青空文庫で公開されました。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card43578.html |妖婆《ようば》 岡本綺堂      一 「番町の番町知らず」という諺さえある位であるから 番町の地理を説明するのはむずかしい 江 戸時代と東京時代とは町の名称がよほど変わっている。それが又、震災後の区劃整理によってさら に変更されるはずであるから、現代の読者に対して江戸時代の番町の説明をするなどは、いたずら に人をまご付かせるに過ぎないことになるかも知れない。  その理由で、わたしはここで番町という土地の変遷などについて、くだくだしく説明することを 避けるつもりであるが、ただこの物語の必要上、|今日《こんにち》の一番町は江戸時代の新道五番町(略して新 五番町ともいう)と二番町、濠端一番町を含み、上二番町と下二番町は裏二番町通り、麹町谷町北 側、表二番町通り南側を含み、五番町は濠端一番町の一部と五番町を合わせているのである事だけ を断って置きたい。そうして、この辺はほとんどみな大名屋敷か旗本屋敷、ことに旗本屋敷の多か ったことをも断って置かなければならない。なぜならば、この物語は江戸時代の嘉永四年正月に始 まるからである。  この年の正月は十四日から十七日まで四日間の雪を見た。もちろんそのあいだに多少の休みはあ ったが、ともかくも四日も降りつづいたのは珍しいといわれて、故老の話し草にも残っている。そ の二日目の十五日の夜に、麹町谷町の北側、すなわち今日の下二番町の高原織衛という旗本の屋敷 で、|歌留多《カルタ》の会が催された。あつまって来た若侍は二十人余りであったが、そのなかで八番目に来 た堀口弥三郎は、自分よりもひと足さきに来ている神南佐太郎に|訊《き》いた。 「おい、神南。貴公は鬼ばばで何か見なかったか。」 「鬼ばぱで……。」と、神南は少し考えていたが、やがてうなずいた。「うむ、道ばたに婆が坐って いたようだったが……。」 「それからどうした。」 「どうするものか、黙って通って来た。」と、神南は事もなげに答えた。  十三番目に森積嘉兵衛が来た。その顔をみると堀口はまた|訊《き》いた。 「貴公は鬼ばばで何か見なかったか。」 「あの横町に婆が坐っていた。」 「それからどうした。」 「乞食だか何だか知らないが、この雪の降る中に坐っているのは可哀そうだったから、小銭を投げ てやって来た。」と、森積は答えた。 「それは貴公にはめずらしい御奇特のことだな。」と、神南は笑った。「しかし考えてみると不思議 だな。この雪のふる晩に、あんな人通りの少ないところに、なんだって坐っているのだろう。頭か ら雪だらけになっていたようだ。」 「むむ、不思議だ。それだから貴公達に訊いているのだ。」と、堀口は子細らしく考えていた。 「堀口はしきりに気にしているようだが、一体その婆がどうしたというのだ。」と、主人の織衛も |啄《くち》をいれた。 「いや、御主人。実はこういうわけです。」と、堀口は向き直って説明した。「ただいま御当家へま いる途中で、あの鬼婆横町を通りぬけると、丁度まんなか頃の|大溝《おおどぶ》のふちに一人の婆が坐っている のです。なにしろ頭から一面の雪になっているので、着物などは何を着ているのか判らない。唯か らだじゅうが真白に見えるばかりですから、わたしも最初は雪|達磨《だるま》が出来ているのかと思ったくら いでしたが、近寄ってよく見ると、確かに生きている人間で、雪の中に坐ったままで|微《かす》かに息をつ いているのです。」 「病気で動かれなくなったのではないかな。」と、織衛は言った。 「わたしもそう思ったので、立ちどまって声をかけて、おい、どうしたのかと言うと、その婆のす がたは消えるように見えなくなってしまったのです。なにしろ薄暗いなかで、雪明りを頼りにぼん やり見たのですから自分にも確かなことは判りません。もしや自分の|空目《そらめ》かと思ったのですが、ど うもそうばかりではないらしく、一人の婆が真白な姿で路ばたに坐っていたのは本当のように思わ れてならないのです。