|佐々木高綱《ささきたかつな》 (一幕一場) 岡本綺堂   登場人物     初演配役 佐々木四郎山高綱  (二世市川左団次) その娘 薄衣《うすぎぬ》  (市川|莚若《えんじやく》のちの二世|松蔦《しようよう》) 佐々木小太郎|定重《さだしげ》  (五世市川新之助) 聯餓㍉か傭(六世市畢譲のちの藩) その姉 おみの  (三世坂衷饗譲円 |高野《こうや》の|智山《ちざん》  (二世市川|左升《さしよう》) 鹿島与一 |甲賀《こうが》 六郎 |侍女《こしもと》|小万《こまん》 佐々木の家来など    江州《ごうしゆう》佐々木の庄、佐々木高綱の屋敷。建久《けんきゆう》六年十二月の午後、晴れたる日。中央より下《しも》のか    たにかけて、大いたる|厩《うまや》あり。ただし舞台に面せる方はその裏手と知るべし。中央よりすこ    しく|上《かみ》のかたには梅の大樹ありて、花は白く咲きみだれたり。奥の方には木立の|間《ひま》に屋敷の    建物みゆ。      (佐々木四郎高綱、三十七、八歳。梅の樹の下に立ちて馬の洗足するを見ている。家来鹿島与一、四十       余歳。膨貝六郎、二十五、六歳。おなじく馬の左右に立ちて見る。馬かい㍗か舛・二十歳前後の解欝   なる若者。鳶精《いけつき》を厩のうしろに牽櫨㌃建さしてい三 高綱  きょうはよい日和になったのう。比良のいただきに雪はみえても時候はにわかに春めい      て来たようじゃ。おちこちで小鳥が楽しそうにさえずるわ。 与一  鎌倉どのが初めての|御上洛《ごじようらく》に、かような日和つづきと申すはまことにおめでたい儀でご      ざりまするな。 六郎  お先ぶれの同勢はもはや|尾州《ぴしゆう》の|熱田《あつた》まで到着し此㍗ひか申すことでござりまする。       (高綱は聞かざるもののごとく、馬のそばに進みてその平首を軽く叩きなどする。) 高綱  |子之介《ねのすけ》、よう働くな。 子之介  はあ。(無百にて|洗足《すそ》さしている。) 高綱  そちが|隈《コず》ひなたなく働いて、あさゆう心をつけて養うてくるるほどに……。(家来を見か     えろ。)これ、見い。一時はすこしく衰えた馬も、このごろは再びすこやかに生い立って、|毛沢《けづや》     もひとしお美しゅうなったわ。 子之介  (ほれぽれと馬をみる。)よいお馬でござりまするのう。 与一  よいはずじゃ。これは鎌倉どのが御秘蔵の名馬で、世にもきこえたる生月《いけづき》じゃ。そちも     定めて存じておろう。かの宇治川の合戦に、|梶原《かじわら》の|磨墨《するすみ》に乗り勝って、殿が先陣の功名させ     られたも、一つはこの生月の働きじゃぞ。 六郎  あの折りのありさまは思い出しても勇ましい。名に負う宇治の大河《たいが》には、雪解《ゆき" 》の水が|酒     活《とうとつ》とみなぎり落ちて来る。川の向かいには|木曾《きそ》の人数およそ五百余騎、|楯《たて》をならべて待ち受     けていたわ。 与一  まして河の底には|乱杭《らんぐい》を打って、大綱小綱を張りわたし、馬の足をささえんと巧んであ     る。なみなみの者ではよも渡すまじと見てあるところへ、殿は生月、梶原は磨墨、黒馬二匹     が|轡《くつわ》をならべて、|平等院《びようどういん》の|坤《うしとら》、たちばなの小島が崎よりざんぶざんぶと乗り入った。 高綱  (さえぎる。)ええ、珍しゅうもない。おけ、おけ。(馬にむかいて。)のう、|生月《いけつき》。かの宇     治川を初めとして、つづいて一の谷、|八島《やしま》、壇の浦、高綱と|生死《しようし》をともにして、そちもずい     ぶん働いたのう。が、それも今はむかしの夢で、そちも高綱もふたたび功名をあぐる時節は     あるまい。あたら名馬も飼い殺しじゃ。(嘆息しつつ|子之介《ねのすけ》にむかい。)きょうは二日、そちが     亡き父の命日じゃぞ。もうよいほどにして身を清め、仏前に|回向《えこう》いたせ。 子之介 はあ。 高綱  もうそれでよい。|厩《うまや》へ|牽《ひ》いて|繋《つな》いでおけ。 子之介 はあ。(馬をひかんとすれど動かず。)ええ、なにが気に入らいで拗《すね》るのじや。さあ、行け。     ゆけ。|叱《し》っ、しっ。      (馬はなお動かず。与一と六郎も立ち寄る。) 与一  ええ、どうしたものじゃ。叱っ、しっ。 六郎  さあ、行け、ゆけ。        (三人は無理に牽かんとすれば、馬は狂いて|蹴散《けち》らさんとす。六郎倒る。