私が若い頃放蕩に身を持ち崩 しまして、非常に困っています時に、伯父-つまり石持 に会いまして、それから世話になりましたのです。」 「そうですか。よく分りました。では、今日はこれで。」 「え、明日も何かお調べが。」 「え、、明日が主なる調べです。今日はこの寝台で泊って いただきたいのです。」 「えッ、この寝台へ。」 「はあ、四月に這入りましたが、この辺は寒いので、御覧 の通り、特にスチームを通す事にしました。夜中通します から、八十度には十分たります。殊によると、もう少し昇 るかも知れません。」 「わ、私は寒いのは平気です。スチームは止めて下さい。」 「でも寒いですから。」 「止めて下さい。私は頭痛持ちでI」 「スチームなら大丈夫です。頭が痛くなる事はありませ ん。ては、又明日-l」 「ま、待って下さい。私はーそうてす、大変な用を忘れ ていました。東京へ帰らなくてはなりません。」 「それは困りますな。今夜こ、へ泊って頂くのも、実は取 調べの一部でしてしL 「こ、こ、へ寝るのがですか。」 「そうです。私は実験がしたいと思うのです。あなたにζ の寝台に寝て頂いて、部屋をすっかり締め切ってー」 「わ、私はー」笠尾慶之助の顔色は見る見る蒼さめて、 よろよろとよろめいて、床にひれ伏したが、次の瞬間にパ ッと立上った時には、彼は悪鬼の形相だった。「うぬ、よ くも俺を嵌めたな。」  笠尾慶之助は検事に掴みか、ろうとした。然し、その前 に部屋の中に躍り込んだ分署長の頑丈な腕で押えられて|終《しま》 った。 エピローグ 殺人の方法  笠尾慶之助が石持敬助を殺した真犯人だった。彼は、絡 形繁行が推理をした通り、石持敬助の寝室の窓と窓との問 の壁の中に、恰度寝台に横臥した敬助の鼻の辺に当る所 に、恐るべき猛毒砒化水素の発生装置を隠したのだった。 無論彼は五月に財産相続の手続きが完了して、夏になって 石持敬助がこの別荘に来た時に、砒化水素が自動的に発生 するようにして置いた。彼は海外にあって、完全なアリバ イを作り、十月頃大手を振って帰朝するつもりだった。所 が、敬助が妻の八重子が不義をしていると云う妄想を抱 き、自殺をして他殺と見せかけて、妻に嫌疑をかけて復讐 しようと云う恐ろしい企みを遂げる為に急に一月に別荘に 移り住んだが、未だその計画が運ばないうちに、慶之助の 毒手に発れたので、つまり敬助に取っても、亦慶之助に取 っても、悲しい計画の齪齢が起ったのだった。そこへ、深 海村の公金消失、海中隠匿事件、老松伐採反対運動などが あって、固題は紛糾したのだった。  笠尾慶之助の考案した装置は実に巧妙極まるものだっ た。彼は温度の上昇による自動瓦斯発生装置は、物体の膨 脹を利用した、即ち、普通の寒暖計のように硝子管に水銀 を盛り、水銀が温度の上昇によって膨脹して、或る点に達 すると、予め張った電線に触れて電路を閉じ、乾電池の電 流が通ずる。その電流はコイルに通じ、コイルは磁力を生 じて鉄片を吸引する。鉄片の一端には|桿朴《かんかん》があって、稀硫 酸を盛った硝子管の下部を開いて、二、三滴の硫酸を砒化 亜鉛を入れたフラスコの中に落す。それと同時に電流が切 断されて、桿粁は元の位置に返る。即ち温度の上昇によつ て、水銀柱が或る点まで上昇すれば、その度に極く少量の 砒化水素を発生する事になっているのである。  尚、之だけではかって緒形繁行が検事に問いつめられて 返事に窮したように、温度が一定の高さになると、昼夜を 問わず砒化水素を発生する事によって、目的が十分に達せ られないので、笠尾慶之助は最初温度が上昇する間は、水 銀が膨脹しても電路を閉じる事なく、一旦上昇した水銀柱 が下降を初めて、或る点に来ると、初めて砒化水素が発生 するようにしたのだった。即ち、水銀柱が二度或る点を通 過しなければ、作用をしないようにしたのである。  今仮りに砒化水素の発生点を華氏の八十度とすると、気 温が上って、日中八十六度となっても、この際は|瓦斯《ガス》が発 生せず夜に入って下降を始めて、八十度に達すると、始め て瓦斯が発生するのである。笠尾慶之助は、測候所の古い 記録によって別荘附近の夏期の気温の状況を調べて、最高 気温の日の温度が、夜の十時頃に示すべき温度を、瓦斯の 発生温度と定めた。こうすると、寝台に寝ている石持敬助 は、夏の一番暑い日の夜の十時頃に死ぬ筈であった。(最高 気温より低い気温の日に於ては、最高気温の日の夜の十時 頃示すべき温度は、十時より早く来るであろう。従ってその 時は、未だ就寝前である事が多い。もしその時間に就寝し ていればやはりやられる訳である。就寝前に瓦斯が発生す る事があっても、一回には極く微量しか出さないから、既 に竹下すぎ等によって経験されたように、大した疑いを招 かないですんで終う筈である。)所が、石持敬助が急に冬に 来たので、ストーブの熱で思わぬ狂いが生じたのである。  読者諸君はもうお気づきの事と思うが、八重子と緒形繁 行を起訴すると宣伝した事や、寝室に単にラジエーターを 置いてスチームを通すように云ったのは、みんな検事のト リックで、笠尾慶之助の帰朝を待っていたのだった。要す るに水銀の膨脹を利用したトリックは、やはり水銀の膨脹 を利用した一本の体温計の為めに見破られるに至ったので ある。  尚、石持敬助が,纐滴病者であったかどうかは断定出来 ないが、生前の彼の行動と死後の解剖所見に照らして、大 体緒形繁行の推理が正しいであろう。従って、妻の姦通云 云は全く彼の妄想に基くもので、冬期急に別荘に移ったの も、彼の遺書から推して、自ら生命を断って、妻を殺人の 罪に落す積りであった事もうなずかれる。(彼が妻に印を .頒、けたのは、深い意味がなかったと思われる。)彼はその 準備を整えないうちに、笠尾慶之助のトリックに発れたか ら、前にも述べた通り、この点については緒形繁行の推理 は検事から突込まれて、窮したのだった。  緒形繁行と石持八重子の過去の関係及び両者の特異な性 格については、十分に述べる余裕を持たなかったが、それ は必ずしもこの物語に重大な関係を持つものではないと思 う。