それで、あとから来たものを一々詮議しているのですが、神南も見たと言 い、森積も見たと言うのですから、もう疑うことはありません。やはりその婆が坐っていたのです。」  堀口が不思議そうに説明するのを聞いて、織衛も眉をよせた。 「その婆が坐っていたのはいいとして、貴公が近寄ると消えてしまったというのは少しおかしい な。森積、貴公が銭をなげてやったらその婆はどうした。」  その問いに対して、森積嘉兵衛ははっきりと答えることが出来なかった。彼は雪中に坐っている 老婆に幾らかの小銭を投げ与えたままで、ろくろくに見かえりもせずに通り過ぎてしまったのであ るから、老婆が喜んだか怒ったか、あるいは銭を投げられると共に消え失せてしまったか、それら の事は見とどけなかったと彼は言った。  堀口が声をかけて立ち寄ると、老婆のすがたは消え失せた。最初の神南はかかり合わずに通り過 ぎた。十三番目の森積は銭をなげて通った。いずれにしても、この雪のふる宵に、ひとりの老婆が 路ばたに坐っていたのは事実である。それが第一におかしいではないかと、一座の人々も言い出し た。織衛のせがれ余一郎は念のために見とどけに行って来ようかと起ちかかるのを、父は制した。 「まあ、待て。わざわざ見とどけに行くほどのこともあるまい。まだ後から誰か来るだろう。」  高原の屋敷へ来る者はかならずその道を通るとは限らない。前にいった新五番町や濠端一番町方 面に住んでいる者が、近道を取るために通りぬけるのであるから、神南、堀口、森積の三人以外 に、誰がその道を通るかと数えると、同じ方向から来る者のうちに石川房之丞があった。 「石川もやがて来るだろうから、その話を聞いた上のことだ。」と、織衛は言った。  そのうちに他の人々もおいおいに集まって来たが、石川はまだ見えなかった。これが常の場合な らば、遅参の一人や二人は|除《の》け者にして、すぐに歌留多に取りかかるのであるが、今夜にかぎって どの人も石川の来るのが待たれるような心持で、彼の顔を見ないうちは誰も歌留多を始めようと言 い出した者もなかった。歌留多の会が百物語の会にでも変わったように、一種の暗い空気がこの一 座を押し包んで、誰も彼もみな黙っていた。十畳と八畳の二間をぶち抜いた座敷の真ん中に、三っ の大きい燭台の灯が気のせいかぼんやりと曇って、庭さきの八つ手の葉にさらさらと舞い落ちる雪 の音が静かにきこえた。  日の暮れた後、ひとりの老婆が雪の降る路ばたに坐っていたというのは、なるほど不思議といえ ば不思議であるが、さらに人々を不思議がらせたのは、その場所が鬼婆横町であるということであ った。横町は新五番町の一部で、普通の江戸絵図には現われていないほどの狭い路で、俗にいう三 町目谷の坂下から東へ入るのである。ここらの坂下は谷と呼ばれるほどの低地で、遠い昔には柳川 という川が流れていたとか伝えられ、その川の名残りかとも思われる大溝が、狭く長い横町の北側 を流れて、千鳥ヶ淵の方向へ注ぎ入ることにねっている。その横町を江戸時代には俗に鬼婆横町と 呼び慣わしていた。  鬼婆という怖ろしい名がどうして起こったかと聞くと、いつの頃のことか知らないが、|麹町《こうじまち》通り の或る酒屋へ毎夕ひとりの老婆が一合の酒を買いに来る。時刻は暮れ六つの鐘のきこえるのを合図 に、雨の夕も風の日もかならず欠かさずに買いに来るので、店の者も自然に懇意になって、老婆を 相手に何かの世間話などをするようになったが、かれはこの近所の者であるというばかりで、決し て自分の住所を明かさなかった。幾たび|訊《き》いても老婆はいつもあいまいな返事をくり返しているの で、店の者共もすこしく不審に思って、事を好む一人が或るとき見え隠れにそのあとを付けて行く と、かれは三町目谷の坂下から東へ切れて、かの横町へはいったかと思うと忽ちに姿を消してしま ったので、あとをつけて行った者は驚いて帰った。  その報告を聞いた酒屋ではいよいよ不審をいだいて、老婆が重ねて来たらば更に尾行してその正 体を突きとめる手筈をきめていると、かれはその翌日から酒屋の店先にその姿をみせなくなった。 その後、三日経っても、五日経っても、老婆は酒を買いに来なかった。