与一らはうろたえ騒ぐ。馬       は狂いて走りゆかんとするを、高綱はさえぎりてその|轡《くりわ》を取る。) 高綱  ええ、なにを狂うぞ。そちにも気に入らぬことがあるとみゆるな。高綱も狂いたいはや,     まやまじゃが、狂うたとて|藻掻《もが》いたとて|所詮《しよせん》はむだな世のなかじゃ。まあ、|鎮《しす》まれ、しず      まれ。(馬にむかって|諭《さと》すように言う。) 与一  (馬にむかって|罵《ののし》るように。)この横着ものめが……。殿さまが|直《じきじき》々にお手をかけられたら、     このとおり、おとなしくなってしもうたわ。        (高綱は馬の口をとりて、|子之介《ねのすけ》に渡す。子之介うけ取りて|厩《うまや》のうしろへ|牽《ひ》いてゆく。六郎は|馬盟《ばだらい》な        ど片づける。高綱の娘|薄衣《うすぎぬ》、十六、七歳。|侍女小万《こしもとこまん》を連れて、下のかたよりいず。) 薄衣 父上さま、これにおいでなされましたか。 高綱  日和がよければ厩に出て、馬に|洗足《すそ》さするを見ていたのじや。 薄衣  |石山寺《いしやまでら》 |参詣《さんけい》のかえり|途《みち》に、ついそこで旅の御出家さまにお逢い申しましたれば、お連      れ申してまいりました。 小万  お見受け申したところが、ありがたそうな御出家さま。路をいそぐといったんはお断わ      りなされましたを、無理にねごうて御案内申しました。 高綱  今日はこころざす仏の命日。よくぞそこに心がついた。して、その御坊は……。 薄衣  (小万を見かえりて。)早うこれへお通し申しや。 小万 はい、はい。(引き返して去る。) 高綱  (六郎を見かえる。)|女子《おなご》ばかりの出迎いは無礼であろう。そちもまいって御案内申せ。 六郎 はあ。(去る。) 高綱  薄衣と与一は奥へまいって、|斎《とき》をまいらする用意なといたせ。 薄衣 かしこまりました。        (|薄衣《うすぎぬ》と与一は奥へ去る。六郎と小万は|高野《こうや》の僧|智山《ちざん》を案内していず。智山は四十余歳、旅すがたに        て笠と杖とを持つ。) 高綱  (|会釈《えしやく》して。)|聖《ひじり》にはゆく手を急がせらるるとか|承《うけたまわ》ったに、ようぞお立ち寄りくだされた。      毎月二日はほとけの命日でござれば、誰にかぎらず、門前をすぐる出家をよび止めて、|回向《えこう》      を頼みまいらするが家例でござる。 智山  ただ今御息女よりも|右様《みぎよう》の儀をうけたまわったが、さりとは|御奇特《ごきどく》のことに存じまする。     して、お身が佐々木どのでござるよな。 高綱  申しおくれたれど、それがしは佐々木四郎高綱、なにとぞ御見知りおきくだされい。 智山  拙僧《せつそう》は高野の山にすむ智山と申す者、諸国修行のために陸奥《みちのく》へくだり、帰り途には鎌倉     より伊豆をめぐりて、これより帰山の道中でござる。 高綱  では、東海道を|上《のぼ》られたか。 智山  あたかも鎌倉の将軍が|上洛《じようらく》の道筋とて、|宿《しゆくじゆ》々はもってのほかの混雑、われらのような|痩《やせ》      法師はここでもかしこでも追い散らされ、いやさんざんの目に逢い申したよ。はははははは。 高綱  (打ち笑む。)それは定めて御迷惑のこととお察し申した。(六郎を見かえりて。)|床几《しようぎ》を持て。 六郎  はあ。        (六郎と小万は奥に入る。) 高綱  して、鎌倉の同勢にはどこらあたりでお逢いなされた。 智山  |熱田《あつた》の手前で一つになりましたが、かの同勢は二、三日そこに|逗留《とうりゆう》とか|承《うけたまわ》ったれぱ、そ      の|間《きホ》にわれらは通りぬけて、ひと足先に発足いたした。が、その行列の華やかさ、実に眼を驚      かすばかりでござった。(高綱は耳を傾けて聴く。)まずその人数は四、五千騎も"こざったか。        (六郎と小万は|床几《しようぎ》を持ち来たる。高綱は|願《あニ》にて智山にすすめよと命じ、おのれもまた床几に腰をお        ろす。六郎と小万は一礼して去る。) 智山  (床几に腰をおろして語りつづく。)将軍はいずこにおわすか存ぜぬが、|先供《さきども》には|北条、|梶原《かじわら》、      三浦、畠山、あとおさえには|土肥《とい》、|安達《あだち》……なお数々の大小名が平家の残党に備うる用心も      ござろう、いずれも|甲冑《よろいかぶと》さわやかに|扮装《いでた》って、家々の紋打ったる旗をたてさせ、小春日和      の海道筋を長々と練りゆくありさまは、勇ましいとも美々しいとも|讐《たと》えて申すべきようはご      ざらぬ。