闘争 小酒井不木  K君。 親切萄見舞の手紙うれしく拝見した。僕は全く途方に暮れてしまった。御葬式やら何や養 やらで・随分鵬しかったが、やっと二三日手がすいて、がっかりした気持になって居るところへ 君の手紙を受取り、涙ぐましいような感激を覚えた。君の言うとおり、毛利先生を失ったわが法 医学教室は闇だ。のみならず、毛利先生を失った丁大学は、げっそり寂しくなった。更に、また 毛利先生を失った日本の学界は急に心細くなった。さきに|狩尾《かりお》博士を失い、今また毛利先生の|計《ふ》 にあうというのは、何たる日本の不幸事であろう。毛利先生と狩尾博士とは、日本精神病学界の 双壁であったばかりでなく共に世界的に有名な学者であった。その二人が僅か一ヶ月あまりのう ちに相次いで病死されたということは、悲しみてもなお余りあることである。  K君。君は僕の現在の心持ちを充分察してくれるであろう。何だか僕も先生と同じく肺炎に|罹《かユ》 って死にそうな気がしてならぬ。かつて中学時代に父を失ったとき、その当座は自分も死にそう に思ったが、その同じ心持ちを今しみハ\感ずるのだ。教室へ出勤しても何も手がつかぬ。幸い に面倒な鑑定がないからい>けれど、|若《も》しむずかしい急ぎの鑑定でも命ぜられたら、どんな間違 いをしないとも限らない。家に帰ってもたゞぽんやりとして居るだけだ。それで居て、何かやら ずに居られないような気分に迫られても居るのだ。若し僕に創作の能力があったら、きっと短篇 小説の二つや三つは書き上げたにちがいない。けれども残念ながら、それは僕には不可能事だ。 たゞ幸いに手紙ぐらいは書けるから、今晩は君に向って、少し長い手紙を御返事かたハ\書こう と思う。  君の手紙にも書かれてあるとおり、毛利先生は最近たしかに憂欝だった。君ばかりでなく、他 の友人たちも、それを気づいて、すぐに先生の生前に、僕にたずねた者がある。僕には先生の憂 欝の原因、ことに死の直前一ヶ月あまりの極端な憂欝の原因はよくわかって居た。けれども、先 生が生きて摩られる限りはその原因を僕は絶対に人に語らぬつもりだった。けれども、今はもう それを語ってもよいばかりでなく、また語らずには置けぬ気がするのだ。で、それについてこれ から出来るだけ|委《くわ》しく書こうと思う。  それから今一つ、話の|序《ついで》に、君が|嚥《さぞ》聞きたがっているだろうと思う、例の新聞広告、とだしぬ けに言ったのではわかるまいが、今から一ヶ月半ほど前に、都下の主な新聞の三行広告欄へあら われた不思議な広告 PMbtDK の種明しをもしようと思う。こう言うと、君は定めし不審に思うだろうが、あの広告は、実は僕 が出したものだ。君よ、驚いてはいかぬ。詮索好きの君は、あの当時、よく僕の教室へ来て誰が、 何のために出して、どういう意味があるだろうかと、色々推定を伊ってきかせてくれたものだ。 僕は君に感附かれないように、つとめて知らぬ顔を装って居たのだが、あれこそ、先生の憂欝の 原因と関係があって、その当時は絶対の秘密を要したことだから、僕は自分ながら感心するほど、 よく自制したよ。が、今はそれを自由に物語ることが出来るのだ。君も、きっと喜ぶだろうが、 僕もうれしい気がする。  K君。  君はよく記憶して居るだろう。郊外Mに文化住宅を構えて居た若き実業家北沢栄二の自殺の一 件を。一旦自殺として埋葬されたのを、警察の活動によって、未亡人|政子《まさこ》とその恋人たる文士緑 川順が、他殺の嫌疑で拘引され、死骸の再鑑定をすることになったが、鑑定の結果、やはり自殺 と決定されて二人は放免され、事件は比較的平凡に片づいてしまった。あの鑑定は主として僕が やったけれど、実はあの事件の底には、もっとく奥深いものがかくされて居て、それがやがて あの謎の広告と密接な関係を持って居るのだ。というと、察し深い君は、あの事件がやはり他殺 だったのかと思うであろう。そうだ。思い切って言えば、やはり一種の他殺だったのだ。が、そ れはたしかに普通の場合とは異って居るので、それがあの謎の広告となったのだが、とに角、こ ういう訳で、毛利先生の憂欝の原因は、間接に北沢事件だとも言い得るのだ。  尤もそれは先生の死の直前の極度の憂欝のことをいうのであって、すでにその以前から、毛利 先生は憂欝だったのだ。僕はちょうど五年間先生に師事したが、最初の四年間先生は文字通り快 活で、疲労というものを少しも知らぬ学者だった。五十を越した人と思われぬ黒い髪と、広い額 と窪んだ眼と、かたく結んだ唇とは、見るからに聡明な性質を表わして居たが、ことに先生が、 法医学的の、又は精神病学的の鑑定を行われる態度は、|襟《えり》を正しくせずに|居《お》られぬほど厳粛なも のだった。それもその筈だ。先生の鑑定の結果は、単に一個人の生命に関係するばかりでなく、 社会にも重大な影響を与えるから、いわば人智の限りを尽して|携《たずさ》わられたのである。|而《しか》も、そう した義務的観念から熱心であったばかりでなく、心からの興味をもって従事されたのである。  ところが過去一ケ年ほど、どうした訳か先生は、以前ほど仕事に興味を持たれなくなった。ど んな小さな鑑定にも、必ず自分の息を吹きかけねば気の済まなかった先生が、近頃はほとんど 我々助手に任せきりだった。任せきりだとはいうもの・、鑑定書には必ず眼をとおされ、助手の 手にあまるような問題には決して労力を惜まれなかったが、どう観察しなおしても、以前ほどの 熱はなく、教室でぽんやり時を過されることが度々であった。後進を引き立てるために、わざと 手をつけることを差控えるようにせられたのかとも思って見たけれど、決してそうばかりではな かった。というのは、先生の顔にだんく憂轡の影がさして来たからである。  僕ははじめ先生の憂欝の原因を、何か先生に、世間普通の心のなやみが生じたためではないか と考えたよ。|甚《はなは》だ失礼たがら、独身の先生のことだから、恋愛問題にでも直面されたのではない かと思って見た。