かれは自分のあとを付けられ たことを覚ったらしく、永久にその酒屋に近づかなくなったのである。そういうわけで、かれの身 許は勿論わからないが、かの横町へはいってその姿が消えたというので、かれは唯の人間でないと いう噂が伝えられて、その横町に鬼婆の名がかぶせられたのである。江戸が東京と変わった後、そ の大溝はよほど狭められ、さらに震災後の区劃整理によって、溝は|暗渠《あんきよ》に作りかえられ、路幅も在 来の三倍以上の広い明るい道路に生まれ変わって、まったく昔の姿を失ってしまったが、明治の末 頃までは鬼婆横町の俗称が古老の口に残っていて、われわれが子供の時代にはその物凄い名に小さ い魂をおびやかされたものであった。  |大田蜀山人《おおたしよくさんじん》の「一話一言」にもおなじような怪談が伝えられている。天明五年の頃、麹町に十兵 衛という飴屋があって、平素から正直者として知られていたが、ある日の夕方に見馴れない男の子 が来て店さきに遊んでいるので、十兵衛は商売物の飴をやると彼はよろこんで帰った。その以来、 夕方になると彼は飴を貰いに来た。それが幾日も続くばかりか、かつてここらに見かけない子供で あるので、十兵衛もすこしく不審をいだいて、ある日ひそかにその後を付けてゆくと、彼は半蔵門 の壌づたいに歩み去って、瀦の中へはいってしまったので、さてはお濠に棲む河童であろうと思っ た。男の子はその後しばらく姿を見せなかったが、ある日又たずねて来て、さきごろの飴の礼だと いって、一枚の銭を呉れて行った。銭は表に馬の形があらわれていて、裏には十二支と東西南北の 文宇が彫られてあったということである。こうした類の怪談は江戸時代の山の手には多く伝えられ ていたらしい。  そこで、今夜かの三人の若侍が見たという怪しい老婆も、その場所が鬼婆横町であるだけに も しやかの伝説の鬼婆ではないかという疑いが諸人の胸にわだかまって、歌帝多はそっちのけに、専 らその妖婆の問題を研究するようになったのである。 「石川は遅いな。」と、言い合わせたように二、三人のロから出た。  その時である、|用人《 エ 》の鳥羽田重助があわただしくこの座敷へはいって来た。L 「石川さんが御門前に坐っているそうでございます。」 「石川が坐っている…:・。どうした、どうした。」  待ち兼ねている人々はばらばらと座を起った。 二  石川房之丞が高原の屋敷の門前に坐っていたというのは、門番の報告である。門前が何か物騒が しいように思ったので、彼は窓から表を覗くと、一人の侍が傘をなげ捨てて刀をぬいて、そこらを 無暗に斬り払っているようであったが、やがて刀を持ったままで雪のなかに坐り込んでしまった。  酔っているのかどうかしたのかと、門番は|潜《くぐ》り門をあけて出ると、それはかの石川房之丞である ことが判った。石川はよほど疲れたように、肩で大きい息をしながら空を睨んでいるので、ともか くも介抱して玄関へ連れ込んで、その次第を用人の鳥羽田に訴えると、鳥羽田もすぐ出て行って、 女中たちに指図してまず石川のからだの雪を払わせ、水など飲ませて置いて奥へ知らせに来たので あった。 「さあ、しっかりしろ、しっかりしろ。」  大勢に取り巻かれながら、石川は座敷へはいって来た。石川はことし|二十歳《はたち》で、去年から番|入《 さ》り                         たろうい をしている。彼の父は小笠原流の弓術を学んで、かつて太郎射手を勤めたこともあるというほどの 達人であるから、その子の石川も弓をよく引いた。やや|小兵《こひよう》ではあるが、色のあさ黒い、引き緊っ た顔の持ち主で、同じ年ごろの友達仲間にも元気のよい若者として知られていた。その石川の顔が 今夜はひどく蒼ざめているのが人々の注意をひいて、主人の織衛は笑いながら|訊《き》いた。 と。 「石川、どうした。気でも違ったか。」 「いや、気が違ったとも思いませんが……。」と、石川は傭向きながら答えた。「しかしまあ気が違 ったようなものかも知れません。考えると、どうも不思議です。」  不思議という言葉に、人々は耳を引き立てた。