まことに前代|未聞《みもん》との取り|汰汰《ざた》、われらもこの年になるまでに、かような目ざまし      い上洛は初めて見申したわ。われらは出家の身で、うき世のことをとこう申すではなけれど      も、頼朝という|御人《ごじん》は果報めでたくおわすよのう。 高綱  (ひと言のように。)それも皆この高綱ゆえじゃ。恩知らずめが……。(|罵《ののし》る。) 智山  恩知らずとは……。(聞き|瞥《とが》める。) 高綱  (苦笑いして。)いや、これはお聞かせ申しても詮ないことじゃ。まずそれよりも、高綱の      |職悔《さんげ》をひととおりお聞きくだされぬな|今日御回向《こんにちごえこう》をたのみまいらする仏と申すは、わが身寄      りでもなし、敵でもなし、味方でもなし、罪なくして相果てたる|紀之介《きのすけ》という|馬士《まご》でござる。        (高綱は眉をひそめて、空をあおぎつつ|起《た》って|排掴《はいかい》す。智山は|珠数《じゆず》を|爪繰《つまぐ》りながら聴く。|厩《うまや》のかげよ        り|子之介《ねのすけ》忍びいでておなじく聴く。) 高綱  (しばらくして。)かぞうれば十年以前、|治承《ぢしよう》四年の秋のはじめ、|蛭《ひる》ケ小島において頼朝が旗      をあぐるという|噂《うわさ》、ひそかに都へもきこえたれば、われ真っ先に|見参《げんさん》に入り申さんと、忍ん      で伊豆へくだりしが、浪人のかなしさには馬ももたず、|徒歩《かち》にておぼつかなくも辿りたどり      !\八月二日のあかつきに|野洲《やす》の河原にさしかかると、まだ明けやらぬ朝霧のあいだより、      雑鞍置いたる馬を追うて来る者がござった。これ幸いと呼び止めて馬を借り受け、むこうの    岸までは渡りしが……これより遠き旅をゆくに、馬の足を仮らでは不便なり、ぬすみて逃げ  んし噛はやめて、二、三丁ばか-駆けぬ-れば、畢はおどろき追い来た-て馬ぬすびと     よと罵りさわぐ。かくては是非もなし、馬をかえさば大事の問に合うまじと---。こころを     鬼にして……。 智山  (思わず叫ぶ。)あら、|無漸《むざん》……。由なき|殺生《せつしよう》をせられたよな。 高綱  馬を返さんとあざむいて、油断を見すまし……。(突く真似をする。しばしの沈黙。)かくし     てようよう馬を得たれば、無事に伊豆まで乗りつけて、おなじ月の十七日には|八牧《やまき》の|屋形《やかた》を     攻めほろぼし、源氏再興の基《もとい》をひらく。その後のことは申すまでもござらぬ。が、ただ不欄《ふびん》     なるはかの馬士にて、その名を紀之介と申す由、かれの口より聞きたるを手がかりに、平家     般縮の後この国中を|隈《くま》ゐな|詮議《せんぎ》したるも容易に相分からず、このごろに至刈`裸田の里に|子《ね》     之介という若者あり。(厩のかたを見る。子之介あわてて隠れる。)これぞかの紀之介の忘れがた     みと知れたれば、呼び取りてあつく|扶持《ふち》せんと存ぜしに、彼はほかに望みなし、おのがなりわ     いは|馬士《まご》なれば、馬飼いならば奉公せんと申すによって、その言うがままに厩の|小者《こもの》として     召し仕い、きょうまで屋敷に置きまするが、これだけにて高綱の罪が消えましょうか。せめ     ては亡き人の|菩提《ぼだいと》を|弔《むら》うために、月の二日を命日とさだめ、|供養《くよう》をおこたらず営んでおりま     す。 智山  (うなずきて。)して、その子之介と申すは、いつのころより当家に身を寄することと相な      りましたな。 高綱  |三月《みつき》ほど以前でござろうか。 智山  恨みを捨ててかたきに奉公し、勤めぶりに|如才《じよさい》はござらぬか。 高綱  かげひなたなく正直に立ち働いておりまする。 智山  それもまた|奇特《きどく》のことでござる。み仏は|恩怨無二《おんえんむに》と説かせられた。 高綱  恩怨無二…-。(かんがえる。)仏の教えを学ベばそのように|悟《さと》られまするか。 智山  ほとけの教えを学ばずとも、悟らるるものには悟らるる道理しゃ。現にかの子之介とや,      らも、お身をかたきと恨んではおらぬと申すではござらぬか。 