もちろん今はその邪推を後悔して居るが、とに角、一時はそうとでも考えるよ り他はなかったのだ。ところが、だんく観察を深めて行くと、それが全部ではないけれど、一 種の倦怠とも見るべき状態だとわかったのだ。どうもこの倦怠という言葉は甚だ坐りが悪いけれ ど、他によい言葉がないから、致し方なく使用するのだが、いわば、精神活動の一種の|弛緩《しかん》状態 を意味するのだ。  生理学を専攻する君に、こんなことを言うのは僧越だが、心臓の血圧の曲線を観察すると、か のトラゥベ・へーリソグ氏の|弛張《しちよう》がある。心臓は生れてから死ぬまで榑動を続けて居なければな らぬから、一対ずつ存在して居る器官、例えば腎臓のように、一方の活動して居る間、他方が休 むという訳にいかぬ。それで活動に強彌を飛し、それが強識トラウベ・へーリソグ氏の弛張と名 づけられて居るが、僕は精神的活動にも同様なことがあり得ると思うのだ。平凡な働きしか出来 ぬ脳髄には弛張は目立たぬけれど、精神的活動がはげしければはげしいほど、緊張状態の後に来 る弛緩状態が目立って来ると考えるのだ。僕は鶴てこの見地のもとに、史上の俊才の伝記を研究 したことがある。果して多くの俊才には、精神的活動期の中間に著しいギャップのあることがわ かった。古来の伝記学者たちはそのギャップを色々に説明して居るが、要するに、それは生理的 に、いわば自然に生ずるものであって、俊才自身が意識してそのギャップを作ったのではないの だ。そうしてその時期にめぐり合せた俊才たちは、きまって憂欝になるのだ。著しかった精神活 動の時期を回顧して、だんく深い憂欝に|陥《お》ちこんで行くのだ。  時には肉体的の欠陥がこの弛緩状態を起すことがある。肺結核の初期には却って精神的活動を 促すが、後にはやはり弛緩状態を起すらしい。慢性腎臓炎などは弛緩が著しい。そこで僕は先生 が何か病気に|罹《かユ》られたのではないかとも思ったことがあるけれど、やはりそうではなく、俊才に 生理的に起る憂欝状態と見るのが至当だったのだ。  今になって見れば、もっと他の、学者としては最も当然な、|且《か》つ最も高尚な悩みもあったのだ が、それはむしろ原因ではなくて、単にその時期に流菰したと見るのが至当であろう。いずれに しても、毛利先生は、先生自身でもどうにもならぬ、漉んや僕等の何とも仕ようもない憂欝に陥 ってしまわれたのである。  ところが、その憂欝からはからずも脱し得られるようた事情が起ったのだ。後から見ればそれ が一時的のものであって、毛利先生はその後更にはげしい憂欝に陥られたが、若し、先生の論敵 で、先生と共に、日本精神病学界の双壁といわれて居る狩尾博士が脳溢血で|頓死《とんし》されなかったら、 あのま》従前の活動状態に復帰されたかも知れぬ。そうして、ことによったら、先生の死もこれ ほど早くには起らなかったかも知れぬ。が、今はもう悔んでも及ばない。又、僕の愚痴をたらべ て君を退屈させても相済まぬ。で、先生を一時的に憂欝から救った事情を早く物語ろうと思う。 言う迄もなく、それが即ち、北沢事件なのである。  K君。  北沢事件は、その当時、新聞に|委《くわ》しく報ぜられたから、君も大体は知って居るであろう。三十 七歳の実業家北沢栄二は郊外に、文化住宅を建て、夫人政子と二人きりで、全然西洋式に暮して 居たのだが、今から二月前の十月下旬のある日、夫人の留守中に書斎でピストル自殺を遂げた。 その日夫婦は午後一時に昼食をとり、それから間もなく夫人は買物に出たが、色々手間どって五 時半頃に帰ると、良人は書斎の机の前に椅子と共に、床の上に血に染まって死んで居たので、驚 いて電話で警察へ報じたのである。  取調べの結果、机の上には遺書と見るべきものが置かれてあって、他殺らしい形跡が|毫《すこし》も認め られなかったので、翌日埋葬を許可された。普通ならば火葬にさすべきであるのに、特に埋葬に せしめたのは、遺書と見るべきものが、本人の自作の文章ではなくて、本人の自筆ではあるけれ ど、先年自殺した青年文学者A氏の「|或《ある》旧友へ送る手記」の最初の一節をそのまま引き写したも のだったからである。つまり警察では、そこに後日の研究の余地を|存《そん》せしめて置いたのだ。  すると果して約一ヶ月の後、警察へ投書があった。それは「北沢栄二の死因に怪しい点があ る」とのみ書かれたハガキであるが、それがため警察がひそかに未亡人を蹴視すると、未亡人は、 緑川順という年若き小説家の愛人があるとわかり、愛人の家宅を突然捜索すると、ちょうど北沢 が自殺に用いたと同じピストルが発見され、なお当然のことであるが、「遺書」の載って居るA 氏の全集もあったから、警察は謀殺の疑いありとして、未亡人と緑川とを拘引し、死骸の再鑑定 を僕等の教室へ依頼して来たのだ。  鑑定の依頼に来たのは、警視庁の福間警部だった。僕等にはお馴染の人である。僕は警部から 鑑定の要項と一切の事情とをき・取って、発掘して運ばれた死体を受取り、福間警部をかえして 毛利先生の部屋をたずねたのだった。その日は今にも雨の降りそうな、変に陰欝な天気だったせ いもあるが、先生の顔には常にないほどの暗い表情が満ちて居た。僕が書類を手にしてはいって 行くと、先生は読みかけた雑誌をそのま・にして顔をあげ、 「また鑑定かねP」と、吐き出すように言われた。 「はあ」 「どんな」  そこで僕は、福間警部からきいた一切を物語ったが、一年前ならば、眼を輝かして聞かれたで あろうに、|而《しか》も自殺か他殺かという鑑定の結果によっては二人の生命が左右されるほどの重大な 事件であるのに先生はたゞフソ、フンといってうなずかれるだけで、悪くいえば、まるで|他事《よそごと》を 考えて居られるのではないかと思われるような、味気ない態度であった。僕が語り終ると、 「それで、鑑定の事項はP」 「三ケ条です。第一は胃腸の内容から、死の起った時間を決定すること。