一座の|瞳《ひとみ》は一度に彼の上にあつまると、石川もだ んだんに気が落ち着いて来たらしく、主人の方に正しくむかって、いつものようにはきはきと語り つづけた。 「出先によんどころない用が出来て、時刻がすこし遅くなったので、急いで家を出て、鬼ばば横町 にさしかかると、横町の中ほどの大溝のきわに、ひとりの真白な婆が坐っているのです。」 「やっぱり坐っていたか。」と、堀口は思わず|啄《くち》をいれた。 「むむ、坐っていた。」と、石川はうなずいた。「おかしいと思って近寄ると、その婆のすがたは見 えなくなった。いや、見えなくなったのではない。いつの間にか二、三間さきへ引っ越しているの だ。いよいよおかしいと思って又近寄ると、婆のすがたは又二、三問さきに見える。なんだか|焦《じ》ら されているようで、おれも癩に障ったから、穿いている足駄をぬいで叩きつけると、婆の姿は消え てしまって、足駄は大溝のなかへ飛び込んだ。」 「やれ、やれ。」と、堀口は舌打ちした。 「仕方がないから、おれも思い切って|跣足《はだし》になって、横町を足早に通りぬけると、それぎりで婆の 姿は見えなくなった。これは自分の眼のせいかしらと思いながら、ここの屋敷の門前まで来ると、 婆はもう先廻りをして雪の降る往来仁かに坐っているのだ。貴様はなんだと声をかけても返事をし ない。おれももう我慢が出来なくなったから、傘をほうり出して刀をぬいて、真向から斬り付けた が和雇えがない。と思うと、婆はいつの問におれのうしろに坐っている。こん畜生と思って又斬る と、やっぱり何の承雇えはなくって、今度はおれの右の方に坐っている。不思議なことには決して 立たない、いつでも雪の上に坐っているのだ。こうなると、おれも少しのぼせて来て、すぐに右の 方へ斬り付けると、婆め今度は左に廻っている。左を斬ると、前に廻っている。前を斬ると、うし ろに廻っている。なにしろ雪の激しく降るなかで、白い影のような奴がふわりふわりと動いている のだから、始末に負えない。おれもしまいには夢中になって、滅多なぐりに斬り散らしているうち に、息が切れ、からだが疲れて、そこにどっかりと坐り込んでしまったのだ。」 「婆はどうした。」と、神南が|訊《き》いた。 「どうしたか判らない。」と、石川は溜め息をついた。「門番の眼にはなんにも見えなかったそうだ。」 「なんだろう。それが雪女|郎《 ユ 》というものかな。」と、他の一人が言った。 「それとも、やっぱり例の鬼婆かな。」と、又ひとりが言った。 「むむ。」と、主人の織衛はかんがえていた。「越後には雪女郎というものがあると聞いているが、 それも嘘だか本当だかわからない。北国でいう|雪志巻《ゆきしまきハゑ》のたぐいで、|激《 》しい雪が強い風に吹き巻かれ て女のような形を見せるのだという者もある。鬼ばば横町の鬼婆だっていつの昔のことか判らない。 もし果たしてそんな婆が棲んでいるならば、今までにも誰か出逢った者がありそうなものだが、つ いぞそんな噂を聴いたこともないからな。」  石川ひとりの出来事ならば、心の迷いとか眼のせいとかいうことになるのであるが、神南とい い、堀口といい、森積といい、ほかにも三人の証人があるのであるから、織衛も一方に否認説を唱 えながらも、さすがにそれを力強く主張するほどの自信もなかった。さっきから待ちかねていた伜 の余一郎は思い切って起ち上がった。 「お父さん、やっぱり私が行って見て来ましょう。」 「では、おれが案内する。」と、神南も堀口も起った。  まだほかにも五、六人起ちかかったが、夜中に大勢がどやどやと押し出すのは、世間騒がせであ るという主人の意見から、余一郎と神南と堀口の三人だけが出てゆくことになった。  むかしの俳句に「綱が立って綱が噂の雨夜哉」というのがある。|渡辺綱《わたなべのつなハエ》が|羅生門《 らしようもん》へ行きむかっ たあとで、綱は今頃どうしているだろうという噂の出るのは当然である。この席でもやはり、三人 の噂をしているうちに、雪の夜はおいおいに更けた。余一郎らは張り合い抜けのしたような顔をし て引き揚げて来て、屋敷から横町までの間には何物もみえなかった、横町は念のために二度も往復 したが、そこにも犬ころ一匹の影さえ見いだされなかったと報告した。 