高綱  子之介が高綱を恨まぬは、心からその罪を謝するという人のまことに感じたのではござ      るまいか。至誠は|神《しん》を動かすとかうけたまわる。もし我に心のまことがなくば、かれも飽くま      で我を恨みましょうぞ。|天下《てんが》の人に皆まことがあらば、高綱にも不足はござるまいに……。 智山  佐々木どのほどの勇士にも、なにかこの世に御不足がござるかな。 高綱  勇士なればこそ|悶《もだ》ゆる胸をおさえて、かように生きてもおられまする。弱いものならと     うの昔に、狂い死にでもしておりましょうわ。(つと|起《た》つ。)|御坊《ごぼう》、なぞこの世の中にはまこと     なき|奴贋《やつばら》がはびこって、正しきものが|虐《しいた》げられるのでござろうな。 智山  (騒がず。)|正法千年《しようぽう》、|像法千年《ぞうぼう》の世はすぎて、今は末法の世でござる。それを救わんが     ために、われらも努めておるとは知られぬか。       (一高綱はかんがえている。奥より与一いず。) 与一  御用意整うておりまする。 高綱  (うなずきて。)さらば、御坊。 与一  どうぞお通りくださりませ。 智山  (起ちあがりて。)御案内おたのみ申す。        (与一は智山を案内して奥に入る。) 高綱  (|厩《うまや》を見かえりて。)|子之介《ねのすけ》はおらぬか。子之介、子之介。        (厩のかげより子之介は着物を着かえていず。) 高綱  御坊を仏間へ招じたれば、やがて|読経《どきよう》も始まるであろう。そちも参って|同向《えこう》いたせ。 子之介  はあ。        (高綱は奥に入る。子之介もつづいて入らんとする時、下のかたより佐々木小太郎定重、二十余歳、        いず。) 定重  こりゃ馬飼いのもの、|叔父《おじ》上はお宿にござるか。 子之介  はい。ただ今高野の御出家さまがお越しなされて、御仏間へ御案内なされました。 定重  おお、さようであったか。御仏事の場所へみだりに|推参《すいさん》もいかが、ともかくも定重まい      りしと申し上げてくりゃれ。 子之介  かしこまりました。(奥に入る。) 定重  (ひとり言。)|合点《がてん》のゆかぬはこのごろの叔父上のありさまじゃ。鎌倉どの|上洛《じょうらく》の人数も     はや|美濃路《みのじ》まで進まれたと聞くに、お出迎いの用意もなく、そしらぬ顔して日を送らるるは、     そもいかなる次第であろうか。(奥にて|鉦《かね》の音きこゆ。)おお、読経ももはや始まったと見ゆる     な。(奥より|薄衣《うすぎぬ》いず。) 薄衣  小太郎どの、お越しなされましたか。 定重  おお、薄衣どの。叔父上は仏間にござるそうな。 薄衣  はい。まず奥へお通りなされませ。 定重  いや、きょうは少しく心もせけば、ここにて|暫時《ざんじ》相待ち申そう。 薄衣  では、それへお掛けくださりませ。        (定重は上のかたの|床几《しようぎ》にかかる。薄衣は梅の樹によりて立つ。) 定重  叔父上の御機嫌はこのごろどうでござるな。 薄衣  別にこうということもござりませぬが、とかくにお気が|暴《あらあら》々しくなって-:-。|項細《ささい》なこ      とにもおむずかりなされて……。そばにいる者もはらはらするような。 定重  御病気ともみえませぬか。 薄衣  御病気のようでもござりませぬが……。(眉をひそむ。) 定重 はてのう。(かんがえている。) 高綱  (奥よりいず。)小太郎、まいったか。       (定重ま起って蹴㎎をゆずる。高綱は床几に腰をかける。定重は薦鵡にすすめられて、下のかたの床        几にかかる。) 定重卑事ござりまするが、将軍概癖の同勢はもはや藩讐で到着」うけたまわる。や      がては当国へ進ませらるるお日取りでござれば、叔父上にもお出迎いの御用意いかがでござ      りまするな。(高綱答えず。定重はその気色をうかがいて。)父は昨夜すでに出発いたしてござる。      (高綱はなお答えず。)そのみぎり、父が申しまするには、その方は叔父上のおん供して、今夕      刻よりつづいて出発いたせと……。 高綱  (不興げに。)兄上がさよう申し残されたか。 定重  はあ。 高綱  その方は父の|指図《さしず》にまかせて、ゆきたくば勝手にゆけ。叔父は|忌《いや》じや。(定重おどろく。)     高綱は行かぬぞ。 薄衣  このあいだからお|勧《すす》め申しておりまするに、なぜお出迎いはなされませぬ。