第二は現場及び遺書の 血痕が自然のものか、又は人工的に|按排《あんばい》された形跡があるか否や、第三はピストルが、どれほど の距離で発射されたかと言うのです」 「その遺書をそこに持って居るかねP」  僕は紙袋に入れられた遺書を取り出して、先生に差出した。それは二つに折られた水色のレタ ー・ぺーパーで、外側には数個の血痕が附着し、中側にペンで「或旧友へ送る手記」の最初の一 節が書かれてあった。くどいようであるけれども、後の説明のために、その全文を書いて置こう。    誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や|或《あるい》   は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであろう。僕は君に送る最後の手紙の中に、   はっきりこの心理を伝えたいと思っている。尤も僕の自殺する動機は特に君に伝えずとも|善《よ》   い。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いている。この短篇の主人公は何のために自殺す   るかを彼自身も知っていない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精   神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。しかし僕の経験によれば、それ   は動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。自殺者   は大抵レニエの描いたように何の為に自殺するかを知らないであろう。それは我々の行為す   るように複雑な動機を含んでいる。が、少くとも僕の場合は|唯《たゴ》ぽんやりした不安である。君   は或は僕の言葉を信用することは出来ないであろう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人   人の僕に近い境遇にいない限り、僕の言葉は風の中の歌のように消えることを教えている。   従って僕は君を|答《とが》めない。-  先生はそれでも、この文句の全部に眼をとおされたのだった。そうして読み終ってから、 「この筆蹟は本人に間ちがいないのかねP」 と、たずねられた。 「それは間違いないそうです」  言う迄もなく先生は筆蹟鑑定のオーソリチーだ。以前の先生ならば、こうした変った遺書はき っと興味をひくにちがいないのだが、 「そうか」と答えられたゞけであった。そうして、僕に紙片を返しながら、 「それでは、|涌井《わくい》君、君にこの事件の鑑定をしてもらうことにしよう」と、言い放って、再び雑 誌の方を向いてしまわれた。  あとでわかったことだが、毛利先生がその雑誌の方へ心を引かれて居られたのも無理はないの だった。|其処《そこ》には、先般学会で先生が大討論をなさった狩尾博士の論文が掲載されて居たからで ある。ここで|序《ついで》に、僕は毛利先生と狩尾博士との関係を述べて置こう。この二人が日本精神病学 界の双壁だったことはすでに述べたが、毛利先生を|堂上《どうじよう》の人にたとえるならば、狩尾博士は野人 であった。すでにその学歴からが、毛利教授は大学出であるのに、狩尾博士は灘螂響翫を出てす ぐ英国に渡って苦学した人だった。そうして狩尾博士はS区に広大な脳病院を経営し、しかも、 どし/\新研究を発表した。その風采も毛利先生は謹厳であったのに、狩尾博士は|禿頭《とくとう》で、どこ となく茶目気があった。  更にその学説に至っては全然相反の立場にあった。毛利先生はドイッ派を受ついで居られたの に、狩尾博士はイギリス、フラソス派を受ついで居た。もとより晩年には二人とも、外国にも|匹《ひつ》 儒び見ないほどのユニックな学者となって居て、毛利先生は、先生の醜識「脳質学派」を代表し、 狩尾博士は博士の所謂「体液学派」を代表して居た。脳質学派とは人間の精神状態を脳質によっ て説明するのに反し、体液学派は、体液ことに内分泌液によって説明するのである。  狩尾博士の体液学派は、内分泌派又は体質派ともよばれるのであって、狩尾博士の主張すると ころによれば、すべての精神異常は体質によって|定《き》まるものであって、|而《しか》も体質なるものは目下 のところ人力で毒を加徹ともすることが出来ない。例えば殺人者たる体質を有するものは、必ず ある時期の間に殺人を行う。故にその時期に入ったことを観察することが出来たならば、僅かの 暗示的刺戟によっても殺人を行わせることが出来るというのである。即ち、一見精神健全と思わ れる人にも、体質の如何によって恐ろしい犯罪を|敢《あえ》てせしめ得るのだというのであって、その刺 戟を狩尾博士は、これまでのω⊆oqoqΦω=9と混同されないようにヨ8己耳一弩と名づけたのであ る。  この説に対して毛利先生は、精神異常は脳質に変化が起ってはじめてあらわれるのであって、 脳質に変化の起らない限り、即ち、精神病的徴候のあらわれない限り、暗示によって殺人を行わ せるごときは絶対に出来ぬと主張されたのである。先般の学会でもこの点について激論があった。 実をいうとその時毛利先生の旗色が幾分か悪かった。すると、狩尾博士は、 「毛利君|如何《いかゴ》です'・」と、いかにも皮肉な口調で、幾度も先生に迫ったものだ。けれども、人間 に直接実験して見せて貰わないうちは、先生も|兜《かぶと》をぬぐことが出来ない。で、結局はやはり、そ のまゝになって討論はやんだが、その時の狩尾博士の演説が、雑誌に載って居たので、毛利先生 は、鑑定の方よりも、それに余計に気をとられて|居《お》られたわけである。  K君。  このようにして、北沢事件の再鑑定は僕が引受けること>なった。僕等の教室では、たとい鑑 定の事項が局所的のものでも、必ず全身を精密に解剖することになって居るので、その日直ちに 注意深く解剖を行った。その結果北沢栄二という人は鵬蹴滞町体質であることを知った。即ち 自殺者に殆んど常に見られる体質だ。