「そうだろうな。」と、織衛はうなずいた。  そんなことに邪魔をされて、今夜の歌留多会はとうとうお流れになってしまった。夕方から用意 してあった|五目鮨《ごもくずし》がそこに持ち出され、人々は鮨を食って茶を飲んで、四つ頃(午後十時)まで雑 談に|耽《ふけ》っていたが、そのあいだにも石川はいつもほどの元気がなかった。それは武士たるものがか の妖婆に悩まされたということが、なにぶん面目ないのであろうと一座の者にも察せられた。  果たして彼はひと足さきへ帰ると言い出した。 「御主人、今晩はいろいろ御厄介になりました。」  挨拶して起とうとする彼を、堀口はひき止めた。 「まあ、待てよ。どうせ同じ道じゃないか。一緒に帰るからもう少し話して行けよ。」 「いや、帰る。なんだか、」風邪でも引いたようでぞくぞくするから。」 「ひとりで帰ると、又鬼婆にいじめられるぞ。」と、堀口は笑った。  石川は無言で|挟《たもと》を払って起った。 三  一座の話は四つ半頃(午後十一時)まで続いた。歌留多会は近日さらに催すということにして、 二十人余りの若侍は主人に暇を告げて、どやどやと表へ出ると、更けるに連れて、雪はいよいよ激 しくなった。思いのほかに風はなくて、細かい雪が静かに降りしきっているのであった。 「こりゃ、積もるぞ。あしたは止んでくれればいいが……。」  こんなことを言いながら、人々は門前で思い思いに別れた。神南佐太郎、堀口弥三郎、森積嘉兵 衛、この三人はおなじ方角へ帰るのであるから、連れ立って鬼婆横町を通り抜けることになると、 西から東へ抜ける狭い横町は北風をさえぎって、ここらの雪は音もなしに降っていた。南側の小屋 敷の板塀や生け垣はすべて白いなかに沈んで、北側の大溝も流れをせかれたように白く埋められて いた。三人がつづいて横町へはいると、路ばたの大きい椎の木のこずえから、|鴉《からす》らしい一羽の鳥が おどろかされたように飛び起った。  神南と堀口は先刻探検に来て、妖婆の姿がもう見えないことを承知していたが、それでもこの横 町へ踏み込むと、幾分か緊張した気分にならないわけにはいかなかった。森積も同様であった。隙 き問もなく降る雪のあいだから、行く手に眼を配りながらたどって行くと、二番目に歩いている堀 口が、何物にかつまずいた。それは足駄の片方であるらしかった。 「これは石川がさっき脱いだのかも知れないぞ。」  言うときに真先に進んでいる神南は、小声であっと|叫《ちち》んだ。 「あ。又あすこに婆らしいものがいるぞ。」  横町の中ほどの溝のふちには、さっきと同じように真白な物が坐っているらしかった。それはも う二問ほどの前であるので、三人は思わず立ちどまって透かし視ようとする間もなく、かの白い影 は忽ちすっくと起ちあがった。  こちらの三人は、路が狭いのと、傘をさしているのとで、自由に身をかわすことが出来なかっ た。白い物はさきに立っている神南の傘の下を掻いくぐって、二番目に立っている堀口に飛びかか った。 「さっきの一言おぼえているか。」  それが石川の声であると|覚《さと》った時には、堀口は傘越しに肩さきを斬られて雪のなかに倒れてい た。神南も森積もおどろいて前後から支えようとすると、石川は身をひるがえして大溝へ飛び込ん で、|川獺《かわうそ》のように素ばやく西のかたへ逃げ去った。あっけに取られたのは神南ら二人である。かれ らは石川を追うよりもまず堀口を抱え起こして介抱すると、|漉《きず》は左の肩さきを深く斬り下げられて いた。幸いに堀口の屋敷は近所であるので、神南は残って彼を介抱し、森積はその次第を注進に駈 けて行った。  堀口の屋敷から迎いの者が来て、手負いを連れて戻ったが、なにぶんにも疵が重いので治療が届 かなかった。あくる朝、その知らせに驚かされて、高原の屋敷から余一郎が見舞にかけ付けた時に は、堀口はもうこの世の人ではなかった。家内の人々の話によると、彼は苦しい息のあいだに、白 い婆が枕もとに来ていると、幾たびか繰り返して言ったそうである。それを聞いて余一郎はいよい よ顔色を暗くした。  