将軍の|御上《ごじよう》      |洛《らく》には途中までお出迎い申すが武家の習い。のう、小太郎どの。 定重  鎌倉の将軍頼朝公がはじめての御上洛、|武蔵相模《むさしさがみ》は申すにおよばす、海道の大小名はす      べておん供に加わるなかに、叔父上ばかりが御不承知とは……。 高綱  おお、不承知じゃよ。鎌倉の将軍がなんじゃ。頼朝がなんじゃ。あの大がたりの大嘘つ      きめが……。 薄衣 あ、もし、うかうかとそのようなこと……。 定重  万一余人の耳に入りましたら……。 高綱  おそろしいと申すのか。(あざ笑う。)嘘つきなればこそ嘘つきと言うたがなぜ悪い。こり      やよう聞け。|石橋山《いしばしやま》のたたかい敗れて、頼朝めは|散々《さんざん》の|体《てい》たらく。噛み合いに負けた|痩《やビ》犬の      ように、|尻尾《しつぽ》をまい|三一蛋《ほうほう》の|体《てい》で逃げまわる。暗さは暗し、雨はふる。木の根や岩角につま      ずいて|顛《こけ》つまろびつ、泥まぶれになって|這《よ》いあるくそのざまは……。わはははははは。さり      とてわれに取っては|譜代《ふだい》の主君じゃ。命を捨ててもその難儀を救わねばならぬと、高綱かけ      つけて|扶《たす》け起こし、それがしおん名をたまわりて防ぎ戦うあいだ、君にはとくとく落ちさせ      たまえと言えば、頼朝めは拝まぬばかりによろこんで、おお、わが身がわりに立ってくるる      か、佐々木は日本一の大忠臣じゃ。われもし生きて|天下《てんガ》を取らんには、その|恩賞《おんしよう》として日本      の半分をわかち取らすぞと、諸人の聞く前でたしかに誓うた、 定重  |右様《みゃごヒラ》の儀はかねて父よりうけたまわっておりまする。そのおりに叔父上がおん身代わり      に相立たずば、頼朝公の御運も危うかったかとも存じられまする。 高綱  高綱が源頼朝と名乗って……おもえば|馬鹿《ばか》な。|大童《おドわらわ》となって必死にたたかう問に、頼朝 i、、,  めは杉山まで逃げ込んだ。高綱も幸いに命をまっとうした。つづいては宇治川先陣の功名、      それだけでも二か国三か国のあたいはあろう。さて頼朝めは思いのままに世をとっで、、天下     の大将軍と仰がれながら、命の親の高綱にはなにほどの恩賞をくれたと思うぞ。日木の半分   は言うもおろか、四半分のまたその四半分にも足らぬ襟挺暫くれたばかりで、おのれはあっ      ぱれ主人顔じゃ。征夷大将軍《せいいたいしようぐん》、源氏の棟梁《とうりよう》とかもったいらしく名乗るものが、恩をわすれ、        約束を破ってすむと思うか。 定重   一応ごもっともではござりまするが……。(返事に困っている。) 高綱  もちろん、高綱もだまってはおらぬ。石橋山のお約束はもはやお忘れたされたかと、た     びたび|催促《さいそく》に及ぶといえども、四の五の言うて|坪《らち》があかぬ。それにまた|土肥《とい》の、|安達《あだト》の、三     浦のという腰抜けどもが、かしこ振った|面《つら》をして、そのようなことを甲すは第一に不忠じや     の、やれ看命には|背《そむ》くなの、長いものには巻かれろのと、理を非にまげて意見をしおる。(定     重をみて。)その方の父なども同じくその腰抜け仲間じゃ。ええ、ばかばかしい。主入は約束     にそむく大嘘つき、まわりの|奴侮《やっばら》はへつらい武士や臆病者、右を見ても左をみても、|痛《トん》に|障《さわ》     ることばかりが|畳《たた》まって来るわ。        (高綱は立って梅の枝をねじ折り、落花|微塵《みじん》に引きちぎって地に投げつける。) 定重  われわれ|若輩者《じやくはいもの》が|押《お》して申し上げましたら、定めてお叱りもござりましょうが、今もむ     かしも道理ばかりでは済まぬ世の中でござりまする。たとい叔父上に十分の道理がござりま     しょうとも、いまさら鎌倉の将軍を相手取って、理非を争うなどとは及ばぬこと。どのよう     な御不足がござりましょうとも、|堪忍《かんにん》あそばすがお家のため、このたびは何とぞそれがしを     お供に連れられて、まげて|国境《くにざかい》までお出迎いを……。 高綱  最前も申したとおり、ゆきたくばその方ひとりで行け。 定重  くどうも申すようなれど、お家を大事と|思《おほ》し召されて……。 高綱  ええ、面倒な。家がなんじゃ。