それから頭部の銃創と骨折の関係をしらべ、胃腸の内容を しらべたが、その結果ピストルは右の職讃から約五セソチメートルほど離れたところから発射 され、死の時間は昼食後一時間乃至二時間後であることをたしかめた。それから僕は北沢家に出 張し姦饗模様をしらべ・-なお・遺書の上の血痕を轡たが、人工的擬轡れた形跡は一つ も発見することが出来なかった。  このうち胃腸の内容検査は、色々の面白い事実を教えてくれた。無論それは事件とは関係のな いもので、消化生理の上から見て興味あることだが、とてもその|委《くわ》しいことは今書いて居れぬか ら、他日教室へ来て鑑定書を見てくれたまえ。いずれにしても、僕の鑑定の結果では、他殺と見 るべき根拠は何一つ発見されなかったのである。  あくる日、僕は、毛利先生の部屋をたずねて、解剖の結果その他を逐一報告した。さすがにそ .の時は、熱心に聞いて下さったが、僕の報告を終るなり、先生は、  「それじゃ、自殺と考えても|差支《さしつかえ》ないね。若しそれが他殺だったら、たしかに奇蹟だ」と、言わ れた。  ところがK君。その奇蹟であることが、皮肉にも、それから一時間の後に起ったのだった。と いっては少し言い方が変だが、実は、福間警部がたずねて来て、容疑者の緑川順が、北沢を殺し たことを自白したから、毛利先生に警視庁へ来て、緑川を訊問して、その精神鑑定をしてほしい と頼みに来たからである。  これをきいた毛利先生の態度は急に一変した。先生はその瞬間に以前の毛利先生となられたの である。「他殺だったら、たしかに奇蹟だ」と断定されたほど、他殺説の割りこむ余地のない事 情のところへ、他殺を自白したのだから、毛利先生は急に興味をもってみずから、取調べて見よ うという気になられたにちがいない。 「福間君。緑川の自白したことを、まだ北沢未亡人には告げないだろうね」 「告げません」 「よし、それではこれからすぐ出かけよう」  僕等三人はやがて警視庁へ自動車をとばせた。自動車の中で毛利先生は、福間警部に向って、 緑川の自白の|趣《おもむき》をたずねられた。警部の話したところによると、かねて彼は北沢夫人と恋愛関 係をもって居たが、北沢夫人から、北沢がピストルを買ったこと、冗談半分に文学者A氏の遺書 の一節をうつして持って居ることをき》、自分も同じピストルを買って、夫人に内証に北沢を亡 きものにしようと決心し、その日、夫人が買物に出かけた後、ひそかにしのびこんで書斎へ行く と・北沢は椅子に腰かけて食後鼠臨をして居たので、これ幸いと、うしろにしのび寄り・自分 のピストルで射殺し、たおれるのを見すまして、手にそのピストルを握らせ、それから机の抽斗 から、北沢のピストルと遺書を取り出し、ピストルはポケットに入れ、遺書は机の上に置いて、 再びしのび出たというのであった。 「緑川はどこに儀って居るのかね?」と、毛利先生は警部の説明をき>終ってたずねられた。 「北沢家から、四五町へだたったところに小さな文化住宅をかまえ、一人で住んで居るのです」  警視庁へ着くなり、毛利先生と僕とは一室にはいって、緑川の連れられてくるのを待った。  やがて福間警部につれられてはいって来たのは二十四五の、顔の長い、髪の毛の房々とした青 年だった。毛利先生は何思ったか福間警部を別室に|退《しりぞ》かせて、緑川に犯行の模様を語らせた。そ れは、福間警部が自動車の中で告げたこと>少しも変らなかった。 「それでは、この机の前で、その時の北沢さんの模様をやって見せて下さい」 と・毛利先生は立ち上って、自分の腰かけて居た椅子を緑川に与え、室の隅にあった辮繍をも って来て床に敷かれた。  緑川はおそるく椅子に腰かけた。 「さあ、眼をつぶって微睡して居る様子をして下さい。僕がその時のあなたの役をつとめます。 よろしいか。そら、ドソとピストルを打った。そこで北沢さんはどうしましたか」 「何しろ興奮して居たから、こまかい動作はよく覚えて居りません。たしか、こういう風に立ち 上ったと思います。それから、たしか身体を、こう|振《ね》じて、下へたおれ、こう言う風に|横《よこた》わりま した」  こう言って一々その動作を示した。 「|宜《よろ》しい。恐入りますが、もう一度やって見て下さいませんか」  更に再び実験が行われた。 「横わった時の姿はそれに変りはありませんか」 「それはたしかに記憶して居ります」 「よろしゅう御座います。元の部屋へお帰り下さい」  こう言って先生は福間警部をよんで緑川を連れ去らせた。 「涌井君。君は昨日北沢家へ調べに行った時、福間警部に北沢がどんな風に死んだかを|演《や》って見 せたね」 「はあ」 「そうだろうと思った」  やがて福間警部が戻って来ると、 「福間君。白状というものは、こちらから教えてさすべきものでないよ。むこうの言うことを黙 ってきけばい》のだ」 「緑川が何か言いましたか」 「いま緑川に実演させたら、君が教えたとおりにやったゾけで本当のことをやらなかったよ。あ んな飛び上り方なんて、まったく嘘だ。たゞ、横わってからは本式だった。本人も、飛び上って から、身体を振じてたおれるまでは、どうも興奮してよく覚えて居りませんと言いながら、横わ った姿だけはっきり覚えて居るんだ。緑川の自白は虚偽だよ」 「それでは何故そんな虚偽の自白をしたのでしょう」 「それは、あとでわかるよ。未亡人をつれて来てくれたまえ」  間もなく黒い洋装の喪服を着た北沢未亡人が連れられて来た。眼の縁が際立って黒かったので、 一層チャーミソグに見えたが、さすがに、三十過ぎであることは皮膚のきめにうかゞわれた。  例によって福間警部が退くと、先生は、 「あなたは、御主人が自殺された日、何時に用たしから御帰りになりましたか」 「五時半頃だったと思います」 「そうではないでしょう。四時か四時半頃だったでしょう」 「いゝえ、たしかに五時……」 「本当のことを言って下さい。