下手人の石川の詮議は厳重になった。彼が堀口に斬りかかる時に「さっきの一言」といったのか ら想像すると、高原の屋敷で「一人で帰ると、また鬼婆にいじめられるぞ」と堀口にからかわれた のを根に持ったものらしい。それだけの意趣で竹馬の友ともいうぺき堀口を殺害するとは、何分に も解し難いことであるという説もあったが、それを除いては他に子細がありそうにも思えなかっ た。殊に本人の口から「さっきの一言」と叫んだのであるから、それを証拠とするほかはなかっ た。それらの事情も本人を取りおさえれば明白になるのであるが、石川はその場から姿を消してし まって、自分の屋敷へも戻らなかった。  あくる十六日も雪は降りっづいた。堀口の屋敷では、今夜が通夜であるというので、高原の余一 郎や、神南や森積は勿論、かるた会の仲間たちも昼間からみな寄り集まっていた。高原織衛も平生 からの知合いといい、殊に自分の屋敷の歌留多会から起こったことであるので、伜ばかりを名代に 差し出しても置かれまいと思って、日が暮れてから中間ひとりに提燈を持たせて、自分も堀口の屋 敷へ悔みにゆくことにした。|灯《ひ》ともし頃から小降りにはなったが、それでも細かい雪がしずかに降 っていた。今夜も風のない夜であった。  三町目谷の坂下へ来かかると、麹町通りの方から雪を蹴るようにして足早に降りて来る人々があ った。かれらは無提燈であったが、近寄るにしたがって織衛の提燈の火に照らし出されたのは、石 川房之丞の父の房八郎と、その弟子の矢上鉄之助であった。二人共に合羽をきて、袴の股立ちを取 って、|草鮭《わらじ》をはいていた。房八郎は去年から伜に番入りをさせて、自分は隠居の身となったが、ふ だんから丈夫な|質《たち》であるので、今でも大勢の若い者を集めて弓術の指南をしている。ゆうべの一条 について、彼は自分の責任としても伜のゆくえを早く探し出さたければならないというので、弟子 の矢上を連れて早朝から心当たりを隈なく尋ねて歩いたが、どこにも房之丞の立ち廻ったらしい形 跡を見いだすことが出来ないで、唯今むなしく帰って来たところであった。 「卑怯な伜め。未練に逃げ隠れて親の顔にも泥を塗る、にくい奴でござる。」と、房八郎は嘆息し た。  かれは見あたり次第に伜を引っ捕えて、詰め腹を切らせる覚悟であったらしい。彼が平生の気性 を知っている織衛は、それを察して気の毒にも思ったが、今更なんと言って慰める言葉もなかっ た。房八郎の師弟と織衛の主従とは相前後して鬼婆横町にはいると、その中程まで来かかった時 に、織衛の中問は立ちどまって提燈をむこうへ差し向けて、「あれ、あすこに……。」と、ややおび えたような声でささやいた。  大溝のふちには白い物が坐っていた。それが問題の妖婆かと、織衛がきっと見定めるひまもな く、房八郎は弟子に声をかけた。 「矢上、それ。」  師匠と弟子は走りかかって、左右からかの怪物を取りおさえると、怪物はのめるようにぐたりと 前に倒れた。倒れると共に、それを埋めている雪の衣は崩れ落ちて、提燈の火の前にその正体をあ らわした。彼は石川房之丞で、見ごとに腹をかき切っていた。ゆうべから何処に忍んでいて、いつ このところへ立ち戻って来たのか知らないが、彼はあたかもかの妖婆が坐っていたらしい所をえら んで、同じように坐って、おなじように雪に埋められて、真白になって死んでいたのであった。  四人は黙って顔をみあわせていた。  この事件あって以来、鬼婆横町の名がさらに世問に広まったが、雪中の妖婆は何の怪物であるか 判らなかった。それが伝説の鬼婆であるとしても、なぜ或る時にかぎってその姿をあらわしたのか、 そんな子細はもとより判ろう筈はなかった。かの妖婆をみたという四人の若侍のうちで、堀口は石 川に殺され、石川は自殺した。なんにも|係《かかわ》り合いなしに通り過ぎた神南は、無事であった。かれに 銭をあたえて通ったという森積は、その翌年の正月に抜擢されて破格の立身をした。  その後、この横町で、ふたたび鬼婆のすがたを認めたという者はなかった。                              昭和三年四月「文芸倶楽部」