高綱がきょう限りで家を捨てたらなんとする。 薄衣 え、もし、父上さま……。(思わず|縄《すが》らんとす。) 高綱  (じっと娘の顔を見たるが、またつき|退《の》ける。)こんなばかばかしい世のなかに、生きている      奴の気が知れぬわ。 定重  では、どうあってもお出迎いには……。 高綱  まだわからぬか。くどい奴じゃのう。        (高綱は奥に入る。あとにふたりは顔を見あわせる。) 薄衣  いまさらならねど父上のはげしい気性、いったんこうと言い出されたら、容易に思い返      しはなされまい。困ったことでござりまするのう。 定重  このたび将軍|御上洛《こじようらく》は海道筋の大小名、いずれも人数をひきつれて、路次の|警固《けいご》をつか     まつるとあるに、叔父上のみ御不参とこれあっては、後日のお|容《とか》めは|逃《のが》れまい、まして将軍     のお|側《そま》には、日ごろより佐々木|一家《いつけ》とは|仲違《なかたが》いの|梶原父子《かじわらおやこ》もひかえておれば、この機に乗じ     ていかなる|議言《ざんげん》を申し立てんも測られず、油断せば家の大事……。(思案して。)ともかくも     いったんは立ち帰り、出発の用意をととのえて、ふたたびお迎いにまいるでござろう、. 薄衣  もし父上があくまでも御不承知と仰せられたら……。 定重  是非に及ばず、それがし|一人《いもにん》にてまいるまでじゃ。万一叔父上が御|不興《ふきようこ》を|蒙《うむ》るとも、そ     れがし父子が申しなだめて、無事を|計《はか》るが一族のよしみ……。(ことば優しく。)かならず御心   配あるな。 薄衣 なにとぞ|宜《よろ》しくたのみまする。 定重  さらば重ねて……薄衣どの。 薄衣  御出発の折りにはいま一度お立ち寄りくださりませ。 定重  無駄とは思えどお誘いにまいろう。       (ふたりは|会釈《えしやく》して、定重は下のかたに入る。|薄衣《うすぎね》はあとを見送りて思案顔にたたずみしが、これも       思い直して奥に入る。下のかたより子之介の姉おみの、二十二、三歳の農家の娘、旅姿にていず。) おみの  (あたりを|窺《うかが》いて。)|子之介《ねのすけ》は|厩《うまや》にいると御門で教えられたが、はて|何処《どこ》へ行ったことであ     ろう。        (奥より子之介いず。) おみの  おお、弟……。 子之介  |姉《あお》さまか。(なつかしげに寄る。)ようたずねて来てくだされた。 おみの  このごろは時候もおいおいに寒うなって来たが、別に変わることもないかや。 子之介  はい、幸いに達者で暮らしておりまする。 おみの  それでわたしも安心しました。 子之介  きょうは月こそ違え、|父《とと》さまの御命日で、今まで奥で御|回向《えこう》をして来ました。 おみの  奥で……。(かんがえて。)そなたひとりで御回向をしていやったのか。 子之介  殿様とごいっしょに……。 おみの  殿様もごいっしょに……。人間ひとりを惨たらしゅう殺しておいて、回向さえすれば、      罪が消ゆるかのう。(あざ笑う。) 子之介  (うれわしげに。)姉さま。お前はやっぱり殿様を恨んでいるのじゃな。 おみの  (左右を見まわす。)これ、そこらに人はいぬか。(子之介うなずく。)恨むが無理か、積もっ      てもみやれ。父さまは正直律儀のお生まれで、日ごろから露ほども曲がったことはせられなん      だに、よい人にも悪い報いが来て、十年以前|野洲《やす》の河原で何者にか|斬《を》り殺され、|牽《ひ》いていた      馬はぬすまれた。その時わたしはまだ十三、そなたは十一でろくろくに物ごころもつかず、      ただおろおろと途方にくれ、|姉弟手《エユしよらたい》を取って泣いていた。 (なみだをぬぐう。子之介もうつむい      て塘く。)かたきは誰か知らねども、見つけ次第にただは置くまいと、嘆きのなかに胸にきざ      んで今まで月日を送るうちに、|神仏《かみはとけ》のひきあわせか、かたきは知れた……。 (ふたたび左右を      うかがいて。)かたきは佐々木高綱とおのれの口から名乗って来た。 子之介 十年以前|野洲《やす》の河原で|馬士《まご》を殺したはわが|仕業《しわエしし》と、あからさまに名乗って出て、ゆかりの      ものを探し求め、むかしの罪を|償《つぐな》うために、あつく|扶持《ふち》して取らせると、御領主さまからお      |触《ふ》れが出たときには、夢かとばかりに驚きました。 