こちらには何もかもわかって居るのですから」 「       」 「あなたは、四時頃に帰って死骸を発見し、びっくりして緑川さんのところへかけつけ、それか ら緑川さんをよんで来て、二人でとくと相談して、はじめて警察へ御知らせになったでしょう」 「いトえ:・:」 「だから、緑川さんは、あなたが御主人を殺しなさったにちがいないと思いこみ、あなたをかば うために、今日、自分が殺したのだといって白状されましたよ」  この言葉に彼女はぶるッと身をふるわせて、 「それは本当で御座いますか。それでは何もかも申し上げます。まったく仰せのとおりで御座い ます。緑川さんが殺したのでもたく、また私が殺したのでもありません。私が四時に帰ったとき、 すでに良人は死んで居りました。そうして私は一時に家を出て、それまで緑川さんのところに居 たので御座います」 「よろしい。あなたの今言われたことを真実と認めます」  こう言って、毛利先生は警部をよんで夫人を連れ去らせた。 「涌井君」と、先生はさすがに喜ばしそうに言われた。「|真実《まこと》を知ることは、案外に楽なときも あるね。僕は緑川の実演で、彼が死骸を見せられたにちがいないと推定したのだが、果してそう だった。それにしても、恋は恐ろしいものだ。夫人の罪を救おうとして虚偽の自白をなし、敢て 自分を犠牲にしたのだ」  K君。僕は今更ながら先生の胤瞭に驚かざるを得なかった。先生の前には、「虚偽」はつねに 頭を下げざるを得ない。 「さあ」と先生は腕を組んで言われた。「これで、二人には罪がないとわかり、北沢は自殺とき まったが、さて、何だかまだ事件は片づいて居ないではないかね」 「はあ」と、返事をしたものの、僕にはさっばり見当がつかなかった。  福間警部がはいってくると、先生は訊問の結果を告げ、二人を放免すべきことを主張せられて、 そうして最後に、 「|昨日《きのう》、僕は立入ってはきかなかったが、一たい北沢事件の今度の再調査は、警察へ来た無名の 投書がもとになったというではないかね」 「そうです」 「君は、その投書について調べて見たかね」 「い>え、投書はありがちのことですから、別に委しいことは検べませんでした」 「その投書はまだ保存してあるだろうね」 「あります、持って来ましょうか」  警部は去って、間もなく葉書をもって来た。そこには、「北沢栄二の死因に怪しい点がある」 と、ペソで書かれてあったが、僕はそれを見た瞬間、はッと思って、先生の顔を見ると先生の 眼はすでにぎらく輝いて居た。 「涌井君。遺書を出したまえ」先生は遺書と投書の筆蹟を見くらべられたが、「この遺書と投書 とは、同じ日に、同じペソとイソキで、同じ人によって書かれたものだm…」  K君。  その瞬間、僕は、たしかに一種の鬼気というべきものに襲われたよ。福間警部も、あまりの驚 きで暫らくは言葉が出ないらしかった。 「福間君。御苦労だが、もう一度北沢夫人を連れて来て下さらぬか」  警部が去るなり、僕は言った。 「先生、それでは、北沢氏自身が、二人を罪に陥れるために、そのような嬬認をめぐらしたので しょうか」 「それならばもっと他殺らしい証拠を作って然るべきだ」                     おそ一 「他殺らしい証拠を作っては却って観破される虞かあるから、投書の方だけを誰か腹心の人に預 けて置いて、あとで投函してもらったのではないでしょうか。現に、遺書を自作にしなかったの も、やはり、深くたくんだ上のことではないでしょうか」 「そうかも知れない。けれど、北沢という人が、果してそういうことの出来得る人かしら。とに 角、夫人にきいて見なければわからない」  夫人が連れられて来ると、先生は、遺書を示して、それが果して御主人の筆蹟であるかどうか をたずねられた。  夫人は肯定した。すると、福間警部も、北沢の他の筆蹟と較べたことを告げ、なお証拠として 持って来てあった二一二の筆蹟を取り出して来て示した。  先生は熱心に研究されたが、もはや、疑うべき余地はなかった。遺書も投書も、北沢その人が 同時に書いたものである。 「この遺書を御主人が書かれたのは、いつ頃のことですか」 「たしか、死ぬ二十日程前だったと思います」 「どこで書かれましたか」 「それは存じませんが、ある晩私にそれを見せて、もうこれで、|遺書《かきおき》が出来たから、いつ死んで もよいと、冗談を申して居りました」 「すると、自殺をなさるような様子はなかったのですか」 「少しもありませんでした。平素比較的快活な方でしたから、まさかと思って居りました」 「ピストルはいつ御買いになりました」 「その同じ頃だと思います。強盗が出没して物騒だからといって買いました」 「御主人は|平素巫山戯《ふだんふざナ》たことを好んでなさいましたか」 「何しろわがま・に育った人で、たまには巫山戯たことも致しましたが、時にはむやみにはしゃ ぐかと思えば、時にはむっつりとして二一二日口を利かぬこともありました」 「御主人には、親しい友人はありませんでしたか」 「なかったと思います。元来お友達を作ることが嫌いで御座いまして、自分の関係して居る会社 へもめったに顔出し致しませんでした。たゞMークラブヘだけはよく出かけました」 「MークラブというとP」 「英国のロソドソに居たことのある人たちが集って組織して居る英国式のクラブで、丸の内に御 座います」  これで毛利先生は訊問を打ちきって、未亡人を去らせ、 「いくらたずねて行っても、わかるものでない」と、眩くように言われた。 「それでは、投書の主をたずね出して見ましょうか」と、福間警部が言った。 「いま、たずね出したところが、自殺説が変るわけのものではないし、又、むこうから名乗って 出ない限りはたずね出せるものでもたかろう。とに角、これで事件は片づいたよ」  K君。  かくて北沢事件はとに角片づいた。それは新聞で君も御承知のとおりだ。けれども片づかぬの は先生の心だった。再び従前の活動状態に戻られた先生としては、事件の底の底までつきとめね ばやまれる筈がない。