おみの  おどろきと悲しみと喜びとが一つになって、いったんは思案にも|惑《キにいど》うたが、かたきが我      から名乗って出たこそ幸い、その屋敷へ入り込んで、|隙《ヂヤじ》もあらば恨みの|刃《やいは》をかたきの胸に|刺《ミ》      し|透《とお》そうと、約束したを忘れはせまい。ここへ奉公住みして足かけ三月のあいだに、討つべ     き隙はなかったか。そのたよりが聞きたさに、きょうはわざわざ尋ねて来ました。 子之介 隙《すき》もあらばかたきを討とうと、刃を呑んで住み込みましたが、あくまで前非を悔《く》いた佐     佐木どの、この子之介のまえに両手を突いて、ゆるしてくれとお詫びなされた。そのまごこ     ろが面《おもて》にあらわれて……。 おみの  討つべきこころも|鈍《にぶ》ったか。ええ、言いがいのない|卑怯《ひきよう》者、|臆病者《おくびよう》……。最前もいうとお      り、罪もない人間ひとり殺しておいて、わびて|済《す》もうか。|回向《えこう》して済もうか.それで|堪忍《かんにん》が      なるほどなら、きょうまで泣いて暮らしはせぬ。|二十歳《はたち》を越しても歯を染めぬ|姉《れ り》の覚悟をな      んと見た。|姉弟《きようだい》が心ひとつにして、馬盗人のかたきの奴めを……。 子之介  もし。(声高しと制する。) おみの  そなたはとうからここに住み込んで、屋敷の案内も知っていやろう。今夜にも姉を手びき      して……。これ、黙っているのは不承知か、ただしはいまさらおくれが出たか。 子之介  昔の罪を後悔して、毎月二日を命日に、仏事|供養《くよう》をかかさず営んでくださる殿様を、いま      さら|執念《しゆうね》く恨むのは……。もし、|姉《あね》さま。|父《とと》さまの死んだのは是非もない災難じゃと……。 おみの  なに。(きっとなる。) 子之介 どうぞ|諦《あきら》めてくださりませ。        (おみのは|呆《あぎ》れた|体《てい》にて|弟《おとと》の顔をじっと眺めていたりしが、やがてわっと地に泣き伏す。) 子之介  もし、姉さま。(立ち寄って取り|槌《すが》る。) おみの  (狂うがごとくに突きのける。)ええ、寄るな、寄るな。現在の親のかたきを眼の前に置きな      がら、おめおめと見ているような不孝ものに、姉と呼ばるるおぽえはない。 子之介  たとい佐々木どのを討ったとて、死んだ父さまが返りましょうか。よしない罪を作ろう      よりも:: おみの  ええ、|卑怯《ひきよう》者……不孝者……。もうこの上はそなたは頼まぬ。なんの相手が|武士《さむらい》じゃと      て|怖《おそ》ろしいことがあろうか。かたきはわたしひとりでみごとに討ってみしょう。        (おみのはかかえたる|糸楯《いとだて》をときて、|山刀《やまかたな》をとりいだす。|子之介《ねのすけ》はおどろきておさえんとす。) おみの  (振り払いて。)ええ、邪魔するな。放しゃ、放しや。        (おみのは突きのけて奥へ駆けゆかんとするを、子之介はあわててさえぎる。) 子之介  いかにお|急《せ》きなされても、女ひとりで奥へ|踏《ふ》み込もうなどとは狂気の|沙汰《さた》……。もし仕      損じたらなんとなさる。まあ、お待ちなされませ。 おみの  とめるな、放しゃ。 子之介  でも、このままに|遣《や》ることは……。        (おみのはまたふり切って行かんとするを、子之介は必死となりて|纏《すが》りとめ、無理に|厩《うまや》のかげへ連れ込        む。下のかたより佐々木小太郎定董、花やかなる|鎧《 ろし》をつけて弓を持ち、家来数人を引き連れていず。) 定重  (家来を見かえりて。)|先刻《せんこく》の様子では、叔父上にもまだお|支度《したく》はなされまい。それがし参   っておすすめ申す問、その方どもはこれに控えておれ。 家来  はあ。        (定重は奥へゆかんとする時、奥より佐々木高綱は頭讐《もとどり》を切りたる有髪の僧形《そうぎよう》。直旺《ひたたれ》の袴《はかま》をくくりて      膿巾《はまき》をはきたる旅姿にて笠を持ちいず。あとより薄衣《うずぎぬ》、与一、六郎、小万らは打ちしおれて送りい        ず。) 定重  (おどろく。)や、叔父上には……。 高綱  弓矢は折った。太刀《たち》も捨てた。熊谷蓮生坊《くまがいれんしようぼう》の二の舞じゃ。(笑う。) 