「むこうから名乗って出ない限りはたずね出せるものでもなかろう」と言 われたもの>それは警察に向っての言葉であって、先生にはすでにその時、たずね出せる自信が あったに違いたい。それのみならず先生は、その事件の真相を警察に知らせては面白くないとさ え直感されたらしい。  警視庁を去るとき、 「この遺書と投書を暫らく貸してもらいたい。少し研究して見たいから」  と言って、先生はその二品を持って教室へ帰られたが、やがて僕を教授室に呼んで、 「涌井君、君はどう考える」と、だしぬけに質問された。  僕が何と答えてよいか返事に迷って居ると、毛利先生は説明するように、 「単に警察に投書があったというだけなら、無論詮索する必要はないのだ。又、たとい、死んだ 本人の自筆の投書であっても、これまたさほど珍らしがらなくてもよいことだ。世の中には随分 悪|戯気《ふざけ》の多い人もあるから、大に警察を騒がせて、草葉の蔭から笑ってやろうと計画する場合も あるだろう。また、遺書が自作の文章でなくて、他人の引き写しであってもこれも、別に深入り して詮索するに及ばぬことだ。こうした例はこれまでにもなかく沢山あった。ところがこの二 箇の、詮索を要せぬ事情が合併すると、そこに、はじめて詮索に価する事情が起って来るのだ。 この場合自殺者が、遺書と投書とを同じ時に書いたということは、少くともある目的、|而《しか》も、た った一つの目的のために書かれたことになる。従って、その目的を詮索する必要が起って来るの だ」 「その目的はやはり、夫人と愛人とを罪に陥れるためではなかったでしょうか」 「それならば、もっと他殺らしい証拠を造って然るべきだ」 「それでは、単なる人騒がせのための悪戯でしょうか」 「悪戯としては考え過ぎてある。現にこの投書は、今少しのことで捨てられてしまうところだっ た。この投書を見なかったならば、僕もこのように興味を持たない筈だ」  K君。まったく僕にはわからなくなってしまった。そうして、毛利先生にも、その時はまだ少 しもわかっては居なかったのだ。 「この謎はとても短時間には解けぬよ。君はもう帰ってもよい。僕はこれからこの二品を十分研 究して見ようと思う」  K君。  かくて僕は、可なりに疲労して家に帰ったが、先生から与えられた謎が頭にこびりついて、そ の夜はなかく眠れなかった。僕は色々に考えて見た。はては文学者A氏の全集を|播《ひもと》き、その遺 書の第一節の文章なり意味なりから、何か解決の手がかりは得られないかと詮索して見たが、結 局何も得るところはなかった。  あくる日、睡眠不足の眼をこすりながら、教室へ行くと、先生はすでに教授室に居られた。そ の顔を見たとき、先生が徹夜して研究されたことを直感した。 「涌井君、遂に問題は解けたよ」  僕の顔を見るなり、先生はいきなり声をかけられたが、いつもの問題の解けた時のような、う れしさがあらわれて居なかったから、何か先生にとっては不愉快な解決だなと思った。 「解けましたか」  そう言ったきり、僕は次の言葉に窮した。「それは愉快です」とは、どうしても言えなかった のだ。すると先生は、机の上にあった小さな紙片をとり上げて、 「之がその解決だよ」と言って渡された。見ると|其処《そこ》には、    PMbtDK と書かれてあった。 「君、|甚《はなは》だ御苦労をかけるが、それを都下のおもだった新聞に、あまり目立たないように広告し てくれたまえ」  僕は面喰った。 「これは暗号で御座いますか」 「蟹曲は君が帰ってから話す」  僕はそのま>黙って引きさがり、それから各新聞社をまわって広告を依頼し、教室へ帰ったの は午後一時ごろだった。道々僕は、先生の渡された暗号-無論僕ははじめそれを暗号だと思っ たーを、色々に考えて解こうとしたが、まるで雲をつかむようだった。又、何のために、先生 が新聞などへ広告を出されるのか、そうして、これが一たい北沢事件と、どう関係があるのか、 ちっともわからなかった。だから、教室へ帰ったときは、早く先生から説明がき>たくて、僕は いわば好奇心そのものであった。  教授室に入ると、先生は立ち上って、入口の方へ歩いて行き、|扉《ドア》の鍵孔に鍵を差しこんでまわ された。 「あまり大きな声で話してはならぬのだよ」こう言って再び机の前えに腰をおろし、「さて涌井 君、君は二iチェを読んだことがあるか」と、だしぬけに質問された。 「はあ。以前に読んだことがありましたけれど……」と、僕がしどもどしながら答えると、先生 は|遮《さえ ぎ》って、 「無理もない。今どき二iチェたどを語るのは物笑いの種かも知れぬが、|若《も》しそれが天才の仕事 であるならば、たとい非人道的であっても、君は許す気にはならぬかね」 「さあ、そうですね……」 「いきたり、こう言っては君も返答に迷うであろうが、近頃はよく民衆の力ということが叫ばれ て居るけれど、少くとも科学の領域に於ては、幾万の平凡人も、一人の天才に及ばぬことを君は 認めるであろう」 「認めます」 「そうして、科学なるものが、人間の福利を増進するものである以上、科学的天才の仕事が非人 道的であっても、君はそれを許す気にならないか」  誠に大問題である。 「もっとよく考えて見なくてはわかりませんが……」. 「その肯定が出来なくては、君に|先刻《さつき》の約束どおり、説明を行うことが出来ぬ」  それでは大変だ。是非、北沢事件の解決をきかねばならぬ。 「許してもよいような気がします」 「よし、そんたら説明に取りか》ろう」と、案外先生は楽に話しかけて下さった。「ゆうべ僕は、 この二枚の紙片をにらんで、とうとう徹夜してしまった。だんく推理を重ねていった後、比較 的早く事件の底にかくされた秘密を知ったけれど、その確証をにぎるのに随分苦心した。 「僕は昨日君がかえってから、この二つの品即ち遺書と投書を、机の上にならべて、如何なる順 序で研究すべきかを考えた。その結果、最初は先ず、心を白紙状態に還元して、果してこの二つ の筆者が北沢その人であるかどうかを研究した。けれども、もはやそれには疑いの余地がなかっ た。いろく北沢の他の筆蹟とくらべて見たが、絶対に他の人であり得ないことがわかった、 「然らば、北沢は何故にか》る計画を行ったか、何の巨的でやったことかを次に研究した。これ こそ謎の中心点で、すでに君と話し合っても見たが、遂に昨日は解決が出来なくて別れてしまっ た大問題だ。昨日も言ったとおり、遺書と投書と別々にしては、色々の目的が考えられるけれど、 二つを合せるとたった一つの目的しか考えられなくなるのだ。従ってそのたった一つの目的をさ がし出せば凧ての事情が氷解するのだが、何がさて、たったこの二つきりの品によって解決しよ うとするのだから、なかく困難だった。 「北沢が|何人《だれ》に投書を依頼したかはわからぬが、とに角、投書は北沢の計画したとおりに投ぜら れたにちがいない。ロマソチックな君は、きっと、北沢の投書の依頼を受けた人が誰であるかを 知りたく思うであろう。その人を捜し出して、その人から北沢の真意をき>|度《た》く思うであろう。 無論あの投書が、偶然に無関係な人の手に入ったとは考えられないから、たしかに北沢に依頼さ れた人がある筈だ。そうしてその人は、現にどこかで、警察や僕等の騒ぎを頬笑みながら|覗《うかが》って 居るにちがいたい。それを思うと、君は腹立たしい気になるかも知れぬが、僕は然し、北沢が投 書を依頼したという人には|毫《すこし》も興味を感じなかったのだ。それよりも北沢の|唯《ゆい》一の|目《つ》的が知りた くてならなかった。 「|而《しか》もその目的は、決して単なる人騒がせのためではない。何となれば、若し単なる人騒がせが 目的だったら、もっと簡単な、そうしてもっと効果的な方法がある筈だ。だから北沢にはもっと 厳粛な一つの目的があらねばならなかったのだ。 「ところが、そのような大切な目的を果すためには北沢の計画はすこぶるあやふやなものだった。 それは昨日も言ったごとく、若し僕が注意しなければ、投書はあやうく捨てられてしまうところ だった。自殺を敢てしてまで果そうとする大切な目的を遂行するにしては、随分乱暴な計画であ って、それは到底手ぬかりなど三言ってはすまされないことである。 「して見ると、この投書の危険も|予《あらかじ》め計画のうちに入れられてあったと考えねばならない。す ると北沢は、その投書が当然僕の目に触れることを予定して居たと考えねばならない。い>かね、 涌井君、いまこうして話してしまえば何でもないようであるが、僕がこの推理に達するまでには、 可なりの時間を費したのだ。 「遺書に自作の文章を書かなかったのは、警察に埋葬の許可しか与えさせぬ計画だった。これは 疑うべき余地はないが、投書を警察へ送れば再鑑定が行われ、当然、僕が、その投書と遺書が|同 一人《おなじひとり》によって同一の時に書かれたことを発見するということも、今は疑うべくもない、予定の計 画だったのだ。 「即ち北沢は、僕が投書と遺書の同一筆蹟なるところから興味をもって研究に擬汐ワーその結果 その目的が何であるかを発見するに大に苦しむということもやはり、予定して居たのだ。涌井君、 君は定めしこの言葉を奇怪に思うであろうが、投書が僕の手に入ることを確信した北沢のことで あるからそれくらいのことを予定するのは何でもないのだ。つまり、一切の事情は、北沢の計画 どおりに運んだ訳なのだ。換言すれば、北沢はすでにその目的を果したことになるのだ。 「い>かね。僕が一生懸命になって詮索した北沢の目的は、僕に北沢の目的を詮索させることに あったのだ。 「然らば次に起る問題は、何故に北沢が、それだけの簡単な目的のために自己の生命までも奪っ たかと言うことだ。北沢という人は、今回の事件ではじめて僕に交渉をもった"、けで、少くとも 生前にはあかの他人であった。その人が、そのようなことをするとは、あり得ないことだ。 「その、あり得ないことがあるについては、そこに、それを正当に説明し得る理由がなくてはな らない。そうしてそれを説明し得る唯一の理由は、北沢自身が、少しもそれを知らないというこ とでなくてはならない。つまり北沢自身投書と遺書とを書いた目的を少しも知らなかったという より他にないのだ。 「しかも、投書と遺書とは北沢自身の筆蹟である。して見れば、この二つを北沢は無意識の状態 で書いたにちがいない。然るに遺書は生前すでに夫人に示したくらいであるから、北沢自身は書 いたことを意識して居た筈である。すると北沢は無意識に書いて置きたがら、意識して書いたよ うに思って居たと考えねばならぬのだ。 「涌井君。無意識で書いて、それを意識して書いたように思うのは、催眠状態に於て書かされ、 あとでそれを意識して書いたつもりになるよう暗示された時に限るのだ。して見ると、北沢は、 ある人のために無意識に書かされ、そうして暗示を与えられたと考えねばならなくなった。 「こうして、僕の推理の中にはじめて第三者がはいって来たよ。つまり、北沢事件に、今迄ちっ とも顔を出さなかった人が顔を出すに至ったのだ。そうして、その第三者こそ僕に北沢の投書と 遺書とを詮索させようとしたのであっで、その人が、今まで北沢が伊ったとして話して来た計画 をことぐく立てたわけである。そうして、北沢自身はそれについて少しも知らなかったのだ。 「涌井君。その第三者とはそもく誰だろう。先ず他人の遺書の文句をうつした遺書を書かせて、 死骸を埋葬させ、然る後、同一筆蹟の投書を警察へ送って再鑑定を行わせ、自殺であることを確 証せしめて、たゾ僕のみがその投書を見て事件の謎をつきとめるために努力することを予想して 居た人は誰であろうか。何のためにその人は僕に徹夜せしめるような苦心をさせたか。 「涌井君。君はもう、それが誰であるかをおぽろげながら察し得たであろう。けれども、その人 であると断定すべき証拠が一たい何処にあるのか、その時僕は考えたのだ。これほどまでの計画 を立てる人のことであるから、必ずその証拠となるべきものが、どこかにこしらえてあるにちが いないと想像したのだ。|而《しか》も、恐らくは、この投書と遺書の二つの中にその証拠がかくされてあ ろうと思ったのだ。 