定重  これはまた思いもよらぬこと、佐々木四郎高綱と日本じゅうにきこえたる弓取りが、に      わかに浮世を捨てられたは……。 高綱  恋しい浮世ならばなんで捨てよう。いつわり者が上にたつ世の中、へつらい武十がはび     こる世の中、けがれた世の中、おもしろからぬ世の中、このような世の中は高綱の住むべき      ところではない。 定重  では、この世の中を見限って…-・。 高綱  (|罵《ののし》るように。)おお、この世の中に|愛想《あいそ》がつきたわ。 薄衣  幾たびおとどめ申しても、お聞き入れがないばかりか、|高野《こうやひ》の|聖《じり》のおん供して、これか      らすぐにお立ちとは、情けないことでござりまする。 定重  これからすぐに高野へ山入りとな。 与一  折りも折りとて高野の聖が、ここへお立ち寄りなされたので、にわかに出家の|思《おぽ》し召      し、まことに夢のように思われまする。 六郎  さなきだに世の中がおもしろからぬと仰せられているところへ、あたかも将軍の|御上洛《こじようらピ》.      そのお出迎いをしいられるうるささに、いっそ武士を捨つるとのお|詞《ことば》でござりまする(、 高綱  |委細《いさい》は今聞くとおりじゃ。かならず騒ぐな、おどろくな。兄上に逢うたらばそのおもむ      きを|確《しか》と申し伝えてくりゃれ。        へ定蒐|荘然《ぼうぜん》。奥より智山いず。) 智山  方々のおどろきも嘆きももっともじゃ。われらも一応は|頭《こうべ》をかたむけたが、|勇猛直前《ゆうもうじきぜん》は      勇士の|本意《ほい》、たとえば風を|勇《き》って飛ぶ矢のごとくで、おのれが向かわんとするところへ向か      うよりほかはござるまい。(風の音して梅の花散る。)おお、花がちる。佐々木どのにはこれを      なんと見らるる。 高綱 (うち笑む。)|西行《さいぎよう》のような涙もろい男なら、無常を感じて泣くでござろう、 智山 おん身の悟りは……。 高綱 高綱に悟りはござらぬ。 定重 悟らずして世を捨てらるるは---。 高綱 こんな世の中にうろうろしているのが、いまいましいからじや。 智山 それも一種の悟りであろうよ。ははははは。 高綱 はははははは。(|厩《うまや》にむかいて。)|生月《いけつき》をこれへひけ。     (|子之介《ねのすけ》は生月を牽いていず。) 子之介殿様、秀緋はあれで伺いました。 高綱 聞いたとあらば重ねて言うまい。これより聖《ひじり》のおん供して、高野《二うや》へまいる、頭《こうべ》をそりこ   ぼて、塗高綱も法師しゃ。その方が父紀之介の|後生《こしよう》安楽を|薦《いの》るであろうぞ。 子之介 ありがとうござりまする。(馬の口を取る。)さあ、お召しなされませ。   高綱 いや、今からは聖の|御《み》弟子じゃ。(智山にむかい。)師の御坊には|鞍《くら》に石しませ、われらが      |車匿童子《しやのくどうじ》となり申そう。 智山  鎌倉の将軍にも頭をさげぬ佐々木どのが痩法師の馬の口を取らるるか。さりとはおもし      ろい。しからば|御免《こめん》。(馬に乗る。)        (高綱は馬の口をとりて行かんとす。蔵κ、小万、与一、六郎、左右より走せ寄り、無言にて|快《にもしし》にす      がる。) 高綱  薄衣《うすぎぬ》は小太郎といいなずけの仲じゃ。やがては祝言《しゆうげん》して睦《むつ》まじゅう暮らせ。与一そのほ      かも堅固《けんご》であれ。やあ、小太郎。 定重 はあ。(進み寄る。) 高綱  高綱一|家《け》のあとをたのむぞ。 定重  |委細《いさい》承知つかまつりました。 高綱  よし。(取られし|快《たもと》をふりきって。)さらば・…:。        (行かんとする時、|厩《うまや》のかげよりおみのは山刀をぬき持ちて走りいず。) おみの  |父《とと》さまのかたき……。(切ってかかる。) 高綱  (身をかわしてその手をとらえ。)誰じや。(顔をみて。)おお、|子之介《ねのすけ》の姉か。(ほほえみながら      突きはなす。おみの倒れる。)ここにも悟られぬ人があるのう。 智山  冬の日のくれぬうちに|大津《おおつ》の|宿《しゆく》まで《ユリ》。 高綱  はあ。        (高綱は馬の口を取りてゆく。皆々あとを見送る。おみのはまた起ちあがりて行かんとするを、子之        介は抱きとめる。|三井寺《みいでら》の鐘の音きこゆ。)                                        —幕—