「そこで僕はあらためて二つの品を検査しはじめたのだ。たとえば投書の文句が|解式《キイ》となって、 遺書の方から何かの文句が出て来るのではあるまいかというようなことも考えて見たのだが、そ のような形跡はなかった。そこでこんどは遺書の文句即ちA氏の手記の第一節の文句の中に何か の意味が含ませてあるのではないかと、色々研究して見たが、そうでもなかった。ところがやっ と囎加に至って、とうとう、遺書の中から、確実な証拠を握るに至ったよ。 「涌井君。君はよく記憶して居るだろう。先般の学会に、僕と狩尾君とが激論したことを。その 時、たしかに僕は受太刀だった。すると狩尾君は『毛利君如何です』と皮肉な口調で僕に肉迫し て来た。その時、僕は『人間について直接実験を行わない限り、君の説に服することは出来ぬ』 と言って討論を終った。そうして僕は、その後人間に関する研究は、|畢寛《ひつきよう》人間実験を行うのでな くては徹底的でないと考え、それが不可能事であることを思って、前からの憂欝が一層はげしく なったのだ。 「ところが、狩尾君は遂にその人間実験を敢てしたのだ。北沢は君の解剖によると胸腺淋巴体質 であったから、狩尾君は彼が、そのうちの自殺型に属して居ることを知り、而も狩尾君の|所謂《いわゆる》、 『特別の時期』にはいって居たのであろう。それを知った狩尾君はその所謂ヨ8己尊一弩を行っ て、北沢を自殺せしめ、もって、僕にその説のたゴしいことを示したのだ。 「北沢が自殺する以前には、少しも自殺しやしないかという|虞《おそれ》のある徴候はなかった筈だ。若し あるならば、ピストルを買ったり、遺書を書いたりしたので、夫人は警戒せねばならない。して 見ると|毫《すこし》も精神異常の徴候はあらわれて居らなかったのであって、そのような時機にはたとい暗 示を与えても自殺をせぬというのが僕の説なのだ。ところがそれを狩尾君は人間実験で破ったの だ。そうして、それを僕にさとらしめるために、遺書と投書の計画をたてたのだ。 「未亡人の話によると、北沢はMークラブヘよく行ったということであるが、ロソドソを第二 の故郷とする狩尾君がそのメムバーであることは推定するに難くない。恐らく狩尾君はそこで自 分にとってもあかの他人である北沢を観察し、催眠状態のもとにA氏の手記をディクテートし、 なお投書の文句を書かせて、それだけは自分で保存して置いたのであろう。ピストルを買わせた のも狩尾君かも知れぬ。そうして、みごとに自説を証明し、併せてそれを僕に示そうとする目的 を達したのだ。勿論、その遺書や投書やピストルが、ヨ8己尊一ωヨの役をつとめたことはいう 迄もなく、北沢事件そのものは、実に天才的科学者の行った人間実験に外ならぬのだ」  こ・まで語って先生は、ほッと一息つかれた。僕は先生の推理のあざやかさに、いわば陶然と して耳を傾けて居たが、最後のところに至って、ひやりとしたものが背筋を走った。 「それでは先生、たとい直接手を下されずとも、北沢は狩尾博士が…-.」  先生は、手真似で「静かに!」と警告された。「だから、はじめに君にことわってあるではな いか。狩尾君は天才だよ。到底僕の及びもつかぬ段ちがいの天才だよ。こうして思い切った実験 は、アカデミックな考え方にとらわれて居る僕等の金輪際為し得ざるところだ。それは世間普通 の考え方から言えば、悪い意味にもとれるが、とに角、科学によって自然を征服して行こうとす るには、これくらいのことを平気でやってのけねばなるまい。  「いや、このことについては、これ以上深入りしては論ずまい。それを論ずべく、僕はあまりに つかれて居る。だから、最後に、僕が遺書の中から発見したという証拠について語って置こう。 「見たまえ。この遺書の文字はすこぶる綺麗に書かれてあるが、よく見ると、ところぐに、棒 なり点なりの二重な、即ち一度書いた上をまた一度とめた文字があることに気づくだろう。僕は そこに目をつけて、その文字を拾って見たのだ。即ち、       圭目いたものはない。   の  も       よるものであろう。  の  う       はっきりこの     の  り       特に君に伝えず    の  君       描いている。    の  い       自殺するかを     の  か       が、少くとも     の  か       不安である。     の  で       信用することは!   の  す の九字で、これを合わせて読むと、「もうり君いかゞです」となる。この言葉を発するのは、狩 尾君より他にないではないか。 「そこで僕は、その狩尾君の呼びかけの言葉に対して、返事を書いたのだ。それが、君を煩わし た、新聞広告の文字なのだ。PMbtDKとは、別に暗号でも何でもなく、    ■♂{】≦O耳=∪○幸ωε∪「穴貰δ. の最初の一字ずつをとったのだ。無論狩尾君の眼にふれ>ば、すぐその意味を知ってくれるだろ う。僕としては、これが、今の僕の心の全部だ」  K君。これで北沢事件は真の解決を得たのだ。  このことがあってから、毛利先生は、ずっとその快活な状態を続けて居られたが、それから二 週間た》ぬうちに、突然狩尾博士の脳溢血による頓死が伝わると、先生は以前にまさる憂欝に陥 ってしまわれた。  学者がその論敵即ち闘争の対象を失うほど寂しいことはない。多分先生の憂欝もそのためであ ったと思うが、それは実に極端な憂欝であった。そうして遂に肺炎にか>って、狩尾博士のあと を追ってしまわれた。  かくて、日本は、得がたき俊才を一度に二人失ったのだ。こうした花々しい闘争がいつになっ たら再び行われるか、いつになったら精神病学が、再びこのように進められて行くかと思うと心 細くてならぬ。今この事件を書き終ってふりかえって見ると、それが幾世紀も昔の出来事のよう な気さえする。K君、健在なれ!                              (〈新青年〉誌昭和四年五月号発表)